無料アクセスカウンターofuda.cc「全世界カウント計画」

■掲示板に戻る■ 関連ページ 全部 1- 最新50

[PR]

阿含宗という宗教85
1 :口下手番長85:2005/05/25(水) 11:17:21 ID:OisgCOn1
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
「阿含宗という宗教84」の続きです。
過去の関連スレッドは下記に掲載しています。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
初めての方は過去ログをお読みください。
ダウンロードして保存することをお勧めします。

2 :口下手番長85:2005/05/25(水) 11:17:56 ID:OisgCOn1
初代「口下手番長」さんの宣言文。

皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします
また、私も阿含宗の資料が集まり次第ここへ書き込みいたしますので
どうか宜しくお願いします。

3 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:39:48 ID:DNUkeg7A
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から部分転載
>[766]大王の使者 05/05/24 12:11 rc2ecOjrSC
>仏教は、善いことをして悪いことをするな、との教えだといいます。
>善い行為(業)をして悪い行為(業)をするな、ですね。
>悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる。
>それができたら更に、業そのものを脱出して涅槃へ至る。

あなたは、
「悪いことをしない」→「悪い行為をしない」→「悪業をしない」→「悪業から脱出」
と、連想を誘いながら、言葉を置き換えている。
最初と最後を比較してみればわかるように、こんなことは成り立ちません。
悪業を切る、悪業解脱とは書かずに、脱出と書いてごまかした。
今から悪いことをしないとは、悪業から脱出することではない。
釈尊は今から悪いことをするなと説いているだけで、
教えのどこにも悪業脱出、悪業切り、悪業解脱などない。
あなたは意識的にこういう小手先のゴマカシをしているのだろうか、
それとも、国語としても成り立たない内容を本気で書いているのですか。
桐山さんに植え付けられた悪業を切るという概念から出られないのですね。
釈尊と弟子たちはカルマから脱出など説いていないし、
現実の桐山さんもカルマからの脱出どころか、悪業にまみれている。
これだけ明瞭にカルマ解脱など成り立たないことを見せられても、
悪業解脱にしがみついているあなたの姿にはタンハーすらも感じます。

4 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:41:36 ID:DNUkeg7A
>[782]大王の使者 05/05/24 17:25 rc2ecOjrSC
>前世の業(行為)のことですが、業は変えられなくても、報いは変えられ
>ると思います。例えば、前世の悪業が、−30点だったとしても、現世で
>20点の善業を積めば、受ける報いは−10点で済むかも知れませんね。

報いを変えることを業を変えると言っているのです。
横変死の因縁とは、前世で悪業を作り、その結果自分も相応の悪業を受けるという考えです。
つまり、横変死の因縁とは業の報いのことです。
業が変えられないとなると、今度は報いなら変えられると言い換えたつもりですね。
業だの報いだのと言葉であれこれ言い換えても意味がありません。
これを変えられるとは言っていないのが釈尊で、
変えられると言っているが、変えた様子がないのが桐山さんです。
算数は0点だが、国語で100点とったからいいと言っているようなものです。
国語がいくら成績がよくても、算数は0点から1点も上がることはない。
両者は別物です。

5 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:43:18 ID:DNUkeg7A
>[782]大王の使者 05/05/24 17:25 rc2ecOjrSC
>前世の業(行為)のことですが、業は変えられなくても、報いは変えられ
>ると思います。例えば、前世の悪業が、−30点だったとしても、現世で
>20点の善業を積めば、受ける報いは−10点で済むかも知れませんね。

経典には、金持ちだったのに、物質的な豊かさを楽しむことができないまま
孤独に死んだ人の話が出てくる。
彼が金持ちになれたのは前世で聖者に供養した功徳だという。
だが、供養した時、惜しいと思いながら供養したため、
せっかく金持ちになれたのに、楽しむことができなかった。
両者は相殺することはない。
善業は善業のまま、悪業は悪業のまま、本人に報いが来るという話です。
阿含宗や使者さんのような悪業を善業で帳消しするという考えは
取引信仰だということに気がつくべきです。
自分の悪業を神仏に供養して善業を積むことで、
帳消しにしてもらうというのは、マネーロンダリングと同じで、
カルマロンダリングで、神仏を自分の悪業の浄化器に使っている。
阿含宗はこういう点でも低級な取引信仰です。

6 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:46:32 ID:tle4vS5D
>[782]大王の使者 05/05/24 17:25 rc2ecOjrSC
>前世の業(行為)のことですが、業は変えられなくても、報いは変えられ
>ると思います。例えば、前世の悪業が、−30点だったとしても、現世で
>20点の善業を積めば、受ける報いは−10点で済むかも知れませんね。

これはあなたの考えというよりも、このようにありたいという願望ですよね。
桐山さんに横変死の因縁などの前世の悪業の恐怖心を植え付けられ、
仏に供養すれば悪業を浄化してやるぞと取引を持ちかけられて、
すっかりビビッているのが使者さんです。
だから、あなたはこういう善業悪業の取引信仰から抜けられない。
一見、業や業報、縁起の法など仏教の議論をしているように見えながら、
あなたの背景にあるのは桐山さんから植え付けられた悪因縁への恐怖心です。
私も信者時代は自分では意識しなかったが、同じような恐怖心を持っていた。
桐山さんの因縁などの霊視能力に疑問を持ち、
言っていることが釈尊の教法ともずいぶん違うことに気が付き、
もしかしたら、自分は悪因縁という恐怖心を植え付けられているのではないかと疑った。
前世の業どころか、自分の業すらも見る力もない桐山さんの脅かし文句に
まんまと乗せられたのだから、あなたを笑う気持ちはありません。

7 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:57:08 ID:tle4vS5D
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から部分転載
>[799]星祭@カルマ脱出 05/05/24 23:08 9IlyhGbdOd
>ち がうでしょ、カルマとは存在原理そのものです。
>ゲイカの説く、因縁解脱は、エネルギーの消滅ではなく、ベクトルの方向の向きを変えることにほかなりませ ん。
>つまり、悪業における報いの向きを善事によって反対方向に変える。
>また、カルマの影響をうけなくなる存在こそ仏陀にほかならない。
>それはエネルギーの 消滅というものではありません。影響下を脱け出すということだから「解脱」という。

エネルギーの消滅という表現は不適切だというなら、エネルギーを断つと言い直しましょう。
しかし、カルマそのものが何なのかわからず、
カルマを変えるとはどういうことなのかもわからない。
エネルギーの消滅と方向を変えるというたとえで因縁を切ることと、
因縁を変えることの違いを説明したにすぎません。
たとえを引っ張り出して、消滅とはケシカランなんて、
さすがは星祭さん、因縁付けの阿含宗ですね。
エネルギーは姿を変えるだけで消えないというなら、
では、どうして人間はカルマを作ることができるのですか。
この世の法則というなら、無から有を作ることはできない。
作れるのだから消滅もできる、という理屈も成り立ってしまう。
あなたも私も、そして桐山さんにもカルマなんて見えない。
見えないし、あるかないかわからない物を断ち切る、変える、消滅させる、
と表現するかどうかに、なにほどの意味があるでしょう?
たとえ話に因縁を付けて、高飛車に説教するのがあなたの快感なのですよね?
もしかして、普段も道場でそんな態度で、信者の言葉尻に因縁を付けて、
自分ではとても偉いつもりで、嫌われているのではありませんか。

8 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 12:58:34 ID:tle4vS5D
『祈りは天地を動かす』P.77〜78
成仏法は、「因縁解脱」の法であって、業(カルマ)を断ち切る法なのです。
それは、個人とか、社会とか、そういう区別はないのです。
この世に存在するものすべて、天地自然、生物も人工物も、すべてのきはん
(きずな・制約・束縛)を断ち切る法なのです。人間だけに限ったものではない。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』162頁
「密教で成仏法を得、阿含で成仏力を得た」
という一語に尽きるでしょう。
それはどういうことなのか?
不成仏霊をはっきりと霊視して、因縁とカルマの根源をあますところなく見きわめ、霊障の
亡者を成仏させて霊界に送りとどける力、です。
すなわち、カルマを断つカです。
わたくしはこの力を阿含で得たのでした。

『仏陀の法』127頁
四神足法を成就したとき、その修行者は、仏陀に準ずる聖者になる。
業を超え、因縁を解脱し、生者、死者ともに解脱成仏させる大聖者である。

『ダルマチャクラ』、128号、2000年、9−10頁
わたくしは有余依涅槃に入っています。成仏法・七科三十七道品の四神足法(四如意
足法)を成就して、肉体を持ったままニルヴァーナを体得し、有余依涅槃の聖者になっ
ています。わたくしは四神足法を成就して、有余依涅槃に入っていることを自覚している。

9 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:05:52 ID:tle4vS5D
>[801]星祭@どうかね? 05/05/24 23:15 9IlyhGbdOd
>悪 いカルマを切って普通のカルマを切ったのがアラハンだって、ハァ?
>いつゲイカがそう言いましたか?またどの書物にかいてあるわけ?

何度も引用してあげているのに、読みもしない。
>>8に引用したように、アラハンになるためにはカルマを切ってしまうのが最小限の条件です。
桐山さんは四神足を成就して有余依涅槃の聖者になったと言っている。
有余依涅槃の聖者は生きるに最小限のカルマが残っているだけで、
これ以外のあらゆるカルマは切ってしまったのだというのが、桐山さんの定義です。
四神足法は成仏法の要であり、成仏法=因縁解脱であると述べている。
因縁解脱とは、悪因縁というカルマを切ることです。
カルマを切る→因縁解脱→成仏法→四神足→有余依涅槃の聖者=アラハン
カルマを切ってしまうことはアラハンになるための必要条件です。
私は文献を元に説明しました。
反論する時には、自分のほうからまず文献を出し、
「桐山ゲイカはこれこれと書いているから、おまえの主張は間違っている」と書くべきです。
あなたは都合が悪くなると、いつも沈黙でごまかす。
と、書かれたのだから、使者さんを見習って、沈黙しないで桐山さんの本を引用してくださいね。

10 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:09:26 ID:tle4vS5D
>[802]星祭@原理原則 05/05/24 23:26 9IlyhGbdOd
>縁 起の法や四諦の法門は釈迦の説く真理であり原理です。
>どのような物事にもあてはまるものです。
>因縁解脱に当てはめるのは無意味とはとんでもないことです。
>苦を想定してその因と消滅と道を説く、ゲイカの因縁解脱も同じです。
>ただ、あなたは因と苦の当てはめかた、想定のしかたが間違っていると言いたいのでしょ う。
>まったく仏教をわかっていないのはあなたですね。

縁起の法、四諦が真理である、どんな物事にもあてはまるというあなたの二行目までの主張には賛成です。
批判側で反対した人などいない。
問題は、三行目以降です。
因縁解脱という言葉を突然出してきた。
あなたの頭では因縁解脱は当たり前の当たり前だが、
仏教では、縁起の法、四諦は当たり前の概念でも、
因縁解脱なんて単語も概念も最初から存在しないのです。
解脱因縁、縁起因縁、四諦縁起、なんて単語をあなたは理解できますか。
いずれも仏教用語を組み合わせたものだが、なんのことかわからない。
因縁解脱という単語もこれと同じです。
因縁も解脱も仏教には存在するが、因縁解脱など、概念も単語も存在しないのです。
存在しない単語を当たり前のように用いる人のほうが仏教をわかっていないといいます。

11 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:14:58 ID:tle4vS5D
>[802]星祭@原理原則 05/05/24 23:26 9IlyhGbdOd
>縁 起の法や四諦の法門は釈迦の説く真理であり原理です。
>どのような物事にもあてはまるものです。
>因縁解脱に当てはめるのは無意味とはとんでもないことです。
>苦を想定してその因と消滅と道を説く、ゲイカの因縁解脱も同じです。

因縁解脱のような仏教では使わない単語を、阿含経を依経とする阿含宗が使い、
釈尊が説いたというなら、当然、その典拠、根拠を示す必要がある。
この質問に使者さんが応えて、『超脳思考をめざせ』から説明を引用してくれた。
しかし、10頁に及ぶ説明には、結局、因縁解脱の経典を示すこともできず、
縁起の法や四諦を出しながら、唐突に因縁解脱という単語が飛び出している。
あなたの上記の文章と同じで、まったく脈絡なく、突然、因縁解脱が飛び出す。
桐山さんも星祭さんも因縁解脱は当たり前の当たり前と自己洗脳しているから、
唐突に出しても、なんの違和感もない。
しかし、あなたの上記の文章は、二行目まではそのとおりだが、
三行目四行目は二行目からは大きく飛躍してしまい、意味をなしていない。
説明も何もなく、突然、因縁解脱が飛び出してくる。
だから、たとえば、
「苦を想定してその因と消滅と道を説く、ゲイカの解脱因縁も同じです。」
「苦を想定してその因と消滅と道を説く、ゲイカの四諦縁起も同じです。」
と言っているのと同じです。
星祭さんは私が作ったこの二つの文章の意味が理解できませんよね?
それと同じで、因縁解脱という意味不明の単語を含んだあなたの文章は
普通の仏教徒には理解できないのです。

12 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:20:16 ID:tle4vS5D
>[805]星祭@おやおや 05/05/24 23:48 9IlyhGbdOd
>>803ばかだね、だったら何の救いもないということで仏教たりえない教えだね。
>実際は闇から光におもむく、とブッダももうしております。
>ニセビール製造者も聖職者となり御聖骨を得て仏陀にあいまみえ安心を得た。
>十分なりたっているじゃねえかよ、おい(笑)。

信者の皆さんはごらんください。
三十年以上も阿含宗で心解脱と因縁解脱に励んで、
聖なるバイブレーションを感じるまでに徳を積んだ方が、
文章の初めから「ばかだね」、終わりは「じゃねえかよ、おい(笑)」。
品性のカケラもない。
大先達なら、なにがどう間違っているのか、丁寧に説明をするべきでしょう。
しかし、星祭さんは前から何度注意されても、罵りやあざ笑いをやめることができない。
前にそれをやって、逆に笑われたが、まるで学習効果がない。
信者さんたちは阿含宗の「使用後」としての星祭さんをよく見ることです。
阿含宗にほんとうに法とやらがあるかどうかは、
星祭さんや実行委員長さんなどがよく示している。
彼らを例外的な信者だとは思わないことです。

13 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:24:47 ID:tle4vS5D
>[805]星祭@おやおや 05/05/24 23:48 9IlyhGbdOd
>>803ばかだね、だったら何の救いもないということで仏教たりえない教えだね。
>実際は闇から光におもむく、とブッダももうしております。

自分のなした犯罪を犯罪と認めるのが仏教の救いです。
桐山さんや星祭さんの救いとは、自分の欲望やワガママを認めさせることです。
お二人に都合のよい救いなど釈尊は説いていない。
釈尊は自分をあるがままに見て、対峙して、
煩悩に覆われた闇から、煩悩をなくした清らかな光におもむくことを説いた。
桐山さんのように、自分のちっぽけな前科すら認めることができず、
これをありもしない霊障武士や悪因縁に責任転嫁して、
地球壊滅やら横変死の因縁で人々を脅かして目くらましに使うのは、
ただのゴマカシであり、自分から逃げることに他ならない。
桐山さんは食欲、性欲、物欲の欲望だらけ、教団と勲章と山に強い強い執着を持っており、
こういう人を煩悩具足というのです。
桐山さんは煩悩という深い深い闇の中にいる。

14 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:28:33 ID:tle4vS5D
>[805]星祭@おやおや 05/05/24 23:48 9IlyhGbdOd
>ニセビール製造者も聖職者となり御聖骨を得て仏陀にあいまみえ安心を得た。
>十分なりたっているじゃねえかよ、おい(笑)。

これは驚いた。
あなたが書いている聖職者とは桐山さんのことですよね?
桐山さんはニセビールを作ったなんて言っていませんよ。
インスタントビールを造り、合法的に売ろうとしたが、
仲間が勝手に偽ビールを造り売ったのであり、罪を押し付けられたのだと言っているのです。
これは仏様が仕組んだ十界修行だと高々と持ち上げたのに、
信者はあっさりと、桐山さんがニセビールを作ったと認めるとは、
なんともまあ、桐山さんはおいたわしい。
資格もないのに、僧侶を名乗り聖職者になり、
考古学者が発掘していない存在しない御聖骨を得て、
白いシッポの生えた仏陀にあいまみえて、
脳梗塞で頭がヨレヨレになり、安心を得た。
その上、三十年も信者をしている弟子から、偽ビールを造ったと罵られた。
これでは確かに何の救いもない気の毒な老人ですね。

15 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 13:39:05 ID:tle4vS5D
>[806]星祭@いいかげん 05/05/24 23:58 9IlyhGbdOd
>老いてますます盛んで夢の実現に向かって希望に満ちている老人が
>悪趣に落ちた人生を送っているというのかね〜。
>[808]星祭@現実と妄想 05/05/25 00:09 9IlyhGbdOd
>これだけじゃ片手落ち、善い行為に染まればがなけりゃ、また、あきらめずに努力することだよ。

老いてますます盛んに人を霊的に騙そうとして、金集めのために本を書き、
老後の趣味の囲碁や映画作りに向かって邁進しているのは事実ですね。
彼がただの老人なら、元気な老人でもいいでしょう。
だが、嘘で人生を作り、インチキ宗教で人々を脅かし騙し続けた。
宗教詐欺は仏教としては悪趣です。
ましてや釈尊を使って嘘の仏教を広めたのだから、三悪趣です。
星祭さんもヘタレないで釈尊を罵り、霊感商法のお手伝いをお続けください。

16 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 18:30:00 ID:6zF1KvDf
間脳を開発する瞑想法を教えられてます。

17 :孔孔富隼 :2005/05/25(水) 18:30:58 ID:qz8bxMQv
ドナタがたてられたスレかは分かりませんが、アリガトウゴザイマス。
私も少々のスレ汚しをさせて頂くことをお許し下さい。

18 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 18:32:47 ID:RMAa8Lqp
>>16

どんなの?

19 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 18:41:39 ID:KtscoYfT
>>16

あなたの間脳はどうなったの?

20 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 18:41:45 ID:KtscoYfT
>>16

あなたの間脳はどうなったの?

21 :ア−末世・・霊界大戦・・屹度来福 :2005/05/25(水) 19:05:03 ID:qz8bxMQv
巨人達の顔が一斉にこちらに向いた。闇の中に真っ赤な発光ルビ−
これは不気味。巨人と言っても斎戒沐浴しているのですから、
一片の仏心はあるはずと安心はしていましたがネ。
しかし、その赤い心眼から光線が出てきたときには、
終わりだと心底おもいました。ルビ−からの光線とはレ−ザ−ビ−ムですよ。
兵器ですからネ。我々は一瞬にして蒸発しなかった?
アレ、生きてる。熱くない。しかし、前にも後ろにも船は進まない。
赤いビ−ムに引き寄せられるように、船は巨人達の足下に、
引き寄せられた。トウトウ、捕獲されて、部屋に連れて行かれた。

22 :ア−末世・・霊界大戦・・屹度来福 :2005/05/25(水) 19:27:29 ID:qz8bxMQv
尋問の必要は全くない。全てお見通し、
私を引っ張り出した存在が、捜索された。
スグ、見つかり、かの存在が、尋問されているようだった。結果は?

23 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 20:19:40 ID:MahP4yme
>批判のポイントは、釈尊は業解脱など説いていないということと、

だから愚かな凡夫は困る。
まだこんなことを言っている。
釈迦本人に直接確認したわけでもないのによく言えるものだ。
日中韓で歴史問題が問われているが
経典でも各結集の首謀者が抹殺したり捏造した言葉が少なくないんだよ。
だから経典同士の相互矛盾なんて常識だろ。
仏教教団の歴史は権力争いそのもの。
仏陀にダイレクトで質問できるようになってからものを語れ。

24 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 20:57:48 ID:6zF1KvDf
成功しました。4つの秘密を解きました。
阿含宗の偉大さを証明いました。

会員にも教えてます。

25 :金剛靖雄:2005/05/25(水) 21:24:41 ID:AyI2qVWG
>24
は明らかにジッコウの書き込みであるが
まあ、ゆるしておこう

26 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 21:47:00 ID:CrqRoGpO
>>23 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 20:19:40 ID:MahP4yme
>釈迦本人に直接確認したわけでもないのによく言えるものだ。
>日中韓で歴史問題が問われているが
>経典でも各結集の首謀者が抹殺したり捏造した言葉が少なくないんだよ。
>だから経典同士の相互矛盾なんて常識だろ。

桐山さんは釈迦直説の経典は阿含経であり、
おシャカの成仏ホーが書いてあったと主張しています。
阿含宗は文字としての阿含経を依経としているのであって、
桐山さんでさえ、釈尊に確認して御霊示で捏造したとは言っていません。
阿含経はすべてが釈尊が説いたそのままではないことくらい、
仏教学も桐山さんも認めており、このスレでも誰一人反対していません。
しかし、阿含経を釈尊の説いたものでないというなら、
世の中には釈尊の説いた宗教など存在しないことになり、暴論だ。
というのが、桐山さんの説明で、私もこの意見には賛成です。
釈尊が業解脱など説いていないことに、経典間での矛盾などありません。
偽経典の大乗経典ですら、業解脱なんてない。
釈尊が人殺しを説いていないように、
業解脱は偽の経典ですら説いていない外道の教えです。
偽経典を作った人たちですら、桐山さんよりも仏教を理解していたからです。
以上のように、愚かな凡夫でないあなたの指摘はすべてピンボケです。

27 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 21:57:38 ID:CrqRoGpO
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から転載
>[823]大王の使者 05/05/25 08:59 rc2ecOjrSC
>あるいは、Aという卵からかえったAというニワトリを殺せば、Aという卵
をも殺した、と言えるでしょう。
>あの尼僧の表現をかりますと、「卵もニワトリも破壊し、解脱しておられます」になるでしょう。

成り立ちません。
あなたはニワトリと卵のたとえを、
現実のニワトリや卵の性質を利用して拡大解釈しているにすぎない。
あなたは卵(カルマ)Aが孵化して、ニワトリ(煩悩)Aになり、
これを殺せば、結局、卵(カルマ)Aを殺した、つまり、カルマを断ちきったことになると主張している。
カルマから新たに煩悩が生じたり、従来の煩悩が強められることはありますから、
これをニワトリ(煩悩)Aとたとえること自体は間違っていないでしょう。
しかし、生じ、増えた煩悩(ニワトリA)を切っても、
すでになしたカルマ(卵A)が消えることはありません。
卵からニワトリが孵化するから、卵=ニワトリのように錯覚しているのか、
それとも故意にあなたはこういう錯覚を利用しようとしたのかわからないが、
煩悩が消えてもカルマが消えることはない。
こういう点では、建物と大工さんのほうがわかりやすく、
法隆寺を建てた大工さん(煩悩)はとうの昔に死んでいるが、建物(カルマ)は残っている。

28 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:00:08 ID:CrqRoGpO
>[823]大王の使者 05/05/25 08:59 rc2ecOjrSC
>あるいは、Aという卵からかえったAというニワトリを殺せば、Aという卵
>をも殺した、と言えるでしょう。
>あの尼僧の表現をかりますと、「卵もニワトリも破壊し、解脱しておられます」になるでしょう。

林郁夫は強い害心という煩悩を持ってサリンをまいて、カルマを作った。
人々を殺した段階では、彼はこれを悪業とみなさず、
むしろ聖業をなしたと信じていたのだから、殺人で彼の害心はもっと強められた。
殺人が卵Aであり、強められた害心がニワトリAです。
後に、彼は悪業に気が付いたのだから、
深く反省し、仮に害心という煩悩をなくしたとします。
彼はニワトリAを殺したのです。
では、害心という煩悩をなくしたことで、殺人という悪業(卵A)は消えるのか?
あなたの説ではニワトリAを殺したのだから、卵Aも殺したことになるというが、
現実には、林郁夫の悪業は消えません。

29 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:10:21 ID:CrqRoGpO
>[823]大王の使者 05/05/25 08:59 rc2ecOjrSC
>あるいは、Aという卵からかえったAというニワトリを殺せば、Aという卵
>をも殺した、と言えるでしょう。

アングリマーラが典型でしょう。
人々から石を投げられ血だらけになったくらいで、
百人も殺した悪業が消えてなくなるはずがない。
彼の悪業はそのままだったが、煩悩を完全に断ち切ったから、アラハンになった。
阿含宗ではアングリマーラの悪業を神通力で切ってしまったとか、
血だらけになることで、カルマを消化したという荒唐無稽なオカルト話に仕上げている。
彼が切ったのはカルマではなく、害心という煩悩です。
百人を殺すような害心の持ち主なら、石を投げられた瞬間に、
心に中に相手を殺そうとする煩悩が激しくわき起こったはずです。
おそらく、最初は条件反射のように身体が反撃に出ようとしたのでしょう。
身体の反射を押さえ、心の中にわきおこる怒りや憎しみを押さえ、
自分の奥にある害心までさかのぼって、これを消滅させた。
石を投げられるままでじっと耐えたのは、肉体やカルマ切りの修行ではなく、
彼自身の中にわき起こる煩悩との戦いです。
だから、釈尊は迫害を受けることを百も承知で彼に托鉢に出るように促した。
一つ間違えば彼は死んでしまうかもしれないが、殺されることはないだろうから、
生きている間に煩悩を断ちきるには、瞑想だけでは限界があり、
彼の煩悩を強引に引きずり出すために、
托鉢という戦場に行かせるのが一番だと判断したのでしょう。
信者さんたちはしばしば煩悩を切ることをただの教えだとバカにする。
だが、このアングリマーラを見ても、まだ釈尊の教法がただの教えだと思いますか。

