阿含宗という宗教
1 名前: 口下手番長 投稿日: 1999/12/13(月) 17:50
皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします
また、私も阿含宗の資料が集まり次第ここへ書き込みいたしますので
どうか宜しくお願いします。


2 名前: しげ 投稿日: 1999/12/13(月) 18:51
読売新聞なんかに広告をよく出していたインチキ宗教だよね。


3 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/13(月) 19:13
元々小説家志望だったって話。だから、嘘、おおげさ、まぎらわしいことを書くのが
めちゃ上手いみたいよ。

はずかしながら、自分も騙された口です。
千座行すれば因縁が解けるって、当時は信じてたけど、今思い返せば
やってるこたライフスペースや法の華とかわらん。
うさんくさいことこの上ない。あの麻原も、千座行してたらしいですね。笑いました。


4 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/13(月) 19:15
以前出してたノストラダムス本には、

アンゴルモア=アーガマ=阿含宗、という伝言ゲームみたいなこじつけをしてましたね。

今回はどんなネタで勝負するんでしょう。


5 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/13(月) 23:05
age


6 名前: あぼ〜ん宗という宗教 投稿日: 1999/12/14(火) 00:16
何でも「あぼ〜ん」しちゃいます。


7 名前: あ、ごんぎつね 投稿日: 1999/12/15(水) 02:38
宣伝は派手だけど、やっていることは普通の新・宗教
と変わらない
俺は別に危険だとは思わん!
教祖は目立ちたがりだが、信者は真面目な人が多い。
ネタは面白いな、最近オカルトブームも去って
ネタ切れのようですな、HPが更新されず
最新情報、96年のまんま


8 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15(水) 02:55
だいたい超能力とかなんとかで、
宗教やろうってのが、そもそも間違いなんだよ!
ところで、因縁って良く聞くけど、こんな曖昧な言葉
だけで、よく分からないまんま宗教なんかするなよ!
気軽に教団にはいってしまう奴よくわからん?
アゴンにかぎったことではないけど・・・。


9 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15(水) 13:23
しっています?
ここ、信者の出入りはげしいんだよ。
本に書いて有るような、すごいこと教えてくれず
やっていること普通の宗教
ただ、お祭りだけ派手だね!
信者がオウムに流れたのは有名だけど、ほかに
真如宛や幸福の科学などにも多くの信者が流れているんだよ。
まあ、それだけ信者は自由ってことで、べつに目くじら
たてることはないんじゃないの。
好きな奴は適当に宗教しりゃいいんだよ!


10 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15(水) 20:16
わたしも身近な人の死で弱りきってたときに、誘われて入会してしまいました。
ご宝塔?がまだ家にあって、どうしようか悩んでます。
あそこ(東京の総本部)にはもう行きたくないんですが・・・
9さんの言う通り、派手だけどフツウの宗教だと思います。
ナゼやる気をなくしたか、それは因縁解脱です。
誘ってくれたコが説明足りなかっただけかもしれないけど、
何回もやらなくちゃいけないとは聞いてなかった。(人によるらしいが)
一回ですむと思ってて。一回6万円ぐらいだったかな?うろ覚えですが。
そのころ自分の体調も最悪で会社辞めてたので、
経済的にムリだと思い、会費払込と本部道場通うのやめてしまいました。
ご先祖さまも許してくれるよね?と、少々心苦しいけどそう自分に言い聞かせて。
う〜でもふみたおしてる金は気になる、どうしよ。
2年以上経過してるけど、催促なんか何もありません。
ご宝塔の扱いどうしたらいいでしょか?



11 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15(水) 20:27
まあ、被害金額は少ないから、その点、法の華とは違うけどね。
ただ、「因縁解脱」だの、あからさまな嘘を真実のように思いこませちゃう
とこはかなり危険。


12 名前: 10です 投稿日: 1999/12/15(水) 21:03
平成9年入会時の費用。
入会金   35,000円
月会費    2,000円くらい、載ってる書類不明
冥徳講  月 500×2で1,000円 親の両家に対する供養?
解脱供養  100,000円!!!だった。
↑勧誘した友人は6〜7回で終わったと、言っていた。
お焚き上げの、護摩木 100円〜100,000円 これは一般の人もできる。
べつに高いのを勧められたりはしない。
書類がないけど、入会時にはもっと(十万くらい)払った記憶があります。
でも最低限の金額を選んだはずです。分割もOKです。
やろうとおもえば、沢山のメニューあります。
フツウの宗教だとは思うけど、ちょっとお金お金お金、です。
おどされたり無理やり勧められたりは決してありませんが。
毎月一回の道場での集会(お経を読んで、管長?のお話や救われた人の体験談を聞く)
の最後に、多額の寄付をしたひとの表彰?みたいなのがあって
(数十万から百万単位の人)そこにいやーなものを感じ、
親にもひどく反対されたのでやめました。
悪い事はしてないし、熱心に修行してる人を否定はしないけど・・・


13 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/15(水) 22:49
こぉゆぅ宗教やるぐらいなら、心理学勉強した方が、なんぼか益になります。

人生の悩みは、千座行や先祖供養やお梵き上げなんかで、解決しません。
宗教で悩みを解決しようとするのは、ただの現実逃避です。



14 名前: ななしさんです 投稿日: 1999/12/16(木) 01:07
杉山さんは宗教やる前に密造酒でつかまりました。



15 名前: >口下手番長さん 投稿日: 1999/12/16(木) 01:24
入所中に考えたという、念力で生木に火を点けるやり方。生木というのがミソで薬品を浸したものらしい。これに水をかけると反応して火が出る。護摩を焚く時に、お清めの水をふりかける。それからおもむろに念力を送っているようなパフォーマンスをする。
すると徐々に火が燃え上がってきて、それらしく見えるらしい。ところが薬品の具合が悪く、火が点かなかったことがあった。困った桐山氏は、懐からマッチを取り出すと、「こういうときは文明の利器を使うんだ」といって火を点けたそうな。
だったら始からそうすれば良いのに。そういえば日本奇術協会(だっけ?違ってたらゴメン。手品の協会のことだよ。)の会員だそうだ。どうりで、そんなこと考える訳だ。


16 名前: ちょっとウオッチャー 投稿日: 1999/12/16(木) 02:32
いくらなんでもそりゃガセネタだぜ!(日本奇術協会)
故、織田隆行とかいう坊さんと仲が悪くて、そこの
グループ(密門会だっけ?)の中傷のひとつだろう!
おれが聞いた話では薬品ではなくて、炉の中に
電気の仕掛けがしてあると言う話
薬品だと匂いがひどくてすぐばれる。まあ、実際念力を
見たという人は聞かないから、作り話というのが本当の
ところじゃないか。


17 名前: >奇術協会の方々 投稿日: 1999/12/16(木) 09:26
じゃあ、あれは?

護摩を焚いたら、その火が観音菩薩だかの仏様になった、とかいうのは。


18 名前: ウオッチャン 投稿日: 1999/12/16(木) 13:44
花火が仕掛けられているということだ。
でも実際は消防法の規制があって無理、
やったらすぐお縄だぜ。
火は形を変えて揺れ動く、なんとなくそのように見えた
というのが真相なのだろう。
批判本も、結構いいかげんな記述が多いだよな
ちゃんと取材すれば真相が見えてくるのに
けっこう、ふたを開けて見ればどうってこたあないもんだ。


19 名前: ついでに 投稿日: 1999/12/16(木) 13:57
透視についても、いいかげんな批判だな。
薬品で透かして見たとか書いてあったが、便箋や
原稿用紙に長々と書かれた信者の悩みごとを
一瞬で読み取るのは無理だろう、それこそ超能力だ。
ひそかに事前調査をすることと話術でそのように
演出した、というのが真相だと思う。
桐山氏は易者から宗教家になったようだからそのような
テクニックはおてのものだろう。


20 名前: 口下手番長 投稿日: 1999/12/16(木) 14:27
>10=12さん
どこかの信頼できるお坊さんに頼んで処分して貰ってはいかがですか?
しかし、阿含宗も創価学会同様にお金のかかる宗教ですねちなみに、罰
が当たるとかいって信者を脅すところも創価学会とおんなじですね。
貴方が阿含宗のやり方に疑問を感じてやめたのは正解です
金儲けに走る宗教団体にろくなものはありませんよ
>16さん
織田隆弘さんは桐山靖雄さんとは認識がなかったはず??
それに、織田隆弘さんは桐山阿含宗の実態を批判して、桐山さんに告訴
されたのですよ
>17さん
>護摩を焚いたら、その火が観音菩薩だかの仏様になった
そう見えるはずがありません。観音菩薩や仏様は我々の目には決して見
えないものですよ。もし、そう見えるとしたら、あれは魔の仕業ですよ。
それを写真にとって信者に売りつけた桐山さんは地獄行きですね


21 名前: ウオッチャン 投稿日: 1999/12/17(金) 02:22
織田隆弘氏が勝手に告訴されたって言ってるだけだね実際告訴はしていないはずだ。
アゴンを弁護するつもりはないが、罰があたるとか
言うような脅しは聞いたことないな。
まあ、教義に因縁なんとかあるけど、ありゃ脅しとは違う
火が仏に見えるって見る気になりゃなんだって見える
もんだ。
魔だのなんだのって、いう次元じゃないぞ。
金がかかるってどこも同じだろう
創価学会が金がかかるっていうことだが会費取らないぞ、まあ、寄付がすごいという話だが。
織田さん門下の人かな?異常に桐山を嫌うな。
幼稚な批判ははやらないぞ!


22 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/17(金) 03:59
たしか、桐山氏は織田氏を告訴しています。(後に取り下げていますが)

念力の護摩の件ですが、空海(弘法大師)は伝説が多く、実際に口伝があるの
か無いかは不明ですが、弘法大師全集には「念力で護摩を焚いた」と云う
記述は見あたりません。
また、覚鑁(興教大師)が「念力の護摩を焚いた」と云う事実も見出せません。

桐山氏の著作「阿含密教いま(引用文は『オウム真理教と阿含宗』にもあります)」と、
増谷文雄氏の「原初経典・阿含経」(筑摩書房)を読み比べれば、面白い事が
分かるでしょう。

「阿含宗仏舎利宝珠尊解脱宝生行聖典」には笑わせて頂いています。
昭和三十四年七月十五日初版
昭和六十一年五月十日増補改訂新版台五刷
昭和六十二年一月二十日改訂版
小さく「他見ヲ許サズ」とあるので、お見せできないのが残念です。
ああっ、見せたい。





23 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/17(金) 14:07
なんで見せられないんだよ!
べつにいいじゃん。減るもんじゃないんだから、
笑わせてくれよ!
だいたい密教じたいが、インチキっぽいじゃないか。
あんなの迷信以外なにものでもない。
織田なんとかも桐山も同じ穴のむじななんだよ!
目くそ鼻くそを笑う(笑)


24 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/17(金) 14:20
なんで、2から12までの投稿けすんだよ!
まずいことでもあるのか?


25 名前: >24 投稿日: 1999/12/17(金) 14:37
初めての人ですか?
「レスを全部読む」をクリックすれば、全発言、閲覧できますよ…。

あごん宗への怒りはわかりますが、まぁ、そう興奮なさらずに。


26 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/17(金) 17:56
>16
奇術協会のの人とつてがあるのはホントだぞ。
薬品の臭いは香料とか護摩に使う火薬とかでごまかせるのでは?


27 名前: ウオッチャン 投稿日: 1999/12/18(土) 02:39
アゴンの幹部のかた?
いや、違うか、桐山氏にたしかめたの?
言うはずないか、反対派の織田氏グループの
言うことも、教法に関しては鋭い批判するけれど
桐山氏個人への批判は感情的すぎてあてにならない
どのような方とつてがあるのでしょうか。
火薬でゴマかせますかね?
火薬の匂いってけっこうにおうぞ。
いったいどのような薬品使ったのか?
それが、判明しなければなんともいえませんなあ。
告訴についても、されかかっただけで、けっきょく取り下げだろう。・・・されてないじゃん。
だいたい、密教と原始仏教を結びつけること自体
おかしいんだよ!
あごん宗の解脱宝生なんとかやらが、笑えるってあったけど、真言とやら訳の分からんくだらん密教だろう。
もはや、仏教ではないという人もいる密教 呪術信仰
かたや、現実主義的な釈迦の仏教
増谷博士の本を読まなくても、わかるだろう。
そんなことだから、アゴンにはいっちゃうんだよ。
へらへら笑える奴はしあわせだね。



28 名前: あごーん 投稿日: 1999/12/18(土) 03:02
あごーん



29 名前: 昼行燈 投稿日: 1999/12/18(土) 03:37
>ウオッチャン さん

この質問は昼行燈に対してでしょうか?
>告訴についても、されかかっただけで、けっきょく取り下げだろう。・・・されてないじゃん。
告訴されたいるのです。後に取り下げたのは、「・・・されてないじゃん」とは違います。
事実として「告訴された」と云うのと「されかかっただけ」では異なります。
結果は「・・・されてないじゃん」ですがね。まあ、ニュアンスの違いでしょうか?

>だいたい、密教と原始仏教を結びつけること自体
>おかしいんだよ!
そのおかしな事を平気で行うのが、「阿含宗」です。

>あごん宗の解脱宝生なんとかやらが、笑えるってあったけど、真言とやら訳の分からんくだらん密教だろう。
>もはや、仏教ではないという人もいる密教 呪術信仰
>かたや、現実主義的な釈迦の仏教
>増谷博士の本を読まなくても、わかるだろう。
その通りです。「阿含密教いま」で散々「釈迦の教えでは無い」と口を極めて罵っていた「大乗仏教」の
経典を平気で取り入れて、しゃーしゃーとしているから、笑えてしまうのです。
増谷文雄氏の「原初経典・阿含経」と「阿含密教いま」に記載されている文が、「てにをは」を変えて
いるだけで、桐山氏の説の如く書かれているから、「面白い事が分かるでしょう」と書いたつもりでしたが、
理解して貰えなかったようですね。世間では「剽窃」とも「パクリ」とも言います。

>そんなことだから、アゴンにはいっちゃうんだよ。
>へらへら笑える奴はしあわせだね。
私は阿含宗とは何の関係も在りませんし、入ってもいません。
南条文雄氏・増谷文雄氏・中村元氏を尊敬する、単なる仏典研究者です。

>桐山氏個人への批判は感情的すぎてあてにならない
私個人としては感情的で無い、学歴とか、伝法とかでは無い事実を
幾つか持っているのですが今回は沈黙です。
 
 


30 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/18(土) 10:07
沈黙せずに書いてよ。
本では読めない、そんな情報を知りたいな!


31 名前: 口下手番長 投稿日: 1999/12/20(月) 13:38
>ウオッチャン
貴方は実は阿含宗のシンパ(または現役信者)
だろ!!
だから阿含宗に甘い記述になってるだな??
>昼行燈さん
22の件ですが、
>「他見ヲ許サズ」とありますが、それに背
いて皆に見せたらどんな罰が当たるというの
ですか??
こんなインチキ宗教に罰等当たる筈も無かろ
うに…………
むしろ、こんな仏教の教えに反するインチキ
宗教に入る、信じる、もしくは支持(支援)
する事に対して、仏様は罰を当てると思うの
ですが………
>29の件ですが、私も30さんと同様に
阿含宗に関する情報を知りたいそして皆に知
らせたいと思うのです。この宗教は創価学会
統一協会、オウムの陰に隠れてひっそりとし
ていますが、実は桐山氏の巧みな話術、筆術
に惑わされて泣き寝入りを余儀なくされている
方々が多数存在しています。脱会をしようと
しても、「因縁返し」(桐山氏創作の本来の
仏教に無いもの)による脅しにより、断念せ
ざるを得ない状況にあります。その被害を何
としても食い止めたいと思いこのスレッドを
立ち上げたのです。
私一人の力には限界があり、阿含宗の実態を
知るには殆どが参考文献に頼らざるを得ない
のですがしかし、ここの信者だった人や貴方
のように内部の事情を知る人がここのスレッ
ドに書き込んでくれることにより、阿含宗に
惑わされる人が目覚めて、脱会をし、阿含宗
の力を僅かながら削ぐ事が出来るのではないか
と思いますが、協力して貰えないのでしょう
か?どうか宜しくお願い致します。
最後に、阿含宗の存在を許すことが仏教、特に
真言宗のイメージにプラスとなるか、またはマ
イナスとなるかを皆さんはよく考えるべきだと
思います。


32 名前: 名無しさん 投稿日: 1999/12/21(火) 15:19
真言宗?どうだっていいことじゃないか。
新興宗教も仏教も、もうなにも期待していないね。
オウムに対して仏教の側はどんな解決さくをしめしたのか?
有田さんが仏教側はなにもやっていないと怒るのも
むりはない。
見えてこないもの。


33 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/14(金) 23:30
阿含宗という「インチキ」宗教団体について。

阿含経には、人のものを盗むな!(戒律の一つ)と云うのがあります。
次の文は、人のもの(著作・知的所有権)を盗んで、平然としている宗教者の実態です。

  それはアーガマからはじまる
 むかし、といっても、わたくしたちの学生時代のことですが、「世界の四大聖人」とか、
「四大哲人」という言葉を、よく耳にしたものです。
 それは、ソクラテス、イエス・キリスト、ゴータマ・ブッダ、孔子の四人のかたがたです
が、おもしろいことには、この四人のかたがたは、そろって、ご自分ではなんにも書きのこし
てはおられないのです。ご承知の通り、たとえば、現在われわれがいうとことのソクラテス
の言行なるものは、プラトンやクセノフォンなど、その弟子たちが、ソクラテスの死後にお
いて書きつづったものです。イエス・キリストの場合もその通りで、やはりイエス・キリス
トがなくなったのち、その弟子たちが、それぞれの記憶に残るものをつづったのが、いまの
四つの『福音書』に編集されているのです。孔子もまた、同じくその弟子たちが語録をまと
め、それが『論語』となって、いま、わたしたちの机上に置かれるというわけです。
 仏陀の場合もまたそうで、その御生前にはなに一つ書きとめられたものはなかったので
す。やはり、いま述べた三人の聖者の場合と同じように、なくなられたのち−−それはなく
なって間もなくのことですが、その弟子たちが集まって、その師、仏陀が生涯において説
かれた教法、ならびに、時にのぞんでさだめられた生活上の規律、つまり教法と戒律とを編
集したのです。そして、そのときに編集された教法の集録を、仏教者たちは「アーガマ」(教
えの伝承)とよび、以後、仏陀の教団において大切に受け継がれてきたわけです。
  桐山靖雄著 阿含密教いま(平河出版社)より

次は、そのオリジナルを掲載します。




34 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/14(金) 23:34
 わたくしどもが学生時代のころ、わたくしどもはよく世界の四大聖人あるいは
四大哲人などということばを聞かされた。それはだれだれであるかというと、まず
西のほうからあげれば、ソクラテス、イエス・キリスト、ブッダ、そして孔子。
それらの人々を四大哲人とよぶことがひろくおこなわれておった。突然その
ようなことを申すのは他でもない。ソクラテスにしても、イエス・キリストに
しても、また孔子にしても、いずれも自分ではなにも書きのこしてはいないのである。
一々もうしあげるまでもないことであるが、たとえば、今日われわれがいうところの
ソクラテスの言行なるものは、プラトンやクセノフォンなど、その弟子たちがソクラ
テスの死後において綴ったものにほかならない。あるいはまた、イエス・キリスト
のそれは、やはりイエス・キリストがなくなったのち、その弟子たちがそれぞれに
その思い出を綴ったもが、いまの四つの『福音書』に編集されているのである。
さらにいえば、孔子のそれも、やはりその弟子たちがその語録をまとめたものが
『論語』となっているのである。
 そして、いまブッダの場合もまたそうであって、その生前にはなにものも纏めら
れたわけではなぁった。やはり、いまでいうところの三人の聖者の場合とおなじように、
その亡くなったのち−−それは亡くなってから間もなくのことであるが−−その弟子
たちが相あつまって、その師がその生涯において説かれた教法、ならびに、時に
およんでさだめた生活の規律、つまり教法と戒律とを編集したのである。それは、
いまわたしが事新しく申すことではなくて、昔からちゃんと経典にしるされている
ことである。そしてそのときに編集された教法の集録がほかでもないこの「阿含経」
である。  増谷文雄著 原初経典 阿含経(筑摩書房)より




35 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/14(金) 23:58
次回は桐山家の系譜についての記述を検証します。

 「じつに悲惨過酷な実話である。」
とか
 「これはほんとうのことである」
と書かれた事柄が、「真っ赤な嘘」で有ることを明らかにしてみます。

出来れば、上記の二著作は是非お読み下さることをお願い致します。
さまざまな「パクリ(剽窃)」が明らかになるでしょう。




36 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/15(土) 10:43
パクリったって、なにをいまさら、
彼のこの本、引用文と言い分けのやつでしょう。
べつに目新しい訳じゃ或る舞し。くだらない!


37 名前: つちふまず 投稿日: 2000/01/15(土) 11:09
おーおー!
あいかわらず叩かれ貶されておりますな、桐さん。



38 名前: 口下手番長 投稿日: 2000/01/15(土) 15:40
有難う御座います、昼行灯さん
私も出来る限り資料を集めたいと思いますので
今後とも宜しくお願い致します


39 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/15(土) 23:21
引用文は、ちゃんと「引用」と断って書いてあります。
引用と断ってあるなら問題にはしません。
引用と断って有る箇所は「一字一句」違いません。

引用では無く、他人の文を一部細工し、自説の如く発表することを
「剽窃」と言います。

この件で連絡を広報部に連絡を入れた折り、
「このことは内聞にお願いします」とお願いされましたが、
何故なのでしょう?「今後は、引用で有る旨明記します」と
言われたのは、それからすーっと後のことでした。

 



40 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/15(土) 23:53
更に云えば、桐山氏が「阿含宗」を立宗したとき、「阿含経」を読んでいなかったのは
明らかです。「阿含経」についての認識も満足では無かったことも、『阿含密教いま』
13頁から16頁までの文と、『原初経典 阿含経』67頁から70頁を読み比べれば明白です。

一部引用しておきます。
『原初経典 阿含経』より
「第三には相応部経典であって(中略)そこには七千七百六十二経があつめられておる」
次ぎに
『阿含密教いま』から
「第三には相応部経典で(中略)そこにはなんと七千七百六十二経がかぞえられます」
パーリ語相応部では二千八百七十五経。漢訳雑阿含では千三百六十二経と云うのが
妥当な数値です。大正新修大蔵経では通し番号がふられ、1362で終了しているのですが、
読んでいれば、当然、その番号が経の数を表していることを知っている筈です。

経典も読まないで、都合の良い処を盗んでいるのが「一目瞭然」の「立宗の書」なのです。

本当に次回は桐山家系譜の嘘を『人は輪廻転生するか』から明らかにします。





41 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/16(日) 09:31
今年も2月11日に星まつり決行だそうです。
桐山氏も、いい年なんだから火遊びを止めたらいいのに。


42 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/16(日) 09:48
だから、アゴンは火遊びが売りだって。
阿含経云々って言ったって、知らん!
楽しいならばそれでいい、
べつに一宗たててもいいじゃん。
新興宗教なんだから、伝統宗教の一つだというなら
問題だとおもうが。



43 名前: 偏平足 投稿日: 2000/01/17(月) 20:02
>つちふまずさん
新興宗教のくせに阿含経などという聖典をもってきて
えらそうなことを言うから叩かれるのです。
天声とか霊言とかいってれば・・・
そうですね、馬鹿にされますか、やっぱり(笑)。


44 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/17(月) 23:39
昔は、東京慈恵会と言ってました。
たしか念力という本が売れて騙されてしまいました
青山に瞑想センターがありまいたね。


45 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/18(火) 02:17
『人は輪廻転生するか』154頁〜160頁を引用

 わたしの母方の祖父は、武士であった。
 信州某藩の剣術指南番の家柄に生まれ、若い頃、三年間、江戸に留学して神田お玉ケ
池の千葉周作の門に入り、免許皆伝となった。かなりの腕であったようだ。
 鳥羽源一郎といい、のち、浪人して桐山家に入り、桐山姓となった。
 この祖父が、明治維新に際し、勤王佐幕の争いで、二人の家中を斬った。殿様の命
による上意討ちであった。
 祖父は二百五十石の上士で、佐幕派であった。 (中略)
 何回か出撃して、全部で十八人斬った。そのうち、じっさいに祖父が手をかけたの
は、二人だったという。 (自賛が続くので中略)
 しばらくして、藩論が急変して、勤王派が天下をとった。勤王派のクーデターが成
功したわけで、そうなると、殿様などというものは、いいかげんなもので、今度は、
祖父たちが佐幕派の上意討ちの対象となった。
(中略)
 この桐山家のその後の状況を見てみよう。

引用終わり

 嘘である。信州十一藩に、このような事実は無い。
1995年の夏休みの2ヶ月、信州を回り、歴史博物館や、各図書館、郷土史家を訪ねて
伺ったが、「そのような事実はありません」と一笑に付されてしまいました。
「そのような事実があれば、斬られた家中のご遺族も、何らかを伝えている筈でしょうが
聞いたことはありませんし、その記録も、各藩史にも残っていません」

との事でした。
  


46 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/18(火) 02:44

更に引用

 わたくしは、若い頃から運命学を学んで、自分に「刑獄の因縁」のあることを知っ
ていた。
(中略)
 わたくしの場合もそうであった。気がついたら、酒税法違反という罪名で起訴され
ていた。
 わたくしが、もっと素直に、そして冷静に行動していたら、罰金だけか、悪く
いっても、執行猶予はついていたであろう。

引用終わり

 桐山氏は『キリンビール』という、偽ブランドのビールを造っていたのです。
起訴されたのは、「酒税法違反」「私文書偽造」「詐欺罪」で実刑を受けています。
罪の重いのは残りの2つですが、それには一切触れていません。
確かに、「酒税法違反」だけなら『罰金か執行猶予』かも知れませんが、3つもでは
『冷静に行動して』していても、露見すれば実刑でしょう。
今ならば、「商標権の侵害」でしょうか。つまり、得意の「パクリ」です。
 その教訓も活かせず、相変わらす「パクリ」を続けているのは先祖の悪い遺伝子
なのでしょうか。
彼の得意とする「ソンディ博士の理論」のいうところの
「子孫の無意識の意識のなかに抑圧されている特定の祖先の欲求」
とは、このことでしょうかね。




47 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/18(火) 02:58
信州某藩の件で問い合わせた(阿含宗・広報)ら、

「管長が霊視されたて、言われているのだから・・・」
との答えでしたが、有りもしないことを「霊覗」出来るのでしょうか?

>べつに一宗たててもいいじゃん。
>新興宗教なんだから、伝統宗教の一つだというなら
>問題だとおもうが。
一宗をたててもかまいませんよ。
他の宗派を「偽の経典に基づいて立てられた」等と言わなければ。
自分は「パクリ」で阿含宗を作りながら、他の宗派を非難する根性が情けないし、
嘘を垂れ流して「金儲け」に奔走する姿があさましいと申し上げているのです。

阿含経に基づく「戒律」には、出家修行者は「金銭に触れても、蓄えてもいけない」
と説かれていますよ。「嘘をついてはいけない」「与えられないモノを盗んではいけない」
と云うことも。





48 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/18(火) 22:01
だからなんだって?
新興宗教に正しさを求めたいというわけ。
霊視だのなんだのは御伽噺にすぎない
だいたい、今時まだ阿含宗なんか本気で相手している
奴がいたんで可笑しくって!
まあごくろうさまでした。


49 名前: つづき 投稿日: 2000/01/18(火) 22:23
阿含宗も、まだ日本にチベット仏教や上座部仏教が
あまり知られていない時はいかにもそれらをやっているような雰囲気を作っていたが、本物のチベット仏教や上座部仏教が本格的な瞑想修行を伝えている現在、
もう終わったようなものだ。
まあ火祭り見物のお祭り騒ぎぐらいしか価値はない
桐山さんももう年だしもうすぐ引退だろう。
上の48ちょっと、はしゃぎすぎました?
言葉がキツカッタかな、いや決して馬鹿にしている
訳ではありません、すいませんでした。


50 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/19(水) 01:17
>新興宗教に正しさを求めたいというわけ。
正しさなんて求めてはいません。
この阿含宗については、私は既に解決している問題ですから。
しかし、オウム事件の折り、TVで大活躍だった「室生忠」と云う人など、
提灯記事を本にして(現在は絶版)「阿含宗」をもちあげ、大勢の人を迷わせた
と云う事実は、見逃せません。





51 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/19(水) 02:03
いんや>48,49さん
阿含宗てこのスレッドみるまで新興宗教とは知らなかったよ。
こんな人間もいるのだよ。
ま、新興宗教=金目当ての詐欺集団 とも思わないけど。
あなたのように知っている人間ばかりじゃないこと知って欲しいな、ということなんだ。
煽りじゃないよ、お願いだよ。

昼行灯さんのされてることは、阿含宗のことだけじゃなく、宗教はいかにあるべきか、という命題を掲げているように見えるんだ。




52 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/19(水) 02:37
どうだろう?


53 名前: ちなみに 投稿日: 2000/01/19(水) 05:39
今日全国発売のサンデー毎日は
「スクープ!陸上自衛隊のカルト対策マニュアルをスッパ抜く!」
(ちなみに、「対象」は、オウム、顕正会、統一教会)
が、巻頭特集だが、その直前のカラー・ページに、1ページまるまる、
桐山靖雄を大写しにした、「星まつり」の広告を阿含宗が打っていたのには、
大笑いさせてもらった。
「対策」なのかなあ、ふふふ!



54 名前: 応援団 投稿日: 2000/01/20(木) 14:41
あげとこうかな、これも。


55 名前: ナランツェツェグ 投稿日: 2000/01/20(木) 18:30
平河出版社は、商業ベースには乗りにくい、良い本もだしてるとこ
ろなんだけどな・・・。


56 名前: 昼行燈 投稿日: 2000/01/21(金) 04:46
>平河出版社は、商業ベースには乗りにくい、良い本もだしてるとこ
>ろなんだけどな・・・。
確かに良い本も沢山あります。陀羅尼事典なんかは愛用しています。
でも、桐山氏の著作は「全て」噴飯モノと断言しても良いでしょう。

>48&49さん
阿含宗に関しては、私の中では終わっているのですが、情報を求める人が
いらっしゃったのでUPしただけです。

>51さん
フォローをありがとうございました。
そんなだいそれた事でも無いのですが、感謝します。
  


 


57 名前: かっこー 投稿日: 2000/01/26(水) 00:09
昔お付き合いしてた方が阿含宗に入っていました。ある時、その人に
30万貸して欲しいと言われ、私がその時出せる金額は20万が限度だった
ので、それでもいいということだったので20万貸しました。
借金の理由は、車の運転をしていて違反でつかまって、それの罰金を
払うため一時的に、ということでした。夏、冬の2回のボーナスで
10万ずつ分けて返すという約束でした。
1回目はすんなり返してくれたのですが、2回目はなかなかすんなり
返してくれなかったのでこちらから請求したら、
「もともと君のために使ったお金なのに、請求される筋合いはない」
といわれました。


58 名前: かっこー 投稿日: 2000/01/26(水) 00:13
(続きです)
どういうことかと確認したら、罰金というのは嘘で、私の知らない間に
身代わり修行というかたちで(正式な名称は知らないのですが)私の
名義の入会金を払っていたらしいのです。
その後、色々もめたのですが、一旦自分も正式に入信しました。
しかし、どうにもその経緯も納得できない上に、桐山氏の著書を
読んでも教義に賛同できない、行っていることは一般に聞く新興宗教と
何が違うのか分かりませんでした。
自分たちは歴史的には新興宗教の部類に入るが決してそれらと同じでは
ないと言いながらも、信者である彼はカードで借金を繰り返しながら
解脱供養という名義で多額の金額を納めていました。
自分の生活が出来なくなるほど宗教に金を使うという状況でも、
そうしているおかげで自分は幸せになっていると私に訴えていました。
1999年には本当に何かが起こるのだとも彼は言っていました。

結局彼とは別れました。私はすぐに脱会しました。
残った10万円は返してもらえませんでした。
どうにも納得できませんが、もう彼、彼らと関わりたくありません。
別れ際の彼の言葉は、
「自分は今までの修行してきたし、これから修行していくから、
徳が上がってきている。そうすると、修行していない人とは
徳が違ってくるから縁が変わってきてしまうから、別れるのは
仕方のないことなんだね」
嘘をついてお金を借りておいて、それを返さない人が
徳が高いとかそのような台詞を吐いて欲しくないものです。

ま、貸した私も馬鹿でした。一時的でも入信したのも馬鹿ですね。
今振り返ると。


59 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/26(水) 02:30
こういう馬鹿がいるから宗教は嫌なのだ!
こんな問題はアゴン宗だけではない!
なにが、徳が上がってきているだ。
社会倫理も守れない奴に徳だとか言う言葉を使って
もらいたくありませんね。

かっこーさんは悪くない、入信したと言っても馬鹿彼が
勝手にやったことでしょう、もともと信じていなかったの
だから入信した事にはなりませんよ。可哀相に
もう変な男に引っかからないように!


60 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/01/27(木) 01:17
僕は阿含宗の信者です。
かっこーさんの付き合って方は明らかに間違っていると思います。
桐山靖雄氏もこのような話を聞いたら悲しむ事でしょう。
阿含宗では決してそのような事を推奨している訳ではありません。



61 名前:投稿日: 2000/01/27(木) 02:29
星祭り


62 名前: >58 投稿日: 2000/01/27(木) 02:50
うーん、まあ悪い人はどこの教団にもいるとおもうよ。
キリストのすぐそばにもユダなんていたし。

ところで桐山先生の前世ってなんなんですか?


63 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/27(木) 12:39
ふぁるこさん、こんちは!
星祭り案内してよ
2月11日京都でやるのは知っているけど、時間は?
何時から何時までどの時間帯に参拝したらいいの?


64 名前: ずっと前の信者 投稿日: 2000/01/27(木) 14:21
阿含宗か・・・懐かしい
学生時代、入信してた時期がありました。

今振り返って思うことは
まぁ金はかかるけどそれが「心の癒し」に繋がるんであれば
結果的にはいいんではないかとは思います。

あまりに金がかかるんで学生には辛くて結局辞めましたけどね。



65 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/28(金) 02:06
信者にならず、お参りだけやってます。
参拝けっこう自由なんだよね、ここ。
宗教団体は苦手!
星祭り、今年参拝します。


66 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/28(金) 20:49
入場料はいくらくらいでしょうか?


67 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/29(土) 03:26
参拝、見るだけならただだよ!
信者にならない理由のひとつ
お金使わずにすむから。


68 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/01/30(日) 00:36
>10

出来れば、阿含宗に持っていって、退会する旨を伝えた方が
良いと思います。今は、三田に移転しましたが...
別に無理に引き止められたりしないと思うので...
僕も昔、2年分ぐらい会費が払えなくて一回止めました。


>63
こんちは、僕も詳しくは知らないのですが、7:30〜って
会報には、載っています。



69 名前: VFR 投稿日: 2000/01/30(日) 12:59
ふぁるこさん、あなたは、明らかに、宗教的情熱の対象を間違えている。
もとより、仏教徒を名乗るなら、桐山なんて、詐欺師ではなく、ご自分で、
ダラニでも、唱えながら、山川で修行されたいかが?
長く書くと、また、論破しちゃうから、言わないけれど、原則として、
偶像崇拝にたる、じんぶつでもないし、兎に角、「法にしたがって、いきよ」
ということです。 ノウマク、サンマン、ダーマ     以上


70 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/31(月) 21:20
だれが、何を信仰しようと自由。
批判する側に立てば誰でも悪党!
「法に従う」より「自分に従う」べし。
自分自身の道が定まれば宗教なぞいらぬ!
                      以上。


71 名前: VFR 投稿日: 2000/01/31(月) 21:42
>70さん
それは、あなたの驕りです。まぁ、論議する気はありませんがね。


72 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/01(火) 18:20
>批判する側に立てば誰でも悪党!

がっかいなみですね


73 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/02/04(金) 23:04
>VFRさん
どう言う所が詐欺師なのでしょうか?


74 名前: 某信者その1 投稿日: 2000/02/05(土) 08:59
>ふぁるこさん、どうせ「○○の研究」とかいう批判本をネタにしているか
織田僧正んとこの信者さんでしょうから、放っておきゃいいいんだよ。念力とかは説明のしようがないし、どんなささいなこともいちいち揚げ足をとってこき下ろすし
いくら説明したって、どうせ悪党呼ばわりされるんだから、桐山管長のことはこととして、われわれ信者
にとって大事なことは、実践活動であり
実践をして社会にどう関わってくるか、それが阿含
の評価になっていくんじゃないのか?
桐山管長にただ頼るだけの信者ではなく、阿含の信者としての自覚のもと恥ずかしくないように信仰、修行
社会生活するようにすることが大事でしょうネ。
また、チベット仏教や上座部仏教がすでに日本に入ってきているから、阿含宗は終わったという意見がありましたけれど、アゴンにはアゴン独特の魅力があって信者やっている訳で、終わりではありません。
嘘だと思うなら、2月11日の星祭りを見学してみてくださいませ。


75 名前: こいつら↑ 投稿日: 2000/02/05(土) 09:29
最初からわかってうじゃん!阿含宗なんかで カキコしてる、ダメだね。
あっ俺もか。


76 名前: かっこー 投稿日: 2000/02/05(土) 13:33
………実践をして社会に貢献していくことで社会的評価を上げるということでしょうか?
阿含宗を信仰するかどうか云々は個人の自由です。否定する気もありません。
この国は宗教の自由を保障している国ですから。ただ、自分が巻き込まれなければ、の話です。

元彼氏は「修行をしていく時に、一番自分たちが形にできることはお布施をすることなんだよ」と
話していたことを思い出しました。前述したように、自分の生活を犠牲にしているような状況で、です。
ふぁるこさんがおっしゃるように、元彼氏のやり方が間違っている、推奨はしていないというものであっても、
彼は道場の中では「熱心な信者」と評されていたようです。数回一緒に道場に行きましたが、そこの偉い人?も
いつもそういうことを笑いながら話していました。
いずれは僧侶になるための学校(というのがあるのですか?よく分からないのですが)に入るつもりだと言ってました。
推薦はいつでもするよ、と話している状況でした。
「間違っている」と思われるやり方であっても、表面上はお布施をして実践しているという形を保っていることによって
結局は「熱心な信者」であり、周囲はそれを認めているようにしか見えませんでした。
阿含宗という宗教は、そんな人が本当に簡単に僧侶になれるのですか?
自分の彼女や親しい人から金を借りて、それを踏み倒してそれでもなお徳があがっているのだと言うような人が?

私自身、短絡的な考え方だとは思います。私が見ているのはごく一部の間違った例だったのかも知れません。
しかし私が関わった阿含宗というものはそんな世界でしかありませんでした。
そして、元彼氏を熱心な信者と褒め称える人がいたという事実がある以上、
私にはその彼が間違った例ではなく、阿含宗全般に言えることなのだと思えてきます。


77 名前: VFR 投稿日: 2000/02/05(土) 21:12
>73.74さんへ
あなたが、信じるならそれでイイじゃん(完全に、匙投げ状態)
まぁ、74さんであっても、本気で、密教を研究しているのか、
つまっり、龍樹からの空の理論を、桐山のおっさん以外の碩学の
古典を研究しましたか?と、問いたいですね。
 何も知らなくて、批判しているわけではありません。20年来の
信者の看護婦さんから、桐山のおっさんの本は読まされたが、なんで
法力の権化であろう因縁を本人以外が、10万円!!で、切れるの?
まして、仏教は、根本的に、偶像は否定しているのにですよ。
 オウムにも、言えることだけど、基本的な宗教教育をはずされた
この日本では、神道、仏教、イスラム、キリスト教のせめて、四大
宗教の基本教義ぐらいは、義務教育時に、教えておくべきだと思う。
 そうじゃなきゃ、みんな、自分勝手な付け焼き刃のインチキな教義
の似非宗教にかすめとられちゃうな・・・。まぁ、それも、カルマ
何でしょうけどね  爆笑!!! ほいじゃ〜ね。


78 名前: VFR 投稿日: 2000/02/05(土) 21:14
ごめん、普通四大といえば、ヒンズーが入ってきますが、ここは、
日本なんでね。(まさか、未だに、ヒンズーをバラモン教なんて
いわないだろうな・・・。)


79 名前: 某信者その1 投稿日: 2000/02/06(日) 00:18
>かっこーさん
率直にお話します、私自身生活を犠牲にして信仰しているつもりは、ありませんし、御布施することしかできないと言って、お金をだせばいいとは思いません。
私の周囲の人達はお金使う人そんなにいません
地方だからでしょうか?
そのかわり、神社などとの合同法要、その土地に関わる戦没者などの供養法要などさかんです。
いずれも、土地の人の協力が必要でして阿含宗だけ
ゴリ押しで行事など進めることはできません。
もちろん、ここに書き込む人達のように反対する人も
いるわけで、おのずと信者の人格、信仰に対する態度など問われることになります。そのような実践の事を
言っている訳で、お金などは関係ありません。
しかし中にはお金だして供養や祈願をたのむだけでいいと勘違いしている人がいることも事実でしょう否定は
しません、しかし本道とはちがいます。
すくなくとも、私は借金ふみ倒したりしません、第一信仰以前の問題ではないですか、その元彼、なにを考えているのか私にはわかりません。
元彼氏がどのような方だったか、またその周囲の方達が、どのような信仰の仕方をしていたかわかりませんが
そんな不道徳な人が僧侶にはなれません。
結構きびしいですよ僧侶への道は、
その元彼が迷惑をかけたことは阿含の仲間としては
非常に恥ずかしいことです。
私がどうこうしてもしょうがない事ですがあやまります。
どうももうしわけありませんでした。すみません。
>VFRさん
どうぞおおいに爆笑してくださいませ!
空の理論だけで悩みは全部解決、幸せな方なのでしょう。私は貴方のようなインテリではありませんので、
頭を使うより体を使う実践しかできませんものでして、
それに偶像は崇拝していませんよ。
インチキの偽宗教っていっても良いから星祭り来てよ!!!そんじゃね〜。



80 名前: VFR 投稿日: 2000/02/06(日) 10:11
>79さん
まぁ、遠慮しておきますよ。一応、あの護摩?法要の一回目から知って
ますしね。平河出版も知ってますよ。インテリなんて、初めて言われた、
ははは。
頭(理論)と、体(実践)は、行の両輪でしょ?どっちか一本なんて
可笑しいし、一応私も、瞑想者ですんで・・。ただの、批判者ではなく
一応、自分なりに通過してきたからこその、発言です。まぁ、ほかの碩学の
本を呼んだらどうですかの問いには、端から答える気はないようなので、
どうぞ、桐山のおっさんと、アゴンが言うところ星祭り?巨大なたき火?
のご奉仕に精を出してくださいな。でも、絶対に、私を勧誘して!!
皆さんと、お会いできて、お話出来る日が来ることを、非常に楽しみに
しております。  ほんじゃぁね〜 爆笑!


81 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/08(火) 14:28
通過してきた?
上の人も、もしかして元信者
アホらしい!
目くそ鼻くそじゃん、密教やる奴は変人が多い
気を付けましょう、みなさん!


82 名前: VFR 投稿日: 2000/02/08(火) 14:48
>81
違うよ、勧誘はされたが拒否してから、真言宗の坊さんから、いろいろ
と、高野山の資料を見せていただき、勉強したってことです。
誤解だけは、説いておきたいけど、密教には、確かに、変人は多いかも、
でも、是に書き込むあなたも、相当変じゃない?
仏教って、哲学だという人もいるけど、間違いなく、
単なる倫理や、論理を超える手段をもっているからこそ、
宗教として成立するんだと思うよ。


83 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/08(火) 14:58
変人観察がおもしろいからだよ!
アゴンの星祭り調べてみたら27回め
>法要の一回目から・・・なんだ、オッサンかよ!
しらけるぜ、もっと真面目に働け!


84 名前: VFR 投稿日: 2000/02/08(火) 23:05
>83
ちゃんと、働いているってば、厨房君、これにて退場!じゃぁ、しっかり
歳をとんなはれ。


85 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/09(水) 13:31
あげ


86 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/11(金) 15:16
いまテレビ神奈川で阿含星祭りやってる
ゲストが宍戸錠、三井ゆり。
仕事選べよなあ。。。


87 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/11(金) 15:28
上の続き
奈美悦子も出てる。
どうやら信者のようだ。

レポーターは松田純だった。



88 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/11(金) 15:44
また続き
CMも当然ながら阿含宗がらみ。
阿含宗、平河出版と光和食品。
光和食品は「密教食」なるものを売っていて、
オリゴ糖+核酸、アガリスク+イチョウ葉エキス配合だって。
どこが密教やねん。


89 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/11(金) 20:35
自分たちのところではそうやって密教食という名で健康食品を推奨し、
そのくせ他社の健康食品は説法の中で否定してるというのを
聞いたことがあります。いやはや。


90 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/11(金) 21:39
>オリゴ糖+核酸、アガリスク+イチョウ葉エキス配合だって。
人気の出てきたモノを何でもぶちこんでいるみたいだね。
初期の密教食の成分が知りたいね。
ただの麦焦がしだったりして。



91 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/12(土) 01:54
そもそも、密教食って何?何のためにあるものなのですか?
密教を信仰したりするためには必要不可欠なものなのですか?
で、それは信者の皆さんどれくらいの割合で購入して召し上がってるのでしょうか?
大体それが阿含宗の中ではどれくらいの価格で売買されてるのですか?
ちょっと気になります…。


92 名前: VFR 投稿日: 2000/02/12(土) 04:16
なんか、TMのアムリットみたいだな〜。
おいらも、たまたま、見ていたけど、桐山のおっさん、パワ〜落ちたな。
多分、2,3年で、お得意の横変死だな・・・。荒井 注さんのほうが
はるかに、幸せそうな・・・・・・。m(__)m


93 名前: 密教食とは、桐山靖雄氏が密教の行の時に用いる
薬草(薬種)を元に考案した健康食品で、強い体力
と精神力をつくるために、また健康維持にも必要
な、ビタミン、ミネラル等が含まれています。

ふぁるこ
投稿日: 2000/02/12(土) 23:06
つづき・・・
一応、昔の密教食の内容が古い本に載ってたので、
玄米胚芽、小麦胚芽、・ほとむぎ、・黒ゴマ、
・黒大豆、クルミ、落花生、・ソバ、ヒジキ、
ワカメ、ニンニク、酵母、・山豆根、・枸杞末、
遠志、・甘草、椎茸末、・山薬、熊ザサ末、
・忍冬、・茯苓、・桂皮、竜骨、牡蠣、
・カヤの実、ハチミツ
・印が薬種として用いられているそうです。
(実際上の内容で販売されたかは未確認です。)
僕自身は、あまり口に合わなかったので、別のサ
プリメントで粒状になっている物を使用してます。
一応、会員だからといって、強制されたりは、し
ないので、念のため。



94 名前: つづき・・・
一応、昔の密教食の内容が古い本に載ってたので、
玄米胚芽、小麦胚芽、・ほとむぎ、・黒ゴマ、
・黒大豆、クルミ、落花生、・ソバ、ヒジキ、
ワカメ、ニンニク、酵母、・山豆根、・枸杞末、
遠志、・甘草、椎茸末、・山薬、熊ザサ末、
・忍冬、・茯苓、・桂皮、竜骨、牡蠣、
・カヤの実、ハチミツ
・印が薬種として用いられてい名無しさん
投稿日: 2000/02/14(月) 20:53
ピッピッピーヨコチャン。


95 名前: >89 投稿日: 2000/02/14(月) 21:05
そんなこたあ、ありません
他社の良い製品も取り扱っています。
なんてね、ほんとだよ。
でも、俺は健康食品には興味ない。


96 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/02/14(月) 22:36
つづき・・・
るそうです。
(実際上の内容で販売されたかは未確認です。)
僕自身は、あまり口に合わなかったので、別のサ
プリメントで粒状になっている物を使用してます。
一応、会員だからといって、強制されたりは、し
ないので、念のため。
あらし対策きびしいなぁ〜、やっと最後まで書けたか?


97 名前: パイン 投稿日: 2000/02/15(火) 00:49
>ふぁるこさん
結局,ヒトの話は聞きたくないのね、どうぞ、そのまま、桐山詐欺しに
一生、騙されてくれ!ただし、ヒトの迷惑にはならんでくださいな。


98 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/16(水) 21:07
なんだ!VFRのおっさん
結局みてたんじゃんか!
べつにどうでもいいことだけど。
星祭り、真言宗や天台宗でもやってんだぞ知ってるか。



99 名前: VFR 投稿日: 2000/02/17(木) 14:07
>98
いやはや、見てましたよというより、TVつけたらやっていて、
宍戸のおっさんが、何でいるのかが不思議だった。
密教は、星も宇宙観の中に取り込んでいるから、真言でも、台密でも
やるでしょう!それに、空海の弟子を引っこ抜いたのは、天台だし。
でも、なんか、呑気な護摩?だったよな〜。あれで、いいなら、
何にも言うことはないよ。お幸せに>信者の方々


100 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/28(月) 17:49
最近、まったく昼行燈さんのコメントがないのが残念です。
昼行燈さんの調べた内容はたいへん興味深いものでした。
昼行燈さんに一つ検討していただきたいことがあります。
Hotmailなどで新しい公開用のメイルアドレスを取得して、
こちらからメールを送れるようにしてもらえませんか。



101 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/28(月) 17:52
最近、まったく昼行燈さんのコメントがないのが残念です。
昼行燈さんの調べた内容はたいへん興味深いものでした。
昼行燈さんに一つ検討していただきたいことがあります。
Hotmailなどで新しい公開用のメイルアドレスを取得して、
こちらからメールを送れるようにしてもらえませんか。



102 名前: > 投稿日: 2000/02/28(月) 23:22
今、日本棋院にかね出して囲碁界を乗っ取ろうとしてます。桐山はとんでもないヤツです。
かつてノストラダムスを利用し、オウムの源流を作ったことと言えます。


103 名前: パイン 投稿日: 2000/02/29(火) 02:26
口下手番長って、何処にいったんでしょうか?


104 名前: 我輩 投稿日: 2000/02/29(火) 13:52
 ↓この本が定番ですね。オススメです。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/cgi-bin/gwfind.cgi?W-NIPS=9950513936&USID=

 ↓こちらも有名な本。ただし絶版かも (T T)。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/cgi-bin/gwfind.cgi?W-NIPS=9860091528&USID=

 ↓は今やもう古典ですね。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/cgi-bin/gwfind.cgi?W-NIPS=9850243457&USID=




105 名前: 元修行者 投稿日: 2000/02/29(火) 16:45
観音慈恵会時代より4年程在籍していました。結構、一生懸命修行していた方だと思います。

私が阿含宗から離れるきっかけになったのは、ローマ法皇に接見して勲章をもらった、などの事件があったことでした。
私は入信前に聖書を読んでいて、キリスト教の教義と阿含宗の教義に何の接点もないことをはっきりと知っていましたので、本当に怪しいと思いました。

阿含宗の信者の皆さんへ。桐山さん以外の本もしっかりと勉強しましょう。本物なら、どんなもので叩いても壊れないはずです。叩けば叩く程に真価が出てくる...そういうものじゃないでしょうかね。
最後に、私は桐山さんを恨む気は全くありません。それなりに勉強させてもらいましたから。少しでも教祖に恩がある限り、むやみに非難すべきでないと思います。それが宗教の基本的な心構えではないでしょうか。


106 名前: 武者修行者 投稿日: 2000/02/29(火) 17:03
しかし、まぁアレだ、
キミらは良くもまぁ宗教とかに引っ掛かるな?
趣味?



107 名前: 元修行者 投稿日: 2000/02/29(火) 17:16
病気だという認識を持たない者は薬を求めない。
汚れているという認識を持たない者は洗おうとしない。

武者修行者さんにはまだ時期が来てないということですよ、きっと。


108 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/29(火) 21:07
時期も糞もあるかね!
オカルトおたくが、ひかかってサギだ、いんちきだと
騒いでいるだけ。
宗教はそんな薄っぺらなもんじゃなかろうに。
すこしは自分の足元を見て人生考えろっての!


109 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/29(火) 21:23
まあ、アゴンにかぎらず、密教関係は、???だな。
迷信に近いものがあるな。
アゴン宗はただひたすらイベント娯楽宗教への道を
歩むのであった!


110 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/29(火) 22:58
>105 元修行者 さんへ

観音慈恵会から阿含宗になったのは1978年で、
バチカンは1985年です。
観音慈恵会時代から四年程在籍していて、
バチカンの件で辞めたというのは、
時間的におかしくありませんか。
もう少し詳しくご説明をお願いします。




111 名前: イブ茶ん 投稿日: 2000/03/01(水) 03:48
あげ


112 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/01(水) 09:51
>110さんへ

ああ、そうでしたか。私が在籍していたのは1980年からの4年間でした。バチカンの話は少し交錯があるかもしれませんね。やめてからもしばらく桐山氏の著作は買いつづけていましたから。
私が入行したのは京都道場で、当時はまだ豊国神社の境内に間借りしていた頃です。確か、入り口には「慈眼寺」と書いてありました。
その頃はまだ「慈恵会会員」と身内を呼び合っていたように記憶しています。
確かに私の間違いかもしれませんね。

>108さんへ

そういう薄っぺらな信仰を持つ者達を、わざわざウオッチにいらして、御苦労様です(笑)。


113 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 10:42

>112 元修行者 さんへ

1978年以降もしばらくは「阿含宗観音慈恵会」を名乗っていたから
でしょう。
1980〜1984年というと、阿含宗が最も活気を帯びていた時期です。
自力の「修行者」が活動していた時期です。
すると、元修行者さんは大阪の吉田K氏はご存じですね。




114 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/01(水) 11:41
>113さんへ

>元修行者さんは大阪の吉田K氏はご存じですね。

ええ。良く存じています。はたから見ても気の毒な位、年がら年中、修行されてましたね。何度か、修行を御一緒させていただいたこともあります。
当時の会員の中では、修行の量だけから判断したら、吉田氏が次期管長だろう、なんて噂していました。
お元気なんでしょうか。


115 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 12:45
>114 元修行者 さんへ

吉田さんは確か1984年頃に辞めました。
辞めたとき、桐山氏が定例会で、
「おれは弟子に恵まれない」
と涙を流しました。
だが、弟子に恵まれないのではなく、
桐山氏は、単に、人の素質を見抜き、育てる
という普通の人が持っている能力が欠落しているだけです。




116 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/01(水) 14:30
>115さんへ

余程のことがあったのでしょうね。
文字どおり、信仰のために命まで賭けている人でしたから。阿含宗でなくても、宗教者として立派な先達として尊敬していました。
持病を持たれていたようで、睡眠不足がたたってかなり悪化したことがあったのですけど、それでも「これは因縁の洗い出しだから」と一日も欠かさず修行されていました。

>「おれは弟子に恵まれない」
...恵まれなかったのは師匠の方ですよ。吉田氏は、結局、自分の宣伝要員として利用し尽くした挙げ句、使い捨てということです。こんな卑劣な男、宗教家と呼ぶ資格などない。



117 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 16:50

>116 元修行者 さんへ

吉田氏にはかなりの汚名が着せられました。
吉田氏のように、目立った活動をしていた人が辞めたり、
辞めさせられた場合、桐山氏は自分の行動を正当化するために、
相手に必ず侮辱、屈辱を与えます。
その内容はたいてい金か女、あるいは両方です。
「今までかばってやったが、しかたない。実はこれこれなのだ」
と、弁舌さわやかに話をしますから、
信者たちは桐山氏の言うことを鵜呑みにします。
性格のいい信者は、まるでそんな人はいなかったかのように無視し、
性格の悪い信者は、桐山氏の言葉を我が言葉のように繰り返します。
東京から「宿泊修行」に吉田氏の所に日参し、彼を崇めていた人から
話を聞き出そうとしても、古傷に触れられたように口を濁していました。
元修行者さんが知っている吉田氏に対する、次期管長といった
評価を考えれば、これは信じられないような変化でしょう。
信者にしてみれば、吉田氏を擁護するような発言をすれば、
桐山氏に反逆したことになるからです。
あれほど活躍し貢献した吉田氏ですが、退会した直後から、
まるで最初から存在しなかったかのように、
阿含宗からは消滅しました。



118 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/01(水) 17:19
>117さんへ

一度は師弟の関係であった恩から、教団に不利なことは一切伏せて言うまい、と思っておりましたが、考えを改めねばならないかもしれません。
私自身も三人の人を入信させていて、その方々のことを思い出すと心が痛みます。大したことを知っているわけではありませんが、私なりに真実を暴露して、カタを付けようと決心しました。
東京から「宿泊修行」では、私も当事者の一人でした。当時、横浜支部の支部長さんをされていた某氏とも一時懇意にしていました。本当に純粋な心を持つよい人でしたが、その後、音信不通になってしまいました。
その後の噂では、吉田流のスパルタ修行が地元では受け入れられず、支持を失ったということです。
元々、「宿泊修行」を指令したのは桐山氏自身ではなかったのか。結局は回りの人間が罪科をなすりつけられて消えていく。

今の信者さん達が坐っている畳は、霊眼で見たら、犠牲にされた先達の血の海で真っ赤ではないか。


119 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/01(水) 18:15
私が許せないのは、「私は前科者だが、改心して仏の道を進んでいる。こんな私でも付いてきてくれるのはありがたい。」と告白する師に共感を覚えて、がんばらねばと自らをむち打って
すべてを支えてきた弟子達を、単なるスキャンダルで追放して平気だという、その冷血性です(スキャンダルが本当のことだとしても)。
桐山氏が昔自殺しようとした時に、棚から観音経が落ちてきて、自殺を思いとどまった。その罪人さえも救ってくださるという
仏の慈悲に感銘を受けたからこそ、私は入信したのです。弟子達は、桐山氏の過去を承知の上で、それでも信頼し切って付いてきているのです。
それを「弁説さわやかに...バッサリ」ですか。あきれて物が言えない。

無限の仏の慈悲も、自分の都合のよい時だけなんだなあ。そんな自分勝手な仏舎利など、有り難くもなんともない。どうせ、また偽造したんだろうよ。


120 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 20:01
滋賀の支部か道場の幹部と他2、3人の信者が、京都での定例会か何か
に車で向かう途中、事故って死傷者が出たということがありましたね。
因縁解脱はどうなったという気がします。



121 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:03
おまえらがアホなだけ!
糞してねろ。


122 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:05

>119 元修行者 さんへ

桐山氏が熱心な信者に侮辱、屈辱でお返しするのは、
吉田氏に限ったことではありません。
私が記憶する中で、最もひどいと思うのは、1988年頃の
熊本道場、現在の南九州道場での600万円の横領事件でしょう。
KさんとNさんという中心の二人を含めて、
修行者が10人破門になりました。
職員による調べ方は一方的で、ある時、桐山氏直筆の破門状が
九州支部道場に張り出されたそうです。

無実を叫んでいたKさんとNさんには
失礼な仮定を許していただけるなら、
仮に、二人が横領したとしても、
熱心な修行者があと8人も仏の金を横領すると思いますか。
そんなことは常識で考えてもありえません。
しかし、桐山氏の透視能力によれば、10人とも
横領していたことになります。
伝法会(密教の行法の伝授)での信者からの質問に、桐山氏は
「証拠がある。裁判に訴えてでも取り返してやる」
と声高に断言していました。
裁判を起こしたとか、取り返したという話は聞いていません。

釈迦の智慧と慈悲を説いている桐山氏が、実際には、
人並みの智慧も慈悲のカケラもないのは、
もちろん彼なりの理由があるのです。




123 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:11
ああ結局、オウムみたいにスパルタ方式で修行やろうとした馬鹿がいたんだ、こんな奴ばっかし、集まっていたんだね。純粋真っ直ぐクンは始末が悪いわ!


124 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:21

>120 名無しさんへ

一人が事故で亡くなり、さらにもう一人が後に自殺したと
聞いています。
精神的な面でのケアをしてあげれば、自殺などしないで済んだ
でしょう。
阿含宗は都合の悪い事には見向きもせず、「徳が足りない」
「因縁を出した」と信者のせいにして、フタをするだけで、
何の問題解決能力もないし、努力すらしません。
こういう事故を取り上げるまでもなく、「因縁を切る」
という桐山氏の教えが成り立たないのは、
桐山氏自身が脳梗塞になった事実を見れば、十分ではありませんか。




125 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:29
そんでもって私たちは被害者です、ってか!
甘い、甘い、世の中なめていらあな。
仏の道に共感してだと、嘘をいいなさんな。
超能力を持って思うように生きたいという「力」を
信仰していたくせに。(それは君らがアマチャンだから)
桐山にくけりゃ仏舎利まで憎しか、(仏舎利には罪がないのに。)
結論、君らも同じだよ。いんねんげだつ?はどうなった。



126 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:40
なんだ、信者にも悪党ばっかり、そろっていたんだ!
教祖ひとりを悪者にはできないな。
やっぱり、そのなかの大悪党が麻原だったわけか、
そういや麻原も故郷は九州だったな。


127 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/01(水) 21:42
>125
経験者は語る、ちゅうやつかね?


128 名前: >(仏舎利には罪がないのに。) 投稿日: 2000/03/01(水) 23:55
>(仏舎利には罪がないのに。)

仏舎利って、歴史上実在したお釈迦様の遺骨でしょ?
ご遺骨が何でそうやたらめったら増えるの?


129 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/02(木) 11:32
仏舎利には「仏舎利」と「本物の仏舎利」があります。
前者は自称仏舎利で、後者は考古学的にたぶん本物だろうという
仏舎利です。
日泰寺(名古屋市千種区城山新町)の仏舎利は、
日本にある数少ない本物の仏舎利です。
これはペッペが1898年にインドのピプラハワから発掘したものです。
ピプラハワは、釈迦族の都・カピラヴァストゥの候補地の一つです。

阿含宗が持っている仏舎利のうち7粒は、
1986年にスリランカからもらった仏舎利です。
実際には三億五千万円で購入したと言われています。
この仏舎利も考古学的には本物だと言われています。

阿含宗で信者に分け与える仏舎利は、もちろん本物ではありません。
使われているのはムーンストーンです。
それに桐山氏が加持祈祷して、仏舎利として信者に授けています。
こういう内容は公開されています。

阿含宗には各県などに道場があります。
そこには真正仏舎利(本物の仏舎利という意味)が祭られています。
信者たちが500〜1500万円を寄付して、祭ってもらうのです。
前述のように、阿含宗には本物の仏舎利は7つしかありません。
台湾にも祭ったそうですから、国内には6つしかないことになります。
しかし、真正仏舎利を祭っている道場の数はこれをはるかに越えます。
道場で祭ってある仏舎利のほとんどは真正仏舎利であるはずがありません。
それでも、阿含宗信徒たちは、自分たちの道場は真正仏舎利を
祭っているのだと信じています。
信仰の力の偉大なところは、このように簡単な足し算、
引き算すらも無視してしまう点です。



130 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/03/02(木) 22:42
>128
偽物もいっぱいあるでしょうが、基本的に
分骨するからでしょう。

>97
書いている内容は目をとうしてますよん!




131 名前: パイン 投稿日: 2000/03/03(金) 02:04
じゃ、反論できないんですよね。
まぁ、期待もしてないけど、どうぞ、高い授業料を!


132 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/03(金) 12:00
阿含宗では、毎年夏に「伝法会」という研修を泊まり掛けでやります。その中に「密教占星術」の講義がかなりの時間含まれていて、
ビデオに移った桐山氏の顔を見ながら、口述される内容をひたすらノートに筆記するのです。皆、手が痛い痛い、と言いながらも必死になって
写すんです。全部筆記が終わるのに3年間位かかったと思います。つまり、3年間待たないと、その秘伝が使えないのです。

ある日、気学をプロに師事して勉強している親友に家に行って、よく似た内容の本があるな、と手に取ってみてびっくり
しました。何と、その本こそが桐山氏がビデオで棒読みしていた「秘伝」の正体だったのです。
友人に頼み込んで市価で譲ってもらいました。もう20年近く前のことですが、値段は確か8000円、
そんな秘伝書というほどの稀小価値があるものではない、と友人は解説してくれました。今も押し入れのどこかにその本は眠って
いるはずです。

その友人から、いろいろなことを教えてもらいました。天命殺は西川満さんの「天中殺」のパクリだ
(実際に引用された箇所も見せてもらった。この本も譲ってもらって愛読しました)、淵海子平を桐山氏は原書で修得したと言っているが、
実はある日本語訳本の誤訳をそのまま信じている(密教占星術Iで、彼が持っているという何とか格、というのは、原書で判断すると彼
の生まれ日には当てはまらないということでした。おまけに訳本の誤りの場所も解説してもらい、納得した)。

占術の専門家から見ると、桐山氏の知識はうさん臭いこと甚だしい、とのことでした。


133 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/03(金) 13:24
ふとした疑問。

市場に出回っている印刷物の内容を口述し、筆記させるっていうのは著作法違反にならないんだろうか。
「密教占星術講義」は伝法会の目玉のひとつなんだし、参加費だって何万円か払っているわけだから。
それよりも、今もああゆう無駄なことをさせているんだろうか、それが気掛かりです。


134 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 15:19

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」
夏期伝法会の「密教占星術奥伝」の種本は、ご指摘のとおり、
「九星日盤鑑定要法 初伝」(斉藤擁道、東洋運命学研究会、1978年)です。
桐山氏は、他人の書いた本を、「密教占星術奥伝」とラベルを張り替えて、
信者から金をとって、講義というよりは、ただ丸ごと読んだのです。

桐山氏が伝法会で「密教占星術奥伝」の講義を始めたのは、
1978か1979年ですから、なんと釈迦の仏教を標傍する阿含宗を
立宗した後で、この詐欺的行為をやったことになります。

斉藤氏の本は、当時、神田あたりに出ていて、
占いの好きな人なら手に入れていました。
他人の本を丸ごと講義するという、簡単にばれるようなことを、
なぜ桐山氏はしたのでしょうか。

たぶん、桐山氏はこれが出版された本だとは知らなかった、
あるいは今でも知らないからです。
斉藤氏の本は手書き本です。
本をコピーして、表紙や奥付がなければ、
まるでだれかが筆記したノートのように見えます。
おそらく、K書店あたりの古本屋のオヤジが、
斉藤氏の本のコピーをとり、それを桐山氏に高値で売ったのでしょう。
桐山氏は、本のコピーとも知らず、手書きの秘伝だと信じ込んだのです。
桐山氏は本のコピーだと密教占星術で見抜けなかったのでしょうか。

「密教占星術奥伝」の件は、桐山氏の手の内がばれただけでなく、
彼の宗教者としての良心がどうであるかを明瞭に示した事例です。
これだけ明瞭な事実でありながら、これを知った時の
信者たちの反応は、たいへん興味深いものがありました。

「密教占星術奥伝」の講義は現在は行われていないと聞いています。
その前に、元修行者さんも知らないオチがつきました。



135 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 15:21
>分骨するからでしょう。
奈良の大仏さんの遺骨ならまだしも、普通サイズの人の遺骨が、それこそ大量に宗派を超えたお寺にあるのは何故?
日本だけにきてたとしてもこんだけあるのはまずいと思うぞ。


136 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 18:57

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」その2
 1989年、例祭法話(信者を対象とした桐山氏の話)で、
「今度の伝法会で、諸君が布教活動につかえるすばらしい
占星術を伝授する」
と桐山氏は発表しました。
すでに伝法会を終了している信者までが金を出して参加しました。

ところが、講義内容は密教占星術奥伝そのものだったのです。
桐山氏は前に自分が伝法会で講義したことをすっかり忘れていたのです。
桐山氏は求聞持聡明法を修行して、
カメラやテープレコーダーのような記憶力をもっていると自称していました。
前の講義から十年もたたないのに、金をとって教えたことを
求聞持聡明法の体得者はすっかりお忘れになっていたようです。
受講生から苦情が出ると、桐山氏は、いつものように、
ヒステリックに受講生をどなりつけ、黙らせました。

しかし、桐山氏はこの時、大きなミスをしました。




137 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/03(金) 19:10
密教占星術による因縁透視そのものの存在が怪しいです。
入行して間も無い頃、桐山氏の高弟の一人に可愛がられて(結構、熱心に通っていたし、若かったからでしょう)、ふと
「密教占星術といった体系的なものは実在しない」と打ち明けられたことがあります。法話などでも
あれは淵海子平など、複数の占星術を取り入れて...という話だったと思います。天命殺にしても、途中で
あれは本命星が離宮と坎宮を巡る年のことだ、と伝法会で定義を覆したり、とにかく言っていることが
一貫していませんでした。京都道場で荷物係りの奉仕をやっている時に、屋根裏のような所にもぐりこんだら
(とにかく立錐の余地がなかったもので...)そこには「算命学体系」の空箱がころがっていました。
後で、著者の名前を覚えておいて、例の占い博士の友人に見せると、そんなプロの人が欲しがるようなもので
なくて、実践には役に立たないから買う気もしない(値段は驚く程高額でした)、と酷評していました。
それを聞いて、自称、占星術の奥義を極めたという桐山氏がなぜ物好きにもこんな本を買い漁ったのだろうか、と
不思議に思っておりました。

今思うと、目新しい本をにわか勉強して「自転車操業」してたんですね。因縁透視(コンピュータ占い)のパンフも、友人の手
にかかるとたちまちに化けの皮がはがれ、同じ金(1万円)出せば、ネタ本が手にはいると断言していました。

>134さんの「オチ」が知りたいですね。


138 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 19:20

>132 元修行者 さんへ

「密教占星術奥伝」その3
桐山氏は密教占星術奥伝の講義録の一部をコピーして信者に配ったのです。
それは斉藤氏の本のコピーそのものでした。
桐山氏は、自分の講義が斉藤氏の本からの盗用であることの証拠を
自ら配ったのです。

桐山氏は、二つに分けてコピーして、別々の題名をつけて配りました。
その両者を組み合わせないと使えないように分けたのです。
自分は他から盗んできていながら、今度は、それが盗まれないようにと、
二つに分けて信者に配ったのです。

1989年に至るまで、桐山氏に対して、だれ一人、密教占星術奥伝が
斉藤氏の本の盗用であることを指摘しなかったのです。
もう10年以上たちましたから、桐山氏は
また密教占星術奥伝の講義をするかもしれません。

これだけ、桐山氏が手の内、頭の程度、根性をさらけ出しても、
ほとんどの信者は動揺もせず、ついていきます。
桐山氏よりも、信者を見ているほうがよほどおもしろいのです。




139 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 20:06
>138さんへ

アハハハハ....面白すぎて悔し涙が出てきました(ToT)。


140 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 23:11
べつに驚く、ほどのことじゃないでしょ、今更。
密教占星術・・・オリジナルでないことぐらい常識でしょ
なぜなら、彼はもともと趣味で占術やっていたんだから
密教も、もともと坊さんでもなんでもなく、素人からの
かけだしでしょ。今でいえばオカルト研究家とか沢山
いるじゃない。そうゆう人が、たまたま世に出たの!
買いかぶりすぎ。
>ほとんどの信者は動揺もせず、・・・だからそうゆう
知識とかに信者は付いていっているわけじゃないの
運命学については信者のなかには余程くわしい人も
なかにはいるんだよ。(プロも)
伝法会は占星術に価値があるんじゃなくて四度加行に
価値があるの、ふつうの寺じゃなかなか在家には教えてくれません。(ちなみに占星術講義のとき焼き肉食いに行った人を知っています。)
しかし真面目な人達ですね、みなさん!
批判する側も信者側も、そんなに肩入れするかね
きっと理想の姿を見ていたんだね、それが崩れたんで
嘆き、怒っているんだね。でもね自灯明法灯明だよ。
俺が不真面目なのか、はは・・・いちおう信者なんだけどね。桐山管長に対してはおもろい師匠やぐらいで
仏さんのような完全さをもとめてはいないし
完全になってほしくないな、もっと引っかきまわして
おお暴れしてもらいたいもんだ。
あのふてぶてしい根性大好きさ!
いや皮肉でもなんでもなく尊敬してますよ誤解しないでね。




141 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/03(金) 23:58
しかし、なんだね。桐山氏も大変だわ!
引用して講義すりゃ盗作といわれ。
独自の考えを述べりゃ、何も知らないアホとののしられ
けっきょく、なにをやっても批判される。
教祖なぞなるもんじゃないね。
桐山さん、ぐわんばれ!


142 名前: カール 投稿日: 2000/03/04(土) 03:35
元阿含宗信者でもっとも有名な人といえば、
麻原彰晃ではないでしょうか。


143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 07:49
たまたま読んでアホ臭くなった。
桐山氏にたいしてか?いいや書き込んでいる
君らにたいしてだよ。おめでたい人達だ。
大体、本当に秘伝というものがあれば、ホイホイと銭
もらって教えてしまう奴なぞいる訳ないだろ。
厳選した高弟に密かにつたえるべきもだ。(だから秘伝)
屋根裏を掃除していたら種本が・・・どう考えてもぺーぺーの一般信者に身近を掃除させる訳ないだろうが、
本当に桐山氏の本だったの(笑)。
桐山氏がコンピューターのプログラムなんかできるの?
いくらワンマンの教祖だからといって何から何まで
全部、彼がやる訳ないだろうが、下の者に、おまえやれ
ということで命令したまんま放っていたんだろう。
ワンマンの奴がやりそうなことだな。


144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:52

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その1
桐山氏は、密教占星術では、運気の悪い時期として、
小天命殺
中天命殺
大天命殺(死期)
があると述べています。
名前からしてわかるように、天命殺は、天中殺を模倣したものです。
名前の模倣や、他人の占いを名前だけ張り替えて、自分のオリジナル
であるかのように公表するのは占いの世界では珍しいことではありません。
占い師に、占いへの道徳、倫理、品性を求めるのは無理でしょう。
しかし、桐山氏は宗教家であり、聖者を自称しているのですから、
占い師と同等ではありません。
桐山氏は、超人的能力の一つとして高い道徳性をあげていました。
占い師がやっているからといって、桐山氏が同じことをやって、
許されることにはなりません。




145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:54

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その2
中天命殺は天中殺そのものです。
阿含宗では、信者の中天命殺がいつであるかを出して下付しています。
天中殺を出すのに、今ならパソコンで簡単にできます。
智慧を説く阿含宗では手作業で出しているらしく、
計算まちがいと思われる中天命殺をもらった人がいました。
まちがっていることを指摘すると、その信者は
「これは仏様から下付されたものだから」とありがたく信じていました。
天中殺(中天命殺)など何の意味もないことは言うまでもありません。
時間の天中殺まで計算すると、人生の半分は天中殺です。




146 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:56

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その3
小天命殺は九星を用いています。
元修行者さんが伝法会で聞いた天命殺はこの小天命殺のことです。
9年のうち2年が運気の悪い時期です。
生まれた年とは関係なく、全員が四歳、五歳で最初の小天命殺に
入り、以下、九年ごとに巡ってきます。
生まれた年などまったく関係なしに年齢だけで決まります。
同じ年の人が全員いっせいに運気が悪くなるという点だけでも、
小天命殺などいかに無意味かがわかります。

小天命殺、中天命殺は占いとしても意味がありません。
しかし、これを桐山氏側から見ると、大きな意味があります。




147 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/04(土) 23:57

>137 元修行者 さんへ

「天命殺」その4
小天命殺と中天命殺を合わせると、12年に最大で4年は運気の悪い
時期になります。
これだけ長いと信者を脅かすのにはたいへん効果的です。
4年もあれば、何かおこりますから、「天命殺が当たった」と天命殺を、
またそれを説く桐山氏をさらに信じるようになります。
信者は天命殺を避けるために、お守りやお札を購入します。
信者は「阿含宗を信じていれば天命殺も大事には至らない」
と教えられますから、いよいよ離れることができなくなります。
「信仰しているのにトラブルがおきた」という信者からの訴えにも、
「天命殺だから」とか「信仰しているからその程度で済んだ」
と言い訳に用いることもできます。
このように、天命殺は信者へのアメとムチとして、
桐山氏にとっては大きな意義があります。




148 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/06(月) 10:46

147で、「12年に最大で4年は」と書きましたが、
これは「最大で6年」です。
修正します。


149 名前: 点迷察 投稿日: 2000/03/07(火) 02:56
へえ〜そうですか。
私は天命殺など、それほど気にしすぎるな!と
教えられました。行と心構えをしっかりしていれば
避けることができると、ただ人によってはそうは言っても
気にしすぎる人がいるため、御札をだしていると
天命殺よりも因縁つまり人個人の持つ欠陥、(性格、体質、考え方など)を改めていくほうが大事なことだと
厳しい人などに指導されると、天命殺の御札など受ける
よりも、善行をほどこせ、修行せよと言われましたわ。
アメとムチだって(笑)。
運の悪いやつは何時でも天命殺なの!
運のいいやつは天命殺でも、くしゃみするのが関の山!
「信仰しているのにトラブルがおきた」、今の信者に
こういう愚痴をいう奴いるかなあ〜
本当に信仰している人ならば、自分自身を省みて
懺悔するべきことがあれば懺悔し、どうするべきか
考えると思うのだが?・・こんなこと言っても信仰なき
ものにはわからんか!
お好きなように。


150 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 06:46
気にしすぎるなといいながら気になるようなことを言ってるんじゃん。桐山氏もその信者も。
私は信者でもなんでもないのですが、信者である友人に
「今は君は天命殺だから何をやってもダメだ」と言われ、
お札を買うこと、入信することを強くしつこく勧められました。
実際にそういう信者がいて、そういうことを吹聴して回ってるのも事実でしょ。

信仰なきものには分からないとかそういう言葉で終わらせるのって、
結局きちんとした理論を通した上で信仰について語れないということでしょうか?

ご自身が正しく信仰しるおつもりでも、そういう信者がいてそういう信仰をしているという現状
或いは人の不安を煽るように他者から見て感じられる教義が含まれているという現状、
それについて、自分は違う、正しい信者だと返していたって意味はないでしょ…。

(やだねぇ、こんなことでむきになってる自分も(嘲笑))


151 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/07(火) 08:58
>141さんへ

占術を趣味でやる分にはよいでしょうが、引用であるという断わりもなく、おまけにそれで金儲けしたら、立派な詐欺だと思いますが。
もし、信者さん達に「この講義は参加料よりもうんと安価で、本で購入することもできます」とただし書きがあったら、一体何人の人が参加するだろうか。
私にはそれが詐欺以外の何物にも写らない。

>143さんへ

結局はそういうことでしょうね。信じた自分達が悪かった。でも、だから信者はそのまま苦しんでいろ、とは言えませんね。ましてや、かつて自分が入行に導いた人だっている。
自分の両手は血まみれで、洗っても洗っても落ちないような気がする。

>144さん

所詮は、占いに対する無知に素人がつけ込まれたということでしょうね。適中率で言えば、四柱推命の「傷官空亡」や「天剋地冲」の方が断然高いでしょう。
星祭りでは、本命星として生まれ年ごとにお札を買ってもらって修法するのですが(実際には北斗七星の名前、破軍星などに読み替えるが、結局は干支と同じです)、
もし桐山氏が運命学の達人ならば、生まれ年ごとで人の運命が把握できないことは百も承知のはずです。そこに、ビジネス用の巧妙な使い分けがあると
思います。密教占星術には、人はどんな因縁を持つか、と題して、因縁ひとつひとつに二十八宿のサンスクリット名を付けて
いますが、あれは桐山氏のでっちあげということは明白です。

宗教家として、自分の魂を預けるに足りる人間かどうか、という観点から冷静に眺めてみると、どうも否定的にしか見えません。


152 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 12:18

>139さんへ

気持ちはよくわかります。
まだ続編があります。
そのうち、涙も出なくなって、笑うだけになります。




153 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 13:04

>151 元修行者さんへ

「コンピューターによる因縁透視」その1
阿含宗では1983年頃からコンピューターを用いて、
人生全般の占いを「因縁透視」と題してやっていました。
桐山氏が業者に依頼してソフトを作らせました。
料金は最初は一万円くらいで、あとで値下げしました。
後に、ソフトがいかれたらしく、1990年頃、中止になりました。

「因縁透視」の中身は紫微斗数です。
元修行者さんの知り合いが指摘したように、種本は羅洪先の
「紫微斗数鑑法全書」で、和訳も売られています。
コンピューターの因縁透視の説明と、この本に書いてある説明を
比較しましたが、ほぼ丸写しです。




154 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 13:14

>151 元修行者さんへ

「コンピューターによる因縁透視」その2
両者には一カ所だけ違いがありました。
因縁透視には「霊障あり」(霊的な祟りがあるという意味)が出てきます。
それも、因縁透視が始まった頃は記入されなかったのに、
後になると、「霊障あり」が増えてきます。

因縁透視とはいいながら、中身は「○○の因縁」といった具体的な
脅迫文字がないため、インパクトが弱いのです。
そこで、「霊障あり」を乱発したのでしょう。
「霊障あり」を解決するためとして、一般の人たちには入信(入行)を勧め、
信者には1体10万円の解脱供養を勧めることができます。




155 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/07(火) 14:18
私は貧乏学生だったので、解脱供養はできませんでしたが、まわりの人はほとんど受けていました。
不思議なんですが、解脱供養を受ける人の人相がはっきり変わるんですね。何か柔和な感じになって...。
今思うに、桐山氏の霊能力に関しては確かにあったと言えるのではないでしょうか。
まわりの噂が本人の潜在意識に作用して...などの推測も可能でしょうが、あれは客観的に見ても、誰の
目にも明らかな「奇蹟」だったと思います。私自身、伝法会で習った法を二度修して二度とも奇跡的に願望が
達成されましたし、それなりに不思議体験もしました。

私は桐山氏の占星術には懐疑的ですが、彼の法力までがすべてでたらめだとは
思っていません。ただ、今となっては私は超能力よりも「魂の救済」を目指しているということで、阿含宗には
もう用は無い、ということだと思います。

しかし、魂の導き手としては、いくら法力がある教祖でも人間性に問題がありすぎるということではないでしょうか。


156 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/07(火) 21:33

>151 元修行者さんへ

「コンピューターによる因縁透視」その3
紫微斗数は生まれた時間の干支を元にして星を出します。
紫微斗数そのものである因縁透視も生まれた時間が必要です。
日本人で自分が生まれた時間を正確に知っている人は少数です。
因縁透視を申し込んだかなりの数の人は生まれた時間がわかりません。
これでは因縁透視を出すことができません。
では、桐山氏はどうやって、この難問を解決したのでしょうか。

生まれた時間を全部12時にして計算したのです。
紫微斗数は生まれた時間が違えば、出てくる星は違います。
このようなデタラメな解決法は普通の人では思いつきません。
桐山氏は天才です。



157 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/08(水) 09:48
>156さんへ

えっ?そんなことしてたんですか?
生まれ時間が判らなくても、算命学を使えばかなり正確な判断は可能だと思うんですけどね。西川満先生はその方法でたくさんの人を導かれたのだし。
紫微斗数で生まれ時間を変えると、ほとんど別人の命盤になってしまいますね。
始めから「1/12の確率」しかないものを使うよりも、他に手だてはいくらでもあるはずです。それが占師の良心でしょう。
これで一万円也とは正気の沙汰とは思えません。ほんに「御立派な」詐欺師ですね。このことが表ざたになったら、今度は
誰の首を切るつもりなんだろう。恐ろしい人間だ。


158 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/08(水) 13:08

>155元修行者さんへ

解脱供養も全体の流れをみるといろいろおもしろいものがあります。
その前に、せっかく出たので、因縁について書きます。

「因縁診断」その1
観音慈恵会時代、「お伺い書」で因縁を桐山氏に見てもらうことができました。
元修行者さんの時期には、桐山氏はすでにお伺い書を中止していたと思います。
1988年頃から現在まで、「因縁解脱修行宝鑑」で信者は因縁を教えてもらえます。
タダではもらえません。
一人以上導き(入信させること)がノルマです。
ノルマを達成したら、次に因縁診断士と面接して診断してもらいます。
因縁診断士が報告書を職員に出すと、職員は因縁解脱修行宝鑑の原稿を
ワープロで書き、最後に桐山氏がまちがっていないか確認します。
さて、その中身です。




159 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/08(水) 15:38

>155元修行者さんへ

「因縁診断」その2
因縁解脱修行宝鑑に書かれている因縁は、桐山氏が因縁を霊視して
いるのではなく、信者本人からの聞き取りを元にしたものにすぎません。
因縁診断士は信者とその家系の人たちの人生や病気、
死亡形態を聞いて、そこからその人の因縁を推測します。
たとえば、家系にガンの人が多いと、「ガンの因縁あり」と書きます。
信者は自分で情報を与えているのだから、気がついていいようなものですが、
桐山氏が最後に因縁を霊視していると信じているのです。

因縁解脱修行宝鑑に書いてあるの課行(ノルマ)に赤丸がつくことがありました。
これは桐山氏がつけたものです。
つまり、目を通してはいたのでしょう。
しかし、桐山氏のしたことは赤丸を付ける程度です。
因縁診断士や職員が決めた因縁を桐山氏が修正しているはずはありません。
それは次の事例を見ればわかります。




160 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/08(水) 23:05

>157元修行者さんへ

「因縁診断」その3
桐山氏本人による因縁霊視は1984年頃、一時復活したことがあります。
元修行者さんも覚えているかもしれません。
「三人の導き」です。
三人の信者を獲得すれば、因縁を桐山氏が霊視してくれるというものです。
こうして桐山氏の直筆の因縁霊視をもらった信者がいます。
その人たちが今度は、因縁診断を受けて、再度因縁を見てもらいました。
そして桐山氏直筆の因縁と、因縁解脱修行宝鑑の因縁とを比較しました。

一人目のケースです。
この信者の場合、桐山氏直筆の因縁霊視のコピーを因縁診断士に提出した
にもかかわらず、因縁解脱修行宝鑑に書かれた因縁はまったく違っていました。
宗務局(阿含宗の事務局)に苦情を言うと、苦情を言った因縁を書き加えた
ものを後でくれたそうです。
冗談のようなほんとうの話です。
桐山氏が霊視しているのなら、数年差で因縁がこれほど違うことはありえません。
因縁霊視以前の問題として、このくらい雑でいい加減なのです。



161 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/08(水) 23:14

>157元修行者さんへ

「因縁診断」その4
二人目のケースです。
因縁診断士に面接した時、桐山氏直筆の因縁霊視に書かれた因縁とは
まったく違う因縁が出やすいように話をしました。
その結果、因縁霊視の因縁とはまったく違う、そして話した内容に
そった因縁がそのまま書いてある因縁解脱修行宝鑑をもらったそうです。
本当に桐山氏が因縁霊視をして因縁診断士の書いた因縁を修正して
いるのなら、こんなことがおきるはずはありません。

このことを桐山氏に訴えれば、次のような答が来るでしょう。
「ウソを書いていることは霊感でわかっていた。師を試そうとする
不遜な態度を見抜いて、本人の申告どおりの因縁を書いてあげた」
この詭弁的言い訳に多くの信者は拍手して安心するでしょう。
本当に見抜けるならそのように書いて、桐山氏が自分の超人的能力の
一つとする「物事の明快な認識力」を示すべきです。



162 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/09(木) 20:31

>157元修行者さんへ

「因縁診断」その5
修行者座右宝鑑での因縁は次のように出しているのです。
因縁診断士が、信者から聞き出した個人や家系に関することを元に、
阿含宗でいう因縁にあてはめ、報告書を提出する。
職員は、その報告書を元に、因縁を書き込み、ワープロで打ちだし、
桐山氏に提出する。
桐山氏は目を通し、時には課行などに赤丸をつけるが、修正はしない。
そのまま信者に授与する。

修行者座右宝鑑の因縁は、信者の自己申告を元に、因縁診断士と
職員が適当に推測して書いているにすぎません。
こんな程度なら、自分で家系を調べれば十分です。
信者たちは、桐山氏が霊視してくれたものと信じて、ありがたく拝受します。
桐山氏にとって、信者の因縁などどうでもよく、赤丸をつけたように、
導き(信者獲得)など教団拡大に興味があるだけです。




163 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/09(木) 20:43

>157元修行者さんへ

「因縁診断」その6
修行者座右宝鑑には性格の長所と欠点が書かれます。
信者たちは、桐山氏が霊視して指摘してくれたものと信じています。
これは、誕生日の十二支から出てくる性格を元にして因縁診断士や職員が
書いているのです。
元ネタは桐山氏の著書「密教占星術T」にも書いてある淘宮術です。
生まれた年、月などの十二支占いから出る長所、欠点を適当に混ぜて書きます。
市販の暦の後ろなどに書いてある程度の性格判断です。
当然ながら、こんなものは当たりません。

悲惨なのは欠点です。
全てを透視する聖者から指摘された内容ですから、絶対的なものとして信じます。
欠点を露骨に並べられると、たいていの人はかなりショックを受けます。
それが性格の欠点として思いあたらないと、はずれたのではなく、
自分の潜在意識にあるのだと信じます。
女性に奥手な男性に「色情のまちがいをしやすい」と書いてあったため、
女性と同席することすら避けるようになった人がいます。

この程度の代物を修行者座右宝鑑と称して授けているのです。
桐山氏は信者をなめきっています。



164 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/09(木) 21:02

>157元修行者さんへ

「因縁診断」その7
因縁は適当に言っても当たります。
ガンは死亡原因のトップで、約30%です。
「ガンの因縁」と言うと、三人に一人くらい当たります。
「ガンの因縁」「脳障害の因縁」「循環器系障害の因縁」の三つを
書いておけば、ガン、脳卒中(15%)、心臓病(15%)などが
これに相当しますから、三人に二人は当たります。
三人に二人が当たれば、信者ばかりか、数字に弱い桐山氏も
自分の霊視能力のすばらしさを信じるでしょう。
しかし、これは霊視という予言ではなく、誰がやっても当たる、
単なる確率の問題です。

桐山氏は修行者座右宝鑑で、因縁を霊視しているのではなく、
信者に「因縁を付けている」だけです。

どうして手の内が簡単にばれてしまう因縁診断などするのでしょうか。
それには桐山氏にとっての背景と理由があります。




165 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/12(日) 23:13

>157 元修行者さんへ

「因縁霊視」その1
因縁診断を最後に桐山氏が目を通すくらいなら、最初から、
桐山氏が自分で因縁を霊視すればいいようなものです。
なぜ、自分で因縁霊視をしないのでしょうか。

神田にある原書房は占い関係の有名な古本屋です。
そこで、十年くらい前でしょうか、信者が桐山氏を見かけました。
和服を着ているだけでも目立つのに、大きなマスクまでしていたそうです。
隠したいのか、目立ちたいのかよくわかりません。
桐山氏はこのように、占い関係の本を熱心に目を通しているのです。
運命を透視する超能力があるのなら、占いの本などいらないはずです。




166 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/13(月) 13:54
>165

なるほど。私が知る限り、桐山氏が著作などで引用した占い関係の本というのは、私の友人や私自身が「原書房」で
見つけて気軽に買って帰る程度のものばかりですね。私が旧京都道場の
「屋根裏部屋」で目撃した「算命学大系」の空箱の謎も解けます。桐山氏の
占い知識って、もともと素人並みだったんだ...。

「算命学大系」、国会図書館で本物を見てきました。私の見る限り、そんな
ものすごい秘伝なんてものはひとつも見い出せませんでした。中身を知っていたら、
私ですら買わないでしょう。


167 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 14:16

>166 元修行者さんへ

「因縁霊視」その2
137にある、元修行者さんが京都道場で本の箱を見たように、
桐山氏は熱心に占いの本を読んでいます。
この本は天中殺を有名にした和泉宗章氏の師匠にあたる高尾政義氏の
「原典算命学大系」でしょう。
58万円くらいだったでしょうか。

一般信者にすぎなかった元修行者さんがこれらの本の箱を見つけても
おかしくはありません、
阿含宗がゴチャゴチャしているということ他に、桐山氏は頭隠して
尻隠さずのところがあります。
「どうせ、こいつらにはおれ様の手の内などわかりはしない」
と人を侮ったところがあるからです。




168 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/13(月) 14:52
>167さんへ

>この本は天中殺を有名にした和泉宗章氏の師匠にあたる高尾政義氏の
「原典算命学大系」でしょう。

その通りです。

>一般信者にすぎなかった元修行者さんがこれらの本の箱を見つけても
おかしくはありません、

これには裏エピソードがあって、この「屋根裏部屋」は普段は使用していない所で、
例祭の時だけ緊急的に修行者が使っている「スペース」です。ほとんど
息もできない位に天井が低くて、とても人が入れるような所ではあり
ません。実際に私がそこに入ったのは1回のみでした。多分、職員の許可も
もらわずに勝手に開けていたのだと思います。普段は「密かに」荷物
置き場として修行者仲間が使っていました。

例祭の日は立錐の余地もなく、自分の坐る場所がなくて困っていた矢先に、
管長お出ましの太鼓が鳴ったので、あわてて荷物室に潜り込んだのだと思います。


169 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 15:40

>168 元修行者さんへ

「因縁霊視」その3
桐山氏は因縁を透視する能力をもっているはずなのに、
熱心に占いの勉強をしています。
占いを使う言い訳として、
「いつもインスピレーションが働くとは限らないから、占いで補助するのだ」
と述べたことがあります。
言い訳どおりに占いを補助に、桐山氏が因縁霊視をすればいいではありませんか。
また、これはデタラメな因縁診断をしていることへの言い訳にはなりません。

「三人導きの課行」(160参照)での桐山氏による因縁霊視も、
全国で百人くらいが渡されただけで、自然消滅しました。
三人導きの課行は信者の数を増やす絶好の方法なのに、どうして、
桐山氏は辞めてしまったのでしょうか。




170 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 15:58

>168 元修行者さんへ

「因縁霊視」その4
因縁の一覧表を作り、桐山氏が信者一人一人の因縁を霊視して、印をつけ、
職員がそれを清書すれば簡単で確実ではありませんか。
桐山氏はこのやり方に次のように答えています。
「手で書いているうちにインスピレーションが浮かんでくるのだ」
桐山氏は「おしゃべりの因縁がある」と本人が言っているように、
時々、本音をもらします。
インスピレーションとは言い訳で、何か手で書いて、因縁を割り出して
いるのだ、と解釈できます。

このように、因縁診断などという子供だましの手法を用いていること、
熱心に占いの本を買い集めて勉強していること、インスピレーションの
言い訳をみれば、桐山氏のいう因縁霊視の中身の推測がつきます。
桐山氏は霊能力をもたなかった観音慈恵会創設当時、占星術から因縁を
出していたと述べています。
今でも、占星術を用いて因縁を出して、それを桐山氏は因縁霊視と
称しているのでしょう。
桐山氏は今でも占星術から因縁を出していると考えれば、彼の言動は
以下のように、よく説明がつきます。



171 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/13(月) 23:19
>168 元修行者さんへ

「因縁霊視」その5
手作業で占星術の盤(ホロスコープ)を組み、そこから星、つまり因縁を
出すのにはけっこうな手間がかかります。
誰かにさせればいいが、桐山氏は因縁霊視の中身を絶対に公開したくありません。
桐山氏の最後の砦、伝家の宝刀だからです。
他人に教えないためには、自分でやるしかありません。
桐山氏は、三人導きの課行で因縁霊視を百人ほどやってみたが、手作業が
たいへんなので"中途挫折の因縁"を出してしまったのです。
これが三人導きの課行が自然消滅した理由です。

桐山氏が因縁を「霊視している」と称しているのは、占星術から出している
ことがばれないための工作であると同時に、他人にまねされないためです。
占星術だといえば、まねされるかもしれません。
しかし、霊視と言ってしまえば、誰もまねできません。

桐山氏の因縁霊視は占星術だけではありません。
桐山氏は占星術で因縁を出したり、信者からの自己申告による因縁診断を
適当に使い分けしています。
それは次の事例でよくわかります。



172 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/14(火) 21:43

>168 元修行者さんへ

「因縁霊視」その6
1987年頃、「ご指導願い」という制度がありました。
信者が桐山氏に文書で悩みを相談し、指導を受ける制度です。
重い病気を抱えたある信者がご指導願いを出すと、「横変死の因縁あり」
と下りてきました。
横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡するという運命です。

この信者はその数年前に、三人導きの課行(160参照)を達成して、
桐山氏直筆の因縁霊視をもらっていました。
ところが、この因縁霊視には横変死の因縁はありませんでした。
この信者は三人の導きなど、言われたとおりの修行をしていたのに、
その数年の間に横変死の因縁を作ったことになります。



173 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/16(木) 09:28
これは、これまでの話と流れが異なるのですが...

ヨガの研究家である藤本憲幸氏が著書の中で、日本の密教界の主要
人について紹介したものがあり、阿含宗を立てる前の桐山氏にも
会っているのですね。ところが、その時のセリフが気になるのです。
藤本氏を賞賛して「君のような若者が4人いれば、私は天下を取れる
」と言ったとされます。どうもしっくり行かないんですね。最初
から、桐山氏の目的は「天下取り」だったように見えますから。


174 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 11:22

>173 元修行者さんへ

あの本では藤本氏はどの宗教家も批判しないという態度でしたね。
「君のような若者が4人いれば・・・」という桐山氏の言葉に、藤本氏は
自分が誉められたと思って、この話を紹介したようでした。
「君が一人いれば・・・」というのならわかるが、「4人いれば」ということは、
「君一人の能力では4分の1だ」と言われたようなものです。

桐山氏は超能力で藤本氏の能力を見抜いたわけではありません。
桐山氏は人の能力を見抜く能力も、人材を育成する能力も常人よりも劣ります。
吉田氏(115)初め、たくさんの事例があります。
その内、お話しするとして、その前に、因縁霊視の続きを書きます。



175 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 11:51

>173 元修行者さんへ

「因縁霊視」その7
160や161の事例と違い、168の信者の場合、二度とも桐山氏本人が
因縁霊視をしたはずなのに、違う因縁が出てきました。
その理由はこうです。
三人導きの因縁霊視の時は、桐山氏は占星術から因縁を出したのでしょう。
ご指導願いの時は、占星術から出すのが面倒だから、信者の病気の重さから、
適当に横変死の因縁と付けたのでしょう。
つまり、ご指導願いでは桐山氏は信者の自己申告による因縁診断をしたのです。

この件を桐山氏に質問したら、次のような答を言うでしょう。
「因縁とはカルマの種類を指している。私はカルマそのものを霊視している。
そのカルマをどのように分類し、名付けるかは、見方によって微妙に違って
くることがある。因縁を別々に分けて言わず、横変死の因縁として
まとめてしまうこともある」
信者の多くはこれで十分に納得します。
誰も見えない桐山氏の腹の中の話ですから、なんとでもご都合を言えます。
しかし、このようなもっともらしい言い訳よりも、占星術と因縁診断を
適当に使い分けたとみなせば、簡単に説明がつきます。
信じている桐山氏のご都合で、横変死の因縁を付けられた信者こそ大迷惑です。



176 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 11:59

>173 元修行者さんへ

175で「168の信者」と書きましたが、これは「172の信者」です。
修正します。




177 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 21:37
あごん、ってよくしらないけど、因縁みてなんの意味
が、あるわけ?
占いと変わらないみたい。宗教なの?
悩みや、人生などについて考えるのが宗教
予言や運勢など当たった、外れたと騒ぐのが占い
ここより、占いのところへいった方がいいよな、あごんは!


178 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/16(木) 22:03

>173 元修行者さんへ

「因縁霊視」その8
占星術と因縁診断が、桐山氏の言う因縁霊視の実態です。
だれか、桐山氏に占星術のソフトが数千円で売られており、
手作業でなくても、簡単に出せることを教えてあげてはどうですか。
きっと、急にインスピレーションが沸くようになって、桐山氏による
因縁霊視を再開してくれるかもしれません。
桐山氏は既存の占星術から出した星に因縁という名前を付けるか、
信者からの自己申告を因縁霊視と称しているにすぎません。

また、172の信者のケースからわかるように、占星術から出す因縁と、
因縁診断から出てくる因縁との間には何の脈絡もありません。
信者にわからないことをいいことに、桐山氏のご都合で使い分けているだけです。

なぜ桐山氏が自分で因縁霊視をしないで、因縁診断をさせているのか、
という疑問への答は次のようになります。



179 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 00:08
124さんへ

>「因縁を切る」 という桐山氏の教えが成り立たないのは、 桐山氏自身が脳梗塞になった事実を見れば、十分ではありませんか。

通りすがりの者ですがアゴンのことはちょっと知ってる。
脳梗塞って本当??
気になるゾ。インネンゲダツを説く教祖サマがこーゆー病気にかかるんなら世話ないよーな・・


180 名前: 元修行者 投稿日: 2000/03/17(金) 09:37
>177さんへ

阿含宗では、お釈迦様直伝の成仏法というものがあって、それを
修すればカルマ=因縁が消えて、横死したり病気になったりしなく
て済む、と教えているのです。

ですから、179さんの指摘される通り、教祖サマは遠の昔に脳障害の
の因縁は解脱されたはずで、畏れ多くも脳梗塞など患われるなど
口にするのさえ、ボートクの極みなのでございます。

まあ、霊能者が競馬で全財産スッた、というのと同レベルのお話
でしょう。


181 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 11:25

>180 元修行者さんへ

「因縁霊視」その9
長年の経験から、桐山氏は人を因縁で脅迫するのが一番効果的で
あることを知っています。
「ガンの因縁」「横変死の因縁」があると言われて、心穏やかな人はいません。
そのためにも信者に因縁を付けたいと、三人導きの課行で因縁霊視をしました。
しかし、手作業で占星術から出すのは桐山氏の負担が大きくてやってられません。
かといって、因縁を出すための占星術をコンピューターに入れるには、
中身を誰かに教えなければなりません。

最後に、桐山氏は簡単な方法をみつけました。
それは因縁を信者に自己申告させることです。
信者が申告した因縁に桐山氏は因縁霊視という「桐山ブランド」を貼るだけです。
桐山氏は何の労力もなく、因縁や性格の欠点などで信者を脅迫できます。
導き(入信)、解脱供養(十万円の霊供養)といったノルマを課して、一挙両得です。
因縁診断を物まねされても、一番大事な占星術の因縁霊視は公開しませんから、
桐山氏の手元に残ります。
こうして因縁診断士が登場し、因縁解脱修行者宝鑑が完成しました。
このような子供だましの方法で作った因縁解脱修行者宝鑑をありがたがっている
信者を見て、桐山氏は、自分は釈迦の智恵を体得した天才だといよいよ
確信したことでしょう。



182 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 13:42
>179さんへ

脳梗塞の件は、桐山氏の説く因縁が何かを知る上で重要な事例です。
次からそれについてお話します。



183 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 14:01
藤本憲幸!またすごい人が話題に出てきたな!
ある意味じゃ桐山以上にとんでもない奴だよ


184 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 21:06
おかしいんじゃないの?
年とりゃ、誰でもすこしぐらい病気になるじゃん!
因縁とやらを切れば病気にならないのかい?
考え方がおかしいぞ、
それをあなた達信じていたの、変・異状に変!
なんかここの人達
やっぱ変だわ!(考えてみりゃ麻原の仲間だもんな)


185 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/17(金) 21:20
ははは・・・(笑)
んじゃ、極端な話、因縁解脱すれば死なずにすむんだ
すごいぜ! 入信しょうかなっと!


186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 07:42
なつかしい思いで過去ログを読ませていただきました。
桐山氏がとんでもない人格の持ち主だということはいまさら言うまでもありませんが、
私は皆さんがまだ話題にしていない部分を書いてゆきたいと思います。
まず始めに、桐山氏はクンダリーニヨーガを知らなかったという所から。


187 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 11:09
知らなくてよかったじゃない!
馬鹿だなあ。
あんなものオウムになるだけだろう。
アゴンは今のまま仏舎利信仰を続けていればいいの。
そういう意味で桐山氏の選択は正しい。
ふつうの教団でいいの期待しない事
皆、超能力とかのオカルトに引かれたひとたちだろう?
宗教はそんなもんとちゃうと思うよ。


188 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 11:17
しかしバカバカしいな。
結局、何も知らなかったというわけだ。
桐山氏は
でも丸っつきり知らない訳でもないだろう
教団たてたんだから。
>186の方
クンダリーニヨーガ知っているの?
教えてくんない、いややめましょう。
麻原2世の可能性あるからな
あっごめんなさいポアしないでね。


189 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 11:18
しかしバカバカしいな。
結局、何も知らなかったというわけだ。
桐山氏は
でも丸っつきり知らない訳でもないだろう
教団たてたんだから。
>186の方
クンダリーニヨーガ知っているの?
教えてくんない、いややめましょう。
麻原2世の可能性あるからな
あっごめんなさいポアしないでね。


190 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 17:00
私は桐山さんが昭和49年3月時点でクンダリーニヨーガの技法を
全く知らなかったということをはっきりと知っています。
その時彼は訪米しましたが、それ以前にはクンダリーニヨーガを
見たこともなかったのです。
自分が修行していないものをさもマスターしたかのように宣伝し、
それによって信者を集め、実際に指導しないから、麻原のような
イカサマ師につけいる隙を与えたのです。
もしも桐山が宣伝どおり本当にマスターしていれば、そして指導していれば、
阿含宗からオウムへ流れる人は少なかった筈です。


191 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 17:10
桐山のネタ本は殆どがK書店で集めさせたものです。(今は廃業しましたが)
当時彼はスポーツカーに乗っていましたが、毎月、K書店に来ていました。
店主は、運命額、占術、手品関係の本を桐山の為に集めていました。
私も何度かそこで桐山を見かけましたが、店主の話で一つだけ面白かったことがありました。
「宗教の先生が手品の本を探していたんだ。水をまいて火を出す方法を知りたいんだと。
なんでそんなんがいるんだろうね。」
店主が売った本には、「紙に赤い色で字を書く。そこに水をつけると火が出る。」
などという手品の方法が書かれていました。


192 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 17:20
林郁夫は1977年から1989年まで延べ12年間桐山に師事し、
桐山が道場での婚姻の導師までつとめました。
千座行を4回もやったのに、そして桐山に非常に近い存在であったのに、
殺人を犯し、刑に服することとなりました。
桐山の指導していた因縁解脱とは一体何だったのでしょうか?


193 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/18(土) 17:23
>191
>店主は、運命額、占術
運命額は運命学の変換間違いでした。


194 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/19(日) 04:39
>水をまいて火を出す方法を知りたいんだと

たしかあの手品は北野氏からのパクリだったと思うけど
朱色の梵字を書いた奉書ってやつだろ
最悪!


195 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/19(日) 04:41
>192
桐山だって前科もあれば、刑務所暮らしもしてるよ
悪因縁のマーケットみたいなもんだ


196 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/19(日) 04:45
クンダリーニヨガを日本人でマスターした奴なんかおらんだろ
桐山、麻原…みんなインチキだと思うぜ
口だけヨギって奴じゃないの、みんな


197 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/19(日) 22:54
>179さんへ

「脳梗塞」その1

阿含宗では、毎月1日に朔日護摩という行事があります。
桐山氏が護摩を焚き、話(法話)をし、通信衛星で全国の道場に配信されます。
1996年12月1日、桐山氏は護摩を焚いた後、
「口にできものができた」
と説明して、合い言葉だけを言い、話もせずに引っ込んでしまいました。
桐山氏の発音は不明瞭でした。

1996年12月の例祭(月一度の集まり)でもほとんど話をしませんでした。
かつては3時間以上も話をしていた桐山氏としては驚くべき変化です。

1997年1月1日の初護摩(正月の護摩)では、最後まで
「あけましておめでとう」の一言がありませんでした。
1996年のモンゴルでの護摩の件を書いた文章を脈絡なく読み上げただけでした。
頭の中で文章を構築することがうまくできないらしく、
ニコニコしているだけで、間合いが持てないまま、退場しました。
その後の朔日護摩(毎月一日の行事)の話では原稿を読みました。




198 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 12:28
>197
だからここ数年出版が殆どなかったんですね。
求聞持脳なら、原稿がなくとも目がカメラなのにネ。



199 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 16:05
>191
>私も何度かそこで桐山を見かけましたが、店主の話で一つだけ面白かったことがありました。

これはいつ頃の話ですか。


200 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/20(月) 20:19
>179さんへ

「脳梗塞」その2

桐山氏は、1996年12月1日には、口の中にデキモノができたといい、
次には入れ歯で舌を噛んだと言いました。
理由がこのように二転三転しました。
インプラント(人口歯根)で舌を噛んだとも言いました。
例祭(月一度の集まり)では、そのインプラントを舌の上に出して見せました。
だが、インプラントは骨に埋め込みますから、舌の上に出せるはずがありません。
あれはただの入れ歯です。
オシャレなはずの桐山氏が、この年寄りじみたパフォーマンスを見せたのは、
大したことはないのだと信者を説得したかったからでしょう。

桐山氏はラ行の発音が不明瞭だが、話はできました。
前述の初護摩での様子を見てもわかるように、
まとまった文章が頭から出てこないという状態です。
これは口のデキモノや舌を噛んだというのでは説明がつきません。
口の中ではなく、文章を作る脳の機能に障害がおきたのです。
一番考えられるのは脳梗塞です。



201 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/20(月) 20:56
>179さんへ

「脳梗塞」その3

北海道の信者の一人が、「猊下(桐山氏)のご病気・・・」と例祭で言うと、
桐山氏はカンカンになって怒り、「おれは病気ではない」と言い返しました。
それでいて、1999年に出た本では、「身体の不調」で入院し、
回復までに二、三ヶ月かかったと書いています。
桐山氏は脳梗塞になったことを認めたくなかったのでしょう。
桐山夫人は、この時期、激ヤセをしています。

脳梗塞の後、護摩を焚いている最中に桐山氏の動きが止まった事がありました。
信者は桐山氏が火界定(火の瞑想)にでも入ったと思っていたでしょう。
内陣(護摩を焚いている所)はパニックになっていたのです。
以後、法務部(専属の僧侶)と護摩を焚く手伝いの信者には、
桐山氏がフリーズした場合、どうするべきかの指示が出ていました。
20年以上も焚いて、身体で覚えているはずの護摩すらこの有様でした。

それでも、信者の多数は舌を噛んだと信じていました。



202 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/20(月) 21:47
>179さんへ

「脳梗塞」その4

桐山氏の脳梗塞は前に兆候がありました。
1996年3月の約一ヶ月間、桐山氏は突然行事出席をすべてキャンセルしました。
桐山氏は
「風邪で咳き込んでいても、護摩を焚いている時にはピタッと止まる」
と豪語し、例祭(月一度の集まり)を欠かしたことがないのが自慢でした。
その桐山氏が一ヶ月近くも行事をキャンセルするなど、ただ事ではありません。
脳梗塞の症状があったのでしょう。
当時の禿○局長は「例祭を自分たちだけでやってみるように言われた」
などと、取って付けたような言い訳を並べました。
古い信者は桐山氏の性格を知っていますから、言い訳に疑いもっていました。
桐山氏は病気を軽くみたのか、この後6月にはモンゴルで護摩を焚いています。

2000年1月にはまたしても例祭を休みました。
1月初めから体調を崩していたと述べています。
3月、12月、1月といずれも老人が病気をしやすい寒い時期です。



203 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 05:29
>202
今年の2,3月の例会はあったのでしょうか?
それと、即身成仏していても「脳障害の因縁」は切れなかったんですね。



204 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 05:40
>199
今から30年位前の話です。
私もずっと通っていましたが、当時は透派の張先生はじめいろんな方が来られていました。
明治時代の復刻版から香港や台湾などの書籍まで、幅広く探してくれましたので、
みんな喜んでいました。一般には無名でしたが、業界?では知る人ぞ知る本屋さんでした。
運命学から仙道、密教、神道まで広い分野の貴重な文献を揃えていましたね。
引退されたのがとても残念でしたが、今御健在かどうかはわかりません。



205 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 11:25
そんで結局のところ
桐山氏も病気ということで、
阿ごん宗はどうなると思いますか
みなさん?


206 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 11:41
桐山氏の本がでないのは
病気よりも、ネタ切れのせいだと思うぞ?


207 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 15:23
>190
>私は桐山さんが昭和49年3月時点でクンダリーニヨーガの技法を
>全く知らなかったということをはっきりと知っています。

具体的にどのような証拠ですか。
もっとも、どんな証拠を示しても、桐山さんのことだから、
「自分が編み出した技法が、後に、クンダリーニの技法であることがわかった」
なんて言い抜けるでしょうけど。



208 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 18:41
クンダリーニヨーガといえばなんと言っても火の呼吸が基本中の基本であり、
これは桐山さんも認めています。
昭和49年3月に米国訪問の際、彼は始めて火の呼吸を見たのです。
その時の通訳の方に私はその状況を直接聞きました。
「あれは何をやっているのですか?」「どんな効果があるんですか?」
「どうやるんですか?」ETC
その後の著書では相当前からやっていた事になっていますが…。
まあ、いつもの事といえばいつもの事ですが。


209 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 20:43
>191
>「宗教の先生が手品の本を探していたんだ。水をまいて火を出す方法を知りたいんだと。
>なんでそんなんがいるんだろうね。」

これを店主から191さんは直接聞いたのですね?
とすれば、これは貴重な証言です。
桐山さんが手品の本を集めていたという噂はずいぶんあります。
しかし、店主から直接聞いたという話は始めてです。
30年前は昭和45年頃ですから、ちょうど念力護摩を焚いた頃です。


210 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 20:45
>203
>今年の2,3月の例会はあったのでしょうか?

2月は桐山氏は出席し、病気について話をしました。
3月は25〜26日、京都です。


211 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/21(火) 20:57
>179さんへ

「脳梗塞」その5

信者で、老人病棟に長年勤めている看護婦は次のように話しました。
「管長(桐山氏)は脳梗塞だ。多発性脳梗塞ではあるまいか。
自分が勤めている病院の老人にはありふれた症状だ。
管長が脳梗塞なのは調べてみるまでもない。
信者が管長の、舌を噛んだという言い訳を鵜呑みにしているのが信じられない」

当時まもなく77歳になる老人が脳梗塞になるのは驚くことではありません。
年をとれば、だれでも病気くらいします。
桐山氏もまた普通の老人と同じだということです。

1997年1月末の例祭(月一度の集まり)で40分、2月は90分の話をしました。
数ヶ月でこれだけ回復するには、リハビリに桐山氏は努力したのでしょう。
同じ年代、同じ病気の老人には模範であり、励みです。
桐山氏が普通の老人であるなら、そのとおりです。

だが、自分は普通の人間ではない、超人的能力の持ち主だと売り込み、
長年宣伝してきたのは桐山氏本人です。



212 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 21:08
>209
当時私は店主から直接聞きました。
同じ本を買ったのですが何度目かの引越しで無くなってしまいました。
今考えたらとても残念です。


213 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/21(火) 23:02
>208
>昭和49年3月に米国訪問の際、彼は始めて火の呼吸を見たのです。

そう言われてから、桐山さんの本をめくってみると、火の呼吸法が出てくるのは、
手元にある本では「密教入門」(1976年)くらいからですね。
「密教 超能力の秘密」(1972年)「念力」(1973年)あたりに出ているような
錯覚をしていました。
クンダリニーを覚醒してから火の呼吸をするのは、大学を卒業してから、
高校の勉強をするようなものです。
桐山さんはこういうのが多い。



214 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 03:32
伝法会ではずっとサトワンシンという方がクンダリーニヨーガを教えていました。
この方はヨギバジアンという先生のお弟子さんでしたが、桐山氏に乞われて指導に
来ていたのです。
過去に桐山氏は一度しかクンダリーニヨーガを指導していません。
米国から帰国した5ヶ月後に開かれた第一回伝法会がその晴れの舞台でした。
参加した方に聞いた話ですが、その時散々恥を掻いて2度と自分で教えようと
しなかったとの事です。
一度もやったことが無いのですから出来なくて当然ですが。
その様な経緯があって、サトワンシン氏は第二回伝法会(昭和50年夏)から
クンダリーニヨーガの講師として参加する事になったのです。
この話は現在日本で一人しかいないヨギバジアン先生のお弟子さんにも
以前に確認しました。




215 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 03:52
>208
>「あれは何をやっているのですか?」「どんな効果があるんですか?」
>「どうやるんですか?」ETC

これらは桐山氏が通訳の方を通して質問した内容の一部ですが、
その時桐山氏は火の呼吸を練習しても全然出来なかったそうです。
それがいつのまにかクンダリーニヨーガのグルになってしまうところが
桐山流のなせる技ですが、そんないい加減なグルにお金を払って秘伝の伝授
期待する信者はとても気の毒だと思います。
でも全く出来ないのに、よく第一回伝法会で教えようとしたものです。


216 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 04:08
「メシア出現予言集」(平河出版)
この本は聖ヨハネ、聖マラキ、ノストラダムス、ヨギバジアンの4人の聖者が
桐山氏を救世主として認めているかのような主張をしています。
その中でも特に『極めて重要な位置を占める』予言として所謂ヨギバジアン予言が
あるわけですが、そこに述べられている内容の殆どは桐山氏の創作であり、
真実ではありません。(確認済みです)
つまり密教では高野山の名を騙って権威付けをし、クンダリーニヨーガでは
世界でも第一人者であるヨギバジアン氏の名前を利用したわけです。


217 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 04:19
ヨギバジアン予言は当時の観音慈恵会の機関紙始め、桐山氏の様々な著作にも
利用されましたが、ヨギバジアン氏本人は後日その書かれた内容を知ったときに
笑いながら、「やはりね」と言ったそうです。
あきれてものも言えないという感じだったそうですが、最初に会ったときから
「彼は宗教家ではない。ビジネスマンだ。」と周囲の人達に言っていたとの事なので
別に驚いたわけではないようです。
桐山氏の本性を一度で見抜くあたりがヨギバジアン氏の優れた眼力でした。


218 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 11:01
外国でもインチキだと思われていたわけですな


219 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 11:03
>「彼は宗教家ではない。ビジネスマンだ。」

納得だね!



220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 12:07
>217
>「彼は宗教家ではない。ビジネスマンだ。」と周囲の人達に言っていたとの事なので
>別に驚いたわけではないようです。

すごい証言です。
これは通訳の人が言っていたのですか。
ヨギ・バジアン氏がこのように言っているのを聞いたのはどなたですか?
217さんは、その方から聞いたのですか?

念力の護摩もそうですが、この時代の証言は極めて少ないのです。
それでも念力の護摩は「阿含宗の研究」(廣野隆憲著)がありますが、
バジアン予言についての証言は初めてでしょう。

バジアン氏のについての「メシア出現」(いろかわちひろ著)は
「桐山靖雄・阿含密教のすべて」(伊達相平著)からの引用ですし、
この二人の著者は直接見たわけではありません。

これらの情報は「現代密教」「慈眼」に掲載されたものがすべてです。
書いたのは、高橋成道氏や、桐山氏の秘書の北崎氏です。
簡単に言ってしまえば、桐山氏とバジアン氏との対面では、
◎互いにクンダリニーの覚醒者であることを確認した。
◎バジアン氏は、桐山氏が世界的な聖者になると予言した。
というものです。
二人が聞いたというこの内容をバジアン氏が否定したことになります。

もっとも、
「非常につらいことではあるが、あなたは長命しなければならない」
というバジアン氏の予言は、脳梗塞と借金を抱え、信者減少に悩む桐山氏の
今日を言い当てているといえば、言えないことはありません。


221 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 13:02
>217
>伝法会ではずっとサトワンシンという方がクンダリーニヨーガを教えていました。

ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
桐山氏を評価していたことになります。
ところが、サトワンシン氏は確かこの一度だけで、その後の伝法会で
教えなかったのではありませんか。
辞めてしまう何か理由があったと思うのですか、経緯を知りませんか。

最初の頃の伝法会は学者や宗教家などが講義していました。
第4〜5回(1977〜8年)頃には、桐山氏だけが講義する現在の形になっています。
「宝石」などに載った桐山氏への批判記事が影響したのでしょうか。

第4回頃は、桐山氏はハタ・ヨーガを教えていました。
お得意の倒立をしてみせました。
ハタ・ヨーガを修得している人の倒立は、素人と違い、形が美しいものです。
でも、桐山氏の倒立は我流とすぐわかるような姿でした。
第5回からはハタ・ヨーガの講義はなくなりました。

桐山氏がこの後作った日本メディテーションセンターで出した
瞑想ポスターがありました。
このポスターは女性が瞑想のポーズをとっているものです。
サトワンシン氏の奥さんであるといわれています。
桐山氏はこの奥さんが着ていた服装を採用しました。
「タイスの瞑想」に合わせて踊る「ムドラー舞踏」の服装です。
桐山氏はほぼ20年ぶりに、最近、これを復活させました。
ムドラー舞踏は健康を保ち、超能力を得る秘伝なのだそうです。
「桐山王様の前で舞を踊る踊り子のようだ」
と男性信者からは評判です。


222 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 18:37
>これは通訳の人が言っていたのですか。

側近の方から聞きました。
後日サトワンシン氏も同じ事をおっしゃっていたと聞きました。
シン氏曰く「困ったものだと。」

>二人が聞いたというこの内容をバジアン氏が否定したことになります。

桐山さんのクンダリーニが覚醒しているとか、世界的な聖者であるという話ではなく、
バジアン氏は、社交辞令的に是非これからも頑張って下さい程度の発言をしただけだそうです。
あの時は、ミーティング・オン・ザ・ウェイという集まり(お祭り?)がサンフランシスコで
開かれていました。桐山さんはある方に連れられてその催事の参加メンバーの一人として
出席しました。バジアン氏は出席した先生方全部に歓迎の意をこめて同じ様なメッセージを伝えたとの事です。
遠路サンフランシスコまで来た事にたいする礼儀だと思ったのでしょう。
バジアン対談はその後にありましたが、それはバジアン氏のお弟子さんのアシュラムを桐山氏が
訪問したことで実現しました。でも実際には単なる表敬訪問のようなものでした。
ただ、桐山氏にしてみれば、はじめてクンダリーニヨーガが見られるという事で喜んでいたそうです。
この話は後日脚色され、ちょうど例のバチカン訪問・法王謁見の誇大広告と同じく宣伝に利用されました。



223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 18:49
>ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
>桐山氏を評価していたことになります。

バジアン氏は桐山氏の為に弟子を派遣したのではなく、既に日本にいた10数人の
弟子達の為に、サトワンシン氏を派遣しました。
桐山氏の為であったなら、伝法会だけでなく、毎月のようにセミナーを
開いていた筈です。
バジアン氏が後日何度か来日しても桐山氏とは一度も日本で会っていません。
これはバジアン氏の直弟子の方に確認済みです。

>ところが、サトワンシン氏は確かこの一度だけで、その後の伝法会で
>教えなかったのではありませんか。
>辞めてしまう何か理由があったと思うのですか、経緯を知りませんか。

二回は講師として参加しています。
一度目は恒例のマラソンにも参加し、確か二位だった筈です。
やめてしまった理由は、桐山氏から要請を受けなかった為です。
桐山氏の弟子が本物のクンダリーニヨーガを求めて、バジアン氏の方へ
移るのを恐れた為だと思われます。当時シン氏にはかなりのファンがいましたし、
バジアン氏の来日も続きましたので。



224 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 18:58
>このポスターは女性が瞑想のポーズをとっているものです。
>サトワンシン氏の奥さんであるといわれています。

その通りです。
座って膝に手を置き、目を開けてにこにこ微笑んでいる写真です。
しかし、この写真をめぐってサトワンシン氏は急遽平河町へ行きました。
かなり立腹していたそうですが、その理由は「騙された」というだけで
周囲にも言わなかったそうです。
実際には、写真の使用目的が約束と違っていたようです。
これ以降、両者の交流は断絶しました。


225 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 19:05
>ヨギ・バジアン氏が弟子を派遣していたとなると、少なくとも、当初は
>桐山氏を評価していたことになります。

ほとんど評価していなかったと思います。
バジアン氏が来日した時には桐山氏の弟子達が氏に相談したそうです。
千座行をやめたら因縁返しが心配だけれど大丈夫ですか、と。
それに対する答えは「心配無い」というものだったそうです。


226 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/22(水) 21:41
>217
>バジアン氏は、社交辞令的に是非これからも頑張って下さい程度の発言をしただけだそうです。

バジアン予言は、一般的な社交辞令を、桐山氏が誉め言葉と受け取って、
拡大解釈して、さらに周囲がそれにオヒレを付けただけということですね。
これは桐山氏の性格としては十分にありえます。
自分でもお世辞に弱いことを認めています。
自分の性格をよく分析しています。

バジアン氏との対面で変な点は二つあります。
一つは、バジアン氏が息も絶え絶えに、桐山氏のクンダリニーのエネルギーを
補給してもらっているような場面です。
桐山氏のほうが圧倒的にエネルギーが強い、という場面です。
もう一つは、バジアン氏は
「私の使命は終わりに近づいている」
と奇妙なことを言ったことになっていることです。それも二度で出てきます。

バジアン氏はエネルギーが不足した抜け殻で、桐山氏に世界救済の使命を
バトンタッチしたという描き方です。
バジアン氏を、桐山氏のクンダリニー覚醒の保証人にしておきながら、次には、
自分のすごさをアピールするために、バジアン氏の頭を踏み台にしています。
桐山氏はこれが得意技です。

バジアン予言が作り話であるのは、バジアン氏が日本に来ても、桐山氏とは
会おうともしなかったという事実だけで十分です。


227 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/22(水) 21:50
>179さんへ

「脳梗塞」その6

桐山氏は、5つの超人的な能力を持つと宣言していました。
その一つに「強靱な体力と卓越した精神力」をあげています。
短時間睡眠でバリバリ仕事をこなし、病気一つしない体力を持っている
というのです。
だが、77歳で脳梗塞になり、80歳の現在も病気を患っているという現実は、
彼の身体が普通の人と同じであることを証明しています。

2000年2月11日の京都の星まつり(年一度の大護摩)では、桐山氏は
総本殿から会場までゴルフで使うようなカートに乗って往復しました。
昔、桐山氏は、他の教団の大護摩で、イスに腰掛けている老人の山伏を
罵倒して、「山登りもできなくなったら、おれは引退する」と言いました。
その桐山氏が、国道1号から護摩の会場までの山伏が行進する山登りを
やめて、会場入口の少し手前から加わるようになって、しばらくたちます。
今年は総本殿と護摩の会場の間すら、自分の足では歩かなくなっています。

桐山氏の売り物であった超能力の一つが否定されました。
ただ、これは問題としてはむしろ小さいほうです。
教祖の脳梗塞は、阿含宗にとって別な重大な意味があります。



228 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 06:56
>バジアン氏が息も絶え絶えに、桐山氏のクンダリニーのエネルギーを
>補給してもらっているような場面です。
>桐山氏のほうが圧倒的にエネルギーが強い、という場面です。

バジアン氏は当時誰かが調子が悪いといいますと、エネルギー旺盛だったため
所謂シャクティパッドをどこでも気軽にやってくれたそうです。
私の知人などは空港へ見送りに行った時も、通路で立ったまま受けたといっていました。
あの時は桐山氏がエネルギーをもらったのだと思います。
バジアン氏はその後まもなく来日しましたが、元気玉が歩いているようなほど
精力的に各地を旅行され、深夜まで個人指導も沢山なさいました。
桐山氏は本来なら氏を本部か月例会へ招いて、交友関係をアピールし、スピーチの一つも
依頼したことでしょう。それをしないで北崎氏にお土産を届けさせただけで
すませたところに全ての答えがあると思います。
バジアン氏は英語がとても達者でしたので、米国での一連の「予言」が
嘘だとばれることを恐れたのだと思います。

>もう一つは、バジアン氏は
>「私の使命は終わりに近づいている」
>と奇妙なことを言ったことになっていることです。それも二度で出てきます。

バジアン氏は現在でも高齢にかかわらず定期的に合宿セミナーを開いており大変元気です。
弟子の数では桐山氏の信者数の楽に10倍以上はいます。
現在に至るまで、毎年、年に何度も海外へ指導に出掛けているのに
自分の使命が終わっているなどと言わないでしょう。
この部分も桐山氏の創作だとしか考えられません。


229 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 11:17
だから。クンダリヨーガなんかどうでもいいから、
教団はどうなると思っているんじゃい?
ヨーガに興味ある奴は今時、アゴンにゃいかないよ。
いつ頃の話?
古いなおじさん達(笑)。


230 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 11:37
>229

今後の阿含宗がどうなるかを知るためには、過去においてどうだったかを
検証する必要があるのです。
過去を無視して、現在も未来もありません。
桐山氏が過去になしたことは、現在もなしています。
桐山氏の過去と現在を結べば、自ずとのその延長に未来が見えてきます。
古いおじさんにしばらくおつきあいください。


231 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 20:45
>228
>バジアン氏は英語がとても達者でしたので、米国での一連の「予言」が
>嘘だとばれることを恐れたのだと思います。

バジアン氏が来れば、信者からはバジアン予言をもっと詳細に教えて
くれるように本人に質問が出たでしょう。
それでは嘘が全部ばれてしまう。
バジアン氏を招待しなかったように、1974年当時は桐山氏もばれることを恐れて、
用心していたのでしょう。
桐山氏にとってサトワン・シン氏が去ってくれたのも好都合です。

ところが、1988年「桐山靖雄・阿含密教のすべて」、1990年「メシア出現」と、
15年もたつと、話を蒸し返しています。
新しい信者の多くは知らないのだから、口をぬぐっていればいいのに、わざわざ
古い傷を自分から出しています。

桐山氏は、時間がたったから大丈夫だろう、と思ったのではありません。
桐山氏の求聞持脳の特性で、時間がたつと自分に都合の悪い事は忘れてしまう。
自分の失点を忘れて、得点だけ拡大して覚えているのです。
バジアン予言やバジアン氏の対面の創作内容を最も信じているのは桐山氏本人
でしょう。


232 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/23(木) 20:46
>228
>弟子の数では桐山氏の信者数の楽に10倍以上はいます。

阿含宗発表の公式信者数から出した数字でしたら、違います。
阿含宗の信者の実数から言うなら「100倍以上」といえば、ほぼ正確です。
いずれ数字の根拠をお話します。


233 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/23(木) 22:29
>179さんへ

「脳梗塞」その7

桐山氏によれば、彼が持っていた因縁は、
刑獄の因縁、ガンの因縁、強い中途挫折の因縁
となっています。

脳梗塞は彼の因縁の分類からいえば、脳障害の因縁になります。
桐山氏は、自分は脳障害の因縁があると述べたことも書いたこともありません。
また、どのような因縁を持とうが、彼は「因縁切りの大将」で、
因縁解脱を宣言していたのだから、すべての因縁が切れていたはずです。
すべての因縁が切れていたら、脳梗塞になるはずがありません。

現実には脳梗塞という老人には珍しくもない病気を患っています。
自分は因縁を透視する力がある、自分は因縁を切る力をもっている、
自分はすべての因縁を切った、と主張したのは、桐山氏自身です。
この現実を見るなら、次のような結論が出てきます。
●桐山氏は因縁を透視する力はない。
●桐山氏は因縁を切る力はない。
●桐山氏は因縁が切れていなかった。



234 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 07:23
古い信者の人に聞きましたけど、
ある時から桐山の出張に奥さんが同行するようになったんです。
そのきっかけは女性問題でした。
個人指導と称してとあるホテルで待ち合わせた桐山は
なんと予約したホテルの部屋で面接指導をやったそうです。
もちろんマンツーマンですがそいつが奥さんにバレバレとなり
こっぴどく罵られその後はひとりでの泊まりの出張は
すべて禁止となったそうです。
桐山には、色情の因縁もあったというお話でした。
以上


235 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 07:28
234の話は教団内でも知られてしまいましたが
女性信者の中には管長先生に抱かれたいとか
そんなアホが少なからずいたんです。
当時麻原も在籍していたらしいので
教祖=やり放題
ということで独立したのかもね。


236 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/24(金) 14:26
>179さんへ

「脳梗塞」その8

桐山氏は、自分は完全に因縁を切ったと宣言しています。
48〜49歳でガンになって死ぬ予定だったが、洗い出しが出て、
因縁が切れたという話を、因縁切りの実例として何度も出しています。
「洗い出し」とは、因縁が切れる時、ガンとそっくりな症状が最後に出るが、
以後、ガンにはならないというものです。
48〜49歳でガンで死ぬと予言していたのは桐山氏だけで、誰かが根拠を
確認したことではありません。
ガンの洗い出しと見る前に、心理学に精通しているという桐山氏なら、
まず自己暗示を疑ってみるべきでした。

京都に総本殿を作ったことが強い中途挫折の因縁が切れた証拠だと言いました。
自社ビルを建てたのが証拠だと言われても、宗教的な説得力がありません。
桐山氏が始めておきながら、中途挫折した例はたくさんあります。(一例169)

1990年、アメリカの警察署長の組織にお金を寄付して、勲章を
もらった理由として、
「刑獄の因縁が完全に切れたことを仏様が証明したのだ。
これで自分は完全に因縁が切れた」と述べました。
因縁を透視できる人が、仏に勲章で証明してもらわないとわからないの
でしょうか。
これは勲章をもらうための言い訳にしか聞こえません。

勲章をもらう前の1987年、桐山氏が作り、光和食品(阿含宗の系列)が
売っている密教食が薬事法違反で、各新聞に大々的に報道されました。
桐山氏は最高責任者として横浜港南警察の事情聴取を受けています。
横浜簡易裁判所から罰金二十万円の略式命令を言い渡されました。
これは刑獄の因縁が完全に切れる前の洗い出しだったのでしょうか。



237 名前: 補陀洛 投稿日: 2000/03/24(金) 18:52
230さん&ヌマエビさん>

なかなか面白い話ですね。

脳梗塞(と思われたもの)も実は脳障害の因縁の洗い出し
だった なんて言われたりして・・・(^^;。

話が逸れるが
たしか桐山氏って「1999年カルマと霊障からの脱出」とか
言う本で1999年に大変なことが起こるとか言ってたような
気がするんだけど、あの顛末ってどうなってんだろ?
信者への影響ってなかったのかな?



238 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/24(金) 20:54
>237 補陀洛さん

お見事な顛末がありました。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」は1981年に出た本ですから、
20年にも及ぶ壮大なロマンです。
一言では語り尽くせません。
あまりのすごさに感涙にむせびます。
「脳梗塞」の件が終わりしだい書きますから、楽しみにお待ちください。



239 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/24(金) 20:58
>179さんへ

「脳梗塞」その9

桐山氏は運命的な因縁よりも、心の因縁(煩悩)が切れたかすら疑問です。
桐山氏はどうしてあれほどヒステリックなのでしょうか。
自分の落ち度や誤解であっても、すぐに周囲の者をどなりつけます。(一例136)
信者には反省を説きながら、桐山氏は「瞬間湯沸かし器だ」「ちょっと気が短い」
などと自己弁護するだけです。
桐山氏のヒステリーは性格の欠点ではなく、人格の欠陥です。

桐山氏は毎年のようにたくさんの勲章や名誉を、大金を払ってもらっています。
名誉欲など解脱したはずの聖者が、どうしてあれほどの名誉をほしがるのですか。

このように、桐山氏の説く因縁論は、因縁切りの模範としている本人の
どこをとっても、成り立っていません。

では、信者の因縁切りはどうでしょうか。



240 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/24(金) 21:21
せんざ行しなさい。


241 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/25(土) 06:19
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」には近未来、
日本に核爆弾が撃ち込まれる、撃ち込んだ国もこれ
また徹底した核攻撃を受けるというホラ話がありま
したね。「1999年地球壊滅」なる与太小説では
関西電力株浜原子力発電所をモデルにしたと思わ
れる原発がテロリストの攻撃で破壊されるという、
これまたトンデモストーリーがありました。
おまけに夢オチ、自教団の宣伝と、まあ臆面もなく
あんなものを出版できたものですな。
桐山氏は鉄面皮、心臓が剛毛でボウボウ。




242 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/25(土) 13:53
>179さんへ

「脳梗塞」その10

因縁切りを教団の表看板にしている割には、信者の例は少数です。
阿含宗の系列会社である光和食品の舟○氏は、信者の前で桐山氏から
「95%因縁が切れた」と太鼓判を押されました。
因縁が切れた割には、根性が悪く、威張りたがり屋、傲慢不遜が直らない
のは、残りの5%か、それとも根性を治すサプリメントがないからでしょうか。
舟○氏は、95%切れる前の1987年、密教食の摘発で、桐山氏と同様に、
横浜簡易裁判所から罰金の略式命令を受けています。(236参照)

長年阿含宗に貢献して、理事職にいる信者は、三人導きの課行(160参照)で
もらった因縁霊視(165〜参照) に「因縁は全て切れた」と書いてあったそうです。
その後も、この信者は持病の胃腸を患い、奥さんを亡くし、苦しんでいました。

この他にも何人か桐山氏に因縁が切れたと言われた人たちがいます。
これらの人たちは、因縁が切れたと言われた事の他に、一つの共通点があります。
それは桐山氏に長年貢献し、絶対服従の人たちだということです。
桐山氏の言動にどれほど矛盾があろうが、不当に自分のメンツをつぶされようが、
信者がどれほど苦しもうが、桐山氏には決して逆らわず、礼賛を繰り返します。
桐山氏のお気に入りになると因縁は切れるようです。

信者の因縁切りの例は少ないが、切れなかった例はたくさんあります。



243 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/25(土) 20:41
>179さんへ

「脳梗塞」その11

1994年暮から1995年初頭、信者たちの間にショックが走りました。
関東別院(東京にある本部)でトップの座に君臨した先達(指導的信者)の
松○氏(60代?)、その子分だった某県の世話役の坂○氏(40代)、
阿含宗に莫大な寄進をしていた三○氏(七十数歳?)、
某道場の光和食品(阿含宗の系列)の職員(30代)が亡くなったのです。
この四人は全員がガンで亡くなりました。

松○氏は六百人の信者グループ(ファミリー)のチーフであり、
職員など彼女の鼻息で吹き飛ぶほどの権力をもっていました。
坂○氏は、松○氏の指導の元、信者たちに借金をさせるほどの
強引な数字の成果を上げて、阿含宗側から高い評価を受けていました。
桐山氏は梵行(阿含宗への貢献)で徳を積むことが最高であると説きました。
二人とも、桐山氏の言う梵行の最先端にいた信者です。

関東別院の仏が安置されている内陣の荘厳(法具や装飾)のすべては
三○氏が寄付したものだとさえいわれています。
桐山氏は、阿含宗の仏に供養して、徳を積むと因縁が切れると言います。
三○氏ほどの金の供養をしても、ガンの因縁は切れないようです。
桐山氏は、人の寿命を延ばせると法力を自慢していました。
三○氏ほどの金の供養をしても、平均寿命まですら延命できないようです。
三○氏の何千分の一も供養していない一般信者はどうなるのでしょうか。

桐山氏は常々、栄養学を説き、光和食品の高額なサプリメント
(栄養補助食品)を買うように信者に勧めています。
阿含宗の公報ともいえる「阿含宗報」は、8〜10ページのうち光和食品と
栄養学の宣伝で2〜3ページを占めています。
その宣伝の模範になる光和の職員が、若くしてガンで亡くなりました。
阿含宗も光和食品のサプリメントもガンに対しては何の効果もないことを
証明したようなものです。



244 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/25(土) 21:08
>179さんへ

「脳梗塞」その12

ガンが死亡率のトップですから、この人たちがガンで死ぬことは
不思議なことではありません。
しかし、桐山氏の因縁切りの理屈からいくと話は別です。
4人は阿含宗の中で、それぞれに模範的な立場の信者たちだった点です。

4人は、自分の命をもって桐山氏の言う因縁切りが空理空論であることを
証明したのです。

これに対して、熱心な信者たちは次のような言い訳を考えます。
「解脱供養(10万円の霊供養)を出していなかった。我(ガ)で修行していた。
言われたことをやっていなかった。徳積みが足りなかった。
お金を出すだけでは足りなく、心構えがまちがっていると因縁は切れない。
カルマが強すぎて、因縁切りが間に合わなかった」

死人に口なしで、死んだ人に責任をすべて押しつけます。
桐山氏がなぜ先達(指導的信者)である彼らを指導しなかったのか、
桐山氏の因縁論がおかしくはないか、という桐山氏への疑問には結びつきません。
そして、桐山氏が最も得意とするように、都合の悪いことは信者も忘れます。



245 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 07:43
>「解脱供養(10万円の霊供養)を出していなかった。我(ガ)で修行していた。
言われたことをやっていなかった。徳積みが足りなかった。
お金を出すだけでは足りなく、心構えがまちがっていると因縁は切れない。
カルマが強すぎて、因縁切りが間に合わなかった」

ならば何処まで頑張れば悪因縁が切れるのでしょう。

>そして、桐山氏が最も得意とするように、都合の悪いことは信者も忘れます。

忘れたい、のだと思います。尽くしてきた自分自身が惨めになるから。
そして自らの過去の判断を正当化する為にも。


246 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 07:45
>桐山氏は常々、栄養学を説き、光和食品の高額なサプリメント
>(栄養補助食品)を買うように信者に勧めています。

20年以上前から密教食を代表する健康?食品で稼いできた実績がありますから、
教団としても大事な収入源なんですね。


247 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 07:46
桐山の後継者は誰だといわれているんですか。


248 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 12:55
>247
>桐山の後継者は誰だといわれているんですか。

前は副管長をしていた桐山氏の三女であると言われていました。
阿含宗には山伏の位階というのがあります。
90年代半頃、位階の一覧表から彼女の名前が消えました。
阿含宗の外国関係の仕事ではまだ顔を出しているようです。

組織は和○事務長ががっちり握っています。
桐山氏が亡くなったら、だれか親族を管長に立てるでしょう。
象徴的な管長なら、孫を含めて候補はいます。
桐山氏の死後、阿含宗は桐山ブッダを拝む御利益宗教になります。
だから、二代目は凡庸な人のほうが都合がいいのです。



249 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 17:50
>二代目は凡庸な人のほうが都合がいいのです。

法力の無い親族が教祖となって信者がそのままいつづけるでしょうか?


250 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 19:40
>90年代半頃、位階の一覧表から彼女の名前が消えました。

どなたか消えた事情を御存知でしたら教えてください。


251 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 20:21
死にました


252 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 20:31
松○さん、そそうしでかし失脚。
ショックというてんでは。・・・いややめとこう。
あんがい知らんようですな。ワハハ・。


253 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 21:57
>死にました

死因によっては因縁解脱との関連を言われそうですが。
その点どうなんでしょうか?


254 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 21:58
秘書室長の北崎氏は随分長いですね。
余程信仰心が厚いのでしょうか?


255 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 22:43
>252
>松○さん、そそうしでかし失脚。

浄霊班のオミタマ紛失の話ですか?


256 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/27(月) 23:09
>254
>秘書室長の北崎氏は随分長いですね。
>余程信仰心が厚いのでしょうか?

卒業してすぐに観音慈恵会に就職して、あの年でどこに再就職します?
いくら東大出ても、本人は何もできないし、どこでも雇わない。
桐山さんに足蹴にされても、しがみついていれば、困らない。
ベンツの中古はもらえるし、信者からは秘書として尊敬されます。
この人、とっても強烈に陰険だから、阿含宗の水が合うはずです。
信仰心の問題ではなく、生活の問題です。



257 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 01:27
>256

北崎氏は東大だったのですか・・・
まあ、あそこにいればとりあえずいい生活が出来ますね


258 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 05:22
桐山氏・・・実は3億円の犯人です!
この資金で教団たてたのです。
私だけが知っている。
すごいだろ!


259 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/28(火) 12:04
>179さんへ

「脳梗塞」その13

桐山氏本人も信者にも、因縁切りによる運命転換がなされた例は見あたりません。
桐山氏は因縁を透視(因縁霊視)できると宣言していました。
その中身は占星術か因縁の推測(因縁診断)です(165〜参照)。
だから、桐山氏が自分の脳障害の因縁(脳梗塞)を透視できなくても当然です。
桐山氏の脳梗塞は、因縁霊視がこの程度の稚拙なものであることの証明にも
なっています。

どんな因縁があるか透視するのは、誰でしょうか?
因縁を切れたかどうか透視するのは、誰でしょうか?
すべて桐山氏だけです。
だれも客観的に評価も、比較もできないのです。
桐山氏は、自分で試験問題を作り、自分で答案を書き、自分で点数を付け、
その点数だけを公表しているにすぎません。
桐山氏のいう因縁(試験問題)がほんとうにあるのか、その因縁とはどのような
ものか(答案)、因縁がどの程度切れたのか(点数)、誰一人わからないのです。
桐山氏の作り出した阿含宗は、因縁に限らず、すべてにおいて、
外部からは客観的な評価のできない、一種のブラックボックスです。



260 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 19:17
本当ですね
よく続いているものだと感心します。
ところで例のクンダリーニヨーガの件ですが、
桐山が全くのヨガの素人ならば、求聞持法、念力の護摩、
法力その他彼の売り物が全部力の裏づけの無いものとなり、
阿含宗の魅力が根底から消え去ります。


261 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/28(火) 21:12
>260

桐山さんは「激しい思いこみ」という最大の武器をもっています。
バジアン予言のように、事実は無視して、自分に都合よい世界を作ります。
さらに都合がいいことだけ何倍にも拡大する5つの超能力をもっています。
一方で都合の悪いことはきれいに忘れる求聞持脳を持っています。
そこに信者が賛同し、礼賛すると、妄想は真実に変身します。
現実を指摘する信者はどなりつけて黙らせるか、追い出します。
このように、常人が決してやらないことをやってのける桐山さんはやはり
クンダリニーの覚醒者かもしれません。


262 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 05:28
例の教祖はボケて、
老人ホームにて今「アルプス1万尺」を
歌い続けています。
ああ今は昔!