30 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:16:33 ID:CrqRoGpO
>[823]大王の使者 05/05/25 08:59 rc2ecOjrSC
>あるいは、Aという卵からかえったAというニワトリを殺せば、Aという卵
>をも殺した、と言えるでしょう。
>あの尼僧の表現をかりますと、「卵もニワトリも破壊し、解脱しておられます」になるでしょう。

なしたことは消えません。
悪因縁のせいだ、霊障のせいだと他人のせいにするのではなく、
自分がなしたことにあるがままに対決するしか道はない。
釈尊の教法は悪業を切れではなく、煩悩をなくせというものです。
ニワトリ(煩悩)がいなければ卵(悪業)はない。
過去になした悪業にあれこれと気を病むのは無意味だと説いている。

「人は過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。
およそ過ぎ去ったものはすでに捨てられており、また未来はまだやって来ていない。」
(マッジマ・ニカーヤ、131、V巻、第4章)

あなたは前世という過去で作った悪い因縁(カルマ)が切れますようにと過去を追いかけている。
核ミサイルが飛んできても、自分だけは生き残りますようにと未来を願っている。
阿含宗は過去を追わせ、未来を願わせ、煩悩を増大させるだけです。
このような宗教が仏教であるはずがない。

31 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:24:00 ID:CrqRoGpO
>[824]大王の使者 05/05/25 09:10 rc2ecOjrSC
>「木片を焼いたら浄らかさが得られると思うな」という釈迦の言葉ですが、
>別にそのバラモンに木片を焼くことを禁じたわけではないでしょう?
>木片を焼いただけではだめだよ、てことを言ってるのだと思います。
>内面も一緒に焼かないとだめ、といってるのでしょう。

内面を焼くとは煩悩をなくすことです。
煩悩をなくすのに、どうして焚き火が必要なのですか。
あなたは逆から物事を考えている。
釈尊の教法には最初に、煩悩を切れ、がある。
煩悩を切るのに、焚き火は必要ない。
エスキモーには冷蔵庫がいらず、常夏の国でストーブがいらないように、
煩悩を切るのに必要もない護摩を取り入れるなどありえない。
釈尊や出家は衣類と鉢以外何も持たない。
必要のないものをすべて捨て去ったのが釈尊です。
こういう釈尊が、煩悩を断ちきるのに必要としない護摩を取り入れるなどありえない。
護摩に執着する者には護摩を捨てるように説いた。
だから、カッサパ三兄弟も護摩を「捨てて」帰依したのです。
信者さんたちも本当に釈尊に帰依したいのなら、まず護摩を捨てることです。

32 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:32:05 ID:CrqRoGpO
>[824]大王の使者 05/05/25 09:10 rc2ecOjrSC
>「木片を焼いたら浄らかさが得られると思うな」という釈迦の言葉ですが、
>別にそのバラモンに木片を焼くことを禁じたわけではないでしょう?
>木片を焼いただけではだめだよ、てことを言ってるのだと思います。
>内面も一緒に焼かないとだめ、といってるのでしょう。

護摩は必要がないどころか、逆に煩悩を増長させるものです。
釈尊は経典でこのことをはっきり指摘している。

「そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。 」

護摩に取り憑いて、護摩で解脱が得られると慢心していたバラモンへの強烈な一撃です。
あなたはこれをバラモン個人への批判と読んだ。
これはバラモンの心に元々このような煩悩があるというだけではなく、
護摩を焚くことで、慢心、怒り、虚言を増長させていると批判しているのです。
護摩のような呪術や祈祷は慢心、怒り、虚言を増やす働きがある。
釈尊の批判が成り立つことは阿含宗がなによりの証拠です。
護摩を焚く桐山さんや先達たちは、強い慢心、怒り、虚言を持っている。

33 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:42:24 ID:CrqRoGpO
>[824]大王の使者 05/05/25 09:10 rc2ecOjrSC

「そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。 」

使者さんなど、これまでの信者さんたちのほとんどは、
釈尊のこういう言葉はバラモンに向けられたものであり、
自分や阿含宗には関係がないという読み方をする。
元信者の私にはそれがとても驚きです。
まるで桐山さん、阿含宗、信者に向かって、今この瞬間に釈尊が語りかけているようです。
護摩を焚いて、霊的浄化をしている、つまり浄らかさが得られたと信じている。
柴燈護摩や土地浄霊で、桐山さんも信者も釈迦の成仏力で浄化されたと思いこんでいる。
柴燈護摩で世の中を救うのだ、という慢心がある。
私は、釈尊など神仏たちもお喜びになっていると慢心していたら、釈尊本人から、
「木片を焼いたら浄らかさが得られると思うな」
柴燈護摩の誇りと達成感で高揚としていたところに、
頭から氷水をザンブとぶっかけられたような気分でした。

34 :名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 22:49:00 ID:CrqRoGpO
>[824]大王の使者 05/05/25 09:10 rc2ecOjrSC

「そなたの慢心は重荷である。
怒りは煙であり、虚言は灰である。
舌は木杓であり、心臓は〔供犠のための〕光炎の場所である。 」

バラモンではなく、桐山さんにこの批判はそのまま当てはまる。
桐山さんのあの自分くらいエライものはないという強烈な慢心、
オバサン一人に批判されると「キサマ!キサマ!」を連発して、
怒りにまかせて、暴力でつまみ出した。
三宝からして偽物など桐山さんの虚言の灰はトラック何台分もある。
護摩というただの焚き火で世を救い、解脱できるなどと信じる慢心、
他人が認めないことへの怒り、自分を認めさせるために周囲を騙し続けた嘘。
この桐山さんは何千回も護摩を焚いた、護摩の達人です。
護摩なんて、釈尊の煩悩を消せという教えから見たら、百害あって一利なしです。

35 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 05:49:24 ID:uoE5LRRo
阿含宗のお護摩は会員の間脳を開発して、カルマを断つのです。

36 :ア−末世・・霊界大戦・・屹度来福 :2005/05/26(木) 06:48:49 ID:H875uR+f
こちらでは、誰でもが、ミンナであり、ミンンナが一人である。
つまり、究極の平等なのであり、上下関係・
主人・使用人、エライ人・えらくない人の区別は無い。あるのは、スゴイ人には、
体が反応し自然に道を譲るだけ、教えられずとも、カネをもらわなくとも。
そういう巨人に私の導き者は諭されて、彼の行うべき行動が決まった。

37 :アントン :2005/05/26(木) 07:03:15 ID:/YO66ie4
実行には別のアゴン宗論議スレで
MVPをあたえたろう

なんでまたこんなところで
名無し@としてカキコミしているのだ
MVPいただいたのだから引退しろよ

おまえは九州のいなかの会員だってね

これ以上書くと除名もしくは退会勧告が
なされるように運動しますよ

忠告しておくよ
どうぞご自由に


38 :電波:2005/05/26(木) 10:26:41 ID:BF4Pjsxu
実行委員長および
栗花 馨は変質者なのでかかわらないよう
ご注意いたします。
意味不明です。

39 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 12:36:59 ID:Efq4t/SC
前スレ
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

桐山さんは本に限らず、「最初だけ」勢いがいい。
最初は信者が買うから売れるでしょうね。
売れ筋ランキングを出している店を狙って、ファミリーで申し合わせて、本を買っていましたよ。
今も同じ事をしているはずです。
一週間ごとの集計らしいから、引き続き、あなたが調べた書店のランキングを示してください。
平河は、もちろん一般人ではなく、信者が買うことをあてにしている。
ところで、ЯENДAROさんは何冊施本するのですか。
牧童犬さん以外、アナゴン様も、星祭さんも吠える割には、施本の数も出さない。

40 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 12:40:37 ID:Efq4t/SC
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

『守護霊を持て』はこんなものではなかった。
本屋では頼まなくても平積みされて、店の人が驚くほど飛ぶように売れた。
一番の違いは信者が買ったのではなく、一般の人たちが買ったことです。
『守護霊を持て』から6年後の『守護霊の系譜』を書いた時、
桐山さんは大ヒットになると信じていたことをフジウスさんが証言していた。
しかし、さして売れなかったので、施本が始まった。
色紙などのエサで釣って、信者に買わせていた。
以後は啼かず飛ばずで、唯一、一般人が買った本は『オウム真理教と阿含宗』でしょう。
売れたのは、阿含宗を知りたいからではなく、オウムを知りたいからです。
桐山さんの力で売れたのではなく、他人の不幸に便乗した。
もっとも、桐山さんの本の大半は他人の不幸をネタにしていますから、
珍しいことではありません。

41 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 12:44:00 ID:Efq4t/SC
>>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

『守護仏を持て』のような本は千冊も売れればだいたい元がとれる。
信者が30万人いて、たった一割の3万人が買っても3万冊で、今なら大ヒットです。
3万冊が売れるのは業界ではすごいことなのですよ。
信者の1割しか買わないなんてありえない。
普通、何らかの形で熱心な人は集団の2割はいるものです。
熱心だということは、自分が買うだけでなく、施本のために、何冊か買う。
残り8割のうち2割は無関心でも、6割には勧められれば買う人たちもいる。
つまり、半数くらいは千円の本なのだから、買ってもおかしくない。
とすれば、なんと15万冊以上です。
ЯENДAROさんが調べた本屋を今後追跡すればわかるように、
実際の桐山さんの本は線香花火のように上位から消えます。
15万冊も売れるなら、こんなことはありえない。
信者数がいかにインチキか、こういう本の売れ方一つからも推測がつく。

42 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 12:52:29 ID:zzLQUZ8g
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

本が出て2週間たつのに、信者側からはユビキタスさんの批判への反論すらない。
桐山ゲイカの今回の本は短いが、盛りだくさんのように見えます。
小泉太志命から始まって、チベット仏教の法位法号、古代神法、阿鼻街道、
冥徳霊場、地球壊滅の賞味期限の延長、まだ言っているヨハネの声と、
まるで店の商品を片端から並べまくったように見えますが、
これらは装飾にすぎず、桐山ゲイカは難しいことを書いているのではありません。
この本の目的、桐山さんが信者さんに言いたいのは新商品の紹介と販売です。
商品は守護神と冥徳墳墓の二つです。
この本は、信者にこの二つの商品を買えと言っているのです。
これ以外はすべて販売のための宣伝にすぎませんから、読み飛ばしてかまいません。
というと、ほとんど読むところがなくなりますね。

43 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 12:55:32 ID:zzLQUZ8g
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

守護神は守護霊(守護霊神)とそっくりだし、冥徳墳墓も柏原の墓石販売でおなじみです。
これらは新商品というよりも、いわゆるマイナーバージョンです。
昔出した商品の質や機能を落とす代わりに値段を下げて、普及を狙うという手法です。
まあ、簡単に言えば、貧乏人にも手が届くようにした。
守護霊は最低でも1500万円で、拝受にさらに目ん玉が飛び出すような費用がかかり、
審査基準もはっきりせず、販売実績がのび悩んでいる。
25年も前に守護霊で売り出して信者を集めて、
それが楽しみで残っている信者もいるというのに、
結局、ごく一部の金持ち先達にしか行き渡らないとなれば、信者からは不満も出てきていた。
これが冥徳解脱の申込みにブレーキをかけている。
守護霊がもらえそうもないのに、ずっと冥徳解脱を出し続けるなんて、普通はしません。
馬の前にニンジンをぶら下げて走らせたが、
信者はいつまでたってもその大きくてうまそうなニンジンに食いつけないので、
財布が疲れて、走るのを辞めた人たちもいた。

44 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:01:46 ID:zzLQUZ8g
>>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

守護霊はすでに購入した人たちもいるのだから、値下げするわけにはいかない。
そこで、マイナーバージョンを出すことにした。
商品の機能を落とし、一ランク下だとはあるが、
しかし、よく読むと、ユビキタスさんが指摘しているように、
守護霊と性能がほとんど同じで、何が違うのかよくわからない。
守護霊をナモナモすると、「容色の衰えたみすぼらしい女性」が、
「見違えるような美女」になり玉の輿が待っているが、
守護神なら、普通のオバサンくらいになって、サラリーマンと結婚スまスた、
メデタシ、メデタシになるのでしょう。
同じ性能では守護霊をもらった人たちからブーイングが出るだろうし、
あまり性能を落とすと信者たちの食いつきが悪くなるから、
そこは桐山ゲイカの、腐ってもタイ、元々腐っている根性で、
老いても天才詐欺師として文筆でたくみにごまかしている。
重要な点は拝受の資格、つまり商品の金額をはっきりさせたことです。
守護霊の欲にかられた馬の前に、半分くらいの大きさのニンジンをぶら下げ、
家族全員が10家系というゴールを決めて、宗教家畜にムチを当てた。
さあ、守護霊も買えない欲張り貧乏人ども、走れ!というわけです。

45 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:11:34 ID:zzLQUZ8g
>>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

二つ目の冥徳墳墓も、これまでの墓販売のマイナーバージョンです。
貧乏人の信者に墓を売りつけるための戦略です。
子孫のいない人が阿鼻街道をフリーパスできるようにという桐山さんの宣伝は
片耳に聞き、結局、何をしたいのか、何を売りたいのかを見ることです。
これまでの墓所は、すべてを含めると最低でも数百万円はかかった。
小さい墓も出したが、それでも安くはありません。
結局、なかなか売れない。
もちろん、子孫のいない人が死んだ後のことを心配して、
墓所を買うのをためらうということもあるでしょう。
一番桐山さんや阿含宗にとって気に入らないのは、
信者の大半が墓所を買おうとしないことです。
大作さんのところでは霊園事業を次々とおこし、成功している。
ところが、30万人も信者がいるのに、神戸近辺だけでも1万人も信者がいるというのに、
たった一箇所の霊園を完売することができない。
結局、貧乏人の信者には田舎の山の上の墓に金を払うにしては高すぎる。
そこで、値段を下げて敷居を低くして客を誘い、しかも御堂側としては土地を減らさず、
造成も最小限の投資で済む方法、それが冥徳墳墓です。

46 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:16:58 ID:zzLQUZ8g
>>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

冥徳墳墓なんてきれいな名前を付けているが、
なんのことはない、共同納骨所です。
退会する信者が増えて、放置された墓が増えて、遺骨の始末に困り、
集団納骨所が必要になったのでしょう。
転んでもタダでは起きない桐山ゲイカですから、
せっかく作るのだから、これを販売することにした。
なんせ、墓所と違い、土地が減らないのだから、楽な商売です。
墓所は信者が辞めたりすると、没収するのに法的な手続きや、
整地に金と手間暇がかかるが、共同納骨所なら手間暇がかからない。
しかし、日本人は家の墓は欲しがるが、ロッカー式の墓は人気がないし、
ましてや共同の納骨所などむしろ嫌われる。
さあ、仏陀の智慧をお持ちの我等が桐山ゲイカが、
普通なら売れない共同納骨所をどう販売するか、とくとご覧あれ。

47 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:21:18 ID:zzLQUZ8g
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

過去の桐山さんのやり方から、どうやって冥徳墳墓の販売をするか、
信者さんたちも冥徳墳墓の販売計画を考えてほしい。
桐山さんの手法は霊的脅迫というムチと御利益というアメしかない。
そして、桐山さんの得意技はアメよりも霊的脅迫というムチのほうです。
新商品の開発に伴い、霊的な脅迫ネタを一つ増やすことにした。
それが、阿鼻街道です。
十年ほど前に斉の広場の描写で、阿含宗から離れたら、こんなに悲惨なことになるぞと脅かした。
阿含宗の家畜小屋から出たら、斉の広場で白骨をさらし、地獄に流されるとムチをあて、
家畜のままでいれば、青い光を放ちながら、冥界まで飛んでいけるぞとアメを出した。
この古いネタに、付け加えたのが阿鼻街道です。
共同納骨所の冥徳墳墓を売るために「お化け屋敷を増設」した。

48 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:26:11 ID:zzLQUZ8g
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

十年前は桐山さんは斉の広場の描写を霊視として書いていなかった。
今回は霊視したと、斉の広場や阿鼻街道に保証を与えた。
「お化け屋敷を増設」という信者さんたちは悪口だというでしょう。
しかし、桐山さんの霊視のインチキを知って洗脳から解かれてしまうと、
桐山さんの霊界物語は子供だましの脅かしにしか見えない。
昔、坊さんたちが地獄絵図を見せて、「自分の言うことを聞かないと、
この地獄に堕ちるぞ」と民衆を脅かしたのと同じ手法です。
一般人から見ても、桐山さんのやり方はなんと子供じみた、古典的な脅迫だろうとあきれる。
だが、これが信者さんたちにどれほど効果的かは、
ザのスレにいた牧童犬さんの反応をみればわかる。
彼は、自分は阿鼻街道にひっかかり、犬に生まれ変わるだろうと書いている。
冗談で書いているのではなく、彼は本当に恐怖しているのです。
桐山さんの霊能力を信じ切り、心の奥まで支配されているから、
桐山さんのインチキぶりを百も承知でありながら、
首につながれた紐を切ることができず、お化け屋敷を増設されると、悲鳴をあげて、
真っ先に守護神をもらうことを宣言した。
ほら、桐山さんの販売戦略は信者には効果抜群です。

49 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 13:31:18 ID:zzLQUZ8g
>682 :ЯENДARO:2005/05/24(火) 20:05:03 ID:A9y6xmeu
>今度の本の売れ行きは相当なものですね。平河も手ごたえを感じているはず。

信者さんたちには、牧童犬さんの反応を自分の鏡として見ることです。
信者さんたちの中にも強い恐怖心がある。
霊障や阿鼻街道、斉の広場で桐山さんから霊的な恐怖心を植え付けられている。
あなたは、「おれはお化け屋敷で怯えるような子供ではない」と言うでしょう。
自分だけは特別だとは思わない方が良い。
オウムの元幹部たちは麻原彰晃から離れたら地獄に堕ちると信じていた。
あなたはこれを他人事であり、彼らが愚かなのだと思っている。
それはあなたの慢心です。
自分は違うという慢心で、自分の首に紐がついているのではないかと疑うことをしない。
事実、私が阿鼻街道をお化け屋敷の増設と書いたのを、
信者さんたちはただの悪口だと感じたはずだ。
悪口と感じた自分の心を見て、なぜそのように感じたのか追求してみてください。
存在しない18人の霊障武士を霊視して、
生きた人を解脱供養した桐山さんの霊視能力で視たという阿鼻街道や
斉の広場の情景を本気で信じている自分に疑問を持つことです。

50 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 17:34:40 ID:uoE5LRRo
引退します。ここには書き込みしません。

51 :ア−末世・・霊界大戦・・余聞・屹度来福 :2005/05/26(木) 19:04:32 ID:H875uR+f
100億稼いだサラリ−マンには及ばずとも、
誰しも、
金持ち・毎日の生活に心配ない程度老後の心配ない程度のお金は欲しいもの、
私は、否定は否定はしません。しかし、
人を踏み台にしての金儲け(オレオレ詐欺や悪質サラ金など)
までもしようとは思いません。スルト答えは簡単宝くじですよ。これにも、
真理がアリマス。発行枚数・あたりナンバ−の数字数・等々
天文学的な計算を大型高速コンピュ−タ−で計算スレバ、
当たる確率の真理が分かるそうです。
しかし、この真理が分かっても、分かった人に当たる訳ではない。
当たるのですよ。全て買えばいいのです。絶対当たります。保証します。
しかし、全て当たっても、つぎ込んだ金には及びません。
そう言う風にクジは出来ている。
しかし、一枚でも買いそびれがあれば、保証はしません。
宝くじの真理を会得した方でも、当たる時は当たる
・当たらないときには当たらないのです。仮に100歩譲って、
K氏が真理を分かった・得たとしても自己がその該当者になるかは、別の問題なのです。
今日、
ダイサンボクに大輪の花が咲いていた。咲くときには咲く、
無理をさせない、しないかぎりは、咲くときは咲く、
不遇の時は不遇、避けられません。ソウ思えば良いのです。
ただ、ボサット、するのでは無く、
人事を尽くす。そして、天命を待つ。他には仕様がナイジャナイ。簡単に言えば「人事は尽くすが、後は天命に任す」「来るときは来る・・幸も不幸も」「来るときは来る・・大きな幸福も、誰にも止められない」

52 :ア−末世・・霊界大戦・・余聞・屹度来福 :2005/05/26(木) 19:12:37 ID:H875uR+f
言葉になっていない。「否定は否定しません」・・正解「否定しません」

53 :ア−末世・・霊界大戦・・余聞・屹度来福 :2005/05/26(木) 19:33:35 ID:H875uR+f
追伸・・人事とは、あらゆるこのよの、
法的・人的手だてをとるということです。
死んだ人にシャクシ−パットという訳の分からない行動・
宗教に騙されないことデス。宗教では、一切の解決はありません。
これは、占いと同じで、当たるも八卦・当たらぬも八卦と同じです。
たまさか、当たった人が吹聴するだけデス。
当たらない人は意気消沈して沈黙しています。それだけのことです。

54 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 19:36:24 ID:xgmYaYgv

つまらん!お前の話しはつまらん!
引退してくれ!

55 :ア−末世・・霊界大戦・・余聞・屹度来福 :2005/05/26(木) 19:42:38 ID:H875uR+f
私には物言わぬロム者がいます。やめません。あなたこそ、
つまらんならば何処がつまらんか言ってくれ、勉強するから。

56 :ЯENДARO:2005/05/26(木) 20:07:03 ID:5f64ku0t
親愛なる奈菜氏様からレスをもらいましたので、ランキングをもう少し追加しましょう。
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/hokkaido/05event.htm
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/hb/storebest.cgi?str=G2&cat=tanko
http://www.manah.net/book/best.jsp
http://yamanishobou.co.jp/best/best.htm
「池田○作全集130巻」とは凄いですね。さすがに「代作だらけの○作さん」です。
ご本がどれほど売れ続けるか疑問というお話でしたが、いまや家に書棚が無い人が大勢
を占めるという時代ですから、昔のようにはいかないでしょう。大川UFOさんの所の
ように、書籍を買うことが即宗教活動の一環というところは別にしてね。現状だけでも
大したものです。私のようなアウトローが言うのもなんですがね。
そして「守護神を持て」といえば、最近守護神を頂いた有名人がいらっしゃいますね。
(これはジョークですからね。大目に見て下さい。先爆)……それはこの方です。
http://www.accesstry.com/aidoru/photjpg/kanako.jpg
おあとがよろしいようで。

57 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 20:28:11 ID:D5mss34c
まぁとりあえず一息つきましょう

お茶どうぞ♪( ^-^)_且~~~

58 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 20:54:34 ID:YGdCPgQW
>>55
じぇんじぇんつまらん、ボケ老人の寝言みたい。

59 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 21:20:41 ID:xgmYaYgv

激しく同意

60 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:12:58 ID:4blFEPhB
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から部分転載
>[889]大王の使者 05/05/26 12:05 rc2ecOjrSC
>さて、名無しさんは、
>「煩悩が消えてもカルマが消えることはない」と言って、大工さんと法隆寺
>を例に出してました。大工さんが死んでも法隆寺は残ってる、と。
>あのですねえ、私がいってるのは、
>大工さんが生きてたら更に造るであろう法隆寺Aとか法隆寺Bとかのカルマ
>が無くなる。そのことを言ってるのです。現在と未来の業のことです。

>[823]大王の使者 05/05/25 08:59 rc2ecOjrSC
>あるいは、Aという卵からかえったAというニワトリを殺せば、Aという卵
>をも殺した、と言えるでしょう。

あのですねえ、などと他人にいう前に、自分の書いた[823]をもう一度読んでみてはどうか。
[823]をまとめれば、
ニワトリ(煩悩)→卵A(カルマ)→ニワトリA(煩悩)
となり、あなたはニワトリAを殺せば、卵Aを殺したのと同じだと主張したのです。
現実の卵はニワトリに変化してしまうから、そのような連想をしているだけで、
カルマは、そのカルマから生じた煩悩を消しても消えないことは明らかです。
あなたは卵がニワトリになるという現実の生き物の性質をそのまま
カルマと煩悩に当てはめて連想ゲームをしたにすぎない。
一方、[823]と[889]とは全然違う。
[889]の内容をニワトリと卵の例に当てはめるなら、
ニワトリ→卵A→ニワトリA→卵B
ニワトリAを殺せば、卵Bを作ることがないと言っているのです。
[823]で書いたことと違います。

61 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:16:18 ID:4blFEPhB
>[889]大王の使者 05/05/26 12:05 rc2ecOjrSC
>大工さんが生きてたら更に造るであろう法隆寺Aとか法隆寺Bとかのカルマ
>が無くなる。そのことを言ってるのです。現在と未来の業のことです。

つまり、
大工(煩悩)→建物(カルマ)
なのだから、大工を殺してしまえば、最初に作った建物は壊せなくても、
次に建物を造ることはなくなるというのですね。
すばらしい。
ようやく理解してくれましたね。
そのとおりなのです。
煩悩を断ちきってしまえば、新しいカルマを作ることはない。
あなたが書いたことは尼僧の経典を引用した時、私の「業の破壊」の説明そのものです。
尼僧は過去の業の破壊を説いたのではなく、
今から業を作らないようにという意味で、業の破壊と述べたのです。

62 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:23:59 ID:4blFEPhB
>[889]大王の使者 05/05/26 12:05 rc2ecOjrSC
>大工さんが生きてたら更に造るであろう法隆寺Aとか法隆寺Bとかのカルマ
>が無くなる。そのことを言ってるのです。現在と未来の業のことです。

尼僧のいう「業の破壊」は阿含宗のように過去の業を破壊するという意味ではありません。
過去の業は、建ててしまった建物、生まれてしまった卵であり、どうにもならない。
阿含宗の信者であるあなたは業の破壊を桐山さん流に、過去の業の破壊と信じている。
これを私から指摘されたら、自分は過去の業などと言っていないと反論した。
だが、そんなのは小手先のゴマカシであって、
横変死の因縁だのガンの因縁など、すべては過去の業の話です。
それとも、違うというなら、阿含宗の悪因縁が過去の業でないことを示してみなさい。
できるはずがない。
つまり、あなたは経典の「業の破壊」を「過去の業の破壊」と解釈して、
これが阿含宗の解脱の根拠だと主張したつもりだった。
だから、「業の破壊」=「生存の素因を滅する」などとしたのです。

63 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:26:44 ID:eKx6JAp8
キリヤ〇をいつか頃したい(霊感商法詐欺師

金返せ! 