263 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 06:30
麻原は自著で房中術つまりセックスでクンダリーニを覚醒させたといっています。
桐山はたぶん妄想だけ、つまり覚醒したと思い込んでいるだけだと思います。
ホントは二人とも単なる思い込みなのでしょうね。
麻原にしても本物だったら神秘体験の為に弟子に麻薬を投与していないでしょう。
その点、桐山は何も指導しないという『おあずけ』という究極の秘儀?で対抗しています。

バジアン氏の日本での唯一の直弟子の方がHPで書かれていますが、
オウムや桐山の体験は単なる生理的な現象に過ぎないとのことです。
なんか本来の悟りへの神秘体験ではないそうですよ。


264 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/29(水) 10:17
>179さんへ

「脳梗塞」その14

桐山氏の説いた阿含宗の特徴は、
・因縁切り
・霊障解脱
・超能力開発
の三本の柱からできています。
脳梗塞は、因縁切りがウソであることを桐山氏が身をもって証明した重大な
事件です。
教祖すらも切れない因縁なのに、信者が切れるはずがありません。
教祖自らが、自分が唱えた宗教の三本柱の一つを倒したのです。
教祖自らが、因縁切りが成り立っていないことを実証したのです。

因縁霊視の中身、桐山氏と信者の因縁切りの結果は、
桐山氏の説いた因縁論が根拠のない空中楼閣であることを示しています。



265 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/29(水) 11:19
>179さんへ

「脳梗塞」その15

桐山氏の脳の老化現象は脳梗塞の少し前にもみられました。
1996年6月に出版した「脳と心の革命瞑想」でパール瞑想を売り物にしました。
7月にはノルマを達成した信者に一万円でパール瞑想を講義しました。
午前中は前にやった講義のビデオを流しただけでした。
午後になって桐山氏の講義が始まっても、一向にパール瞑想が出てきません。
講義が終わる頃、職員が桐山氏に耳打ちしました。
それから終了までの約10分ほど、桐山氏はパール瞑想の講義をしました。

桐山氏は、自分がパール瞑想をエサに信者を集めたことすら忘れていたのです。
信者にノルマをかけ、金をとり、一日を費やさせ、「君らにこんな難しいことを
教えてもねえ」ともったいをつけ、本に書いてある事を10分程講義しました。

講義に出席するためのノルマは護摩木10万円分を買うことでした。
これを買うと、もれなくチャクラペンダントがもらえます。
講義でチャクラペンダントを使うから必要だという話でした。
しかし、講義ではまったく使わなかったし、一言の説明も出てきませんでした。
その後も、桐山氏がチャクラペンダントの使い方を講義したことはありません。
護摩木の本数を増やすための毎度の手段です。

講義に出ると瞑想用の真珠をもらえるというのが前宣伝でした。
クズ真珠なら大した値段ではありません。
しかし、桐山氏は準備することすら忘れていたのでしょう。
講義では、桐山氏は観想(空想)で真珠を受け取るように信者に言いました。
桐山氏の投げる目に見えない霊的な真珠を信者は両手で受け取りました。
存在しない真珠を桐山氏が投げ、信者が手を出して受け取るという茶番じみた
光景は、桐山氏の頭の中をそのまま表していました。

桐山氏はサービス精神のない人ではありません。
その桐山氏は信者の気持ちやいらだちすら読むことすらできなくなっていました。



266 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 11:42
>チャクラペンダント

これは人口の石みたいのを眉間のあたりにつける例のやつですか?
だとしますとひとつ面白い話があります


267 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 13:56
>266

昔のニホン・メディテーション・センターで出した人工サファイアを
つけた瞑想ペンダントと似ています。
石は人工ルビーだそうです。
おもしろい話とは、瞑想ペンダントの事ですか。



268 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 18:05
サトワンシン氏の奥さんのポスターの件ですが、あの時奥さんは桐山に言われて
そのペンダントを頭につけさせられました。
だからポスターもつけたままで撮影されています。
それがムーかなんかの雑誌に出て、ペンダントの販売に利用されようとしたので
サトワンシン氏はスグに抗議しました。
バジアン氏のクンダリーニヨーガの技法としてペンダントが必要だなどと悪用されそうに
なったからです。当初の撮影目的は全く商売性の無い説明だったそうです。
たしかセンターのオープニング・プレミアムでポスターをプレゼントするような企画
だったと思います。


269 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 18:12
つづき・・・
桐山はバジアン氏の弟子(日本人)が翻訳したマニュアルをその方から
借りました。そしてその方が何回催促しても「なくした」「置いた場所を忘れた」
とのいい訳で返却を拒否したのです。
コピーすればよいものを何故なくしたと言い張ったのかわかりませんが、
後日伝法会での最初で最後のクンダリーニヨーガ指導の内容がそのマニュアル
から抜粋されたセットでしたので、後でバレて揉めたそうです。
過去にいろいろあってのペンダント事件でしたのでさすがのシン氏もキレたのでしょう。
それ以来、完璧に没交渉となったそうです。


270 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 18:20
つづき・・・
桐山は例の人口石を金星とチャクラのバイブレーションを共鳴させる為に
使うような説明を例会や著書でもしていました。
ヨーガの技法を知らなかったのでそんなオモチャを出してきたのでしょう。
パクッたマニュアルは指導者用だったそうなので、基礎的技法の記述がなく、
それだけではとても理解できなかったため苦し紛れの瞑想ペンダントとなりました。
ただ、奥さんがペンダント販売用のポスターモデルというのでは、
ペンダントを利用した瞑想がバジアン流だと誤解を受けますので、
急遽シン氏は東京へ抗議に出向いたそうです。


271 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 20:47
そして桐山氏はカフェ・オレを「これはホワイトコーヒー
っいうんんだ!」と言ってはばかりませんでした。


272 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 21:12
桐山氏、クンダラネエヨーガのヨタ・バタヤンのマニアル
をぱくり、あたまがパタパタ、耳から煙り
インドカレーうまあ〜い
で結構キレたそうです。
例の人工肛門からカレー。


273 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/29(水) 22:16
>268
>だからポスターもつけたままで撮影されています。

たしかついていましたね。
桐山さんは、自分の都合で他人を使うことばかりで、相手の立場とか、
個人の権利なんて考えはさらさらありません。
サトワンシン氏に対しては、「おれが奥さんをモデルにしてやった。
感謝されてしかるべきだ」と桐山さんは思っていますよ。

>269
>コピーすればよいものを何故なくしたと言い張ったのかわかりませんが、

桐山さんは本人も認める程とてもズボラな人です。
渡された翻訳は、桐山さんにしてみれば、もらったのと同じです。
桐山さんの頭の中ではそのように都合良く切り替わってしまうのです。
もらった物を返そうなんてことは頭の隅にもなかったはずです。
だから、この時にはほんとうにどこに置いたか忘れていたのでしょう。
返せと言われたとき、桐山さんはムッとした顔をしたはずです。


274 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/30(木) 10:40
>179さんへ

「脳梗塞」その16

桐山氏の脳梗塞は、老化という自然現象の一貫として起こったことです。
その兆候は、ずいぶん前から見られました。
1990年代から桐山氏の本には独自性がなく、焼き直しばかりになりました。
真偽はともかく、それまでの桐山氏の本にはそこそこの独自性がありました。
脳梗塞を患った前後に出た本は、前の本からの引用がしだいに多くなります。
この時期、全4章のうち2章が前の本からの章ごと転用とか、
400頁のうち、新しく書いたのは最初の30頁だけ、などという本があります。
みっともない本は出さなければいいのですが、本人は気がつきません。
本人は前に進んでいるつもりでも、同じ所を回っているのが老化の特徴です。

桐山氏は突然脳梗塞になったのではなく、その前からはっきりと老化現象が
彼の本や行動に現れていたのです。
脳梗塞は、老化という坂にあった石につまずいたようなものです。
脳梗塞を克服しても、老化という自然の坂には逆らえません。
桐山氏は、普通の人と同じように、老化の坂を落ちつつあるのです。
坂を落ちれば落ちるほど、桐山氏の説いた阿含宗の3本の柱(264)が成り立って
いないことを、自ら証明してくれるでしょう。

桐山氏が脳梗塞になったのは老化だけが原因ではありません。



275 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/30(木) 11:02
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その1

桐山氏が脳梗塞になっても不思議ではありません。
77歳の老人であった点、そして、彼の生活ぶりです。
たいへんな夜型の人間です。
明け方まで起きていることも珍しくないと本人が書いています。

もう一つは食事です。
桐山氏は美食家で、ホテル・オークラは彼の食堂です。
店での料理は塩分や油分が多く、血管に悪い影響を与えます。
クンダリニーを覚醒して、身体を自由にコントロールできるという割には、
桐山氏は腹に脂肪がついています。
そのことを暗に指摘されると、「少し太っているほうが体力が維持できる」
と自己弁護していました。

桐山氏が関東別院(東京の本部)で、ビールを飲んで、フラフラになって
いるのをある職員がたまたま目撃しました。
この職員は驚いて、このことを周囲に話したために、クビになりました。
自然のサイクルを無視した生活と、美食と、酒を飲むような不節制をしていれば、
脳や身体が壊れるのは当たり前です。



276 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/30(木) 22:15
もっともですね


277 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/31(金) 10:34
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その2

食事については、桐山氏は気の毒な面があるかもしれません。
30代半ばで家を出てしまい、以後、家庭の味がありません。

関東別院(東京の本部)に、家庭料理の上手な信者がいました。
桐山氏は自分の料理人になってくれるように依頼しました。
この信者は自分の家庭があるので、断りました。
桐山氏の依頼を断ったことが引き金となり、この信者は様々な意地悪にあい、
阿含宗をやめました。

この信者の子供は法務部(専属の僧侶)で僧侶をしています。
桐山氏の行く先々で、この僧侶は桐山氏の目に触れないように、排除されます。



278 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/03/31(金) 10:59
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その3

美食と同時に、桐山氏の食事の偏りを指摘する声もあります。
桐山氏は昔、玄米菜食主義を主張していました。
「変身の原理」「密教占星術T」では肉食の弊害を説いています。
当時の信者の、肉食をし、酒を飲んでいたという目撃談もありますから、
本当に桐山氏が玄米菜食を守っていたかどうかはわかりません。

1986年頃、突然、彼は方向転換し、肉食の必要性を認めます。
同時に、サプリメント(栄養補助食品)を重視します。
方向転換したとき、すでに桐山氏は66歳です。
若い頃からの長年の偏食が身体に重大な影響を与えていたのでしょう。



279 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 16:58
桐山氏は70


280 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 17:11
何度かこの掲示板にのった情報ですが、正確な資料です、
「偽ビール事件」は昭和28年8/17の毎日、朝日新聞の夕刊に載っています。桐山氏(本名/堤真寿雄)32才の時です。昭和35年、桐山氏39才の時、習志野刑務所に約1年間、服役しました。
控訴したために刑(酒税法違反・私文書偽造の罪)が確定するまで、時間がかかりました。
「求聞持聡明法秘伝」(平河出版)の中で桐山氏は27才の時に酒税法違反で1年間、刑獄の人となったと書いていますが、ウソをついた理由は、若気のあやまちと言いたいことと、昭和29年、33才の時に横浜で観音慈恵会をはじめていたからです。刑務所に入るとき、信者にはご霊示により修業に出るとウソをついていました。(当時の機関紙「慈恵」より)
いまだにおんなじ様な手口のサギををやってると、思いませんか?
また、彼は17〜20代初めまで結核で自殺を考えるほど苦しんだ、と言ったり、書いたりしていますが、「霊障を解く」には18、9才の学生の頃、山登りが好きでロッククライミングをやっていた。夏休みには軽井沢に行って勉強していたと書いてあります。彼のデタラメと見えっ張りな性格がモロに出ていて笑えます。
他の資料もそのうちに、投稿します。


281 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 18:17
桐山さんの逮捕歴に関する詳しい資料はありませんか。


282 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 21:56
●ニセビールの前年、昭和27年8/26 詐欺、契約違反で西新井署に、
同年12/2手形詐欺で千葉県松戸署に逮捕されていますが具体的な内容は不明です。
上記の情報は元信者 広野隆憲さんの著書「阿含密教の研究・桐山密教の内実」
東方出版1992年初版にのっています。
(桐山氏の経歴がかなり詳しく書いてあるコッテリした告発本です。)

最近の事件は知りませんが、他に
●昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です。

●昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。

●平成3年12/20 朝日新聞(朝刊)に「米州長官に現金」
勲章好きの桐山氏がアメリカの警察署長協会に寄付をしてメダルかなんかを貰ったお礼に
役員夫妻5名を日本に招待し土産として現金各々40万〜160万を贈ったものです。
一行のリーダー、バージニア州サザード公安長官はお金は返したのに辞表を出したそうです。可哀相に・・・
他にも、日本人の大物でとばっちりを食った人がいます。
この事件はアメリカからの告発で、バージニア州検察局が捜査中とのことでしたが、
どうなったか知りません。知っている人がいたら教えてください。
桐山氏は例祭でニュースを配信した共同通信を ’訴えてやる!’と怒っていました。
(ダチョウのネタは桐山氏からパクったんですね。)
とりあえず、こんなところですが、桐山氏と阿含宗の体質がわかると思います。


283 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 23:20
和田女史が愛人だって?
和田氏観た事あんのか、あんた
愛人になるような玉か、あいつは
ヤクザとはりあうような女だぜ!
桐山氏でも手にあまるわ!
馬鹿いってんじゃねえ!


284 名前: >277 投稿日: 2000/03/31(金) 23:30
>この信者の子供は・・僧侶をしています。
なんで、親がひどい目にあっているのに
僧侶してんだ!
おかしいじゃないか!
やめるぞふつう。



285 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/03/31(金) 23:45
ジジイのくせにアゴンの教祖という激務を
こなせば病気ぐらいになるべや。
むしろ、まだ現役で引退せずに
いまだ、これだけの関心をよび批判されるというのは
すごい人だと思うね!
良くわかったよ、AGONNの体質
桐山氏より後継者が心配だ。
いまだ、桐山氏あってのAGONN宗なんだもんな!
桐山氏いなけりゃ、あんたがたもアゴンなんか
はなにもかけんだろう。
ただもんじゃないぜ!桐山。


286 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 07:14
麻原、高橋、福永あたりと体質的?には余り違わんでしょう。
たしかに「ただもんじゃないぜ!」ということですな。



287 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 07:19
宗教=宗教産業=集金産業=組織昇進や功徳という有形無形の利益を与えるマルチシステム

原価50円の板切れを10万円で売る霊感商法
どっかの壷の方がずっと利益率が低いね

宗教とはもともと詐欺的な要素が強いんだよ


288 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 07:21
宗教家と詐欺師はまさに紙一重 否 同じかもね!!!


289 名前: >288 投稿日: 2000/04/01(土) 10:04
新興宗教の宗教家が主に批判されるけど、
伝統宗教の坊さんも、なかなか凄いぞ!
かえって伝統あるだけに始末が悪い。
ひでえもんだ!


290 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 20:47
>282
>阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です

詳しい資料をありがとうございます。
関連企業といえば、
・阿含宗出版社
・平河出版
・光和食品
・三田エージンシー(前は平河エージンシー?)
・日本宗教放送(とか言う会社)
などがあります。他にも、福祉法人として、
・同仁病院
・何とかいう老人ホーム
実際にこれらの組織に、桐山さんの身内の誰が役員になっているのかご存じですか。



291 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 20:48
>283
>ヤクザとはりあうような女だぜ!

ヤクザとはりあったのですか?
ぜひ、そのあたり経緯を聞かせてください。


292 名前: 年表 投稿日: 2000/04/01(土) 22:04
1921年、大正10年
1月5日横浜市神奈川区に弟二
人、妹一人の四人兄弟の長男として
生まれる。本籍は長野県南佐久郡前
山村628番地・本名は堤真寿雄、<桐
山>は母方の姓であるという
4月20日本日誕生として出生届

1923年、大正12年(2歳)
このころ横浜から東京の下町、本所
(江東区)に転居。数年後、千葉県流
山に移転。

1928年、昭和3年(7歳)
4月千葉県流山町(現流山市)小学
校入学。
【現世成仏】には「父は小学校入学前、
陸軍糧秣廠の御用商人」とあるが、
例祭法話では、「軍装品の商売をして
いた」とも聞く。
近所の人の話では「桐山氏の小学校
時代の父は焼酎工場の労働者、廃品
回収、焼芋屋等職を転々とし、桐山
氏自身も納豆売りをしていた」とい
う。

廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より


293 名前: 年表 投稿日: 2000/04/01(土) 22:07
1934年、昭和9年(13歳)
4月高等小学校入学。
【現世成仏】におおよそ「家計が苦しい
為、県立中学の受験を断念し、東京
へ出て神田三崎町の大成中学校に入
学した」と記しているが、県立より
学費のかかる私立に入学したことは
謎である。また、同書には住居につ
いて一切触れていない。13,4歳の
少年が初めは単身で下宿、通学した
ことになるが、実際に出来るだろう
か、疑問が残る。

1936年、昭和11年(15歳)
3月高等小学校卒業〔桐山大僧正猊下略年譜〕。
この年、普及社(出版社)に入社【現
世成仏】。
廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より


294 名前: 年表 投稿日: 2000/04/01(土) 22:10
1938年、昭和13年(17歳)
後年書いた〔履歴書(1)〕には同年「3
月・東京府立第四中学校卒業」とあ
るが、【現世成仏】には「府立四中の夜間
部への入学は断念した」と書く。ま
た「4月・早稲田大学第一学院入学」
とも記しているが、「この学校名では
存在しない」と「密教宝庫を開く」にあり、
〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜
〕では「真赤な嘘」と記載してあ
る。

1939〜1940年、昭和14年〜15年(18歳〜19歳)
喀血後、東京の順天堂大学病院で「重
症である、絶対安静」を申し渡され
てから、半年白宅療養をした後、千
葉県・上総湊の鳩山病院へ入院【現
世成仏】。
廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より



295 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 22:26
1940〜1941年、昭和15年〜16年(19歳〜20歳)
千葉県・上総湊の鳩山病院に入院中?【現世成仏】を取意要約すると「入
院3月後に病院から2キロ先の海岸を歩いていたら嶋山院長に会った。
院長がびっくりするほど回復した」。そして、綴密なスケジューノレをつく
って忍耐づよくやったのが「その後の生き方に大きな影響を与えている」
と書いているにもかかわらず、【変身原理】(要約)には、「昭和16年。大東亜
戦争が勃発した年である。この年、私は徴兵検査をうけた。丙種であっ
た。その当時、肺結核の第二期であった。その上、結核性の痔療を病み、
結核性のカリエスになりかかっていた。戦争中、病気はさらに悪化して、
末期の症状をていしていた。かろうじて、生きて終戦をむかえた」と相
反する記述をしている。これに関して〔月刊宝石〕には「彼を知る人で、そ
の重症結核の事実を知る人はいない」と述べられてある。

1941年、昭和16年(20歳)
このころは前記、上総湊の鳩山病院に入院中のはずだが、〔履歴書(1)〕に
は「早大国文科入学」と記入している。また【現世成仏】に今度は「日本大
学芸術科学園文学部創作科入学」と記す。〔ママ!生んで欲しかった!!〕を要約すると「芸術学部(芸術科学園)は昭和21年に火災、
昭和42年の日大闘争で書類が一部離散、そこに着目した桐山師はさすが
だが、大学側では本確的調査の結果、桐山靖雄および堤真寿雄なる人物の
入学した事実はないという結論に達している」。この日大入学が真実なら
ば、〔履歴書(1)〕に「早大入学」と書く必要はない。また「体力章検定を
受けて上級合格」と【現世成仏】にあるが、この年、徴兵検査を受けて丙種
合格の重症の肺結核患者としては考えられない。

廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より


296 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/01(土) 22:29
1945年、昭和20年(24歳)
このころ、後に結婚する女性(渡辺たち)と交際していた【現世成仏】。

1946年、昭和21年(25歳)
歯科医師・渡辺たちと結婚、長女堤真智子出生。肺結核療養中の出来事
になる〔【現世成仏】、桐山靖雄大僧正猊下略年譜〕。
戦後の国民総闇屋時代。桐山氏は「製粉・精米機の販売を始め、戦争中の
父の借金を一年少々で返した」【現世成仏】。

1947年、昭和22年(26歳)
2月3日渡辺たち(24歳)との婚姻届提出〔桐山大僧正猊下略年譜〕。
【現世成仏】によれば、水産加工物の販売に手を出して大失敗をした。いま
でいえば億単位の借財を負った為、総てのものを債権者に譲り渡し、返
済に当て裸同然になったと述べているが、巨億の負債に見合う担保財産
があったのだろうか。また、重症の結核病後の患者に東京と三陸を股に
かけての闇屋が勤まるのか理解に苦しむ。25,6歳のことであるという。

1950年、昭和25年(29歳)
7月5日二女孝子誕生〔桐山大僧正猊下略年譜〕。

1950〜1951年、昭和25〜26年ごろ(29歳〜30歳)
金岡秀友氏との対談では信仰で病が治り、大成功し、借金も返済し、金
が余ったという〔桐山大僧正猊下略年譜〕。
9月15日ごろ、流山の自宅で私文書を偽造〔判決文〕。

廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より



297 名前: 年表 投稿日: 2000/04/01(土) 22:32
1952年、昭和27年(31歳)
8月16日詐欺容疑、契約違反の疑いで逮捕され、警視庁西新井署に
取調べられる〔桐山大僧正猊下略年譜〕。12月2日手形詐欺容疑で逮捕
/桐山靖雄大僧正猊下略年譜〕。

1953年、昭和28年(32歳)
7月3日三女寿美子誕生〔桐山大僧正猊下略年譜〕。
8月16日酒税法違反、私文書偽造容疑で警視庁防犯課に逮捕、取調
べられる。この事件は「ニセビーノレー味捕まる」の見出しで昭和28年8
月17日の毎日新聞夕刊に大きく報道された〔月刊宝石〕。
これを【現世成仏】には「刑獄の因縁であった」と書いている。

1954年、昭和29年(33歳)
3月15日酒税法違反、私文書偽造に対する第一審判決下る。「懲役一一
年六月及罰金5万円」〔判決文〕。5月24日入所〔桐山大僧正猊下略年譜〕。
8月〜9月横法・生麦の裏長屋を一軒借りて観音慈恵会を発足した
【現世成仏】。
10月7日東示高裁で酒税法違反と私文書偽造により有罪判決を受け
る〔宗教を現代に問う〕。

1955年、昭和30年(34歳)
1月7日塩田氏の中華料理店の二階で「観音慈恵会」発足【現世成仏】。
10月5日姫路市本覚寺に於いて北野恵宝氏から得度を受けた〔履歴
書(2)〕。

廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より



298 名前: 年表1956-1959 投稿日: 2000/04/01(土) 22:35
1956年、昭和31年(35歳)
1月3日京都・養源院で同院の信徒代表、後に観音慈恵会、阿台宗
の理事になった故吉岡与三郎氏、後に関西本部長になった故中島啓二氏
など有志二、三名で京都道場が誕生〔【現世成仏】、大白身〕。

1957年、昭和32年(36歳)
1月1日『幸福への原理』出版(印刷人・三木康敬)。
このころ、道場を大田区調布千鳥町から東京都港区芝田村町鈴木方に移
転〔元信者の証言〕。

1958年、昭和33年(37歳)
年末から年始にかけて港区芝田村町から渋谷区神南町へ道場移転〔元信
者証言〕。【現世成仏】に記述した「田村町には三、四年いた」は桐山氏の記
憶違いか

1959年、昭和34年(38歳)
3月8日『準砥観世音と観音慈恵会』発行。奥付には、発行日の他
「発行所観音慈恵会、東京道場・港区芝田村町五ノ十九、京都本山・東
山区三十三問堂前養源院」、大阪道場は「東成区大今里南之町三ノ五○」
と記してある〔準胝観世界と観音慈恵会〕。22日千座行説明会行われる。この
時点では未完成の為、簡易法典を使用。和讃はまだない〔元信者Cさん
の日記及び証言〕。
4月名古屋の布教開始。支部支所を同市中区南辰巳町の共中印刷(株)
に置く〔月刊アーガマ「東海本部の歴史」(東海本部長・奥村敏雄氏記述)
及び慈眼奥付〕。7月1日『慈恵』号外発行。
小冊子『準砥観世音と観音慈恵会』(和讃付)の広告掲載あり。
15日『準砥尊下座行法典』初めて刊行される。編集者・桐山靖雄。発
行所・観音慈恵会〕。
11月1日『和讃』初版発行〔元町含宗信者複数の証言、準胝尊千座行和讃、法友〕。
廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より


299 名前: 年表1960-1964 投稿日: 2000/04/01(土) 22:40
1960年、昭和35年(39歳)
2月真言宗金剛院派得度加行と〔履歴書(1)〕に書く。
5月28日〔判決文〕に関して上告中のところ、実刑判決が下り、千葉
県習志野刑務所へ極秘に入所。前日の27日付で機関紙『慈恵』第8号(昭
和35年6月13日発行)に「行に立つの記」を掲載〔桐山靖雄大僧正猊下
略年譜、密教宝庫を開く、元信者の証言〕。

1961年、昭和36年(40歳)
5月18日仮出所。保護観察中。
同年11月27日刑期終了〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜、密教宝庫を開く、
資18、元信者の証言〕。
この年、四度加行、学識灌頂、講義講式を受けた〔履歴書(1)〕。
《求聞持法》を修行したのは【密教入門】によると、
このころを中心として前後のことになる。

1962年、昭和37年(41歳)
1月名古屋支部例祭会場変更。ABC会館から共生印刷東田寮に移り、
以後6年余り定着〔月刊アーガマ、慈眼〕。6月24日千座行第一期牛の行満
証書授与式(東京・渋谷)〔元信者Cさん日記および証言〕。

1963年、昭和38年(42歳)
10月京都道場移転〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜4〕。養源院
に近い天台宗方広寺境内に道場を移す〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜5〕。

1964年、昭和39年(43歳)
4月〜7月この問に観音慈恵会創、立以来の塚田康人氏の送別会あり。
離脱の真相及びその後の消息不明〔元信者Cさん証言、桐山靖雄大
僧正猊下略年譜6〕。6月14日関西本部道場(方広寺境内)落慶法要〔大白身、
桐山靖雄大僧正猊下略年譜6〕。
10月5日教団内刊行物・機関誌『大白身』創刊号・第一号発行〔大白身〕。


300 名前: 年表1965-1967 投稿日: 2000/04/01(土) 22:45
1965年、昭和40年(44歳)
初春青年部結成の予告〔大白身〕。1月25日『大白身』新春号(第
2号)発行〔大白身〕。4月1日道場移転。渋谷区神南
町21から世田谷区祖師谷2-602-16へ。
18日世田谷道場で遷座祭行われる〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜8〕。
5月10日伝法灌頂を受けたと/履歴書(2)〕に記す。
10月18日19日北陸動橋巡教。北陸本部事実上の開設
〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜、桐山靖雄大僧正猊下略年譜〕。

1966年、昭和41年(45歳)
5月15日小冊子『大白身法・千座行教典』発行。

1967年、昭和42年(46歳)
1月7日関西本部道場増築竣工式行われる〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜、
密教宝庫を開く〕。
29日例祭(東京)この口、護身法(照真秘流)初めて伝授される〔密教宝庫を開く2〕。
3月15日『大白身』第3号、二年ニカ月振りに発行〔桐山靖雄大僧正猊
下略年譜〕。
4月高野山・密厳院で大橋覚阿教学部長(当時)に会う。北野氏仲介か
〔密教宝庫を開く9、桐山靖雄大僧正猊下略年譜24〕。
6月17日比叡山団参を行う。関西本部主催。伝教大師千百五十年大
遠忌奉讃。総勢375名〔慈眼〕。
10月11日〜13日姫路本覚寺で「北野恵宝氏より般若理趣経の大奥
秘伝等を受法」〔慈眼〕。

(廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より)



301 名前: 年表1968-1969 投稿日: 2000/04/01(土) 22:52
1968年、昭和43年(47歳)
1月13日桐山氏と北野氏、高野山で大橋覚阿師他と会い、4月の高
野山団参の打ち合せをする〔慈眼〕。
3月関西本部道場に専修学院の実習、信者の各種講習の教室を増築/慈眼
4月6日7日、高野山団参〔慈眼〕。
6月名古屋支部の道場建設用地を購入〔大白身〕。
このころ、関西本部に大高酵素を使用した酵素風呂(イオンバス)が完
成し、営業が行われる〔大白身〕。
11月27日北陸支部の落成式が行われる。土地1000平方米、建坪260平
方米〔大白身〕。

1969年、昭和44年(48歳)
3月10日『大白身』第4号発行/大白身〕。
4月1日東京本部道場移転入仏式を行う。世田谷区祖師谷から、都
心の千代田区平河町2-15に道場移る〔大白身〕。
8月北陸道場、宗教法人・大日山金剛華寺観音慈恵会とする。京都道
場はこの後に宗教法人となる〔阿含宗 世界平和への道〕。

(廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より)



302 名前: 年表1970-1971年 投稿日: 2000/04/01(土) 22:55
1970年、昭和45年(49歳)
1月3日〜5日関西本部京都道場で初めての<念力の護摩〉を焚く〔大白身〕。
7日北陸本部道場で初めての<念力の護摩〉を焚く。初代北陸本部長
○氏は、トリックを見破る。
4月15日『大白身』第5号を法力護摩特集(護摩号)として発行。
18日静岡県富士山麓、、天母台のアギロギ教苑所有地に於いて、世界平
和、国土安泰、信者の息災増益、因縁解脱の柴燈護摩・世界平和祈願護
摩供・第1回を焚く。添え護摩本数・10万本〔阿含宗 世界平和への道〕。
8月1日夏期伝法会開催〔秘流奥義初伝印可〕。
この月、東京都文京区音羽の護国寺に於ける、小田慈身大僧正の金剛頂
経講伝受講。講義途中で未入壇の疑いにより帰された
〔桐山靖雄大僧正猊下略年譜,3、履歴2)〕。
この年、法力護摩講結成する。規約を設け桐山氏が総裁となる〔聖火、
慈恵会・法力護摩〕。これより水子供養の為に<愛の托発運動〉が始まる
/ママ!生んで欲しかった!!〕。

1971年、昭和46年(50歳)
1月10日北陸本部道場で初護摩が焚かれる。
6月〜7月北陸本部道場での大祭燈護摩始まる。ここでの護摩は昭和
49年まで〔阿含宗 世界平和への道〕。
9月19日名古屋道場落慶式行われる(第一次建築・五年後に第二次
建築)。於・同市緑区大高町北横峰。約300坪弱。建設費2千7百万円/資
12、慈眼、大白身、大白身1〕。
この後、桐山氏の最大の協力者、事実上の名古屋支部初代支部長Z氏、
夢破れて失意の内に去る〔元信者数名の証言〕。
10月25日『変身の原理』出版。桐山氏2番目の著書。
出版直前の全信者数・約3千名〔慈恵会会報〕。
12月株式会社平河出版社設立・千代田区隼町3-2・資本金100万円・
代表取締役堤たち(桐山氏夫人)・取締役堤寿美子(三女)他・専務
取締役森重樹(長女の夫)/大白身3、噂の真相〕。


303 名前: 年表1972-1973 投稿日: 2000/04/01(土) 23:08
1972年、昭和47年(51歳)
3月5日初代関西本部長・中島啓二氏脱退。3月を過ぎて間もなく、
初代北陸本部長・O氏も脱退。7月5日『密教一超能力の秘密』刊行(平河出版社)。
8月6日7日大峰山密教トレーニング行われる〔大白身5〕。
31日『中外日報』は"現代に復活する密教"と題して、桐山氏と高野山
大学教授宮坂宥勝氏との対談を掲載。司会は同社記者・土口哲光氏〔中外日報〕。
9月3日〜6日種智院大学教授・山崎泰廣師は中外日報の
"桐山靖雄『密教』の原型は拙論に''の中で「桐山氏の『密教』は私の論文
を骨子にして書いたもの」と述べる/大白身〕。23日これに対して桐山氏は
、同じ『中外日報』に同月30日まで6回に亘って盗用を否定、「ヒマラヤ
に道場を建立して大聖者をお迎えするのが夢だ」、と小事にこだわっては
いられないと『わが夢ははるか大雪山のかなたに』を寄稿〔大白身〕。
11月関西本部事務長・武藤由造氏中島氏を追って脱退。
この年、密教食を売出す〔大白身〕。

1973年、昭和48年(52歳)
4月16日桐山グループ・光和食品且ミ長堤たち・資本金三千万
円・東京平河町に設立。後に青山に移り、現在、東京都千代田区隼町3
-2〔大白身〕。
25日『念力一超能力を身につける九つの方法』刊行(徳聞書店)。
28日東京道場(千代田区平河町)で改築落成式の前夜祭に<念力の護摩〉
を公開。失敗。翌29日も失敗した。
5月6日7日第2回高野山団参を行う。高野山への団参はこれが最
後となった。
7月20日『密教占星術1一運命とはなにか』出版(平河出版社)。

(廣野隆憲「阿含宗の研究 桐山密教の研究」より)


304 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/02(日) 14:00
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その4

サプリメント(栄養補助食品)の過剰摂取の指摘もあります。
桐山氏は、自分の身体を実験台にして大量摂取していることを自慢していました。
阿含宗カルフォルニア道場の職員に、アメリカのサプリメントを直接
送らせていました。
桐山氏は科学コンプレックスがあります。
研究者の成果を鵜呑みにして、最新の栄養学の知識を自慢します。
桐山氏は良いと言われるサプリメントを大量に摂取していました。
過剰な摂取分の分解には肝臓などに大きな負担をかけます。
桐山氏のような老人の肝臓などは弱っていますから、なおさらです。
過剰な栄養素の摂取が身体にどんな影響があるかは、科学的にもまだ
十分にはわかっていません。
しかし、桐山氏の結果を見れば、逆効果であった可能性が高いでしょう。



305 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/02(日) 14:25
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その5

桐山氏の栄養学の目的は二つあります。
・自分の食生活の言い訳
・光和食品(阿含宗系列)がもうけるため

煩悩をすべて断ち切ったはずの桐山氏は食欲という本能が押さえられません。
その言い訳に、桐山氏は
「おれは人の三倍食べて、五倍働く」
桐山氏の栄養学は、おいしい物を好きなだけ食べて、サプリメントで健康を
保つというものです。
自分の食欲はおもむくままにして、サプリメントでごまかすのです。
桐山氏は、
「錠剤を飲めば栄養がとれて、後は何を食べてもいいような時代が来る」
と、あたかも未来予測であるかのように言いました。
これも、自分はサプリメントを取っているから、何を食べてもいいのだという、
食欲と美食への言い訳にすぎません。

幸い、桐山氏の栄養学をそのまま実行するのは普通の信者には無理です。
自分の身体を壊すほど飲む前に、光和食品で財布を壊すからです。



306 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 18:06
むかし密教食のボロ儲けで光和食品を事業の柱の一つにしてきたけど
言ってみればバチが当たったみたいなもの。
最近の本なんか自分ちのサプリメントの宣伝ばかり。
嗚呼、情けなや!


307 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 18:08
年表ご苦労様です
桐山の手口がよくわかります


308 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 21:06
>この月、東京都文京区音羽の護国寺に於ける、小田慈身大僧正の金剛頂
>経講伝受講。講義途中で未入壇の疑いにより帰された

つまり偽物ということでしょ。
ニセ坊主がなぜ大僧正なのでしょうか?


309 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 21:41
「小田慈身大僧正」→「小田慈舟大僧正」
です。
OCRが安物なので、読みとりまちがいがあります。
ご容赦ください。


310 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 21:52
桐山は詐欺師ではない。
詐欺師はひとを故意に騙している自覚のあるもの。
桐山は自分の嘘が5分もしないうちにホントだと思いこんでしまう為、
本人にしてみれば全てがいたって本気なのだ。
ここが問題だね。


311 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/02(日) 23:09
この分析は正しい。



312 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/03(月) 04:41
もしも奴が一流の詐欺師ならもっとバレない嘘をつくよ。
物忘れと思いこみが超・超一流なの!
求聞持脳ってそういうものなの?


313 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/03(月) 11:24
>179さんへ

「なぜ脳梗塞になったか」その6

桐山氏の短時間睡眠も脳に悪影響があったと考えられます。
桐山氏は超人的能力の一つとして短時間睡眠をあげていました。
桐山氏は他人を踏み台にして自分のすごさをアピールするのが好きです。
桐山氏は「八時間も寝る奴はバカだ」と述べたことがあります。
桐山氏は「一日八時間睡眠には科学的根拠がない」と話しています。
根拠はあります。
一日八時間の睡眠をとっている人が最も長生きするという調査があります。
長年の短時間睡眠による脳や身体への影響が蓄積され、脳梗塞や体調不良を
引き起こした可能性があります。

以上のように、桐山氏の脳梗塞は、因縁、霊障、超能力をもってこなくても
説明がつきます。
桐山氏は病気になっても何の不思議もない生活を長年続けているのです。
桐山氏がこれまで病気をあまりしなかったのは、若い頃、結核を患ったことを
除けば、元々身体が丈夫だったからでしょう。



314 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/03(月) 11:33
>237 補陀洛さん

長らく、お待たせしました。
次から、20年に渡る壮大な物語「一九九九年七の月」の始まりです。



315 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/03(月) 17:01
>ヤクザとはりあう女だぜ!

古い信者の間では有名な話です。廣野隆憲さんの本にも載っています。
出世が早く、権力を持つようになったのは桐山氏が弱みをにぎられているからだ
とのウワサでした。
私は関西ではなかったので会ったことはありません。(10年ほど前に辞めましたが)
京都の火祭りでも表面に出てくることはありませんでした。
阿含宗の中心人物の一人であることは確かです。
やくざとのはりあいを含めて現在の様子を教えてください。


316 名前: 補陀洛 投稿日: 2000/04/03(月) 18:15
>314さん
いよいよですか。o(^-^)oワクワク

桐山氏は私が10年前に引っ越してから目にすることが
ほとんど無くなったんのだが、1年ほど前にたまたま宗報(?)か
なんかで写真を見たときひどく老けて見えたのでびっくりした
記憶がある。その間に脳梗塞を患っていたんですね。
(もちろん年月による老いも有ると思いますが)

あんまり書く間が無いので走り書きですが
ちょっと思うのは、あそこでやってることって、
神秘色(超能力、因縁、予言、霊障 等)を除いて
やってることを精神のトレーニング(=瞑想や観想)と
肉体のトレーニング(ヨガ、呼吸法、栄養学)と思えば
個々にはいい能力開発(自己啓発)手段と思うのだが・・・
惜しいなあって感じ〜。

例えば、サプリメントも叩かれてるけど、
あれに限っては栄養学的に中身がはっきりしているんだから、
適量摂取すれば、悪いもんでは無いような気もするだが・・・
(微量栄養素がいろいろ入っているんでしょ?)

宗教的な意味を考えずに、単に自然素材のビタミン剤と割り切って使うならば、
一人暮しとかで栄養が片寄りがちな社会人とかにはそれなりに効果がありそうな
気もするけどいかがなものでしょ?

値段について相場と比べて高いか低いかは良く知らないが、
よく薬や健康食品の宣伝にある「一日わずかコーヒー一杯分のお値段!」
ぐらいの範囲に収まってないのかな?

あと何かの座右の本には自己実現の方法(実現したいことを書き出して
毎日読むとか)が載っていた気がするのだが、手法そのものはビジネス書
の棚にある本(マーフィーの成功法則とか)にも載っているし、
観想というのも一種のイメージトレーニングみたいな感じですしね〜。

なんか脈絡無くなったが時間が無いのでこのへんで。



317 名前: 織田無用 投稿日: 2000/04/04(火) 02:56
桐山氏って、要は商売人なんだよ。
あれこれ言っても、という感じだな!
いくら貶そうとも彼は確信犯だから
涼しい顔して、また商売はじめるよ。
それはそれで面白ければ俺はいいと思っているが
最近、つまらないんだよね。


318 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/04(火) 03:00
>最近、つまらないんだよね。

そうなんですよ


319 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/04(火) 03:06
ネタぎれだね。


320 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/04(火) 10:08
>237 補陀洛さん

「一九九九年七の月」1 インドから始まった

桐山氏が世紀末破壊を本格的に書いたのは、1981年の「一九九九年カルマ
と霊障からの脱出」です。
この本を要約するなら、次のようになります。

1980年、桐山氏はインドの祇園精舎の「ミラクルの池」で、釈迦から
「白銀のバイブレーション」によるメッセージを受けた。
それによれば、世紀末に霊障(霊的祟り)による地球的破壊がおきる。
このことはノストラダムスの予言とも一致する。
世紀末の破壊のとき、人類を救うためにアンゴルモアの大王がよみがえる。
アンゴルモアの大王とは、霊障を除去する釈迦、あるいは釈迦の成仏法である。
地球壊滅のとき、桐山氏は再び祇園精舎に来て、釈迦を日本に移す。
桐山氏はアンゴルモアの大王をよみがえらせ、地球壊滅から人類を救済する。

桐山氏は、釈迦からテレパシーでの世紀末の地球壊滅を教えられ、人類救済の
使命を負わされたという話です。



321 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/04(火) 10:30

「一九九九年七の月」2 ミラクルの池

この本の中の見せ場は、釈迦からの「白銀のバイブレーション」です。
桐山氏はこれを祇園精舎にある「ミラクルの池」から受けたとあります。
桐山氏によれば、ミラクルの池とは、昔、釈迦が空中を浮遊し、池の上に降り
立ったとき、身体の半々が火と水になって奇跡を示した場所です。

1981年初護摩(正月の護摩)で詠んだ4つの和歌うち2つにミラクルの池が
出てくるように、ミラクルの池は重要なキーワードでした。
2500年前に奇跡を行った釈迦が、そのミラクルの池に桐山氏宛てに残した、
人類救済のための白銀のバイブレーションという組み合わせは、信者たちに
深い感動を与えました。
指導者である桐山氏が釈迦から直接、人類救済者に任命されたのです。
この後、阿含宗は爆発的な布教活動を開始します。(114参照)
布教の起爆剤こそがミラクルの池と白銀のバイブレーションの話です。

桐山氏は、祇園精舎の中にミラクルの池があると紹介しています。
祇園精舎を案内したのは、祇園精舎の入り口に建つスリランカ寺の初代管長です。
桐山氏の指さす場所を初代管長が「ミラクルの池です」と言ったと書いています。
スリランカ寺の初代管長は1984年に亡くなりました。
幸い、その前に、ミラクルの池を確認に行った信者たちがいます。



322 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/04(火) 20:02
>幸い、その前に、ミラクルの池を確認に行った信者たちがいます。

つづきが知りたいなあ


323 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/04(火) 20:21
>316
>例えば、サプリメントも叩かれてるけど、

サプリメントを叩いているのではなく、桐山さんを叩いているのでは。
桐山さんも栄養学の講義だけでやめておけばいいのに。
必ず、光和の商売が出でくる。
宗教のコロモを着せているところが、桐山さんらしい。
阿含宗光和の宗教天ぷら

光和は高い。
昔、摘発されたとき、4500円の密教食の原価が700円だとわかってしまった。
桐山薬局薬くそうバエ

同じ成分のサプリメントなら、市販や個人輸入が安い。
桐山さんは光和だけって言うけど、アメリカにいくらでもあるって。
求聞持40も、元はアメリカのサプリメントじゃないか。

光和も赤字だ、がんばれ、桐山さん!
サプリメントじゃもうからないから、20万円の浄水器を売ってます。
信者あほうれば金を出す


324 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 04:56
そのうち健康食品や浄水機のマルチも始めるんじゃない?


325 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 06:03
>光和も赤字だ、がんばれ、桐山さん!
>4500円の密教食の原価が700円

そんなに暴利なのに赤字なんですか?


326 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 06:07
そのうち「護摩木一万本集めてきたらいくら」って報奨金が出るかもね。
或いは信者ひとり勧誘につき二万円とかね。
マルチ商法に該当するかなあ?


327 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/05(水) 11:19

「一九九九年七の月」3 ミラクルの池とは何のことか?

桐山氏の数年後、信者がミラクルの池の確認に祇園精舎を訪れています。
スリランカ寺初代管長にミラクルの池の案内を頼みました。
するとスリランカ寺初代管長は、
「ミラクルの池とは何のことか?
祇園精舎の中にミラクルの池などというものはない」
と答えました。
桐山氏にミラクルの池を教えたはずのスリランカ寺の初代管長が、ミラクルの池
など知らないと答えたのです。

スリランカ寺初代管長は「ミラクルの池」を繰り返す信者を気の毒に思い、
オーラジャルに案内してくれました。
オーラジャルとは、釈迦が奇跡を示したという伝説のある遺跡です。
祇園精舎から南東方向に2qほどいったところにあるストゥーパ(仏塔)です。
もちろんオーラジャルにもミラクルの池などありません。



328 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 16:43
ミラクルの池は、現実の世界ではなく、霊的な世界に存在する。
凡人には見えないのだ。(爆)


329 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 19:20
以前、光和食品の小さいチラシに載っていた内容です。(現物をさがしてみます。)
信者からの質問「解脱供養をしたのに癌になってしまいましたがどうしてでしょう?」
に対しての桐山さんのコメント「解脱供養によって癌死の因縁の70%は消えるが
残りの30%は体質の問題なので、サプリメントによって体質改善をする必要がある」
とありました。
そりゃねえだろう!これならどんな抗議が来ても言い訳ができるじゃないかと思いました。

現役信者の人へ、最近「冥徳供養体験談」(阿含宗の会報のひとつ、冥徳講ニュースに
のっている、解脱供養を受けた人の御利益があったという体験談)
の投稿者に匿名が多くなったと思いませんか?
以前は、都市名 氏名が明記してありました。もともとデッチあげだとは思っていましたが
信者数の減少にともなって、そんな人は実在しないということがバレてきたんではないでしょうか。
桐山さんのボケにみんな気がついてきたように阿含宗の末期的症状のひとつでは。

※解脱供養=霊障を生じさせる不成仏霊を成仏させる修法。不成仏霊1体につき10万円、
 最低、10体は誰にでもついているということになっています。
 もちろん、一般向けの桐山さんの本には書いてありませんので、入信するまでわかりません。
 以前は(7年ぐらい前)、「あなたには5代前の○○の因縁の霊が2体憑いている」といった内容の紙が
 御霊示と書いてある封筒に入って、一方的に送られてきましたが、さすがに抗議が殺到したらしく、
 今は希望者のみに知らせるということになっています。(最新の状況はどなたかお願いします。)
 強制ではありませんが阿含宗のメイン商品ですから、申し込まざるをえない状況になります。



330 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 20:32
>325
>そんなに暴利なのに赤字なんですか?

信者相手の殿様商売です。
一般の人なんて買いません。
信者は減少の一途です。
不景気で信者の財布のヒモもかたい。
「教祖様大々運気で信者減り」

阿含宗と同じで、信者を大事な客だと思っていない。
昔、平河町の近くに光和の店がありました。
そこでは時々、密教食の値引きをしていました。
ところが、道場の売店では値引きしませんでした。
信者は足下を見られている。
「バカ信者高くても買うぞもっと絞り取れ」


331 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/05(水) 20:35
一般の店が、密教食を仕入れて、値引きして売ると、
光和が圧力をかけてやめさせました。
スパイまがいのことまでしていました。
「サプリメントとって根性もっと悪くなり」

一般店は、バカらしいから売るのをやめます。
密教食は値崩れしないが、一般にも広がらない。
「密教食売ってテメイの首を絞め」

密教食を信者が自分の店で安く売ると、呼び出して
「安く売るのは管長猊下への不徳だ」
と脅迫したそうです。
「光和の得は食って積めるお徳よ」

師匠に似て、こいつらとにかく陰険。
光和の商売は桐山さんの頭の中そのままです。
「脅迫は阿含密教大秘伝と心得たり」


332 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 05:52
「脅迫は阿含密教大秘伝と心得たり」
これは本当だと思います。
水子供養に始まり、解脱供養など
脅しで金を稼ぐ手法はお手のもんです。


333 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/06(木) 10:50

「一九九九年七の月」 4.桐山氏のミラクルの池

近年、信者の一人が祇園精舎を訪れました。
現在のスリランカ寺管長に聞いても「ミラクルの池などない」という返事でした。
ミラクルの池など祇園精舎にも、他のどこにも最初から存在しないのです。
経典にはもちろんのこと、伝説にすらミラクルの池などありません。
スリランカ寺の管長が桐山氏に「ミラクルの池」などと言ったはずがありません。そんなものが祇園精舎にあると告げたはずはありません。

「桐山氏のミラクルの池」は現在も祇園精舎に存在します。
通路に面した一辺が10mもない窪地で、雨期には池になる場所です。
この窪地は釈迦が奇跡を行ったなどという伝説のある場所ではありません。
釈迦が何かをなしたところには必ずストゥーパ(仏塔)などの遺跡が残ります。
「桐山氏のミラクルの池」のように、窪地として放置されることはありえません。



334 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 19:14
どうしてすぐわかる嘘を平気でつくのでしょうか?
だから詐欺師だとか言われるんですね。
単なる窪地をミラクルの池とはよく言ったものです。
ホントに情けない教祖様ですね。


335 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/06(木) 20:17
本人は嘘ついたつもりないんだよね。
あの人、きっと今でもミラクルの池を信じてますよ。
本人が一番信じているんだから、信者がひっかかるのは当然。

「釈迦から来た白銀が重要で、場所が何であるかなんて関係ない」
なんて言い訳をぬけぬけと言うだろうなあ。
ミラクルの池でさんざん会員をあおったくせに。


336 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/07(金) 10:55

「一九九九年七の月」 5.存在しないミラクルの池

桐山氏が白銀のバイブレーションが来たという窪地を指して「あそこは何か」
と質問したから、スリランカ寺初代管長は「池だ」とでも答えたのでしょう。
雨期には水が貯まるから池だと答えただけです。
その前後に、スリランカ寺初代管長は釈迦がなした奇跡の話をしたのでしょう。
桐山氏はこれをゴチャ混ぜにしてミラクルの池を創作したのです。

「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、ミラクルの池と白銀のバイブレー
ションは重要な柱でした。
だが、ミラクルの池は根拠のない単なる物語だったのです。
バジアン予言(216〜参照)のように、自分に都合のいいように作り上げたのです。

桐山氏はこれをインスピレーションだとか、仏陀の智慧だと主張します。
現実と一致すれば、インスピレーションや智慧と言ってもいいでしょう。
当たらないインスピレーションや智慧を妄想といいます。
そして、桐山氏の場合、妄想がとにかく多い。
信者をあおりたてたミラクルの池は桐山氏の妄想にすぎなかったのです。

では、白銀のバイブレーションはどうでしょうか。



337 名前: 憂国の士 投稿日: 2000/04/07(金) 13:03
桐山そうウンコはただの山師。
ギロチンに送れば良い。
それより、創価学会を総力戦で討伐・殲滅せねば、
国が滅びる!


338 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07(金) 16:00
桐山の最大の罪はオウム真理教の設立・増殖の切っ掛けを作ったことだ。
麻原始めオウムの幹部の相当数は阿含宗の元信者である。
インチキ本で嘘八百の超能力願望をあおり、信じて入信してきた連中が、
桐山の詐欺性に気付き、あきれはてて、独立した麻原の元に走った。
これがオウムが短期間に巨大化した原動力であろう。
つまり桐山が集客し、第一次集金を果した後、つぎに麻原が挫折者を
引き受けて、第2次集金を人殺しを交えて行なっていた。
両者ともに刑獄の因縁深き魂の罪人といえよう。
彼ら二人は地獄で再会するに違いない。真っ先に舌を抜かれるだろう。


339 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07(金) 21:20
舌が多すぎて、抜ききれなかったりして。


340 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/07(金) 22:24
千舌観音


341 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 02:14
ここに書き込むあなたがたも抜かれるだろうよ(笑)。
「こうわ」、まで話題になるとは、正体ばればれ。


342 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/08(土) 19:18
あげ


343 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/08(土) 20:56

「一九九九年七の月」 6.白銀のバイブレーション

白銀のバイブレーションは桐山氏だけが感じました。
当然の事ながら、すぐそばにいた数十人の人たちは何も感じませんでした。
白銀のバイブレーションが本物かどうかは、19年後の結果をみれば十分です。
ミラクルの池と同様に、なんの根拠もない桐山氏の妄想話です。

桐山氏は、白銀のバイブレーションを受けたとき、高層ビルのある空が真っ赤に
燃える未来の光景を見て、また、すさまじい戦慄と恐怖を感じたといいます。
世紀末の地球壊滅のビジョンを見たというのです。
だが、桐山氏の予言とも、白銀のバイブレーションのお告げとも違い、1999年に
地球が壊滅することも、その兆候もありませんでした。

では、彼が見たこと、感じたことは何だったのでしょうか。
桐山氏はまったくの作り事、嘘を書いたのでしょうか。



344 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 06:18
世界の破滅は多くの宗教で集金のネタとされてきました。
阿含宗もそのパターンをマネしただけです。


345 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/09(日) 20:48

「一九九九年七の月」 7.白銀のバイブレーションと疲労

1980年の桐山氏一行のインド旅行は、約二週間でした。
インド旅行は、団体旅行でもきついものです。
慣れない食べ物でたいていの人は下痢します。
インドの仏跡はほとんどが田舎にあります。
この旅行では、朝早く出発し、夜遅く到着しました。
睡眠不足と連日の長時間のバス旅行は身体に負担がかかりました。
この旅行に参加した信者によれば、疲労困憊で、病人が続出したと言います。
移動に時間がかかるし、1980年当時、ホテルの設備も十分ではありませんでした。
強行軍であったため、予定が消化できず、桐山氏は、釈迦が亡くなった
クシーナガル行きを諦めています。

祇園精舎は一行が最後に訪れた仏跡でした。
ツアーが始まって8日目です。
桐山氏は自分が超人的な体力を持っていると言います。
しかし、このインド旅行では、桐山氏はミネラル・ウォーターをスーツケース
一つ分も持参したといいます。
また、「脳梗塞」(197〜)を見てもわかるように、桐山氏が特別な身体を持って
いる訳ではありません。

当時、59歳だった桐山氏もまた疲労の極に達した状態で祇園精舎を訪れています。
これは妄想や幻覚を見るのには十分な条件です。



346 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/09(日) 21:16

「一九九九年七の月」 8.白銀のバイブレーションと思い込み

さらに、桐山氏の性格を考えるべきでしょう。
自分に対する高い評価と思いこみです。
桐山氏はインドに出発する時、次のように思ったと書いています。
「仏跡はいったい、わたくしになにをあたえようとするのか」
つまり、桐山氏は出発するときから、
「自分ほどのすごい人物が仏跡に来たのだから、何かがおこるはずだ。
凡人どものただの巡礼とは訳が違う。何かが起きなければならない」
という激しい思いこみがあったのです。

祇園精舎は公園のようになっていて、物売りや物乞が入れません。
物乞にしつこく追いかけられ、喧騒から整備された公園に入ると、ホッとします。

激しい疲労と、激しい思いこみ、喧騒から突如解放さたれたのが引き金になり、
白銀のバイブレーションを引き起こしたのでしょう。
高層ビル火災を描いた映画「タワーリング・インフェルノ」は1974年公開です。
燃え上がる空や高層ビルなどは、映画などで見ていれば、ある種のフラッシュバ
ックが起きてもおかしくありません。
桐山氏の見たものが思いこみの激しい人の幻覚にすぎなかったことは、その19
年後をみれば十分です。

疲労と激しい思いこみの他に、もう一つの重要な要因も考えられます。



347 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/09(日) 21:29
>強行軍であったため、予定が消化できず、桐山氏は、釈迦が亡くなった
クシーナガル行きを諦めています。

予知能力の達人がなぜ不可能な予定を決めていたのでしょうか?
つまり桐山も凡人ということですね。


348 名前: 補陀洛 投稿日: 2000/04/10(月) 11:55
上げるついでに書きこみます。

今阿含宗のホームページ見てきたけど1996年ぐらいまでの
記事しか載ってませんね。更新していないのかイベントが
無いのか???

>341

>ここに書き込むあなたがたも抜かれるだろうよ(笑)。
>「こうわ」、まで話題になるとは、正体ばればれ。

てゆーかもともと、「阿含宗の信者だった、もしくはそこの
内部事情を知っている方ここへ書き込みしていただけませんか?」
ってことで始まっているんだから、元信者や関係者が批判記事を
書きこんでいても不思議でもなんでもないでしょ?
(さすがに現役で投稿している人はあまりいないだろうな)

>ヌマエビさん

結局、白銀のバイブレーションって立ち眩み&耳鳴りってことですか?
う〜む、今後の展開、引き続き楽しみにしています。

脳梗塞の件(1999年の件もそうですが)、信者への影響はなかったのですか?
引用ばかりの本とか、肝心のことをしゃべらず、もらえるものももらえない講義
とかやってたんじゃ不安や苛立ちを覚えても不思議ではないけど、
そういうのに対して信者はどう言っている(思っている)かはご存知ないですか?
会員数とか減ってきているのかな?



349 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 12:07
本物を見たことのない人へ

東京品川区、田町の関東別院には毎月1日の宝生護摩と
毎月第4土・日の例祭は一般の見学者も結構、来てました(見学者席あり)。
勧誘される危険はありませんので、自分の目で実態の一部分を見てみませんか。

今はどこにも売ってない、桐山さんのトンデモ本(自分自身をモデルにした主人公が
地球の危機を救うという小説。買わなかったことをモノスゴク後悔してます。)等。
彼の著書や会報、豊富なパンフレット、VTRも手に入ります。

但し、私は数年前から行ってませんが、状況は変わってないはずです。
信者はもちろん普通の人たちです。期待しても、異常なことも起こりません。
特に1日※がおすすめです。
(※朝7時から1時間ぐらい、出勤前の人が多いので途中でも帰れますし、
 終わりまでいる人もさっさと帰っちゃいます。目玉は桐山さんの10分間法話。おにぎり付)

急げ!生きている、詐欺師 桐山さんを見られるチャンスは、残りわずか!


350 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 18:59
>今はどこにも売ってない、桐山さんのトンデモ本(自分自身をモデルにした主人公が
>地球の危機を救うという小説。買わなかったことをモノスゴク後悔してます。)等。
「一九九九年 地球壊滅」ですな。原発、放射線の影響についてデタラメが
多いという三文小説です。資源の無駄遣いです。


351 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/10(月) 21:34

「一九九九年七の月」 9.白銀のバイブレーションと脳障害

桐山氏は一時的な意識障害を起こした可能性があります。
今日、桐山氏が脳梗塞を患っていることをみれば、ありえない話ではありません。
旅の疲労やストレスから脳の一部に障害が生じ、白銀のバイブレーションと
なったり、損傷の信号が、桐山氏の記憶に刺激を与え、燃える空の映像や、
激しい恐怖感を引き起こした、という可能性です。

老人などは睡眠不足や過労から、卒中発作の意識障害をおこすことがあります。
これらは幻想、幻覚、幻聴を伴うことがあります。
本の中では、
「声が突然すうっと遠のいた」
「がぁんと、頭から頬にかけてなぐられたような衝撃」
とあります。
意識障害の始まりとしてはありえる症状です。

19年後の結果から見ると、桐山氏の頭の外ではなく、頭の中でおこったことです。
桐山氏は59歳で、疲労の極にあれば、脳障害がおきてもおかしくありません。

次の事実も脳に障害がおきたことをうかがわせます。



352 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 21:48
>348
>脳梗塞の件(1999年の件もそうですが)、信者への影響はなかったのですか?

「桐山氏への批判はタブー」
という禁止回路が熱心な信者ほど強固に組み込まれています。
本人はたいてい自覚がありません。
「桐山氏は絶対に正しい」
という前提から物事を考えるように自ら訓練します。
「脳梗塞」などを読んでも、「年寄りだから病気くらいする」「悪意の解釈だ」、
また、桐山氏の口まねをして、
「ひとの悪口を言うのが男子一生の仕事か。他にすることはないのか」
と問題の焦点をずらすことで、桐山氏に疑問を持つことを回避します。

>会員数とか減ってきているのかな?

もちろん減っています。
穴のあいたバケツに水を汲んでいるのです。
桐山氏の数字は独特で、とても興味深い。
信者の数、護摩木の数はどのように変わっているか、
星まつりの来場者の数はほんとうか、
十三救いの輪運動の13とはどこから来たか、
など、興味が尽きません。
いずれお話します。


353 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/10(月) 23:43
私のマンションの一階に阿含宗が入っています。
確かにオウムのマークとよく似た紋が掲げられています。
日曜日はお香の煙でフロア中が煙たかったのです
しかも何度も火災感知器が鳴る始末で
今じゃ、警報が鳴っても誰も避難しようとしない
マンションと化してしまった。
これじゃ、本当に火災になっても誰も避難しなくなり
皆●焦げになるでしょう。
今は、日曜日の朝、通りの掃除ボランティアを
会員がやっています。しかしねぇー・・・・


354 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 11:10
掃除するのは、桐山さんの唱える「社会運動」の一つです。
掃除して、「阿含宗偉い!」って認めてほしいんですよ。
マンションの住人は霊的に汚れている!(^_^;)
会員でない人は霊的に臭いと思われている。
でも、臭いのは阿含宗だってことに、気が付かないだろうなあ。

火焚いて阿含宗がこの世の中を霊的に浄化しているのだと信じている。
土地浄霊は、金がかかる。
その金は会員から吸い上げるから、なんのことない、会員からの金集め。

桐山さんの社会運動って、その金使って勲章をいっぱいもらうこと。



355 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/11(火) 11:58
>皆●焦げになるでしょう。

死んだら、阿含宗が解脱供養を出してくれる。
でも、一人につき十万円かかる。
金のない奴はどうするって?
そいつは霊障の仏になって、子孫に祟る。
それが恐かったら、阿含宗で解脱供養を出せ、というように、
死んでも、阿含宗から絶対に逃げ出せないようになってる。



356 名前: 抹香クジラ 投稿日: 2000/04/11(火) 14:44
丸写し ならぬ Kanning 極秘伝

妙薬の正体見たりハナクソ丸

ハナクソも本気で飲めば効いてくる

うそつきの度が過ぎて預言者だと

それつかまえて天才はねえだろう

天才だとてめえでいう馬鹿野郎

その前にまずてめえがゲダツしろ

インネンをつけて儲ける河内山

オマケ付きにコロリと弱い馬鹿信者

御利益を金で買えると思うなよ

梵行という名の嫌がらせ

らりるれろ梗塞された求聞持脳


357 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/11(火) 21:12

「一九九九年七の月」 10.白銀のバイブレーションは脳障害

桐山氏は、祇園精舎の後、ラクナウのホテルで自動書記があったと書いています。
自動書記とは手が勝手に動いて、文字などを書くものです。
自動書記は、桐山氏の大量の著作の中でも、これ一件のみです。
普段から自動書記が得意技ではなく、この時だけです。
この時の自動書記は桐山氏にとっても特殊な状態であったことを意味します。
脳梗塞などで身体の一部が機能障害をおこすことはよくあります。
脳障害が手の震えとなって現れ、それを桐山氏は霊動、自動書記と解釈したの
でしょう。

自動書記の原文は、脈絡がなかったことを桐山氏も認めています。
桐山氏が公開した自動書記文は、原文を元に桐山氏が書き直したものです。
原文は脈絡がないどころか、文字にすらなっていなかったのでしょう。
震える手に鉛筆をにぎらせても、何も意味がありません。
原文は公開しないのではなく、できないのです。
脳障害による手の震えが、桐山氏の豊かな空想力と激しい思いこみによって
自動書記になり、創作されたのが、公開された自動書記文です。

幸い、白銀のバイブレーションも自動書記も一過性のものとして終わりました。
脳卒中などの専門の医者に、桐山氏のこの本を読んでもらい、意見を聞いてみた
いものです。

信者たちは19年間、単なる意識障害からおきた白昼夢につきあわされたのです。
結果を見る限り、それはほとんど事実でしょう。



358 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/12(水) 20:56

「一九九九年七の月」 11.事故

阿含宗のインド仏跡ツアーは班に分かれていました。
桐山氏の班では、バスが横転して、中に乗っていたインド人が両足切断という重
傷を負いました。
日本人はバスを降りていたので、被害はありませんでした。
別な班では、バスがバウンドして、多数の信者が打撲傷を負いました。
一人は骨にヒビが入り、移動に支障が出ました。

旅先で事故がおきても、ましてやインドでは何があってもおかしくありません。
しかし、予知能力を持ち、仏に守られているはずの桐山氏の周囲で、因縁解脱の
修行をしている信者を含めて次々と事故がおきるのでは、ご都合の悪い話です。
奇跡の白銀のバイブレーションの背後で、平凡に信者が病気をし、ケガ人まで
出たのではサマになりません。
信者は帰国後もこの件は話したがりませんでした。
この時参加した信者は、職員を含めて、やめてしまった人が大半です。
桐山氏と白銀のバイブレーションにとってはそのほうが都合がいいでしょう。



359 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/13(木) 06:02
えっ!そんなことがあったのですか…。
脳障害もさる事ながら、事故隠しが目的で
白銀の法螺話が生まれたような気もします。




360 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/13(木) 21:11

「一九九九年七の月」 12.ブッダになる

白銀のバイブレーションの話は、桐山氏の常として、時間とともに針小棒大に
膨らみ続けました。
桐山氏は本で、自分が「聖者」であることを高らかに宣言しました。
釈迦を「聖師」と呼び、自分が釈迦の「成仏力」を受け取れる器を持った唯一
の弟子であることを誇らかに宣言しました。

桐山氏は、祇園精舎の数日後、デリーのホテルで信者たちを前に、
「自分は死ぬまでにブッダになる。完全なブッダとなって死ぬ」
と宣言しました。
帰国後の各地での講演会でも、ブッダになって死ぬ、と繰り返しました。

ミラクルの池と白銀のバイブレーションは桐山氏をブッダ宣言に導きました。
意識障害からおきた白昼夢で、桐山氏は聖者になり、釈迦の真の弟子になり、
完全解脱することになりました。

桐山氏は今日に至るまで自分がブッダになったとは言っていません。
90年代初め、桐山氏に、オベッカ信者の一人が例祭(月一度の集まり)で
「猊下(桐山氏)をブッダと呼ばせてください」と言いました。
桐山氏はこれを認めませんでした。
桐山氏にも羞恥心が残っていたようです。



361 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 08:30
だったら未だ解脱していないと自分から証言したことになりますね。

>桐山氏にも羞恥心が残っていたようです。

自分が言った事を忘れていたのではないでしょうか。脳障害で。


362 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 22:01
べつにどうだっていいことじゃん!
田舎の教祖のことなんて
ムキになって書き込む
あんたも脳障害(爆)
・(桐山氏って、そんなに有名な人なの?長々批判するほどに)・


363 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 23:37
362を書いた人へ。
ここは阿含宗のスレッドなの。だから教祖の話が出て当たり前。つまんない宗教にひっかからないように啓蒙してくれてるわけでしょ。そんなこともわかなんないんだね。読解力もなきゃ知性もないわけだ。アンタの方がよっぽど脳障害!(爆)
興味なきゃ来るなヨ!


364 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/14(金) 23:46
僕はオウムの発端を作った阿含宗の過去にとても関心を持っています。
なにせ麻原のグルだった人物です。
過去に退会した人数はなまじの宗教団体の信者数を超えていることでしょう。
それにたくさんの書籍で撒き散らした害毒もかなりのものです。
また阿含宗の歩みとオウムのはかなり共通点があります。
そして桐山は例の林医師の結婚の仲人でもあるのです。


365 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 19:33
犯罪に手を染めたグル達
その根源が阿含宗ということか


366 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/15(土) 20:40

「一九九九年七の月」 13.メシアへの道

桐山氏は1988年「一九九九年地球壊滅」という小説を出しました。
地球壊滅の時、アメリカにメシアが現れ、日本のスゴイ宗教家が力を貸す話です。
スゴイ宗教家は明らかに桐山氏で、我田引水の自慢話です。
この本を表題どおりに小説や桐山氏の未来予測と見たら何の価値もありません。
しかし、当時の桐山氏の頭の中を示すものとしては一級資料です。
桐山氏の地球壊滅の妄想と自己評価の高さを自ら明らかにした貴重な資料です。

オウム真理教の麻原被告はいろいろな面で桐山氏を模倣したと報道されています。
しかし、一つ重要な指摘がされていません。
地下鉄サリン事件が「一九九九年地球壊滅」をヒントにした可能性です。
この本はカルト集団が原発を攻撃し、ハルマゲドンを人為的に引き起こす話です。
警察の捜査で、オウム真理教は原発の調査をしていたことがわかっています。
麻原被告は勉強熱心ですから、桐山氏の著作から重大なヒントを得たのでしょう。

この本では、メシアと桐山氏とが別々の人物として描かれています。
桐山氏は、自分で自分をメシアだと呼ぶことにまだ恥じらいがあったのです。
この本は、自分をメシアと呼んでくれ、という桐山氏からのサインでした。
信者たちは、聖者様ともあろうお方が、そこまで子供っぽい欲望を持っている
とは思いませんから、誰も気が付きませんでした。
数年後、信者の一人が気付き、桐山氏はメシアに出世するチャンスが訪れます。



367 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 21:56
麻原は桐山のやり方をそのまま追いかけるように
ダライラマ、チベット仏教・・・と追従した。
数々のテロ行為もその本からの啓示だと思ったのかもしれない。
なにせ自分のグルだった人物なのだから。


368 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 22:43
<転載だけど、以下麻原の談話。こいつにここまで言われたらお終いだね!>

そして、念のために言っておくならば、
阿含宗を見限ってオウム真理教に改宗した人は多いのである。
しかもそれは、彼が言うような「頭の良くない人が、2,3人」なんてものではない。
長年阿含宗の幹部を務めあげてきた方々を含め、その数はどんどん増えているのだ。
そして、オウム真理教の修行で順調にステージを上げ、クンダリニー・ヨーガの成就によって、
大師となった人でさえ8人もいるのである。
ペンを置くにあたって、私は、阿含宗管長・桐山靖雄氏が早く自己のなしている悪業を反省し、
人々を惑わすのをやめることを願いたい。
また、仮にも一宗を率いる教祖なのであるから、根も葉もないことを言って
オウム真理教を誹謗・中傷するまえに、
もっと仏教や密教の教義を勉強していただきたいと思う。

そして、私は阿含宗の信徒の方々に心から訴えたい。
真の宗教とは何なのか、真にあなた方を幸福にする教えとは何なのかを
もう一度よく考えてほしい、ということを。
真理ではないものに帰依し、修行に励んでも、あなた方が本当に
心の底から望んでいる幸せは得られない。
そればかりか、知らず知らずのうちに悪業を積み重ねてしまうことにもなるのだ。

<以上、桐山VS麻原 の旧師弟対決のひとこま。チャンチャン!!>


369 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 22:46
同じ穴のムジナ?



370 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 22:49
<公平に転載しなくちゃね>

阿含宗の信者は、そういうもの(オウム真理教のチラシ)をいくら渡されてもね、
迷っていく人なんていうのはほとんどないですよ。
2,3人くらい、あんまり頭の良くない人が行ったようですけどね。
で、何をやっているかっていうと、教祖の血を飲まされているんですよ。
このくらいのコップに一杯五万円だそうです。
うちの特別祈願護摩札と同じですね・・・・(意味不明)・・・・・。
私は五百万円もらったって自分の血を人に飲ませようなんて思いませんよ。
気味が悪い、そんな。人の血も飲みたくないし、自分の血も飲ませたくない。
ところが、その血を飲むとね、その教祖の持っている神通力が得られるっていうんで、
一杯五万で飲ませるっちゅうんですよ。
しかし、それを私は見破っているの。彼の本当の血じゃないのよ。
輸血用のね、血漿(?)の血を買ってきて、そのアンプルを切って、それを飲ませている。
だから、それ、私聞いたんだ。
それを目の前で、血管切って、血を採ってね、飲ませるのかって。
そうじゃなくて、奥から持ってくる。冷蔵庫かどっかから持ってくるんでしょ。
輸血用の血漿液ですよ、そんなものは。
輸血用の血液を飲ませて、五万円で買わせて、飲まされて。
駄目なんだ、私はね、
求聞持法やっているから、からくりがすぐわかっちゃう。

<いい勝負みたいね。このふたり>


371 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 22:54
370はいうまでもなく桐山談話ですよ。

『うちの特別祈願護摩札と同じですね・・・・(意味不明)・・・・・』
この麻原の注釈には笑ったね。
桐山も値段で勝負してどうするの?
ちなみに370は阿含宗が貸し出していた講話ビデオからだそうです。


372 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/15(土) 23:30
>数年後、信者の一人が気付き、桐山氏はメシアに出世するチャンスが訪れます。

はやくおしえて!



373 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 01:26
>このくらいのコップに一杯五万円だそうです。
>うちの特別祈願護摩札と同じですね

落書きつき板切れ?の原価150円だってね、それ
霊感商法とはこのことだな
血と板切れ、両者相打ちにつき引き分け、ってとこね


374 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 03:38
つまり〜麻原と桐山は同類なんだよ。
犯罪の程度に多少差があるだけの話ね。


375 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 03:49
桐山=メシア=飯屋
この程度ね
本当は


376 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 04:04
>同じ穴のムジナ?

>血と板切れ、両者相打ちにつき引き分け、ってとこね

双方、舌先三寸の大イタチ。




377 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 18:54
しかしよく続いているもんだ
あんなインチキが


378 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 20:00
桐山氏一代で終わりだね。
後は衰退するのみ。


379 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/16(日) 21:19
すでにかなりヤバイんじゃない?
ボケ老人の弟子にはなりたくないもんね!


380 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/17(月) 08:17
ボケもだけど、彼は脳障害だろ


381 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/18(火) 20:06

「一九九九年七の月」 14.そしてメシアになった

1990年に出た「メシア出現」はいろかわちひろ氏が編集したことになっています。
いろかわ氏は阿含宗の長年の信者で、先達(指導的信者)です。
実際は、いろかわ氏が数十枚程の原稿を書き、このままでは本にならないので、
桐山氏の指示に従って、出版社が作り上げたのです。
桐山氏は、自分を人類救済のメシアだと言ってほしくてウズウズしていました。
ちょうど、いろかわ氏がそれをやってくれたのです。
桐山氏はメシアだと言われたのではなく、自分で言ったのです。
この本は簡単に言えば、桐山氏のメシア(救世主)宣言です。

桐山氏は「メシア出現」でメシアだと言われてよほどうれしかったのでしょう。
この後、メシア和讃を最初にやったいろかわ氏を重用します。
阿含宗神戸道場を「メシアの館」と名前を変えてみたりと、大はしゃぎをします。
「自分がメシアであるかどうかわからないが・・・」
と桐山氏は信者を前に何回かうれしそうに話したことがあります。

桐山氏がメシアと呼んでほしかったこと、いろかわ氏がそれで桐山氏の寵愛を受
けたことに先達たちが気づくと、なりふりかまわずのメシア連呼が始まります。
そして二匹目のドジョウを狙ったのが360の「ブッダと呼ばせてください」です。
先達たちは、裸の王様のお召し物のすばらしさを競ってほめちぎったのです。

メシア宣言が1990年です。
その前後から桐山氏の本には独自性が薄れます。(274参照)
桐山氏はこの頃から勲章や肩書きなどの大量の名誉をもらうようになります。
一連の出来事がほぼ同時期に起きているのは偶然ではありません。
桐山氏の脳が老化し、名誉欲がむき出しになり、自分はただものではない、特別
な人間なのだという思いこみが「メシア妄想」にまで発展したのです。
妄想はさらに発展を続けました。



382 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/19(水) 01:09
おそらくノストラダムスが原因でしょう。
世界の破滅を本気で信じていて、救えるのは阿含宗だという妄想が、
メシア宣言のベースとなっているように思います。
はじめは単なる思いつき程度だったのが、例によって話しているうちに
自分で自分を洗脳してしまうという彼特有の特技?で
すっかり思いこんでしまったのだと思います。
しかしなんとも情けないメシアですねえ。


383 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/19(水) 01:12
そういえば仏舎利を人工衛星に乗せて
地球を守護させるとかの話があったように思いますが
どうなったのでしょうか


384 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/20(木) 20:37

「一九九九年七の月」 15.さらにアンゴルモアの大王に

桐山氏は1996年6月、モンゴルで護摩を焚いたとき、
「アンゴルモアの大王とは自分である」
と宣言して、信者から大喝采を受けました。

アンゴルモアの大王は自分だと臭わせる話はこれよりも前からしています。
1981年に出た「一九九九年カルマと霊障からの脱出」の話はまさにそうです。
桐山氏によれば、世紀末の地球壊滅を救えるのは釈迦の成仏法です。
桐山氏の言う釈迦の成仏法を体得しているのは桐山氏だけです。
釈迦の成仏法を意味するアンゴルモアの大王とは、桐山氏の他にはいません。
最初から、桐山氏は自分がアンゴルモアの大王だ、メシアだと言っているのです。

桐山氏はモンゴルで護摩を焚いて、雨を降らせ、山火事を消したと宣言しました。
桐山氏によれば、モンゴルの山火事は「恐怖の大王」の仕業です。
桐山氏はアンゴルモアの大王として、恐怖の大王と戦って、勝ったというのです。
桐山氏はまた自分は「無能勝明王」であるとも宣言しました。
無能勝明王とは、釈迦の成道を邪魔した悪魔を退散させたという密教の仏です。
これらのストーリー展開を見ると、桐山氏は隠れアニメファンかもしれません。

阪神大震災を予言できず、桐山氏は世紀末破壊予言に自信がなくなっていました。
しかし、モンゴルで恐怖の大王に勝利した桐山氏は、再び自分の妄想に自信を深
め、アンゴルモアの大王の宣言をしたのです。

桐山氏はアンゴルモアの大王に即位し、いよいよ1999年を迎えました。



385 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/22(土) 12:29

「一九九九年七の月」 16.地球を救う桐山メシア

1999年、釈迦の代理人であり、アンゴルモアの大王たる桐山氏が、恐怖の大王に
蹂躙された世界中の人々から、地球を救うメシアとして大歓呼で迎えられる準備
ができました。
桐山氏は、釈迦から与えられた1999年の地球救済の使命を果たすことで、その
偉大な功徳によって、ブッダとなり、栄光のうちに入滅するのです。
桐山氏の名前は、地球を救ったメシア、予言されたアンゴルモアの大王、完全解
脱したブッダとして、永久に歴史に残るのです。

桐山氏の頭の中では、世界中からのメシアコールが鳴り響いていました。
1999年の晴れの舞台に出る瞬間、桐山氏は長年望んでいた「自分はやはりただも
のではない」という自尊心の深い満足を得るはずでした。
その時こそが、長年、桐山氏を前科者、エセ宗教家、エセ霊能者、嘘つき、ほら
吹き、誇大妄想狂、ペテン師、いかさま師、詐欺師呼ばわりしてきた連中を見返
せる重大な瞬間なのです。
桐山氏は、たくさんの勲章をつけたアンゴルモア大王の服装をして、モンゴルで
の成功に酔いながら、舞台の袖で自分の出番の瞬間を待っていました。

だが、ついに桐山氏に出番の声がかかることはありませんでした。
「地球壊滅」などという劇は最初から存在しなかったからです。
万雷の拍手をする観客もいませんでした。
現実は、阿含宗という借金だらけの田舎芝居小屋に、華々しい主役を演じて拍手
をあびる自分を空想している桐山氏と、妄想を信じた信者が残っているだけで、
客席は最初から最後まで空でした。

では、桐山氏が描いた世紀末地球壊滅の晴れの一人芝居を見てみましょう。



386 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 06:48
続きが楽しみです。

ところで
桐山は自分が、釈迦の代理人であり、アンゴルモアの大王であると
本気で信じていたのでしょうか?


387 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/23(日) 08:28
だから確信犯だって
みんな言っているよ!
こんなくだらないことながながと・・・ねぇ〜。


388 名前: みかりん 投稿日: 2000/04/23(日) 23:17
やっばーー。
だんながこれの信者なの。高い「解脱供養」料払わされてんの。
そうだったのかあ。。やっぱ本物じゃないんだあ。
困ったなあ。どなたか脱会させる方法、伝授して欲しいです。。。
無駄金払うの、もうやだ。


389 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/24(月) 00:16
388さんへ
このスレッド読ませてあげれば?
ヌマエビさんあたりの話はまだまだ続きそうだから、脱会させるためのヒントがこれからもいっぱい出てきそうですよ。



390 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/25(火) 21:14

「一九九九年七の月」 16.3度目の原爆

インドから帰国後、桐山氏の世紀末破壊の脅迫的妄想はもっと具体的になります。
1982年の「輪廻する葦」の中で、「原爆は三度落ちる」と題して、次のように書
いています。

「原爆はこの国にもう一度落ちる。それがわたくしには見えるのだ。」

いつ落ちるとは書いていないから、この予言がはずれたとは言えません。
しかし、その前後から、1999年に原爆が落ちるという意味でしょう。
1984年の「間脳思考」では、次のように書いています。

「読者よ、いまや、人類は二つの道を選択するギリギリの時点にさしかかった。
核ミサイルによる地獄の業火か、シャカの仏法によるきよらかな霊光(オーラ)
か、二つに一つである。」

この2冊の本では、1999年には核ミサイルが日本に飛んできて、日本に3度目の
原爆が落ちるのだ、と述べています。

1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。
桐山氏は全国から集まった約一万人の聴衆に前述の内容を熱く語りかけました。
後で、この場面を見ると桐山氏本人も感動すると言っていたほどです。
桐山氏の自信に満ちた感動的な言葉で、三度目の原爆が落ちる、自分には見える
のだ、言われれば、多くの信者が信じたとしても、おかしくありません。

だが、桐山氏の目にはっきり見えたはずの原爆はこの後、様変わりします。



391 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 00:37
ダライラマも前科者の詐欺師に利用されてかわいそうですね。
後日、詐欺師の直弟子だった無差別殺人犯にもさんざん利用されましたが。
これもダライラマのカルマのなせるところでしょうか?


392 名前: おしゃれ菩薩 投稿日: 2000/04/26(水) 04:03
中国でのアーガマに関する演説がアンゴルモアの復活だと読んだ。


393 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 18:24
>1984年、日本武道館で、ダライ・ラマといっしょに護摩を焚きました。

ダライラマももう少し桐山のことを調べてから判断してほしかったですね。
軽率だったと思います。


394 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 20:40
チベット関係の日本での窓口はペマ・ギャルポさんです。
彼はチベット文化研究所の所長で、岐阜女子大教授です。
チベット文化研究所の機関誌には平河出版が広告を出しています。
平河出版は阿含宗系列の出版社です。

長年、桐山さんが資金的な援助をしているから、つながりが深いのです。
ダライ・ラマは直接、平河町にあった阿含宗道場を訪問したことがあります。
仏舎利を阿含宗にプレゼントしています。
ダライ・ラマのノーベル賞授賞式に桐山さんを招待しました。
1983年以降、桐山さんにチベット仏教の法号などを何回か授与しています。
1996年のモンゴルでの護摩もペマ・ギャルポ氏が動いています。
これらは、当然、桐山さんがお金を出しているからです。

1999年のインドでの護摩にはダライ・ラマは出席せず、メッセージだけでした。
ペマ・ギャルポさんも大学教授なのだから、自分の身の安全をはかり、
金だけもらって、阿含宗ともっと距離を置く方が得策でしょう。



395 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 21:30
だから、あなたたちも金出してナンカもらえよ!
桐山氏以上の何とか法号とやらを
だいたい法号とかなんとかで、入信する奴など
くだらん連中なんだから
好きにさせとっけ!
金がほしい奴には身の安全とかいわずアゴンと心中
させてやれよ!
金大事なんだから、あんたが心配してどうすんだ。
馬鹿連中のやることを
ああ、くだらない!!


396 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/26(水) 21:40
いや、友人が信者だけどべつに
いいヤツだよ!
勧誘もしないし。
お守りもらっちゃたよ、タダで。


397 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 00:50
私なら、得体の知れない教団のお守りなんてもらったら気味悪いけどなあ。ただでお守りをくれたんなら、もうじき入会のお誘いを受けまっせ。ご用心してくれなはれやー。


398 名前: 大仏祭 投稿日: 2000/04/27(木) 03:30
だいぶむかしですが、京都の花山で開催された、京都大仏祭に参加したことがありました。
まだ、本殿が建設される前でしたが、あの花山の環境はいいですね。
本当に楽しい一時を過ごさせてもらいました。なつかしいです。もうすぐですねえ。ともかく、
あそこの雰囲気はいいですね。都会の喧噪を離れて、散歩がてらに訪れてみても、楽しいでしょう。
新興宗教など、利用すればいいだけの話だと思います。信じるのは、よくありませんが、利用するだけ
ならいいでしょう。阿含宗のいいところはの一つは、平河出版社というものを持っていることだと思って
います。あそこからは、価値のある精神世界の著書がたくさん、出版されていますね。あれは評価に
価すると思います。まあ、桐山氏の本などは、さらっと眺めるだけでいいのですが、他の本のなかには、
じっくり読む価値のあるものがありますね。


399 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 04:46
>398
たしかにそうですが、
オウムの人達が麻原の著作以外でもっとも影響を受けたのが
平河出版の「虹の階梯」だったそうです。
麻原自身がその本から「ポア」という言葉を知ったそうですので
オウム事件を引き起こした原因の一つとなってしまった事実もあります。
残念なことですが。


400 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 04:48
>これらは、当然、桐山さんがお金を出しているからです。

その金は信者が騙されて払った金なのです。



401 名前: >397 投稿日: 2000/04/27(木) 05:02
勧誘されりゃ断ればいいこと!
人の友達関係にどうこう他人が言う事なかろう。
しつこくて困るとかの相談ならいえるが。

しかし、桐山氏、桐山氏っていたって
たいして目あたらしい情報ないよ!
昔から同じような事のくりかえじゃねえの。
知っている連中にしちゃ何をいまさら・・・のかんだね。
ようするに本に書かれていることを指導してくれない
というのが最大の欠点なんだよ!
金つかって法号もらおうが、大法螺ふこうがそんなこと
どうでもいいことで、そんなことより信者に対しての
修行指導が無いということが悪い!
もしそれらがキチンとなされるならば俺は桐山氏を
評価するね。
たとえ前科ものであろうとも。


402 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 12:14
>勧誘されりゃ断ればいいこと!

それはあなたが強い人だから。
普通の人はそうはいきません。
そんな理屈が成り立つならオウムの事件なんて起きない。

>どうでもいいことで、そんなことより信者に対しての
>修行指導が無いということが悪い!

これ、そのとおり。
でも、指導する桐山氏など最初から存在しない。
指導がないのは、中身もないからだし、その中身のなさをごまか
すためにも法号をもらっているのだ、という話をしているのでしょ。
ここに書き込まれた内容のすべてをあなたが知っているなんてこ
とないのだから、そんなに決めつけないで、他人の視点や考えも
受け入れてみてはどうですか。
でないと、頭から信じ切っている会員と同じになってしまう。



403 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/27(木) 21:04

「一九九九年七の月」 17.原爆から原発崩壊へ

1988年の「地球壊滅」は、原発をテロリストが攻撃して、大惨事になると
いう小説です。
1984年までは原爆で、1988年に原発崩壊と様変わりした原因はなんでしょうか。

もちろん、1986年におきたチェルノブイリ原発事故です。

冷戦時代には、ソ連が攻めてくる、核ミサイルが飛んでくるのではないか、
という恐怖感が日本の中にありました。
だから、1986年以前は、桐山氏は核ミサイルを持ち出しただけです。

当時、桐山氏は、北海道の信者に、個人的な恨みでもあるのかと思う程、
因縁が悪い、レベルが低いなどと、吐き捨てるように脅迫していました。
信者たちは、桐山氏の霊眼には北海道の破滅的な未来が見えているから、
救うために、叱咤していると信じていました。
その頃、北海道にソ連が攻めて来る、核攻撃があるという話がありました。
単に、桐山氏もまたこういう噂を信じて、利用していただけです。

原爆や核ミサイルが「それがわたくしには見えるのだ」とまで書いているのに、
1986年からは事情が変わったから、さっさと原発崩壊に乗り換えたのです。

桐山氏のいう未来予知とは何かを示す典型的な例です。
素人でもやれる予測に桐山氏の思いこみを加えると、予知能力になります。
そして、桐山氏はこの思いこみを仏陀の智恵だと信じています。
もっとも、見方によっては、次の事は智恵かもしれません。




404 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 21:38
桐山氏に対しては色々批判することできるが
なんで、ダライ・ラマに対して批判しないんだ?
金で法号売るってのはチベット仏教も悪いだろう。
えらそうなこと言ってインドへ帰っていったけど
なにがノーベル平和賞だ!
金に弱いくせに、金かね金じゃねえか。
中国に対しても金もらえば黙るんじゃないのか。


405 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/27(木) 21:44
みんな!真如苑にいこうぜ!


406 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/28(金) 01:23
アンタ真如苑の会員?
こんなトコに勧誘に来たって無駄だヨ。
早く真如苑のスレッドに帰んな。


407 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/28(金) 04:18
真如苑はキチンとした真言密教の系譜です。
阿含のようなどこの馬の骨がやっているのかワカラナイ
宗教とは違います。


408 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/28(金) 05:23
真如苑の教祖ってハレンチ事件起こしてなかった?


409 名前: >407 投稿日: 2000/04/28(金) 11:29
「目くそ鼻くそ」、ですよ。
大体、言霊の使い方でその人の霊層なんてばれてしまう。


410 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/04/29(土) 20:50

「一九九九年七の月」 18.はずれた時の逃げ道

予測ですから、桐山氏にも地球壊滅を当てる自信はありませんでした。
予言がはずれた場合に備えて、逃げ道はかなり早い時期から準備してありました。
最初の本「一九九九年カルマと霊障からの脱出」でさえ、地球壊滅が1999年
だとは一言も書いていません。
「現世成仏」(1983年)では、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を解説して、

「その大災害が一九九九年に起きるかどうかはわからないが、わたくしの生涯の
うちに起こるということはたしかである。」

と、1999年と限定するのを避け、逃げ道を用意しています。
桐山氏の言葉どおり彼が120歳まで生きるのなら、当時残り60年近くあります。
60年もあれば、何か大災害がおきるか、あるいは予言も忘れさられるだろうし、
起きなくても、死んだ後なら、桐山氏は何を言われても痛くありません。

「一九九九年カルマと霊障からの脱出」では、題名からして「一九九九年」を
使い、ノストラダムスの「一九九九年七の月」の予言を出しています。
それでいて、「一九九九年に起きるかどうかはわからない」とは、桐山氏らしい
逃げ方です。

桐山氏は責任感が希薄で、言い抜けがお得意だから、いいでしょう。
バカを見たのは、桐山氏の言葉を文字どおり信じたまじめな信者たちです。
「地獄の業火かきよらかなオーラか」を文字通り信じて布教していました。
桐山氏は自分の逃げ道だけは最初からしっかりと確保していたのです。
御大将は、雑兵を残して、いつでも真っ先に逃げる準備をしていました。
これが桐山氏の言う21世紀の仏陀の智慧かもしれません。



411 名前: 大仏祭 投稿日: 2000/04/30(日) 01:37
>バカを見たのは、桐山氏の言葉を文字どおり信じたまじめな信者たちです。
> 「地獄の業火かきよらかなオーラか」を文字通り信じて布教していました。
>桐山氏は自分の逃げ道だけは最初からしっかりと確保していたのです。
>御大将は、雑兵を残して、いつでも真っ先に逃げる準備をしていました。
>これが桐山氏の言う21世紀の仏陀の智慧かもしれません。

やはり、予言を信じるのはよくありませんね。
そもそも、そういう予言を信じると、日常生活に無理がくる。
これが一番いけない部分だと思います。自分の生活リズムが崩される。
それは絶対避けないなければならないところ。
ともかく、予言は信じないこと。人間が予言など出来るわけがないし、また、
未来は、常に、不確定だ。これは近年注目を浴びつつある、バタフライ効果
でも証明できます。信者は賢くあらねばならない。まあ、信者になること自体、
今の世界では、誉められることではないと思う。信じることで、自分の世界が
狭くなりますよね。阿含宗で言えば、桐山管長の本以外は、なるべく読むなとか、
オウムで言えば、オウムの本以外は、読むなとか。ともかく、情報から規制されて、
狭くなる。これではダメだと思う。


412 名前: 昔、いました。 投稿日: 2000/04/30(日) 11:14
阿含でいえば、予言だけを信じて
あるいは予言を恐れて信仰していた人どのくらいいたか
どうかですね。
桐山氏の説く所、これ宗教、オカルトのデパートでしてまず、密教、超能力、阿含経、ノストラダムス予言、
守護霊、運命学、あとなんかありましたっけ?
とにかく多くて、それに引かれて入信したりするわけだけれど
阿含経に興味はあっても予言には興味がないという人
もいるわけで、どうなんでしょうか?
今、信者で残っているひとは桐山氏が好きで残っているのじゃないでしょうか。
わたしが居たころ、はそれこそ色んな人が入信してました。仙道に凝っている人、中国拳法をやっている人
運命学、オカルトマニア、みんな卒業して、それぞれ
自分の道を歩んでいるみたいです。
わたしは桐山氏に対して悪い印象はありません。
むしろ、釈迦の仏教に目をむけさせてくれた恩人と
さえ思っています。
教団の方針が今どうなっているのか知りませんが
わたしの居たころはけっこう自由で、他教団に出入り
したりしても、べつにとがめらられたりもせず、
「どこそこの○○氏は会長先生(桐山氏のこと)より
すごいぜ!」なんて話しを信者どうしなどで話したり
してました。もちろん職員の前ではできませんけど。
結局のところ、信者ひとりひとりの自覚の問題だと
おもいます。
ああ、そのころの桐山氏はノストラダムスの予言、
馬鹿にしていた様子でしたよ。
時代の雰囲気を見て布教に利用したのかな?
真面目で真っ直ぐに信仰する人はそりゃ怒りますね。
でも、興味半分でやっていた、わたし達のような者
はそれはそれで楽しかったですよ。


413 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 14:00
>むしろ、釈迦の仏教に目をむけさせてくれた恩人と
>さえ思っています。
>でも、興味半分でやっていた、わたし達のような者
>はそれはそれで楽しかったですよ。

で、どうしてやめたんですか。


414 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/01(月) 20:33

「一九九九年七の月」 19.信者への脅迫と自分の逃げ道

1999年が近づくと、桐山氏は逃げ道を確保しながら、さらに脅迫を強めます。
1995年に出版した「一九九九年七の月が来る」では、

「横変死の因縁を持つ人は、十人中四人」
「無事である人は、10%しかいないのである」
「つまり、一九九五年から「危」に入って・・・・2000年に「滅」を迎える」

横変死の因縁とは、事故死、自殺、他殺などで死亡することを意味します。
ここでは、世紀末の地球壊滅で大量死があることを言っています。
これほどの脅迫をしながら、同じ本で、

「20001(原文のまま)年に、回復、安定に向かう」
「・・・2002年から、地球は回復・安定していくからである」

と書いています。
人口の4割が死ぬほどの大災害がおこりながら、その数年後には、回復し安定す
るというのです。
第二次世界大戦すら、日本人の死者は人口の1割に達しませんでした。
それが4割も死に、後の5割が傷ついたら、回復、安定などありえません。

このような矛盾した予言を出したのは、片や信者を脅迫しながらも、片や自分の
逃げ道を確保するためです。
1999年に何も起こらなければ、「自分は前から回復し安定すると予言していた」
と言い抜けるつもりでいたのでしょう。
実際、後で桐山氏はそれをやりました。



415 名前: >413 投稿日: 2000/05/02(火) 03:21
興味がなくなったからです。
でも、宗教入門?には最適でした。すくなくとも私に
とっては、私だけではなくそうゆう人たくさんいると
思いますよ。
もともと桐山氏は伝統仏教の正統な宗教家ではない
ということは知っていましたし、それだから奇抜な思想
を自由に展開できるということも、・面白かったです。
けれど、もっと純粋なもの深いものを求めると
ものたりないということで、教団にいる必要も
感じなくなりました。
ところで、
これは阿含に限ったことではないですが、どうして
人生をかけてまで宗教にのめりこむ人がいるのか
理解できません!
優れた教祖であれ、所詮人間、人間の言う事に絶対
ということはありません。
ということは信仰する信者ひとりひとりの自覚という
ものが大切なんじゃないでしょうか
予言にしても、一つの警告として自分自身で咀嚼
することが必要でしょうね。
予言ももうすこしうまく利用できればよかったのに
と感じています。(この世の中の乱れようはなんだ!)
少しはマシな世の中になると思ったのに・・・。


416 名前: かっこー 投稿日: 2000/05/02(火) 10:01
………すごいですね、まだこのスレッド続いてたんですね。
一気に読ませていただきましたが…なんだかほんとにろくでもないです。



417 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/02(火) 12:44
桐山は宗教マーケッティングの達人です。
彼のやり口を見て麻原たちも勉強しました。
船井程度のアホな内容をそれらしく化粧できる才能の持ち主ですね。


418 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/02(火) 12:56
>415
>人生をかけてまで宗教にのめりこむ人がいるのか
>理解できません!。

地球を破滅から救うなんてこと思わなくても、
まじめに信仰を持ちたい、
利他心を持ちたい、
自分を変えたい、
精神的な指導者がほしい、
というような人が、桐山さんの口上に乗って、
うまく利用されてしまうのは仕方ありません。
求道者のポーズをとり、確信と熱意で話して、本にも書いている
桐山さんがここまで嘘つきだとは普通思いませんよ。
桐山さんは自分を嘘つきだとは思っていないから、
なおさら信者は見抜けない。
普通の人にそこまでの見識眼を求めるのは無理です。


419 名前: 大仏祭 投稿日: 2000/05/03(水) 04:33
>宗教入門?には最適でした。すくなくとも私に
>とっては、私だけではなくそうゆう人たくさんいると
>思いますよ。

そうなんです、まさにその通りですね。
本当に、桐山さんの著書にめぐり合って良かったと思います。
原始仏教の素晴らしさ、チベット密教の神秘さ、そういうものを認識させてくれましたからね。
私は、いくら感謝してもし過ぎることはありません。
仏教、宗教への入門ですね。阿含宗は。
問題は、そこから、いかに早く、「卒業」出来るかだと思います。
そう言う意味で、こういう掲示板で、桐山密教のインチキさを暴くのも、非常に価値のあることだと
思います。どんどん、暴いていってほしいですね。

それはそうと、いよいよ、大仏祭も間近に迫ってきましたね。
あの風光明媚な、花山の総本殿で開催される大仏祭は、一度参加しましたが、本当に楽しかったです。
散歩がてらに訪れてみてもいいと思います。周りの環境が素晴らしいですね。健康にもいい。


420 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/03(水) 08:30
>問題は、そこから、いかに早く、「卒業」出来るかだと思います。

全く同感です。
異議なし。


421 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/03(水) 08:31
>419
程度としては保育園あたりの「卒業」ですね。


422 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/03(水) 13:40
>仏教、宗教への入門ですね。阿含宗は。

意見には賛成です。
しかし、これは結果論ではありませんか。
自分にとっても入門だったと言いたいけど、
自嘲的に言うなら、これは自己弁護です。
率直に認めるなら、阿含宗にいたのは時間の無駄でした。
桐山さんに感謝なんてないですね。
時間と金の無駄でした。
阿含経や仏教の初歩やチベット仏教を学ぶのに、
何も阿含宗に入る必要性などありません。
つまり、阿含宗は保育園ですらない。
ただの、砂場の宗教ゴッコです。
そこで桐山さんは「おれが王様だ」と言っているにすぎない。


423 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/03(水) 16:18
保育園にもピンからきりまであるよ
でも
たしかに砂場の宗教ゴッコというほうがあってるけどね
ただ
問題はその砂場から
凶悪な人殺し宗団が生まれ育ったことなんだよ
それに対して
桐は何らかの責任を感じるべきだろうな
マジで


424 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/03(水) 19:34

「一九九九年七の月」 20.横変死4割

桐山氏の言う横変死が4割という数字はどこから持ってきたのでしょう。
桐山氏は数字に弱く、彼の数字はあてなりません。
この時期、桐山氏は因縁霊視(165〜参照)はしていません。
数字は因縁診断(158〜参照)から持ってくる以外にはありません。
因縁診断は信者からの聞き取りによる自己申告であり、根拠がありません。
では、因縁診断でどうして4割もの横変死が出たのでしょう。

信者を脅迫するために、横変死の因縁は最も効果的です。
その結果、横変死の因縁が因縁診断では自然に増えるのです。
先祖や親戚筋まで探せば、たいてい一人くらい事故死、自殺、他殺はいます。
一人でもいれば、その信者には横変死の因縁を付けます。

4割に横変死の因縁があるのではなく、4割に横変死の因縁を付けたのです。
桐山氏は、自分で横変死が増えるように指示して、その結果をもってきて、
今度は、脅迫の材料に使ったのです。
自分で作った恐怖に自分で恐がってみせたのです。
桐山氏は自分で数字を増やしてしまったことにすら気が付いていないでしょう。
4割という数字を案外本人は信じています。
桐山氏の求聞持脳での直感や数字はせいぜいこの程度です。



425 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/03(水) 21:34
多分このスレ読めってだんなに言っても、見向きもしないだろーな。
大阪の「柏原霊園」てのも買ったしな。
私ら死んだらわざわざ大阪くんだりまで行くんだと。
確か一昨年問題の「1999年」を目前にして変な(「先達」だっけ?)
職員の男が関東別院からやってきて、北朝鮮の不穏な動きを持ち出して
散々恐怖心をあおって帰っていった。活断層が原因で起こる大地震の
ことも言ってたね。ぜーんぶハズレ。
ちなみにだんなの小さな書斎には、ここで話題になってる本が全巻
揃ってます。



426 名前: 大仏祭 投稿日: 2000/05/04(木) 02:18
京都大仏音頭

1.花のお山に、朝日がおどる
光みすがた ありがたや
法のみやこの 大仏さまは
広い宇宙を 胸に抱く  ソレ
大仏音頭で 仲良くまるく
みんな輪になる 総おどり 総おどり
ソレ咲け やれ咲け パッと咲け
京都大仏音頭  花の山 花の山

2.なやみ苦しみ この世のなげき
澄んで明るい 月の影
手に手合わせて 仏舎利供養
恵みあまねき 御功徳 ソレ
大仏音頭で 仲良くまるく
みんな輪になる 総おどり 総おどり
ソレ咲け やれ咲け パッと咲け
京都大仏音頭  花の山 花の山

3.照る日曇る日 世界を招く
京のみやこは 人の波
大慈大悲の 大仏さまに
祈るよろこび いつめでも ソレ
大仏音頭で 仲良くまるく
みんな輪になる 総おどり 総おどり
ソレ咲け やれ咲け パッと咲け
京都大仏音頭  花の山 花の山
--------------
いやー、楽しいですねえ。
大体、宗教というのは、こういう軽快で快活をモットーとしなければダメですね。
横変死の因縁だなんて、暗すぎますよ。本当にクラーイ人生になっちゃいますよ。
阿含宗で評価できるものの一つに、この大仏祭があります(笑)。
これは本当に楽しいですよね。愉快な漫才や、軽快な歌手の歌や、大仏音頭で、
日頃のストレスを吹き飛ばすのもいいかも知れませんよ。どうですか、みなさん。


427 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/04(木) 23:46
あんな身内の盆踊りやって、何か楽しいですかねえ。
桐山さんはあれで一般の人たちを集めたかった。
星まつりでさえ激減しているのに、来るはずがない。
ああいう企画自体、桐山さんの頭の古さ、時代を示している。
彼にとっては盆踊りが楽しかったのでしょう。


428 名前: 大仏祭 投稿日: 2000/05/05(金) 03:50
>星まつりでさえ激減しているのに、来るはずがない。

激減しているのですか。
私は最近はずっとご無沙汰しているので、状況がよくわかりませんが、
この書き込みから想像すると、だいぶ廃れてきているようですね。
桐山さん一代で、阿含宗は終わるのでしょうね。
まあ、それはそれで、慶賀すべきことでしょう。
ご苦労さまでした。


429 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/05(金) 16:06
>425
>職員の男が関東別院からやってきて、北朝鮮の不穏な動きを持ち出して
>散々恐怖心をあおって帰っていった。

みかりんさんも会員ですか。
もし会員でないなら、みかりんさんを入行させようとしたんでは。
職員が直々にお出ましになるなんて、旦那はんは相当な大物でっせ。

夫婦で片方が阿含宗でなかったり、冷めたりして、
離婚になったケース2件知ってます。
気をつけなはれや。
阿含宗じゃ、夫婦縁障害の因縁強くして後家の因縁あり、
といって、みかりんさんが悪者になりますよ。

>大阪の「柏原霊園」てのも買ったしな。

ローンは大丈夫?
原価二百〜五百万円と安い買い物ではないですよ。
維持費とか、生前戒名とか、もれなく請求書がついてくる。
信者の中にはローンが払えず、四苦八苦している人もいます。
墓を返すと言っても、金は一銭も戻さない。
阿含宗系列だから、当然「やらず、ぶったくり」です。

>ちなみにだんなの小さな書斎には、ここで話題になってる本が全巻
>揃ってます。

本を売りに行ったら、古本屋のオヤジが、
「ああ、その人の本は売れないからダメだ」
と一言で断られた。
捨てるしかないので、「タダでいいから」と言っても、
引き取りを拒否されました。


430 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/05(金) 20:51

「一九九九年七の月」 21.テロリストから大地震へ

桐山氏は、阪神大震災の数ヶ月後に「一九九九年七の月が来る」を出しました。
この本では活断層の一覧表を示し、大地震で原発が崩壊すると方向転換します。

ソ連を恐れていた時代の本では核ミサイルでした。
原発事故がおきると、テロリストによる原発崩壊でした。
阪神大震災がおきると、大地震による原発崩壊になりました。
北朝鮮がミサイルの実験をすると、核ミサイルをまた出しました。
結局、桐山氏の心にある不安や恐怖感を予言と言っているにすぎません。

阪神大震災は桐山氏にとっても相当なショックだったのでしょう。
桐山氏は地震の前日1月16日に京都の総本殿で冥徳祭の護摩を焚いていながら、
まったく地震を予知できなかったからです。
一〜二週間前からゴキブリやネズミすら騒いでいたのに、「事物の明快な認識と予
知」を一番目の超能力としてあげ、大地震は信者に事前に伝えると豪語していた
桐山氏が、すぐ近くでお得意の護摩を前日に焚いてさえ予知できなかったのです。

後に、桐山氏は、「仏像」という仏からのシグナル(ご霊示)があったと話しました。
仏像は九州から紀伊半島を横切る活断層「仏像線」に関係しているというのです。
この仏像線にそった活断層近辺で、近い将来大地震がおきるという意味です。

活断層の一覧表を見た時、桐山氏は仏像線という変わった名前に目がいったので
しょう。
仏像線のことはすっかり忘れた後、道場の仏像を見たとき、何か思い出せない感
覚にとらわれ、それを仏からのご霊示と称したのです。
普通の人なら自分の記憶を疑うところを、桐山氏はご霊示にしてしまいました。
もちろん、この思い込みと思い付きの大予言は今でも実現されていません。


431 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/05(金) 23:02
>429どの。
コメントありがと。ま、私も案の定会員にされてます。恋人時代にも
関東別院で月一回行われる例祭へ一緒に参加してました。強要された
わけじゃないけど、好きな人が信じているものがどんななのか興味が
あったし。そうそう、「後家」とか「夫婦縁障害」とかは私も
言われた。離婚まで行っちゃったとこもあるんだあ。
お墓はキャッシュで払ったよ。おかげで大散財。「走り大黒天」の
お金を集める熊手も効果なーし。子供も育てなきゃなんないのに
いい加減にしろー!
あ、職員て言えばすんごいムカつく奴がいた!態度はいつも高飛車で、
ここらへんが田舎なのを馬鹿にした感じで「こんなとこ来たって意味が
無い」とでも言わんばかりだった。こんな奴雇ってるなんて、やっぱ
怪しい宗教なんだな。


432 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/06(土) 12:14
誰かこの本読んだ人いる? 同和行政の腐敗を告発している寺園とかいうジャーナリストの本らしいが、桐山って同和とも癒着してるんだろうか…

http://www.kamogawa.co.jp/mokuroku2/rupo.html#rupo10


433 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/06(土) 17:14
>431
>あ、職員て言えばすんごいムカつく奴がいた!

これ、草○職員様か、高○職員様かな。
あそこにいると、みーんなタカビーになる。
職員になった頃は、良い奴だと思っていたら、
朱に交わればで、何年かたつと、みんな赤くなる。
一番上がタカビー親分だからですよ。
おれくらい偉いものはない、
おまらえに梵行させてやっているんだ、
ありがたいと思え、
てなもんで、下っ端までそのままマネする。
別院の安○課長様様なんか、ただの陰険タカビー。

>「走り大黒天」のお金を集める熊手も効果なーし。

借金で苦しんでいる人が修法した大黒天。
ほとんどブラック・ユーモアだね。
子供いるなら、なおさら、お金は気を付けたほうがいいですよ。
地方は会員数も少ないから、個人の金銭負担が大きくなります。
ご主人にもう少し覚めてもらうしかない・・・。


434 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/07(日) 13:44
ガンで死んだ弘法大師の伝えた加持祈祷
下痢が続いて死んだ釈迦の成仏法
脳梗塞でボケまくりの桐山大先生

阿含宗で高額な病気平癒祈願を申し込む信者達に幸あれ。



435 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/07(日) 13:46
結局だれも因縁解脱してねえじゃん。
アホらし!



436 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/07(日) 14:45
>435

釈迦を同列に扱ったら、気の毒かもしれませんよ。
カルマが全部切れて、「この世」で幸せになる、
不幸が何もなくなるなんて、御利益の因縁解脱を説いたのは、
桐山さんなどの新興宗教系の教祖さんたちです。
こういう因縁解脱を釈迦は一言も説いていません。
だから、釈迦が下痢で亡くなっても、矛盾はしません。
阿含宗の言う因縁解脱からするとこれは矛盾だし、
桐山さんは質問にも答えられなかった。
これ一つをとっても、阿含宗は釈迦の仏教とは別物です。


437 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/07(日) 15:12
そう、つい先日も同じ市内の信者がガンで亡くなったね。
家族でやってて、わりとお金がある家だったから一生懸命
祈願してたみたい。。。でもガンを消すことはできなかった。
だんなは「本人の修行が足りなくて、因縁に引きずられたから・・」
とかなんとか、わけわかんないこと言って。
お金だけでも返してやんなって感じ。あーあ。
脳梗塞のこと、実はここ来るまで初耳でした。あとでだんなに
聞いてみよっと。10年も信じてたものを(結婚するまでほぼ毎年
「星まつり」に行ってたんだとよー)そう簡単に捨てらんない
だろうけど、これ以上無駄な出費は困るからやってみるぜい。


438 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/07(日) 20:52

「一九九九年七の月」 22.十三救いの輪運動

90年代中頃、桐山氏は、信者数増加のための露骨な脅迫策を打ち出します。
1996年8月から始まった「十三救いの輪運動」です。
信者1人が13人の新しい信者を獲得する(導く)という運動です。
桐山氏は、
「13人導けば、1999年の地球壊滅の時、命を保証する」
と断言しました。
逆に言えば、13人入信させなければ命は保証しないというものです。
これは「救いの輪」ではなく、「脅迫の輪」です。
桐山氏は、「一九九九年七の月が来る」の中で、横変死40%を出して、

「あなたは、この10%の中に入るか、40%の中に入るか、どちらだと思っているであろうか。
また、あなたの最愛の人は、どうであろうか?」

と「最愛の人」までひっぱり出して、人質にしました。
信者が減り、経済的にも苦しくなり、桐山氏お得意の一発逆転を狙ったのです。
世紀末破滅を脅迫の材料に使えるのは後数年しかありませんでした。
信者を増やしたいという桐山氏の切なる思いが文章から垂れ流しになっています。



439 名前: 元修行者 投稿日: 2000/05/08(月) 09:50
私も因縁解脱一本でがんばっていたのですが、やっぱりその
心の奥には「自分だけ助かればいい」という利己主義が
あったと思います。自分が横変死の40%にはいらないように
修行したり信者を集めたりというのは、やっぱりおかしいです。

今は、神心ないし仏心とは、「自分の命を惜しんで義をない
がしろにする者は命を失い、自分の命を差し出して義を行う
者は永遠の命を得る」ということだと確信しています。


440 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/08(月) 12:49
>437
>だんなは「本人の修行が足りなくて、因縁に引きずられたから・・」

標準的会員の反応ですね。
うまくいかない事はすべて会員の修行不足、梵行不足、
徳不足、心構えのまちがい、と教えこまれています。
十万円の解脱供養で成仏したことになるのでしょう。
お釈迦さんは先祖供養だの、不成仏霊を成仏させろだの、
んなこと、言ってないんだけどねえ。

ご主人にいろいろと話してみるといいと思います。
人によって、ショックを受ける内容は違います。
ネタはいっぱいここに転がっています。
ただ、たいていの熱心な修行者は、
「管長の否定」=「自分への否定」
という誤解をしますから、ご注意あれ。


441 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/08(月) 21:23
>439
>心の奥には「自分だけ助かればいい」という利己主義が
>あったと思います。

普通の人はそうです。
問題は、指導者の桐山さんがそれを増長させる点です。
利己主義を薄めるべき指導者が、逆に増やしてしまう。
これは桐山さんの性格や目的がそうだからです。


442 名前: いろいろな議論もよいですが、 投稿日: 2000/05/08(月) 22:15
みんなさんが知らずに拝んでいるものをお教えしましょう。
それは天地を創られた主なる神様です。
その御子キリスト様へ帰依しましょう。
終末に主の審判があります。その時までに
阿含宗から悔い改めてキリスト様へ帰依していた方がよい
と思います。


443 名前:投稿日: 2000/05/09(火) 00:33
モナー教に帰依したほうが良いぞ。


444 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/09(火) 20:55

「一九九九年七の月」 23.十三救いの輪運動の中身

十三救いの輪運動とは、13人を新たに信者として獲得することです。
これまで何人獲得していようが、まったく関係ありません。
桐山氏の言うように、人を助ける徳で自分も助かるというのなら、これまで入信
させた信者の数も数えるべきでしょう。
長年、桐山氏の言う行をやって因縁が切れているはずの人はどうなのでしょうか。

桐山氏の信者へのノルマはこのように前の事は完璧にリセットされます。
常に新しい数字を要求します。
目的が、信者の因縁を切ったり、助けることではなく、信者の数だからです。

13人を獲得できる信者は珍しいでしょう。
当然、そこではごまかしがおこります。
家族を無断で入信させたり、人数をそろえて、ノルマを達成すると、後は辞めよ
うがなんだろうが、知らぬふりです。
立場を利用して、他人の入信者をとってしまう先達(指導的信者)もいます。
こういうえげつないことを有名先達が堂々とやるのです。
こんなことは昔からありました。

中身がなかろうが、他人から盗もうが、桐山氏は気にしません。
桐山氏は目先の入信者の数にしか興味がないのです。
職員も先達もそれを承知しているから、信者に拍車をかけます。
桐山氏のご機嫌を損ねず、自分の命が助かりたいためです。
その結果、実態を伴わない空虚な数字だけが、毎月踊りました。



445 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/10(水) 19:02
福永の次は桐山に決定!!!
これで何回目のxxxだったっけ。


446 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/10(水) 19:19
ZENKA 4 PAN だね。


447 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/10(水) 21:08
>432
>誰かこの本読んだ人いる?

阿含宗批判は10頁ほどです。
1989年の記事ですから、まだ批判しがいもあった時期です。
星まつり、因縁、前科、脱税、密教食、広報室長の辞任。
この記事独自の新しい内容はありません。



448 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/10(水) 21:58
>440
>「管長の否定」=「自分への否定」という誤解をしますから、ご注意
あれ。
うん、そのことは充分に承知してるつもりです。信教に限らず、
何事にも決してゆるぐことが無いと信じていたものが
間違いだったなんて、こんな辛いことは無いですよね。
まず、何からやっていこう。。。?



449 名前: >439 投稿日: 2000/05/11(木) 04:58
救われない人ですね…。

いいですか、核心をついてあげましょう。
自分が救われたい=悪
人を救いたい=善
ではないでしょう?
そもそも仏教って
そこに救われるべき「自分」とか
救うべき「他者」が実在するのか?
ということを問いかけてませんでしたっけ?
あなたは単に、向いてる方向を逆にしただけ。
相変わらず同じ船に乗っています。

>今は、神心ないし仏心とは、「自分の命を惜しんで義をない
がしろにする者は命を失い、自分の命を差し出して義を行う
者は永遠の命を得る」ということだと確信しています。

ここはなかなか力の入った暴露話がでてきておもしろいんですが、
単に桐山密教がインチキである、とか、
教祖がでたらめでこんな悪事を働いてる、とか
教義は借り物だ、とかだけの批判じゃ、
「これは偽物だけどどこかに本物があるに違いない」
っていうことになりませんか?
で、そういう人がオウムなんかに流れたんでしょう?
あるいは439さんみたいに、あさっての方向向いた確信持ったり(笑)。

ここはもっとはっきり
「桐山の言ってたことが、もし仮に100%全部本当だったとしても、
つまり因縁解脱もできるし、超能力も身に付くし、
桐山自身がスパーマン」
ということであったとしても(あくまでも仮に、ですよ)、
そもそも修行して因縁解脱する事自体に何の意味があんの?
とか、超能力が身に付いたとして、それがなんなの?
という、もっと根本的な部分を、
徹底的かつ完膚無きまでに否定して差し上げなくては。




450 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/11(木) 12:21
>449

仰せの義、いちいちごもっとも。
でも、人によって学んでいるものが違う。
小学生の勉強を大学生が笑ってはいけないのです。
439さんを、向きを変えただけ、とおっしゃる。
だが、それは439さんにとっては進歩かもしれない。
誰が大学生で、誰が小学生かなんて、誰もわからない。
もっとも、桐山さんは砂場の保育園児のようですが。

結論がすべてではなく、課程や階梯が大事ではありませんか。
子供だましのような阿含宗を今でも信仰している人も、
一つの階梯を進んでいる。
もしかして、このスレッドを見て、更に進むかもしれない。
その進歩は449さんから見たら、つまらないわずかなものでも、
その人たちにとっては大きな一歩かもしれない。
危険なのは「これが絶対正しい」と止まってしまうことです。

>そもそも修行して因縁解脱する事自体に何の意味があんの?

根本的な問いかけをするべきだという意見ももっともです。
今まで書かれて来た桐山分析はそれはそれで価値があります。
つまらない信仰だから捨てる、ではなく、どこがつまらないか、
自分は何を信仰したのかを、丁寧に分析するのは意義があります。
並行して、449さんが、もっと根本的問いかけをすれば、
このスレッドはとても充実します。
449さんも連載してください。


451 名前: 伝統仏教しっかりせい! 投稿日: 2000/05/11(木) 20:25
べつにアゴン信仰したいひとは、
すれば良いと思うけど
他人がどうこう言ってもしょうがねえじゃん!
桐山氏のお笑い悪口を楽しみたいなら
このまま続けりゃいいや、俺は飽きたけど。
根本的な問いかけしたって
宗教やる奴はやるんだから、どうだっていい
だいたい伝統宗教がだらしがないからだろう
アゴンがでかい顔するのは
いくら桐山氏の悪口いってもラチがあかねえや!
ハッキリいって今の伝統仏教、魅力ないね。
どんな工夫して布教なり活動なりしてんだろ?
爺さん、婆さんたちのお気楽クラブじゃねえか
結局のところ。


452 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/11(木) 21:35

「一九九九年七の月」 24.十三救いの輪運動とは宗教ねずみ講

13運動を達成した信者は助かるとして、では、その13人はどうなるのか。
13人はそれぞれが新しく13人を入信させないと助かりません。
脅迫と欲で増殖させる「宗教ねずみ講」を桐山氏は作ったのです。

桐山氏のノルマの掛け方は、信者のエゴをむき出しにさせるやり方です。
元々それほど欲がなかった信者までが、だんだん欲の皮がつっぱってきます。
恐怖と欲望に駆られて、入信者獲得に奔走する信者を見ていると、何のための信
仰、何のための宗教かと、気色悪くなります。

入信させた信者数に対し、グランド・ミッショナリーなどの称号を与えました。
オウム真理教の「正大師」などの称号を、かつて桐山氏はあざ笑いました。
自分が小馬鹿にした内容をまねたのです。
桐山氏は、軽蔑した相手のまねをしたとさえ思っていません。

北朝鮮のミサイル実験を、桐山氏はすぐに恐怖の大王だと断言しました。
後は野となれ山となれで、信者たちを使い古しの手段で脅かし、低レベルな欲を
あおり、ブリキの勲章をぶら下げ、信者数を延ばそうとしたのです。

核ミサイルの、原発崩壊の、大地震の、4割横変死の1999年が近づきました。



453 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 14:13
1995年3月サリン事件。
1995年5月麻原逮捕。
1995年6月「オウム真理今日と阿含宗」桐山著 出版
1995年9月坂本一家遺体発見
1996年4月麻原初公判
1996年8月「十三救いの輪運動」
オウムとの深い関係が取り沙汰され、信者激減にあった阿含宗は
銀行への返済を滞らせないために「十三救いの輪運動」という
宗教ねずみ講を始めた。これが真相だろう。



454 名前: 阿呆宗の尻山 投稿日: 2000/05/12(金) 22:24
ここも長いね、
ながながと結論でてんのに
くだらねー桐山氏批判、
ここまでのばすと元信者の愚痴、泣き言としか
思えませんね。
(もっともエビ氏が元信かどうかは知らんが)
一言いわせて!
泣きを見るのはてめーらが馬鹿だからだよ!

信者激減してんなら、そのうち消滅するでしょ
異常な憎悪で批判する必要もねえや!


455 名前: エビカワ 投稿日: 2000/05/12(金) 23:53
ヌマエビ君やめたまえ、
いくら君が13救いの和運動が出来なくて
グランド・ミショナリーの称号をもらえなかったからといって
悪口を言いつづけるのは、君が泣きながら桐山氏に
生卵をぶつけたのは信者の間では有名な話だ。
君は「おぼえていやがれ!」と捨てぜりふを
残してでていったね、そのしうちが2ちゃんでの
ボウロ話なのか!
おかげでAGONN宗は今信者激減だ
君の復讐は成功したわけだ、
しかし桐山大僧正は面の皮が厚いから、ちっともこたえていないぞ、かえって仕事がへり囲碁ばかりしているぞ
囲碁が命なのだろう。
君も見習って囲碁ならいたまえ

君のライバルにして信者仲間だったエビカワより。


456 名前: >450 投稿日: 2000/05/13(土) 05:50
>根本的な問いかけをするべきだという意見ももっともです。
今まで書かれて来た桐山分析はそれはそれで価値があります。
つまらない信仰だから捨てる、ではなく、どこがつまらないか、
自分は何を信仰したのかを、丁寧に分析するのは意義があります。
並行して、449さんが、もっと根本的問いかけをすれば、
このスレッドはとても充実します。
449さんも連載してください。

わかりました。連載になるかどうかはともかく、
ちょっと引っかき回します(笑)。

まず、因縁解脱からいきましょうか。

因縁解脱したい、って思っている人たち、
キミタチハショウキカネ?
たぶん、因縁を解脱したいっていう人は、
因縁には「良い因縁」と「悪い因縁」があると思っているんでしょうね。
でもちょっと待ってください。
そもそもなにが「悪い」因縁で、なにが「良い」因縁なんですか?
良いとか悪いとかっていうのは「人間万事塞翁が馬」で
そう簡単に決められないことじゃないんですか?
実際、成功者の伝記とかを読むと、逆境とか、一時的な不運、不幸
というのもが、いかに人を鍛え上げるものなのか、ということが
よくわかると思います。

「いや、俺は楽したいんだ。あらゆる不幸から逃れたいんだ」
って言う人は、はっきり言って
「因縁解脱したインネン」という最高に不幸な因縁をもって
生まれてきています(笑)。
モナー教に改心すればそういう因縁は解脱できるでしょう(爆)。

いや、あまりにもばかばかしいんでジョークに走ってしまいました。

そういえばどこかで桐山が、
とある仏典を引用していて、その仏典には
「聖者の因縁は黒くも白くも無い(悪い因縁も、良い因縁も両方無い)」
という趣旨のことが書かれていたのですが、
「これは間違ってる。良い因縁はどんどんふやして悪い因縁は絶つべきだ」
という主張を述べていました(昔、ちょこっと読んだだけなんで、
どんな本だったか忘れた。でも、思わず目が点(メ_メ)
になったのでよく覚えてる)。


457 名前: 456の続き 投稿日: 2000/05/13(土) 06:45
「聖者の因縁は黒くも白くも無い(悪い因縁も、良い因縁も両方無い)」
という言葉は、実は仏教がうんぬん言う以前に、
理解しておくべきもっとも重要で根本的な哲学的命題を含んでいます。
これについてよく考えれば、実際のところ「良い」「悪い」
という相対性を越えるところに「解脱」の本当の意味があると
気がつくでしょう。
桐山の言ってるような意味では、因縁解脱が仮にできたとしたって
それでは絶対に幸せになれませんね。

すなわち、自分の思い通り=幸せ、じゃないってことです
(でも、アゴンに限らずそう思っている人があまりにも多いですけどね)。

よく観察するなら、不幸の原因はむしろその「自分の思い」
の方にあると気がつくはずなんですが。





458 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 06:59
サリン実行犯は麻原の弟子。
麻原は桐山の弟子。
ならばサリン実行犯は桐山の孫弟子か?


459 名前: 心ある信者の方へ 投稿日: 2000/05/13(土) 07:19
阿含宗には失望した信者のかたがた
仏舎利を拝んでもしょうがないのです。
あれは骨にしかすぎません。
ブッタはすでにこの地上に生まれ変わって
おられるのです。
・・・大川隆法こそその人なのです。
信者の方も桐山氏もこぞって帰依するべきです。
地獄の邪霊にまどわされてはいけません。
                   以上!


460 名前: >458 投稿日: 2000/05/13(土) 07:24
そうでしょう、やっぱ。
で、カルトは一家、信者はみな兄弟(笑)。


461 名前: >459 投稿日: 2000/05/13(土) 07:38
>ブッタはすでにこの地上に生まれ変わって
おられるのです。
・・・大川隆法こそその人なのです。

もちろんジョークで言ってるんだよねヾ(@⌒▽⌒@)ノ。
もう生まれ変わらないから、解脱した人って意味で
仏陀と呼ばれるんだよ。


462 名前: >461 投稿日: 2000/05/13(土) 08:01
でも、新興宗教ってどこも同じようなもんだと思うぞ
ジョークではなく真面目に言っているから宗教なんだ
ここでは学問的常識なぞ通用しません。
狂気に近いものがある、てなわけで
459の人、信者なら案外本気で言っているのかも?


463 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 08:13
でもよ、病気なおる奴もいるから
宗教として続いているんだろう?
いくら口がうまくてもそれだけじゃなあ
阿含も20年ぐらいの歴史あるんじゃないか
ごまかしだけじゃ絶対つづかんぜよ!
どんな秘密があるんだろう
ここのボウロ話読んだけど
こんな宗教だったら3年もたないぞどう考えても
オウムや法の華見ればよくわかる。
まだ謎はのこる。


464 名前: >463 投稿日: 2000/05/13(土) 10:23
裏話や暴露話が必ずしも真実や
すべてを語っているとは言えないということさ
人は自分にとってつごうのいいことしか言えんのさ
そういうこと!


465 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 14:12
>455
>悪口を言いつづけるのは、君が泣きながら桐山氏に
>生卵をぶつけたのは信者の間では有名な話だ。

へえー、そんなことあったんですか。
桐山さんに生卵か、そりゃ、おもしろい。
ぜひ、もっと詳しく話してください。
1980年代の中頃、桐山さんが殴られたのは聞いています。
定例会に出ようとしたところを、いきなり殴られた。
顔にバンソウコを貼って定例会に出てきた。
桐山さんは○○学会の手先だと言ったそうです。
超能力があるなら、生卵も予知すればいいのにねえ。



466 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 14:34
>455
>おかげでAGONN宗は今信者激減だ
>君の復讐は成功したわけだ、

これって、責任転嫁ではありませんか。
信者が激減したのは、桐山さん本人のやり方の問題で、
誰かの攻撃によるものではないですよ。
十三運動は1996年で、このスレッドは去年から始まった。
でも、信者は十年前から減っていた。
例祭や星まつりでの数が減っていったのを覚えています。

>君のライバルにして信者仲間だったエビカワより。

何かおもしろい話がありそうですね。
どういうライバル仲間だったのか、ぜひ話してください。
エビカワさんはクランド・ミッショナリーなんですか。



467 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 15:59
>裏話や暴露話が必ずしも真実やすべてを語っているとは言えないということさ

全くその通り。
ここに出てくる裏話や暴露話よりももっとひどい話が沢山ありそう。
まだまだ全てじゃないらしい。


468 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 20:23
>阿含も20年ぐらいの歴史あるんじゃないか
>ごまかしだけじゃ絶対つづかんぜよ!

桐山は「商人」として一流です。
それだけです。



469 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/13(土) 20:30

「一九九九年七の月」 25.インド護摩

1999年が近づき、信者を脅迫し続けることはできても、核ミサイルも大地震もな
く、桐山氏の地球壊滅はおきそうにもありませんでした。
桐山氏は、お得意の壮大な言い訳をひねり出す必要に迫られました。

1981年の本の趣旨からいうなら、インドに行かないわけにはいきません。
それも、自分から行ってはサマになりません。
メシアは世界中から求められて、求められて、求められて出現するのです。
相手から請われて、自然に行かざるを得なかったという演出が必要です。

1999年、インドから招聘(しょうへい)され、デリーで護摩を焚きました。
阿含宗の招聘とは、お金をばらまいて、招待されたように見せかけることです。
身から出た錆とはいえ、インドの暑い3月は、体調の悪い桐山氏には負担だった
でしょう。
お金を使ってインドの著名人とのツー・ショットを撮り、準備ができました。

1999年、ついに出た最終章の言い訳本が「一九九九年七の月よ、さらば」です。
はたして、桐山氏の地球は壊滅したのでしょうか。
桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。



470 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 20:55
福永が詐欺で逮捕なら
殆ど全ての宗教家達は同罪だろうな。


471 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 20:57
>桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。

お願い早く教えて。


472 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/13(土) 23:48
宗教それ自体が人類にとって災いなのです。
神仏の名の元に歴史上どれほど沢山の人々が殺されたことでしょう。
殺人の「規模」だけ見ればオウムなど大したことはありません。
オウムだけが特別なのではなく、殆どの世界的大宗教はすべからく虐殺の歴史を
持っています。
日蓮ですら、法華経の敵を殺すことは最高の功徳だと述べているではありませんか。
いずれにせよ、阿含宗はオウムを育てた責任を否定できないと思います。



473 名前: 449再登場 投稿日: 2000/05/14(日) 04:54
超能力批判!!

やっぱこれでしょ。
これをやっておかないと、徹底的にもう完膚無きまでに、
これでもか、これでもかっていうくらいに否定しておかないと
この板読んでる人のなかには
「アゴンは入り口だった。その後クンダリーニとかチベット仏教
とかをまじめに勉強するきっかけになった」
なんて寝言言ってる奴らもいるみたいだから危険きわまりない。
ってことで超能力!批判します。

まず当たり前だけど、超能力ってのものが、あるいはシッディ
なんていうものが本当にあるのかってことだな。
これに関しては普通の常識人は信じてないだろうから
議論するのも恥ずかしいんだけど、カルトな人って
超能力も含めていわゆる超常現象が好きで、人により、
あれは信じるけどこれは信じない、みたいに微妙に信じる
内容が変わりながら、結局信じてる。
だからここでは、個々の現象の細部にわたって、これはインチキ
あれもインチキっていうふうには批判しない。
一度にまとめてぐうの音も出ないくらい一発で全部否定して差し上げます。

そのためにはまず、私がインドに行ったときの話しを
しないとだめでしょうね。

以下次号





474 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/14(日) 20:56
473さん
名前を決めてください。
そのほうが連載は読みやすい。
後から読む人のためにも。


475 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/14(日) 22:47
超能力批判!!

超能力の定義にもよるが・・。
少なくとも
空中に静止できる人間はいない。
いたら公開でやってくれ。
膝を使って跳ねるだけなんて
空中浮揚っていわんだろ。




476 名前: kiritanpon 投稿日: 2000/05/14(日) 22:52
ヌマエビさんへ
貴方の書き込みはとても貴重だと思う。
他に転載して多くの人の目に触れさせてよいだろうか?
ぜひOKといって欲しい。


477 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/14(日) 23:03
人間てさ、嫌なことや辛いことが沢山重なってまいってる時
上手い話もちかけられると胡散臭くても簡単に信じちゃうものらしい。
だんなが入信したきっかけは、確か「守護霊を持て」っつう本を
読んでからだったと思う。私と出会う、ずっと前の話。仕事のこと、
家族のこと、友人関係のことで悩んで煮詰まってた。それまでは
哲学書の類とか、そんな難しい本読んだりして解決への道を模索
していた。そんでもっていきなり「守護霊」。。。結局は
現実逃避だったように思える。傷つくことも覚悟で問題に立ち向かう
強さがあれば、宗教に走る事も無かったのかな。結婚してわかったけど、
彼は面倒なことには見向きもしないタイプ。しっかりしてよ。





478 名前: ヌマヘビ 投稿日: 2000/05/14(日) 23:17
>476

だめです。
神聖なる仏陀の法に帰依する人達が迷います。



479 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 00:07
>476

だめです。
神聖なる真正仏舎利に帰依する人達が迷います。


480 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 01:22
おもわず吹き出しただろ!>478、479
ヾ(@⌒▽⌒@)ノ

あんまりちゃかすなよ。
よってageだ。


481 名前: クサレ坊主!! 投稿日: 2000/05/15(月) 03:19
阿含宗・・・桐山は上品そうな顔して意外とやり手じじい
だったんですね。  まぁ宗教の教祖なんてもんは人を騙す
のが商売みたいなもんだから汚い面してるよりは多少でも上品な
顔立ちの方が入信する人もいいだろう・・・
このクサレ坊主、箱根の千石原にどでかい別荘持ってるんだけど
そこがまた金掛かってる建物なんだよね〜近くには長島茂雄とかの
別荘もある。 
だから、夏とか暑い季節はそういう避暑地にいって信者の皆さんから
集めた金でクールな高原リゾートを満喫しているんでしょう。絶対に。
   


482 名前: >みかりん 投稿日: 2000/05/15(月) 05:09
>。。。結局は
現実逃避だったように思える。傷つくことも覚悟で問題に立ち向かう
強さがあれば、宗教に走る事も無かったのかな。結婚してわかったけど、
>彼は面倒なことには見向きもしないタイプ。しっかりしてよ

私が因縁透視したところ、彼には「因縁解脱したインネン」
の因縁があります。私が新たに開発した万座行をやりましょう(笑)。


483 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/15(月) 12:44
みかりんさん
>傷つくことも覚悟で問題に立ち向かう
>強さがあれば、宗教に走る事も無かったのかな。

みんな弱いトコあるんよ。
弱みをうまく突かなあ、教祖様にはなれんて。
旦那はんが哲学書まで読んどるなら、
阿含宗が釈迦仏教とどう関係するか聞いてあげたら。
お釈迦さんは先祖供養や悪い因縁なんて説いてないし、
護摩も占いも禁止した。


484 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/15(月) 21:01

「一九九九年七の月」 26.言い訳本の主旨

1999年7月には地球壊滅がおきそうもないことから、桐山氏は言い訳を取り繕
う必要に迫られました。
「一九九九年七の月よ、さらば」の言い訳の要点は次のようになっています。

・ノストラダムスの予言の「1999年7の月」とは、中国に仏教が伝来してから
1999年目にあたる西暦1997年のことである。
・1997年12月、桐山氏は中山大学(中国)で講演をした。桐山氏が中山大学に講
演の原稿を送ったのが1997年7月である。これは、ノストラダムスの「1999
年7の月」の予言と月まで一致する。
・原稿を送ったことがアンゴルモアの大王(釈迦)の「よみがえり」である。
・1998年11月、北京大学での桐山氏の仏教講演はアンゴルモアの大王(釈迦)の
「復活の儀式」である。
・1999年、インドで焚いた護摩は仏陀の「復活祭」、アンゴルモア大王の「生誕
祭」である。
・アンゴルモアの大王(釈迦)を復活させたのは桐山氏であるから、桐山氏が「
恐怖の大王」である。
・すなわち、桐山氏の人生はノストラダムスによって予言されていた。



485 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/15(月) 23:48
>482
>私が新たに開発した「万座行」をやりましょう
タダだったらいーよ。お金取るんなら、やんない。
>483
弱いトコがあるのは認めますよ、もちろん。それを食い物に
する奴が世の中には沢山いて、ひっかかる側にも原因
があるってこともね。
10年も修行とやらを続けてて、でも全然人間ができてないもん。
他の宗教やってる人らにも多いけど。
気に入んなきゃ暴力振るわれる事も結構あるし。それを
同じ「ファミリー」のメンバーや県支部の先達にチクったんだ。
案の上、だれもまともな答えを出してくんなかったね。
管長に直訴しようと思ったこともあるよ、マジで。「こんな奴
信者にしといていいんでっか?」とか言って。
もう既に何10万、いや全部あわせりゃ100万単位だろう、大金
掛けてる。何体も解脱供養してんのに、ガンの因縁を気にして、
ちょこっと口内炎ができたら舌癌かも、胃の調子が悪けりゃ
胃癌なのかな?・・・とホントに嘲笑もん。



486 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 02:36
>糞坊主さん
やり手なもんですか!
もう、借金かかえて信者激減
もうすぐ夜逃げすることでしょう。
>みかりんさん
そりゃ重傷だ!嘲笑ですめばいいけど、心の病かも
病院いった方が良いと思うよ!


487 名前: エビカワ 投稿日: 2000/05/16(火) 03:07
ヌマエビくん
こんどはノストラダムスなのか
君は五島氏を尊敬していると言っていたではないか
五島氏は人類に対して警告をあたえた、それを
宗教の面から説いたのが桐山氏だと
五島氏がいなかったら入信はしなかったと、
人類滅亡が起きなかったからといって
やけくそになり、桐山僧正ををけなすのはやめたまえ
君はアダムやノアのような人生が夢だったね自分だけは生き残りじんるいの祖になると
でもみんなは滅亡が起きなくてよかったと思っているぞ
夢が破れたからといって他人のせいにするのは
よくないことだぞ。



488 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/16(火) 06:29
473です。名前を決めてみました。

ところで469で
>桐山氏の言い訳は、それはもう大方の予想をはるかに上回る天才的な出来でした。

とあったんで、私も楽しみにしていましたが、
484を読んで危うく大爆笑するところでした。全然天才的じゃないじゃない…(笑)。

ま、いいや。で、473の続きです。

超能力批判

超能力とかシッディ(神的能力?)とか、いわゆる超常現象も含めて
この手のことを信じてる人の大多数は、
「日本にはそういう人はいないかもしれないが、
ヒマラヤの奥地とかに行けば、今でもそういう超能力を持った
ヨギ(ヨガの修行者)やサドゥー(修行僧)がいるはずだ」
とか、
「日本の伝統宗教には実践が無いじゃないか。理屈と観念論だけでは救いがない」
とか、
「超能力は修行や瞑想の結果として発現するもので、どのようにその力を使うか、というのとは別問題だ」
とか、まあ、いろいろそんな風に考えているんでしょうね。

確かに超能力といえども、
そういうものが実際にあるとか無いとか議論する以前に、
冷静に頭を冷やして考えてみるなら、
それをどう定義付けようと、あるいはそういうものが仮に
実際に存在する、と仮定してみたところで、
結局はようするに「能力」の一形態にすぎないわけで、
そんなものが存在したって、しなくたって自分的にはどうでも良いような気がするんですが、
なぜか超能力信望者というのは、超能力者=聖者とでも思っているようで、
そういう能力が何か宗教上、すこぶる重要なものであるかのように
錯覚しているんですよねえ…。




489 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/16(火) 06:31
488の続き

で、こういうところで話をする以上、頭ごなしに超能力なんて無い、
って言ってみたところで、なかなかそういうことを信じている人には
聞き入れてもらえないだろうし、「気」みたいに非常にデリケートな部分
(別にそういうものが実際にある、とか、それが重要という意味ではありませんが)
もあるので、一応、まだ科学的に解明されていないだけで、
そういう現象はもしかしたらあるかもしれない、
という例のオカルト信者の常套句を使うことを
今回だけは特別に許しましょう、ていうか
その方が逆に論破しやすいテーマなので(笑)。
もちろん、読み進めていけばいかに超能力がインチキか、
仮に実際にそういう能力を持ったとしても無意味か、
っていうことがわかるように書くつもりですが。
念のために断っておきますが私はもちろん無宗教者です。
あ、それから草加学会とかの念仏唱えてどったらこったらとか
ご本尊さまがどうのこうのとかいうのも、
当然ながらこのテーマに絡んでくると思いますよ。

で、以下次号(笑)。


490 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 12:29
>485
> 管長に直訴しようと思ったこともあるよ、マジで。

これやると要注意人物でにらまれます。
管長は、信者の問題がほしいのではなく、
「猊下のおかげでうまくいった」
というオカゲ話、猊下和讃がほしいだけ。
だから、問題に対しては世間並の知能すらありません。
下手すれば、傷を広げられる。

>案の上、だれもまともな答えを出してくんなかったね。

因縁だ、霊障だ、天命殺だ、徳が足りない、
お導きしなさい、解脱供養や冥徳供養が足りない
てのが阿含宗のまともな答なんです。
この答の共通点は阿含宗にとって御利益になること。
常識的なこと言う人は排除されます。
そうでない職員や先達が生き残ります。

ご主人は因縁が恐いから、それを切ってくれる
阿含宗なくしては自分の人生が存在しないのです。
因縁、霊障、地球壊滅と、恐怖心を植え付けられ
自分がそれに依存していることにすら気がつかない会員は多い。
暴力もあるとなると、阿含宗を批判するときには、
相当気をつけたほうがいいですね。
恐怖と暴力は裏表です。


491 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 12:55
>488
>読んで危うく大爆笑するところでした。全然天才的じゃないじゃない…(笑)。

大爆笑させそうになるところが、天才的なんだよ。
なにせ、桐山さん本人はマジで書いてるんだから。
凡人があんなムチャクチャなこと書けるか。


492 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 17:19
ところで
皆さんに質問です。

1.桐山から求聞持聡明法の正式な伝授を受けて成就した人はいますか?
2.阿含宗の修行でクンダリーニが覚醒した会員はいますか?

これに該当する人がひとりもいなければ
阿含宗を詐欺で立件できるでしょう。





493 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 19:09
>1.桐山から求聞持聡明法の正式な伝授を受けて成就した人はいますか?

仏陀(メシア)の法と名前を変えてから10年ぐらいになると思いますが
今でもやってるんですか?実際に修業をしていた人、最近の状況を知っている人がいたら
ぜひ、教えてください。


494 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/05/16(火) 20:42
>476 kiritanponさん
>他に転載して多くの人の目に触れさせてよいだろうか

許可を求めていただいてありがとうこざいます。
基本的にはかまいません。
転載先などをメールで教えてください。
なお、このメール・アドレスは一週間で閉鎖します。


495 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/16(火) 22:42
>487

二人だけの会話しないで、生卵の話してよ。
生卵は腐ってた?
管長猊下の顔面に命中した?

>でもみんなは滅亡が起きなくてよかったと思っているぞ

だから、「みんな」は笑われる。


496 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/16(火) 22:52
>490
いつもレスしてくれる、同じ人だよね。あと、関西弁の人も
どーも。参考になります。
>これやると要注意人物でにらまれます。
ありゃ、やんなくて良かった。でももしかしたら、このほうが
かえっていいかも。例えば嫌がらせや中傷を受けた事実
があった方が告発の材料になる。。。かな?
やっぱ危険か。ここらへんは県支部や別院から遥か遠くの
田舎町なんで、あまり殺伐とした実態が伝わってこない。
オウムみたいにひどいことされるのかな。
>ご主人は因縁が恐いから、それを切ってくれる阿含宗なくしては
自分の人生が存在しないのです。
おっしゃるとおり・・・です。殆ど依存症と言えます。


497 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/17(水) 05:19
>492
少なくとも僕は1も2も該当者を
一人も知らない


498 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/17(水) 13:00
>496
>例えば嫌がらせや中傷を受けた事実
>があった方が告発の材料になる。。。かな?

だまされた、金をとられたという程度では、
教団を詐欺罪で訴えることはできません。
霊障や地球壊滅で脅迫しても、阿含宗程度では、
拘束や強要ではないから、法律には触れません。
因縁解脱や超能力開発も同様です。
宗務局は百も承知で、やりたい放題です。

このスレッドの122で熊本道場の件が出ていました。
横領の濡れ衣を着せられて破門になったら、
素人目には名誉毀損で裁判に持ち込めそうです。
しかし、訴えることすらできなかったはずです。

自分の身は自分で守るしかありません。
会員は仏に守られていると信じているけど、現実は
まったく逆で、法律にすら守られていないのです。


499 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/17(水) 17:28
age


500 名前: 桜庭 投稿日: 2000/05/17(水) 17:46
>498
法の華が宗教詐欺の判例を作ってもだめですか?


501 名前: 無明 投稿日: 2000/05/18(木) 00:16
「1999年カルマと霊障からの脱出」からの大河ドラマ、すごいですねぇ〜。
一気に読みました。
一時期教団に行っていた頃があるので、懐かしいなぁ。
当時は、超能力目当ての人と守護霊を持ちたい人と原始仏教というか仏教の本流に惹かれて来ている人(自分もかな)とTBSの番組でお護摩見てご利益求める人と、えらい熱気だったですね。
あっ自分はお金がかかるのと、教義に一貫性ないのがわかりましたからすぐ辞めました。
得意の超能力も当時でさえ怪しくてね。ぐもんじ飴とかさぁ。
ひとつ思い出した。確か布教用にビデオ撮りしてたけど、VHSではなくてベータ。
予知能力あるのなら、VHS選ぶはずなのに。(笑)

でも、桐山さんは特異なカリスマ性というか、ある種天才だったかもしれないね。
20年前から阿含経や原始仏典持ち出して、釈迦の教えの源流に戻れという一見まともな既成仏教の批判しても戦後何ひとつかわらねぇもんな、葬式仏教の連中は。
それによって独自性保てたわけだよ。
おまけに、オウムに吸収される信者の下地を造ったわけだし。
いずれにせよ大なり小なり、オウムの出現によって、日本からはある意味健全な宗教心が今後残っていく余地は絶たれたと思うんで、本質的な部分ではこの教団はもうおしまいだよ。


502 名前: >492 投稿日: 2000/05/18(木) 02:26
修行成就もなにも、修行そのものを
教えていないのだから
この質問パス!
のらりくらりと桐山氏、結局なにもおしえない。


503 名前: 暴力? 投稿日: 2000/05/18(木) 02:42
阿含批判するのに暴力に気をつけろとかいっている人いるが
どこが恐いんだ?
桐山氏殴ることは出来たり
卵ぶつけることもでき、こんなとこ辞める気になれば
なんてことないさ。恐いのは仲間はずれになることだろ
みかりんさんも思い切って辞めるときは
職員に卵ぶつけてやりなさいな!
すこしは反省しやがれと啖呵きって。


504 名前: なんかへん 投稿日: 2000/05/18(木) 03:12
なんかボードの調子がおかしいんですけど
また故障ですか?


505 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 04:06
>492

桐山の元でクンダリーニ覚醒?したのは結局「麻原」だけか・・・。
求聞持法は一人もいない。
と言うことですか?


506 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 07:52
>505
たぶんね


507 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 09:18
>502
あの〜σ(^◇^;)
聞きずらいんですが…
教わろうとしたの(笑)?


508 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 10:13
求聞持法をきちんと習った人はホントに一人もいないの?


509 名前: 502 投稿日: 2000/05/18(木) 11:24
だから、元信なんだよ、いいじゃん別に教わろうとしても
人の勝手でしょう、興味あったからね。
>505、いや麻原や林郁夫でさえ教わっていないはず。
結局、教えたのは瞑想の基礎、数息観とか、そのたぐい
こんなのどこでも教えています。
求聞持法など習った人は一人もいません。
講義名だけギョウギョウしいですけど。
まあ、なんか阿含も普通のお寺みたいに先祖供養や墓苑経営
やるようになって、グモン持とか超能力、関係の信者は
もうホトンドやめているはずでしょう
もうこの方面は誰も見向きもしません。
今は中高年信者の先祖供養の宗教のようです。


510 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/18(木) 16:54
あと、八段錦法、独古の加持、四度加行、マーシャルアーツバレエ、
受け入れの秘儀・・・(以下省略)

念力の護摩の前段階であるところの「火界定」の伝授も、つい最近
あったようです。

本格的な修行の場、錬成道場での指導が待たれるところです。


511 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 18:23
イニ、ホナチヒ。イ、テ、ニケ鄂ノ、゚、ソ、、、ハ、ホ、ャ、「、熙゙、ケ、隍ヘ。「
、「、・マ、ノ、、ハ、ウ、ネ、、荀テ、ニ、・、ヌ、ケ、ォ。ゥ


512 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 18:30
夏の伝法会って合宿みたいなのがありますよね、
あれはどんなことをやってるんですか?


513 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/18(木) 19:51
>481 このクサレ坊主、箱根の千石原にどでかい別荘持ってるんだけど

ホントですか!以前、法話の時、古くて狭い家に住んでいるっていってましたが・・・。
そういえば、桐山さんは普段、どこに住んでるんでしょうね?
その別荘って箱根のどの辺ですか。7月頃、湯本に行くので見たい気がしますが?


514 名前: 元信者 投稿日: 2000/05/18(木) 20:48
十数年も前になりますが、当時さまざまな悩みを抱えていた私は、
派手な宣伝にだまされて入信してしまいました。
桐山氏がとんでもないインチキ野郎であることは、半年くらいで気付きました。
最近の動向はよく知りませんが、これ以上だまされる人が出ないように願って
やみません。


515 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/19(金) 06:53
>510 本格的な修行の場、錬成道場での指導が待たれるところです。

俺の友達20年前に入信したから待つの慣れてるって言うけど
もう、白髪になってきたよ。
果して、彼が生きている間に指導を受けられるかね?


516 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 00:32
実際のところ今何人信者がいるんだろう


517 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 02:33
>515さん
本人がいいっていうのなら、別に文句はいらないのでは?

インチキって、指導してくんないのをそう言えば言えないことも
ないけれど、一応、護摩たいて祈とうしてくれんだから
宗教としてインチキといえるかどうか、(それなりに霊験あったし)

桐山氏、ふだんは三田の関東別院にいます。
信者激減という人いますが、激減したのは超能力を求めて
入ったオカルト好きの若い連中で、きちんとした信仰をもった
信者はけっこういます。
名前だけなら30万人、実際に活動し、活発に動いている信者は
その十分の一ぐらいだと思います。

密教ブームも去り、昔のように異常に入信する人が多いという
こともなくなり、宗教批判もたかまるなか、最近はよく考えて
慎重に入信するかどうかきめる人ばかりです。
宗教団体としては安定期にはいったようです。


518 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 04:52
桐山は指導をしないのではない。
指導できないだけ。



519 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 04:54
桐山は求聞持法をどこで修行したのか?
この謎解きだけで彼の人格がわかるというもの。



520 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/20(土) 10:56
桐山氏はもともと行者でして、各地の霊場をわたり歩いて
おりました。 昔は宗教家として当然のことでした
今の宗教家のような理屈だけでやっていたわけでは
ないのです。
京都、五社の滝、(昔、ここの管理していたおかみさんに桐山氏
のことを聞いたことがあります。いろいろ不思議なことがあった
ようです。)
目黒不動尊のお滝場とか大峰山の修験系、鞍馬、高野山
その他、仕事の合間に修行にでていたそうです。
80歳ちかくになっても、一日中動き回る、星祭り
(しかも、今年は病み上がり。)
若いころから鍛え上げているなということがよく分かります。



521 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 17:03
五社の滝のおばさん、僕には桐山は余り来ていなかったと言っていました。
目黒不動尊のお滝場は水量も少なく年取ったおばさんでも入れます。
大峰山の修験系、鞍馬、高野山 の話は古い幹部の人達は否定していました。
クンダリーニヨーガもやっていなかったし、それほど荒行もしていません。
この話には自信があります。




522 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/20(土) 20:33
>503
一部誤解があるようです。私はもともと結婚相手が信者で、自分の
意思とはあまり関係なく入信した形になってます。暴力に関しては脱会を
望むと夫にひどいめにあうとか、そういったことではないのですが。
でも関係ないことで喧嘩したとき、「愛だの慈悲の心だの言ってても実際は
冷たくて嫌な野郎だよね!あんな宗教やってても時間と金の無駄だから
辞めちゃえば!!!」と叫んだら鉄拳が跳んできたことはありました。
桐山さん、あんたの弟子は最低よ。


523 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/20(土) 20:42
そういえば、苦行に出るといって刑務所にいっていた。
確かにそれも彼にとっては苦行かもしれないけれど。

かの有名な「行に立つの記」ね。

餞別まで受け取って、1年間霊山霊場へ修行に行くと宣言したとは・・・。
彼の霊山霊場とは、実際には「千葉県習志野刑務所」でした。
ちなみにこの時期が求聞持法の修行時期と重なるのね。
「行に立つの記」によれば滝行の修行は1年間、日常生活と仕事の合間に
ちょこっと出掛けての1年間ですよ。
一体何回行ったんだろうね。
夏だけだったりして。
水浴びに。(笑)




524 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/21(日) 03:45
>520
>今の宗教家のような理屈だけでやっていたわけでは
ないのです。
京都、五社の滝、(昔、ここの管理していたおかみさんに桐山氏
のことを聞いたことがあります。いろいろ不思議なことがあった
>ようです。)

>若いころから鍛え上げているなということがよく分かります。


??
それが宗教と何の関係があるのでしょう?
あなたがそういう嘘を信じている、というのはよくわかりますが
私のような無信仰かつ無宗教の人間でさえも、
100歩譲ってその通りだったとしても、
それが宗教と全く全然何の関係も無い、ということくらいはわかりますが。


525 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/21(日) 19:43
滝の行は古くからの伝統的な修行方法です。
それはそれでそれなりの成果はあるのでしょう。(説得力がないのは自覚してます)
ただ、桐山の場合はろくにやってもいないことを真剣に沢山やったと嘘を並べるから
「詐欺」的なのです。



526 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/23(火) 22:43
>512
だんなに訊いたら、「えー、まず如意輪法をやってー・・・」
とかで、後は思い出せないらしいです。この「夏の伝法会」かは
私も忘れたけど、チャクラを開発するなんて言って、尾てい骨の先あたり
(要するに肛門のうえ)にピップエレキバンみたいなのを貼って帰って
来た事があった。何やっとんじゃ、いったい。。。???



527 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/24(水) 09:48
>526
随分高いピップエレキバンでしたね・・・。



528 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/24(水) 23:55
>随分高いピップエレキバンでしたね・・・。
どわははは!と思わず笑ってしまった。いやいや、楽しんでる
場合じゃないね。一回5万円なーりーー。合宿中は、南青山のあるお店から
豪華(うそ)懐石のお弁当が届くそうです。
このスレ見っけてからやたらと私が阿含のこと訊くんで、「やっと真面目に
修行する気になったか・・」などと思っているらしい。
本当は今、持ち帰りの仕事を片付けなきゃいけないんだけど、サボって
書き込んでます。
ヌマエビさんって医学の知識も相当ですが、もしかして林郁夫が正体?
なわけないって。失礼しました。我ながらさぶー。
そういえば林受刑者、文芸春秋から本出してたね。ちょっと立ち読みだけで
買ってませんが。
彼が元勤務していた病院内では(彼が)阿含宗信者であることは広く
知られていました。職員や患者からの信頼も厚く、活動のためのカンパ
を募ると(もちろん職員だけ)皆こぞってお金をだしたそうです。
「あの林先生が信じているものなら間違いない」と言いながら。
オウムに入信してから少しずつ歯車が狂いだして。ついには病院の講堂に
「研修」とか偽って職員を多数集め、のちに大事件を起こすことになる幹部たちを
招き入れて「食後に塩と水を飲んで食べたものを吐く(だったかな???)」
食事法を皆に講義した。これが当時の院長の逆鱗に触れ、結局「オウムの病院に
行く」と辞めてしまった。愛人を含め何人か一緒に入信し出家していった。
ちなみにあの愛人とは夜の心電図室でデートするのが常だったそうです。


仕事しよ。


529 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/25(木) 10:07
>ちなみにあの愛人とは夜の心電図室でデートするのが常だったそうです。

「不適切な行為」ですな


530 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/25(木) 13:38
私もかつて知人に紹介され、阿含宗に騙された愚かものです。
脱会してもうかなり経ちますが未だに精神的なダメージが大きいです。
>みかりんさん とても大変ですね....旦那さんは信徒暦が長い分、
マインドコントロールを解くのは容易ではないかもしれないです....
でも、みかりんさんもどうか旦那さんを力いっぱい支えてあげて
早く社会復帰させてあげて....人事ではない話なので見ているこっちも
辛いです。
騙された私がいちばん悪いんですけど....阿含宗にはもう許せない気持ちで
一杯です。
もう阿含の皆さん、飯屋ごっごはいいかげんに止めましょう!!


531 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/25(木) 21:32
>530
救いを求めて入信したあなたが愚かものなら、結婚相手に
選んでしまった私はもっと愚かだね。
だいぶ傷ついちゃってるようだけどさ、過去は過去って割り切れない
もんですかね?前だけ見て歩きましょうよ。
目が覚めて、脱会できただけでも偉いって。

結構いろんなレスをもらえるんで、一つ一つ参考にしてる。
一生懸命決定打になるものを自分で考えてんだけど、
まだ見つからない。
今までは最新レスしか見なかったんだけど、昨日仕事を
サボるついでに全部読んだら管長について
沢山の醜聞が出てきた。仮にだんながこれ読んでも「くだらない
誹謗中傷」と信じないだろう。仏陀の法とかいろんなの
あるけど、全部体得したって言ってたよ。一応「先達」だって。


532 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/25(木) 21:42
まだ、うだうだやっているんだ!
だから、職員殴ってやめちまえよ
大騒ぎになってダンナも目がさめるだろ
いまさら桐山氏の醜聞だって
こんなの昔から言われていることじゃねえか
調べもしないで信者になるおろかもの
信者になるんだったら覚悟きめな!


533 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/26(金) 07:13
なにはともあれ、阿含宗からオウムに行かなかっただけ良かったですね



534 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/26(金) 16:09
>なにはともあれ、阿含宗からオウムに行かなかっただけ良かったですね

どういたしまして。


535 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 17:16
>みかりんさんへ

 長いこと宗教団体で熱心に活動された方にどうやって家族が対処
したらいいか?ってかなり難しいと思います.依存する人にはその
人なりの(本人も気がついていないような)理由があるので.ただ,
反対しても返って逆効果になることもあると思います.その点から
言えば,最初は相手が何を考えて熱心にやってるのかを良く知るこ
とが肝心かもしれません.

 後は,カルト脱退者のカウンセラーなどに相談するとか.

 スティーブンハッサンの書いた「マインドコントロールの恐怖」
等は参考になるかもしれないですね.

 カルト脱退者のHPがあるので参考になると思います.
 たとえば,下記のHPです.カルトの呪縛から脱出するための
指針などをまとめています.結構,有名なHPのようでリンクもある
から役に立つかも知れません.オウム裁判に江川紹子氏と出席した
感想記等もありますね.カルトにのめり込む人の心理が分かるかも
知れません.

 http://www.ne.jp/asahi/cult/kyongja/


 また,日本弁護士連合会が「反社会的な宗教活動にかかわる消費者
被害等の救済の指針」をまとめていて,下記のHPから自分のパソコン
にダウンロードして印刷できます.

 http://www.nichibenren.or.jp/sengen/iken/9907-02.htm

 また,弁護士の後藤氏のサイトにカルト関係の様々なリンクがあり
カルト被害者向けの書籍の紹介もされているので参考になると思いま
す.

http://homepage1.nifty.com/kito/

阿含宗は統一教会,オウム真理教,法の華などと比べて法に引っか
かるほどのことはやらないようなので,なかなかご家族の対応も難
しいと思います.持久戦だと思うので諦めないで頑張って下さい.


536 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/26(金) 18:34
結局のところダンナが阿含宗を信仰しているってことが
気にくわないわけだろ。
なんでつきあいで入信してしまったんだ?
たとえ夫婦でも信仰の問題は個人的なものだ
夫婦で違う信仰もっている人たくさんいる。
まあそれはさておき裁判おこしたら?
阿含の真相がハッキリしていいと思うぞ!
反阿含にしても、信者側にしても
嘘とホントがわかるだろうから。



537 名前: 535の続き 投稿日: 2000/05/26(金) 20:16
みかりんさんへ.

誤解を招くかも知れないので,一応お断りしますね.
弁護士会の資料を紹介した理由は離婚や裁判をお勧めしているわけ
ではありません.念のため.

535で紹介したHPを覗くと,

(1)カルト脱退者の解説した脱カルトの方法
(2)カルト信者やカルトの被害の実態および法的な対応の仕方
(3)カルト信者の心理

などが分かり易いので,参考になると思ったので紹介しました.

阿含宗の場合,法的訴訟には馴染まないでしょうが,一歩間違え
ると裁判沙汰になってもおかしくありません.弁護士会の資料は,
一歩間違えたカルト信者の強引な勧誘や被害の実例があるので,
色々と参考になるかと思います.

以上,お断り.


538 名前: 530です 投稿日: 2000/05/27(土) 07:44
私の場合、金銭的被害は軽佻でしたが(貧乏学生だったもので)
精神的被害がとても甚大です(現在進行形)
霊障だとか因縁だとか、インチキだと分かりつつもつい頭の中を
よぎってしまうような.....ほんとうに精神的にレイプされた気分
です。
でもこのスレッドに出会ってかなり吹っ切れた気がします(2chに救われるとは..笑)
>みかりんさん あなたの旦那さんは本当に依存症がひどいですね...もう今更
阿含宗を捨てられない、いや捨てれば自分自身が自分で無くなってしまうくらいに
中毒なんですね...でも誰よりも傷ついているのは旦那さん自身であり、そして
だれよりも脱会が必要なのも旦那さん自身なんです....。
みかりんさんも大変だと思いますが、必要ならば専門家に相談したりして
ご主人を救ってあげて....あなた自身のためにも。

阿含宗からオウムに行かなくて良かったねと言うレスがありましたけど
私はそこまでアホじゃないで〜す(爆笑)





539 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/27(土) 08:21
結局、依存中毒になってしまうことが問題なんだな。
なにが問題の原因なのか、自分自身を見つめることが
大切なことだと思うよ。
原因を他の別な物にもとめ、霊障だとか因縁だとかに
なすりつけているんだな。(霊障・因縁が原因の場合もたしかに
ある、とワシは考えるが、それに対応することをしても効果が
なけりゃ、原因はべつのもんだろう)
なんでも霊障とか因縁のせいにするのはやめてほしいわ。
自分の性格が悪いとか色々あるだろうに。
みかりんさんのダンナさんが阿含宗ということならば、そうだね
自分自身を見つめなおすような瞑想とかすすめてみては?
(瞑想を重視しているみたいだから)
気ずき、がおきれば好転すると思う、でも本人のやるきしだいだな

オウムじゃ霊障とか因縁とか説かないはずだ、麻原が元阿含に
いたからといっても、かなり内容は異質なところがある。
オウム信者に対応するのとは別なことが必要な気がする。



540 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/28(日) 08:41
みかりんさんへ

場合によっては離婚も選択肢のひとつとして考慮しておいた
ほうが、いいかもしれませんね。まぁ、暴力も程度の問題が
あるでしょうが。

結局、ダンナ様は自分の中の砂のお城を壊されるのがイヤな
ワケでしょうね。そのテの奴、おおいです。

どんな宗教、あるいはコミュニティでも、「光」と「影」が
あるんだから、自分にとっていいように取捨選択していけば
いいものを、全てを大肯定しようとするとどうしても無理が
でてくる。

幻想をぶち壊すのが、宗教だって気がしますが。

536さんの
>夫婦でも信仰は別問題ってのは、正鵠を射てますね。
僕もそうおもう。アタリマエです。いまさら言っても仕方
ないんで、貴方が幸せになるための選択肢のひとつとして
お考えください。
                  敬具

P,S,
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。


541 名前: 南人 投稿日: 2000/05/29(月) 16:49
申し訳ない。ここに書き込んだつもりが新規書き込みになってるみたいで。

ほんで、僕は阿含宗の信者です。でも、会費を払っていないので(笑)、どうなるんだろ。
桐山管長に解脱供養をあと20回ほど申し込むつもりです。金かかるねー。
でも、僕の気が済めばそれでいいんです。
確かに桐山管長の本にはいろいろ矛盾がある(笑)。

今年じゅうに、色情の因縁を断ち切って、すべて無くしたいと思ってる(笑)。
洗脳されすぎ?




542 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/29(月) 17:12
俺も新規書き込みにコメントしちゃった。まぁいいや。
宗教って、時代が下るにつれて尾鰭背鰭がついてくるから。
あるいは伝言ゲームみたいなもの。いろいろ矛盾はあるで
しょうね、確かに。

貴方が納得いくようにいろいろ勉強してみたらいかがですか(阿含にかぎらず)


543 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/29(月) 19:11
うちの旦那も信者です。
結婚する前から知っていたけど、熱心な信者てなほどでもないみたい。
小さいお賽銭箱みたいのに、お金入れてていっぱいになったら封筒に入れてるけど
送らないみたいだし、桐山管長とやらをあがめてる訳でもない
ただ毎日千座行とやらを15年以上、朝一か寝る前にやっています。
私は、宗教とかはまったく信じていません。
本当は、辞めて欲しいんだけど、無理そうなので黙認しています。
千座行って終わりはないのかなぁ
桐山管長が亡くなれば辞めるのかなぁ




544 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/29(月) 19:51
>桐山管長が亡くなれば辞めるのかなぁ
543さんのダンナ様タイプは辞めないでしょう、おそらく。
回りのコバン鮫連中はどういうリアクションを示すのか、今から
楽しみですな。

さして家計を圧迫しないのなら、現状維持でよろしいのでは
ないでしょうか。

どうか、ご主人を大切になさってください。もちろん、赤の
他人にとやかく言われる筋合いのものでは、ないでしょうが・・・。


545 名前: みかりん 投稿日: 2000/05/29(月) 23:07
なんか、結構反響大きくて、びっくり。でも様々なアドバイス、いただけて
多謝、多謝。これからはホント、長期戦ですね。
恋人でも夫婦でも、もちろん相手の信教の自由は保障すべき。
そう思って特に気にもとめずに結婚した。彼は「お前の悪い因縁を切って
幸せにするために(入信の)手続きをしておくから。」と言った。
ま、私のためを思ってのことだから・・・てなもんだった。
その後は別に会合に参加するわけでもなく、テキトーにながしてた。
子供が生まれてからかな、だんだんうっとおしくなってきたの。
とにかくそんな彼だから、子供に何かあったら困る・・・と
それまで以上に金をかける、かける。子供一人につき
二体も三体も下りて来るもんだから、いったいいくらかかったんだろ?
それで私がPCやネット始めると「金の無駄」と大文句。
じゃかーしい!これやってるお陰で仕事に重宝してるんだよ!
だいたい私が優雅に専業主婦やってらんないのは
なんのためだと思ってんのよう。。。

多分これからはだんなだけでなく、自分自身を見つめ直す必要を
今強く感じています。ここへ来て自分のいい加減さとか
色々浮き彫りになってきたような気がします。



546 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/30(火) 06:56
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
>どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
>琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。

ほとんどのまともな修行者は高尾山では蛇滝に行きます。
水量も多めですし、そばに山小屋もあります。
五社の滝などとは比較にならない厳しさです。
観光なら知りませんが行場としては関東では蛇滝でしょう。



547 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/30(火) 07:35
>540
>幻想をぶち壊すのが、宗教だって気がしますが。

幻想をぶち壊す、という幻想を作るのが宗教だって気もしますが(笑)。

>P,S,
あ、そうそう、滝行については自分で実際にやってみないと
どうこう言えるものではないでしょう。関東では高尾山の
>琵琶滝が有名です。滝打ちの指導もあります。


体を鍛えたり、滝に打たれて精神修養を積むのが悪いことだとはいいませんが、
そういうことの結果として、いわゆる霊能力とか超能力とかが、
仮にもしも、ですが、本当に発現することがあるとしても、
それこそ、そんなくだらないことにいったい何の意味があるんだろう、
と思いますね。

やっぱりインドにいったときの話をするべきかな(笑)。


548 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 08:39
>やっぱりインドにいったときの話をするべきかな(笑)

どうぞ御遠慮無く。誰も止めませんから。

だいたい話の先は読めてますよ(爆笑)


549 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 08:45
>546さん、よく御存じですね。

蛇滝を引き合いにするのもあまり一般的でないと思ったもので。
琵琶滝の道場長にはあまり見せたくないコメントですが(笑)


550 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/05/30(火) 10:59
いつのまにか、最近は冷静でマトモなコメントがついている!
いままでは桐山氏への悪口ばかりで、阿含宗信者あるいは
自己に対して信仰のありかたとか修道に対しての意見とかは
かきこする人あまりいませんでした。
(スレッド立てた人がまあ醜聞集め目的だったからでも最近
訪問していないんだよな。)

ぐもんじさんやラージャさんの滝行体験談とか修行談聞きたい
です。(まあ、阿含宗とは関係ないんだけれど。)

南人さん、なんか変ですね供養だけでなにもかも問題解決
するわけないでしょう。 まあ心から御先祖を供養したいと
いう気持ちでやるんだったら他人がどうこう言う筋合いは
ないですけど・・・。

543のかた、千座行は10年以上前に廃止になったはずです。
(当時、本尊が準堤尊から仏舎利様に変りゴタゴタした。)
もう御主人は阿含宗の信者というよりは自分の考えで修行
しているのでは?
文面からはたぶん会費も納めているとは思えません、
信者はやめてしまっていると思われますよ。聞いてみられたら?


551 名前: 543 投稿日: 2000/05/30(火) 13:52
廃止になってるんだ 知りませんでした。
会費は納めてるかどうかはわかりませんが、
月何回か阿含宗から封書のようなものはきています。
あと数年前に棒に飾りがついてて名前と裏に××××修法成就
とか漢字が書いてあるものが送られてきて、
千座行の時にそれを振っているようです。

子供達はまだ小さいから父がなにをしているか全く
わかっていないけど、できればやめて欲しいと思っていました。
廃止になっているのでは、何故まだ続けるのか
それとなしに聞いてみようと思います。





552 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/30(火) 19:10
私が観音慈恵会にいた当時は滝行といえば、目黒不動と五社の滝が相場でした。
でも蛇滝の厳しさと比べれば誰が見ても子供だましですよね。
つまり
桐山の修行など「子供だましの荒行?」ということです。



553 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/30(火) 22:07
552さんと546さんは同じかたでしょうか?まぁそれはこの際
関係無いかも。

僕は別にお滝場の優劣をつける気は毛頭無いし、例えば琵琶滝で
あれば毎月28日のお不動さんの縁日に集まって、先生に気合いを掛けて
もらって行をするワケですよね。

それはそれで素晴らしい事なんじゃないでしょうか。

あの日にしかお滝を受けないひともいて、道場長さんは
「他の日にも来て自分でお滝を受ければいいのに」って
言ってましたが、裏を返せばそれだけ信頼関係ができて
いるのでしょうし。

滝行=霊能力・超能力目当て、でしょうか?

加持祈祷を生業にしているかたならともかく、我々一般
ピープルはまた違ったスタンスが、各人各様にあるんだ
とおもいますよ。

宗教的行為の規定は誰にも出来ないでしょう。

また、滝行はかならずしも「ガマン比べ大会」である必要も
無いでしょうし。

もちろん、552さんが誠実に行をなさっているのは、
文面から容易に判別できますよ。


554 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 00:22
桐山さんは「私ほどの荒行をやった人はいない。釈尊以来だ」と昔言っていました。
本当はどうなんでしょうか?



555 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 00:27
>滝行=霊能力・超能力目当て、でしょうか?

そう思ってやっている人は多いと思いますよ。
僕の友達で、本山さんが滝場で転んでクンダリーニを覚醒したからと
転ぶことをいつも期待していた奴がいましたもの。(爆)





556 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 01:03
>555
いつの時代もそんな輩がいるもんだな


557 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 02:50
>522
このひと桐山氏個人の行の「子供だましの荒行」とやらを
見たこともないくせにいちゃもんつけていやがるんだぜ!
信者用のタキギョウやったということと
ただ桐山が嫌いという理由だけで
べつに桐山氏の元内弟子というわけでもあるまいに
目黒でタキギョウしたという自信と想像だけで言ってるのさ
お子様用でもオトナ用でもドーデもいいことだと思うけど。



558 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/05/31(水) 02:58
>544さん
まいどの大袈裟なたとえです。
あまりマジで受け取らないように!
まあ、でもそれなりに荒行はしたんじゃないでしょうか?
死にぞこなってもまだピンピンしてんだから。


559 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/05/31(水) 03:20
>543さん
ちょとわからないですね?
棒にかざりのついた××修法成就というのはたぶん星祭り
の御札かと思われます。
これを振り回してするお祈りなど聞いたこともありません。
これは神棚や仏壇におまつりする物であって
手に持ってなにかするもんじゃありません。
封書というのはたぶん行事のお知らせかと思われます。
会員やめても自然退会(退会届けを出さないままやめること)
の場合送られてくることがあります。
なんか自己流の修行なさっているみたいですね。


560 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 04:00
>死にぞこなってもまだピンピンしてんだから

ホントに死にそこなったんでしょうか? 
その話も「まいどの大袈裟なたとえ」かもね。




561 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 04:05
>目黒でタキギョウしたという自信と想像

あんなとこじゃ到底「自信」などつかないでしょう。
水浴びかシャワー程度だね。

桐山本では京都の五社の滝がよく出てくるけど、そこも似たようなもの。

まあ、刑務所での求聞持法修行?の方が余程彼にとっては「荒行」だろうね。
オカマ掘られる危険付だしな。(笑)




562 名前: ラージャ 投稿日: 2000/05/31(水) 08:00
>548

誤解のないように付け加えておきますが、
私は別に滝行そのもののことをとやかくいうつもりはあまりありません(笑)。
問題は、そのことをなにか宗教的なことと結びつけたり、
あるいはそうでなくても、とにかくなにか特別なこととして意識することでしょうね。
誰かがアスレチックジムかなにかに通って自分を鍛錬したとしても、
確かに健康に良いだろうし、それなりに精神修養になるとは思いますが、
仮に、そのおかげで病気が治ったり、健康を取り戻したりしたとしても、
誰もそのことを宗教に結びつけたりはしないでしょう?

>550
>ぐもんじさんやラージャさんの滝行体験談とか修行談聞きたい
です。(まあ、阿含宗とは関係ないんだけれど。)

別に私はいままで何かの修行や瞑想をしたことはありませんし、
何らかの宗教を信仰したり、どこかの教団に属していたことも全くありません。
ヨガとか心理学とかに、それなりに興味を持ったことはありますが、
それも小学生のころの話で、桐山密教を本で知ったのも中学生のころです。
もちろん、高校に入る頃にはそういうこと全般に徐々に興味がなくなり、
社会に出てからは、人とそういう話をすることさえなくなりました
(現在30代半ばです)。
たまに(こういう場所で?)、いまだにクンダリーニがどうこうとか
そういうのを信じてる人がいると、ちょっと信じられないというか
一言いいたくなってしまう、という感じですかね。

インドの話は、その内容を本当に理解してもらおうと思ったら
予備知識も必要だろうし、長くなりそう(軽く1冊の本になる)
なのでやっぱりやめときます(笑)。
ただ、こういうこと全般(精神世界系?)のことでは、
単に本で読んだ知識以上の個人的な体験はあるのでコメントしてみただけです。


563 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/31(水) 19:21
555さんの本山さんのエピソード、初めて聞きました。ナイスなネタ話
ですね(笑)お友達の話と似たようなおマヌケなエピソードを聞いたこと
ありますが、アブナイのでヤメときます。

あそこと阿含とも結構ひとの出入りがあるらしいんで、そのテのオカルト
オタッキーの一群だけ見ればそうでしょうが、それとはまた違う人たちの
事を言ってるわけで、そのへん、お含みおきを。

「貴方はクンダリニーの覚醒を目指して行をなさっているんですか?」

なんて聞いたら、目がテンになっちゃうんじゃないですか。普通の
オバサンに。なんか、家庭内の問題で願かけしてるとか、そんなとこ
でしょう。まぁ、イチイチ聞かないですが。

僕は滝行によって霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
って話、しましたっけ?記憶に無いなぁ・・・。

BBSでは相手の発言をよく読んでコメントしないと、無駄なやりとり
が多くなりますな。

お滝場で滑って転んでクンダリニー覚醒を目指すのが、宗教と関係あるん
でしょうか?僕にはわかりません。お友達に聞いてみてください。>555さん

ムー世代の病根は、かなり深いものがありますね・・・(いろんな意味で)


564 名前: ぐもんじ 投稿日: 2000/05/31(水) 20:19
>562

>ただ、こういうこと全般(精神世界系?)のことでは、
単に本で読んだ知識以上の個人的な体験はあるのでコメントして
みただけです。

ここんとこがイチバン言いたかったワケね。

あい、わかりた(カビのはえたギャグ!)




565 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 20:37
>お滝場で滑って転んでクンダリニー覚醒を目指すのが、宗教と関係あるん
>でしょうか?僕にはわかりません。お友達に聞いてみてください。>555さん

傍から見ていて滑稽でも本人は悟りと関係あると思っているらしいですよ。
わざわざ氷の張った日を選んで滝に行くくらいですから。(運良く滑る事を期待して・・・)
こんなのも<桐山&本山>関連書籍の影響らしい。(笑)



566 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/31(水) 23:25
「氷を割って滝に入る」これが桐山大先生の口癖だった。



567 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/01(木) 02:39
「深い定に入る」これが桐山大先生の口癖だった。



568 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 02:56
「ん〜マンダム」これがブロンソンの口癖だった。


569 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 02:59
「てめえら人間じゃねえ!」これが破れ傘大先生の口癖だった。


570 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/01(木) 03:02
「ガンダムいきます!」これがアムロの口癖だった。


571 名前: ラージャ 投稿日: 2000/06/01(木) 04:51
>あそこと阿含とも結構ひとの出入りがあるらしいんで、そのテのオカルト
オタッキーの一群だけ見ればそうでしょうが、それとはまた違う人たちの
>事を言ってるわけで、そのへん、お含みおきを。

オカルトオタッキーでないけど滝行してる人ってどんな人?
趣味でやっている、というなら話は分かりますが、
もしも仮に、何らかの功徳を求めて、あるいは修行の一種としてやってる、
というなら大同小異だと思いますが。

>僕は滝行によって霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
>って話、しましたっけ?記憶に無いなぁ・・・。

私があなたに対してあなたが個人的に霊能力・超能力が発現するとか、クンダリニー云々
って話をしました、って話をしましたっけ?記憶に無いなぁ・・・(笑)。

>BBSでは相手の発言をよく読んでコメントしないと、無駄なやりとり
>が多くなりますな。

まったくその通り!よく読みましょうね(笑)。
ほかの方はちゃんと意味が分かってるからそれなりにフォロー
入れてくれてるみたいですけど。


572 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/01(木) 23:50
求聞持法を言い始めて早30年になろうとしていますが、
桐山の弟子で誰か成就した人はいるんですか?



573 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 00:00
今日京浜東北線の窓から外を眺めていて気づきましたが、
銀座阿含ビルなんてのがあるんですね。
目立ってますね。いくらかかってるんでしょう。


574 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 02:17
いくらかかっているんでしょう。ときましたか
なんのためにあるんでしょう?というのなら、まあ
わかりますが、宗教に対する関心など
そんなもんでしょうね。


575 名前: ぶっせん 投稿日: 2000/06/02(金) 03:02
>ラージャさん
行にかんしてなんかへんなかんじなので
滝行する人々はオカルトオタッキーの人たちだったんですか?
そんなこと初めてききました。
滝行のイメージからすると、行者さんとか祈とう師などを
思いうかべます。また真剣に行に打ち込むイメージを。
とてもムーだとかを読んでいるオタッキーが滝行するとは
思えないのですが、行と名が付くからには遊び半分で
するようなもんだとは思いません、たとえ目黒の小さな滝でも
つまりは精神の問題かと思うのです。
修行とは何か、勘違いしていませんか?
なにか御利益とか御褒美をもらうこと、迷信にすがりつくこと
訳の分からない我慢比べをすることを修行だと。
修行とは修めみがくこと鍛え練ることとあります。
なにを修め鍛え練るのでしょうか?
私は心、(意念、情緒)だと思います。
そういう意味ではスポーツなども修行になりうるかと
なぜ体をつかうのか、健全な体に健全な心がやどると言うでは
ありませんか。屈強な体に強靭な心がやどる。
そういうことなのでは?
趣味・・・趣味でたのしむだけでは行とはいえないのでは。???


576 名前: ラージャ 投稿日: 2000/06/02(金) 04:14
>575
うーん、かなり誤解があるみたいですね。
正直言って、別にあなたと論争しようとか、
私の考えをあなたに押しつけよう、とかは思っていません。

ただ、こういう場で話をするときに重要なことの一つに、
言葉の定義の問題とか、
その言葉が誰に向けられたものなのか(このスレッドの性格を思い出してください)、
などを考慮する、ということがあると思うんですよ。
で、そういう意識であなたの発言を読むと、
あなたの言う修行という言葉と、私の言う修行という言葉では
最初から言葉の定義の仕方が違っているようです。
辞書に載っている意味が言葉のすべてではありませんから。

>修行とは修めみがくこと鍛え練ることとあります。
なにを修め鍛え練るのでしょうか?
私は心、(意念、情緒)だと思います。
そういう意味ではスポーツなども修行になりうるかと
なぜ体をつかうのか、健全な体に健全な心がやどると言うでは
ありませんか。屈強な体に強靭な心がやどる。
>そういうことなのでは?

つまり、あなたは「修行」という言葉をそう定義している、ということですよね?
で、前回の私の発言をもう一度注意深く読んでもらいたいのですが
「もしも仮に何らかの功徳を求めて…」というただし書きを添えてあります。
つまりそれで意味をかなり限定しているつもりだったのですが…。
また、私は、体を鍛える、精神修養をする、ということが悪いことだ、
というようなことも一言も言っていませんし(過去ログを参照ください)、
あなたが言うように「スポーツも修行たりえる」というのなら
私も全面的に賛成です。ただし、そのことが
宗教の本質(ここでも言葉の意味に注意してください)
とどれほど関係があるか、というのは相変わらず疑問ですが。

>趣味・・・趣味でたのしむだけでは行とはいえないのでは。???

これに関しては完全に見解の相違ですね。
たとえば私の友人に山登りが好きなやつがいて、
趣味として登山を楽しんでいます。
でも、実際に山に登れば、それなりに自然にふれたり、おいしい空気を吸ったり、
それなりに宗教的な体験(ここでも言葉の使い方に注意(笑))をすることがあるのですが、
当の本人はいわゆる宗教(ここでも注意)には全く全然関心のない男なので、
自分が体験したことを、山はやっぱいいよねー、とかそんな言葉でしか表現できなかったりします。
っていうか、普通はそれが私にとっての健全な宗教性(再び注意喚起)の発現であって、
もしもその友人が山岳信仰かなんかにとりつかれて、山のバイブレーションがどうこう、
とか、この山には何々の神様がいてどうこう、とか、そういう怪しいことを言い出したら、
目を覚ませ、と忠告する事でしょう(笑)。
実際、ある種の心理学の一派では、かなりの人が、はっきりそう言わないだけで、
マラソン(ランナーズハイ?)とかスポーツ、音楽などを通して
それなりに宗教的体験(注意喚起)をしている、とかの報告をしているようです。

また、修行、というものに対して持っているあなたのイメージについてですが、
私の中では、申し訳ないのですが、
そのあなたが言うところの「真剣に行に打ち込むイメージ」
というものが、そもそもの最初からやっぱり感覚的に良いもの、だとも思えません。

たとえば禅宗の一部の人たちは、
よく「ただ座れ」と言うのだそうです。
で、座るのが(すなわち座禅を組む)修行なのか、と思うと、
いや、ただ座るんだ、とこう言うそうです(笑)。
さらに、じゃあ座ってなんになるんだ?なにか得るものでもあるのか?
と聞くと、
「いや、得るものなんか何にもない。むしろ日々失っていくんだ」
と、まあこういう風に答えるらしいです。
私は禅宗の人間ではないし、その方面に詳しい訳ではありませんが、
それでもこういう話には非常に感銘を受けるほうです。
まあ、なぜ感銘を受けるか、とかなぜ真剣に行に打ち込むのが好ましくないのか、
というのはそれなりにちゃんとした理由があるのだけれど、
説明すると止めどもなく長くなりそうなのでここら辺でやめておきます。
今はただ、何となくでもいいから、
その感覚だけでも感じっとておいていただければ幸いです。


577 名前: いいかげんにしろ 投稿日: 2000/06/02(金) 09:53
まだやってんのかお前ら!!
この阿呆宗の基地外シンパどもが!!
てめーら一生桐山のクソジジイに騙されて全財産
つぎ込みやがれってんだ!!

アホ基地外信徒と誇大妄想ボケ老人桐山靖雄まとめて逝ってよし!


578 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/02(金) 11:14
はあ〜?
べつに別にラージャさんとかは信者でもシンパでも
ないと思いますが(文面から見て)。
信者の人も全財産つぎこむ過激な人は2chなんか見ないと
思いますが、それに今話題になっているのは修行に
ついてで、あってアゴン桐山氏についてはあがっていませんが
そんなに嫌いなんですか、
あんがい貴方オカルトおたくで勘違いしてアゴンにつぎこんだ
くちじゃないの・・・かわいそ・みじめですね。



579 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/02(金) 20:01
水子供養を流行らせた張本人も桐山だってね。
サスガ商売人!



580 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/03(土) 06:15
・・・副管長が5月30日に亡くなったそうです。
どーも「癌」らしい。いつから患っていたのかは知らないけれど、
「管長が酒断ちして一生懸命拝んだら、進行癌だと言われていたのが見事に
治った」はずなのに。
「酒断ちした」って、これじゃ一般信者以下。




581 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/03(土) 06:43
>・・・副管長が5月30日に亡くなったそうです。

副管長ってたしか娘じゃなかったでしたっけ?
さてさて今度はどんな言い訳をするのでしょう。



582 名前:投稿日: 2000/06/03(土) 07:51
http://mesh.asahi.com/0602/news/condolences02003.html


583 名前: 577です 投稿日: 2000/06/03(土) 09:31
>578さんへ   ごめんねついカッとしてしまって....ははは
みかりんさんが家庭のことで苦しんでいるのにここのみんなはクソ
の役にも立たない怪しい修行の話ばっかり、それでついむかついちゃった。

でも578さんもこんなとこ見ているんだから貴方もカルト汚宅なんじゃないの??
はははは よって578さんには栄誉あるモナーの称号を与える!

   おまえモナー


584 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 09:33
>580
それ20年前のはなしでしょう。
治ったといってももう年なんだから、いつ逝ってもおかしくは
なかった。人間不死でいられるわけない!
みかりんさんか、あんがい御主人のことで真剣になやんでいる
お方だと思っていましたが、結局、阿含をけなしたかっただけでしたか・・・。
俺は桐山氏が先に逝くもんだと思っていたが、悪運が強い。


585 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/03(土) 09:47
>583、584
ここは、みかりんコーナーではありません。
論議かさねて解決すんのか?
ただ不満と鬱憤をはきだしているだけじゃねか!
弁護士に相談するなりしてんのか?
ほんとに解決する気あんかのかね
副管死んだからどうこう言うより自分はどうなんだ?


586 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/05(月) 19:51
あげ


587 名前: はちべえ 投稿日: 2000/06/06(火) 20:20
あげてーーー


588 名前: 最低たよ 投稿日: 2000/06/07(水) 01:04
阿含宗恨みつらみ山ずもり!!やられたよ、私は難病になってそんな時信者の
おお馬鹿野郎にそそのかされて何十万も騙し取られました。親切のつもりかしんない
けどいい迷惑なんだよ!!金返せ詐欺集団め!!なんであんな宗教に染まるの?
供養とか言って金ばっか取るくせに。いんちきもいいトコじゃない?!
あんな所消えて無くなれ、桐山早く死んで(絶対地獄行き)



589 名前: あっち 投稿日: 2000/06/07(水) 02:57
平河出版という出版社が阿含宗系だと聞きましたが、

そこの本を読むというのは、やはり危険なのでしょうか?


590 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 04:26
>589
 翻訳とか結構良い本も出していますね。
 ソレが逆にイヤなんだけど (^^;)。


591 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 07:17
>588
私は健康を取り戻しました。
食養生の指導などもしてくれて感謝しています。


592 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 07:28
副管長が逝去された。
堤たちさん、このかた阿含宗の副管長としてよりも
平河出版社社長としての業務のほうがメインでしたのでしょう。
宗教に偏ること無く良い本も出してくれました。
ご冥福をお祈りいたします。


593 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 18:08
御宝塔の処分方法

以前、何人かの元信者から手元に残っている御宝塔をどうしたらよいか、
という投稿がありましたが、「仏教情報センター」に送れば、処分してくれると聞いたことがあります。
遅い情報でスミマセン。

テレホン相談の窓口がありますので問い合わせてみてください。ホームページも、もちろんあります(悪いけど自分で検索してください。)。
◆「仏教情報センター」テレホン相談
 東京 03(3811)7470
 大阪 06(245)5110
 岡山 086(226)3110
 仙台 022(295)3303
 本部/東京都文京区白山1-17-5 日応ビル

阿含宗の規則では、退会する時は法具一式を返すことになっていますが、多分、皆さん入行してから、それを聞かされたはずですし、阿含宗としてはトラブルがあった時、証拠を残したくないだけなので返す必要はありません。
ちなみに私の宝塔は物置の奥に転がっているはずです。分解した人の話では、中に小さい石ころが入っていたそうです。私はまだ確かめていませんが。
いずれにしろ、仏具メーカーが工場で製造した「モノ」ですから(しかも何十倍もの値段で売りつけられた)、どう扱っても気にすることはありません。桐山さん自身が日本の大乗仏教は偶像崇拝していると批判していたではないですか。(毎月、道場に持ってこないとパワーが落ちるなんてアホらしいことも言ってましたっけ)

「仏教情報センター」は各宗派の僧侶を中心としたボランティア団体で、「テレホン相談」では仏教に関する質問や日常の悩みなどの相談に交代で応えてくれます。
私も10年ほど前、信者だった頃、桐山さんの本と実際との矛盾や阿含宗の教えが、どうにもおかしいので2、3回電話したことがあります。親切な人もいましたが、応対するお坊さんによって知識や熱心さに個人差があり、あまり有意義な話は聞けなかったように記憶しています。

>みかりんさん あなたと同じような悩みを持った人の相談も多かったようです。あまり役に立たないかもしれませんが、客観的な話を聞くという意味で、気が向いたら電話してみてください。


594 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 20:30
>593
道場に返せば受け取ってもらえます。
一応やめたら返す規則にはなっていますが、粗末に
ならないようにという教団の考えで
実際は本人の自由です。(信者やめても護宝塔だけ拝んでいる
人もいます。)
>パワーが落ちるというアホらしいことも言ってましたっけ
パワーが落ちるというのではなく、お清めのためです。
いずれにせよ、本人の心の問題でしょう。
物置に放るのも本人次第
神社に納札するのも本人次第
宗派によって受け答えがちがうのはあたりまえ
阿含宗は辞めたければ退会届けをだせばすぐ受理されます。
トラブルの証拠をのこさないためなんてなにが証拠になるんで
しょう。あんな法具一式
工場直売の物うりじゃないんだから
祈願をこめた修法物だから値段がたかくなるんでしょう。
信者じゃなければ物にすぎませんが
信者として宝塔受けたわけでしょうそのときは
あとで、高いとか文句いうんだったら初めから受けなければ
いいのに、物としてみれば、ただの金物でしょう。
金額的価値などありやしません。
>石ころが入っていたそうです。
ご存知なかったんですか?驚いた。
月光石を仏舎利としてダト法で修法して収めてあるもので
これが宝塔の本体なのに、銀色の塔は被いにすぎないと
いうのに、このぐらいのことは誰か言っているはずでは
いずれにせよ
ゴホウトウの処分はアゴン宗に送り返せば済むことです。
大袈裟にしなくても大丈夫です。
どっかに相談しても別にいいですけど、
そんなの個人の自由ですから。





595 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/07(水) 22:11
うむ!あぼ〜ん宗は存在自体あぼ〜んしてしまった方が世のためですね....


596 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/07(水) 22:28
ちょっとの間来ないでいたら、矛先が自分のほうに向いてた。

>577、583
>みかりんさんが家庭のことで苦しんでいるのにここのみんなはくその役にも
立たない怪しい修行の話ばっかり、それでむかついちゃった。
御心配有難うございます。でも、585氏の言うとおり私の悩みだけを
扱うスレではないんで、怪しいかどうかは別としてもそれは「アリ」
だと思います。滝にうたれるでも千座行でもなんでも気が済むまで
やるのがいいと思います。家族や他人に迷惑かけなければね。
ここに限らず修行を語る人は「覚醒」と言う言葉をよく使いますが、何に
「覚醒」することを目指しているのでしょうか?私は普段仕事と家事と
子育てに終われる日々で、自分の時間はあまりありません。嫌なことがあると
「なんのために頑張ってるんだろう」と、とてもむなしい気持ちになってしまいます。
けれどもそう思ってしまうと落ち込むだけで何の解決にもならないので、
何も考えずただ無心に取り組んでいます。今がたぶん、自分にとって試練のとき
で、乗り越えるたび大きく成長できると信じて。だんなは私がどんなに忙しくても
知らんふりで、きれいごとと理想論ばかり並べています。結局のところ自分が
楽したいだけなのです。阿含で彼が得たものは何なのでしょう。疲れを知らない肉体
は?強靭な精神力は?慈悲深い心は?。。。早く「覚醒」してよ。
>585
副管長のことは調べもせず私も軽率だったと思います。裏付けの無い批判は相手に
すきを与えるだけですね。反省します。
>ただ不満と鬱憤をはきだしているだけじゃねえか!
はい、そうです。2chに来る多くのひとも同じだと思う。
が、しかしそれと同時にささやかな「抵抗」の意味もあります。いろんな
事実をここに書くことで少しでも考えてもらえたら、という気持ちです。
訴訟ったって大変だし(すぐにやれるわけない。みんな「テレビの見過ぎ」)。
でもそんな私にレスをしてくれた人がいたことはホントうれしかった。
弁護士に相談はしてないけど、知り合いのカウンセラーのひとにも打ち明けて
アドバイスしてもらってる。紹介してくれたHPも開いてるよ。
長い時間がかかるけど、少しずつ壁を崩していくつもり。




597 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/09(金) 12:31
>594
このスレッドは最近見つけたので、ほとんど元信者の人ばかりだと思っていました。信者の方(多分)から、あんなに素早い反応をもらえるなんてビックリしました。なんだか照れ臭いです。どうもありがとう。
本気で信者をやっている人もいるってこと、つい忘れちゃうんですよね。

>道場に返せば受け取ってもらえます。
>ゴホウトウの処分はアゴン宗に送り返せば済むことです。
みんなわかってます。どんなカタチでも一切、阿含宗とは関わりたくない。という人の参考になれば、ということです。あえて、工場で製造した「モノ」と書きましたが、やめた人にとっては複雑な思いがあるんです。私自身このレスを偶然、見つけるまでは思い出すのもいやでした。

>トラブルの証拠をのこさないためなんてなにが証拠になるんでしょう。
ごめんなさい。確かにオーバーでした。TVで見た「法の華」の仏舎利を連想しちゃったもんですから。

>祈願をこめた修法物だから値段がたかくなるんでしょう。
なぜ、祈願をこめると高くなるんですか?

>信者として宝塔受けたわけでしょうそのときは
あとで、高いとか文句いうんだったら初めから受けなければ
いいのに、
だまされたくて受けたんじゃないんですよー。ほんと後悔してます。

>石ころが入っていたそうです。
 ご存知なかったんですか?驚いた。
“「霊石」にダト法(陏都?駝都?こんな字でしたっけ?)を修したので真正仏舎利と同等だ”とか聞きました。月光石?それは知りませんでした。でも、やっぱり石でしょ?
例えダライ・ラマが修法したって石は石。仏舎利だって考古学的な価値は別として骨は骨です。それが「空」「無常」じゃないんでしょうか?ブッダは修行者は修業完成者(ブッダ)の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうなといってます。出家してないからいいんですか。
スゴイ法力とか超能力を持った教祖が祈願した○○○だから癌が治る、浄霊される、幸せになれるとかいうから、苦しむ人がたくさん出ちゃうんでしょ。「本人の心の問題」ですか。
もちろん、人は信仰に関係なく石ころ一つ、紙切れ1枚でもそれぞれの思い入れがあります。でも、本物の阿含経の教えとしては、それは消し去るべき執着心だといえるんじゃないですか。私は執着心、いっぱい持ってますけど。


598 名前: 神道自由派 投稿日: 2000/06/09(金) 19:37
阿含宗ってはやりましたよね。

 阿含宗も勢いが落ちたというか、まとまってきたのかな?
  ここのスレでもそう言ってるね。
 最初は画期的な本が次々とでてたよね?
  そうだね。でも、「間脳思考」も今思えば、間脳で思考する奴いるかっ、
  て感じだよね。お前は大脳のない生物かっ、て笑えるよね。
 でも、あの頃の方が楽しめたよね?
  そうだね。ブームもあったよね。
  みんなブームにのっていただけなんだよね。
 密教の宣伝にはなったよね?
  そうだね。終末預言も宣伝していたしね。
 みんな真剣に心配してたのかな?人類の将来を。
  でも、そういうのは政治や経済で決まるんだよね。
  普段の市民生活が決めることなんだよね。
 終末預言にからんだ宗教はどうなるのかな?
  せいぜい現状維持か尻すぼみだろうね。

 阿含宗の建物は普通のお寺に近いのでは?
  どうでもいいけどね、そんなこと。葬式はしやすいかもね。
 教祖の噂はどうなのかな?
  興味ないね。
  T大卒のエリート官僚や経営者が逮捕される時代だからね。
 阿含経はわかりやすいって話だけど?
  そうだね。ちょっとくどいけど。普通のことを普通に言っているからね。
 阿含宗の本で法華経は難解で実践的じゃないと聞いたけど?
  それで法華経くずれが入りやすかったんだよね。

 最近の新興仏教ってすぐ葬式仏教化して、物・サービスを売ってるけど?
  そうだね。お金かせがなきゃね。
 そう考えると、伝統仏教の戒名料なんて良心的な値段なのかな?
  そうとも言えないけどね。
  結局、葬式を多く受注すれば安くできるんだろうね。
 それなら、葬儀の値段を安くすれば信者が増えるんじゃないの?
  そうだね。葬式料に規制緩和・自由競争が必要だね。
  うちのとこでは、戒名料は安く戒名の位は高いですよってね。
 宗派にかかわらずに葬式頼むことはできないのかな?
  そうしたいね。宗派にかかわりなく仏教も神道も、伝統も新興も。

 以外と底は浅かったよね?
  そうだね。深みはなさそうだね。すごいと思うからはまるんだよね。
  人付き合いを楽しむくらいの気持ちでやればいいんだよね。
  肩の力を抜いて頑張って欲しいよね。

 「阿含宗」、いわゆる一つの葬式仏教、ということか。


599 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 01:36
>「阿含宗」、いわゆる一つの葬式仏教、ということか

ご存知なかったんですか?驚いた


600 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/10(土) 08:38
結局のところ桐山さんも伝統宗教にはかなわなかった
と、いうことでしょう。
革新的な宗教をやろうとしたんだが、実力が追いつかなかった
というか、そんなこと出来る奴なんていないでしょうね。
でも、密教と阿含経に光りを当て、ブームを起こしたことは
評価できますね。


601 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/11(日) 19:49
あげ



602 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/13(火) 04:10
阿含宗にとどめを刺したのはオウム事件でしょう。
「オウム真理教と阿含宗」なんていう言い訳本を出してから
しばらく出版なども自粛し、アレだけ熱をいれていたHPも
更新しなくなりました。
元々好きだった酒の量が増えると共に脳にも影響が出て
自分でも何を話しているのかわからなくなってしまったようです。
ちょうどロッキード事件後の角栄のように。
麻原、林医師、井上にはじまり相当数の幹部達が阿含宗出身者というのでは
心中穏やかではいられなかったでしょう。
ましてマスコミに追われ、信者が激減して行く状況下で
よく耐えたとすら思います。



603 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 11:27
つまりは阿含宗も伝統仏教のやり方に落ち着いた
ということでしょうね。
信者も過激な人は少なくなって
いわゆる、ご信者さん、善男善女があつまるようになるでしょう。
これからは細々と法要や行事を開催したりして
まあ、普通の仏教寺院のような感じになるんでしょう。
総本山も京都の観光地になることでしょう。



604 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/13(火) 21:07

「一九九九年七の月」 27.7の月は原稿を送った

桐山氏が18年間、脅し続けた1999年7の月には何が起きるのか。
このことは、この本において、最も重要な点です。

それは、桐山氏が講演の原稿を送ったことだ、というのです。
桐山氏が恐怖の大王であることと、アンゴルモアの大王がよみがえった根拠は、
桐山氏が中国に原稿を送ったことです。
1997年7月に桐山氏が中山大学に講演の原稿を送ったことが、ノストラダムスに
よって、「1999年7の月」として予言されていたというのです。

核ミサイルはどこに行ったのでしょうか。
どこの原発が崩壊したのでしょうか。
4割横変死の死体の山はどこにあるのでしょうか。
桐山氏の7の月では阿鼻叫喚の地球壊滅のはずでした。
それが、原稿を送ったこと、たったそれだけだというのです。
ノストラダムスは、桐山氏が原稿を送ることを大予言したのです。

講演や護摩に、アンゴルモア大王の「よみがえり」「復活の儀式」「復活祭」「生誕
祭」など、思いつく限りの名前を適当にちりばめただけのように見えます。
自分が恐怖の大王だ、自分の人生は予言されていたなどと、品格を重んじるとい
う桐山氏の羞恥心はどうしたのでしょう。



605 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/13(火) 23:22
>592さん
平河出版の社長業がメインだったなんて、マジですか。
宗教に偏ることのない本を、あのタチさんが
社長として出したと本気で思っているのですか。
名前出して給料だけもらっていたに決まってます。
家族を役員にして、給料だけもらい、仕事は何もしない
なんて、個人企業では珍しくもありません。
桐山さんが作った会社はすべて家族が役員になっています。
あなたみたいに善良な解釈をする人がいるから、
詐欺宗教が成り立つのでしょう。


606 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 02:42
でも社長には変りないし、阿含宗の傘下の出版社だということは
事実じゃないの、名前だけにしても、阿含関係者が宗教に
偏ること無く出していることは事実でしょう。
まあ、桐山氏の本をだすことを中心としているんだろうけど。
阿含が気に食わないからといって、ただクソミソにいうのも
おとなげないね。



607 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 02:45
クソミソ?
またクソエビだ!


608 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 12:08
>596みかりんさん
反省などする必要はないですよ。
あなたの個人的な悩みは多くの人たちの参考になります。
585さんの発言など気にしないで、
これからも遠慮せずに書き込んでください。

みかりんさんの指摘した副管長のことは事実です。
京都の阿含宗総本山には桐山夫妻の銅像があります。
その銘文は次のようになっています。

立像之記
一九八二年夏、妻"たち"卒然トシテ病ム。肝硬変、肝癌ノ疑イ強シ。
主治医密カニ予ニ告ゲテ曰ク、余命六ヶ月也ト。余、愕然タリ。
即チ断酒シテ仏陀ニ加護ヲ乞ウフ。然レドモ病日々ニ重キヲ加ウ。
余思エラク。余命幾バクモ無シ。何ヲ彼女ノ生涯ノ辛苦ニ報インヤ、
爾ジ、我等畢生ノ念願タリシ総本山ノ一角ニ像ヲ建立シ、
以ッテソノ労ヲ犒ハント。幸イ巨匠北村西望師ノ快諾ヲ得タリ。
奇ナル哉、像ノ制作ノ進ムニ随イ、病イ快方ニ向ウ。
完成トトモニ快癒セリ。仏陀ノ加護、医師団ノ労苦ニ深ク感謝ス。
生前ニ像ヲ建ツルハ、傲慢ノ謗リアランモ、世人此ノ経緯知ラバ、
恐ラクハ許容シ給フベシ。
一九九一年四月
桐山靖雄

酒断ちまでして本尊の釈迦に祈ってもダメだったが、
銅像を立てたら病気が治ったというのです。
因縁切りの教祖夫人がガンになるというのもおかしいし、
もっとオカシイのは、銅像を立てたら治ったというくだりです。
阿含宗の教学はどこに行ってしまったのか。
信者は病気を治したいときには、銅像を立ててみてはいかが。

総本山という本社ビルに創業社長の銅像を立てたいという欲望を、
夫人の病気治しに隠したつもりなのでしょう。
シッポが見えてる。
銅像は、桐山さんがインドの霊鷲山に上る朝日を指さす姿です。
まるで一昔前の共産主義国家の独裁者の銅像です。



609 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 18:31
>605さん 名前出して給料だけもらっていたに決まってます。
そのようです。昔はともかく、平河出版社の現在の社員(幹部を含む)は阿含宗の信者ではなく、たちさんは実質的な経営には参加していませんでした。教団とも強い繋がりはなくなっているようです。
ただ、堤一族がオーナーなのは事実ですし、信者数の売り上げは確保できますので、桐山さんの本を優先的に出版しているのでしょう。


610 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 18:46
「一九九九年七の月よ、さらば!」読みました。
桐山さんの歪んだ自己顕示欲にうんざりさせられました。
ある意味、ものすごいエネルギー(●な)の持ち主と言えます。
なんだか、力が抜けて抵抗する気力が無くなっちゃいそうです。
ヌマエビさん、大変ですがこれからもよろしくお願いします。

ところで、この本を読んで驚いたのは、後半85ページに渡って、一流の脚本家・作家である井沢満氏が「インド聖地随行記 神話創造 新千年紀への遺言」と題する桐山氏礼賛の文章を寄せていることです。
時期は不明ですが阿含宗一行とインドに行ったときのことを綴ったエッセイです。
お金目的のチョウチン記事を書くライターや学者の、一歩腰のひけた文とは全く違う、恥ずかしいくらい桐山さんを誉め称える文章は、はじめて見ました。もちろん桐山さんを崇拝するのは自由ですけど。

ちょっと長いですが引用します。例えば374ページ)
「・・・釈迦は阿闍梨を通して蘇った。霊的な意味での転生を遂げて桐山靖雄という名の阿闍梨として再臨なさった。パンディッタ桐山靖雄は今、釈迦である。私は宗教的熱狂の快感に酔いつつそう言うのではない。むしろ心は静まり返っている。今世紀最大のメサイアは、このお方であったのか、・・・」ドヒャーッ!!!

井沢さんが信者(道場にも来てるんですか?)であることは知っていましたが、これほどとは・・・
個人的な感情は消し、冷静な目でみても桐山さんの言動、著書には、いうまでもなく多くのウソ、矛盾があります。(感情を消さなきゃ詐欺師ですけど。)
作家が特別に頭の良い人だとは思っていませんが、観察力、分析力、読解力などは当然、職業として訓練されているのでは。(新興宗教信者の有名人に他の職業と比較して作家が少ない理由?)そういう人が・・・・・。

桐山さんの自画自賛以外にこんなすごい文章をみたのは初めてなので送っちゃいます。
他に桐山さんの文体にソックリの言い回しなんかがなんかがあって面白い?です。
(ちなみに、井沢さんは病気を管長に修法で治してもらったり、とか不思議な体験をしたそうです。)いちおう、公平のため書いときます。


611 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 20:36
たち夫人がお亡くなりになった。
そう言えば、春頃、ガンで入院したという噂がありました。
マスコミ発表は心不全ですか。
夫人がガンでは都合が悪いし、ガンの治療で心不全もおきるから、
死因としては、ま、いいか。
桐山先生は、世界救世教の岡田茂吉がガンで死に、
信者にガンが多いことをあざ笑っていましたねえ。

文京区の病院で亡くなったなんて、変ですよ。
たち夫人は阿含宗の同仁病院の理事長でしょ。
桐山先生によれば、すっばらしい病院だというじゃあーりませんか。
どうしてそこに入院しなかったんでしょう。
信者にはさんざん勧めておきながら。

76歳でお亡くなりになった・・あれ?阿含宗の
平均寿命は百歳だと桐山先生はおっしゃいませんでしたか。
副管長さんが俗人の平均寿命にも行かなかったなんて。
桐山さんは「法力で三・七・二十一で寿命が延びる」
なんておっしゃいませんでしたか。
ははーん、それで1982年以来、延ばしたのですね。
18年も寿命を延ばすなんて、あの像の威力はすごい。
今回も像をどうして建てなかったんでしょう。
「たち観音」なんて、前の像よりもでっかいのを
一つオッ建てれば、死んでも命があったでしょう。
たち夫人の戒名は「・・菩薩」だそうじゃありませんか。
今度は真如苑のモノマネですか。

たち夫人は光和食品の社長でもいらっしゃった。
管長猊下御創案のサプリメントはしっかり取っておられたのでしょう。
あれを取って、徳を積むとガンの因縁が切れるって、
桐山先生はおっしゃいませんでしたか。
バカ高いのに会員は、ガンにならないと信じて買ってますよ。
教祖夫人のガンの因縁が切れなかったように見えるのは錯覚でしょうか。
たち夫人ばかりか御先達様方はガンでばたばた死んでるみたいだし。

たち夫人は平河出版の社長として精神世界をリードされた。
光和社長で身体、平河社長で精神、阿含宗副管長で魂と、
実にバランスのとれた人生を送られました。
その割には、平均寿命よりもはるかにずっと短い人生でしたね。
心からご冥福を…あ、そーか。聖者の妻として徳を積み、
解脱して、菩薩になったんだから、
ご冥福なんて祈らなくてもいいんですよね。

でも、詐欺師の妻として人をだます手伝いをしたんじゃ、
桐山先生御創案の「斉の広場」で苦しんでいる・・なんてことはない。
彼女は信者から集めた金でずいぶん高級品を買い漁ってましたから。
慈悲心から祈りましょう。
ナンマイダブ、ナンミョホーレンゲキョ、アーメン


612 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/14(水) 23:21
>606さん
平河出版が良い本を出したのは多くの人が認めることです。
あれらは平河のオタッキーな(これ誉め言葉)社員がなした仕事で、
たちさんはまったく関係ありません。
「社長には変わりない」というが、社長と社長業とは違います。
たちさんは社長であったが、社長業はしていませんでした。
たちさんは桐山さんに代わって、名前を出していたにすぎません。
592の表現では、まるで平河出版の業績はすべてたちさんがなした
ように聞こえます。
592が葬式で述べるお悔やみの言葉ならかまいません。
だが、事実とは違います。




613 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/14(水) 23:37
>平河出版が良い本を出したのは多くの人が認めることです

オウム真理教が麻原本以外に唯一愛読を許されていた「虹の階梯」も
平河出版でしたね。
この本で麻原は「ポア」という言葉を知ったそうですが。



614 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:30
 >「虹の階梯」も 平河出版でしたね。
中沢新一さんの本ですね。
オウムの時の態度で、どうも信用できない人です。
桐山さんが三女の寿美子さんと結婚させたがっていたという
記事を読んでことがありますけど。

 >たち夫人の戒名は「・・菩薩」だそうじゃありませんか。
桐山さんが死んだら、ブッダとして祭り上げるだろうと予想して
ましたが、たちさんが先に「・・菩薩」として利用されるんですね。
絶対に葬式の時、中国、モンゴル、チベットなどから偉い人が
来たとか、偉業を讚えて勲章やメダルが贈られたって宣伝しますね。
お悔やみをいう気はないです。「オウム真理教と阿含宗」には
いいわけと自己宣伝だけで、被害者に対するお悔やみの言葉は
ありませんでしたから。あやまって当たり前なのに。


615 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:53
麻原が阿含出身だからあやまらなければななないなら
法源は自然の泉出身だから自然の泉もあやまらなければ・・、当たり前ってのはちがうだろう。
たしか、オウムにつぶされた阿含の支部かなんか
あったみたいだからオウムにはアタマきてんだろ。


616 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 12:58
人、ひとり死んだくらいで
クヨクヨすんな!
みんな死ぬときゃ死ぬんだよ。


617 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 13:27
>麻原が阿含出身だからあやまらなければななないなら
>法源は自然の泉出身だから自然の泉もあやまらなければ・・、
>当たり前ってのはちがうだろう。

サリン事件の首犯・共犯の相当数が阿含宗出身者です。
教義的なベースも共通している部分が多く、一般信者のかなりの人達も
阿含宗出身者だといわれています。
「全く関係ない。責任などまるで感じていない。」とは言えないでしょう。
阿含宗にも反省すべき点はある筈ですよ。



618 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 13:30
よーするに馬鹿が信者になるんだろ。
くそ食らえってんだ


619 名前: 諏訪神 投稿日: 2000/06/15(木) 13:37
麻原は中村元氏の著作や辞書を愛読して説法にも使っていたそうだから、
ひょっとして中村元氏も責任ありか?


620 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 13:40

>618
阿含が馬鹿を集めて、オウムがそれをひきぬき
吉外にまで育て事件を起こすって構図ですね!
馬鹿をあつめた責任は重い。


621 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:13
しかし教義はたしか、因縁とか霊症とかいってるあたり
真如苑に近いはずだと思うが?
まあヨーガの神秘思想なんかも取り入れ超能力とか
いっていたあたりがオウムにつながるんだろうけど
結局、阿含宗に失望した連中がオウムに行って
自分の理想を実現しようとしたんであって
直接、阿含宗に責任があるかどうか
人情としてはわかるけれども。
超能力をあおった点では雑誌の「ムー」とか「トワイライト・ゾーン」のほうが大きいと思うぞ。
いや、オウムの宣伝やっていたんだな、この雑誌!


622 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:23
チベット密教の方が責任あると思う。
アゴンのような新興宗教じゃなく
伝統ある宗教だけに責任は重いものがあるんじゃないの。 とくにダ○イ○○は人を選んで会うべき。
オウムはチベット密教に修行を認められた本ものの
もんで、アゴンのような陳腐な新興宗教はダメだ
ってんで、いっちゃったんじゃないのかな。



623 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 14:29
>620
普通の馬鹿=阿含宗に失望し、反阿含になる元会員
薄ら馬鹿=ノウテンキのまま信者を続ける。
大馬鹿=オウムにくら替えし事件おこし捕まる。
以上。


624 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/15(木) 16:39
阿含宗は、世界で最高、最大の実力ある宗教だと思います。
それは、極めて優れた霊能力者を指導者として戴くからと思います。
処で、改良点は、無いかと言うとあります。
それは、守護霊を、本人に憑いている不成仏霊が、無くなるまで、
付けないと言う方針です。
猿に、人間にならない限り、言葉を教えないと言っているみたいで、
無理難題では、ないかと思うのです。
まず、守護霊を付けて、因縁を、共に排除していくと言う姿勢に
なれば、世界中に広まるでしょう。


625 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/15(木) 17:18
>624
あなたは本当に「幸せな人」だ。

不成仏霊を祓い清めて、守護霊を1日も早くもらってください。
極めて優れた霊能力者を指導者として仰いで、
世界で最高、最大の実力ある宗教を広く世界に布教してください。

以上。




626 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/15(木) 21:13

「一九九九年七の月」 28.名誉欲教授で後塵を拝す

原稿を送って復活したという釈迦は今どこにいらっしゃるのでしょうか。
桐山氏以外に、だれか復活した釈迦を確認した人はいるのでしょうか。
すべては桐山氏の頭の中での話で、誰一人何一つ客観的に確認できません。
仏教が中国に伝来した年は、今日でも学者の間で異説があります。
それなのにノストラダムスは伝来した年を確定していたというのです。

桐山氏がこのような支離滅裂な言い訳をならべた背景は明らかです。
講演した中山大学と北京大学から名誉教授をもらうためでした。
仏教学の基本の一つである阿含経は、中国の仏教学者たちもよく知っています。
桐山氏に御講義いただかなくても、五時教判が間違っていることは知っています。
彼らは、桐山氏の話を聞きたかったのではなく、持参した物がほしかったのです。

創価学会の池田大作氏も、桐山氏よりも前に、両大学の名誉教授になりました。
桐山氏は名誉欲を釈迦の名前を使って正当化したのです。
自分の名誉欲の大行進を、ノストラダムスの予言に強引にあてはめただけです。
そして、池田大作氏の後塵を拝したのです。

地球壊滅の言い訳と名誉欲とを強引にくっつけて説明を試みたのがこの本です。
ただの講演を釈迦の復活という壮大な話に膨らませ、名誉欲を隠して、脅迫の言
い訳もするという一挙両得を狙ったつもりです。
頭の中は名誉教授でいっぱいで、7の月ことなど原稿を送った話で十分なのです。

原稿まで予言した偉大なノストラダムスも名誉欲教授は予言できませんでした。



627 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/15(木) 23:12
>624
守護霊をもらったお歴々をよくご覧ください。
共通点は何ですか。
行歴?梵行?徳の大きさ?
お金持ちであることです。
最初の人は冥徳解脱供養150体、つまり1500万円でした。
守護霊の拝受式で御礼など多額の金がかかります。
拝受式の金額の大きさに、守護霊を辞退した人すらいます。

ご存じなかったようだが、あなたも150体冥徳解脱供養を出せば、
梵行をしていなくても、心の因縁など切れていなくても、
守護霊はもらえます。
さあ、あなたも「世界で最高、最大の実力ある宗教」の
「極めて優れた霊能力者」の指示に服従して、
1500万円+αを供養し、守護霊をいただきましょう。
サラ金から借りても、守護霊がうまく返済してくれるでしょう。
それとも守護霊のディスカウント・セールを待ちますか。


628 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 02:25
まだやっているノストラダムス
どうでもでもいいと思うぞ。
いいじゃん名誉教授もらいたい奴はもらえば
それで、どうなるの?
名誉教授もらったって阿含宗が大きくなるわけじゃなし
べつに桐山氏が偉大だとは誰もおもわないし
一般市民は関心なんかないし、だからどうしたの
むきになって批判するようなことかな?


629 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 02:34
守護霊か、そんなん無理してもらわなくとも
すむ方法教えます。
守護霊もらった人とお友達になるのです。
遊びに行くといつでも拝むことができます。
150体もメイトク供養出せる人はそれなりに
人徳者ですよ。御存じない。
まあ、2chなんかに来る信者は???ですが
人のこと言えないな!


630 名前: 読み人知らず 投稿日: 2000/06/16(金) 06:00
阿含宗 狂気の沙汰も金次第


631 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 18:10
 >628さん
  まだやっているノストラダムス

あなた、こんな番組はやめろ。と文句を
いいながらTVを見てる人みたいですよ。
他のチャンネルを見れば?

 >一般市民は関心なんかないし
関心のある一般市民しか、ここ見ないし。


632 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/16(金) 23:06
>628さん

何をどう読んでいるのかねえ。
桐山さんが何をしたか、それを見ることは、
信者にも元信者にも役立つ。
それどころか、新興宗教の典型的なパターンが桐山さんじゃないか。
オウムも法の華も桐山さんの物まねの部分がかなりある。

信仰を持っているのかどうか知らないけど、
何も関心ないなら、このスレッドをのぞいたりしないだろ。
つまり、あなたも新興宗教にハマル可能性があるんだよ。
どうでもいいなんて悟り開かないで、
せっかく来たんだから、最初からしっかり読んでごらん。


633 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 02:44
>632
のすとらなんか今更読む気しねよ
おまえら時代おくれもいいとこだ!
だから阿含関係のやつら(信者も反信者も)
ばかだっていわれんだよ。
あほう


634 名前: うんこBOUZU 投稿日: 2000/06/17(土) 03:43
上〜なんだ?
真成寺・密門会系、反阿含、
盛んだな!


635 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 11:34
あげ


636 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 12:52
えーと、阿含宗の信者です。1番から634番まで、ざっと読んでみました。
阿含経に大工?と金槌の例えがあります(鍛冶屋とハンマーかもしれませんが)。
毎日職人が槌を持って仕事に精を出しているといつのまにか手の跡が柄に残る
というものですね。
元信者の方に伝えたいのですが、阿含宗で最も大事なことは毎日の勤行です。
千座業とは言わずに、仏舎利宝珠尊法典勤行と言うと思うのですが、それを毎日
ちゃんとする事が、最初の第一歩だと思っています。これは私自身に言っている
言葉なのですが。それを2日か3日柄を握ってみて、跡がつかないというのは
早過ぎるのではないでしょうか。
必ず、因縁は切れていきます。私も私の知り合いの人たちも大勢の人が信じて
幸せに暮らしています。
超能力や荒行を求める前に、毎日の勤行をちゃんとするべきです。毎日きちん
とすることは意外に大変なことです。


637 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 13:24
>633
あんた一人がこのスレ見てるんじゃないんだぜ。
勝手に話題を牛耳ろうとすんなよ。
一人相撲のバカっているんだな。
631の人が言うように、他のチャンネル行けば。
独り合点・独りよがりは見苦しいことこの上ない。
あんたみたいな「頑なタイプ」が一番洗脳されると抜けられないタイプだよ。注意した方がいいぜ。(藁




638 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 14:09
阿含宗の特徴は法力です。


639 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 14:13
日本人なら日本人らしく普通に暮らせばいい。
その普通が、1000年2000年日本人が呪縛され、
気づいていないマインドコントローラーなのです。


640 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 16:39
>636さん

典型的な信者の反応で、結局、何にも読んでいないんだ。
「千座行」を「千座業」と書いているところをみると、
636さんは仏舎利行になってから入った人でしょ。
「2日か3日」って、仏舎利行よりもはるかに時間のかかる千座行を、
3〜4回、つまり3千〜4千日と欠かさずやった人を知ってます。
手の跡どころか、柄がすり減ってしまった。
勤行はもちろん、梵行も、解脱供養も、桐山さんの指導まで受けて、
それでも、その人の問題は解決どころか、進展もしなかった。
仏舎利行もやっていました。
その人は超能力は求めておらず、因縁切りをしたかっただけです。

教祖は脳梗塞で借金まみれで、教祖の妻がガンで死んで、
それでも信者は因縁が切れて、幸せか・・・・。
現実を見ないで、桐山さんの妄想を信じていられるというのは、
「幸せに暮らしている」ことなんだろうなあ。

あれだけ阿含宗の中に問題が山積しているのに、
636さんは因縁の切れた幸せな信者しか見ないというのは、
指導者をよくよく見習っています。
桐山さんも自分に都合の悪いのはいっさい見ない。
見ても、すぐに忘れる。
桐山さんを見習って、このスレッドも見ないほうがいいよ。
せっかくの幸せがぐらついだりすると気の毒だから。

ただ、桐山さんのマネして、阿含経や釈迦を使うのはやめてくれ。
桐山密教を信じてハッピーになった、それでいいじゃないか。
釈迦を自分たちに都合のいいようにねじ曲げて使うなよ。
636さんは知らないだけで、悪意がないのはわかるけど、
それって、釈迦に対する一種の冒涜ですよ。


641 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/17(土) 17:07
>633さん
おやまあ、ずいぶん怒ってますね。
仕事か家庭でオモシロないことありましたかな。
それ、きっと悪い因縁、いや、霊障だっけ。
阿含宗でセンザギョウでもされてはいかが。
桐山さんは仏陀の智慧を説いてますから、阿含宗には
「ばか」や「あほう」はいないみたいですよ。


642 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 19:27
桐山に仲人までやってもらった林元医師は10年以上真面目に修行しましたが、
あのような人生になってしまいました。
「信じるものは救われる」とは限らないのです。



643 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 19:45
640 さん、こんにちは。阿含宗で幸せになれなかった人の話とかを、
雑誌、ネットなどで聞くのですが、私の周りにはいないのですよ。
その人の話は、もう亡くなられたのかも知れないが、こもごもと直接
お聞きしたいですね。
副管長の死はショックだったですね。死なないと思っていましたから。
末期の癌??が二十年近く延命できたのはすばらしいことだと思うので
すが、それでも亡くなられるとは夢にも考えてなかったのでショック
というしかなかったです。
管長げいかの症状は、軽い脳梗塞だと思いました。よく立ち直られた
ものだと思っています。しかし、家ではげいかもいつ何事があっても
おかしくない年なのだから、と話し合っています。火を焚く激務です
からね。
仏陀、釈尊のことですが、お釈迦様の名前を日本人に思い出させたの
が阿含宗であるということを忘れないでください。何宗にしろ宗祖が
唯一で、仏陀のことは忘れてしまっていたのです。いまでも仏陀をメイ
ンに出そうという宗派は無いのではないですか。
私は、阿含宗徒ですが、まず、仏舎利尊(仏陀のスピリットと思って
います)を拝み、諸仏諸尊を拝み、その後で一切萬霊守護金剛を拝み
ます。最後の金剛サッタの礼拝は阿含宗で教えられたことではなく、
私が勝手にやっているのです。ですから、阿含宗では教祖様を正式に
は礼拝していないのです。阿含宗は宗祖を拝む宗教ではなく、仏陀が
本尊なのです。宗祖の一切萬霊守護金剛は、私が勝手に遠慮がちに拝
んでいるのです。

どうして根本仏教と密教を混合したのかという、質問があると思う
のですが、現代日本人には、仏陀の仏教は無理です。欲望が強すぎる
のです。ダライラマが日本人に対して八正道の実践で十分だというメ
ッセージを残したのですが、はたして、日本人のどれだけが、ストレ
ートに、仏陀や諸天諸菩薩に頼らずに八正道の実践ができるでしょうか。
密教の行法で自分の欲望を整理して、妥当な欲望はかなえていただいて
それをばねに自己を高めていく、というやり方が現実的だと思います。
仏陀の仏教を実践するといったって、阿含経典を読んで、瞑想していても
寝てしまうだけでしょう。人間が実際に変わらないと行けないのだから
仏陀の助けがなくては不可能です。
しかし、法のとおりに行えば、小さな奇跡など日常茶飯事に起こっているし
、人格のよい意味での変化など簡単に(といっても年単位でゆっくりですが)
実現しているのです。



644 名前: ラスト 投稿日: 2000/06/17(土) 20:49
>642さん、阿含宗から落ちていったり、去っていったり
する人は、ほんとうに不思議です。私から見れば理由にもな
らない理由で去っていっているとしか思えません。(直接知
りあいにはいないのですが)。分かれ道で、悪いほうへ悪い
ほうへ向かっていくようです。何かが判断を誤らせるのでし
ょうね。それが、運命とか、霊的なものなのでしょう。林氏
の10年?の修行よりも、その影響のほうが強かったのでしょ
う。
学校を辞めていったやつを、どうして辞めたんだろうとふと
考えるようなもので、ほとんど、普段の意識には上りません。
林さんも、助かった命で罪を償ってほしいと思います。

これ以上書き込みしますと、広報みたいなのでやめます。
コメントいただいても、お返事しませんが、ご容赦を。


645 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/17(土) 20:51

「一九九九年七の月」 29.信者の唖然

桐山氏は信者にこの本を積極的に施本するように指示しました。
こんな本を他人に勧めたら、勧めた人の頭の程度が疑われます。

本を読んだ信者たちが一番驚いたのは、
・地球壊滅が1997年、つまり2年も前にすでに終わっている
・桐山氏が恐怖の大王であった
という点でしょう。

本が出る直前まで、1999年7月の地球壊滅を回避するために、信者たちは様々な
イベントを通じて、真剣に護摩木などで祈願をしていました。
阿含宗はそれを奨励し、これをネタに護摩木を集めていたのです。
核ミサイルか、原発崩壊かと、毎月、桐山氏は信者たちを脅迫していました。
いよいよ「その時」が来たのですから、桐山氏を信じている信者は必死でした。
その地球壊滅が、実は、もう2年も前に桐山氏が原稿を発送して、終わっていた
というのです。

信者が自分一人で唖然とするのはまだいいでしょう。
熱心な信者は地球壊滅を説いて、周囲に護摩木を勧めたり、入信させています。
これらの人たちに、いったい何と説明をすればいいのか。
まじめな責任感のある信者であればあるほど立場がなかったはずです。

けなげにも、信者は必死に桐山氏に頭を合わせようと努力します。
言い訳を受け入れ、矛盾は見ずに、桐山氏についていくのが正しい弟子なのです。
先達の一人は、この本を「いちおう、筋が通っている」と評価しました。
この本の筋が通っているのなら、北朝鮮は地上天国です。



646 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/17(土) 20:57
>643
>死なないと思っていましたから。
ここまで来ると、笑うどころか背筋が寒くなりました。あのー、
恐いのをおさえて確認させてもらいたいのですが、「ガンや難病など
治療法が確立されてない致死率の高い病気」やあるいは得意の「黄変死」
のために「死なないと思って」いたのか、それとも「永遠の命」という
意味の「死なない」のどっちですか?もし後者なら、あなた、いや御家族中
で精神科を受診されることをおすすめします。もちろん決め付けはしないけど、
かなり危ない・・・。
別院での例祭に何度か参加したけど、あそこに来てた人達って、まさか皆
「死なない」人がいると思ってんの!??
うちの先達は、「人間いつかは死ぬんだからさー」と言っていました。
ちょっとはマシかなあ。なんて変わんないか、たいして。
ホントはもっと書きたいことあんだけど、背筋の寒さが抜けないんで、
後にします。。。



647 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 20:57
元信者さんたちの辞めた理由

1・超能力の開発を教えて欲しかったが、叶わなかった。
2・自分の欲望を満たすために法を利用しようとした。

こんな連中はどうでもいいですが、陰険な性格の会員に捕まって酷い目にあった
ひとは確かにいます。問題が無いとは言えないでしょう。

わたしは解脱供養の法力で家族が救われました。そんな事情を知らない第三者が
「あなたの親父さんはまるっきり別人になった。神様みたいだ」それじゃまえは
どんなんだったんだか。でも、感謝しています。

ダライラマの発言については、欧米人に対しては本格的なチベット式の修行は無理
なので、自分たちの文化に仏教をうまく取り入れるようにしなさい、と言っていた
ような記憶があります。それの日本バ-ジョンかな。関心の高さのわりには、実際
に修行してるひとは少ない。チベット語がある程度読めないといけないし、大変
だとおもいますよ。

無難な発言ととれなくもないですが、そう言うしかないのかな。


648 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 21:30
桐山は自称「超人」だそうだ。
予知能力なんてお手のもんだという。
ならなんで無差別殺人犯となる人物の仲人になったんだ?
予知能力が全くないのに「超能力者」を自称するな。
それだから詐欺師だといわれるんだよ。



649 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 22:50
阿含経に、仏陀が入滅されたとき、信者たちは嘆き悲しんだ。
仏陀は死なないと思っていたので、弟子たちは驚いた。

こういう文章があるのですが、それを下敷きにした表現です。

本当に死なないわけがないでしょう、生者必滅ですから。

枕草子に香炉峰の雪、とかいう文章がありましたね。原典を
知っているもの同士の会話です。言葉の綾ですね。

そこまで考えなくても、当面は、とか、今しばらくは、と普通
に解釈すればよいのです。


650 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 22:57
また、その下の段に
管長げいかも、いつ何事があっても、おかしくない年だから
と書いているでしょう。何事とは何の婉曲表現なのか解説し
ないと、おわかりにならないですか。




651 名前: 死なない 投稿日: 2000/06/17(土) 23:07
落語の、おちを解説しているみたい。
仏陀の入滅の経典、一番大切な経典のひとつを
読んだことが無いんだね。


652 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:56
いま阿含宗の信者ってどのくらいいるの?
サリン事件以降、ここ数年で激減したらしいけれど。



653 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:59
求聞持脳でもボケたりするんですね。
ホモ・エクセレンスって脳梗塞にもなるんですね。
ところで
桐山のように都合の悪い事を全て忘れるのも求聞持法の効果ですか?



654 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/17(土) 23:59
>647さん、キーワードは法力ですね。
そうと知らない者にも如法に行えば効果が出てしまうという。

護摩木だって、私は効くから書くのです。密教食はあまり
買っていません。(怠惰だから飲むのが面倒)そんなの、買お
うが買うまいが何もいわれません。寄付だってしようがしま
いが勝手です。月2千円か何かの会費を払えばなにひとつ義務
はありません。なにか薦められはしますが、いやならNOといえば
いいのです。会費だって滞納している人はいっぱいいます。5年
くらい滞納すると1年分くらいでゆるしてもらえることもあった
そうです。なにもかも自由なところです。変な事件が起こるまで
は、出入りだってもっともっと自由だったのです。
解脱供養も昔は半額でできたので残りを踏み倒す人がいたのです。
阿含宗は、会員も職員もだれも取立てには行きませんから。
今は半額で順番待ちの列に入り、全額でスタートですか?
本だって買おうが買うまいが勝手です。月刊の準?機関雑誌600円
すらみんな買わずにまわし読みしています。私は買っていますが。
解脱供養は恐ろしいほどの効果があります。知り合いはそんなお金
がどこにあるのといって、ちゃらちゃらした洋服を買ってヨーロッ
パへ遊びに行っていました。我慢すれば月5千円20回払いは払え
るはずです。その気持ちもないのであれば解脱供養などしてもらう
資格がないのです。


655 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:03
桐山の奥さんですら癌の因縁が切れないのに、信者が因縁解脱できるわけないじゃん。
アホクサ。

あ、そう言えば
桐山本人もメシアのくせして脳障害の因縁が切れないようだ。

もうそろそろ信者たちも詐欺だって気がつかないとだめだよ。




656 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:07
>変な事件が起こるまでは、出入りだってもっともっと自由だったのです。

「変な事件」ってなんですか?
仲人までした弟子とかが団体で無差別殺人やった例の事件ですか?
それともまだまだ他にたくさんあるんですか?
 


657 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:12
解脱供養は順番待ちです。みんな早くしてほしいから、
緊急依頼の文書を添付するのです。
お金儲けなら順番待ちなどないでしょう。入金するの
に時間はかかりませんから。
実際に供養しているから時間がかかるのです。


658 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 00:15
>656 オウムの事件以来、参拝時にIDカードが
必要になったのではないかと思っています。


659 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:15
「解脱供養」

踏み倒したら完全な効果などあるはずがありません。
支払い分相当、つまり半分だけ解脱されるのです。
残り半分は払い込み終了後に解脱されます。
ローンの場合は毎月分割で解脱されるのです。
だから一括支払いをお勧めします。



660 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:18
「解脱供養」

銀行に対する借金返済予定に会わせた人数だけ受けつけています。
余分な収入があると無駄使いするからです。




661 名前: 超人 投稿日: 2000/06/18(日) 00:22
桐山先生は超人です。
私たちの周辺のみんなが認めていますから、自称ではなく他称超人
です。超人でも超能力者でも、この世に生を受けたものは、年老い
死んでいかなければならない。悲しいですね。
しかし仏陀は不死の道を教えられたのです。
(また経典を読んでない方が誤解して寒くなるかもしれませんね。
決り文句ですから、読んでから書いてね。)



662 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:27
「超人への奥義」

阿含宗では超人になるためにメディテーションバレーを奨めています。
眼に見えないパールとともに、金モール付きのバレー着も購入下さい。
チャクラ・タッチを受けてから、チャクラ開発ペンダントをお求め下さい。
壺瞑想もおわすれなく。(霊感壺近日発売です)





663 名前: 脳障害は私です 投稿日: 2000/06/18(日) 00:28
>655さん、脳障害の因縁なんていう言葉を
使うところを見ると、元、会員ですね。
なぜやめたのか、語りなさい。聞いてあげます。
一時にしろ師と仰いだ人を呼び捨てにしてはいけません。


664 名前: 脳障害は私です 投稿日: 2000/06/18(日) 00:30
阿O宗さん、あなたも、元会員でしょう。
どうしてやめたのですか。語りなさい。


665 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 00:52
切っ掛けは破地獄光明曼荼羅の一件でした。
あの当時で30万でした。
古い話だからご存知ないかな。

僕の友達など苦学生でお金に困っていた為、
あれからしばらく冗談ではなく本当にドッグフードを食べていました。
その後、体調を崩して寝込んでしまいましたが。

別の友達は親の病気が治るからといわれて6本も買いました。
家族全員で入信もしました。
もちろん病気は治る事もなく、直ぐに他界しましたが、その間
特別ご祈願とお伺い、特別お手配等々いくら貢いだかわかりません。
桐山は法力で寿命を1ヶ月延ばしたとほざいたそうです。

やめた理由はいろいろありますが、まわりの人達を見ていてアホらしくなったのと
あとは教義の矛盾と嘘だらけの教祖に愛想を尽かしたからですね。
あそこにいたなんて恥ずかしくてとても知りあいには言えませんよ。



666 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 00:59
信者の女性に対するラブホテル・強制猥褻事件について知ってる方いますか?



667 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:12
>666
それはよその教団でしょ。
むかしふらいでーに出てたよ。



668 名前: みかりんさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 01:15
過去のログを(少し)読みました。

あげあしとりの物書きかなにかと間違えて、強い口調でコメントを
書いてしまいました。嘘ではなくて本当にぞっとしたのですね。
家庭の事情に苦しむ主婦だったのですか。
もし阿含宗に縁があるのなら、そのまま少しづつでも続けるべきです。
背中がぞっと寒いのは霊障のせいです。
霊障のかたは阿含宗を嫌うのです。



669 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:19
>背中がぞっと寒いのは霊障のせいです。
>霊障のかたは阿含宗を嫌うのです。

霊障のある人がそばに来た時も背中に寒気が走りますか?





670 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:34
阿O宗さん、破地獄光明曼荼羅はうちにもあります。
30万円だったのですね。それをいただくときに世間福を期待
するからいけないのですよ。三悪趣から逃れる出世間福期待す
べきなのです。現世でも三悪趣から逃れられるというのはすば
らしいことです。
6本買ったとすれば、完璧に先達が悪いです。ドッグフードを
学生に食べさせたとしたら、それも、完璧に先達が悪いです。
私が代わりに謝ります。目先の権力欲、成績主義のやつがいる
んですよ。売上なんて言う職員もいるくらいですから。情けな
いです。昔、知り合いの方がガンになって、先達を紹介したの
ですが、千本の護摩木(10万円分)と自前の薬品まがいを売り
つけ、全くく信用を失ってしまいました。ガンの方はいくらで
も金を出すのです。その頃はその先達を信用していたので、私
も賛成してしまったのです。彼らは生涯、阿含宗を信じないで
しょう。
一度失った信用は取り戻せませんが、人を見ずに仏陀を見て修行
しようと、仲間内では励まし合っています。
人間関係のトラブルは人間のいるところ常のことです。仏陀の
教団でも修行者同士のトラブルが発生しています。憎み合った
ままでは、地獄界から逃れられないのですね。
わたしも、どうしても許せないやつが一人います。許すまでに
あと1年はかかりそうです。(それまで死なないようにしよう)


671 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 01:43
669>さんへ。霊障は多かれ少なかれだれでもあります。
非常に霊障の強い方がこられたときは、周りが、明かりが消えた
ように暗くなります。人によって感じ方は違うと思います。
私はその人の霊障の強さは色でわかります。強い人は暗い紫色
です。みかりんさんの寒気は、私の霊障かもしれません。
ただ、道場へ行くのが嫌でたまらず、道場ではぐったりとする、
あるいは、むやみに歩き回りじっとできないなどは、霊障かも
しれません。


672 名前: 阿O宗事務局 投稿日: 2000/06/18(日) 02:25
貴方のような方ばかりでしたら宗内も過ごし易い環境だったと思います。
でも、宗教は教祖次第です。
このスレッドを読まれてどう感じましたか?
とくにヌマエビさんのレポートは貴重です。
ご意見をお聞かせ下さい。



673 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 05:03
> 610
井沢満氏はず〜と昔から熱心な阿含宗の会員だよ。

桐山氏とはベタベタで、お互いにおべんちゃら言い合ってる。
何たって桐山氏は「有名人」と「金持ち」と「高学歴」には弱いから。
放送作家で売れっ子の井沢氏なんぞは特別扱いですよ。
都合良く「聖者様」の本に礼賛文も書いてくれるしね。
例祭(月1回の祭礼日)にもよく来てるよ。
阿含宗の催し物でスピーチなんかもよくしてるしね。
そういえば、阿含宗には彼以外に有名人っていないような・・




674 名前: 少し関心のある一般人 投稿日: 2000/06/18(日) 06:44
有名人は宗教団体に必要ない!
広告塔にされるだけだろ?
井沢氏って誰?、有名なの。
なんかなあ〜ここも勘違いしてる人々が多いんだね。
阿含ってけっこう大きいとおもうんだけど、
あれなのかな、やっていることは拝み屋さんみたいな
祈祷するだけなの?
信者は精神修養とか修行とかふだんの心がまえの
ようななんか人を練り上げる修養のようなこと
しないのかな?
祈祷に金かけて効果なかったとか、供養が必要とか
根本的に違うようなきがする。
病気なら病院にいくべきだし、供養より生きている
人間のほうが大切でしょう。
なんか信者さんと元信者さんのやりとりも
不毛なんだよな。ここのスレッド。
桐山氏をおちょくるのが目的ならば何も言うこと
ないですけどね・・・。


675 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 08:05
674さん、ここでのはなしのもとネタはだいたいが80年代
ものです。あまり発展性を期待しないほうがいいですよ。

みかりんさんちの先達もたまには家族サ―ビスのひとつもすれば
いいのに。生きている人間を粗末にしたらいかんよ。

グ―で殴ったんですかね。


676 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 13:22
>674
阿含宗ではまず、毎日の勤行をするのです。自宅ですからだれも
見張る人もいなくて自由なのですが、一番大事なのです。これで、
人間が変わっていきます。

私も酒タバコ女の人生だったのですが、いつのまにか酒、タバコ
はやめ、出歩くのもめんどくさくなるのです。そういうことのな
い人生のほうが楽しいのです。

法力というのは不思議なもので、1000人集まっても
一人くらいしか煙草を吸わないのです。(禁止ではないのですが)
ふつう禁煙なんてできるものでは有りません。吸っている人が
いれば新人です。酒もセンチ単位です。今日はコップに3センチ
飲んだとか。私は盆正月も飲みません。
病院もちゃんと行くのですが、病院のあたりはずれがよくなり
ます。それと酒タバコ不摂生が治療にはよくないですから。

まあ、たいていの人は不摂生がすきですから。そんな人生が
苦しくなれば阿含宗に行けばよいのです。法力があるのは
阿含宗だけです。どの団体も、法力ありとは宣言していない
でしょう。その団体が宣言して、信者が見とめれば本当です。
いつまでも嘘はつき通せないものです。

法力も奇跡もたくさん見ていますから、嘘だという人が不思議です。

だけど、大切なのは、おかげではなく、人格が良い方へ変わること
なのです。年単位でゆっくりですが。普通はますます悪いほうへ行く
ものなのです。

勤行の時にろうそくをつけますね。解脱供養が始まると(1−2ヶ月
かかるのですが)ろうそくの炎が変わります。おおげさにいうと(
おおげさなのですが)天井に届くほどすすを出して燃え上がります。
霊が苦しんでいると思っていたのですが、最近、それは、霊がよろ
こんでいるからだと教えてもらいました。

お金のことですが、女遊びとかゴルフ、スナックには行かないし
クラブにも行かないし、病院がよいもしない。タバコも酒も買わ
ない。何が楽しいのかといわれそうですが。お金は浮いています。


677 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 13:57
>603 名無しさん@1周年へ
>つまりは阿含宗も伝統仏教のやり方に落ち着いた
>ということでしょうね。
これは間違っています。伝統仏教との違いは、釈迦、仏陀が本尊かどう
かなのです。伝統仏教で、これからは仏陀を中心にやっていくと宣言し
たところがありますか。
伝統仏教が釈迦と阿含経を表に立てて、僧侶は真摯な修行をし、身を慎む
と宣言されたら、今日からでもいっしょにやっていけるのです。住職
さんたちは今のままの俗人でいたいのでしょう。私だって、家が寺なら
そう思います。跡を継いだだけなのに、身を慎めとはとんでもないで
はないですか。俗人ご住職を見とめるべきです。胸に俗人ステッカーを
貼るのです。われわれは俗人でもなんでも、葬式にお経を上げていただ
いたら結構ですから。いくら息子が阿含宗でも、親が死んで坊さんを
呼ばないわけではないですから、俗人ご住職でもころろをこめていただ
いたら嬉しいです。
阿含宗総本山は、釈迦山大菩提寺です。桐山寺ではないのです。管長ご
夫妻の銅像も目立たない、探してもわからないところに
立てられています。(実は探せばわかりますから、これも文飾。)
阿含宗は日本の仏教の本流です。実は日本ではなく世界の仏教の本流です。
懸命の努力でアジアの融和が実現されつつあり、次はアメリカ
ヨーロッパなのです。西欧人には説法しても無駄、見せなければ
とおっしゃっていますので、なにを見せられるのか楽しみにしています。




678 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:03
>588最低たよ さん。
どんな難病なんですか。お元気そうではないですか。
プライバシーですが匿名でもあり、よろしければ
お聞かせください。


679 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:11
貴方の尊敬する先生は、酒も女も大好きですよ。
ダチが喫煙してるのも見たといっていましたけど・・・。



680 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:17
関東別院の入り口に愛染明王が置いてあるし、神仏混合でいろいろ
祭っているけれどそれも阿含経の教え通りなんですか?
加持祈祷も阿含経で釈迦が奨めているのですか?
仏舎利崇拝も偶像崇拝ではないのでしょうか?



681 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 14:18
ところで昔のご本尊 ジュンティ如来はどこへいったの?
仏舎利を買ったから 用済みでお払い箱ですか?




682 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 14:49

>643さん
>その人の話は、もう亡くなられたのかも知れないが、こもごもと直接
>お聞きしたいですね。

この人の話など聞かなくても、このスレッドでも、
たくさんの書き込みがあるじゃないですか。
あなたがどこに住んでいる人かしらないが、
多少の宗教的な探求心があるのなら、自分で探してごらんなさい。
必ず、あなたの地域にもそういう人がいます。

ちゃんとアンテナを張っていれば、情報が来る、
と管長猊下はおっしゃっていましたよ。
アンテナが幸せな人ばかりに向いていると、
目の前にいても気が付かないかもしれない。
大半の人が問題があるから、宗教を求めるはずで、
それが周囲が、幸せな人たちばかりだというのは、
アンテナの方向に問題があるのかもしれません。

信者一人一人とていねいに話を聞いてはどうですか。
愚痴でも不満でも批判でも何でも、聞いてあげるのです。
相手が言いかけたとき、阿含宗の教学を持ち出して、
説教して、止める先達様がいます。
「因縁物申す」「愚痴は因縁を作る」「徳が足りない」
「批判ではなく、建設的な意見を言いましょう」「感謝が大切だ」
などときれい事の教えで、相手の口を封じている先達は珍しくありません。
阿含宗の紋切り型の返事が返ってくるだけだと、
無駄だから、会員も本音の話はしなくなるでしょうね。


683 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 14:53
>643さん

副管長の末期癌が二十年近く延命できた、
という点は一般の話としてはすばらしいことです。
世間一般の常識ではなんのおかしさもありません。

話がおかしいのは、桐山さんの因縁切りの理屈にあてはめた時です。
桐山さんはガンの因縁も切れるといっているのです。
そう主張した桐山さんの夫人であり、副管長が
なぜ1982年にガンになったのですか。
そして、なぜ76歳でガンで亡くなるのですか。
副管長がガンで死んだのは、因縁ですか。
霊障ですか。
それとも不徳ですか。

あなたもショックだとおっしゃっている。
そのとおりです。
多少とも、阿含宗の教学、桐山さんの主張を理屈で覚えた人なら、
副管長の死や、管長の脳梗塞にショックを受けないはずはない。

信者ならもう少し、まじめに阿含宗の教学を勉強すべきです。
管長の本をすべて読んでいますか。
法話はちゃんと聞いていますか。
ご都合で教学を出したり、ひっこめたりしないで、
一貫して、あなたの信じている阿含宗の教学で見てごらんなさい。

その教学を、桐山さんの脳梗塞とたちさんのガンにあてはめてごらんなさい。
ただのショックではなく、ものすごいショックなはずです。
ものすごいショックを感じないなら、あなたは阿含宗の教学をまったく
信じていないことになる。

桐山さんの言ったことと現実が矛盾しても、
「年だから」「あれだけの激務をこなしていれば」
「げいかもいつ何事があってもおかしくない年なのだから」
などと常識を持ちだしています。
阿含宗の宣伝をするときには、桐山さんの因縁論を
そのまま受け売りして展開し、
「因縁は切れていきます。私も私の知り合いの人たちも
大勢の人が信じて幸せに暮らしています」
と言いながら、矛盾が出てくると、突然、そこで、
教学を捨てて、常識的な話にすり替えています。

あなたは桐山さんが軽い脳梗塞だと思うと認めました。
桐山さんの作った因縁論によれば、脳梗塞は脳障害の因縁の現れです。
桐山さんは脳障害がないはずなのに、すべての因縁を切ったはずなのに、
どうして、脳障害の因縁の現れである脳梗塞になるのですか。
軽かろうが、重かろうが、脳梗塞は脳障害の因縁です。
常識ではなく、阿含宗の教学で、桐山さんの因縁論で考えてみてください。


684 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 15:03
>643さん

「現代日本人には、仏陀の仏教は無理です」とのことですが、
釈迦直説唯一の経典を護持する阿含宗徒がこれを言ってはお終いです。
これでは大乗仏教と何の変わりもない。

桐山さんの話を検討もせずに、そのまま鵜呑みにしていますね。
「欲望はかなえて」というあたりも桐山さんの理屈そのままです。
師匠の言っていることを鵜呑みにしないで、自分なりに検討してみることも
宗教においてはとてもたいせつなことです。
桐山さんもそれを主張しているではありませんか。

桐山さんは自己弁護の理屈を後で作り上げているにすぎません。
先に密教をやっていたから、密教をそのまま残したのです。

桐山さんの創作した仏陀ではなく、客観的な学者が調べた
仏陀を勉強してはどうですか。
釈迦が説きもしなかった先祖供養や、不成仏霊の成仏などを説き、
釈迦が禁止したはずの護摩や占いをすることが、
釈迦の仏教を現代によみがえらせることですか。
現代風に「密教の行法で自分の欲望を整理」した結果が、
桐山さんの勲章のオンパレードですか。
整理して、様々な屁理屈をつけて勲章をもらうよりも、
普通に欲望を出していたほうが、よほど健全ではあるまいか。


685 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 15:08
>643さん

「お釈迦様の名前を日本人に思い出させたのが阿含宗である・・」
とは恐れ入りました。
釈迦の名前を知らない日本人がいったい何人いるだろうか。
釈迦を本尊とする仏教など珍しくもない。
まるで自分だけが釈迦を担いでいるような桐山さんの言い分を
鵜呑みにしないで、自分で確かめてごらんなさい。

阿含宗が阿含経を世に広めたと言う。
ほんとうだろうか。
桐山さんも本に書いているように、
友松圓諦のように宣伝した人たちはたくさんいます。
ただ、自分の宗教を広めるために徹底的に
利用した人は桐山さんが初めてです。

阿含経を広めることがそれほど珍しいですか。
日本、韓国など、東アジアの一部の地域を除き、
釈迦の言行録が阿含経であることは、常識です。

桐山さんのやったことは、阿含経を広めたのではなく、
「阿含経を利用して、自分の宗教を広めた」のです。
釈迦を看板にして、釈迦とは関係のない自分の宗教を広めたのです。

桐山さんは「命をかけて釈迦を広める」などと格好よくいう。
立宗するときの言葉なんか、人生の選択を迫られた孤独な男みたいで、
とても格好がいい。
何か激しい迫害を受けたような言い方を桐山さんはよくします。
だが、だれが阿含経のことについて攻撃しましたか。
桐山さんのやっているおかしい面を批判しているだけで、
阿含経そのものを批判している人などいません。

桐山さんの、ドラマチックに阿含経を演出した、
その才能はたいしたものです。
桐山さんは、阿含経を旗印にすることで、
まるで自分が憂国の士であるかのような、
釈迦に全権を依頼された代理人のようなポーズをとった。
その宣伝能力はすごい。

だが阿含経を広めたのはなく、名前を利用したにすぎない。
信者は素直だから、阿含経といわれれば阿含経、
仏舎利といわれれば、仏舎利を信仰します。
桐山さんにとってはこれらはすべて「道具」でしかない。
何でもあの人は使えるものは宣伝に使う。
桐山さんのたいへん才能であり得意技です。


686 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 16:31
>桐山さんのやったことは、阿含経を広めたのではなく、
>「阿含経を利用して、自分の宗教を広めた」のです。
>釈迦を看板にして、釈迦とは関係のない自分の宗教を広めたのです

そのとおり!





687 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:34
>671

これジョークでなく、本気で書いているのですよね。

阿含宗にいたとき、見えるという霊能者と信者に
被験者になってもらいました。
霊能者のいう霊障を説明してもらい、
その後、信者が解脱供養を出しました。
霊能者の指摘と管長の指摘とが一致したことはありませんでした。
結局、何人かの霊能者に、得意技をやってもらい、
試してみましたが、客観性はまるでありませんでした。

この種の霊能力をもった人で、
家庭や仕事がうまくいっていて、満足している人を見たことがない。
たいてい、自分は高い能力を持っているのに、
だれも認めてくれない、という強い不満を持っていました。
桐山さんはその筆頭でしょう。

ある霊能者が「強い霊障あり」と指摘した会員たちは、
その霊能者が嫌っていた相手でした。
本気でこれを言っていました。
自分の好き嫌いを投影したにすぎないことすら
気が付いていなかったのです。

霊能者の一つの共通点は、管長がそうであるように、
「思いこみが激しい」
の一言につきます。

「あなたには霊障がある」というのは、
「おまえはクサイ」というのと同じで、一種のイジメです。
臭いのはまだ客観的に判断もできるが、霊障はまったく判断できない。
霊障を信じていなくても、言われて気持ちのいい人は一人もいません。
霊能者は自分の発言に責任をとる必要もありません。


688 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:36
>671

霊能者は、自分はすごい能力を持っているのだ、
と他人からの尊敬を受けたいと思っている人が多いのです。
しかし、原因は霊能者だけではありません。
「あの人がそばに来ると、頭が痛くなる」
「この法座会の中に強い霊障をもった方がいます」
「道場の入り口に来たら、肩が軽くなった」
などと述べる。
聞いていてバカらしいのだが、案外、信者は本気にします。
信者の中には、暗示で、「さっきから寒気がすると思ったら」
などと発言し、皆さんも同様な顔をする。
信者たちも話を増幅し、柳を幽霊にしているのです。

「仏様からすごい力を感じる」
などと言うと、信者は、みんな同意します。
何か感じている顔をしないと、
霊的に鈍感なのだと思われるのが恐いのでしょう。
仏舎利を拝んでも何も感じないと言った人に、
「あなたは霊障で汚れているから、清らかさがわからないのだ」
とほざいた先達がいます。
先達の心のほうがよほど汚れている。

阿含宗の信者は、宗教が好きですから、霊能が好きです。
だから、霊能者がいると、たちまちミニ教団ができる。
自分だけがわかり、先生のような存在です。
これが霊能者たちには快感なのでしょう。
今でも、横浜に霊能者大先達が一大勢力を誇っています。
この人の話は阿含宗の話とは似ても似つかない。

十年ほど前、ある道場では、主な信者が霊能者に、
自分の因縁、霊障、前世のお伺いをたてていました。
「今日は仏様がとても喜んでいる」
などとご霊示をたれていました。

信者が霊能者をほしがっているのです。
需要があるから霊能者はいなくなりません。


689 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/18(日) 21:43
>671

ある霊能者は、「ご宝塔がとても温かい」
「あの先達からは清らかなバイブレーションが伝わってくる」
などといつも言っていました。
金属の仏舎利尊がどうして温かいのかわかりません。
「あの先達」は人の導きを平気でとる人でした。

この人から「電話が何度も最初だけ鳴って、それで切れてしまう。
何か霊的なサインではないか」という不安げな問い合わせがありました。
幽霊が電話をよこしたと言いたかったようです。
「近くで電話工事をしていませんか」と答えました。
幽霊は電話工事でした。

彼らにとって絶大な霊能者である桐山さんが、
「仏舎利から紫磨黄金の光が・・」
「霊障の仏が来ると火が湿る」
「霊障の仏が団らんの茶の間でのたうちまわっている」
などと言われると、それを認め、「桐山さんと感覚を一体化」
することが信仰なのです。

ご宝塔が温かいのも、霊障を感じるのも、
彼らは心の共鳴現象をおこしやすいのでしょう。
阿含宗という閉ざされた村社会では、
妄想にすぎないものが、集団だと、思いこみの激しい人には、
現実的なものとして、感じることができるのでしょう。

桐山さんのいうような霊障が原因で絶滅するというのなら、
1999年でなくても、人類ははるか以前に絶滅しています。
大霊能者の「霊障の大予言」すらはずれたんですよ。

霊能者って、ウソついているとは言わないけど、
他人の霊障を指摘する前に、自分の感覚や頭を疑うべきです。
桐山さんを見習って、最新の脳生理学の本でも読んでみたら。


690 名前: 105元修行者さんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 22:24
>105元修行者さん。
バチカンが仏教徒400人を招待して、ミサを執り行った。
カソリック教徒30万人の一番前の列に仏教徒が位置した。
仏教徒がバチカンの聖堂で修法をとりおこなった。ということは
世界史でも大きな事件なのです。
歴史的認な観点でもうすこし意味を深く考えるべきではないですか。
カソリック教徒と仏教徒が世界史で初めて、合同でミサをとりおこなったのです。



691 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 22:27
霊能者=零能者=零脳者=求聞持脳=桐山 (退化の法則)
で決まり!



692 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/18(日) 22:33
貴方は行った事がないらしい。

>カソリック教徒30万人の一番前の列

あそこは特別招待席の外側で誰でも入れるところ。
前にいたければ先着順なので早く行けばいいだけです。

>世界史で初めて、合同でミサ

サンピエトロでの定例ミサに単に参列しただけで何故合同ミサになるんですか?
カトリック側から見たら大笑いですよ。

>世界史でも大きな事件

貴方のような方が信仰宗教を支えているのですね。
これからも頑張って下さい。



693 名前: 308名無しさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 22:53
ソ連の打ち上げた人工衛星は静止軌道にあり
シンガポール上空にあるはずです。落ちていなければ。
私の家族の写真も乗っています。


694 名前: 398大仏祭さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:12
大仏祭はいいですよ。食べ物も安いので、家族で1000円2000円
あれば一日遊べるし。昔は信者が奉納演芸を行っていたのですが、
さすが超能力者でも素人芸を半日見るのは疲れるものが有るので(ご本人談)
プロの演芸や演奏にかわりました。ただ阿含宗徒はまじめなので、のりが
悪いです。ギターの寺内?鹿内?さんがのりが悪いと怒っていました。
クラシックにすれば良いのですよ。←O宗事務局さんへ。


695 名前: 401さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:20
信者への指導が無いというが、7000人の伝法会、それが5,6グループも有る。
一夏にそれだけの者に、夜遅くまで、受講しているほうが根を上げるほど教え
込む。そんな教祖さんがいますか。



696 名前: 419大仏祭さん 投稿日: 2000/06/18(日) 23:32
>宗教入門
そうですよね。現在の日本の宗教学者はみんな影響を受けているの
です。→学者?さんへ、正直に書けよ。読んでますって。何事でも
方向性を見出すのが一番難しいのです。宗教関係の何とかブームが、
すべて桐山著書2週間遅れで始まったのを知っています。どちらが
先かなんて本好きにしかわからないでしょうが。決まった方向に
肉付けなんてだれでも(私はできませんが)できるのです。


697 名前: 455エビカワさんへ 投稿日: 2000/06/18(日) 23:44
暴露はボウロではなく、バクロだと思うのですが。
あなたの将来の為に(マジで)。それともボウロという若者言葉があ
るのでしょうか。知らないもので。
ちなみに遵守はソンシュでなくジュンシュです。


698 名前: 535さん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:20
阿含宗をカルトというのはおかしいと思います。
由緒有る多くの神社などでも法要を年に何回も行っています。
宮司さんも主席され祝辞もいただいています。
ここには書けませんが(略)、、。
日本宗教界では営業上の不利益を恐れる伝統仏教以外には思
いのほか認知されていますので、よくお調べになってください。
国内でも本年も法要の予定があるようなので、取材にいかれ
ればわかるでしょう。


699 名前: 538さん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:26
>私の場合、金銭的被害は軽佻でしたが(貧乏学生だったもので)
軽佻ではなく軽微です。軽佻だと軽はずみという意味です。
>霊障だとか因縁だとか、インチキだと分かりつつもつい頭の中を
よぎってしまうような.....ほんとうに精神的にレイプされた気分
インチキではありません。事実です。



700 名前: 672阿O宗さんへ 投稿日: 2000/06/19(月) 00:48
1番からずっとスレッド読んできました。疲れました。
破地獄光明曼荼羅が30万円だったと書きましたが訂正しておきます。
解脱供養3体のご法施としていただいたものでした。売り買いるもの
じゃないでしょうとしかられました。ヌマエビさんのコメントについ
ては、反応できませんでした。なにも感じなかったのです。私が知っ
ていることに関してはかれが間違っています。かれは今年二月の星祭
に行っているのでしょう。星祭の修行をしていながら、こういう文章
をかける人もいるのですね。これが彼の特徴(阿含宗用語で因縁なの
でしょう)ずいぶん助けられているはずなのですが。近親憎悪の体質
なのですね。ヌマエビさん、まだ後宝塔を持っているのならしっかり
拝んでください。本当はそんなうらみつらみの暗い世界から抜け出し
たいでしょう。管長げいかは許してくれていますよ。


701 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 00:59
>679さん。
末端の一番だめ男のわたしでも、酒や女やタバコは簡単に
切れたのだから、それはありえないです。そう言う生活を
していたらあの激務には体が持たないです。
簡単といっても3年以上かかりましたが。最初は愛人に法
をといていましたから。結婚してくれたら入るわよ、馬鹿
みたい。といわれました。
ご存知のように、酒タバコ乱れた生活というのは、教しえでは
どうしようもないのです。法力です。末端会員のみんなが
健康な生活を送っています。


702 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:02
>680さん。阿含経典を読まれたらわかるのですが、仏教は
仏陀の時代から神仏混交です。仏陀はヒンズーの神々を
捨ててはいないのです。ただ涅槃に至る道を付け加えただけなのです。


703 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:13
>681さん。仏舎利を買うという表現はおかしいです。
たとえば私ですが、この世の全資産をやるといっても阿含宗は
やめません。(拷問されたら口先だけで転びますが。)
そういうお金で買えないものがあるのです。日本には聖職者と
言う者がいないので、誰でも金で転ぶと思いがちですが、世界
を見渡せばそうではありません。
スリランカ大統領手ずから渡されたものを、買ったといっては
いけません。
阿含宗は本尊が仏舎利尊=お釈迦様、それに密教ですから諸仏諸菩薩
諸天善神を拝みます。


704 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:46
>682さん。会員さんのようで。元?
>683さん。同じ方かしら。
たとえば進行ガンの人が100人います。日本中
どこの病院へ行っても一人も助からないのです。
その100人のうち、5人10人助かってもすごい事だと
思っています。人は年老いて病を得てみんな死ぬのです。
例外は有りません。55歳の母が進行ガンで75歳まで
生かせていただけたら感謝します。
管長げいかの家族だって、信徒だって同じ人間です。
これは私の本音です。仏陀だって赤痢かなにかで亡くなられた。
ショックというのは寂しいと言う意味もあります。
ご夫妻銅像の意味がわかりました。偲ぶ便(よすが)だったのですね。


705 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:52
>684さん、夜もふけましたが。
阿含宗の教義は釈迦の根本仏教と密教を止揚したものです。
日本大乗仏教は釈迦を忘れているのです。
私もこの形がBESTだと思っています。考えてです。


706 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 01:55
>684さん、仏陀が護摩を禁じていたとは思えません。
占いは、僧侶に禁じていただけです。商行為を禁じていたのです。



707 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:00
>685さん、もう少し。
釈迦を本尊とする仏教など珍しくもない。
日本のどこにありますか?

阿含宗前の、友松師、中村博士などの、少量の阿含仏典の書物を
もとに私やあなたがどのような修行ができますか?
読んで、寝るだけでしょう。原始仏典は有る意味で退屈な読み物
です。一万巻の阿含経典から重要部分を探し出したのは、桐山先生
ではないですか。


708 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:06
>686阿含宗が出るまでは、世間の人に
は阿含経に対する興味など無かったのです。
特殊な人以外は知らなかった。



709 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:16
>692さん。
パームサンデーの30万人の大衆。警備も厳重。各国大使館の列席の前の列
に誰でも入れることはないでしょう。ミサを終わった法王げいかが桐山管長
と握手をされたのはご存知ですか。
防弾ガラスの車に乗るほど警戒厳重な法王げいかの至近距離に誰でも入れる
わけがないではありませんか。
それとは違う日にサンピエトロ寺院(違っているかもしれません)で阿含宗の
法要が行われました。
この話を一番嫌うのが、日本のカソリック教徒なのです。
詳しくは映画も本も有りますので見てください。本は「愛のために、、です。
本を読んだ上でもう一度お書き込みを。


710 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 02:31
1番から709番まで読みました。疲れました。
この馬鹿なところが私の因縁です。長文申し訳
ありませんでした。
準低如来さまは(低は月へんです)ちゃんとおがんでいます。
霊能者は霊障者とは、良く言われる言葉です。
見えないものも存在します。さようなら。


711 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 03:21
私は信者だよ。
アゴン宗は本物だよ。本当かどうかは入ってみないと
わからない。私はマジで助けられたことあるから。
くわしくは書けないけどさ。


712 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 13:32
桐 山師が本当に聖者なら、何故経歴詐称などする必要があるのでしょうか?
法力云々ですが、天魔外道や狐狸のような畜生でも神通力をもっている者はいる
そうです。悪魔でも聖書を引用することはできるし、仏舎利を拝むこともできるでしょう。
 以前、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPを閲覧したところ、ダライラマ14世の来日履歴に、「阿含宗が招聘」というのはありませんでした。黒住教や念仏宗
なんてのはあるのに。
おかしいな〜。


713 名前: 鹿児島原始仏典くん 投稿日: 2000/06/19(月) 14:49
観音慈恵会の時代がなつかしい。アットホームで、各自が体験した救いや体験から
自然と広まっていた時代でした。管長や奥様とも直接親交がもてました。
教団が大きくなると、コストがかかるのでしょうが、集金システムが目立ちはじめ
請願と言って、布教ノルマが出はじめました。数を言い始めてから、教勢が鈍ったと思います。
昔の和気あいあい・自然と広まる阿含宗にもどってほしい!


714 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:05
>712 さん。ある人の伝記を書くとき、色々な書き方があ
ります。すべてを賞賛する。すべてを悪く書く。桐山師は大き
な人格ですから、一方的な文章を信じず、自分の目で、誉めす
ぎもしない、貶めもしない、公平な伝記を書いてみてください。
(実際に本を書けという意味ではありません。)
とことん貶めれば利益になる人達もいるのですよ。そう言う人
達の文章を丸のみにするのもおかしな話ではないでしょうか。
その人達の文章は私のこの目で見た範囲に関しては嘘であり
中傷です。
桐山師はごくごく普通の(野心もある、才能もある)人間から
今の聖者と宣言するような人間にまで変わってきたのです。
普通人がどのように変貌したかを研究することも意義あることで
はないですか。男子三日見ざればカツモクして見よ。君子豹変す。
と言う言葉があります。君子豹変は誉め言葉なのです。まだらも
よう?の頼りない豹の子供が、突然すばらしいパンサーになって
いることを言います。
あなたの周りにもいるでしょう。突然大きくなって、肩幅ができ
て。あいつは、ちびだった、はなたれだったと言っても仕方ない
でしょう。彼は今、巨大なのですよ。

ダライラマに関しては武道館における共同でなされた修法がすべて
です。宗教家が一緒に護摩を焚けば、それは永遠の契りなのです。

追伸ですが、ヌマエビさんへ。武道館のダライラマとの合同の法楽、
バチカンでのこと、モンゴルでのこと。楽しみにしています。
私はちゃんと知っていますから、どのように悪く書けるのか。



715 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:10
>712さん、
悪魔でも聖書を引用することはできるし、
仏舎利を拝むこともできるでしょう。

悪魔でも仏舎利を拝めば聖者になるのですよ。(なかなか拝まない
でしょうが。色々と理由をつけて。)
聖書の引用に付いては、聖書のことがわからないので教えてください。
阿含宗が聖書を引用しているのですか?ととぼける。聖書を知らない
のは本当です。たぶん100文字くらいしか読んだことが無い。面白
くない。退屈。


716 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:26
>712さん、桐のあとにスペースが残っていますよ。
男子三日見ざればカツモクして見よ、は、極心空手の
大山ますたつさんが好まれた言葉です。
チャンピオンに対して、おまえは新人の時、どじだった、
しっこちびりだったといってはならないのです。
そういうのを、武士の情け、惻隠の情、言わずもがな、
というのです。師がちょっとしばらく旅に出るといえば、
そうかなと思ってあげるのが弟子なのです。
しっこをちびったことは告白します。うんこまでは告白
しないかもしれません。立場上言えないこともあるのかも
しれません。しかし、それはすべて昔のことです。しかも
嘘かも本当かもわからないのです。

しかし、私の妻は、私の昔の浮気を今でもせめつづけます
がねえ。


717 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 15:40
>713
鹿児島さんこんにちは。
阿含宗が金集め(金儲けではない)をはじめたのは
総本山総本殿が大きな理由だと思います。

たとえば弘法大師なきあと真言宗が続いたのは高野山が
あったためだと説明されました。
桐山師なきあと、日本に釈迦と阿含の教えが残るために
は総本山が必要なのです。
この説明には納得しています。

阿含宗も、誰も知らない状態から、知る人は知る時代に
なりましたね。知らない人は全く知らないですが。


718 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 15:57
「悪魔でも聖書を引用することができる。自分の勝手な都合のために」って、
シェイクスピアの「ベニスの商人」の中に出てくる有名な台詞では?
桐 山師の場合は「詐欺師でも仏典を(孫引きで)引用することができる」でしょうか。
ニセキリンビールを製造販売して懲役刑喰うような人はごくごく普通の人なのでしょうか?
「栴檀は二葉より芳し」ニセ仏教を売る超一流の詐欺師、ペテン師、香具師であることは確かでしょうな。



719 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 16:10
>718さん
そうではなくて、この際、阿含宗がどのように聖書を引用
しているのか。そして、それに対するあなたの解釈はどう
なのかと言うことを聞きたかったのです。

偽仏教とはどうして、どのようなところが偽仏教なのですか?

ちょっと仕事します。また、夜に。


720 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 16:42
>712
もとダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のペマ・ギャルボ氏の講演が載っているサイトを見つけました。
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen6.htm
その中で氏は「今までに二回詐欺に遭ったことがあります」と言われています。
1回はオウム、もう1回は??


721 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 17:01
>719
しぇいくすぴあはキリスト教国のひとだからねぇ。

諸悪莫作
諸善奉行
自浄其意
是諸仏教

合掌


722 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 17:15
>700私が知っていることに関してはかれが間違っています。

ウラミツラミの聞いたような心理分析はいいから、
まちがっていると思ったら、反論したらどー。
まちがっているの一言で済むなら、
この掲示板いらねえよなー。

>反応できませんでした。なにも感じなかったのです。

これ、何も反論できませんと書いるのと同じだよ。
これだけテメエとこの教祖こき下ろされても、
なにも感じないなんて、おかしかねーか。
それともあまりの現実に頭がフリーズした。
後宝塔って、なに?


723 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/19(月) 18:18
(Kotarou(2000/2/7受理)
宇宙に関する認識と地球に関する認識は、一致していると思う。
重力波に関して,未だ測定にすら成功していない人類と、
それを増幅し小型化に成功している知的生命体との文明の差は、200万年とも言う。
今から200万年前の地球を、今の文明人が、侵略したいと思うだろうか。
科学的に言って、電池や、モータに相当する重力波制御装置が発明されたら、
宇宙に関する見方も変わると思う。
メンデルが生誕して、ワトソンらが二重螺旋(DNA)を発見するまで、遺伝子制御
などと言っても夢の夢だったと思う。
せめて、もし重力波が発見されれば、それだけで希望が膨らむと思う。
唯それまでは、宇宙に、人類が重力制御を可能にし、飛び立てる日を信じるしかないと思う。ヘーゲルは、「唯信じなさいは、いけない、一つ一つの概念を調べていけ。」
と言っているが、200万年もかかるのでは、ね。
それと、冒頭の地球に関する認識の意味は、中世の世界観と、今日のカーナビや、
衛星放送、衛星携帯電話を観ると、人類は、確実に世界の出来事を同時に一つの住処の出来事として理解していると思う。
この事は、「宇宙人ユミットからの手紙」の中に、「惑星ウンモには、大陸移動の現象が生じていない。」の意味と同じである。
織田信長の時代に地球が一つの大陸であったとすれば、核戦争の危機は無かっただろう。
個人的には人類がもう一段階の進化をして別の生物になることを期待している。
遺伝学的に植物の遺伝子の根、葉、茎の部分が進化して、動物の手足などの部分が出来ていると言う。人間の遺伝子に何が加わるのか。
宇宙のなぞと同じくらい興味がある。
上の2つの文章は、私が投稿したものです。
宇宙人によれば、仏陀は、人間の次の生き物だそうです。
因縁も、超能力も遺伝子が、進歩して、別の生き物になれば、
誰でも普通に出来る事かもしれません。それまでは、ある部分が、次なる生物の、優れた能力を示せば、それを、私達人間は、利用させて頂く事で良いのでは。
例えば、霊障を、取り除ける法力を有する霊能力者がおられれば、
取り除いて戴く。しかし、その方が、仏陀と同じ、完全なるミユータントと言うわけでは、
ないかも知れません。
でも、その使用価値は、仏陀と遜色ないと言いたいのです。
確かに、霊能力者は、突然変異の仏陀に、人間の信者が、修行でなれると説くのは、
遺伝学的に無理があるかも知れません。
あくまでも、人間として、生きる倫理を教えるべきかも知れません。




724 名前: koutarou 投稿日: 2000/06/19(月) 18:58
Kotarou(2000/2/22受理)

Kotarou
今日、縦、横、高さに時間を加味した4次元の世界に、我々が、住んでいる事は、広く一般に受け入れられている。
例えば、ある山奥の二束三文の土地が、新幹線が通る事で、高値になる場合など、時間的に連続して観れば、(人の一生が)時間と共に(3次元空間で)変化しているのが解る。
「宇宙人ユミットからの手紙」は、2000通もの多様なテーマの手紙で、解読者のプチ博士自身が、20年近く掛かり解読したごとく、全編とても難解で、読むのに何年も掛かった。
この資料の著者(=解読者のプチ博士自身ではない、ユミットと言う宇宙人)は、
乙女座の中のほぼ15光年の距離に有るウンモと言う惑星から来た、地球の人間と似通った存在で、全ての宇宙は、10次元で記述されると、(ユミットは)言う。
そうした、現実味を帯びているとは、思われない部分(=惑星間旅行方法についてのプチ博士自身の言葉)は、さておき、私が理解出来るところを紹介したい。
プチ博士は、東洋人の方が彼らの考え方を理解し易いかもと述べている。
この宇宙は、すべて対に成って出来ている。勿論、宇宙そのものも(=双子の宇宙)。
これは、陰陽の考え方と同じだと思った。
それと、測定の場合、測定範囲を現在と現在からプラスのある時刻でしか、観ない
(過去にも測定を広げない)現在の科学では、真実は、測定できないと言う。
それは、フーリエ変換で、積分の下限、上限を-∞から、+∞にするのと同じだと思った。
それと、真か、真でないか(=偽り)の二値論理の言語では、
同じ言葉の表現でも、受けとり方により全く逆にも受け取られる可能性が有り、
四値の論理が、論理的に正しいとも述べている。
(存在する、存在する)
(存在する、存在しない)
(存在しない、存在する)
(存在しない、存在しない)
数学、法律と言った、論理的(=logical)な物は、全て二値論理で出来ているから、
現象を完全には、表現できていないと述べている。
(日本語は、よく論理的でないと言うが、意外と、四値の論理なのかも。)
そこで、私は、私なりに、この意味を考えてみた。
ゾンブロゾ−女史の言う「女性は,頭と子宮で物を考える」をあてはめると、
  頭    子宮
(存在する、 存在する)  -----  いけない男(=いい男)
(存在する、 存在しない) -----  普通の男
(存在しない、存在する)  -----  普通の男
(存在しない、存在しない) -----  ダメな男
ではないかと思う。



725 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:06
>721 さん、わかりません。
阿含宗のどう言うところが偽仏教なのか。
それでは、どう言う仏教が本物の仏教なのか。
具体的に。


726 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:09
Kotaroさん。受理できません。理解不能。
境界領域です。交信は失敗しました。→惑星外生物へ。


727 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 19:26
>722さん、ヌマエビさんの文章は、何年も前から
見飽きたものなのですよ。そんな文章写されてもなん
にも感じません。また、逆に、阿含宗の見方や説明も
あるのだから、両方を載せて検討しなければ。
お金目当てで悪く悪くかけばああなるのでしょう。

ヌマエビさんも自分の言葉で書くべきです。


728 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/19(月) 20:25

「一九九九年七の月」 30.信者の呆然

桐山氏が恐怖の大王であるという新説にも信者は困りました。
1996年12月、桐山氏は脳梗塞になりました。(197〜参照)
病気の桐山氏を、東京の先達(指導的信者)の一人は、
「アンゴルモアの大王(桐山氏)は恐怖の大王と戦って傷ついた」
と弁護しました。
モンゴルで桐山氏が「恐怖の大王と戦って勝利した」と宣言したことを受け、脳
梗塞だと認めないで済むように編み出した桐山氏へのゴマスリ説です。
アニメのようなこのおとぎ話を、職員もいっしょに吹聴していました。

桐山氏が恐怖の大王なら、桐山氏が自分と戦ったことになり、話が矛盾します。
桐山氏を弁護しヨイショしたつもりが、かえって混乱を招きました。
先達も師をまねて、口をぬぐって素知らぬふりをするのが一番でしょう。

恐怖の大王は空から下りてくることになっていました。
桐山氏が飛行機に乗って中国やインドに行ったことを指すのでしょうか。
上品そうな桐山氏のどこが「恐怖」なのか、よくわかりません。
人々に因縁、霊障、地球壊滅で恐怖心を与え続けたからでしょうか。

脳障害から来た妄想と自己過信で作った予言話の矛盾は説明しきれません。
妄想の上に、詭弁で支えた妄想を積み重ねただけです。
桐山氏のお得意の求聞持脳を駆使しても、妄想は現実にはなりません。

ノストラダムスの大予言で世間をお騒がせした作家たちはたくさんいます。
自分がアンゴルモアの大王だ、恐怖の大王だと名乗ったのは桐山氏一人でしょう。
トンデモ・ノストラダムス本の中でも桐山氏の本は群を抜いた特異性があります。
この本には、これまでの桐山氏の本と比較しても、奇妙な特徴がありました。



729 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:44
>728ヌマエビさん。
うー。何を書いているかわからん。桐山師は頭のよい方ですから
つじつまは合わされるでしょう。長い阿含宗の教学の歴史でつじ
つまが合わないというか、大きな変更点は、1個所だけなのです。
それは最初は大乗仏教を認めていなかったが、途中で、釈迦の根
本仏教と止揚(アウフヘーベン)することによって、大乗仏教を
も認めるようになったことです。
ですから、阿含宗の文書や書物を読んでつじつまが合っていない
と言うなら、読み手の頭の中のつじつまが合っていないのです。

桐山師はそんなつじつまの合わない文章を発表するほどやわな
頭脳の方ではないのです。


730 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:47
>728 ですから、桐山師の文書のここが気に入らない
というのなら読んでみますが、桐山師の説明が混乱してい
るというなら、そちらの読解力を疑います。


731 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 20:57
ヌマエビさん、資料を捨てて、自分の言葉で語りなさい。


732 名前: みかりんさんの夫へ 投稿日: 2000/06/19(月) 21:06
みかりんさんのスレッドを読んだぞ。
君は間違っている。阿含宗徒として恥ずかしい。
柏原霊園をキャッシュで買ったって書いているではないか。
500万や600万はしただろう。300万払って200万
はローンにして、残った200万でみかりんさんに、
ルビーとか、ダイヤとか、エメラルドなどをなぜ買って
あげないのだ。ローンにしたって金利は格安だっただろう。
仏陀の教えをちゃんと読んでいるのか。
妻の心を踏みにじって、阿含宗徒と言えるのか。
それに、暴力とは何だ。ドメスティックバイオレンスとは
なんだ。仏陀は妻を尊敬しろ侮辱するなと書いているだろう。
それで信心に導けると思っているのか。


733 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 21:21
ヌマエビさん、資料を集めて、もっと書き込みをしなさい。


734 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 21:26
↑もうちょっと勉強して、ましなコメントをつけなさい。
学会さん。


735 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 21:31
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。


736 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 21:33
>727ヌマエビさんの文章は、
>何年も前から見飽きたものなのですよ。

へえー、ヌマエビさんとお知り合いですか。
何年も前って言うけど、書かれてる内容は、
去年のことじゃないか。
どうやって、何年も前から見飽きるんだい。
教祖さんみたいに透視したのかい。

信者らしいのが、
ここは80年代のことだけ書いてあるっていってたよな。
1999年て80年代なのか。
教祖さんの奥さん、最近死んだんだろ。

阿含宗のカレンダーは、こうゆうのがテーセツか??


737 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 21:48
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。

わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。

イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
いました。

これらはすべて真実です。


738 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 21:49
732さん、同感です。だから「家族サ―ビス、ウンヌン」と、
発言したのですよ。

わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。

イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
いました。

これらはすべて真実です。


739 名前: 675 投稿日: 2000/06/19(月) 22:05
ここでのはなしのもとネタは、だいたいが80年代ものです。発展性が
無い、と、発言したのですが。

オウム・チベット仏教、クンダリニ―、超能力開発、以下省略・・・

それらの夢に破れた人間たちの、恨み節的発言がやけに目立つので。失礼。


740 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:08
>704
>たとえば進行ガンの人が100人います。

あなたのたとえは世間的な、世俗的な解釈です。
それは正しいとすでに申し上げている。
世間的な話ではなく、あなたが勉強した
阿含宗の教学で考えて、回答してごらんなさい、と
前回も申し上げたのです。

1982年の話は、桐山さんが言っているだけで、
具体的に医者が証言したわけではありません。
たち夫人があの当時、末期癌であったかどうか、
だれもわかりません。
桐山さんの記述ですら、肝硬変、肝癌ノ疑イ強シとあります。
これをみる限り末期癌で18年延命したとはいいがたいでしょう。

>どこの病院へ行っても一人も助からないのです。

これを具体的に医学的なデータに
基づいて調べていますか。
桐山さんは時々、根拠に乏しいことを
断定的に言って、自分の力のすごさを誇示します。
あなたは桐山さんではないのだから、まねしないことです。


741 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:09
>707
>阿含宗前の、友松師、中村博士などの、少量の阿含仏典の書物を
>もとに私やあなたがどのような修行ができますか?

もちろん、できますよ。
仏教徒は皆さんやっています。
教育も何も受けていない当時のインドの一般大衆に
口で言ってもわからないようなことを釈迦が説いたと
思いますか。
素人には修行ができないと桐山さんに言われて、
それをあなたは鵜呑みにしているのでしょ。


742 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:10
>706
>仏陀が護摩を禁じていたとは思えません。

桐山さんの信者なら、彼の本をちゃんと読みなさい。
カッサパ三兄弟の話を桐山さんは著書で何回も引用しています。
彼らは火を拝んでいました。
釈迦に帰依するとき、火を焚くのに用いる事火具を
すべて川に捨てました。
他の経典でも何種類かの護摩をあげて、禁止しています。
経典をよくごらんなさい。


743 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:12
>706
>占いは、僧侶に禁じていただけです。商行為を禁じていたのです。

出家の比丘に占いを禁止したというのはそのとおりです。
占い師という世俗的な職業を禁止したのではありません。

占いは、金品を受け取ろうが受け取るまいが、
釈迦の教団内では禁止されていました。
では、どうして桐山さんは占いをするのですか。
どうして阿含宗の僧侶も占いをするのですか。
どうして阿含宗の道場では占いをするのですか。
メシアの館、閉店になったシャリーラと、
どうして占いの店を経営しているのですか。


744 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:13
>708
>阿含宗が出るまでは、世間の人に
>は阿含経に対する興味など無かったのです。

阿含宗のおかげで、世間には、
前よりも阿含経の名前は広がりました。
一般大衆は、阿含経を阿含宗という新興宗教と結びつけて
覚えてしまい、阿含経の印象は粗悪なものになりました。


745 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 22:15
>707
>一万巻の阿含経典から重要部分を探し出したのは、桐山先生
>ではないですか。

重要部分だと思ったのは桐山さんでしょ。
桐山さんが重要部分だと思うのは宗教家としての見識ですから、
いっこうにかまいません。
しかし、誰が認めたのですか。
信者以外に、他に誰が認めたのですか。
阿含宗を支持する仏教学者が賛同文を書いてくれましたか。

「ノーベル賞級の発見をした」と言っている、
トンデモ科学者と何かが違うのですか。
桐山さんが重要な発見でもしたかのように言うけど、
こういうのを手前味噌、我田引水というのです。
"阿含宗村"でしか通用しない論理を出しても無駄です。

桐山さんが選んだ経典は、自分に都合のよいものを、
これまた極めて都合よく解釈した内容です。
そういう意味では、桐山さんにとっては重要な経典です。
まちがっても、占いや護摩を禁止している経典なんて、
選ばないでしょうね。


746 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/19(月) 22:29
>736さん、この手の中傷目的の粗雑な文章は、、と訂正
いたします。私がヌマエビさんのスレッドをちゃんと読まずに
読み飛ばしていたことがばれてしまいました。だって支離滅裂
なんだもん。


747 名前: 名無し 投稿日: 2000/06/19(月) 23:31
正法眼蔵随聞記(面山本) 一

 一日示して曰く、続高僧伝の中に、或禅師の会下に一僧あり。金像の仏と亦仏舎利とを崇め用ひて、衆寮等にありても常に焼香礼拝し恭敬供養しき。有時禅師の云く、汝ぢが崇むる処の仏像舎利は、後には汝がために不是あらんと。その僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す処なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸けて云く、汝箱を開いて是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、仏像舎利は如来の遺像遺骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰へて得悟すべしと思はゞ還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。仏説の功徳は定まる事なれば、人天の福分となること生身と等しかるべし。総じて三宝の境界を恭敬供養すれば罪滅び功徳を得、また悪趣の業をも消し人天の果をも感ずることは実なり。是によりて法の悟りを得んと思うは僻見なり。仏子と云は仏教に順じて直に仏位に到る為なれば、只教に随て工夫弁道すべきなり。其の教に順ずる実の行と云は即今の叢林の宗とする只管打座なり。是を思ふべし。

私は曹洞宗の関係者ではありませんので念のため。
ところで、阿含宗については詳しくないのですが、仏舎利を拝めば悪因縁から解脱でき、現世成仏できると、
阿含経のどこにとかれているのでしょうか?



748 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/19(月) 23:43
729さんへ

>桐山師は頭のよい方ですから
>つじつまは合わされるでしょう。
>桐山師はそんなつじつまの合わない文章を発表するほどやわな
>頭脳の方ではないのです。

やわでないんなら、どうして脳梗塞なんかになるんですかねえ?
ハードな頭で病気予防すれば良かったじゃないの。
普通の一般人から考えれば、脳梗塞だからつじつまの合わないような
コト書くんじゃないの?