64 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:28:01 ID:eKx6JAp8
金返せ! 金返せ! 金返せ! 金返せ! 金返せ!

65 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:28:46 ID:eKx6JAp8
職員も鷺師の片棒担ぎじゃ(氏ね

66 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:28:48 ID:4blFEPhB
>[889]大王の使者 05/05/26 12:05 rc2ecOjrSC
>大工さんが生きてたら更に造るであろう法隆寺Aとか法隆寺Bとかのカルマ
>が無くなる。そのことを言ってるのです。現在と未来の業のことです。

しかし、あなたは一つ理解をした。
大工(煩悩)が死ねば、新しい建物(カルマ)を作ることはない。
「業の破壊」とは、過去の業の破壊ではなく、新しい業を作らないことであると理解した。
ここから出でくる釈尊の説く解脱への道とは、
1.すでに作ってしまったカルマ(悪因縁)を消すことではない。
2.煩悩を消すことである。(生存の素因を滅する)
3.新しい悪業を作らない。(業の破壊)
そこで、もう一度、桐山さんの教えを振り返ってください。
>>8,[862]にあるように、桐山さんのいう成仏法とは、
「カルマを断つ切る法」「カルマを断つ力」「業を超え」
であると繰り返し述べている。
桐山さんのいうカルマの具体的な内容は悪因縁です。
前世で作られた横変死の因縁というカルマ、ガンの因縁というカルマを断ちきり、
これを超えるのが釈迦の成仏法であり、桐山さんはこの力を阿含経から体得したと書いた。
だが、使者さん自身が確認したように、阿含経から発見した「業の破壊」とは、
横変死のカルマなど前世からのカルマの破壊などではなく、
これから悪業を作らないという話だった。

67 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:31:20 ID:eKx6JAp8
解脱供養なんかぜんぜんダメです。それを訴えても、職員は
シラを切り続けます。さすが、オウムの母体となったカルト
だけある。

68 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:34:28 ID:eKx6JAp8
釈迦が禁止した、占いやマジナイを平気で取り入れています。
それを、自己欺瞞で覆って納得しているようですが、それって
自分に都合のよいご都合主義では?

69 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:35:57 ID:eKx6JAp8
いつか爺さん、どついたる。

70 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:37:52 ID:4blFEPhB
>[889]大王の使者 05/05/26 12:05 rc2ecOjrSC
>大工さんが生きてたら更に造るであろう法隆寺Aとか法隆寺Bとかのカルマ
>が無くなる。そのことを言ってるのです。現在と未来の業のことです。

阿含経の釈尊は過去の業を断ちきるなどとは説いていない。
桐山さんは過去の業を断ちきることを阿含経から体得したと宣言している。
釈尊は煩悩を断ちきった存在をアラハンであるとして、
カルマからの解脱は条件にもしていないし、そもそも説いていない。
桐山さんはカルマを断ちきることがアラハンの必要条件だと説いている。
釈尊の説く解脱と桐山さんの説く解脱にはこれだけ明瞭に違い、
何よりも、このことをあなた自身が経典から見いだし、自分で確認した。
阿含宗が仏教ではないという私の主張を使者さんが裏付けてくれたのです。

71 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:38:25 ID:eKx6JAp8
麻原の因縁を切れなかったクセに、信者の因縁なんか切れる
わけないだろ。爺さんもいずれ、元信者に訴えられて刑獄に
入れられるよ。

72 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:39:33 ID:eKx6JAp8

麻原の因縁を切れなかったクセに、信者の因縁なんか切れる
わけないだろ。爺さんもいずれ、元信者に訴えられて刑獄に
入れられるよ。


73 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:40:27 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>名無しさんが、「木片を焼いたからといって浄らかさを得たと思うな」で、
>氷水を浴びせられたように思った、と書いてましたが、理解できません。

理解できないでしょうね。
あなたの反応とはこのようなものだと思ったから、>>33,[876]で、
>使者さんなど、これまでの信者さんたちのほとんどは、
>釈尊のこういう言葉はバラモンに向けられたものであり、
>自分や阿含宗には関係がないという読み方をする。
>元信者の私にはそれがとても驚きです。
と、ちゃんと名指しで、あなたはとても鈍感な人だと書いたのです。
私が氷水を浴びせられたような気になった理由は二つある。
一つは、阿含宗の護摩を釈尊もまた支持していると信じていた。
もう一つは、護摩で霊的に浄化していると思っていたからです。
その本人の釈尊が護摩を頭から否定し、
さらに浄らかさが得られると思うなと、まるでこちらの意図を見透かしたかのよように、
ズバリ、浄らかさという言葉を用いて叱責している。
二千五百年前のバラモンに言ったにすぎない言葉なのに、
なんと阿含宗に、また自分にそのまま当てはまるではないか。
しかも、その後に書いている慢心、怒り、虚言はいずれも思い当たる。
これは「おまえのしていることは間違っている」と釈尊本人から叱られたようなものです。

74 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:42:02 ID:eKx6JAp8
バカ職員は、刑事訴訟でも民事訴訟でもなんでも起してくれ、
と見栄を切っていたが、宗教がこの手の裁判で勝訴した試し
はないこと知らんのか(プゲラ

75 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:45:15 ID:eKx6JAp8
統一教会とどう違うのか、と聞いたがあくまで主観的主張を
繰り返すだけの、マイコン職員。実際に、効果がないと言っ
ているのが聞こえないのか?

76 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:46:19 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>名無しさんが、「木片を焼いたからといって浄らかさを得たと思うな」で、
>氷水を浴びせられたように思った、と書いてましたが、理解できません。

使者さんは釈尊からの御霊示なんていい加減なものは信じるのに、
釈尊本人の言葉は上の空で聞いてるのですよね。
あなたは釈尊の骨だという馬の骨を一生懸命に拝んでいるのに、
御本人の言葉をそのまま受け取ろうとはしない。
信仰は一人一人違うのだから、このようなものなのだろうが、
釈尊が御利益を説いたと信じて疑わない信者や、
あなたのように釈尊本人からの叱責にも馬耳東風、馬の耳に念仏の人を見れば、
私は悟りを開いてはいないので、珍しい動物を見たように驚くし、
凡人ですので、なんと感性の鈍い人だと侮蔑心を感じたことを否定しません。

77 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:47:23 ID:eKx6JAp8

解脱供養で効果がなかったら、普通、金返せと詰め寄られる
だろ? さんざん「因縁」や「霊障」で脅迫してるんだから。


78 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:49:48 ID:eKx6JAp8
「因縁」がどうとか、「霊障」がどうとか精神的に追い詰めて
お金を出させたら、霊感商法なんですよ。

79 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:51:02 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>護摩木を仏の智火で焼いたら、煙は慈悲でしょう。灰は寂静でしょう。
>わたしはそう考えます。

護摩木を仏の智火で焼く、煙は慈悲、灰は寂静と書いた根拠は?
護摩という火が仏の智火なのが当たり前だと決めつけている。
「智火」ってなんですか?
智慧の火くらいの意味だろうが、火に智慧なんてありゃしない。
嘘だと思ったら、百点とれるかどうか、答案用紙に火を付けてみなさい。
あなたの脳味噌に火をつけたら智慧が得られるか。
煙のどこが慈悲なのだ?
灰が静寂だと?
あなたのこの理屈でいうなら、清掃工場は智慧と慈悲と静寂の世界になる。
清掃工場に「世界平和」と名前を付けたら、平和になるのか?

80 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:52:17 ID:eKx6JAp8
裁判所って、常識で判断するから、伝統宗教のような純粋
な先祖供養には寛容だが、「祟り」や「因縁」には厳しい
判決が降りるんだよ。

81 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:53:49 ID:eKx6JAp8
バカ職員のせいで、刑事告訴されるぞ、爺さん。

82 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:55:16 ID:eKx6JAp8
法の華三法行とどこが違うんだ? 仏舎利商法といい、占い
といい、そっくりじゃん。

83 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:58:00 ID:eKx6JAp8
お金を出したくて出したんではない。嫌々ながら、それしか
方法がないと信じ込み、解脱供養したんだよ。

84 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 22:58:32 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>35年前から、煩悩の願いの護摩木を、いずれは世界平和の願いに集約させると誓って護摩を焚いてるわけですね。
>名無しさんは、一体何を考えて修行していたのでしょうか?
>護摩木を仏の智火で焼いたら、煙は慈悲でしょう。灰は寂静でしょう。
>わたしはそう考えます。

使者さんはただこういう言葉に溺れるタイプですよね、
意味もよくわからないのに、宗教用語を並べられるとすっかりその気になる。
そういうのを自己陶酔といって、よそから見るとあまり美しくない。
瑜伽派の先達たちが、チャクラ、クンダリニー、ナンタラ瞑想法と桐山さんに言われると、
中身がなんであるか、桐山さんが本当に体得したかどうかなど確認もせずに、
体得しているという大前提で話を始めるのと似ている。
きれいな仏教用語を使われると、ただの焚き火は聖火になり、
なんとそれが智慧であり、煙は慈悲になるのだという。
あなたと違い、私は桐山さんの話を信じたのではなく、まず受け入れた。
実行してみて、現実を見て、調べてみて、桐山さんの話が成り立つかどうか確認した。
護摩がなぜ智慧なのか、なぜ釈迦の成仏法なのか、
なぜ霊障のホトケを成仏させるのか、なぜ世界を平和にするのか、護摩と焚き火は何が違うのか、
自分と桐山さんに問いかけながら、信仰を続けたのです。
考えるとはこういうことであって、使者さんは考えたのではなく、鵜呑みにして信じたのです。

85 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:00:45 ID:eKx6JAp8
だから、実費は差引いていいから、世間の相場より高い分は
返還してくれと、言っているんだよ。普通、お寺さんに包む
のは1法要3〜5万円が相場と聞いています。

86 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:03:20 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>護摩木を仏の智火で焼いたら、煙は慈悲でしょう。灰は寂静でしょう。
>わたしはそう考えます。

桐山さんが、「オンイングリッシュソワカと英語マンダラの前で唱えても、
英語は上達しない」と批判したことがあり、私もこの意見に賛成です。
あなたは自分で考えることもなく、
智慧を磨く代わりに火を拝み、慈悲を実践する代わりに煙を拝み、
心を寂静にする代わりに灰を拝んで、焚き火で平和になると信じた。
オンイングリッシュソワカそのままです。
あなたは智慧を得たのではなく、矛盾だらけの桐山さんを丸飲みして、
慈悲を実践したのではなく、死者を不成仏霊と反論できない相手を罵り、卑しめ、
煩悩をなくして心を静寂にさせているのではなく、
地球壊滅でも自分だけは助かりたいと恐怖と欲望の大騒音で満たしている。
あなたのその状態は釈尊の批判がそのままあてはまり、
焚き火で智慧がえられるという傲慢、これを批判されることへの怒り、
焚き火で世界が平和になるという嘘を並べている。

87 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:03:39 ID:eKx6JAp8
10万円は、常識的にも高いんです。しかも、「因縁」やら「霊
障」やらで脅迫観念を植え付けられていますから、精神的に不安
定な人は、ホイホイ出してしまうんです。

88 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:05:38 ID:eKx6JAp8
精神的に不安定な状態の人につけ込んで、高額な布施を出させる
のは、人道上問題だと思います。

89 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:06:54 ID:eKx6JAp8
それは釈迦の精神にもとる行為だと思います。

90 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:08:01 ID:eKx6JAp8
全部でなくてもいいから、一部でも返還すべきだと思います。

91 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:08:00 ID:4blFEPhB
>[895]大王の使者 05/05/26 20:02 rc2ecOjrSC
>護摩木を仏の智火で焼いたら、煙は慈悲でしょう。灰は寂静でしょう。
>わたしはそう考えます。

護摩で今までに何か一つでも世の中のために明らかに役立ち、
第三者がたいへん感謝しているという事例があるなら、出してください。
モンゴル人が護摩のおかげて山火事が止んだ、
インド人やパキスタン人が護摩のおかげで核戦争が中止されたと
感謝しているのなら、その証拠を示してください。
護摩など何の役にも立たないただの焚き火であり、呪術の儀式にすぎない。
桐山さんの金集め、人集めに役立っているだけです。
桐山さんにある智慧とは人を霊的に脅かして金集め、人集めする悪智慧です。
自己中心的で自己愛が強いから慈悲に欠け、人並みの愛情すらない。
ワガママで気に入らないとすぐに怒りだすから、心に静寂などない。
これがあなたが美しい言葉に溺れ、自己満足にふけっている間に、
私が自分と桐山さんに問いかけ、現実を見てきた結論です。

92 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:09:34 ID:eKx6JAp8
門前払いにした神戸道場の担当職員は、人道上、問題だと思います。

93 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:11:32 ID:eKx6JAp8
精神的に不安定な人間を、「因縁」やら「霊障」やらで脅迫観念
を植えつけて、高額な(100万円ほど)布施をさせるのは違法
だと思います。

94 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:12:23 ID:eKx6JAp8
それは、当然、返還すべきだと思います。

95 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:14:36 ID:eKx6JAp8
宗教的観念論(徳を積んだ云々)で、相手を煙に巻くのは卑怯
だと思います。もっと、真摯に対応すべきだと思います。

96 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:16:09 ID:eKx6JAp8
現実問題として、出したくなかったお金ですから、実費分を
差引いて、返還して下さい。お願いします。

97 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:17:29 ID:eKx6JAp8
なんの効果もなかったのですから、せめて解脱供養のお金だけで
も返して下さい。

98 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:18:47 ID:eKx6JAp8
お願いですから、神戸道場の担当職員さん、意地悪しないで
返金して下さい。

99 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:20:50 ID:eKx6JAp8
お金を出した時点で、統合失調症だったんです。精神的に不安
定だったので、奨められるままに、ついつい多額のお金を出し
てしまったんです。

100 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:23:21 ID:eKx6JAp8
なけなしのお金でした。そういうお金ですから、すごく悔しいん
です。

101 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:25:56 ID:eKx6JAp8
訴訟でもなんでも起せ、という職員さんの言葉はあまりにも
無慈悲ではありませんか? 開き直りとも受け取られかねま
せん。それでも、釈迦の弟子ですか?

102 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:27:50 ID:eKx6JAp8
お釈迦さまが、「訴訟でも何でも勝手に起せ」などと無慈悲な
仕打ちを行うでしょうか? 精神が病んでいる人間に対して。

103 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:30:11 ID:eKx6JAp8
それが阪神大震災を経験した神戸の人間の言葉とは、信じられま
せん。神も仏もあるもんか、と呪わざるを得ません。

104 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:34:33 ID:eKx6JAp8
とにかく、解脱供養のお金を返して下さい。お願いします。

105 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:39:41 ID:eKx6JAp8
精神的に不安定な状態の人につけ込んで、高額な布施を出させる
のは、人道上問題だと思います。


106 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:42:43 ID:eKx6JAp8
「訴訟でも何でも起せ」なんて切り捨てるのが釈迦の精神
なんですか? 釈迦は人を脅かして(因縁・霊障など)、
布施を出させたことがありましたか?

107 :名無しさん@3周年:2005/05/26(木) 23:50:11 ID:eKx6JAp8
宗教とは、悩み苦しんでいる人を救うのが役目だと思います。悩み
苦しんでいる人間から、高額のお金を出させて、しかも何の効果も
なかったら、返金して救済するのが本面目だと思います。

108 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:00:20 ID:eKx6JAp8
お釈迦さまは、死ぬまで所持品は「鉢と衣」だけでした。出家者とは
一切の、所有欲を断ち切るのが修行ではないのですか? それを金銭
欲丸だしというのは、おかしくないですか?

109 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:04:41 ID:eKx6JAp8
所有欲丸だしの僧侶に供養されても、先祖はますます欲が深く
なり、道に迷うようになるでしょう。「諸法皆空」を悟らせる
どころか、よけいに「執着」が増えて供養された先祖はます
ます苦しむようになるでしょう。

110 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:08:25 ID:z5iVcjIJ
修法する僧侶が、お金や物に執着して、欲望丸だし状態で、
どうやって迷っている先祖を成仏させるのですか?

111 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:17:58 ID:hM8FD5K3

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1056434326&st=325&to=335&nofirst=true

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1074208247&st=576&to=582&nofirst=true


112 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:20:44 ID:z5iVcjIJ
とにかく精神が不安定な状態で、判断力が低下していたので、身の
ほど知らずの布施をしてしまったのです。なんとか返金してくれま
せんか?

113 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 00:44:32 ID:z5iVcjIJ
だいたい、宗教団体に専属の顧問弁護士がいるのっておかしくない?
それってトラブルを始めから予想している、ってことは明白。会社で
もあるまいに、トラブルをあらかじめ予測するのっておかしくない?

114 :eKx6JAp8さんへ :2005/05/27(金) 01:10:19 ID:x6TtXs59
他スレからのコピペです。

>拝み屋被害(霊能被害)についてのお知らせです。

日本霊能者協会 http://senntenn.tsukaeru.jp/mori/

において、でだまされた人や法外な金銭を要求された人、どうしても許せないと方がおれれましたら、

dakkai@vanilla.freemail.ne.jp にメール下さい。

必ずつぶして見せます。なお、私どもはボランティアでカルト宗教からの
脱会工作や、霊能被害対策をしております。ひどい場合は伝統宗教であっても
寺院から合法的に追い出したり、拝み屋などを法的に追及することもあります。

今回は特に人が死者を侮辱したり、違法発言を繰り返す人がいますので、多方面に
照準を合わせて探ろうとしています。とりあえず順不同に日本霊能者協会から始める
ことにしました。被害者がいないのであれば、対象から外すだけですが。


阿含宗の事を相談されてはどうですか?


115 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 01:30:11 ID:hM8FD5K3
創価学会には 顧問弁護士が必要ないほど 人材豊富 ということを
揶揄していったのかねぇ。

あるいは山口組の弁護士やオウムの青山弁護士のような談話とか。。。

116 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 02:15:48 ID:z5iVcjIJ
全国霊感商法対策弁護士連絡会に相談のメールを出しました。
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/

117 :樹意 :2005/05/27(金) 03:09:14 ID:bTSaTZR/
○加 が与党に連立しているような国ですからこの国は宗教もどきには肝要です

オウムにすら破防法が適用されなかったことを思うと 薄ら寒くなります。
サリンを撒くテロリスト集団に対してすら 破防法が発動しないのです。
なぜなら宗教法人であるからです。 誰が見てもテロリストなのは間違いないことなのに
宗教法人の看板が掛かると 破防法が発動しないのです。 これが
何を意味するか皆さんは深く考えた事があるでしょうか。 徹底的にカルト優位な
体制に変換されてしまっているのです。

罪に問いにくいという法の抜け穴は計算づくでやっていることです。
信者には計算づくの信心するなと説く側が 自分達は全てのリスクを計算して行うのですから
計算するような家畜にはなるなという事でしょう。
ご先祖を人質にとった霊的テロリストです。
人の菩提心やらを徹底的に食い物にするのを彼らは厭うことがありません。
表向き聖職者を装いますから 悪質この上ありません。



118 :樹意 :2005/05/27(金) 03:22:13 ID:83SIsb+r
世界平和の為であるとか ご先祖様のためであるとか表向き結構な事を
説きますが、今一度阿含経を紐解き 奈々氏始め批判諸氏の批判を聞いてみて下さい。
ゲイカのとくところは仏陀の阿含経を看板にするだけで、中身はまるっきり反対のことを説いて
います。〈常見外道〉と仏教ではいいます。 外道なのです。 宗教上の理法から外れるのみならず
人倫の道からも外れますから 2重に外道です。

以前カルト優位の法案が通りつつあると警告を発しました。 スレ違いであるとお叱りを承知の上で書いて
おります。〈人権に名を借りた 批判封じのカルト絶対法案です。〉〈カルト信者を配置できるようになっています〉
政治を利用したカルト被害者を増やしたくないからです。〈これ以上のカルト優位を作るわけにはいきません〉
この団体も政治や右翼 暴力などの闇の勢力に金が流れているとの書き込みがあります。
フジウス氏は浄財と書いておりましたが このような感覚を持つ方は教団を去るようにできています。
浄財という名目で集めても使い方は 浄ではありません。
この資金力を生かして、次なる犠牲者を物色することになります。
なによりゲイカはホウワで政治とは関わらないと述べていたのですから その点からの 嘘をついて
おります、なにから何まで 嘘が多い、そういう教団です。


119 :樹意 :2005/05/27(金) 03:40:56 ID:Ox2+G/7+
仙尼経には無い 異蘊を今回は表紙に印刷してあります。
批判があるから こっそり書き換えているのです。
つまり なにから何まで 計算づくめでやっているのです。
ヒラカワ出版にしろ コウワにしろ関連企業に勤める方で欺瞞に気づいている方でも
生活の為協力せざるを得ないのでしょうが、これとて生活を人質にとっているのとかわり
ありません。
心ある企業家の方が居られましたら、 このような方を雇用してもらえるようお願いしたいと
思います。




120 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 12:33:15 ID:/wcqDSFE
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から転載
>[886]大王の使者 05/05/26 11:19 rc2ecOjrSC
>説いています。業と報いについて説いています。
>名無しさんは、業(カルマ)を切る、から業(カルマ)を脱出、に用語を
>変えるのはどうの、と私を批判していた。
>私は、どっちでもいいのよ。そんなことは。切るでも脱出でも。同じこと
>に受け取っていいですよ。桐山師も両方使ってますからね。

カルマを切るをカルマから脱出すると用語を変えるのはいかん、などと私は書いたことはありません。
あるというなら、引用してください。
私が、業をエネルギーにたとえて、エネルギーを消すと書いたら、
星祭さんが、桐山さんはカルマを消すなどと言っていないと反論した。
だから、誰も確認できない業が消えるのか変わるのかなどわからないし、
ましてやエネルギーという物のたとえにイチャモンを付けてどうするのかかと書いたのです。
一方、使者さんには、業と業の報いを別々にして、業が変えられなくても、
業の報いは変えられると書いたから、阿含宗のいう悪因縁とは、
厳密には業の報いであり、同じことだと反論したのです。
あなたは上記の二点をゴチャ混ぜにしているのですよね?
自分への反論、他人への反論の内容くらい区別するか、
私のように、自分が反論したい内容を引用して、
それを丁寧にもう一度読んでから書いたほうがいい。
カルマを切る、脱出する、消す、なんと言おうが同じ事です。
しかし、釈尊はそのようなことは説いていないと批判しているのです。

121 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 12:41:08 ID:/wcqDSFE
>[886]大王の使者 05/05/26 11:19 rc2ecOjrSC
>説いています。業と報いについて説いています。
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC
>ちゃんと、煩悩だけではなくて、悪い行いを消滅と、話しているでは
>ありませんか。業とかカルマの語を使っていない、などとは言わんでくださいませ。

あなたは、私が釈尊がカルマという言葉を使っていないと主張したとして、
反論しているようだが、カルマという語を使っていないなんて書いたことは一度もない。
私は、釈尊の解脱とは阿含宗の言うようなカルマ解脱ではないと述べたのです。
釈尊は業を説いた。
だから、私はニワトリと卵、大工さんと建物のたとえで、業と煩悩との関係を示した。
業や業の報いがないとか、釈尊はカルマという語を使っていないと
私が言っているなら、業のたとえなんてするはずがない。
いったい、どういう読み方をすれば、私が業を否定したように読めるのでしょう。
釈尊は業を認め、業の報いも説いていることは、わざわざパセーナディ王など出さなくても、
信者なら、桐山さんが引用した好戦経などを出すべきです。
生きている時、悪業をなし、処罰されなくても、死後、業の報いで苦しんでいるという経典です。
だから、釈尊は「すべて悪しきことをなさず」、つまり悪業をなすなと説いた。
これは阿含宗のように過去の悪業を切れ、解脱しろと説いているのではなく、
これから悪業を作るなと説いているのです。