あ〜あ、新興宗教にかぶれているヤツの言う事って説得力ないねえ。



749 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 00:22

>746
あなた人の揚げ足取りばかりしてないで、
もうちょっとちゃんとした論旨で反論したらいかがでしょう?

私、「智慧のために愛を〜」の本読んで、
ちょっといい教団かなあって思ってたんですけど、
何かここに出てくる会員さんの質がものすご〜く悪いみたいなんで、
正直幻滅しました。
入る気そげたわ・・。
だってヌマエビさんはじめ反阿含の人たちの書いていることの方が、
よっぽどマトモで常識的に見えるもん。
このスレッドに出てくる信者さんて、いわゆる電波ちゃんや
誇大妄想狂・自己顕示欲肥大者&ゴーマン病の人ばっかりみたいね。
性格わるーい!!
それともちゃんとした(正常な)人もいるのかなあ?
まともな議論以前の人ばっかみたい。
ライフスペースや法の華の「定説」や「天声」を連想しちゃった。
「智慧の宗教」を標榜している教団の人たちなら、
もうちょっと智慧の匂いがそこはかとするようなこと書いてよー。
類友っていうけど、信者の質がそれじゃ教祖さまもご一緒かもね。
本の中だけイイコト書いてるだけで。



750 名前: 中立の立場で 投稿日: 2000/06/20(火) 00:33
「桐山管長は未曾有の聖者」と仰る信者の皆さん、「桐山は稀代のペテン師」と主張されるもと信者の方、お互いもっと冷静に、視野を広く持ちませんか?「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」です。阿含宗だけではなく、法の華三法行や顕正会に帰依することによって救われ、安心を得ている人たちだっているのですよ(「AERA」6.19号)。

 下記のサイトでは、チベット仏教におけるラマ(上師)の条件について説かれています。
桐山靖雄さんがどれだけその条件に適っているか、それぞれ検証してみてはいかがでしょうか。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/buddhism01.htm

え、阿含宗はチベット仏教じゃない、究極の仏教でしたか?




751 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:41
>738 さん
>わたしは二回目のイタリア訪問のときに同行しました。一般謁見の際に
>ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に歓迎の意を表明してくださいました。
>イエズス会のピタウ神父立会いのもと、イタリアの学生のための教育基金
>が設立されました。神父も「仏陀の慈悲、キリストの愛、言い方や言葉は
>違うけれど、目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされて
>いました。
>これらはすべて真実です。

事実あったとおりの話というのはこのようにシンプルなのですね。
これがヌマさんや、悪徳ライターにかかると、わけのわからない
話になる。





752 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:50
>742さん、これは阿含宗関係では言い古された論議なのですが
阿含経には火の祭典を最高であるとたたえる文章があるのです。(岩波)
また聖書にも、私の後からくる方は火で洗礼する、その方は私が靴紐を
直してあげる資格も無い(聖書は読んだことが無いので不正確です)との
バプテスマのヨハネ?の言葉が載っているのです。ルカ伝?かなんかです。
そう記載されているということは本当です。解釈は勝手ですが。


753 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 00:59
>743 仏陀は僧侶に医学も禁じていたのです。信仰と修行の日々を
送りなさいということでしょうね。しかし緊急の場合には医療も行った
でしょう。僧侶は耕さない(比喩的)生活を送らないとだめ。生活の糧を
稼ぐなと言う指導ですね。言葉はその意味を考えないとだめです。

阿含宗は在家集団です。僧侶は人数は知りませんが小数です。全国で50
人くらいなのですか?詳しい方。
僧侶にALC(占断)をしてもらったという話は聞いたことがありません。




754 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:06
>747さん。禅の教えでは仏陀に会えば仏陀を殺し、師に会えば
師を殺すのでしょう。仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
師に会えば師を礼拝するのです。
仏舎利供養の由来は「仏陀最後の旅(阿含経)」や「大はつ涅槃経?」
をお読みになってください。


755 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:11
>744さん。友松師の本を読んでください。
私が阿含経というとみんな怪訝な顔をする。それは発句経ですか?
と尋ねる人もいる、云々。
友松師の講話を聞くような仏教好きの人でも阿含経なんて知らなか
ったのです。


756 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:16
>750さん、桐山先生はチベットニンマ派?の最高位を
いただいているのです。
一切萬霊守護金剛は確かチベットからいただいた法位だったと
思います。
以上不正確です。本を読んでください。


757 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:19
>749さん。意味不明でした。
ヌマエビさんの文がまともに見えるのでしたら、あなたの頭も
混乱しています。
バチカンで阿含宗とが勝手に前の席にいったとおっしゃった方
ではないのですか。


758 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 01:23
以上、おしまい。寝ます。さようなら。


759 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 02:56
>桐山先生はチベットニンマ派?の最高位をいただいているのです。
>一切萬霊守護金剛は確かチベットからいただいた法位だったと思います。

幾らでかったんですか?



760 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:00
僕の父は洗礼も受けていないけれどある神父さんの紹介でバチカンに行った。
最前列で法王に謁見し、日本語でメッセージを受けた。
おみあげとしてロザリオをもらった。
父曰く、一定額以上の寄附をすればみんなそういう待遇を受けられるとのこと。
阿含宗はナンボ出したのでしょう。




761 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:16
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し師に会えば師を礼拝するのです

原始仏典では否定されていますが。



762 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 03:21
信者の皆さん、
麻原や林元医師、井上等に例会の時会った事はありますか?





763 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 04:52
盲信とはいいません。
でも
桐山の経歴詐称問題について、それが宗教家として正しい行いだと思いますか?



764 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 04:59
前科者が改心して宗教家になったのならいいんです。
でも
桐山の場合、
一宗を建てた宗教家が、詐欺、偽キリンビール製造等々で懲役刑に処せられたから
宗教家としての倫理観を疑われ、詐欺し呼ばわりされるのです。
まして
懲役に行くときに、山へ修行に行くなどと嘘八百並べた文書を残すから
最低人間だといわれるのです。
信者の人達はそういうのを全て法難として片付けるのでしょうか?
だとすればオウム事件にもある種の必然性を感じます。
怖いですね。
 


765 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 09:51
>756さん。桐山管長のお友達(?)のダライ・ラマ法王はゲルク派の僧侶です。
どうしてゲルク派のゲシェー(仏教哲学博士)ではなく、ニンマ派の法号をもらったのでしょう?
下記サイトのコラムにある(インチキ宗教の見分け方)が参考になります。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-65.htm

<1) 当該宗教教団施設(建物)の趣味が良いか悪いか:
<2) やたら教祖やカリスマの銅像を造りたがる:
<3) 教えを説きながら、それを外部の基準によって正当化しようとする:
<4)「占い」や「運勢(命)鑑定」の類を強調する:
< 以上の、きわめて分かり易い4点のうち、貴方が関心をもって信者になろうとしてい<る宗教に、2つ以上心当たりがある場合には、勧誘者がいかなる高尚な説明(自己弁護)<をされたとしても、キッパリと断るほうが身のためだ。その宗教は、インチキ宗教もし<くはカルト集団である可能性が極めて高いからである。





766 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 10:51
>765

5)経歴を偽る
6)宗教家となってから実刑を伴う犯罪を犯す

というのもつけ加えてね。



767 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 10:57
ついでに

7)教え子から複数の「凶悪犯罪者」を出す。
8)予知能力があると自称しながら「無差別殺人犯」の仲人をしている。



768 名前: 中立派です 投稿日: 2000/06/20(火) 11:11
>767お釈迦さまでもデーヴァダッタのような(悪人)を弟子にしてます。
    イエスさまでもイスカリオテのユダのような(裏切り者)を弟子にしてます。
    桐 山師の肩をもつわけではないですが、ちと酷なのでは?
 


769 名前: 中立派です 投稿日: 2000/06/20(火) 11:53
 阿含宗を批判するなら、感情的に攻めるより、「仏教」を名乗る以上、その教義が(所依の経典たる)阿含経をはじめとする経典や律蔵に照らし合わせて内容を吟味し(これは釈尊自ら説かれたことでもあります)、
また、「密教」の「阿闍梨」を標榜する以上、桐山師が大日経などに説かれる「阿闍梨」の条件を充分満たしているかどうか冷静に検討し、論理的に検証するのがよろしいのではないでしょうか。
なにもバチカンや北京大学等の「外部の権威」に鑑定してもらう必要はないはずです。


770 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:51
>768
>イエスさまでもイスカリオテのユダのような(裏切り者)を弟子にしてます

確かにそうですが、イエスご自身が詐欺や偽酒作りで逮捕され、懲役刑になってはいないでしょう。
そこが大きく違うところです。




771 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:56
>お釈迦さまでもデーヴァダッタのような(悪人)を弟子にしてます。

デーヴァダッタは釈迦を憎んで何度も殺そうとしました。
麻原は信者勧誘窓口として、桐山を多少批判はするものの、一度も狙ってはいません。
つまり阿含宗はオウムへの入り口のひとつとして凄く役立っていたのです。
   


772 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 12:58
>5)経歴を偽る
>6)宗教家となってから実刑を伴う犯罪を犯す

此れだけで充分。
阿含経や大日経などを持ち出すに値しない相手だよ。
桐山自身それらの経典をろくに読んでいないのだから。





773 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:03
>759.760
このスレッドでは、さまざまな法位、法要への参加、合同法要、
学位、などが金で買えるか、買えないかが論点ともなっています。
私はもちろん「お金では買えない」と思っています。

「お金で買える」とおっしゃっている方は、阿含宗のみを貶めている
つもりでしょうか、相手の、ダライラマ、バチカン、その他の関係者
、機関をも貶めていることに気づいていないようです。

たとえば桐山師とその弟子達400名はバチカンの大聖堂で、般若心
経を唱和し法要を行ったのですが、ローマはそのようなことをお金を
払えば許すのですか。カソリックの数々の殉教者をしっていますか。
拷問にも耐え忍び殉教した方が日本人でも多くいます。その総本山が
金で買えるのですか?



774 名前: 某阿含宗徒2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:11
>749さん。
私はあなたをカソリック関係の女性、もしくは女性的な男性で、
信者、もしくは準信者。友人に阿含宗を進められ、やや、ほんの
少し迷っている方ではないかと思っています。
その場合、両方のよいところを見て迷うべきです。
一方への中傷誹謗にのっかかって、ああ、やっぱり阿含なんてだめ
、神様が良いな、と考えるのは、思考放棄であり、逃避行為です。
やめた方が自己安心のために中傷するのと同じです。
天にいます神様をすててはいけません、今までの信仰に生きてください。
阿含宗徒より。


775 名前: 「阿含まったくダメ」を聖書から 投稿日: 2000/06/20(火) 13:24
U列王記17:17
息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して
主の目に悪とされることを行い、主の怒りを招いた。

と、同様のことが行われている。これは明らかに神に逆らう「悪」である。
聖書の神の律法である申命記18章10節も参照下さい。キリストと
阿含との間に一致点を見いだすのははなはだ難しい。


776 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:26
>761さん、こんにちは。
仏陀最後の旅(岩波文庫)を読んでください。これはパーリ聖典の
日本語訳だと思います。この漢訳が大はつ涅槃経だとおもいますが
後者は読んだことが無いので不正確です。
仏陀の葬式がどのようになされ、人々がどのように仏舎利を礼拝し
はじめるか、仏舎利供養の原点がわかります。
また、パーリ仏典をよく読まれますと、仏陀が諸天善神を礼拝供養
していたことがよくわかります。
禅宗のように、殺すといったー反語ーを使って信心の深さを表現する
のではなく、ストレートに礼拝するのです。
また、禅の、仏を殺す、師を殺す、仏舎利を毀つ、というような表現
を文字通り使ってはならないこともご存知でしょう。
暴流(ぼうる)を渡れば筏は要らないのです。ただ、渡る前に、暴流
にたどり着いてもいないのに、筏は要らないといっているのが
あなた達です。


777 名前: 守護霊を持て!(笑) 投稿日: 2000/06/20(火) 13:34

阿含宗の正邪をあきらかにし、ビリーバーを説得する
→論理的に分析し、証明する必要がある

阿含宗を罵り、ビリーバーを誹る
→感情的な悪口雑言で充分

どちらを採ることが賢明でしょうか?


778 名前: 某阿含信者2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:38
>762
千人二千人いれば、数人の境界領域の方がいらっしゃるのですよ。
私は4人の境界領域の方を知っていますが、一人はオウムへ行き
ましたが、先日町を歩いていました。生きていたようです。
もう一人はオウムへ行きましたが、かなりな地位についたという
うわさです。帰ってくるなよ。もう一人は哲学科の学生ですが、
母親が必死でオウムから取り戻しました。もう一人の方は、阿含
宗で自称聖者になってしまいました。○君は本当に聖者なのでし
ょうか。最近は見ませんね。どのにでもそういう方は入るのですが
、阿含宗では相手になって、世話をしてあげる方がいるのです。
浅原さん達には会ったことはないです。


779 名前: 某阿含信者2 投稿日: 2000/06/20(火) 13:49
>765さん。
チベット仏教に付いてはよく知らないのですが。ニンマ派っていうのは
信用できないのですか?お金をもらえば、一切萬霊守護金剛、金剛サッタ
の法位を売る集団なのですか。
あなたの発言は、ニンマ派(チベットには四つの宗派がありお互い尊敬し
あっていると聞いていますが)チベット仏教会全体への冒涜になると思う
のですが。
また高い法位をもらっている外国人(チベット人以外)は、桐山師ただ
お一人だと聞いていますが、他の方はどうして購入されないのですか。


780 名前: チャンネルを回せ!(笑) 投稿日: 2000/06/20(火) 13:51
<776さん 私も岩波文庫はもってますよ。
<人々がどのように仏舎利を礼拝しはじめるか、仏舎利供養の原点がわかります。
釈尊は、仏舎利供養は在家者に福徳をもたらすが、出家者は仏舎利供養にかかわるな、それは解脱に至る道とは無関係だと仰っており、この点では道元禅師の主張と同じです。
もっとも阿含宗は管長以下在家だから関係ないですか。少なくとも長髪妻帯の出家者なんて釈尊在世当時にはいなかったはず。
<また、パーリ仏典をよく読まれますと、仏陀が諸天善神を礼拝供養
<していたことがよくわかります。
「仏陀が諸天善神を」→「諸天善神が仏陀を」の誤りではないですか? 


781 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 13:55
>775さん、
バプテスマのヨハネが言われた、私の後からきて
火で洗礼する方はどなたなのですか。



782 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 14:03
>775さん。
あなたがおっしゃるような良くない集団をパームサンデーに招き、
各国大使席のまだ前の席に招待し、30万人の目の前でミサの後
に握手、言葉の交換をしたパパ様の意図はなんですか。
また、400人の阿含宗徒にスピーチをさせたのはなぜですか。
大聖堂で阿含仏教徒に仏教の修法(ミサ)を許したのはなぜですか。
ピタウ神父の、方法は違っても目指すところは一緒です。ともに
手を携えていきましょうというお言葉はうそなのですか。



783 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 14:18
ちゃんねるさん。古い本をご存知ですね。元信者ですか。

>「仏陀が諸天善神を」→「諸天善神が仏陀を」の誤りではないで
すか?
ここは突っ込まれるかもしれないと思いながら、めんどうで説明を
書かなかったのですが。一応正しいのです。仏陀は弟子達や人々に
神々を礼拝することを薦めています。神霊という言葉を使っていま
すが。仏陀は弟子達に「ともよ」と語りかけています。仏陀=弟子
との表現です。弟子、神霊、人々、仏陀が互いに礼拝を交わすので
す。
仏舎利供養に関する「仕事は」在家の役割です。仏陀のお葬式と
同じです。まきを集め壇を組み火をつけるのは在家です。しかし
その周りで、ゲ(詩文)を唱えるのは出家です。心をこめて詩文
を唱えることを供養と言います。
仏舎利供養は仏陀のお葬式の模様を参考にすれば良いと思ってい
ます。(私見です)。
仏陀の時代には仏舎利供養は無かったという人がいますが、あたり
前です。生きていたのでから。
キリストが死ぬ前には、みんなイエスの十字架など拝んでなかった
のと同じです。
まあ、礼拝の意味が難しいですが、
あいさつとして礼拝する、尊敬するために礼拝する、
本尊として礼拝する、などなど。 おげんきで。ともよ。





784 名前: 無断引用につき 投稿日: 2000/06/20(火) 14:21
>779さん、#750のリンク先、読みました?
カルマ・ゲレク・ユトクさんてお坊さんかな?
<人間社会のあらゆるレベルにおいて地位を濫用した重大な過失はごく一般的なものに
<なり、チベットのラマたちも同様である。最近、多くの不適任でインチキなラマが増
<えている。彼らが自分たちの生活を営むために法(ダルマ)を口にしてあらゆること
<をなしている。

<一、 学識かつ経験を積んだダルマを体得した人であること。
<二、 正直で平静かつ謙虚な者。
<三、 最高の真理を会得し、それに従って生きる者。
<四、 生きとし生けるものに溢れる慈悲の心をもつ者
<五、 精神的な師としての務めに常に励む者。
<または、
<一、 法(ダルマ)においてふんだんな知識と経験を持っている者。
<二、 この世の営利に執着を持たない者。
<三、 自分自身より他者の利益を大事にする者
<四、 あらゆる機会に対し、完全なる慈悲心と誠実さを持つ者
<五、 ダルマ研究に忍耐強く勤勉な者
<もう一つは、
<一、 真の倫理を守っている者。
<二、 真の分別の知恵を守っている者。
<三、 真の利他主義を守っている者。
桐山師が上記の条件を充分に満たしておられると自ら確かめて帰依するに値すると思われるならば、他の誰が(ヨハネパウロ2世だろうがダライラマ14世だろうが)ほめようがけなそうが、自分ただ一人でも師に従えばよい。自己責任で。それだけのこと。

< また高い法位をもらっている外国人(チベット人以外)は、桐山師ただ
<お一人だと聞いていますが、他の方はどうして購入されないのですか。
チベット仏教の僧侶以外の伝統ある仏教教団の僧侶なら、外部の権威など購入不要だからではないでしょうか?


785 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 14:30

>750

>「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」です。

思いこみの激しい人だ。「宗論」に勝ち負けがあっても「釈迦」とは
何の関係もない。


>阿含宗だけではなく、法の華三法行や顕正会に帰依することによって救われ、
安心を得ている人たちだっているのですよ

「AERA」にどう書いてあるか知らないけど、この意見って危険なのでは。
オームに帰依して「安心」を得た人もいるのだから、彼らを攻撃してはいけないってことにも
なりかねない。
加えて、人を勧誘し、入信を促す行為も、霊感商法などに荷担する危険性があるわけなのだから、
もっと慎重でなければならないと思うが。



786 名前: 公平 投稿日: 2000/06/20(火) 14:52
784さんありがとうございました。
観音慈恵会の全く無名のころから、桐山先生に指導していただいて
います。桐山先生は貴君が書かれたとおりのすばらしい方だと思い
ます。過去にはスキャンダルめいたこともあったという方がいます
が、弟子はそのようなことには反論もしないものです。反論は桐山
先生のご著書をお読みになれば良いと思います。ここに書かれてい
る方は、反論のほうもお書きになるのが公平だと思うのですが、
位階を金で買うなどととんでもないことをおっしゃる方なので、公平
などと言う言葉からは程遠い方なのでしょう。
チベット仏教は位を販売してはいませんので、購入などという言葉
を使わないでください。あなたはチベット仏教の信者なのでしょう。
引用文の方は「販売しているのならどうして購入しないのだ」と反
語文として使っているのです。販売はしていないとの前提に立った
発言のようですよ。

ところで、チベット仏教にも興味があるのですが、日本のチベット
仏教信者はどのような修行をしているのでしょうか。教えてくださ
い。これはあなたが本当はチベット仏教信者ではないのではないかと
疑っての発言です。信者なら販売していると言われれば激怒するは
ずです。違うボードの方ではないのですか。(密教系以外)


787 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:03
>780チャンネルを回せさん。
補足です。阿含宗では仏舎利供養はおもに在家の
修行法です。出家の修行法は七科三十七道品法です。
しかし、出家でも、仏陀にご挨拶し
、礼拝し、加護を祈る仏舎利供養は基礎になっ
ているのではないかと思っています。(私見です)
在家でも仏舎利供養を忘れて(笑)道品法に走る人も
います。自己評価の間違いですね。
道元禅師のことは全く知らないので、また教えてください。
賀正じゃなかった、合掌。


788 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:14
>780チャンネルを回せさん。補足です。
あなたのおかげで大変なことに気がつきました。
仏舎利供養は仏陀のお葬式の再現かもしれないと書きましたが、
十字架のイエスの礼拝は、イエスのお葬式の再現かもしれませ
んね。
そうだったんだ。どうして血だらけのイエスを拝むのかがわか
りませんでした。

臓器提供を日本人が嫌うわけはわかっていたのです。
釈迦のように火葬されたいのですね。外国人は嫌が
らないのです。イエスのように切り刻まれたいので
すね。最後は。
彼らは犠牲になることを喜びます。日本人クリスチャンは?


789 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 15:59
>宗論はどちらが負けても釈迦の恥

これは双方が釈迦の弟子だった場合でしょう。
釈迦の弟子とは、釈迦を信じている人のことです。


790 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:04
たとえば、オウムの本尊が釈迦であるとは
一度も聞いたことがない。
釈迦を礼拝してあんな不潔な集団ができる
はずがない。
奈良仏教などは釈迦が本尊かもしれない。
禅は釈迦が本尊だと思うが、釈迦に会うと
釈迦を殺すと言う倒錯した愛し方。
他の日本の宗教はみんな釈迦を本尊として
いないでしょう。


791 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 16:08
法の華三法行の信者の皆さんも世間からの誹謗中傷に耐え忍んでいます。
エールを送ろうではありませんか!

http://www.channelzero.co.jp/event/5_13/index513.htm





792 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:17
阿含経では釈迦を本尊として礼拝するように書いてあるのですか?



793 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:20
オウム=原始仏教+チベット密教+ヨーガ+仙道+ノストラダムス+運命学
阿含宗=原始仏教+チベット密教+ヨーガ+仙道+ノストラダムス+運命学+真言密教

とてもよく似ていますね。
ご親戚ですか?



794 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:23
阿含経は釈迦の言葉なのです。
阿含経=釈迦。
=の意味は自分で考えるように。


795 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:25
ヌマエビさん
さらなる投稿お待ちしています。
迷える盲目の子羊たちが一人でも
まともになりますように。




796 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:28
仏教とは、釈迦の教え、仏の教えに従うことです。
誰の教えに従うか=なになにを本尊とするです。

たとえば、オウムでは誰の教えに従うのですか。
オウムの本尊は何ですか。何を最も尊ぶのですか。
良く知らないのですが、釈迦ではないはずです。


797 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:30
このボードには、お金がご本尊の人が多いみたいでね、


798 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:30
釈迦は自らを礼拝するような愚行を厳しく諌めていますよ。

原始仏教の精神からかけ離れた阿含宗が釈迦を持ち出すのは
単なる客寄せの宣伝にすぎません。
なぜなら桐山自身ろくに阿含経を読んでいないのですから。



799 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:37
阿含宗は仏舎利を本尊としているということは
在家信者の集団と言うことですか?
なら創価学会と全く々ですね。



800 名前: しょうこう 投稿日: 2000/06/20(火) 16:38
 日本にも仏教は伝来していると。そして、いろいろな宗派が立っていると。しかし、仏教を真に実践している宗派は
一つもないと。そうすると、会員に誤解を招かせることになると、ここで"仏陀"という言葉を使うと。
わかるね、言ってることは。そこでわたしたちはシヴァ神を立てたんだ。わかるね、言っていることは。
 つまり、名前なんてどうでもいいんだよ。例えばわたしが、例えば「タヌキ」だろうと、あるいは「麻原」であろうと、あ
るいは「へビ」だろうと、そんなのはどうでもいいわけだ、名前は。ここにいる、今、あなた方に講話をしているわた
し、で、それを「麻原」と定義しようということで、「麻原彰晃」という名前があるわけだね。それと同じように、シヴァ神
もこういう状態のお方と。それをわたしたちはシヴァ神と言っているわけだ。わかるね、言っていることは。
 だから、わたしたちは仏陀を否定しているものではない。いや、そうでなくて肯定してるわけだ。しかし、仏陀という
言葉は今使えない。だってそうだろう、まあオウムが現われて、仏陀の意味合いというものは日本において少しずつ
変わってきただろうけども、まだ仏像を仏陀だと考えている人たちが多い。わかるな、これは。だからそれを打破し
なきゃなんない。


801 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 16:46
麻原を崇拝していた人達も結構いたんだから、
阿含宗を盲信する人達がいたっておかしくはない。
どんなにゲテモノでもなれればよく見えるものらしい。
信仰とは自分の理性を麻痺させる事と同義なのかな。
悲しいほどに。



802 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:00
釈迦は出家者に対して仏舎利を拝む事を禁じました。
解脱の妨げになるという理由で。
桐山は出家者ではなく在家信者の一人だから仏舎利を祭ってもよいという事ですか?
そして解脱していないからその程度で迷っていても構わないというわけですか?



803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:08
>752
>これは阿含宗関係では言い古された論議なのですが
>阿含経には火の祭典を最高であるとたたえる文章があるのです。(岩波)

釈迦が「火の祭典を最高である」とたたえとは、知りませんでした。
釈迦は火をよくたとえに用いているが、
火そのものの行事を最高だと言っているとは知りませんでした。

どこにそういう経典があるのか、
岩波のどの本にあるのか、
具体的に経典の名前や番号を、あるいは本文を示してください。


804 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:12
>753
>僧侶にALC(占断)をしてもらったという話は聞いたことがありません。

あなたが知らないだけです。
阿含宗の僧侶も信者の相談に乗ることがあります。
「僧侶が占いをするのはおかしいと言われたがどうすればいいか」
と相談して、占ってもらってはどうですか。

桐山さん初め占いをしていることをどう説明するのですか。
答えてください。


805 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:15
釈迦は原始仏典の中で明確に信仰を否定している。
つまり信仰を要求する宗派は釈迦の教えに反するということ。
実に簡単な話だ。




806 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:16
>755
>私が阿含経というとみんな怪訝な顔をする。それは発句経ですか?
>と尋ねる人もいる、云々。

桐山さんが引用した内容ですね。
友松圓諦がいつ頃の人か調べて言っているのですか。
今のように情報が十分に行き渡らなかった頃の話を、
我が事のように使うのは我田引水です。

「発句経」ではなく「法句経」です。
話も、あなたの記憶とは違い、
友松圓諦が阿含経の一つのホックキョウを紹介すると、
ホッケキョウかと聞き直す人がいた、ということです。

かつての日本で阿含経が知られていなかったことは事実です。
桐山さんによれば、「手垢がついていなかった」。
そして、桐山さんが手垢をつけてしまった。


807 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:17
>754。
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
>師に会えば師を礼拝するのです。

761さんのおっしゃっているのが正しい。
仏舎利供養と釈迦を礼拝することは別です。
釈迦が自分を礼拝することを諫めた経典があります。


808 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:20
信者さんの中の一連の書き込みを見ると、
仏教についての知識も、
さらには阿含宗の教学についても知識が貧弱なわりには、
堂々と中途半端な思いこみを書き込んでる人がいますね。
自分は都合の悪いことには返事をせずに、
まともな議論もしないのに、
片端から他人の揚げ足取りをしています。

749さんの言うとおりで、
智慧を説く阿含宗信者のレベルがこれでは、
桐山さんが見たら泣く、いや、
あの人のことだから怒鳴るでしょうね。


809 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 17:53
>754。
>仏陀の教えでは仏陀に会えば仏陀を礼拝し
>師に会えば師を礼拝するのです

かりにも原始仏典云々言うのならすこしは勉強した方がいいよ。
恥をかくから。
桐山の本だけで、原始仏教をわかったような気にならない方がいいと思うがね。




810 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 17:58
お稚児さんって坊主の男色相手だったわけですが
今でもお稚児さん居る寺あったら教えて欲しい


811 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 18:59
わたしが高校生だったころ、先生と地域の教師の集会でどんな
はなしをするのかきいたことがあります。

もちろん話題は生徒に対する教育および指導についてですが、
普通人間がその思考や哲学、思想を深めていくプロセスは

具体的なもの―抽象概念、という手順で進んでいくのが常道だそうです。

たとえば、最初から「神とはなにか」「真理とは」「どう生きるべきか」と
考えていっても、なかなかうまくいかない。

ところが、それ以前に「具体的な問題」が思考できない
生徒が多いのが現状だ、といったはなしだったとおもいます。

密教が具体的な象徴をつかうのも、
そういった人間の思考プロセスの深まりかたと
関係があるのではないでしょうか。

密教から7科三十七道品へ修行をすすめていくのは、
理に叶っているとおもいます。

もちろん、
上座部系の瞑想をなさりたいかたは、
そうすればいいでしょう。

ニンマの教えによると、
「ひとの数だけ教えがある」そうですから。




812 名前: 元修行者 投稿日: 2000/06/20(火) 19:51
私が会員だった20年程前のことですが、阿含宗が
お釈迦さんの遺志である「アーガマ」を世に出すんだ、
成仏法は「アーガマ」に書いてあって、それこそが
七科三十七道品だ、と断言していました。

ところが、阿含経を隅から隅まで読んだ強者が居た
たしく、「そんなもの書いていないぞ」と管長に直訴
したらしい。読み方が悪いとかなんとか、その場を
取り繕って、やがて阿含経講義が始まりました。だけど、
法句経や、中村元さんの岩波の「ブッダ」シリーズを
読まれた方ならわかるでしょうが、書いてあるのは処世
上の戒めだけで、成仏法などどこにもない。私が在籍して
いた数年間、結局のところ阿含経講義に成仏法は姿を
見せなかった。「強者」氏が実は正しかったのです。

以前、書店コーナーでチベット仏教の瞑想法について
書いた本を立ち読みしたら、なんと「七科三十七道品」
がしっかり書いてあるではないですか。著者はリン
ポーチェでしたか、教学部長クラスの職にある高僧
でした。彼が日本語を勉強して「七科三十七道品」を
知ったとは思えない。やはり、「七科三十七道品」は
遠の昔にチベット仏教によって世に出されていた。
別に桐山氏の手を借りずとも。

今思うと、私は盲目状態で、すっかり桐山氏に騙さ
れていました。


813 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 20:04
ここの教祖さんて、いちおー解脱者なんだろ。
聖者とか言ってたよね。
そんなご立派な人が、ローマ法王と会うのがどうしてうれしいんだい。
お釈迦さんて有名人と会うのを喜んでいたのかねえ。

信者さんたちは、一生懸命に、会ったんだと強調しているから、
信者さんもうれしいんだね。

こわごわ聞いちゃうけど、それって、けっこう恥ずかしくない?

教育資金だした、なんて、
勲章もらうため大作さんがよくやっているよな。

つまりさあ、信者さんの、最前列にいたんだぞ、
法王と握手したんだぞ、て書き込みは、
「うちの教祖はこんなに俗物だぞー」
とわざわざ声を大にして叫んでいるように聞こえる。
ヲタクの教団じゃ、それすごいことなんだろけど、
おれらから見ると、ただの「コ大作」「プチ大作」だぜ。

信者さんたちはヌマエビさんが大嫌いなんだろ。
それなのに、エビさんの書いた内容を証明するような
実例をわざわざ書き込んだ訳よね。
それも鼻高々と何度も何度も強調して。

ね、大作さんなんか見てて、俗物だって思わんか。
あちこち金ばらまいて、有名人と握手して、勲章もらって。
あれ、俗物にみえるだろ。
なのに、どうして、信者さんは、おんなじことしている
自分とこの教祖さんが俗物にみえないの。
まったく、おんなじことやってんじゃん。
文面からいくと、むしろホコリに思ってるんだよね。
ヲタクらって、やっぱテーセツの世界だね。


814 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:14
>密教から7科三十七道品へ修行をすすめていくのは、理に叶っているとおもいます

7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。




815 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:17
ダライラマやバチカンとの関係はその後どうなったんですか?
今でも積極的に交流しているのでしょうか?
それとも1回こっきりの寄附と挨拶だけですか?



816 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 20:18
阿含宗のHPはなんで永い事更新されていないのでしょう?
もっと情報を開示して欲しいものです。



817 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 20:56
四安那般那念法が「成仏法」です。


818 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 21:09
>816
なんか担当者が部署が変ったりして忙しいみたいです
信者から奉仕者を募って更新しろってメールだしたの
ですが、変な人と間違えられたのか無視されました。
なんかHPとかインターネット関係にはあまり熱心
じゃないみたいです。



819 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 21:19
>815
諸宗教と今でも交流していますよ。
ただ、今、管長が中国寄りのためか微妙な関係ですね
星祭りに中国、台湾、チベットの来賓がきたときは
さすがにハラハラしました。
政治には口をださないそうですが、それでも感情的
なものはあるんじゃないでしょうか?


820 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:08
>802さん、岩波文庫の仏陀最後の旅をよんで
一緒に考えて見ましょうよ。私も読みなおしてみます。
820


821 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:12
>803 さん。 スッタニパータのほぼ中央、
やや後ろよりです。阿含嫌いの研究者がこの部分
のみを、後世の混ざり物であると言うので有名な
ところです。


822 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:18
>804さん、私よりお詳しいようで。
生活の稼ぎのための業務をするなという意味にとらえています。
ALCは会員や会員の紹介者に対しては無料です。
出家、在家の人数比からいってもALCは在家信者やっていくしか
無いでしょう。


823 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 22:22
>812さん
チベット仏教まつまでもなく、天台ちぎの「摩可止観」
に37道品説かれていますよ。
ただ桐山氏は独特の瞑想法があると言っているのですが
今日に至るまで詳しく教えてくれたことがありません。


824 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:23
>805さん。現代の世界のすべての仏教の基本事項は
仏、法、僧 (三宝)への帰依なのです。
あなたの表現だと、世界には仏教が無いということになります。


825 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:36
>806さん、私の間違いでした。
友松園諦師の本は家に2,3冊あるのですが読んでません。
情緒的過ぎて私にはつまらないのです。桐山先生の科学と
しての仏教のほうが好きです。心理科学、社会科学、宗教科学。
最後の単語は無いでしょうね。
また、現代人にマッチした経典を選びだした、との前書きがあ
りますが、多分、一見現代人にマッチしないようなところが意
外と現代人に必要だったのではないかと思います。
ホテルにおいてある仏教聖典も友松先生の関係でしょうか。
これも読んでみようと思ったことも無かったですしね。ひらめき
がないのですね。
やはり桐山先生が「手垢」をつけてくださったのでしょうね。
(ここでは反語を使うと、そのまま引用されるので怖いです)。

いわゆる原始仏典から自分の信仰を作り上げる方法を考えて
見たことも有るのですが。。
本尊らしきもの、像か、掛け軸か、曼荼羅のようなものを用意
して、阿含経典をどくじゅし、また、勉強会を開いてそれを勉強
するということになるのでしょうが、、何か魅力を感じません。
そこには天才のひらめきが無いのですね。人生を託す気にはなり
ません。 ワープロ変換ミス、未変換ご容赦。


826 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:45
>807さん、仏教は三宝に帰依するものなのです。
三宝は、仏、法、僧です。僧は僧侶ではありません。


827 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/20(火) 22:53
「成仏」と仰いますが、そもそも「仏」とは何ですか?
 お釈迦様のさとりと、原始仏典に出てくる仏弟子達のさとりは同等なのですか、
 それとも違うものなのですか。
「解脱」と「涅槃」と「成仏」は同じ意味なのですか、それとも違うものなので
すか。
私たち普通の人間でも、仏陀になれるのですか。
どうすれば仏陀になることができるのですか。
どうして仏陀になるべきなのですか。
お釈迦様はどうして出家されたのですか。
出家して戒律を守らないと仏陀になれないのですか。



828 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:54
>812 元修行者さん。
今の阿含宗の勤行式には二つの阿含経典(精要)がのっています。
ひとつが在家信者のための三福道。如来、正法、聖衆の元において功徳を
うえる。です。
もうひとつが上品の修行法、七科三十七道品法です。




829 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 22:59
>813さん。
嬉しいんじゃなくて、仏教とキリスト教が一同に会した
歴史的意義を考えないと行けないのです。
2000年の歴史で初めてのことなのです。(カトリックの歴史で
何年なのかは知りません)。従来カトリックはミサの席には
同じキリスト教とであるプロテスタントでさえ入れないのです。

まあ、本当は嬉しいですけど。


830 名前: >829 投稿日: 2000/06/20(火) 23:03
>従来カトリックはミサの席には 同じキリスト教とであるプロテスタントでさえ入れないのです
ええええええええっ??????誰から聞いたの?
教えた人はよっぽど貴方という人物をミサに連れて行きたくなかったのでしょうか???
誰でも預かれますよん



831 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:03
>814さん、密教の諸仏諸菩薩信仰から、、と言う意味だと
思うのですが。811さん済みません。勝手に口を出して。


832 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:08
>805さん、
スッタニパータ77に、
(師は答えた)「私にとっては、信仰は種子(たね)である。、、、


833 名前: 824訂正 投稿日: 2000/06/20(火) 23:14
日本の大乗仏教を除いて、世界の仏教はすべて、仏、法、僧(三宝)への
帰依がその第一歩なのです。


834 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/20(火) 23:18
>812さん
佛教学辞典 1928・法蔵館 より

 さんじゅうしちどうほん 三十七道品

道品とは梵語ボーデイ・パークシカの譯で、菩提分、
覺支、覺分とも譯する。佛教の至高目的たる悟の境地
(涅槃)を實現する智慧(即ち道、菩提、覺)
を得るための實踐道の種類の意で、これに三十七項目
あるから三十七道品といい、三十七菩提分法、三十七
覺支、三十七覺分とも稱せられる。
即ち四念處(四念住)・四正勤(四正断)・四如意足
(四神足)・五根・五力・七覚支(七菩提分、梵語
ボーディ・アンガの譯)・八正道(八聖道)の七科の
集計である。


阿含経典 1979 増谷文雄 第三巻より

 ついで、『阿合経典』の第四篇としてここに集録せら
れるものは、実践の方法すなわち道についての経典群で
ある。
 その「道」とは、究極の目標に到達するための実践の
方法をいうことばである。それは、例うれば、舎衛城よ
り王舎城にいたろうとするには、それに従って歩くべき
道があるように、人々が苦なる人生をたちいでて、苦な
き人生にまで到達するためには、そこにもまた、それに
従って歩くべき道が存しているのである。
 だが、その道は、かならずしも、ただ一つではない。
いろいろの道が存し、いろいろの道が語られているので
ある。それらを、古来の仏教者たちは、しばしば、「三
十七道品」あるいは「三十七菩提分法」などと称する。
この経典群のなかにも語られている「四念処」「四正勤」
「四如意足」「五根」「五力」「七覚支」および「八支
聖道」を合計すると三十七道品となる。すなわち、仏道
修行のためには、さまざまなる実践の方法が存するので
ある。



835 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:23
>830さん、キリスト教のことは全く知らないので
良く教えてください。バチカンではカトリックとプロテスタント
が混ざってミサをしているのですか。
大聖堂で仏教の修法がなされることは歴史的にまれなことでは
ないのですか。
バチカンではしょっちゅう、「カンジーザイボーサ」とお経が
高らかに唱えられているのですか。
「愛のために智慧を、智慧の為に愛を」という本を読まれたみ
たいなので、感想を教えてください。
また、ヨハネがおっしゃった、火で洗礼する方の事も教えてください。


836 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/20(火) 23:24
↑訂正『阿合経典』→『阿含経典』
失礼しました。


837 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/20(火) 23:53
>827さん、スレッドで一番難しい質問なので、間違えていたら
ご容赦を。成仏とは人が人以外のものになることです。具体的には
六道輪廻から離れ、涅槃界、涅槃に至り、仏になることです。
お釈迦様の悟りと弟子たちの悟りは同じです。ただ仏陀の悟りは
無師独覚といって尊ばれます。たとえばエベレストの(いまはチョモ
ランマか)の頂上に登ることが悟りだとしたら、そのルートを開発
して道を示したのが仏陀(ゴータマブッダ)だからです。
いくつもの煩悩(色欲物欲ではないですよ。もう少し複雑)を
一つ一つ解脱して、涅槃の世界に行くことを成仏というのです。
ニルバーナ(涅槃)をえる=成仏すると考えて良いでしょう。
すべてを解脱すれば成仏ですから、解脱を大きく考えることも
できると思います。
普通の人間が仏陀になれる方法を説いたのが仏教です。在家の
ものは如来のみもとで、正法のみもとで、聖衆のみもとで功徳を
うえて(うえるの漢字は?阿含宗のかたへ)、大分類で10個有る
煩悩のうち、下の5個あるいは3個をきり(解脱し)聖者への
道を歩み始めます。その後、上品の修行者となったあなたは、
七科三十七道品法の修行を積んで仏陀になるのです。この間に
生まれ変わりがありますので、現代人には、なかなか難しい概念
ですね。(実は古代人にも難しかったようです。古代人も意外と
現代的です。)
現在しあわせそうでも、生まれた以上、老人になり、病を得て
死にます。そのた合わせて8つの苦しみがあります。(四苦八苦)
それを悲しい、本当の幸せがほしいと思う人が、成仏を願うのです。
それは仏陀も一緒というか、仏陀が教えた道です。
六道輪廻も大変です。上には天があり、下には地獄があります。
天に上ってもいずれは地獄に戻ってきます。それが永遠に続くの
です。キリスト教は天に上ることを望む教えです。
戒も在家のものは簡単なものです。出家は大変ですが。清らかな
行いがスタートなのです。
教学苦手の私の私見です。あとは阿含集のHPを見てください。




838 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 00:06
>843さん、
>阿含経典 1979 増谷文雄 第三巻より
>ついで、『阿合経典』の第四篇としてここに集録せら

確か第六巻?まであったと思うのですが、六巻を持っている方と
持っていない方があるようです。(またまた未確認情報でした)
引用ありがとうございました。




839 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/21(水) 00:58
>738さん
長文に渡りますが、第五巻のはしがきを引用致します。
私が要約をしてしまったらせっかく増谷師が文筆を極めていらっしゃる
のに、それを歪めてしまって誤解の元になるかもしれませんので。
ちなみに、一〜四巻は1979年発行。
五・六巻は1987年発行、現行本です。


 さきに、南伝『相応部経典』に集録せられる五六相応、七七六二経
につき、いささかテキスト・クリティークをおこない、その若干経を
とり出して、現代語訳をこころみ、かつ、注釈を加えて、『阿含経典』
四巻を集録したわたしは、さらに、ここに、南伝『中部経典』一五二
経、および『長部経典』三四経、ならびに、漢訳『中阿含経』および
『長阿含経』に集録せられる諸経につき、ここでも、テキスト・クリ
ティークをおこなったうえで、その若干経を選び抜いて、現代語訳を
こころみ、かつ注釈を加えて、『阿含経典』第五巻・第六巻として集
録する。
 これらの経典群に属する諸経は、かならずしも、かの第一結集にお
いて誦出され、合誦されたままのものであるとはいいがたい。したが
って、これらを、かの『相応部経典』や『雑阿含経』に見られる原初
的な諸経に此するならば、あきらかに、おおくの増大、加上、再編の
あとが指摘せられ、疑いもなく、やや後時の成立になるものとせざる
を得ない。
 それにもかかわらず、これらの経典のしるすところは、なお、けっ
して、初期仏教教団の雰囲気を逸脱したものではない。
 ここに見られるものは、あるいは、さきにいうところの原初的な諸
経において見られる釈尊の説法に、さらに、その弟子たち(たとえば、
サーリプッタやアーナンダなど)による解説的な章句を加うることに
よって増大された経もある。あるいはまた、さきの原初的な諸経にお
いては取り上げられなかった、釈尊のエビソディクな言行や事件など
を題材として、新しく編まれた経も見られる。さらに、その時期まで
はなお欠けていた「仏陀の伝記」の最初のこころみもいくつか存して
いるのである。もちろん、いまだ、一経をもって釈尊の全生涯を叙す
るがごとき仏伝の成立は見るにいたらなかったけれども、なお、『中
部経典』二六「聖求経」ならびに漢訳同本『中阿含経』二〇四「羅摩
経」は、仏陀の出家、修行、正覚より初転法輪にいたるまでを、自叙
伝風の文学形式をもってまとめており、また、『長部経典』一六「大
般涅槃経」ならびに漢訳同本『長阿含経』二−四「遊行経」は、ラー
ジャガハ(王舎城)を出発点とする仏陀の最後の遊行を、まずは旅日
記風にこまごまと叙し、ついに、かのクシナーラ(拘尸那羅)城外の
サーラ(沙羅)の並木のもとにおいて「大いなる死」をとげたまえる
ことを、荘厳にして感銘ふかい叙述をもって記している。それらは、
いずれも、後年の仏伝にたいして大きな影響を与えるものとなった。
 そのようにして、これらの諸経は、いずれも、さきの『相応部経典』
や『雑阿含経』などに比すれば、かなりの長文のものとなって、ある
いは中量、時には長大なる経典として現在に伝わっている。『中部経
典』といい、『長部経典』といい、あるいは『中阿含経』といい、あ
るいは『長阿含経』と称するのは、その故である。そして、その中で
も、いまもいうところの「大般涅槃経」ならびに「遊行経」は、その
もっとも長大なる経典である。



840 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 05:57

七科三十七道品って、何て読むんですか?


841 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/21(水) 06:17
>840さん、おはようございます。
私は「しちかさんじゅうしちどうほん」と読んでいます。



842 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:33
「ヴァッカリやバドラーヴタやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨てたように、
その様に汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るだろう。」
岩波書店「ブッダのことば」スッタニパータ1146

中村元先生の解説等よく読んだ方がいいよ。
釈迦自身の言葉による信仰の否定(信仰=悟りへの妨げ)は常識だよ。
恥ずかしいから少しは勉強してね。



843 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:39
>日本の大乗仏教を除いて、世界の仏教はすべて、仏、法、僧(三宝)への
帰依がその第一歩なのです

帰依とは盲信する事ですか?



844 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:44
>バチカンではカトリックとプロテスタンが混ざってミサをしているのですか。

教会のミサにはたまに母と行きますが、二人とも仏教徒です。
誰でも入れますし、参加も出来ます。常識です。

>大聖堂で仏教の修法がなされることは歴史的にまれなことではないのですか。

紹介者を通してそれなりに寄附すれば出来ますよ。
私の祖父の葬儀は教会で神仏合同ミサでした。

>バチカンではしょっちゅう、「カンジーザイボーサ」とお経が高らかに唱えられているのですか。

阿含宗はじめ仏教寺院ではしょっちゅう聖書が読まれ、賛美歌が歌われているのですか? 


845 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:50
>スッタニパータ77に、
>(師は答えた)「私にとっては、信仰は種子(たね)である。、、、

よく読んでいない人は必ずこの部分を指摘します。
ここもチャンとまともに読めば、スッタニパータ1146との矛盾は全くない事に気づくのが
普通なのですが、まだ勉強が足りないようですね。頑張って下さい。


846 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 07:55
現役の信者さんに質問です。
桐山密教立宗から30年以上経ちますが、
求聞持法、大随求法、クンダリーニ覚醒などを達成したお弟子さんはいますか?
一人もいなければ「嘘だったの?」と疑問を持つのが普通だと思いますか・・・。
如何でしょう。
何人達成しましたか?



847 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 09:24
在家オウムが沢山湧いてるな


848 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 11:08
インド宗教全体を見渡してみると、「沈静的な瞑想」や「難しい学問」よりも
バクティ(献身的信仰)のほうが、誰にでもできる容易な解脱への道であると
いうことは常識。


849 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:40
>842、恥ずかしいさん。

仏陀は「おまえの持っている間違った信仰をすてよ」と言っているの。
そして、私の示したルートをたどってチョモランマを目指せと。
中村先生の文章の時代背景。一見科学的、合理的思想しか読者が受け付け
なかったの。


850 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:42
>843さん、
帰依するためには勉強しないとだめでしょう。
研究して考えて、疑う余地もなくなれば、確信、信用したら
いいの。しかし、はじめから横を向いていてもだめだよ。
まっすぐ、仏陀のほうを見て、その教えを聞かなければ。


851 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:53
>844カトリックさん。
近所の教会に信者が非信徒の家族を連れていったり、葬式をする
のとは話が違うでしょう。ルイスフロイスの本にも家族、友人を
積極的に連れてくるようにとの話があります。古い話ですが。

後の質問は、バチカンの大聖堂で、仏教徒400人が声高らか
に修法をしたのを歴史的に見てどう評価するのかという話です。

ローマ、バチカン、パウロ二世などのキーワードを含むお答え
をどうぞ。話をすりかえないように。べつに一緒に仲良くと言っ
ているのですから。(ピタウ神父の言葉)


852 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 13:57
>845 さん。
仏陀にとっての信仰とは、、菩提樹の下で真理を得るまでは
命を失ってもここを動かないと決心したような、真理への真摯な
志でしょうね。
なんじゃもんじゃを信じている指導者や信徒に、なんじの信仰
捨てよと言った、その信仰とは意味が違います。
両文面は矛盾していません。


853 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 14:07
848さん、趣旨がわかりません。
ニンマ派の「人の数だけ、学び方がある」?とどなたかが書いていた
ほうが説得力があります。もう少し、具体的に説明してください。



854 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/21(水) 15:59
>844 さん
>紹介者を通してそれなりに寄附すれば出来ますよ。
なかなか怖い文面ですね。
>私の祖父の葬儀は教会で神仏合同ミサでした。
それではおじい様は仏教徒で、お父上はカトリックということ
でしょうが、なくなられた後どこへ行ったら良いのでしょうか。
神様の元へ、あみだ様の元へ?
カトリックではなく、プロテスタントですか?

しかし、この850いくつのスレッドで、話のすり替えを行った
のはあなただけです。恥じてください。




855 名前: >846 投稿日: 2000/06/21(水) 20:30
現役の仏教徒さんに質問です。
仏陀から2500年以上経ちますが、
成仏、解脱、正等覚などを達成したお弟子さんはいますか?
一人もいなければ「嘘だったの?」と疑問を持つのが普通だと思いますか・・・。
如何でしょう。
何人達成しましたか?


856 名前: >855 投稿日: 2000/06/21(水) 22:00
いいところに気がつきましたね。


857 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 22:05
「阿含宗被害者の会」のHPと言うのが有りましたが、
(検索で引っかかった)
http://www.asahi-net.or.jp/~BE9Y-IKD/
撤退している模様です。
どなたか新アドレスをご存知ないですか?
上に書き込みをしていた人がいれば、どうして撤退したのか
教えてもらえませんか?



858 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:01
最初のバチカン訪問は1985年、わたしは参加していませんが、
記録映画では尻枝神父を介して桐山師と法王がおはなしされていて、
その時点ではまだ具体的にどうやって他宗教とのあいだに
協力関係を築いていくか、お互いに手探りの状態だったように
みえました。

バチカン関係者の阿含宗に対するコメント

諸宗教対話政庁・フランシス・アリンゼ長官

「日本から四百人もの若い人がここに集まって下さったことを
感謝いたします。また、皆様の大導師にお目にかかれたことを
大変嬉しくおもっております。

桐山管長げいかはとても教養があり、学識豊かであります。
しかも、ただ単に学識が深いというだけではなく、
数多くの本を書いておられます。また、修行をつまれて、
物事を深く考え、徳のあるかただと思います。

それ故に、人をひきつける力があるのです。

今,私たちは、桐山管長げいかのような指導者を最も必要と
しています。平和のためには、われわれはいつでも
お手伝いする用意があるのです。

「宗教と平和の世界会議」および「日本の平和のための世界宗教」が
ともに偉大なる平和の推進力となり、それが宗教者によって推進されることは
すばらしいことであります。

皆様方に感謝をし、ともに平和を求めて皆様方と手を取り合いたいと
思っております。

神の祝福を・・・・」



859 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:20
バチカンも可哀相に。



860 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:24
聖者って嘘の経歴を並べ立てるものなんですか?
仏門に帰依してから幾つもの犯罪を犯して
刑務所に投獄される事は聖者の行ないのひとつなんですか?
この辺をはっきりさせないと
何を聞いても誤魔化しに聞こえるんですが。




861 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/21(水) 23:27
立宗以来、永いことやってるけれど
一人くらい因縁解脱した人いるのかな?
素朴な疑問です。




862 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 00:00
>855 さん、阿含経典には多くのニルバーナを得た人の
話が載っています。テーラガータ、テーリガータなどです。
涅槃を得る前の段階として、シュダオン、シダゴン、アナゴン
などがあります。岩波文庫で出ていますので、読んでください。
その前に、清潔な真人間になる必要があります。


863 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 00:06
>860 さん。
夫婦喧嘩でもなんでも両者の意見をちゃんと聞かないとだめです。
私は先生のお話を聞いて十分納得しています。



864 名前: うわさ 投稿日: 2000/06/22(木) 00:16
最近は、神社本庁や皇室も阿含宗に祭祀を
依頼していると言ううわさを聞いたのですが
本当でしょうか。→阿含のかたへ


865 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 00:28
>861 さん、阿含宗の信者です。
完全に涅槃を得るというのは大変なことのようです。
私は末端の信者であまり知らないのですが、猊下が
今の世で涅槃を得て仏陀になられるのか、もうなられて
いるのか、一来で次の世で仏陀になられるのか知らな
いのです。どちらにせよ日本や東アジアの歴史始まって
以来だと思うのですが。そういう意味で東アジア大乗仏教は
罪が深いですねえ。
このことについて、どなたか教えてください。
また、げいかくらいは漢字をつかうこと。
「猊下」これをコピーしなさい。


866 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 00:31
阿含宗は、火の洗礼という言葉をどんどん
使っています。これは正しいのでしょうか。




867 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 01:13
>私は先生のお話を聞いて十分納得しています

私は桐山さんの著作を何冊か読ませて頂きました。
もし差し支えなければ、貴方がどのように納得されたのかお教え下さい。
お願いします。



868 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 05:06
>完全に涅槃を得るというのは大変なことのようです

そこまで伺ってはいません。
ただ、昔から桐山さんが言っている因縁解脱を達成した人が一人でもいるのかという
問いかけです。
求聞持聡明法についても昔から本に出てきますが、もう長い年月が経っています。
教団でたとえば一人でも成就した方はいらっしゃるのですか?
因縁解脱者もいない、求聞持法の成就者もいないとなれば、
此れまでの30数年間は何だったのでしょうか?





869 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 05:10
>「猊下」これをコピーしなさい
>語りなさい

阿含宗ではみなさんこのような言葉使いをされるのでしょうか?


870 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 10:22
868 さん今日は。
私は末端の修行者で行歴も浅く、毎日の勤行と困った方を
見かけたらお助けすると言うだけの日々です。
ご質問の内容には、結界内で修行をされている方々、僧侶
の方々、修行が進んだ方々しか答えられないと思います。
いろいろ噂のようなものはありますが、憶測では書けませ
んね。ただ、少しずつでも前進して行くことのできる教えだ
と思っておりますので、信頼してついていっています。

「コピーしなさい」「語りなさい」は、阿含宗の仲間に向け
親愛の情+2chらしい表現のつもりだったのですが、お気
にさわったようでしたら謝罪します。
しかし、2chで言葉づかいとか、論旨のすり替えが注意され
るような、格調の高いボードを見つけてうれしいです。


871 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 10:35
火の洗礼と水の洗礼
質的にどう異なるのでしょうか



872 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 11:04
867さん、
ご質問がスキャンダルめいたことについてでしたら、事情を
ご存知なのはご本人だけですから、説明はご本人だけにしか
できません。また、それに対する回答に付いては十分理解し
納得していますが、弟子にとっては、反論対象の中傷誹謗の
内容に関してはここに書くことさえはばかられるのです。
これは、ああだ、これは、こうだと、説明しろと言われれば
十分に説明できますが、「これは」が一人歩きしてしまう
場合があるのです。週刊誌で「離婚のことは考えていない」
と発言すると、「離婚問題は、、」と見出し誹謗するような
テクニックもありますから。見出ししか読まない人も多いで
すからね。また「これは」を書くことは師に対して非常に失礼
なことになるのです。ですから、中傷誹謗の議論にははいって
行けません。
反論できなくて逃げているわけではありませんので、よろし
くご理解ください。
中傷誹謗には取り合わないと言う方針です。
また、ご質問の内容が教学についてでしたら、その時はまた
コメントをください。



873 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 11:13
最近の宗教版ってレベルが やたらと低くないですか?


874 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 12:17
バチカンと阿含宗について

>732さん、751さん 858さん
>二回目のイタリア訪問のとき・・・・ロ―マ法王が日本語で桐山師と信徒に
 歓迎の意を表明してくださいました。
>目指すものは同じなのです」といった趣旨のおはなしをされていました
>これらはすべて真実です。

信者の方はもしかして、阿含宗がバチカン及びローマ法王と特別に親しい関係にある。
又は阿含宗だけが認められていると思ってらっしゃるような気がするのでので、
次のことを記しておきます。

1981年2/24 来日中のヨハネ・パウロニ世はローマ法王庁大使館において
日本の諸宗教関係者29人と会見しました。出席した諸宗教の代表は
全日本仏教会、神社本庁の他、楔教、大本、金光教、黒住教、天理教、
立正佼成会、善隣会 他 10名以上の新宗教教祖が含まれています。
会見後、法王からメダルを授与され、記念撮影をしました。
その後、法王はバチカンを訪問した日本人の団体には日本語でスピーチ
をするようになりました。(ローマ法王庁大使館の職員〈神父さん〉談)
阿含宗の第1回バチカン訪問(85年〕以前の話です。

新宗教の代表者の中では、立正佼成会前会長の庭野日敬さんがバチカンと
特に関係が深いと聞いています。現法王と直接、何度も会っているはずです。
(念のため、私は立正佼成会とは無関係です。)

以下は立正佼成会のHPからのバチカン関係の記事

 1965年 昭和40年 9月14日
      庭野開祖、第二バチカン公会議に出席
 1965年 昭和40年 9月15日
      ローマ教皇パウロ6世と会見
 1986年 昭和61年 3月20日
      庭野日鑛会長(当時/次代会長)、ローマ教皇庁立サレジオ大学より
      名誉哲学博士号を受ける
 1992年 平成4年 11月15日
庭野開祖、ローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受 賞
 1994年 平成6年 11月3日
      ヨハネ・パウロ2世と共にバチカンでの第6回世界宗教者平和会議」
      に出席

上記の宗教関係者がバチカンで法要をしたかどうかは知りません。
多分、他にも多くの宗教関係者がローマ法王と会っているでしょう。
バチカン市国はひとつの国家でありとローマ法王は世界的に重要な政治的役割も
担っています。(国際紛争などにおいて、バチカンの仲介が入るケースが
多いのはご存知の通りです。)宗教、思想的な枠を越えて世界中の人、特に
社会的影響力のある団体と友好関係を持とうとするのは自然なことです。
阿含宗もその内のひとつです。遠くの国から、何百人もの団体が来れば、
歓迎するのは普通のことだと思いますが。

他に比して立正佼成会と関係が深い(間違ってたらごめんなさい)
のは正しいことをしているからだとは思っていません。
日本で大きな勢力・影響力を持つ団体だからだと思います。これは私見です。


875 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 12:35
>871さん。
聖書のことは全く知りませんので、クリスチャンの方訂正して
ください。
聖書のルカ伝かなにかに、火の洗礼の話があるのです。
バプテスマのヨハネが、私は水で洗礼するが、私の後からくる
方は火で洗礼する。私はその方の足元にも及ばない。と言った
趣旨です。
つまり、私の後からくる方がメシアでその方は火の洗礼をおこ
なう。
イエスは水で洗礼されたのです。(この項間違いかも。)
ですから、阿含宗徒は自分達の星祭などが、火の洗礼ではないか
と思っているのです。
こんなことを何の根拠もなく考えたら少しおかしいと言うことに
なりますが、バチカンでの強烈な体験、事実がありますので、
あながち荒唐無稽とも言えないのです。
もし、私の書いたことが事実であれば、キリスト教文明は、仏教
文明に救われると言うことになります。
阿含宗ではメシアという言葉と火の洗礼と言う言葉はよく使われ
ます。



876 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 12:57
>874さん、こんにちは。
みなさん表敬訪問はされているのですよね。長島監督とか
クリントン大統領とか。「紹介者を通してそれ相応の寄付」
をすれば面会していただけるのでしょう。「」は他のコメント
の引用です。やはり重要なのは、ミサや法要でしょうね。

メダルに関しましては、普通を銅のメダルをいただける。
皇太子殿下(今の天皇)が表敬訪問された時は銀のメダル
であった。
阿含宗桐山管長は金銀銅のメダルをセットでいただいてい
ると言うことです。(幼稚園のメダルの話になってしまい
ましたが。)
また阿含宗は正式の招待状をいただいてバチカンのミサに
出席しています。招待状は普通でないものだそうです。

この話と、表敬訪問は別。表敬訪問されている方や団体は
無数にあると言うことですね。さあ、お昼の用意。


877 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:17
>874さん。
>阿含宗もその内のひとつです。遠くの国から、何百人もの団体が来れば、
>歓迎するのは普通のことだと思いますが。

阿含宗にバチカンからパームサンデーに参加するようにとのご招待が
合ったのです。もちろん口頭です。阿含宗では中傷誹謗には嫌気をさ
していますから、どうせ、押しかけたの、わりこんだのといわれるに
違いない。(ここは私の憶測)と思い「正式の招待状があれば出席し
ます」とのご返事をしたのです。伝達役の神父さんの言葉は神の言葉
なので、招待状などは決してださないのですが、その時に限り、後日、
正式の招待状が発行されたのです。招待状は重要な記念品として阿含
宗内に展示されています。

仏教徒400人が正式に招待されて、賓客として迎えられ、法皇の
ミサに出席したのです。宗教関係で一番重要なこと、唯一重要なこ
とは、ミサや法要なのです。

金銀銅の3つのメダルをいただいてからは、桐山師はどこの国に行っ
ても国賓なのです。皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。それ
はどこの国でも規定にしたがって行われるわけです。




878 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:22
庭野日敬のほうが桐山よりもバチカンでは遥かに高く評価されているんですね。



879 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:23
法皇は法王のまちがいでした。


880 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:26
>金銀銅の3つのメダルをいただいてからは、桐山師はどこの国に行っ
>ても国賓なのです。皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。それ
>はどこの国でも規定にしたがって行われるわけです

国賓?
そんなバカな。
誰に聞いたのですか?




881 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:29
<皇太子殿下以上>

いつのまにか皇太子以上になってしまった・・・・。
宗教だねえ〜。



882 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:32
>878さん、
庭野日敬さん(どなたか知らないのですが)とバチカンの
交流にはなにか歴史的な意味があるのですか。

VCIAは1980年前頃から日本語を学び始めたのです。
それは阿含宗桐山管長の著書を読むためです。ある神父さん
は管長げいかの著書に精通されていたそうです。
(VCIA と言うのが本当にあるわけではありません。V は
Vatican CIAは中央情報局です。読みまちがい傾向の方への注釈。)


883 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:35
>880
阿含宗に無数の映画がありますから見てください。
本当に食事の支度をします。読みません。


884 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:46
>やはり重要なのは、ミサや法要でしょうね

法王のミサに参加する事は誰でも出来ます。
教会での法要も然るべき手続きを経て申請すれば可能です。
法王と一緒にサンピエトロで大群衆と共に法要を行ない、
法王と共に仏典を読経したと言うのなら話は別ですが、
あの程度で「歴史的」とはとてもいえません。
教団の宣伝文句をそのまま受けとめるのはどうかと思います。




885 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 13:56
>VCIAは1980年前頃から日本語を学び始めたのです。
>それは阿含宗桐山管長の著書を読むためです。

唖然・・・。
よ〜くわかりました。




886 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:10
>821
>スッタニパータのほぼ中央、

「568、火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
…王は人間のうちで最上のものである。…
569、…修行者の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって
最上のものである。」

教えていただいてありがとうございます。
これをもって、火の祭典を最高のものであるとたたえたとは、
見事な拡大解釈ですね。
まったく違うじゃないですか。

この経典の主旨は、最後の「修行者の集い…」であることは明らかです。
世俗で言われている、わかりやすい最上のものを羅列することで、
最後を強調したのです。
Aは最上、Bは最上、それと同様に、Cは最上だ、という論法です。
あなたの解釈は、「Aは最上」だけを抜き取って、
釈迦がほんとうに言いたい「Cは最上」を無視しています。

修行の集い以外は、すべて当時の世俗一般に言われた最上のものです。
王が人間のうちで最上である、などとはカーストを
否定した釈迦がたたえるはずがありません。
「王は世俗では人間のうちで最上だと言われている」ととるべきです。
同様に「火への供養は世俗では最上の祭祀と言われている」
という意味です。
話している相手は「結髪の行者ケーニヤ」ですから、
宗教家に一番わかりやすいたとえを最初に出したのは当然でしょう。

釈迦は世俗の風習としての祭祀は否定しませんでした。
ただし、宗教的な意義は認めず、
教団内で行うことは禁止したのです。

この経典をもって釈迦が護摩を認めたとか、
火の祭典をたたえたなどというのは、
釈迦の言葉尻をとらえた曲解です。
阿含宗で有名ということは、これをもって、
護摩や星まつりを釈迦がたたえたと信じているのですね。
それとも桐山さんがそう言っているのですか。

釈迦は出家の修行者には護摩を禁止したのです。
阿含宗の護摩をどう説明するのですか。


887 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:11
>822
>出家、在家の人数比からいってもALCは在家信者やっていくしか
>無いでしょう。

こちらの質問を繰り返します。
釈迦は在家信者の占いまで禁止していません。
在家信者が占いをしているかを聞いているのではありません。
釈迦が比丘や教団内で禁止したはずの占いを
なぜ、阿含宗は釈迦の仏教を標傍しながら、
桐山さんが先頭にたって占いを講義し、
占いを道場の中で積極的に使わせているのか
とたずねているのです。


888 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:13
>825
>桐山先生の科学としての仏教のほうが好きです。

皮肉ではなく、助言として言いますが、
こういうことは書かないほうがいい。
あなたがいかに科学や仏教のちゃんとした知識がないまま、
桐山さんの、あたかも心理学、大脳生理学などの知識を
駆使したかのような文章に酔ってしまったか、わかってしまいます。

桐山さんはまたそういう人を対象に、
あたかも科学的な裏付けがあるかのような書き方をしました。
桐山さんはそういう才能があります。
バチカン、科学、阿含経、釈迦、すべて彼が自分の宗教を正当化する
ための味付けとして使ったものです。
「科学調味料」の味付けにごまかされないことです。


889 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:16
>825
>そこには天才のひらめきが無いのですね。

その天才が桐山さんですか。
寄せ集めの阿含密教を作り上げたのだから、天才かもしれません。
だが、それは釈迦の仏教とは似ても似つかない。
釈迦の仏教を標傍しなければいいのです。
桐山密教、桐山仏教ならそれでいい。
あなたがどんな天才に人生を託しても自由です。

ところが、桐山さんは、まるで釈迦の直弟子で、
釈迦が説いたことを現代によみがえらせ、
釈迦の説いたことを体得したのは、自分だけだと言っている。
信じ込んだ信者は、桐山さんの妄想の釈迦を
ここにも堂々と書き込んでいます。
あなたの選んだ天才のやっていることは、釈迦を拝みながら、
その顔にツバしているのと同じです。


890 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:18
> 庭野日敬のほうが桐山よりもバチカンでは遥かに高く評価されている
んですね。

某宗教評論家によると,日本の政治状況に間接的に影響力を
及ぼすためだそうです。

巨大教団すなわち大票田ですから。


891 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:19
>826
>仏教は三宝に帰依するものなのです。

帰依と礼拝をあなたはいっしょにしています。
阿含宗ではそれが同じなのだろうが、
釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います。

阿含宗で礼拝供養などというから、
釈迦が自分を礼拝するように教えたと思いこんでいるのでしょう。
阿含宗の釈迦と違い、阿含経の釈迦は、
自分を拝むことを拒絶したのです。

桐山さんのように、釈迦が禁止したことを堂々とやり、
それをまた宣伝に用いるのは、釈迦を拝むことではあっても、
釈迦に帰依したことにはなりません。


892 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 18:52
>釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います

では質問ですが、「釈迦に帰依する」とは
どういう意味、あるいは行為を指して
いるのでしょうか。


893 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 20:08

>7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。

宗教学者T師と人類学者N氏の対談

T師「密教では加持祈祷のさいに観想をもちいて信者さんの商売繁盛などの
祈願にお答えするわけですが、そういったものが現実的に
どれだけ有効性をもちうるか、疑問におもえて仕方がないのですよ。」

N氏「桐山さんはなんと言っているのかな。」

T師「彼は明敏だから密教を信じていないでしょう。」

なるほど、確かに「7科三十七道品から技術的に進化したのが密教」ですね。

チベットの転生化身の教育で最初に教わるのは、
加持の与えかただそうですから。


894 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/22(木) 21:02

「一九九九年七の月」 31.ひとり盛り上がる桐山氏

この本は、ここ数年の焼き直し本と違い、大半が書き下ろしでした。
それだけに、奇妙な文章が目につきました。

****************************
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。
わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。・・・私は絶息、絶心していたか
もしれぬ。・・・
・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。
****************************

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心などの
多用で、一人で感情的に盛り上がり、笑い、叫び、躍り上がっています。
こういう盛り上がる場面は昔の桐山氏の本にもありました。
18年前の本では、白銀のバイブレーションとアルゴルモア大王の謎解きです。
しかし、せいぜいこの2つ程度なのに、この本ではこの技法を多用しています。
何とか読者を自分のペースに巻き込もうと必死の様子が見えます。
だが、おじいちゃんが一人でフィーバー(古い!)すればするほど、読者は白けます。
桐山氏ほどの、人をだます技法にたけた人の文章にしては、ずいぶん稚拙です。
なぜでしょうか。



895 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:13
>892さん
増谷文雄師の本より抜粋
    南伝 中部経典 一〇七 算数家目ノ連経
    北伝 中阿含経 一四四 算数目ノ連経
       より後半部分

「では、いかがであろうか。かように教え導かれた世尊の弟子たちは、みなよく涅槃を得るで
あろうか。それとも、得ないものもあるであろうか。」
「婆羅門よ、わたしの弟子の中にも、涅槃を得るものがあり、また得ないものがある。」
「では世尊よ、正しく涅槃は存し、涅槃にいたる道があり、世尊が導師としていますにもかか
わらず、いかなる理由によって、あるものは涅槃を得、あるものは得ないのであろうか。」
「婆羅門よ、それについて、いまわたしからなんじに問いたいことがある。婆羅門よ、なんじ
はラージャガハ (王舎城)にいたる道を知っているか。」
「世尊よ、私はよく知っている。」
「では婆羅門よ、これをどう考えるか。ここにひとりの人があり、ラージャガハに行こうとし
て、なんじのもとに来って、その道をたずねたとせよ。そのときなんじは、彼に語って言うで
あろう、『君よ、この道がラージャガハに通じている。これをしばらく行きたまえ。しばらく
行くと、かくかくの名の村がある。それをまたしばらく行きたまえ。しばらくすると、かくか
くの名の町がある。それをまたしばらく行きたまえ。するとやがて、ラージャガハの美しい園
や森や池が見えてくる』と。かように教えられて、あるものは安全にラージャガハに到るが、
あるものは道をまちがえ、あらぬ方に行くこともあろう。婆羅門よ、正しくラージャガハは存
し、ラージャガハにいたる道があり、なんじが導者としてあるのに、いかなる理由によって、
ある者は安全にラージャガハにいたり、ある者はあやまれる道を、あらぬ方に行くのであろう
か。」
「世尊よ、それをわたしがどうすることができようか。私は道を教えるだけである。」
「婆羅門よ、その通りである。涅槃は正しく存し、涅槃にいたる道があり、私は導師としてあ
り、しかも、わが弟子の中には、あるものは涅槃にいたることを得、またある者はいたること
を得ないが、それを、婆羅門よ、わたしがどうするということができようか。婆羅門よ、如来
はただ道を教えるのである。」

 おそらくは、その結びの言葉を、すこし冷たいと感ずる人もあるであろうと思う。だが、それ
を裏がえしてみると、そこには、ブッダの本領があかされている。ひいては、仏教そのものの本
質が、そこに見えているのである。
「わたしは、ただ、道を教える者」という、そのことばを裏がえしてみると、ブッダとは、けっ
して、全知全能の救済者ではないということである。あるいは、神と人との間をとりもつ仲保者
の役割を演ずる者でもないということである。したがって、信を表白して、この人を礼拝すれば、
それで所願が成就するというわけにはいかない。この人の本領は、あくまでも、みずから課題を
解決し、正道を実践して、それを人々に宣べ伝え、なんじらもまた、かく知見し、かく実践して、
涅槃と称するこの境地を実現せよと教えるところにある。その意味において、この人の本領は、
まさに導師、すなわち、智慧とその実践の先駆者であり、案内者である。
 したがって、結局するところ、その智慧と実践についての最後の責任は、この師にしたがう人
人に帰するのはかはない。眼を開いて存在の真相を見るのは、彼らじしんでなければならない。
心を励ましてその道を歩まねばならないのは、彼らじしんである。ブッダは、かつて、聖句を誦
する者を批判して、「他人の牛を数えるがごとし」といったことがある。自分じしんが智慧のま
なこを開かねば、何にもならないのである。われとわが身をもって実践しなければ、何の用にも
たたないのである。



896 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:14
つづきです

    南伝 小部経典 如是語経 九二

たとえ わたしの裳をとって
わたしの後に随い来ようとも、
もし彼
欲をいだき、いかりをいだき、邪まの思いをいだき、
怠りにふけり、知解するところがなかったならば、
彼はわたしから 遠く離れており、
わたしは彼から 遠く離れておるのである。
なにとならば
かの比丘は 法を見ないからであり、
法を見ない者は わたしを見ないからである。


たとえ わたしを遠く離れて
百里のかなたにいようとも、
もし彼
欲をいだかず、いかりをいだかず、邪まの思いをいだかず、
放逸をすてて、知解し、確立することを得たならば、
彼はわたしのそばにおり、
わたしは彼のそばにおるのである。
なにとならば
かの比丘は 法を見るからであり、
法を見る者は わたしを見るからである。



897 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:18
>829嬉しいんじゃなくて、仏教とキリスト教が一同に会した
>歴史的意義を考えないと行けないのです。

やっぱ、うれしいんだ・・・・
信者さんたちって、教祖が俗物なのがうれしいんだ。
教祖さんが大作さんみたいになったら、うれしいんだね。

歴史的意義じゃなくて、阿含宗の歴史的意義だろ?
メダルもらって、握手して、バチカンに権威付けしてもらって、
教祖さんに一番意義があるんだよな。
阿含宗村のローカルな話を、
人類の歴史みたいな話にすり替えないでよ。

仏教とキリスト教じゃなくて、阿含宗とカトリックだろ。
阿含宗が仏教の代表なんて、誰が認めた?
バチカンも言ってないよな。
ヲタクらが勝手に言ってるだけよ。

信者さんの書き込み読むと、こんなふーに、
言葉を適当にすり替えて、
話をどんどん大きくしていくよね。
自分で膨らませたのに、元々大きいと本人が信じてる。
それって、教祖さんがそうなの?


898 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:23
>886さん。
私はわりと、このようなことに、仏とか神々の寓意を感じるほうなのです。
どう言うわけか、現代日本のどの大きな書店でも販売されている書物に
「568、火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
という文章が残っていることが、嬉しいのです。これにたいする堂々めぐり
の果てしない議論はずっと続いていますので。ここではやめましょう。
これに対して、世間には二つの意見があるということです。



899 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:28
>880さん、
阿含嫌いの元信者さんに聞いてみてください。
阿含嫌いでも嘘はつかないでしょう。


900 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:32
>880さん、君主制とカーストは関係無いですよ。
日本だって君主制じゃないですか。
(ここは冗談です、わかってね、VCIA の話も面白いジョークだと
思いますよ。書いた方は半分以上信じているのでしょうが。)


901 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 22:36
>892
>では質問ですが、「釈迦に帰依する」とは
>どういう意味、あるいは行為を指して
>いるのでしょうか。

信仰をしている人でなくても、
礼拝と帰依という程度の言葉の区別がつきませんか。
826さんが混同して用いていることがまだ理解できませんか。
礼拝と帰依を混同して用いているから、それを指摘しただけです。

人に聞く前に、国語辞典を引いてみてはどうですか。
さらに、帰依のことを知りたかったら、
日本には中村博士など優れた仏教学者たちがいるのですから、
勉強してみてはどうですか。
勉強して、中村博士がどのように説明されていたか、
阿含宗の教えとどう違いか、信者さんたちに教えてください。


902 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:38
>884さん、バチカンの大聖堂で仏教徒400人が
仏教の修法を行ったことは、まあ、ありきたりの、普通の
出来事だったとして。火の洗礼についてはどうお読みにな
りますか。ルカ福音書はお持ちですか。


903 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/22(木) 22:41
2chをうろついていたら、こんなところに阿含宗に関する板があったとは。
う〜ん、私のようなへっぽこには難しすぎる。
でも、入会して10年以上も阿含宗を脱退しようなんて考えなかったのは、
何だか阿含宗のことが好きで、道場にいるととても落ち着くというのが、
大きな理由の一つなんです。
難しい教学のことは解らなくても、阿含宗にいたいからいるんだ
というとバカに思われるかもしれませんが、(あんまり頭は良くないけど)
それも大事な動機の一つだと思っています。
(レスでいじめないでね)


904 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/22(木) 22:41
もういっちょ、つづきです。
参考にしてください。

     南伝 相応部経典 三五、一五四、説法者
     漢訳  雑阿含経  一、二八、現法涅槃

 かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータピンディカ
(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘が、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。
「大徳よ、法を説く者、法を説く者と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなるを法を説く
者というのでありましょうか」
「もし比丘が、眼において厭い離れ、貪りを離れ、その滅尽のために法を説くならば、まさに、
法を説く比丘というべきである。また、もし比丘が、よく眼において厭い離れ、貪りを離れ、そ
の滅尽のために実成するならば、まさに法をよく実践する比丘というべきである。さらにまた、
もし比丘が、よく眼において厭い離れ、貪りを離れ、よく滅し尽して、もはや執取するところな
くして解脱するならば、彼は、その現生において涅槃に到達したる比丘というべきである。
 また、もし比丘が、耳において……。鼻において……。舌において……。身において……
 あるいは、また、もし比丘が、意において厭い離れ、貪りを離れ、その滅尽のために法を説く
ならば、まさに、法を説く比丘というぺきである。また、もし比丘が、よく意において厭い離れ、
貪りを離れ、その滅尽のために実践するならば、まさに法をよく実践する比丘というべきである。
さらにまた、もし比丘が、よく意において厭い離れ、その貪りを離れ、よく滅し尽して、もはや
執取するところなくして解脱するならば、彼は、その現生において涅槃に到達したる比丘と称せ
らるるに足るのである」



905 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:46
>886さん、
護摩、火の祭祀を禁止したわけではないと思います。
祭祀にかかわる雑事を抑制したのだと思っています。
なるべく手を煩わせず、在家にやってもらいなさいと
いうことですね。偈のどくじゅは僧侶が行ったと思っ
ています。
仏陀の祭礼と同じような光景だったと思っています。



906 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 22:56
>887さん、
これも出家はなるべく雑事にかかわるなということですね。
それと生活のための稼ぎをするな。
桐山管長は、出家、在家、どちらの指導もせねばなりません。
やって見せるというのが、指導の第一歩ですから。
べつにお金稼ぎでやっているわけじゃあないでしょう。
また、世界から認められた大あじゃりなのだから良いではあり
ませんか。世界中の宗教指導者から、桐山先生がとんでもない
ことをしていると言う声などでていないのです。それよりも大
賞賛ばかりなのです。非難しているのは金銭的不利益をこうむ
る日本の宗教界ばかりでしょう。
在家の、われわれ未熟者が口を出すことではありません。
905仏陀の祭礼は、葬礼のまちがいでした。


907 名前: 某阿含宗信者 投稿日: 2000/06/22(木) 23:03
>888さん、
私はわりと深い科学知識があるのです。
それでも桐山著書は参考になります。
学者にとっても指導の書ですね。
研究より研究のテーマ探しのほうが難し
いのです。最高の「種本」です。


908 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:04
1985年のバチカン訪問に参加した信者の方は、
これまで書き込まれた阿含宗側見解にすべて賛成なのですか。
とすれば、あきれます。

阿含宗は世界青年年にバチカンに招待された。
法王を交えた青年たちの集いの後、参加者は
各教会に分かれて、平和の祈りのためのミサをした。

他の教会では、神父さんがミサをすれば、
そこにいるのはキリスト教徒だから、普通にミサが行われる。
しかし、阿含宗は神父さんのミサに合わせることができない。
「どうぞ、あなた方のやり方でいいから、共に平和を祈りましょう」
と神父さんが言った。
そこで、神父さんはミサを、阿含宗側は勤行を同時にした。
バチカンでは異教徒が来た時にはよくやるやり方です。

872さんが書いているように、バチカンは数代前の教皇から、
他宗教に対する寛容政策をとってきました。
阿含宗が招待されたのはその一環にすぎない。
阿含宗だけ特別扱いされたのではありません。
招待状もメダルも握手も誉め言葉も、
バチカンの客への儀礼にすぎない。

「教会で、各々のやり方で、共に平和の祈りをした」
と、これを普通の人なら表現するでしょう。
平和の祈りのつもりが、桐山さんの手にかかると、
バチカンが公式に準備して、認めた合同法要になり、
ついには宗教史始まって以来の大事件になりました。
信者は参加者すらも鵜呑みにしているのは見てのとおり。

仏教、キリスト教の公式の合同法要という重大事件なのに、
以来15年、一度でもバチカンはこれを認めましたか。
1990年に行ったとき、阿含宗だけ特別扱いしてもらいましたか。

桐山さんはバチカンの異教徒への寛容政策をうまく利用した。
バチカンは、客に対する儀礼を、桐山さんが
まさかあのように利用するとは思わなかったのでしょう。


909 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:08
解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。

― 中略 ― 【間10行】      

わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

                  p176から178

場面は変わって・・・

その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

                   p266

またも場面は変わって・・・

忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
   
             【間8行】

仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・

          【間12行】

その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。  【間半行】

私は絶息、絶心していたかもしれぬ。・・・

                    【間4行】

・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

                 p284から286

また、場面は変わって・・・

わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。  
                                    
                      p288

ヌマエビさんの言われる

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心は、
これだけの範囲の文章から抜粋したものです。

その意図するところのものはご本人しか
分からないものなのでしょうね。

なぜでしょうか。



910 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:12
>解くと同時に、愕然とした。次いで、唖然とした。

― 中略 ― 【間10行】      

>わたくしは憮然とした。「おれが恐怖の大王か」大声で私は笑い出してしまった。

                  p176から178

場面は変わって・・・

>その瞬間である。ビカリと頭にひらめいたものがあった。そうか!そうだったの
か!一瞬、おどりあがりたい気持ちだった。

                   p266

またも場面は変わって・・・

>忘我の瞬間。何もかも忘れて、無心になる。その刹那、「あ!」それは来た。・・・
   
             【間8行】

>仏像?と瞬間、思った。「ちがう!」とわたくしは思わず叫びそうになった。・・・

          【間12行】

>その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。  【間半行】

>私は絶息、絶心していたかもしれぬ。・・・

                    【間4行】

>・・・わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。「なぜ?なぜ?なぜ?」と。

                 p284から286

また、場面は変わって・・・

>わたくしの頭は、急速に回転した。「そうだ!復活祭だ」私は思わず、大きな声で
叫んでいた。躍り上がって、叫んでいた。  
                                    
                      p288

ヌマエビさんの言われる

愕然、唖然、憮然、瞬間、一瞬、忘我、刹那、戦慄、沸騰点、絶息、絶心は、
これだけの範囲の文章から抜粋したものです。

その意図するところのものはご本人しか
分からないものなのでしょうね。

なぜでしょうか。



911 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/22(木) 23:36
901さんご自身の「釈迦をただ拝むことは帰依することとは違います。」
についてお聞きしたかったんですが。

学者の受け売りでなくして。

言えないのであればいいです。




912 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/22(木) 23:56
>893
これは、なにも知らない人の発言ですね。
私など、ここに書けば信用していただけないようなすばらしいこと
ばかり経験しています。
法力とか奇跡というのは無いところには無いので信じられないので
しょうが、有るところには有るのです。
そんなことありえないという先入観にとらわれているのです。



913 名前: 阿含宗徒 投稿日: 2000/06/23(金) 00:16
>897さん。
人間はみんな、嬉しいことや悲しいことがあるのです。どんなことで
どうして嬉しいかで、その人の値打ちがわかりますよね。
桐山先生は今世紀最大の思想家であり宗教家であると思っていました。
この小さなアーク(弧、日本列島のこと)に閉じ込められた思想家が
次々に、世界の巨星に認められていったことは私の大きな喜びでした。
このような喜びは気高いものだと思いますが。

ところで、あなたはどんなことが嬉しいのですか、あるいは、嬉しかっ
たですか。


914 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:39
>901さん、礼拝と帰依の言葉の違いですね。
えーと帰依は良いが、礼拝は悪いというお説ですね。

仏陀がいます、その教えた法があります。仏陀の教えを学びたいと思ったものは、
仏陀にご挨拶します。参礼ですね。(これも教義の礼拝です)
そして指し示された道を学びます。考え理解します。そして納得すれば帰依する
ことになります。(納得しないものは去ります。)
帰依したものは、感謝と尊敬の礼拝をします。
仏陀が亡くなられた後は、帰依しているものは、残された法に対する感謝と尊敬
と、また、法を学びつづけますという決意を込めて礼拝するのです。

仏陀を礼拝しても、法を学び実践しなければどうにもならないよ、といったごく
当たり前のことが、礼拝の禁止などと曲解されるのですね。

またキリストに帰依してもいいが礼拝はだめなんて言わないですものね。
両者はきっても切れない間柄です。


915 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 00:39
>903

>入会して10年以上も阿含宗を脱退しようなんて考えなかったのは、
>何だか阿含宗のことが好きで、道場にいるととても落ち着くというのが、
>大きな理由の一つなんです。
>難しい教学のことは解らなくても、阿含宗にいたいからいるんだ
>というとバカに思われるかもしれませんが、(あんまり頭は良くないけど)
>それも大事な動機の一つだと思っています。
>(レスでいじめないでね)

それって、オウムにいたいからオウムにいるんだ、
と言っているのと同じだと思いますが。
自分の所属している団体のことをきちんと把握することは
大切なことですよね。
単に好きか嫌いかという感情的な部分は少し押さえて、
所属している教団を客観視することも重要なことです。
加えて、教団内部からの話だけを鵜呑みにするのではなく、
世間的に見てどうかということを常に念頭に置くことも必要です。
多角的な視野を持って判断して下さい。
たとえば、スレッド内で活発にされている教団批判においてさえも、
その批判を会員が受け入れたくない気持ちもわかるけど、
内容を吟味する努力はされるべきだと思います。
少なくとも頭から、「世間の(もしくはスレッド内の投稿者の)
教団批判はデッチ上げだ」などとはくれぐれもおっしゃらぬよう。
それをした途端、オウム信者とおんなじレベルになってしまいますから。



916 名前: 現役信徒B 投稿日: 2000/06/23(金) 00:46
>903
現役信徒Aさん、こんばんは。
やはり日々の勤行と、地道な実践が一番大事ですよね。
教学は勤行式の、和賛と二つの阿含経ですべて、に近
いと思います。
私は、屁理屈の因縁が切れないので困っています。
Aさんには、ぜひ、すばらしい実体験を語っていただ
きたいと思っております。(できればですが)


917 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:49
>904 16年目の現役信徒さん、ありがとうございました。


918 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 00:57
>908さん、パームサンデーで30万人カトリック信徒の
目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
った。とのことでした。
阿含宗信徒一同の後列の各国大使席の方々の、驚いたと言う
より驚愕されているお写真はとても普通の出来事を目撃して
いるようには見えませんでしたが。
それはさておいて、例の件はいかがですか。



919 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 01:06
>894 ヌマエビさん。
あなたには本を読む力も、まとめる力もないようですよ。
初心に戻って、日々の勤行をしなさい。
そして自分の支離滅裂な考えは捨てて、一から少しずつ
先達に教えてもらいなさい。
それしか助かる道はないでしょう。


920 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 01:14
>915さん、
好きか嫌いかはとても大事です。心の清らかかな方は
きれいなところが好きです。人との付き合いでも同類が
親しく付き合います。
あなたはいろいろいろいろ言っているが、実は、阿含宗
が嫌いなだけなのです。
清潔な広い道場や総本殿で、いいなあ、すがすがしいなあ
と思うのはとてもすばらしいことです。


921 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/23(金) 02:38
>915
ごもっともです。おバカな私なりに考えてはいるのですが、
自分と違う考え方を、特に信仰という心のよりどころの部分に関することを、
何の色眼鏡もなしに見るって難しい事ですね。
何と言いますか、どんなに科学が宇宙のことを明らかにしても
やはり地上からは太陽や月が地球を中心にまわっているように見えますものね。
オウムにいて逮捕された人たちの中にも、本当は心優しく真面目な若者も
たくさんいるんでしょうね。教団から一方的に洗脳されてしまうまでに、
私に頂いたような忠告を受けることができたら..と考えてしまいます。
ありがとうございます。

>現役信徒Bさん
いやぁ、私からすれば難しい教学がスラスラ言えたり、高度な解釈ができる人って
スゴイなと思います。
私はいつも、「当たって砕けろ...でも本当に砕けちゃったぞ」の
ノリなもので、私の実体験は漫才か落語みたいなものです。
日々の勤行と地道な実践、大いに反省です。


922 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 04:02
>法力とか奇跡というのは無いところには無いので信じられないので
>しょうが、有るところには有るのです。

その法力やら奇跡というのが、仮に本当にあったとしても
宗教とはなんの関係もないくだらないことだと気がつかないのが無明です。


923 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:25
無明を終点とする十結煩悩をひとつひとつ断ち切り、
彼岸にいたる方法が「成仏法」です。

その修行課程の途上で法力や奇跡の発現はあるかもしれませんが、
それを目標にしているわけではない。

そういうひとは辞めるしかないでしょう。あるいは
最初からご縁が無いか。


924 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:36
ヌマエビさん、あんな引用の仕方は汚いよ。

あれだとわずか1ペ―ジくらいの範囲でああいう表現が
為されたような誤解を不特定多数の人々に与えてしまう。

何故、そこまでしなければならないのか、
理由がわかりません。


925 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 06:52
なんだかんだ言っても、桐山師がキリ山師であることは
これまでのドタバタ劇で一目瞭然。


926 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:39
>パームサンデーで30万人カトリック信徒の
>目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
>をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
>った。とのことでした。
>阿含宗信徒一同の後列の各国大使席の方々の、驚いたと言う
>より驚愕されているお写真はとても普通の出来事を目撃して
>いるようには見えませんでしたが。

単に、桐山の前宣伝が効きすぎていたんじゃない?
西部の田舎ものがニューヨークへいって目を丸くしているのとかわんないでしょ。




927 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:46
「わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方よ。
 わたくしを諸々の疑惑から解き放ち給え。」
(スッタニパータ 1063)
「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。
 ただ、そなたが最上の真理を知るならば、
 それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」
(スッタニパータ 1064)

釈迦は自身に対する依存を拒否していました。
帰依する対象は人間釈迦ではなく、ダルマつまり「最上の真理」であるべきです。
礼拝については釈迦自身が望んでいませんでした。

信仰の否定は当然です。もし違うという方がいたら
釈迦は一体何を「信仰」していたというのか教えて欲しいものです。





928 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 07:49
もしも護摩が最上だというのなら
何故釈迦ご自身はなさらなかったのでしょうか。
成道後、一度たりとも護摩を焚いた事はなかったはずです。




929 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 09:40
>922 さんおはようございます。

本当に奇跡と宗教は関係ないのでしょうか。
キリスト教では、列福、列聖(セイントと認めること)
の調査に奇跡を非常に重要視します。
マザーテレサは聖人に、ありのまちのマリアは??に
なるための調査を受けているとききました。
(列福されたひとのことをなんというのでしょうか。)
阿含宗でも多くの奇跡が起きていますが、目に見えない
仏様の力を、目で見えるようにしていただけるわけで
うれしいものです。


930 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 09:47
釈尊ご在世当時のごく初期、それも伝道されてから
まもなくの時期は「法宝」の概念はあったが、
「三宝」は無かった・・・                      

>帰依する対象は人間釈迦ではなく、ダルマつまり
「最上の真理」であるべきです。

釈尊の説かれたダルマの有効性を確認した
人たちが「仏は宝だ」「サンガは宝だ」と
言い出したのでしょう。

そのひとにお会いしただけで
良い宿縁を持ったものはその場において
解脱してしまう、そういうお方を
信仰するのはむしろ自然だと考えます。

>礼拝については釈迦自身が望んでいませんでした。

当然じゃないですか。

わたしが或るラマに質問するにあたって
礼拝したら拒否されました。本人がそれを
望むわけ無いでしょう。

やっぱり学者の受け売りですね。



931 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 09:53
>列福されたひとのことをなんというのでしょうか。

福者のことでしょう。


932 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:05
>924
憶測ですが、ヌマエビさんは、もっとほかのことで
悩んでいるのだと思う。
阿含宗に入って、華々しく活躍したかったのにできなかった。
かわいい女の子がいたが振り向いてくれなかった。
管長げいかと、さしで話がしたかったのに話ができなかった。
会員がすこしよそよそしい。
これだけ、誤った概念を頭に詰め込んでいたら、げいかも
さしでは話をしてくれないでしょう。一年かかりますものね。
友達にもいやがられるでしょう。
やはり、地道に勤行すべきです。それと身近にいる人に謙虚
に教えを聞くべきです。

反論を期待します。



933 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:12
>926さん
各国大使公使の方々は田舎者じゃないですよ。
みんな国際人ですから。


934 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 10:19
>927さん、
お釈迦さんを拝んで、頭をなででもらっても何にもならないよとの
意味です。「それよりも私の教えたことをまなびなさい。」
教えを忘れている人への言葉です。

後世の人の、本尊とする、帰依する、礼拝する、と言う意味は、
釈迦を尊敬し、感謝し、法を学ぶと言う決心を表明するものです。
仏陀に対する真摯な気持ちをあらわすのです。

釈迦の信仰とは、真理に対する真摯な気持ちです。




935 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 10:53
>907
>研究より研究のテーマ探しのほうが難しいのです。

なるほど、卓見です。


936 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:03
>928さん、
おはようございます。私は思うのですが(受け売りかもしれませんが)
釈尊当時の様子がちゃんと伝わっていないような気がするのです。

たとえばあなたが平成の歴史を後世の人に残すとしたら、変わった事、
面白いこと、画期的なことを中心に書いてしまうと思うのです。
ごく普通のことは書き落とすと思うのですね。

仏陀最後の旅の仏陀の盛大な葬礼の様子、当然、僧侶も参加しています。
そのようなものが当時の仏教の常態だったと思っています。

釈迦のうちたてたサンガの生活のみが伝わって、庶民の楽しい祭祀を
中心とした仏教が伝わっていないのではないかと思っています。

ですから、今の阿含宗のやっているようなことが当時の仏教に一番近
いのではないかと思っています。


937 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:22
丁寧なレスありがとうございます。
でも「書き落とす思う」と「伝わっていないのではないかと思っています」
という根拠で
「今の阿含宗のやっているようなことが当時の仏教に一番近いのではないかと思っています」
と結論付けるのは飛躍ではないでしょうか。




938 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:25
>釈迦の信仰とは、真理に対する真摯な気持ちです

信仰とは何かを仰ぎ「信ずる」事です。
釈迦はご自身が体得したものを何故「信じ」なければならないのでしょうか。
信じているうちは絶対に悟りには至れません。
否、悟ったときには何かを信じる必要がなくなるのでしょう。
何故ならダルマと一体になるのですから。



939 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:31
>後世の人の、本尊とする、帰依する、礼拝する、と言う意味は、
>釈迦を尊敬し、感謝し、法を学ぶと言う決心を表明するものです。
>仏陀に対する真摯な気持ちをあらわすのです

私もそう思います。
ただ、そこに御利益信仰が絡んでしまいますと、釈迦の本心から離れます。
仏舎利に対して、釈迦像に対して、病気平癒とか何かを祈願することを
釈迦は望んでいたのでしょうか。
釈迦の教えとは現世利益の教えだったのでしょうか。
阿含経には他のもの(仏像や仏舎利など)に依存し救済を得ようという考え方はなかったはずです。




940 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:37
>922さん、こんにちは。
私も奇跡と言うものは10回以上経験しました。
励みだけでなく、苦しいものには本当に救いになります。
ただ、いつも、必ずと言うわけではないのです。
小奇跡はいつも必ずと言っていいと思うのですが、大きな
奇跡は時折思いがけずという気がします。
大奇跡を願って入信した人はそこに不満を感じるかもしれませんね。


941 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:49
>922さん、言葉尻のことですが、無明と言うのは
もう少し大きな概念ですから。
人間界に生息して涅槃を得ていないものは、みんな無明に
覆われています。
もちろん、このような意味で使われたのではないことは
分かっていますが。


942 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:52
>913さん、アークは(ノアの)箱舟のことでは
ないかと思うのですが。これはネタです。


943 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 11:57
>915さん、オウムの集まりなんかをひとめ見て、あるい書物を
数行読んで、あ、嫌。不潔。絶対に嫌、という直感的な好き嫌いも
大事ですよね。



944 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:08
>922さん、補足ですが、無明と言うのは
十結煩悩の最後のものです。
下位の三つは、身見、疑惑、戒取。すなわち
自分の意見にとらわれ、仏陀の見解に惑い、
仏陀が教えたもの以外の戒や規則にとらわれている。
三つが切れればシュダオン?でしたっけ。
仏陀の法を学ぶのは、別に阿含宗でなくても
よいのですが、こんなことをちゃんと教えてく
れるのは阿含宗だけでしょう。
教えだけ剽窃して、逃げると言う手もありますが。


945 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:45
>930さん、今日は。
三宝への帰依は、仏教の共通語となっていますのであまり複雑に
考えなくても良いと思っています。
帰依と礼拝もセットで考えても良いと思っています。
帰依なくして礼拝もないし、礼拝なくして帰依もないでしょう。
仏陀を礼拝するかどうかの問題は、仏陀のご在世の頃と、滅後に
分けて考えなければならないと思います。
仏陀にお会いし、右回りの?礼をして、お話を聞く。仏陀のサン
ガを守る。それの同等のこととして、仏陀滅後には三宝への帰依
があるのでしょう。
入滅前から仏陀はご自分の葬礼についての指示を出されています。
仏舎利の礼拝も予見されています。仏陀最後の旅。
仏舎利供養、すなわち仏の礼拝は仏滅直後から始まっています。
サンガを宝としたのはかなりたってからではないでしょうか。
仏滅直後は二宝だったと思います。

ラマの礼拝拒否はなんだったのでしょうか。普通、五体投地するのでは
ないでしょうか。日本人だったからか。まだ、弟子ではないよと言う意味
だったのか。しかし、すばらしい体験をされたのですね。尊敬。




946 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 12:49
>931さんありがとうございました。
福者ですね。ありのまちのマリアさんが列福されるといいですね。
英語ではなんて言うのでしょうか。セイントは聖人ですね。Vから
始まっていたような気がするのですが、広辞苑にも和英中辞典に
も載っていません。


947 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:14
>937さん、
コメントありがとうございました。確かに飛躍かもしれませんが、
これだけエネルギーに満ちた人間と言う種族が、釈迦の時代のみ
しーんとして暮らしていたとは思えないのです。出家者への占い
の禁止、医療行為の禁止なんかも実は盛んだったから禁止規定が
できたのだと思います。
釈迦の時代も、日本人が考えているよりももっともっと賑やかな
時代だったと思っています。
南方のテーラバーダ社会が、月夜の晩には祭礼を行って賑やかな
のと一緒ですね。
庶民は娯楽なしには生きていけないと思っています。


948 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:32
>938
さん、仏陀釈尊ご自身の信仰に付いては、普通人が
考察するには難しいものがあります。(以下は憶測です)

仏陀は、涅槃への道、をその修行で見つけられました。
その真理への真摯な気持ち、求道心を仏陀の信仰であると
思っています。また、その道が正しいと宣言されたわけです。
「天上天下唯我独尊」ですね。その法に対する確信が信仰
かもしれません。

スッタニパータには仏陀の信仰は種子、苦行は雨と言う言葉が
でてきます。この信仰も苦行も誤解されやすい言葉なのです。
浅い理解で、苦行は否定されたと言う人もいるでしょう。

修行者に関しては簡単です。仏陀はご自分の教えることだけが
正しいとおっしゃっている。「天上天下唯我独尊」と言っておら
れるのです。興味があるならば、耳を傾け、学び、研究し、理解し
、もし信じられるならば信じれば良いのです。信じる。そしてそ
の道を歩むには、困難が伴いますから、仏陀の指導を仰ぐのです。

後半のコメントに関しましては、お話が混乱しています。
法を筏にたとえてください。(良くある話ですね)
暴流(ぼうる)を渡るには、筏が必要です。渡ってしまったら
筏はいりません。筏を信じないと身を託すわけには行きません。
筏と我は一体にはなりません。筏は道具です。


949 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:41
>939さん、
仏陀の法を修するものには、二つの福が与えられるのです。
世間福と、出世間福です。究極の修行者は、この世とあの世を
ともに捨てますが(スッタニパータ)なみの修行者はこの世は
捨ててもあの世は捨てられません。一般人はこの世が捨てられ
ません。そのような在家の信者には、福徳円満な長者になる道
があるのです。この道は、遠いですが、涅槃に向かう道でもあ
るのです。在家のものは世間福を望むのです。阿含経より。
仏像や仏舎利はお釈迦様の時代にはなかったのです。生きておられ
ましたから。お釈迦様のかわりですね。仏舎利にはお釈迦様の意思で
お釈迦様のスピリットが宿っていると思っています。


950 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 13:52
「天上天下唯我独尊」
について。誤解されると行けませんので、
書きますが、仏陀が本当にこう叫んだと
思っているわけではないのです。
ただ、仏教の本質を一言で語っていると
思いましたので使いました。
経典にある「仏陀は獅子吼された」と言うのが
これにあたるでしょうか。



951 名前: ヌマエビくんは怪しい 投稿日: 2000/06/23(金) 15:44
ヌマエビくんは怪しい。
元阿含宗とかは嘘。
一緒に登場したボウロ話くんも怪しい。
同一人物だろう。
ボウロと書いていればお前の
書き込みだぞ。
学会板調べてみよう。


952 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 15:48
ヌマエビ=口下手


953 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 16:04
世界宗教者平和会議は立正佼成会の提案から始まったと聞いています。
バチカンの厚遇もその意味では当然でしょう。

第二バチカン公会議以降の他宗教に対する対話路線についても
存じ上げていますよ。そういった現代世界にアジャストした
姿勢を示しているのは、先般ロ―マ法王自ら教会の過去の罪を
懺悔するミサをなさったのをみても、よくわかります。

1984年の阿含宗のバチカン訪問の意義について

「平和のために、また、人類の発展のために協力できるならば、
それはカトリック信者にとっても、また、他の宗教の
信者の方にとっても、おそらく一番大切なことだったろうと
思います。

その意味では、このたびのロ―マ法王と管長との謁見は
深い意義があって、そして、これからただ一回だけのものに
終わるのでわなく、具体的な計画、プロジェクトのためにも
このような計画があるならば本当にありがたいと思います。」

ただ単にバチカンへ行った、関係者に会った、それをもって
どうこう言うので無くして、異なる宗教同士でどうやって
協力関係を築いていくか、どんな仕事をするか、が
重要で、それを模索しているのですよ。





954 名前: 953 投稿日: 2000/06/23(金) 16:10
バチカン関係者のコメントはピタウ神父でした。



955 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:07
>898
>これに対して、世間には二つの意見があるということです。

あなたの書いた表現では、釈迦が阿含経の中で、火の祭典をたたえた、
したがって、阿含宗の護摩は正当化されるととれる内容でした。
二つの意見があるのではなく、結論が出たのです。
あの経典は、釈迦が火の祭祀をたたえたものではない、ということです。
火の祭祀を釈迦がたたえたり、教団内で行うことを認めた
などということはありえません。


956 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:08
>905
>護摩、火の祭祀を禁止したわけではないと思います。

根拠を示せなくても、どこまでも主張するわけですね。
桐山さんもそういうやり方を認めているのですか。
護摩をどうして焚くのか、という質問には答えていません。

桐山さんが、なぜ、護摩を焚くのかということを
説明していますよね。
どうしてその説明を書かないのですか。
重要な質問なのですから、
阿含宗の公式見解を紹介してみてはどうですか。


957 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:10
>906
>これも出家はなるべく雑事にかかわるなということですね。

釈迦が禁止した占いを阿含宗がやる理由がこれですか。
信者以外は誰もこんな答では納得しませんよ。
護摩同様に、桐山さんが、なぜ阿含宗で占いをするのか、
答えていますよ。
焦点をぼかしたような私見を毎回羅列するよりも、
その公式見解を書いてはどうですか。


958 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:12
>906
>また、世界から認められた大あじゃりなのだから良いではあり
>ませんか。

世界から認められたという「世界」とは、
「世界中の宗教指導者」とは、
だれのことを指しているのですか。
桐山さんがお金を直接、間接に出していない組織や人物で、
だれが桐山さんを賞賛しましたか。


959 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 18:14
>907
>私はわりと深い科学知識があるのです。

今の時代に、桐山さんのあの本から得られる
研究テーマって何でしょうね。

テーマ探しと、「科学としての仏教」とは違いますよ。
テーマが探せるのなら、科学としての恋愛小説、
科学としての漫才、科学としての遊び、というのですか。
何でも科学になってしまう。

テーマ探しというあなたの個人的な事を、
あたかも桐山さんの本が、
科学的であるかのように言い換えるのは、
いかがなものか。


960 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:17
>955 さん、今日は。まだまだ仕事中です。

あの文章は、釈迦の言葉ではありません。
釈迦の説法をきいて歓喜した結髪の行者??が釈迦の
法をたたえて唱えた偈です。
釈迦はそれを喜びのうちに受領したのですね。
釈迦が認めていなければこの言葉が後世までは残りませ
んから。

従来より火の祭典は邪法のように言われていましたが
スッタニパータの仏陀が快くこの偈を受領されているのです。
邪法ではないと言うことですね。
阿含宗のみならず、真言宗、チベット仏教にも当てはまることです。


961 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:21
>956さん。
なぜ護摩を焚くのかと言うことは、阿含宗、真言宗、
チベット仏教にも共通する問題ですね。
私は色々考えて、納得しています。

なぜ、焚いてはならないと主張されるのかも、わからない
ですね。チベット密教や、真言宗はよくて、阿含宗だけが
非難されるのも分かりません。
その方は、阿含宗がお嫌いなのでしょう。


962 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 19:23
バチカンと阿含宗-874です。

一日見なかったらすごいレスの数!おいてかれた。
>876さん 877さん 皆さん、こんばんわ
昨日、信者の人たちは阿含宗がバチカン及びローマ法王と特に親しい、
阿含宗だけが認められていると思っているのでは?と書きました。
ご自分で考えてもらおうと思ってなるべく控えめに事実を書いたつもり
でしたが、その方法は間違っていたことがわかったので
阿含宗信者流の表現ではっきり書きます。

  >この話と、表敬訪問は別
他の方はともかく、庭野日敬さんも表敬訪問のレベルにするんですか?
(庭野さんを例としてピックアップしたのは前にも行った通り肩書き、メダル
などの権威好きの桐山さんとの比較対照例として最適という理由のみです。
立正佼成会に関する御意見はよそへ、バチカンについてもクールに見ています。)

意識的に無視しているようなので庭野さんの経歴の一部を注釈つきでもう一度。

  > 1965年 庭野開祖、第二バチカン公会議に出席
バチカン100年の方針を決定する会議に「仏教徒として初めて招待」されました。
35年前からのおつきあいがあるということです。
  >1986年 庭野日鑛会長(当時/次代会長)、ローマ教皇庁立サレジオ大学
        より名誉哲学博士号を受ける
北京大学博士号以下ですか。日敬さんの方は1979年には宗教界のノーベル賞と
いわれる「テンプルトン賞」をアジアの仏教徒として初めて受賞(マザー・テレサ
も受賞)
  >1992年 庭野開祖、ローマ教皇庁から「大聖グレゴリウス勲章」を受賞
どんな意味のある勲章かは知りませんが金メダル以上に思えますが。
  > 1994年 「ヨハネ・パウロ2世と共に」バチカンでの
        第6回世界宗教者平和会議(WCRP)」に出席
WCRPについては古い信者の方から、まつわる話を聞いてください。

以上の事実においてバチカン・ローマ法王と阿含宗・桐山さんとの関係は
立正佼成会・庭野さん以下です。(もう、だれか言っちゃったけどね)
ローマ法王とおなじ道を歩んでいるのなら〈愛のために知恵を・・・〉
バチカンと関係の深い立正佼成会とも仲良くなったんでしょうね。
他宗のことは知らないといわないでね。
表敬訪問と決めつけたのはそちらですからね。

   876、877
  >皇太子殿下(今の天皇)が表敬訪問された時は銀のメダルであった。
  >阿含宗桐山管長は金銀銅のメダルをセットでいただいている
  >桐山師はどこの国に行っても国賓なのです。
  >皇太子殿下以上の扱いを受けるわけですね。
阿含宗ではそんなふうに教えているんですか!あの頃はそこまでいってません
でしたが。阿含宗 大丈夫か!

質問、桐山さんはなぜ招待状とメダルの写真を自分の本に載せないんでしょう?
国連平和賞や警察長協会栄誉賞のたてやメダルは載せるのに。(載せている本
があったら謝ります、教えてください。)みんなの質問にもちゃんと答えてね。

ミサや招待状の件も話があるんですが、他の方が色々、書いているんで今回はパス。
またそのうち・・・・。ヌマエビさんファイト!


963 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:29
>957さんこんにちは。
>釈迦が禁止した占いを阿含宗がやる理由がこれですか。
>信者以外は誰もこんな答では納得しませんよ。
>護摩同様に、桐山さんが、なぜ阿含宗で占いをするのか、
>答えていますよ。
>焦点をぼかしたような私見を毎回羅列するよりも、
>その公式見解を書いてはどうですか。

この前、私は教学が嫌いだといいましたが、謙遜とかではなく
事実なのです。本をはじめから読んだりとかはだめ、公文書な
どは嫌い、教学勉強会とかテストなど、とんでもない。
仏教サーファーなのです。あちこちと気の向くままに勉強して
います。基本的には阿含宗の勤行式の和賛で十分だと思ってい
ます。

公式見解に付いては、全く知りませんでしたので、ぜひお書き
込みください。お願いいたします。



964 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:35
>958
いくらお金を出しても、法位は買えないでしょう。
買ったと言えば、売ったということにもなりますから
両方の団体の信用がなくなります。
全部買ったのだろうと言う方は、桐山管長の履歴のひとつ
ひとつについて、複式の評価をされる必要があるでしょう。


965 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 19:56
>962さん、こんにちは。
庭野日敬さん、とか、については全く知識がないのです。
想像では、日本の人の道のようなものに法華経信仰かなにかを混ぜて、
やっているのかかなと思っています。ご本尊は何なのでしょうか。
昔は仏教とは言っていなかったのではないでしょうか。仏教と言い出
したのであれば阿含宗の影響でしょう。
ローマのことについてはミサがすべて。30万人カトリック教徒の
最前列で400人の阿含宗とが、ローマ法王と一緒に祈りをささげた
のです。カトリックの人々は神に祈りをささげ、阿含宗とは仏陀に
祈りをささげたのです。これを合同ミサと言うのです。(私見)

庭野日敬さんはなにか法位をお持ちなのでしょうか。リーダに
法位がなければ仏教教団ではないですよ。

メダルに関してはこの目で見ました。バチカンでお確かめください。



966 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:18
護摩法は釈尊の「火界定」の名残りだと考えています。

「ウルべ―ラ―の神変」を、参照の事。

とても倫理道徳だけを説いた方とは思えませんが。


967 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:20
>962さん。
立正佼成会については、全く知らないのですが
悪い印象は持っていません。インナートリップですよね。
もしよろしければ、かいつまんで、教義などを教えてください。



968 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:25
>966さん、
阿含宗の方ですか?
「ウルべ―ラ―の神変」って何に載っているのでしょうか。
教えてください。967の名無しさんです。


969 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 20:40
「ウルべ―ラ―の神変」は「ゴ―タマ・ブッダ」(春秋社)に
載っています。

国訳一切経にもあると思いますが,よう読み切れません(苦笑)

わたしも会員ですよ、末端のね。


970 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 21:55
>918
>パームサンデーで30万人カトリック信徒の
>目の前で、法王が桐山管長げいかおよび阿含宗徒とのみ握手
>をされ、言葉を交わされたということはごく普通のことであ
>った。とのことでした。

918さんはバチカンに参加したのですか。
青年年の集いと、パームサンデーをいっしょにしている
ところを見ると、そうではないのでしょう。
「目の前で・・・とであった。とのことでした。」
とは誰が書き込んだ内容を指しているのですか。
908にはパームサンデーのことなんか一行もない。

パームサンデーで法王と桐山さんが握手したのは事実です。
だが、他の阿含宗徒とは握手などしていない。
あなたの書いていることは誤解をこえたウソです。

異教徒が一人派手に目立つ格好で座っていれば、
握手して声をかけるのはバチカンでは珍しくないのです。
それを大げさに
「周囲が驚愕されている」とはおめでたい解釈だ。
桐山さんの後ろの女性も法王と握手したように、
皆さん、あこがれの法王が近づいてきて、
あわよくば握手の一つもできるかと、期待の顔をしているだけです。
目線は皆さん法王を向いている。
桐山さんなんか誰も見ていません。

>それはさておいて、例の件はいかがですか。

「例の件」とは908の何を指しているのですか。
誰か他の人の書き込みを誤解しているのではありませんか。
信者さんたちは、批判を書き込む人の性別、性格、抑圧や
異性性関係まで透視できるようですね。
何回もそのような書き込みがあるが、
中には自分のことを書いてるようなものまである。
思いこみもここまでくると、おごり、傲慢というのです。
桐山さんも、すべてお見通し、みたいなことをよくいいますね。
まねをしないことです。
知能よりも人格を疑われますよ。


971 名前: 一阿含信徒 投稿日: 2000/06/23(金) 22:31
>959さん、
桐山管長の著作における、科学がらみの内容は
人の目を驚かすためのものではなく、先生が
人間考察するために必然的に出てきたものです。
普通、門外漢が書くとおかしな記述になります
が桐山管長の著書にはそのようなことが無く、
専門家でも感心させられてしまう内容です。

それに仏教書に科学的記述を取り入れて悪いと
言う規則もないでしょう。


972 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:10
>最前列で400人の阿含宗とが、ローマ法王と一緒に祈りをささげた
>のです。カトリックの人々は神に祈りをささげ、阿含宗とは仏陀に
>祈りをささげたのです。これを合同ミサと言うのです。

合同ミサとは言わないよ〜。
ただ同席したというだけじゃない。
法王と桐山が並んで双方のやり方で同時にやったわけではないし、
桐山の読経や真言がスピーカーから流れたわけでもないのに。



973 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:14
一連のバチカン話を読んでいて、
昭和43年の高野山大殿の法螺話を思い出したのは僕だけかなあ。




974 名前: 神秘なる奇跡 投稿日: 2000/06/23(金) 23:16
それにしても
よく前科数犯の元懲役犯がバチカンで法王と握手できましたな。
それこそが阿含宗の奇跡でしょう。



975 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 23:27
阿含宗信者の方、どうか明らかに説かれて、無知蒙昧なこの私の疑念を晴らしてください!

1)阿含経に出てくる仏弟子達(初転法輪のときのコンダンニャ他五人の比丘や、サーリ
プッタ、モッガラーナ、マハーカッサパ、アーナンダ等)は普通「声聞」と呼ばれますが、
阿含宗は声聞乗なのですか、つまり煩悩を滅して阿羅漢になり、灰身滅智して涅槃に入り
輪廻から解脱する、自己個人の救済がその宗教理想なのですか。

2)阿含宗は(仏舎利をもらった)スリランカやタイなどの、阿含経に相当する内容のパ
ーリ語経典のみをお経として奉ずる、いわゆるテーラワーダ仏教とどう違うのですか。阿
含宗がテーラワーダ仏教より優れたところがあるとしたら、それは何ですか。

3)阿含宗では、阿含経ないしパーリ語経典は歴史上実在した釈尊の言行に基づく真の仏
説であり、それに対して大乗経典は後世に「作られた」、いわば偽書なので価値がない、
あるいは役に立たないという見解なのですか。すると般若心経はどうなるのですか。

4)3が正しいとすると、大乗経典に出てくる(阿含経に登場しない)阿弥陀如来、薬師
如来、大日如来、不動明王、観世音(観自在)菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、虚
空蔵菩薩等の諸仏諸菩薩は架空の存在であり、拝んでも功徳はないということになります
か。

5)3と4が正しいとすると、「大乗仏教」を奉ずるチベット仏教の最高指導者ダライ・
ラマと仲良くなったり、同じくサキャ派のラマから胎蔵界(大日経=行タントラ)・金剛
界(金剛頂経=ヨガタントラ)の伝法灌頂を受けても無意味なのではないでしょうか。因
みにチベット仏教では無上ヨガタントラが最高の教えで、ヨガタントラや行タントラは、
やや格下の教えと位置づけているはずですが、どうして無上ヨガタントラの灌頂は授から
なかったのでしょうか。

6)阿含宗のHPを見たら、身体にあるという「チャクラ」のことについて書かれていま
した。仏典でチャクラについて言及されるようになったは無上ヨガタントラ以降だと何か
の本で読んだ記憶があるのですが、阿含経でもチャクラについて説かれているのですか。

7)阿含宗でいう「梵行」とはどういうことをいうのですか。阿含経や律蔵に出てくる用
語としての梵行(原語はブラフマ・チャリヤー)と同じ、不淫をはじめとする禁欲的修行
のことですか。

8)仏さまや神さまと、自分の周りにいる他人と、どちらに奉仕した方が功徳があります
か。



976 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:28
>973さん、バチカン関係者のコメントも
法螺話だとお思いですか。


977 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/23(金) 23:33
9)麻原彰晃氏や、福永法源氏は、マスコミ報道によるととんでもない
極悪人だそうですが、麻原氏や福永氏でも未来の果てに仏になれる可能
性があるのでしょうか。




978 名前: >977 投稿日: 2000/06/23(金) 23:48
人間であれば、可能性がない、とは言えない。
あとどれだけの生涯で成れるかは別だが。
私も、あなたも、過去にどれだけの善行・悪行をやったなんて
わからないわけだし。


979 名前: 978 投稿日: 2000/06/23(金) 23:50
訂正
過去→過去世


980 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/23(金) 23:51
>969さん今晩は。
>「ゴ―タマ・ブッダ」(春秋社)
ありがとうございました。ウルベーラーの神変って
どこかで読んだような気もするのですが、全く覚え
ていません。
阿含宗どうしこういうところでお会いするのも
不思議な気がします。


981 名前: カルトバカ一代 投稿日: 2000/06/23(金) 23:58
法の華三法行のHP見たけど、結構好感のもてる内容ですね。
阿含宗とどっちがご利益あるかな。

http://www.channelzero.co.jp/dairy_topics/daytop.html



982 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 00:14
>970さん
青年の集いでは、阿含宗信徒が日本代表としてスピーチをさせていただいた
のです。スピーチは英語で行われ、その後、護身法が修せられました。
各国カトリックの青年たちの前で、御真言が唱えられたのです。事前に内容
のチェックはあったと思います。
大使の方の表情は、驚愕、天地がひっくり返った時のような驚愕に、何が起
こっているのかどうしてもわからないという表情が加味されたものでした。

ミサ、法要というものは心で行うもので、声で行うものでは有りません。

>桐山さんの後ろの女性も法王と握手したように、
この方は阿含宗徒だと思います。大使席の前には阿含宗としかいなかった
のです。握手は一瞬のことです、列は乱れていません。副管長げいかも
握手をされたはずです。

例の件とはルカ書の、火の洗礼の件です。三度も書くと失礼かと思い、例の
件としたのです。





983 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 00:18
>973さんは、
高野山の大僧正が阿含の星祭に毎年列席されていたのは
ご存知ないでしょう。


984 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 00:45
阿含宗の機関誌「アーガマ」って、この頃全然阿含臭がしないけど
どうしてでしょうか。
そういえば10年くらい前、津田眞一氏と中沢新一氏の対談が載っ
ていたな。



985 名前: 16年目の現役信徒 投稿日: 2000/06/24(土) 00:55
>975さん
あくまでも個人の見解です。阿含宗の公式見解と違うかもしれません。
(3)
大乗経典が役に立たない、とは思いません。
仏陀を原点として、過去に何人も”正等覚”を得られた方はいらっしゃると思います。
大乗経典群を執筆された方々もきっとそのような方々だったでしょう。
よって、大乗経典群も、仏陀の悟りに端を発した、巨大な人類の智慧の遺産として、
尊敬に値するものと思います。
しかし、約2500年前に実在した、ゴータマ・ブッダの「実際に口から発した言葉」
を収めたものは、阿含経にしかありません。
(阿含経のすべてが忠実に間違わずに収めてあるとは言えません。
  これについては、仏教学者が検討しています。)
よって、大乗経典群も、仏陀の悟りを受け継いだ「仏教」とも言えなくもないのですが、
やはり、ゴータマ・ブッダ個人が教えた「佛教」とは区別されるべきものと考えます。
(4)
諸仏諸菩薩はそれぞれの智慧の”象徴”として立てられたものですよね。(”本体”とも呼びますが)
象徴は象徴として尊敬はするけれども、いくら拝んだとしても智慧の”実体”
が体得できるものではないはずです。
仏陀が存命の時でさえ、「私の体を拝んで何になる、私の口から出た真理を実践し、体得しなさい。」
と説かれています。
功徳はないが、真理を象徴したものとして、尊敬する、と言ったところでしょうか。
↑あぁ、職員に怒られるかも。(^^;



986 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 01:01
(『アーラヤ的世界とその神』津田眞一(大蔵出版)より

例えば、一つ、象徴的な設問をして見ましょう。それは、「八正道とは何か」、「八正道という実践の本質は何か」という問題です。そして、寡聞にして私は、わが仏教学の世界において、この、これ以上簡単なものがないほどに簡単な問いが問われたことを知らないのであります。では、「八正道とは何か」と問われて私たちは何と答えれば良いの でしょうか。それは、「<現法的梵行>である」と答えればよい、いや、「<現法的梵行>である」と答えねばならないのです。そして、この、ゴータマ・ブッダ自身の言葉である筈のこの<現法的梵行>という言葉も、わが仏教学において、その意味ないし意義を意識されてはいないのです。しかし、八正道という実践の本質を問い、それに対して、 <現法的梵行>である、と答えることがないならば、<思想の学>としての仏教学はその最初の一歩を踏み出し得ない、と私は考えるのです。因みに、<現法的梵行>とは、一生を目処として性的貞潔を保つこと、もっと直接的に言うなら、一生、死ぬまで性行為をしないことです。



987 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 01:03
>975さん、私では力不足ですが、思いつくままに書いてみます。
間違いもあると思います。
1)声聞という概念は後世のものだと思います。仏陀滅後千年以上も
たって出てきた菩薩仏教が、仏陀の時代の修行者を貶めた言葉だと思
います。書かれたお名前のかたがたは、すべて涅槃を得てアルハトと
なられていると思います。
2)テラワーダと大乗密教などを止揚した仏教だと思います。私はこ
のほうが、テラワーダ仏教よりより仏陀の実際の仏教に近いのではな
いかと思っています。
3)般若心経は根本仏教と大乗仏教の橋渡しのようなものではないで
しょうか。両者を融合したのが阿含仏教です。大乗仏教でも釈迦、仏陀
釈尊から全く離れてしまった、法華経、阿弥陀経のようなものは全く
価値がないと思っています(私見)。ただ仏教思想をちりばめていますので
仏教研究の意味として参考にするのは良いと思うのですが。
4)ヒンズーの神々は仏陀の時代にも礼拝していたと思うのです。また
仏陀の変化神も礼拝しても良いような気がします。このあたりになると私の
能力を完全に超えてきました。
5)阿含宗は根本仏教と北伝大乗仏教、そして東伝といっていますがチベット
密教を止揚した円満仏教だと言っていますから、それで良いと思います。
後半のご質問に関しては勉強したことがないです。
6)チャクラについては、ゴータマブッダはヨガの達人であったというのが、
桐山管長の見解だと思います。当時としては高位の人のごく当たり前の教養
であったと。
7)在家の梵行とは、三福道、如来、正法、聖衆、のみもとにおいて功徳を
うえる。具体的には八法十六法、信、戒、施、聞、持、観、法次、法向の
八つと、それを他の人に薦める八つ、足して16個の修行です。
8)上記の十六法を見ればわかるように、自分のため、人のため。そして
仏と神々への法供養です。

これは宗務局か桐山管長の口頭試問ですね。おどして馬鹿な書きこみを
やめさそうとしているのでしょう。馬鹿はわかっていますので、やめます。

阿含宗のみなさん、元阿含宗の皆さん、創価学会の皆さん、そしてクリス
チャンのみなさんさようなら。


988 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 01:15
>975さん、それらの御質問は
阿含宗宗務局にお問い合わせ下さい。

例えば桐山師は1983年にはニンマ派のラマの
法号を、また1988年」にはアジャリ位を
授かり、その都度秘法の伝授があったそうですが、
信徒レベルでは分かりかねます。

公開された法要については参加した信徒は
だいたいの雰囲気は掴めるでしょうが。

1993年のサキャ派の伝法灌頂は、
11月6日から11日の六日間に行われました。
チョゲ・ティチン師の前行も含めて、
最長10時間に及んだが、その間殆ど
休息をお取りになることが無かったそうです。

他の質問には答えられるものも
あるかもしれませんね。


989 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 01:50
>無明を終点とする十結煩悩をひとつひとつ断ち切り、
>彼岸にいたる方法が「成仏法」です。

阿含宗では何かというと「成仏法」と言いますね。
昔から、「○○法という具体的な方法がある、顕教にはない」
という言い方をしてきたと思います。そういう意味では昔から体質は変わっていない。
しかしこれは、多少なりとも仏教を知るものにとっては唖然、呆然の嘘八百です。
仏になるのに「方法」などありません。というより原理的にあり得ない。
縁起の法をもう一度よく勉強し直してください。


990 名前: 975 投稿日: 2000/06/24(土) 02:56
智慧の大海の如き桐山管長のみもとで修行されておられる、きら星のような阿含宗信者の方々、無知蒙昧なこの私の疑念を晴らされますよう、どうか大悲により明らかに説かれてこの私をお導きください!

>985 仏陀を原点として、過去に何人も”正等覚”を得られた方はいらっしゃると思います。 大乗経典群を執筆された方々もきっとそのような方々だったでしょう。
>987 仏陀滅後千年以上もたって出てきた菩薩仏教が、仏陀の時代の修行者を貶めた言葉だと思います。書かれたお名前のかたがたは、すべて涅槃を得てアルハトとなられていると思います

1)「大乗経典群を執筆された」「”正等覚”を得られた方」が菩薩乗、一仏乗を称揚し、菩提心を賛嘆し、「仏陀の時代の修行者を貶め」なければならなかった理由は何故でしょうか。「加上」であり、単なる自己顕示ですか。

>987 法華経、阿弥陀経のようなものは全く価値がないと思っています(私見)。

2)桐山管長は観音慈恵会時代に「観音経」の解説のような本を出版され、阿含宗になってからも復刻出版されたと聞いておりますが、「観音経」、すなわち「法華経」普門品も全く価値がないお経なのですか。

>985「諸仏諸菩薩」 功徳はないが、真理を象徴したものとして、尊敬する

3)すると、阿含宗の前身である観音慈恵会の本尊であり、阿含宗の途中まで本尊だった準堤観音(準堤如来?)さまを、「千座業」で拝んでも「因縁切り」その他の功徳がなかったわけですか。また、桐山管長が「刑獄の因縁」で千葉刑務所に収監されていたときに修行され(?)、その後さんざん効能を宣伝された「虚空蔵求聞持法」(阿含宗では「求聞持聡明法」ですか)の本尊である虚空蔵菩薩さまも功徳はないということになりますか。「千座業」や「求聞持聡明法」を、桐山管長の言葉を信じて修行された信者さん達の努力は一体なんだったのですか。

>987 阿含宗は根本仏教と北伝大乗仏教、そして東伝といっていますがチベット
密教を止揚した円満仏教

4)チベット仏教の特色の一つとして、中国や日本の仏教(阿含宗のいう「北伝大乗仏教」)には伝わらなかった、無上ヨガタントラの体系をインドから直接相承していることがあげられるとのことです。チベット密教といえば無上ヨガタントラが典型だというのは常識です。阿含宗のHPにある胎蔵・金剛界の行法は(細かい違いはあるでしょうが)日本の真言宗、天台宗にも伝わっています。無上ヨガタントラの灌頂を受けていないのに「チベット密教を止揚した」と宣伝に使うのは、汚いことばを使うなら「インチキ」なのではないでしょうか。阿含宗の教義のどこに具体的にチベット仏教が取り入れられているのですか。

>987 チャクラについては、ゴータマブッダはヨガの達人であったというのが、
桐山管長の見解だと思います。当時としては高位の人のごく当たり前の教養であったと。
>7科三十七道品から技術的に進化したのが密教だと思うのですが。

5)三十七菩提分法や阿含宗のいう「阿那なんとか法」にチャクラは出てくるのですか?
それから、桐山管長は、金剛界マンダラ三十七尊は三十七菩提分法をホトケの形にしたものだとか著作の中でいわれてましたね。では金剛界マンダラ三七尊の五智如来、十六大菩薩、四波羅蜜菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩と三十七菩提分法の四念処、四精勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道の対応関係についてどうかご教示ください。グループの数が合わないと思うんですが。

>987 これは宗務局か桐山管長の口頭試問ですね。

買い被らないでください。ただのヒマな素人宗教ウォッチャー(非信者)です。
もしご存じないのでしたら、その宗務局か桐山管長にでも問い質されて、コメントを是非お聞かせください。その善行による自利利他円満の功徳は少なくないと思います。



991 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 03:43
>仏になるのに「方法」などありません。というより原理的にあり得ない。
縁起の法をもう一度よく勉強し直してください。

もし差し支えなければもう少し詳しく
御説明ください。

錯視が感じられるので。



992 名前: 988 投稿日: 2000/06/24(土) 03:55
あらら、990さんはわたしの発言を無視して
4)の質問をしてますね。

末端信徒ではわからない事もあると
言ったはずですが。

何が気にいらなかったんだろうか。

>買い被らないでください。ただのヒマな素人宗教ウォッチャー
(非信者)です。

本当の事かな。



993 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:33
>例えば桐山師は1983年にはニンマ派のラマの法号を、
>また1988年」にはアジャリ位を
>1993年のサキャ派の伝法灌頂は、

日本で言えば、
ニンマ派のラマ法号=得度
アジャリ位=伝法灌頂
サキャ派の伝法灌頂=伝法灌頂

それだけの事です。
だから

>因みにチベット仏教では無上ヨガタントラが最高の教えで、
>ヨガタントラや行タントラは、やや格下の教えと位置づけているはずですが、
>どうして無上ヨガタントラの灌頂は授からなかったのでしょうか。

当然でしょ。
伝法灌頂程度なら護摩を焚けるチベットのラマは全員受けていますよ。
やっと末席に並んだだけで、何時の間にかチベット仏教の最高位についたような
法螺を吹けるところが桐山大先生の昔からの特技?です。





994 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 07:40
>973さんは、
>高野山の大僧正が阿含の星祭に毎年列席されていたのは
>ご存知ないでしょう

大橋さんのことでしょ。
生前何度かお会いしましたが。
高野山系統で桐山を評価していたのは彼だけですよ。
桐山の某元秘書によれば
大橋さんのお寺に随分お布施したとか。
つまり観音慈恵会の仏教界での広告塔だね。
ただ、お蔭で高野山ではかなりパッシングされたそうです。
それに
大橋さんを桐山に紹介したのは、桐山がかって生涯の師として敬愛していた
稀代の詐欺師として有名なあの北野大先生ですよ。(爆)




995 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 07:48
>バチカン関係者のコメントはピタウ神父でした

単なる一神父のコメントがバチカンの公式発表みたいに変質するところが
実に阿含宗ですね。

大司教とか枢機卿のレベルの方が発言したわけでもないのに。

路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?




996 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:50
ひとつ質問させてください。
桐山先生は昔から髪を伸ばしておられますが、
出家されていないのでしょうか。
現在、在家者なのか出家者なのか
お教え下さい。



997 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 07:58
><現法的梵行>とは、一生を目処として性的貞潔を保つこと、
>もっと直接的に言うなら、一生、死ぬまで性行為をしないことです。

お釈迦様はじめ過去の偉大な出家者(解脱者)は皆さん独身でした。
きっとお釈迦様が定めた梵行の戒律を誠実に守っていたからだと思います。
一方、桐山先生は奥様も、お子様もおられます。
従っていわゆるセックスレスの関係でないことは明かです。
だとしますと、桐山先生は梵行の基本中の基本を破戒していることになります。



998 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 08:07
かって真言宗の1派を名乗りながら、
得度をしていなかった為に、
「偽坊主のレッテル」をはられ、
泣く泣く真言宗の看板を外し、
どこからも裁判されないように
「阿含宗」の看板を掲げた時の様に、
辛い思いをしたくないから
とりあえず、あの日本語の上手い某氏に頼み込んで
ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。



999 名前: 礼儀 投稿日: 2000/06/24(土) 08:10
>990さん
質問して回答が得られたのですから、名前に敬称ぐらい付けられたらどうですか。
それと、回答を得て、それに対する990さんの考えを示しましょう。
文面を租借しないで自分の回答を出さないまま、次の質問に移るのは
非礼かとおもいますが。
ハタから見ていても、気分のいいものではありません。
これを見て、気分を害された方がいれば、ごめんなさい。
謝っておきます。m(__)m 


1000 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 08:18
>997さん
お釈迦様はお子様がおられます。

うお!1000番取ったりー!(⌒∇⌒)♪
違ってたら、恥ずかしい。


1001 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 09:48
>989
縁起の法は人間存在の分析。
成仏法とは異なります。
一主婦ですので難しいことは分かりませんが。
989はやさしい問題だったので。


1002 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 09:52
>990さん、
二人の意見の異なる方に
混ぜてコメントを付けるのは
失礼ではないでしょうか。


1003 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:01
>993さん。
>伝法灌頂程度なら護摩を焚けるチベットのラマは全員受けていますよ。

護摩を焚けるラマというのはチベットでは地位が低いのでしょうか。
チベット人以外では歴史上初めてだと聞きましたが、本当でしょうか。
一切萬霊守護金剛という法名は値打ちのないものですか。
モンゴルにおける十四面?観音像(十二面かもしれない)の供養は
どうしてモンゴルのラマが行わずに、地位の低い?末席のラマである
桐山管長がおこなったのですか。



1004 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:03
>990
さん随所に論理のすり替えがありますね。
Aさん、Bさん別々にちゃんとコメント
されたほうが良いのではないでしょうか。



1005 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:10
>984
阿含宗の主婦は普通アーガマを読みません。
私ももう何年も見ていません。
だって突っ走っていますものね。
自由な議論を尊ぶところが阿含宗なのでしょう。
尊ぶと言うか、放置する。


1006 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:16
>994さん
>大橋さんのことでしょ。
>生前何度かお会いしましたが。
>高野山系統で桐山を評価していたのは彼だけですよ。
>桐山の某元秘書によれば
>大橋さんのお寺に随分お布施したとか。

この文面では大橋げいかが買収された
と言うことになりますが、それは高野山
が認めたことなのでしょうか。
そういう方が、徳島?仏教会の会長をさ
れていたのでしょうか。



1007 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:42
>998さん
>ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。

これはニンマ派とチベット仏教を誹謗した
ことになります。
990番の専門家の方いかがですか。
購入などありえますか。




1008 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 10:51
>995
さん、火の洗礼の話の
ご回答は難しいのでしょうか。


1009 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 11:05
お釈迦様のお子さんの名前も
アーナンダさんでしたっけ。
今日は幼稚園が休みでキッズ
がうるさいので。またね。


1010 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:30
>護摩を焚けるラマというのはチベットでは地位が低いのでしょうか。

護摩を焚ける日本のお坊さんはお坊さんの中でも徳に地位が高いのですか?
(愚問でした/愚問自法?)




1011 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:33
>>997さん
>お釈迦様はお子様がおられます

よくご存知で。
でも、その子は釈迦が出家する前の子供ですよ。
出家後は一度もセックスしていません。

桐山さんはどうでしょうか。
ずっと奥さんとセックスレスでしょうか?

もしも未だ得度を受けていないのなら、つまり出家していないのなら
誰とセックスしてもかないませんが。
釈迦の仏法を再興するという以上、釈迦が定めた戒律くらい守らないとね。



1012 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:39
>一切萬霊守護金剛という法名は値打ちのないものですか

文面からしますと墓守さんのようですね。
ところで法名をもらったということは当然受戒したという事になりますが、
さてさて桐山さんはチベット仏教の戒律を守っているでしょうか?
昔は得度を受けていない「偽坊主」として有名でしたが、
今度は「破戒僧」として名を残すことになりそうですね。
チベット仏教の戒律ではお酒を飲んだり、結婚したり、貯金したり等々
全部認められているとは知りませんでした。





1013 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:43
>998さん
>ニンマ派のラマ位を購入しただけのこと。

よく多額の寄附をして名誉博士号とか、名誉X段とかいろいろくれますが、
対価を払って得たものは「購入」ということになりますよね。
法律の世界では「贈与」だって「譲渡」のカテゴリーに含まれますよ。



1014 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 12:51
>この文面では大橋げいかが買収されたと言うことになりますが、
>それは高野山が認めたことなのでしょうか。

史上最強「北野恵宝大アジャリ」に同行されて高野山へ参内した時点で
桐山さんの評価は固まっていました。
詐欺師が愛弟子のイカポンを連れてきたという雰囲気でした。
大橋さんはとてもいい方でしたので最初は同情したのでしょう。
桐山さんとしては唯一普通にお話して頂ける方に巡り合った喜びから、
それなりにきちんと礼を尽くしました。
当然何かを頼む都度に礼儀としてもお布施を積んだわけです。
桐山さんだって何かにつけて金を集めているじゃありませんか。
大橋さんは大事にされているのをわかっていたのと、少なくとも自分に対しては
桐山さんがとても親切だったから、巷の悪評程ではないと錯覚したのでしょう。
可哀相に大橋さんは高野山でパッシングされる用になってしまいました。
気の毒な話です。

>そういう方が、徳島?仏教会の会長をされていたのでしょうか。

人柄的には素晴らしい方でしたよ。
ただ騙されやすいのが欠点でしたが。
とくに人生の後半で判断を誤ってしまったのが悔やまれます。




1015 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:06
日本の僧侶、宗教人の生活態度を比較検討すると、
阿含宗が最良ではないかと思っています。
垢まみれの方に言われたくないですね。
どこかにある程度の戒律を守っている教団があり
ますか。阿含宗のように僧侶に対する規範のある
ところがありますか。
自分達は、煩悩まみれの癖によくゆうよね。
あんたには言われたくない。



1016 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:14
大橋げいかが、お布施を包まれたから、亡くなられる
まで阿含の星祭に出席されたと言うのは、高野山真言
宗に対する中傷誹謗です。弘法大師空海が生きておら
れたらなんとおっしゃるでしょう。
阿含宗もお金集めはしています。総本山建立に必要だ
からです。しかし、ご喜捨をいただいて節を曲げると
言うことはありません。


1017 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:17
大橋げいかが判断を誤られたと言った
あなたは、大橋大あじゃりより判断力
があるのですね。
高野山の大あじゃりはその程度のもの
なのですか。


1018 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 14:36
ただいま先達に電話をして聞いてみたのですが、
インターネットでの議論は修行の妨げになるば
かりか、未熟者が書きこむと正しい広報にもな
ない。そのようなことは広報部にまかせて、あ
なたは実践活動をしなさい、と言うことです。
今から不眠症で悩んでいる方に電話をします。
不眠症なんてすぐ治りますからね。

思う存分書きこみましたのですっとしました。
他宗の煩悩まみれの皆さん、阿含をとやかく言
うより、自分のことをなんとかしろよ。

ってーことで、
阿含宗ではインターネットは推薦していないと
ゆうことが分かりましたので、私もこれで書き
こみを終了いたします。


1019 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:47
>960
>あの文章は、釈迦の言葉ではありません。

スッタニパータ568,569が釈迦の言葉ではないというのですか。
これは何を根拠におっしゃるのでしょうか。
568の前に、「…師は次の詩を以て…」
569の後に、「師はこれらの詩を唱えて…」
とあります。
ここでいう師は前後の文脈から釈迦です。
詩の前後に、わざわざ釈迦が唱えたと二度も書いてあります。
何を根拠にケーニヤが言ったとおっしゃるのですか。


1020 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:48
>961
>なぜ護摩を焚くのかと言うことは、阿含宗、真言宗、
>チベット仏教にも共通する問題ですね。
>私は色々考えて、納得しています。

チベット仏教や真言宗の話ではなく、
阿含宗について質問しているのです。
釈迦の護摩禁止と、阿含宗の護摩を
どのように納得しているのか、
それを桐山さんの指摘を含めて、
書いてくださいと何回も申し上げているのです。


1021 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 16:56
>963
>公式見解に付いては、全く知りませんでしたので、ぜひお書き
>込みください。お願いいたします。

護摩をどうして焚くのかなんて教学とすらも言えない、
初歩的な内容でしょう。
桐山さんがどう説明したかも知らないので、
これまで護摩についてここに書き込んでいたのですか。
度胸のよさに感心します。
無記名でも、神仏が見ているという気持ちはないですか。

批判するほうは何を言ってもいいけれど、
信者側の意見は阿含宗の意見です。
いくら無記名のスレッドでも、
一般人からは阿含宗の代表のように見られています。

まさか誰も桐山さんの説明を知らないのではないでしょうね!!
だんだん桐山さんに同情してきました。
護摩といえば、阿含宗のウリであり、客寄せパンダであり、
桐山さんの得意技ではありませんか。
「おれは死ぬまで護摩を焚く」と色紙か何かに書いていました。
これだけリキが入っているのに、彼の説明を信者は知らない。

信者の皆さんと阿含宗の顔を立てて、待ちますから、
どなたか桐山さんの、なぜ釈迦が禁止した護摩を焚くのか、
についての説明を書いてください。
批判側がその説明を書くようでは、
いくらなんでも、桐山さんがかわいそうです。


1022 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:00
>964
>いくらお金を出しても、法位は買えないでしょう。

あなたが906さんなのかどうか知らないが、
958で質問した「世界中の指導者」とは誰なのか、
まず答えてください。

信者さんたちの反論は、あなたの言い方に代表されるように、
汚職議員が「寄付は受けたが、手心は加えていない」
と言っているのと似ています。
信者さんの理屈が成り立つなら、
自動販売機から缶ジュースが出てきたのは、
あなたがお金を入れたからではないことになります。
入力と出力を見れば、小学生でもわかることです。

お金を出さないで、法位がもらえたのですか。
どんな形であれ、金を出したものについて、
買った、買わないを議論しても無駄です。
金をいかなる形でも出していない、法位、法号、名誉教授、
名誉博士、大学理事、なんでもいいから、示してください。


1023 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:03
>980

980さんは信者さんですよね。
この話を信者が覚えていないなんて、
いったいどうなっているのですか。
今、記憶にあるだけでも、古くは「間脳思考」から、
最近では「阿含仏教超奇跡の秘密」でも、
あなた方の教祖様がていねいに解説しています。


1024 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:05
>966
>護摩法は釈尊の「火界定」の名残りだと考えています。

また阿含の珍説が出てきた。
ウルベーラの神変で、カッサパ兄弟は釈迦に帰依するとき、
事火具を捨てたのです。
火を拝むのを辞めたのです。

火界定と火を焚くことは違います。
しかも、あなたの唱えた珍説は、
桐山さんが言っている説とも違います。
桐山さんは、本の中で、
火界定で発生した火炎をオーラであると述べています。
オーラが何であるかは問わないとしても、
オーラは火ですか。
オーラが火なら、人間はみんな火だるまです。
どこにも火などありはしない。

火界定と護摩は何の関係もありません。
護摩は「名残り」ではなく、
当時のインドで一般的で、
バラモンの間ではよく行われていた祭祀です。
釈迦は何度も、それを厳しく禁止しています。


1025 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:11
>971
>専門家でも感心させられてしまう内容です。

ぜひ、その専門家を紹介していただきたい。
いったい、桐山さんの本のどこに、
専門家が感心するような記述があるのか。
"独走"的解釈に苦笑した人は知っていますが、
感心した人は信者以外に知りません。

>それに仏教書に科学的記述を取り入れて悪いと
>言う規則もないでしょう。

桐山さんのは「科学的記述」ではないが、
科学を利用して悪いなどとは言っていません。
あなたではないのかもしれないが、
「科学としての仏教」という、
あたかも桐山さんの宗教が、
科学的裏付けがあるかのような意見に対して、
「人の目を驚かすためのもの」であり、
「門外漢が書くとおかしな記述になります」
という意見を申し上げたのです。
あなたの言葉尻をとらえて失礼。
だが、この表現は私の表現よりも、
桐山さんの本を的確にとらえていてわかりやすい。


1026 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:17
>982
>青年の集いでは、阿含宗信徒が日本代表としてスピーチをさせていただいた
>のです。スピーチは英語で行われ、その後、護身法が修せられました。

正確には、阿含宗徒がスピーチしたのではなく、
堤壽美子副管長がスピーチしたのです。

護身法が修せられた、などと、まるで宗教儀式をしたようですね。
あの集会では、数十組ほどの代表が、法王の前で
歌ったり、踊ったりのパフォーマンスをしました。
内容のチェックや許可などありません。
護身法が宗教的なものであるとわかっていたのは、
あそこにいた阿含宗徒だけです。
法王も他の見物客も、歌や踊りのような、
一種のパフォーマンスとして見ただけです。


1027 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 17:22
>982
>大使の方の表情は、驚愕、天地がひっくり返った時のような驚愕に、何が起

あなたのいう「大使の方」とは、
どのイベントのどこにいた人を指しているのですか。
青年の集いでの話ですか。

パームサンデーを指しているのでしょうか。
あなたはパームサンデーで桐山さんが握手したとき、
周囲の貴賓席にいた人たちの表情をしっかりと見たというのですか。
918さんは握手している写真の話をしていますが、
あなたはその場にいて、この光景を見たのですか。
しかし、写真についての解釈なら、あなたの説明は、
阿含宗でしか通用しません。

>ミサ、法要というものは心で行うもので、声で行うものでは有りません。

こういう現実と自分の感性をごちゃ混ぜにして、あの写真をみれば、
大使たちが桐山さんに驚愕していると見えるのでしょうね。

>この方は阿含宗徒だと思います。

桐山さんがそれを否定しています。
桐山さんによれば、その女性は
「あなたのおかげで法王と握手できた」
と感謝の言葉を言ったそうです。
これでもあなたは彼女が阿含宗徒だと思いますか。
参加したなら、桐山さんからこの話を聞いていないのですか。

>例の件とはルカ書の、火の洗礼の件です。三度も書くと失礼かと思い、例の
>件としたのです。

他の方の書き込みですよ。
思いこみで言われてもわかるわけがありません。


1028 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 19:29
>1019〜1027さんよ、
同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?
この言い方では、なるべく回答しようと思っている信徒さんも、
引いてしまうと思いますよ。
間違っていると思えば、そう言えばいい。
だが、そんなに感情的になっては、引き出せたかもしれない答えをも、
逃してしまいますよ。
実はあなたは損をしているのですよ。
折角1000件を突破したこの板を、終わらせたくないので。


1029 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 19:32
キリヤマ隊長がなぜ火遊びをするのか?
護摩の灰で儲けるためであ〜る。
俗に言うゴマノハエね。


1030 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 20:21
こういう状況ではもうアゴン関係者はもう書きこまないね。
あ―あ、つまんねえ。


1031 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/24(土) 20:45
久々に来て見たら・・・うしゃーー、大盛り上がりですね。ついに
1000まで行っちゃって。話の内容が、なんか私のレベルじゃないみたい。
でも懲りずに書き込みしちゃおっと。レスしたい人もいるし。
・・・と思ったんだけど、ちょっと忙しいんでまた後でーーー!