122 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 12:45:55 ID:/wcqDSFE
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC
>食べ物を供養してはいけない、と、バラモンに説いたものでしょう。
>ちゃんと、煩悩だけではなくて、悪い行いを消滅と、話しているでは

まさか、あなたはこの経典を、食べ物を供養した見返りに、
おシャカがお徳という御利益を授けて、
悪業を帳消しにしてくれると解釈しているのではないでしょうね?!
釈尊はそんなことは一言も説いていない。

「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)

あなたが引用した経典も、このダンマパダの教えから一歩も出ていません。
悪業を作らず、業の破壊とは、これから悪業をなさないという意味であって、
過去の悪業を消滅させるという意味ではない。
ましてや他人の作った悪業を釈尊が供養の見返りに徳で消してくれるなんて話しではありません。

123 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 12:53:52 ID:/wcqDSFE
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC
>食べ物を供養してはいけない、と、バラモンに説いたものでしょう。
>ちゃんと、煩悩だけではなくて、悪い行いを消滅と、話しているでは

聖者に食べ物を供養するのは、あなたが考えてるような、
徳という見返りを期待して差し上げるのではない。
釈尊の説いた供養とは、煩悩を断ち、悪業をなさない聖者たちに、
彼らが生きていく上で最小限の衣食住を提供することです。
これには供養した者への見返りなどない。
聖者たちが生きていることで、この世の中がよくなり、
彼らが説く清らかな心と行いを信者も実践することで、自らの心も清らかにして平安を得る。
これが釈尊の説く功徳です。
護摩を火の供養だと主張した擁護側がいましたね。
供養するのは自由だが、釈尊は受け取りません。
釈尊は必要のないものは受け取らない。
美人の娘を差し出した在家信者がいたが、釈尊は拒絶した。
・・いらないなら、代わりにおれが・・あ、これは凡人の煩悩のつぶやきです。
これと同じで、護摩の供養など必要のない物は釈尊は受け取りません。
ましてや、今は亡くなって、釈尊は衣食住は必要がないのだから、
信者さんたちがどんなに心を込めて金と人を差し出しても、
釈尊は何も受け取らないし、焚き火はなおさら受け取りません。

124 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 13:00:43 ID:/wcqDSFE
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC

「詩をとなえて得たものをわたくしは食うてはならない。・・中略・・」

桐山さんの色眼鏡で阿含経を読むから、使者さんも阿含宗独特の解釈をする。
バラモンに対するこの経典を読んで、
あなたは釈尊が供養を説いた経典だと解釈した。
釈尊がバラモンの供養を拒絶したことに着目するべきです。
取引をしないと釈尊は言っているのです。
バラモンは、釈尊の説いた法に感激して食べ物を出そうとした。
しかし、釈尊は拒絶した。
供養を受け取らないのかというと、取引でなければ受け取ると説いている。
釈尊は法を説いてから供養を受けることはなかった。
信者たちに誤解を与えて、取引信仰にならないように、非常に厳格な態度です。
取引信仰は煩悩を増長させるだけだからです。
これとは逆に、煩悩丸出しの取引信仰の典型が阿含宗です。

125 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 13:04:38 ID:/wcqDSFE
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC

「詩をとなえて得たものをわたくしは食うてはならない。・・中略・・」

冥徳解脱で供養すれば、守護神を授けるぞ、
13人導けば、地球壊滅でも命だけは助けてやるぞ、
一人導けば、憐脳塾で修行させてやるぞ、
一番ひどいのは、釈尊の骨に金と人を出せば、徳という御利益が得られるぞと説いている点です。
全部、供養と称して、金や人と引き替えに見返りを説く。
阿含宗には取引でない供養がない。
桐山さんの法話、本は全部取引信仰で、法話の後で物を買わせている。
信者は信者で、徳を積ませていただくなどと、まるで貯金でもするような感覚で信仰をしている。
釈尊が厳しく禁止した取引信仰を表看板に出しているのが、阿含宗です。
使者さんはすっかりこういう取引信仰に慣れて鈍感になり、
釈尊がバラモンに取引信仰をきっぱりと拒絶しているのを見ても気が付かない。
それどころか、これは供養を説いた経典であり、
したがって、阿含宗の取引信仰としての供養は正しいのだと思っているのですよね?
釈尊がこれだけはっきりとあなたに直接説いてすら、何を説いているのか理解できないのだから、
凡人の私が説明しても理解できないのは当たり前でしょう。

126 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 13:10:32 ID:/wcqDSFE
>[888]大王の使者 05/05/26 11:50 GoRGEoUS
>な場合の業報は、天眼通を得ないと理解不可能みたいです。

釈尊の説いている天眼通は悟りを得たときの三明の一つで、
仏教辞典で調べればわかるように、業を断ち切るなんて神通力ではありません。
あなたは結局、[886]-[888]で何を反論したかったのだろうか?
釈尊は業も業報も受けるとは説いていないと私やユビキタスさんが主張したと言いたいのですか。
それならピント外れで、そんなことは言っていません。
それとも、桐山さんが天眼通で見ていると言いたいのですか。
これもありえないことは何度も述べている。
実際に桐山さんが前世や未来の運命を霊視して、はっきりと当てたなんて例がない。
18人の霊障武士の嘘がその典型だし、1999年の地球壊滅まで外したのも一例です。
桐山さんは過去も未来もわからない。
過去世のこともわからず、衆生の未来もわからず、
煩悩だらけのくせに己の煩悩すら自覚がない桐山さんに三明があるはずがない。
三明の一つ漏尽明は煩悩を断滅したことを確認する力で、業の断滅の確認ではない。
これを見ても、釈尊が説いたのがカルマを断ちきるなどではないのがわかります。

127 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 13:28:06 ID:/wcqDSFE
>[887]大王の使者 05/05/26 11:34 rc2ecOjrSC
>私よりはるかに経典に詳しいような、名無しさんならご存知であろう。

誉めていただいて恐縮だが、あなたと同じド素人です。
あなたとの違いは、桐山さんの色眼鏡をはずしてしまったことです。
色眼鏡さえはずせば、阿含経の解説書程度で、釈尊が何を主張したのか、
小学生も高学年なら十分に理解できます。
しかし、阿含宗色眼鏡をかけている限り、あなたは全阿含経を読破しても、
釈尊の説いた教法は理解できない。
取引信仰を否定した経典を、なんと取引信仰を説いていると読んだのですよね?
中村博士のわかりやすい日本語の経典であり、内容も難しくはないのに、
あなたはまったく逆の解釈をしてしまったことに驚いてください。
議論に負けたくないとか、批判されて悔しい気持ちはわかる。
だが、現実に阿含経を逆さまに読んでしまった自分を見てほしい。
いくらなんでも自分はおかしくないかと自分に疑問を持つべきです。
あなたは今釈尊からチャンスを与えられているのです。

それから、反論のために経典を引用するときには、文献、つまり本の題名、
ページ数などをきちんと示して下さい。
これはお互いにとても重要なことで、同じ本で確認するためです。
なにせ、桐山さんは漢訳経典を平然と捏造する人です。
もし、桐山さんの本から引用したような場合には、それ自体疑ってかかる必要がある。
あなたは経典を捏造する桐山さんに何も違和感がないのだろうが、世間では論外です。

128 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 14:40:42 ID:z5iVcjIJ
バカ含

129 :こうもり :2005/05/27(金) 15:00:16 ID:4XBvrdML
http://religion.bbs.thebbs.jp/1115645043/927
シシャはスゴイバカです。奈々氏に同情いや奈々氏はよろこんでますねえ

http://religion.bbs.thebbs.jp/1115645043/936
奈々氏は「仏教で」というのを省略してるだけ、というのがシシャには何故分からん?

私は阿含経関係なくオカルトアゴン宗を試さないと結論だせないだけです。

130 :樹意 :2005/05/27(金) 15:08:24 ID:I9rCg1og
>>127

> なにせ、桐山さんは漢訳経典を平然と捏造する人です。
> もし、桐山さんの本から引用したような場合には、それ自体疑ってかかる必要がある。
> あなたは経典を捏造する桐山さんに何も違和感がないのだろうが、世間では論外です。

経典改造して 嘘をつき、権威は経典の権威を使い 信者の財産人生を奪う。
こんなのが野放しできる環境がこの国にある。
立派な犯罪です。



131 :こうもり :2005/05/27(金) 15:10:19 ID:4XBvrdML
反って宗派たてて魅力ないものになってしまってますからねえ。
神智学総本山・大日山金剛華寺・観音慈恵会のほうがステキです

132 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 15:16:33 ID:hBGu3CJ3
いや、死者さんは言いようによっては正直者だとも言える。
巷の占い師や拝み屋さんを引き合いに出したほうが阿含の場合は
その教義や実践、教祖の言動に整合性が出てくる。











 阿含経とは百万光年遠いけどなw

133 :こうもり :2005/05/27(金) 16:15:31 ID:4XBvrdML
一本とられました

134 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 19:28:46 ID:z5iVcjIJ
関西総本部道場で故中村さんから直接、護身法を習ったのが
懐かしい。

135 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 19:39:04 ID:gE/6q61s
「オンイングリッシュソワカと英語マンダラの前で唱えても、英語は上達しない」

「オンきりやまツツミますおソワカと阿含経マンダラの前で唱えても、無能勝明王−通力は上達しない」

???

136 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 19:41:15 ID:gE/6q61s
>故中村

星まつり名物の宝剣作法の山伏の中村さんでっか。ご昇天でしたか。


137 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 19:43:17 ID:gE/6q61s
憎まれっ子 世に憚る。 ツツミたち副管長は年上だったのでしょうか。

歯医者なら、歯医者が故意に空けた穴をふさいで
更に、それが原因で虫歯なった箇所を治して欲しかったな。


138 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 19:51:50 ID:hBGu3CJ3
大昔の護身法はオモテを覆って置県印だったそうですね。
n村氏の護身法ってどんなんだったんだろう。

139 :孔孔富隼 :2005/05/27(金) 21:41:30 ID:cFTXj+B5
>>138さん、死んだら、護身法もないだろう。一体何が知りたいの。
あなたは、幼いときに体がよわかった。
阿含宗と関係ないところで、あなたは強くなった。それで何が不満ですか?
何故、非生産的な事に興味を持つの。遊び?答えてください。

140 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 21:48:57 ID:bbhgSrYu
守護神の本は読んでないけど、神様を「持て」なんて
まるで、ラッキー・グッズを持つみたい。
神様をご利益の使い走りに思ってるみたい。

141 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 21:51:01 ID:hBGu3CJ3
>>あなたは、幼いときに体がよわかった。

霊視ゴッコですか?その根拠は?
何故、非生産的なお小説でサーバー資源を無駄使いするの。
ボケ爺さんの暇つぶし?遊び?答えてください。

142 :こうもり :2005/05/27(金) 22:05:14 ID:4XBvrdML
http://www5e.biglobe.ne.jp/~eiryukai/
孔孔富隼さんこういうの想像してませんか?↑

143 :ア−末世・・霊界大戦・・屹度来福 :2005/05/27(金) 22:05:24 ID:cFTXj+B5
私の導き霊は、私とオトモダ−チに霊界を見せて、
霊界の事実を現世に知らしめて、まともな霊を送るように、願っていたらしい。
とにかく、邪教に騙された霊が増え始め義憤を感じていたらしい。
近頃来る霊は、着た早々、ご利益を現世に、送ることばかり、言うらしい。
自分が地獄に行くか、何処に行くか決まってもいないのに。
特に阿含宗という邪教信者には多いそうだ。
その教祖がこちらの世とツウツウカ−カ−だとサ。
笑うネ。こちらと連絡とれる者等、誰もいない。死んだら、
コチラでは、赤子、最初からやりなおし。仏陀と言えど同じ。桐山教祖??
マズ、コチラに生まれたら、地獄の夜叉母の子供として生まれ直さないとネ。苦労するだろう。と言うより、
地獄の苦しみを他に現世であたえたのだから、こちらでそれを、償う事が必要だろうね。

144 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:13:55 ID:hBGu3CJ3
>>142
この爺さんが武道なり修道法なりで有意義な情報を我々に与えてくれる可能性は
限りなくゼロに近いとおもうぞ。だから別の人に「ウザイ」とか言われてたわけだが…
ま、僕は実行さんやコタローさんと同レベルだと見なして読み飛ばしてるけどねw

145 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:18:29 ID:GHUK8SLz
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から転載

[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
名無しさんは、護摩で第三者が感謝している例があったら、出してください
とのことです。
 今年の星祭りのテレビ放映を見ませんでしたか?菅沼先生が、「モンゴル
の人々の心にみごとに雨を降らせた」と、感動したことを話していましたよ。また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。読んで御覧なさいな。
リナート・モールというエストニアの大学教授も、「慈悲の心と聖なる火」
と題して、賞賛の文を寄せています。名無しさんんとしては聞きたくない
でしょうが、お読みください。客観的な判断材料にはなるでしょう。

146 :孔孔富隼 :2005/05/27(金) 22:19:22 ID:cFTXj+B5
>>142さん、想像していません。
あなたは樹意さんのハンドルの変化を理解できませんか?
樹意さんもアナタと同じ登場のしかたでした。それを読んだときのの私の状況が、
スポ−ツはしてませんでしたが、
あなたと同じなのです。ダカラ親近感をもつのです。
このスレはソレほど、長いのデス。

147 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:22:05 ID:GHUK8SLz
>>145 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:18:29 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
> 今年の星祭りのテレビ放映を見ませんでしたか?菅沼先生が、「モンゴル
>の人々の心にみごとに雨を降らせた」と、感動したことを話していましたよ。
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。読んで御覧なさいな。

あなたは過去スレを読んでいないようだが、
聞きたくないどころか、菅沼先生については、2ちゃんねるでは、
今年の初め頃と星まつりの時に議論がされています。
どうせ紹介するなら、彼の著書に載ったことも紹介するべきです。
まさか、買っていないのではないでしょうね。
菅沼教授が阿含宗に関わった件は、『祈りは天地を動かす』に寄稿したこと、
『モンゴル仏教紀行』で阿含宗を紹介した件、
今年の星まつりのテレビに出演した件の三つあります。
この順に反論します。

148 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:28:11 ID:hBGu3CJ3
>>146
もういいよ。アンタの発言はさっぱり意味不明だよ。
スレの常連のわりには空気読めないな、やっぱボケてんだよ。
しばらく黙っててよ、迷惑だから。自慰は固執でヤッテクレw

149 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:28:34 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。

菅沼教授が金字塔と誉めているのは、
阿含宗の行事がモンゴル人に励ましと勇気を与えた点と、
阿含宗がガンダン寺と協力して十一面観音を建立して、
世界人類の平和を祈願する法要を行ったこと、この二点を上げています。
つまり、宗教的に弾圧されていた民衆が宗教行事に励ましを得て、
観音像建立し平和祈願をした、の二点です。
前者は阿含宗が理由ではなく、仏教行事ならなんでもよく、
宗教的に抑圧されていた人たちが宗教行事を見て、開放感を味わったというだけでの話です。
護摩法要で民衆の宗教抑圧が解放されたのではなく、
政治体制の変化で宗教弾圧がなくなっただけで、阿含宗は関係ない。
後者は明らかに阿含宗が仏像に金を出したことです。
なぜなら、あれは開眼供養の護摩ではなかったからです。
観音像は阿含宗が建立したのではなく、金箔代金を寄付をしただけです。
阿含宗である必要も、護摩である必要もなく、
宗教行事が行われ世界平和が祈念され、観音像に寄付すればよかったということになる。
菅沼教授はこんな程度のことしか書いていない。
これがあなたとって護摩が役立つ理由なのですか。
違いますよね。

150 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:32:42 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。

阿含宗が、またあなたが本当に言いたいのは、菅沼教授の書いた理由とは違う。
護摩で滅亡のカルマを断ちきり、雨を降らせて、
モンゴルの人々を火災から救ったのだと主張している。
護摩には意義があり、力があり、世間に役立つという主張は
菅沼教授が指摘した内容ではなく、アメフラシのほうですよね。
しかし、この本では、菅沼教授は雨降らしのアの字も出していない。
あなたは金字塔のことを護摩法要であり、
護摩法要とは奇跡のことだと勝手に連想しているのだろうが、
この本では菅沼教授のいう金字塔とは、阿含宗のいう奇跡の護摩の話ではありません。
ありふれた誉め言葉にすぎない。
私はこれを読んだとき、菅沼教授を学者らしい冷静な人だと評価した。
ところが、昨年、これが過大評価であることを知りました。
それが菅沼教授の『モンゴル仏教紀行』です。

151 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:40:04 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。

『モンゴル仏教紀行』の36〜38頁で阿含宗を取り上げている。
ここで、菅沼教授は護摩が始まると雨が降り始めたと書いた。
学者でありながら、客観性のなさに私は絶句し、失望しました。
『祈りは天地を動かす』『別冊ダルマチャクラ』(1997年2月1日)
に信者たちが書いた体験談を使者さんも読んでみるといい。
ウランバートルでは、護摩前日4日にも雨が降っていたことを
F田僧正が『祈りは天地を動かす』の131頁で書いている。
また、護摩当日5日の早朝に雨が降っていたことを同じ本の33頁にもあります。
寄稿した信者たちも朝の雨を「ミニ台風」だと表現している。
修法が始まる前には薄日がさしていたが、修法が始まると降り始め、
途中で止んだり、また降ったりを繰り返したと書いています。
そして午後には晴れていたが、夕方にはまた雷雨があった。
信者さんたちはこの体験の描写を見て、どう思いますか。
モンゴルはこの時期、日本の梅雨と同じ理由で雨期に入る。
雨期に入りかけの時期だから、西からの激しい風に上空の空気がぶつかりあい、
雨雲が来ると降り、それが去ると止み、天候が乱高下して、
前日から雨から降ったり止んだりしていた。
天気が激しく変化するから4日にはウランバートル近くの山では雷がなっていたとあります。
つまり、ウランバートルでは4〜5日にかけて、断続的に雨が降っていたのです。
護摩などまったく関係ない。

152 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:43:53 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。

ところが、菅沼教授の描写では、まるで護摩が始まると、
一天にわかにかき曇り、雨が降り出したかのような表現です。
6月2日にはウランバートルにいたのだから、4〜5日の天気の変化を見ていたはずです。
八年前の『祈りは天地を動かす』に寄稿したときの冷静さはどこへやら、
すっかり、阿含宗の奇跡話に飲み込まれている。
モンゴル仏教の専門家だから、6月から雨期が始まることくらい知っているはずです。
そこで、私は菅沼教授に手紙を書きました。
桐山さんが予告したのは天気予報がすでに出ていたわずか2日前であること、
モンゴル国家緊急委員会が護摩の前日に鎮火予測を出していたこと、
観音像は11月に開眼供養がモンゴル側で正式に行われたのだから、
阿含宗の6月の護摩を開眼供養とするのは学問的に間違いではないか、などです。

153 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:50:51 ID:GHUK8SLz
>[925]大王の使者 05/05/27 13:28 lPSJb/jtbq
>また「祈りは天地を動かす」という本には、「仏教史上の金字塔」という文まで寄せて、阿含宗の護摩を讃えていますよ。

使者さんの根拠とした菅沼教授は、護摩でモンゴルの人に勇気を与えたとは述べているのが、
阿含宗が護摩の奇跡として主張している悪業を切るとか、
おシャカの成仏ホーで雨を降らせたなどとは証言していない。
宗教行事をして観音像に寄付をしたことは良いことだと述べたに留まる。
1996年の菅沼教授は招待されたのではないから、客観性があると言えるでしょう。
その時の寄稿には、アメフラシについては一切触れていない。
ところが、『阿含宗報』にすら『モンゴル仏教紀行』の広告が載り、
翌年には星まつりにゲスト出演までしていれば、あきらかな利害関係者です。
これを第三者だというのは無理があります。
モンゴルの奇跡で山火事を消したというなら、利害関係者ではなく、
当の本人であるモンゴル政府からの感謝状が一番です。
あの当時の文化大臣は大統領になったのだから、頼んでみてはどうですか。
お礼さえケチらなければ、今からでも感謝状を発行してくれるでしょう。

154 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 22:55:30 ID:GHUK8SLz
>[926]大王の使者 05/05/27 13:52 lPSJb/jtbq
>名無しさんは、私に、「あなたの判断など誰も聞いていない」と書いたこと
>ありましたが、言い過ぎでしょう。それを言っちゃあお終いでしょう。

あなたは文章の前後を読まない方ですね。
使者さんの判断など聞いていないというのは、
阿含宗の教学から逸脱したような勝手な解釈を述べるべきではないと助言したのです。
実行委員長のように、阿含宗徒を名乗りながら、アナゴンであるなどと宣言するのは、
阿含宗や桐山さんの教えに反している。
実行委員長がアナゴンだというのは、彼の判断であって、阿含宗の判断ではない。
彼の判断など私どころか、信者すら聞いていない。
使者さんには、これを真似するなと助言したのです。
議論の勝ち負けにこだわるではなく、桐山ゲイカの教えを忠実に主張することこそ大事なのです。
それを悔しいから、星祭さんのようにあれこれと小手先の屁理屈をつけたため、
逆手にとられて、教学の無理解を指摘されて恥をかく。
ああいうことはするべきではないと助言したのです。
議論に勝てない時は、小手先の屁理屈ではなく、沈黙をすれば、
少なくとも、信者の支持は失いません。
あるいは、自分はこれ以上はわからないと認めるなら、
批判側すらもその勇気には一目置くでしょう。

155 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:02:50 ID:GHUK8SLz
>[926]大王の使者 05/05/27 13:52 lPSJb/jtbq
>護摩木は煩悩とは書きましたが、私はすべてが煩悩とは思いません。学業増進とか世界平和などという祈願は望ましいものでしょう。お釈迦
>様でも文句は言わんと思います。

護摩木祈願をどう解釈しようがあなたの自由です。
だが、釈尊が言ってもいないことを、勝手に「文句は言わんと思います」と書くのはやめたほうがいい。
まるで、釈尊が護摩木祈願を認めたかのような連想を誘っているのですよね。
あなたの文章にはしばしばこういう連想を誘ってお茶を濁す表現が出てくる。
こういうのを、どさくさに紛れて、というのです。
会話ならその場で消えるから通用しても、文章は何度も読み返せるので、
ゴマカシがばれてしまうから、ほどほどにしたほうがいい。
釈尊は護摩も護摩木祈願も、祈願もいっさい認めていません。
世界平和だろうが、学業増進だろうが、祈願なんて釈尊の教法にはありません。
これらは欲望であり、呪術行為、祈祷行為です。
呪術も欲望も否定した釈尊は認めておらず、弟子は誰もやっていません。

156 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:06:37 ID:GHUK8SLz
>[926]大王の使者 05/05/27 13:52 lPSJb/jtbq
>まさかほんとの身を焼けないから、身代わりに護摩木を焼くんだ、とね。
>名無しさんも最初からそういう説明を受けていたら、氷水浴びた感じになる
までもなかったでしょうに。

あなたは私がこんな程度の説明すら知らないで阿含宗にいたと思っているのですね。
これを桐山さんは、オンイングリッシュソワカと述べているのです。
英語を勉強する身代わりに曼陀羅を拝んでいるのと同じです。
阿含宗の護摩だけはオンイングリッシュソワカではないと桐山さんが言い、
あなたはそのまま信じたから、釈尊に何を言われても気にならない。
しかし、私は桐山さんの説明をいったん受け入れただけで、厳密には信じてなかった。
あなたの知性では煩悩を焚き火で燃やすなんて荒唐無稽な話を信じられるだろうが、
私は平凡な知性の持ち主なので、不可能です。
「借金」と木に書いて燃やせば、借金が消えるとあなたの知性では信じられるようだが、
私は普通のありふれた知性の持ち主なので、不可能です。
この知性の違いが、同じ経典を読んでも反応が違う理由です。

157 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:11:29 ID:GHUK8SLz
>[926]大王の使者 05/05/27 13:52 lPSJb/jtbq
>釈迦もバラモンに木片を焼くのを止めろ、とまでは言ってないでしょう。
>止めさせる権限が無かったとしても、害があることなら止めるように要請はするでしょう。

あなたは阿含経を読んでいて、釈尊の説法の仕方を知らないのですね。
釈尊は直接的に、これをしろ、あれをするな、というのは意外に少ない。
どうしてかわかりますか。
本人に考えさせるためです。
他人に命令されたのでは、他人に判断を依存する人間ができてしまう。
だから、釈尊は一方的に説教するのではなく、相手に質問して考えさせる。
自分で考える人は、次に何か問題に直面した時も自分で考えるようになる。
だから、カッサパ三兄弟にも護摩を捨てろなんて説いていない。
護摩が無意味だ、慢心と怒りと嘘だと彼ら自身が気が付いて、
自分から護摩を捨てるように促したのです。
あなたは「・・と私は考える」と書いているが、その考えはあなたが考えたものではなく、
たいていは桐山さんの考えを鵜呑みにしたにすぎない。
思考しているのではなく、ただ答を丸暗記している。
あなたは考えているのではなく、
桐山さんから与えられた答を我が物であるとして執着しているのです。
桐山さんという柱につながれた犬のように、どんなに矛盾していても、
桐山さんの考えから離れられないのを「・・と私は考える」と言っているのです。

158 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:16:18 ID:GHUK8SLz
>[927]大王の使者 05/05/27 14:13 lPSJb/jtbq
>私のノートから、業に関するメモを見つけました。
>「精進根巳生悪不善法断、生欲方便、未生悪不善法不起、未生善法令起」
>雑阿含・分別経
>と、メモしてありました。
>これは、「すでに起こした悪業は断じ、未来の悪業は起こすな、未来の
>善業はすぐ起こすよう奮起せよ」との釈迦の言葉でしょう。

経典を引用するときには必ず他の人たちがたどれる元を示してください。
分別経といっても、雑阿含経だけでも複数あるのです。
あなたが引用したのは、雑阿含経、巻23、通し番号でいうと12305、
「国訳一切経 阿含部 二」(大東出版社)の516(192)ページです。
桐山さんが五根法の阿含経講義で行ったもので、精進根の説明です。
『ダルマチャクラ』をお持ちの信者さんは、1993年、51号にありますから、参照してください。

何等をか精進根と為す。已に生ぜし悪不
善の法を断ぜしめ、欲を生じ方便して心を摂
し増進して、未だ生ぜざる悪不善の法を起こ
さず、欲を生じ方便して心を摂し増進して、
未だ生ぜざる善法は起こらしめ、欲を生じ方
便して心を摂し増進して、已に生ぜし善法は
住して忘れず、修習し増廣し、欲を生じ
方便して心を摂し増進せば、是れを精進根と
名づく。

159 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:20:51 ID:GHUK8SLz
>[927]大王の使者 05/05/27 14:13 lPSJb/jtbq
>これは、「すでに起こした悪業は断じ、未来の悪業は起こすな、未来の
>善業はすぐ起こすよう奮起せよ」との釈迦の言葉でしょう。

「国訳一切経」の脚注を参考にしてまとめるなら、精進根とは、
a.すでになした悪をなくす
b.まだなしていない悪をなさない
c.まだなしていない善をなす
d.すでになした善をさらになす
という意味です。
使徒さんの「未来の悪業は起こすな、未来の善業はすぐ起こすよう奮起せよ」は
bとcと一致するが、この説明のどこから、「すでに起こした悪業は断じ」が出てくるのですか。
aのすでに発生した悪をなくすとは、過去の悪業を消すという意味ではありません。
過去からなしつつある悪をやめるという意味です。
たとえば、あなたは死者を不成仏霊と罵るという悪をなしている。
これは過去から現在までなしている。
aにあるのは、これをやめなさいという意味です。
あなたがこれまでになした罵倒による悪業は過去なのだから、消えない。
せめて、過去からの悪業の継続をやめなさいと言っているのです。

160 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:24:53 ID:GHUK8SLz
>[927]大王の使者 05/05/27 14:13 lPSJb/jtbq
>過去の業によって現在の報いがあるわけですが、まだ熟していない報いも
>あるわけで、報いが熟すまでの時間を利用して、善を積めば、受ける予定
>の報いが変わるのではないか、というのが私の考えです。

>>158の精進根の経典、>>159のa〜dのどこからこんなふうに読みとれるのですか。
あなたのこの結論と分別経の精進根とはまったく脈絡がない。
あなたは勝手にaを、過去の悪業を切れと釈尊が説いたと解釈した。
「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」
から、どうやって過去の悪業や業報を断ち切れと読めるのでしょう。
すでに始めてしまった悪いことをやめろと言っているのです。
業を切れ、カルマを切れなんて、言葉としてすら出ていない。
また、四つの内容からみても、そんな変なことを説いているのではありません。
精進根は、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
この内容をさらに詳しく述べているだけです。
「すべて悪しきことをなさず」 
→ a.すでになした悪をなくす、b.まだなしていない悪をなさない
「善いことを行い」      
→ c.まだなしていない善をなす、d.すでになした善をさらになす

161 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:31:26 ID:GHUK8SLz
>[927]大王の使者 05/05/27 14:13 lPSJb/jtbq
>過去の業によって現在の報いがあるわけですが、まだ熟していない報いも
>あるわけで、報いが熟すまでの時間を利用して、善を積めば、受ける予定
>の報いが変わるのではないか、というのが私の考えです。

ダンマパダ183をさらに詳しく説明しているのが精進根です。
「すべて悪しきことをなさず」という中に、使者さんのいう、
過去になしたカルマを切るとか、業報を受けないようにするなんて意味があるはずがない。
釈尊が精進根で言っていることを使者さんにあてはめるなら、
今すぐ阿含宗の霊感商法をやめることです。
悪いことをするなと言っているのだから、
悪因縁や霊障で人を脅かして霊感商法をするという「a.すでになした悪をなくす」
ために、すぐにやめることです。
あなたは桐山さんの本を施本して導き、これから悪業を作る予定だったが、
これはまだなしていない不善だから、「b.まだなしていない悪をなさない」
ために、本の施本や導きなどはやめるべきです。
これがあなたが引用した経典の正しい精進根の実践法です。

162 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:33:24 ID:GHUK8SLz
>[927]大王の使者 05/05/27 14:13 lPSJb/jtbq
>の報いが変わるのではないか、というのが私の考えです。

あなたの考えではなく、これは桐山さん考えです。
あなたが経典を読んで理解して、このように考えたのではなく、
桐山さんに五根の講義をされて、むしろ何も考えずに、
桐山さんのオカルト説をそのまま受け入れ、
自分が考えたと思い込んで、しがみついているだけです。
そろそろ、桐山さんの考えと自分の考えの区別くらいつけてはどうか。
いい年をして、親の言うことなら何でもきく子供でもあるまい。

163 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:35:31 ID:GHUK8SLz
阿含宗と桐山氏について―第八章―皆でほのぼの会議場― から転載

[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
名無しさんは、「因縁解脱」という用語は阿含宗以外では全く通用しない
ようなことを言っていました。
そうではないことを示しましょう。名無しさんの認識不足でしょうよ。
先日、新聞の折込に高島易断の運命鑑定会のチラシがありました。
次のような記述があります。
  運命の障害(浄霊・霊視)
  ・家系の因縁  ・先祖の因縁
  ・先祖の障り  ・死霊 生霊の障り

どうですか。一般家庭を対象としたチラシに、先祖の因縁、なんていう用語
が出ています。まさか、因縁を法則などと解釈する家庭はありますまい。
障害の原因というように判断すると思います。それがいまや、世間の常識
というものではありませんか。また、チラシの体験談には、色情因縁なる
言葉もありますし、不成仏霊なる言葉もありますし、わたしも驚くほど
ですね。高島易断が運気改善の手段として成仏供養を肯定してることは知っていましたけど。
本業に支障が出ないように、本日はこれまでです。

164 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:38:51 ID:GHUK8SLz
>>163 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:35:31 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>どうですか。一般家庭を対象としたチラシに、先祖の因縁、なんていう用語
>が出ています。まさか、因縁を法則などと解釈する家庭はありますまい。

これが私の認識不足なら、私は新聞をとったことがなく、
折り込みのチラシも見たことがないと、あなたは言っていることになる。
この種のチラシなど、私の知る範囲でも二十年以上も前からあります。
阿含宗の因縁の一覧表を丸写ししたようなものまでありました。
あなたは新聞の折り込みをどこかの倫理審査会などが審査しているとでも思っているのですか。
阿含宗のチラシも新聞に折り込めるのですよ。
よほど公序良俗に反するような露骨な内容でない限り、
チラシなど金さえだせば、折り込んでくれます。

165 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:42:38 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>それがいまや、世間の常識というものではありませんか。

因縁をこういう悪い運命という使い方をしたのは、
阿含宗や高嶋易断が最初ではなく、霊友会の教祖です。
この人が阿含宗の因縁の先祖です。
後に、霊友会から派生した立正佼成会の庭野教祖が九星や手相占いを使い、「因縁を当てた」。
立正佼成会には、「色情の因縁」という言葉があります。
霊友会から派生した教団は立正佼成会だけでなく、
今日も百万人規模の信者を抱えたいくつかの教団があります。
これら巨大教団の布教活動のおかげで、因縁という言葉はますます歪められた。
阿含宗は因縁という仏教用語の誤解を広めるのに一役買ったのです。
常識どころか、下記のように、学者たちは勝手な解釈として眉をしかめている。

・・「因縁」も「親子三代、交通事故で亡くなって、因縁ねえー」
などと陰湿な情感と勝手な解釈を加えて語られたりする。
(『ブッダ』奈良康明、実業之日本社、85頁)

166 :名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 23:48:33 ID:GHUK8SLz
>[936]大王の使者 05/05/27 14:34 lPSJb/jtbq
>それがいまや、世間の常識というものではありませんか。

高嶋易断は、明治時代の易聖と言われた高島嘉衛門とは関係がない。
彼の弟子で高嶋易断を名乗る人はいないから、
すべては虎の威を借りた偽物、巷の占い屋です。
その占い屋が阿含宗を見て、ナンタラの因縁と脅かすのが良いことに気が付いて、
客集めのためにこれを採用した。
T一協会も一時、因縁切りの塔とやらを売っていた。
阿含宗が因縁、因縁解脱と大宣伝しているのを聞いて、
霊感商法にはコリャア便利だと取り入れたのです。
ついでに不成仏霊も取り入れて、先祖の祟りで脅かせばもっと効果的だと気が付いた。
悪因縁を取り入れた連中のツラ構えを見ればわかるように、
阿含宗、高嶋易断、T一協会と、どいつもこいつも、
霊感商法で人を騙して、金を吸い上げようとする悪党ばかりです。
阿含宗をまねしているのだから、阿含宗こそは霊感商法の総本山、家元です。

167 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/05/27(金) 23:52:46 ID:ynRyyCjq
おーい、来てごらん。
ザのスレで池田慈水がついに(もともと)発狂した。
ちなみに私はこの85スレでは初登場でーす。

168 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 00:07:26 ID:QxsoXqN1
孔孔富隼が自前のサイトでクレイゴンの
面倒見るそうだからなんの問題も無いw

169 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 00:18:06 ID:QxsoXqN1
つか、ルパンととっつあんのイタチゴッコだな、アレは。
いや、ゴルゴVSメカゴノレゴの対決?ま、どちらにしても、
俺的にはいいネタくれない奴は( ゚听)イラネ



http://liloatx.hp.infoseek.co.jp/gol5.html

170 :樹意 :2005/05/28(土) 01:22:52 ID:9WovZcZN
この頃は原始仏教スレッドを荒らしまわっておりましたので ザのスレッドは
ご無沙汰しておりました。
七誌さんが引用している文章を読むだけですが 因縁などの間違いを平気で
常識という のはいまさらながら呆れます。

輪廻等の認識は アホダラ氏や電波氏とも少し違いますが、五蘊無我の観点から
説明、議論していますので 興味のある方は読んでみて下さい。

ジミズ氏は 少々短気でありますから、議論にはなりません
アナゴンを名乗っているのならもう少し冷静になればいいのではと思うのですが、
やはり ユビ氏との議論でも 壊れましたか。 納得です。

171 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 02:18:46 ID:QxsoXqN1
現代人は昔の修行僧のように墓場で白骨観やるようなわけにも
いきませんしね。とはいえ、お手軽なカルト教義で自己満足に
耽るのも、お寒いかぎりで。。。だからこそ理詰めでお釈迦さんの
教法の原型を詰めていくのは、重要な作業だとおもいます。

原始仏教スレ、いい勉強させてもらってます。最近では生天の法が
禅定における意識化の現象である…というのが眼から鱗でした。


172 :樹意 :2005/05/28(土) 02:45:15 ID:xE2DBLTO
>>171

私の意見なんぞは参考にはならないかもしれませんが 彼のスレッドでは
電波氏はじめ 碩学のお歴々の意見が聞けます。
価値があるものです。
この教団がいかに 阿含経を利用するだけで中身は捨てているか、それを知る
参考になります。
キリヤマゲイカの錯覚手法 手口は解明する必要があります。
この手の手法は世間に満ち溢れています。




173 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 04:24:29 ID:bDWZZ34g
>>146
アナタはROM者の気持ちが分かりませんか?
アナタのツマラナイ書き込みは迷惑だと言ってるの。
だ!か!ら!引退して下さい!

174 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 08:23:32 ID:n2X8sK0w
池田慈水って人は心の寂しい人だな。
おっと、また人を批判してしまった。

175 :牧童犬菩薩:2005/05/28(土) 15:39:30 ID:1Z0hDjiJ
観音の化身としてようやくかえってきました。
と、みてみると急展開ですね。
池田慈水さんという(もともと)おかしかった人が
さらに発狂しておかしくなり、とうとう実行委員長を
はるかに凌駕してアラカンになってしまいました。
これでおわりです。ジミズさんお疲れさまでした。

布施行やお世話もできない人間がアナゴンである筈が
ない。

とうとう破壊工作によりアゴン論議スレを大円団に
みちびいた。ユビ氏が外部からジミズの脳の手術を
して失敗し、狂ってしまった。ここにもくるのかな〜

176 :こうもり :2005/05/28(土) 15:54:55 ID:TP2da84r

出た!やはりこの方がいないと盛り上がりません

177 :オバンデヤンス:2005/05/28(土) 17:48:36 ID:1a/BWHrf
エ−〜?!!何だって、喋るな?!!聞こえないダヨ。もっと
大きな声で分かり易く言ってくれ、エッツ。何だって、愚か者?、
ソウカモネ、自覚してるんだ。君達とは違ってネ。

178 :樹意 :2005/05/28(土) 19:52:40 ID:zREY66a8
>>175

ユーモアのセンスがいいですね。
もしかして 本当に観音の化身と思っていたりして。

179 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 19:54:23 ID:fI+mo+l6
>>135-137
>>111

本門戒壇?とか
在家受戒?総本山の宗務局に信徒の檀家登録?とか
出家得度?総本山の宗務局に坊主の度帳登録?とか
伝法灌頂?とか
四度加行満願?真言宗のの宗務に阿闍梨耶の度帳登録?とかって
ようは『 在俗信者 』になる『 三帰依を読経で毎日唱えている 』だけでなく
出家した僧侶(和尚[説法する坊さん?]・阿闍梨耶[伝法する坊さん?]ほか?)
ようは坊さんから お釈迦様の弟子にして貰いました。仏教徒ですわワイは、ってのの儀式ってあるんですよね。

お詳しい皆さん。どないなんでがしょ。実際の所は。どの宗門の弟子で由緒とか法脈っつーのは。

本門戒壇? 幸福の原理(自殺しようとした時に発見した、お経を読経して戒壇を受けた事にする)
在家受戒? 観音慈恵会の時に「伏見で修行中に遭った山伏の中村さん」から受戒
出家得度? 「浄土宗の僧侶の北野師」から捏造の真言宗金剛院派「照真秘流」で得度
伝法灌頂? 真言宗の三憲流の小田アジャリから「仏舎利供養の伝法の許可印信」
四度加行満願? チベット密教のビデオ撮影を契約し「撮影の儀式を真似して」満願

ウパニシャッド〜仏教ユガ唯識の禅〜新ウパニシャッド(クリシュナ)
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1019774653/194n-256

香徒契(ひゃんドげ・韓国のヤクザ組織)
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1019774653/192n-193


180 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 21:13:28 ID:XY2qEoMf
独島は(トクトぬん)われらの領土(ウリたん)だとか抜かしてたな。

韓国観光のブティックの試着ボックスから誘拐のダルマ女被害を謝罪させろ。

裏路地の美味い屋台を紹介といって集団レイプしビデオを撮ったのを謝罪させろ。

韓国茶屋での集団レイプしビデオを撮ったのを謝罪させろ。

 誘拐被害やレイプ被害や風俗に売られて片把にされたり殺された観光客の被害を
韓国と旅行会社に謝罪・処罰させろ。

ブティックの試着ボックスから誘拐
 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1113575215/545-550

×美味い屋台○安い店 韓国茶 集団レイプ
 http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1111900589/326-327


181 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 22:52:20 ID:kAaaFw9y
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
た とえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、
あまりにもバカバカしいのでほっといたら、調子こいていますが
、こんなの一般人でも相手にしないで しょう。
きにするこたあ、ありませんぜ!慈水さん。読むものはそれなりに判断するものです。
[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。
そんな罪障は大小の違いこそあれ人間ならば誰でももっているものです。
酒つくりなど日本だから罪になるのであって普通に作っ ている地域もある。
何故、法律にふれてムショ行きになったかというのは別に考える必要がある。

182 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:03:34 ID:kAaaFw9y
>>181 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 22:52:20 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>きにするこたあ、ありませんぜ!慈水さん。読むものはそれなりに判断するものです。
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

星祭さんも批判側が憎らしくて、何か言わないではいられないのはわかるが、
何も壊れているヂミズさんに応援を頼むことはあるまいに、よほど人手不足と見える。
壊れているヂミズさんよりも猫の手のほうがまだ役立ちますよ。
星祭さんもヂミズさんが書いている露骨な差別に賛成しているかのように受け取られます。
それとも、聖者の道を歩む星祭さんは、阿含宗をやめたヂミズさんの
普通の人でも書かない個人攻撃や差別や罵声に賛成か?
星祭さんの書き込みは、使途さんとの議論の中で、本スレ84の695、ザの9章の[803]で、
桐山さんの偽ビール造りを引き合いにして、
過去になした悪業は消えないという私の主張への反論です。
もっとも、星祭さんは>>12-14、ザの9章の[805]で恒例の「ばかだね」の罵りを連発しながらも、
桐山さんが偽ビールを造ったと認めたのだから、ずいぶん進歩されたものです。

183 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:05:46 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

[27]と[28]を並べて書くとわかるように、星祭さんは別な内容を混ぜて議論している。
私が前スレ695で書いたことは、悪業は何をどうしようが消えないという
仏教や宗教のカルマについて書いた内容です。
これに対して、星祭さんの指摘は法律的な罪についての話です。
悪業が消えないと書いたのを、法律的な罪が消えないと主張したかのように
置き換えて、罵っているのです。
しばしば星祭さんがこういう批判側が書いていないことを捏造するので、
前は作戦として、わざと混ぜて、捏造しているのだろうと思っていたが、
最近は、星祭さんの頭では区別がつかないのかもしれないと思うようになりました。

184 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:08:26 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

偽ビールを造ったという悪業から逃れることはできません。
星祭さんの罪障とは何を指すのかわかりませんが、
私は少なくとも罪障という言葉は用いていない。
以下に、本スレ84の695で使途さんへのレスを再掲載します。

悪いことをするな、善いことしろ、心を清らかにしろ、です。
釈尊のいう悪いことをするなとは、悪業をなすな、というだけの意味です。
すでになした悪業から脱出を説いているのではなく、
これから悪業をなすな、という意味です。
あなたは悪業から脱出という表現には、悪業を切るという概念を含めていますね。
だから、「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」などと書いている。
悪い行為をするまいと決心して、二度としなくても、悪趣からは脱出できません。
詐欺で捕まった人が、もう二度と偽ビールを造るまいと決心するのは、
これは今後悪業をなさないこと、悪業からの脱出です。
しかし、すでになしてしまった偽ビール造り(悪業)が許されるわけではなく、
彼は刑務所、つまり悪趣に落ちて、脱出はできない。
あなたの「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」は成り立ちません。

185 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:17:19 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

>>184に転載した私の695の書き込みを見ればわかるように、
罪障が消えないとも、偽ビールについて悪趣から逃れることはできないとも書いていない。
使者さんが、「悪い行為(業)を脱出すれば、悪趣から脱出できる」と書いたから、
悪業を断ち切る方法などないから、
悪業をなした人はそのままでは過去の悪業から脱出することも、
悪趣を脱出することもないと書いたのです。
桐山さんがなした過去の悪業は消えることはない、という当たり前のことを書いたのです。
懺悔、反省も意味がない、などとは、私は一言も書いていない。
私が書いていないことを捏造しているのは星祭さんなのだから、
何考えているのだかわからない、のは、星祭さんのほうです。
もっともあなたが悔しくて、なんとかやり返してやりたいと
熱望しているのだけは行間からひしひしと伝ってきます。

186 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:21:34 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

懺悔反省したなら、次に何をするのかが違っていると批判している。
桐山さんは過去の業を切って、業解脱するのだと述べた。
釈尊は過去の業を切れなどと言ったことはなく、悪業を作り出した煩悩をなくせと説いているのです。
桐山さんは業を切ることが解脱だといい、釈尊は煩悩を切ることが解脱だと説いた。
桐山さんは業を切れといい、釈尊は煩悩を切れという、これだけでも両者はまったく違う。
桐山さんの外道ぶりはこれだけではない。
釈尊の説く仏教なら絶対にありえないことを説いている。
それが他人への責任転嫁です。

187 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:26:17 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。
>とかのたまうのがいますが、懺悔も反省も(過去になした罪障に対して)意 味がないという何考えているのだかわからないのがいて、

桐山さんの業解脱(因縁解脱)では、偽ビールは霊障のカルマによって生じた
刑獄の因縁という悪業だから、これを切ればいいことになる。
桐山さんのこの考えでは、霊障のカルマを作った不成仏霊が悪く、
家系に伝わった刑獄の因縁が悪く、彼の責任は出てこない。
その証拠に、信者さんたちは桐山さんから刑獄の因縁の元になった前世の行い、
つまり横の因縁について聞いたことがありますか。
アラハンとは三明を体得しているから、自分の前世を知っているはずです。
桐山さんも刑獄の因縁のある家系に生まれるだけの前世の行いがあったのだから、
これこれが自分の悪業であると述べるべきです。
どのような行いが悪業なのかを知るためにも、先祖や不成仏霊の話などより、
刑獄の因縁、ガンの因縁、強い中途挫折の因縁を作るに至った桐山さんの前世の悪業を話すべきです。
新しい悪業を作らないためにも信者たちには一番参考になる話です。
しかし、桐山さんはこの一番重要な横の因縁を話したことがない。

188 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:31:19 ID:kAaaFw9y
>[27]星祭@悪趣 05/05/28 07:12 iJYtKODkeM
>たとえば、偽ビールを作ったという罪障は、消えず、悪趣から逃れることはできない。

桐山さんの話はいつも先祖と霊障武士が作り出した悪因縁ばかりです。
前世の悪業としての横の因縁は一見、自己責任を説いているようでありながら、
信者たちに罪悪感を植え付けるのに使うだけで、阿含宗の教学としては隅に追いやられている。
現実に、桐山さん本人は横の因縁の話は皆無で、全部、先祖や霊障武士に責任転嫁している。
桐山さんの業解脱の話は、自分の作った悪業を切るという話ではなく、
先祖や死者たちが作った悪業を切るという話にすり替えられている。
こんなことは釈尊の教法では絶対にありえません。
釈尊の教法では「自己」以外なにかが対象になることはほとんどない。
自己以外の他人、先祖、死者が修行の対象になることはありません。
弟子たちの告白を読んでも、ただの一つとして、
先祖の悪業でひどい目にあったとか、運が悪かったとか、解脱の妨げになったとか、
逆に先祖が守護霊になって、解脱できたなんてのもありません。
桐山さんの因縁解脱はカルマを切るという意味で釈尊の教法とは違うし、
先祖や霊障武士に責任転嫁しているという点でも釈尊の教法とは正反対です。
阿含宗の教法は外道の名にふさわしい。

189 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:32:07 ID:wwOOLvMd
【地蔵】オールスターでG阿部・1塁を一位に【引退w】
http://ex10.2ch.net/test/read.cgi/base/1116857784/

サンヨーオールスターゲームで、巨人阿部(捕手)を一塁手で一位選考を目指す!
そのことにより、
1.阿部のキャッチャーの下手さ
2.清原(一塁手)の引退を要求
☆★3.『川崎』をオールスターで1位にした祭りをもう一度★☆


190 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:33:21 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

星祭さんのこの批判は桐山さんに言ったほうがいい。
星祭さんに言わせると法律上の罪ばかり問うのはおかしなことで、
根源的な罪障を問題にするべきだとおっしゃっている。
法律上の罪など批判側が問うたことはありません。
桐山さんはちゃんと刑期を終えていることをみんな認めている。
偽ビールの件を問題にしているのは、第一に桐山さんが自分のなした犯罪性を認めていない点です。
率直に、これを犯罪として認め、若気の至りと反省するなら、誰も彼を責めることなどできない。
だが、桐山さんがこの件を何と書いているか。

『現世成仏』11ページ
「思えば、わたくしもまた、この娑婆世界において、地獄界のドン底からはじまる十界修行をさせられてきた。
わたくしの十界修行は、刑獄の因縁による前科を持つことからはじまった。
それは、血と涙の修行の連続であったが、いまにして思えば、すべて、み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった。」
『現世成仏』75ページ
「だが――結局は、わたくし自身のもって生まれた刑獄の因縁のなせる業であった。」

191 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:36:56 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