1032 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/24(土) 20:46

「一九九九年七の月」32. なぜ?なぜ?なぜ?

これには二つの解釈が可能です。
一つ目は、桐山氏が読者を丸め込もうと四苦八苦した痕跡であるということです。
実際には、老化と脳梗塞で、読者をだませる能力がなくなってしまったのです。
丸め込もうとしたという点では、デキの悪さに目を覆いたくなる惨状です。
18年前の桐山氏なら、もっと上手なウソを書いたでしょう。

二つ目は、ここで描かれた桐山氏は、そのままの桐山氏であるということです。
老人には新陳代謝の低下や脳細胞の減少で、おだやかになるタイプがあります。
また、欲望や感情がむき出しになるタイプがあります。
理性を司る大脳新皮質の衰えで、押さえられていた欲望と感情が出てくるのです。

桐山氏も、脳の老化で、感情のコントロールが効きにくくなっているのです。
桐山氏の主たる欲望である名誉欲がむき出しになり、一方で、感情のコントロー
ルが効かなくなり、飛んだり叫んだりしているのです。

この二つは結局、脳の老化です。
老化して、隠すことができなくなって現れた桐山氏のあるがままの姿です。
桐山氏はかつてアナゴンというブッダに次ぐ聖者になったと宣言しました。
しかし、露出したアナゴンの姿は、自分を一角の人物として誇示したいという、
本能がもたらす名誉欲にとらわれた、ありふれた老人です。

重要なのは、桐山氏が老化して変わったのではなく、本当の姿が出てきた点です。
若い頃の桐山氏と、老化した点を除けば、何も変わっていないのでしょう。
これが桐山氏の元々の姿であり、今の姿であり、ほんとうの姿です。
これが桐山氏の言う心解脱した聖者の姿です。



1033 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 20:56
>>1019〜1027さんよ、
>同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?
>この言い方では、なるべく回答しようと思っている信徒さんも、
>引いてしまうと思いますよ。
>間違っていると思えば、そう言えばいい。
>だが、そんなに感情的になっては、引き出せたかもしれない答えをも、
>逃してしまいますよ。
阿含宗が嫌いである私には面白かったです。感情的とも思わない。
桐山さんが正しいと信じている人は別の意見があるでしょうが。
反論すればいいだけのことではないですか。


1034 名前: 1033 投稿日: 2000/06/24(土) 20:59
少し仏教をかじった者なら阿含宗が阿含経とも釈尊とも無関係であることは
簡単に分かるはずです。なぜこんなに長々と続くのでしょうか。


1035 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:00
>>1019?1027さんよ、
>同一人物かどうかはわからないが、そんなに対立を煽って、何か得るものがありますか?

信者の一人が書き込まないと言い出したからといって、
まるで1019さんのせいみたいに言うのは、
ほとんど八つ当たりだよな。
言っていることまともじゃん。
筋通っているよ。
まともに返事できないほうが悪い。
ははあ、ヲタク、もしかして信者さん?
反撃の仕方がうまいねえ。


1036 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:27
>日本で言えば、
ニンマ派のラマ法号=得度

あの高徳な尾上縫師は
高野山で得度して、度蝶を授けられたそうで。

さぞかし有難い法名だったのでしょうね。



1037 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:56
>あの高徳な尾上縫師は
>高野山で得度して、度蝶を授けられたそうで

桐山は高野山で拒否された人です。
小田先生の伝法会も経歴詐欺がばれて途中で帰らされました。
あの高徳な尾上縫師は桐山以上ということになりますね。





1038 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 21:59
阿含宗ではインターネット禁止が叫ばれているわけですか。
昔は青年部が学会に口で負けてくると桐山は勝つまで議論してこいと言っていましたが。
最近はあまりに弱みが多いから議論禁止例というわけですね。
井の中で信者同士ぴょんぴょん跳ねていてください。
頑張ってね。



1039 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 22:49
>1019さん
読み間違いというか、読まずに書いたもので。
もうしわけありませんでした。
非常に阿含宗の教えにお詳しい方のようで、どうして
阿含宗を辞められたのかがわかりません。
多分、とても嫌なことがあったのか、それともやはり
教学的に納得いかないのか。
しかし、阿含宗から離れられないのですね。
またの復帰をお祈りしています。



1040 名前: 夫の勤め、東洋の心より 投稿日: 2000/06/24(土) 23:02
書きこまないと言い出したのは、8項目の質問状です。
やばい、手が回ったという感じで。宗務局かと思いました。
こんな馬鹿が許されるはずがないのだから。続ければ破門です。

あの質問は専門家ですね。仏教哲学か何かをしている。
私は素人ですから、赤子の手ですよ。グニュ。1019さんの
せいではありません。1019dさんも素人ですから。
みかりんさん、阿含宗は大丈夫です。ご主人を信じなさい。幸せに
なれます。また、宝石のひとつも買ってもらってください。
言い古されたことですが、仏陀の教え。
妻に対して。1、尊敬する 2、侮辱しない 3、台所や家政に口を
ださない 4、分に応じて妻に身を飾るものを買い与える 5、
浮気などをしない、一緒に歩くとか、浮気心だけでもだめ。
これは中村元博士の東洋の心という本に載っています。釈迦の言葉です。
暴力は(2)の違反です。順番は間違っているかもしれません。
妻の務めものっていますが、それは、隠しましょう(笑)


1041 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/24(土) 23:04
一切の衆生が誤った見解や戯論を離れて、真実の道に入ることができますように!

                                   合掌


1042 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:18
>1027カトリックパームサンデーに参加された
カトリックの方へ。

>「あなたのおかげで法王と握手できた」
思い出しました。大使婦人だったかもしれませんね。

青年の集いの、代表、寿美子副管長がスピーチをした後、法王に千羽鶴
かなにかを手渡し、そのあと、法王が寿美子副管長を抱擁されたのです。

誇り高いカトリック教徒が、仏教徒と同じに扱われたくないという気持
ちは、よくわかりますが。いつの日か一緒に活動できる日のくることを
願っています。合掌



1043 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:27
>創価学会の方へ
創価学会の方は、人は良いのですが、頭が悪いのです。
それは、知能が低いという意味ではなく、教えが原因です。

毎日の勤行で、止舎利ホツ と唱えているでしょう。
智慧第一のシャーリプートラに思考停止を求めているのです。
智慧の門は難解難入なので考えても無駄だと。
ですから、コメントが、思考停止に陥った単語の羅列になるのです。

仏教は智慧の宗教です。また、ブッダ、ダルマ、サンガに帰依でき
ないものは仏教では有りません。阿含宗は仏教。創価学会は
非仏教。土俵が違うのだから敵対心を持つ必要はありません。

皆様が、ブッダ、ダルマ、サンガにめぐり合えますよう。合掌。


1044 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/24(土) 23:34
1041さん、輪廻の苦界を漂う一切の衆生をして
菩提心を生ぜしめ、真実の道に入ることができますように、
尊い教えをつまびらかに説いてください!

                                  



1045 名前: 現役信徒へっぽこA 投稿日: 2000/06/24(土) 23:41
>1043
あなたは阿含宗の信徒の方ですか?
もしそうなら、言わんとすることは解りますが、
「頭が悪いのです。」なんて表現はやめましょうよ。
そんな感情を逆撫でするような言葉ではなく、
私は学会の方とも穏やかにお話ししたいです。


1046 名前: ローマ法王パウロ2世ファン 投稿日: 2000/06/24(土) 23:42
>青年の集いの、代表、寿美子副管長がスピーチをした後、法王に千羽鶴
>かなにかを手渡し、そのあと、法王が寿美子副管長を抱擁されたのです。

「桐山靖雄炎の大霊言」(学研)、の101pに、その時の写真が大きく写っていますね。
阿含宗の日本の精神世界及び日本仏教界に及ぼした影響は、やはり、非常に大きいと思います。
私も、桐山氏の著書から、多大な影響を受けましたね。感謝しています。
まあ、桐山氏をグルとして仰ぐという気持ちはなりませんが、つまり阿含宗の信者にあるということは
ないですが、それでも、終生、桐山氏からレクチャーされた、原始仏教や、チベット仏教、クンダリーニ
・ヨーガの魅力は、心の内から離れることはないでしょう。


1047 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 00:02
>1040さん。私は専門家なんかじゃありません。仏教学を体系的に学んだこともありません。
仏教に関心があって、色んな仏教書をつまみ食いみたいに読んできただけです。
今まで特定の教団に所属したこともありません。20年ほど昔中学生のころ、私も桐山師の著作を読みふけり、傾倒しましたよ。
田舎だったので当時近くに阿含宗の支部はありませんでしたが、あったら入信してたかも知れません。
ま、私にとって桐山師も善知識の一人です。お釈迦さんが過去世で、ダイバダッタを善知識としたようなもんですかね。
盲目的信仰にこり固まるのではなく、色んな本を読んで、色んな人の教えを聞いて、吟味し、理解した上で信仰した方がいいと思いますよ。



1048 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 00:08
>995 単なる一神父のコメントがバチカンの公式発表みたいに変質するところが
実に阿含宗ですね。

ヨゼフ・ピタウ神父はイエズス会総幹事で、
上智大学の学長を務められたかたです。

>大司教とか枢機卿のレベルの方が発言したわけでもないのに。

諸宗教対話政庁のフランシス・アリンゼ長官は
枢機卿です。

>路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?

酷い物言いですね(苦笑)



1049 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 04:36
>991
>もし差し支えなければもう少し詳しく
>御説明ください。

書いたとおりの意味です。

>錯視が感じられるので。

これが錯視に感じられるとしたら、そもそも「仏」とか「成仏」
ということが何なのか、なーんにも分かっていないとしか思えません。
これは合同ミサうんねんとかいうよりも、
もっとはっきりした罪の重い嘘なので、
あなたの個人的意見ではなしに
宗派としての公式見解を提示すべきです。

つまり、
仏とはなにか?
成仏とはどういうことか?
なにをもって方法というのか(成仏法とはなにか)?
です。

>1001
縁起の法は人間存在の分析。
>成仏法とは異なります。

あの〜σ(^◇^;)、
縁起の法をちゃんと理解していれば、
成仏法などあり得ないということが分かるはず、
という文脈ですよ。
気持ちは分かりますが、
このレスの中では、
ある意味もっとも本質にせまる重要なテーマです。


1050 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 05:04
>965
庭野日敬さんはなにか法位をお持ちなのでしょうか。リーダに
>法位がなければ仏教教団ではないですよ。

あきれて物もいえない…。
別に庭野さんを弁護する訳じゃないが法位がそんなに重要なんですかね?
だったらお釈迦さまの法位は何だったの(笑)?

教祖が権威主義で名誉が好きだと、信者も似てくるんでしょうか。


1051 名前: 1049>1047 投稿日: 2000/06/25(日) 06:01
>盲目的信仰にこり固まるのではなく、色んな本を読んで、
>色んな人の教えを聞いて、吟味し、理解した上で信仰した方がいいと思いますよ。

全く同感です。頑張って論破してあげてください。


1052 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 06:25
>1046
>阿含宗の日本の精神世界及び日本仏教界に及ぼした影響は、やはり、非常に大きいと思います。

確かに! オウム生んじゃったもんね(笑)。

>まあ、桐山氏をグルとして仰ぐという気持ちはなりませんが、つまり阿含宗の信者にあるということは
ないですが、それでも、終生、桐山氏からレクチャーされた、原始仏教や、チベット仏教、クンダリーニ
>・ヨーガの魅力は、心の内から離れることはないでしょう。

まあ、あの麻原も内部に翻訳チームを抱えて、チベット密教の奥義を、
さも自分の教えみたいに弟子たちにレクチャーしていたみたいだからねぇ。
引っかからなくてよかったですよ。


1053 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 06:27
「桐山靖雄炎の大霊言」(学研)
すいません、どんな本なの?
ヨイショ本ですか?それとも誉め殺し?




1054 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 06:32
>路傍の石ころをダイアモンドだって売りつける詐欺師と余り変わらないのかな?

ひところ話題の統一なんとかの霊感商法、5000円くらいの壺を100万円とか。
200倍程度じゃまだまだ阿含宗の利益率には及びません。

そういえば釈迦は護摩札売ったり、大寺院建てたり、ムギコガシ売ったりしてたっけ。
聞くだけ野暮だね。(爆)




1055 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 06:57
どっちもどっちの元・現犯罪者、かってのふか〜い師弟関係を超えて「大批判」!!!
大量無差別殺人の被告にすら馬鹿にされる元犯罪者。阿含宗からの反論は如何に?

<麻原教祖、阿含宗管長桐山靖雄師を批判>
「マハーヤーナ、NO.21」より転載ね。


次に、行法について述べよう。
以前、桐山氏は因縁切りの「準てい尊千座行」で解脱できると説いていたが、各方面から、
「仏陀釈迦牟尼は、そんな教えを説いていない」 「『阿含経』には、そんな修行法など出ていない」
「だれも解脱できなかった」 などと指摘された。
そのため、1986年、
スリランカより真正仏舎利をもらい受けたのをいい機会に、「千座行」をなくしてしまった。
そして、もっともらしくこじつけて、「仏舎利尊・解脱宝生行」という修行法にすり替えてしまったのである。

その理由というのが、またおかしい。
つまり、桐山氏によれば、それまでの「千座行」というのは観音慈恵会当時の行法であるから、
阿含宗となったからには、おのずと行法も変えなければならないというのだ。
しかし、阿含宗がその名を変えたのは78年である。
彼の理論からいえば、当然そのとき変えてしかるべきである。
にもかかわらず、その後何年もしてから、「仏様(?)のご霊示」が下ったから行法を変えるというのだ。
お得意の嘘の延長線上に、メインとなる修行法のすり替えがあったのだ。


まだある。
仏陀釈迦牟尼は、輪廻転生を説いているのに、阿含宗では先祖供養や水子供養などを行っている。
こんなことをやっていたら、仏陀釈迦牟尼の教えを全く信じていないと公言しているも同じではないか?

なぜなら、仏陀釈迦牟尼の教えでは、魂はすべて死後、次の世界へと転生してしまっているからである。
自分の先祖であった人の魂もである。
つまり、実体のないものに対して行っているのが先祖供養や水子供養であるということになるのだ。
にもかかわらず、阿含宗では、「阿含宗は釈尊の本当の成仏法により、どんな不成仏霊でも成仏させ、
霊障を解く成仏力を持っている。」 と臆面まなく言い切っているのである。
とても求聞持法を修めたといわれるほどの人がやるとは思えない愚行といえよう。

しかも、「千座行」をやれば、あらゆる悪因縁を断ち切れるとしながら、
普通の不成仏霊ではない、強い霊障を生じた不成仏霊や水子を供養するためには、
「不成仏霊解脱供養」「水子霊解脱供養」を受けるように勧め、一体十万円の供養料を得ている。

そもそも、仏陀釈迦牟尼がどこで霊障や水子を説いたというのであろうか。
これも、阿含宗の特色といえば特色である。

「千座行」について、もう一つはなはなだしい矛盾を指摘しておこう。
桐山氏はこの「千座行」は、「釈尊の成仏法、七科三十七道品(しちかさんじゅうしちどうぼん)にのっとって、
修行法と梵行から成り立っている」と言っていたのだが、実はその「千座行」で使われる経典の中には、
約七年間、『阿含経』がどこにも含まれていなかったのである。

それについて桐山氏は、1985年9月の例祭法話で、観音慈恵会からの聖典を改定するのは大変だから、
しばらくの間は『阿含経』は自分一人が信徒を代表して行じ、何か機会があったらそのとき考えよう、
としてきたと述べている。
そして、ようやく「仏様のご霊示」が下ったとして、85年11月、
それまでの経典に『雑阿含経』と『増一阿含経』の一部を抜粋した「仏説阿含経」を追加した
『阿含宗千座行聖典』を新しい経典とさせたのである。

釈迦牟尼を崇拝するとしながら、信徒が行をなすための最も基本となり、信仰のよりどころとなるはずの経典に 『阿含経』を載せず、自分一人が代表して行じてきたというのだ。こんなおかしな話はあるまい。

ちなみに、桐山氏が七科三十七道品をいつ、どのようにして修めたのかも定かではない。
これも不思議なことである。




1056 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 06:58
続きだよ。

さて、次は酒の問題である。
『阿含経』における在家の戒では、酒を厳しく戒めているというのに、阿含宗では酒を 公認している。
阿含宗名物の「星まつり」の打ち上げなどでは、盛大に樽酒が振る舞われるという。
それも、桐山氏自ら音頭を取って乾杯し、阿含宗の発展を祝うというのだから、ひどい体たらくである。
それだけではなく、献酒としても在家信者に酒を使わせているのだ。
そんなことをして仏陀釈迦牟尼が喜ぶとでも思っているのだろうか。

次に阿含宗のマントラにまつわる問題を採り上げてみよう。

阿含宗ではよく唱えられているマントラに、
---オン・サラバ・タータギャータ・ハンナ・マンナノウ・キャロミ---というものがある。
これはインドの正確な発音をもって記すならば、
オーム・サルバ・タターガタ・パーダ・バンダナム・カロミ ---であり、
その意味は、(オーム。すべての如来のお御足を、私はいただきます) ということである。

つまり、すべての如来を礼拝するということだ。
ここでも、「仏陀釈迦牟尼以外を崇拝してはいけない」という、

桐山氏の言葉とは裏腹なことを日常的に唱えているということになる。
嘘に嘘を積み重ねていくと、何が本当だったのか、自分でもわからなくなってしまうのだろう。

---オン・ソワハンバ・シュダ・サラバ・ダラマ・ソワハンバ・シュドカン---というマントラが、また面白い。
この意味は、 (オーム。すべてのものの本性は清らかなり。我の本性も清らかなり) というもので、
これは密教の教えに属するものなのである。
『阿含経』であったなら、当然八正道の中の正念で、四念処が説かれているので、
<我が身、これ不浄なり>とならねばならないところだ。
『阿含経』に代表される原始仏教と密教が、まるでごった煮風に共存しているところも、
阿含宗の教義のいいかげんさの象徴であろう。

いろいろと挙げてみたが、これらはまだほんの一部である。
もっと知りたいという人がいれば、もちろん他にもたくさんの矛盾点を挙げることができる。

これらすべてをとおして、何よりも私がひどいと思うのは、前にもちょっと触れた本尊のことである。
仮にも宗教組織であるなら、本尊は最も重要なものであるはず。
にもかかわらず、阿含宗の本尊は、準てい観音(準てい如来)から、仏舎利にすり替えられてしまったのである。
この仏舎利は、86年4月、桐山氏が130名の教団関係者を引き連れてスリランカを訪れ、持ち帰ったというものだ。
桐山氏は、釈迦牟尼の遺骨を収めたといわれる仏舎利を本尊とした方が、宣伝効果があるとでも思ったのだろうか?
(それが事実遺骨を収めているかは疑問である。)
それとも、自分自身が仏舎利を手に入れたということに感激したからであろうか?
いずれにしろ、本尊がすり替えられたという事実には、唖然とするばかりである。

もし、これをオウムに当てはめてみるならば、それまで、「グルとシヴァ神に帰依し奉ります」と唱えていたものを、
ある日突然、「天照大神に帰依します」とする替えるようなものなのだ。

長年ひたすら励んできた行が、結局は駄目だから、今度はこれをやりなさいと言われたり、
一心にその信仰の対象としていた本尊が、こちらの方が霊験あらたかなので、取り替えますと言われてしまったら、
苦悩からの解放を願って一途になしてきた今までの修行はいったい何だったのだろう、と普通ならば思うところである。
信徒の方々は、これを知ったとき、どのように自分を納得させたのであろうか?




1057 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:02
つづきで〜す。

ところで、最近の講話(89年、2月19日・於関西総本部)で、桐山氏がオウム真理教を中傷していたということを、
私は信徒の一人から聞いた。彼は阿含宗から改宗したという人で、阿含宗時代の友人から教えられたのだという。

彼が阿含宗が貸し出していた問題の講話ビデオをダビングして送ってくれたので、私も見てみたが、
その内容は信徒の言葉どおりひどいものであった。
まさに、ビデオが彼の嘘を記録していた、という感じである。
一部をご紹介しよう。
-----------
阿含宗の信者は、そういうもの(オウム真理教のチラシ)をいくら渡されてもね、
迷っていく人なんていうのはほとんどないですよ。
2,3人くらい、あんまり頭の良くない人が行ったようですけどね。
で、何をやっているかっていうと、教祖の血を飲まされているんですよ。
このくらいのコップに一杯五万円だそうです。
うちの特別祈願護摩札と同じですね・・・・(意味不明)・・・・・。
私は五百万円もらったって自分の血を人に飲ませようなんて思いませんよ。
気味が悪い、そんな。人の血も飲みたくないし、自分の血も飲ませたくない。
ところが、その血を飲むとね、その教祖の持っている神通力が得られるっていうんで、
一杯五万で飲ませるっちゅうんですよ。
しかし、それを私は見破っているの。彼の本当の血じゃないのよ。
輸血用のね、血漿(?)の血を買ってきて、そのアンプルを切って、それを飲ませている。
だから、それ、私聞いたんだ。
それを目の前で、血管切って、血を採ってね、飲ませるのかって。
そうじゃなくて、奥から持ってくる。冷蔵庫かどっかから持ってくるんでしょ。
輸血用の血漿液ですよ、そんなものは。
輸血用の血液を飲ませて、五万円で買わせて、飲まされて。
駄目なんだ、私はね、求聞持法やっているから、からくりがすぐわかっちゃう。
-----------

彼は、自分の教義に密教を取り入れているというのに、密教については、はなはだ無知であることが容易に理解できる。彼がここで取り上げた「血のイニシエーション」について説明しておこう。

イニシエーションとは、そもそも宗教的な指導者から弟子への秘儀伝授のことをいうのだが、
この「血のイニシエーション」とはチベット密教の古い経典『ンガリン』にも記述が見られる伝統的な儀式で、
チベット密教ゲールク派においてはタントラ・イニシエーションの中の第二イニシエーションとされている由緒あるものなのである。
一般にはワインのようなものが使われるが、指導者と弟子が共に高度なレベルである場合には本物が使われることがあるのだ。

こういったイニシエーションには、現代の感覚からいえば違和感を覚えるものもあるかもしれない。
しかし、仏教の世界においてもそのような例は伝わっている。
仏陀釈迦牟尼が入浴した水が、<奇跡の水(ミラクル・ポンド)>として多くの人々に愛飲されたと言うことを知れば、
皆さんも納得されるのではあるまいか。



1058 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:03
つづ〜き〜。

オウム真理教で、この「血のイニシエーション」が行われたのは、過去に一回だけある。
それは、このイニシエーションがオウム真理教の数あるイニシエーションの中でも最高峰に属するもので、
決して「血を売る」ようなものではないこと、そして私の肉体的な負担が非常に大きいことといった背景があるからだ。
そして、今後おこなう予定は今の ところない。
それほど高度なイニシエーションなのである。
桐山氏の中傷は、まさに彼の密教に対する無知から生じているといえよう。

そして、彼は忘れている。
1980年に、「阿含宗はチベット密教と全く同じである」と自ら発言したことを----。
このときは、チベット密教のダライ・ラマ法王との関係を成立させたりしていたので、
虎の威を借りる狐のごとく、法王の名を利用したのかもしれない。
が、こういう発言をする以上、密教のイニシエーション等、教義に関することはよく勉強しておいていただきたいと思う。
まあ、もとを正せば、『阿含経』と密教をごっちゃにしている彼の教義にこそ問題があるのであるが。

それから、一杯五万円で血を飲ませるだとか、輸血用の血液だとか、事実に反することが、どこから出てきたのだろうか?
これでは、求聞持法を修したという頭脳に、妄想が詰まっているのだとしか考えられない。
普段から嘘をつくことに慣れているから、講話においても口から出まかせが出てしまうのだ。

私には、この尊いイニシエーションを売るようなまねはできないし、してもいない。
また、輸血用の血液など使いもしない。
実際には、私に専門医と正看護婦それぞれ一名が付き、厳重な衛生的管理のもとで採血されたのである。
しかも、イニシエーションを受ける人々の眼前で−−。

イニシエーションはすべて秘儀に属する霊的エネルギーの移入であるから、ここで詳しくその内容を書くことはできない。
が、桐山氏の嘘を証明する必要があるならば、専門医と看護婦、イニシエーションを受けた三十名の信徒、
そして付き添っていた大師達が証人となってくれよう。



1059 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:04
続きだよ。

そして、念のために言っておくならば、阿含宗を見限ってオウム真理教に改宗した人は多いのである。
しかもそれは、彼が言うような「頭の良くない人が、2,3人」なんてものではない。
長年阿含宗の幹部を務めあげてきた方々を含め、その数はどんどん増えているのだ。
そして、オウム真理教の修行で順調にステージを上げ、クンダリニー・ヨーガの成就によって、
大師となった人でさえ8人もいるのである。
ペンを置くにあたって、私は、阿含宗管長・桐山靖雄氏が早く自己のなしている悪業を反省し、
人々を惑わすのをやめることを願いたい。
また、仮にも一宗を率いる教祖なのであるから、根も葉もないことを言ってオウム真理教を誹謗・中傷するまえに、
もっと仏教や密教の教義を勉強していただきたいと思う。

そして、私は阿含宗の信徒の方々に心から訴えたい。
真の宗教とは何なのか、真にあなた方を幸福にする教えとは何なのかをもう一度よく考えてほしい、ということを。
真理ではないものに帰依し、修行に励んでも、あなた方が本当に心の底から望んでいる幸せは得られない。
そればかりか、知らず知らずのうちに悪業を積み重ねてしまうことにもなるのだ。

私はここで一つの目安を示したいと思う。
その宗教団体が真理であるか否かを見極めるには、以下の四つの条件を考慮すればよい。

1.きちんとした矛盾のない教義が存在していること

2.様々な修行法、瞑想法、イニシエーションを含めた、その教義にのっとった修行体系を整えていること

3.その修行体系にのっとって修行をした結果がきちんと出ており、それを証明できる者が存在していること

4.修行者を目的地に導いてくれる信頼できる指導者が存在していること

そして、この四つの条件を正確に満たしている宗教的な組織といったら、現在オウム真理教しか存在していないのだ。

阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、オウム真理教から阿含宗に入る人はいない。
もし、これまで私が述べてきたことに、まだ疑問を感じる阿含宗の信徒の方々がいるならば、
既にオウム真理教の修行を実践するようになった、かつての仲間に聞いてみればよい。
必ずやあなたの疑問を解いてくれることだろう。

そして、一日も早く真理に目覚め、本当の幸福をつかんでもらいたい。
今のままでは、幸せどころか、かつての私のように、いずれ本当の魔境に陥ってしまうのは間違いないのだから。



1060 名前: 今から刑務所・麻原被告 VS 務所帰りの桐山大先達 投稿日: 2000/06/25(日) 07:07
類は類を呼ぶ、か・・・。

でも麻原よ、なんで3年間も阿含宗にいたの?
よほど居心地がよかったのかな?
千座行を通して、刑獄の因縁まで学んでしまった損師でした。(爆)




1061 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 07:14
>その宗教団体が真理であるか否かを見極めるには、
>以下の四つの条件を考慮すればよい

たしかに阿含宗はこれらの条件をひとつも満たしていない。
でも条件を満たしている宗教を私はひとつも知らない。




1062 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 07:48
素朴な疑問。

確か阿含宗では「中途挫折の因縁」というのがある、
と教えていたと思うのですが、
もしこの因縁をもった人がこの因縁を切るため、
千座行でも仏舎利尊・解脱宝生行でもいいのですが、
そのような行を続けなければその因縁を切れない、というのであれば、
その人はどうやってその行を続けられるというのでしょう?
だって「中途挫折の因縁」があるなら、
その因縁がじゃまをして、途中で行をやめてしまうでしょう?
信徒の方、納得いくお答えきぼーん!


1063 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 08:33
阿含宗は家運衰退の因縁(?)を切ることができなかったようだね。
凋落の一途。


1064 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:10
>1045 A さん、おはようございます。
おおせのとおりで、反省しています。
馬鹿といのは、日本大乗には本質的な言葉でもあるのですが。
昔はよく、馬鹿になれという指導を受けたものです。
私も、議論好きの因縁を断ち切らないと、この、人生だめです。
本当に馬鹿です。悩んでいます。また、よろしく。B


1065 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:23
>1046さん、こんにちは。
15年前に、ローマ法王パウロ二世が、阿含宗とともに歩む(道は違っても)
という方向に舵をきったのですが、巨大な艦船はなかなかターンをはじめ
ないかのように見えます。
従来サタンの教えとされていた仏教徒と、ともに歩むのは難しいことかも
しれませんが、あの日の抱擁がスタートになるように願っています。


1066 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:30
>1047さん、おはようございます。
しかしすごい知識ですね。私もいつ注意を受けるかと
びくびくして書きこんでいますので、おどろいてしま
いました。阿含宗ではインターネットは禁止ではない
とは思うのですが、副管長げいかの喪に服すべき大事
な時に、ここで、いたずらな議論を重ねるというのは
不謹慎ですものね。
しかし、1047さんのようなかたは道場で中途半端な
先達に話を聞いても満足できないでしょうし、相手も、
質問の意味もわからないでしょうし、困りますね。
管長がさしで話をする時間も無いし。
阿含宗はネット大学でも作るべきですね。


1067 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:35
>1049さん
成仏法がないのであれば、仏教は
ないのではありませんか。
仏教は仏陀になるための教え。仏陀になる=成仏
だと思うのですが。


1068 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:40
>1050さん
リーダーに法位がなければ、その団体は仏教教団ではないのです。
この命題は証明不要です。
仏陀は仏教=成仏法の創始者です。成仏へのルートを開発した方です。
仏陀の法位は「無師独覚」「天上天下唯我独尊」です。


1069 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:49
>1055 -1060
これがオウムの人なら、コメントもするのだけど、
学会さんが、オームのコピーを載せてもコメントに値しない。
自分の文字で書けないの?


1070 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 09:53
>1062さん
中途挫折の因縁とは、強い人も弱い人もあるのです。
弱い中途挫折の因縁の人は自分で乗り越えられるのです。
強い人は、よくテレビでやっているエンジン不調で落ち
そうな飛行機ですね。周りで何とかかんとか励まして
無事着陸させるのです。
みんな無事着陸できるとは限りません。脱落者はいっぱいいます。


1071 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 10:07
>阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、
>オウム真理教から阿含宗に入る人はいない

これって助かりますよね、万一帰ってきたら大変。お世話が。

ジョーユーさん、いっぱいまちがっていますよ。100箇所くら
いは指摘できそうだけどやめとこう。学会さんも自分の文字で
書かずにオームの文献など使い出したら、批判のための批判、
誹謗のための誹謗だと思われますよ。
批判は、ここがおかしい、と思うから批判するものなのです。
敵だから、不利益だからというのであれば、中傷です。


1072 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 10:12
みささん、これで、本当にお別れです。残念ですが。
もう2chの心と宗教欄には書きこみをいたしません。
仏様に誓います。
お返事が無くてもお許しください。
皆様が(阿含宗でなくてもよいから)本物のブッダ、ダルマ、
サンガにめぐり合うことをお祈りしています。
また、クリスチャンの方にはイエスの恵みがありますよう。
合掌。



1073 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:10
「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」と
かれに とらわれの思い いだく あらば
怨みは ついに 消ゆること なし

「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」
かれに とらわれの思い いだく なくば
怨みは すでに 消えて失せぬ


まこと ひとの世に いつの代も
怨みによりては 怨みは 消えず
怨みより 離る かくてこそ 消ゆ
これぞ とこしえの 真実 ならむ


「われら ここに みずからを 抑え止めむ」 と
他の ひとびとは そを わきまえず
されど そを ひとびとが わきまえて あらば
もろもろの 争いは 消ゆ


1074 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:23
他のひとの もろもろの あやまちを 見ることなかれ
他のひとの 為せると 為さざるを 見ることなかれ
ただ みずからの 為したるを はた
為さざりしを のみ 見よ


第一に 自己をこそ
ふさわしく 調え
しかるのち 他に 教うべし
かくあらば 賢きひとは 煩い なからむ


他に 教うるがごと
そのままに みずからに 為すべし
みずからを 制御してこそ 他を 制御せむ
まこと 自己は 制御し 難ければなり


1075 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 17:38
怨み 懐ける なかにありて 怨むこと なく
いと 楽しく われら 生きむ
怨み 懐ける ひとびとの なかに
怨むこと なく われわ 住まわむ


勝利より 怨憎 生ず
敗残のもの 苦しみて 臥す さらば
勝敗をば なげうち捨てて
寂静なるは 安楽に 住す


孤独の 味と
寂静の 味とを 味わいて
法悦の 味を 味わうひとは
苦悩 去り 禍を 離る



1076 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:14
信者さんがいなくなっちゃった。
仏舎利のもらった数と安置している数が合わない話を聞きたかったのに。
まさか割って分割したわけではないだろうに。
残念。



1077 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:20
麻原は池田を殺そうとしたが失敗。
でも当時、桐山には手を出さなかった。
その心は、
「集客窓口」!



1078 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:24
>>阿含宗からオウム真理教に入る人はいても、
>>オウム真理教から阿含宗に入る人はいない

>これって助かりますよね、万一帰ってきたら大変。お世話が。

ちがうでしょ。
帰ってこなかったのは行った連中全員が
麻原よりも桐山の方がレベルが低いと実感したからだよ。
恥だと思わなきゃ。
大量無差別殺人犯の人間性よりも
桐山の程度が低かったっていう評価なんだよ?





1079 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:28
けがれたものは、阿含宗にはいられない。
出て行くし、帰ってこない。


1080 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 19:58
悪因縁で汚れている人が阿含宗にいられなかったら
一体だれを救うのですか?
汚れた人達を救済するのが宗教本来の役割ではないのでしょうか。
 


1081 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 20:01
インターネットって宣伝の場かと思っていたけれどネ。
まあ、負ける喧嘩で恥かくよりも参加しない方が得策ということか。





1082 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/25(日) 20:52
なんか、ちょっと苛々してきた。宝石買ってもらえって
何なのよ、とりあえず誤魔化しときゃ済むって、そうゆうこと?
そりゃ女にとって宝石の輝きは麻薬のようなもの、もらえりゃ
うれしいよ。でもあくまで麻薬は麻薬、現実から目をそらす
道具でしかないのよ!どうして男って女から逃げることしか
考えないんだろう。妻としっかり向き合う強ささえ、修行では
身に付けらんないのね。
私は会費払ってるだけの現役信者、これからも書き込みを続けさせて
もらいます。


1083 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:11
>1039
>教学的に納得いかないのか。

桐山さんの言っていることと、やっていることが
これだけ矛盾すれば、納得しようがありません。
信者として残っている人たちは、理屈よりも、
桐山さんがやっていることはどうあれ、
彼が好きだということじゃないですか。
何人かの信者がここでそれを表明しています。

理屈をあれこれつけて、正当化しようとするから、
矛盾を攻撃されるのです。
だから、書き込み中止を宣言した信者は
阿含宗では正しい選択です。
迷わないためには、読まない、見ない、書かないで、
阿含村で桐山さんの天声と定説で信仰することです。
これは皮肉ではなく、元信者からの率直な意見です。

阿含村の出身ですから、忘れることはありません。
しかし、インターネットにすら対応できない村に
帰ることはありえません。


1084 名前: 宝石の輝きは麻薬 投稿日: 2000/06/25(日) 21:13
>宝石の輝きは麻薬
ばかだね、まやくじゃないの。
本質的に大事なものなの。女にとって。


1085 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:16
>1042
>>1027カトリックパームサンデーに参加された
>カトリックの方へ。

私はカトリックだと書いたことはないし、
現実にカトリックではありません。
相変わらず、他の方と誤解されているのではありませんか。

堤壽美子副管長を法王が抱擁したのは事実です。
1046さんもこの点を強調したいようだが、
これが何か特殊なことだと思っているのですか。
青年の集いで、壇上でパフォーマンスしたグループの
代表者全員を、法王は抱擁したのです。
機会があれば、あなたも法王に抱擁してもらえます。
だが、あなたを特別な人だと思ったからではありません。
神の代理人としての仕事です。

細かい修正です。
青年の集いで千羽鶴を渡したのではなく、
阿含宗の信者がパームサンデーで渡したのです。

人間だから記憶違いもするでしょう。
だが、信者さんの書いていることは、記憶違いでは、
すまされないようなことが多すぎます。

400人の信者が最前列にいたと、どなたか書いていましたね。
最前列にいたという信者がいるなら、ぜひ名乗っていただきたい。
そんな人いるわけがありません。
最前列は身障者がいたのです。
阿含宗の信者はその直後にすらいませんでした。

自分に都合のいいように記憶を変えるのは桐山さんの
得意技だが、信者さんまでまねすることはありません。
釈迦は現実を、事実をあるがままに観察することを説いています。


1086 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/25(日) 21:20
>1043
>創価学会の方は、人は良いのですが、頭が悪いのです。

1043さんは、阿含宗批判の書き込みをしている人が
創価学会の信者たちだと思っているのでしょうか。
選挙のさなかに学会の会員が書き込みをすると思いますか。
創価学会は阿含宗を商売仇、競争相手とはだいぶん前から見なしていません。
宗教界での阿含宗の存在は、信者数が減ったことから、
90年代に入って急激に小さくなってしまったからです。


1087 名前: 宝石の輝きは麻薬 投稿日: 2000/06/25(日) 21:22
妻よりもお墓を大事にした
だんなが、ばかなの。勉強が足りないの。



1088 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 21:37
>1018さん
この先達は正しい。
桐山さんが同じこと言っている。
まともに議論すれば、桐山さんの馬脚が現れるから、
信者は議論してはいけない。

昔、Niftyでも信者対非信者の議論があって、
報告を受けた桐山さんは、
内容について、何一つ指導ができなかった。
やめるように言っただけ。
あんなことなら、おれでも言える。

その信者は、どんなに矛盾を指摘されても、
桐山さんへの深い深い信仰を表明するだけで、
あれ、桐山さんの名前を叫んでの玉砕だよなあ。
その一途さに、涙がでたね。
他の人も涙流しながら、トドメ刺したと思うよ。
信者は、桐山さんの馬脚をたいせつにしよう!


1089 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 21:59
>400人の信者が最前列にいたと、どなたか書いていましたね。
>最前列にいたという信者がいるなら、ぜひ名乗っていただきたい。
>そんな人いるわけがありません

阿含式!



1090 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 22:11
>迷わないためには、読まない、見ない、書かないで、
>阿含村で桐山さんの天声と定説で信仰することです。

そして
信者は詐欺師の共犯となった・・・。



1091 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/25(日) 22:51
桐山管長猊下は罪深き衆生でも解脱できるということを示す為に現世で様々なご苦労をなさいました。
上辺だけで軽軽しく判断することは仏陀の深遠な慈愛を理解していないことになります。





1092 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 02:10
>1070
中途挫折の因縁とは、強い人も弱い人もあるのです。
弱い中途挫折の因縁の人は自分で乗り越えられるのです。
強い人は、よくテレビでやっているエンジン不調で落ち
そうな飛行機ですね。周りで何とかかんとか励まして
無事着陸させるのです。
>みんな無事着陸できるとは限りません。脱落者はいっぱいいます


一番救わなければならない人を救えない、役に立たない行ということですね。
はい、よく分かりました(笑)。


1093 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 02:34
ちょくちょく宗旨がえする桐山自身「中途挫折の因縁」なのね。



1094 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 02:40
>1067さん
成仏法がないのであれば、仏教は
ないのではありませんか。
仏教は仏陀になるための教え。仏陀になる=成仏
>だと思うのですが。

だ・か・らぁ〜σ(^◇^;)、
「仏陀」にしろ「成仏」にしろ
単なる言葉、単なる記号でしょ?
私はその中身について聞いているんですよ。

何を持ってブッダ(覚者)というのか?
そのための「方法」ってなにってこと。

こういうこと言っているようじゃ、
思考停止で修行してるんでしょうね。
その行が自分をどこに導いていくかも知らずに…。
本当にお気の毒さまです。


1095 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 03:05
>1068さん
リーダーに法位がなければ、その団体は仏教教団ではないのです。
>この命題は証明不要です。

たーっ、「仏教教団」の言葉の定義なんか聞いてないだろう?
それが宗教上そんなに大事なことなのか?
ということを言っておるのじゃ!!!!!

>仏陀は仏教=成仏法の創始者です。成仏へのルートを開発した方です。

二言目には成仏法というが「成仏」の意味も分かってないのに
よくそんなことが言える。あきれますよ、本当に。
それに「ブッダ」というのは個人の名前ではなく、覚った人、
つまり覚者をさして呼ぶ言葉です。
当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。
別に釈迦が覚者になるルートを開発した訳ではありません。

>仏陀の法位は「無師独覚」「天上天下唯我独尊」です。

おい、おい、本気で言ってる(笑)?
誰がその法位を与えたんだよ、全く。

こんな初歩的な話しすら、入り口で滞るようじゃ、
まともな議論なんてできませんな。
本当の本当に心の底からあきれかえりました。


1096 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:35
>1083 さん、
私は難しい問題はわかりませんが、
結局、阿含宗の人も、やめた人も
好き嫌いがもとなのだと思います。
好きだから、良いところを一生懸命べんきょうするし、
嫌いだから、悪いところを探すのでしょう。
どうして、お嫌いになってしまったのでしょうかねえ。


1097 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:48
>1086
あ、選挙って公明党がするんだと思っていた。



1098 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 09:52
>1088さん。
信者さんか、元信者さんのようですね、
私は、こんな話は聞いたことがないのですが?


1099 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 10:01
>1092さん、
本当に重い、重傷の人達は
なかなか正法を受けつけないですね。
私の友人の信者は、物事をしっかり
自分で考える知的な方が多いです。


1100 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 10:48
>1094
>「仏陀」にしろ「成仏」にしろ
>単なる言葉、単なる記号でしょ?
>私はその中身について聞いているんですよ。

このテーマだと仏教全般の勉強と言うことに
なりますね。阿含宗ではちゃんと明確な言葉
で指導されていますので、阿含宗で勉強して
ください。
ただ不思議なことに、仏教では仏陀の言葉を
信じると言うことが、解脱への第一歩という
事になっているのです。信じる前には、学ば
ねばなりません。学んで考え抜いて初めて信
じられるのです。
阿含宗でなくても増谷博士の阿含経などでも
わかると思います。
墓守の意味がやっとわかりました。子守りを
からかわれたのかと思ったのですが、僧侶で
すね。私は僧侶ではありません。


1101 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 11:36
>1095さん
法嗣、法統を受け継ぐことは重要だと思います。
リーダーの方、そのお子さん、信頼できる弟子
どなたでも修行に行けば良いわけですから、その気に
なれば簡単だと思います。

成仏の意味は阿含宗では明確に説明されています。

ブッダ、と書いた場合、歴史上の仏陀釈尊、ゴータマ
ブッダをさす場合と、目覚めた人をさす場合がありま
すね。

仏教ではゴータマブッダは特殊な存在です。仏教の
創始者なので、もちろん法嗣を継ぐ必要がありません。
また、我を捨てよと指導されますが、ゴータマのみ
我を捨てる必要はありません。
そのコメントの方は説明を省略されたようですが、こ
のようなことを手短にゆわれたのだとおもいます。
うけうりで申し訳ありません。



1102 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 12:41
>当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。

1劫に1人とかいうのでしょう。1劫って何年。
1億年?地球ができて30億年。30劫?
私達はゴウタマブッダにたよるしかないでしょう。



1103 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 13:19
>1099
ということは、悪因縁まみれの
頭の悪い人は阿含では取り扱わないと言うことですか?


1104 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 14:42
>1011さん
法嗣、法統を受け継ぐことは重要だと思います。

いつの間にか法位が法統になってる…。
こう言うのを言葉のすり替えって言うんだよ。

>成仏の意味は阿含宗では明確に説明されています

その意味とやらが阿含宗独自の解釈で間違っているんじゃないのですか?
違うと言うならここでその明確な説明をしてください。

>また、我を捨てよと指導されますが、ゴータマのみ
>我を捨てる必要はありません。

…意味不明です。


1105 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:10
>1100さん
このテーマだと仏教全般の勉強と言うことに
なりますね。阿含宗ではちゃんと明確な言葉
で指導されていますので、阿含宗で勉強して
>ください。

私は単に、あなた方の言うブッダ(覚者)や成仏(解脱)
の意味がおかしいのでは?と指摘しているだけです。
その意味さえちゃんと答えられない、ということのようですね(笑)。


1106 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 15:19
>1104
>…意味不明です。

やっぱりきみには無理だったか。よーちえんの
お迎えいきます。あなたも3時頃から忙しいんでしょう。
は、か、も、り、さん。またね。





1107 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:20
>1102さん
>>当然、釈迦以前にも多くのブッダ(覚者)たちがいました。

>1劫に1人とかいうのでしょう。1劫って何年。
>1億年?地球ができて30億年。30劫?

本当になんにも知らないようですね。
覚者はいつの時代でもいますよ。
というよりやっぱり覚者の定義がおかしいとしか思えない。
覚者というのは別にスーパーマンでもウルトラマンでもないんですよ。
そういえば桐山さんは「超人」という言葉を使っていたような気がしました。
ニーチェに感化されたヒットラーじゃあるまいに…。
解脱の意味をよく考えてください。

>私達はゴウタマブッダにたよるしかないでしょう。

その釈迦自身が自灯明と言っています(笑)。


1108 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 15:40
>1106
やっぱりきみには無理だったか。よーちえんの
お迎えいきます。あなたも3時頃から忙しいんでしょう。
>は、か、も、り、さん。またね。

はかもり?誰かと勘違いしているようです。

説明できないからといってようちえんに逃げるようじゃなぁ…(笑)。
まあ、ここの部分はある意味で
一番答え辛いところだろうから、
必死になってごまかそうというんでしょう。
経典にこう書いてある、いや、そうじゃない、式の議論なら
ある意味、知識の問題だから、なんにも考えなくていい。
あまり知っている人のいない合同ミサの話しでも大ボラ吹いていればいい。
でもこのテーマは一番の核心にせまる部分だから
経典にこう書いてある式の逃げ方が出来ないですからね。
なんども言うようですがここの部分は非常に重要です。
阿含宗のアイディンティティに関わってくる部分ですから。

あなた方が真実だと信じて疑わないブッダや解脱の定義、
それが間違っているんです!!
だから経典にこう書いてあって
それが修行法だうんぬん言っても仕方がないんですよ!!!


1109 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 16:10
>1099さん、
本当に重い、重傷の人達は
なかなか正法を受けつけないですね。

わたしゃ「中途挫折の因縁」とその解消法である「○○行」とやらが、
論理的に矛盾している、ということを指摘しただけなんだがね。

>私の友人の信者は、物事をしっかり
>自分で考える知的な方が多いです。

しっかり考えれば、そもそも「中途挫折」の原因を因縁にしてしまうことに
無理があるし、ましてやその解消法として「○○行」などという
訳の分からないものを持ち出すこと自体がナンセンスだと気がつくだろうに…。


1110 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 18:09
>1096
>好きだから、良いところを一生懸命べんきょうする

物事を理解するのに、好き嫌いでやっているということは、
すでに信仰が先に来ています。
自分がそうだから、他の人もそうだというのは間違いです。

桐山さんはそういう信仰を否定しています。
桐山さんは、法華経を引用して、
信仰と理解は車の両輪だと本にまで書いています。
どちらに偏ってもいけないと言っている。

桐山さんのいうとおりに、
信仰するために理解しようと努力した人たちは、
阿含宗が矛盾だらけだとわかってしまう。
嫌いなところを探したのではなく、
信仰を深めようして、つまり好きになろうとして、
桐山さんの指示どおりのことをしたのです。
そういう信者は、ここには書き込めないのです。
反論される前に、自分がその反論がわかるからです。

だから、疑問を持たずに信仰を続けたかったら、
阿含村から一歩も出ないことです。


1111 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 18:15
>1098
>>1088さん。
>私は、こんな話は聞いたことがないのですが?

1088さんの話は事実です。
その打ち出しを読ませてもらったことがあります。
詳しくは覚えていないが、信者側はさんざんでした。

関東別院の例祭か定例会で桐山さんに報告書が提出されました。
報告書はたぶん打ち出しでしょう。

聞いたことがないということは、
1098さんがまだ信者ではなかったか、
でなければ、不勉強かのどちらかです。
阿含宗では都合の悪いことは、
信者も口をつぐんでしまい、早く忘れるのです。

桐山さんがこのスレッドのことを聞けば、
「何もわからない会員が勝手に書いて、
阿含宗管長に恥をかかせた」などと、
教学の矛盾や指導の不足を棚にあげて、
あなた方に責任転嫁しますよ。
ここで阿含宗のために必死に戦ったあなた方のことなど、
桐山さんは使い捨ての鉄砲玉くらいにしか思っていません。


1112 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 18:58
>1107
仏陀の教えを学び、自己を島(州)とせよ。
私達にとっての仏陀(覚者)はゴータマブッダ
しかいらっしゃいません。


1113 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 19:29
>1108
昼頃にあらわれるお坊さんとは違う方ですね。
たしか立正こうせい会とは関係のない、という方でしたっけ。

あなたが本当に、涅槃への道を歩みたいと思っている
のであれば、私も、こつこつと書いていってもいいの
ですが、ただ、阿含宗を批判したいばかりなのでしょう。
文章もあげあしとりばかりではありませんか。
そんなの、いちいち、反論するのはめんどうですよ。

仏教では、我を捨てよと言います。間違った考えがいっ
ぱい詰まっていたら、仏陀の正しい教えが頭(こころ)に
入らないのです。我を捨てて空っぽになってください。
その後で、仏陀の得た真理を学んでください。
仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。
これが仏教の出発点です。「私が真理と言うから真理なのだ。
瞑想を通して体験せよ」。ある意味で、無茶な論理ですね。
これを「天上天下唯我独尊」と言うのです。
(一般の方が唯我独尊になると「おかしい」と言うことになります)
私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
いのです。
批判のためのでなく、真理を見つけるためでしたらいずれお話
しましょう。



1114 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/26(月) 19:51
>1111さん、
阿含宗の方ですか。いいことをお聞きしました。
私も書きこみをやめます。
もう一人の方と同じく、仏様に誓います。
私のコメントはすべて受け売りです。
自分で考えたことなど一つもありません。懺悔します。
これでお終い。さよーなら。

禁止令など出ていないのだから、
呼び出し無しね。宗務局さん。


1115 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/26(月) 20:44

「一九九九年七の月」 33.祇園精舎を日本に移す

桐山氏は、18年前の本「一九九九年カルマと霊障から脱出」で
「もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね」
と述べています。
この地とは祇園精舎とそこにあるミラクルの池のことです。

地球壊滅の時、祇園精舎にもう一度来い、と釈迦から言われたというのです。
地球と人類を救うため、桐山氏は祇園精舎に行き、釈迦を日本に移すという重
大な使命を負ったのです。
桐山氏は釈迦から直々にこの指示を受けました。

この使命を桐山氏に託したのですから、釈迦は桐山氏を高く評価しているのです。
釈迦みずから桐山氏を自分の後継者として選択したのです。
釈迦の真の法を受け継ぐ唯一人の弟子としてのまぶしい桐山氏がそこにあります。
釈迦は、自分の法を体得した桐山氏にすべてを託したのです。
釈迦の期待を一身にあびる桐山氏の姿はなんと輝かしいことでしょう。

1999年、祇園精舎から釈迦を背負い、阿含宗の総本山にお招きするのです。
そして、阿含宗の総本山は、釈迦仏教の祇園精舎になる予定でした。

しかし、桐山氏は1999年にインドに行ったとき、祇園精舎に行きませんでした。
18年前に本に書き、各地で講演し、映画で大宣伝したのに、行きませんでした。

理由は、インド旅行だけでもきついのに、祇園精舎は田舎にあるからです。
脳梗塞を患っている78歳の桐山氏の体調を考えて、やめたのでしょう。
行かなかったのではなく、行けなかったのです。

桐山氏が祇園精舎に行くだけで当たったことになる18年前の簡単な予言なのに、
自分自身が身動きがとれず、当たらせることすらできない状態だったのです。
こういうのを自業自得か、それとも仏罰というのでしょうか。
桐山氏は自分が作り出した妄想の釈迦すら背負うことができませんでした。

熱心な信者はこの程度の矛盾や腰折れは物ともせず、
「1980年のときすでに釈迦は移された。ミラクルの池は空だ」
「1999年のインドの護摩で成就した」
と必死に桐山氏に頭を合わせます。



1116 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/26(月) 23:19
阿含宗では、大乗非仏説を主張しますが、阿含経以外に大乗経典である般若心経
も尊重するようです。ところで、般若心経は「般若経」と総称される一群の経典
の一つですが、般若経の中でも最も初期に成立したといわれる「八千頌(はっせ
んじゅ)般若経」では、仏舎利を礼拝供養するよりも、般若経を礼拝供養する方
がより多くの福徳が得られると説かれています。それは何故かというと、「般若
経」が説く般若波羅蜜−「智慧の完成」というさとりの境地そのものこそが、仏
陀の身体(シャリーラ=舎利)を生んだ真理の本質だからだという理由です。

 このことは舎利崇拝を中心に置く阿含宗の教義と完全に矛盾するのではないでし
ょうか。まぁ、般若心経を大乗非仏説によって排除してしまえば、一応は片づく
のですが「かんじーざーぼーさー」とみんなで読経できなくなったら困ります
からそれはないでしょう。
 いっそ、大乗も真理の教説=仏説だとハッキリ肯定してしまった方がいいか
も知れません。そうすれば阿含宗も大乗仏教に堂々仲間入りができ、坊さんが
護摩を焚いたり占いをしたりするのも「菩薩行」ということで大乗経典の名の
もとに正当化できて、後ろめたい思いをしなくてすみます。その代わり、伝統
仏教各宗派との差別化はあまりアピールできなくなりますが。

 もっといい手があります。「桐山師こそ仏陀の再誕なり」ということで、桐
山師の言葉=真理という教義にしてしまうのです。しかしこれだと「○○の○
○」の二番煎じみたいで、桐山師のプライドが許さないでしょう。

 阿含宗は桐山師が入滅された後は、桐山師の遺骨を真正仏舎利として本尊に
するのでしょうか。


参考文献:「大乗仏典2 八千頌般若経I」中央公論社刊
      中公新書 梶山雄一著「般若経」     


1117 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 00:53
大乗仏教の起源は仏塔に止住していた非僧非俗の菩薩集団が
指導的な立場に立っていたようです。

>1116 般若経の中でも最も初期に成立したといわれる「八千頌(はっせ
んじゅ)般若経」では、仏舎利を礼拝供養するよりも、般若経を
礼拝供養する方がより多くの福徳が得られると説かれています。

仏塔に寄進された供物を取り込むため、
僧院教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した大乗仏教運動に、
引き寄せるためでしょう。

> このことは舎利崇拝を中心に置く阿含宗の教義と完全に矛盾するのではないでし
ょうか。まぁ、般若心経を大乗非仏説によって排除してしまえば、一応は片づく
のですが「かんじーざーぼーさー」とみんなで読経できなくなったら困ります
からそれはないでしょう。

般若心経の「空論」がわかりすく、簡潔に
まとめられているので読経しています。

依経ではないです。

般若心経の「智慧の行」を長年探し求めて、
それを阿含経のなかに見出し、依経としました。
大乗経典をすべて否定しているわけでは無い。

ただ、すべての経典の首座に阿含経を据える、
これが仏教の本流であり、
釈尊の本願であると桐山管長はお考えになられているのでしょう。

詳しくは「般若心経瞑想法」をお読みください。

> いっそ、大乗も真理の教説=仏説だとハッキリ肯定してしまった方がいいか
も知れません。そうすれば阿含宗も大乗仏教に堂々仲間入りができ、坊さんが
護摩を焚いたり占いをしたりするのも「菩薩行」ということで大乗経典の名の
もとに正当化できて、後ろめたい思いをしなくてすみます。その代わり、伝統
仏教各宗派との差別化はあまりアピールできなくなりますが。

阿含宗は菩薩乗と阿羅漢乗とが融合した
「一仏乗」です。

強いて近代仏教学の研究成果を否定することも
無いとおもいますが。まあ、このあたりは
それぞれの宗派のご都合もおありなのでしょうが。

> もっといい手があります。「桐山師こそ仏陀の再誕なり」ということで、桐
山師の言葉=真理という教義にしてしまうのです。しかしこれだと「○○の○
○」の二番煎じみたいで、桐山師のプライドが許さないでしょう。

そう思っている信者さんもいるでしょうね。

そんなつまらない内容の本や法話はしませんよ。

> 阿含宗は桐山師が入滅された後は、桐山師の遺骨を真正仏舎利として本尊に
するのでしょうか。

もう墓所が決まってますから、それはないでしょう。

かなり辛辣なご意見ですね。でも、折り目正しい文章に
好感をもっています。





1118 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 01:52
ご丁寧なレスにてご教示いただきありがとうございます。

 > 1116 いっそ、大乗も真理の教説=仏説だと
 歴史上の人物であるゴータマ・ブッダの教説だから仏説なのではなく、
 真理(ダルマ)が説かれているから仏説であるという、大昔からある論理ですが
 ちょっと言葉足らずでしたか。

 >阿含宗は菩薩乗と阿羅漢乗とが融合した一仏乗です。
 門外漢なので知りませんでした。以前の信者さんの書き込みでは、ブッダと、後
 に声聞と呼ばれる仏弟子たちのさとりは同等である旨ありましたので、阿含宗で
 は釈尊を福智二資糧を集積し現等覚した一切智者とは見なしていないのかと思っ
 ておりましたが・・・


 ところで、仏教は釈尊の絶対の教えであったはずの、出家→梵行(禁欲的修行)
 →渇愛を滅して涅槃というシンプルな教義から、やがて大乗が興起して「発展」
 し、密教が出現し、果ては無上ヨーガタントラに至り、ついには故郷であるイ
 ンドから姿を消したという歴史的をたどったわけですが、阿含宗では何故仏教
 は阿含経に説かれるようなかたちにとどまらず、「展開」したと考えておられ
 るのでしょうか。
 例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
 三十七菩提分法の具体的修行法を忘れてしまったためですか。
 それとも差別化を図るための営業戦略(いわゆる加上)だったのでしょうか。


 後世の史家は、こう評するかもしれませんね。

 阿含宗の起源は京都方広寺に寄生していた非僧非俗の拝み屋集団が
 指導的な立場に立っていたようです。
「念力護摩」と壁に大書された汚い木造モルタル家屋が近年まで建
 っていました(まだあるのかな?)。
 阿含経を宣揚し、仏舎利崇拝を後年取り入れたのは
 近代仏教学を取り込むため、
既存教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した宗教ビジネス運動に、
引き寄せるためでしょう。


 


1119 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 04:22
>1113
昼頃にあらわれるお坊さんとは違う方ですね。
>たしか立正こうせい会とは関係のない、という方でしたっけ。

私はお坊さんではありません。
また、確かに立正こうせい会とも関係ないですが、
以前にそういう発言しましたっけ?

>あなたが本当に、涅槃への道を歩みたいと思っている
のであれば、私も、こつこつと書いていってもいいの
>ですが、ただ、阿含宗を批判したいばかりなのでしょう。

それは大きな勘違いというものです。
確かに阿含宗を批判したい気持ちはありますが、
それはあくまで阿含宗が嘘を、それも仏教理解に関して、
非常に危険な嘘をついているからです。
これを読んでいる人の中には、
阿含宗は確かに嘘を言っているが、きっとどこかに、
たとえばチベット密教とか別のどこかに、
本当の成仏法があって、それを修めれば超人のような存在になれる、
と思っている人もいるかもしれないし(少ないだろうが)、
そのような嘘が、ある意味でオウムを生んだ、
という背景があるからなのです。
つまり阿含宗を攻撃しているのではなく、その嘘を攻撃しているのです。

>文章もあげあしとりばかりではありませんか。
>そんなの、いちいち、反論するのはめんどうですよ。

「あげあしとり」とはまたお得意の言葉のすり替えですか?
それにいちいち反論してるじゃないですか、本論をはぐらかしながら。

あなた方信者のほうこそ、はっきり間違いを指摘され論破されても、
好きだからやってる、などといって結局自分の間違えを訂正しようとはしないようです。
本当に正しいことを指摘されても、それを正さないで言葉のすり替えを行う、
というのは、まずはじめに阿含宗ありき、だからでしょう。
もっとはっきり言えば、あなたにとっては何が正しいか、
何が真実か、などはどうでもいいことなんだ。
阿含宗の抱える矛盾も嘘もどうでもいい。
結局、(阿含宗の中にいる)自分がかわいいだけじゃないですか。

>仏教では、我を捨てよと言います。

あなたがこのスレッドの議論の中で必死に守ろうとしているその「我」を
どうぞ捨ててください(笑)。

>間違った考えがいっ
>ぱい詰まっていたら、仏陀の正しい教えが頭(こころ)に
>入らないのです。我を捨てて空っぽになってください。
>その後で、仏陀の得た真理を学んでください。

これであなたがトンデモない勘違いをしている、
ということがいよいよはっきりしてきました。
あなたは空観というものがどういうものであるのかさえご存じない。
それと根本的なことを一つ。
これはともすると仏教者でも誤解していたりすることですが、
仏陀は正確にいうと、無我ではなく非我を教えたのです。
「我」という想い、「自分」とか「私」という感覚、
すなわち自性を否定したのです。
それにそもそも「空」とは単純に「無い」とか
「空っぽ」ということではない。
有=無
という対比というのは、現象世界の相対性の中での捉え方で、
そういう「無い」ということさえ無いのが「空」なんです。
これってはっきり言って基本中の基本だと思いますが。

このあなたの考えを読んでいると、つい最近読んだ
「日本社会がオウムを生んだ」
という本を思い出します。
その中で元オウムの信者が、同じように麻原から言われて
多くの信者がヘッドギアをつけて修行をしていた、ということを言っています。
あなたがここで言ったのと全く同じように、麻原も弟子たちに、
空っぽになれ、そこに真実の教えを入れるのだ、と言っていたのです。
これも阿含宗から学んだことだったのですね。よく分かりました。




1120 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 04:24
1119の続きです。

>仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
>、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。

だれがそんな大嘘をあなたにおしえたのですか?
桐山さんですか?
真理は当然ながら誰にとっても真理です。
釈迦以前にも覚者がいた、という話をしましたが、
別に釈迦が言おうが言うまいが真理は真理です。

それにこんなこと、いまさら言うのもばかばかしいくらいですが、
そもそも仏典というものは、一番最初に
「私はこのように聞いた」
という言葉で始まっています。
これはようするに、仏典というものが釈迦が自分で直接書いた物ではなく、
伝聞である、という忠告です(これくらいもちろんご存じですよね?)。
伝聞ですから、もしかしたら間違っているかもしれない。
釈迦は本当はもっと別のことを言いたかったのかもしれない。
たまたま、わかりやすく方便を言っていただけなのかもしれない。
だから釈迦が死の床にある時、
私が亡き後は自らと法を頼りにしなさい(自灯明法灯明)、
と言ったのでしょう。
経典に書いてあること(私の言ってること)を頼りにしなさい、
とは一言も言っていない。

>これを「天上天下唯我独尊」と言うのです。

これもでたらめです。
これは「意識」というものが本来持っている性質を端的に述べたにすぎません。
もっともこれに関してはあなたに限らず誤解している人が多いようですが。
詳しく解説してあげたいのですがかなり長くなってしまいますので…。

>(一般の方が唯我独尊になると「おかしい」と言うことになります)
私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
>いのです。

誰の我であれ、我は我です。
それにそもそも
捨てるも捨てないも、自性というのは最初から認識の誤りで、
最初からないのですから捨てようがありません。

それに「誰が」その我を捨てようと努力するのですか?
瞑想して、我を捨てよう、と思うのもまた「我」です。

あなたは真我(アートマン)のようなことを指して、
仏陀お我は…と言っているつもりのようですが、
あまりにも幼稚な解釈なので
どこから正してあげればいいのか迷ってしまうほどです。

>批判のためのでなく、真理を見つけるためでしたらいずれお話
>しましょう。

あなたは少々私を見くびっているようですね。

あなたが阿含宗を弁護するためではなしに、
間違いは間違いとはっきり認め、
真理を見つけるためでしたらいずれお話しましょう(微笑)。


1121 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 05:07
素朴な疑問。
桐山さんは、僧侶ですか?
それとも在家信仰者ですか?




1122 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:24
>1119さんこんにちは。
逃げ腰の中途半端な会話になって、申し訳なく思っています。
逃げ腰なのは議論に対してではなく、阿含宗から注意を受ける
のではないかと思っているからなのです。ですから、コメント
をいただいて、おかしいな、と思われるところを指摘して、
さっとひくとういう態度なので、不快感をお与えしていると思
います。申し訳ありません。
「我をすてる」と言う言葉ですが、ただ単に世間で言う「我を
捨てなさい」「私の考え」と取ってください。
存在論、空性論の「我、アートマン」の意味では書いていません。
無我や非我について書くとなると、長いスレッドになりますので
ちょっとまずいですね。
昨夜の11時ころから始まっているスレッドは、阿含宗関係のかた
だと思います。そのあたりにコメントをつけると解答がえられる
かもしれません。
ということで、私は、ここを立ち去りたいので、ご容赦ください。
お元気で。



1123 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:48
>1120さん
>真理は当然ながら誰にとっても真理です。
>釈迦以前にも覚者がいた、という話をしましたが、
>別に釈迦が言おうが言うまいが真理は真理です。

釈迦以前の覚者はいたでしょうが、現実的に私達が
その教えに触れることのできる方は、ゴータマブッダ
ただお一人だと思うのです。このあたりの考えを
あまり敷衍しますと、何でもありの宗教が乱立する
ような気がするのです。
?氏が、数劫前の覚者だれそれの生まれ変わりであ
るとか。ですから、私は、教えとしては、この2000数百年
の現在の地球文明の範囲で考えたほうが良いと思うのです。
宇宙全体で考えた場合、覚者は恒星の数より多いでしょう。
無限大かもしれません。しかし、私達にとっての恒星=太陽
はゴウタマブッダしかおられないと思うのです。
それでは、昨夜から始まりました(誤解かもしれませんが)
阿含宗スレッドにコンタクトしてみてください。お返事は
なかなか得られないと思いますが。また時間単位ではなく、
日単位のお返事だと思います。それでは、さようなら。




1124 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 10:57
>1112 昨夜の11時ころから始まっているスレッドは、阿含宗関係のかた
だと思います。そのあたりにコメントをつけると解答がえられる
かもしれません。

無責任な発言ですね。そんなことなら黙って立ち去るほうが
よほど良心的なのではないですか。別に発言が義務付けられてぃる
わけではないのだから。議論以前の問題ですね。まあ、そういうかたは
あなたに限ったことではないですが。

もう二度と来ないでください。迷惑ですから。




1125 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 11:06
>1124
しかし、読解力のない方でした。


1126 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 11:58
阿含経や法句経などに死者に対する供養や水子供養のことを
説かれているのでしょうか。阿含宗ではそれらをどのように
考えているのでしょうか。
こんな質問は以前出たかもしれませんが。


1127 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 12:34
>1119さん
>仏陀は正確にいうと、無我ではなく非我を教えたのです

桐山さんも、「無」と「空」の違いを昔から説いています。
無我と非我は理論的には教えるが、
現場では、日本の新興宗教でよくつかう
「我をなくせ」「我が強い」的な意味に使うのです。
信者たちは自分でも気が付かないで、
本音と建て前を使い分けしています。

阿含宗は、建前は釈迦仏教、本音はただの御利益新興宗教です。
書き込む信者がそのどちらに偏っているかの違いです。
現場のおばちゃん先達の話なんか、御利益信仰そのものです。
本音としては、先達が桐山さんの教えとすら違うことを言っても、
成績さえあげれば、桐山さんも職員も決して文句を言わない。
建前の理屈だけなら、「一仏乗」なんて難しい言葉が出てくる。
もっとも本人にこれを詳しく説明しろと言われたら、
桐山さんの本を丸写しするしかないでしょうけど。

好き嫌いの他に、桐山さんの言っていることとやっていることの
ギャップを矛盾と感じるかどうかの「神経」です。
アノ矛盾だらけの阿含宗を見ていて、指摘されても、
何も感じないというのは、神経が鈍感なんだと思いますよ。

議論に口をはさんですみません。
だが、あまりに力に差があるので、
信者さんを弱者救済せんといかんような気になりました。
救済にもなってないか。


1128 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 13:40
>1127さん
無我、非我の「我」は、存在論の範疇でしょう。
存在論の「我」がどうして心の持ちようという
指導の場面にあらわれるのですか。
両者は、ただ単に漢字が同じというだけです。
陽子(ようこ)と陽子(ようし)が同じ漢字
なので混同するのと同じくらいおろかです。
文脈からどちらの「我」かを判断するのです。
故意に混同したのならあげあしとりだし、故意
でないのなら、読解力の不足です。


1129 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 13:49
身見のことを、分かりやすく
ここでは、我見と言っているだけです。
「我を捨てよ」と言った文脈で
まさか、アートマンと身見(我見)を
混同してコメントを付けてくるとは
思わなかったのです。
よーちえん行きます。今日はおむかえ2時です。




1130 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:14
>1126さん、
おむかえはどうせ遅刻です、お友達に頼みました。

解脱供養、水子供養についてですが、正式には阿含宗の
コメントがあると思いますのでそちらでどうぞ。
(以下私見です)
わたしはこの問題は仏教徒は死者の供養をすべきかどう
かという問題と、その際に料金を取っていいかどうかと
言う2点に絞られると思います。
死者の供養は仏陀の時代には当然していたと思います。
料金は取っていなかったと思います。その代わりにご供養
はしたのでしょうね。これは、別の機会にです。その時には
できませんから。
現代では、どの仏教教団でも死者の供養はしていますので、
問題ないと思います。お礼のご供養金のほうも、阿含宗の
ようにはっきりと決まっているほうが主婦としてはうれし
いです。
「いくらでも結構です。お志。お金なんて要りません。」
などというのが一番怖いですね。お金は教団運営には必要
ですし、供養も信じられないほどの供養力がありますので
満足しています。
ここまでは書きたくないのですが(分かってくれない人も
いますので)、水子が死者でないという方がおられましたら
、それは、なにをかいわんや、ですね。
キッズ(複数形)がもう帰ってくると思いますので、パソコン
切ります。さようなら。
追伸、文中で「供養」と「ご供養」を一応使い分けています。



1131 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:25
ついでに、
我(アートマン)は捨てよとか捨てるなとか
言うものではないでしょう。
常住なのか、常住でないのか、無なのか、有なのか、
空なのか。
私は簡単に「条件により生じ、また滅す。=空」
ととらえています。




1132 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 14:40
>1126
出家者は釈迦の葬儀(すなわちそういう俗事)
にかかわるなといっていますね。
理由は釈迦の思想をたどれば、当然ですね
在家はかまわないんじゃないんですかね


1133 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 14:45
>1132さん、やっとお昼休みですね。

>出家者は釈迦の葬儀(すなわちそういう俗事)
>にかかわるなといっていますね。

お葬式の用意(雑事)はしなかったと思うのですが、
偈は唱えていたと思いますよ。供養のメインは偈の
唱和でしょう。そして、以外と、出家、在家が協力し
ていたと思う。今のように。


1134 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 16:55
>1115
ヌマエビさん、迫力ないですね。読んでいるうちに信者になった?
賞賛しているみたい。ただ一つ病気誹謗があるだけ。

病気を誹謗すると言うことは世間ではまったく行いません。
日蓮系の特徴ですね。仏罰という用語も日蓮系のバックグラウンド
を感じさせます。
腰折れという言葉は、意味、用法がまちがっています。お粗末でした。


1135 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 17:57
>水子が死者でないという方がおられましたら、
 それは、なにをかいわんや、ですね
と言われても、もともと水子とは稚い子、2,3歳の子のことです。
流産や中絶した胎児を水子と言うようになったのはここ30年くらいの
ことではないでしょうか。釈尊が流産した胎児のことを考えていたとは
思えないのですが。
>供養も信じられないほどの供養力がありますので
供養力という言葉を初めて知りました。阿含宗で使うのでしょうか。
経典とまでは言いませんが桐山氏以外の人も使っていますか。



1136 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 20:24
↑しかしみなさん、あげあしとりが
おすきなようで。供養をしてさしあげる力
に訂正します。素人語です。
素人語も辞書には載っていないですね。素人の言葉
に訂正します。
>1135さんは、流産を経験した女性の苦しみを
知らない方ですね。


1137 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 20:26
>1135
流産というのはね、我が子の死なのですよ。


1138 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/27(火) 20:51
>1128さん
>存在論の「我」がどうして心の持ちようという
>指導の場面にあらわれるのですか。

これを信者でも教祖でもない私に聞かれても困りますね。
教祖さんたちにとって、信者に
「教祖の教えを信じないのは我が強いからだ」
と言うことを聞かせるのには、ちょうどいいからではありませんか。
おっしゃるとおりで、無我や非我と、
心の「我が強い」とは関係ありません。
1113さんが、「我を捨てて空っぽになってください。」とか
我を捨てる、という表現をしています。
1113さんは、無我や非我と、
心の持ちようとの区別がついていません。
それは1128さんが指摘したとおりです。
しかし、その原因は、1113さんが誤解しているだけではなく、
阿含宗などの新興宗教では、これら関係ない両者を
いっしょにして説いているからだ、と申し上げたのです。


1139 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 21:09
>1134さん
へえー、こういう解釈もできるんだー。
前半は賞賛じゃなく、目一杯小馬鹿にしてるように、
おれは読めるけど。
病気を誹謗してるんじゃなくて、
教祖さんのやっていることに脈絡がないと言っているんじゃないすか。
「腰折れ」も、歌がうまく上と下が続かないことを言うわけよね。
桐山さんが最初に言ったことと、後でやったことの間に
脈絡がないことをたとえて使うのは、「お粗末」ですかねえ。
ヲタク、国語の先生?
採点してないで、教祖さんを罵倒されてるんだから、内容で反撃したら。
「祇園は京都にある!」とか書いたらどー。


1140 名前: 1135 投稿日: 2000/06/27(火) 22:22
揚げ足取りではない。供養とはどういう意味かを考えてもらいたい。
死者に対して経を読んだり、教団に布施することが供養なのか。
流産した女の気持ちが分からないと言うが、妻は3回流産している。
何とかしてやりたいのが人情だが、はたして死者に対してなにができる
のか。大切な人の死を縁としてどう考えるか。そうした問いかけがなく、
ただ供養しなさいでは自己満足に終わる。だからいわゆる水子供養は
そのあたりが安易である。自分が死者に何かできる、してあげるんだと
いうのは傲慢だ。


1141 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:31
>1140
さん、阿含宗の供養は安易ではないと思いますよ。
流産や幼い子供を亡くした人が、供養の後はとても明るいのです。
近所の、ダウンしょうの、お子さんを亡くした人は、
もう5年以上たっていますが、悲しみに打ちひしがれています。
死者が苦しんでいるのです。言ってあげる事もできないのですが。
子を亡くした親は悲壮です。


1142 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:40
>1139
文章をみると、挫折の意味で使っているからおかしいような気がするが、
歌や俳句に例えたのなら高級な表現だと思う。その時はせめて、腰折れ
歌とでもしてほしかった。話題が歌で無いのに、突然、腰折れはおかしい。

仏罰;仏陀は法を教える先生なのです。罰は与えません。
仏教には無い概念だと思うのです。使用されるのは日蓮系だけですね。
日常的には使うかもしれませんが。
ほうぼう者は病気になれ、なるがいい、というのも、日蓮系の発想だと
思います。
他の宗派は病気の人は責めないですよね。


1143 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:47
>1138さん
アートマンの無我、非我と身見をなくすの(無我)を混同して
いるのは伝統仏教の方に、むしろ多いでしょう。
阿含宗では、我見といわずに身見といっていますから。
無我とか無我の境地という言葉は使いません。むしろ禅などで
多用(混同)されるのではないでしょうか。
そこまで、考えている人は少ないでしょうから、一般用語の
我見や我は使っていますが、これはどこでも同じです。

これから、混同しないように、身見という言葉を普及させれば
良いのですね。(素人の発想で申し訳ありません)


1144 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 22:58
>1139さん。
私は祇園精舎、サヘトマヘトが、京都山科北花山大峰にある
釈迦山大菩提寺に移された。それは仏勅によりものであると
思っていますので、かのコメントが賞賛としか読めないのです。

ローマバチカンのことも、モンゴルの奇跡のことも、映画や
写真が無ければ誰も信じないでしょう。サヘトマヘトが移され
たことは霊的なものですから、わからない人にはわからないの
です。燕雀、鴻鵠の志を知らずですね。


1145 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/27(火) 23:02
>1139さん

「祇園精舎は京都にある!」


1146 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/27(火) 23:18
もしかして、ここの板にしてはこのスレッドって盛り上がってる?
阿含宗の信仰者と否定してる人とが戦っている状態なのですか?
一体何人の信者、否信者が会話してるのですか?


1147 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 00:52
>1138さん
>1113さんが、「我を捨てて空っぽになってください。」とか
>我を捨てる、という表現をしています。

この文面における我をアートマンととるのはやじはりおかしいと思います。
アートマンというものは「あなたの本質、本体、アイデンティティー」
なのです。あなたがあなたたる所以ですね。私は簡単に表現すると
私のアートマンは無明から始まり、渇愛(取)に著明にその存在感を
誇示する一連の連鎖だと思っています。
ちょっと舌足らずな表現でしたが、捨てられるようなものではないですよね。
これをたとうと思えば、無明を断つしかないわけで、初心の修行者が一足飛
びに涅槃を、ということになってしまいます。
ですから、この文脈ではやはり、我見(身見)のことを示していると
思います。
あんたの、ごちゃごちゃした考えを捨てて、仏陀の話を良く聞きなさい
という文面だと思いました。



1148 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 00:55
>1146
にゃにゃさん、こんばんは。
にゃんともたいへんです。
何か質問してね。


1149 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:00
>1146
にゃにゃさん歓迎。
みんなの頭を冷やしてやってください。


1150 名前: 火で洗礼する方は? 投稿日: 2000/06/28(水) 01:06
>781さん

>バプテスマのヨハネが言われた、私の後からきて
>火で洗礼する方はどなたなのですか。

読みおとしていました、ありがとうございました。


1151 名前: 火で洗礼する方は? 投稿日: 2000/06/28(水) 01:07
みなさまどう思われますか?
いろんなご意見を聞きたいと思います。忌憚なく
どうぞ。


1152 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:09
聖書が間違っているんじゃないの。


1153 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 01:47
>1152 聖書が間違っているんじゃないの。

苦しい解釈ですね。ヨハネの「火によって洗礼をさずけられる」の言葉が
いままで削除されなかったほうがわたしなどには不思議な印象をうけますが。

ゾロアスタ―教じゃあるまいし。




1154 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 02:51
>1122さん
>1119さんこんにちは。
逃げ腰の中途半端な会話になって、申し訳なく思っています。
逃げ腰なのは議論に対してではなく、阿含宗から注意を受ける
のではないかと思っているからなのです。ですから、コメント
をいただいて、おかしいな、と思われるところを指摘して、
さっとひくとういう態度なので、不快感をお与えしていると思
>います。申し訳ありません。

別に謝ることはありません。あなたが阿含宗を弁護するためにここに現れている、
というのは最初から分かっていますし、1119で指摘した通りですから。
むしろ素直に本当のことを認めていただいて恐縮です(笑)。

>「我をすてる」と言う言葉ですが、ただ単に世間で言う「我を
捨てなさい」「私の考え」と取ってください。
>存在論、空性論の「我、アートマン」の意味では書いていません。

もちろんそのつもりで書いています。私がアートマン?と聞いたのは、
あなたが

>私達の持っている我は真理ではありませんから捨てる必要が
あります。仏陀の我は、イコール真理なので捨てる必要はな
>いのです。

と書いたから、その部分をのみ指して言っています。
私たちの我が我見でも身見でもいいのですが、そういうものだとして、
それならあなたがここで言っている仏陀の我は何なのでしょう?
あなたがこういうおかしなことを言うから、じゃあ、あなたの言ってる
この「仏陀の我が真理」というのはアートマンのことを指して言ってるのかなと…(笑)。

いや、あなたの話のはぐらかし方があんまりうまいのでほとほと感心してしまいます。
これでは私がまるで、あなたの言う「我」とアートマンを混同しているみたいじゃないですか、全く…。

もう一度よく読んでほしいのですが、あなたの言ってることが我=我見であることは
もちろん分かっています。ただ、言葉の使い方が人を惑わす紛らわしい使い方で、
たとえばあなたは一番最初に“仏教では、我を捨てよと言います。”の一言で入っていますが
これは非常に紛らわしい。
1127さん(>サンキュー)が指摘してくれているとおり、
意図的なものを感じます。
そのことの危険性を分かってもらうために、わざわざ、
麻原も全く同じことを言っていた、という話を間においているのです。
読解力がないのはどちらでしょうね?

さらにまた、よくよく読んでいただきたいのですが、
私は我見を無理に捨てることはないと思っています。
そんなことは不可能ですし、究極的にはどうでもいいことです。
なぜなら瞑想体験が有る人なら誰でも知っていることだと思うのですが、
この肉体が自性でないのと同じように我見もまた自性ではないのですから。
あなたは肉体が自性でないから、間違ったものだから、動かしてはいけない、
じっとしていなさい、といいますか?
人は真理に目覚めない限り、我見を持ち続けるしかないのですよ。

我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。

善いも悪いも人はその我見を持つ以外ないのです。
むしろ棘を持って棘を抜く、というたとえの通り、
それをうまく使うなら、使うすべを知っているなら、
それは立派な知恵に変容するんです。
これを無理に空っぽにして、あなたが言うところの真理とやらをそそぎ込んだら、
それは世間一般でいうところの
「洗脳」
と呼ぶものにしかなりません。

それと、これもまた後で言葉のすり替えをしたり、
いや、そう言う意味じゃない、みたいないいわけをするのでしょうが、
そもそも真理って頭に入れたり出来る物なんですか?
仏典に書いてあることは所詮、どんなに正しくても、
一つのデータ、情報、知識にしかすぎません。
そして、もちろん情報、知識は学べます。
頭を空っぽにしてそこに知識として入れることは出来ます。
しかしそれで真理が体得出来るわけでは有りません。

おっと、こういう書き方をすると、
いや、阿含宗では顕教で教えない瞑想をちゃんと教えているだの、
言葉だけではだめだから実践(行)を重視している、そのための成仏法がある、
と反論するんでしょうね。
はっきりご忠告差し上げておきますが、そんなことは100も承知、
200も合点で批判している、ということをお忘れなく(笑)。

>ということで、私は、ここを立ち去りたいので、ご容赦ください。
>お元気で。

どうそご自由に、別に私は引き留めませんよ(笑)。


1155 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 02:51
>1118 真理(ダルマ)が説かれているから仏説であるという、大昔からある論理ですが
 ちょっと言葉足らずでしたか。

大乗仏教運動は当時のインドの庶民のみならずさまざまな階層、立場のかたがたが
経典製作に関与していたみたいですね。高度かつ難解な仏教哲学を修めた僧侶も
なかにはいたでしょう。一般庶民のみならず。さもないと経典としての最低限の
体を成すのが難しくなりますからね。

でもなにゆえインドでは大乗仏教は撤退したのでしょうか。不思議です。
釈尊ご在世当時は、在家信者自身が解脱の確信を得たようですが
そうした事が無く、ただ経典製作に励んでいたのか。

ひとそれぞれの真理という意味では、それも意義のある行為かもしれませんが。

真理に目覚めたひと、覚者という言葉を聞いてクリシュナムルティを
イメ―ジするひといようし、あるいはラジニ―シかもしれない。
そうなると、どこまでいっても言葉のパズルか連想ゲ―ムみたいなものに
なりますね。

「覚者はいつの時代にもいる」という解釈も、成り立つかもしれない。

> ところで、仏教は釈尊の絶対の教えであったはずの、出家→梵行(禁欲的修行)
 →渇愛を滅して涅槃というシンプルな教義から、やがて大乗が興起して「発展」
 し、密教が出現し、果ては無上ヨーガタントラに至り、ついには故郷であるイ
 ンドから姿を消したという歴史的をたどったわけですが、阿含宗では何故仏教
 は阿含経に説かれるようなかたちにとどまらず、「展開」したと考えておられ
 るのでしょうか。
 例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
 三十七菩提分法の具体的修行法を忘れてしまったためですか。
 それとも差別化を図るための営業戦略(いわゆる加上)だったのでしょうか。

何故「展開」したのでしょうね。わたしもそのあたりの事情について書かれた
ものを探していますが、いいのがありませんね。というか、デ―タは丹念に
拾いあげるが結論がおかしいとか。

まずはじめに「大乗仏教ありき」なのでしょうね。

在家信者に対する指導に失敗した、というのがインドで
仏教が衰退した原因でしょう。無駄なことにエナジ―を浪費したく
ないでしょうし。よき指導者も少なくなった。そうすると、
運動もおのずと尻すぼみにならざるを得ない。

> 後世の史家は、こう評するかもしれませんね。

 阿含宗の起源は京都@@@に寄生していた非僧非俗の拝み屋集団が
 指導的な立場に立っていたようです。
「念力護摩」と壁に大書された汚い木造モルタル家屋が近年まで建
 っていました(まだあるのかな?)。
 阿含経を宣揚し、仏舎利崇拝を後年取り入れたのは
 近代仏教学を取り込むため、
既存教団との差別化を図るため,
智慧を得るための修行が不可能な
一般庶民に安心を与え、
自分たちの提唱した宗教ビジネス運動に、
引き寄せるためでしょう。

固有名詞をだすのは非常識というものです。

先方に対する迷惑も考えましょう。公人と果たして言えるかどうか。

後世のひとにそう言われないようにしたいものですね。


1156 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 04:33
>1123さん
釈迦以前の覚者はいたでしょうが、現実的に私達が
その教えに触れることのできる方は、ゴータマブッダ
ただお一人だと思うのです。このあたりの考えを
あまり敷衍しますと、何でもありの宗教が乱立する
>ような気がするのです。

お気持ちはよく分かります。
ですが、申し訳ないのですが、
これはすでに何百年の昔から言われ続けてきたことで、
あなたがご存じないだけですでに結論が出ていると思います。

これに関して一番簡単で有名な例えは、例の月を指す「指」の例えでしょう。
これは、「真理」を空にかかる「月」に例えて、仏陀の「教え」を「指」に例えるものです。
大事なのはもちろん月であって指ではありませんし、
月は一つでしかあり得ませんが、指は何本でもあり得ます。

>?氏が、数劫前の覚者だれそれの生まれ変わりであ
るとか。ですから、私は、教えとしては、この2000数百年
の現在の地球文明の範囲で考えたほうが良いと思うのです。
宇宙全体で考えた場合、覚者は恒星の数より多いでしょう。
無限大かもしれません。しかし、私達にとっての恒星=太陽
>はゴウタマブッダしかおられないと思うのです。

だからあなたは根本的に勘違いしているんです。
上に書いた例えを読んでください。
大事なのは「月」であって「指」じゃない、って書いてありますね。
その(大川某氏のことだと思うのですが)?氏が、
数億年前の覚者の生まれ変わりだと言っているなら
かってに言わせておけばいいのです。
だって彼がもし仮に万が一(というより何十億劫が一?)
本当の覚者の生まれ変わりだったとしても、
それでも彼は1本の指にしかすぎないから重要ではありません。
大事なのは、どこまでいっても月=真理のほうです。

そう言えば誰かが、
禅の伝統では、師に会ったら師を、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、
と教えているんでしょう?と言っていましたが、
それも基本的には同じ理屈です。
もちろん彼らは実際には殺しませんよ(笑)。ちゃんと敬います。
ですが「指」を無条件で信じたり崇拝したりはしません。それでは危険きわまりない。

それでもあなたは、いや、仏陀なら信じても安心だ、と反論するのでしょうが、
私に言わせれば、それは?氏を崇拝するのと同じくらい危険です。

というのも、そもそもあなたは何を根拠に真理を真理と知るのでしょう?

何かがあなたの中でそれが真実だ、と感じるからでしょう?
では何がそうあなたに教えるのでしょう…?
…よく考えてください。
あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
をもっと育てなければなりません。
私に言わせれば、それだけが唯一の本当の「師」です。

そう言えば誰かさんが
>「仏陀の得た真理は真理なのです。どうして真理かと言うと
>、仏陀が「私の得たものは真理だ」と宣言したからです。
と得体の知れないことを言っております。
こういうでたらめを信じては危険です。
だって阿含経といえども伝聞ですからね。
間違っている可能性は否定できない。
さらに「解釈」の問題がある。
仏陀はもうこの世にいないのですから、どういう意味で言ったのか
解釈に幅が出てきたときどう解決するつもりなんでしょう?

だから宗教の理解というのは、基本的には個人的なもので、
人の言ってることを信じればいい、というのはどんな場面でも危険なんです。
たとえそれが仏陀の言ってることであったとしてもね。おわかり?


1157 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 09:34
>1153 さん、おはようございます。

私達会員の間では、火の洗礼は阿含のお護摩のことだと
思っています。阿含宗が公式にそんなことは言っていないと
おもうので、会員が勝手に言っていると言うことです。
このあたりは、詳しくないのですが、他の、会員の方いかが
ですか。


1158 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 09:49
皆さん名無しさんになってるのが多いので、文脈から信者、否信者と判断するしか
ないのですが、一つの書き込みを意味を理解しようとしながら分析するのが
とってもとってもしんどいです。にゃんともはや。
やっと今、1000台まで読みました。書き込むときにHNを使うとか、
せめて信者か否か、肯定派か否定派かだけでもあると分かりやすいのにニャぁ…。


1159 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 09:51
インターネットについて。
阿含宗ではインターネットは禁止なのでしょうか。
ニフティ−の件は、いろんな人に聞いてみた
のですがあまり知られていないようです。
会員のかた、元会員の方いかがですか。
このスレッドを読んでみますと、元会員の方のほうが
よくいろいろ知っておられるような感じがします。
(教学も含めて。会員さんすみません。)


1160 名前: 1140 投稿日: 2000/06/28(水) 10:14
立正佼成会や霊法会のスレッドにも同じようなことを書いたが馬耳東風だった。阿含宗の信者も同じく無意味だろうが、供養について書く。
死者に対する供養を言う人は死者を仏として供養しているのではない。死者を霊、それも迷ったり祟ったりする霊として考えている。だから死者が迷わないよう祟らないようにと供養している。どこかいいところへ行ってもらいたい、自分の罪を消したい。そう思っている。
そして供養することによって何らかの御利益があることを期待する。だから供養力とは供養することによって御利益が得られる可能性が強力だという意味だろう。こんなことを言うと、御利益なんか考えていませんとすぐに答える人が多い。それは自分の心が見えてないだけだ。
供養とは本来、三宝に対して供養をする。私の迷いを気づかしめ、私の歩むべき道を示された仏に供養をするのである。つまり供養する心の根本には感謝、喜びがある。
当然、何らかの見返りを期待するものではない。供養したのだから死者がいいところに行っただろうとか、私は善根を積んだとかいうのも見返りである。
流産した胎児を仏として拝んでいるか、感謝しているか。そうではなく、胎児を救うべき存在を考えていないか。迷っているのは私であり、 救われるべきは自分自身である。なのに私が何かしないと死者は迷いっぱなしになる、苦しみっぱなしになる、と考えている。
そして私はできると考えている。
これは無知であり、傲慢である。それを無明と言う。無明から覚めれば死者を仏としていただくことができよう。先祖供養や水子供養をしたら幸せになるなどという自分中心の考えを転じなければ、無明から覚めることはない。
決して供養=慰霊ではないのだが、日本人の大部分はそう思っているだろう。既成教団もそれで食っているわけだからどうしようもないのだが。
それはともかく、死者に対して供養するというのは自己満足だという認識だけは忘れずに持っていなければならない。そこで死者に対してなにができるのかという問が始まる。


1161 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 11:18
>1154さん、おはようございます。

>それならあなたがここで言っている仏陀の我は何なのでしょう?
>あなたがこういうおかしなことを言うから、じゃあ、あなたの
>言ってる
>この「仏陀の我が真理」というのはアートマンのことを指して
>言ってるのかなと…(笑)。

私はこのあたりのことを書き込みしたときは、じつは、すっかり
アートマンのことは忘れていました。コメントを頂いてだんだん
思い出してきて整理することができました。ありがとうございま
した。

仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
書き方だったと思います。ただ仏教徒以外の人に、仏陀は真理を得
たといっても誰も納得してくれないのも事実です。(それも我見
だというでしょう)
そのとき、仏陀が得たものが真理かもしれないと思い、学び始めれば
(まだ信じてなくても)仏教徒だし、首を振って立ち去れば非仏教徒
なのです。仏陀はただ「天上天下唯我独尊」「私の教えは真理であって
信仰ではない」と獅子吼して入門を待つしかないのです。

仏陀のアートマンってなんでしょうね。昨夜どなたかが、無明から
始まり、愛着(阿含宗ではよく渇愛、タンハーといいますね)を
頂点する連鎖がアートマンであると書いておられましたが(十二
因縁、十二の縁起するもののこと?)、その最初の無明を断って
しまった方のアートマンというのはどのように理解すればよい
のでしょうか。涅槃を得たかたのことは、涅槃を経験したもの
しか分からないのでしょうね。仏陀のアートマンはヒトのそれと
は異なることは確かでしょう。
と言うことで、仏陀にしても、その見解=真理、とアートマンは
まったく別のものだと思います。




1162 名前: 1140 投稿日: 2000/06/28(水) 11:38
>1141
西田幾多郎が14歳の娘を亡くした時の文章です。
「亡き我が児が可愛いというのは何の理由もない。ただわけもなく可愛いのである。ここまで育てて惜しかろうという人がいるが、親にとって損得ではない。女の子でよかったですね、という人がいるが、男の子なら惜しくて、女の子なら惜しくないという比較ではない。
 子を喪った人はあなただけではない。悲しんでいる人は大勢いるのだから、あきらめなさいよ、忘れなさいよ、といってくれる人がいるが、これは親にとって堪えがたいことである。
 せめて自分だけは一生思い出してやりたい、というのが親の心である。この悲しみは苦痛といえば苦痛だが、しかし親はこの苦痛のなくなるのを望まない」
悲しみに沈んでいることは決して悪いことではないと思う。明るいと言うが、どう明るいのか。苦痛を通してでなければ亡くなった人とは出遇えないのだ。


1163 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 11:53
>1154さん
>我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
>あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。

このあたりは難しい表現ですが、私は、仏陀と自分の考えが
異なった場合、なるべく仏陀に合わせていこうということで
よいと思っています。輪廻転生などはなかなか簡単にはすっと
入っていけない考えです。そうかと言って、私が無から生じて、死
ねば無になるという単純なものでもなさそうです。こう言う時に
仏陀の考えをいつも心にとどめて考えていくことが大事なのだと
思うのです。うちの母などは、仏陀よりもキリストよりも自分の
考えが正しいと思っていますから。(と言うより思い込みに固執
しているのですね)
世間には、天上天下唯我独尊の人っていっぱいいますよね。




1164 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:21
>「洗脳」
>と呼ぶものにしかなりません。

洗脳、マインドコントロール。
テレビなどでアナウンサーがよく言っていますが、
自分が正常であるとの前提なのですね。自分が基準
なのです。
仏教の身見(我見)をすてよ、とは、仏陀の考えを
基準にせよと言うことですよね。非仏教徒からみれ
ば洗脳でしょう。私の同級生の精神科医などは、
霊的な事柄は、まったく頭から受け付けようとしません。
目の前で霊的な現象が起こっているのに、見ようとも
しません。これも西洋発祥の精神科学?に洗脳されてい
るのでしょう。




1165 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:30
1116さん、1118さん
>声聞と呼ばれる仏弟子たちのさとりは同等である旨ありましたので、阿含宗で
>は釈尊を福智二資糧を集積し現等覚した一切智者とは見なしていないのかと思っ
>ておりましたが・・・

私も両者のさとりは同等であると思っていました。仏陀釈尊はただ
無師独覚ゆえに尊いのだと。
このあたりは、私には分からないことばかりの大乗仏教用語です。
また、阿羅漢乗、菩薩乗、それらを融合した一乗仏と言う言葉も、
生まれてはじめて聞いたものです。不勉強で申し訳ありません。
ありがとうございました。


 


1166 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 12:48
>1118さん
>1155さん
私には、この問答は謎です。
>例の「ヘーゲルの弁証法」ですか。
例のといわれても、何の事かわからない不勉強が申し訳
ないです。私も含めて、教えたことをすぐ忘れるのが素
人の特徴です、と、開き直ってもいけないのですが。
阿含仏教、根本仏教があって(正)、それに対して
奈落の底に落ちた大乗仏教があって(反)、それらを
止揚したものが阿含仏教(合)と言う事なのでしょうか。

止揚と、融合、混合の差異は何なのでしょうか。

 


1167 名前: 桐山靖雄 投稿日: 2000/06/28(水) 12:50
私の宗派の事で色々意見が出とるようだが・・・。
いいの!!ほっといてよ。俺はただの詐欺師なの。
天台宗の頑頂もちゃんともらったの!コロンビア・・じゃない
早稲田もちゃんと出たの!正門からね。
ビールだってニセモノでもいいじゃん!!アジ化ナトリウムとか
入ってなけりゃさぁ。
ぼくちんの派手なパフォーマンスってかっこいいでしょ?エヘヘ。
今度またぼくちんの手品超能力でお尻から炎を出すんだ。
引田天候・・あれ?字間違えてないっけ?まあいいや。てんちゃん
と電撃ネットワークのみんなと一緒に今度ライブをやるんだ。
みんなぁ〜遊びに来てね!!!


1168 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:00
>1153さん、
指より月が大事なのは事実なのですが、みんなが俺の指が
真理を指し示していると言い出したら、きりがないのです。
ですから、私は、仏陀がたどり着いた真理、それを指し示す
ゴータマブッダの指を大事にしたいのです。
?氏と書いたのは具体的なものではありません。誰でもと
言うことです。世間には多くの方がおられますよね。しかし
その指の指し示す方向に真理はないのです。


1169 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:21
>1156さん
>それでもあなたは、いや、仏陀なら信じても安心だ、と反論するのでしょうが、
>私に言わせれば、それは?氏を崇拝するのと同じくらい危険です。
>というのも、そもそもあなたは何を根拠に真理を真理と知るのでしょう?
>何かがあなたの中でそれが真実だ、と感じるからでしょう?
>では何がそうあなたに教えるのでしょう…?
>…よく考えてください。
>あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
>をもっと育てなければなりません。
>私に言わせれば、それだけが唯一の本当の「師」です。

この考え方。日本では、大勢の方に賛同されそうな考え方ですが、
これが、仏陀の十結煩悩の下の分結の下位の二つ「身見、疑惑」なんです。
真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。
種としてのヒトには真実を見る能力はないと判断しないといけないのです。
仏陀は種としてのヒトを超えた存在だから真実がわかるのです。
仏陀がそうおっしゃるから真実なのです。仏陀ご在世でない現代では、ど
れが本当の仏陀の言葉なのかを探求する必要はありますが、真理、非真理の
基準は仏陀なのです。
仏陀が瞑想で見たものを信じるのが仏教徒なのです。信じると言うのは盲信
ではありません。考えて考えて疑う余地がなくなる事なのです。自灯明
(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
自分で学べと言う意味なのです。

あなたの考えは従来の日本大乗仏教の正統的な考え方だと思います。
阿含宗の考えは、それを打ち破るものです。私のコメントが阿含宗の考え
かたを正しく表現できているかどうかは自信がないのですが、いままでの
考え方とはずいぶん違いますが、一度検討してみてください。合掌。




1170 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:29
>1158にゃにゃさん
>やっと今、1000台まで読みました。書き込むときにHNを使うとか、
>せめて信者か否か、肯定派か否定派かだけでもあると分かりやすいのにニャぁ…。

すごい読破力ですね。(読破力も辞書にのっていない?)
みんな身元不明にしていますね。固定ハンドルの方はいな
いようです。人物特定をおそれているのでしょうね。
HNって?ああハンドルネームね。ご感想を期待しています。



1171 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:38
>1140さん、こんにちは。

阿含宗では死者の解脱供養をします。
私は霊界のことはどうなっているのかよくわからないのですが、
死者の苦しみが解脱供養によって救われていることだけは
はっきり分かります。
苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってく
れるのです。また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに
幸せになれるのです。
これは事実ですし、私の知り合いもみんなそうだといいいます。
何十人何百人の法友が、同じ事を経験し納得しています。

あなたにとっては見たことのないことでしょうから、経験者の
話としてご参考になさってください。


1172 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 13:48
>1162さん
子供をなくした親は、気が狂ったようになって
十年でも二十年でも三十年でも苦しみつづけます。
哲学者でもおなじですね。
それは、死んだ子が苦しんでいるから、親族も苦
しむのです。
解脱供養を受けて死んだ子供が幸せになると、親族も
いっしょに幸せになることができます。
写真しかありませんが、幸せなわが子と一緒に楽しく
暮らしているような気がするのです。
いっしょに苦しんでやりたというのは、それしか手段の
ない時代のことでしょうね。
西田博士の言葉は、同じ境遇の人をずいぶん慰めたとは
思うのですが、わたしは、親子ともども幸せになった
ほうが良いと思います。



1173 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 14:01
>1170名無しさん
1000番超えた辺りでご飯食べたりなんだかんだしていたので
とりあえず停滞しています。
貴方は信者の方?そうでない方??
感想、感想は色々。とりあえず全部今から読んでから…。

人物特定するもしないもなぁ…。
とりあえずのHN(正解です、ハンドルネームです)でいいから
つけてくれると分かりやすいのににゃぁ、と思うニャ。
信者ABCでも否定派1号2号でもなんでもいから…。


1174 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 14:13
1138=1172?
阿含宗擁護レスしてるひとって
文章からみると同じ人にみえるんだけど



1175 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 14:24
>1174
1138って、反阿含宗だぞ。
>阿含宗などの新興宗教では、これら関係ない両者を
>いっしょにして説いているからだ、と申し上げたのです。
このスレッドわけがわからん。名前を書いてね。


1176 名前: 1174 投稿日: 2000/06/28(水) 14:39
あすいません、勘違いです
1135=1172です


1177 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 14:42
そういえばね、お聞きしたいのですけど
一度入信しちゃって、それから会費納めてなかった場合は
自動的に登録(?っていうの??)抹消される?
それとも登録は残ってるの?



1178 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 15:06
>1176
1135も反阿含だぞ。

>釈尊が流産した胎児のことを考えていたとは
>思えないのですが。
阿含宗の水子供養を非難しようとしている。

>>供養も信じられないほどの供養力がありますので
>供養力という言葉を初めて知りました。阿含宗で使うのでしょうか。
>経典とまでは言いませんが桐山氏以外の人も使っていますか。

阿含宗が供養力という言葉を使って金集めをしているのかと疑い、
非難しようとしている。


1179 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 15:18
>1177
にゃにゃさん、阿含宗は退会は簡単です。二つ返事
です。退会届を出さないと、会費未納で請求される
恐れがあります。請求されても、ないといえば大丈
夫です。取り立てにはきません。取立てと言う業務
がないのです。そうゆう修行もありません。
めんどうでしたら、代理人にご宝塔を持っていって
いただいたら良いでしょう。会員番号もできれば。

>自動的に登録(?っていうの??)抹消される?
>それとも登録は残ってるの?
これは事務局に問い合わせてください。返事になって
なかったですね。阿含宗の方針は去るものは追わずです。
まあ、しかし、そういわずにがんばってください。
続けたいなら、先達に頼んで交渉すれば、未納会費免除に
なるかも??しれません。阿含宗会員。





1180 名前: 1174 投稿日: 2000/06/28(水) 15:48
申し訳ないです。
1130=1136=1172ですね
ちゃんと確認しないとだめですね


1181 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 16:20
んにゃあ、私が入ってるわけではないので頑張るかどうかを決めるのは友人なのだにゃ。
ちなみに友人ってのはここのスレッドのわりと最初の方にちょっとだけ書き込んでるけどにゃ。
もう退会したいけど関わりたくないってことでごほうとう?を道場に持っていくのも
面倒というより嫌って気持ちだけなのだってさ。
代理人といっても阿含宗に関わっている人と関わりたくないし、
それ以外の人にはそんなこと頼めないということで困ってるのね。
で、突然会員費を払えと言われたらどうしようって。

でもどうしてごほうとうって返さなきゃいけないの?


1182 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 16:22
>118さん。
1130=1136でしょうね、
=1172?でしょうね。
しかし、おひまですねえ。私、仕事します、


1183 名前: 常識人 投稿日: 2000/06/28(水) 16:39
>でもどうしてごほうとうって返さなきゃいけないの?

借用証がなければ、返す必要なし!




1184 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 17:35
>1142
>その時はせめて、腰折れ歌とでもしてほしかった。

「腰折」で「腰折歌」の意味にも使います。
広辞苑を引いてみてください。
桐山さんがよく自分の歌を腰折と言っていました。
それとも、桐山さんの使い方も間違いですか。

>仏罰;仏陀は法を教える先生なのです。罰は与えません。

ヌマエビさんの文章では、桐山さんから釈迦、つまり仏から
指示を得たようなことを言いながら、
「腰折」だったことから、それを皮肉って、
「仏罰」と表現したのではありませんか。
私は国語の先生ではありませんので、そのように読みました。

信者さんは、独特の深読みをしますね。
ヌマエビさんが日蓮系かどうかまでわかるのですか。
他にも勝手に性格や性別を推測してあれこれ言う人がいて、
それをたしなめられても、まだこうやって言う。
どこかの教団から阿含宗が攻撃されていると言いたいのですか。
国が末期状態になると、独裁者が外国からのありもしない侵略を
デッチ上げて、国民の目をそむけさせるのと似ています。

>他の宗派は病気の人は責めないですよね。

なるほど、「ガンの因縁」「脳障害の因縁」などと
告げている阿含宗は、病気の人を責めていないのですね。


1185 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:09
>1181
にゃにゃさんこんばんは。ご宝塔に関しては納札です。
お札をおさめるのと同じです。なかなか、燃えないごみ
のように捨てるのは抵抗があるでしょう。ですから阿含宗
でちゃんとします。と言うことだと思います。

ちょっと捨ててしまうのは問題があると思いますので、
たとえば他のお寺などに納札してその旨を退会時に伝え
ても良いと思います。

しかし、知り合いの人で、会費は払わず、退会状態で拝ん
でいる人もいます。親子二人で、ご宝塔二基を。(笑)


1186 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:20
>1184、元会員さんですね。

短歌の話題で、腰折れ、というのはわかります。
あの文脈で、突然腰折れと言うのはおかしいですね。
暴露をボウロと言っていた方が、腰折れ歌という単語を
知るわけもないし。多分、挫折のことを「腰折れ」という
使い方を日常的におこなう団体に属しているのだと思い
ます。
べつに、言葉遣いをとやかくいっているのではなく、
ヌマエビさんがプロフィールを決して明らかにしようと
しないので、プロファイリングをしているのです。


1187 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 19:27
>1184
さん、ですから、ヌマエビさんがあるていどの
プロフィールを明らかにされたら、こんな細かいことは
書かないのです。エビなんとかさんとの掛け合いで、
元阿含宗会員、ということになっているらしいのですが
腑に落ちないのですよ。おかしいねと指摘されても
ノーコメントを通しています。それは彼の自由ですが。



1188 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 19:46
>1144さん
>私は祇園精舎、サヘトマヘトが、京都山科北花山大峰にある

だから、どうして、1999年、祇園精舎に行かなかったの?
そこをエビさんが突いてるんだろ。
行かなかった理由をだして、ちゃんと反論したら。
「私は・・思っています・・・読めないのです」は、
説明や反論じゃなくて、信仰の表明っていうの。

>燕雀、鴻鵠の志を知らずですね。

「おれが一番偉い。おまえたちのような小物に、
おれ様のような大物の気持ちなどわかってたまるか」
と言っているのよね。
自分で言ってて、恥ずかしくない?
それとも難しい漢字ならべて知識の披瀝か。
教祖さんのマネだろ。
みっともないからまねするなよ。
ほんとの釈迦を信仰している人が、こんな傲慢な発言するか。


1189 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 20:44
>1188さん
>だから、どうして、1999年、祇園精舎に行かなかったの?

燕雀には鴻鵠の胸中が読めません。鴻鵠は先生のこと、燕雀
は私自身のことなのですが、誤解をお与えして申し訳ありま
せんでした。
このあたりのことは、また、調べておきますが、たぶん、私
にはわからないと思います。人中の獅子、世界の偉大な指導
者達の胸のうちは、私のような鼠族には分からないのです。
(鼠族は造語です)。


1190 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/28(水) 20:59

「一九九九年七の月」 34.アンゴルモア大王の誕生日はいつか

1997年1月5日、桐山氏の誕生日に、桐山氏は、
「1999年7月17日の、アンゴルモアの大王の誕生日です」
という文章を、アンゴルモア大王の紋章を入れて信者に配りました。

アンゴルモア大王は、1997年の原稿を送ったことが「よみがえり」、1998年の北
京大学講演が「復活の儀式」で、1999年3月のインドの護摩が「生誕祭」です。
ずいぶん誕生日がたくさんあるが、いずれも1999年7月17日とは違います。

このメッセージを発信したのは、桐山氏が脳梗塞を発病した一ヶ月後です。
もともと妄想癖の強い桐山氏が脳を患い、無意味な妄想霊感が、ドブ川から発生
したガスのようにわき上がるようになっていたのでしょうか。

桐山氏は、二年後に自分がどんな本を書くか予想できなかったのです。
1999年7月にアンゴルモアのお誕生日のお祝いをするつもりだったのでしょう。
普通、よほどの根拠や確信がなかったら17日などと日付まで予言しません。
16日の冥徳祭で総本山にいるし、17日は土曜日だし、次の週は例祭だから、信
者を集めるのにはちょうどいいと、ご都合でこの日に決めたのでしょう。
これを仏からのご霊示か、霊能力でつかんだように発表しました。

ところが、二年後の本で、誕生日の変更を余儀なくされたのです。
自分で決めた妄想の誕生日のお祝いを実行することすらできなかったのです。
自分が出した予言で自家中毒をおこしたのです。
それとも、これは誕生日を祝ってもらえない恐怖の大王からの逆襲でしょうか。
桐山氏は数字に弱いし、責任感も欠落していますから、わずか数年前に自分が出
した誕生日のことなどきれいに忘れて、彼一人はハッピーなのでしょう。

桐山氏の19年に及ぶノストラダムスに事かけた予言お騒がせは終わりました。
いや、天才の名をほしいままにする桐山氏がこの程度では終わりませんでした。



1191 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/28(水) 20:59
>1185名無しさん
ども、お答えありがとです。
でもそう考えるとあれですかにゃ?普通のお守りとかでも
何年も持ったまま過ごしているとかありますよね?
それと同じように考えていいのかにゃ?
退会時に返す義務、というのは特にないのですかにゃ?

でも本当にスレッド続いてるけど何か無意味。
っていうか、阿含宗に入ってる人は結局何をしたいのかにゃ?
自分のために信仰してるの?
他人に認められるために信仰してるの?
世界平和を祈ってるの?
なんか、阿含経とかそういうのは私不勉強なので全然わっかんにゃいけど
宗教って結局なんなのかにゃ?と感じてしまいます。


1192 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 21:04
>阿含宗では死者の解脱供養をします。
>私は霊界のことはどうなっているのかよくわからないのですが、
>死者の苦しみが解脱供養によって救われていることだけははっきり分かります。
>苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってれるのです。
>また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに幸せになれるのです

解脱していない霊は輪廻するものだと思っていました。
釈迦は輪廻からの解脱を涅槃と定義していたと思いますが。

阿含宗では
 輪廻していない霊=不成仏霊・・・・解脱供養が必要
という解釈なのですか?

ぜひお教え下さい。



1193 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:17
>1191
にゃにゃさん、こんばんは。退会したことがないのであまりよく
しらないのですが、返す義務はないと思いますよ。入会のときに
も、返しますとう一札は入れていないと思います。自然退会は
あいまいなままになっていると思います。フォーラムの入会退会
などと一緒ですね。
名前が残っていても、たまたま残っているだけで気にすることは
ないと思います。気になるようでしたら、宅急便で送れば良いの
です。書類を添付してコピーを取っておけば良いでしょう。内容
証明まではしなくていいと思います。
阿含宗では、やめた人や、やめたい人に、何のかんのといって絡
んで行く気は毛頭ないですから。会員に対しても強制もありません。
そういうシステムなのです。

阿含宗を一言で言うと「法力」です。人生でそれが必要だと思う、
仏陀の助けが必要だと思う、その時には阿含宗に相談すれば良い
のです。



1194 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:21
>1192さん
申し訳ありません。霊界の仕組みは本当に
分からないのです。ただ、自分の周辺にいる霊s
と、その気持ちだいけは感じ取ることができるのです。
この質問は、どなたか、お願いいたします。

霊sは複数のつもりです。どう言えば良いのでしょう
か、霊の方々?


1195 名前: お願い 投稿日: 2000/06/28(水) 22:25
ここは「心と宗教」版です
オカルト系または心ない方は来ないで下さい。


1196 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:30
>1194さん
「霊達」で良いのでは?


1197 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/28(水) 22:42
>1195
多重かきこです。


1198 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 22:54
>1189さん
>鴻鵠は先生のこと、燕雀
>は私自身のことなのですが、誤解をお与えして申し訳ありま
>せんでした。

いや、さっすがノストラダムス教祖さんの信者だ。
たいした詭弁の持ち主だ。
こうやって、都合の悪いことはさっさと逃げる。
だから、教祖さんが、「おれは恐怖の大王だ」
なんてこと言い出しても、この教団じゃ、ちゃあんと
通用してしまうわけね。
エビさんの言っていることがようやく実感できた。
1189さん、ありがとよ。

教祖さんの胸のうちがわからなくても、
ハラの中くらい、詭弁つかわなくても、わかるぜ。


1199 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/28(水) 23:31



1200 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 00:01
>解脱していない霊は輪廻するものだと思っていました。
>釈迦は輪廻からの解脱を涅槃と定義していたと思いますが。
>阿含宗では
> 輪廻していない霊=不成仏霊・・・・解脱供養が必要
>という解釈なのですか?

解脱していない==解脱供養が必要
解脱している==解脱供養はいらない
とすれば、解脱=輪廻からの脱出 を当てはめると
輪廻していない霊=成仏霊・・・・解脱供養は不要 となるが
輪廻している霊==不成仏霊・・・解脱供養は必要 とはならない。
なぜなら輪廻していればその霊は生まれ変わっているのだから、
墓地の中にも、仏壇の位牌の中にも、霊界にもいないんだよ。
だからいずれにしても解脱供養なんて必要ない。
だから釈迦は死者への供養を説かなかったんだろうね。
アホラシ。



1201 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 00:01
>1193名無しさん(1185名無しさんと同一人物かにゃ?)

どうもありがとうございました。そうですにゃ、宅急便…。
お守り代わりに持ってたら?と言ってみたけど
「あると思うと嫌なこと思い出して腹立たしいやら悲しいやら」だってさ。

法力って人生においてどのように役に立つわけですか?
それがノストラダムスの予言の云々がどうして絡むのん?
あとね、因縁解脱とかそういう申し込みをする時にお金を出す時に
その名義がどうして「○○本部建立」とかの献金って形になるのん?
なんかしっくりこないんだにゃ…

私は友人の話を聞いていて、桐山さんの本をちょっとだけ読んでみて、
でも全然知識はないから難しい話はわかんないです。
あ、あとその信仰してる相手に話を聞いてたんだにゃ。
その信者の人は、やたらと「1999年には何か悪いことが起きるんだよ」とか
「それを最小限にするために自分たちは頑張ってるんだ、世界を変えなきゃいけないんだ」とか
そんで2000年になってからはどういってるのかなーと思ってたんだけどね。
(ここのスレッドでもその辺の話は触れてたよね。)
なんか、ノストラダムスとかそういう話をしている宗教って
基本的に信用できないにゃぁ…というのが本音。



1202 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:10
>1201にゃにゃさん
まあ、また、人生に行き詰まったり、
これじゃあどうにもならん、とおもったり、
そんなことがあったら、また、阿含宗をおもいだしてわん。
わたしたちは、やっと、ほぼ??無事に21世紀をむかえられる
とおもっているのだ、わん、わん。
モンゴルのきせきなんてすごかったぞ。
たなが崩れそうで、たいへんたいへんと一所懸命なおしたら、
崩れないじゃない、うそつき、といわれてしまった
きもちだわん。

まあ、そんなおおがかりなことより、二人のし合わせ
がだいいじだわん。

阿含宗のお金は、みんな、如来さまのへのご供養なんだわん。
如来さまは福田といって、ご供養に対してちゃんとお返し
してくれるんだわん。

わんわんわわん。



1203 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:18
>1201さん
輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
そんなに早いサイクルではないと思うのです。
不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです。
ここに、痛みがあって(虫歯でもなんでも)いずれ
痛みは無くなりますよね。100年経てば完璧になくなります。
死にますから。だから、ほっておいていい、と言うような
お話に聞こえます。
不成仏霊の、いま現在の苦しみを取ってあげないといけないのです。


1204 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:27
>1198さん大変でしたね。
スレッドを読ませていただきましたが、あのかたは本当に自分を
えんじゃく、そぞくと思っているようにも読めるし、実はあなた
のことを、えんじゃく、そぞくと罵っているようにも見えますし。
複雑怪奇なスレッドでした。鼠賊って坂本竜馬が良く使った言葉
ですか?
ところで、1990のヌマエビさんのコメントですが、どうも、
趣旨がわかりません。また、解説していただけませんでしょうか。


1205 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 01:41
↑ 1990ではなく、1190でした。


1206 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 01:52
>1202名無しさん(1193、1185名無しさんと同一人物??もーわっかんにゃい!)

お友達は阿含の彼と関わってからというもの別れる前から今もずっと、
これじゃあどうにもならんって感じよ?はたからみてるとどうにも。
その人の子供オロシたとかだったしそのせいで子供ができにくい体になってるらしくって、
結婚の予定とかできたら、真面目に不妊治療に通わなきゃならないってさ。
(あれ?オロシタじゃなくて勝手に流れちゃったのだったかな?まぁいいや)
その水子供養のお金を出して供養しなきゃねって言われたけど
相手の人はそのお金を出す気なくってその子も別れてから結局途中でやめてるし。
それどころかお金貸したの返してくれてないっていうし。
別れ際に、君は修行してないから徳の高い僕とは付き合っていけなくなるよって
言われたって悔し泣きしていたにゃ。
付き合い始めるとき、宗教は自分が信仰するのを黙認してくれれば
友達の方は信仰しなくてもいいっていうことで5年くらい付き合ってきて、
最後には相手の家族にまで囲まれて「家族ぐるみで信仰してるから
信者じゃない貴方とは結婚なんて出来ない」って言われたんだってにゃ。
別れて正解だとは思うのだけどね。人としての常識から疑っちゃう。
大体、真剣に修行に打ち込むから付き合うのは難しくなるとか友人には言っておきながら、
別の女と朝帰りする所私に見つかってるのだもん。なんだかにゃぁ、って感じ。
おっかげでまともに男性と付き合うのが怖いって感じで変なことになっちゃってるし。

だからニャぁ…
個人レベルでは友達の身体も心もおかしくしちゃって巻き込んでおいて
そんで教えがどうとか予言がどうのとか偉そうなこといわれても
納得できないわけだにゃ。
そんでそんな人も修行さえ真剣にやってれば幸せになっちゃったりするの?
おっかしいにゃーっと。


1207 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 02:30
やはり阿含宗ってオカルトなのか
てかさ〜なんで原始仏典を掲げてる団体がオカルトになるかな〜
そういうことを一番戒めたのは釈迦本人だろうに



1208 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 03:24
>輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
>そんなに早いサイクルではないと思うのです。
>不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
>何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです。

先祖って言いましても一代前は2人、二代前は4人、といった具合に、
物凄い数になります。
例えば40代遡ると1兆1000億人の先祖がいます。
その中には自殺もいれば、殺人者もいるでしょう。
また、殆どの病気を経験している事と思います。
解脱供養なるものがいかにインチキか、これだけでわかります。
一人十万円として、全ての先祖の供養をするのに果して幾らかかるでしょう。(爆)





1209 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 03:34
>161さん
私はこのあたりのことを書き込みしたときは、じつは、すっかり
アートマンのことは忘れていました。コメントを頂いてだんだん
思い出してきて整理することができました。ありがとうございま
>した。

おや、おや、あれでおとなしく引き下がっていれば良いものを。
また余計なレスをつけて自ら墓穴を掘っていますね(笑)。

>仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
書き方だったと思います。ただ仏教徒以外の人に、仏陀は真理を得
たといっても誰も納得してくれないのも事実です。(それも我見
だというでしょう)
そのとき、仏陀が得たものが真理かもしれないと思い、学び始めれば
(まだ信じてなくても)仏教徒だし、首を振って立ち去れば非仏教徒
なのです。仏陀はただ「天上天下唯我独尊」「私の教えは真理であって
>信仰ではない」と獅子吼して入門を待つしかないのです。

こういうとってつけた見え透いたつじつま合わせが本当に通じると思っているのでしょうか?

あなたは、つじつま合わせしようとするあまり、決定的なミスを犯していますよ。

つまりね、1113番のあなたの発言は、このスレッドの中で単独で存在している訳じゃないんだ。
だから上のようないいわけで、もっともらしく屁理屈を言いつくろったって、
その前の1106番の発言やそのあたりをよく読めば、
どういう文脈であなたが1113番の発言をしたのかよく分かる。
だからこそ、1127番さんが

>議論に口をはさんですみません。
>ごうだが、あまりに力に差があるので、
>信者さんを弱者救済せんといかんような気になりました。

と発言したんだよ。全く…。

>仏陀のアートマンってなんでしょうね。昨夜どなたかが、無明から
始まり、愛着(阿含宗ではよく渇愛、タンハーといいますね)を
頂点する連鎖がアートマンであると書いておられましたが(十二
因縁、十二の縁起するもののこと?)、その最初の無明を断って
しまった方のアートマンというのはどのように理解すればよい
>のでしょうか。

おい、おい、何言ってる(笑)?
あなたは自分でついさっき

>仏陀の得た真理を((仏陀の我見))と表現したのは、紛らわしい
>書き方だったと思います。

と言ったばかりじゃないか?まるっきり支離滅裂だぞ。
それにこれを読むと、「仏陀のアートマン」というのは、
仏陀が持っているアートマンという意味にしか読めない。
私は別にヒンドゥー教徒じゃないから、その思想にそれほど詳しい訳じゃないけど、
アートマンというのは=ブラーフマンで、ブラーフマンが宇宙の根本原理だ、
ということぐらいは知っている。
だからねえ、わかりやすく言うと、アートマンというのは仏教で言うところの
「法身」に当たるんだよ。そんなことも知らないで議論してたの(笑)?

>仏陀のアートマンはヒトのそれと
>は異なることは確かでしょう。

ということで、アートマンも法身も、
実体のない「真理」そのもを人の体に例えて言い表す言葉だから
仏陀のアートマンも人のアートマンも誰のアートマンも一緒です。

これを上から順番にちゃんと読んできた人には、
あなたの話の内容うんぬん以前に、
こういう、姑息な手でごまかそうとするその人格にまず疑問を持ってしまうことでしょう。
だからこそ1124番さんの

>無責任な発言ですね。そんなことなら黙って立ち去るほうが
よほど良心的なのではないですか。別に発言が義務付けられてぃる
わけではないのだから。議論以前の問題ですね。まあ、そういうかたは
>あなたに限ったことではないですが。

という発言が出てくる訳です。
私が桐山さんなら、あなたはとんだ恥さらしで、即刻破門ですよ。
また、いらないこと書いて赤っ恥かいてしまったようですね(笑)。


1210 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 03:39
#1209で
>161さん
は>1161さんの間違いね。


1211 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 04:35
>1163さん
>このあたりは難しい表現ですが、私は、仏陀と自分の考えが
異なった場合、なるべく仏陀に合わせていこうということで
>よいと思っています。

ま〜た変なこと言ってる。
それじゃあ、まるであなたが仏陀の考えが分かっているみたいじゃないか。
どうしてあなたに仏陀が何を考えていたかが分かるんだ?
下の方で誰かさんが

>燕雀には鴻鵠の胸中が読めません。

と言っておるぞ(爆笑)!

いや、あのねえ、冗談抜きで率直に言うけど
それがたとえ阿含経に書いてある仏陀の言葉だとしても、
何度もご指摘差し上げているように、阿含経といえども、
結局は他の大乗の経典と同じように伝聞でしかない。
ということは、何百年も言い伝えられてから文章化(経典)されたわけだから、
もし仮に、その間に、それがたとえたったの1行分だったとしても、
すっぽり仏陀の言葉が抜け落ちていたり、あるいは継ぎ足されていたりしたら、
そのことによって全体の文脈が微妙に変わってしまって、
本当に仏陀が言いたいことがちゃんと伝わってなかった、という可能性は
誰にも否定できないんだよ。
つまり、あなた達信者の言い分を聞いていると、
阿含経=仏陀の言葉、
のつもりらしいが、そんな単純なものじゃないだろうってことだ。

まあ、それでもあなた方はそれだけじゃ納得しないだろうから、
もし仮に正確に伝わっていたとしよう。
それでもまだまだ問題点はある。
というのも、仏陀の言葉が100%仏陀の本当の考えを反映しているとは限らないからだ。
つまり、仏陀はこの阿含経を解き明かした後、
「実はあの法話は初心者向けに優しく解き明かした方便だった。
私が本当に言いたかったのは…だ。」
と言っていたかもしれないんだ。
何しろ、「人を見て法を説け」と言った人だからね。
アレは修行しないと手に負えない悪因縁の人向けだった、
なんて言っていた可能性は大いに有る(笑)。

まあ、それでもあなた達はきっと納得しないんだろうな。
で、仮にそういうこともなくって、
阿含経が仏陀の考えを100%反映した仏典だったとする。
ところがだねぇ、仮にもしそうだとしても、まだ問題があって(笑)、
実はこの問題が一筋縄ではいかない決定的問題点になるんだよ。

つまり、その言葉をどう「解釈」するのかっていう部分だ。わかりやすく説明しよう。
仮にここに、生まれつき全色盲の人がいたとする。
当然、彼は全く「色」というものが認識できないし、理解できない。
だが、彼は言葉がしゃべれない訳じゃないから、
「色」という言葉、その概念は彼なりに理解出来るんだ。
色とは光の波長である、とかなんとか…。
しかしその本当の意味は体験できない。それと同じように、
仏陀が「空」と言ったって、それは私たちには単なる記号にすぎない。
その本当の意味は推測するしかないんだ。
だがな、いったい「誰が」その意味を推測するんだ?
その経典を読んでいる「あなた」だろう?
だったら阿含経が仏陀の言葉、なんて全く言えない。
正確には、あなたは
「阿含経の“私が理解するところの”仏陀の言葉」
と言うべき何だよ!!!!!!
いや、そんな屁理屈こねなくたって、
実際問題、学術的に、たとえば経典に「リンゴ」という単語が出てきたとする。
しかし、それだけじゃ「青リンゴ」か「赤リンゴ」か分からないだろう?
そいうことで解釈の違いっていうのは常についてまわるんだ。
分かった?


1212 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 04:46
>1168さん、
指より月が大事なのは事実なのですが、みんなが俺の指が
真理を指し示していると言い出したら、きりがないのです。
ですから、私は、仏陀がたどり着いた真理、それを指し示す
>ゴータマブッダの指を大事にしたいのです。

「指」を大事にする人はみんな同じことを言うね。
キリスト教徒もそういう。キリストはただ一人の神の御子ですって。
本当にキリがない(笑)。
だ・か・ら、指を大事にしちゃいけないんだよ。

>?氏と書いたのは具体的なものではありません。誰でもと
言うことです。世間には多くの方がおられますよね。しかし
>その指の指し示す方向に真理はないのです。

「指」を大事にしていたら、どっちにしろ指そのものは真理じゃないんだから
方向もへったくれもないじゃない?

それにねぇ、最初は「指」を頼りに歩いていても、
最終最後は自分自身の足で歩き出さなきゃならないんだよ。
あなたの代わりに私が代わりに歩いてあげます、なんてことできないんだから。


1213 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 05:42
面白い(?)サイトを見つけましたので載せときます。
ご参考まで。

http://page.freett.com/mishima/tsuda-1.htm



1214 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 05:59
>1155さん
「国家安康」の鐘の銘で知られる京都の寺院(こう書けばOK?)
と桐山師との関係については、古くは織田隆広師の著書「密教宝庫を開く」
や、近年では廣野 隆憲著「阿含宗の研究 桐山密教の内実」
(ISBN 4-88591-445-0 東方出版 2,136円)
でも触れられていますので公知の事実では?




1215 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 07:18
>1169さん
>この考え方。日本では、大勢の方に賛同されそうな考え方ですが、
これが、仏陀の十結煩悩の下の分結の下位の二つ「身見、疑惑」なんです。
真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。
>種としてのヒトには真実を見る能力はないと判断しないといけないのです。

あなたは人の話をちゃんと聞く能力がない上に、
自分で言っていることを自分自身で理解する能力もないらしいですね(笑)。

>真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。

ほう。ということは、あなたは「そういう考え方」が真実だ、と感じてる訳ですね。
だったらそれを真実だ、などと思ってはいけないのです(爆笑)。

こういうことを書くと、また揚げ足とりだって言われるな(笑)。
…いや、まじめな話、私は前の発言で

>あなたはその自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)
>をもっと育てなければなりません。

と言ったのですよ。「もっと育て…」というところに注目してください。
真実だと感じる、だから真実だと信じろ、そこで安心して立ち止まりなさい、
なんてことは一言も言っていない。

それにあなたは根本的なことを見逃してる。
よく読んでごらん。そしてよく考えてごらん。
なぜ私が

>自分自身の内側にある理解の灯(自灯明)

という回りくどい言い方をしたのか?
私は、もしもこのコメントを寄せた相手が、「瞑想」の経験がある人だとしたら、
このような書き方をすれば、
私が何を言わんとしているかぐらい即座に分かるだろう、と思ったのだ。
だがそれは少々買いかぶりすぎだったようだね。

説明しましょう。
たとえば、あなたは、蜘蛛や蜂や蟻が、誰からも何も教わらないのに、
何の事前の学習もしないのに、
餌をとらえる網を巧みに張ったり、
巣を作ったり、一糸乱れぬ集団行動をとったりするのを見て、
不思議に思ったことはないでしょうか?
もちろん、これは本能的な行動として説明出来ますが、
そのメカニズムを解き明かすことが出来たとしても、
それが内的に自然に備わったものである、という事実は拭えない。
いや、そんな昆虫の話を出さなくても、我々人間にも、
誰から教わったわけでもない内的な感覚というものが本来的に備わっていますね。
もちろん、その多くは動物的で本能的なもので、
自性が滅しない限り、正しいものとは言えない。
それに、この自性がある限り、人は自分の見方を持ち続け、
人それぞれの立場にのっとった身見を捨てることが出来ない。
私はこのことを、すでに他のところで、あなたに言われるまでもなく、
>我見を捨てようとするのもまた一つの我見です。
>あなたが自性を離れない限り、我見を離れることなど出来ません。
と言っています。まあ、いわゆる一水四見、一鏡四心というやつですね
(あなた方を真似して難しげな言葉を使ってみました(笑))。
また思考や精神機構というものが機械的で、
環境によって学習(プログラム)されているものだ、というのも真実です。

しかし本当にそれだけなんでしょうか?

たとえばユングのような心理学者などは、
人間の内側に集合無意識のようなものがある、と言っています。
いわゆる元型というものですね。そしてその中には、
宗教的感情や仏教の曼陀羅にでてくるようなイメージなどもあると…。
ここまで言えば私が何を言いたいか分かりますね(笑)。

一度でも本当に自分自身の内側をのぞき込んだことがある人なら、
最初のうちは“思考の被覆”に覆われて、我見やらなんやらしか見えなくても、
次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
くらいのことは分かるようになってくるでしょう。
もちろんこの程度は、ほんの初歩というか入り口にすぎません。
これ以上言うとちょっとヤバイ感じなので控えますが(笑)、
このような内的世界の先にある、内在的な
「誰からも教わらない」根元的な知恵のことを、
大乗仏教では般若(プラジュニャー )と呼んでいるのです。
そして、これこそは、私がずっと言い続けている、
「誰から(仏陀や経典からでさえも!)も教わらない」
自分自身の“理解の灯(自灯明)”なのです。


1216 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 07:19
#1215の続き

>仏陀は種としてのヒトを超えた存在だから真実がわかるのです。

出た〜(笑)! 阿含お得意の珍説!!
いや〜、これはさすがにちょっとやばいんじゃないの?
「種としてのヒト」っていうのは当然「ホモ・サピエンス」だよね。
ということは仏陀は「ホモ・???」だったの(爆笑)?
いや、阿含宗について詳しくないヒトは、何げに通りすぎてしまったんだろうけど、
実は私はだいぶん以前、桐山さんの著作の中で、
仏陀が「超人」で、人間を超えた存在で、
その証拠に頭頂に肉髻(ニクゲイ:仏の三十二相の一つ)が盛り上がっていた、
と大まじめに書いてあるのを読んだことが有ります。
しかし三十二相には歯が40本あった、というのもあるしねぇ。
それじゃあ奇形児じゃん、みたいな?(笑)。

>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです。

いいえ、あなたはもっと自分の言葉を正確に、厳密に書くべきです。
すなわち
「仏陀がそうおっしゃった、と“私”が解釈したから真実なのです」と。
#なぜこう書かないと正確と言えないのか、ということは1211番で詳説いたしました。

そしてあなたが自分で一番最初に言い出した

>真実だ、と感じるから、真実だなどとは思ってはいけないのです。

の真理に照らし合わせて考えるなら、上の

>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです
(仏陀がそうおっしゃった、と“私”が解釈したから真実なのです)。

というのは、あなたの身見ですから、全く正しくない、ということになります。

>仏陀が瞑想で見たものを信じるのが仏教徒なのです。信じると言うのは盲信
>ではありません。

さあ、これは何も書かなくても矛盾だ、というのが誰の目にも明らかですね?

>考えて考えて疑う余地がなくなる事なのです。

どうぞ、ご自分のそのお言葉に従ってください!
ってゆーかぁ、全然疑ってないじゃん(笑)

>自灯明
(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
>自分で学べと言う意味なのです。

そうです。それが私がずっと言っていることです。自分で学んでください。

>あなたの考えは従来の日本大乗仏教の正統的な考え方だと思います。

どうもそのようですね(苦笑)。

>阿含宗の考えは、それを打ち破るものです。私のコメントが阿含宗の考え
かたを正しく表現できているかどうかは自信がないのですが、いままでの
>考え方とはずいぶん違いますが、一度検討してみてください。合掌。

いいえ、前回にも申し上げたように、阿含宗の言っていることは、これまでも
何回も何回も議論され尽くされ、そのたびにことごとく、
木っ端みじんに、完膚無きまでに叩きのめされてきた、情けない、
今まで通りのよくある考えです。

すいぶんきついことを書いたようですが、
内心あなたのことを不憫に思っています。
あなたは今まで、本当の「仏法」に出会ったことなどないのでしょう。
私は実は大乗仏教関係者でも何でもない、
単なるヒマな宗教ウォッチャー(上の方で同じこと言ってた人がいましたが別人です)
です。もちろん、あなたに、私がここに書いた「我見」を絶対に正しい、
とか、無理矢理押しつけよう、などというつもりは毛頭有りません。

後はどうぞ、ご自分の自灯明に相談してみてください。
……合掌。


1217 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 07:54
さて、邪魔なお人がここから消えるみたいですから、
本来の話に戻りましょうかね♪


1218 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 08:49
独 り よ が りもここまで来ると立派なものです。
アッパレ。アッパレ。


1219 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:14
>1208さん
4.8.16.32.64.125... ∞ ですか。
実際には5.6代を過ぎると、影響は少なくなるようです。
私は、今まで家族全体で50人は供養をしていただいたと思います。
できれば、あと50人くらいはしたいにゃん。
霊障のほとけとか、その影響とか、事実なんだから供養して
いただくのがベストだと思っています。
この人生でたいしたことはできなかったけれど、先祖供養だけは
ちゃんとしたいな。
ご供養金はいるけれど、生活は人並み以上にできていますにゃん。


1220 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:36
邪魔なお人の瞑想の成果が、それなりに世の中の
お役に立っていれば、いいのだけれど・・・

単なる杞憂ですかね。でも、アノ語りを見ちゃうとねえ。

あんまり関わりたく、ないですね。


1221 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:38
>1206にゃにゃさん
>だからニャぁ…
>個人レベルでは友達の身体も心もおかしくしちゃって巻き込んでおいて
>そんで教えがどうとか予言がどうのとか偉そうなこといわれても
>納得できないわけだにゃ。
>そんでそんな人も修行さえ真剣にやってれば幸せになっちゃったりするの?
>おっかしいにゃーっと。

そうだよにゃー。女は二人の幸せ、家庭の幸せが大事なんだよね。
予言とか法とかいらないよね。
ぼくは、男なのでこのはなしにはついていけなくて、申し訳ないと
おもっているにゃーーー。
もし、お友達が近くに住んでいて知り合いになれたら、にゃんとか
にゃるんだがにゃーと思う。
女性の問題は、いつも彼女に頼む。女性の相談は、日本の
何百年、何千年の恨みがこもっているから、男にはついていけ
ないのです。あまり相談にならなくてもうしわけないわん。
それじゃあ会社に行きます。わんわんわわん。





1222 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:50
>1209さん
あなたは仏陀の得た真理;人とは何なのか、存在とは何なのか、どのようにすれば
            涅槃を得ることができるのか
仏陀の存在自体;アートマン;自我の本質;

を混同しているようですよ。


1223 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 10:53
>1209さん、

一度、あなた自身の存在、「おれ、わたし」って何だろうと
考えてみると良く分かるようになると思います。

あなたの思想、あなたのハードディスクに蓄積された知識や
思考形態はあなた自身ではないのです。


1224 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:01
>1211さん
>それじゃあ、まるであなたが仏陀の考えが分かっているみたいじゃないか。
>どうしてあなたに仏陀が何を考えていたかが分かるんだ?

ブッダは偉大な教師です。ことあるごとに、彼の真理(思想)を私達に
伝えようとしています。(真理といったって、アートマンじゃないですよ)。
私の教えるところを学べと教えつづけています。
私達は文献学や考古学を基準にして、仏陀の教えられたことを研究し学ぶ
のです。たとえば法華経は文献学的には仏陀の言葉ではないとされています。
そのようなことも踏まえながら、何が仏陀の教えなのかを探っていくのです。




1225 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:23
>1211さん
>正確には、あなたは
>「阿含経の“私が理解するところの”仏陀の言葉」
>と言うべきなのだよ

そうですね、その通りです。仏陀の言葉の近似値を求めるわけです。



1226 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:45
>1223さん
そんなことを言っていると、

「あなたはまるで私の言葉を理解していないようだね。
>最初のうちは“思考の被覆”に覆われて、我見やらなんやらしか見えなくても、
>次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
>くらいのことは分かるようになってくるでしょう。
て、書いてあるだろう。あなた、満足に文字も読めないの?
かわいそうな人だねえ。」

なんて噛み付かれるぞ!
思った事は、ちゃんと自分に不当な攻撃が廻ってこないか、
周りをよく観察してから発言しましょう。
お互いのために。

まあ、気持ちは解かりますけどね。
日本語って、難しい。




1227 名前: 桐山靖雄 投稿日: 2000/06/29(木) 11:46
あれ?俺が書いた投稿どこにいったの?
削除されたのかな?
信者の皆さん、私のニセビール飲んで、全員
死にましょう!!