「十界修行をさせられてきた」
「血と涙の修行の連続」
「み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった」
「刑獄の因縁のなせる業」
これが自分の犯罪を反省した人の言葉ですか??
偽ビールを造ったことは、血と涙の十界修行をさせるための
み仏とやらの慈悲で、すべては刑獄の因縁がしたことである!
長々と訳のわからんことを桐山さんは書いているが、一言で言えば、
「おれは悪くない!!!!」
と書いているのです。
反省のハの字もないとはこのことです。
懺悔だの根源的な罪障だのと小難しい表現は必要なく、
桐山さんはまったく反省していない。
桐山さんは今でも自分は悪くなかったと開き直っている。
懺悔、反省は仏教の入口とされているから、桐山さんは仏教の入口にすら入っていないことになる。

192 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:42:54 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>だ いたい偽ビールというが、酒税法という国家の法律においての罪であって、
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

第二に、桐山さんは前科を逆手にとって、宗教を作り上げた。
偽ビールの件を批判側がしつこく出すなどと、
信者さんも桐山さんの口まねをすることがあるが、よく考えてください。
前科の件を出しているのは批判側ではなく、桐山さんです。
座右宝鑑に霊障や因縁の恐ろしさの例として出しているのが、桐山さんの前科の話です。
1980年代の本では、前科をネタにして、悪因縁や霊障を大宣伝して、
ついにはおシャカまで引っ張り出して、霊障による地球壊滅にまでなった。
偽ビールが地球壊滅ですよ!!
偽ビールを造ったというちっぽけな詐欺事件一つが、
18人の霊障武士、血の涙を流した刑獄因縁、世紀末の地球壊滅の
壮大なドラマのすべての元ネタです。
結局、自分のなしたちっぽけな犯罪すら素直に反省できず、
み仏だの、霊障だのとインチキ宗教を作りあげて誤魔化そうとした。

193 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:48:34 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM
>人間としての根源的な罪障としての罪(偽ってお金儲けという欲のため)を問題にし なけりゃ意味がないでしょう。

星祭さんは、桐山さんのお金儲けしようとした欲を批判するべきだと述べている。
三十年も何を修行してきたのかと溜息がでるほど、あなたは浅い。
桐山さんのどこを見ているのだ?
金儲けしようとした欲など大した問題ではない。
桐山さんの罪障を問うなら、金儲けの欲ではなく、
他人を偽ビールで騙そうとした点、私文書偽造で人を騙そうした点、
この桐山さんの人生に一貫している詐欺師としての性格を問題にするべきです。
詐欺行為を裁判でも認めず、その後も今日に至るまでいっさい認めないばかりか、
これを悪因縁、霊障に責任転嫁して、人々を宗教詐欺で騙すのに使った。
偽ビールという詐欺行為を反省するどころか、
法律に触れない霊感商法によってさらに詐欺行為を拡大して、
宗教詐欺師として成功を納めたのです。
詐欺師としての煩悩を消すどころか、一生かけて肥大化させた。

194 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:50:50 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

釈尊の教法とは、桐山さんでないと見えないカルマの話ではない。
本人の心の中にあり、本人が自覚できる煩悩です。
横変死の因縁など、桐山さん以外はわからないカルマの話ではなく、
偽ビールを造るというカルマを生み出した煩悩がテーマです。
偽ビールというカルマだけを見るかぎり、あなたも
「普通に作っ ている地域もある。」などと書いているとおりで、逃げ道がある。
ドブロクを造ることと、偽ビールを造ることは違う。
ドブロクは酒を造ることであり、偽ビールは人を騙すことです。
今の日本でさえ、前者は脱税だが、後者は詐欺です。
偽ビールのカルマだけでなく、これを作り出した桐山さんの煩悩が問題なのです。

195 :名無しさん@3周年:2005/05/28(土) 23:58:58 ID:kAaaFw9y
>[28]星祭@業と罪障 05/05/28 07:22 iJYtKODkeM

桐山さんけっして自分の煩悩を省みることも、なくす努力もしなかった。
桐山さんは煩悩をなくすどころか、むしろ巨大化させ、今信者さんたちの目の前にある。
阿含宗がそれです。
あれは桐山さんの煩悩が具現化したものです。
だから、妄想、欲望、恐怖、執着など、煩悩の博覧会になっている。
信者さんたちが桐山さんの得意な虚言、慢心、怒り、自己憐憫、
逆恨みといった煩悩が欲しいなら、阿含宗が一番です。
長年、これらの煩悩を服用してきた星祭さんなどは「使用後」の良い参考例になるでしょう。
だが、もしも信者さんの心にはすでに煩悩が十分にあり、わざわざ増やす必要はなく、
少しは釈尊の教法に従い、煩悩を減らす努力をしようと思っているなら、
阿含宗は不適切な場所であり、まったくの場違いです。

196 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 12:05:04 ID:woku8eOt
阿含宗は釈迦の対機説法と同じ手法で法を説いている。
だから末法の時代にはこれでよい。
上り口にはいろいろあれど頂は同じなのだ。
上から下は見えても下から上はなかなか見えない。
批判する人たちは2500年前の釈迦の時代を無理やりに
現代に焼き直そうとしているがそれは間違いだ。
あの時代には核爆弾もなければ、国連もない。
一瞬の内に世界が滅亡するような環境ではなかったのだ。
時代の要請という言葉があるように阿含宗は現代に必要な手法なのだ。
それは釈迦の真実に基づいている。

197 :こうもり :2005/05/29(日) 12:23:00 ID:E+B7xqRx
196は「密教・超能力の秘密」を読んで出直してこい

198 :栗花 馨:2005/05/29(日) 15:01:03 ID:ZZcbbrN5
194 は「更正と保護の基本」を読んで出直してこい


199 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 15:04:50 ID:pA5jpF/t
犯罪者は死ぬまで犯罪者。未だに霊感商法で、ボロもうけ。
盗っ人は死ぬまで盗っ人。金襴の袈裟で高僧の振りしてい
るだけ。

200 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 15:11:57 ID:pA5jpF/t
因縁や霊障など、まともな宗教では扱わない。明覚寺の祟り商法
や、統一教会の霊感商法などと同じ。


201 :ロム者一同?:2005/05/29(日) 16:08:56 ID:lEPNGQW3
この世にまともな宗教など無い。
あるのは、金もうけ集団とエセボランテイア集団のみ、
更に言えば、偽物と知りつつ、
すがろうとする、弱い民衆。現実を現実として受け止められない。歴史は、
それを現実として受け止め、開き直るところから、始まるのだが、
今のママダトこのスレ1000は行きますね、代替わりしながら、
目を覚ませなんて、言いませんよ。貴方達が目をさましても、
屁のツッパリにもならないくだらない人間達だから。
覚ましたら、かえって、悪くなる。永遠に麻薬の中で眠ってロ。

202 :栗花 馨:2005/05/29(日) 16:19:18 ID:ZZcbbrN5
あんぐりまあら

立松和平
なっち
あびる

203 :ロム者一同?:2005/05/29(日) 16:53:44 ID:lEPNGQW3
クリさんねたみは止めろ。誰も見てない、読んで無い。
ヨク追放されないネ、人間関係だけか。

204 :栗花 馨:2005/05/29(日) 17:35:18 ID:ZZcbbrN5
で、でも読んじゃったね。

205 :ЯENДARO:2005/05/29(日) 21:27:27 ID:luRf74Gk
まだまだ上位ランク入りしています。
http://www.tobu.co.jp/utsunomiya/book.html
http://aeon-miyazaki.com/report/book.jsp
http://www.tobu-dept.jp/funabashi/event/books/asahi_bs.html

206 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 21:57:25 ID:utEWhs19
w○nnyでここのレスを放流したら意外と喰いつきが良かったので
このままWordPadをzipファイルに固めて続け鯛と思う。
最も氾濫気味の層化情報には勝てなさそうだか・・・。


207 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:30:43 ID:9fZT5/uQ
>>196 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 12:05:04 ID:woku8eOt
>あの時代には核爆弾もなければ、国連もない。

2500年前に核爆弾がなかったなんて、あなたは本当に阿含宗の信者さんですか?
すっかり批判側の意見に染まってしまって、
古代に核爆弾なんかあるはずがないという事実を受け入れてしまっている。
おーい、職員さん、だれか>>196さんを洗脳し直せ。
ッタク、去年、東京柴燈護摩で、あれだけインドの古代核戦争!!!で
脅かしておいたはずなのに、すっかり気が抜けちまっている。
偽ビールでももうチッと泡がでたってのに。
信者ならゲイカのお話しがどんなにバカげていても、
阿鼻街道のようにアホくさくても、斎の広場のようにくだらなくても、信じ込むのだ。
では、職員の代わりに元信者の私が洗脳をし直してあげましょう。

208 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:34:30 ID:9fZT5/uQ
>>196 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 12:05:04 ID:woku8eOt
>あの時代には核爆弾もなければ、国連もない。

『一九九九年カルマと霊障から脱出』の290頁をあけてください。
インドの古代都市、ハラッパーとモヘンジョダロで
核戦争の跡としか思えないような遺骨や石、放射能まで検出された!!ちゅう話。
「・・両都市とも、突然滅亡したのである。街路の平面まで掘り下げてみると、
骸骨が多数散乱しているのが発見された。・・・」
ゲイカが引用した本の著者のチャールズ・バーリッツは、
あることないこと、不思議満載のオカルト本を書くのが商売だった。
散乱というわりには、発見された遺骨はわずか46体、
あれ?数万人が住んでいたにしては、ずいぶんと死者が少ないけど、
ま、阿含宗信者も30万人いるんだから、気にしない。
両方の都市は戦争でなく、森林破壊が原因で放棄されたことが今の定説だが、
カルマを断ちきる阿含宗では、そんな世俗の常識は気にすることはありません。
桐山ゲイカが核戦争だと言っているのだから、核戦争です。
どうだ、>>196クン、紀元前1500年以前に核爆弾があったのだよ。
インド人をなめてはあかんよ。
ゲイカがおっしゃることに、チミは逆らうんかね?

209 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:38:53 ID:9fZT5/uQ
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から部分転載
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

新聞その他で柴燈護摩を宣伝して、本を出して、
世界中に金をばらまいて肩書きを買い集めて、これだけアピールして、
それで桐山さんは何をどうやって世界平和を実現したというのですか。
あなたは桐山さんの宣伝文句をただ繰り返すばかりで、
宣伝文句が現実に成り立っているかどうかを見ようともしない。
この後に述べる、業解脱についてもそうです。
モンゴルのアメフラシでは、誉めてくれた菅沼教授にして、テレビでは、
「モンゴルの人々に勇気を与えた」「人々の心に雨を降らせた」との発言にとどまった。
雨を降らせたと、心に雨を降らせたではまるで違う。
桐山さんがカルマ解脱でアピールしたことは事実だが、
アピールした内容については、彼は何一つ実証していない。
我田引水、自画自賛以外、阿含宗は何も世界平和に貢献していないのだから、
アピール、つまり宣伝だけで終わっている。
こういう阿含宗の現状でありながら、よくまあ、そうやって釈尊を足蹴にできますね。

210 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:44:19 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

釈尊が托鉢して、洞窟で瞑想していた???
まるでタダ飯食って、毎日座っていたかのような書き方ですね。
いったい使者さんは阿含経の何をどう読んでいるのだ。
釈尊は80歳で遊行中に人里離れた森の中で亡くなったのですよ。
80歳で彼はわずかな弟子を連れて、まだ人々に説法していた。
解脱した後の45年間、彼はついに同じ所に留まることなく、
ひたすら人々に説法していたのです。
釈尊は弟子にも、一人として同じ所に行くな、始めも終わりも道理に沿った法を伝えろと
と布教伝道を勧めた。
勧めただけでなく、一生、自らこれを実践したのです。
この釈尊に向かって、托鉢して瞑想していれば良いなんて、よくまあ無礼なことが言えますね。

211 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:52:03 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

死の直前、面会を申し出たスバッダを断ったアーナンダを制して、
釈尊は面会を受け入れた。
もう間もなく死のうというのだから、断ったアーナンダの判断は普通でしょう。
だが、釈尊は尋ねる者を受け入れ、説法し、得度させた。
使者さんはこの光景をどう思うか。
風邪で高熱を出して寝ている時、誰かが阿含宗のことを教えてくれと頼んだら、あなたは話をするか。
釈尊はスバッダを得度させた後、周囲の弟子たちに、最後だから質問しろ、と三度も促した。
釈尊は死ぬ直前まで、法を説き、法を説き、法を説き続けた。
この光景を読むたびに、私はビックリ仰天する。
桐山さんは教団施設を我が家として、ホテルオークラで飯を食い、ベンツを乗り回して、贅沢三昧して、
一方的な話を法話と称して話すばかりで、まともに議論すらできない。
こういう桐山さんを仏陀だと信じている使者さんは何がビックリかわからないでしょうね。
だから、釈尊を罵倒できるのです。

212 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 22:56:27 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>今の時代は、何らかの手段で世間にアピールしていかないとだめでしょう。
>釈迦の教えのまま に、托鉢して洞窟や林で静かに瞑想していれば良い
>というわけにはいかないでしょう。

あなたがこういう釈尊を小馬鹿にしたような発言をするのも、
桐山さんから、釈尊はシャカ族を滅亡から助けられなかったとか、
社会運動にまで発展させることに失敗したなどと言われて信じているからです。
釈尊は宗教運動に留まったからダメで、
桐山さんは社会運動まで拡大して滅亡のカルマをきるという話です。
『輪廻する葦』の323頁以降に書いている。
釈尊はカルマを切るなんと説いていないのだから、
シャカ族が滅亡のカルマに覆われていたなんてそもそも言っていない。
釈尊はどの種族にも等しく、煩悩を切れという教法を説いた。
彼にとって死に方など問題ではなく、
シャカ族の人たちが死ぬまでにどれだけ煩悩を切ったかが重要です。
だから、シャカ族は最初は優勢に反撃したのに、
釈尊の教えを思い出して、殺すよりも、殺される道を選んだと言われている。
また、釈尊が現実的に何もしなかったなどというのも無知のきわみです。
桐山さんも本で書いてるように、釈尊は三度にわたって進軍を止めた。
この間にシャカ族は逃げたり、応戦の準備をしたはずです。
事実、シャカ族の末裔を名乗る民族が今でもネパールにいます。
国が滅びただけで、シャカ族が滅びたわけではない。
桐山さんのオカルト話ではなく、現実をよく見ることです。

213 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:02:22 ID:9fZT5/uQ
>[81]大王の使者 05/05/29 08:10 lPSJb/jtbq
>釈迦が、世界平和や学業増進の祈願までを煩悩というなら、私は仏教やめる
ですね。

桐山さんが人集め金集めをしろとに言っている法話のメモを出した時、
あなたは桐山さんが人集め、金集めをしろなどと言っているのなら、自分はやめると書いた。
でも、やめない。
釈尊は祈願など言うはずもないし、世界平和や学業祈願など阿含経のどこを探しても出てくるはずがない。
祈るなんて行為は釈尊の教法にはないからです。
あなたは、批判側の法話メモなどあてにならないとか、
釈尊は世界平和祈願が煩悩だとは書いていないからやめないと屁理屈を言うつもりでしょう。
どちらもやめる勇気などないくせに、桐山さんの真似をしてハッタリを何度も言わないことです。
業解脱、祈願など仏教ではない、という点だけは自覚したほうがいい。
仏教と関係のないカトリックの祈りなど出してきても、何の意味もない。

214 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:06:29 ID:9fZT5/uQ
>[82]大王の使者 05/05/29 08:24 lPSJb/jtbq
>阿含宗の修行の目的は涅槃への到達ですから、この涅槃の捉え方が大切だと
>思いますね

釈尊の説く解脱は煩悩を切ることであって、カルマから解脱など説いていない。
つまり、阿含宗の涅槃は釈尊の説く涅槃ではありません。
また、桐山さんは煩悩はもちろんのこと、カルマからも解脱などしていない。
密教食事件で地獄クラスの三大悪因縁の刑獄の因縁を丸出しにして、
脳梗塞で脳障害の因縁を丸出しにして、糖尿病で循環系統障害の因縁を出した。
まったく、悪業が切れていない。
阿含宗の定義においてさえ桐山さんは涅槃になど入っていない。
涅槃だの解脱だのと言葉に溺れていないで、
現実に成り立っているかどうか、あなたの目の前をよく見ることです。

215 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:10:04 ID:9fZT5/uQ
>[82]大王の使者 05/05/29 08:24 lPSJb/jtbq
>前に書いた尼僧の「一切の業を破壊し、生存の素因を滅して」という言葉を
>私は、桐山師の主張と同じだと捉えます。
>勿論、各自の判断は自由でしょう。自灯明ですからね。

あなたが書いたことは、反論はなにもできないが、感情的に桐山さんを信じるというのです。
かまいませんよ。
私にとって重要なのは使者さんではなく、読んでいる人たちがどう判断するか、です。
私がここしばらく「一切の業を破壊し、生存の素因を滅して」は
過去の悪業を切るなどという荒唐無稽な解釈は不要だと様々な観点から指摘した。
あなたはそのどれにも反論できず、ただ子供のように「同じだ」を繰り返し、
今回で、何回目かの「同じだ」です。
つまり、ここでわかるのは、経典の内容を議論しているのではなく、
あなたには頑迷強固で、ただ桐山さんを信じたいだけだということです。
桐山さんという他人を理屈抜きに頑迷に信じる使者さんは自灯明ではありません。

216 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:14:26 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>前に書きましたが、田を耕すバラモンのお話しです。

ご存じでしょうではなく、経典の引用元を示してください。
なぜ、私がこういうかわかりますか。
あなたのこれまでの訳がデタラメだからです。
あなたは原文と自分の解釈とを区別せずに記載する。
勝手な解釈を入れて、あたかもそれが学者の和訳であるかのように見せる。
>>158、[927]で、「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」を
「すでに起こした悪業は断じ、」と訳した。
原文の漢訳を載せているだけ良心的だと思ったから、あまり強く批判しなかったが、
完全な誤訳、それもあなたはわざと意図的に誤訳をした。
業を切れという教えが阿含経にあるかのように見せるためで、悪質です。
こういう使者さんの引用は、桐山さんの引用と同じで、原文を見ないうちは信用できない。

217 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:20:27 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>中村先生は、悪い行いを消滅と訳し
>増谷先生は、後悔をともなう行為をなすことなき、と訳しました。
>私は、これを業(カルマ)を切った、と解釈します。

どちらの訳でも同じ事で、何も特別なことはなく、いつも釈尊の教えです。
「悪い行いを消滅」とは悪業をなさないという意味です。
普通に日本語として読んでも、過去の悪業を消滅した、などという意味にはならない。
先生が子供に「悪い行いを消滅しなさい」と説教しているのを聞いて、
子供に過去の悪業を消せと説いていると解釈しますか。
誰がどう聞いても、何か悪いことをした子供に、
二度とこのようなことをするなと言っているにすぎない。
これと同じで、悪い行いの消滅は、これから悪い行いをしないという意味です。
煩悩を消滅させ、悪業を二度と作らないアラハンという意味です。
あなたが主張したい過去の悪業の消滅ではありません。

218 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:26:06 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>釈迦は続けていわく。
>「煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
> 他の飲食をささげよ。」              ←中村元訳。
>「もろもろの煩悩つきて、後悔のともなう行為をなすことなき
> 聖者に対して、飲食をもって奉施するがよい。かかる施食
> は、功徳をもとめる者の福田であるからである。」 ← 増谷文雄氏訳

増谷博士の訳も、「後悔をともなう行為」=「悪業」ですから、
簡単にいうなら「悪業をなすことなき」です。
これは仏教の基本公式の、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
にすっぽりと入ってしまい、「悪しきことをなさず」そのものです。
釈尊の「煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては」とは、
ダンマパダの悪業を為さず、煩悩を消滅させること、という条件を述べているのがわかります。
どこにも過去のカルマを切ったなどという意味は含まれず、
ダンマパダ183の基本公式から見ても、そのような解釈は成り立ちません。

219 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:29:08 ID:9fZT5/uQ
>[83]大王の使者 05/05/29 09:12 lPSJb/jtbq
>私と同じ経典にド素人の名無しさんは、自説をあまり押し付けないように
>してください。どうかほどほどに。

ド素人なら、学者たちが認めてもいない勝手な解釈はしないことです。
私は自説などあなたに押し付けた覚えは一度もない。
私が書いている、煩悩を切ることが解脱である、などというのは、
仏教の入門書に書いてある程度の初歩の初歩で、私の考えではありません。
仏教の世界では広く認知されている釈尊の教法です。
ド素人は勝手な解釈はせずに、学者たちが共通している学説を受け入れるべきです。
私はただそれをしているにすぎない。
これまであなたが引用した経典でただの一つでもカルマ解脱を釈尊が説いたことはない。
何一つあなたは根拠を示すことができないでいる。
桐山さんもカルマ解脱の根拠を阿含経から示したことはありません。
学者が認めてもおらず、阿含経の根拠もないのに、
勝手な解釈で自説を他人に押しつけているのが桐山さんであり、使者さんです。

220 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:33:41 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>過去の業の報いが熟すまで、まだ時間がある場合もあるでしょう。
>その時間を善行に勤めたら、受ける予定の報いが変わることもあるのでは
>ないか。と書いたら、それは桐山の考えだ!洗脳されてると、指摘されま
>した。自分で考えたんですけどねえ。

あなたが引用した>>158,[927]の分別経の精進根については、
あなたの解説は、桐山さんの解説と内容的には同じです。
表現は違うが、桐山さんはまさに同じような訳をして、解説している。
あなたは自分で考えたといっても、あの経典を初めて読んだのは、
桐山さんの講義を聞いた時でしょう?
分別経だけでなく、他の阿含経も桐山さんの解説が初めてなはずです。
なぜなら、事前に阿含経や学者の解説を読んでいれば、
カルマ解脱という考えに違和感や疑問を持つはずです。
それがまるっきりなく、今に至るまで信じていれられるのは、
阿含経を桐山さんの解説で初めて聞き、他の解説を読んだことがないからです。
一部の鳥が卵からかえり、最初に見た相手を親だと「すり込み」が行われるように、
最初に聞かされた業解脱が「すり込み」となってあなたの脳味噌にへばりついているのです。

221 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:39:05 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>した。自分で考えたんですけどねえ。

暗示をかけられた人は自分で考えて自分で行動したと主張する。
桐山さんを信じて、自分は正しい仏法を歩んでいると信じていたのに、
これを否定され、まったく通用しないばかりか、
桐山さんから信じ込まされた愚かな人間だと批判されたから、
悔し紛れにこんなことを言っているのですよね。
あなたは自分でなど考えていない。
なぜなら、業解脱が現実に成り立つかどうか確認すらしていないからです。
本日だけでも二度目だが、成り立たない事例を何度でも指摘しましょう。
密教食事件で地獄クラスの三大悪因縁の刑獄の因縁を丸出しにして、
脳梗塞で脳障害の因縁を丸出しにして、糖尿病で循環系統障害の因縁を出した。
主張している本人のこのザマを見たら、カルマ解脱だの、
業報を善業で変えられるなんて、言えるはずがない。
ところが、あなたの頭ではこれらの桐山さんの現状は、なんら業解脱に反していないのですよね?
子供でも、桐山さんのこのザマが業解脱と矛盾することを理解しますよ。
だから、あなたの頭は自己洗脳であり、すり込みであり、自分では考えていないと指摘しているのです。

222 :名無しさん@3周年:2005/05/29(日) 23:44:10 ID:9fZT5/uQ
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq
>桐山師の本を読んでも、どこにもシュダオン等の自称を禁じてはいません
>ね。法話でも禁じるとは聞いたことないです。それどころか、本では
>「信者は何を言おうと自由である。」と、書いています。

引用する時には、本の題名とページを示して下さい。
それが、信じている桐山さんへの最低限の礼儀というものです。
桐山さんが「信者は何を言おうと自由である。」という文章を本に書いたとしても、
これを「信者はシュダオン言おうとアナゴンと言おうと自由である。」
などという意味で書いているはずはない。
こういう文章の引用が、どれほど桐山さんに失礼か自覚がないらしい。
あなたの道徳心では、禁止されていなければ何をしていいのですね。
信者の支持を失うようなことはしないほうがいいという助言も
欲望が強すぎて、理解するだけの知性が麻痺しているらしい。
誰も止めませんから、実行委員長さんやヂミズさんのお仲間にお入りください。

223 :『辛酉教獄』:2005/05/30(月) 08:56:11 ID:YW4IwzBk
>>179-180 阿含宗という宗教85

日本人差別を取り締まる法律を作ってもらえんだろうか。
あなたがたの、人権団体・宗教団体・経済事業者・人道団体・政治団体を通じて知り合いの自民党・民主党・共産党の関係者に働きかけて。

平和のうちに韓国旅行に行って
ハングル判らず日本語通訳頼みで下町や普通に繁華街ブティックで日本女性が誘拐・集団レイプ・売春・逃げると目をえぐられ手足切り落とし
ハングル看板の見世物小屋で裸で日本達磨として晒され・性病移され苦しみ・殺され
ハングル看板で日本女レイプものビデモが売られ・
ハングル看板で日本人の肉売ります。日本人肉鍋あります。というのを、放置しているのや。
インターネットHP(2ちゃんでも、首切り動画で有名な外国サイトでも)のグロ画像で手足切り落としの本物画像が他の例でもあるし 
在日朝鮮人が人肉を食うのは イギリス人スチュワーデス・ルーシー・ブルックマンSM殺人事件
および犯人が自作の強姦殺人ビデオを販売して儲けていた事で判っている 世間様の認知する所ではないのか。

つい最近もテキ屋の在日朝鮮人が日本人女子高生を手錠にかけて連れまわしていて捕まった。

韓国で友達なる人物が被害者母親と探しに韓国の現場まで行って
手足切り落としで晒されたのを目撃しながら助けないし友達が目撃したスグ隣のドアに被害者の娘の母が来ていて入れて見せもしないし
あるテレビ局では手足切り落とし日本女性の飯運び切り落とし肉部分のガーゼ取替えの
アルバイトを韓国でして時効だから別にバラシても捕まらないと ウソブいているのに放置し
友達は日本警察・外務省にに教えず 日本の警察は友達から聞きだせず、外務省の大使−領事館の関係者・
韓国豪遊NHK関係者ほか ぜんぜん助けないし、ガンガン韓国旅行を宣伝し 
韓国人加害者をテレビ・新聞・雑誌・インターネットに謝罪・賠償させないよね。

なぜ、征韓論・観光旅行会社整理・在日朝鮮人パージ・外務省粛清・レットパージが政治家発言・宗教発言・経済団体にないのや。


224 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 10:37:50 ID:9qXw+X1N
頓珍漢な日本人の「過去の不幸な歴史」>>223の謝罪や土下座テレビ放映・撮影ばかりミン妃だかの・・・ですよね。
ミン妃は、郵政局を開設した時の 朝鮮人開化派のクーデター失敗でソウル(当時は
漢城だか漢陽とかいった)の 日本人虐殺とくに日本女性の惨殺を命じ
実際ソウルの朝鮮人大衆がしたんですが。郵政局開設参加の朝鮮人も惨殺され 
ずたずたに切り裂いた遺体を 朝鮮全土に晒して回らせたのもミン妃なんですがね。

朝鮮人−韓国人は在外−母国を問わず、何をミン妃を良い人物に宣伝してんだ。理由・反日だから。

こいつが朝鮮人カトリック教徒を迫害拷問処刑した『辛酉教獄』の流れを汲む保守派だろう。
フランスの学問(だけでなく西洋の文物・道具・機械類すべて)を排斥(破壊と使用者の殺害を)し
豊臣秀吉が西洋銃で侵略する前までの朝鮮文化へ300年も学問文化を後退させた人物だという事。
核実験を自分の住民のいる土地でしようとし自分が自爆して放射能浴びて他人が救えという。
他人は自爆するなと批判すると自分で壊したり人を殺しだすが日本などの外国のせいにする。

日清戦争の直前の東学党の乱の時も『斥倭洋昌義』と唱え日本西洋の文物破壊と殺人を繰り返した。

李完用という朝鮮貴族(侯爵)をカトリック聖堂のミョンドン教会(明洞教会)前で 
暗殺しようとした一派が支えていた。重傷で しばらく生き長らえたが死因は古傷の悪化。

在日朝鮮人は『辛酉教獄』の被害朝鮮人を悼む事も無く理性や愛や良心の痛みが無い偽クリスチャンです。


225 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 10:40:42 ID:K2ZuywCz
ろんぎぬすを追放してくれ

226 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:20:14 ID:bZoik743
屹度来福じいさんの文よりはマシ。

227 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/05/30(月) 12:35:50 ID:Vlh2DbnU
>>196
現代は2500年前の昔と違って核戦争の危険が迫っているから、対機説法で
どう変えると言いたいのか?
たとえば2500年前は象の軍団ぐらいしかいなかったのだから、象に踏みつぶされても
多少の犠牲が出るだけで、人類が絶滅するほど踏みつぶしはできぬが、核となると
みーんな死んでしまいシャレにならんから、ここは自己確立だの悠長なこと言ってないで
みんなでナモナモシャカのホネに助けを求めようとでも言いたいのか?
そんなことが阿含経のどこに書いてあるのか?
どんなナモナモ教作ろうが勝手だが、阿含宗などと名乗ってはなりません。
世紀末・・・あ、もう過ぎたか?人類の危機が迫れば、実在しない武士を霊障の根拠に
霊感商法をしたり、偽物のお墨付きのついた仏舎利を本当のシャカの御遺骨とか騙したり、
手品の焚き火であざむいたり、天気予報による季節の雨を俺が降らせたと言ったり、
阿含経の語句を捏造したり、ありもしない超能力を体得しているように語ってみたり
・・・いろいろあり過ぎて思い出しきれない、書ききれないが、そおゆうことを
して許される法があるのか?

228 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:39:21 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

>>209以降の使者さんとの議論は、読んでいる信者さんには、
そろそろ何の議論なのかわからなくなっているかもしれません。
話のはじめは、因縁解脱を釈尊も説いたかどうか、です。
ちょうどザのスレの[112]でユビキタスさんが桐山さんの本から引用しているように、
「仏教とはいったい、なにを目標とした信仰でしょうか?
いうまでもなく、因縁解脱して成仏するというのが目標です。」(『霊障を解く』 P.219〜220)
変更の多い桐山さんにしては珍しく、因縁解脱を昔から今に至るまで説いている。
阿含宗の因縁とは横変死の因縁など、前世で作られた悪業、あるいは悪業の報いです。
因縁解脱とは、過去に作られた悪業の報いを変えることです。
悪業を完全に断ち切ることがアラハンの必要条件だという主張です。
しかし、こんな考えは釈尊の教法のどこにも存在しない。
因縁解脱など阿含経に存在しないというよりも、仏教に存在しないのです。

229 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:45:12 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

『超脳思考をめざせ』の中で桐山さんは因縁と因縁解脱の経典の根拠を質問された。
桐山さんは十頁にも及ぶ説明をして、経典を引用しているにもかかわらず、
具体的に因縁解脱という言葉や概念のある経典を示すこともなく、
縁起の法や四諦という仏教の一般的な概念を出し、突然、因縁解脱という単語を「接ぎ木」した。
説明にも根拠にもなっておらず、ゴマカシです。
使者さんの偉いところは、これで懲りずに、阿含経を探した。
前スレの637,[671]に引用した「業の破壊」、分別経の精進根、
そして>>216,[83]の「悪い行いを消滅」などを
過去の業の破壊を説いた阿含経の根拠とした。
しかし、そのいずれが、文章としても、過去の業を切るなどと書いていない。
学者たちもそのような解釈はしていない。
釈尊の教法からいっても、>>218に引用したダンマパダ183から一歩も外れていない。

230 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:48:20 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

以上の使者さんとの議論を通じてわかったように、
阿含宗のいう因縁解脱など阿含経ばかりか、仏教には存在しない。
それもそのはずで、釈尊は過去の業を切れなんて説いたことはないし、
因縁切りを説いたのは近代の新興宗教の教祖だからです。
桐山さんは仏教のスタートからして間違っており、
今に至るまでその間違いに気が付いていない。
これは根本的な間違いなのですよ。
過去の業を切るという主張を目標にしたとたん、その宗教は仏教ではないから、外道です。
たとえば、ナミアムダブツと唱えて煩悩を切る、という宗教なら、
釈迦仏教からはほど遠いが、煩悩を切るという目標においてだけでは仏教ともいえる。
だが、阿含宗は過去の業を断ちきるという仏教ではありえないことが目標です。
こういう目標は釈尊の時代のバラモンたちの説いたもので、
当時から彼らのことを外道と呼んでいた。

231 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:52:41 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

使者さんは例外ではなく、信者さんたちのほとんどが、
釈尊は過去の業を切る因縁解脱を説いたと信じている。
長年、使者さんは阿含経講義などでこれを徹底的に教育されてきたから、
阿含経の中に因縁解脱があるものだと信じ込んでいる。
使者さんは、>>158、[927]で、分別経の「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」を
「すでに起こした悪業は断じ、」と訳した。
この訳は桐山さんの解説と一致していて、これを、
「すでに犯した不徳を断ち切るために徳を積め」(『ダルマチャクラ』51号、8頁)
と説明している。
過去や過去世で不徳を作り、これが悪因縁となっているから、
不徳を消すためには徳を積むしかない、というのが桐山さんの説明です。
この説明のポイントは、
1.不徳とは過去の悪業であり、悪因縁はその業報
2.不徳を消すことができる
3.不徳を消すためには徳を積むしかない。
釈尊は「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」と述べたにすぎないのに、
桐山さんはこの一文から1〜3の結論をいきなり出してきた。
内容的に釈尊は1〜3など説いていないし、単語としても使っていない。
信者さんたちは、桐山さんのすり替えの見事さに気が付いただろうか。

232 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 12:57:57 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

すり替えのその1が、不徳という言葉です。
釈尊は悪不善と言っているのであって、悪業とも不徳とも言っていない。
悪不善とは、悪いことです。
「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」について、具体例を出すなら、
「今までタバコを吸っていた人は、身体に悪いからやめなさい」という意味です。
タバコを吸うことが不徳??
こうやって具体的に置き換えると桐山さんの説明がおかしいことに気が付く。
もちろん、桐山さんがここで「悪いこと」をわざわざ不徳と言い換えたのは、
不徳がすなわち悪業、悪因縁であるとすり替えて、積徳行に話をもっていくためです。
釈尊は、これまでしてきた悪いことを中止せよ、タバコの悪習慣をやめろ、
と言っているだけで、不徳だの悪因縁だのと言っているのではありません。

233 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:02:53 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

タバコのたとえを出したのは、信者さんたちに具体的に考えてもらうためです。
桐山さんが徳、不徳という言葉を用いるのは、信者さんたちから、
具体的な思考を奪うためです。
桐山さんは霊的な世界を宗教用語、仏教用語を使うことで、
信者たちに妄想を植え付けるのが得意です。
梵行、積徳行などと言われると、信者は言葉に溺れ、
内容はただ教団に金と人を貢ぐことにすぎなくても、修行であると信じてしまう。
霊障、因縁、徳、不徳など、とらえどころのない内容を実在するかのように錯覚させられる。
違うというなら、徳、不徳とは具体的に何なのか、あなたの言葉で説明してみてください。
できないはずです。
あなたが数学や理論物理が得意ならともかく、私と同じように普通の人なら、
抽象的な言葉や概念を思索できるほど頭は良くない。
そのあまり良ろしくない頭で、目にも見えず、とらえることのできない内容を
理解したかのように思い込むのはやめた方がいい。
桐山さんの手練手管に乗らないためには、具体的に現実にあてはめて考えることです。

234 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:09:29 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

すり替えのその2が、不徳を帳消しにできるというものです。
「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」のどこに悪業や不徳を消せると書いてあるのですか。
悪不善の法、とは、タバコを吸う習慣をさし、
断ぜしめ、とは、タバコをやめるという意味です。
健康を回復したければ、まずタバコをやめろと釈尊は説いているだけです。
タバコをやめることが、これまで吸ったタバコの結果を消すことではありません。
その人の肺はニコチンで真っ黒であり、肺ガンができている。
タバコをやめたことそのものが肺をきれいにすることでも、肺ガンを消すことでもない。
釈尊は過去の悪業を帳消しにできるなどとは説いていません。

235 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:14:31 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

不徳を帳消しにできると言い換えて、いよいよ桐山さんの本音が3です。
帳消しにしたければ、徳を積めというものです。
繰り返しますが、「已に生ぜし悪不善の法を断ぜしめ」の釈尊の言葉には、
過去の悪業を帳消しにできるとか、帳消しにしろという意味はありません。
ましてや、徳を積めなどという言葉が出てくるはずがない。
釈尊は今までしてきた悪いことを中止しろと説いているだけです。
桐山さんの徳を積むとは、阿含宗に金と人を出すことです。
タバコをやめて、阿含宗に金を出せば、その見返りに肺がきれいになり、
肺ガンが消えるというのです。
タバコという具体的な例で考えれば、いかに馬鹿げているか、すぐにわかる。
釈尊の精進根、四正断ではそんなことは説いていない。
タバコをやめるのが一つ目であり、
二つ目は吸ったことがない葉巻を吸わないことであり、
三つ目は、これまで健康のためにしてきたことを継続して、
四つ目は、健康のために運動を始めることです。
これがタバコについての精進根であり、
どこにも徳を積めば過去のタバコの害を帳消しにするなどと説いていません。

236 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:21:12 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

このように、釈尊は過去の悪業を消す方法など説いていないし、
ましてや徳を積めば業の報いを回避できるなんて説いていない。
桐山さんが徳を持ち出したのは、不徳としての悪因縁で信者を脅かし、
これを帳消しにしたければ、阿含宗に金と人を貢いで、徳を積めと言いたいからです。
釈尊の教法まで利用して、説いてもいない解釈を加えて、
阿含宗に金と人を持ってこいと説いているのが、桐山さんの阿含経講義です。
桐山さんは阿含経を引用するときには、漢文の書き下しの国訳を出す。
これも信者さんたちの目くらましの手法の一つです。
なぜなら、漢文や書き下しは読みにくく、意味がとりにくい。
だから、信者さんたちは経典の元文ではなく、桐山さんの解釈を記憶する。
精進根のように、中身をすり替えられて、釈尊が説いていない内容が記憶に残り、
しかも、自分は阿含経を読み、理解したかのように錯覚する。
使者さんをみてください。
こういう「すり込み」から抜けられず、漢訳経典まで引用していながら、
存在するはずがないのに、「すでに起こした悪業は断じ、」などと訳した。

237 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 13:28:06 ID:QJqoJNtY
>[84]大王の使者 05/05/29 10:52 lPSJb/jtbq

桐山さんからの「すり込み」頭で読んでいるうちはいくら阿含経を読んでも理解できないのは、
ザのスレの[100]の星祭さんを見ればわかる。
ユビキタスさんが[114]で反論しているから、信者さんも読んでください。
経典に「マーガよ、祀りを行え」とあると、
文字通り、これは護摩などの祭祀を釈尊が勧めたと解釈して、
如来が福徳を授けるのだという???
中学生でも煩悩を消せと説いていると理解できる経典でも、
完全に頭が桐山脳になりきっているから、星祭さんには釈尊が祭祀などの呪術を行えば、
功徳という御利益を授けると説いたと読めるのです。
国語の読解力は0点でしたと告白しているようなもので、
恥ずかしくもなく、よくこんなことが書けるものだ。
信者さんたちも彼らを他山の石として、経典を読む時だけは、
これまでの桐山さんの阿含経講義を忘れ、ちょっとの間だけ桐山色メガネを外し、
釈尊の説いていることをそのまま素直に読んでみてください。
釈尊は求聞持脳を持たないと理解できないような難しいことなど説いていません。
誰でも、普通に理解できる内容を説いているのです。

238 :こうもり より :2005/05/30(月) 14:36:14 ID:j1KLTf8a
ユビキタスヒョン。ウリドゥル エ チョンジェ ガ・・・(ユビキタス兄貴〜。我々の正体が・・・)
プンミョンヒ プルリハダ(まじ、やばいっすよ)

239 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 15:17:51 ID:bZoik743
ニーハオ \(^_^ ) ( ^_^)/ ニーハオ

240 :こうもり より :2005/05/30(月) 15:29:42 ID:j1KLTf8a
トーチェ、シンサン!(次は広東語で  「ありがとう、先生!」)

241 :こうもり :2005/05/30(月) 16:52:32 ID:j1KLTf8a
237が本当かどうか「マーガ 祭祀」で検索し読んでみたらアララ!
擁護派の人は阿含経などなるべく出さず、修験道や古神道や陰陽道から反レスしたほうがいいかと思います。

242 :ロム者一同?:2005/05/30(月) 17:12:44 ID:d/XtUxep
チャチャチャ・チャッちゃっチャ−アッ!!ソレソレソレ。チャッチャャチャマンボウッ!!

243 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 18:11:16 ID:khUssapI
ウーー。

244 :ロム者一同?:2005/05/30(月) 18:31:18 ID:d/XtUxep
アリガト−ウ!!ッ

245 :ユビキタスの正体(ザより抜粋)ダニ :2005/05/30(月) 18:34:39 ID:khUssapI
ユビキタス自身が図らずも自己の正体をばらしてしまった、ここを一度見てほし
い。阿含宗と桐山氏について―第九章―最新刊 『守護神を持て』とは!?―[696]
<<<世間の密教の坊さんが正しくても、こと桐山に関する限り、桐山だけは正しくないと論じているのがこのスレの
批判側の主張>>>この文章で、ユビキタスがこれまで大嘘を付き続けてきたことが知れる。ポーズとしてユビキタス
への反論を聴いたふりをしていても、実は聞く耳持たず、結論はすでに決められたまま動くことは無いのである。詰ま
り、桐山が不正であるという結論が絶対に動かさずに書き込みを続けてきた、ということを告白してるのであり、彼に何
を書いても無駄である。

ユビキタスは、人の証言は、最後には本人自身が取材しない限り、本当の事を聞いたことにならない、と不可知論に持
ちこめるし、又、本人が見た、聞いた、ということに関しては、あなた自身が騙されたに決まっている、とか、夢でも見た
のでしょうと、不可知論論に持っていこうとする。結論を出ないようにするのだ。たとえば私が昔見た竜神のお写真でも、
騙されたか、あるいは夢でも見たのではないかな、と話を持ってくる。それが彼の立場を貫くための、手法である。ユビ
キタスは自分と敵対する側に有利な証言、写真、証拠などは不可知論に持ち込む。絶対に認めようとしない。本当は、
私が、昔見た写真の存在だけで桐山靖雄という男の霊能力は本物ということがもうバレテしまっているのであるが、ユ
ビキタスはそれを悟らない。

ユビキタスは、阿含宗官長桐山靖雄と信者と間に、猜疑心を吹き込み、その団結力を失わせるのが目的の男である。
そのために全力を注いでいるのだ。その目的のために思考を捨て去ることが出来るし、その目的のために嘘をつくこ
とも厭わない男になってしまった。言わば彼の書く言葉すべてが、もはや嘘だらけになってしまっているのである。


246 :ユビキタスの正体(ザより抜粋)ダニ :2005/05/30(月) 18:35:50 ID:khUssapI
だから私は彼のことを、薄汚い下司野郎と判断する。しかし、私は彼がこれほどまでのの長きに渡る書き込みを続けて
きたという事実に関して、更なる疑惑を感じているのである。自己の判断力の停止=桐山が絶対不正という結論は不動
=数年間継続、という三本柱はどう考えてもユビキタス本人の趣味の範囲を逸脱しているからである。

これは給料をもらってやるしかない半ば強制労働ではないかと考えられる。そこで私の推理は、韓国創価学会からの破
壊工作員、という可能性を主張したい。するといろいろ、面白い事実が浮かび上がる。仲間の支持者が韓国語を使った
りする。

「本日は、これで終わりにします」、とか「これから数日は旅行で出られませんとかい言う挨拶が、スレを見ている読者へ
の挨拶とも取れるが、監視している給料支払い組織への挨拶とも取れるわけだ。おそらく、月月の払い込みは、10万円
に満たない程度だと思われるが、このスレを監視している組織がある。監視しているからこそ、自己の判断力の停止=
桐山が絶対不正という結論は不動=数年間継続、という三本柱が成立する。言わば彼は思考を停止した奴隷である。
奴隷に何を言っても無駄である。ユビキタスに何かを語りかける事は時間の無駄使いであり、恐ろしい罠に自ら嵌まるこ
とである。彼の背後には、朝鮮系の大組織があり、彼自身、そこから抜け出せない大きな締め付けがあるのである。


247 :ユビキタスの正体(ザより抜粋)ダニ(’O’;):2005/05/30(月) 18:37:34 ID:khUssapI
ですから、ユビキタスが顔を利かせる掲示板に出会ったら、無視したほうが良いし、特に阿含宗の人は猜疑心を吹き込
むのが彼の創価学会から請け負った仕事なのですから、書き込みの仲間になってはいけません。猜疑心を吹き込まれ、
初期の修行者にとっての大切な修行増進の力となる師匠への信仰心が揺らぎますので、非常によろしくない事態がおき
ます。阿含宗入会仕立ての人ほど、ユビキタスと付き合ってはいけないと言えます。
彼は、掲示板を盛り上げるのが上手いですから、あまり相手がいなくなると、桐山も人気が無くなって来て話題になら無い
のだなあ、などといって挑発しますが、そこで、書き込みに入ったりすれば、シメシメ、一人釣ったぞ、とほくそ笑んでいるの
が彼の本性です。

ユビキタスには誠実さというものはまるでありません。誠実さの偽装はします。そうしなければ掲示板では相手にされません。

お金をもらっての工作活動なのですから、彼は見事に演じきります。私などはお金はどこからもらっておらず自由な身です
から、相手をののしりたいときのののしりますが、ユビキタスは仕事なのですから、あくまでも紳士的に振舞うでしょう。悪魔
であればあるほど、顔は天使面です。お金がそうさせるのです。釣られてはなりません。

仏道修行の初期の段階で、ユビキタスのようなばい菌に、惑わされることがないよう、御祈念申し上げます。

248 :ロム者一同?:2005/05/30(月) 18:47:31 ID:d/XtUxep
ジミズ、オマエだと言うことはミエミエ、我々は「ザ」も見てるのだよ。
おまえこそ、自分の利益のために、以前からこちょこちょと書いていることは、
バレバレなのですよ。此処まで来たのは、
最後の抵抗か?宗論に負けたのだ、消えろ。

249 :金剛靖雄:2005/05/30(月) 20:33:24 ID:am2KIXXG
こんにちは

250 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 20:35:31 ID:Fw38pPhm
初代よー痴の可能性もあるが、いずれにせよ
人間の程度は爺さんと同じようなものだろう。
アンタ程度が書くんなら俺にも発言権があるだろうと
言われればそれまでだ罠w

251 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 20:51:32 ID:Txn9cj7e
池田の鼻水さんは、クンダリニーがサハスララチャクラを突き抜けた模様。
完全に壊れたな。
ところで、鼻水も嫌韓房みたいだが、ロンギヌスの変化身か?