1228 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 11:54
>桐山靖雄様、
1167番にちゃんとありますよ。ご心配なく。


1229 名前: 1226 投稿日: 2000/06/29(木) 12:15
ああ、”あの人”はもうここには来ないのだったね。
ごめん、ごめん。俺の方こそよく読んでなかったよ。
許してたもれ。


1230 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:27
>1215さん

>次第に眼がなれてきたら、少なくとも「思考」と「意識」が別のものだ、
>くらいのことは分かるようになってくるでしょう。

そうですね。もう少し細かく分類すれば(色)受、想、行、識ですね。
(色)はハードなので別ですが。こころは 受、想、行、識。五蘊
のうち四つがこころと言うのがすごいですね。自分自身の 受、想、行、
を見つめている、識、それも自分ではないのですね。

ところで、あなたの本体、あなた自身は、あなたのアートマンは
この思考ですか意識ですか、五蘊のうちのどれですか、それとも他のもの
ですか。

>このような内的世界の先にある、内在的な
>「誰からも教わらない」根元的な知恵のことを、
>大乗仏教では般若(プラジュニャー )と呼んでいるのです。

これは、阿含経などでは、三つの明知、あるいは三つの明知を
得られることによって獲得できる知恵、と表現されているものですね。

>そして、これこそは、私がずっと言い続けている、
>「誰から(仏陀や経典からでさえも!)も教わらない」
>自分自身の“理解の灯(自灯明)”なのです。

そうしますと、私達はゴータマブッダの歩んだ道。無師独覚を自分でた
どらねばならないことになりますね。
新たに自分が第二のゴータマブッダになるわけですか。
ブッダは「私の教えた道を歩め」とおっしゃっています。ゴータマの
教えた道を歩むのが教義の仏教でしょう。わたしは、この方が良いです。



1231 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:33
>1216さん
涅槃を得た(ブッダになられた)もののことは、涅槃を
得たものしかわからないと言う、言葉があるのです。
体験するしかないのですね。
アリにはアリの世界しかわかりません。犬には犬の世界
しかわかりません。ホモサピエンスにはホオサピエンス
の世界しかわからないのです。



1232 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:37
>1216さん
>>自灯明
>>(自己を島とせよ。灯明、州=島の単語がパーリ語?では、にかよっている
>>らしいですね)というのは、仏陀を拝むのではなく、仏陀の教えたところを
>>自分で学べと言う意味なのです。

>そうです。それが私がずっと言っていることです。自分で学んでください。

「仏陀の教えたところを自分で学ぶ」

意見が一致しましたね。




1233 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:42
>1216さん

>>仏陀がそうおっしゃるから真実なのです
>(仏陀がそうおっしゃった、と“私”が解釈したから真実なのです)。

ホモサピエンスはどこまでも、真実の近似値しか知ることはで
きないのですね。
元阿含宗ではなく、阿含宗にニアミスされたかたですね。





1234 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 12:43
>1216さん、
ここでは、誰が誰かわからないのですが、ちゃんとした方と
お話できて嬉しかったです。合掌。


1235 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:00
えんじゃく、そぞく、めーるも、
めーるも、でんぱの、ちらら、ちから、
めーるも、えんじゃく、そぞく、えんじゃく、そぞく
ちから、ちから、でんぱ、でんぱ、えんじゃく、そぞく


1236 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:02
↑ ちららになってるぞ


1237 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:13
だれだ、俺のことねずみ賊って呼んだのは。
しかも、族が賊に変わっているぞ。
ゆるさん!
めーるもって何だよ。俺のコメントのことを「一語文」だと
ゆーのか。二歳児でも「二語分」をしゃべると言いたいのだろう。
ゆるさーーん!!!


1238 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 13:52
>1237
二語文でしょう、二語分になっているよ。

二語文って、ねんね、する とか、ぱぱ、かいしゃ とか
ジューシュ ちょうだい とか しっこ、ない とか
のことでしょう。

さあ、よーちえん、おむかえ、いこう。これは3語文?
今日は何も書きこめなくて残念でした。にゃにゃさん、
宅急便ってよかったね。それがいいよ。


1239 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 14:03
仏教の形而上学についての議論も結構ですが、
これらは某HPでの専門家同士の議論が延々続くのをみても
わかるように、キリがない。まして「体験」とやらの
はなしになると、何をかいわんや。だってそれって、
「自己申告」の世界での物言いですものね。それに基ずいて
そのかた独自の「神学」を構築する作業が開始されるわけです。
カキコすれば三時間も四時間もかかるだろうし、
予備知識も必要になってくるでしょう。まとめれば
一冊の本にもなるほどでしょう。

でも、実際問題として、それらの意見が
どれだけ世の中に良い影響を与えているのだろうか。
甚だ疑問です。

その点を指して1218さんは
>独 り よ が りもここまで来ると立派なものです。
アッパレ。アッパレ。

と、発言されたのでしょう。ごもっともな話です。

「過去七仏」や、「覚者はいつの時代にもいる」式の詭弁は、
もう聞き飽きましたよ。学者の意見ならひとつの参考にも
なろうが、それをそのまま鵜呑みにするのも、
仏教徒としてずいぶん無神経な態度なのではないでしょうか。

以前法号のはなしがでていましたが、当然ブッダご自身には
必要が無いし、受ける必要もない。彼の場合は当時のインドの
民衆が認めたわけですよね。

「この世にブッダが現れた」という知らせを聞いて、
我が耳を疑い何度も繰り返し確認したかたのエピソ―ドが
阿含経にありますが、あれなど当時の人たちが驚きを持って
彼を迎えいれた状況がいきいきと描かれています。

そこから彼はどのような経過をたどってニルバ―ナに至ったか、
という探求心が沸いてくる。マトモな仏教徒で、あるならば。

全ては無常で、相依りあって成り立つものであるから、
七科三十七道品もあり得ない、空である、なんて、初期大乗仏教運動の
連中も言いそうですね。愚かしいこと。

そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
格好の土壌になっているのでしょう。

ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。





1240 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:15
>1204さん
>鼠賊って坂本竜馬が良く使った言葉ですか?

言葉を使った1189さんに聞いてよ。

>趣旨がわかりません。また、解説していただけませんでしょうか。

「桐山さんは嘘つきだ」
こんだけだろ。
こんなことわからんとは、ヲタクも信者?
なにせ、わからない、違うってわめくのは、
信者しかいないもんな。
その他大勢は、
「あっそー、桐山さんて詐欺師なんだー」
で終わり。


1241 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:19
>1240
それって、二語文じゃない?


1242 名前: みかりん 投稿日: 2000/06/29(木) 18:47
盛り上がり続きで私の書き込みも遥かとおーく。宝石の件は「女にとって大事」
と言われても、ご自身が女性かどうかもわからない相手じゃあねえ。
エンゲージでもらった小さなダイヤのリングだけで充分宝ものさ。今でも
その輝きを見つめるたび、あの頃の夢をみさせてくれる。

なんだか難しいお話ばっかりで、おまぬけなエピソードを書くのがちょっと
はばかられる。でも・・・あ、用事あったんでまた後でー!


1243 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 21:05
>1242 みかりんさん
お釈迦さんは、みかりんにはみかりんの命が一番大事と
おしえている。その次はだんなの命。
その命のつぎに大事なのがこの前の五つと教えている。
だから、身を飾ることは女の命なのさ。
「分に応じて」「だんなが配慮して」だけどね。

>エンゲージでもらった小さなダイヤのリングだけで充分宝ものさ
いい話だねえ。この前の宝石の話をしたわたしは男でした。



1244 名前: 1140 投稿日: 2000/06/29(木) 21:05
>1171さん
>苦しみぬいていた霊が、すーっと穏やかに幸せになってく
 れるのです。また霊とともに苦しみぬいていた親族も、ともに
 幸せになれるのです。
前にも書きましたが、あなたがそれで満足しているのなら何も言わないが、阿含宗が仏教だとか、阿含経を所依の経典にしているとかは言わないでほしい。
死んだ人が霊になるというのは仏教ではない。少しも参考になりません。
>1172
>死んだ子が苦しんでいるから、親族も苦
 しむのです。
どうしてこういう発想になるのか全く理解できない。死んだ子が苦しんでいると誰が言ったのか。霊媒か。
仏は一切衆生を済度すると誓われた。その仏を信じずに何を信じようと言うのか。
>親子ともども幸せになった
 ほうが良いと思います。
死んだ子が幸せになったとどうして分かるのか。自己満足ではないかという疑問は常に持つべきだ。それが狂信や盲信に陥らない道です。
>申し訳ありません。霊界の仕組みは本当に
 分からないのです。
こういう人に何を言っても無駄なのだと思うが、自分の力のなさが情けない。
>輪廻のスパンとか不成仏霊として苦しむ期間とかは、
 そんなに早いサイクルではないと思うのです。
 不成仏霊になって、死を覚らず、地上をさまよう時間が
 何千年、何万年、何億年の単位かもしれないのです
一体誰がこんなたわごとを言い出したんだ。何億年云々と言うのなら、不成仏霊とは人間に限らないのだろう。となれば、これまで生まれてきたすべての動物(植物まではさすがに含めない)を成仏させようと言うのか。昆虫だけでも数えきれない数だぞ。
きりがないのでこれで今日はおしまい。
1126,1135は私だ。当然阿含宗など大大大きらいだ。



1245 名前: >1243 投稿日: 2000/06/29(木) 21:36
どうしてこの人はみかりんさんを逆撫でする事ばっかり
言うのかなあ?
まさか怨みでもあるとか?(笑)
本心であるなら、社交界には出られないでしょうね。


1246 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 21:43
>1221名無しさん

うむぅ、もしかしてさりげなく馬鹿にされているのかニャ?さりげなく男尊女卑?
(気のせいならそれはそれでいいのですけどにゃ)
女にとって大事なものと男にとって大事なものって共通じゃないのかぁ。
友達に子供作って流れてボロボロになっても、その後に結局何もフォローしなかったのは、
それが男にとっては大事なことではなかったからなのかにゃ?
子供って女1人で作れるものではないのに、なんだか不思議だにゃぁ…。
身近な人も守れないのに、最低限果たして欲しい社会人としてのお約束も
守れないのに予言も法もないじゃん、というふうに思うのは、
私が女だからなのかなぁ?アサハカかいにゃ?

友人のメルアドをメール欄に書いておくニャ。フリーメールだけど。
友人には話しておくにゃ。連絡取る気があったらとってみたらぁ?
何とか出来るならなんとかしてみてやってみせてくれにゃ。


1247 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 21:47
>1244 さん
>前にも書きましたが、あなたがそれで満足しているのなら
>何も言わないが、阿含宗が仏教だとか、阿含経を所依の
>経典にしているとかは言わないでほしい。
>死んだ人が霊になるというのは仏教ではない。

霊の存在、霊の苦しみ、それによるおもに親族への影響は、
私にとって事実です。阿含宗に入る前からの事実です。
ここには書きませんが、さまざまな苦しみを体験しました。
阿含宗で解脱供養をしていただいてからは、苦しみから
開放されました。なにがなくても楽しいのです。
(以前は何が無くても、悲しかった。ですから酒や異性でまぎら
わしていたのです。)

仏教は人間の存在を正しく理解した教えです。このような明白な
事実を認識していなかったとは思えません。事実、仏教はどんな
に形をかえたとしても、この2500年、死者の供養を、その大
きな仕事としてきたでは有りませんか。

お気に障られるかもしれませんが、あなたの文章には、霊の苦し
みの影響の表れがひしひしと感じられます。また、その気持ちを
理性で否定しようとしている、その、葛藤がひしひしと伝わって
きます。



1248 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 22:15
>1247名無しさん

>お気に障られるかもしれませんが、あなたの文章には、霊の苦し
>みの影響の表れがひしひしと感じられます。また、その気持ちを
>理性で否定しようとしている、その、葛藤がひしひしと伝わって
>きます。

うぁぁ、こういうこと言い出しちゃやだにゃぁ。
よく言われるけどにゃ、というか友人も私も言われたことあるけどにゃ。
議論が結局滞っちゃわない??
お互いに信仰してるのとしてないのとで立場が違うのだから、
そういうこと言われると最終的に信仰してみなさい、みたいなことしか
聞こえてこなくなっちゃうのよ、そんなつもり貴方になくっても。
あげあしとられているみたいな気分っていうの?そんな感じ。
自分の世界の言葉でしか話さなくなっちゃうと結局分かり合えないのよね。
真剣に意見ぶつけていればいるほど。
(まぁ私のここにある書き込みはどーなんだっていわれると議論にもなってないけどさぁ。
だって腹が立ったこと?を書き連ねてるだけになっちゃってるし)

あぁ、でも根本的に議論で打ち負かすとかそういう世界ではないと
思ってたのですけどにゃ、宗教ってのは。
でもそうでもないらしいと思うようになった今日この頃…。
どんなもんなのでしょうにゃぁ。


1249 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 22:22
>1247さん
むうう。私も同じ阿含宗徒だが、あなたの書き込みを見ると、
ここでの論議は耐えられないと思うぞ。
あなたのお気持ちは、察することは出来るが、論証不可能の
自分の経験のみで書き込むと、火に油とアルコールを混ぜて、
さらにガソリンを噴射する位に論及されると思うよ。
(ガソリンも油だ、という突っ込みはやめてね)
あなたの実体験したことを、仏陀の言葉の中から見つけてゆき、
その言葉をも、実体験として取り込められてから、
書き込みされたらいかがでしょうか?
あなたの健康保全と、より良き人生のために。


1250 名前: 1249 投稿日: 2000/06/29(木) 22:27
あらら、考えている間に、ひとつレスが来ちゃったね。
こういうことになるの。
でも、にゃにゃさんは優しいよ。
ちゃんとあなたの事を考えながら書いているから。


1251 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:28
>1246 にゃにゃさん
わんわんわわん
>友達に子供作って流れてボロボロになっても、
>その後に結局何もフォローしなかったのは、
>それが男にとっては大事なことではなかった
>からなのかにゃ?

わんわんわわん、そうなの、そうなの。
だから、男に相談したってうらみがつのるだけなの。
おれの彼女なんて、おれをいまだに許してないわん。
そんなことがあったとき、ほかの女の所にいたんだから。
このうらみがずー−と、日本には、2000年も、もっとたまっているの。
このうらみを解くのは、たいへんだぞ。男には無理。
おんなに子供つくっておいて、どこかでこんな話をしているわけだわんわん。
女が流産していたって、歯医者さんに行っているくらいにしか思ってない
わんわん。(おれのことじゃないよ。おこらないでね)
男の議論なんて、ほとんど勝ち負け。
どちらが賢いか、みえでやっているわけだから。
パチンコしたり、野球したり、ゴルフしているのと同じ。
おとこは、趣味でこんな話ができるのだ、わん、わん。
女には、こんな話興味無いというのは馬鹿にしているんじゃないよ。
賢そうに書いているけど、これは、だいたい馬鹿話なの。
こんどは、男からしかられそうだわんわん。

メールはちょっとまずいの。道場もまずい。来年の星祭だね。
全国から集まるから、身元が割れない。
(実は破門を恐れている。書きこみは違反かどうかわからんわんわん。
にゃにゃさんはどうやってやめようか。わんわんは破門が怖い。おかしいね。)
それまで、自分でしっかり生きろよ。
むり??勤行すると状況は良くなるよ。
わんわんは夜勤行しているが(朝のほうが良いとは思うが)、
仕事から帰ったら、勤行するまでは、座らない、寝ないという
ようにしている。寝たらだめだね。朝まで寝てしまう。座ってもだめ。
それか、道場へ行ってやさしそうな女性にアタックしてみれば。
うらみを吐き出さないと、何も始まらないよ。絶対チャンと聞いて
くれる。聞いてもらわないと損だよ。誰か話を聞いてほしいといえ
ばいいよ。
わんわん、ちゅうとはんぱなへんじで、わんわん。ごめんね。
わんわんわわん。星祭の話は本気だよ。




1252 名前: 1249 投稿日: 2000/06/29(木) 22:33
かなりエラそうな事を書いたが、おまえはどうだ!と言われたら、
返す言葉はありません。ごめんなさい。


1253 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:36
>1245さん、こんにちは。
親切で、なぐさめるつもりで書いたのですが、
???もうしわけありませんでした。私は、社交界
は無理です。わかっています。また、よろしくね。


1254 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/29(木) 22:41
1247さんってよくもわるくも宗教の信者だよね
物事を冷静に一度批判的に見てみるという精神がないというか
いわゆる原始仏教ならびにそのながれのパーリ仏教の本読んだ
ことあるのかな
一度中村師の本よんだほうがいいよ



1255 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:42
>1248 にゃにゃさんはじめまして。

>自分の世界の言葉でしか話さなくなっちゃうと結局分かり
>合えないのよね。
>真剣に意見ぶつけていればいるほど。

含蓄の深い言葉ですね。よく考えてみます。
いままで自分の世界の言葉をぶつける、、といった
経験しかないもので、とまどっています。



1256 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 22:54
>1249、1252さん、こんばんは。
>あなたの実体験したことを、仏陀の言葉の中から見つけてゆき、
そうですよね。そのとおりだと思います。

>>>死んだ人が霊になるというのは仏教ではない
これに反論する文献を探すには、たくさん経典を読まなければ
ならないのでしょうか。どの仏教教団でも供養をしているのし、
その供養は仏陀の時代から続いてきたと思うのですが。
あたりまえすぎて、本には載っていないのでしょうか?

>>>当然阿含宗など大大大きらいだ
つい、この三個の「大」に大きな葛藤を見てしまったのです。




1257 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:02
>1254さん
パーリーニカーヤもなかなか霊感に満ちたものですよ。
中村博士は、その部分を省いていますが、そのころの
読者は霊的な話をきらったのです。
聖書なども霊感に満ちた文献です。さまざまな聖典の
霊的な部分は、単なるお話ととらえていらっしゃるのですか。

また、実体験の重みと言うものもあります。これはわかって
もらえないでしょうが。


1258 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:09
>1239さん
貴重なコメントありがとうございました。
お礼申し上げます。




1259 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/29(木) 23:10
ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。

また、調べてみることにします。いずれにせよ、
そういった問題については慎重に口を開いたのは、
まず間違い無いところでしょう。

できるだけ、誤解を避けるためにね。


1260 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/29(木) 23:23
明日のお昼にまたきますにゃ。
お仕事してくるぅ…


1261 名前: 1249 投稿日: 2000/06/30(金) 00:00
>1256さん、こんばんは。
反論する、という目的を持っては本は読まないほうが良いと思います。
著者が言わんとする事を、そのままに自分の心に受け止められなくな
るからです。
いきなり経典にかじりついても、ちょっと理解に苦しむところがある
と思います。独特に言いまわしが多数ありますので。
手始めに、仏陀の一生を正しく、簡潔に読まれるのでしたら、
「仏陀(その生涯と一生)」増谷文雄著 角川選書 \1600
が良いのではないかと思います。
経典としたら、同じく増谷文雄著の、
「阿含経典」全六巻 筑摩書房
(1〜4巻は絶版、5・6巻は現行)
「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版(現行本、値段忘れた)
が読みやすくてよろしいのでは。
あと、宇井伯寿氏、三枝充悳氏、前田恵学氏、姉崎正治氏、
中村元氏なんかもよろしいかと思います。
(他にもたくさんいらっしゃいますが、ややこしくなるのでやめ)
本を探す場所ですが、あなたが都内であれば、神保町で問題は無いでしょう。
新刊であれば、三省堂書店、古書であれば、東陽堂など。
関西であれば、大阪のジュンク堂書店(新刊)。古書は京都の其中堂書店など。
まあ、そこまで行かなくとも、街中の大きな書店であれば、何かしら見つかる
と思いますが。
私は中国地方の田んぼの中に住んでいますので、それらの書店に行く旅費が
大変です。
少しでも、参考になればよろしいのですが。

それと、さっきはきつい事を書きましたが、あなたの体験は、非常に大事
なものです。大切にしてください。頭でっかちで、体験(体得)を重要視
しない人ほど手におえない者はありませんから。あくまでも、体験の上に
立って、それを客観的に捕え得る言葉を見つけることが重要と思います。
健闘を、お祈り致します。



1262 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 08:51
心理学でも仏教についてもキリヤマ本からだけ学ぶのが「阿含式」!



1263 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 09:18
>1261 心理学でも仏教についてもキリヤマ本からだけ学ぶのが「阿含式」!

個々の会員のスタンスによってかなりの幅がある事柄について
さも自明の理であるように仰る貴方の発言は「何式」でしょうね。




1264 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 10:28
>さん、こんにちは
>ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
>漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。
>また、調べてみることにします。

貴重な情報ありがとうございました。一連の経典と言うのが
嬉しいですね。不勉強で申し訳ありません。

>できるだけ、誤解を避けるためにね。

そうですね、慎重に語らないとだめなのですね。
私の中では、当たり前の事になっているので、
つい、あんな調子で言ってしまうのです。
ご教示ありがとうございました。





1265 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 10:29
↑ 1264は >1259さんあてでした。


1266 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 10:38
>1247さん
>阿含宗で解脱供養をしていただいてからは、苦しみから
 開放されました。なにがなくても楽しいのです。
お気に障られるかもしれませんが、あなたには魔羅に影響の表れがひしひしと感じられます。その気持ちを理性で否定しようとしている、その葛藤がひしひしと伝わってきます。

増谷文雄「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版(2600円)の236ページに毒箭(どくや)の譬喩があります。
「世尊は、このような問題については説かず、捨ておきて、問えば答えることを拒む。すなわち、世界は常住であるか、無常であるか。世界は辺際(かぎり)があるか、辺際がないか。霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。人は死後も存するか、存せぬか。このような問題について、世尊はなにごとも説いて下さらぬ」
とあり、240ページには同じことが火と薪の譬えで書いてあります。
「この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える」
「では、もしなんじの前で、この火が消えたならば、火が消えた、と知ることができるか」
「むろんである」
「では、この火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか」
「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである」
火と薪とは命と肉体ということでしょう。
中村元「仏教語大辞典」の「霊魂」の項をみると、
「肉体から区別された精神的なもの。霊は不可思議なものを意味する。ただし、仏教では精神と肉体とを区別する二元論には立たない」
とあります。仏教では霊魂は説かないのです。
宗教は主観的普遍性真理です。主観的とは私にとってどうなのかということです。死んだ人は私にとって何なのか。私にとっては仏ですが、阿含宗の人にとっては霊のようです。迷いとは私の問題ですが、阿含宗の人にとっては死者の問題でしょう。
前にも書きましたが、供養とは仏法僧の三宝に対して供養をするのが本来です。死者に供養するのなら、死んだ人を仏としていただかねばなりません。霊に対して供養をするのは仏教ではありません。
私は阿含宗だけが嫌いなのではありません。仏教の看板を掲げながら、霊がどうのこうのと人を惑わす宗教がすべて嫌いなのです。



1267 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 11:00
>1261さんこんにちは。
>反論する、という目的を持っては本は読まないほうが良い
>著者が言わんとする事を、そのままに自分の心に受け止められなくなる

そうですね。

>いきなり経典にかじりついても、ちょっと理解に苦しむところがある

そのとおりですね。いいわけがましいのですが、そう思い、漢訳経典は
(興味があるのですが)パスしています。
古書店で積み上げられているのを見ると心は動くのですが。
このあたりは専門家の指導を仰ぐべきだと思っています。
しかし専門家と言っても、権力などに弱く、曲げて曲げて
書く人いるような気もします。仏教哲学者というのはもっと
高貴な志の方々だとおもっていたのですが。ピンからキリ
までなのでしょうが。

「仏陀(その生涯と一生)」増谷文雄著 角川選書
阿含経典」全六巻 増谷文雄著 筑摩書房
(1〜4巻は絶版、5・6巻は現行)
「阿含経典による仏教の根本聖典」大蔵出版

最後の一冊は持っていないので、探してみます。

>中国地方の田んぼの中。
一度、備前とか、倉敷、総社などに行ったことがあります。
中国地方って、全土が田んぼのような感じがしますね。失礼。

>頭でっかちで、体験(体得)を重要視
>しない人ほど手におえない者はありませんから。

私もそうでしたので、わかります。毎日の
法典勤行が一番大切と言うことがわかってきたのが
最近です。結構長いのですが。
会員さんや、元会員さんで不満のお強い方は、意外と法典勤行を
ちゃんとやっていないのではないかと思います。(これも実体験)

>それを客観的に捕え得る言葉

わかっているだろう、あたりまえだろう、では人は説得でき
ないのですね。

色々ありがとうございました。引用、一部変更しています。





1268 名前: 1249 投稿日: 2000/06/30(金) 12:11
書名に誤りがありました。
「仏陀(その生涯と一生)」→「仏陀(その生涯と思想)」
です。すみません。



1269 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:23
>1266さん、こんにちは。
>「世尊は、このような問題については説かず、捨ておきて、
>問えば答えることを拒む。すなわち、世界は常住であるか、
>無常であるか。世界は辺際(かぎり)があるか、辺際がないか。
>霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。人は死後も存するか、
>存せぬか。このような問題について、
>世尊はなにごとも説いて下さらぬ」

仏陀の無記がテーマですね。
「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
けですね。
「人は死後も存するか、存せぬか。」これについては、無記、
ノーコメント。無いと決まったわけでもない。また、現代の物理学を
以ってしても答えにくい世界は辺際(かぎり)というテーマ
と同様に、あまりにも難しいテーマなのかもしれない。
世界は辺際(かぎり)というテーマは、ホモサピエンスの
理解能力を超えていて、人の死後も問題もホモサピエンスの理解能力
を超えているのかもしれない。
仏陀の無記とは「ホモサピエンスの理解能力を超えているテーマ」
に対する回答であると思います。必ずしも、否定ではないのですね。

世界は辺際(かぎり)は有るのかないのか、ないわけでもないで
しょうしわるわけでもないでしょうが、何らかの形でこの宇宙は
有るわけですから、理解を超えた状態で存在するのでしょう。




1270 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:32
>1266さんつづきです。
>「この火は、薪があるから燃えるのだと、わたしは答える」
>「では、もしなんじの前で、この火が消えたならば、火が消えた、と知ることができるか」
>「むろんである」
>「では、この火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか」
>「世尊よ、それは問いが適当ではない。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのである」

>火と薪とは命と肉体ということでしょう。

(生命?)霊魂と肉体については、無記、ということですから。
これは、その問題ではなく、霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)
が縁により生じ、縁により滅すということだったのでは無いかと思い
ます。前後を忘れてしまったのですが。



1271 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 12:45
>「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
 けですね
なぜそういう受け取り方をするのか。霊魂はあるとは誰も言っていない。霊魂と身体の二元論を仏教は採らない。
そんな考えても分からない問題や、今の自分にとって必要のない問題は考えないということだ。それよりも今の自分をどうするかを釈尊は言っているわけだ。
霊魂が好きな人、神秘現象が好きな人に何を言っても無駄らしい。たとえばスプーン曲げはこうするんですよ、と手品の種を教えてもらっても、相変わらずスプーン曲げは念力によるものだと信じ込んでいるばかりか、手品師を超能力の持ち主と思い込む人もいるそうだ。
とにかくそんなことが好きなんだから仕方ない。人に迷惑をかけなければ。とは思うのだが、家族、特に子供に悪影響を与えているんでしょうね。私の親戚にもいますが。


1272 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:47
>1266さん
>中村元「仏教語大辞典」の「霊魂」の項をみると、
>「肉体から区別された精神的なもの。霊は不可思議なものを意味する。
>ただし、仏教では精神と肉体とを区別する二元論には立たない」
>とあります。仏教では霊魂は説かないのです。

この件は、お書きになられたとおり、仏教では無記、ホモサピエンス
の理解力は超えていると言うことなのです。二元論にたっていない、
一元論にもたっていない、無記ですね。
死後の霊魂(こころ)とは別のテーマです。

ここまで来て、漢訳仏典にたくさんの、死後の霊魂を書いたお経が
あったのを思いだしました。すっかり忘れていましたねえ。(藁
<藁というのは、(笑)という意味らしいです。括弧は閉じません>
漢訳経典を直接読んだわけではないのですが、桐山先生の著書に
たくさん引用されていたのを思い出しました。
有る修行者が托鉢中に、鳥に啄ばまれながら浮遊している霊を
みた、とか、数々有りましたね。不肖の弟子でした。



1273 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:54
>1266さん

>宗教は主観的普遍性真理です。主観的とは私にとってどうなのか
>ということです。死んだ人は私にとって何なのか。
>私にとっては仏ですが、阿含宗の人にとっては霊のようです。
>迷いとは私の問題ですが、阿含宗の人にとっては死者の問題
>でしょう。

主観的、普遍的、真理、この三つが並んだ単語は、私には理解
しがたいです。客観的普遍的真理の、私なりの近似値と言うこと
なのでしょうが。仏教にはふさわしくないような気がします。
我見(身見)を、私は真理であるとみなしますと宣言したようです
ね。
阿含宗では、死者は亡者です。死んだからと言って仏になれる
わけではない。それだと仏教はいらない。
迷いは、生きている人と死者が共有している問題です。



1274 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 12:56
>1266さん
三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
苦しんでいる死者を放置して、私たちに幸せはこないのです。


1275 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 13:01
1270を読んでいなかったので続き
>霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)が縁により生じ、
 縁により滅すということだったのでは無いかと思います。
どう言えば納得してもらえるのか、いささか疲れた。無記という言葉を知っているのだから仏教をかじっているのだろうが、どうしてこういう解釈しかできないのか不思議です。
霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)という概念が仏教にあるだろうか。釈尊はそれを語らないのだから。どの仏教辞典を見てもそんなことは書いてないと思う。



1276 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:04
>仏陀の無記がテーマですね。
「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
>けですね。


どうでもいいけど、「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」という質問は
「その質問をした人」が勝手にあると決めているだけで
仏陀はどう考えていたのか分かってないんでしょ?

それを勝手に「ある」とねじ曲げて解釈するのはよくないんじゃないかな。


1277 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:11
>1271さん
>>「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」一応、霊魂はあるわ
>>けですね
>なぜそういう受け取り方をするのか。霊魂はあるとは誰も言って
>いない。霊魂と身体の二元論を仏教は採らない。

「  」の中をよく読んでほしいのですが、この文章は
生きている人の霊魂(スピリット)についてなのですよ。
(肉体を持つのは生きている者だけです。)
生きている人のスピリットと肉体(五蘊)とが一元的に存在して
いるのか、二元的に存在しているのかと言うテーマなんですよ。
今あなたのスピリットは、あなたの五蘊をはなれて、こちらに
伝わっているような気がしますよ。これだと二元論ですね。
しかし仏陀はそれに対しては無記なのです。

あなたは、死ねば、生きている時の霊魂(スピリット)は
消滅すると主張されているのでしょう。

一元的似せよ二元的にせよ、五蘊と霊魂は有るのです。私が言って
いるのはそういう意味です。

あなたは、ある時は、その霊魂は死後は消滅すると言い、ある時は
仏になると言っている。その矛盾に気がついてください。


1278 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:17
>1276さん
そのばあいでしたら、仏陀は「霊魂なんてないよ」と
お答えになります。


1279 名前: 1140 投稿日: 2000/06/30(金) 13:20
>主観的、普遍的、真理、この三つが並んだ単語は、私には理解
 しがたいです。客観的普遍的真理の、私なりの近似値と言うこと
 なのでしょうが。仏教にはふさわしくないような気がします。
宗教は主観的普遍真理、という言葉は岸本鎌一という先生の話にあった言葉。科学は客観的普遍真理 、道徳は主観的一般的真理、芸術は主観的と客観的の中間だったと思う。
宗教とは私にとってどうなのかが出発点。我見とは違う。『歎異抄』の言葉を借りれば「親鸞一人がためなりけり」
死んだから仏になるとは言っていない。私にとって仏だということだ。あなたにとってではない。なぜ私にとって仏なのか。それはその人を通して多くのことを教えられ気づかされたから、つまりその人を通して仏の教えを聞くことができたからである。客観的に死者が仏だというのではない。
>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか。
>死後の霊魂を書いたお経が
 あったのを思いだしました
どの経典にあるのか知らないが、死後や輪廻を仏教で説くことについて「輪廻転生など有り得ない」というスレッドにある叫素という人の書き込みを参考にしてくれ。
「 仏教で輪廻転生が語られるのはただの喩え話です。輪廻は「真理」でもなんでもなく、当時の「常識」です。昔の仏教者はその蒙昧な「常識」を喩え話として用いて「真実」を語った。そのあたりのことが分からないアホたれが、アホたれを騙して宗教やっとるんだ」
「嘘を言って騙していたのではない。わざわざ、「輪廻転生は存在する」と主張しなくてもみんな迷信として輪廻転生を信じておったわけだ。その迷信を利用して「真実」を語ったわけなのだ。「迷信」はそのまま「常識」なわけです。わかりますか?」


1280 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:21
>1275さん
>霊魂(スピリット、生命と死後の?生命)という概念が
>仏教にあるだろうか。釈尊はそれを語らないのだから。
>どの仏教辞典を見てもそんなことは書いてないと思う

「霊魂と身体とは同じであるか、別であるか。」を良く読んで
ください。身体とは生きている人の身体でしょう。死者の霊魂と
生きている人の身体は同じかという質問はありえないのです。
ですから、ここでは生きている人の霊魂(スピリット)です。
身体とはハードだけではなくソフトを含めた五蘊です。


1281 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:25
>1278さん
そのばあいでしたら、仏陀は「霊魂なんてないよ」と
お答えになります。

あるならなぜ「ある」って答えなかったの?

結局、自分の解釈(我見だっけ?)を自分で信じてるだけじゃん(ワラ


1282 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:34
>1279
宇宙の有り方を見てください、地球の状態を見てください。
ぽっかりとこの巨大な球が虚空に浮いているのです。無限の
宇宙に、光を放つ恒星の数は星の数ほどもあります。(笑)
こんなこと、見た人でなければ誰が信じましょう。

仏陀は輪廻があるといっています。これはホモサピエンス
には信じがたい事なのです。昔から仏陀は「仏陀は不思議を語る」
と非難されていたのです。不思議だからと言って否定するのは
短絡的ですね。
昔の人よりは、現代人のほうが仏陀の語る「不思議」に近寄りやす
い位置にいるのです。

宇宙の果てはと聞かれて、無記と答えると、昔の人はごまかされた
ような気がしたかもしれない。しかし現代科学を知る私達には、無記
もむべなるかなと思えるのです。

客観性、主観性のもんだいですが、科学は仮説とデータで構築される。
仏教は、仏陀の瞑想体験で構築されるのです。信者の主観で構築され
る物ではありません。


1283 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/06/30(金) 13:36
(゚Д゚)…お仕事終わってのぞいてみたにゃ。
真面目に論議されてるの?それともあげあし取り合いかにゃ?
とりあえず読んでみてから、いただいたレスにお返事するにゃ。
時間たってるからわけわかんにゃいかも…ごめんにゃ…


1284 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:38
>1239

完全に負け犬の遠吠え。
誰宛のメッセージかということさえ反論が怖くて書けないみたい(ワラ

>わかるように、キリがない。まして「体験」とやらの
>はなしになると、何をかいわんや。だってそれって、
>「自己申告」の世界での物言いですものね。それに基ずいて
>そのかた独自の「神学」を構築する作業が開始されるわけです。

それって、まさにここ最近の話題の霊魂の存在とかで信者さん側が言ってることじゃん。
自分で自分の首閉めてるよ!


1285 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:43
>1279さん
>>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
>自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。
>それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか

仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
四苦八苦を救うために道を求められたのです。


1286 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:54
>1284さん、
あなたが引用された部分の、要約は
「信者も、信者でないひとも、議論だけではいけないよ」と言う諭しです。

1239を引用するなら、要点の

>>「この世にブッダが現れた」という知らせを聞いて、
>>我が耳を疑い何度も繰り返し確認したかたのエピソ―ドが
>>阿含経にありますが、あれなど当時の人たちが驚きを持って
>>彼を迎えいれた状況がいきいきと描かれています。

>>そこから彼はどのような経過をたどってニルバ―ナに至ったか、
>>という探求心が沸いてくる。マトモな仏教徒で、あるならば。

>>全ては無常で、相依りあって成り立つものであるから、
>>七科三十七道品もあり得ない、空である、なんて、初期大乗仏教運動の
>>連中も言いそうですね。愚かしいこと。

>>そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
>>オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
>>格好の土壌になっているのでしょう。

>>ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。

この部分を引用していただきたかったです。


そういう大乗的な思考パタ―ンが日本において
オウムを代表とする腐った宗教を生み出す
格好の土壌になっているのでしょう。

ブッダの成仏法と縁が切れているのは、致命的です。




1287 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 13:58
>1284さん
だれ宛ではなく、このスレッドにいるみなさん、とくに
仏教徒へのメッセージだと思いますよ。あなたも含めて。

1286引用部分だぶっていました。失礼。


1288 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 13:59
1282さんいわく、
>仏教は、仏陀の瞑想体験で構築されるのです。信者の主観で構築され
>る物ではありません。

仏陀の瞑想体験は我々ホモ・サピエンスには想像することすらできないのです。
その証拠に1231さんいわく、
>涅槃を得た(ブッダになられた)もののことは、涅槃を
>得たものしかわからないと言う、言葉があるのです。

想像することさえ出来ないものを元に構築されたものは、
すなわち信者の主観であり、
それゆえ我見です。(ワラ


1289 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:08
>1281さん、
これは生きている人が話題なのです。

あなたの身体=五蘊 と スピリット(気持ち、霊魂)は
同じなのかどうかと言うテーマなのです。

死者の霊魂のはなしではないのです。よく考えてね。

あなたの中に「わたし、おれ」が住んでいるでしょう。
その「わたし、おれ」と五蘊は同じかどうかと言うテーマ
なのです。
その、「わたし、おれ」が死んだら無くなるのか、存続するのか
、仏となるのか、亡者となるのかとは別問題です。

五蘊破れて異蘊残ると言う経典があるのですが(だんだん思い
出してきたぞ)。その話とは別問題。



1290 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:12
1285さんいわく、
>仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
>四苦八苦を救うために道を求められたのです。

そして仏陀は四苦八苦がことごとく「空」であると喝破した!
それゆえに、苦しみもなく幸せもない。
だからこそ、仏陀は平安に住するものと呼ばれるのである。


1291 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:19
>1288さん
その想像すらできない境地に近づく手法を仏陀が教えているのです。
「涅槃とはなにですか」「私の言うとおりに修行しなさい」
「涅槃を得れば、涅槃はわかるであろう」
涅槃を得ることは難しいが、得た人の姿、生き方を見れば
想像はつくのです。

>想像することさえ出来ないものを元に構築されたものは、
>すなわち信者の主観であり、
この文章は意味をなしていないので、答えにくいのですが、
とりあえず。
(どうして信者が想像できないものだと、信者の主観なのだろう
あなたの想像もできない学問は、あなたの主観なの?
想像もできないような仕組みのコンピュータは、私の主観で
うごいているのだろうか?)



1292 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:25
>1290
さん、それじゃあ、仏教もなにも、もういらないね。
空の解釈、間違っているけどね。空の勉強くらいしようね。
なんかおかしい気がするでしょう、ご自分の書いていること。

時間がないので失礼。ただいまより着陸態勢は入ります。
次のフライト水平飛行は6時半頃です。6時40分にまた
きます。

にゃにゃさん、いれかわりですね。よーちえんききます。


1293 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 14:27
>1290さん
はやとちりだった。仏陀は空を得たのね。
それはいい。私たちは空を得ていないよ。
涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
時間ぎりぎりです、失礼。


1294 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:36
>1289さん
あなたの中に「わたし、おれ」が住んでいるでしょう。
その「わたし、おれ」と五蘊は同じかどうかと言うテーマ
なのです。
その、「わたし、おれ」が死んだら無くなるのか、存続するのか
、仏となるのか、亡者となるのかとは別問題です。


うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
いや、そうは思わんね。
もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
それを見ている俺はいったい誰なんだ?
「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう。

仏教でいう「自性(スヴァバーヴァ)がない」というのは、
「すべては縁起するもの(衆因縁生法)」という意味と同じで、
他の力をかりずに、それ自体で存在するものは存在しない、と言う意味だ。

上の話しのたとえで言えば、
薪がなければ火は存在しない、がこれにあたる。
火だけが単独で有る訳じゃない。
だから身体の中に、
実際に存在するのはその関係性だけで、関係性には実体がないから「空」。
「わたし」という身体とは別のものがある、と主張するのは
真っ赤な嘘、ということになる。


1295 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 14:47
1291さんいわく、
>涅槃を得ることは難しいが、得た人の姿、生き方を見れば
>想像はつくのです。

「誰が」想像しているのですか?
信者さんでしょう?
信者さんはホモ・サピエンスだから、
主観(我見)によって想像します。
それゆえ、
阿含経=阿含宗の教え、では全くない。
仮に阿含経に書いてあることが真理だったとしても、
そこに書いてある真理と、真理を解釈した信者の主観(我見)とでは
全く違ったものになるから。


1296 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 16:06
肉体と魂は別かどうかは「無記」
これを肯定・否定ととるものその人しだいでしょう
ただ修行者はあくまで、そうした形而上学とは
かかわらずただいま現実の生をいきるというのが仏教じゃないの?
しかし今も昔も同じ話題でもりあがるよな まさに永遠の理法(笑



1297 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:53
長い長い文章ですが、有益と思われますので、ここに載せます。


 流行の論題に答えないことへの不満

 もう一つの経(南伝、中部経典、六三、摩羅迦小経。漢訳、中阿含経、三二、箭喩経)は、釈尊のお
しえに不満を抱いたもう一人の弟子のことについて、つぎのような叙述をのこしている。
 それは、世尊が、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンディカ
(給孤独)の園にましました時のことであったが、その時、マールンクヤープッタ(摩羅迦子)な
る比丘は、ただ独り坐して思索にふけっていたが、その心に、ふと、つぎのような思いが浮かんだ。
 「つぎのような問題については、世尊は、説かれず、捨ておき、問いを却けられる。すなわち、
 世界は永遠であるか、有限であるかということ。世界は有辺であるか、無辺であるかということ。
 霊魂と身体は同一であるか、各別であるかということ。および、人間は死後も存するか、存しな
 いか。それとも、人間は死後なお存し、また存しないのか。あるいはまた、人間は死後存するに
 もあらず、存せざるにもあらざるかということ。世尊は、これらのことを、わたしに説いてくだ
 さらない。わたしは、それが嬉しくない。わたしはそれが堪えられない。わたしはいまや世尊の
 ところに行って、そのことを問おうと思う。それで、もし世尊が、わたしに、『世界は永遠であ
 る』とでも、あるいは、『世界は有限である』とでも、あるいは、『世界は有辺である』とでも、
 あるいは、『世界は無辺である』とでも、あるいは、『霊魂と身体は同一である』とでも、あるい
 は、『霊魂と身体とは各別である』とでも、あるいはまた、『人間は死後も存する』とか、『人間
は死後は存しない』とか、あるいは、『人間は死後なお存し、また存しない』とか、あるいはま
た、『人間は死後存するにもあらず、また存せざるにもあらず』とか説いて下さるならば、わた
しは世尊のところにおいて梵行を修するであろう。だが、もし世尊が、わたしのために、『世界
は永遠である』とも、あるいは、『世界は有限である』とも、……あるいは、また、『人間は死後
存するにもあらず、存せざるにもあらず』とも説いて下さらなかったならば、わたしは、修学を
すてて、世俗に還ろうと思う」


1298 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:55
つづき

 そのように思ったマールンクヤープッタは、やがて夕刻、その坐より立って釈尊のいますところ
にいたり、釈尊を礼拝してその傍らに坐し、その思うところを釈尊に申しあげた。すると、釈尊は、
やおら彼を顧みていった。
 「マールンクヤープッタよ、かつて、わたしは、そなたに、『来れ、マールンクヤープッタよ、
 そなたはわたしの許において梵行を修するがよい。わたしは、そなたに、<世界は永遠である>
 とか、あるいは、<世界は有限である>とか、……あるいはまた、<人間は死後存するにもあらず、
 また存せざるにもあらず>とか説くであろう』と語ったことがあるであろうか」
 彼は、それに対しては、「大徳よ、そうではございません」というのはかはなかった。すると、
釈尊は、またいった。
「では、あるいは、そなたが、わたしに、『大徳よ、わたしは、世尊の許にて梵行を修したいと
思います。世尊は、わたしに、<世界は永遠である>とか、あるいは、<世界は有限である>とか、
……あるいはまた、<人間は死後存するにもあらず、また存せざるにもあらず>とか説きたまえ』
 と語ったことがあるであろうか」
 彼は、それに対しても、また、「大徳よ、そうではございません」というのはかはなかった。そ
こで、釈尊はまたいった。
 「とするならば、愚かなるものよ、そなたは誰であって、誰を謗らんとするのであるか」
 それで、彼は、頭をひくく垂れて、黙ってしまうよりはかはなかった。
 そこまでが、いうなれば、この経の前段をなす。そして、その後段においては、釈尊のマールン
クヤープッタに対する教誠がはじまる。そのなかにおいて釈尊の説いた「毒箭の喩え」は、とりわ
け印象的である。漢訳のこの経に題するに『箭喩経』をもってしたのは、その故にちがいあるまい。
釈尊はこう仰せられたのである。
「マールンクヤープッタよ、たとえば、人ありて、毒をあつく塗られた箭をもって射られたとす
るがよい。すると、彼の親友・仲間・親族・縁者は、彼のために箭医者を迎えにやるであろう。
だが、彼は、『わたしを射た者は、刹帝利か、婆羅門か、庶民か、それとも、奴隷か、それが知
られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとせよ。あるいは、彼は、『わたしを射
た者は、いかなる名であるか、いかなる姓であるか。それが知られないうちは、この箭を抜いて
はならない』といったとせよ。……あるいは、また、『わたしを射た弓は、通常の弓であるか、
それとも琴であるか。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとせよ。
また、あるいは、『わたしを射たかの箭羽根はなんの羽根であるか。鷲の羽根か、鷹の羽根か、
孔雀の羽根か。それが知られないうちは、この箭を抜いてはならない』といったとするがよい。
そうすると、マールンクヤープッタよ、その人は、それらを知らないうちに命を終ってしまわね
ばならぬであろう。
 マールンタヤープッタよ、それとおなじように、もし人があって、『世尊がわたしのために、
<世界は永遠である>とか、<世界は有限である>とか、あるいは、<世界は有辺である>とか、
<世界は無辺である>とか、……あるいは、また、<人間は死後存するにもあらず、存せざるにも
あらず>とか説いて下さらないうちは、わたしは、世尊の許において梵行を修しないであろう』
といったとするがよい。そうすると、マールンクヤープッタよ、その人は、如来によってそれが
説かれないうちに、その命を終ってしまわねばならないであろう。
 マールンクヤープッタよ、<世界は永遠である>との見解がある時、梵行がなるというような
ことはない。あるいは、マールンクヤープッタよ、<世界は有限である>との見解がある時、梵
行がなるということもありえない。マールンクヤープッタよ、<世界は永遠である>といっても、
あるいは、<世界は有限である>といっても、やっぱり、生はある、老はある、死はある、愁・
悲・苦・憂・悩はある。わたしは、現世においてそれを克服することを教えるのである。


1299 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:55
つづき

 マールンクヤープッタよ、また、<世界は有辺である>との見解がある時、梵行がなるという
ようなことはない。あるいは、マールンクヤープッタよ、<世界は無辺である>との見解がある
時、梵行がなるということもありえない。マールンクヤープッタよ、<世界は有辺である>とい
っても、あるいは、<世界は無辺である>といっても、やっぱり、生はある、老はある、死はあ
る、愁・悲・苦・憂・悩はある。わたしは、現世においてそれを克服することを教えるのである。
 そのゆえに、マールンクヤープッタよ、わたしによって説かれないことは、説かれないままに
受持するがよく、また、わたしによって説かれたことは、説かれたままに受持するがよい。
 では、マールンタヤープッタよ、わたしによって説かれないこととは何であろうか。いわく、
<世界は永遠である>とはわたしは説かない。また、<世界は有限である>ともわたしは説かない。
あるいは、<世界は有辺である>とはわたしは説かない。また、<世界は無辺である>ともわたし
は説かない。……では、マールンクヤープッタよ、何故にそれらのことをわたしは説かないので
あろうか。マールンクヤープッタよ、実にそれらは、道理にも合わず、梵行の本ともならず、厭
離・離貪・滅尽・寂静・叡智・正覚・涅槃に役立たないからである。その故に、わたしは、それ
らのことを説かないのである。
 では、マールンクヤープッタよ、わたしによって説かれたこととは何であろうか。いわく、
『こは苦である』とわたしは説いた。『こは苦の生起である』とわたしは説いた。『こは苦の滅尽
である』とわたしは説いた。また、『こは苦の滅尽にいたる道である』とわたしは説いた。マー
ルンタヤープッタよ、では、何故にわたしはそれらのことを説いたのであろうか。マールンクヤ
ープッタよ、実にそれらは、道理にも合い、梵行の本ともなり、厭離・離貪・滅尽・寂静・叡
智・正覚・涅槃に役立つからである。その故に、わたしは、それらのことを説いたのである。
 マールンクヤープッタよ、だからして、わたしによって説かれないことは、説かれないままに
受持するがよい。また、わたしによって説かれたことは、説かれたままに受持するがよいのであ
る」
 またもや、ながいながい引用であった。だが、そこに釈尊が説きたもうところは、もはやわたし
がなんの注釈を加える要もないはどに、明快にして、かつ、力にみちたものであった。それは、い
ま、釈尊の所説にいささか不満を抱いてやってきたマールンクヤープッタにもよくわかった。彼は、
いまや、「歓喜して世尊のおしえを受領する」ことを得て、さいわいなるかな、「あたかも悪趣か地
獄に属するもののごとく、この法と律から脱離する」ことなくして済んだのである。
 だが、ただ一つだけ、わたしは、あえて付け加えておかねばならぬことがある。それは、これま
でマールンタヤープッタの心を閉ざしていたいくつかの論題、つまり、<世界は永遠であるか、有
限であるか>とか、<霊魂と身体とは同一であるか、各別であるか>とかいった論題は、それらも
また、その頃の沙門・婆羅門たちが、好んで論じていたところの主題であった。そして、釈尊にお
ける主題は、けっして、そのような問題ではなかった。そのことをはっきり弁別すること、それも、
また、釈尊の通が何であって何でなかったかを知るためには、きわめて肝要のことと知らなくては
ならないのである。


根本仏教 増谷文雄著 1980年 筑摩書房


1300 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:57
読まれた方、お疲れ様でした。


1301 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 17:58
一気に読むには、”最新レス100”を押して読んでください。


1302 名前: 1140改めもぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 18:00
・阿含宗の方、どうかお願いだから「阿含経」のどこに水子供養のことが書いてあるか教えて下さい。
・キサゴータミーの話を知っていますか。死んだ子を抱えたキサゴータミーが、どうか子供を治す方法を教えて下さいと、釈尊に頼んだとき、釈尊は供養をしなさいと言ったでしょうか。どこの家でもいいから芥子つぶを一つもらってきなさい、と言い、キサゴータミーは多くの家を訪ねる中で目覚めていったのでしょう。自分の子や訪ねた家の人、死んだ人を通して、釈尊の言われた意味がいただかれたわけです。つまり自分の子が死んだおかげで目覚めたわけです。ということはキサゴータミーにとって死んだ子は仏であり、その話を聞く私にとってもそうです。
・霊魂があるという前提で話をされるわけですが、あるとかないとか断言するのは独断陀と、釈尊は言っています。結論が出ず、無駄な論争に終わってしまうから、霊魂については語らないのでしょう。


1303 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 18:06
>阿含宗の方、どうかお願いだから「阿含経」のどこに水子供養のことが書いてあるか教えて下さい

どこにも書かれていないから返事が出来ないの。
だって、そもそも他人が祈って成仏させる事自体、水子に限らず不可能なんだから。
でも、教団にとっては収入源として大きな『意味』があるけどね。



1304 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 18:25
>1285さんへ
>>三宝に帰依するのは、私たちの幸せが目的です。
>自分の幸せの手段として三宝に帰依するのか。
>それこそ我、自らの欲を増長させることじゃないか
 仏陀は、ご自分の四苦八苦を救うために、また、人々の
 四苦八苦を救うために道を求められたのです。
これじゃ少しも答になっていない。仏陀のことを言っているのではなく、あなたがなぜ帰依三宝するのかということを聞いている。あなたは自分の幸せのためだと言う。幸せを求めて我々は四苦八苦に苦しむのではないでしょうか
>1293さんへ
>涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
涅槃をえる前は仏陀とは言わない。また仏陀も年をとるし病気もするし、そして死んだ。問題はそれら四苦を苦にするかどうかということだ。 このことは我々にも言えていることで、大切な人が死んだとき、それをどのように受け止めていくか、が重要なのです。亡くなった人は私を教え導く仏として手を合わせることだと思っています。、



1305 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:10
>1294さん
>うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
>いや、そうは思わんね。
>もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
>それを見ている俺はいったい誰なんだ?
>「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう。

わたしをみているおれ=五蘊(色、受、想、行、識)のうちの 識だと
考えています。自性は識にははっきりと認識されなくて、突如として、
貪欲、欲望怒り、おろかさ、などの形で、イモーショナルにあるいは、
意識の変化、認識、思考の変化として、五蘊に影響を与えてくるものだと
思っています。

>仏教でいう「自性(スヴァバーヴァ)がない」というのは、
>「すべては縁起するもの(衆因縁生法)」という意味と同じで、
>他の力をかりずに、それ自体で存在するものは存在しない、と言う意味だ。

自性は縁起するものですね。無明から起こり、取(渇愛)をピークとして、
有、老、病、死とつづく。一連の連鎖ですね。

>上の話しのたとえで言えば、
>薪がなければ火は存在しない、がこれにあたる。
>火だけが単独で有る訳じゃない。
そうですね。

>だから身体の中に、
>実際に存在するのはその関係性だけで、関係性には実体がないから「空」。
>「わたし」という身体とは別のものがある、と主張するのは
>真っ赤な嘘、ということになる。

関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。





1306 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:15
>1294さん
続きです。
自性は
関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。
それは諸法と同様です。諸法皆空というのは、そういう事で、
縁起するものとして存在すると言うことです。(無ではありません)





1307 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:23
>1295さん
>「誰が」想像しているのですか?
>信者さんでしょう?
>信者さんはホモ・サピエンスだから、
>主観(我見)によって想像します。
>それゆえ、
>阿含経=阿含宗の教え、では全くない。
>仮に阿含経に書いてあることが真理だったとしても、
>そこに書いてある真理と、真理を解釈した信者の主観(我見)とでは
>全く違ったものになるから。

そうですね、全くその通りです。ですから、われわれホモサピエンスとして
は真理への近似値を求めるしかないのです。
私は、阿含宗の教えは仏陀の真実に近いものと思っています。どこまでも
近似値ですが。
科学の場合は実験やテストなどで真偽を計ることができるのですが、宗教
の場合は様子で計るしかないのですね。難しい話です。実体験も大事ですが。



1308 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
>1294
>うーん、俺の中に「わたし、おれ」がすんでいる?
 いや、そうは思わんね。
 もし「わたし」というものがあるのだとしたら、
 それを見ている俺はいったい誰なんだ?
「わたし」とそれを見ている「俺」の二人がいることになってしまう
1305さんに付け加えるのですが、私とそれを見ている俺というものはいます。分かったような気になっても、いくら懺悔しても、それを見ている私がいる。それはどうにもならない。それが我の正体でしょう。分かった気になっている私がいるという自覚がないから、麻原は最終解脱したなどとたわごとを言ったわけだし、桐山氏にもそういう傾向があるように思います。ひょっとしたら、福永のようにそのあたりよく分かっているのかもしれませんが。


1309 名前: 1299 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
ありゃ、最後の行が違ってる。
誤 また、釈尊の通が何であって

正 また、釈尊の道が何であって


1310 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:26
>1296さん。
信仰を求める人の、テーマはその人の境涯によって
異なるのです。自分の境涯のテーマと違うからと言って
笑ってはいけません。
形而上学が済まないと、現実問題に入れない人もいるのです。


1311 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:30
>1307
>科学の場合は実験やテストなどで真偽を計ることができるのですが、宗教
 の場合は様子で計るしかないのですね
前に書いたように、科学は客観的真理です。しかし宗教はそうではありません。私にとってどうなのか、ということです。あなたが
>私は、阿含宗の教えは仏陀の真実に近いものと思っています。どこまでも
 近似値ですが。
と言われるなら、はい、そうですか、と言うしかない。ただ桐山氏にだまされたと後から後悔されることのないようにと、いらぬ心配するだけです。


1312 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:39
>1302さん、
仏陀は死者の供養をしなかったのでしょうか。仏陀の弟子達は
死者の供養をしなかったのでしょうか。仏陀滅後2500年
仏陀の教えに基づいて死者の供養をしてきたのは偽りだったの
でしょうか。世界のすべての仏教教団では死者の供養を最も大
切な仕事としています。それはどうでしょうか。また水子は死
者ではないのでしょうか。
仏陀や仏陀の弟子達はキサゴータミーの子供の為に偈のひとつも
唱えてあげなかったのでしょうか。
多くの経典を読まれている方おられましたら、教えてください。
世界の2500年のすべての仏教教団は仏陀の教えを守っていな
かったのでしょうか。


1313 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:46
>1304さん。
仏教は、こは苦なりから始まるのです。
苦、集、滅、道。苦しいから楽になりたいから、幸せに
なりたいから仏陀の道を歩むのです。ゴータマブッダとて
同じだったのです。

>>涅槃を得る前の仏陀は四苦八苦からのがれていなかったよ。
>涅槃をえる前は仏陀とは言わない。
ここは文脈から見て、ゴータマブッダ(固有名詞)だとわかる
でしょう。


1314 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:49
>1304さん
>大切な人が死んだとき、それをどのように受け止めていくか、
>が重要なのです。亡くなった人は私を教え導く仏として手を
>合わせることだと思っています。

阿含宗では なくなった人はあくまで亡者であり、死んだから
といって仏になるわけではない、という見解です。
これは、見解の相違ですから、文献などで確認していくしか
ないでしょうね。
仏陀が、無くなった人はみんな仏だよ、拝みなさい。と言ったと
いう文献も無いような気がします。


1315 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 20:58
>1312
>仏陀の弟子達は
 死者の供養をしなかったのでしょうか。
これについては諸説あるでしょうが、インドでは葬儀をバラモン僧がしたそうです。
>仏陀滅後2500年
 仏陀の教えに基づいて死者の供養をしてきたのは偽りだったの
 でしょうか。
供養については何度も書きましたが、誰に対して供養をするのかと言うことです。阿含宗では迷っている死者の霊に対してでしょうが、亡くなられた人=私にとっての仏に対しての供養なら偽りではないと思います。
>世界のすべての仏教教団では死者の供養を最も大切な仕事としています。
もっとも大切な仕事は私が仏になることです。繰り返しですが、死者の供養とはどういう意味でしょうか。死者を成仏させることなのでしょうが、死者を成仏させる力が私にあるなら、とっくに死者は自分で成仏しているでしょう。死者のことより自分の成仏を心配すべきです。
>水子は死者ではないのでしょうか
変なことを言いますが、精進料理に卵はいいでしょうか。答は、はいです。ベトナムなどの仏教徒も卵なら食べます。こういうことを言うと誤解されるでしょうが、胎児を人間として認めるかどうか、今までの歴史では認めていなかったのだと思います。と言ってもそれでいいというわけではもちろんありません。水子が祟るという考えはおかしい。この世での業を全く作っていない胎児がどうして迷うことがありましょうか。長年生きた我々こそ多くの悪業を作っているのです。
>仏陀や仏陀の弟子達はキサゴータミーの子供の為に偈のひとつも
 唱えてあげなかったのでしょうか。
偈を唱えればそれですむというのなら、それはキサゴータミーや仏弟子の自己満足に終わります。これは現代の葬式でも言えることです。子供の死をどういう形で乗り越えるかを釈尊は教えたわけです。 ですからこのことは苦痛ですが、親にとっては大切なことです。


1316 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 20:59
>1308さん
そうですよね。「わたし」というとわかりにくいが「わたしのもの」
と考えるともっとわかりやすいですよね。

一切は空だとか言いながらも(識)「これはおれのものだ」「これも
おれのものだ」と叫んでいる自性が体内にいます。
高いところへ行く、「落ちたくない」「死にたくない」「こわい」
「私の命だ」「まだ未練がある」と叫び声をあげる自性がいます。
仏陀の涅槃(空の体得)というのは、それを乗り越えるからすごい
ですよね。

そのようなものを乗り越えた仏陀や仏陀の弟子を見て、その当時の
民衆はおにょにょいたのかにゃあ。



1317 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 21:02
>1299さん
ご苦労様でした。ひさしぶりに阿含経をよんで楽しかったです。



1318 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 21:09
>1315もぐらたたきさん、
ちょっと着陸態勢に入りますので失礼します。
次は、できれば10時半には帰ってきたいのですが。
11時を超えると、インターネットが渋滞しますものね。
それではにゃ。


1319 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 21:10
>1313と1314
>見解の相違ですから
全くその通り。虚しくなります。くたびれました。
>苦しいから楽になりたいから、幸せになりたいから仏陀の道を歩むのです。
 ゴータマブッダとて同じだったのです
楽とか幸せとかの定義の問題になりそうなので困るのですが、老病死を代表とする苦をなくすることができると思っているのですか。老病死は事実です。生きることはしんどいことです。その事実を私がどう受けとめるか。それが阿含経では八正道なのでしょう。八正道をおさめれば死ななくなるとは釈尊も言っていないでしょう。
>仏陀が、無くなった人はみんな仏だよ、拝みなさい。と言ったと
 いう文献も無いような気がします。
確かに阿含経にはないと思います。しかし私は阿含経を所依の経典とする宗教の信者ではありません。あなたと立脚点が違うのです。それより阿含経に水子供養のことが書いてあるかどうか、なぜ教えてくれないのですか。



1320 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/06/30(金) 21:15

「一九九九年七の月」 35.何もおこらないことを予言していた

予言が終わった1999年8月、一流新聞に本の広告として次のように載せました。

「本書の著者は、「一九九九年カルマと霊障からの脱出」(一九八一年七月・平河
出版社刊)でノストラダムスの予言を解き、一九九九年七の月には、破壊も破滅も
おこらない、無事に終わるであろうと断定している。」

桐山氏は18年前から、1999年7月には何もおこらないと予言していたというの
です。
「一九九九年カルマと霊障からの脱出」を中学生に要約させれば、1999年の地球
壊滅を説いていると述べるでしょう。
誰がどう読んでも、逆さに読もうが、後ろから読もうが、この本は破壊が起こる
と書いてあります。
それを桐山氏はこの本で、何もおこらないと予言したと言うのです。
「無事に終わるであろう」と予言し、断定していたというのです。

この本だけではなく、1982年の「輪廻する葦」では「三度目の原爆が落ちる」と
述べ、その様子を自分は見えると断言し、1984年の「間脳思考」では「核ミサイ
ルによる地獄の業火」と書き、1995年に出した本でも、40%が横変死すると説き、
信者に、助かりたければ、13人を導けと脅迫するなど、18年に渡って手段を選
ばず、地球壊滅を説き続けていた桐山氏が、実は、18年前から何もおこらないと
予言し、断定していたと新聞広告を出したのです。



1321 名前: 1299 投稿日: 2000/06/30(金) 21:36
>1317さん
どうもありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです。


1322 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 22:21
>1307さんいわく
そうですね、全くその通りです。ですから、われわれホモサピエンスとして
は真理への近似値を求めるしかないのです。

近似値を求めるには最低2つのものが必要です。
でも、どこに2つのものがあるのでしょう?
あなたは仏陀の真理と、
真理を解釈した信者の主観(我見)
の2つがあると思っているのでしょうが、
実際にはどこまでいっても100%、信者の主観(我見)しかありません。
なぜなら信者さんはホモ・サピエンスで仏陀の真理を「想像する事しか」出来ないから。

さらに付け加えると、真理の近似値は全く真理ではありません。
それゆえに、あなたは阿含宗の正当性を自ら否定なさりました。


1323 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 22:36
>1306さん
自性は
関係性のうちに存在するのですよ。有でも無でもない、関係するものとして
存在する。自性は無いわけではない。無明があれば自性はあるのです。

だからさ、無明があれば自性がある、じゃなくて
無明故に自性があたかもあるかのように見える、が正解でしょ。
薄暗いところで縄を蛇と見間違えるのといっしょ。
いくら蛇がいる、て騒いでも、実際にあるのは縄。
無明が終わったから突然、蛇が縄に変身したわけじゃないでしょ。
最初から縄しかない。
それに、関係性が存在する、ていうのは俺は最初から言ってるけど、
それは身体を離れて霊魂が別にあるって意味じゃないでしょ。


1324 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:09
>1312

 お釈迦さまは、入滅(死)に先立って、侍者の阿難(アーナンダ)から、
「世尊の葬儀をどのようにすればよいでしょうか?」と問われたとき、
「私の葬儀は在家信者にまかせなさい。
あなたがた出家者は、怠らずに修行に励むように・・・・・・」と指示されました。

現代日本のお坊さんが葬儀をしているのを見られたら、
お釈迦さまは腰を抜かして驚かれるに違いありません。


1325 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 23:12
成仏=菩提と涅槃は同じものなのでしょうか。
阿含経で、お釈迦さまは他に向かって、自分と同じブッダになれと
命じられたのでしょうか。また、ブッダになり得ると説かれたので
しょうか。
また、お釈迦さま在世中の在家信者で、現世で解脱できた人は阿含
経の中に出てくるのでしょうか。
修行を完成して、涅槃に入った阿羅漢の心相続は、消えてなくなっ
てしまうのでしょうか。



1326 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:13
南方仏教においては僧侶は基本的には葬儀にタッチせず、
葬儀は在家の人々が中心になって執行されることになっています。
日本仏教には「葬式仏教」の異名があり、
日本では、葬式はお坊さんがするものという慣行ができ上がっていますが、
お坊さんと葬式との結び付きは、一般に思われているほど必然性はないのです。


1327 名前: はえたたき 投稿日: 2000/06/30(金) 23:18
現在では、仏教の各宗派が並び、全国各地にお寺がひしめき、
坊さんたちも葬式・法事に忙しい毎日を送っています。
世の人々は何の疑いもなく、人が亡くなれば葬儀をお寺で営み、
年忌法要も坊さんを招いて勤めるのが、
昔からのしきたりで、当たり前のことだと思っているようです。
そして、仏事は死者供養のおまじないだと見なされており、
仏教は祖先崇拝の儀式の道具である、
と深く思い込まれているようです。
だから、亡くなった人が善い所へ行けますようにとか、
自分の願い事をかなえるためのおまじないとして、
念仏やお題目を称えているようですが、それは間違いです。


1328 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/06/30(金) 23:23
>ブッダご自身が霊魂の存在についてどう語られているかについては、
漢訳の阿含部に一連の経典があったと思います。

国訳一切経 阿含部 二
雑阿含経 巻第十九 第四弟子所説 第二目健連相応の続き、第二部
(第二品) 一から四十二までの経典がそれにあたります。

マウドガルヤ―ヤナなは同名の仏弟子が多く、かれはマハ―・マウドガルヤ―ヤナ
(大目連)とも称された。のちに仏弟子中で「神通第一」と称されたが、なぜ
このように呼ばれるにいたったかは分明でない。ある日、かれの顔色が特別に
いきいきしているのを見てシャ―リプトラがその理由をたずねると、「今日、
われブッダと法話をなせり、天眼天耳ブッダとわれとともに有すればなり。」と
答えたと仏典に記されているから、その神通力はブッダに等しいと思われていた
のであろう。またかれはしばしばプレ―タ(餓鬼)をみては微笑し、問われて
そのゆえを語ったという。プレ―タは、常人には見ることのできない祖先の霊や、
前世の悪業の報いを受けて飢えや渇きに苦しんで徘徊する霊鬼を意味する。また、
亡き母が摩利支世界に住むのを天眼をもって知り、そこから救出したという。
いわゆる目連救母伝説であるが、中国、日本で行われる盂蘭盆会、施餓鬼会の起源
をなすものである。

               ブッダの世界 中村 元 編著

経典は目連尊者の説をブッダが追認し、さらに解説するという形式をとって
いますが、

「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
當に饒益せざる苦を受くべければなり。」

との教説からもわかるように、当時のインドにおいてもデリケ―トな問題だった
のでしょう。誤解を避けるために配慮されている様子がうかがえます。これらの
法話は「諸の比丘」とありますから、出家修行者にむけてのもののようです。

かれらの目標とするところは道品法をそれぞれの機根に合わせて修道に専念する
ことによって「実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達する」ところに
あるので、教説されたのでしょう。

他の経典では「異陰」「意生身」「識」などの言葉で霊的存在について表現されて
いるようです。単純に霊魂の存在の有無について言及しない。それよりわたしが
あなたに授けた修道法をしっかりやりなさい、というのが実情だったのではないで
しょうか。


1329 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/06/30(金) 23:53
>1325さん、ご参考に。
      南伝 相応部経典 四三、三四、涅槃
 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジエータ(祇陀)林なるアナータピンディカ
(給弧独)の園にましました。
 その時、世尊は、比丘たちに告げて、つぎのように仰せられた。
 「比丘たちよ、わたしは、汝らのために、涅槃と涅槃にいたる道を説こうと思う。よく聞くがよ
 い。
 比丘たちよ、では、涅槃とは何であろうか。比丘たちよ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊
 滅、これを称して涅槃というのである。
 比丘たちよ、また、涅槃にいたる道とは何であろうか。比丘たちよ、ここに比丘があって、遠
 離により、離貪により、貪りを滅しつくして、心平等に傾向して、正見を修め育てる。また、遠
 離により、……正思を修め育てる。……正語を修め育てる。……正業を修め育てる。……正命を
 修め育てる。……正精進を修め育てる。……正念を修め育てる。……正定を修め育てる。此丘た
 ちよ、これを称して涅槃にいたる道というのである。
 比丘たちよ、このようにして、わたしは、汝らのために、涅槃を説き、涅槃にいたる道を説い
 た。
 比丘たちよ、およそ、弟子のさいわいを願い、慈しみある師が、慈しみをもって、弟子たちの
 ために為すべきことは、わたしはすべて、これを汝らのために為した。
 此丘たちよ、ここに樹下がある。ここに空屋がある。思索するがよい。放逸であってはならぬ。
 後日に悔いることなかれ。これが、汝らに与えるわたしの教誡である」



1330 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:06
>1323さん
あなたは、無明ゆえにそこに居られるのです。
居られるように見えるのでは有馬記念。


1331 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:10
>1324さん
在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
めぐりめぐったのです。
現代で言うと、お経を唱えたのですね。
準備がメインでしょうか。偈がメインでしょうか。


1332 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:16
>1325さん、
これは私の能力を超えているご質問なので、また
他の方の返事があると思うのですが、

成仏=仏陀になること=涅槃(ニルバーナ)得ること、
菩提=あのくたらさんみゃくさんぼだい=涅槃を得るための最高の智慧
=三つの明知

仏教の目的は、成仏です。アラハンにいたるまでに、シュダオン、アナゴン
シダゴンなどの段階があります。
在家に対してもちゃんとシュダオンになる教えがあります。シュダオンになれば
もうもとの三悪道(地獄、餓鬼、畜生界)には戻ることがないのです。
涅槃、涅槃界に至ることができなければ、いずれ輪廻して三悪趣に戻って
しますのです。


1333 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 00:18
もうひとつ。

    南伝 相応部経典 四五、八、分別
かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータビンディカ
(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、もろもろの比丘たちに告げていった。
 「比丘たちよ、いまわたしは汝らのために聖なる八支の道を説こうと思う。ひとつ、それを汝ら
 のために分析してみようと思う。よく注意して聞くがよろしい。そして、よくよく考えてみるが
 よろしい。では、わたしは説こう」
「大徳よ、かしこまりました」
と、彼ら比丘たちは世尊にこたえた。世尊は説いていった。
「比丘たちよ、いかなるをか聖なる八支の道というのであろうか。いわく、正見・正思・正語・
正業・正命・正精進・正念・正定である。
 比丘たちよ、いかなるをか正見というのであろうか。比丘たちよ、苦なるものを知ること、苦
の生起を知ること、苦を滅することを知ること、苦の滅尽にいたる道を知ることがそれである。
比丘たちよ、これを名づけて正見というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正思というのであろうか。比丘たちよ、迷いの世間を離れたいと思
うこと、悪意を抱くことから免れたいと思うこと、他者を害することなからんと思うことがそれ
である。比丘たちよ、これを名づけて正思というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正語というのであろうか。比丘たちよ、偽りの言葉を離れること、
中傷する言葉を離れること、そ悪な言葉を離れること、および雑穢なる言葉を離れることがそれ
である。比丘たちよ、これを名づけて正語というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正業というのであろうか。比丘たちよ、殺生を離れること、与えら
れざるを取らどること、清浄ならぬ行為を離れることがそれである。比丘たちよ、これを名づけ
て正業というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正命というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の聖なる弟子が
あり、よこしまの生き方を断って、正しい出家の法をまもって生きる。比丘たちよ、その時、こ
れを名づけて正命というのである。
 比丘たちよ、いかなるをか正精進というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘があり、
いまだ生ぜざる悪しきことは生ぜざらしめんと志を起して、ただひたすらに、つとめ励み、心を
振い起して努力をする。あるいは、すでに生じた悪しきことを断とうとして志を起し、ただひた
すらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。あるいは、いまだ生ぜざる善きことを生ぜし
めんがために志を起し、ただひたすらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。あるいはま
た、すでに生じた善きことを住せしめ、忘れず、ますます修習して、全きにいたらしめたいと志
をたてて、ただひたすらに、つとめ励み、心を振い起して努力をする。比丘たちよ、その時、こ
れを名づけて正精進というのである。



1334 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 00:19

 比丘たちよ、いかなるをか正念というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘があって、
わが身において身というものをこまかく観察する。熱心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、
それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。また、わが感覚において感覚というも
のをこまかく観察する。熱心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪
りと憂いとを調伏して住する。あるいは、わが心において心というものをこまかく観察する。熱
心に、よく気をつけ、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住す
る。あるいはまた、この存在において存在というものをこまかく観察する。熱心に、よく気をつ
け、心をこめて観察し、それによってこの世間の貪りと憂いとを調伏して住する。比丘たちよ、
この時これを名づけて正念というのである。
 比丘たちよ、では、いかなるをか正定というのであろうか。比丘たちよ、ここに一人の比丘が
あって、もろもろの欲望を離れ、もろもろの善からぬことを離れ、なお対象に心をひかれながら
も、それより離れることに喜びと楽しみを感ずる境地にいたる。これを初禅を具足して住すると
いう。だが、やがて彼は、その対象にひかれる心も静まり、内浄らかにして心は一向となり、も
はやなにものにも心をひかれることなく、ただ三昧より生じたる喜びと楽しみのみの境地にいた
る。これを第二禅を具足して住するという。さらに彼は、その喜びをもまた離れるがゆえに、い
まや彼は、内心平等にして執著なく、ただ念があり、慧があり、楽しみがあるのみの境地にいた
る。これを、もろもろの聖者たちは、捨あり、念ありて、楽住するという。これを第三禅を具足
して住するというのである。さらにまた彼は、楽をも苦をも断ずる。さきには、すでに喜びをも
憂いをも滅したのであるから、いまや彼は、不苦・不楽にして、ただ、捨あり、念ありて、清浄
なる境地にいたる。これを第四禅を具足して住するという。もろもろの比丘たちよ、これを名づ
けて正定というのである」


1335 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:19
>1325さん
>修行を完成して、涅槃に入った阿羅漢の心相続は、消えてなくなっ
>てしまうのでしょうか。

これはぶっだのお返事は、無記=ホモサピエンスの理解力を超えた問題
、だったような気がします。間違っているかも知れません。


1336 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:28
>1325
どなたかお返事お願いします。
何か口頭試問みたい。

在家。居家、妻子奴婢を蓄養せるありて、
うんぬん、のお経があります。在家のものでも、信、戒、布、聞、持、
観、法次、法向 の八法十六法の修行を続け、下の三結(身見、疑惑、戒取)
を断ちシュダオンになれば、預流(聖者への道、引き返すことは無い)に
入れる。500人1000人のそう言う人がいるという話だったと
思います。

どなたかが書いていましたが、阿含宗では八正道ではありません。
八正道は七科三十七道品法の一部です。


1337 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:31
>1326さん
南方仏教でも僧侶が死者の供養をします。お墓は
寺院内に有ります。


1338 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 00:34
> 1331

不勉強だったようなので、ぜひ教えてください。

> 偈を唱えて、仏陀の周りをめぐりめぐったのです。

その偈はどのような偈でしょう?

そもそも、おかしいでしょう。
阿含経といえども、仏陀・釈尊の死後、
お弟子らによる結集によって編纂されたものです。

物理的なお経が存在していないor統一見解としてのお経が存在していない時に
“お経を唱えた”なんて見てきたようなウソor作り話or口から出まかせがよく言えますね。



1339 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:37
>1328、1329
さんありがとうございました。

>「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
>の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
>故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
>當に饒益せざる苦を受くべければなり。」

私は見れないのですが、感じます。苦しむこともできます。
阿含宗のおかげで楽になりましたが。
ありがとうございました。




1340 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 00:42
>1337さん

お釈迦のお墓(ストーパ・仏舎利塔・五重塔など)はたくさんあります。
でも、お墓があることと追善供養をすることとは無関係です。


1341 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:47
>1329さん
八正道といって、簡単なことのように思っていましたがちゃんと仏陀の言葉
による定義があるのですね。
日本では漢字から類推して、てんでに勝手な解釈が横行しているような気が
します。
漢字民族の宿命ですね。私もそうですが、漢字がわかると何かわかったよう
な気にってしまうのですね。ありがとう、ございました。


1342 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 00:51
>1322さん、

それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。


1343 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 01:00
>1338さん
スッタニパータには、7回で唱えれるべき分量のお経と
言う一文があります。
阿含経の結集というのは、みんなが唱えていたものを、
集まり、互いに唱え、確認しあったのです。
その際に、何かに記録されたかどうかは知りません。
そのようなものを唱えたのですね。仏陀をたたえることばで、
ヴェーダの達人という言葉はなかったでしょうか。

今回の書きこみにあたっては 「調べない、写さない」という
方針を立てています。時間がかかると仕事に差し支えるからです。
ですから、不確かな記載や、調査してまでは書かない事は
ご容赦ください。思いついたままの記述です。

それでは、今日は寝ます。11時から朝の5時は、魑魅魍魎の
時間帯なので寝るのが一番です。今日は時間オーバーでした。



1344 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 01:03
>1339さん、1341さん
いえいえこちらこそ。お役に立てて嬉しいです。


1345 名前: かたたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 01:51
おまえら、もういい加減にしろ!

阿含宗がインチキっていう結論はもうとっくに出てるんだ。
阿含経がそれなりに正しいのは当たり前だろう、仮にも仏典なんだから。

ただこのスレッドの阿含経を巡る論争を読んで分かるとおり、
結局、最後は見解の相違で終わってるだろう?
彼らが信じてるのは阿含経じゃなくて、
それをどう解釈するかという「自分たちの勝手な見解」なんだ。

だまされるな!

それより供養はどうした?
どうしてそんな馬鹿なことする?
金儲けのためじゃないか!
恥を知れ!


1346 名前: かたたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 02:02
もちろん水子供養のことだぞ!


1347 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 03:15
>1331さん
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。
>現代で言うと、お経を唱えたのですね。
>準備がメインでしょうか。偈がメインでしょうか。

ゲゲ(゜_゜;)

これも信者さんの我見なんでしょうか?

偈(げ)というのは中国語訳でインドではウダーナと言います。
ウダーナとは感興詩という意味でお経ではありません。

後年、仏陀が詠んだウダーナが経典になったということはありますが。
牽強付会というかなんというか…。


1348 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 03:30
〉1343
今回の書きこみにあたっては 「調べない、写さない」という
方針を立てています。時間がかかると仕事に差し支えるからです。
ですから、不確かな記載や、調査してまでは書かない事は
ご容赦ください。思いついたままの記述です。

非信者さんが一所懸命、阿含経をコピーして論証してるのに、
思いつきで、ですか…はぁ…。

こいつ、本当に人間として問題ありすぎ!
言葉使いを正してさえいれば内容はどーでもいいってことね。
いかにも戒律を重んじる小乗系の思想だね(ワラ。
正しいことが何か、が重要じゃなくて
結局、自分の教団だから弁護してるだけなんだよな。
誰かさんがいってたとおりだな。


1349 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 05:46
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。

仏陀って『供養』を必要とするレベルの方だったんですか?
解脱してなかった事になりますね。



1350 名前: 1329 投稿日: 2000/07/01(土) 06:19
>1348さん
私は阿含宗会員だよ。
「盲」信者とは違うかな、と一人で思っているけどね。
1348さんの「非信者」とはそれを指しているのかな。

「調べない、写さない」もいいんでないかい?
人により、表現の仕方は様々なんだから。
屈託のない意見が出て、面白いよ。
ただ、原典を離れたところで議論されたら、双方にとって
利益にならないと思うので、お釈迦様の言葉をこの板に出しております。
(1343さんが阿含宗会員であるかどうかは知らないが)
ただ、普通の阿含宗会員って、本当に阿含経に触れたことがないのですよ。
あるのは7〜10経程納めた漢文読み下しの小冊子だけ。
阿含宗職員が、この小冊子以外の阿含経を、話題にし、解説を試みるという
行為を禁じているのは甚だ問題のあるところとは思いますが。
少なくとも、「阿含」宗という看板を挙げているのだから、その依経とする
ところの阿含経を、道場内で皆で解説し合う、という場があるのが当然と
私は思っております。
でも、それがかなわないのだ。悲しいことに。




1351 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 09:15
>1350
はあ??何ほざいてんの?
ここはねえ、阿含宗を罵り倒す場所だ!!
議論だあ?はっ、ブアカ!!議論だなんてしたくもねえよ!
俺はねえ、信者の奴らが這いつくばるのが面白いのだよ!
俺の楽しみを奪うな!!!!!
わかったか!二度と来るんじゃねえ!!!!!!!!!


っていう人が、もしかしたらROMでいるかもしれない。
でも1329さん、がんばってね。
マジ勉強になります。


1352 名前: 水子供養について 投稿日: 2000/07/01(土) 09:52
 皆さん、はじめまして、病院関係の問題を調査にきました通り掛かり
の医師です。水子の問題について、皆さんあまりにも無知なので、一言
書かせていただきます。
 現代の人工流産の技術は非常に高度なものなのです。母体を損なわず
胎児だけを掻ハすると言うのは、簡単なことでは有りません。ですから
水子と言う概念が一般市民にまで浸透したのは現代日本だけの特殊な現
象なのです。高度な技術、子供の労働力を必要としない豊かな?社会、
宗教心の欠如、この三者がそろわないと、この日本のような現象は起き
ないのです。
 近代日本以外の社会では、妊娠すれば労働力としてありがたがられ、
飢饉の時は、間引き(嬰児殺し)と言う形で人工調整が行われてきたの
です。日本でも戦前は産めよ殖やせよの時代でした。
 ですから、古代では堕胎と言うことが行われたのは、権力者(村の庄
屋程度の小権力者を含む)の相続に絡むこと。後継ぎが卑女を孕ませる、
後継者争い、なさぬ仲の清算など特殊な事件として行われたのであり、
それは、母体の命を損ねる殺人行為だったのです。
 ですから古代では、それは、堕胎という殺人行為として認識されてお
り、現代の日本に見られる市民社会まで浸透した「水子」の存在という
概念は無かったと思います。
 宗教には興味が無く(この欄の人工流産には関心はあるのですが)お
経など読んだことも有りませんが、古代の文献に今の意味の水子が現れ
るわけも有りません。「堕胎の罪」に関するものでしたらあるかも知れ
ませんが。
 水子の社会に及ぼす害を説いている宗教も有ると聞いています。ただ
の金儲けかとも思っていましたが、病院のすざましい実態と社会の青少
年や成人のあり方を見るにつけ、そのようなことも有りうるかなと思う
このごろです。青少年だけでなく大人も異常です。
 昨今の日本は「不倫社会」になり、激しい勢いで堕胎が行われていま
す。このままで大変なことになるという危機感を感じます。また、患者
さんなどでも供養をなさらない方針の宗派のかたは、なにか、お付き合
いに(患者と医師としてのつきあいですが)一線を引かせていただきた
い気がするのです。(あからさまに言うと、できれば病院にこないでほ
しい。)
 堕胎を行っているのは誰だ、という声が聞こえそうなので、早々に立
ち去ります。このBBSにはもうこないと思いますので、書きっぱなし
になると思うのですが、よろしくお許しください。敬具。


1353 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 10:01

“疑っても、疑っても、疑いきれない”それが真実であり、
そこに信仰心・信心が生まれるのでしょう。

阿含宗の信者の方々は、
なんの疑いもなしに
頭ごなしに信じ込んでいるに過ぎないように思われます。

仏や教祖・開祖の教えを疑うなんて・・・、と
疑いは宗教においてタブーのように思われますが、
本当に信じる、信仰するためには
疑うことを忘れてはならないと思います。

疑いのない信仰心は、盲信です。
それは、単なる個人の思い込み、勘違いでしかありません。

心の安らぎを求めて、真の幸福を求めて・・・、
宗教を信じ、仏道に励まれているつもりでしょうが、
盲信によってますます深い迷いの世界に落ち込んでいるように感じます。


1354 名前: 1328 投稿日: 2000/07/01(土) 11:02
>1352 宗教には興味が無く(この欄の人工流産には関心はあるのですが)
お経など読んだことも有りませんが、古代の文献に今の意味の水子が現れる
わけも有りません。「堕胎の罪」に関するものでしたらあるかも知れませんが。

さきに挙げた経典群のなかに「堕胎経」があります。

医療現場からの貴重なご意見を頂き、いい勉強になります。

日本の人口調整の現状については、人口統計上の奇跡と言われているそうです。
それだけ不自然なかたちでの掻ハが日々積み重ねられているということでしょう。

その歪みが現実の社会にも反映している可能性は、否定しきれないものがある。

ありがとうございました。




1355 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:38
>1347
さん、長い経典の要点をまとめ、詩文にしたものが
偈、だと思っています。時代によって異なるでしょうが。
短くても経典は経典ですね。スッタニパータなどにも
いっぱい短い経典があります。
詩文、短文、長文が経典かどうかの基準にはなりません。


1356 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:43
>1345

>阿含経がそれなりに正しいのは当たり前だろう、仮にも仏典なんだから。

私は阿含宗の会員ですが、必ずしも阿含宗でなくてもよいと思っています。
仏陀を本尊とし、三宝に帰依し、阿含経を捧持した教団なら、どれもすば
らしいと思います。




1357 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 12:51
>1349さん
供養には仏、如来、三宝に対する供養と、死者に対する供養の二種類が
あります。
如来は福田といわれ供養に対しては福徳をお返ししてくださいます。
応供(供養に応ずる?)とも呼ばれます。
死者への供養の目的は回向だと思います。自分のつんだ徳を、死者へ
追善するのですね。

調べない写さないと言う方がおられましたが、私は、広辞苑を調べます。

おうぐ、応供、arhat、阿羅漢の訳、人天の供養を受けるに値するものの意。

全く調べずに書くと言う自信もすごいものだと思うのですが、自慢に陥らず
ちょっとは調べ物もされてはいかがでしょうか。会員から会員への忠告。


1358 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 13:00
>1342さんいわく、
それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。

…1342さん、
あなたは本当にその方法を知りたいですか?
本当の本当に?

もしも本当に知りたい、とおっしゃるのでしたら、
私はその方法を指し示す、ということは出来ると思います。
ただし、それはあなたが考えているようなものでは全くないだろうと思いますが…。

つつみ隠さず、私の本音を書かせていただくなら、
実は私は阿含宗のことなどどうでもいいのです。
つまり、あなたを改宗させることには全く関心がありません。
なぜ、私がそんなことをしなければならないのでしょう?
というのも、私は別に特定のどこかの宗派や教団に属している訳ではありませんし、
あなたに阿含宗の嘘、矛盾を示してみたところで、
私が何かの利益を享受する、ということは全くないのですから。

そのような訳で、もしあなたが阿含宗にいて心から幸せだ、
なんの疑問も持っていない、と言うのでしたら、私には何も申し上げることはありません。
今まで通り、淡々と、ただ阿含宗の嘘、矛盾をご指摘差し上げるだけです。

しかし1350さんのように、阿含宗にいながら、
阿含宗に多少の不満を持つ方もいらっしゃるようです(違うかもしれませんが)。
もし仮にそうならば、いづれ阿含宗に不満を持つようになり、
そしてもっと、もっともらしい嘘を言う、それゆえにより危険度の高い、
カルト教団かなにかにだまされる恐れもあると思うのです。

いえ、それよりも、あなたが真剣に行に行ずるなら行ずるほど、
あなたの問いかけが真剣であればあるほど、
そうであるがゆえに、ますます不満を持つようになる、
ということもあるのではないか、とも思うのです。

もちろんこれは、いらぬ心配と言えば全くいらぬ心配、
余計なお世話と言えば全く余計なお世話です。
というようなわけですから、最初にお聞きしておきたいのです。

あなたは本当にその方法を知りたいのですか?
それともただ単に私と議論がしたいだけですか?


1359 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:01
>1348さん
つい、強いことを書いて申し訳ありませんでした。
調べずに書くと言うのも、面白いかもしれませんね。
結局、その人の理解している本音が出るわけですから。
引き写しばかり(経典のことではありません。経典は引用して
いただくと身も心も洗われるような気がします)では、
その人の本当の主張が見えないですものね。

また阿含宗を批判している方も、ご本人のバックグラウンドを
お書きになると、相手のかたも話しやすいのではない
でしょうか。

まあしかし、ちょっとは調べるべきですよ。
「だんだん思い出してきたぞ」とか、びっくりしますよ。


1360 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:05
>1351のひとへ
お昼休みでちゅ。土曜日も働いているんだわ、かなしい。
なにか、あなたのほうが、はいつくばっているようにみえるちゃ。


1361 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:15
>1352のせんせい、ありがとちゃ

人口調整?人工調整?
むかしから女にゃにゃひどいことをしてたっちゃ。
殺す気でおろさせたんだ。
ゆ、る、せ、ん、ちゃ。
それでは、今の方法は、安全で確実に人殺し?



1362 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:21
>1353さん
はじめから、ぜーんぶ疑うのも
おかしいーよね。
いーまかされたら、かんがえなおしたら?
わたしは、かきこはじめてです。コメントいりません。
おそろしいので、帰ります。


1363 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 13:29
>1353さん
ぎろんして、いーまかされていて
「盲信」だなんて、こどもが、ぎろんにまけると 馬鹿
とかいってるのと おなじ。
ほんとうにさよーなら。コメントつけないでね。


1364 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 14:08
ここでの議論は不毛、ということだな。

理論武装した大人の喧嘩。接点が無い。


1365 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 14:16
========終了==========
このスレッドお終いです。決定。


1366 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 14:39
終了君は、どっかに行って遊んでなさい。


1367 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 15:53
信者の方々は、
結局、ヌマエビ氏の指摘した数多くの問題点には反論できないという事ですか?
随分あっさりと認めましたね。




1368 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 16:25
>1358さん
1342です、

>それでは、仏陀の教えに近づくための、他の良い方法は
ありますか。

>あなたは本当にその方法を知りたいですか?

ぜひお願いします。おまちしています。



1369 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:34
>1238
>「善い哉比丘、我が声門中、実眼・実智・実義・実法に住し、決定して通達せば是
>の衆生を見る。我れもまたこの衆生をみて、しかも説かざるは信ぜざるを恐るるが
>故なり。所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして長夜に
>當に饒益せざる苦を受くべければなり。」
恥ずかしながら、供養とか輪廻とか死後の世界とどういう関係があるのか分かりません。教えて下さい。おそらく1339さんはそういう意味で感激されたのだと思います。
>1339
>私は見れないのですが、感じます。苦しむこともできます。
 阿含宗のおかげで楽になりましたが。ありがとうございました。
あなたが満足されているのならそれで結構です。しかし阿含宗のような教えてなくても楽になる、というよりそうだったのかとうなずける教えはあると思います。



1370 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:35
1342です。
このスレッドを読んで、一番感心したのは、
自性と五蘊の違いに気がついた人がいることだ。
(両者が一体か、一体でないのかは別として)
普通、五蘊のうちの、識=自性だと思ってない?
識をも、この識は自分の識だと見張っている自性が
あるんだね。
自性自体は「ステルス」で、全く識からは認識できない
んだね。
五蘊(色、受、想、行、識)の変化を見て、自性の存在に
気づくのだ。
五蘊は自性の操り人形なのだね。
だから、勉強して、勉強して、識を変化させても
なかなか、自性は変わらない。
だから、実践的な修行が必要になるんだね。

専門家の方おられたら、上記、訂正、補足、おねがいします。
まったく違っているよとか。


1371 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:35
つづき
>1352
>昨今の日本は「不倫社会」になり、激しい勢いで堕胎が行われていま
 す。このままで大変なことになるという危機感を感じます。また、患者
 さんなどでも供養をなさらない方針の宗派のかたは、なにか、お付き合
 いに(患者と医師としてのつきあいですが)一線を引かせていただきた
 い気がするのです。(あからさまに言うと、できれば病院にこないでほ
 しい。)
前半のもっともご意見ありがとうございます。しかし堕胎した胎児を供養しなければならないというあなたのお考えは分かりません。堕胎に対するお気持ちと、水子を供養しなければならないという気持ちとは無関係でしょう。
つまり堕胎した人に対して何をすべきか、と、胎児に対して何をすべきか、ということで、前者やそれを安易に強要する社会に怒りを覚える気持ちは理解できます。しかし流産させられた胎児に対して供養しなければならないということは、なぜなのかと思います。胎児に対して自分は何をできるかを問うことは、胎児から私に与えられた課題であり、それを自分の問題として抱えて生きていくことが大切だと思います。
水子供養をすることは自己満足です。供養することで自分の罪が消えたということですから。自己満足することが仏教なわけはありません。仏の教えに照らされながら問い続けることが仏教徒だと思います。



1372 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 20:40
>1356
>仏陀を本尊とし、三宝に帰依し、阿含経を捧持した教団なら、
 どれもすばらしいと思います。
おっしゃるとおり。ただ阿含宗は残念ながらそれには当てはまらないようです。
>1363
 ぎろんして、いーまかされていて「盲信」だなんて、
 こどもが、ぎろんにまけると 馬鹿とかいってるのと
 おなじ。ほんとうにさよーなら。コメントつけないでね。
はたから見て、言い負かされているようには思えません。阿含宗信者の方が言い負かされているように感じます。



1373 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:40
1342です。
だから、青白きインテリなんてきらわれる。
勉強してわかったつもりになっているが、本性は変わっていない。
猿岩石みたいに、アジア中を無銭旅行さされて、死ぬような目に
会うと、本性が変わってしまう。(べつにそれがいいと言っている
わけではない。)
幸福の科学なんて、なんか怪しいのは、この識の部分だけで宗教が
なりたつように思っているからだ。(主催者も、会員も)

だから、本性とか性根、なんて言うのが、自性の一部をあらわす
ことばなのだろうか。


1374 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:43
幸福の科学とは逆に、なんとか特訓セミナーなどが
あやしいのは、学問の部分がなくて、苦しい訓練だけで
根性を変えようと思うことだ。
これだといいほうに変わらず、悪いほうに捻じ曲がって
しまうのだね。


1375 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:49
>創価学会の方へ
以前、学会の方がおられたようなので。1342です。

よく、学会の方は、色身不二とおっしゃいますが、この
色、身とは五蘊のうちのどれなのでしょうか。あるいは
どちらかが自性なのでしょうか。
日蓮上人独自の考え方なのか、法華経からきた考え方な
のか、よろしくご教示ください。


1376 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:56
>もぐらたたきさん、はじめまして。
その医療関係の方の文章は、
「一般的に、先祖に手を合わす気持ちのない方は」
という意味でおっしゃったのではないでしょうか。
水子は先祖なのかどうかですが?
家系に生じた生命で自分より先に亡くなれば、みんな
先祖なのでしょうか?


1377 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 20:58
>1358さん
1342です。待ってまーす。またあとできます。



1378 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 21:02
やけに流行ってるじゃない?ここ。



1379 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 21:46
>1376
>その医療関係の方の文章は、
 「一般的に、先祖に手を合わす気持ちのない方は」
 という意味でおっしゃったのではないでしょうか。
 水子は先祖なのかどうかですが?
手を合わすと言っても、どういう気持ちでなのか。先祖供養、水子供養をとく新興宗教は
1,霊が迷わないよう、祟らないように
2,霊を清める
3,先祖の罪を消す
4,自らの罪を消す
という考えからでしょう(これらはお互い関係しています)。
私は手を合わすということは、自らの罪に気づくことがまず第一だと思います。よく言われていることですが、食事の前に「いただきます」と手を合わすのは、命をいただきます、ということです。他の命を奪わなければ生きていけない自分のありようへの懺悔(おせっかいですが、さんげと読みます)、そして他の命をいただいて生きていることを感謝する。
先祖に手を合わすとき、自分の都合よくいきますように、自分の願い(実は欲)がかないますように、自分の思うとおりになりますように、といった気持ちはないでしょうか。水子供養の時はなおさらだと思います。
また先祖を大切に、とよく言いますが、自分と血のつながりのある人だけが大切なのでしょうか。また人だけでしょうか。あらゆる存在、あらゆる出来事が今の私を


1380 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/01(土) 21:56
途中で切れたので追加
あらしめているわけですから、それらすべてに手を合わさなければならないと思いまsu.



1381 名前: 1350 投稿日: 2000/07/01(土) 22:04
1日見なかったら、結構進みますね。
>1351さん
手荒な歓迎、ありがとう。そんなにビビらさなくても(^^;。
でも、ありがとう。
>1358さん
心配して下ださったのですね、ありがとうございます。
先のことは解かりませんが、今はこつこつと阿含経に向合っていきたいと思います。
「理解」するだけではだめで、お釈迦様が、どうして、その言葉を発せられたのか、
自分が同じ場面に遭遇したなら、やはり同じ言葉を使わざるを得ないだろう、
この言葉以外では、表現が出来ないであろう、
そう思えるまでは、その言葉を「体得」した事にはならないと考えています。
もちろん、阿含経といえども、増大・加上・再編がありますので、
歴史的批判精神は保ちながら。
もちろん、阿含経のみならず、他の西洋・東洋の精神文化も同様に
勉強していきますが。


1382 名前: 1350 投稿日: 2000/07/01(土) 22:10
あら、”もちろん”が重なった。
いかんいかん、国語から勉強せねば。
あはは


1383 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 22:14
>1379さん、
水子って軽い問題のように感じるかもしれませんよね。
しかし、戦後日本で堕胎された生命の数は、広島、長崎の
何百倍、何千倍、にも相当するかもしれませんね。
これは社会全体の問題でしょうね。広島長崎の原爆慰霊供養と
同じだと思うのですが。戦没者の供養とかとも。

先祖供養については、専門家のご意見をおききしたいですね。

たしか、立正佼成会と創価学会が同じ法華宗でありながら、
先祖供養をするかどうかで対立しているのですね??

まあ、素人といたしましては、先祖供養をする宗教団体の
ほうが、穏やかな感じを受けます。

もぐら、、、さんは、一切供養をされないのでしょうか。
実生活ではどうなさっておられるのでしょうか。

死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが。


1384 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 22:29
>1367さん
終了君です。終了していませんね。
だって、ヌマエビさんのコメントって、
本当に何がなんだかわからない。
桐山先生の御著書が、結局、読めていないのでは
と思ってしまう。
せめて、質問を箇条書きにしてほしい。

お遊びはおしまい。修行しようぜ。
-----------------------終了---------------------


1385 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/01(土) 22:59
終了君、もっと遊んでなさい。


1386 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/01(土) 23:25
>桐山先生の御著書が、結局、読めていないのでは
>と思ってしまう。

信者の方々は桐山大先生の良いところしか目に入らないらしい。
盲信って怖いね。




1387 名前: >水子供養 投稿日: 2000/07/02(日) 01:14
水子供養にかかる費用ってどれくらいですか?
どこにいけば供養してもらえるのでしょうか


1388 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 01:33
>1387
どこかにいけば供養してもらえる、という考えは捨てて
貴方が誠意を持って、生まれて来なかった子に「御免ね。」
と祈れば良い。そのほうが供養だと思う。


1389 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 01:39
>1368さん
>>あなたは本当にその方法を知りたいですか?

>ぜひお願いします。おまちしています。

1368さん、
まず、基本的な私のスタンスを最初に書いておきます。

前回のレスでは、いかにも私があなたの疑問に対する答えを知っていて、
方法も知っているかのような書き方でしたが、
もちろん、私は桐山さんではないので、そんなアヤシイことを書くつもりはありません。
基本的にきわめて常識的な、よく言い聞かせれば小学生でも理解できるような、
単純明快な内容の話ししかしないと思います。

というのも、今までの議論の内容からいって、
ものの捉え方や考え方がどうか、ということが
一番最初にこないと、宗教の話なんかしたって意味がない。
いや、そもそも議論が成り立たない、と感じたからです。
ということで、私としてはまず、
ものの捉え方とか考え方というのを一番最初に書きたいと思っています。

そこで質問です。

そもそものはじめに、あなたはなぜ成仏法を求めているんでしょう?
というより、あなたにとっての仏とか成仏法とはなんなのでしょう?
私が聞きたいのは、あくまでも「あなたにとっての」仏や成仏法です。
というのも、すでに何回も説明してきたように「成仏」とか「涅槃」とか言ってみたところで、
そもそもそれが具体的にどういうものなのか我々には想像することしか出来ないからです。
ということは、まだそれがどういうことかも分からないのに、
あなたはあなたなりに「成仏」とはこういうものだ、
というイメージを先に自分の中に作って、その上でそれを求めている、
ということになりますから。


…なぜこんな事を聞くのかというと、私の記憶するところでは、
桐山さんは二言目には、具体的な方法がある、と書いていたと思うんですね。
たとえば私が彼の著作を読んで記憶してるのには、
分かっちゃいるけどやめられない、それが人間で、
理屈や理解だけではだめで実践が大事だ。そのためには方法論が必要で…
というような趣旨の内容のものがあった気がしました。
私は元信者でもなければ何でもなく、
ただ単に中学生のころ何冊かその著作を読んだだけなのですが、
正直いってその論理には子供ごころに納得できないものがありました。

そこでたぶん、そもそものはじめにそういうバックグラウンドが出来てしまっていて、
そのワク中で答えを出そうとしてるのじゃないか、と感じているからです。


1390 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 03:29
1342(1368)さん、1389です。
すみません、あなたは1307さんとは別な方ですか?
1370を読んで気がつきました。

まず最初に、この内容について議論したほうがいいですか?
私はこの問題の専門家というわけではありませんが
これは結構得意ジャンルです(笑)。

でも、どちらにしろ、まずあなたのことを聞かせてください。


1391 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 03:46
>1387
さん、阿含宗の場合は、道場に行きますと、祭壇の
右側か左側に(道場によって違うと思います)「人型(ひとがた)」
紙でできた人型があります。それに、施主のお名前を書いて
心をこめてお祈りすれば良いのです。
金額は、その横に、10円とか100円とか1000円とか、その
時の気持ちでおけば良いのです。
水子が何体もおられて、管長げいかにお願いして特別に供養して
いただきたい時は道場の方に相談すれば良いと思います。
会員でなくてもできます。
一体いくらとかではなく、家系全体でいくら、だったとおもいます。


1392 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 03:54
>1387さん
そのときの、お祈りの仕方ですが、会員だと
お袈裟と勤行式を貸していただけるのですが(忘れた場合)、
非会員だと勤行式を借りるわけには行きません。
他見を禁ず、となっているからです。
ですから一般用の簡単な経本が窓口で500円くらいで売っ
ていますから、それを買われると良いでしょう。
ただ、手を合わすだけでも良いのですが、その経本
を読んであげたほうが、もっといいし、その本があれば
家でもお祈りができますしね。


1393 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 04:11
>1390さん
1342です。阿含宗のことは良く知っています。

>近似値を求めるには最低2つのものが必要です。
>でも、どこに2つのものがあるのでしょう?

2つのものって、
真理と、それに対するアクセス手段(近似の度合いの計測手段)でしょうか?

>あなたは仏陀の真理と、
>真理を解釈した信者の主観(我見)

>実際にはどこまでいっても100%、信者の主観(我見)しかありません。
>なぜなら信者さんはホモ・サピエンスで仏陀の真理を「想像する事しか」
>出来ないから。

このご意見は、全く正しいと思うのですが。これを読んだとき、それでは
この方法を否定したなら、他にどんな方法がありうるのだろうと感じて
しまったのです。



1394 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 04:42
>1342さん
1390です。

>2つのものって、
>真理と、それに対するアクセス手段(近似の度合いの計測手段)でしょうか?

いえいえ、ただ単純に、もともと1つしかデータがないのならば、
一体全体、何が何に対して近いのか(近似値)分からない、という意味です。

>このご意見は、全く正しいと思うのですが。これを読んだとき、それでは
>この方法を否定したなら、他にどんな方法がありうるのだろうと感じて
>しまったのです。

なるほど、それならやはり、
こうこうこういう方法があります、とは単純に言えないと思います。
というのは、実をいうと、
そもそもあなたの「その問いかけ自体が意味をなしていない」と思うからです。
つまり、考え方、捉え方のところでひっかかっている可能性が高い。

でもそう言ってみても、あなたには意味がますます分からないだろうし、
私もあなたのことが分からなければ(なぜそういうことを知りたいのか、とか)
想像で書くしかなくなってしまいます。
もし差し支えなければ
1389の質問にこたえるつもりで、

あなたはなぜ方法を求めているのか、
そもそもあなたにとって何のための方法(目的)なのか、
とか、いや、根本的に何をもって「方法」というのか?
といったことを聞かせてもらえませんか?

#答えはちょっと時間がかかるかもしれません。


1395 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 06:13
>ですから一般用の簡単な経本が窓口で500円くらいで売っ
>ていますから、それを買われると良いでしょう。
>ただ、手を合わすだけでも良いのですが、その経本
>を読んであげたほうが、もっといいし、その本があれば
>家でもお祈りができますしね。

初心者なのですみません。
その教本の中の何経で水子が供養できるのでしょうか?
どのようなメカニズムなのかご教示下さい。



1396 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 09:57
>1394さん、1342ですが、

私は、一般的に、一連のコメントの方が表現された、
「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに、
興味を持っただけです。

世界中の多くの科学者たちが自分たちが確立していっている
学問体系が真理だと思っているのです。(ノーベル賞級の方は
さすがにそのようなことは「あまり」言いませんが。
自分たちの実験計測体系では観る事のできないものは、一律に
真理ではないと規定する傾向もあるのです。人文科学でも
同じですね。
真理とホモサピエンスの能力というフレーズに引かれただけです。

また、いつかの機会に表明してください。それでは。


1397 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 10:16
>1395さん、
阿含宗で一般用の経本があります。名刺よりやや小さかった
と思います。(確認はしていません)
この中のもっとも重要なお経は、般若心経だと思います。
このスレッドにも書いてありましたが、空観を簡潔に説いた
経典として(依経ではないとかいていましたね)阿含宗では
重視しているのですね。阿含宗のみならず世界の仏教の
「共通語」ではないでしょうか。
ですから、ご自分で仏壇やさんなどにある?般若心経を買わ
れて読じゅしても良いと思うのですが、他にも良いおしえが
のっているかもしれませんので、阿含宗のほうが良いかも
しれませんね。
般若心経に関しては桐山管長の般若心経瞑想法という大部の
著作があります。非常に優れた本なのですが、桐山管長の
著作の中では一番難解(専門家向けに近い)と思います。

よい経本を読むと、読んでいただいた霊も落ち着くし、読み
あげている本人も読みながらさとされるのですね。また、法力
のある仏舎利尊の御前でなされるのですから、その力はすばら
しいものがあるとおもいます。たかが紙でできた人型、たかが
十円、百円のご喜捨と思わず、こころから、お経を上げてさし
あげてくだい。合掌。



1398 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 11:27
般若心経のどの部分がどのようなメカニズムで、「霊を落ち着かせる」のでしょうか?
また、「法力のある仏舎利尊の御前」云々を認めてしまいますと、
本来の釈迦の思想からかけ離れてゆくように思います。
他人が「死者を供養する事で解脱させる」などと釈迦は言っていませんでしたし、
それどころか、反対に否定する主張をしていますが。
さらにいえば、般若心経は竜樹の思想がベースとなっており、阿含経の思想とは異なっていると思います。
空を本質とするものが何故汚れる事が出来るのでしょうか?





1399 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 14:32
>1389 (はじめに空を本質としても空を得たわけではない)

特徴ある文体のもぐらたたきさん、スレッドを読むと、その件は、
何回も議論されているようですよ。ご自分は、
「阿含宗の解脱供養や水子供養はいやだ、いやだ、大大大嫌いだ。」
なのでしょう。それでいいではありませんか。

阿含宗のみんなは、納得して喜んで供養を受けているのだから。

今回のメッセージは、もしかしたらROMをしているかもしれない、
水子に悩める女性向けで、あなた向けでは有りません。質問者がだ
れなのかはわかっていました。想定問答ありがとうございました。

私は1394さんの
>「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに興味を持っ
ただけです。

あなたのように、阿含宗に縁がありながら、解脱供養をしそびれて、
気になって気になって、寝そびれた子供のようにごねている、しかも
一見理論的にごねている定年退職後の大人には興味がありません。
(論理の矛盾をつめてないので、論理的でもない。そう見えるだけ。)

私は、たまたま、この土日がひまだっただけです。明日からは、
息をつくひまも有りません。ずっとごてていてください。
「朝までごてテレビ」っていう番組がありましたよね。

1394さんの、ホモサピエンスが真実を知る方法というのは、いわ
く言いがたいようなので(看板だけ?)、私はここを立ち去ります。
1394さんも、さようなら。  1342


1400 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 15:45
>1394さんの、ホモサピエンスが真実を知る方法というのは、いわ
く言いがたいようなので(看板だけ?)、私はここを立ち去ります。
1394さんも、さようなら。  1342

>1290 そして仏陀は四苦八苦がことごとく「空」であると喝破した!
それゆえに、苦しみもなく幸せもない。
だからこそ、仏陀は平安に住するものと呼ばれるのである。

せいぜいこんなところでしょう。

>1389 (はじめに空を本質としても空を得たわけではない)

なるほど、けだし名言です。

当スレッド参加者のみなさんに、幸あらんことを。

失礼します。



1401 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:24
>1331さん
>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>めぐりめぐったのです。

1343さんは同一の方と思われますが、
いくら無記名でも調べもしないでこういうことは
書かないほうがいいのではありませんか。
釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
偈を唱えてなどというのはありませんよね。


1402 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:28
>1345かたたきさん

賛成です。
ここは阿含宗批判のスレッドです。
仏教一般についての議論に逸脱しているのが目立ちます。

釈迦は水子や不成仏霊の霊障を説いたのか、
水子供養を説いたのか、
不成仏霊の解脱を説いたのか、
先祖供養を説いたのか、
こういった点に論点を絞るべきです。

阿含経の引用をされる方に。
何のために、何をいいたくて引用しているのか、
自分の解釈を書いてからにしてはどうでしょう。
その経典を他の人も同じように解釈するとは限らないのです。


1403 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:29
>1354さん

堕胎経では、水子供養について書いてあるのですか。


1404 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 16:33
>1384さん
>だって、ヌマエビさんのコメントって、
>本当に何がなんだかわからない。

わからないのではなく、わかりたくないのでしょ。
信者さんが「何も感じなかった」というような事書いてましたね。
受け入れがたい現実に直面すると、人間は自分の感覚を遮断したり、
記憶を消したりするものです。
事実をあるがままに見たら、桐山信仰がぐらつきますからね。
現実をあるがままに受け入れるのではなく、
>お遊びはおしまい。修行しようぜ
などと現実から逃げて、自己正当化する。

子供の死が受け入れられなかったキサーゴータミーと同じです。
だが、釈迦は彼女に死をあるがままに受け入れるように説きました。
だから、現実を見ようとも受け入れようともしない人たちに
釈迦の仏教を名乗る資格はありません。


1405 名前: 1350 投稿日: 2000/07/02(日) 17:14
>1402さん
>その経典を他の人も同じように解釈するとは限らないのです。

正にその通り。おっしゃる通りです。
読んだ人の数だけ、解釈があると思います。
だからこそ、私はあまり注釈を付けたくはありません。
それを読み、その後どう行動するかはその人の問題です。
読み捨てるのも良し、深く深く考えるのも良し、
その経典に興味を抱いたり、疑問が生じたなら、
自分で調べもするでしょう。
はじめの解釈は釈尊の真理とは違っているかもしれない。
でも、その解釈とは、その読んだ人のそれまでの人生観から
考え出した解釈であって、むやみに変えることはしたくありません。
読んだ時には、打ち捨てられるかもしれない。
その後、その人がいくつかの人生経験を得て、何かの機会に同じ経典
を見るかもしれない。その時には何か違う解釈があるはずです。
私はそれに期待する。
その何年間の期間は決して無駄ではない。むしろ、その経典を心から
解釈するのに、その人にとってはどうしても必要な期間であったと私は考える。
私だって、間違った解釈をしているかもしれない。
そんなことで、釈尊の言葉を傷つけたくない。
そういうことで、経典の言葉を、あるがままに、読む人それぞれに受け取り、
読む人それぞれの人生を歩んでいってもらいたいと思います。



1406 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 17:27
>1405さん

一般論としては賛成ですし、良い意味で正論です。
しかし、ここは阿含宗批判のスレッドです。
阿含経を持ち出すときには、釈迦の言動と桐山さんの
それとどう違うかが、重要な論点になります。
この意味で解釈をめぐっての議論です。
経典の解釈をどうぞご自由にというのでは、
少なくとも、このスレッドの主旨からは離れていませんか。

1405さんは信者の立場で、それともそうでない立場で
これをおっしゃっているのですか。


1407 名前: 1350 投稿日: 2000/07/02(日) 17:30
釈尊が教えた道を歩む者としての立場です。


1408 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 18:06
1383へ
>もぐら、、、さんは、一切供養をされないのでしょうか
だからもう何回も同じことを言っているのに。何に対して供養するのか。阿含宗は迷っている霊に対してだろう。私は供養とは仏に対してするものだと言っているのだ。
>死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが
どうして死んだ者の気持ちが分かるのか。自分の感情を死者に投影しているだけだろう。霊や死後の世界についてあれこれ言われても、それが正しいと証明はできないが、間違いだと反論したり否定もできない。なにせわからないのだから。だから法の華のようなまるっきりの詐欺宗教に対しても詐欺だと証明することは困難である。だから釈尊はそういったことは語らないと言ったのだし、仏教徒と自称する者はそれに従うべきだ。そして霊や死者について悩む人に対して、供養してあげましょうなどと口が裂けても言うべきではない。それを言う人間には恥を知れと言いたい。
>1384「ヌマエビさんのコメントって、本当に何がなんだかわからない」
こんな馬鹿に対して何とか分かってもらおうとしてきた自分が馬鹿みたいな気がしてきた。
それに、同じことばかり何度も書いて、読む人もうんざりしているだろうから、なるべくこれでやめようと思う。


1409 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 18:29
>1354さん

仏教語大辞典(中村元 著)によると
墮胎:母胎に宿ること。妊娠。
とありました。

> 1403
> 堕胎経では、水子供養について書いてあるのですか。

どうも怪しいですねぇ。
仏教用語では、今日の日本語の堕胎とは意味が逆ですもん。



1410 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 20:20
>1409
広辞苑
胎児を自然の分娩期に先立って人為的に母体
外に排出させること。こおろし。


1411 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/02(日) 20:29

「一九九九年七の月」 36.逆転の開き直り

新聞広告は広告代理店が作ります。
しかし、代理店が、広告主の主張とまるっきり逆のことを書くはずはありません。
この広告は、まるで泥棒の親方が、警察が踏み込んだとたん「おれは前から泥棒
はいかんと主張していた」とにこやかに警察に協力したようなものです。

1999年の予言をはずした五島勉氏のような人たちは、謝罪するか、沈黙しました。
しかし、桐山氏は彼らのような凡人ではないのです。
桐山氏は逆転の発想をもった天才です。

破滅を説き続けた本人が破滅など説いたことがないというのですから、これは普
通の脳の持ち主ではありません。
その前に、普通の神経の持ち主ではありません。
これを仏陀の智慧と称し「21世紀は智慧の時代」という本まで書いています。
常識も世間も理屈もすべて踏み越え、踏みにじったすごい智慧です。

小学生が見ても、桐山氏は詭弁を越えたただのウソツキです。
だが、普通の人にはただの嘘が、熱心な信者には仏陀の智慧に見えるのです。
信者には、桐山氏の仏陀の智慧を批判するのは、浅はかな凡夫の智恵なのです。
そして、桐山氏の言う仏陀の智慧を信じる者だけが残ります。

埼玉の有名先達(指導的信者)の一人は、
「猊下(桐山氏)は毎日進歩し、昨日の猊下と今日の猊下は違う」
と言いました。
昨日と今日の話に矛盾があっても、それは桐山氏の"進歩"だと言うのです。
桐山氏は自分を求道者であると言っていますから、日々進歩しているのです。
桐山氏の矛盾や嘘をリセットしてくれる、これこそ桐山氏の真の弟子です。

つい一年前まで桐山氏が言った事、本に書いていたことなど関係ありません。
どれほどひどい脅迫をしていようが関係ありません。
桐山氏が、18年前から1999年には何もおこらないと予言していたと言えば、そ
の瞬間から阿含宗ではそれが真実であり、桐山氏の宗教上の偉大な進歩なのです。



1412 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 20:36
行法がどうのと尋ねる人がいたが、禅宗などの行ではいけないのか。禅宗の方が歴史があるし、方法論もしっかりしていると思う。
少なくとも桐山先生に学んだ麻原のような弟子は禅宗にはいないと思うが。


1413 名前: 堕胎経 投稿日: 2000/07/02(日) 21:21
雑阿含経「堕胎経」
和訳

 是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、王舎城に住まりたまえり。
乃至尊者大目健連、路中に於て、一大身の衆生の体を挙げて皮無く、
形肉段の如く、虚に乗じて行けるを見たり。乃至仏、諸の比丘に
告げたまわく、「此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て自ら其の
胎(はらみご)を堕せり。斯の罪に縁るが故に地獄の中に堕ちて
已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも
続いて斯の苦を受くるなり。諸の比丘よ。大目健連の所見の如きは、
真実にして異なること無し。当に之を受持すべし」と。仏此の経を
説き已りたまいしに、諸の比丘、仏の説かせたもう所を聞きて、歓喜
し奉行しき。

(健の文字が違います)


1414 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:24
>地獄の中に堕ちて
>已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも

地獄から帰ってきて、また苦しんでいるわけでね。
供養は子のためであり、親のためでも有るのですね。



1415 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:25
>自ら其の 胎(はらみご)を堕せり
現今と全く同じ意味で使われています。


1416 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 21:30
>1414さん
>供養は子のためであり、親のためでも有るのですね。

1413の経典のどこからこういう解釈が出てくるのですか。
どこに、供養しなさいと書いてあるのですか。



1417 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 21:30
>1412さん、
禅の修業も良いと思いますが、仏陀釈尊(ゴータマブッダ)
とのつながりを忘れて修行してはいけないとおもいます。
オウムもブッダ・ゴウタマからは、遠いところにいるのです。
仏陀のラインから離れないこと。仏陀の希望は、人々が仏陀
の言葉を学ぶことです。


1418 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 21:37
>1407 1350さん
>釈尊が教えた道を歩む者としての立場です。

1350さんは阿含宗の信者ですよね。
信者なら、1405での内容は額面とは全く違うことになります。

釈迦の経典を出し、解釈をいっさい加えないのは、
阿含宗流の解釈をすれば、批判されるからでしょう。
解釈のない経典を出す分には、誰もそれを批判できない。

十人十色の解釈という建前とはうらはらに、
結果的には、桐山さんと自分を守るために、
釈迦を矢面に立たせています。
阿含経を引用して、目くらましをしたように見えます。
阿含経を利用して、人の目をくらますというのでは、
桐山さんと同じになってしまいますよ。

あいまいな言い方をして、議論の焦点をぼかすのではなく、
率直に、あなたの信仰しているものを披瀝してはどうですか。

会員はろくに阿含経も知らず、宗務局は解説しあうことすら
禁止しているのはおかしいと書いたのは、1350さんですよね。
1350さんの感覚は正常です。
「阿含宗徒の阿含経知らず」の原因は何だと思いますか。


1419 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/02(日) 22:21
 ここに書きこみをされている、阿含宗のみなさん。
恥ずかしいと思いませんか。仏陀、ご在世ころ、仏陀に対して
さえ中傷誹謗するものがいました。それに対して、仏陀はどうお
答えになったでしょう。いちいち言い返していましたか。
「ともよ、あるひとがあなたに贈り物を持ってきて、あなたが受
け取らなかったらどうなるだろう」「仏陀よ、彼は贈り物をもって
帰るしかありません」
「ともよ、それでは私(仏陀)はあなたの贈り物(中傷誹謗)をう
けとりません」。
彼は仏陀に対する罵詈雑言を持って帰るしかなかったのです。

 ですから、ここに書きこみをされている阿含宗徒のみなさんは
仏陀の言葉に違背しているのです。

 せっかく阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界にご
縁をえながら、どうして、このようなところでうろうろしている
のですか。うわさで来てみましたが、あきれてしまいました。
阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
ません。

ただの、一会員でありながら説教がましいことを書いてもうしわ
けありませんでした。ただ「仏陀の教えに違背している」とお知
らせしたかったのです。




1420 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/02(日) 22:36
1419さん
>ただの、一会員でありながら説教がましいことを書いてもうしわ
けありませんでした。ただ「仏陀の教えに違背している」とお知
>らせしたかったのです。

それを桐山さんにも言ってあげなさい(笑)。
私たち非信者は、別に仏陀に対する罵詈雑言を書いている訳ではありません。
あなたがちょうど、他の会員の方にあきれたように、
桐山さんの嘘八百にあきれているだけです。


1421 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:21
“仏教=葬式”というイメージが定着してしまっていますが、
仏教はもともと葬式の方法などではありませんでした。
お釈迦さまは、“仏教は生きている人のために説くもので、
死んだ人のことはあずかり知らない”と言って、
一生インドの各地を歩き回って布教につとめられました。

仏教では、ともかく生きている人が大事なので、
生きているうちにどうするか、
生きているうちにどうさせるかだけが問題なのです。
死んだ人は、そもそも、
宗教的な行為の対象にはならないということです。


1422 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:25

仏教用語でいえば、
仏教は、生きている人が、
さとって、解脱して、涅槃に入ることを
最終目標としているのでしょう。

「さとり」とは、
私たちの苦しみのもとである、
他の誰でもない私自身の心の奥底にある
迷いをふっきることでしょう。

もっと簡単にいえば、
“自分の心を知ること”
これこそが、仏教の目指すところでしょう。



1423 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/02(日) 23:27

残念なことに、現在の日本のありさまを見ると、
お坊さんの仕事といえば、
お葬式とかそのたぐいの、
死んだ人を相手にすることばかりのような気がします。

先祖供養の専門家がお坊さんであるかのようです。
さらにお寺の収益向上、
平たく言えば、金儲けのために、
水子のタタリがどうのこうのといって、
水子供養をあおるお寺が増えているようです。
まことに商魂たくましいかぎりです。

だから、現在のお坊さんたちやお寺は、
“葬式仏教”と批判をされるのでしょう。
批判されて当然です。
いくら生きるため、生活のためと言い訳をしたところで、
たとえ後ろめたい思いをかかえながらといえども、
お釈迦さんやそれぞれの宗派の開祖の教えに反した
堕落した生活をしていることは事実ですから・・・。

しかし、阿含宗は、阿含経を依りどころとしながら、
教義そのものが先祖供養・水子供養です。
教えそのものが邪教です。偽物です。


1424 名前: 一会員2号 投稿日: 2000/07/03(月) 01:26
>1419さん

>阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
>たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
>ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
>ません。

その様な内向きの態度だったからこそ、後年、仏教集団が2つに大分裂し、
大乗派と名乗る人たちから”小乗"と揶揄される戒律仏教と変貌して行った
のではないですか?そして僧院に閉じこもり、小難しい理論だけに明け暮れ、
民衆と乖離し、衰退の一途となったのではないですか?
お釈迦様が最初は一人で歩き回り、人々に説いて回ったのをあなたはご存知か?
門外漢に対して、「私の一句でも理解してもらえたらそれで良いから」と
説いて回られたのをあなたはご存知か?
たしかに、論争がしたい為だけの議論は、仏教徒にとって恥ずべき行為であろう。
あなたはここを見て、そう思われましたか?


1425 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 01:47
1396>1394さん、

>私は、一般的に、一連のコメントの方が表現された、
「ホモサピエンス」が「真理」に近づく方法というのに、
>興味を持っただけです。

やっぱり「考え方」が最初から間違っていますね。
あなたは「方法がないと真理に近づけない」と思っているんでしょう?
そういう先入観があったら、それこそ真理には近づけません。

…というよりあなたは真理が何か、が全く分かっていない。
分かっていたら探す必要がないですから。
それはいい、誰も分かっていない。
であるなら、
根本的にあなたは自分が何を探しているかわからないまま真理を探している事になります。
なのにどうして方法を探すのか?そもそも方法があるかどうかさえ分からないのに…。

それと、あなたは私が話をはぐらかした、
と感じたかもしれませんがそれも違います。
まじめに答えているんです。

例えて言うなら、あなたはサングラスをかけている人のようなもの。
いま仮に、それを茶色のサングラスだとしましょう。
そして、そのあなたの目の前に白い紙があったとします。
そこであなたはこう質問しているんです。
「なんでこの紙は茶色なんだろう?どうしてだか分かりますか?」

…私にどう答えろっていうんです(笑)。
今までだったら無益な議論になるのを承知の上で、
「違うだろう、それは茶色じゃない!」
と答えていたところですが、いい加減目が覚めないみたいなので
「ちょっと待って下さい。その質問に答える前に、
あなたのそのサングラスを外してみませんか?」
とご提案申し上げた。
そしたらあなたは
「サングラス?いや、それは私の質問とは全く違う、全然関係ない答えだ。
そんな事を聞きたいんじゃない」
と言ってぷいと横を向いてしまわれた…。

これが今の状況です。


私は今までにもいろんな人と話をしてきましたが、
本当に真理に興味がある人というのに出会ったことがない。
みんな真理を探している、といいます。
ですがこういう話をすると、必ず彼らはあなたがしたみたいに眼をつぶるんです。

これでは真理があなたのすぐ目の前にあっても見えるわけがない。

…これは別にあなた宛に、という訳ではありませんが、
真理を探していると主張している人たちは、実は真理ではなく、

「自分が見たいと願望しているもの」

を探しているだけです。
たとえて言うなら自分の顔を見たくない、といって眼をつぶるようなもの。
そして、鏡を彼らの目の前に突きつけると、彼らは例外なくそれを振り払い、
「誰が自分の顔を見たい、と言った?私は仏陀のようになりたいんだ!」
と言うわけです。
しかし彼らが心の中に思い描く仏陀は、実際の仏陀ではなく(誰も実際の仏陀を知らない)
彼らの願望としての仏陀です。いわく、超人である。いわく、人間を超えた存在である…。
つまり彼らは単に超人になりたいだけで、
その願望を真理という言葉で正当化しているだけなのです。


1426 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 01:56
>1419さん

>阿含宗徒は、救いを求めてきた人のみを一生懸命助けてさしあげ
>たら良いのです。仏界に縁の無い人の罵詈雑言は微笑してみてい
>ればよいのです。彼らとていずれ助けを求めてこられるかもしれ
>ません。

友よ!
私たち非信者はその贈り物を受け取りません(笑)。
そっくりそのままお持ち帰りいただき、桐山さんにお渡し下さい(爆)。


1427 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 02:20
阿含宗の現役信者で、10代後半〜20代の
若い人いる?そんでもってオタク系じゃない人ー!
私、20歳なんだけど、友達になりたいなー。
神奈川に住んでるよ。


1428 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 02:26
1396>1394さん、
#1425の続きです。

>世界中の多くの科学者たちが自分たちが確立していっている
学問体系が真理だと思っているのです。(ノーベル賞級の方は
さすがにそのようなことは「あまり」言いませんが。
自分たちの実験計測体系では観る事のできないものは、一律に
真理ではないと規定する傾向もあるのです。人文科学でも
>同じですね。

あなたの言わんとすることはよく分かります。
確かに科学というのは(人文科学やいわゆる心理学も含めて)、
誰にとってもはっきりと観測可能な対象(客体)、
しか研究しません。
つまり「観ることの出来るもの」しか科学では扱わない。
これだと人の主観(主体:あえて“心”とは書かない)
は最初から研究の対象外です。

…しかし、そのように科学を非難することで、
実はあなた自身が、
「観測者(主体)と、その観測の対象(客体)との相互関係」
というものを正しく理解していない、
ということが分かってしまうのです。

どういう意味か知りたいですか?


1429 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 03:04
>1419
せっかく阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界にご
縁をえながら、どうして、このようなところでうろうろしている
>のですか。

友よ!
このスレッドこそは、
その「阿含宗という仏陀の光に導かれたすばらしい世界」です。
そしてあなたも早く桐山さんの嘘に気がついて下さい!


1430 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 05:02
>1408さん
>死んだものから見れば、親族がたよりという気もするのですが
どうして死んだ者の気持ちが分かるのか。自分の感情を死者に投影しているだけだろう。

ご名答!!
心理学では防衛機制のひとつで、またの名を「投射」とも呼ばれるものです。
たびたびこのスレッドで信者さん側が、
私は実際に感じることが出来る、と薄気味が悪いことをおっしゃっていますが、
実際に(主観として)感じるのでしょう。
はっきり言ってパラノイアの傾向が見受けられます。


1431 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:13
>>1331さん
>>在家がお葬式の準備をして、そのあと、出家は
>>どうしましたか。偈を唱えて、仏陀の周りを
>>めぐりめぐったのです。

>1343さんは同一の方と思われますが、
>いくら無記名でも調べもしないでこういうことは
>書かないほうがいいのではありませんか。
>釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
>偈を唱えてなどというのはありませんよね。


うっわー、1331さんは阿含宗の信者さんでしょ?
阿含宗の信者さんってこんな嘘(経典に載っていない偈を載っているかのような)
を平気でつくんだ。信じられない!!

これじゃあ、確かに、信者同士で「会員として恥ずかしくないですか」
とか言い合いしたくなるよなぁ(笑)。


1432 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 06:45
あさはら、ふくなが、たかはし、きりやま
みんな同じ臭いがするね。



1433 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:46
>1341さん

>うっわー、1331さんは阿含宗の信者さんでしょ?
>阿含宗の信者さんってこんな嘘(経典に載っていない偈を載っているかのような)
>を平気でつくんだ。信じられない!!

これはただの勉強不足でしょうね。どこの宗派も問わず、いや、これはどこの宗教
の所でも見られる事でしょう。
ただ、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。

>これじゃあ、確かに、信者同士で「会員として恥ずかしくないですか」
>とか言い合いしたくなるよなぁ(笑)。

1419さんが言われている趣旨は、ここに書き込みをしていること自体が、
「会員として恥ずかしくないですか」
といっているのでしょう。
あなたの言われているような趣旨とは違うと思われますが。





1434 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 06:52
訂正します。

ただ、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。

ただ、勉強不足のまま、こういった万人が見ることの出来る場所に書き込むことは、
阿含宗徒としての責任と自覚不足は免れないと思います。





1435 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 09:16
>1424 一会員2号 さん、こんにちは。

>お釈迦様が最初は一人で歩き回り、人々に説いて回ったのをあなたはご存知か?
>門外漢に対して、「私の一句でも理解してもらえたらそれで良いから」と
>説いて回られたのをあなたはご存知か?

そうですね。このスレッドで会員の方は(7、8名でしょうか?)
よく阿含宗の立場を説明されたと思います。しかし、もうこれで
十分ではないでしょうか。あとは百鬼夜行、魑魅魍魎の世界で
きりがないと思うのですが。
お釈迦様が「受け取らない」とおっしゃったのは、この現実をお知り
になっていたかではないでしょうか。
これ以上、無益な議論を重ねることは、お釈迦様の教えに違背してい
るとおもいます。阿含宗徒は「仏弟子」ですものね。
阿含宗の皆さん、彼らの罵詈雑言は、微笑んでみていましょうよ。
拈華微笑と言う言葉がありましたね。わかっているもの同士で微笑み
あうのです。



1436 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 09:26
>1425
不可知論ですね。


1437 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 10:15
>1401
>釈迦の遺体の周囲を三度回り、礼拝したという記述はありますが、
>偈を唱えてなどというのはありませんよね。

比丘、比丘尼はおしゃべりはしないですよね。
終始無言だったのでしょうか?





1438 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/03(月) 11:19
先日、阿含宗の友人に聞いたのですが、
護摩に、火を使うのは、密教なら、どこでもしているのでは、
と言っていました。
何故、桐山猊下だけが、火を使う事を批判されるのでしょうか。
ご説明下さい。


1439 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 11:33
燃やすもんが問題なんどす
高い高い金で買わせた護摩木を燃やすんどすえ
何本燃したかは誰も解らない
税務署泣いてます


1440 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 11:44
>1438
642のkotarou さんですね。
不成仏霊がなくなるまで、守護霊様はいただけない、
と言うのは、お洗濯が済むまでは、糊付けはだめ。
と言うような感じではないでしょうか。


1441 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:03
>1437さん
>比丘、比丘尼はおしゃべりはしないですよね。
>終始無言だったのでしょうか?

信者さんが、「偈を唱えて」などと勝手な追加記述をしたから、
経典にはないと指摘しただけです。
1437さんの質問の意味がわかりません。
この質問は阿含宗とどう関係するのでしょうか。


1442 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:04
>1419 さん
>「ともよ、あるひとがあなたに贈り物を持ってきて、あなたが受
>け取らなかったらどうなるだろう」「仏陀よ、彼は贈り物をもって
>帰るしかありません」

1419さん、1435さんはほんとうに桐山さんの弟子ですね。
釈迦の言葉を自分たちに都合よく利用する。
また、ろくに阿含経を読んでいない。
桐山さんがこの経典を引用したから、丸飲みしたのですね。

釈迦は論理的な質問に答えないことはありませんでした。
罵倒に対してさえ、反論し、説得している場面があります。
この経典でも、釈迦が返事をしているのがわかりませんか。
1419さんの思いこみと違い、釈迦は「いちいち言い返し」たのです。
釈迦が沈黙したのは形而上学の問題などだけです。

罵詈雑言は受け取らないで、論理的な質問に答えたらどうですか。
釈迦が禁止した占い、護摩をなぜするのか、
堕胎経のどこに供養が書いてあるのか、
釈迦は不成仏霊の解脱供養を説いたのか、
これらは質問であって、罵詈雑言ではありません。

釈迦の説法に基づいて質問されると沈黙し、
都合が悪くなると、釈迦を盾にして逃げる。
釈迦を信仰しているのなら、
釈迦をこれほど利用して恥ずかしくないですか。
「仏陀の教えに違背している」のは、釈迦を利用している
桐山さんであり、1419さんや1435さんです。


1443 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:15
>1438さん
>何故、桐山猊下だけが、火を使う事を批判されるのでしょうか。
>ご説明下さい。

すでに何度も説明しているのですが。
阿含宗が釈迦の仏教を名乗っているからです。

密教系は釈迦直説の仏教だなどとは名乗っていません。
彼らは大乗仏教にすぎないことは自覚しています。
阿含宗が釈迦の仏教だというのなら、
釈迦が禁止した護摩をなぜ焚き、大々的に宣伝にまで
使っているのかと質問しているのです。


1444 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:32
>1438
kotarou さん、阿含宗は根本仏教と密教、北伝大乗仏教を
併せ持った、円満仏教です。当然密教のリチュアルは行います。
また、スッタニパータ(根本仏教)などでも、火の祭祀は祭祀
の中で最高のものであると褒め称えられています。
また、聖書のルカ伝にも、バプテスマのヨハネが私の後から来る
尊い方は火で洗礼する(大意)と書かれています。
根本仏教、東伝仏教(密教)北伝仏教を円満融合させることは、
天才桐山桐山猊下のみなし得たところなのです。
また、阿含宗はキリスト教文明の行き詰まりを救う使命も帯び
ているかもしれないのです。
こんなすばらしい阿含宗にめぐり合えて、私たちは幸せですね。


1445 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:41
>会員はろくに阿含経も知らず、宗務局は解説しあうことすら
禁止しているのはおかしいと書いたのは、1350さんですよね。
1350さんの感覚は正常です。
>「阿含宗徒の阿含経知らず」の原因は何だと思いますか。

これは私がした質問ではないのですが興味があります。
是非、お答え下さい!


1446 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:49
>1438
kotarou さんは、桐山管長猊下が1996年の6月、モンゴルの
国立十一面観音像(観自在菩薩)の開眼供養で大導師を勤められ
たのをご存知ですか。モンゴルはチベット密教の国です。そこから
導師の要請があったのです。そのときモンゴルでは何ヶ月も続いた
旱魃により国内に大火災が発生し、国家存亡の危機にさらされてい
ました。
桐山管長は開眼供養のお護摩で、予言どおり大雨を全土に降らせ
数日で大火を治めてしまわれたのです。それ以来モンゴルでは、
モンゴルの伝説に名高い「大貴人」(外国から来て国を救うと予言
されていたかた)が桐山猊下であったと、国民の尊崇の的になって
おります。桐山猊下のご著書40数冊は、チベット仏教大学のテキ
ストとなっています。
桐山猊下が行う、火の祭典、密教のリチュアルについては、密教の
本拠地でも認められていると言うことは、ダライラマ猊下との合同
の、ご法楽、日本武道館のオーラの祭典を持ち出すまでもないこと
でしょう。
阿含宗の火の祭典は、このように尊い、世界を救うものなのです。


1447 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:51
阿含経の解釈については信者、非信者違いがあって当然でしょうが、
よく考えてほしいのは、あの当時のお弟子さんたちは出家者の八割方は
バラモン、クシャトリア階級から道をもとめてこられた方達でした。

論理学、形而上学、などの学問、あるいはヨ―ガ、瞑想、護摩法を
含めた祈祷、あらかた心得た修行者が、さらなる道を極めようと
してブッダのもとに集ったんだとおもいます。

いまさら彼らが護摩を焚く必要があるとおもいますか。

なにか、ご自分と、釈尊ご在世当時の仏弟子さんたちを、
同一視している・・・

そんな、ある種の「危険性」を、わたくしなどは感じてしまいます。


1448 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 12:52
>1445
経典の解釈権は、教団、教祖にあるのです。
ルターの宗教改革などを研究してみてください。


1449 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 12:53
1444さん、
>また、スッタニパータ(根本仏教)などでも、火の祭祀は祭祀
>の中で最高のものであると褒め称えられています。

あなたはこのスレッドに来て間がない方ですね。
申し訳ないですが、ここではそんなこと信じる人はだれもいません。
というのも最初からじっくりと読めば分かると思うのですが
それに関しては実際にスッタニパータに何がどう書かれているか、
ということを引用しながら、
その方面に詳しい方が徹底的に論破しており、
信者の方は苦し紛れに「2つの解釈があるのです」としか言えませんでしたし、
そのいいわけでさえも後からやりこめられました。

本当の本当の事なので、一度そういう我見をもたずによくよくお読み下さい。
何度も信者さんたちにご忠告差し上げているように、
私たちは仏陀ではなく桐山さんの嘘を告発しているのです。
あなたがスッタニパータに詳しくなくても、
それゆえに桐山さんの嘘にだまされたとしても仕方がないことですから
とにかく過去ログをよく読んで下さい。


1450 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:00
>1447
>論理学、形而上学、などの学問、あるいはヨ―ガ、瞑想、護摩法を
>含めた祈祷、あらかた心得た修行者が、さらなる道を極めようと
>してブッダのもとに集ったんだとおもいます。

そうです、そうです。どの修行者も基礎として、このような学芸
があったのですね。現代人が何らかの専門学科を持っているのと
同じです。この基礎の上に仏陀の教法があったのです。
この、基礎事項は当たり前のこととして記載されなかったのですね。
この基礎の学芸(ジェネラルアーツ)+仏陀の教法
が真の仏教であったと思います。

大阪城の天守閣だけを見て、仏教だと思っているのが一部の仏教学
者です。 大阪城には堅固な石垣があり、外堀は郊外まで有ったのです。




1451 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:02
>1448さん
経典の解釈権は、教団、教祖にあるのです。
>ルターの宗教改革などを研究してみてください。

1350さんは信者の方です。
信者の方がここに、教団内部のそういう態度がおかしい、
とおっしゃっているのです。
それに仏陀は、自分の法話の前に聴聞に対して、
自分の言葉をよくよく注意してよく聴くように、といっています。
あなたが言うような教団の言う解釈を盲信しろ、
という趣旨のことは言いませんでした。
第一、阿含宗はキリスト教ではないでしょう。


1452 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:03
>1447さん
ですから私は、密教は、狭い僧院の形而上学に
陥ってしまった仏教のルネッサンスだと思っているのです。
本来の生きた仏教への蘇りですね。



1453 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:08
>1447 さん
>いまさら彼らが護摩を焚く必要があるとおもいますか。

そのとおり、必要がないのです。
釈迦は弟子たちに護摩を焚くことを禁止しましたから、
焚きませんでした。
では、どうして桐山さんは護摩を焚くのですか。

護摩を焚いて、釈迦の仏教だ、などと宣伝する桐山さんや
それを支持している信者にこそ「危険性」を感じます。


1454 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:09
1450さん、
>この、基礎事項は当たり前のこととして記載されなかったのですね。
この基礎の学芸(ジェネラルアーツ)+仏陀の教法
>が真の仏教であったと思います。

当時の学芸(ジェネラルアーツ)は、特にこの方面に関しては、
ほとんどが今なら迷信と呼ばれるようなものでした。
実際に仏陀はその、あなたが言うような学芸(ジェネラルアーツ)を批判しています!
なぜ現代人の私たちがそのような迷妄を信じなければならないのでしょう?


1455 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:11
kotarou さん。
真実の書であり、預言の書である、スッタニパータや聖書に、

「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
「私の後から来る方は火で洗礼する」

とあるのです。すばらしいことですね。




1456 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 13:14

-----------off


1457 名前: 一会員2号 投稿日: 2000/07/03(月) 13:23
>1435さん
そうですね。その様なお気持ちでおられましたか、いやー失礼致しました。
最初の書き込みの調子が高かったものだから、つい言葉を荒げてしまいました。
申し訳ありません。

「如来が他人に好ましからぬ不快な語を発するのは、
(1)その語が真実でもなく、利益にもならないものであり、しかも他人に好ましくないも
のならば、如来は決してこれを語らない。
(2)その語が真実ではあるが、利益にならず、しかも他人に好ましくないものならば、
これも如来は語らない。しかし
(3)その語が真実でもあり、利益にもなり、しかも他人に好ましくないものならば、
如来はこれを語るべき時と語るべからざる時とを知るのである。さらにもし
(4)その語が真実でもなく、利益にもならないものであれば、他人には好ましいものであっても、
如来は決してこれを語らない。
(5)その語が真実ではあるが、利益にならないならば、他人に好ましいものであっても、
如来はこれも語らない。
(6)その語が真実であり、利益にもなり、また他人にも好ましいものであれば、
如来はこれを説くに時をもってするのである。
それは如来は人々に対して、慈悲の心をもっているからである。」

南伝 中部経典 五八、アバヤ王子経 より


私たちも、この様にありたいものですね。



1458 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 13:34
>1425
不可知論ですね。

1436さん、私は確かに不可知論を支持しますが、
1425で書いたのはその趣旨の事でさえありません。
もっと初歩的なことです。

ちなみに「知」には3つの位相があります。
すなわち「既知…既に知られている」、
「未知…未だ知られていない」、
そして「不可知…決して知られることがない」です。
知性には自ずと限界がありますが、その限界線を知るのもまた知性です。

1350さんをはじめ、多くの信者の方が桐山さんの嘘を真に受け、
「理解」だけでは十分じゃない、という趣旨のことを言っていますが、
本来なら「理解」という言葉は
「知的理解」とか「宗教的理解」、
あるいは「全人格的理解」というように、
その使い方からしてももっと広い意味の言葉です。
信者の方がいう理解は、狭義の「知的理解」の事でしょう?
しかし、実際には人間は、
知性を超えた不可知を「理解」する事さえも出来る存在なのです。

一方、「体験」というものは、
そもそもその本質からして「体験者」と「体験する事象」とに
分離されてしまうため、
この「不可知の領域」に踏み込むことが出来ません。
ですから体験という視点で不可知を論ずると矛盾が出てきてしまい、
また、実際にいくら瞑想にふけってみたところで、
「体験者」がじゃまをしてしまい、その不可知を体験する事が出来ないのです。
そのような瞑想は100年やったとしても全くの無駄でしょう。


1459 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 17:41
>1446 さん
>kotarou さんは、桐山管長猊下が1996年の6月、モンゴルの
>国立十一面観音像(観自在菩薩)の開眼供養で大導師を勤められ
>たのをご存知ですか。モンゴルはチベット密教の国です。そこから

ペイント中の仏像をどうやって開眼供養したのですか。
普通、開眼供養は、仏像の作成とペイントが終わり、
最後に眼を入れて、坊さんが修法して魂を込めます。
桐山さんが行った1996年6月には、
まだ観音像はペイントの真っ最中でした。
仏像の顔にはビニールまでかけてありました。
信者は観音堂の中にすら入れさせてもらえなかったのです。
1446さんは参加していないのでしょう。
現場を見ていたら、開眼供養などと書けるはずがない。


1460 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 17:45
>1455さん
>「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
>「私の後から来る方は火で洗礼する」
>とあるのです。すばらしいことですね。

1449さんからの助言が読めないのですか。
752,803,821,886,905・・・など一連の議論を
読んでから書いてはどうですか。
それとも、阿含宗では、議論は完全無視して、
独り言を言うのを桐山さんは奨励しているのですか。


1461 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:26
>1457さん
「その語が真実でもあり、利益にもなり」が前提で

「しかも他人に好ましくないものならば」
「如来はこれを語るべき時と語るべからざる時とを知る」

「他人にも好ましいものであれば」
「如来はこれを説くに時をもってする」

ですね。如来の言葉はここのみなさんいは、好ましくない
ようなので、語るべからざるときなのかもしれませんね。

ありがとうございました。


1462 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:37
>1458さん、
私たちは桐山管長の言葉を真実と思い、仏陀の言葉に近づこうと
しています。それに対してご批判されているのは良くわかりまし
たが、それでは、あなたは、どう言う方法で仏陀の言葉に近づこ
うとしているのですか。

ここで、阿含経を引いて議論しているのは、阿含宗、もと阿含宗
ばかりです。どちらにせよ、桐山管長の影響を強く受けているわけ
ですよ。桐山管長が世に出るまでは、一般庶民が阿含経を引いて
議論するなんて事はなかったのです。

批判するならば、対案を出していただきたいですね。


1463 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:42
>1459さん、
このコメントは、??でしょうか。
仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。
眼球がどうのと言いだすと、偶像崇拝になってしまいます。
供養によるモンゴル全土の豪雨が、法要の霊的な意味を
物語っているのです。


1464 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 18:56
>1460さん

>「火の祭典は祭祀の中で最高のものである」
>「私の後から来る方は火で洗礼する」

こういう文献が現代に残っていることが、
神意であり、仏のご意志なのです。




1465 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:07
先日、ファティマの聖母第3の予言をバチカンが公開しました。
それを読むとますます「別のもの」が、世界を救わねばならな
いのかと思うようになりました。

サタン、闇の力、魑魅魍魎、百鬼夜行、そのようなものが力を
得るなどと市民社会を見ていますと嘘のようですが、ニュース
などをみていると、あながち冗談でもないような気もしてきます。


1466 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:14
先日、ファティマの聖母第3の予言をバチカンが公開しました。
それを読むとますます「別のもの」が、世界を救わねばならな
いのかと思うようになりました。

サタン、闇の力、魑魅魍魎、百鬼夜行、そのようなものが力を
得るなどと、市民社会を見ていますと嘘のようですが、ニュース
などをみていますと、あながち冗談でもないような気もしてきます。


1467 名前: >1465.1466 投稿日: 2000/07/03(月) 19:26
もう第三の予言については、バチカンが公式の解釈も施し、ルチアの
承認も経た公開なので、完結してるの。
世界を救うとかなんとかは、関係ない。
キリストを信じて生きる事を選ぼう。あなたがファティマが気になるのなら
なおさらね。


1468 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 19:55
>1467
さん、つい先日、6月27日に公開された預言では、
the Holy Father が信徒とともに十字架のもとで
bullet と arrow で殺されてしまうことになっています。
これは、キリスト教文明がサタンの勢力に負けてしまうと
言う敗北宣言ではないのでしょうか。
bullet と arrow といえば近代兵器ですよね。


1469 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 20:38
仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。
>眼球がどうのと言いだすと、偶像崇拝になってしまいます。
>供養によるモンゴル全土の豪雨が、法要の霊的な意味を
>物語っているのです。

阿含宗では仏像などに対して偶像崇拝ということで一切拝んだりしないわけですね。




1470 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 21:21
>1463
>仏様の開眼と言うのはスピリチュアルなものです。

ビニールがかけてあるペイントの途中のものに、大導師としての
桐山さんはどんなスピリチュアルな開眼供養をしたのですか。
それを質問しているのです。
モンゴル側は開眼供養を依頼しておきながら、ビニールをかけ、
わざわざ行った信者には拝ませもしないのですか。
こういうのを阿含宗ではスピリチュアルというのですか。


1471 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 21:25
>1464 さん
>神意であり、仏のご意志なのです。

1464さんの説によれば、あのスッタニパータの中で、
火への供養と同様に、「王は人間のうちで最上」と
釈迦が述べているのも、そのまま仏のご意志になりますね。
1464さんの「仏のご意志説」によれば、
釈迦は人間を身分で差別したことになります。
阿含宗の釈迦は人間を身分で差別するのですか。
桐山さんは信者にそのように教えているのですか。


1472 名前: 1467>1468 投稿日: 2000/07/03(月) 21:35
公開は先月26日だった。で、Holy Fatherは教皇様のこと。
bulletは近代兵器にしても、arrowは基本的には古い時代からある兵器だ。
ブッシュマンだって、動物に素足で近づいて・・・仕留めるのはarrowだった
ようだし。
キリスト教文明がサタンに負けたという解釈は残念ながら(?)今回の
発表に伴うラッツィンガー枢機卿の神学的解釈にもなかったと思う。
第三のお告げは今や将来の予言としての意味合いはなくなった。
そして現状、キリスト教が完全にサタンに敗北しているわけでもなかろう。
よって、キリストの支配と救いにこれからも信頼することでいいんだと私は
思っている。


1473 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 22:14
あのー、書き込みは自由で結構なんですけど、
ファティマにキリスト、挙句の果てはブッシュマン???
その話題なら他でやって、疲れっから。


1474 名前: 宗教なんて。 投稿日: 2000/07/03(月) 22:27
宗教家って結局、俺より金持ってて、ええもん食って、もちろん俺が見たこともないような
立派ななんやかんやに囲まれて、守られていらしゃるんでしょ。
そんな奴が、なに言っても、ええことしても、そんなもん説得力ないよ。



1475 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/03(月) 22:43
>あのー、書き込みは自由で結構なんですけど、
>ファティマにキリスト、挙句の果てはブッシュマン???
>その話題なら他でやって、疲れっから。

1473さんに全面的に賛成。
信者さんたちも、この話題はわかんねえだろな。


1476 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 22:51
>1469
さん、菩薩像や如来像を礼拝するときは、そのなかの
お魂を礼拝しているのです。像自体を仏様として有りが
たがることはないのです。キリスト教の十字架の礼拝と
同じですね。


1477 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 22:52
>1471さん、
人の値打ちの差というのは、どうしてもありますよね。


1478 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/03(月) 23:32
>1472さん、コメントありがとうございました。
>公開は先月26日だった。で、Holy Fatherは教皇様のこと。
>bulletは近代兵器にしても、arrowは基本的には古い時代か
>らある兵器だ。
the Holy Father は辞書どおりだと教皇様なのですね。しかし
どうしてもイエス様の像が重なりますね。arrow は手持ちのミ
サイルのようなものを想像しました。

>ラッツィンガー枢機卿の神学的解釈にもなかったと思う。

こちらは、長くて読めませんでした。

>そして現状、キリスト教が完全にサタンに敗北している
>わけでもなかろう。
>よって、キリストの支配と救いにこれからも信頼するこ
>とでいいんだと私は思っている。

キリスト教徒の「サタンとの戦い」というものを、子供じみた
荒唐無稽なことのように思っていたのですが、このあたりに
来てみると、ほんとうに大変な戦いなのだなと思うようにな
りました。激しい総力戦を戦っておられるのですね。
ラッツィンガー枢機卿の解釈に異議を唱えているわけでは有りません。
ちょっとどういうことなのか知りたかっただけです。一阿含宗徒。





1479 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/03(月) 23:36
>1421〜1423 はえたたき

お前ら、シカト・黙殺すんなよな。
罵声なりなんなり反応示せよ。

オームの麻原(松本)、ライフスペースの高橋、法の華の福永。
テレビを見て、
あんな奴の言うことを信じて、騙されて、
信者はバカだなぁ、かわいそうに・・・、
そんな思い・感想を持ったでしょう。

そして、
あいつらに比べて桐山教祖は立派な方だし、
私は幸せだ、
なんて改めて信仰心を深めたのでしょう。

でも、
私から見れば、あんたたちも同じだよ。

桐山さんが、アルツハイマーかボケ老人になって、
もっと刺激的な幻覚を見るようになり、
もっと過激な予言をするようになったら、
その時があんたたちがワイドショーのスターになる時ですよ。

未だに麻原の教えを信じて修行に励むオームの信者の姿を見ているでしょう。
あなたたちも同じだよ。

何でもいいから阿含宗以外にも目を向けなさい。
桐山さん以外の人の意見も聞いてみなさい。
それがあなたたちのためです。


1480 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 00:15
皆さん、正しい仏教徒の人、お釈迦さまのこと「釈迦」と呼び捨てにするのよくないあります。
詳しくは「釈迦牟尼」、「シャキャ族出身の聖者」のことあります。
せめて「釈尊」とお呼び申し上げるあるよろし。


1481 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 00:22
でも釈迦も女の股から生まれて
女の股に自分の物つっこんで子供
つくってんのね。
普通の人。ちょっと奇人なだけ。
キリストも同じく麻原も同じく。
崇める対象ではないね。


1482 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/04(火) 03:34
…ちょっと見ない間にもうすぐ1500台…
レス返そうにもはるか彼方だにゃあ…


1483 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:14
>1462さん、
私たちは桐山管長の言葉を真実と思い、仏陀の言葉に近づこうと
しています。それに対してご批判されているのは良くわかりまし
たが、それでは、あなたは、どう言う方法で仏陀の言葉に近づこ
>うとしているのですか。

…方法…またしても「方法」ですか…。
…正直言うと、私はなにがしかの方法を知ってはいます。
そして、実を言うと、それはそんなに難しい事でもありません。
しかしながら、今までの議論を振り返ったり、
この発言の内容を読む限りでは、
「あなた」がその方法の意味を理解したり、
実践することはほとんど不可能です。

…といっても、これだけでは、
どういうことなのか、あなたには分からないでしょうし、
何を訳の分からないことを言ってるんだ、もったいぶって。
と、そう思われるかもしれません。
だって、普通は、それが簡単な方法なら誰でも実践できるはずですから。

普通にお話ししてみても、
どうしても納得していただけそうもないので、
ちょっとした仮定を設けて、どうしてそうなるのか、
あなたにも分かるように分析してみましょう。

…いま仮に、ここに阿含宗の信者、Aさんがいるとします。
そして、そのAさんが「仏陀」が人間を超えた存在、超人である、
という「桐山さんの教え」に感銘を受け、さらに、
そのような超人になるための「具体的な方法(成仏法)がある、
という教え」を信じ、一所懸命に「修行(勤行)」に励んでいるとします。

そこでちょっと冷静に考えていただきたいのですが、
そもそものはじめから、なぜAさんは
「仏陀」が人間を超えた存在、
という定義を、あっさり受け入れて、
頭ごなしに信じてしまったのでしょうか?
というのも、
そういう定義を信じない人も世の中にはいっぱいいるからです。
信じる人と信じない人、
その違い、というのはいったいどこにあるんでしょう?
冷静になって下さいね。
私の言っているのは、「仏陀」が人間を超えた存在でない、
という事ではありません。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
私たちには分からない、ということはさんざん言ってきました。
そうではなく、私が知りたいのはAさんの「個人的な事情」です。
というのも、他の人が信じないのにAさんだけ信じるとしたら、
それはAさんにはそれなりの特別な「個人的な理由」があるに違いないからです。

ここまでは分かりますよね?
ただし、ここで、あわてふためいて、いきなり
「それこそ仏縁というもの何だよ!」
なんて言わないで下さいね。
これはあくまでも「仮定」のお話で、
「私なりの分析」なんですから。


1484 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:15
#1483の続き

さて、私が思うに、このAさんの場合(仮定の人物で実在ではない)、
それを信じたのは、
「自分もそうなりたい」と思ったから、なのではないかと思うのです。
というのも、Aさんは常々、
「自分は別に絶対に阿含宗でなくてもいい、仏陀直伝の阿含経を
依経とし、三宝に帰依し…(この後は信者さんの方が詳しい、笑)」
というような事を言っていたからです。
ということは、つまるところ成仏法を持っていれば阿含宗でなくてもいい、
ということになります。
なぜでしょう?
それは、当たり前すぎるくらい当たり前ですが、
その成仏法で自分が仏陀になりたいから、なのです。
ここで注意していただきたいのは、
私はそれを、別に、悪いことだ、とか、
逆に善いことだ、とも言わないで、淡々とその理由を推察しているだけだ、
ということです。
それと、いま、私が結局のところ、

「その成仏法で自分が仏陀になりたい」、から
だから、その成仏法を信じている、という文脈で書いたということです。

ということは、
Aさんは、「成仏法を信じた」から、
(その結果として)仏陀になりたい、
と思ったのではない、ということになります。
(あくまでも私の分析です)。

さて、もしもそうだとすると(仮にです)、
今度は、

なぜAさんは仏陀になりたいと思ったのか?

という疑問がでてくると思うんです。
というのも、
またしても先ほどと同じで、世の中には別に仏陀になりたい、
と思わない人だっているわけですから(笑)。
そこには、なにかAさんなりの「個人的な事情」があると思うんです。

…私が思うのは、
「仏陀になりたい」という願望は、
裏を返せば、それはAさんが
「今の自分が仏陀ではない」という認識を根底に持っている、
ということになると思うんです。
そうじゃなければ仏陀になりたいなんて思わないでしょう。
えっ、当たり前すぎますか(笑)?
ではもうちょっと深く…。
Aさんの中では、「仏陀」とは=「人間を超えた存在」=「優れた存在」、
だということが分かります。ということは別の言葉に置き換えると、
「仏陀になりたい」=「優れた存在になりたい」
ということになり、その裏返しの認識の方は、
「今の自分が仏陀でない」=「今の自分が優れていない(劣った)存在」
だと思っている、ということになりませんでしょうか?

…さて、そうするとですね。
このAさんは、実は心の中にすごいコンプレックスを持っている可能性がある、
ということになります。
つまり、なにかものすごい劣等感を「隠し」持っている
(本人はあまり気がついていない)のかも知れない。
そして、もしもそうであるなら、私が思うに、
Aさんは、この「成仏法」に出会い、
「仏陀になれる」と心から信じることで、
心の底から、生きる希望というか、ある種の救いを感じるだろうと思うんです。
なぜかというと、
「成仏法」に出会うまでは、無意識のうちにコンプレックスにさいなまれて
人生にむなしさを感じかけていたのが、
そのコンプレックスを払拭出来る「優れた存在」になる方法を見つけたんですから。

まあ、これはあくまでも仮定のお話なので…(笑)。

さて、もしそうだとすると、
このAさんに、いま仮に私が
「成仏法なんてないんだよ」と言ったとしたら、
その真偽のほどはともかく、
そのような言葉をAさんが簡単に信じるでしょうか?
もし仮に私の言葉がAさんに届いて、
Aさんがそれに納得してしまったらどうなるでしょう?
せっかく生きる希望を見つけたのに、
せっかく自分に自信をもてるようになってきたのに…。
もしかしたら、Aさんはまた、元のコンプレックスに逆戻りして、
下手をしたら、人生に絶望して自殺してしまうかも知れません!
そして、そのコンプレックスがもしも仮に
「Aさんの無意識の中」にあった場合、
その無意識が徹底的に抵抗すると思うんです。

もっとはっきり言うと、
Aさんはおそらく、「無意識(コンプレックス)」の強烈な抵抗に出会い、
「もしかしたら、仏陀は人間を超えた存在ではないかも知れない」
という可能性を心の中に思い浮かべることすら出来なくなって
しまっているのかも知れないのです。


1485 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:16
#1484の続き

…1463さん、
これは何度も言うようにあくまでも「仮定」のお話で、
Aさんというのは「架空」の人物です。
しかしですね、この話のどこかが何かに似ている、
という感じがありませんでしたか?

…実を言うと、これはかつて、
仏陀がまだ在命中に実際にあった話を土台にしています。

仏陀を人間を超えた存在と信じたAさんとは、
同じく、仏陀がそのような「法力」があると信じ、
それ故に、死者をも生き返らせることが出来る、
と信じた、あの「キサーゴータミー」と同じです。

なぜ、彼女は仏陀がそのような法力がある、と信じたのでしょう?
彼女のその「個人的な理由」とは何だったのでしょう?

それは、あのAさんの場合と基本は同じで、その法力によって、
死んでしまった自分の子供を生き返らせたかったからです。
仏陀が実際に自分の子供を生き返らせたから、ではありません
(つまり、自分の願望の方が事実より先に来ている点に注目!
すなわちAさんの場合と同じ)。

それではなぜ、彼女は、自分の心の中に、
死者を生き返らすことなど出来ない、
という当たり前の簡単な「可能性を考えることすら」
出来なくなったのでしょう?

それは、仏陀が「法力」で死者を生き返らせることが出来る、
と信じることで、もしかしたら、自分の死んだ子供も生き返らせてもらえるかも知れない、
という希望が生まれ、「その希望に強烈に執着」する事で、
自分の心の中に負った深い悲しみを抑圧していたからです。
つまり、「死」を受け入れることは彼女にとって絶望だったのです
(この点も、コンプレックスを無意識に抱いたAさんと基本は同じ)。

しかし、仏陀は彼女に何と答えたのでしょうか?

仏陀は
「いかにも、自分は人間を超えた存在で、
超人で、それゆえ法力であなたの死んだ子供を生き返らそう」
と桐山流で答えたのでしょうか(笑)?

…1462さん、もうおわかりでしょう?
事情はもちろん人それぞれです。
キーサゴータミーのような事情で信じる人もいれば
Aさんのような事情で信じる人もいるかもしれません。
ですから、一律に万人に向けて
「この方法で目を覚ませ!」
とは単純に申せません(笑)。

>ここで、阿含経を引いて議論しているのは、阿含宗、もと阿含宗
>ばかりです。

すみませんが、私は阿含宗どころか仏教、
いや、宗教というもの全般に関してほとんど
全く縁がないし、関心もありません。
以前にも書きましたが、単なるヒマな宗教ウォッチャーです。
私が関心があるのは真理のみです。

>どちらにせよ、桐山管長の影響を強く受けているわけ
ですよ。桐山管長が世に出るまでは、一般庶民が阿含経を引いて
>議論するなんて事はなかったのです。

つまり、これほど迷う人は増えなかった、ということですね(笑)。

>批判するならば、対案を出していただきたいですね。

よろしい。
対案としての成仏法を伝授しましょう。
そのかわり、一つだけ条件があります。
今まで一度でもいい、どこの国のどの家庭でもいいですから、
仏の三十二相を完璧に備えた、
種としてのヒトを超えた存在としての仏陀、
を生み出した家庭があるのなら、
そこの家庭から芥子を少しもらってきて下さい(爆)。

…冗談はともかく、私は、たとえば「仏陀直伝の瞑想法」というような事でしたら
なにがしかの事を知っていますが…
…そんなことじゃないですよね(笑)。
だって、そんなことして「真実があるがまま」に見られるようになったら、
その前に「自分がこの世で一番見たくない、と抑圧しているもの」
も同時に見られるようにならなくてはなりませんから…。

……合掌。


1486 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 05:48
>1483さん
方法があると明言した以上、さっさとその方法を公表しろよ。
ウダウダウダウダ言ってないでさあ!
他人の分析なんかどうでもいいから、聞かれたことに答えろよ。
答えをはぐらかしはぐらかし、答えを言うのが怖いだけなんだろ!
そもそも答えなんて持っていなくて、今必死になって考えている最中なのかな?
不可知論を支持する、と言っているのだから、少なくとも
俺をイライラさせるのには成功しているようだね。
俺も知りたいから、さっさと答えろ。
ちなみに俺は阿含宗徒ではないよ。


1487 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 06:01
>1486さん

それは脊椎反射レス。

健康のためよく読みましょう。


1488 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 06:10
ところで
阿含宗の「方法」なるもので桐山氏の言うようにホモエクセレンスとなった人はいるんですか?
いや、それ以前にその前提である求聞持法を成就した人はいますか?
いや、それ以前に因縁解脱した人は?
いや、それ以前に・・・。



1489 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 06:58
>1487さん

あのー脊椎反射レスってどんな意味ですか?
辞書引いても判からない。
聞くは一時の恥、
私は1486さんじゃないのですが、
ドキュンな私に教えてください。
また夜にうかがいます。


1490 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:34
>1480さん、
それは文脈によります。哲学を語る時は、
「キリストによれば」とか「シャカの考えでは」という
文章になるのです。歴史を語る説きもそうですね。
「そこで、長島はホームランをうったのである」
「皇太子ははじめてヨーロパを訪問した」
ですから、敬称がついていない時は、歴史、哲学の文脈
だと思ってください。


1491 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:50
>1489さん、
中学校の理科で習ったと思うのですが、手に熱いものが
当たると瞬間的にぱっと手を引きますね。熱さの刺激が
脳に達する前に脊髄で処理してしまうのですね。
脳を使わない原始反射的コメントとおっしゃりたいので
はないですか。私は1487ではありません。1487
さんのコメントは脳内をぐるぐるぐるぐるどこまでも循環
しているようですが。


1492 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 09:52
>1489さん
脊椎より脊髄のほうが辞書にのっているかもね。


1493 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:43
>1488さん
私の周囲の人はどんどん因縁が切れていっているように
思えます。
勤行をしていない人、差し引きで仏様にお世話になり
っぱなしの人などは、因縁が切れにくいようです。
底辺にいますので、上部の修行の進んだ方のことはあまり
わかりませんが。


1494 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:44
>1482
にゃにゃさん、こんにちは。おげんきですか?


1495 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 10:52
キリスト教徒の「サタンとの戦い」について書かれた
コメントがありましたが。
仏教徒にとって「サタン」とは何なのよ。
サタンの板があったのですが、読んでいません。


1496 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 12:08
>1480 さん
>皆さん、正しい仏教徒の人、お釈迦さまのこと「釈迦」と呼び捨てにするのよくないあります。

日本の習慣はそうです。
ただ、何でも尊称をつけるのは日本独特なものです。
イエス・キリストをイエス様などと呼ぶのは日本人です。
釈尊という表現も同様。
原語から離れたこの奇妙な尊称が学者の間ですら使われています。
「お釈迦様」も日本では定着した言葉ですが、「おイエス様」と
呼ぶようなもので、意味を考えるととても奇妙な言葉です。

通常、亡くなってから時間のたった人には尊称をつけません。
だから、使い方は各人に任せていいのではありませんか。

たいせつなことは中身を伴っているかどうかです。
いくら尊称をつけても、本人が説きもしなかったことを、
説いたかのように言って、ご都合で利用するだけ利用するのは、
実際に失礼、無礼なことです。
尊称をつけたことになりません。
そういうのを慇懃無礼というのです。


1497 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 12:12
>1479 はえたたきさん
>あんな奴の言うことを信じて、騙されて、
>信者はバカだなぁ、かわいそうに・・・、
>そんな思い・感想を持ったでしょう。

知り合いの信者たちの反応はそのとおりでした。
「オウムでなくて、よかった」と
半分喜び、半分オウム信者をバカにしていた。

あんなによく似ているのに、信者たちは、オウムや
法の華が自分たちの姿を映した鏡だと気が付かないのです。
むしろ、あれを見て、安堵し、安心する。
「ああ、桐山管長でよかった」なんてね。
周囲が聞いたら苦笑、爆笑だけど、信者は大まじめ。
「自分はオウム信者と五十歩百歩ではないか」などと、
自分を省みるような人はだいたいここには書き込めない。


1498 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/04(火) 12:20
1440番さんへ。
1500万円のお金は有りません。
私の叔父は、別の宗教の教祖でした。
信者になったら、まず孔雀なんたらと言う、守護霊を付けていました。
「守護霊が、これからは因縁から、あなたを守りますよ。」
と言っていました。
桐山猊下もそうされたらと提案しているわけです。


1499 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 12:58
原始仏典では、釈迦のことを皆「尊師」と呼んでいた。
ここでは、釈尊ではなく「尊師」と呼ぶべきだろう。



1500 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 13:01
残虐な無差別殺人犯の麻原被告も桐山氏の事を師と仰ぎ
聖者と崇め、その教えに深く帰依していました。
「類は類を呼ぶ」という事になるのかならないのか?
大変難しい判断ですね。



1501 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 13:14
>1499
ならこの際
麻原も桐山も尊師って呼んだら?




1502 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 14:25
>1495さん、
善いことをすれば善い報いがあり、悪しき事をすれば悪しき報い
が有る。というのが、正しい仏教ですね。

どんなに悪いことをしても救われると言うのが、サタンの教え。
その間違った教えが「サタン」でしょうね。1497-1501は、サタンの
活動です。何をしようが、不正を書こうが、どんなに悪しき事を
なそうが、大慈大悲の仏様が救ってくださるという、人の心に一見
甘く響く教え=サタンなのです。

悪しき行いをしても救われると言う教え=サタン、と言う考え方
に対して、キリスト教の方々はどう思われるでしょうか。

サタンの手先の方の返答は不要です。


1503 名前: チリスト教信徒 投稿日: 2000/07/04(火) 14:59
>1502=統一協会構成員
    なにを言ってるのかさっぱり...


1504 名前: サタ−ン8号 投稿日: 2000/07/04(火) 15:10
統一協会の人間が「サタン、サタン」ってよく言うよね


1505 名前: 出雲の阿国 投稿日: 2000/07/04(火) 15:11
お国が知れますね、おほほほ


1506 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 16:53
>1502さん、
>善いことをすれば善い報いがあり、悪しき事をすれば悪しき報い
>が有る。というのが、正しい仏教ですね。

何が善いことなんですか?
何が悪いことなんですか?
自分で善いことをした、と思っていても、
実際には「人間万事塞翁が馬」でそれは全く善くなかった、
ということはありませんか?


1507 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 18:54
悪霊がうごめいているなあ。


1508 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 18:58
>1506さん
人間には生来、善悪、浄不浄を判断する力が
備わっているようですよ。


1509 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 19:26
>1506さん
最大の悪いことは正法を誹謗すること。
いちおう自分の信仰形態も書いて、私はこんな宗教をしているのだが、
阿含宗の教義のこう言うところに疑義が有る、と言うのだったらいいよ。
自分の教団の名前も出さず、筋道も何もなく、中傷誹謗を繰り返す。
罪は重いよね。お題目を唱えても、念仏を唱えてもその罪は消えは
しないのだから。お釈迦さんは、お題目で罪が消えるなんて
言っていないからね。悪因悪果、自業自得の世界だから。


1510 名前: サタンの手先 投稿日: 2000/07/04(火) 19:54
1502のような馬鹿を相手にするのもつまらないし、単なる冗談かもしれないが、似たような考えをしている人もいるだろうから、反論する。
>善いことをすれば善い報いがあり、悪しき事をすれば悪しき報いが有る。
>というのが、正しい仏教ですね。
善因善果、悪因悪果ではなく善因楽果、悪因苦果である。悪因悪果ならば一度悪ならばどこまでいっても悪である。善に転じることはない。これでは救いはない。よいことをしたら楽しく、悪いことをしたら苦しい。これが正しい仏教です。確かに善因善果、悪因悪果とも説かれるが、仏教は自覚の教えだから善因楽果、悪因苦果の方が納得できる。
悪いことをしたら苦しい、と言うことは、悪人とは誰かということにつながる。悪人とは、私は悪人と自覚した人のことである。「ドンキホーテ」に
「朝になればペテロには、悩みと恥がます。人目はないが身を恥じる、犯した罪を思いつつ。わが恥じらいは人目にかぎらず、天地のほか人の見ない過ちだが、ひとり恥じるので」
という言葉がある。人は知らなくても、自らを恥じる心を持つ者が悪人である。何とかしたいと思ってもどうすることもできない。だからこそ苦しむのである。だからこそ救いを求めるのである。
しかし普通はそうではない。自分が悪人だとは少しも思わない。私もそうだ。だから
>どんなに悪いことをしても救われると言うのが、サタンの教え。
>どんなに悪しき事をなそうが、大慈大悲の仏様が救ってくださるという、
>人の心に一見甘く響く教え=サタンなのです。
などと、他人事に考えてしまう。だから助けて下さいとたのむこともない。自分でなんとかできると思っているのだから。
そんな善人には仏の教えなど分からない。しかるに自分は善人だと思っているから、私はよき仏教徒だといううぬぼれがある。実は自分こそ仏の教えに背く者なのに。


1511 名前: >1509 投稿日: 2000/07/04(火) 19:54
>お釈迦さんは、お題目で罪が消えるなんて
言っていないからね。悪因悪果、自業自得の世界だから。

おお、立派なお言葉だ。
で、そういう口調で何人からお金を巻き上げました?


1512 名前: サタンの手先 投稿日: 2000/07/04(火) 20:16
どうかお願いしたいのですが、不成仏霊を供養して成仏させることのできるありがたい教えなら、私を供養して成仏させて下さい。成仏と言っても死なせるという意味ではありませんよ。死んだ者よりも生きている者を成仏させることの方が簡単なような気がするんですが。
どうかよろしくお願いいたします。


1513 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/04(火) 20:36

「一九九九年七の月」 37.のぞいてみますか?

なぜ、桐山氏はこれほどの大破壊を18年に渡って説いたのでしょうか。
桐山氏には予知能力などありはしません。
たまたま当たった1つを10倍に拡大して覚え、はずれた9つをきれいに忘れる
という超能力を持っているだけです。
簡単に言えば、誇大妄想癖です。

宗教家生命を断ち切られかねない予言を本という文字に何度もしてまで、なぜ彼
はこのばかげた予言に18年間とりついたのでしょうか。
1981年の最初の本でやめておけばよかったのです。
壊滅がいつ来るかは、「現世成仏」にあるように、巧みに逃げていたのです。
桐山氏自身、ほんとうに世紀末破滅が来るかどうかわからなかったからです。

ところが、1995年になってすら「一九九九年七の月が来る」を書いています。
直前の本に、題名にまですれば、自分で逃げ道をふさいだようなものです。
なぜ、このようなバカげたカケに桐山氏は出たのでしょうか。

桐山氏の主張は、地球壊滅も含めて、外の現実世界にあるのではありません。
桐山氏の頭のなかにあると考えるととてもわかりやすいのです。
桐山氏の宗教は、霊能力、超能力、予知能力にあるのではなく、彼の心にある抑
圧と葛藤、自己顕示欲などの欲望から来た妄想だと考えれば、理解できます。
桐山氏の心の中をのぞくと、大破壊を説かざるを得なかった理由がわかります。

聖者様にしては、おおよそ、きれいとはいいがたい心ですが、
のぞいてみますか?



1514 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/04(火) 20:36
>にゃにゃさんに同じ。せえーんろはつづくーよーどーこーまーでーもーー。
レスをする宛ても無いよ−ん。皆さんの真剣なかきこみ、読みがいあるけど
でも読みきれないぃ。
仏教についての真面目な議論はいいけれど、逆に阿含宗信者に話をそらす
機会を与えちゃってる気がする。いきなりキリスト教の話題を始めちゃう人まで
いるし。桐山についての疑惑や疑問に対する答えは苦手でも、そっちの方面
になら大得意ぶりを発揮してどこまでも語りつづけてる。ある意味楽しんでる
んじゃない?自分達の知識をひけらかす場にしてさ。


1515 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 20:45
>1514みかりんさんこんばんは。
>いきなりキリスト教の話題

ではなくて、キリスト教文明の行き詰まりを救う
「別のもの」が阿含宗を中心とする仏教文明である
と阿含宗の人は思っているのです。その話題です。
それと、自分のご主人がお世話になっている先生
を呼び捨てにはしないほうが良いと思いますよ。


1516 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 21:03
>1508さん
>人間には生来、善悪、浄不浄を判断する力が
>備わっているようですよ。

もちろん。
しかし、どのように判断しようとそれは「その人の判断」です。
真実かどうかとは別のことです。

…それに、仏教でよく「無分別智」と言う言葉がでてくるように、
本当の知恵とは、
これは善い、
これは悪い、というような
「分別」を超えたところにあるのです。


1517 名前: 横やり失礼! 投稿日: 2000/07/04(火) 21:10
>キリスト教文明の行き詰まりを救う
>「別のもの」が阿含宗を中心とする仏教文明である
>と阿含宗の人は思っているのです。その話題です。

 それはない。無理すぎ。阿含宗は火渡りの儀式みたいなのあるでしょ?
それは、神様が嫌いなんだ。だからだめだね、阿含宗の方々には悪いけど・・・
列王記下17:17
息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して主の目に
             悪とされることを行い、主の怒りを招いた。
申命記18:10−11
あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、
呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。

こういう、律法である申命記の記述にも違反してるような気がするし、主の怒りを招く
行いを公然とやっている団体であるように私は思う。反論してね。よろしく、皆さん。


1518 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 21:28

祇園精舎に滞在されていた釈尊のもとを尋ねたマールンクヤが、
「この宇宙は有限か無限か?
 肉体と霊魂は1つであるのか否か?
 そして、人間は、死後も存在しつづけるのか否か?」
と、質問しました。
それに対して釈尊は毒矢で射られた人の喩えをするのですが、
死後の世界があるか、ないか?、
霊魂は存在するのか、しないのか?・・・
そんな問題に頭を悩ます必要はない、
大切なのは、
私たちが今直面している人生の苦を解決することだ。
釈尊はそう教えたのです。
霊のことなど気にするな、
それが仏教の基本的な考え方でしょう。


1519 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 21:29

霊は「存在するもの」、「存在しないもの」の、
どちらでもありません。
水子の霊、怨霊、幽霊はあるわけではなく、
かといって、ないわけでもない。
霊を存在させるか、させないかは、
その人の心によるのです。
おびえた心がつくり出したものが“霊”で、
それは、おびえている当人にしか見えません。
アルツハイマーやアルコール依存症にかかった人は、
幻覚が見え、幻聴が聞こえるらしいのですが、
健康な人には、見えもしないし、聞こえもしません。


1520 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 21:30

仏教では、霊ばかりではなく、
私に見えているこの世のあらゆる事物が
心のつくったものだと教えています。
私たちは煩悩という色眼鏡を通してしかものを見ることができず、
あるがままにものを見ることができません。
したがって、この世の中には、心のはたらきによってつくり出されないものは何一つありません。
すべてのものは、みな心が先にあり、心を主として、心から成立しているのです。
霊の存在も例外ではなく、
まさに、ひとりひとりの心のありようによって、
存在する、存在しないが決まるのです。



1521 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 21:31

世の中には、霊が見えると主張する人がいます。
自分には“霊能力”があって、怨霊を調伏できると宣伝し、
それを商売にしている人がいます。
霊が見えることを特殊能力と勘違いして、
それを吹聴してまわる人・・・、
そして、それにつられてその人を尊敬してしまう人・・・。
しかし、霊は病める心、おびえる心、悩める心・・・、
そういう心がつくり出した幻覚にすぎません。
だから、霊が迷って出てきているのではありません。
迷っているのは、霊が見える私の心なのです。
仏教は、正しい智恵をあたえることによって、
さまざまな問題を解決しようという宗教です。
にもかかわらず、高い祈祷料をまきあげて、
お祈りによって霊を退散させようなどというのは、
人々の無知を食い物にする邪教のやり方です。


1522 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 21:57
仏教では、“先祖”は仏国に往ったと考えています。
“先祖”は諸仏に成っているといってよいかもしれません。
“先祖”つまり“諸仏”は祟りません。
だから、“先祖供養”も、祟られることを恐れて行うのでなく、
私たちをこの世へ送り出してくださった先祖への感謝の気持ちから行われるものであり、そうでなければなりません。
これが、仏教における先祖への基本的な態度です。

阿含宗を名乗り、阿含経という仏教経典を根本経典とするなら、
水子供養や除霊は止めて欲しい。
逆に、水子供養や除霊で商売がしたいなら、
桐山神道とか桐山除霊宗とか、水子神道などの名前で、
仏教や釈尊と無関係に行ってください。


1523 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 21:57
>1521さん
>そういう心がつくり出した幻覚にすぎません。

そう断定しちゃっていいのかな?

縁によって実在し、縁によって消滅する。
よって「有る」とも言わないし、「無い」とも言わない。
「有るということではない」でもないし、「無いということではない」とも言わない。
縁によって実在し、縁によって消滅する。
(ここの実在とは未来永劫に永遠不滅であると言うこと)
この問いにどのように答えても、あなたの涅槃に近づく糧にはならない。

あなたの引用したお経はこの様な事ではなかったのかい?



1524 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:01
すまぬ。文章がめちゃくちゃだ。
(ここの実在とは

(ここの「有る」とは
に換えてくれ。


1525 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:10
1489です
1491さん、解説ありがとう!
習いました。習いました。すっかり忘れていました。
たしかNHK「驚異の小宇宙人体」でもやっていたような。
丁寧なレス、ありがとうございました。


1526 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:19
1523さん。こんばんは。再度、引用させてくださいね。

>>1521さん
>>そういう心がつくり出した幻覚にすぎません。

ほんとーに、そう断定しちゃっていいの??




1527 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:28
>1517さん、今晩は。
クリスチャンの方ですか??
阿含宗では、ご存知のように400人の宗徒がバチカンに
招待されミサに参加させていただいています。話せば長く
なるのでやめますが。正しい団体ですから、いずれ誤解は
解きたいですが。サタンの手先たちが、クリスチャンをよ
そおっているようにも見えますし。匿名ボードなので失礼
いたします。


1528 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:37
はえたたきさん
あなたの言われていることは凡人の私にとって、
とても親近感が湧き、とてもよく理解できるものです。
しかし、あなたが一般的に「霊眼」「霊視能力」と言われているものを
身に付けられたなら、考え方が変わると思いますよ。
私には幸いにも??その様な能力は全く無いのですが、
私の肉親を見ていると、その様な「霊」と言うものが存在するのだなあ、
ということをいやがおうにも思い知らされます。
ある葬儀に出席して、帰るやいなや、死亡した人の死ぬ時の姿、
(病気の症状なり何なり、死ぬ数日前の姿)
を見事に再現してしまいます。
もちろん私の肉親は、死亡した人の苦しみをそのまま味わいます。
総合病院、専門医、大学病院、どこに行って何を処方しても全く効きません。
声も変わり、酷い時には、私ですら認識してもらえません。
その様な状態が、1週間から1ケ月続くのです。
嘘っぱちだと思われるかもしれませんが、出来るならあなたに来てもらって、
あなたの目で確かめて欲しいぐらいです。
この様なことを目の当たりにしたら、やっぱり「霊」と言われているような
ものはあるのだなあと思わざるを得ません。



1529 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 22:39
> 1523,1526 さん

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
枯れ尾花はしょせん枯れ尾花なのですが、
枯れ尾花が幽霊に見える人には、幽霊が見えている。
それは幻覚・錯覚です。


1530 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:42
1489さんこんばんは。1491です。

>たしかNHK「驚異の小宇宙人体」でもやっていたような。

その同じ番組で養老さんが「腕を動かそうと思うと大脳皮質の運動野
の細胞に興奮が起き、その興奮が、脳神経細胞、脊髄、運動神経と伝わ
り、腕が動くことは良くわかっている。」「しかし、その腕を動かそう
と思う、ということが現代科学では解明できない。」とおっしゃってい
ました。
答えは、ここのスレッドにありました、自性、アートマンですね。
アートマンが起動する→五蘊(色、受、相、行、識)の行(意志)が
動く→大脳皮質運動野の相当する部分が興奮する。ですね。養老さんに
教えてあげなければ。養老さんって元東大教授ですね。なんとおっしゃ
るでしょうか。

「驚異の小宇宙人体」をネタに自分の興味で書きこみをいたしまして、
申し訳ありませんでした。また、よろしくね。




1531 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 22:47
> 1528 さん

霊が見えている人には見えている。
そのことは否定しません。
だけど、霊という、あなたが説明するような人にとりつくものが存在・実在しないと言っているのです。

特定の人にだけ存在するもの、起こる事象は、普遍的なものとは認められず、真実とはいえないと思います。


1532 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:48
1530
続きです。自性、アートマン;って、手短に言えば
生きている自分の霊体なのですね。
霊的現象なんていくらでも有るのに、あの、大槻教授
みたいな人が、世の中にはいるのですね。


1533 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:52
>1531さん、
たとえばうちの子供が今年の春、ポリオのワクチンを受けるか
どうかで大騒ぎになりました。50万人に一人、副作用がでる
んですね。福岡で一人死亡しました。小さいお子さんがいない
かたはご存知無いでしょうが。50万人に一人でも事実は事実
なのです。


1534 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 22:56
> 1525,1527,1530 さま

話題をそらそうとするような、わざとらしい、
書き込みをするな。


1535 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 22:57
>1531
私は霊が見えます。以前事故で死んだ近所の人の霊にとりつかれ、
というか居座られて苦労しました。その霊はその人の知り合いに
くっついて私の家に来たのです。何とか説得して「どなか名前
も知らないし、供養する気もありません」と説得して3日ぐらい
で帰っていただきました。
親族の霊は、そういうわけにはいきません。どこにもほかに帰る
所がないのです。いつまでもあなたのそばにいます。



1536 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 22:59
>1531さん
>特定の人にだけ存在するもの、起こる事象は、普遍的なものとは認められず、真実とはいえないと思います。
”悟った人”というのは、とても頑張った”特定の人”。
そのような「特定の人にだけ存在するもの、起こる事象は、普遍的なものとは認められず、真実とはいえない」
ならば、お釈迦さんは嘘つきかい?



1537 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 23:02
>1534
1525,1527,1530は別人です。


1538 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/04(火) 23:03
>1530は
仏教の基本テーマです。理解できないですか?


1539 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 23:04
>1534
おーおー、焦ってるねえ。


1540 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 23:08
> 1533 さん

「特定の人に存在し、起こる事象」が問題でしたね。

医学的な知識がないので正確な表現ではないかもしれませんが、
ポリオワクチンの副作用のある人がいることは事実、真実です。
ポリオワクチンの副作用は、副作用を起こした本人だけではなく、
それを見る周囲の人たちも症状を確認できるし、
お医者さんが原因を特定することができます。

しかし、霊が見える、霊が存在するといわれても、
霊の存在が見えるのは本人だけで、
それは幻覚であるとしかいえません。

そういう意味で、ポリオワクチンの副作用と霊の存在は同次元で論じることができないと思います。

ポリオワクチンの副作用はあるといえますが、
霊はあるとも、ないともいえません。


1541 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 23:09
>1515さん
>ではなくて、キリスト教文明の行き詰まりを救う
>「別のもの」が阿含宗を中心とする仏教文明である

阿含宗を中心とする仏教文明・・・ですか。
脳梗塞を患い、悪因縁や霊障で人を脅かし、
ありもしない地球壊滅を説き続け、
奥さんはガンで死に、借金まみれなのに、
山のような勲章をもらう人の作る仏教文明ですか。

80歳近い、名誉欲の漬け物みたいなジイさんが
文明を作るなんて、本気で信じているなら、
筋金入りの脳天気だね。


1542 名前: 1517>1527 投稿日: 2000/07/04(火) 23:09
1527さん、今晩は。
私は、キリスト者ですが、書き込みは個人的なものですから、キリスト教徒と捉えずに
ざっくばらんにお話ください。
ミサのことは、以前にどなたかがレスをしていたようなので私は特に触れません。
ところで1527さんにお尋ねしても良いですか?
昔、私は阿含宗の道場に誘われて伺った事があります。
そのとき、ノストラダムスの解釈本いただきました。そのときふと疑問に思ったので
伺いたいのですが、仏教とノストラダムスはどういう関係があるのですか?
仏教徒がいたずらにフランスの500年近くも前の神秘家の言うことをあれほど騒ぎ
立てる理由がわかりませんでした。軽薄で興味本位なカルトじゃないかと私なんかは
よくわからないですから思ったものです。そんな印象から、仏教の本当の教えは、
阿含経や阿含宗にあるのかと疑いばかりが私にあります。是非、その辺りについて
本当のところ、あなたの理解や考えを教えていただきたい。
                     よろしくお願いします。



1543 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 23:14
>1540
>霊はあるとも、ないともいえません。
だから、
>縁によって実在し、縁によって消滅する。
のじゃあないのか?
1523さん、引用させてもらいました。


1544 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 23:20
> 1536 さん

>特定の人にだけ存在するもの、起こる事象は、普遍的なものとは認められず、真実とはいえないと思います。
”悟った人”というのは、とても頑張った”特定の人”。
そのような「特定の人にだけ存在するもの、起こる事象は、普遍的なものとは認められず、真実とはいえない」
ならば、お釈迦さんは嘘つきかい?


そうではないでしょう。
お釈迦さんの教え=仏教によって救われた人たちによって
お釈迦さんの教えが真理であることが証明され、
真理であるからこそ現代まで脈々と受け継がれてきたのでしょう。


1545 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 23:26
>縁によって実在し、縁によって消滅する。

あなたがたは、もっともらしく同じ仏教用語を使っていらっしゃいますが、

縁とはなんですか?
実在するとはどういうことですか?
消滅するとはどういうことですか?

「縁によって実在」って表現はそもそも正しいですか?


1546 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 23:27
>1544さん

>仏教によって救われた人たちによって
あなたはどのような事象を見ることにより、「救われた」と言うことが出来るのでしょうか?
説明してください。
>お釈迦さんの教えが真理であることが証明され、
あなたはどのような事象を見ることにより、「証明され」と言うことが出来るのでしょうか?
説明してください。


1547 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 23:35
ニュースで、
ライフスペースの高橋が、
法廷でも定説の連発だったということです。

オームの麻原(松本)と同じですね。

桐山さんも同じニュースにならなければよいですね。


1548 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/04(火) 23:42
>1545さん
正しくは
「すべては相依性にして、縁(条件)ありて起こるということである
 そして縁(条件)ありて滅するということである」
ですね。


1549 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/04(火) 23:48
> 1546 さん

龍樹・世親・曇鸞・達磨・道綽・善導・空海・最澄・法然・日蓮・道元・一遍・栄西・隠元・円仁・円珍・蓮如・行基・空也・一休・沢庵・良弁・源信・良寛・・・

逆にこれらの人たちが偽者だって証明できますか?


1550 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 00:22
> 1535 さん

> 私は霊が見えます。以前事故で死んだ近所の人の霊にとりつかれ、
> というか居座られて苦労しました。その霊はその人の知り合いに
> くっついて私の家に来たのです。何とか説得して「どなか名前
> も知らないし、供養する気もありません」と説得して3日ぐらい
> で帰っていただきました。
> 親族の霊は、そういうわけにはいきません。どこにもほかに帰る
> 所がないのです。いつまでもあなたのそばにいます。

同じことを何度も書いていますが、
私はあなたが霊が見えたことも、
あなたの体験も決してウソだとはいいません。

質問ですが、

@あなたの家に霊を連れて来た知り合いの人は、
 あなたのところに霊を連れてきたと告げられたんですか?

A近所の人なのに、名前を知らなかったんですか?
 名前も知らないのに近所の人だってどうして分かったんですか?

B霊が居座るとどうなるんですか?
 苦労されたそうですが、何に苦労されたんですか?

Cせっかくあなたの家に来られたんだし、
 あなたを頼って来られたかもしてないのに
 どうして供養してあげなかったんですか?
 私はお人好しだから、あなたと同じ体験をしたら、
 きっと霊の思いを聞いてあげたと思います。

D霊を説得して帰っていただくことができるんですから、
 あなたってすっごく偉い人なんじゃないですか?
 そんな偉い人がなぜ供養してあげなかったんですか?


私は霊がわたしの周りにいても全然気にしません。
だって何も困ることはありませんから・・・。
今度、困った霊がいたら、私のところへ来るように伝えてください。
霊だったらインターネットに乗っかって私のところまで来れるでしょう。

取り敢えず。


1551 名前: 1546 投稿日: 2000/07/05(水) 00:39
>1549さん

私には証明できません。証明する事実を持ち合わせていません。

ですが、1546で書いたことは、
あなたはどのような客観的事実に基づいて、上記のような発言をされましたか?
と尋ねているのです。
「救われた」「証明され」とあなたが書き込んだのだから、
その根拠を客観的事実において説明してください、
と申し上げているのです。
もし説明できないのであれば、発言を撤回してください。

#こら、2ch!ダウンするな。


1552 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 01:00
>1551 さん

あなたの発言の趣旨は、分からないでもないのですが、
例えば、龍樹・世親が大乗仏教の父的な存在としてインド・中国・日本と支持しされ続けているということが、客観的事実といえなくないでしょう。

何だか机上の空論になりそうですね。

でも、私は発言は撤回しません。

あなただって、客観的事実として、龍樹・世親は覚っていなかったと少なくとも証明してください。


1553 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 01:13
> 1551さん

申し訳ありませんが、阿含宗、桐山管長の真実性を証明してもらえませんか?
それを参考に私も証明できるかもしれません。


1554 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 01:26
> 1551さん

やっぱり、釈尊の教えが支持しされ続けているということが客観的事実ですよ。
私が、ここで屁理屈をこね回したって、それは私の主観にすぎませんよ。

取り敢えず。


1555 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/05(水) 02:02
>1494名無しさん
はいはい、お元気ですにゃー。
ただもうレス返す隙もないにゃ…と。

>みかりんさん
初めましてにゃ♪(ずっと読んでたけどね、なんか今更ですにゃ)
カッコウの議論の場、知識のお披露目会ですにゃ確かに。
口を挟む隙もないのです、にゃんとも。

でもなんかここみてるとあれですにゃ、
理屈に対して理屈で戦おうとする宗教家の方々って
私的には近寄りがたいにゃ、と。
悩んでいる時にそんな理屈並べられても疲れちゃうにゃー。
心に響かないっていうかぁ。



1556 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 02:28
1396>1342さん。
>このスレッドを読んで、一番感心したのは、
>自性と五蘊の違いに気がついた人がいることだ。
>(両者が一体か、一体でないのかは別として)

それは私(1396、1483など)です。
このスレッドでその趣旨の発言をしているのは私しかいない。
前の方では口調を変えて書いているから気がつかなかったんでしょう。

…しかし、私としてはただただ苦笑するばかりです。
まず言葉の使い方が間違っているし、
自性と五蘊が違う、なんていうのは常識中の常識です。
はっきり言ってキミなんかに感心していただきたくない。
確かに信者さんの中に五蘊のうち「識」が自性だと思う、
の趣旨の発言をされていた方がおられましたが、自ら

阿含宗ではまともな仏教教育をしておりません、

と告白したようなものです。
私がしばらくこの発言を無視したのも、はっきり言って
コメントにも値しないからです。

>普通、五蘊のうちの、識=自性だと思ってない?
>識をも、この識は自分の識だと見張っている自性が
>あるんだね。

基本的なことを一つ。
これを読む限り、キミは「自性」という言葉を
「自己の本性」の意味で使っています。
しかしそれは全く違います。
自性(スヴァバーヴァ)という言葉は、
「それ自体で、他の何ものにも依らず自立してある」
という意味なんですよ。
自己の本性という意味では「全く」ありません!

>自性自体は「ステルス」で、全く識からは認識できない
>んだね。

自性という言葉を自己の本性、もしくは本質とするなら、
そして、ここの部分だけ取り出して言うなら、かろうじて正しい。
ただし、前後の関係を読めば、キミが「なぜ」自性が認識不可能なのか、
肝心のその理由を全く理解していないことが分かります。

>五蘊(色、受、想、行、識)の変化を見て、自性の存在に
>気づくのだ。
>五蘊は自性の操り人形なのだね。

…一体全体「誰が」五蘊の変化を見ているんだ?
でもって、それを見て自性(自己の本性)の存在に気がつくのは「誰」なんだ?
キミの中には何人分の「自性」やら、「それを見ている」のやら、
それを見て「自性に気がつく」のやらの自我があるんだ?

>だから、勉強して、勉強して、識を変化させても
>なかなか、自性は変わらない。
>だから、実践的な修行が必要になるんだね。

すみませんが、
もしかして、キミはこれを書いたときに
寝言として書いていたんじゃないでしょうか(笑)?

いいですか、
そもそも「実践的な修行」を行うのは「誰」なんでしょう?
キミはその1行前で自性は変わらない、の旨の
発言をしているので、全体としては
「実践的な修行を行えば自性が変わる」
の意味ですよね?
ということは、自我(普通に言うところの自分)が修行を
すれば、その本質である自性が変わる、の意味なのでしょうか?

そうだとすれば、その前の
>五蘊は自性の操り人形なのだね
という発言との論理的整合性がなくなってしまいます。

認識不可能の自性が、密かに陰で操っている五蘊で構成されているところの
通常の自我が、どうして操っている当の本性の自性を変えることが出来るんだ!


>専門家の方おられたら、上記、訂正、補足、おねがいします。
>まったく違っているよとか。

私は以前、「専門家ではないがこれは得意ジャンルだ」という発言をしました。
それは、学問として体系立てて学んだことはないので素人、という意味で
自分の内面を深くのぞき込んだことがある、という意味において得意ジャンル、ということです。
ということで発言しているのですが、全く違っているよ、
というよりも、そもそもそれ以前に全く意味が通っていませんよ(爆笑)。


1557 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 02:51
>1523、1526、1528ほか

>>1521さん
>>そういう心がつくり出した幻覚にすぎません。

>そう断定しちゃっていいのかな?


勝手に口を挟んですみませんが、
断定するもしないも、

仏教では勝義において霊魂の存在をはっきりと否定しています。

こんな当たり前の常識を、
なんで阿含宗のかたは感覚的なことだけで
まるで霊魂があるかのように仰るのでしょうか?


1558 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 03:09
>1530,1532
>答えは、ここのスレッドにありました、自性、アートマンですね。
>アートマンが起動する→五蘊(色、受、相、行、識)の行(意志)が
>動く→大脳皮質運動野の相当する部分が興奮する。ですね。養老さんに
>教えてあげなければ。養老さんって元東大教授ですね。なんとおっしゃ
>るでしょうか。

おい、おい、恥ずかしいからやめろよ。
おまえさんの仮説は欠陥だらけで、あっと言う間に木っ端みじんに論破されるぞ。
第一、誰がアートマン=霊魂なんて言った?
このスレッドでアートマンを最初に持ちだしたのは私だが、
そんな趣旨のことでは言っていないぞ!

ついでだから書いておく。コメントするのもばかばかしいので、
今までそのテーマは避けてきたが、私は霊魂の存在をはっきり否定しています。


1559 名前: ヌマエビさんへ 投稿日: 2000/07/05(水) 04:11
>聖者様にしては、おおよそ、きれいとはいいがたい心ですが、
>のぞいてみますか?

お願いしまーす。
怖いもの見たさね(ワラ


1560 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 04:20
>1548さん
正しくは
「すべては相依性にして、縁(条件)ありて起こるということである
 そして縁(条件)ありて滅するということである」
>ですね。

そうそう、それを指して「自性がない」という。
そもそもの仏陀の教えは、そのようにして、
あらゆるものに「自性がない」ということなんだ。
信者さんが「自性がある」、と言っているのは仏陀の教えに反しているんだよ。


1561 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 04:32
自性清浄心ていうのは?


1562 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 04:59
>自性清浄心ていうのは?

知りません(笑)。
というか、最初から使い方が違うんじゃない?

ちなみに相依性の対語が自性。
「すべてが相依性」なら、当然、「すべてに自性がない」となる。


1563 名前: 1562>1561 投稿日: 2000/07/05(水) 05:12
>自性清浄心ていうのは?

いま思い出しました(笑)。
確かそれは別の言葉で言えば「仏性」のことですね。
やはりここで言う自性とは違います。


1564 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 08:24
28 名前: >24 投稿日: 2000/07/05(水) 05:34

賛成

仏教は一人で法悦に入るに便利である。
「真理を得た!」
とはいっても、それは自分以上は発展しない、自己完結的、自慰的哲学だ。

仏教は高度に抽象的な思弁をもっているが、現代において仏教の一番痛い点は、

「倫理」

という面でよわいことだ。
実生活の中で仏法を生きることができない、ということ。

どんなに深遠な仏教の真理を述べても、ポジティブな、建設的な方向へ行かないのが、現代仏教衰退の最大の原因だと私は思っている。
誰かを落ち着かせたり、煙に巻くことはできても、誰かを根源的に突き動かし、情熱を与える力に弱いと思う。
キリスト教などと比べると、その点は明らかだ。

虚しい、といったところで何もはじまらない。
実生活における豊かさが第一の関心事である現代において、この仏教のあり方は一面において弱点だ。
勉強して、仏教のいう真理にも心打たれるんだけど、そう考える。私は。

スレッド[12:28] 仏教全般−忘れられないこの一句 のコメントからの
引用ですが、わたしも全く同感です。「自己完結・自慰的」なのは、
当スレッドにおいて特に顕著に見られる傾向ではある。残念だが。

それがにゃにゃさんの
>でもなんかここみてるとあれですにゃ、
理屈に対して理屈で戦おうとする宗教家の方々って
私的には近寄りがたいにゃ、と。
悩んでいる時にそんな理屈並べられても疲れちゃうにゃー。
心に響かないっていうかぁ。

という率直な発言をするかたがでてくるわけです。

でもやはり心のやすらぎみたいなものを求めているのなら、
他の掲示板を探したほうがいいのかな。2ちゃんねる以外でね(苦笑〉




1565 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:08
>1540さん、
>霊はあるとも、ないともいえません。

そうですよね。この態度が正しいと思います。
あなたは、このことを、ずーと「ない、ない」と
決め付
つけようとしているのでしょう。



1566 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:19
>1542さんこんにちは。
阿含宗では預言ということを重くとらえています。
阿含の経典や聖書なども、有る意味で預言の書であると
私はとらえています。(聖書の場合は「あるいみで」では
ないですよね。)
ただカルト系の人達が、こう言う話に敏感なのも確かです。
未来を語ることによって現状をごまかすという手法もあり
ますね。
阿含宗の場合は真剣で着実なものだと思っています。これは
ご著書をちゃんとよんでいただいたらわかることだと思います。
ただ、クリスチャンの方にとって、仏教系の本を読むのは苦痛
でしょうが。(私もキリスト教系の書物は全く苦手です。)

ただ、クリスチャンの方とは「正しい行いが大切」という点で
一致していけるのではないかと思っています。


1567 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:24
>1545さん

縁によって存在するとおっしゃりたかったのでしょうね。
「実在」を哲学用語としては使用されていないのではない
でしょうか。


1568 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:31
>1555
にゃにゃさん、これは、阿含宗の女性信者がいつもこぼして
いることです。
「男どもの、そんなはなしニャ、きょうみないニャー」
男って馬鹿なんですよね。
「おれは、阿含宗で供養するなんて嫌だ」と言うのを、ここまで
りくつをつけないといけないのです。女なら「私はいーや、さよーなら」
なのにね。


1569 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:38
>1556さん

>このスレッドを読んで、一番感心したのは、
>自性と五蘊の違いに気がついた人がいることだ。
>(両者が一体か、一体でないのかは別として)

この発言は私です。あなたでは有りません。
あなたは「法や理論の真理」と「アートマン」を混同
されていた方です。




1570 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:42
>1556さん、
ほかにも嘘がいっぱいありますね。
このスレッドを読んで、初めてわかったこと、調べなおしたことを
前から知っていたように書いている。
他人の発言を、あたかも自分の知識のように言っている。

他人の発言を自分のものであるとしたのは、恥ずべきですね。


1571 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:50
>1556ということで、
「真理を得るための方法」について「得意分野」であるがいつまでも
書かない方であると認定して、1556は読んでいません。
出だしが嘘ですから、読む必要も無いでしょう。


1572 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:53
>1557さん

>仏教では勝義において霊魂の存在をはっきりと否定しています

阿含宗では、霊魂の存在を肯定する阿含経典をたくさん提示しています。


1573 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 10:55
>1568

>「男どもの、そんなはなしニャ、きょうみないニャー」
> 男って馬鹿なんですよね。
>「おれは、阿含宗で供養するなんて嫌だ」と言うのを、ここまで
>りくつをつけないといけないのです。女なら「私はいーや、さよーなら」
> なのにね。

この意見て、女性は理屈じゃなくて、感覚で善し悪しを判断するってこと?
冗談じゃない。
私は女性ですが、ここで展開されている内容をちゃんと理解把握する努力もしてますし、
投稿もしてますよ。
すべての女性が「感覚派」みたいなことを言わないで下さいね。
女性として迷惑ですから。
『女なら「私はいーや、さよなら」』じゃなくて、
『私ならいーや、さよなら』にして下さい。
「男なら・女なら」を引き合いに出すべきではありません。


1574 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:56
>1556さん、
「感心した方はあなただが、感心されたのは私だ。」なんて嘘を書いて
恥の上塗りをしないでね。


1575 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 10:58
>1557さん
あなたの、主張の根拠は

勝義、常識。

勝義ってなによ、常識ってなによ。具体的に。


1576 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:00
>1558

>このスレッドでアートマンを最初に持ちだしたのは私だが、
>そんな趣旨のことでは言っていないぞ!

アートマンと法の真理を混同していたのでしょう?




1577 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:05
>1560さん

>「すべては相依性にして、縁(条件)ありて起こるということである
>そして縁(条件)ありて滅するということである」
>ですね。

>>そうそう、それを指して「自性がない」という。
>>そもそもの仏陀の教えは、そのようにして、
>>あらゆるものに「自性がない」ということなんだ。
>>信者さんが「自性がある」、と言っているのは仏陀の教えに反しているんだよ。

これがまちがい。恒常的に実在としてはないの。縁が有ればあるし、縁が無ければ
無いの。縁(条件)があれば自性はあるの。



1578 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:15
>1560さん、これもまちがい。
>そうそう、それを指して「自性がない」という。
>そもそもの仏陀の教えは、そのようにして、
>あらゆるものに「自性がない」ということなんだ。
>信者さんが「自性がある」、と言っているのは仏陀の教えに反しているんだよ。

「自性がない」=無我として 、我とか自性は、条件によって存在し、また
存在しないと言う意味なの。恒常的な自性は無いということ。
あなたの自性は、あなたの無明がしっかりと存在するから、そこに有るの。

もう少し詳しく書けるけれど、やめとく。空と、無い、を混同しないでね。



1579 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:26
>1560さん
無我という言葉が、まぎらわしいんだけどね。
心の中で、「恒常的にそんざいする我は無い」=「無我」
といつも考えるようにするといいかもね。


1580 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:39
>1573さん
>この意見て、女性は理屈じゃなくて、感覚で善し悪しを判断するってこと?
>冗談じゃない。

この文章自体が感情だけじゃないですか。理論も何も無い。
それでは、ここの1570いくつののスレッドに対して、
なにか理論めいたことを述べてみてください。



1581 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 11:48
>1564
でもやはり心のやすらぎみたいなものを求めているのなら、
>他の掲示板を探したほうがいいのかな。2ちゃんねる以外でね(苦笑〉


自分のこと言ってる(笑)?
棘をもって棘を抜く、それが私のやっていることだ。


1582 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 11:49
>1573さん
それとね、この文の趣旨は
「男は理屈馬鹿でなかなか実践に入っていけない」というものですよ。
女がどうのこうのと言う話では無いのです。
それでは、私は会社に行きます。さよーなら。
嘘つきの名無し@一周年(1556)さんお元気でね。


1583 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 11:54
>1559さん

>>このスレッドを読んで、一番感心したのは、
>>自性と五蘊の違いに気がついた人がいることだ。
>>(両者が一体か、一体でないのかは別として)

>この発言は私です。あなたでは有りません。
>あなたは「法や理論の真理」と「アートマン」を混同
>されていた方です。


おっ、発言のご本人が出てきたか。
なるほど、道理でおかしいと思ったよ。
私の発言に感心したのなら、
もうちょっと分かっていそうなもんだからね(笑)。


1584 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:00
>1527さん
>阿含宗では、ご存知のように400人の宗徒がバチカンに
>招待されミサに参加させていただいています。話せば長く

阿含宗がバチカンに特別扱いされたと言いたいようですね。
そんなことはありません。
バチカンは異教徒を寛容に、客として扱っただけです。
阿含宗が出席したミサは、
当日のイベントの一つにすぎないのです。
イベントの中にミサがあったからにすぎない。
1527さんは参加してこれを言っているのですか。
何回かこの件は議論されていますから、
過去のスレッドを読んでから書いてはどうですか。


1585 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:04
>1527さん
>サタンの手先たちが、クリスチャンをよ
>そおっているようにも見えますし

あなたは本当に阿含宗の信者なのですか。
「サタンの手先」などという表現をする阿含宗信者に
初めて会いました。
他の信者さんたちもこの表現に違和感があるはずです。
桐山さんはこんなことを一言も言ったことがないからです。


1586 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:06
>1566さん
>阿含の経典や聖書なども、有る意味で預言の書であると
>私はとらえています。(聖書の場合は「あるいみで」では

どの阿含経に、どのような預言が書いてあるのですか。
また、桐山さんの著書のどの本の何ページあたりに、
真剣で着実な阿含経の預言についての話があるのですか。


1587 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:12
ここは阿含宗批判のスレッドです。
仏教用語をあれこれ議論する場ではありません。
「阿含宗では・・・と言っている」
「阿含宗の・・・はおかしい」という論点から、
大幅にはずれた議論は避けるべきです。
仏教用語の個人の解釈の違いに発展した場合、
それが仏教の正当な議論でも、
批判側も信者側も読むのに疲れます。
阿含宗の話に戻すように努力するのが、
仏教の智恵というものではありませんか。

同様の意見は何人かが何度か書き込んでいますが、
相変わらず、そういう議論が大半を占めているのが気になります。
阿含宗を置き去りにした議論は避けてください。
意見を書き込むときには、まず冒頭の口下手番長さんの
主旨を読み直してからにしてはどうでしょうか。


1588 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 12:22
>1583さん、
また恥ずかしい嘘をついてしましたね。この部分は、私の自問自答
なのです。誰も気がついてくれなかったもので。自分でコメントを
つけたのです。

1574に
>1556さん、
>「感心した方はあなただが、感心されたのは私だ。」なんて嘘を
>書いて 恥の上塗りをしないでね。
と書いてあったのにね。嘘つき体質なのですね。





1589 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:23
>1570さん、
ほかにも嘘がいっぱいありますね。
このスレッドを読んで、初めてわかったこと、調べなおしたことを
前から知っていたように書いている。
他人の発言を、あたかも自分の知識のように言っている。

>他人の発言を自分のものであるとしたのは、恥ずべきですね。

では具体的にどこをそう思うのかを書いてごらん。
話しはそれからだ。


1590 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:24
>1571
「真理を得るための方法」について「得意分野」であるがいつまでも
書かない方であると認定して、1556は読んでいません。
>出だしが嘘ですから、読む必要も無いでしょう。


1483〜85あたりをちゃんと読んだのか?
1556だけじゃなくてそっちの方も
出だしが嘘と決めつけて読まなかったのか(笑)。
内容も読まないで、
あたかも自分の方が分かっているかのような書き方してると
あとで後悔するよ。


1591 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:25
>1575さん
あなたの、主張の根拠は

勝義、常識。

>勝義ってなによ、常識ってなによ。具体的に。

勝義というのは仏教用語。
いちいちめんどくさいので
後はご自分で辞書をお引きになって下さい。

常識と言ったのは仏教学者とか、
仏教を知っている人の間で、と言う意味。


1592 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:25
>1576

>>このスレッドでアートマンを最初に持ちだしたのは私だが、
>>そんな趣旨のことでは言っていないぞ!

>アートマンと法の真理を混同していたのでしょう?

キミ、頼むからその自分の間違いが正しいという
前提をやめてくれない?
別に私はかまわないが
あまりにもキミが哀れというか恥ずかしいから(笑)。

「アートマン」というのをなにか究極の魂みたいに思っているとしたら
そっちの方が間違いなんだよ。
わかった?


1593 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:26
1577さん
>>そうそう、それを指して「自性がない」という。
>>そもそもの仏陀の教えは、そのようにして、
>>あらゆるものに「自性がない」ということなんだ。
>>信者さんが「自性がある」、と言っているのは仏陀の教えに反しているんだよ。

>これがまちがい。恒常的に実在としてはないの。縁が有ればあるし、縁が無ければ
>無いの。縁(条件)があれば自性はあるの。


自性の定義を何度も書いているだろう?
キミの定義が間違っているんだよ。
キミのうちには仏教辞典もないのか。


1594 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:26
>1578
「自性がない」=無我として 、我とか自性は、条件によって存在し、また
>存在しないと言う意味なの。恒常的な自性は無いということ。

だから「自性がない=無我」ではないんだよ(苦笑)。

>あなたの自性は、あなたの無明がしっかりと存在するから、そこに有るの。

「無明の人にとってそう見える」ということと
「実際にあるかないか」ということとは別の問題。
…あまりに基本的なことなんであきれています。

>もう少し詳しく書けるけれど、やめとく。空と、無い、を混同しないでね。

キミもちゃんとこのスレッドを一から読み直した方がいい。
それについては私はちゃんと空=無ではないと表明している。


1595 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:27
>1579さん
無我という言葉が、まぎらわしいんだけどね。
心の中で、「恒常的にそんざいする我は無い」=「無我」
>といつも考えるようにするといいかもね。

仏陀の教えたのは正確に記述するなら
無我と言うよりは非我。
しかしながらキミが想定しているような我というのは
文字通り「無い」。

#また夜ね


1596 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 12:34
>1588さん、
また恥ずかしい嘘をついてしましたね。この部分は、私の自問自答
なのです。誰も気がついてくれなかったもので。自分でコメントを
>つけたのです。

自問自答やっている方が恥ずかしいよ(ワラ。
そういうのさあ、オナニーって言うんだぜ。
おまえさあ、人前でオナニーしてんの、
さも分かったふりして(ワラ


1597 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 12:36
>1596
仏教ではこう言う自問自答はよくあるのです。



1598 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 12:40
>1585さん
私も「サタン」などという言葉を使ったのははじめてですが。
最近の社会現象やこの板を見て、「サタンの手先」としか言
いようがないなと思うようになったのです。」


1599 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 12:47
>1586
さん「末世成仏本尊経講義」が、阿含経は如来のよみがえりの
預言の書であるとの趣旨で書かれています。


1600 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 12:49
>1591さん
その勝義、常識の「内容」を「具体的に」述べてください。



1601 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 15:23
>1584さん
阿含宗とカトリックの関係についてのスレッド読ませていただきました。
この件に関しては、私の持っている本にもっと詳しく載っています。
ところで、疑問に思ったのは、バプテスマのヨハネが発したと言う
「私の後からこられて火で洗礼される方はどなたですか(大意)」という
一節に関する質問に、クリスチャンの方々がどなたも返答なさっていない
ことです。このさい簡単にご回答お願いできませんでしょうか。


1602 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 15:30
>1956さん、
あなたが阿含宗徒の発言を、自分のものであると偽ってまで
阿含宗を誹謗(嘘を交えて非難すれば誹謗ですね)する理由が
わかりません。
どう言う理由で嘘を語ったのか。正当に阿含宗を批評しようと
しているのか、あるいは中傷誹謗しているだけなのか、はっき
りさせてから今後のコメントを書いていただきたいと思います。
正法を中傷誹謗すれば重い罪です。批判や議論をすることは、
真理に近づく一歩だと思いますが。


1603 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 15:53
>1591
さん、勝義により、常識により「霊」は否定されている
なって言っちゃったら、すべての可能性が一方的に
どこかへ行っちゃうんだワン。
お法事でこんなことを言ったら、みんな神妙に聞くよ。
この坊さん早く帰ってほしいとみんな思ってるだけからね。
ここじゃ、そうはいかないよ。

さあ中身を言ってみろ。ワンワンワワン。


1604 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 15:56
>仏教ではこう言う自問自答はよくあるのです。

1597さん、
自問自答とは体のいい独り言のことではありませんか?
ここは独り言を書くスレッドではありません。
そういうことなら他でやって下さい。

それから寝言を書くのもやめて下さいね(ワラ


1605 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 16:32
一切が空だ。霊も空だ。すべてが空だから、すべての存在が成立する。これが「真空妙有」だ。

勝義諦だ俗諦だと分別して、小賢しく教義を振りかざすなかれ。すべて一如と知れば、霊もまた有。


1606 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 17:26
>1598 さん
>最近の社会現象やこの板を見て、「サタンの手先」としか言
>いようがないなと思うようになったのです。」

このスレッドを見てサタンの手先とはすごい罵声ですね。
自分の信仰が一番正しく、批判する人たちは
サタンの手先であるなどとは、ただの思い上がりです。
他人をサタンの手先などと罵倒する前に、
もうすこしていねいに批判を読んでごらんなさい。
具体的に違う所を指摘すればいいではありませんか。
「サタンの手先」はちゃんと反論しています。
論につまると、沈黙したり、逃げるのは信者さんたちです。


1607 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 17:29
>1599さん
>「末世成仏本尊経講義」が、阿含経は如来のよみがえりの
>預言の書であるとの趣旨で書かれています。

桐山さんが阿含経を自分の宗教に都合良く利用した典型本ですよね。
阿含経の一つと護摩の写真とを強引に結びつけた本です。
阿含宗の護摩の中に釈尊が姿を現し、写真に留めた、という。
だが、それは誰が確認したのですか。
桐山さんが、仏様からご霊示を受けた、と言っているにすぎません。
根拠のすべてが桐山さんの握られたコブシの中です。

冷静に読んで、釈尊の言葉に耳を傾けてごらんなさい。
釈尊はあの経典で「未来に姿を現す」と予言していますか。
あの経典は仏法僧という三宝の大切さを説いているのです。
何も予言などしていません。
それを桐山さんは、炎の写真と経典とを強引に結びつけて
釈尊が未来社会のために予言した、などと述べて、あなたは信じた。

炎の写真とあの阿含経とは何の脈絡もないのです。
桐山さんは写真をなんとか阿含経で権威付けをしたかったのです。
桐山さんのお得意のノストラダムス予言の解釈と同じ手法です。

自分が禁止した護摩の中に、釈尊が姿を現すなんてありえません。


1608 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 17:44
>1601
>一節に関する質問に、クリスチャンの方々がどなたも返答なさっていない
>ことです。このさい簡単にご回答お願いできませんでしょうか。

前もこちらを勝手にクリスチャンだと思いこんだ信者さんがいました。
信者さんたちは思いこみの激しい方が多いですね。
自分の書き込みにそのような質問を受けた記憶もありません。
クリスチャンでない人に質問しても返事はしないでしょうね。

>この件に関しては、私の持っている本にもっと詳しく載っています。

どのような本で、何と書いてあるのですか。
キリスト教関係の本をお持ちなら、
クリスチャンに質問するまでもなく、
キリスト教では有名な話ですから、ご自分で調べて、
紹介されてはどうですか。

阿含宗がバチカンと懇意にしているのなら、
神父さんに質問してみてはどうですか。
バチカンが桐山さんと同じ見解を述べるかどうか、
とても興味深い。


1609 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 17:48
> 1565

> >1540さん、
> >霊はあるとも、ないともいえません。

> そうですよね。この態度が正しいと思います。
> あなたは、このことを、ずーと「ない、ない」と決め付
> つけようとしているのでしょう。

これって、ひょっとして私に対するレスですかぁ?

それならば、阿含宗の信者の人達って
本当に他人の発言をきちんと聞かない・聞けない(読まない)
人達なんですねぇ。

1518〜1522を読み返してください。

1519に
“霊は「存在するもの」、「存在しないもの」の、
どちらでもありません。”
と、発言しているでしょう。

言葉を変えれば、“霊はあるとも、ないともいえません。”
となるんです。

どうしてこんなことまで解説しなきゃならないいんだ?




1610 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 17:54

そもそも、あんたたち阿含宗信者は、
霊がある、霊は存在すると、霊に執着しています。
執着=迷っているのはあんたたち自身だよ。
その迷いも本当に深いものがあります。
早く気付かなければ、人生が空しく、命を粗末にしていますよ。
ご先祖様に申し訳ないですよ。


1611 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 18:42
>1605さん、
是故空中、無色、無受想行識、、なんですよねえ。
(空の中には、、)

空も得てないに「無」だと喝破する人がいるので
こまりますねえ。コメントありがとうございました。


1612 名前: あっはっは 投稿日: 2000/07/05(水) 18:51
>1610
おもいっきり笑ってしまいました。
事のはじまりはハエたたきさん、
1521番のあなたの書き込みからでしょう?
自分の言った事も説明できずに
何を寝言いっているのでしょうか?



1613 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 19:00
>1610さん
>霊がある、霊は存在すると、霊に執着しています。

>ご先祖様に申し訳ないですよ。

この文の、ご先祖様と言うのはどう言う存在なのですか?




1614 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 19:20
>1608さん、
書名は忘れたのですが、平河書店ではなく廣済堂から出ています。
(阿含宗の歴史のようなものがまとめられています。)
霊的な現象は、わかる人にはわかりますしわからない人には、わ
かりませんね。
如来の現形は、普通の人にはわかりにくい現象ですが、1996年
のモンゴルの奇跡は、どなたにもわかりやすい現象ですね。
霊感の無い方は、モンゴルの奇跡を見て、如来の現形を信じていただく
しかないですね。


1615 名前: 非阿含宗 投稿日: 2000/07/05(水) 19:56
24時間もたつとあっという間にいろんな意見が出て、読むだけでもつらい。阿含宗なんかそんなに魅力があるんだろうか。
霊の問題でも、もう片づいたと思っていたら、まだあれこれうるさく言っている。釈尊は霊魂については語らないと言っているのだから、もう止めた方がいいのではないか。
それと論争があるが、自分の立場を最低限はっきりしてほしい。つまり阿含宗信者か非阿含宗、その他と。名無しばかりじゃ誰が何を言っているのかわからん


1616 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:05
> 1612さん

愚か過ぎて、
笑い返す気にすらなりません。


1617 名前: 1542>1566 投稿日: 2000/07/05(水) 20:07
返答どうもありがとうございます。
仏教は預言の解釈を信じるか信じないかが大事なんですか?
そうしたことは初めて聞きました。
ノストラダムスなどは破壊的預言でしたね、確か・・・
なんだか、カルトの色彩が強いですね。
自分たち以外、みんな滅びろ!が是とされる目的意識をお持ちなのですか?
仏教では、人は何に導かれ、何になるのですか?
ほんとに預言が足がかりとして適切なんですか?  疑問ですね、私は。


1618 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:12
> 1613さん

1522に書いてありますが・・・。

決して、子孫にくようしてもらわなければ、
餓鬼や畜生になって、子孫が不幸になるような祟る先祖ではありません。



1619 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 20:16
>1615さん、こんにちは。
まあ、このスレッドももう終わるでしょう。
霊があるかないか。霊感があるかないか。そんなところに話が
収束していますものね。
私は信者ですが、霊、霊感、霊能力が信じられるのです。これ
は体験したものにしか分からないかもしれませんね。


1620 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 20:18
>1617
滅びにいたるかもしれない世界を救う
別のものが、私たちなのです。


1621 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:19
> 1614 さん

> 霊的な現象は、わかる人にはわかりますしわからない人には、わ
かりませんね。


日本語が正しくありません。
霊的な現象は、精神を病んでいる人には幻覚として見えて、健康な人には見えませんね。

> 普通の人にはわかりにくい現象

正常な人にはばかばかしい現象


1622 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 20:23
>1618
それでは、ご先祖はすべて、仏界かレベルの高い霊界に
おられて供養の必要な方は無い。
供養の必要性は別として、そのような霊体の存在は認めら
れるわけですね。
どのような場合にしろ、霊体なんて存在しないとの「断見」
をお持ちなのかと思っていました。

阿含宗以外で供養された、仏界もしくは高い霊界に行かれた
霊魂はお認めになると言う、不思議な立場ですね。??


1623 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 20:24
>1618さん
1613さんは先祖というものが、私たちにどういう効果をもたらす
のかを聞いているのではなく、先祖というもの自体はどう言うものなのか
聞いているものとおもわれますがね。
1613さん、違っていたら、ごめんなさい。


1624 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 20:26
>1621さん
モンゴル全土の旱魃と大火災が数日で収まったのは
幻覚では無いのですよ。


1625 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:28
> 1620さん はじめ 阿含宗の皆々様

> 滅びにいたるかもしれない世界を救うものが、私たちなのです。

あなたたちが桐山管長と共に参加するにふさわしい場を思い出しました。

日本TVの“電波少年”の“地球防衛軍”です。
念力で5択をしたり、UFOと交信したり・・・。
日本TVへ出演交渉をしてみてはいかがでしょう。
ねぇッ、ピッタリだと思いませんか?


1626 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 20:30
>1625
いよいよ壊れてきたな…


1627 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:31
> 1622

1518~1522を読んでからレスしてください。


1628 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:33
> 1623 さん

だからぁ〜、1518〜1522の書き込みをちゃんと読んで、
それに対してレスしてください。


1629 名前: 非信者 投稿日: 2000/07/05(水) 20:40
>1619 私は信者ですが、霊、霊感、霊能力が信じられるのです。
 これは体験したものにしか分からないかもしれませんね。
>1620 滅びにいたるかもしれない世界を救う
 別のものが、私たちなのです
>1624 モンゴル全土の旱魃と大火災が数日で収まったのは
幻覚では無いのですよ。
このスレッドを最初から読んで、なおかつこういうことを言える人間とはどんな人間なのか。はえたたきさんが真面目に答えるものでからかっているのか。だから
>1626 いよいよ壊れてきたな…
という言葉が出てくるのか。善意に解釈するとそうなる。
霊魂とか予言とか世界の終滅とか、そんなこと阿含経のどこを捜せば出てくるのか。このことはこのスレッドでもうとっくに解決済みのことだろうに。



1630 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:41

1421〜1423の私の書き込みに1個のレスもつかなかったんだけど、
阿含宗の皆さん読んでレス下さい。


1631 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 20:43
ハエたたきさんへ

#1522
>仏教では、“先祖”は仏国に往ったと考えています。
>“先祖”は諸仏に成っているといってよいかもしれません。
>“先祖”つまり“諸仏”は祟りません。
どういう過程で先祖が諸仏に変化するのでしょうか?
私にはよくわかりません。
それと、あなたも、わたしも、どのような死に方をしても、
(車に轢かれても、原爆で逝っちゃっても、人に刺されても)
仏=悟っちゃった存在に成れるのでしょうか?
よくわかりません。



1632 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 20:59
>1631
スレッドをよく読んで発言してほしい。
前にも書いているが、死んだ人間がどうなるか客観的にはわからない。言えるのは私にとって死んだ人は何かということだ。はえたたきさんにとって死んだ人は仏だと言っている。阿含宗の信者たちにとっては、死んだ人は霊魂なのだろう。霊魂とは迷い祟る。だから供養をしなければとなる(供養の意味は仏教とは異なるのだが)。桐山にとって死んだ人は金儲けの材料だろう。阿含宗では死者はなきがらだとか書いていた者もいたが、人それぞれ。
ではあなたは死んだら何になりたいか。
車にひかれるとか、誰かに刺させるとか、原爆で死ぬとか、それは死の因であって、それで死んだ人が霊界でどうこうなると言うのではない。どうこうなると騙して金を取るのが、桐山であり、大川であり・・・。確かに既成教団の坊主もそのきらいはある。
その事実によって私が何を教えられたか。何も教えられなければ死んだ人は仏とは言えないが、死んだ人が私にとって大切な人ならば、そんな鈍感なことはあるまい。
仏とは何かについても、前を読んでほしい。


1633 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 21:06
>1614さん
>書名は忘れたのですが、平河書店ではなく廣済堂から出ています。

次の本のことですね。
伊達相平「桐山靖雄、阿含密教のすべて」広済堂出版
伊達相平「阿含密教の大救済」広済堂出版
伊達さんは阿含宗の信者です。
知りませんでしたか。
信者が書いた本が客観的に書いてあるはずがないでしょう。
阿含宗側は資料をていねいに提供したから、
阿含宗や信者にとっては詳しく書いてあるでしょうね。
しかし、バチカンの件は、阿含宗の信者にとっては、
伊達さんよりも、桐山さんの本が一番詳しく書いてあります。
伊達さんは桐山さんの妄想を焼き直しただけです。

>如来の現形は、普通の人にはわかりにくい現象ですが、

伊達さんが図まで描いて説明しているではありませんか。
頭の飾りから服そうまで説明しています。
人の姿をしていると言われれば、そう見えないことはない
という程度でしょう。
仮に、あれが人の姿をしているとして、
では、どうしてあれが如来、釈尊だと1614さんにはわかるのですか。

>1996年のモンゴルの奇跡は、どなたにもわかりやすい現象ですね。

この間は開眼供養を書き込んだ信者さんがいました。
1446,1459,1463,1470を見てください。
この信者さんも実際には見てもいないのに、
阿含宗の宣伝を頭から信じていただけでした。
スピリチュアルな開眼供養が何であるか、返事がありません。

ただ、モンゴルの話に行く前に、如来の現形のほうを
先に返事してください。


1634 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 21:12
>ハエタタキさんへ
あなたは、あなたの先祖が、霊格の高い存在であると言った。
それがわかったと言うことは。
あなたにも、霊能力があるということですね。


1635 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 21:16
>1633さん
伊達さんは、阿含宗の信者ではありませんよ。
まあ、高貴な世界のことは、あなたにはわか
らないということです。


1636 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 21:32
人間が死ぬということは、私を産み出してくれた無限の宇宙的な生命の真理の世界、
生命の源の世界に帰っていく、溶け込んで一体となるということでしょう。
自分が生まれてきた道を、死に帰っていくということでしょう。
その帰っていく先は、私たちがそれぞれ信心している極楽浄土(阿弥陀仏)、
浄瑠璃世界(薬師如来)、蓮華蔵世界(毘瑠舎那仏)、霊山浄土(釈迦牟尼仏)でしょう。

取り敢えず



1637 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 21:36
霊なんてあなたの勘違いであって、そのようなものは存在しない。
と主張されている方へ
次のお経はどう解釈されますか?


    南伝 相応部経典 一五、三、涙
    漢訳 雑阿含経 三三、二〇、涙

 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータビンディカ
(給孤独)の園にましました。
 その時、世尊は、かように仰せられた。
「比丘たちよ、輪廻はその始めもなきものであって、生きとし生けるものが、無智におおわれ、
貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその姶源は知ることをえない。
 比丘たちよ、これを汝らは、どのように考えるであろうか。四つの大海の水と、汝らが、怨憎
する者と会い、愛する者と別離して、ながいながい歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ歎
いた時に流し注いだ涙と、いずれが多いであろうか」
「大徳よ、われらが世尊の教えをいただいて承知いたしておるがごとくんば、大徳よ、われらが、
怨憎する者と会い、愛する者と別離して、ながいながい歳月にわたり、流転し、輪廻して、・悲し
み欺いた時に流し注いだ涙ははなはだ多くして、四つの大海の水といえどもその比ではございま
せん」
「善いかな、善いかな、比丘たちよ。汝らが、わたしの説いた法をそのように受領していること
はよい。比丘たちよ、汝らが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、ながいながい歳月にわ
たり、流転し、輪廻して、悲しみ歎いた時に流し注いだ涙ははなはだ多くして、四つの大海の水
といえどもその比ではないのである。
 比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、母の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、ながいながい歳月にわたって、息子の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、ながいながい歳月にわたって、娘の死に逢ったのである。
 比丘たちよ、汝らは、また、ながいながい歳月にわたって、眷属の死に逢ってきたのである。
比丘たちよ、汝らは、また、ながいながい歳月にわたって、財宝を失う悲しみに逢ってきたの
である。
 比丘たちよ、汝らは、また、ながいながい歳月にわたって、病気の苦しみに逢ってきた。
 比丘たちよ、そのようにして、汝らが、怨憎する者と会い、愛する者と別離して、ながいなが
い歳月にわたり、流転し、輪廻して、悲しみ欺いたときに流し注いだ涙ははなはだ多くして、四
つの大海の水といえどもその比ではないのである。
 それは、何故であろうか。比丘たちよ、この輪廻はその始めも知られざるものであって、生き
とし生けるものが、無智におおわれ、貪欲に縛せられて、流転し、輪廻したるその始源は知るこ
とをえないのである。
 だから、比丘たちよ、この世におけるもろもろの営みは厭うがよく、厭い離れるがよく、した
がって、そこより解脱するがよいというのである」



1638 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 21:41
> 1634

> あなたは、あなたの先祖が、霊格の高い存在であると言った。

どこに私のそんな発言がありますか?
なんだか私まで頭が変になってきました。
ちょっと休みます。



1639 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 21:46
> 1637

お釈迦さんの説法のどの点が霊が存在するという説明なのでしょう。
精神が病めていない私には理解できません。


1640 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 21:50
>1637
確かに阿含経に輪廻が説かれている箇所はある。しかしそのことについては、以前、叫素という人の書き込みを引用したが、またする。
「仏教で輪廻転生が語られるのはただの喩え話です。
 輪廻は「真理」でもなんでもなく、当時の「常識」です。
 昔の仏教者はその蒙昧な「常識」を喩え話として用いて「真実」を語った。
 そのあたりのことが分からないアホたれが、アホたれを騙して宗教やっとるんだ。
 嘘を言って騙していたのではない。
 わざわざ、「輪廻転生は存在する」と主張しなくても
 みんな迷信として輪廻転生を信じておったわけだ。
 その迷信を利用して「真実」を語ったわけなのだ。
 「迷信」はそのまま「常識」なわけです。わかりますか?
 星は「天球」に張り付いている。
 これも「迷信=(昔の)常識」の類です。
 わざわざ嘘を言ったわけではない。
 当たり前の「事実」を述べただけなのだ。 」
釈尊が輪廻を説いている場合、悪いことをしたら悪い所へ行きますよ、よいことをしたらよい所へ行きますよ、だから悪いことをせず、よいことをしましょう、といった道徳的な意味で説いている。輪廻という考え方の枠組みで廃悪修善を勧めているわけだ。
とにかく霊魂やら死後の世界があるとかないとかは説かないというのが、釈尊の基本的立場であり、それに応じて解釈すべきだ。


1641 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 21:59
>1602くん、
あなたが阿含宗徒の発言を、自分のものであると偽ってまで
阿含宗を誹謗(嘘を交えて非難すれば誹謗ですね)する理由が
>わかりません。

ぎゃはは!なーに言ってんの?
私がいつ阿含宗徒の発言を自分の発言と偽りました?
私が言ったのは、キミが感心したであろう発言をしたのは
私であろう、ということだ。
もちろんキミが具体的に誰の発言に感心したのかわからんが、
それでも同じことだ。
なぜなら私も自性が五蘊ではないと気がついているからだ。
追いつめられたからって、
わけわからんこといってごまかそうとするんじゃない。

全く阿含宗徒は姑息な手を使おうとする奴らばかりだなあ。

>どう言う理由で嘘を語ったのか。正当に阿含宗を批評しようと
しているのか、あるいは中傷誹謗しているだけなのか、はっき
>りさせてから今後のコメントを書いていただきたいと思います。

ということで、別に私は嘘をついていないので、
その理由など言いようがない。
それに私がここにコメントする理由については
今までさんざん表明してきている。
キミにはさんざん過去ログを読むよう忠告したはずだ。
一度、回線がすいているときにでも
スレッドの上の方にある「レスを全部読む」で
一からずっと発言の内容を読みなさい。
もちろん中傷誹謗などしていない。

>正法を中傷誹謗すれば重い罪です。批判や議論をすることは、
>真理に近づく一歩だと思いますが。

…キミは理解力が無いだけではなく、記憶力も無いようだな。

正法を中傷誹謗?

おいおい、一体どうして私にそんなことが出来る?
「正法」というものがどういうものなのか、
「種としてのヒト(ホモ・サピエンス)には分からない」、
ということでもうとっくに結論が出ていたのではなかったのか!
私はヒトなので何が正法なのか分からない。
その私になぜ、その「分かりもしない正法」を
誹謗中傷できるのかね(笑)?
それとも正法というのはキミの「我見(身見)」のことか?

お・も・い・あ・が・るのもいい加減にしろ!!

…イエス・キリストはこのことをよく知っている人だったと思う。
というのも、彼はまさに自分が磔(はりつけ)にされる
というまさにその瞬間でさえ、
自分を処刑しようとする人のために神に祈ったからだ。

「神よ! 彼らをゆるしたまえ。
彼らは自分が何をしているのか分からないのです」

つまり、人は悟りを得るまで、仏陀になるまで
自分が何をしているのか分からない。
キリストはそのことをよく知っていたのだ。
…私は別にキリスト教徒ではないが(仏教徒でさえないが)、
彼にならってキミのために祈ろう。

「仏よ!1602くんをゆるしたまえ。
彼は自分が何を言っているのか分からないのです!」


1642 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:00


>1636 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 21:32

人間が死ぬということは、私を産み出してくれた無限の宇宙的な生命の真理の世界、
生命の源の世界に帰っていく、溶け込んで一体となるということでしょう。
自分が生まれてきた道を、死に帰っていくということでしょう。
その帰っていく先は、私たちがそれぞれ信心している極楽浄土(阿弥陀仏)、
浄瑠璃世界(薬師如来)、蓮華蔵世界(毘瑠舎那仏)、霊山浄土(釈迦牟尼仏)でしょう。

取り敢えず

唖然・・・・・

今だにそんなウソを信じているひとがいるんですね、驚いた!


1643 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 22:11
> 1642
> 今だにそんなウソを信じているひとがいるんですね、驚いた!

ありがとう。
でも、おまえら阿含宗信者には負けるよ。


1644 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:33
1643 >ありがとう。

アハハハ、開き直れば誰でも強くなれますね(笑〉

>でも、おまえら阿含宗信者には負けるよ。

いいえ、わたしはただのヒマな宗教ウォッチャ―です(猛爆〉



1645 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:47
>1640さん

どうして、ここで「叫素という人」の引用が出るの?
その人はえらい人なの?
仏陀の見解と、その人の見解が異なることに何か意味があるの?


1646 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:50
>1641さん、
中傷誹謗しているのではないということで了承しました。
文中に、まだ少し?の部分がありますが目をつぶります。


1647 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:52
>1642さん
ハエタタキさんの、
>その帰っていく先は、私たちがそれぞれ信心している極楽浄土(阿弥陀仏)、
>浄瑠璃世界(薬師如来)、蓮華蔵世界(毘瑠舎那仏)、霊山浄土(釈迦牟尼仏)でしょう。
>取り敢えず

こういう世界観は、なんとなく私は好きですね。阿含宗徒。




1648 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 22:56
>1647
ところで、ハエタタキさんの成仏されたご先祖は
どの世界におられるのでしょうか。

>ハエタタキさんへの、質問です。


1649 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 23:03
>1635さん
>伊達さんは、阿含宗の信者ではありませんよ。
>まあ、高貴な世界のことは、あなたにはわか
>らないということです。

「高貴な世界・・」、これが仏教徒のいう言葉ですか。
すごいおごり、たかぶりですね。
これが信者さんの本音なんでしょうね。
桐山さんがこういう選民意識を説いているのですか。

今でも阿含宗の機関誌『ダルマチャクラ』に
連載している伊達さんが書いた本に何の説得力がありますか。


1650 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 23:04
>1638ハエタタキさん

あなたのご先祖は「諸仏」といっても良い方々なのでしょう?


1651 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 23:08
> 1644さん

> いいえ、わたしはただのヒマな宗教ウォッチャ―です(猛爆〉

宗教ウォッチャ―と名乗るなら、
宗教ウォッチャ―らしく“ウソ”となぜ決めつけるのか教えてください。

仏教徒なら、仏の救済を信じていて当然でしょう。
頭ごなしに仏の教えを“ウソ”と突然決めつけられても困ります。




1652 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 23:10
>1637さん
引用ありがとうございました。
「無始の昔から無限の未来に続く生命(こころ)の連続体」
これはどこの国に行っても仏教の基本なのですが、日本には
仏教はなかったようですね。
引用していただいたおかげで、このボードにも少しは光があ
たりますでしょうか。合掌。


1653 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 23:11
> 1648

すでにその答えは書き込んでいるでしょう。
ちゃんと書き込みを読んでから質問してね。


1654 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 23:13
>1649さん
闇の中にうごめいている人には、光の世界が
わからないのですよ。


1655 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/05(水) 23:15
>1653さん
読み落としたようなので、もう一度お答えを。
もしよければ。
明日の朝読みます。Good night.良い子は早く寝る。


1656 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 23:18
>1650さん

> あなたのご先祖は「諸仏」といっても良い方々なのでしょう?
> あなたは、あなたの先祖が、霊格の高い存在であると言った。

悪いけど、あなたの論理が理解できません。




1657 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 23:23
> 1647

>こういう世界観は、なんとなく私は好きですね。阿含宗徒。

悪いけど、何だかすっご〜く間違った発言をしたみたいで嫌ですねぇ。


1658 名前: ほう〜 投稿日: 2000/07/05(水) 23:34
>1654へ

>闇の中にうごめいている人には、光の世界が
>わからないのですよ。

横合いからだが、「無知蒙昧」って言葉があるだろ。
自分らの知的レベルを疑った方がいいぜ。
光の中にいるという集団幻覚を共有してるだけじゃねーか、つうの。
阿含宗の信者って、つくづく傲慢だな。
仏教って傲慢を戒めてなかった??



1659 名前: >1658 投稿日: 2000/07/05(水) 23:40
オマエモナー


1660 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/05(水) 23:42
>1654さん
>闇の中にうごめいている人には、光の世界が
>わからないのですよ。

信者以外は闇にうごめくサタンの手先で、
自分たちは光の世界の住人ですか。
因縁や霊障や地球壊滅で脅迫し、名誉欲に溺れるのが
光の世界ですか。
一般の人が聞いたら、苦笑いし、
阿含宗の恐ろしさを実感するだけですよ。
これではオウムと何の変わりもない。
いかにも妄想癖の強い桐山さんの信者さんらしい。
似たような人が集まるのですね。


1661 名前: このスレも飽きた 投稿日: 2000/07/05(水) 23:45
sage


1662 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/05(水) 23:49
> 1655

1522
“仏教では、“先祖”は仏国に往ったと考えています。”

1636
“その帰っていく先は、私たちがそれぞれ信心している極楽浄土(阿弥陀仏)、
浄瑠璃世界(薬師如来)、蓮華蔵世界(毘瑠舎那仏)、霊山浄土(釈迦牟尼仏)でしょう。”

ちゃんと、仏国・浄土って書いてあるでしょう?

==========================================

私は、あなたたちのこういう“ドチテ坊や”的・幼稚な、
自分では何も考えない、調べない、探さないということから発生する質問には
今後一切返事をしません。

全く自分でものを考えるということをしないから、
低次元なエセ宗教家のウソにひっかかってしまうのですよ。
少しは自分で考えなさい。


1663 名前: 飽きたなら書きこむな 投稿日: 2000/07/05(水) 23:52
題のみ


1664 名前: >1662 投稿日: 2000/07/05(水) 23:57
うん、うん、それがいいよ。
自分のボロを出さないためにね。


1665 名前: はえたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 00:08
> 1664

ボロを指摘してみろ。


1666 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 00:49
>仏教徒なら、仏の救済を信じていて当然でしょう。
頭ごなしに仏の教えを“ウソ”と突然決めつけられても困ります。

そうですねえ、例えばここに禅宗の跡取り息子がいるとします。
彼は寺に代々伝わる血脈図、まあひらたく言えば寺の住職の
家系図ですね、それを物心つくかつかないかの頃から
見せられて、「自分のとこの寺は釈尊―摩可伽鐘―達磨・・・歴代住職・・・
そして自分、というラインでお釈迦さまと繋がっているんだ」

という思いを抱くわけだが、彼が成長し、宗門の大学にはいり、
仏教学を学ぶにつれ、幼い頃の夢は無残にも崩れ落ちて
しまうわけです。ウソの血脈だってわかるから。嫌でも。

これらの話は仏教雑誌にご本人が掲載していたものの要約です。

浄土教関係でも同じようなはなしがあったような、
気がしたなあ・・・・・。





1667 名前: ふぁるこ 投稿日: 2000/07/06(木) 01:29
「雑阿含経・仙尼経」異陰とは霊魂のこと

仏、仙尼に告げたまはく「我が諸の弟子、我が所説を聞き、
悉く義を解せずして慢を起こし、無間等は無間等に非ざる
故に慢則ち断ぜず。慢断ぜざるが故に此の陰を捨て已りて
異陰相続し生ず。
(P.258)

なるほど、お釈迦さまは霊魂ということばは使っておられ
ない。しかし、現世の五陰が消滅しても、異陰が生じて相
続するとおっしゃっておられるのです。死んでも人間の
「なにか」が存在を続ける。
(P.272)

「社会科学としての阿含仏教」より引用




1668 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 02:29
>1603 さん、
勝義により、常識により「霊」は否定されている
なって言っちゃったら、すべての可能性が一方的に
どこかへ行っちゃうんだワン。
お法事でこんなことを言ったら、みんな神妙に聞くよ。
この坊さん早く帰ってほしいとみんな思ってるだけからね。
ここじゃ、そうはいかないよ。
>さあ中身を言ってみろ。ワンワンワワン。

それではなぜ、私がそのように言うのか、その中身を書かせていただきます。
と言っても、いきなり難しげな仏教用語を使っても
ご理解願えないでしょうから
仏教でよく使われるたとえ話をさせていただきます。

ある農夫がいました。
彼は気が弱い男で、心臓に病を患っておりました。
ある時、その農夫が、薄暗がりで毒蛇を見ました。
農夫は心の底から驚きました。
というのも、その農夫は蛇が大っ嫌いだったからです。
そして、運が悪いことには、農夫はそのショックのために
心臓発作を起こし、死んでしまったのです!

ところが翌朝、その農夫が死んだ後、その毒蛇がいたところを見ると、
実はそこには毒蛇ではなく、麻で出来たロープがとぐろを巻いていたのです…。
つまりその農夫は、毒蛇ではなくロープを見たのです。
そしてそれをてっきり毒蛇だと思ったのです。
そしてその、有りもしない見間違いの毒蛇によって死んでしまったのでした。

さて、この農夫の見たものは実際には何だったのでしょう?
毒蛇だったんでしょうか?
それともロープだったんでしょうか?
もちろん、実際にそこに有ったのはロープです。
しかし、農夫が彼の「心の中で実際に体験」したのは、
客観的事実はどうあれ、やはり毒蛇です。
何しろ彼はそれが原因で死んでしまったのですから。

仏教では上のような例を使って
「農夫が見た毒蛇」を、認識によってとらえられた現実(仮構された誤認)、
「実際にあったロープ」を客観的な現実(縁起するもの)、
「それが麻でできてる」を本質的なものの有りよう(空)、
と教えています。
ですので「霊魂がある」というのは、
そもそも般若心経に書かれていることから言ってもおかしいのですよ。

ということで私は説明いたしましたので、
今度は、なぜ阿含宗のかたが霊魂の実在を強硬に主張なされるのか、
その理由を筋道たててお書き下さい。
「私がそう感じる」とか
「実際に体験した」というのは無しですよ。
だってそれは実際の現実の有りようとは関係ないのですから。
そう言えば以前、信者さん側から
「真実だと感じるから、だから真実だと思ってはいけない」
というご指摘を受けました。
お釈迦さまが言ったことを前提としているだけあって、
全くその通りだと思います。
そして、もしそのとおりだとすれば
「霊魂を体験した、だから真実」というのは
ご自分たちの言葉にさえ背いている、ということですね。

ワンワンほえたり、キャンキャン鳴いたりしてもかまいませんが、
負け犬よろしく、しっぽ巻いて逃げないで下さいね(笑)。


1669 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 08:44
>1666
血脈とは法脈のこと。釈尊からどのように教えが伝わってきたか、ということであり、釈尊や摩訶迦葉と血のつながりがあるということではない。
宗門の大学で仏教を学んでこの程度のことが分からないというのはおかしい。あなたの記憶違いだろう
>ふぁるこ
「社会科学としての阿含仏教」は誰かかいた者か。桐山なら誰も信じないから駄目。



1670 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 08:53
> 1666

たとえそれが事実であったとしても、
1つに事例を紹介して、すべてがそうであるとおっしゃりたいわけですか?

仏教徒=僧侶 であると決めつけていらっしゃるのですか?



1671 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 08:55

誤:“1つに”
正:“1つの”

失礼しました。


1672 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 10:02
>1658さん、はじめまして。
法の話やご霊示の話は、なかなかわかりにくいですよね。しかし、
あの方のように、阿含宗の歴史などついて宗徒以上にお詳しい方が、
何だかんだと言うのは、なにか意図が有るのですよ。歴史を見れば
ご霊示が誇大妄想でもなんでも無いことがわかるのですから。です
から、私は、ああいう何もかもわかっている方とのお話は無駄なの
で話を打ち切ったのです。本当のカトリックの人や、なにもご存知
ないひとであればお話したいですが。



1673 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 10:13
>はえたたきさん

>“仏教では、“先祖”は仏国に往ったと考えています。”

>ちゃんと、仏国・浄土って書いてあるでしょう?

どうもありがとうございました。




1674 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 10:21
水野弘元著 仏教要語の基礎知識 1972年 より

 霊魂について

 なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
るものとして、これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変
化しつつ連続する有為法である。唯論法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。



1675 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 10:38
>1668さん
坊さんか、普通の方かどうもわからないのですが。
仏教はお釈迦様の言葉が原点なのですよ。ですか
ら、勝義とおっしゃるからには、なにか文証がほ
しいですね。
幽霊とススキのたとえ話なんて、なんにもならないよ。


1676 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 10:49
>1635
>まあ、高貴な世界のことは、あなたにはわか
>らないということです。
>1654
>闇の中にうごめいている人には、光の世界が
>わからないのですよ。

こういう発言に驚いている人もいるようだけど、
おれは驚かないね、
これが桐山さんの本音さ。
昔からあの人そうだった。
ただ、昔はそれを隠すだけのアタマがあった。
上の文章は桐山さんが書き込んだようなものだ。

自分たちは選ばれたんだと本気で信じている。
桐山さん自身がそういうから、下っ端はみんなまねする。
だから、あそこの職員は無能なくせに態度だけデカイ。
別院の安某職員なんか、名古屋にいる時から、信者つかまえて、
「君たちは選ばれた」とか、今も同じことやってるという話。

元々謙虚な人も、あそこにいるとだんだん傲慢になる。
元々傲慢な連中は、1635や1654みたいな事を書いても
全然恥ずかしくなくなる。
会員さんたちも気をつけたほうがいい。
朱に交われば赤くなる。

阿含宗がオウムの家元になったのはちゃんと理由があるんだよ。
自分たちは高貴な光の世界で、他は闇の虫けら。
だから、サリンでポアしてもかまわない。
阿含宗は「人殺しをしないオウム」だってことさ。


1677 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 11:01
>1672さん
>から、私は、ああいう何もかもわかっている方とのお話は無駄なの
>で話を打ち切ったのです。本当のカトリックの人や、なにもご存知
>ないひとであればお話したいですが。

本当の事知っている人にはかなわないから、
何も知らない大衆相手に、
妄想を話し、信じてほしい、という訳ね。
うち切ったんじゃなくて、逃げたっていうの。
ここは阿含宗を批判するスレッド。
宣伝だけならよそに行ってやりな。


1678 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 11:20
>1677
「ご霊示があった」と言えば信者はそのまま信じますよ。
「仏勅」も信じています。

信者以外の人で信じられないかたは、阿含宗の歴史を見
てください。奇跡的なことが数知れず起こっているので
す。
モンゴルなどでは国土を焼き尽くす大旱魃による大火災
がたった一回の護摩修法で全土に大雨が起こり消えてし
まった。それも予告どおり。読売テレビなども取材に行
っていたのでしょう?世界にニュースが飛びましたよね。

「ご霊示」「仏勅」については、証拠が無いからどこま
で行っても水掛け論ですね。その場合は、歴史を参考に
なさってくださいということです。


1679 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 11:34
>1674さんありがとうございました。

このような「霊魂」まで否定される方もいらっしゃいますよね。

1413
>雑阿含経「堕胎経」
>和訳
>是の如く我れ聞きぬ。一時、仏、王舎城に住まりたまえり。
>乃至尊者大目健連、路中に於て、一大身の衆生の体を挙げて皮無く、
>形肉段の如く、虚に乗じて行けるを見たり。乃至仏、諸の比丘に
>告げたまわく、「此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て自ら其の
>胎(はらみご)を堕せり。斯の罪に縁るが故に地獄の中に堕ちて
>已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも

このモッガラーナの見たという
「一大身の衆生の体を挙げて皮無く」と言う存在は、
不成仏霊とか霊障のほとけに近いような気がしますね。


1680 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 12:06
>1678 さん
>「ご霊示があった」と言えば信者はそのまま信じますよ。

教祖の言うことを無批判に鵜呑みにして信じるのは、
どこの新興宗教でもあることです。
だが、釈尊は、ご霊示なんて言わなかったし、
言うことをそのまま信じろ、とも言わなかった。
弟子たちも鵜呑みにはしませんでした。
1678さんの言うとおりなら、
阿含宗は釈迦仏教ではなく、ただの新興宗教です。


1681 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 12:11
>1678さん
>モンゴルなどでは国土を焼き尽くす大旱魃による大火災
>がたった一回の護摩修法で全土に大雨が起こり消えてし
>まった。それも予告どおり。読売テレビなども取材に行
>っていたのでしょう?世界にニュースが飛びましたよね。

具体的に何があったのか、だれも書いていません。
いつ、どこで、何があったのか、ご紹介ください。

読売テレビが取材に行ったとは初めて聞きました。
テレビで放送されたのですか。
山火事が消えたというニュースは世界に伝わりましたが、
阿含宗が消したなどという話は伝わっていません。
モンゴル側も阿含宗が雨を降らせて消したなどとは伝えていません。


1682 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 12:12
>1680さん
一部引用って悪質ですよね。
「信じられない方は、歴史をみてください」
と書いてらっしゃるみたいですよ。


1683 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 12:20

> 1676
> 自分たちは選ばれたんだと本気で信じている。
> 「君たちは選ばれた」

昨晩は阿含宗の皆さんに“電波少年”の“地球防衛軍”出演をお薦めしたけど、
それは青少年対策として、

幼児向けに、親鸞会のようにアニメを創ってはいかがでしょう。
タイトルは“桐モン”、“霊モン”ですね。
この世を救うために選ばれた“キリヤマン”をリーダーとする“アゴンワールド”の面々が、
地球を破壊し、人々を不幸に陥れようとする“ミズコレイ”や“ハイゴレイ”“オンリョー・アクリョー兄弟”“ユーレー”と
ゴマパワーで闘うというストーリーです。
私も、
“アゴンワールドのキリヤマンが正義の味方だっていうのはウソだ、みんな騙されるんじゃない”
って吹聴する悪役として特別出演してもいいですよ。

子供たちが視ている“デジモン”で言っていますよ。
“選ばれし子供たち”って。
日曜日の朝9時から、フジTVでしています。
ぜひ、阿含宗の皆さんご覧ください。
“阿含の教えがアニメになるまで、世の中に認知されたんだ”と
感動を覚えるかもしれません。




1684 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 12:25
>1681さん
詳しくは、平河出版から坂田さんと言う著者の本が出ていますので
読んでください。(書名は忘れました)モンゴルの話ばかりです。
坂田さんの本は一冊しかないのですぐわかると思います。新聞のコ
ピーや写真なども載っています。

読売テレビの話は、おもしろ話なのですが、モンゴル全土に大雨が
降って大火災は消えていると言うのに、古いビデオ映像を使って火
災の模様を放映しているのです。火災が消えてモンゴル中が大喜び
だなど一言も報道しない。ここにおられる、なんでも阿含宗批判の
方と同じなのですね。奇跡なんて目の前で見ても絶対認めない。
もし、読売テレビの方がおられたら、内部資料を調べてみてくださ
い。時事通信などの報道と比べてみたら面白いと思います。


1685 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 12:25
1669 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 08:44

>1666
血脈とは法脈のこと。釈尊からどのように教えが伝わってきたか、
ということであり、釈尊や摩訶迦葉と血のつながりがあるということではない。
宗門の大学で仏教を学んでこの程度のことが分からないというのはおかしい。
あなたの記憶違いだろう

うはははは!だ・か・ら・
>彼は寺に代々伝わる血脈図、まあひらたく言えば寺の住職の
家系図ですね

と言っているでしょ?誰も釈迦や摩訶迦葉と血の繋がりがあると
思っている坊さんなんていないっての!

執筆者は高橋直道氏、確か「季刊仏教」だったとおもう。


1686 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 12:33
1639 ハエたたきさん
1640 名無しさん@1周年さん

1674さんの書き込みについて
コメントをお願いします。


1687 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 12:35
もう、この、スレッドも新味がないですねえ。
終了しましょうよ。私、仕事行きます。さよーなら。


1688 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 12:37


1670 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 08:53

> 1666

たとえそれが事実であったとしても、
1つに事例を紹介して、すべてがそうであるとおっしゃりたいわけですか?

仏教徒=僧侶 であると決めつけていらっしゃるのですか?

いま流行りの「一人仏教のすすめ」ってヤツっすか?(激爆〉

いや、これは冗談ですが、別に決め付けはしませんよ。ただ、
いまは昔と違って情報網が発達しているという一例として
挙げたまでのことにすぎません。あまりお気を悪くしないでください。

もう手遅れ?




1689 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 12:59
>1678さん
>モンゴルなどでは国土を焼き尽くす大旱魃による大火災
>がたった一回の護摩修法で全土に大雨が起こり消えてし
>まった。

阿含宗の皆さんにお願いがあります。

東京は大雨で被害まででたらしいのですが、
私の住む地方は空梅雨・雨不足で畑の農作物を心配しています。
どうか東京ばかりに雨を降らせないで、私たちにも少し分けてください。

それから、有珠山や伊豆諸島の人達は何か霊の祟りがあるようなことをしたのでしょうか。
ニュースを視ていてとても気の毒に思います。
救ってあげてください。


1690 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 13:08
>1684さん
>詳しくは、平河出版から坂田さんと言う著者の本が出ていますので
>読んでください。(書名は忘れました)モンゴルの話ばかりです。

せっかくその奇跡を皆さんに披露できるチャンスなのに、
本を読めですか。
坂田芳男「祈りは天地を動かす」平河出版
のことですね。
では、著者の坂田さんとはどなたですか。
この人の一般社会で知られた名前を皆さんに紹介してください。


1691 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 13:09
>1682 さん
>一部引用って悪質ですよね。

何が一部引用なのですか。
もちろん、全文を読んでの反応です。
それとも書き込むたびに、
相手の文章の一部始終を再掲載するのですか。


1692 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 13:36
>1691さん
一部引用で発言の趣旨を変えてしまったら、それは、悪質ですよ。
1678さんは、信者以外の方は歴史を見て判断してくださいと、
おっしゃっているみたいですよ。

しかし、このスレッド、もうあきあき。

=======終了========



1693 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/06(木) 13:39
> 1686 さん

1674の書き込みが、
水野弘元さんの説明をどういうふうに理解しているものなのか、
阿含宗の立場に立った引用なのか、
反阿含宗の引用なのか分からなかったのです。

あなたは、阿含宗の主張する霊は、アーラヤ識だとおっしゃるのですね。

それならば、唯識の入門書をご紹介しますので、
それで勉強なさってから議論しましょう。

@“わかる唯識”、岡野守也著、水書房、¥1,500
A“唯識思想入門”レグルス文庫66、横山鉱一、第三文明社、¥480
B“唯識とは何か”、横山鉱一、春秋社、¥2,900
C“認識と超越〈唯識〉仏教思想4”、服部正明・上山春平、角川書店、¥990

ちょっとかじってみたかったら、
“仏教の思想”、上山春平・梶山雄一編、中公新書364、¥360
の中の“アーラヤ識と三性”という講もお薦めです。

ここで簡単に説明できることではありませんので、
ぜひぜひお勉強ください。



1694 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 13:54
ハエたたき さん
私は1686さんではないのですが、

> なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
>としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
>るものとして、これを認めている。

ここの部分についてコメントを頂戴したくおもいます。



1695 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 14:09
>1687
あきあきしたと言うなら来なけりゃいいじゃないか。
誰もあんたの登場を期待してやしないよ。

>1692
終了くんもどっかに行ってなさい。




1696 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 14:13
1694
> なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
>としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、

これって阿含宗が外教だってことじゃん!


1697 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 14:20
>1696さん
>人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
>るものとして、これを認めている。
が、ぬけていますよ。




1698 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 14:22
>1696さん
>乃至尊者大目健連、路中に於て、一大身の衆生の体を挙げて皮無く、
>形肉段の如く、虚に乗じて行けるを見たり。乃至仏、諸の比丘に
>告げたまわく、「此の衆生は過去世の時、此の王舎城に於て自ら其の
>胎(はらみご)を堕せり。斯の罪に縁るが故に地獄の中に堕ちて
>已に百千歳無量の苦を受け、余罪を以っての故に今此の身を得るも

この情報もぬけていますよ。




1699 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 14:27
>1694さん
> なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
>としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
>るものとして、これを認めている。

この文中には3回、霊魂という言葉が出てきます。
このうち2回目と3回目は同じ霊魂という言葉を使っていますが、
内容は全く違います。
2回目に出てくる霊魂は阿含宗が説くような霊魂で外教です。
3回目に出てくる霊魂はアーラヤ識、またはアーダーナ識とかでしょう。
実際のところ「個人」が持っているものではありませんし、
その内容を見たり感じたりはできません。


1700 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 14:35
大乗仏教で「霊魂」という場合、しいて言えば、「中有身」が霊魂に当たると思われる。

仏教では、生きとし生けるものの存在は
生有(生まれた瞬間の存在)
→本有(生まれて死ぬまでの存在)
→死有(死ぬ瞬間の存在)
→中有(死んでから生まれ変わるまでの存在)→また生有、と繰り返す。

死んでから次に生まれるまでの体が「中有身(中陰)」で、これは目に見えない微細な粒子で
できておりだいたい子供のような形をしているそうな。死んで、中有身になってからだいたい
49日までに次の生まれ変わり先が決まるんで、49日が「満中陰」つうわけ。
つまり、いつまでも生まれ変わらずにうろうろとさまようような「霊魂」は大乗仏教にはない。


1701 名前: 1686 投稿日: 2000/07/06(木) 15:13
>1693 ハエたたきさん
わざわざ本を紹介してもらってありがとうございます。
唯識のことはあまり知りませんので、読んでみようと思います。
有難うございます。
ですが、以前に

1519
霊を存在させるか、させないかは、
その人の心によるのです。
おびえた心がつくり出したものが“霊”で、
それは、おびえている当人にしか見えません。
アルツハイマーやアルコール依存症にかかった人は、
幻覚が見え、幻聴が聞こえるらしいのですが、
健康な人には、見えもしないし、聞こえもしません。

1521
世の中には、霊が見えると主張する人がいます。
自分には“霊能力”があって、怨霊を調伏できると宣伝し、
それを商売にしている人がいます。
霊が見えることを特殊能力と勘違いして、
それを吹聴してまわる人・・・、
そして、それにつられてその人を尊敬してしまう人・・・。
しかし、霊は病める心、おびえる心、悩める心・・・、
そういう心がつくり出した幻覚にすぎません。
だから、霊が迷って出てきているのではありません。
迷っているのは、霊が見える私の心なのです。



1702 名前: 1686 投稿日: 2000/07/06(木) 15:14

1529
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
枯れ尾花はしょせん枯れ尾花なのですが、
枯れ尾花が幽霊に見える人には、幽霊が見えている。
それは幻覚・錯覚です。

とおっしゃっておられましたね。
それと対比して、
1694さんと同じく、
> なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
>としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
>るものとして、これを認めている。

の部分についてコメントしてもらえませんでしょうか?
よろしくお願いします。


1703 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 17:07
1675さん、1668からの再引用です。
>1603 さん、
勝義により、常識により「霊」は否定されている
なって言っちゃったら、すべての可能性が一方的に
どこかへ行っちゃうんだワン。
お法事でこんなことを言ったら、みんな神妙に聞くよ。
この坊さん早く帰ってほしいとみんな思ってるだけからね。
ここじゃ、そうはいかないよ。
>さあ中身を言ってみろ。ワンワンワワン。

それではなぜ、私がそのように言うのか、その中身を書かせていただきます。
と言っても、いきなり難しげな仏教用語を使っても
ご理解願えないでしょうから
仏教でよく使われるたとえ話をさせていただきます。

ある農夫がいました。
彼は気が弱い男で、心臓に病を患っておりました。
ある時、その農夫が、薄暗がりで毒蛇を見ました。
農夫は心の底から驚きました。
というのも、その農夫は蛇が大っ嫌いだったからです。
そして、運が悪いことには、農夫はそのショックのために
心臓発作を起こし、死んでしまったのです!

ところが翌朝、その農夫が死んだ後、その毒蛇がいたところを見ると、
実はそこには毒蛇ではなく、麻で出来たロープがとぐろを巻いていたのです…。
つまりその農夫は、毒蛇ではなくロープを見たのです。
そしてそれをてっきり毒蛇だと思ったのです。
そしてその、有りもしない見間違いの毒蛇によって死んでしまったのでした。

さて、この農夫の見たものは実際には何だったのでしょう?
毒蛇だったんでしょうか?
それともロープだったんでしょうか?
もちろん、実際にそこに有ったのはロープです。
しかし、農夫が彼の「心の中で実際に体験」したのは、
客観的事実はどうあれ、やはり毒蛇です。
何しろ彼はそれが原因で死んでしまったのですから。

仏教では上のような例を使って
「農夫が見た毒蛇」を、認識によってとらえられた現実(仮構された誤認)、
「実際にあったロープ」を客観的な現実(縁起するもの)、
「それが麻でできてる」を本質的なものの有りよう(空)、
と教えています。
ですので「霊魂がある」というのは、
そもそも般若心経に書かれていることから言ってもおかしいのですよ。

ということで私は説明いたしましたので、
今度は、なぜ阿含宗のかたが霊魂の実在を強硬に主張なされるのか、
その理由を筋道たててお書き下さい。
「私がそう感じる」とか
「実際に体験した」というのは無しですよ。
だってそれは実際の現実の有りようとは関係ないのですから。
そう言えば以前、信者さん側から
「真実だと感じるから、だから真実だと思ってはいけない」
というご指摘を受けました。
お釈迦さまが言ったことを前提としているだけあって、
全くその通りだと思います。
そして、もしそのとおりだとすれば
「霊魂を体験した、だから真実」というのは
ご自分たちの言葉にさえ背いている、ということですね。

ワンワンほえたり、キャンキャン鳴いたりしてもかまいませんが、
負け犬よろしく、しっぽ巻いて逃げないで下さいね(笑)。


1704 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 17:08
1703の続きです。
上記の発言に対する1675さん(信者さん)
の返答を再引用します
>1668さん
坊さんか、普通の方かどうもわからないのですが。
仏教はお釈迦様の言葉が原点なのですよ。ですか
ら、勝義とおっしゃるからには、なにか文証がほ
しいですね。
>幽霊とススキのたとえ話なんて、なんにもならないよ。

さて、上記の1702の内容の一体どこに
幽霊とススキの例えが出てくるのでしょうか?
このようなのを言葉のすり替え、または嘘と言います。
以前、このスレッドによく出ていた
お昼過ぎにいつもよーちえんにお迎えに行く方と一緒ですね。
同一人物でしょう?
あなたは他の阿含宗の方からも
「言葉の意味くらいちょっとは辞書を引くべきですよ」
と言われてあきれられていた方ではありませんか?
それとも阿含宗では皆、このような嘘を言うことを奨励しているのでしょうか。
嘘を言ってはいけない、というのも八正道のうちの一つでは無かったのですか?
その文証も出さなければいけませんか(笑)?

それに文証が100%正しくても、それを解釈するのは
それを読む人間で、人間は我見に満ちた存在だから
それを正しく解釈する事が出来ない、
という結論もとっくに出ているはずです。

されに、上に上げた例は仏教では三性説と言われるものをわかりやすく解説したものです。
阿含宗のかたは、この程度の仏教常識も持ち合わせていない、ということがこれで証明されました。


1705 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 17:50
「と学会」の山本会長が最新刊で桐山さんを取り上げた。
桐山さん、大好きな勲章が増えたね。
おめでとう!!
以下、抜粋。

しかし、桐山氏はこの後、「おれが恐怖の大王」
という説を大真面目で(どこまで本気なのかはわか
らないが)展開しはじめるのである。古今東西、ノ
ストラダムス本は数あれど、自分が恐怖の大王だと
主張する人はあまりいない。
恐怖の大王は二人いる、と桐山氏は説く。アンゴ
ルモアの大王(仏陀)を復活させる恐怖の大王(つ
まり自分)が現われなければ、本当の恐怖の大王が
現われて世界を破壊してしまう、というのだ。
これは大変だ。みんなで阿台宗を信じないと世界
が滅びると、恐怖の大王ご白身がおっしゃっている
ぞ(笑)。
山本弘「トンデモ大予言の後始末」洋泉社


1706 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 17:59
>自分が恐怖の大王だと

桐ちゃんのどこが「恐怖」なの?
お金に汚い所かな?
それとも前科数犯の所かな?
わからないよ〜〜。




1707 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 18:01
いXだだいさく=レイプの大王
きりXませいゆう=詐欺の大王



1708 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:12
>1704さん
ロープと蛇をそのまま書くのも芸が無いから、
ススキと幽霊にしたのでしょう。文芸には
縁の無いかたのようですね。
一応説明しておきますが、
本当に怖いものと、それに似たものです。
馬鹿らし。


1709 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:14
>1704
こういう文章って、本当に本気で書いているのだろうか?


1710 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:19
>本当に怖いものと、それに似たものです

これも直しておこう。順番が逆ですね。なんて言われるか。

本当に怖いものに似たものと、本当に怖いものです。


1711 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:20
と本ねえ!?あきれてしまいますね。


1712 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:27
>1711も
誤解されるといけないので解説しておきます。
と本学?会になにか宗教学的な権威があるのですか。
こう言うのを引用し出したらおしまいですね。



1713 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 19:35
>1712さん
あなたは権威によってものを評価される方ですか?
権威は真理とは何にも関係無いはず。
これで阿含宗徒は権威主義者の固まりということが判明致しました。

なんて反論が来ますから、ほどほどに。


1714 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 19:42
>1704さん、例の嘘つきの方ですか?

>(仮構された誤認)

空の中の有(あるいは無)をこう捉えるのであれば、全くの間違いです。
あなたのその存在は「誤認」なんですか。あなたの命は「誤認」ですか?



1715 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/06(木) 20:29

「刑獄の因縁」 1.劣等感と優越感

桐山氏の心を知るためには、彼の生い立ちから見る必要があります。
桐山氏の年表から、子供の頃かなり貧しかったことがわかります。
父親は定職すらなかったようです。(292〜年表参照)
一方で、母方の桐山家は武士の子孫であり、彼はその長男です。

貧乏の劣等感と武士の子孫という優越感が混在していたのです。
ヒトカドの人物になることが堤(桐山氏の本名)少年の目標だったのでしょう。
桐山氏がベンツに乗り、ホテル・オークラに出入りし、総本山に銅像を建て、勲
章を欲しがるという、聖者の行いとはかけ離れたことをするのは、彼のこの頃の
劣等感を癒してくれるからでしょう。
鳴り物入りで姿を現し、聖者として、信者たちがひれ伏す構図は、桐山氏の優越
感をいたく満足させるものなのです。

ただ、昭和初期なら、堤少年の境遇は特別珍しいものではありません。
貧乏も、教育を受けられないことも、立身出世を夢見ることも、同じ境遇の人た
ちはたくさんいました。
これだけでは、因縁、霊障、予言で人々を脅かし、妄想と思いこみの宗教を作り
上げた今日の桐山氏の姿は十分には浮かび上がってきません。

桐山氏のその後の人生を見ていくと、最初に目を引くのが犯罪歴です。



1716 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 20:44
農夫の喩え話って要するに認識論でしょ?

あれ以外にも釈尊は実際に瞑想などの修道上に必要な数々の教示を
なさっています。そのうちのひとつにすぎない。あれひとつで

>1703 ですので「霊魂がある」というのは、
そもそも般若心経に書かれていることから言ってもおかしいのですよ。

と言い切れるのも、なんかスゴイなあ、と僕なんか感心しちゃいます(爆〉




1717 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 21:13
>1635さん
>伊達さんは、阿含宗の信者ではありませんよ。

えっ、そうかなあ。
伊達さんがお袈裟つけた写真、何かで見たことあるよ。
それ見て、なんだ、信者の身内本かとがっかりした。

この人ダルマチャクラで原稿料稼いでるよね。
阿含宗から金もらってる人のほうが、
金払っている会員よりも、
もっと「信者」なんじゃない。
本は絶版らしいね。
信者すらも買わないってことか。


1718 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/06(木) 21:26
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=960147106

…はぁ。


1719 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/06(木) 22:20
>1711
>と本ねえ!?あきれてしまいますね。

そうだ!あきれますよねえ。
なんで山本会長は、桐山さんの本を
3章の14番目なんか
まるで付け足しみたいに取り上げるのだ。
当然、一番目に取り上げるべきだ。

桐山大僧正猊下を何と心得る。
あの方は、恐怖の大王だけじゃない。
ナッなんとアンゴルモアの大王なんだぞ!
とってもエライ偉い勲章つけた大王さまなんだからな。
坂田さんのモンゴル本にちゃんと書いてある。
アンゴルモアの大王で、
分裂した恐怖の大王も兼務して、
大学の理事だし、名誉教授だし、
こんなエライ人を
後に取り上げるなんて、けしからん。


1720 名前: 名無し山問題寺 投稿日: 2000/07/06(木) 23:30
来世とか霊魂がどうしたとかのことはあまり興味ないのですが、
阿含宗では現世における人間の「利他心」とか「利他主義」とか
についてはどのように教えておられるのでしょうか。


1721 名前: 素人部外者 投稿日: 2000/07/07(金) 00:14
悟りを得ようと、自分のことばかりにかまいっきりになって、鼻持ちならない
高慢ちきで、自分の中に自分を作り上げ、一生それを修正することで生きよう
としておられる人間が、仏教徒の方ではなかろうか。コンプレックスの
裏返しである世間への恨みを排除することが必要だし、批判や意見も聞いて
対処して行く柔軟な姿勢も持っていかなければならない。自分は賢明だという
思い込みを捨てて、色々な人々の知識や考え、人類の培ってきた前向きな
英知を吸収した後に、よく食べて、生きていることに感謝し、健康な精神と
体に配慮することが出来るようになれば、初めて「利他心」を持つ段階になる
んではないか? 体力や気持ちにも余裕があって、注意力の不足とか、
怠惰な人間性に負けるような持久力の不足とか、目的追求の純粋さの欠如などが
なければ、仏教との方でも自然と利他的で気持ちのよい人間になれると思う。
私は、仏教徒ではないが、ことさら修行や悟りを語る仏教の人は個人的にあまり
好きでない。


1722 名前: 酸化防止剤(亜硫酸塩) 投稿日: 2000/07/07(金) 00:18
        (\
         \\
          (\\
           \\\
           (\\\\
           (\\\\\
            \\ |||
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ⊂⊃
  ̄ ̄( ̄ ̄//// ̄\ ∧ ∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ̄(//// ̄\\( ゜Д゜) < 氏ね!我権醜のカス共 ゴルァ !!
   ".;":  (/(/// ̄(つ つ   \_____________
".;":         (/(/|  \\
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   .;".;": ..  ;    ∪ ∪  \\         .;".;": ..;.;".
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   ゴ オ ォ ォ …… ! !      \\   ;": ..;.;".;":
          .;".;": _.;.;__       \\   ド カ ァ ン !
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.;".;": ..;.;".;": ;:'.;| ΓΓ | |;":从へ_/|  \\.;".;"_.;__..:
从へ从へへ从  ; ζ  | Γ从 | |;:.. |从Γ | |    \\ ∠___/|
    ( ⌒( ⌒ ) ζ | 从Γ | |.:;. |从Γζ.;"._ \\|ΓΓΓ| |
(   ⌒ ⌒  ⌒ );  | ΓΓ | |;;::|我権臭総本山(从へ;: |从ΓΓ| |
 Σ( ⌒( ⌒ ) ζ  ( ( ) )⌒ ) ( 从へ从)_.;;:.;|Γ从Γ| |
 ( (( ( ⌒ )) )  从 Σ( ⌒(  从へ从) ∠___/|
Σ (( ( ⌒ )) )(( ⌒ ( 从へ从).;".;:;|ΓΓΓ| |
 (( ⌒ :;.".;" .;;



1723 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 00:44
>1714
>(仮構された誤認)

空の中の有(あるいは無)をこう捉えるのであれば、全くの間違いです。
>あなたのその存在は「誤認」なんですか。あなたの命は「誤認」ですか?


どなたかと勘違いなさっているようです。
どうも阿含宗のかたは思いこみが激しいようです。

もちろん命も、その存在も誤認ではありません。

しかし、無明の人がその命を「直接」認識することは出来ません。
よって、無明の人が命だと思うものは誤認です。


1724 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 00:45
とうとう部外者のかたが見るに見かねて発言せざるを得ない
状況、になってしまいましたね。
だからまえのほうで「ここでの議論は不毛」「現実問題として
どれだけ世の中に善い影響を与えているか疑問」・・・
と、発言したのですよ。

2ちゃんねるだから何を言っても構わないくらいに考えていませんか?

自分なりに賢いと思って発言していても、第三者から見れば同じ
ようなもの。揚げ足の取り合い、「宗教なり、真理なり、精神世界なりに
関心を持っている人間が何をやってるんだ?」くらいにしか
評価されていません。それが現実です。

1721さんの意見に賛成。


1725 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 01:01
1708さん
>ロープと蛇をそのまま書くのも芸が無いから、
>ススキと幽霊にしたのでしょう。文芸には
>縁の無いかたのようですね。

内容に対する反論なしにご自分の嘘を
「文芸」と表現されるのが阿含宗徒の習わしのようです。


1726 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 01:54
1724さん

全くその通り!…なんですが、そんなこと言ってるあなたも、
自分を一段高く置くことで同類になっているようにも見えます。

つまり、そんなこと言ってたらこのスレッドに書き込むこと自体できない。

議論はもちろん双方にとって無意味で、
それを読んでる人には、あなたが仰るように感じる方が多いでしょう。
でもハエたたきさんのような方が頑張ってることで、
その無意味な議論に一所懸命に勝とうとして、ウソまで平気でつく
阿含宗の方々の滑稽な姿を楽しむことも出来るわけです。
この無意味さ自体が阿含宗のあり方なのだから、
もっと1724さんも、無意味だね、バカだね、
とチャチャを入れてやって下さい(笑)。


1727 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 05:44
桐山管長猊下は若い頃文学青年で、小説家を夢見ていたそうです。
つまり此れまでの人生全てが彼の虚構の産物なのかもしれません。
求聞持法もクンダリーニも単なる「小説」だとすれば
彼の実体のすべてが納得できます。
ただ信者となった方々はお金だけ騙された事になりますが・・・。
まあ、他愛のない「ムー」的な夢を買ったと思えばいいのかもね。
(それを鵜呑みにして沢山の人を殺した元信者達もいましたけれど)



1728 名前: 桐山とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 05:54
麻原は桐山の元を離れても常に阿含宗を意識していた。
何故ならば、沢山の阿含宗信者がオウムへ流れてきたからだ。
いつも桐山の後ろを歩き、ダライラマだとか、チベットだとか
後追いばかりだった。
その意味では、麻原は最後まで桐山の「信者」だったのだと思う。
中でも極めつけは、1999年問題だろう。
桐山予言の核戦争だ云々を鵜呑みにして、ゆきつくとこまで突き進んだ彼は
最後に国家を敵として、大量無差別殺人事件まで起こしてしまった。
麻原の初期の予言なるものは桐山予言の焼き直しばかりだった事実を忘れてはならない。
単に夢に躍らされるだけならいいが、
マジで殺人事件までやってしまったらとても「宗教的方便」では済まされない。
桐山はサリン事件の責任を少しは感じるべきだ。




1729 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:07
>1723さん
仏陀以外は、無明におおわれているのですよ。あたたも、わたしも。


1730 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:19
>1720さん、
阿含宗では、在家信者の行としては、もちろん日々の勤行で、自他の
幸せを祈ること。続いて、三福道;如来、正法、聖衆のもとで功徳を
植える。具体的には、八法十六法;信、戒、施、聞、持、観、法次、法向
この八つを自分でも実行し、他人もお勧めする。戒は在家の五戒です。


1731 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:23
>1721
人間は普通、自分と同類のものが好きですよね。
異質な者は嫌い合うものです。異質でも助け合いなどによって
心の交流があるのですが、現代では、人の助け合いと言うのは
ほとんど無いですからね。
考えの異なる者でも、平行線にならないよう、すこしでも
近づけたらよいですね。


1732 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:24
>1722さん
やっと来てくださいましたか。おまちしていました。
いつみてもほれぼれとするような、イラストですね。



1733 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:26
>1725
さん、同じ表現の繰り返しをさけるのが文章の基本です。


1734 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 09:39
蛇とロープを、幽霊とススキと置き換えたところで
普通、嘘をついたとは言わないでしょう。
他人のコメントを自分のものだと偽れば嘘つきですが。
しかも二度も続けて。
この置き換えを、「嘘だ嘘だ」と言い張るところにあ
なたの心の病理が潜んでいるようですよ。




1735 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 10:26
>1728
しかし、仏陀への信仰、清浄なるものへの信仰ができなかった
のですね。


1736 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 12:03
>1727さん
>求聞持法もクンダリーニも単なる「小説」だとすれば
>彼の実体のすべてが納得できます。

「小説」の指摘はとても鋭い。
少しの事実にオヒレを付けた「空想宗教小説」だと見れば、
桐山さんの言動は説明がつきます。

桐山さんは因縁、霊障、予言、奇跡、成仏をテーマにした
小説の新しい分野を開拓したのです。
信者さんたちもまた物語の登場人物です。
信者さんたちは阿含宗という小説のファンクラブに所属して
桐山さんの書いた宗教小説を実演しているのです。


1737 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 12:05
>1728さん
>桐山はサリン事件の責任を少しは感じるべきだ

そのとおりですが、桐山さんの求聞持脳には
「自己責任」なんて言葉は存在しないのです。
桐山さんには全く意味が理解できないでしょう。

1995年に書いた本を見れば十分です。
信者だった林郁夫被告の件をはじめ、まるで他人事です。
不幸を利用して、内容は阿含宗の宣伝です。


1738 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 12:49
>1736
桐山猊下の巨大な構想はすべてその歴史で裏打ちされていっている
のです。それを認めたくない方は、歴史を過小評価し貶めて行って
おられるのでしょう。


1739 名前: 1738さんに質問。 投稿日: 2000/07/07(金) 12:52
ここは、長大なスレッドなので、改めて説明いただければ幸いなんですが、
「桐山猊下の巨大な構想はすべてその歴史で裏打ちされていっている」とは
どんなことなんですか?



1740 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 12:56
>1737
林郁夫氏の罪が教育に有るとしたら、小学校、中学校、高校
慶応大学医学部、留学先の施設、すべて彼を指導した方が
責任を取らないといけないでしょう。いくら正しい教育を受け
たとしても、間違った方向に行かれる方は存在するのです。
ここにも、元信者さんが多数おられます。激しく阿含宗非難の
声をあげておられますが、この人達の、社会で行った行為も
阿含宗の責任になるのでしょうか。
そういえば1737さんも、元阿含宗ではないのですか?


1741 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 12:56
>1738さん
>桐山猊下の巨大な構想はすべてその歴史で裏打ちされていっている

「巨大な構想」ってなんですか。
「歴史で裏打ち」なんて抽象的な言葉使わないで、
もっと具体的な内容を書いたらどうですか。



1742 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 13:06
>1741
話せば長くなりますから、本を読んでください。
嘘つきさーん。よーちえん行きます。今日は1時半よ。


1743 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 13:10
>1739さん、はじめまして。
廣済堂の伊達さんの「阿含密教のすべて?」(書名不確)
を読まれるとよいと思います。1988年までの歴史と
、阿含宗の思想について簡便に(難しいですが)まとめ
られています。88年までマスターされれば、続きは平
河書店の他の本を読まれればよいでしょう。


1744 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 13:40
林郁夫氏は単なる信者ではありません。
桐山管長猊下が婚姻の導師(仲人?)をするほどの深い関係でした。
此れ一つ見ても、桐山管長猊下に予知能力が全くないことが明らかです。
一個人の行く末すら全く予知できない人が、
世界の将来などわかるわけがないでしょう。
でも信者の人達は、そういう風には思わないから不思議です。



1745 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 13:44
信仰とはある意味、異常な世界への旅立ちなのでしょうか。
阿含宗のマインドコントロールが結果としてもたらしたあの大事件すら
あたかも他人事のように認識されるのですから。
実に怖い話です。




1746 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/07(金) 13:48
> 1694 1701 1702

@1693にも書きましたが、

 そもそも、水野先生の“霊魂について”という文章を紹介したのは、
 1674さんでしょう。
 引用された1674さんが先ず引用の趣旨、ご自分の理解を述べられるのが順序でしょう。


A> なお仏教は霊魂を説くのか否定するのかということがある。外教が説くような常住の実体
 >としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在す
 >るものとして、これを認めている。
 >唯論法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。

 あなたたちは、失礼ですが幼稚ですね。
 “唯論法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。”
 という部分を消したって内容的には変わりませんよ。


1747 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/07(金) 13:49
『外教が説くような常住の実体としての霊魂・・・』は、

“自己同一を保ちつつ永遠に滅することのない常一なる実態(常住の実体としての霊魂)は存在しない、
 一瞬一瞬に生じては滅し去る自己の相続体があるにすぎない”=“無我”
“すべてのものは縁で起こる=縁起、
それだけでいつまでもあるようなもの(常住の実体としての霊魂)は何もない=無我(無実体)である”

ということでしょう。


何か変わることのない本体・実体のある霊魂のようなものがあるのなら、
それが形だけを変えて、
馬になったり、虫になったり、餓鬼になったり、人間になったり・・・、と
生まれ変わり死に変わりして輪廻するのだけど、
実体がないのだからそうではないということでしょう。



1748 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/07(金) 13:49

『人格の主体として業を保持している霊魂・・・』は、

個体・実体のようなものではなく、
いろいろといいこと・悪いこと・どちらでもないことをする(経験する)と、
したこと(経験したこと)はそれでただ消えるのではなくて、
したこと(経験したこと)の影響はしっかり残っていく、
業・カルマのような影響力は死を越えて残っていくということでしょう。
ここでいわれる霊魂は、
そういう業の集合体、影響力の組合せ体でしょう。


物体的に類似する何かがあの世まで連続するということは否定されていますから、
俗にいう霊魂のようなものはが不滅のままであの世でも存在しつづけるという考えも認められません。
伝達されるのは何らかの影響力だけなのです。
業という行為の影響力が過去から現在に、また、現在から未来へと影響を及ぼしていくということです。




1749 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/07(金) 13:50
って説明書いたってピンとこないですよね。
私の技量ではこれ以上阿含宗の皆さんに納得いただけるような簡単でわかりやすい説明が出来ません。

でも、先にも書いたけど、水野先生の文章を引き出してきたのはあなたたちなんだから、あなたたちが解釈すべきことですよ。
あなたたちは、内容を吟味しないで、単に『霊魂』という単語を使ってあるというだけで引用されたのでしょうが、
阿含宗が主張する『霊魂』と水野先生がおっしゃる『霊魂』は違うと思います。

1699 さんの説明のとおり「霊魂」という単語が使われている箇所によってそれぞれ意味が違います。

1703 さんの説明により
「すべてのものは私のこころがつくり出したもの。私たちが見て感じている事象はすべて私の心を投影したものだ」ということを理解してください。
「農夫の蛇 = 阿含宗の霊魂」だと思います。


1750 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 15:02
>1678
>「ご霊示」「仏勅」については、証拠が無いからどこま
>で行っても水掛け論ですね。その場合は、歴史を参考に
>なさってくださいということです。

証拠がないことを主張してるってことは
阿含宗はカルト教団だってことだな。
いやにあっさり認めたね。

分かったよ、桐山さんの詐欺歴とか、
オウムの麻原がもと桐山の弟子だったとか参考にするよ(笑)。


1751 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 15:05
1729さん
>1723さん
>仏陀以外は、無明におおわれているのですよ。あたたも、わたしも。

そのとおりです。
ですから 阿含宗の方は霊魂がある、とかそれを除霊出来る、
などと断言し、人心を惑わしてはいけません。

仏陀は霊魂に関わりなさい、と教えたのでしょうか?
それに関わるのは無意味だ、と教えたのです。


1752 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 15:12
>1744さん。
よーちえん、行ってきました。今日は間に合ったのだわ。遅刻常習。
私なんかでも、ある程度の予知能力があります。今日もある女の子
(プロテスタントで自分で家族とは関係なく洗礼を受けた)から
電話がかかっていて「婚約破棄になった、悔しい、悲しい。」という
ものでした。「こうなるのはわかっていたよ。あなたの10年先も
20年先もある程度見当はつくよ。」と言う話をしたのです。
「阿含宗のことでしょう。言わないで、言わないで、もうそれ以上
言わないでともだえていました。」
彼女は、これからも、人生の岐路において「悪い選択、悪い選択」
を行っていくような気がする。しかし、彼女がその気になって私の
薦める道を一緒に歩もうと思ってくれないとどうしようもないの
です。
先日書いた不眠症の女性も、同じです。逡巡しています。彼女
が、私の薦める道に行こうと決心してくれるまで待つしかない。
林氏も同じで、彼は彼の思う道へ行ってしまった。桐山管長の
薦める道には行かなかったということです。

法を説くものは、「情報を与える。あとは相手がその気になって
くれるのを待つ。」これしかないのです。桐山管長や阿含宗の
薦める道でない方向に進んだ方に「そっちはだめだよ」という事
はできるのですが、それ以上はなにもできません。


1753 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 15:18
>1734
>蛇とロープを、幽霊とススキと置き換えたところで
>普通、嘘をついたとは言わないでしょう。

阿含宗では、断りもなしにいきなり言葉をすり替えても嘘とは言わないようです。

本当に恐ろしいカルト教団です。


1754 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 15:21
>1749
はえたたきさん、お久しぶりです。(質問が難しすぎて)引退
されたのかと思いました。私には質問の意味さえ、意図さえ、
わかりませんでした。なにか、すごく頭の良い方と議論されて
いるようですね。たーいへん。結論だけ読ませていただきます。
わたしくは、キッズの世話をします。
名無し@一周年のかた。私と誰かを混同しないでね。私はやさ
しい問題専門です。


1755 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 15:30
>1753さん
>>1734
>>蛇とロープを、幽霊とススキと置き換えたところで
>>普通、嘘をついたとは言わないでしょう。
>阿含宗では、断りもなしにいきなり言葉をすり替えても嘘とは言わないようです。
>本当に恐ろしいカルト教団です。

こう言う文書を読むと「あなた、あたま、だいじょうぶ??」
と言いたくなるのは私だけでしょうか。
演技性人格障害とか、ヒステリー症候とか、そんな言葉があり
ましたよね。

1、「AとBの能力は雲泥の差だね」
2、「そうですね。月とすっぽんですね。」
3、「おまえ、言葉をすりかえていいのか。嘘つき。」
4、「そういうのを、恐ろしいカルトって言うんだ。」
この3,4行を言いつづけるあなたは、やはりどこ
かおかしいでしょう。とくに頭が。




1756 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/07(金) 17:09
『林郁夫氏は単なる信者ではありません。
桐山管長猊下が婚姻の導師(仲人?)をするほどの深い関係でした。
此れ一つ見ても、桐山管長猊下に予知能力が全くないことが明らかです。
一個人の行く末すら全く予知できない人が、
世界の将来などわかるわけがないでしょう。
でも信者の人達は、そういう風には思わないから不思議です。』
と有りますが、日蓮正宗と池田教の相克はどうでしょう。
お互いを無限地獄に陥ると言っています。
「法華経」は、「相手に貴方の信じる教えを信じれば必ず幸せになりますよ
と言いなさい。」とあるのに。
罵り合うのに比べれば、許容範囲では。


1757 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 17:13
>1740
>林郁夫氏の罪が教育に有るとしたら、小学校、中学校、高校
>慶応大学医学部、留学先の施設、すべて彼を指導した方が
>責任を取らないといけないでしょう。

学校教育は公認された知識や技術を教えるだけです。
阿含宗は桐山さんに全責任がある。
桐山さんが説いた超能力開発、因縁解脱を
林被告はまじめにやったが全然効果がない。
失望したところに、同様のことを説いたオウムにつけこまれた。

かつての弟子が大犯罪をなした。
自分がもっとちゃんと指導していれば、という
宗教家としての良心、反省はないのかと言っているのです。
予知能力を持ち、人の因縁をすべて透視できるというのなら、
大犯罪をする予定の弟子に、少なくとも強い警告を出せたはずです。

教育者たちは事件を利用して自己宣伝などしていません。
桐山さんはそれを利用して本を出し阿含宗の宣伝までしている。
反省どころか、かつての弟子の不幸も、
桐山さんには宣伝の道具でしかない。
宗教家以前の、人間としての良心がないのかと疑問になります。


1758 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 17:43
>1742さん
>話せば長くなりますから、本を読んでください。

また、本を読めねえ・・・どの本の何ページですか。
信じているなら、自分が語るべきです。
知り合いの不幸は書いているのだから、
同じように書いてください。
自分でも矛盾を感じているから、書けないのですか。

阿含宗では、「嘘つきさーん」とか、闇の中にうごめくとか、
サタンの手先とか、普段からこういう言葉使いをするのですか。
嘘つき呼ばわりする前に、何が嘘なのか、
きちんと述べるべきです。
阿含宗を擁護したつもりで罵声をあびせても、
「実態はこのレベルだ」と宣伝しているようなものです。
桐山さんの恥になりますよ。


1759 名前: 1686 投稿日: 2000/07/07(金) 17:43
>1748 ハエたたきさん
ハエたたきさんご自身が、私達阿含宗徒の答えを
導き出されたようですね。

>個体・実体のようなものではなく、
>いろいろといいこと・悪いこと・どちらでもないことをする(経験する)と、
>したこと(経験したこと)はそれでただ消えるのではなくて、
>したこと(経験したこと)の影響はしっかり残っていく、
>業・カルマのような影響力は死を越えて残っていくということでしょう。
>ここでいわれる霊魂は、
>そういう業の集合体、影響力の組合せ体でしょう。

そういう業の集合体、影響力の組合せ体のうち、特に悪い影響力を
阿含宗では、「霊障(霊的障害)」と呼び習わしております。
そして特に悪い影響力の組合せ体のことを「不成仏霊」と
呼び習わしております。
ありがとうございました。


1760 名前: 1686 投稿日: 2000/07/07(金) 17:51
「霊」なんて漢字自体は何だっていいのです。
要は、「そういう業の集合体、影響力の組合せ体」
のことを日本語で端的に表現できればそれでいいのです。
で、阿含宗としては、「霊」という漢字で表現しようと。
ということです。


1761 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 18:39
>1757さんは、
どなたかのコメントを「私のコメントである」と偽った方では
ないのですか?ご自分はそういう事をされながら、
「ロープ、蛇」を「ススキ、幽霊」と置き換えたのは「嘘つきだ」
「恐ろしいカルトだ」とののしっている方ではないのですか?


1762 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 18:49
>1757、1758さん、
阿含宗の歴史をすべて書けば、何冊もの本になります。
廣済堂の伊達相平さんの書物が一冊にまとまっていま
すので読んでみてください。


1763 名前: やじうま 投稿日: 2000/07/07(金) 18:56
阿含宗ってうそくさいね。
この、スレッドよんでおもいました。


1764 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 19:00
>日蓮正宗と池田教の相克

池田は自分を超能力者だとは宣伝していません。
だから山崎に裏切られても、レイプ事件を引き起こしても「予知能力」の有無を問われません。
桐山管長猊下はどうでしょうか?
猊下は自称超能力者です。
だとすればあのような失態は致命傷の筈です。
単なる田舎の小さな事件ではありません。
ニセビールや詐欺や私文書偽造でもありません。
世界を騒がせた大犯罪事件ですよ。
そしてそれによって阿含宗も信者が激減したわけですから、
教団の存亡に係わる立宗以来はじめてとも言える「重大事件」だったはずです。
そんな身近な事さえ予知できないようではなにが「超能力」ですか?
まさにお笑い種とはこの事です。
信者の方々はすぐに都合の悪い事に目をつぶりますが、世間は冷静に見ていますよ。
あの大量無差別殺人事件の首謀者達が師として仰いでいた「桐山管長猊下」として。



1765 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:00
1761さん
>1757さんは、
>どなたかのコメントを「私のコメントである」と偽った方では
>ないのですか?ご自分はそういう事をされながら、
>「ロープ、蛇」を「ススキ、幽霊」と置き換えたのは「嘘つきだ」
>「恐ろしいカルトだ」とののしっている方ではないのですか?

ん?
「どなたかのコメントを「私のコメントである」と偽った方」
とは桐山猊下のことであるか?
キミは、猊下の信者でありながら阿含宗の恥部を
こんなところで全国にさらすつもりか!

さよう、阿含宗の教祖、桐山猊下は紛れもなく
「どなたかのコメントを「私のコメントである」と偽った方」
であるぞ!
キミも信者ならなぜもっとうまい嘘をつかない?
ちゃんと証拠もあげられているんだ。
すぐばれちゃうじゃないか!

以下過去ログ
138よりそのまま転載


>「密教占星術奥伝」その3
桐山氏は密教占星術奥伝の講義録の一部をコピーして信者に配ったのです。
それは斉藤氏の本のコピーそのものでした。
桐山氏は、自分の講義が斉藤氏の本からの盗用であることの証拠を
自ら配ったのです。

桐山氏は、二つに分けてコピーして、別々の題名をつけて配りました。
その両者を組み合わせないと使えないように分けたのです。
自分は他から盗んできていながら、今度は、それが盗まれないようにと、
二つに分けて信者に配ったのです。

1989年に至るまで、桐山氏に対して、だれ一人、密教占星術奥伝が
斉藤氏の本の盗用であることを指摘しなかったのです。
もう10年以上たちましたから、桐山氏は
また密教占星術奥伝の講義をするかもしれません。

これだけ、桐山氏が手の内、頭の程度、根性をさらけ出しても、
ほとんどの信者は動揺もせず、ついていきます。
>桐山氏よりも、信者を見ているほうがよほどおもしろいのです


1766 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 19:09
>あの大量無差別殺人事件の首謀者達が師として仰いでいた「桐山管長猊下」として

類が類を呼んだのでしょうか?
たしか桐山は同じ因縁を持つもの同士が呼び合うと昔言っていました。
飛行機事故などがその例だそうです。
すると
刑獄の因縁、詐欺の因縁、脳障害の因縁・・・。
サリン事件の首謀者達と桐山管長猊下の類似点はまだまだありそうです。



1767 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 19:13
桐山管長猊下が婚姻の導師をした例は非常に少ないと聞いています。
その数少ない最も信頼する弟子が
「大量無差別殺人事件」の犯人だったとは、なんと素晴らしい導師でありましょう。
藍は藍より出でて藍より青し・・・。なるほど。。。



1768 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:22
>1755
こう言う文書を読むと「あなた、あたま、だいじょうぶ??」
と言いたくなるのは私だけでしょうか。
演技性人格障害とか、ヒステリー症候とか、そんな言葉があり
ましたよね。

1、「AとBの能力は雲泥の差だね」
2、「そうですね。月とすっぽんですね。」
3、「おまえ、言葉をすりかえていいのか。嘘つき。」
4、「そういうのを、恐ろしいカルトって言うんだ。」
この3,4行を言いつづけるあなたは、やはりどこ
>かおかしいでしょう。とくに頭が。


「言葉のすり替え」がうまくいかなかったので、今度は
「話の内容そのもののすり替え」ですか…。
こちらの質問にまともに返答できないからってそういう姑息な手に訴えるかなあ。

まったく阿含宗は日本のカルト教団の生みの親だよ!

何しろ20年以上前に「変身の原理」とかで超能力とかなんとか、
今のオウムの先鞭つけたんだもんなあ。

ちなみにありもしない霊魂が見える、というのは、
心理学的に
「投射機制」とか「投影」といいます。
このような方はほとんどがパラノイアですから、
阿含宗のかたはほとんどがパラノイアの傾向があるようです。


1769 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:25
>1755さん
言いたい人には、言わせておきましょう。


1770 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:30
>1755さん
「馬主は馬を水場まで連れて行く事は出来るが、
 馬に水を飲ます事は出来ない」

向上心が無く、その境地で満足している人には
何を言ったって無駄です。
放っておいて、言わせておいてあげましょう。


1771 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:36
>1759
>そういう業の集合体、影響力の組合せ体のうち、特に悪い影響力を
阿含宗では、「霊障(霊的障害)」と呼び習わしております。
そして特に悪い影響力の組合せ体のことを「不成仏霊」と
呼び習わしております。
>ありがとうございました。

人の説明を横取りして、それは自分たちのものであるか…、
まったく阿含宗というのは桐山猊下の体質そのものだね!!

ちなみにハエたたきさんが仰っている「業の集合体」は、
「その原理からして、絶対に見たり感じたりは出来ない」ものです。
なぜなら「見ることのできるもの」はすべて仏教では「色」と定義付けられており、
アーラヤ識はそのような「見ることの出来る対象」のことではないからです。

ということで「それを見た、感じた」と主張なさる阿含宗の方は
単にパラノイアなのでしょう(笑)。


1772 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:43

>1755さん
ね!(笑)


1773 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 19:45
>1770さん

>1755さん
「馬主は馬を水場まで連れて行く事は出来るが、
 馬に水を飲ます事は出来ない」

向上心が無く、その境地で満足している人には
何を言ったって無駄です。
>放っておいて、言わせておいてあげましょう。

そうそう、1755のことなんて放っておいてあげましょう(猛爆)。


1774 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 20:08
>1773さん
あら?1770さんの話は理解できるようですね。
あなた流にいうと、これも「話の内容そのもののすり替え」
ですよ。
おかしいなあ?


1775 名前: 1669 投稿日: 2000/07/07(金) 20:46
ずいぶん古い話になったが、1685さんよ、1666で
>幼い頃の夢は無残にも崩れ落ちてしまうわけです。ウソの血脈だってわかるから
と書いたのに、1685では
>>彼は寺に代々伝わる血脈図、まあひらたく言えば寺の住職の
>家系図ですね

>と言っているでしょ?誰も釈迦や摩訶迦葉と血の繋がりがあると
>思っている坊さんなんていないっての!
嘘の血脈にショックを受けたというのは誰のことだ。
わけのわからんことを書くな。
大体このスレッドは阿含宗を批判しているのか、批判しているものも批判、もしくはちゃかしているのかわからん。自分の立場をちゃんと言え。
とか
>誰も釈迦や摩訶迦葉と血の繋がりがあると
 思っている坊さんなんていないっての!
とはどういう意味だ。



1776 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/07(金) 20:54
森章司「国語のなかの仏教語辞典」の霊魂の項に
「仏陀は霊魂の真偽について、無我説の立場から霊魂の存在を説くことを避けた。しかし輪廻転生説がとり入れられると、輪廻する主体として補特伽羅のような霊魂的なものが考えられるようになり、大乗仏教になると、阿頼耶識や仏性を輪廻の主体とする説があらわれた」
とある。なんにせよ、「阿含経」で釈尊が説かれたように霊魂については語らないのが一番。霊魂を取り入れて話し出すと、論争はするは、訳が分からなくなるはで、仏教徒としては釈尊のいましめに従いましょう。


1777 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 20:57
>1711 さん
>と本ねえ!?あきれてしまいますね。

桐山さんもやっとトンデモ本の仲間入りですか。
正しい分類ですね。
取り上げてもらえただけでもいいじゃないですか。
あれだけの絵空事の本を書いて、信者以外、
だれも見向きもしないのでは、かわいそうです。
お年寄りはたいせつにしましょう。


1778 名前: 1775 投稿日: 2000/07/07(金) 20:58
つい興奮して余分がついてしまった、ごめん
>とか
 >誰も釈迦や摩訶迦葉と血の繋がりがあると
  思っている坊さんなんていないっての!
  とはどういう意味だ。


1779 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 21:01
>1771さん、
仏教では事物を認識するルートを「六処」であると教えていると
思うのですが。


1780 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 21:09
>1771さん、
五蘊の「色」と六処に関係する「色」をお間違えではないですか。
五蘊の「色」にしても六処に関係する「色」にしても、事物の存在
と認識を語る場面にどうして「色」がでてくるのが不思議です。




1781 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 21:11
>1775のよーちえんのおばさんよ
結果論なら何でも言える。明日どうなるか言ってくれ。人の不幸に対して、そんなことは私は昔から分かっていた、などと言うような人間の無神経さには腹が立つ。
>1772も同類
 >↑
 >1755さん
 >ね!(笑)
1771さんの言うことが理解できない低能か、都合の悪いことは人をからかえばいいと思っている馬鹿か、どっちだ。
六識とマナ識とアラヤ識との関係を勉強してから出直せ。


1782 名前: 1772 投稿日: 2000/07/07(金) 21:18
なるほど、私は六識とマナ識とアラヤ識との関係を勉強しましょう。
1771さんの言うことを、なるほどと頷くあなたは、
もっと阿含経を読みましょう。


1783 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 21:32
霊障が人間の潜在意識とか超潜在意識に影響を与えるんではないよね。
むしろその逆、潜在意識とか深層意識に傷があるから、毒があるから、
霊障と言われる現象をひきおこしてしまうと。

要するに、霊体があるから潜在意識や超潜在意識に影響を受けるという
わけではない。「幽霊や霊体があるから」うんぬんって言うのは、それはもう
仏教の立場からは大嘘ですね。理論から言うと、この粗雑な世界というものは、
ここにある粗雑な肉体と、それから微細な肉体と、それからもう一つ原因体
といって情報だけの体と、三つを持っていると。で、その微細な肉体というのは、
イメージでできあがっています。ですから、例えばあなたをだれかが恨んでいる
としたら、それは微細な肉体に影響を与えます。
そうすると、微細な肉体というのは潜在意識と深い関係がありますので、当然
そこに傷ができるわけですね。もともと人類のためにと言っている人は、霊障
の話はしません。だいたい自分のことだけを考えている人が、「あー、霊だ。
霊につかれた」と言っております、これは。


1784 名前: 浄土バカ一代(笑) 投稿日: 2000/07/07(金) 21:35
>1775
ウ―ン、あなたの疑問はわたしが提示した書籍をよく調べれば
わかるはずですが・・・ハッキリ言ってウザイっす!(素敵な笑顔)

> 嘘の血脈にショックを受けたというのは誰のことだ。

そんなに何度も実名を挙げるほどあちきは非常識な野郎じゃあありまッしぇん!

>誰も釈迦や摩訶迦葉と血の繋がりがあると
 思っている坊さんなんていないっての!
とはどういう意味だ。

読んで字の如くです、ハイ・・・。

> 大体このスレッドは阿含宗を批判しているのか、批判している
ものも批判、もしくはちゃかしているのかわからん。自分の立場を
ちゃんと言え。

わたしはただのヒマな宗教ウォッチャ―でゲス。(ガハハ・ガハハ)

要するに禅の法脈(血脈)なるものの真偽が学者の研究により
かなりの部分解明されてきた、というおハナシ。それはそれで
いいんじゃないですか、釈迦と関係あろうがなかろうが
本人が良ければ、好きにやらせとけばいい。(爆笑)



1785 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/07(金) 21:54
>1762 さん
>廣済堂の伊達相平さんの書物が一冊にまとまっていま
>すので読んでみてください。

読みました。
あれがどう「巨大な構想」「歴史で裏打ち」なのですか。
巨大な妄想、思いこみの歴史ではありますね。
桐山さんの妄想を、伊達さんがお色直ししただけです。

桐山さんの本のほうがはるかにわかりやすい。
せっかくの桐山さんのわかりやすい内容を、
伊達さんは難しい言葉や概念を乱用して、
権威付けや「歴史で裏打ち」なんかしたから、
信者も読まなくなり、絶版になるのは当然です。

こういう本を薦めるということは、
1762さんも伊達さんの難しい言葉に酔ってしまい、
意味はわからないが、感激してしまったのでしょう。
理解はできないが、「巨大な構想」に見えたわけだ。

信者なら、伊達さんの本ではなく、管長の本を薦めなさいよ。
それが師匠に対する礼儀というものだ。
桐山さん、泣くよ。
あの人、本を書くのが生きがいなのだから。


1786 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 22:14
>1776さん
>「国語のなかの仏教語辞典」

をこんなところに持ってきても仕方がないとおもう。そんな
レベルを超えた話をしているのだから。活字すなわち真実で
もありますまいに。


1787 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 22:19
>1785さん

読みましたというのはすごい早読みですね。
読んでましたではないですか?
一冊にまとまっているのは、伊達さんの本
だけです。伊達さんがどんなかたか存じ上
げておりますので、信用しても良いと思っ
ています。


1788 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/07(金) 23:15
私が書き込みすると、必ずネチネチネチネチ文句並べる人が
いるけど、懲りずに来ました。自分が女でもないのに「着飾ることが
一番大事」とか、わけわかんない理想を押し付ける人のことなんて
気にするだけ無駄。
相変わらず難しい議論に花開かせてますね。
>1752さん
「予知能力がある」とは凄いですな。そう言い切れるってことはたぶん、過去に
これから起こりえる様々な出来事を言い当てた経験があるわけですか?
ことの真偽は確かめようがないけど、婚約破棄になって精神的にひどくまいっている
彼女に対してのあなたの言動は「脅し」そのものではないですか。
今まで詐欺で逮捕されてきた怪しい「教祖」さん達が好んで使った手ですよ。
「私が信じるものをあなたも信じなさい。でないと絶対駄目になる。」なんていう
言葉を吐くより先に、なぜもっとやさしくいたわってあげられないんでしょう。




1789 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 23:20
祈りは天地を動かす
モンゴルの奇蹟 坂田芳男編著 平河出版社
序文より
 今回の訪問のハイライトは、いうまでもなくウランバートルの
ガンダン寺で行われた護摩修法だった。私はこの修法をすでに日
本で見ており、モンゴルでの修法が何か特別なものを与えてくれ
るとは思っていなかった。それでも. . . . .
 当日は寒く、空は厚い雲に覆われはじめていた。巨大な観音菩薩
像が立つ寺院の前で点火。護摩の火は私が京都でみたものよりは
かなり小さい。モンゴルの僧侶が火の周りに座り、その後ろにモ
ンゴルの人々が立っている。導入の歌が歌われ、その後桐山靖雄猊下
が、厳かに修法を始められた。(略)
 そして、私も自分の目で見たのでなければたぶん信じないだろ
うが、雨が降りだしたのである。
 ふつう、雨はなんら奇蹟的なものではない。しかしモンゴルは
何カ月にもわたって大旱魃に見舞われ、大きな火災が猛威をふる
っていた。しかもその日から数日間、雨は断続的に降りつづき、
大火を消してしまったのである。それは奇蹟であった。しかしそ
の奇蹟を起こしたのは仏教の慈悲、一切衆生を利したいという願
い、阿含宗の慈悲、そして桐山靖雄猊下の慈悲であった。
慈悲とは奇蹟なのだろうか。(略)

ヨーロッパの大学教授のコメントでした。お名前などは
本を見てください。



1790 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 23:28
>1788
みかりんさん、こんばんは。わたしと彼女は、愛し合い
信頼しあっているのです。わたしは阿含宗、彼女はプロ
テスタントですが、本当に姉妹以上に仲がよいのです。
だから何でも言えるし、彼女もなんでも相談してくれる
のです。わたしが彼女をどんなに大切に思っているか、
表現できないくらいです。彼女は愛犬のほうがわたしより
大切みたいですが。(笑)おやすみなさい。


1791 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 23:36
>1788
みかりんさん。ついでですが、きかざることが一番だいじ、
ではなく、夫が妻を大切にする五つの徳目というのがあって、
そのひとつが、分に応じて身を飾るものを与える。だったと
おもいます。
妻の徳目というのもあって、
1)仕事を善く処理し、
2)眷属(身内)をよく待遇し、
3)道をふみはずすことなく、
4)集めた財を保護し、
5)為すべきすべての事柄について巧妙にしてかつ勤勉である。
ととんでもないことがかいてあります。


1792 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/07(金) 23:39
>1788
夫の信仰につきあえとは書いてませんから、
好きにしたら善いのですよ。
うちは夫婦とも阿含宗ですが。


1793 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 01:08
>1780さん、
五蘊の「色」と六処に関係する「色」をお間違えではないですか。
五蘊の「色」にしても六処に関係する「色」にしても、事物の存在
>と認識を語る場面にどうして「色」がでてくるのが不思議です。


これが不思議だとするとキミは本当に何も分かっていないということだ。

これだから阿含宗の信者は頭でっかちだというんだよ。

私は何度も言うように学問として仏教を体系立てて学んだ訳ではない。
だからあなたがどんな本でどんな学説を学んでいるかは知らない。
当然学者によって言うことは違うだろう。

だが「色」の本質はズバリ「客体」だ。
あなたが認識出来る対象としての客体は何であれ「色」だよ。
一度そういう視点で般若心経を読みなおしてごらん。

言っておくが、まだまだ私は、キミが気がついていない多くのことに気がついる。
何度も言うように過去ログをよく読むように。


1794 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/08(土) 01:11
>1790―1792
で、予知能力はどうなりました?お友達を救ってあげられそうですか。
異教徒同士で仲が良い、素晴らしいですね。大切に思うからこそ、
自分の言うことに従えってか。


特に1792、過去ログを読んでみてください。私がなぜ困ってるかわかるから。
あ、でも「よーちえん」のお迎えに遅れるとまずいですね。それなら無理には
おすすめしませんわ、奥様。




1795 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 01:29
>1786
>>1776さん
>>「国語のなかの仏教語辞典」

をこんなところに持ってきても仕方がないとおもう。そんな
レベルを超えた話をしているのだから。活字すなわち真実で
>もありますまいに。


そんなレベルを超えた話ってなんだ?
おまえら阿含宗の言ってる話はそのずっと手前のレベルだろうが!

基本的にもぐらたたきさんの言ってることは正しいよ。
1776から再引用する。よく読め!
>なんにせよ、「阿含経」で釈尊が説かれたように
>霊魂については語らないのが一番。
>霊魂を取り入れて話し出すと、論争はするは、
>訳が分からなくなるはで、仏教徒としては釈尊のいましめに従いましょう。

阿含宗は霊魂について語らないどころか霊障がどうこうとか言って
人心を惑わすようなことしかしていないじゃないか!
恥を知れ!!


1796 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 01:47
>1752
>1744さん。
よーちえん、行ってきました。今日は間に合ったのだわ。遅刻常習。
私なんかでも、ある程度の予知能力があります。今日もある女の子
(プロテスタントで自分で家族とは関係なく洗礼を受けた)から
電話がかかっていて「婚約破棄になった、悔しい、悲しい。」という
ものでした。「こうなるのはわかっていたよ。あなたの10年先も
20年先もある程度見当はつくよ。」と言う話をしたのです。
「阿含宗のことでしょう。言わないで、言わないで、もうそれ以上
>言わないでともだえていました。」

ぎゃははは〜!!
大笑い!!
お茶でへそがっじゃなかった、へそでお茶がわかせちゃいます。
もう、ここまでくると何もコメントする気も起きない>阿含宗。
特にそのお友達さんが「言わないで〜」と身もだえているところを想像すると…。
思いっきり、その方の気持ちが分かってしまって!
あー、おかしいヾ(@°▽°@)ノ。
あんまり笑わせないでね。冗談抜きで本気で腹の皮がよじれました。マジです。


1797 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 02:24
幼稚園お迎えの女性会員の書き込みは、はっきり言って
阿含宗の逆宣伝だ。
本人は気の利いたこと書いているつもりなんだろうけど、
一般人を脅迫して新入行に導こうって思われるよ。
こういうやり方で信者を増やしてるって思われたら
同じ阿含宗の会員としては迷惑だ。
猊下や宗務局の職員があなたの書き込み見たら嫌な顔すると思う。
会員としてあんまり恥ずかしい書き込みはやめてくれ。




1798 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 03:04
>1790
わたしが彼女をどんなに大切に思っているか、
表現できないくらいです。彼女は愛犬のほうがわたしより
>大切みたいですが。(笑)おやすみなさい。

本当の姉妹以上に仲がよくって、
どんなに大切に思っているか表現できないくらいのお友達さんから、
その愛犬より大切にされてイナインダ〜。
もう大大大爆笑!!!

1797さん、お気持ち、よーく分かります(笑)。
でもね、まじめな話し、あなただって大同小異ですよ。
このスレッドよく読んでご覧なさい。
桐山さんが教祖にふさわしい人ですか?
このおばさんの方が、まだ正直でからかいがいがあっていいじゃないですか。
恥ずかしい書き込みやめてくれ、っていうからには、
それなりの信者としての阿含宗の見解を示せるんでしょうね?

仏陀は霊魂については無記であったのなら
なんで桐山阿含はそんな霊障うんぬんのバカをやっているのか?

試しに少しはまともなこと書いてごらん。


1799 名前: 1775 投稿日: 2000/07/08(土) 07:26
>浄土バカ一代(笑)
高橋直道(高崎の間違いだろう)が子ども時代の思い込みを笑い話として書いたということはわかった。それでもお前が1666で何を言いたかったのか、やっぱりわからん。もっとわかりやすい上手な文章で書いてくれ。
「季刊仏教」を読んで知識をひけらかしたかったのか。それにしても摩可伽鐘というのは変換ミスにしてもひどいもんだ。


1800 名前: 1781 投稿日: 2000/07/08(土) 07:32
>1779,1780
色は六所でなく六境の一つだろう。色を見るのが眼識、その識が何か(たとえば霊魂)を認識するのが意識。意識しえない深層の心がアラヤ識とマナ識。
意識しえないアラヤ識と意識できる(と阿含宗では言う)霊魂が同一というのは矛盾していないか、と1771さんが言っているのではないか。



1801 名前: 騒動宗他力本願寺淫乱上人(爆) 投稿日: 2000/07/08(土) 09:41
>それでもお前が1666で何を言いたかったのか、やっぱりわからん。
もっとわかりやすい上手な文章で書いてくれ。

はああ・・・。

貴方も相当思いこみの激しいかたのようですね(笑)

わたしがとやかく言うよりもご自分で納得いくまで調べられたほうが
いいんじゃないでせうか?釈迦―摩訶迦葉―達磨の系譜あたりを。

じゃ―ね―バイビ―!



1802 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 10:33
>1793
>だが「色」の本質はズバリ「客体」だ。
>あなたが認識出来る対象としての客体は何であれ「色」だよ。

あなたには、奥さんか子供さんはいますね。その人達は五蘊
(色、受、想、行、識)で成り立っています。あなたは、
奥さんや子供さんの「色」のみを認識してつきあっているの
ですか?彼女、彼らは、こころの無い「動くお人形」ですか。
人間のハード部分のみを「色」というのです。
五蘊は「眼、耳、鼻、舌、身、意」の六処のルートで認識
されるのです。「色」の本質は「客体」ではありません。
ですから、上記引用部はかなりおかしいですね。




1803 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 10:35
>1786
>1674の水野弘元の説明より森章司「国語のなかの仏教語辞典」の方がわかりやすいと思って紹介した。わかりやすいからレベルが低いということなのか。



1804 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 10:35
>1794みかりんさん、
今日はよーちえんお休みです。夕方から盆踊りがあります。
カトリックの幼稚園なのに盆踊りがあるのです。おもしろいね。


1805 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/08(土) 10:42
>1804
>カトリックの幼稚園なのに盆踊りがあるのです。おもしろいね。

インチキ水子供養の専門家がインチキ・バチカン話を自慢するご時世ですから・・・。



1806 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 10:45
他のスレッドに書いたものだが、阿含宗の人も読んでくれ。
 昔の人は、死んだら霊になる、霊は祟ったり迷ったりして、生者に災いをもたらす、と信じていた。だからよくないことがあると、それは霊のせいだと考えた。
 そこで霊を神としてまつり、慰め鎮めようとしたり、霊よりも強力なものとして仏を求めた。しかし今度は神や仏を恐れるのだから同じことだ。
 現代に生きる我々もそうした霊に対する恐れが血となり肉となっており、「よくないこと→霊魂のせい」という刷り込みがなされている。もっともその刷り込みは強い人と弱い人がいる。刷り込みの強い人は何でもないことでも霊のせいにしては一喜一憂するが、弱い人は気にしない。これは理屈ではないから、いくら霊魂のせいではないと説明しても納得はしない。霊障のあるなしを話し合っても水掛け論に終わることだろう。
 私は霊の障りや祟りなど気にしない方が楽に生きていけると思う。楽と言っても、よくないことを霊など他者のせいにせず、自らの責任で引き受けることになるわけだから、しんどいことではある。それを共に背負ってくれるのが仏ではないか。
 宗教は本当の安心を与えるものだ。霊の恐さを説き、「よくないこと→霊魂のせい」という刷り込みを強める宗教では、不安がつきまとう一時的な安心しかえられない。

付け加えると、柳田国男、折口信夫、五来重の本を読めば、日本人の霊魂観については何となくつかめる。新興宗教の霊魂観は別に目新しいものではないことがよく分かる。折口の本から引用してもいいが、レベルが低いとか、折口も霊魂を信じていたとか言われそうだな。


1807 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 10:45
>1798さん、
表現の深い意味がお分かりにならない方ですね。
孤独な女性にとって愛犬は「命より大事」なのですよ。
彼女がそんなに深い孤独に沈んでいることも表現して
いるつもりなのですが。わかんないだろーな。
いまもうちに来ています。寝ています。彼女は自宅では
眠れないのです。
「いわないで、いわないで、もーいわないで」は笑い転げ
ながら言っているのです。自宅では暗い悲しみに沈ん
でいるのですが、私の家では明るくできるのです。
仏様の光が当たっていますから。


1808 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 11:20
>1800さん
私も良く知らないのですが、般若心経に
無 眼、耳、鼻、舌、身、意、
無 色、声、香、味、触、法
無 眼界、乃至、無 意識界
無 無明 やく 無 無明尽 乃至 無 老死(漢字不備)
と言うのがありますね。
これは「空の中での」無明から老死にいたる十二の因縁に関する
表現だと思うのですが、この「眼、耳、鼻、舌、身、意」
「色、声、香、味、触、法」「眼界、乃至、意識界」が
六処、六入、六境?だとおもうのです。目で見えるものだけが
色とおっしゃったので、六入と混同されたのではと思われた
のではないでしょうか。

どちらにせよ、認識される対象は「色」のみと書かれたのが
ボタンの掛け間違いですね。認識される対象は「五蘊」で、
身破れてのちは、阿含宗で言えば「異陰」。身破れてのちです
から、色(五蘊の)はないですよね。


1809 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 11:22
>1797さん
>新入行
だなんて。やっぱり元会員さんですか?


1810 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 11:37
>1806 さん
モンゴルの奇蹟の引用に
>そして、私も自分の目で見たのでなければたぶん信じないだろ
>うが、雨が降りだしたのである。
という一節がありましたね。
私もそうです。霊に関しては「自分の目でみたので信じている」と
いうしかないのです。解脱供養も最初は信じていなかったと思います。
ああ言う形の寄付、喜捨だと思っていました。
もっと奇蹟的なことも見ていますが、ここには書けないのです。
もぐらさんは、せっかく阿含宗にご縁があったのに「自分の目で見る」
ところまで行けなかったのですね。
 


1811 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/08(土) 11:40
>1804,1807
幼稚園が休みとか愛犬がどうとか、そんなことは
いちいち聞かせてくれなくたっていいんですよ。
あなたは私の投げかけた疑問に一切答えてないでしょう。別に1798さんの
味方するわけじゃないけど、>表現の深い意味がお分りにならない方ですね。
って、お高くとまってる場合なの?茶化すような言い方されてむかついてる
んだろうけど、どんどん墓穴掘ってますよ、あなた。もう一度自分が1752に書いた
内容を読み返してみてよ。どれだけ傲慢なこと言ってるか気付くかも。
1797さんのような反応が返ってくるのは、ごく自然だと思う。


1812 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 11:52
> 1754 さん

> (質問が難しすぎて)引退されたのかと思いました。

正直言って難しすぎます。

阿含宗の方たちは、
単に「霊魂」という自分たちが大好きな言葉が使われていたので、
水野先生の「霊魂について」という文章を引用されたのでしょうが、
この文章を正確に理解すれば、
仏教をほぼ理解したといえるような内容を一言にまとめてあるとわたしには思えます。
だから、私のようなボンクラにわかりやすく簡単に説明するなんてできるような代物ではありません。
可能ならば、私が、水野先生の講義を拝聴したいくらいです。

きちんと説明するのが困難だから、発言するのを止めようかと思いました。
でも、なんとなくでも理解できれば、とても水子供養や先祖霊、悪霊や怨霊・・・といった霊魂が、
私の心を離れた外界に存在し、
それを私が供養するなんてことはとても恥ずかしくて言い出せなくなる内容の文章なので、
私の不十分な説明でも、少しでも正しい「霊魂」理解に役立って欲しいと思って書き込ませてもらいました。


1813 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 11:53
> 1759

1771 さんのご指摘通りです。
> 「その原理からして、絶対に見たり感じたりは出来ない」ものです。

「業の集合体、影響力の組合せ体」は、深層心理としての現象・存在であり、
それは理論的な分析において存在が証明されているもので、
決して私たちがその存在を認知・認識できる現象ではありません。


1814 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 11:54
> 1783

> もともと人類のためにと言っている人は、霊障の話はしません。
> だいたい自分のことだけを考えている人が、
> 「あー、霊だ。 霊につかれた」と言っております

私もそう思います。

六道輪廻の世界は、
私たちの認識のゆがみがつくり出した自我本位の閉ざされた世界でしょう。
閉ざされているから、自我中心的になり、
お互い自我中心的な者同士が対立し、傷つけあっています。
そして、自分が他人を妬み、恨み、うらやむ心を持っているから、
死後も他人が恨み、妬み、うらやむ心で自分を見つめていると決めつけ、
悪霊、怨霊に恐れおののくのでしょう。

そもそも、自我なるものは存在しない、
というのが仏教の無我説であるにもかかわらず、
自我を立てるから、
そこに輪廻の閉ざされた世界そのものも成立するのでしょう。

自我を立てないで、無我をさとれば、もはや輪廻は存在せず(解脱)、
涅槃に至るというのが仏教の教え(もちろん阿含経も)でしょう。


時々、“死んだらゴミになるだけ”とニヒルに考えて輪廻転生を否定する人がいます。
私も、死に対する思い切りとしては、とても大好きな考え方です。
しかし、それではあまりに無責任です。
“心と身体が合わさった一つの現象・存在”としての私はゴミになるだけですが、
私の行為・経験の影響は伝達されていくのでしょう。
私が残していく影響に対する責任は感じるべきなのではないでしょうか。


1815 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 11:54
自己(人)や外界の事物(法)には、永遠に不滅で、自己同一・常一な、主体はありません。
自己と外界の事物とは、自己の心がつくり出したものであり、それらは、自己の心を離れて存在するものではありません。

阿含宗の方々は、
「現に水子霊・先祖霊を見たり、怨霊・悪霊を感じたり、
それを見たり感じたりする自己の霊の存在を意識するではないか」
と主張されますよね。

たしかにあなたたちの目や頭の中では、
水子霊・先祖霊もあり、怨霊・悪霊もあり、自己の霊もあるのでしょう。
しかし、それらのすべてはあなたの心的活動内の現象にすぎないのです。

ちょっと理解しづらいことですが、
他人の霊魂が外界にあって、あなたの心がそれを見るのではなく、
あなたの心が、
一つは、水子霊の姿を帯びた部分(客観としての心)と、
もう一つは、それを見る部分(主観としてに心)とに二分化し、
その二つの対立の上に水子霊を見るという現象が起こるのです。

我々が認識するあらゆる現象(精神的・物理的現象)は、我々の精神活動(識)だけが存在するのです。
念を押しますが、私の精神活動だけが存在するのです。

ですから、水子霊が見えたら、
それはあなたの深層心理の中の水子霊を見る種が、
縁によってあなたの表層真理に飛び出し、
あなたは水子の霊を見たという経験をし、
水子の霊を見たという経験の影響が、
次の経験への種として深層心理に貯えられるのです。

水子霊は、あなたを離れた外界に存在するのではなく、
まさしくあなたの心の中にあるのです。
あなたが外界の水子霊を供養して、除霊しようとしても、全く効果がないばかりか、
逆に水子の霊を見るという経験値を心の中に蓄積させて、
よりいっそう水子の霊を見るようになり、恐怖心が高まっていき、
ますます激しく阿含宗に励むというシステムにはまってしまうのです。

水子の霊が見えたら、水子の霊が見える私の心が迷っているのです。
私の心を洗濯せねばなりません。


1816 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 12:10
>1815

誤:表層真理
正:表層心理

です。


1817 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 13:28
>1811みかりんさん、今日は。
私は文中に「大大大爆笑!!!」とか書いてあると、もうその内容
は読まないのです。まじめに書いているわけがありませんものね。
マウスに車がついていて、くるくると回すとそこを通りすぎるのです。
みかりんさんのコメントでも「感情的になっているな」と思うと読み
ません。私は楽しく暮らしたいですから。

>私がなぜ困ってるかわかる
過去ログをざっとしか読んでないのですが、結局、みかりんさんは、
ご主人が阿含宗に支払ったお金のことで怒っているのかなと思いま
した。如来の別名が、応供、福田。供養に応じてくださって、福を
返していただける。私は阿含宗への供養は如来様への供養であって、
10倍100倍になって帰ってくると思っているから、まったく惜し
くないのです。
みかりんさんだって、ご主人が阿含宗でなかったら、飲むや、遊ぶや、
浮気するやで、こんな静かな?生活はできないかもしれないじゃない
ですか。柏原聖地のお金をぽんと払えるなんて、本当に豊かですよ。

「10倍100倍になって返ってくるから供養するのかと」どなたかに
責められそうなので、先に返事をしておきます。
「そうです。返ってくるからです」
今後も、感情的になっておられるなと思うと、読まないかもしれません。
そのときは、ごめんなさいね。




1818 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 13:56
>1814、1815はえたたきさん
本当にこの当たりのお話はむつかしくて「ついていってない」
のですが。

>そもそも、自我なるものは存在しない、
>というのが仏教の無我説であるにもかかわらず、
>自我を立てるから、
>そこに輪廻の閉ざされた世界そのものも成立するのでしょう。

やはり、無明を覚り涅槃を得た場合のお話と、無明に覆われた
私たちの存在を混同していると思ってしまうのです。
無明に覆われた私たちの自我は「存在する」のだと思っています。
「空の中には」「涅槃の中では」「無我」なのだと思います。

阿含宗で良くある話で「病気」が影かというものがあります。
ガンで苦しんでいる人がいる。腹部に大きな腫瘍ができて、痛みと
恐怖でおののいている。これだって、無明から発しているので
すね。現に「影だ」と教える宗派もあるそうです。しかし無明に
覆われている我々にとっては実在する現実なのです。無明と言う
のは心の持ち方というような生易しいものではないですよね。
超高層から下界を見る。その恐怖は筆舌に尽くしがたい。無明を
断った覚者(ブッダ)はその恐怖からは自由なのですね。生死を
乗り越えると言うことは、そんなに大変なことなのです。超高層
から下界を覗いて「無我なり」「空なり」と獅子吼できれば、
仏教は無我論だといえますが。あくまで「空の中には」「涅槃を
得れば」の前提があっての「無我」だと思います。

また、後半の霊魂についてのコメントですが、霊魂を「宇宙」
なとどいう言葉に置き換えても、この文章は成り立ってしまい
ますよね。現実を確かに認識できないヒト類にとって、すべて
の事象が「こころのなかの投影」だと言われたら、その気にな
ってしまうことも確かです。




1819 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 14:39
>1818さん
般若心経

是故空中。無色。無受想行識。(←五蘊)
無眼耳鼻舌身意。 無色声香味触法。
無眼界。乃至無意識界。
無無明。亦無無明尽。乃至無老死。
亦無老死尽。
(←六処、無明、老死、=無明から始まり六処、老死に終わる十二因縁
=私たちの存在の有り方を示している。十二のうち九つは省略されている)

空の中には、私達の五蘊も十二の連鎖もそれが尽きることもない。
空の中では、無我なのですね。

「是故空中」「是故空中」。
「是故空中」を忘れたり、普通人が「空を得ている」と思い込んで
いるのが今までの日本仏教です。


1820 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 14:45
↑訂正
>空の中には、私達の五蘊も十二の連鎖もそれが尽きることもない。

空の中には、私達の五蘊も十二の連鎖もない。
それが尽きることもない。

のまちがいでした。





1821 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 15:20
1787さん
>伊達さんがどんなかたか存じ上
>げておりますので、信用しても良いと思っ
>ています。

その世界の有名人と知り合いであることを、
勲章にしたがる人が世の中にはいるものです。
これがあなたの言う「高貴な世界」「光の世界」で、
認めない連中は「闇の中にうごめいている人」なのですね。
阿含宗の言う心解脱とはこんな程度ですか。
いくら匿名でも、読んでいるほうが恥ずかしくなる。

猊下万歳本を二冊も書き、
『ダルマチャクラ』に十年も連載している伊達さんは、
阿含宗にとっては信用できる人でしょうね。
だったら、絶版にならないように、彼の本を買ってあげたらどうですか。

それよりも、二冊目からもう十年たつのだから、
モンゴルの奇跡を見てきたように「巨大な構想」で新しい
「歴史の裏付け」本を書くように「信用のできる人」に助言してあげなさい。
この10年の高額の勲章など、「巨大な構想」はたくさんあります。
伊達さんを、トンデモ本のためにトンデモ本を書いた人として、
と学会の山本会長が取り上げてくれるかもしれない。


1822 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 15:28
>1789
>祈りは天地を動かす
>モンゴルの奇蹟 坂田芳男編著 平河出版社

欧州の大学教授の書き方は、簡単に言えば、
「桐山さんが修法したら、曇り空だったのが、土砂降りの雨になった」
ということです。
阿含宗側の代表的な見解です。

護摩が焚かれる前日の1996年6月4日の
ウランバートル市内での天気はどうだったのか、
あの時、モンゴルに行った信者なら知っているでしょう。
前日の天気をスレッドの読者のために教えてください。


1823 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 15:54
>1802さん

>>1793
>だが「色」の本質はズバリ「客体」だ。
>>あなたが認識出来る対象としての客体は何であれ「色」だよ。

>あなたには、奥さんか子供さんはいますね。その人達は五蘊
(色、受、想、行、識)で成り立っています。あなたは、
奥さんや子供さんの「色」のみを認識してつきあっているの
ですか?彼女、彼らは、こころの無い「動くお人形」ですか。
人間のハード部分のみを「色」というのです。
五蘊は「眼、耳、鼻、舌、身、意」の六処のルートで認識
されるのです。「色」の本質は「客体」ではありません。
>ですから、上記引用部はかなりおかしいですね。

やれやれ、かなりおかしいのが自分の方だ、
ということにまだ気がつかないみたいだね。
キミはここに仏教の講義を聞きにきているのか?

いくら阿含宗が本当のことを教えていないからって
ちょっとこれはひどすぎないか?

人間の「身体」も「その中にある思考」も
認識できる「客体」でしょーが。
もちろん「身体または肉体」を認識するのは誰にでもできるが、
「思考」を客体として観照(認識)するのにはそれなりの深い瞑想が必要だけどね。
だから気がつけない人はいつまでたっても気がつけないんだろうな。


>1808
>六処、六入、六境?だとおもうのです。目で見えるものだけが
色とおっしゃったので、六入と混同されたのではと思われた
のではないでしょうか。
どちらにせよ、認識される対象は「色」のみと書かれたのが
ボタンの掛け間違いですね。認識される対象は「五蘊」で、
身破れてのちは、阿含宗で言えば「異陰」。身破れてのちです
>から、色(五蘊の)はないですよね。

だ・か・らぁ〜、目に見えるものだけが「色」なんて言ってないだろう?
どうやったらそこまで独善的な解釈ができるんだ?

はっきり言って、キミたちの間違いくらいはいくらでも指摘できるし、
私自身の理解についても説明できるが、
たびたびいろんな方々からご指摘いただいているように、
ここは阿含宗(のついているウソ)を批判するスレッドだ。
今まではキミたちが、どんなに仏教というものをねじ曲げて解釈しているか、
ということをアピールするために返答してきたが、
キミたちの理解があまりに初歩的で(自分では高度な議論してるつもりのようだが)、
いつも私が講義してあげてるみたいにしかならないみたいだからここら辺でやめておく。

それにしてもこんな初歩的なところでつまずくなよ>阿含宗。


1824 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 16:18
>1818
>無明に覆われた私たちの自我は「存在する」のだと思っています。
>「空の中には」「涅槃の中では」「無我」なのだと思います。

私たちの自我は「存在する」、と思っているのは誰だ?
無明のキミだろう?
そういう前提を自分で作っていったら、
どこまでいっても無明から抜け出せないだろーが。

>仏教は無我論だといえますが。あくまで「空の中には」「涅槃を
>得れば」の前提があっての「無我」だと思います

根本的に涅槃は「得る」ものじゃない。
それに、あなたがそれを得ようが得まいが「空」は存在のありようそのものだ。
以前に農夫と毒蛇の例えを出したと思うが、

涅槃を得たとたんに、
それまで毒蛇だったものがいきなりロープに変身したんだろうか?

もともとロープしかなかったんだよ。
これを理解できるかどうかが、その後のキミたちの言う
修行やらなんやらの本当の意味を理解できるかにかかってくる。

あっ、また阿含宗徒のアホさ加減にあきれて
一言書いてしまった(笑)。もう書きません。


1825 名前: 1800 投稿日: 2000/07/08(土) 16:55
>1808
般若心経は読んだことがないので知らないが、中村元「仏教語大辞典」には
六処は「六入に同じ」とあり
六入は「六境を意味し」とあるから、六処=六入=六境ということだ。
六界とは「六根、または六入、または六識をいう」とある。
六根は「六つの感覚器官、眼、耳、鼻、舌、身、意のこと」とある。
六境は「六根の六種類の対象。色、声、香、味、触、法」とある。これが六根によって感覚され六識で認識される。
六境に対してはたらくのが六識、つまり眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識だ。
あなたはこれらの言葉の意味の理解において混乱が見られる。阿含宗以外の人が書いた一般的な仏教の本で勉強されたらどうか。
異陰という言葉は望月の辞典を調べても出てこない。だから知らない。
五蘊とは色は身であり、あとの四つは心である。身心ということである。五蘊のうちの色つまり身体が滅したあと、他の受(感覚)想(表象)行(意志)識(認識)が残り、その残ったもの(おそらく異隠=霊魂ということか)を生きている人間が認識できると言いたいのだろう。
そんなこと桐山以外のどんな仏教の本に書いてあるか。身と心を別々に考える二元論の立場を仏教はとらないのだから、死後心だけが残るということは仏教では説かない。


1826 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 17:37
>1824さん
>人間の「身体」も「その中にある思考」も
>認識できる「客体」でしょーが。

人間=五蘊
人間の「身体」=色
「その中にある思考」=受、想、行、識
ではないのですか?

色=客体 とお書きになっていたような気が。


1827 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 17:50
>1825さん、詳しいご説明ありがとうございました。
もう一方と違って、筋が通っていますのでよくわかりました。

私は日本の大乗仏教には興味が持てなくて、はなから「こんにゃく
問答」と思い込み勉強していませんので、知識が欠落していて
申し訳ありません。せいぜい初期大乗までしか興味がありません。

さて、
>異陰という言葉は望月の辞典を調べても出てこない。だから知らない。
>五蘊とは色は身であり、あとの四つは心である。身心ということである。五蘊のうちの色つまり身体が滅したあと、他の受(感覚)想(表象)行(意志)識(認識)が残り、その残ったもの(おそらく異隠=霊魂ということか)を生きている人間が認識できると言いたいのだろう。
>そんなこと桐山以外のどんな仏教の本に書いてあるか。

これは桐山管長の間脳思考に載っている話ですが、いくつかの
阿含経典が引用されていますので読む価値はあると思います。

>身と心を別々に考える二元論の立場を仏教はとらないのだから、
>死後心だけが残るということは仏教では説かない。

これは一元論も二元論もとらない、無記だと思います。宇宙の
はてと同じテーマで、ホモサピエンスの理解を超えていたとしても
存在しないという問題ではない、ということだと思います。

あげあしとりや、わけのわからない議論がずっと続いていますので
(わたしが悪いのかもしれないのですが)理路整然としたコメント
にほっといたしました。


1828 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 18:08
>1824さん
>涅槃を得たとたんに、
>それまで毒蛇だったものがいきなりロープに変身したんだろうか?

涅槃を得て仏陀になると、ヒトとは別のものになるのです。
ゆいぶつよぶつないのうくじん、しょほうじっそう。と言うでしょう。
諸法実相はヒトには分からないのです。命が空だと頭で思う事と、
本当に覚ることは別なのです。
ですから一般人の抱える問題にたいして「空」だとか「影」だとか
言っても仕方ないのです。一般人にはすべてが「現実問題」なのです。
私にとっては「霊」や「霊障」も現実問題なのです。

仏教を勉強している方、学者、仏教者などを「一般人」でないと
思ったらだめですよ。仏陀以外は一般人であり、その存在や問題
は「現実」なのです。

例えが変わります。あなたが現実に事故で怪我をしたとします。
これは現実問題です。涅槃を得れば空なのです。お釈迦さまだって
怪我をすれば痛いでしょう。お釈迦さまだって怪我もします、
病気もします。「衆生病む、ゆえに我も病む」。しかし仏陀の病気は
違うのですね。それは「ゆいぶつよぶつないのうくじん」なのです。
涅槃を得た仏のみがわかることなのです。


1829 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 18:12
1880です。
さっきも書きましたが、私は桐山を全く信用していませんので、桐山の本を読めと言われても困ります。
それに、初期大乗までしか興味がない、と言いながら、桐山は密教風ですね。護摩とかなんとか。
>これは一元論も二元論もとらない、無記だと思います。宇宙の
>はてと同じテーマで、ホモサピエンスの理解を超えていたとしても
>存在しないという問題ではない、ということだと思います。
何度も書くが、存在しないとは言わないが、存在するとも言わない。しかし、桐山は霊魂=異隠は存在すると言いたいのだろう。
適当に自分の都合よく解釈しているように感じます。




1830 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 18:27
>1827さん
あるかたが、目で見える色のみが認識の客体である。とお書きに
なったのです。(過去ログを見ていませんので詳しくはログを)
ああ、このかたは、人間存在としての五蘊を忘れ、認識ルート
としての六処を忘れているなと思ったのです。
そこで両者を思い出していただくために、五蘊の色ですか、六処
の色ですかと(ちょっと無茶なことを)書いたのです。
ですから、私が、そのあたりを分かっていないわけではありません。
(大乗仏教用語は知りませんが)。ですから意味の無い文章でわか
にくかったと思います。(意味の無いというより、意地の悪い文章
ですね。)

ついでに、みなさんに、認識ルートの六処が、十二因縁(縁起)の
一連の連鎖にも含まれているということを思い出してほしいのです。
人間存在は、無明から始まり、六処、愛着(変えています)を
頂点とし、老死にいたる、「エネルギーの励起」なのですよ。
励起したエネルギーを「無」だなとと言ってはいけません。→みなさん。
エネルギーの根源がつきてこそ無なのです。この有と無のありかたが
「空」なのですね。1827さんなら分かっていただけるでしょうか。


1831 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 18:35
>1830
私たちの存在は、無始の昔から無限の未来に続く
無明に因を発した、エネルギーの励起なのですね。
生きていても、死んでも続くエネルギーの連続体。
無明とはなんだろう。
「生を得てこの世に生まれれば、なにかいいことありそう」
という気持ちなのでしょうか。そんな低レベルのも
のではないでしょうね。(このコメントはもちろん私見です)



1832 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 18:44
>1829もぐらたたきさん。
心身の一元論、二元論の話(無記)と霊魂の存在論
が混ざっています。霊魂は私は有ると思うし、経典
にも出でくる。あなたは無いと思う。しかし仏国土
などをめぐる霊魂は認める。供養の必要な霊障てきな
霊魂は認めない。
そういう結論が出ています。心身二元論は無記です。
これを否定するとあなたの仏国土もあやしくなります。


1833 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/08(土) 20:34

「刑獄の因縁」 2.偽ビール事件

桐山氏は若い頃、酒税法違反で逮捕され、刑務所に入ったことがあります。
いわゆる「偽ビール事件」です。
この話は、桐山氏を批判する本や記事には必ず取り上げられます
信者たちは、前科の話がでると「また、それか」とあきれ顔をします。
その信者たちも実際に何があったのかを詳しく知っている人はまれです。
たいていは桐山氏の言い分をそのまま繰り返しているだけです。

事件の経過を見て、桐山氏の言い分を聞いてみましょう。
桐山氏もある程度認めている偽ビール事件の経過は、次のような内容です。

桐山氏と仲間たちは合成ビールを醸造した。
仲間がキリンビールの偽ラベルを作り、偽ビールを販売した。
昭和28(1953)年、偽ビールを積んだ車が立ち往生し、犯行が発覚した。
昭和29(1954)年、桐山氏と仲間は裁判にかけられ、桐山氏は1年半、罰金5万円
の実刑を言い渡された。
この年、桐山氏は一時収監され、上告したが、高裁でも有罪となった。
昭和35(1960)年、桐山氏は刑が確定し、約一年間服役し、仮出所の後、半年の保
護観察を経て刑期を終えた。



1834 名前: ザ・モンゴルメッセンジャー 投稿日: 2000/07/08(土) 21:06
「ザ・モンゴルメッセンジャー」1996年6月12日
ウランバートルに仏教指導者
日本式修法の後に降雨
 日本の仏教指導者桐山靖雄師が先週ガンダン寺で雨乞の儀式
挙行。修法終了時に雨が降り始めた。
 4日にわたる先週のモンゴル訪問の間、桐山猊下は、4月初
め以来我が国土全土に猛威を振っている火災を消火すべく降雨
を祈る旨、P.ジャスライ首相に約束。
 桐山猊下は、完成間近の十一面観音像(Megjid Janraisig
観自在菩薩)を前に聖経、jinsreg tsutgakh(護摩供養)を
読誦。
 500人以上を招いて行われた水曜日の晩餐で、モンゴル
文化大臣エンカバヤール氏は、修法後即座に雨が降ったので
驚いたと挨拶。
 「桐山猊下とそのお弟子さんたちの力(パワー)に驚き、
またそのモンゴルを助けたいという熱意に感動しました」と
語った。
 ガンダン寺管長(ヘッド・ラマ)チョイジャムツ師は、
モンゴルのラマ僧達も同様の儀式を以前に行っており、同じ
く雨の祝福があった、と語った。

モンゴルの英字紙です。ナンバーと見出しです。
No.23(257) June 12,1996 THE MONGOL MESSENGER
Buddhist leader in Ulaanbaatar
Rain falls after Japanese ritual


1835 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 21:26
>1832
あなたが霊魂を認めるのは勝手だが、釈尊は霊魂を語るなと言っているのだ。なぜなら無意味な論争に終わるからだ。まさにこのスレッドがそうで、こうした言い合いはこれまでも何度もあっただろう。とにかくこの問題については過去のレスをよく読んでくれ。そして不毛の論議はやめようじゃないか。
それから私ははえたたきではない。霊魂がないとも言っていない。
あなたが誰でもいいが、名無しさんでは他の人と混乱するから、適当な名前を付けてくれ。


1836 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 21:40
>1835さん
霊魂について不毛な議論をしているのは「両者」、主に
元阿含宗や反阿含宗の方ではないですか。
阿含宗徒は機嫌よく、喜んで、解脱供養をしていただいて
いるのです。阿含宗内では霊魂についての議論なんてあり
ません。当たり前ですから。(また@一周年さんに突っ込
まれそう)
霊魂に関する不毛な議論は止めましょうよ。だれにでも見
解の相違はあるのですから。



1837 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/08(土) 21:50
>1835もぐらたたきさん

元阿含宗の方の深層心理に「お金」のことは絡んでないで
しょうか。親戚の者たちが目を三角にして阿含宗を非難
するのです。ところが、ところが、お守りなどをあげて
「お金はいいから」と言うと、みんな、本当に喜んで受
け取るのです。
お金というのは、生きていくための資糧です。究極的に
は生命保持の根源です。
反阿含宗感情に金銭は絡んでないでしょうか。ふと思っ
たことです。


1838 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 22:00
>1832
>心身の一元論、二元論の話(無記)
と言うが、一元論、二元論について無記ではない。
身と心は因縁生である。因縁によって生じ、因縁によって滅する。心と身は不即不離だ。
それと、死後も常住不滅な実体的なものを設定することは、仏教の前提である無我無常を否定することにならないか。


1839 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 22:06
>1836
その通り。阿含宗の方はそれで幸せなのだから、人に迷惑をかけないよう(といってもかけているわけですが)頑張って下さい。しかしお願いですから、仏教の看板だけは下げて下さいね。
>1837
これまたもっとも。人間なんて勝手なものですから。その弱みにつけ込んで金儲けをしようという輩が特に宗教関係に多くて困ったものですよ。御利益信仰と霊信仰を合体させれば、すぐさま新しい宗教の出来上がりです。やはりインチキ宗教で人に迷惑をかけているわけですね


1840 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 23:33
> 1818 さんへ

あなたのおっしゃっていることは、
「学者の世界では、太陽は東から昇って西に沈むのですが、
 一般の世界では、太陽は西から昇って東へ沈むのです。」
と、内容的には同じです。


1841 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 23:48
> 1818 さんへ

まことに失礼なのですが、あなたのレスの内容がほとんど理解できないのです。
もう少し、私のレベルに合わせて説明していただけないでしょうか?

ただ、とても気になるのが
“ヒト類にとって”という言葉です。
この発言の意味することは、
あなたがた阿含宗の方は人間ではないということですか?
阿含信者は、人間を越えた存在=神のような存在なのですか?
もしそうであるならば、
私のこれまでのこのスレッドにおけるすべての発言を撤回します。
仏教は人間存在、人間の心理などについて説かれたものであり、
人間でない存在のことを説いたものではありませんし、
当たり前ですが私も人間ではない存在のことはわかりません。


1842 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/08(土) 23:58
>1828さん

> 涅槃を得て仏陀になると、ヒトとは別のものになるのです。
> ゆいぶつよぶつないのうくじん、しょほうじっそう。と言うでしょう。
> 諸法実相はヒトには分からないのです。

仏教は人に分からないことを説いているんですね?
釈尊の説法は無駄な努力だったんですね?
どうりで難しいはずですよね。
はじめっから私に分からないことを説いているんですから・・・。
とても良いことを教えてもらったような気がする。  (-_-;)


1843 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/08(土) 23:59
桐山は,空海のことを何も知らない。


1844 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/09(日) 00:01
>1828さん

> 涅槃を得て仏陀になると、ヒトとは別のものになるのです。


人と別なものってどんなもの?
教えてください。


1845 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/09(日) 00:12
> 1835“もぐらたたき”さん

> それから私ははえたたきではない。霊魂がないとも言っていない。

なんだか本人の知らないところで私(ハエたたき)が批判されているようですが、
なんでしょうか?

それに、私は単に“霊魂がない”という発言をしたつもりはないのですが?
私の発言の何を指摘されているのでしょうか?


1846 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 00:14
>1838さん
身(色)と心(受、想、行、識)「五蘊」は因縁所生。
心と身は不即不離。←これは無記
それと、死後の異陰(霊魂?)も常住不滅ではなく因縁に依存する。
霊魂を認めなくても、輪廻する生命は、因縁に依る。


1847 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 00:17
>1841
ヒト類と書いたのは、ホモサピエンスのことです。
ヒトでもよかったのですが。生物学的なヒト(類)です。


1848 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 00:19
↑というのは、ホモサピエンスという言葉がここで
頻用されていたので、変えてみたかったのです。


1849 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 00:21
>1842さん、
涅槃はヒト(ホモサピエンス)には分からないのです。
仏陀は「涅槃に至る道は教えた。涅槃については体験せよ」
と語っているのです。


1850 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 00:30
もぐらたたきさんとはえたたきさんが、別人とは
夢にも思わなかったです。お二人とも霊魂は否定
されていないということですね。
涅槃の境涯はヒトにはわからないようですね。
メナンドロスとの対話?に、涅槃を形容したものが
ありますが。よき物の特徴を列挙しています。
定義としては六道輪廻をはなれた境涯でしょうね。

これは何宗でも同じではありませんか?法華経でも「ゆいぶつよぶつ
ないのうくじん、しょほうじっそう;唯仏与仏、、」、
ただ仏と仏のみが諸法実相を知る。諸法実相を知るというのは、覚者
(ブッダ)のことですから。


1851 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 00:31
あほかおまえ


1852 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 00:37
「世俗のアートマンというものを打ち破るために無我を説いたのだ.もしそのように説かなかったとしたら,衆生は
どうして師の教説を信じようか.

“仏陀世尊は無我をお説きになる”と奇特の想いが生じてから,その後数多の理由根拠をもって小乗の教説に導く
のである.そのように導いた後,更に大乗という上の教えに対しての信が生じ大乗に入ったなら,空性の教えなど
を学ばせ,精進し勤めさせる.そしてその後,彼らに“解脱は清涼・常住・有色である”と説くのである.

あるいはまた,世俗の者の中には“解脱は実在する”と言う者もあるが,私は彼らを打ち破るために“解脱は決
して存在しない”と説いたのだ.もし師がそのように断見と似たものを説かなかったとしたら,[衆生は]どうして
師の教説を信じようか.それ故数多の理由根拠をもって,解脱が滅尽であるから無我であると説いたのだ.その後,
解脱が滅尽であるという見解を見て愚か者たちは滅するので,その後で更に私は数多の理由根拠をもって解脱の実
在性を説いたのである。」  『仏説大法鼓経』

この他にも、「大乗涅槃経」「如来蔵経」「不増不減経」等に如来仏性の常住説が説かれています。
仏教では如来・涅槃・法界が不生不滅、常住の存在と考えられています。


1853 名前: >1852 投稿日: 2000/07/09(日) 00:42
その論拠をそのまま仏教学者の前に提示してみなさい。



1854 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 00:53
>1826さん
>>1824さん
>人間の「身体」も「その中にある思考」も
>>認識できる「客体」でしょーが。

>人間=五蘊
人間の「身体」=色
「その中にある思考」=受、想、行、識
ではないのですか?

>色=客体 とお書きになっていたような気が。


…はぁ…
あのね、色=客体とは書いていないでしょ。色の本質は客体と書いたの。

なんで阿含宗の人たちってこんなに読解力ないの?

あんまりキミたちが自信ありげにいうものだから
思わず辞書引いちゃったよ(実は「色」の意味を辞書で引いたのは初めて、苦笑)。
で、やっぱり私の言ってることで間違いない。
辞書の意味によると「色」には狭義の「物質」という意味と
広義の「形あるもの」の意味がある、ということだ。

そうするとまた「思考」は形なきものなのでは?
とかツッこんで来るんだろうな。
だが、私は辞書に書いていない意味についても言及している。
それについては私は学者ではないし仏教関係ではないから
自分自身の理解をもとに書いていると思ってください。
ということで前言を撤回するつもりはありません。


1855 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 01:15
>1817
>みかりんさんのコメントでも「感情的になっているな」と思うと読み
>ません。私は楽しく暮らしたいですから


1856 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 01:18
#1855の続き

>1817
>みかりんさんのコメントでも「感情的になっているな」と思うと読み
>ません。私は楽しく暮らしたいですから


そーやって一生、目をつぶって生きて生きなさい>阿含宗


1857 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/09(日) 02:32
>1817
>「よーちえん」の奥様
またまた肝腎な部分をコメントせずに、自分の言いたいことだけ
書いてますね。ただ都合のいい意見だけしか聞き入れたくないのなら
なぜここに来るのでしょう。
>ご主人が阿含宗でなかったら、・・・・・・・・・・・・・
・・・・・本当に豊かですよ。
いきなりの飛躍で、唖然としました。何を根拠にこんなことを言っているのですか?
「こんな静かな?生活」を送れるのはあくまで阿含宗のおかげ、もし信者でなければ
地獄を見ていた。。。。やはり脅迫がらみなんだね。
ちなみにお墓をキャッシュで購入した件については、ちまちま貯め込んであった
お金を大放出されちゃったって、それだけ。だから今苦しいの。

相手と意見をかわそうとするのなら感情的でもなんでも、一応は
目を通しておくべきだと思います。ここに書き込む以上は、自分にとって
嫌な相手からのレスだって覚悟しなくちゃなりません。
それができないんなら来るだけ時間と労力の無駄でしょう、早くお子さんを
お迎えに行かれたらどーお?

同じ阿含宗信者から批判を浴びても尚、何事もなかったように書き込みが
できるあなたは相当な根性の持ち主ですね。これも日頃功徳を積んでいるから
こそなせるワザですか。



1858 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 03:28
>1828より
>>1824さん
>涅槃を得たとたんに、
>>それまで毒蛇だったものがいきなりロープに変身したんだろうか?

>涅槃を得て仏陀になると、ヒトとは別のものになるのです。
ゆいぶつよぶつないのうくじん、しょほうじっそう。と言うでしょう。
諸法実相はヒトには分からないのです。命が空だと頭で思う事と、
>本当に覚ることは別なのです。

…阿含宗の作り出した仏教誤解のなかで、ある意味ここの部分の誤解が
一番罪が重いかも知れない、と思うので、やっぱりもう少し書いておきます。
と言っても、1828さんみたいな人は1856で指摘したのと同じように
自分に都合の悪いことや気分の悪くなるようなことには
「目をつぶる」癖があるみたいですから何を言っても無駄でしょう。
ということで阿含宗に「成仏法」がない、ということが分かっていても
他で何かそういう類のもの(種としてのヒトを超える、なんて大げさなものじゃなくても)
があるのかも知れない、と思っている人のために書きます。

無明の人にロープが毒蛇のように見え、
仏陀にはその本質(空)が見える。

ここまでは今までさんざん言ってきたし、もういいと思います。
で、そこから先なんですが、
桐山さんにかかると、その理由というのが、
無明の人=ホモ・サピエンス、
仏陀=種としてのヒトを超えた存在(ホモ・エクセレンス?)、
とかいうことになり、
無明の人が仏陀のように物事の本質を見ることができないのは、
そもそも、種としてのヒトにその「能力」がないから、ということになってしまうんです。
ということはつまり、ヒトはヒトのままでは涅槃を得られない、ということで、
涅槃を得るには超人に進化しないといけない、と、こうなる(笑)。

ではヒトのままでは涅槃に至れないのなら、我々凡夫はどうすればいいのか?
…ここで例の「成仏法」が出てくるんですね(苦笑)。

なんでこんなことを書くのかというと、意外にハエたたきさんなんかは、
阿含宗のこういう根本的な危険思想をご存じ無いのかもしれない、と思ったからです。
そりゃあ、そうでしょう。
まじめに仏教を学んでいる人でこんなこと思っている人なんているわけがない(笑)。
ただし、私も瞑想がどうこうなんてちょと怪しげなことを書いていたんで、
読解力のない人には同類に見えているかも知れない。

ということで、別にそう思われてもかまわないんですが、
やっぱりここまで話が進んだ以上
(といってもまだ私が本当に書きたいことの入り口にさえ入っていませんが)
ちょっとだけまじめに書きます(笑)。

桐山さんの説によると、法華経などの大乗仏教には、
この具体的な「ヒトを超人にする」成仏法がないから、
アレは欠陥のある仏典だ、ということらしいです(笑)。
で、阿含経にはそれがあると…。
いや、もう、書くのがばかばかしくなるような奇想天外な説なんですが、
意外とその方法を頭ごなしに信じていなくても、
何らかの法力なり瞑想法なりが、自分の「能力」を磨くのに効果がある
と信じていたり、以前このスレッドに出てきた1350さんみたいに
比較的まともな考えの人でさえ、
「理解」だけでは十分じゃない、みたいなことを言っていたし、
阿含宗に失望して、他で本当の修行方法なりなんなりがあるのかも、
と思い、あげくの果てにオウムに入信した人も多いと聞いていますので、
やっぱり阿含宗ほどおおげさでなくても、
この「無明の人」と「仏陀」の違いを、
そのまま「能力の違い」と思っている人は意外に多いのかも知れません。
…まあ、多少、仏陀(釈迦)が普通の人より優れていたのは間違いないでしょう。
でも、いくら何でも種としてのヒトを超えていた、というのは大げさですし、
「能力の違い」によって理解できたり理解できなかったりする、というのも早計です。

では、仏陀と無明の人とでは何が違うのでしょうか?

基本的に物事のありようが一緒なのに、その見え方が違うとしたら、
それは当然、見方が違う、ということになります。

では、仏陀と無明の人とでは、その見方のどこがどう違うのでしょう?
というより、
仏陀は真実をあるがままに見ていて、私たちがそうではないとしたら、
なぜそうではないのでしょう?


1859 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 03:29
#1858の続き仏教では、

それは、あなたに真実を見る「能力」がないからなのではなく、
また、仏陀のその「能力」が普通の人より飛び抜けて高いからでもない、
と教えます。
そうではなく、根本的にあなたが真理を見ることができないのは、
あなたが自分で眼をつぶっていて、ちゃんと見ようとしないから、
つまり、「見られない」のではなく「見たくない」からなのだ、と教えるのです(まともな仏教なら)。

では、なぜあなたは真実を見ることを嫌がっているのか?
なぜ「見たくない」と言って眼をつぶるのか?

まあ、これは以前にも書きましたが、細かいことを言えば人によって事情が違うので、
間をとばして、誤解を恐れず結論だけ書くと、
その根元は「執着」です。

…このスレッドを読んできた人には、阿含宗の方が都合の悪いことには眼をつぶり、
楽しい考えしか受け入れようとしていないのはもはや明白でしょう。
つまり、彼らは自分の「楽」なりなんなりに執着しているんです。
それが眼を曇らせているんです。

ここまで来れば、仏教での修行なり瞑想なりの本当の意味がわかるでしょう。
それは自分の「能力」を磨くことが目的なのではありません。
究極的には、それは、事象のありようをあるがままに見つめること、
を目的(この目的という言葉は嫌いだが)にしています。

ですから、その気になれば、仏教の場合、日常生活がそっくりそのまま
修行なり瞑想にもなり得るんです。
たとえば、自分の目の前に困った人がいて、
そのことがありのままに見えるのなら、
その人の前を無神経に素通りすることもできなくなるでしょうし、
そのことで生活そのものの質が一変するかもしれません。
みかりんさんのダンナさんみたいに、目の前の奥さんを放っておいて
やれ勤行だ、○○行だ、なんていうのは、
そもそも、全然、修行でも瞑想でもないんですよ(笑)。

他にもいろいろ言いたいことがあることはありますが、
これはやっぱり、仏教に興味を持つ人が
一番最初に気をつけないといけない点で、
なおかつ阿含宗のウソの中では重量級のものだ、
と思ったのでとりあえず書いてみました。



1860 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 09:47
>1857 みかりんさん、こんにちは。

>ちなみにお墓をキャッシュで購入した件については、ちまちま貯め込んであった
>お金を大放出されちゃったって、それだけ。だから今苦しいの。

みかりんさんは、ご主人が阿含宗にだまされているとおもい、
ここでは、その証拠がいっぱい見つかるとおもってこられて
いるわけですが。私は信者なので、ご主人はだまされていな
いと思う。昨夜のコメントでも、ヌマエビさんのスキャンダル
がらみの(よく週刊誌や月刊誌に書かれる例の)記事とザ・
モンゴルメッセンジャーの記事が並んでいる。ヌマエビさんの
記事を読んでも、真偽は別として、私は華麗なるサウンドラナ
ンダの話を思い出すだけ。

ヌマエビさんの言葉を信じるか、ザ・モンゴルメッセンジャー
の記事を信じるか、どちらの道が正しいのか、一見みかりん
さんは人生の岐路に立っているように見えるが、私は、あなた
は人生の岐路に立っていないと思う。

結婚指輪のお話でもわかるように、あなた達夫婦は愛し合って
いるし、これからも幸せに暮らせるんだなと予測している。
(予測とか、予見とかを書くとしかられそうだけど)
あなたの不満は大きいものだけど、人生の長い道筋から見れば
小さい。阿含宗の人は(ご主人のこと)仏陀の教える原理原則
には、本気で従うから、もういちど5つの原則を教えてあげて
無茶をしないように、ご主人を説得すればよいとおもう。

仏陀の教えでは、家の財産を守るのは妻の役割なのだから、貯金
を勝手にはたいてしまうというのは、ご主人の違反です。
夫の妻に対する、徳目。1)尊敬する 2)軽蔑しない 3)道から
はずれない 4)権威をあたえる 5)装飾品を提供する
4)権威はイッサラ、(家庭の)主権、支配、優越的立場。

わたしのしゃべり方がどうも偉そうみたいなんですが、
こういうしゃべりかたしかできないヒトなので、ごめんね。




1861 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 09:52
>1854さん
>色=客体とは書いていないでしょ。色の本質は客体と書いたの

あなた、いいわけばっかり。
仏陀の真理に迫る方法もまだ書いてくれてないでしょう。


1862 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 09:55
↑ 1861
ちょっときつかったので、取り消します。


1863 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 09:56
>1856
>>私は楽しく暮らしたいですから

前向きに、ポジティブに生きていきたいということです。





1864 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 10:22
>1859さん

>まあ、これは以前にも書きましたが、細かいことを言えば人によって事情が違うので、
>間をとばして、誤解を恐れず結論だけ書くと、
>その根元は「執着」です。

そうですよね、根元は執着ですよね。
もっとチャンと書けば、、、以下、ダライラマの仏教入門 光文社
の目次を写してみます。

第一章 縁起と空の思想、縁起の三つのレベル、
輪廻の現象としての十二支縁起、苦が生じる過程と滅する過程
命あるものが転生する六つの世界

「無知(無明)」は輪廻の根本原因ー欲望と怒りを生み出す執着
「行為(行)」が未来の経験を決定する
行為が「意識(識)」のなかに潜在力を生み出す
受胎した直後に「名称と色形(名色)」が生じる
知覚の成立する「六つの感覚領域(六処)」
感覚器官と対象と意識が出会う瞬間の「接触(触)」
接触の感覚から「感受作用(受)」が働く
苦楽の感覚から「欲求(愛)」が生じる
欲望の対象への「執着(取)」
輪廻における「生存(有)」と
新しい生への「誕生(生)」
この世に誕生した瞬間に「老死」の苦が始まる

「執着」は十二支の九番目にきますが、無明から始まる
一連の連鎖を「執着」と言ってよいのかもしれません。


1865 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 10:29
>1859さん
>ですから、その気になれば、仏教の場合、日常生活がそっくりそのまま
>修行なり瞑想にもなり得るんです。

これは、なかなか、言うは易し行うは難し、かも知れませんね。
ブッダ、ダルマ、サンガ のうち、ダルマだけで自立的に
修行をやっていくのだから。ゴータマブッダなみの人でないと
不可能でしょう。桐山猊下は自力で世俗から聖者の道へと立ち
上がった方ですが、それでも高野山の多くの方の指導を受けら
れております。(前仏教会副会長、高野山宿老の桐山猊下の
修行態度を賞賛する文章があります。)←高野山では指導してい
ないといわれるに決まってますので書いておきます。


1866 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 10:39
>1864さん
>輪廻の現象としての十二支縁起

>無明、行、識、名色、六処、
>触、受、愛、取
>有、生、老死
そして苦が始まる。

この十二は人生を考えるために
覚えておいたほうが良いかもしれませんね。
愛と取が人生のハイライトですかねえ。



1867 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 10:42
>1865さん
大橋猊下の名前が抜けていますよ。


1868 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 12:46
>1861、1862
>>1854さん
>>色=客体とは書いていないでしょ。色の本質は客体と書いたの

>あなた、いいわけばっかり。
>仏陀の真理に迫る方法もまだ書いてくれてないでしょう。

キミ、ほんと〜に読解力ないねぇ!>阿含宗

それについてはさりげなくもう既にふれているし、
1865、1867もその趣旨のことだよ。
人にものを教わろうと思ったらもうちょっと謙虚になりなさい。

ちなみに「思考」も私の中では(キミは気がつけないかもしれないが)
「形あるもの」なのでああいう書き方で間違っていないんだよ。
あっ、発言取り消したのか。
まあ、でも取り消すならキミのここでの発言全部取り消しなさい(笑)。
やれやれ…。


1869 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 12:49
#1868の発言中、
8行目の1865、1867は1858、1859の間違いです。


1870 名前: ハエたたき 投稿日: 2000/07/09(日) 17:15
> 1858

> 意外にハエたたきさんなんかは、
> 阿含宗のこういう根本的な危険思想をご存じ無いのかもしれない、と思ったからです。

ええ、叱られるかもしれませんが、じつは阿含宗なんてテレビの火祭りのコマーシャルと
桐山という人は詐欺の犯罪歴があるということしか知りませんでした。
友達の紹介でこのスレッドを覗いたら、
もっともらしく霊魂だとか水子・先祖供養なんて主張されている人がいたものだからついつい参加しちゃったのです。

阿含宗の人達の会話は、異星人と話しているみたいですね。
可能なら、頭を割って中を覗いてみたいものです。


1871 名前: もぐらたたき 投稿日: 2000/07/09(日) 17:30
水子供養をする理由は
1,水子の霊が恐い
2,流産したことへの罪の意識
3,供養することで幸せになりたい
1は仏教徒であれば全く問題にならない。気にすることはない。
2だが、供養することで罪が消えるというような安易な教えとは仏教は違う。
3みたいなそんな自分勝手な考えを仏教は認めていない。それこそ罪である。
では罪をどうとらえ、どのように考えるか、非常に大きな問題である。霊魂よりこちらの方に頭を使うべきだ。
それと霊魂が好きな人は、毒蛇だと思ったら、これはロープですよと渡しても、いや私の見たのは確かに毒蛇だったと、自分の見間違いを決して認めない人だ。自分の誤りに目覚めるというのが仏教の出発点だが。


1872 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/09(日) 17:44
教祖・桐山猊下の犯した複数の犯罪に対して
現在の信者の方々はどういう解釈を持っているのか是非聞いてみたい。
刑務所に収監されたから「みそぎ」が終わったと考えているのでしょうか?
それとも例の「因縁の洗い出し現象」とみているのでしょうか?

私は桐山猊下が金儲け目的でニセビールを作ったり(有罪結審)
悪徳商法を考案して詐欺罪に問われたり、(有罪結審)
などなど単に、犯罪を度々犯して、人々に多大な経済的損害を与えた
という事件だと認識していますが・・・・。
まあ、直接殺人を犯していないだけよいと考えるべきなのかな。



1873 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/09(日) 17:55
刑獄の因縁
逆恩の因縁
夫の運気を阻害する因縁
怨集の因縁
 *以上 地獄界の因縁
中途挫折の因縁
色情の因縁
 *以上 餓鬼界の因縁
脳障害の因縁
二重人格の因縁
 *以上 畜生界の因縁
運気不定の因縁
 *以上 修羅界の因縁

阿含宗の因縁表にもとづいて、桐山猊下の因縁を透視?したところ、
上記のリストになりました。
桐山猊下の現在と過去を知る人ならば、超能力が全くなくとも
この程度のことは直ぐわかるでしょう。

どう考えても、桐山猊下は「因縁解脱」していないと思います。
(言うまでもないか・・・)
 


1874 名前: 詐欺師の奥義 投稿日: 2000/07/09(日) 18:14
かって私が例会で直接「グル桐山」から聞いた話。
当時は平河町の狭い建物だった。
いつものように護摩が終わり、最後に恒例の質問の時間がきた。
誰かが手を挙げた。
「管長先生は權大僧正でしたのに、先月から肩書きが大僧正に変わっていますが、
 高野山からいつ授与されたのですか?」
彼は多分悪気はなかったのだろう。
いつもなら大体質問者は決まっていて筋書き通りに終えるのだが、この日は時間がたまたま
余ってしまった為、最後に用意していないフリーの信者が当たってしまった。

私が退会を決意したのはその3分後だった。

「先日、中外日報の記者が私のプロフィールを間違えて大僧正と新聞に書いてしまったんですよ。
どうしたものかと思いましたが、いい機会だから、仏様のプレゼントだと思い
そのまま大僧正を名乗ることにしたんです。」

一部で拍手が起こったものの、私の周りはかなりしらけていた。
ずっと引っ掛かっていた胡散臭さが一気に露見したようなものだ。



1875 名前: 詐欺師の奥義 投稿日: 2000/07/09(日) 18:26
まあねえ、後で知ったんだけれど例の權大僧正についても
僧階昇補の「高野山の審議会」などそもそも存在しないし、
授与されたと称していた「高野山攝幡本部副総監」なる役職も全部ウソ。
ウソで固めた経歴を現在の信者方はどう解釈しているのやら。
当時の人達は呆れていましたよ。



1876 名前: 詐欺師の奥義 投稿日: 2000/07/09(日) 18:31
桐山=度々の犯罪による刑獄の因縁の権化
阿含宗=オウム殺人者集団の供給元
と言うことかなあ。

すくなくとも否定する材料はないわな。





1877 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 19:13
阿含宗にいたことを、自分の経歴から抹消したいよ。ホント。
昔一時期でも阿含宗にいたなんて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、
とても人には言えないよ〜。

一番辛かったのはサリン事件の頃。
昔入信を反対した同級生が心配して電話かけてきた。
「師が師なら弟子も弟子だろ。」
返す言葉がなかったね。
うちの嫁さんには当然言っていません。
オウムの麻原達と「阿含での同窓」だなんて言えないよ。

現役さんは平気ですか?
最悪な話が多いですが、それでも、師を誇りに思いますか?
誇りに思えなくなった時がやめどきですよ。



1878 名前: 現世成仏 投稿日: 2000/07/09(日) 21:57
阿含宗管長 桐山靖雄著
現世成仏
わが人生・わが宗教
という本が、力富書房から1883年に出版されています。
痛快な半自伝です。管長の履歴にご興味のある方はお読みに
なってください。


1879 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:10
 私は日本仏教の法位について、桐山管長が黙して語らない
理由はよくわかります。チベットからいただいた
「一切萬霊守護金剛」で十分だと思います。金剛菩薩の位な
のですから。
 ご本人が関係者にご迷惑がかからなくなればすべてを語る、
とおっしゃっているのだからそれで良いと思います。


1880 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:24
>ご本人が関係者にご迷惑がかからなくなればすべてを語る、
>とおっしゃっているのだから

関係者がみんな亡くなって、死人にくちなし状況になった頃
「全てを語る」のではずるくない?



1881 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:25
>1877さん
阿含宗の管長は金剛菩薩なのですよ。
四国お遍路さんは「南無大師遍照金剛」と唱えているでしょう。
私達も
「南無一切萬霊守護金剛」と唱えても良いのですよ。阿含宗で
はそう指導はしていませんが。
ですから、私は阿含宗徒であることに大きな誇りを持っています。
 あなたのコメントではないと思うのですが、中外日報の記事は
真実なのです。ただ、管長の立場としてはっきり言えないだけな
のですね。いろいろな方に「普通でない」ご迷惑がかかりますから。


1882 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:25
>私は日本仏教の法位について、桐山管長が黙して語らない
>理由はよくわかります。

僕わからないんで教えてください。
お願いします。



1883 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:28
>桐山=度々の犯罪による刑獄の因縁の権化
>阿含宗=オウム殺人者集団の供給元
>と言うことかなあ。
>すくなくとも否定する材料はないわな。

100%正しい見解です。
否定する余地は皆無ですね。




1884 名前: モンゴルの奇跡? 投稿日: 2000/07/09(日) 22:31
>1834さん

ザ・モンゴル・メッセンジャーの記事は、
記事内容から写真まですべて阿含宗から提供されたものです。
バトボルド記者はそれをそのまま書き写しただけです。
大臣が述べたという阿含宗側の情報をそのまま
掲載しただけのことです。

記事と、大臣の弁に、
「修法終了時に雨が降り始めた。 」とあります。
「修法終了時」というのは、他の目撃談と矛盾しませんか。
いったい、雨はいつ降ったのですか。

1822でも質問しましたが、前日の天気を教えてください。
同様に、当日の天気の移り変わりも紹介してください。

この記事のどこに、雨で火災がおさまったと書いてありますか。
雨が降ったとあるだけです。
雨ならモンゴルのラマ僧も降らせたとまであります。
この記事には、雨が降ったとあるだけで、
それによって火災がおさまったとは書いていません。
阿含宗からの情報を丸写しして掲載した記事ですら、
桐山さんがモンゴルの火災を消したとは書いていないのです。


1885 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:43
>ただ、管長の立場としてはっきり言えないだけな
>のですね。いろいろな方に「普通でない」ご迷惑がかかりますから。

正式に受けたのなら自慢げに言いますよ。あの人は。
とっさに聞かれて出た本音だとみるのが正しい見方ですね。

ところで、貴方の言う「普通でないご迷惑」って何なんでしょうか。




1886 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 22:47
>チベットからいただいた
>「一切萬霊守護金剛」で十分だと思います。金剛菩薩の位なのですから。

チベット仏教界も良く調べて正しく審査した方が良かったね。
麻原に利用されたダライラマのように、後で後悔しても知らんよ。



1887 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 22:56
モンゴルの奇跡?
まだ信じてる人がいたとは・・・。
日本は広いですね。




1888 名前: モンゴルの奇蹟 投稿日: 2000/07/09(日) 22:57
チベット文化研究所所長 ペマ・ギャルポさん

今回山火事で悩んでいたモンゴル国民の悲願の奇蹟的な
雨については、護摩を焚かれた日の晩餐会以来、モンゴル
中の話題になりましたのでここで改めて取り上げるまでも
ないでしょうが、私は人々の願いが一つに成ったときそれ
が本当に叶えられるものであると確信を得たような気がし
ます。管長猊下が首相以下当時の内閣の要人達に対して、
雨を降るように祈りましょうとおっしゃった時は、私にと
ってもひとつの願いにすぎませんでしたが、それが現に目
の前で実現された時は感無量でありました。

1834の補足ですが、原文は英語です。
>完成間近の十一面観音像(Megjid Janraisig
>観自在菩薩)を前に聖経、jinsreg tsutgakh(護摩供養)を
>読誦。
このような表現はモンゴル仏教特有の表現です。

ペマ・ギャルポさんの文章は引用部分に3箇所の僅かな文法
ミスがありますので、たぶん、もともと日本語で書かれたも
のでしょう。




1889 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 23:02
真正仏舎利の数が合わないという簡単な矛盾を教団の中で桐山氏が
どう説明しているのか是非とも知りたいですね。

阿含宗の人達は経典を読む前に小学校一年生の算数を勉強したら?




1890 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 23:11
>1888
ペマ・ギャルポさんも詐欺師にいいように利用されて可哀相だね。
でもどこに桐山が雨を降らせたとかいてあるの?


1891 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/09(日) 23:22
>1889真正仏舎利の数が合わないという簡単な矛盾

どういうことなの?



1892 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/09(日) 23:54

ペマ・ギャルポには阿含宗からハンパじゃないお金が渡ってんだから、
阿含宗にとって都合のいいことを書くに決まってるじゃないか。(笑い)
つまり利用したりされたりしてる関係なんだよ。
こういうのって、阿含宗お得意の「相互供養!!」なんちゃってね。(爆笑!!!)


1893 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 00:10
>1877さん
阿含宗にいたことを、自分の経歴から抹消したいよ。ホント。

前科みたいなもんですね。
桐山さん見習ってごまかしたらどー。
えっ?恥ずかしくてできない。
ごまかしができないなんて、
行をまじめにやっていなかったんだ。
因縁が切れて、霊障がとれると、
恥ずかしさなんてどっかにトンデ
書き込みしてる信者みたいにハッピーになれるのに。
とっておきの真言を教えてあげましょ。
真言に曰く、
オン キリ キリ ヤマシ サギシ ソワカ
毎日、十反唱えてね。



1894 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 00:54

よーちえんお迎えのおばさまへ

>昨夜のコメントでも、ヌマエビさんのスキャンダル
>がらみの(よく週刊誌や月刊誌に書かれる例の)記事とザ・
>モンゴルメッセンジャーの記事が並んでいる。ヌマエビさんの
>記事を読んでも、真偽は別として、私は華麗なるサウンドラナ
>ンダの話を思い出すだけ。

>ヌマエビさんの言葉を信じるか、ザ・モンゴルメッセンジャー
>の記事を信じるか、どちらの道が正しいのか、

あなたの高圧的で傲慢な書き込みを読む限りにおいては、
ヌマエビ氏はじめ反阿含宗的立場の方たちの
メッセージの方を信用しちゃいますねえ。
あなたはご自分にとって都合の悪いことは一切無視し、
やれ仏の光だの、阿含宗に入れば幸福になれるだの、
新興宗教にのめり込んで人にありがちな
思いこみと妄想からくる陳腐なことしか書いていないじゃないですか。
何の説得力もありませんよ。

「真偽は別として」と書いておられるが、
「真偽を別にして」何を語ろうというのでしょうか。
嘘八百を信じろというんですか。

「智慧の宗教」を標榜する宗教にご入信なさっているなら、
もうちょっと知性のひらめきが窺えるようなマシなこと書いたら
いかがでしょうか。
加えて、過去ログにおいてご自身に向けられた「質問」には
ちゃんとお答え下さいましね、よーちえん児並のオ・ク・サ・マ。



1895 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 01:24
>あなたの高圧的で傲慢な書き込み

あんたも同じ


1896 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/10(月) 01:37
…なんだか荒んできてるにゃぁ…


1897 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 02:37
>1895

>>あなたの高圧的で傲慢な書き込み

>あんたも同じ

つまんない揚げ足取りやってないで、
ここに来るご一同様が納得できる抗弁してみたら?
おばかさん。


1898 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 03:17
いやはや、ここの書き込みを見る限り、
阿含宗ってのはロクでもない宗教教団ですなあ。
これほど馬脚を現している教団になお勧誘するってのは
詐欺に荷担する犯罪行為に等しいですなあ。
オウムがまだアレコレしつこい勧誘するのとまったく一緒だね。
しっかし信者の人も、な〜んにも考えないで、
ただ教祖の言うことややることを信じているだけってのは
恐ろしいねえ。
盲信・狂信ってのは、人を不幸にするだけだってこと、
もっと自覚してほしいよねえ。



1899 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 05:59
桐山には是非長生きして欲しい。
そして
これからもたくさん馬脚をあらわにして
その汚れた本性を見せて欲しい。

宗教にかぶれる愚かさ。
殺人者集団を育てた教義と危険性。
脳障害の因縁・・・。
これで癌にでもなれば
いくら信者が盲信していてもいい加減わかるだろう。
偽者はどこまでいっても偽者。
金太郎飴みたいなものだね。



1900 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 06:08
確かに、阿含宗ってのはロクでもない宗教教団ですが
それが仮にも現在まで生き残っているのが
一流の詐欺師の面目躍如といえるでしょう。
殺人者集団まで出しておきながら
「責任はない」と言いきる非常識さを
素直に受け入れる信者たちは、どのようなメンタリティを持っているのか
実に興味は尽きません。

ミラレパは殺人を犯してから聖者になりましたが、
桐山は教祖になってから刑務所に入りました。
同じ罪人でも後者の方が遥かにひどい事はいうまでもありません。



1901 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 06:16
最低の前科者教祖が説く出鱈目な教義と
嘘で塗り固められた経歴、
幼稚な手品で騙してきた様々な奇跡と秘儀
金にあかせて取得した名誉学位と法号
大量無差別殺人犯を長年傍に於いて結婚の導師までした優れた予知能力
いとも簡単に本尊を差し替える節操のなさ、
信者にまで詐欺の片棒を担がせる巧みな騙しの口上
脳障害の汚れに汚れた教祖よ、どこへ行く?
もう一度刑務所にでも行って愛弟子の麻原と仲良くマントラでも唱えてください。
その方がずっと日本は平和になります。貴方が娑婆にいるよりも・・・。




1902 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 08:38
>もう一度刑務所にでも行って愛弟子の麻原と仲良くマントラでも唱えてください

グル桐山の弟子だったグル麻原は未だ小菅の拘置所だよ。
ここは偉大なるグル桐山もしばらく滞在していた所。
刑獄の因縁を持つ「師弟」ともに小菅住まいとは
実に仲がよろしいことだ。
偉大なグル同士さぞかし気が合うことだろう。
そういえばいまなら「定説のグル」もいるな。
いまグル桐山が小菅に入れば「グル御三家」が揃うのに。
残念!




1903 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 08:42
あっ、足裏の天声グルも今ならいるねえ。
「犯罪極悪グル四天王」の揃い踏みだ。
たくさん材料があるんだから誰か告訴でもしないかなあ。




1904 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 10:07
阿含宗って信者は少ないのにこのスレッドは結構にぎやかですね。
現在の信者数の200倍以上の累計退会者がいるって本当ですか?
むかし「そして誰もいなくなった」っていう映画もありましたが・・・・・・・。





1905 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 10:59
なんだか、あれているね。
一晩中、朝まで。魑魅魍魎、百鬼夜行、悪鬼跳梁跋扈。
わたしはよーちえん行って、花壇にお水をあげるのだわ。
ああ気持ち悪い。早くきれいなお花を見て気分をなおし
ましょうね。コメントには値しないわね。さよーなら。



1906 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:32
>1896
にゃにゃさん、こんにちは。おげんきですか。


1907 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:35
阿含宗について「周知の事実」を並べると「あれているね」という風にとられてしまう。
このスレッドは難しいねえ。





1908 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:37
事実や真実に目をつぶり、教祖の嘘を盲信するのが「阿含式」らしい。


1909 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:41
グル4天王、桐山・麻原・高橋・福永。
彼らの宗教こそ日本を代表する「魑魅魍魎、百鬼夜行、悪鬼跳梁跋扈」の世界だね。



1910 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:52
法を語る場で、語る言葉さえ持たない。
悲しいね。


1911 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 11:58
阿含宗に正しい「法」があるとは知りませんでした。
例の偉大なる「北野恵宝・大アジャリ管長猊下」から伝授された
崇高なる「法」ですか?
観音慈恵会ではそう教えられましたけれど。



1912 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 12:01
桐山・麻原・高橋・福永
かれらはグルだ!!!!


1913 名前: モンゴルの奇跡? 投稿日: 2000/07/10(月) 12:27
>1888さん

ペマ・ギャルポさんが主催するチベット文化研究所の機関誌には、
長年、平河出版が一頁という大きな広告を出しています。
これ一つをみても、桐山さんとペマ・ギャルポさんが
密接な持ちつ持たれつの関係にあることは明らかです。

大学教授、新聞記者、ペマ・ギャルポさん、
いずれも、阿含宗に都合のいい人たちが書いた内容です。
こういう証人を百人連れてきても無駄です。
阿含宗から金をもらっている人の証言など、
金を払っている信者の証言ほどの価値もありません。

前日と当日の天気については、この三人の証言には、
何もありません。
読んでいる一般の方に奇跡であることを納得させるためにも、
前日や当日の詳細な天候の様子を教えてあげるべきです。
雨は降ったのだから、何の問題もないでしょう。
それとも知られては都合の悪いことでもあるのですか。


1914 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 12:52
>1913さん
 そちらが何かご意見があるならば書かれれば良いのでははないで
すか。相手の方はそれをお待ちなのではないでしょうか。あるいは
薄汚いあなたとはしゃべりたくないので避けているのでしょう。
 私はモンゴルへは行っていませんが、4月からの旱魃で、からから
の天気だった。お護摩の前夜に管長猊下が降雨祈願を宣言してより、
ウランバートルを中心に竜神雷神が集結し始め、雲を呼び嵐を呼ぶ
天候となり、お護摩が始まってより、全土に豪雨が降り始めた。雹
まで降ったのだ。と聞いております。モンゴル全土といいましても、
あなたの住んでいる県の広さを考えてみてください。その2000倍
3000倍の広さがあるのですよ。モンゴルでは六月には雨は降り
ません。そして七月に雨が降ったとしても、鎮火まで数ヶ月かかる
であろうとされていたのです。ところがお護摩のあと5.6日で完全
に鎮火してしまったのです。
一体あなたは何を言いたいのでしょうか。バチカンも買収、中国も、
大橋猊下も、小田猊下も買収、ペマギャルポ氏も買収。風神、雷神、
天の神々までも買収したとおっしゃりたいのですか。


1915 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 13:03
>1913
たぶん、モンゴルの僧侶も雨を降らしたと言うことを問題に
されたいのでしょうが、モンゴル全土に雨を降らしたと言う
のと、東京の千代田区宮城のまわりにぱらぱらと雨を降らせ
たというのは、話が違うのです。
日本の渇水、水不足、それがもっと重症で、20倍の面積に
およぶ。その状況が5,6日ですっかり解決したと言うこと
なのです。
しかし、金まみれで汚濁に満ちた君達は、なんでも買収だと
すぐ考えるのだねえ。さすが、天の神々は買収できないと
思っているよ−だが。さあ、よーちえんおむかえに行ってこ
よう。子供達のかわいい顔を見るとちょっとは救われるかし
ら。ほんとにあんたたちは、誰かがいってたよーに、えんじゃく
そぞくだよ。ねずみぞくたち。さよーなら。


1916 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 13:25
>ねずみぞく、へ。
ぞく、といったって、族、属ではないよ。賊。鼠賊。そぞく。
賊と言われたくなかったら、自分の素性ぐらい書きなさいよ。
何宗の何某と。こんな時間ひまなのは、まっとーな勤め人で
はないでしょう。ちゃんと名乗れば、えんじゃく、そぞくは
取り消してもいーよ。元阿含宗なんてうそばっか。
まあ、どう呼ばれてもへーきな人たちなんでしょうけどね。


1917 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 13:29
ついでに書いておきますが、伊達相平さんの本には
桐山猊下は小田慈舟大僧正猊下より灌頂をうけ「アジャリ」
になられたと書かれています。アジャリの漢字は阿含のあ、
門構えに者、梨。です。
どの本に書かれているかは教えません。しらべてね。
さよーなら。今日もよーちえん遅刻だわ。


1918 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 14:43
>1915、1916
もう悔し紛れでムチャクチャだな。
書けば書くほど墓穴掘るぜ。
冷静さ失ったら「瞑想」できないよ。
あ、迷走だったね! (爆)



1919 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 17:01
よーちえんおむかえのおばさんへ

>一晩中、朝まで。魑魅魍魎、百鬼夜行、悪鬼跳梁跋扈。
>わたしはよーちえん行って、花壇にお水をあげるのだわ。
>ああ気持ち悪い。早くきれいなお花を見て気分をなおし
>ましょうね。コメントには値しないわね。さよーなら。

そうそう。
語るべき言葉も思想なく、真実を直視する勇気もないあなたは
黙ってさよならして、
花壇にお水でもあげていた方がよろしいですよ。
お身内の会員からも嫌がられているみたいですものねえ。
おかわいそうに・・・

あなたの言う「仏の光」って、
魑魅魍魎、百鬼夜行の「燐光」かもしれませんよ。
もしかして勘違いなさっているかもしれないから
ご忠告!!

「ああ気持ち悪い。」は、教祖の妄想を信じ、
「仏」の名を嵩にきて、
「思いこみと独善」を書き込むあなたの
コメントを目にしたときですよ。

あなたのお相手をしてくれるチャットルームは
ネット上にいくらでもあるでしょうから、
どうぞそちらへ行ってご覧なさいましね。
あ、くれごれもそこで阿含宗の勧誘なんか
なさらない方がよろしいですよ。
「罪」は一つでも少ない方がいいですものね。
よーちえんのオ・ク・サ・マ!!

深夜にコメントを残せるあなたも
どーやら「えんじゃく、そぞく」のお仲間のようですね。
(^o^)(^o^)(^o^)

深夜だけじゃなく昼間もコメントを残せるあなた。
よーちえんのおむかえ以外はよっぱどオヒマなんでしょう。
ボランティアや社会活動にでも参加して、
少しは世のため、人のため、
お役に立つことでもなさったらいかがでしょうねえ?

道場行って梵行して、口先だけ世界平和を唱えても無駄です。
護摩木のスタンプ押しと封筒作りじゃ、
「世界平和」にはな〜んの貢献もできませんものね。
阿含宗の中だけの「世界平和ごっこ」では
だーれも納得しませんよ。
どうか「ごっこ」遊びはよーちえんの中だけにしてね、
お暇なオ・ク・サ・マ!!


1920 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 18:13

この、コメントの長さは、
「他人のコメントおじさん」かしら?


1921 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 19:36
>バチカンも買収、中国も、
>大橋猊下も、小田猊下も買収、ペマギャルポ氏も買収。風神、雷神、
>天の神々までも買収したとおっしゃりたいのですか。

バチカンへは寄附、中国の大学へも寄附、大橋猊下にはお布施、
ペマギャルポ氏には継続的に広告宣伝費を支出、風神雷神の動きを調べる為に
米国の民間気象予測会社に送金。
まあ、小田先生だけは買収とは無縁だね。
だって護国寺で偽坊主だとバレテ途中で返されたんだもの。
権威ある真言宗の大僧正から僧籍がないことを指摘されたんだから
小田先生だけは見る目がありましたねえ。





1922 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 19:39
>桐山猊下は小田慈舟大僧正猊下より灌頂をうけ「アジャリ」
>になられたと書かれています。

本当に本人がそう言っているとすれば
明かな経歴詐称です。
100%断言できますが、「嘘」です。



1923 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 19:49
>1922さん

バチカン、中国、大橋猊下、ペマギャルポ氏
みなさん、収賄罪ということですね。

小田先生が如意宝珠法を伝法されている写真と
テープが公開されています。




1924 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 20:00
真言宗の専門の方がこられているようなので質問です。
如意宝珠法を伝受されれば、アジャリではないのですか?


1925 名前: みかりん 投稿日: 2000/07/10(月) 20:05
今日はお仕事休みでした。ああ、しんど。

あ!>にゃにゃさん。もう来ないかと思ってたよん。

よーちえんの奥様はさんざん誤魔化しまくって消えてしまわれたのね。
予知能力という言葉を予測だの予見だのと無難な表現にすりかえて、
それが「しかられる」・・・か・・・。
>わたしのしゃべり方がどうも偉そうみたいなんですが

だからさ、違うって、しゃべってる「内容」のことなのよ。
うちの夫婦仲について、>結婚指輪のお話でもわかるとおり・・・・
などとコメントされていますが、こういった率直な感想なら別に
私気を悪くなどしませんよ。でも都合の悪い話題に乗らないのはやっぱ卑怯!

>こんな時間ひまなのはまっとーな勤め人ではないでしょう。
察するところあなたは専業主婦でしょうか。私のように仕事をもつ「兼業主婦」
の中には専業主婦をバカにする人も多くいます。が、私自身は少なくとも
子供が幼稚園に通うくらい小さいうちは家にいたいと思っているので、正直
うらやましいですよ。そう、だからこそ腹が立つんです、あなたの能天気さに。
保育園が閉まるギリギリまで必死に仕事を片付け、ダッシュでお迎えに走る自分の
姿が、アホらしいです。やたらと「よーちえんのお迎え」を小出しにしますが、
それは自分にとっての「ウリ」ですか?無意識のうちに母親であることを強調
してしまうのは、「母性神話」に裏打ちされた根拠の無い自信ですね。自分の
清らかさをアピールしてらっしゃるおつもり?
最後にゃ「うそつき」や「賊」呼ばわり、そうやって他人を罵倒するあなたは
我が家の先達と同じく阿含宗のでたらめさを具現してしまったのですよ。
そこにはなんの気高さも、高尚さも荘厳さも無いってことをね。

だけどもう、来ないのかな。でもそのほうがお子さんのためだね。
友達がどんどん帰っていくのに、待たされてるのは可哀想だもん。


1926 名前: ヌマエビ 投稿日: 2000/07/10(月) 21:48

「刑獄の因縁」 3.桐山氏の言い分

偽ビール事件についての、桐山氏の主な言い分です。

桐山氏は合法な合成ビールを販売する計画だった。
桐山氏に同意なく、仲間が偽ビールにして販売しようとした。
これらの仲間とつきあったのは、作家的な興味からだった。
桐山氏は出資しただけで、仲間の罪をかぶったのだ。
犯罪も酒税法違反という軽いものなのに、実刑は重すぎる。
犯罪を軽く見た桐山氏は、最初自分で弁護士を雇わなかった。
国選弁護人は親身になって弁護してくれなかった。
当時、他の密造酒事件で死者や失明者が出たために、見せしめに実刑を科された。
桐山氏はすでに処罰を受けて、刑期を終えている。
酒税法違反は40年以上も前の話であり、犯罪としても時効だ。
いつまでも前科者扱いするのは不当で、人権侵害だ。

仲間が犯罪をなして、桐山氏は巻き込まれ、運悪く、他の密造酒で死者が出たた
め、軽度の犯罪であるにもかかわらず、実刑を科されたということです。
判決文を見ると、桐山氏は3人の犯人の3番目に来ています。
他の犯人たちは、別な密造酒の2件でも訴えられていますが、桐山氏はこれらに
は連座していません。
桐山氏が懲役1年半に対して、主犯格のS氏は懲役3年の判決です。
つまり、桐山氏は主犯ではないのです。
これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります。



1927 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 21:56
ドキュンがウヨウヨしてるなあ。


1928 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 21:59
>1925 みかりんさんこんばんは。
わたしも今日は忙しかった。食事もまだです。仕事はすべて机の上
でできるので楽といえば楽です。仕事中に書きこみもできしますし。

>>こんな時間ひまなのはまっとーな勤め人ではないでしょう。
これは、あなたたち、坊さんでしょうという意味です。

>でも都合の悪い話題に乗らないのはやっぱ卑怯!
これはね、十年ももっと前から、同じ話ばかりなのです。
桐山管長猊下が「現世成仏」などでちゃんと説明している話
などでも、その説明には触れず、同じ事を、何百回、何千回
くりかえすのです。知らない人は本当かと思ってしまいます
よね。何千回ですよ。本当に悪質なのです。ですから、その
手の話は無視するしかないのです。阿含宗を攻めたてるプロ
の人がいるのです。

>「よーちえんのお迎え」
これは時間が無いので、不充分なコメントで申し訳ありません
という意味です。

>「うそつき」や「賊」
うそつきは他人のコメントを自分のものと偽った方で、相手が
もう許すといっているのに、その人に対して「ロープと蛇を
ススキと幽霊偽った」、「うそつきうそつき」と逆に激しい攻
撃をしかけた方に対してです。

「賊」は、自分の立場を明かさず攻撃を仕掛けているから
です。たとえば、みかりんさん、にゃにゃさん、もぐらさん
などは、阿含宗がお嫌いでもチャンと自分の立場を正々堂々
と語られていますので、尊敬しています。

食事します。たおれそう。またね。にゃにゃさんも登場してね。




1929 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 22:22
>>バチカンへは寄附、中国の大学へも寄附、大橋猊下にはお布施、
>>ペマギャルポ氏には継続的に広告宣伝費を支出

>バチカン、中国、大橋猊下、ペマギャルポ氏
>みなさん、収賄罪ということですね。

阿含宗では、寄附やお布施も全て収賄という事になるのですか?
ではおたくの教団は毎日収賄だらけなんですね。大変だなあ。(爆)


>小田先生が如意宝珠法を伝法されている写真と
>テープが公開されています

小田先生は如意宝珠法など桐山大猊下に伝法していませんよ。
だれがそんな嘘を言っているんですか?また経歴詐称が増えましたね。
小田先生は護国寺で単に「金剛頂経の講伝」を行なっただけ。
真言宗で正式な僧侶の資格があれば誰でも受講出来ました。
アジャリの位を得るための伝法灌頂でもありません。
彼が小田先生からもらったのは「許可印信」だけ。
それさえも本来は「未入壇の疑い」で開始早々に退室を命じられたとき
小田先生に返却すべきものでした。
桐山大猊下はこの時に「許可印信を受けてアジャリになった」と述べていますが、
真言宗の常識すら当時は知らなかったのでしょうね。
信者も素人ばかりだから直ぐに騙せると思って軽く考えていたのでしょう。
「許可印信」なんて単なる受講証ですよ。全くもって詐欺師の口上ですね。
アホラシ。





1930 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 22:25
>1914、1915さん

「モンゴルでは六月には雨は降りません。」
などと平気で書く幼稚園児の母親さんでは話になりません。
横から口を出して無知をさらさなければいいのに。
これでは阿含宗の信者の知能は低く、底意地が悪く、
脅迫で人を入信させていると宣伝しているようなものです。
この人はどこにでも首をつっこみ、本当に阿含宗の恥さらしです。
知り合いの信者さんたちはもっとまともです。

自分の主張が通らないと、いたずらに罵倒するのではなく、
モンゴルの奇跡を自分の言葉で堂々と主張しようという
信者の方はいないのですか。


1931 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 22:48
>1930 知り合いの信者さんたちはもっとまともです。

だったらその信者さんたちをここに連れて来なさい。
楽しみにお待ち申し上げております。


1932 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 22:48
ヌマエビ氏に一言。

桐山管長の逮捕歴について、
第1回目 昭和27年8月16日 詐欺、契約違反 (警視庁西新井署)
第2回目 昭和27年12月12日 手形詐欺 (千葉県松戸署)
第3回目 昭和28年8月16日 酒税法違反、私文書偽造 (警視庁防犯課)
わかっているだけでもこの通り。

「これを見るかぎり、桐山氏の言い分にも一理あります」?
ヌマエビさん、犯罪の常習犯に「一理」も糞もないですよ。
甘やかしてはいけません。さらに常習化します。

ところで毎日新聞の記事(昭和28年8月17日付け)では、
「偽ビ―ル一味捕まる」という見出しで派手に出ました。
その記事では、「自称著述業堤真寿雄」は3人の筆頭に記載されている。
いずれにしても無免許で密造していたなら立派な犯罪だ。
桐山自身「現世成仏」では、仲間が密造酒のベテラングループだと承知で
仕事を共にしていたと述べている。
つまり犯罪の確信犯だったわけですな。



1933 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 22:55
>1929
「この方たちが金銭を得て虚偽の発言をした」と主張
されているのは、あなたがたではないのですか。



1934 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 23:04
これまで桐山話で最高に笑えたのは、以下の二つ。
まずは、昭和35年6月15日発行の「慈恵」ですね。
ここで思わず噴出した人は観音観音慈恵会当事に退会した人ですね。
そうです。
かの有名な「行に立つの記」です。
さらに大笑いなのは、昭和36年6月15日発行の「慈恵」に
掲載された「行から帰って」です。
この「行に立つの記」と「行から帰って」は後世に語り継がれるべきでしょう。
詐欺師のバイブルのようなものですから。



1935 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 23:13
>バチカン、中国、大橋猊下、ペマギャルポ氏
>「この方たちが金銭を得て虚偽の発言をした」と主張

バチカンは歴戦の詐欺師に騙されて利用されただけ。
中国は単に寄附を受けて米国のどっかの大学のように名誉称号を出しただけ。
あとの二者はビジネスの世界。でも桐山の本性を知っていたら人間として
あそこまでは積極的にやらないでしょうね。
まあ虚偽というよりも「阿含宗からの嘘八百インフォメーションを確かめもせずに
そのまま鵜呑みにしてしまった」というべきかな。それも罪な事だけど。




1936 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 23:22
まあ、わたしたちのような仏界に縁のある人間と

あなたたちのような、地獄界の人間達とは、住み分ける

しかないのでしょうね。


1937 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 23:23

よーちえんおむかえのオバサマへ

>この、コメントの長さは、
>「他人のコメントおじさん」かしら?

まあ、勝手な思いこみで、
他人とわたくしを混同なさらないでね。
勘違いと勝手な思いこみはあなたの専売特許だろうけども。

モンゴルの雨の件で、あなた批判されてましてよ。
お返事ををつけられたらどう?
少しは知能のあるところを皆さんにご覧いただいてはいかがでしょう。
求聞持脳を持つべく、修行されているんでしょうから。
このままではここを見ていらっしゃる「声なき一般の方々」に
阿含宗をPRできないのじゃありませんか?
ねえ、お・く・さ・ま。


1938 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/10(月) 23:38
桐山管長猊下は、「現世成仏」などで支離滅裂に説明している話などでも、
その嘘話への批判等には一切触れず、同じ嘘を、何百回、何千回くりかえすのです。
知らない人は本当かと思ってしまいますよね。
何千回ですよ。本当に悪質なのです。
信者の方々は本当にかわいそうですね。


1939 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 23:40
ようちえんのオバサンはなかなか活躍しているな。
信者を装って、バカを演じて阿含宗を陥れるための
新手段かと思ったけど、そうじゃなさそうだ。
これ、このおばさんのヂなんだ。
信者側にすら「困ったチャン」だと、迷惑がられているが、
しっかりとわかってない。さすがにおばさんだね。
このおばさんによれば、
坊さんはまっとうな勤め人ではないわけよ。
ということは、桐山さんもまっとうではない・・
・・このオバサンのいうことは正しい。
桐山さんも苦労がたえない。オバサンは宣伝しているつもりで
桐山さんの顔に泥塗っているんだから。
ヒイキのひき倒しってやつね。
今の阿含宗で、先頭きって、口角泡とばしている信者なんて、
このオバサンみたいな連中ばっかなんだよ。
こういうのしか残らない。



1940 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/10(月) 23:49
>1936
>まあ、わたしたちのような仏界に縁のある人間と
>あなたたちのような、地獄界の人間達とは、住み分ける
>しかないのでしょうね。

おお、見たか、このコメント!!
まったくもってオウムを生んだ教団だねえ。
感心しますよ。
自分たちのこと「仏界に縁のある人間」だってさ。(笑
「刑獄の因縁のある人と縁のある人間」の間違いじゃないの?
結局、阿含宗信者とオウム信者の違いって、
サリンをまいたか、まかないかの違いだけのようだ。

どうやら「よーちえんの人」だけが書き込んでいるようだけど、
他にもっとまともなこと書ける信者いないのかねえ。



1941 名前: #1073転載 投稿日: 2000/07/11(火) 00:06
「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」と
かれに とらわれの思い いだく あらば
怨みは ついに 消ゆること なし

「かれ われを 罵れり われを 害したり
われに 打ち克てり われより 奪いたり」
かれに とらわれの思い いだく なくば
怨みは すでに 消えて失せぬ


まこと ひとの世に いつの代も
怨みによりては 怨みは 消えず
怨みより 離る かくてこそ 消ゆ
これぞ とこしえの 真実 ならむ


「われら ここに みずからを 抑え止めむ」 と
他の ひとびとは そを わきまえず
されど そを ひとびとが わきまえて あらば
もろもろの 争いは 消ゆ





1942 名前: #1074転載 投稿日: 2000/07/11(火) 00:07
他のひとの もろもろの あやまちを 見ることなかれ
他のひとの 為せると 為さざるを 見ることなかれ
ただ みずからの 為したるを はた
為さざりしを のみ 見よ


第一に 自己をこそ
ふさわしく 調え
しかるのち 他に 教うべし
かくあらば 賢きひとは 煩い なからむ


他に 教うるがごと
そのままに みずからに 為すべし
みずからを 制御してこそ 他を 制御せむ
まこと 自己は 制御し 難ければなり





1943 名前: #1075転載 投稿日: 2000/07/11(火) 00:07
怨み 懐ける なかにありて 怨むこと なく
いと 楽しく われら 生きむ
怨み 懐ける ひとびとの なかに
怨むこと なく われわ 住まわむ


勝利より 怨憎 生ず
敗残のもの 苦しみて 臥す さらば
勝敗をば なげうち捨てて
寂静なるは 安楽に 住す


孤独の 味と
寂静の 味とを 味わいて
法悦の 味を 味わうひとは
苦悩 去り 禍を 離る


1944 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 00:13
>1932さん
ヌマエビさんのこれまでの書き込みを読んでごらんよ。
桐山さんを一つ持ち上げたときには、後で十倍くらいたたいている。
つまり、1932さんの書いたことは、このスレッドでも
書き込みかあったから、百も承知だと思うよ。
今のシリーズは始まったばかりだし。
それを今後どうヌマエビさんが料理するのか、楽しみにしようぜ。


1945 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 00:29
素朴なギモンをひとつ。
ラ―ジャさんはヒッキ―ですか???


1946 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/11(火) 01:30
いえね、私もちゃんと見ているのですけどね。
名無しさんがどんどこ出てくるので、自分がどの名無しさんに話し掛けているのか
もう判別つかなくって困っているのですにゃ。
だからさーHNつけようよーって言ってるのに誰も聞いてくれないんだもんっ


1947 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 02:40
>それを今後どうヌマエビさんが料理するのか、楽しみにしようぜ。

俺も楽しみにしているよ!
気持ちよくあの詐欺師をやっつけてくれ。



1948 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 02:48
管長先生の偉大さがわからないとは
IQが低い証拠だな。
可哀相に。


1949 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 04:53
>管長先生の偉大さがわからないとは
>IQが低い証拠だな。

悪い冗談はやめてくれ。


1950 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 09:22
>1945さん
ラージャさんて、ヒッキーさんてなーに?
ヒッキーさんて、うただひかるさんのこと?
よーちえんバスきたよ。さあ、おしごと。
>1949さん、それはIQの低い人には阿含宗は
無理だと言うことですか?


1951 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 09:27
>1946
にゃにゃさん、おはようございます。
にゃにゃさんは、お友達の彼が阿含宗なので
こまっているんですよね。
どうして、こまるんだったのかにゃ?
お金のことかしら。(わすれてしまってごめんね)


1952 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 09:46
>怨み 懐ける なかにありて 怨むこと なく
>いと 楽しく われら 生きむ
>怨み 懐ける ひとびとの なかに
>怨むこと なく われわ 住まわむ

そうそう、楽しく暮らさないとね。


1953 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 10:06
>ヒッキーってわかりました。引きこもりだね。
普通名詞になっているのか。近所にもいるものね。
2、3人。


1954 名前: kotarou 投稿日: 2000/07/11(火) 11:50
『1764 名前: 桐山猊下とサリン事件 投稿日: 2000/07/07(金) 19:00

>日蓮正宗と池田教の相克

池田は自分を超能力者だとは宣伝していません。
だから山崎に裏切られても、レイプ事件を引き起こしても「予知能力」の有無を問われません。
桐山管長猊下はどうでしょうか?
猊下は自称超能力者です。
だとすればあのような失態は致命傷の筈です。
単なる田舎の小さな事件ではありません。
ニセビールや詐欺や私文書偽造でもありません。
世界を騒がせた大犯罪事件ですよ。
そしてそれによって阿含宗も信者が激減したわけですから、
教団の存亡に係わる立宗以来はじめてとも言える「重大事件」だったはずです。
そんな身近な事さえ予知できないようではなにが「超能力」ですか?
まさにお笑い種とはこの事です。
信者の方々はすぐに都合の悪い事に目をつぶりますが、世間は冷静に見ていますよ。
あの大量無差別殺人事件の首謀者達が師として仰いでいた「桐山管長猊下」として。』
まあ議論のかみ合わない事おびただしい。
桐山猊下も林被告も同じ宗教を共有した時が有る。
創価学会も一時期日蓮の弟子と主張していた事も有る。(今もかも)
宗派が異なっても「無限地獄におちいる」と罵る必要は無いだろうに。
と言っているのです。
超能力の無い日蓮信者は、お互いが地獄に行くといい、
超能力の有る桐山猊下は、無傷でいる。
とでも言えば良いのかしら。
同じ仏教徒として、元同胞にかくも辛らつな日蓮正宗と池田教
に私は理解できないのです。


1955 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 12:36
> あの大量無差別殺人事件の首謀者達が師として仰いでいた
「桐山管長猊下」として。

過去形になっていますよね。正解です。

麻原も自分で宗教法人認可の申請をして、教団の主催者として
独り立ちしたのだからあとは自己責任のもとでやっていく。当たり前
すぎるくらい当たり前のことでしょう。そうでなければ
オウムを旗揚げした意味が無いですよね?

麻原についていった連中も同様です。無理に引き止めはしません。
それ以前に彼らとは教法のうえでの繋がりは無いんですがね。
麻原が阿含宗で特別に法の伝授を受けたというはなしも聞かないですし。
そもそも伝法会に参加しておりません。

かたやどの宗教団体やグルのもとで修行しても最終段階までやりとげる
ことがとうとうできなかった教団主催者。(Nステ―ション既報)

桐山猊下は一生を賭けて釈尊の教法の真髄に迫ろうとなさっておられる
かたです。




1956 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 12:38
>1954
文意不明。レポート再提出。


1957 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 12:48
>1954kotarou さん。どうも日蓮系の方のようですが。
名前の最後の一文字 u を見ると高齢の方ですか。

>超能力の無い日蓮信者は、お互いが地獄に行くといい、
>超能力の有る桐山猊下は、無傷でいる。
>とでも言えば良いのかしら。
>同じ仏教徒として、元同胞にかくも辛らつな日蓮正宗と池田教
>に私は理解できないのです。

日蓮聖人の教えた擬似仏教には救いがないから、お互いに
「地獄へ行く」と確認しあっているのですか?
仏陀の教えには、法華経もないし、法華経の受持者にたい
する救いも説いていない。題目を唱えても来世に成仏でき
ると言う教えもない。だから、救われないとお互いに確認
しあっているのでしょうか。

>超能力の有る桐山猊下は、無傷でいる。
そうですよね。

どうも、文意不明です。




1958 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 12:54
>1948
>管長先生の偉大さがわからないとは
>IQが低い証拠だな。

で、桐山先生を信じている阿含宗の信者は
皆さんIQが高く、高貴で光の世界に住んでいるのね。
ろくに反論もできずに、罵倒するだけなくせに、
自分たちのIQが高いなんて、よく言う。
こいつら本当に恥知らずが多い。
今時、IQなんて古典を出してくるところが、
桐山さんの弟子らしいや。
キリスト教文明が崩壊して、
阿含宗を中心とした仏教文明ができるんだってさ。
西洋に対して東洋が台頭するなんて百年も前に言われた内容だよ。
桐山さんみたいにIQが低くないと、
こんなふうに時代錯誤になるのかい。


1959 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 13:19
>1958
日本の宗教教団、1000あれば999は偽物。
本物を見分けるには知性が必要だね。
なにもかも「だまされる」と思いこんで、本物
がみぬけない人もいる。


1960 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 13:22
>1959
同じ罵詈雑言を繰り返す人って、本当にIQが
低いと思いますね。


1961 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 13:30
桐山管長のIQは高い。本当に驚くべきIQの高さだ。
私が知っているどの大学教授クラスの人よりも格段に
高い。これは、大学教授クラスの人の評価ができる人
にしかわからないけどね。
桐山管長をなじる人でも、著書がゴーストライターだと
言う人はないものね。4,5日で一冊書き上げる人だと
いうくらいのことは認識しているわけだ。例え、その内
容は理解できなくてもね。


1962 名前: 渡海 難 投稿日: 2000/07/11(火) 19:28
>1921 風神雷神の動きを調べる為に米国の民間気象予測会社に送金。

モンゴルに関しては確か2ヶ月くらいまえから募集と日程の発表があって、
柴燈護摩を現地で修法するにあたっては大火災に対する配慮からして
どうだろうか?という声が会員のなかにもあったほどでした。常識では
考えられない事を成し遂げたわけです。

で、1921さん、情報元はどこから仕入れたんでしょうか?????


1963 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 20:21

1960
>同じ罵詈雑言を繰り返す人って、本当にIQが
>低いと思いますね。

そうですよねー。
何の論理せいもなく、
ろくな説明もできないくせに、
ただ迷信・妄想をありがたがっている人って
本当にIQが 低いですよね〜。


1964 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 21:40
1959 さんへ

>日本の宗教教団、1000あれば999は偽物。
>本物を見分けるには知性が必要だね。
>なにもかも「だまされる」と思いこんで、本物
>がみぬけない人もいる。

あのー、ここに来たばかりの初心者です。
「本物」と「偽物」を見分けるにはどうしたらいいのでしょうか?
また「本物の宗教教団」とは、どういう中味なのでしょうか?
おしえてください。
必ずレス下さい!!!!



1965 名前:  名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 22:20
↑これって反阿含臭いっすね!


1966 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 22:34
>1962 さん
>モンゴルに関しては確か2ヶ月くらいまえから募集と日程の発表があって、
>柴燈護摩を現地で修法するにあたっては大火災に対する配慮からして
>どうだろうか?という声が会員のなかにもあったほどでした。常識では
>考えられない事を成し遂げたわけです。

募集は4月27日の関東別院での例祭からですから、
2ヶ月前ではなく、約1ヶ月前です。

会員の間で話があったのに、どうして
桐山さんは直前の5月の例祭ですら、
大火災について何もいわなかったのですか。
大火災どころか、法話でも定例会でも、
モンゴルのモの字も出ていません。

1962さんの書き込みが典型です。
信者の間では話がこのようにどんどん膨らんで、
いつの間にか、2ヶ月も前から、
大火災について阿含宗の中で話し合われて
いたことになってしまうのです。
まさに、常識では考えられない事です。


1967 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:07
>1964
宗教はある意味で書物と一緒ですね。表紙、裏表紙、
本文、頁、中身。どの本でも形は同じ。
宗教も同じ。導師、信徒、教え、祈り、ささげ物(香、華、灯 etc.)
書物も中身が問題、宗教も中身が問題。
それを見分けるのは、その人の知能と境涯です。



1968 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:09
>1961さん
>桐山管長のIQは高い。本当に驚くべきIQの高さだ。

そうだ、そうだ。
犯罪者、特に詐欺師は驚くべきIQの高い人がいる。


1969 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 23:09
>1961
>桐山管長をなじる人でも、著書がゴーストライターだと
言う人はないものね。4,5日で一冊書き上げる人だと
いうくらいのことは認識しているわけだ。

桐山氏の本は焼き直しが多く、
表紙が違うだけで中身はほとんど同じです。
「書き下ろし」というのがほとんどないから
出版されるのが早いだけだよん。

桐山の本、どこを切っても金太郎!


1970 名前:  名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 23:13
>1966さんは元会員さんですか?お詳しいですね。

> 募集は4月27日の関東別院での例祭からですから、
2ヶ月前ではなく、約1ヶ月前です。

ガンダン寺にて大柴燈護摩が厳修されたのが6月5日、これを指して
「約一ヶ月前」とおっしゃっているわけですよね?

1962さんは
> 確か2ヶ月くらいまえから

と書かれていますね。記憶によっては多少の幅は
あるんじゃないでしょうか。「2ヶ月以上まえから」となると、
またニュアンスが違ってきてしまいますがね。

> 会員の間で話があったのに、どうして
桐山さんは直前の5月の例祭ですら、
大火災について何もいわなかったのですか。
大火災どころか、法話でも定例会でも、
モンゴルのモの字も出ていません。

何故でしょうね。あちらの現状を考えると
迂闊な発言は出来ないと思われたのか?
それはわかりません。

> 1962さんの書き込みが典型です。
信者の間では話がこのようにどんどん膨らんで、
いつの間にか、2ヶ月も前から、
大火災について阿含宗の中で話し合われて
いたことになってしまうのです。
まさに、常識では考えられない事です。

おかしいですね、あなたがもし元会員だとすると
周りの人間でモンゴルの大火災について
心配していたかたがいなかったのですか?

> まさに、常識では考えられない事です。

本当ですね、常識を疑います。




1971 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:15
>1966さん、文章が読めてませんねえ。
>いつの間にか、2ヶ月も前から、
>大火災について阿含宗の中で話し合われて
>いたことになってしまうのです。


>モンゴルに関しては確か2ヶ月くらいまえから募集と日程の発表があって、
>柴燈護摩を現地で修法するにあたっては大火災に対する配慮からして

2ヶ月前の募集と日程の発表。
実際の準備段階での大火災に対する危惧。
この二つがつながっているのです。
わざとなのか、本当に誤読なのか。IQ低いねえ。



1972 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:19
>1969さん、
桐山管長の著書の三分の一は同じ事がかかれているのです。
阿含宗の教えの概要ですね。始めて読まれる方にも分かる
ようにです。残り三分の二が新しいことなのです。どこを
読んでも同じなら、それはあなたが本を読めないからです。


1973 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 23:20
1967さん
>宗教はある意味で書物と一緒ですね。表紙、裏表紙、
>本文、頁、中身。どの本でも形は同じ。
>宗教も同じ。導師、信徒、教え、祈り、ささげ物(香、華、灯 etc.)
>書物も中身が問題、宗教も中身が問題。
>それを見分けるのは、その人の知能と境涯です。

レスありがとうございます。
自分には難しくて、おっしゃってることがよくわかりません。
もう少し丁寧におしえていただけると嬉しいです。
「宗教も中身が問題」というのはよくわかります。
たとえばここは阿含宗のスレッドですが、
阿含宗では自分のような新参者にはどのように説明されているのでしょうか。


1974 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:29
しかし、大旱魃、大火災の現場に到着。
護摩供養前夜のレセプションでモンゴル首相に降雨を約束。
約束するやいなや、ウランバートルを中心に暗雲が終結。
翌日の護摩供養でモンゴル全土に大降雨あり。
五日間で全土の火災が鎮火し、旱魃に苦しむ人々が救われた。

この単純明快な事実に、どのように難癖をつけているのですか。
1)米国の民間気象予測会社に送金
2)モンゴルの行事の予定発表はいつ
3)信徒の間での火災についての話し合いはいつ
この1.2.3ってなんですか。馬鹿じゃないの?



1975 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 23:31
>1972
>桐山管長の著書の三分の一は同じ事がかかれているのです。
 阿含宗の教えの概要ですね。始めて読まれる方にも分かる
 ようにです。残り三分の二が新しいことなのです。どこを
 読んでも同じなら、それはあなたが本を読めないからです。

「始めて読まれる方」じゃなくて
「初めて読まれる方」でしょ。
漢字読める?
「三分の二が新しいことなのです。」と言うなら、
あんたの方が本読めないんだね。
でなきゃ最近の本だけしか持ってないんですよ、そりゃ。



1976 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:34
>1973さん、
腐った人間には、ちゃんとした書物と、腐った書物の
区別がつかないのです。
あなたは、腐っているのですか、腐ってないのですか?


1977 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:36
>1975さん
始めて?初めて?
広辞苑引いてみなさい。


1978 名前: >1975 投稿日: 2000/07/11(火) 23:39
変換ミスなど一々指摘しない!
あなたは過去に、誤変換・誤字・脱字・タイプミス、一度もした事ないの?

それだけ。


1979 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/11(火) 23:48
>1976さん、

>腐った人間には、ちゃんとした書物と、腐った書物の
>区別がつかないのです。
>あなたは、腐っているのですか、腐ってないのですか?

ずいぶんひどい物言いをするんだねえ。
こういう喧嘩腰で言われるようなこと、自分がいつしましたか。
阿含宗って、新参者にそういう対応するんですか。ずいぶん失礼だね。
驚きましたよ。

もういいよ。がっかりしました。
二度と来ません。


1980 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:51
>1978さん、
初めてでも、始めてでもどちらでも良いみたいですよ。
しかし、変換ミスまがいまで攻撃してくる、悪辣な人間ですよねえ。
モンゴルの奇蹟に対する難癖のつけ方を見ていると、管長の履歴に
対する攻撃の悪辣さもよくわかります。現世成仏などまったく原文
と異なる虚偽の解釈をしてくるのですから。(一部引用って怖いで
すね。文意が全く変わってしまいます。)
悪辣なんて言葉を2回も使いましたが、ほんとうに普通じゃない。
取り合わないのが一番良いのでしょうかねえ。


1981 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/11(火) 23:53
>1979さん、
あなたはここの常連さんです。文章を読めば分かります。


1982 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 00:00
>1979さんは、
仏教初心者ではなく、中年以降の仏教すれっからしです。

ずいぶん、ひどい、物言い、ねえ、喧嘩腰、自分が、
しましたか、新参者、対応、失礼だね、がっかり、
二度ときません、

これらは、ここに来たばかりの初心者の言葉ではありません。


1983 名前:  名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 00:24
>1980さん
> 取り合わないのが一番良いのでしょうかねえ。

わたしも正直そう思いますよ、会員が発言しなくなると
生きがいを失う人たちもいるだろうけれども。

ま、こ―ゆ―場所って批判する側に立ったほうが
やりやすいですけどね・・・・。



1984 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 01:35
↑よーちえんおばさんだってめいっぱいやりやすいでしょう。批判は無視してバカさらしてるだけなんだから。


1985 名前: 1983 投稿日: 2000/07/12(水) 01:57
い―え、ワタシはよ―ちえん
おばさんのキャラ、すきですよ(笑)


1986 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 03:07
↑それじゃ、あなたもそうとーおバカなわけだ。


1987 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 03:12
つまり自画自賛ってわけね。(爆笑)


1988 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 11:31
みなさん、おはようございます。昨夜は何の話もなかったようですね。
気象庁を買収して雨を降らせたの?とか?
漢字変換ミス指摘。始めて、初めてはどっちでもいいんですよね。
学校で習いました。the beginning か for the first time なのでしょう。
初心者のふりをしたかたはすぐに見破られてしまいましたね。
これも嘘つきおじさん@一周年さんでしょうか。
必ずレス下さい!!!! なんて書いていたら、嘘まるわかりですよ。
物言いなんてかくと、私の父の世代、昭和一桁まるわかり。
年取ってもお元気で書きこみされているんですねえ。
よーちえんおむかえまで2時間か。さあ、しごとしよう。さよーなら。


1989 名前: モンゴルの奇跡? 投稿日: 2000/07/12(水) 12:13
>1974さん
>護摩供養前夜のレセプションでモンゴル首相に降雨を約束。
>約束するやいなや、ウランバートルを中心に暗雲が終結。
>翌日の護摩供養でモンゴル全土に大降雨あり。
>五日間で全土の火災が鎮火し、旱魃に苦しむ人々が救われた。

奇跡だと主張するなら、
事実を一つ一つ確認していくのが当然です。
レセプションは前日ではなく、二日前です。
6月5日は雨は降ったが、「大降雨」などありませんでした。
5日間で全土が鎮火などしていません。
モンゴルの国家緊急委員委が鎮火を発表したのは17日です。
もちろん阿含宗のおかげでなど一言もありません。

1974さんは人をバカよばわりする前に、
阿含宗が発表している内容をもっと調べて書いたらどうですか。
書いている内容は阿含宗発表とすら違っています。

批判を一人の人がやっていると“透視”されているようだが、
1)米国の民間気象予測会社に送金
2)モンゴルの行事の予定発表はいつ
などとは私は質問していません。


1990 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 12:36
>1988さん、
子育てにお仕事に大変ですね。文筆関係のお仕事ですか?
しかし「まるわかり」が二つ並んでいますよ。お急ぎだったのでしょうが。

>>新参者にそういう対応するんですか
これもなにか、徒弟制度(お寺、華道、茶道など)を感じさせる言葉ですね。
いま昼休みで事務の女性2名(20代半ば)に聞いてみましたが、新参者と
いう言葉は「使わない」ではなく「知らない」といっていました。
ここで阿含宗を非難されている方たちが、何宗のものであると名乗っていただ
けたらこんな詮索はしなくて良いのですが。

また、元阿含宗徒風に語られる方で、阿含宗内部の例祭の模様とか非常にお詳
しい方がおられますよね。こう言う方は偽会員になって情報収集されているの
でしょうね。このボードを見ると、そのくらいのことはやりかねない感じがし
ますねえ。



1991 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 12:40
1989さん
この幼稚園のオバサンに何を言っても無駄だよ。
嘘や誤認を指摘されても、まったく「無傷」で、
次の攻撃を始める。
これが阿含宗でいう霊障のホトケなんじゃないか。
自分じゃ、管長大好きで、
阿含宗を守っているつもりなんだろうけど、
桐山さんの顔に泥を厚塗りしていることすら
気がつかない。
このオバサンは宗教以前に問題ありだ。
きっと幼稚園や近所でも鼻つまみだろうが、
本人はまったく自覚がない。



1992 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 13:04
>1989さん、
私達阿含宗徒よりお詳しい方が、どうして、同じご質問を繰り返さ
れるのでしょうか。よくご存知ではないですか。別に裁判でもござ
いませんから、私はある程度の流れがわかれば良いのです。

>レセプションは前日ではなく、二日前です。
>6月5日は雨は降ったが、「大降雨」などありませんでした。
>5日間で全土が鎮火などしていません。
>モンゴルの国家緊急委員委が鎮火を発表したのは17日です。
>もちろん阿含宗のおかげでなど一言もありません。

ついでに教えていただきたいのですが、阿含宗徒がモンゴルに到着
したのは何日なのでしょうか。レセプションはいつといつあって、
桐山管長が降雨、消火祈願を首相にお約束したのはいつだったので
しょうか。モンゴル首相のお名前もついでに教えてくださいませんか?
護摩供養の後にパーティーがあったらしいのですが、それはいつな
のでしょうか。大雨で雹も降り、おかげで文化大臣がパーティーに
遅刻し、スピーチで桐山先生の雨のせいで遅刻したと述べられたそ
うなのですが、真偽は?また、モンゴル中の人々が雨に喜び、桐山
管長と阿含宗徒を称えたと聞いておりますが、真偽は?
モンゴルは、日本国土の20倍の面積で、北海道以上の地域が焼失
し、なお90ヶ所以上で草原森林火災が発生していた。
それが6月5日のお護摩から、6月10日頃ほぼ鎮火、6月17日
に国家緊急委員委が全国を確認して完全鎮火宣言をされたのであれば
すばらしいことだと思うのですが、それについて、あなたはどう
おっしゃりたいのですか。

モンゴル全土が焦熱地獄に陥っていた。お護摩の後には、即座に
緑あふれる潤いに満ちた、平和な楽土が回復していた、という
ことが大事なのではないのですか。

あなたの全身が焼け爛れて苦しんでいた。お祈りして奇蹟の治癒
を得た。それが、直後だった、5日後だった、完治したのは12
日後だったと、あげつらう真意は何ですか?




1993 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 13:09
>1991さん
嘘つきおじさんとよーちえんおばさんの対決ですね。
続きを期待しています。


1994 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 13:14
>1992さん
そうですよね。阿含宗徒がモンゴルに到着したときは
かの地は「焦熱地獄」であった。
お護摩が終わってからは「緑あふれる潤いに満ちた」
豊かな大地が回復していたのですよね。
地獄のカルマを吹き払って、仏陀の平和の楽土が出現
したのです。
一日一夜のできごとですから、モンゴルの人々は驚喜
したでしょう。


1995 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 13:36
どーでもいいけど、幼稚園うんたらの人は宗教云々以前に性格破綻しているようです。阿含宗に入っても愚かさと性格の悪さは治せないみたいだね。精神を病んだ人が入るナントカ病院、あっ、でもバカに付ける薬はないから行っても治療不可能か。だから宗教に頼るんだろうな。おばちゃんの書き込み見てると「宗教」が「臭狂」。ついでに阿含宗は「阿呆臭」、アホウシュウでもアホクサイでもどっちに読んでもいいよ。(爆!


1996 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 15:29
みなさんこんにちは。3時のおやつでーす。
きょうはプチサンドのチョコレートまき、ジャムまき、
蜜豆まき。チキン少々。150Kcalはあるわねえ。
究極のダイエット中なんだわ。教えてほしい?ふふっ!
きょうのここはコメントには値しないね。まともなコ
メント書けよ。それではね。さよーなら。



1997 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 16:07
>1995さん、
あなたが怒っているわけが今わかりました。
>1988
>初心者のふりをしたかたはすぐに見破られてしまいましたね。
>これも嘘つきおじさん@一周年さんでしょうか。
>必ずレス下さい!!!! なんて書いていたら、嘘まるわかりですよ。
>物言いなんてかくと、私の父の世代、昭和一桁まるわかり。
>年取ってもお元気で書きこみされているんですねえ。

これが図星だったんですね。やはりあなただったのか。





1998 名前: 皆様へのお願い 投稿日: 2000/07/12(水) 18:12
皆様へのお願い。
このスレッドは長大化しすぎています。
「阿含宗という宗教2」というスレッドを
立ち上げました。
議論の続きはそちらに書き込みをお願いします。


1999 名前:  名無しさん 投稿日: 2000/07/12(水) 18:20
嘘つきおじさんはヒッキ―野郎と見ているんですが、違うのかな?


2000 名前:  名無しさん@1周年 投稿日: 2000/07/12(水) 18:35
うおおおお!2000取ったり|


2001 名前:投稿日: 2000/07/12(水) 18:39
おめでと。でも”2”に移れよ。


2002 名前: Mr,2000 投稿日: 2000/07/12(水) 18:51
諸先生方、ご協力有難う御座いました。m(__)m(^^ゞ


2003 名前: にゃにゃ 投稿日: 2000/07/12(水) 20:40
すごいですにゃ、2000とうとうこえましたにゃ…。
新しく”2”ができたのですね、誰か作ってくれるかにゃア、と
思っていたのですけどね。うむぅぅ。

ところでどこまで続くのかにゃぁ…http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=963392863


阿含宗という宗教(1) ここまで。