252 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 21:09:50 ID:khUssapI
あ〜〜アー。

253 :ЯENДARO:2005/05/30(月) 21:27:28 ID:Vqcc2hQU
「神秘の○」や「池田○作全集」が出てこないランキングを見ると、すがすがしいですね。(爆
関西最大手の取次店・大阪屋とネット通販最大手のアマゾンの調べでは、昨日5/29現在で、
「守護神を持て」は一般書部門第9位です。やはり西日本で強いようですね。発売日から二週間
以上経過してこの頑張り、奈菜氏様にも評価してもらいたいな。(ちょっと言ってみただけよ。)
http://www.matino-akari.com/linksyu/news.cgi?mode=vew&resno=6617

254 :金剛靖雄:2005/05/30(月) 23:08:46 ID:am2KIXXG
9月25日になにかがおこる

255 :金剛靖雄:2005/05/30(月) 23:20:59 ID:am2KIXXG
阿含宗ではダメです

256 :名無しさん@3周年:2005/05/30(月) 23:58:10 ID:bZoik743
9月25日には、万博が終わります。

257 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 00:26:59 ID:0nB0LvB1
>>253 ЯENДARO氏は頭 大丈夫ですか?「神秘の○」のがマシでしょ。
昔は「求聞持聡明法秘伝」とkkの本を比べて、「kkにだまされるバカいるの?」と思ったものです。
でも新著を見ると(もちろん立ち読み)これが「密教超能力の秘密」「変身の原理」「チャンネルをまわせ」その他素晴らしい書籍群の著者なのか?と思うと泣けてきませんか?
http://religion.bbs.thebbs.jp/1117207837/134
「ヘイ、ジョー矢吹ファイトファイト。楽しいね」
「カーロスリベラ。あの稲妻のようなジャブがこんなになっちまって・・・」

258 :樹意 :2005/05/31(火) 00:42:41 ID:FQirclmE
他の宗教団体から金銭を得て、誹謗中傷カキコをしているなどという妄想はずっと前から
このスレッドにはある。
学○さんを含めたカルトの批判をしているのであるから、 学○さんからの依頼で批判している
などというのは ありえない。
ゲイカと学○さんの共通点はかなりあるが、ゲイカは小粒であり、大○さんに比べれば
足元にも及ばない。 私は 学○さんが進めている諸々の法案の方をよっぽど危惧している。
ゲイカが経典改竄して宗教家畜を作る事に腐心しているといっても 所詮は自分の教団の枠内
でしかないが 学○さんは法律まで作って、日本人全て囲う計画を立てている。
スケールの違いは格段であり、相手にされると思う方がおかしいし
両者は政治的には利害が一致した存在です。
カルト教団には居心地のいい環境を政治的に作り出すのであるから、アゴンとて
その利益を得ていることに変わりない。 つまり、学○さんとアゴンは政治的には利害が一致
している。
 



259 :栗花 馨:2005/05/31(火) 01:15:37 ID:Gvi9PvGx
きい
樹意
きい

260 :金剛靖雄:2005/05/31(火) 01:39:55 ID:UT3WIfKT
9月25日に起こることは
世界を震撼させます
阿含宗をはやくやめなさい

261 :カルロスマスオとオメ〇トライブ :2005/05/31(火) 01:46:39 ID:TGMEdvIp
栗鼻の放つスペル魔で
日本は沈没します
救われたければ
北花山大峰に集いなさいw

262 :日本兵60年:2005/05/31(火) 01:58:17 ID:7Xzd8y8R
なんだここは
いくじなしか
それとも
やじうまか

263 :おみやげ :2005/05/31(火) 05:44:33 ID:UBzfwQCy
>>260
::::::::::::::::::::::::......   ........::::::::::::::::::::::::::: ;;;;;;;::::::::::::::::::
           γ ⌒ ⌒ `ヘ
          イ ""  ⌒  ヾ ヾ    ドガァァァァァァァァン.....
        / (   ⌒    ヽ  )ヽ
        (      、 ,     ヾ )
 ................... .......ゞ (.    .  ノ. .ノ .ノ........... ........
 :::::::::::::::::::::::::::::::::ゝ、、ゝ.....|  |..., , ノソ::::::::::::::.......::::::
  _ _i=n_ ._ [l_ .._....,,. .-ー;''!  i;;;〜−ヽ_ii_i=n_ [l h__
  /==H=ロロ-.γ ,〜ー'''l ! |'''ーヾ  ヾ 「!=FH=ロロ
  ¶:::-幵-冂::( (    |l  |    )  )=HロΠ=_Π
  Π=_Π「Uヾ、 ⌒〜"""''''''⌒〜'"´ ノ;;'':::日lTΠl:::....
 Д日lTl,,..:''''"   ""'''ー-┬ーr--〜''""   :::Д日lT::::
 FH=n.:::::'            |   |         :::FL日l」:::::
 ロΠ=:::::.:.        ノ 从 ゝ        .::田:/==Д::
 口=Π田:::.                   .::::Γ| ‡∩:::::
 Γ| ‡∩Π::....                ...:::Eヨ::日lTlロ::::
 Д日lTlロ_Π::::.......            ...::::::::田:凵Π_=H:::
 =Hロ凵Π=_Πロ=HロΠ:::.................:::::::::::口ロロH「l.FFl




264 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:34:46 ID:ICjwIiXh
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。
無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。
違いますね。
「仏陀は十二因縁を順逆に観じたの であるが、現実に自らの実存に突きつけられている輪廻的な生存という苦と、
その根本的な原因である生存欲(無明、痴、渇愛)とを結ぶ、
すべての経験的な事 実がおりなすすべての因果関係の鎖を、
確実で疑いのないものであると見切り終ったということを意味する。」
(宮元啓一著、仏陀が考えたこと、157p)。

[178]星祭@無明 05/05/31 09:17 iJYtKODklX
で、 教授による無明の解説では、1、無明。根本的な生存欲のこと。
自覚することがほとんど不可能とだという意味で無明(根本的な無知)といわれる。
また、ほと んど抑制不可能だという意味で「渇愛」ともいわれる。
ただし、渇愛は後にでてくる「愛」のことともされるが
無明を単なる明智の欠如による「論理的な概念」 だとする和辻哲郎博士を
はじめとする人々の見解はブッダの実存主義的な経験論をまったく踏まえていないので、誤った解釈である。

[179]星祭@愛 05/05/31 09:26 iJYtKODklX
ち なみに「愛」については8、愛。原語は「タンハー、トリシュナー」で、
「渇愛」という漢訳語で知られている。
ほとんど抑制不可能な盲目的衝動という意味 で、しばしば無明と同義に用いられるが、
十二因縁の中では対象を認識したことから生じる衝動的な欲望のことを言う。
・・・まあ、このあたりから煩悩がかか わってきているようですね。
「認識したことから生じる衝動的な欲望」ですから。

265 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:35:27 ID:ICjwIiXh
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX
> 175、たしかにブッダは善悪の業を超えることを最終目標にしてはいるが、
悪業からくる報いは障害をもたらし、善業からくる報いは福をもたらすことを説い ており、
だからこそ善事をすすめたのである。
目の悪いアヌルッダ尊者が衣のほころびを縫うのに助けを必要としたので
彼が「誰か功徳を積みたいものはいない か」と呼びかけたところ
ブッダ釈尊が応じたというのは有名な話し、
エン凡了も運命を開拓して願いをかなえたということです。

[181]星祭@運命改善 05/05/31 09:54 iJYtKODklX
運 命を開拓して生活が整ったら、次に仏道の修行に向けよ、
というのが眼目であるわけでしょう。
さらに深みへ・・・。大いに関係ありますぞ!借金取りに追いか けられたり、
病気がちだったりしてきちんとした修行ができますか!
だから運命改造、開拓が最初にあり、釈迦も善行や供養により功徳を積むことを薦めたので す。

266 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:42:44 ID:ICjwIiXh
>>264 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:34:46 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。
>[178]星祭@無明 05/05/31 09:17 iJYtKODklX
>[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX

宮本教授の説明とユビキタスさんの説明とは矛盾していません。
ユビキタスさんは無明を「単なる」煩悩だなどと言っていない。
しかし、無明が煩悩であることは事実であり、
物事の成り立ちを示した十二支因縁の最初にあり、これらを一つずつ消滅するなら、
無明の消滅、つまり煩悩の消滅こそが釈尊が説いた基本であることは明かです。
十二支因縁のどこを見ても、阿含宗のような過去の悪業を切れなんて思想はない。
桐山さんや星祭さんこそ勝手な言い分です。

267 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:45:50 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

無明が自覚することが不可能かどうかは宮元教授と和辻哲郎博士という学者の間でも
議論になるくらいの内容ですから、素人があれこれ言っても始まりません。
しかし、宮本教授は自覚することが不可能だと書いていない。
自覚することがほとんど不可能、つまり極めて難しいと言っているだけです。
こんなことは当然で、十二支因縁や縁起の法を教えられただけで、
無明という根本煩悩をさっと自覚できたら、天才です。
ましてや、自覚も難しく、「ほとんど抑制不可能な盲目的衝動」を簡単に制御できたら誰も苦労しない。
ものすごく難しいからこそ、これを達成した人をアラハンというのです。
難しいからこそ、釈尊は瞑想や呼吸法など様々な技法を用いて、煩悩を制御、消滅させた。
その技法をまとめたのが七科三十七道品であり、その総目次が八正道です。
釈尊は、まず自覚の難しい煩悩を自覚する方法を説き、
次に制御、消滅の難しい煩悩を制御、消去する方法を説き、
弟子や信者たちはそれぞれの立場で実践した。
宮本教授の主張は細かい議論は別として、何も特別なことや、
ユビキタスさんへの否定にはなっていない。
否定になっていないばかりか、阿含宗への批判になっていることに
星祭さんはまるで気が付いていないのが、おもしろいし、おかしい。

268 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:51:16 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

阿含宗では煩悩を切ることを説いてはいるが、メインではなく、
これは専ら心構えというオシエでなくすのだと説いている。
伝統仏教は心構えというオシエしかなく、法がないと批判している。
ユビキタスさんが[112]で引用した桐山さんの次の文章が典型です。
「因縁が煩悩から生じる」なんて仏教書はそもそも存在しないが、
悪業は煩悩から生じる、というのが正しい記述で、いかに桐山さんが
仏教書など実はろくに読んでいないかがわかります。
違うというなら、ぜひそのような仏教書を示してください。

『霊障を解く』 P.219〜220
「では、その悪因縁というものは、いったいどこからきたものか?
むかしから、仏教書では、因縁は煩悩から生ずると教えております。
それはたしかにその通りでしょう。悪い因縁は煩悩から生じます。
しかし、じっさいに人の運命をみておりますと、そんな形式的な、いうならば概念的な
ものでは、なっとくできないものがあるのです。」

269 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 12:57:33 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

>>268に引用したように、桐山さんは、悪業が煩悩から生じるという表現を
「そんな形式的な、いうならば概念的なものでは」
と切り捨てている。
仏教では悪業(悪因縁)は煩悩から生じるから、煩悩を切れという。
だが、桐山さんは煩悩を切ることを形式的、概念的と批判した。
煩悩を切れというのは形式的、概念的なただのオシエにすぎないと
唾棄したというほうが適当でしょう。
釈尊の教法の根本を形式的、概念的だと侮蔑して、否定した。
しかし、桐山さんが形式的、概念的でオシエだとして切り捨てた煩悩は、
宮本教授によれば、自覚し断ちきることは、ほとんど不可能だというくらい難しいのです。
信者さんたちに、桐山さんと学者ではまったく意見が違うことに気が付いてほしい。
これを見ても、阿含宗は普通に釈尊が説いたされる仏教はまるで違うのがわかります。
星祭さんは学者が桐山さんの説を否定しているのを紹介してくれた。

270 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:04:52 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

信者さんたちは星祭さんがユビキタスさんに何を言いたくて噛みついたかわかりますか?
星祭さんの一番強調したいのは、無明(渇愛)などは、
「自覚することがほとんど不可能」「抑制不可能」
「ほとんど抑制不可能な盲目的衝動」「衝動的な欲望」
という点です。
これを指摘したのは、桐山説を否定することになるとは気が付かなかったというオマヌケの他に、
星祭さんは、ほとんど不可能だからできない、と言いたいのです。
桐山さんから、因縁切りは素人には不可能であり、
成仏力をもった者以外に絶対無理だと教えられ、信じ切っている。
桐山さんは煩悩すらも成仏リキがないと切れないと釘を刺している。
成仏力という特殊な力がない限り、まったく無力だと教え込まされている。
だから、「ほとんど不可能」→「不可能」と彼の頭の中では変換されているのです。
桐山さんの助けのない自分の努力など無駄だと桐山さんから教え込まれ、魂に刷り込まれている。

271 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:13:02 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

星祭さんが大好きな単語を宮本教授は書いている。
「盲目的衝動」「衝動的な欲望」
ソンディ心理学などでおなじみの単語で、桐山さんが心理学などを持ち出して、
いかにも科学的な根拠があり、学者も認めているかのように信じ込まされている。
だから、星祭さんはこれらの単語を聞くと条件反射のように、
煩悩すらも切ることは桐山さんの成仏力の助けなくしては不可能だという
植え付けられた概念を頭の中でくり返し、もっと強く確信する。
三十年に渡り、桐山さんからオカルト仏教で教育されているから、
星祭さんはまるでオカルト仏教の薫製みたいな状態です。
無明の自覚もこれを断ち切ることも、もちろん困難です。
しかし、不可能ではない。
小学一年生が微積分や量子力学を理解することは「ほとんど不可能」だが、
少しずつ勉強していくことで、中学や高校になれば、理解できるようになる。
これと同じで、無明のような根本煩悩もやがては断ち切れるからこそ、
たくさんのアラハンが出現したのです。

272 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:22:42 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

信者さんたちには、鏡に映った自分の姿として、星祭さんに現れた「無力感」を見てほしい。
自分の力ではどうにもならないことだから、
桐山さんの法力に頼るしかないという考えから、彼は一歩も出られない。
だから、宮本教授の「ほとんど不可能」という言葉に飛びついた。
桐山さんにしっかり飼育され、阿含宗の家畜小屋から出たら、
まともに生きていることもできず、悲惨な目にあうと信じ切っている。
ご主人様の力に頼らないとたちまちカルマというオオカミが襲って来て、
ご主人様に従順であれば、おいしい功徳というエサがもらえると信じて、
自分の無力さに怯えきり、萎縮した家畜です。
しかも、星祭さんは自分の姿への自覚すらなく、野を駆ける野生の馬だと信じ切っている。
信者さんたちは釈尊から来る成仏力という力をいただいていると信じているが、
阿含経のどこを探しても、釈尊は成仏力なる力を他人に授けるとか、
助けるとか、煩悩や業を切ってやるなどと説いたことはありません。
どんなに難しくても煩悩を切るのも自分、
悪業をなさないのも自分、善業をなすのも自分です。
釈尊は方法を教えるだけで、煩悩を切るのは自分自身であると説いている。

273 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:28:55 ID:ICjwIiXh
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>ま あ、勝手な言い分のユビ氏の解説でした。無明が単なる煩悩で、それを無くすことが十二因縁の教えだってさ。

釈尊は自分の力に頼れなどと言ったことは一度もないばかりか、はっきりと否定し、拒絶している。
釈尊に頼る心を出したアーナンダを厳しく叱責したのが、自灯明、法灯明の話です。
アーナンダが生前、アラハンになれなかった唯一最大の理由が、
釈尊に頼る心を持っていたからです。
彼は頼るべき相手がいなくなって初めて頼る心に気が付いて解脱した。
釈尊が成仏力なるもので、業や煩悩を断ちきってくれるのなら、
ずっとそばに付き添っていたアーナンダが解脱しなかったのはおかしい。
釈尊はいかなる意味でも、彼に頼ろうとすることを拒絶した。
その釈尊に力を下さいとナモナモするのはおかしい。
その釈尊の力で煩悩やカルマを断ちきってもらおうというのはおかしい。
星祭さんはこのおかしな信仰から一歩も出られないどころか、
逆に、これを誇りとして、他人に高飛車に説教している。
外が怖くて家畜小屋の隅で縮こまっている自分の姿が見えないからです。
彼に見えないのは仕方ないから、信者さんたちは彼の姿は自分の姿でもあることに気が付いてほしい。

274 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:35:47 ID:ICjwIiXh
>[180]星祭@善因楽果 05/05/31 09:46 iJYtKODklX
>彼が「誰か功徳を積みたいものはいない か」と呼びかけたところ
>ブッダ釈尊が応じたというのは有名な話し、

この話が星祭さんには、徳を積んで、運をよくするという御利益を得ようとしたのだと見えるらしい。
何を読んでも、何を説かれても、星祭さんの頭では、
釈尊の力に頼り、そこから流れ出る功徳という御利益をいただくという
さもしい餓鬼信仰から一歩も出られない。
釈尊が弟子のために針に糸を通した話は、御利益話ではありません。
釈尊は糸を通して弟子を助け、喜びを与え、弟子の喜びは釈尊の喜びです。
これを功徳といっているのです。
釈尊は糸を通した見返りなど何も期待していないし、受け取ってもいない。
相手に喜びを与え、自分も喜びを得た、それだけです。
いかなる見返りも求めず、相手に良いことをなすことを仏教で善業というのです。
信者さんが釈尊のために針に糸を通してあげても、
釈尊はお礼はいうだろうし、喜ぶだろうが、あなたが期待するような功徳も何も返してくれません。
また、それを期待するのは仏教徒としては失格です。
なぜなら、それこそが煩悩だからです。
星祭さんの解釈を見ていると、桐山さんと同じで餓鬼そのものです。
功徳という見返りが欲しくて欲しくて、何を読んでも、
どう言われても、すべて見返りでしか物事が考えられない。
桐山さんという大餓鬼から三十年に渡り、餓鬼の教育を受けてしまったからです。
信者さんたちは、星祭さんをよおく反面教師として見ることです。
信者さん全員が釈尊相手に取引信仰をする餓鬼に墜堕したいはずはない。

275 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:38:00 ID:c3xDbDIH

職業カキコが続きます。


276 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 15:36:02 ID:Hpgcc/Pz
↑続いてない。終わってる。

277 :こうもり :2005/05/31(火) 15:36:42 ID:0nB0LvB1
>>261 栗氏に失礼でしょ。あなたが飛ばしてるのでは?
http://www.f2.dion.ne.jp/~nkd25/html/skyfish.html

278 :金剛靖雄:2005/05/31(火) 18:53:59 ID:UT3WIfKT
9月25日までには阿含宗をやめなさい

279 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 19:59:55 ID:TsC+8SXv
9月25日に何があるだよ? 教えて!

280 :金剛靖雄:2005/05/31(火) 20:42:48 ID:UT3WIfKT


281 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 20:56:16 ID:ur7c9M52
>>276
職業カキコ終わってましたか。(爆)

282 :次回の新著の宣伝コピーです。:2005/06/01(水) 01:07:48 ID:Ftv3/R0r
温故知新――いまこそこれが希求される時代はないのではなかろうか?
因縁解脱に密教を求め、さらに古く阿含経にまで遡り阿含宗を打ち立てた著者はついに
さらなる古い道を見つけた。
バラモン教――そう、全ての真理はここにあったと悟った著者はついに婆羅門宗に改宗を果たした。
この護摩もあり、占いもありのバラモン教こそ、錯綜に満ちた現代に最も適している
と言え、破滅の危機に瀕した現代では、自己確立なんて甘いことを提唱する仏教は
通用しないのである。
仏教も為し得なかったカルマからの解脱を果たすのである。
ここに古代インド5000年の秘密技術がある。
ん?なんか昔説いたような?

―――「バラモン宗教いま」広告文より

283 :樹意 :2005/06/01(水) 01:41:08 ID:dkOzmGeJ

原始仏教スレッドに書いたことでもあるが、 凡夫の場合は10支縁起まで、
別名尺取虫の十支縁起といいます。 それから先へはいけません。

 凡夫の場合は縁起によらない
人間の意志的な考え方 〈行〉 つまり 縁起の法によらない考え方 生滅の観察によらない
考え方 諸法の実相によらないものを 実相と思い込む 〈断見 常見〉
を超えることができないため、識までという事になります。
〈この識はここより退く。名色を超えて進むことはない。人はその限りにおいて、
老いてはまた生まれ、衰えては死し、死してはまた再生するのである。−−−」
相応部経典 12、65 城邑 雑阿含経 12 5 
下の方の執着煩悩から 解脱することになります。 というか縁起ですので
12縁起の何れかを消滅させれば 必然的に無明もありません

284 :樹意 :2005/06/01(水) 01:52:14 ID:dkOzmGeJ
「大徳よ、誰がその意識という食物を食するのでありましょうか」
すると釈尊は仰せられた
「それは適当な問いではない。私は誰かが〈食する〉とはいわない。もしわたしがそういったならば
〈大徳よ、誰が食するか〉との問いは正しいであろう。だが、わたしはそうはいわない。だから
そうはいわないわたしには、ただ、〈大徳よ、どうして意識という食物があるか〉と問うべきである。
それが適当な問いというものである。そうすれば、適当な答えもありうる。
〈意識という食物は、未来の新しい存在: 新しい生の条件である。それがあるゆえに
六処があり、また六処があるゆえに触があるのだ〉と」
相応部経典 12 12 雑阿含経 15 10 パッグナ

識も生じるものであり滅するものであるとするのが 仏陀の説くところです、従ってこれも〈我〉とは
見ないわけです、 仏陀の場合はこのように 〈誰が〉という言い方をしません。
〈何が、或いは どうして〉といういい方をします。 縁起により生じ、滅するものを表現するには
そういう事です。 つまり先祖の誰それがという言い方は ありえないのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ゲイカが説くのは この中道を装った 常見外道になるのです。


285 :樹意 :2005/06/01(水) 02:04:30 ID:+K6cGhMZ
経典の表現によると この尺取虫の十支縁起に出てくる 〈識〉が次なる 生の 縁に
なると捉える事もできますが、
仮に識を〈霊〉と捉えても  五蘊無我ですから 〈無我〉になります。
死後の事に対して無記を通した事はこれからも説明がつきます。

先祖の誰それがという表現は阿含経の立場からは
ありえないことになります。

つまり縁起によって正しく観察するという事からは 外れるのが ゲイカの説くところなのです。
常見外道といいます。




286 :こうもり :2005/06/01(水) 12:00:36 ID:Ftv3/R0r
樹意氏にお聞きします。私は仏教のこと分かりませんが仏陀の四禅とアーナパーナサティとが似ていると感じました。
後者は、前者の追体験をするための修行法に思えるのですが、どうなんでしょうか?教えてください。

287 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:39:17 ID:YBMTxf7j
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会
[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、
釈迦が成仏力をさずけるとか誰がいいましたか?あなたの言うことはめちゃくちゃですね。釈迦の成仏法を修行す ると成仏力がそなわる。とはゲイカは言っておりますが、人の話しを理解する事の出来ないというのは誰かさん以上ですわ(笑)。

[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
> 199、経典なり学者の解説をよく読め!釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。
喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、「願い」という言葉だけに反応して願いといえば欲望をかなえるとしか思われないその 根性をなおすべきでしょうな。「やったぁ〜お釈迦様が糸としてくれたぁ〜!」

[206]星祭@アヌルッダ 05/05/31 23:45 iJYtKODk17
アヌルッダは喜ぶどころか恐縮していた。しかし、釈迦の「私も願いがある、人々の平安と解脱を求めるものである、世間の福を求める人でわたしを過ぎる人はいないであろう。」の言葉に感銘をうけた。

[207]星祭@阿那律 05/06/01 00:04 iJYtKODk17
この経はその末尾にいたって一つのゲを記している。「この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。
人天の世界にこれに勝るもの無し。仏道もその力により成る。」(増谷文雄著、ブッダ・ゴーダマとその弟子たち)

[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!
あながちエ ン凡了の行いも的外れではございませんね。こうもりさんが言われる瞑想、錬行をおろそかにしているという意見は否めませんが、梵行をバカにするのもちがう ということでしょう。

288 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:40:00 ID:YBMTxf7j
>>266-272の修正
正 宮元教授
誤 宮本教授

289 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:44:52 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。
>ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、

>>267,[192]ですでに述べているのが読めないらしい。
無明をどうするのかについては宮元教授も異論はありません。
学者なのだから、仏教の解脱とは煩悩を断ちきることだというくらい知っています。
阿含宗みたいに業を切ることが解脱だなどと書いていません。
宮元教授の主張は、無明をすぐに自覚できるほど簡単ではなく、
また衝動的に起きるのだから、簡単に切れるものではないと主張しているだけです。
こんなことは当たり前です。
ユビキタスさんも批判側の誰一人として、簡単に煩悩を切るなんて言っていません。
どうしてあなたはこういうこちらが書いてもいないことを書くのでしょう。
私が>>267,[192]に書いたように、難しいからこそ、
これを完全に切った人はアラハンであり、修行法があるのです。
宮元教授の説に反しているのは、批判側ではなく、煩悩を軽視する桐山さんのほうです。

290 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:47:32 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>> 名無氏へ、だから、きわめて難しい無明(タンハー)をどうするかでしょう。
>ユビ氏はいとも簡単に煩悩を切ることだということを言っているがそんなものでは ないと宮元教授の論をだしてのべたのです。、

相変わらず、星祭さんは私の文章など斜め読みか、読まないかのどちらかですね。
>>269,[194]で、煩悩を切ることを一ランク下に置いているのは桐山さんだと書いた。
煩悩を切ることを軽視して、軽くみているのは桐山さんのほうです。
桐山さんは煩悩を切ることを「小解脱」、カルマを切ることを「大解脱」と述べた。
また>>268,[193]に引用したように、桐山さんは、
煩悩を切ることを形式的、概念的と述べている。
つまり、桐山さんは煩悩を切ることを形式的、概念的な小さなことであり、
カルマを切ることこそ大きいことだと述べているのです。
桐山さんはカルマを切る「法」は四神足のみで、八正道などは「教え」だと言い捨てている。
こういう桐山さんの煩悩の軽視する態度に対して、
宮元教授は、煩悩は自覚することすら難しく、衝動的におきるから、
切ることはもっと難しいと述べているのです。
釈尊も宮元教授も批判側も、煩悩こそが最大の敵であり、
これを切ることが仏教の目的であるとしているに対して、
桐山さんのみはこれを軽く見て、「小解脱」とまで侮蔑した表現をしている。
宮元教授の指摘は桐山さんの教法が釈尊のそれとはまるで違うことを示している。
これをわざわざ引用してくれた星祭さんに感謝しているのです。

291 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:50:39 ID:YBMTxf7j
>[204]星祭@メチャ 05/05/31 23:16 iJYtKODk17
>釈迦が成仏力をさずけるとか誰がいいましたか?
>あなたの言うことはめちゃくちゃですね。
>釈迦の成仏法を修行す ると成仏力がそなわる。とはゲイカは言っておりますが、
>人の話しを理解する事の出来ないというのは誰かさん以上ですわ(笑)。

誰がいいましたかって、桐山さんです。
釈迦の成仏力を体得した桐山さんが、その力を信者に授けることで悪因縁が切れるのです。
仏舎利尊は成仏力の受信装置であり、そこから成仏力が垂れ流れてきて、
ド素人で成仏法を体得していないあなたの悪業を切ってくれる。
悪業をどの程度切ってくれるかは、あなたの徳しだいです。
ご宝塔からは常に大量の成仏力が垂れ流れているが、
これを受け取る器が徳であり、不徳なあなたは十分に受け取ることができない。
だから、後はあなたが徳を積めばいいのです。
阿含宗で徳を積むとは、偽の釈迦骨や白いシッポの応供の如来に金と人を供養することです。
今なら、施本して導きをして、冥徳解脱を申込み守護神をもらうことです。
すると、あんら不思議、そこから功徳という御利益がドロドロと出てきて、
あなたの器が拡大して、成仏力を受け取ることができて、
悪因縁が切れ、テロが起きても、横変死しないで済むのです。
この「めちゃくちゃ」で、釈尊「の話しを理解する事の出来ない」愚か者が作り上げたのが阿含宗です。
三十年大先達の星祭さんにこんな阿含宗の教学の初歩を講義することになろうとは?!

292 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:54:00 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。
>[206]星祭@アヌルッダ 05/05/31 23:45 iJYtKODk17
>しかし、釈迦の「私も願いがある、人々の平安と解脱を求めるものである

釈尊は当たり前のことを言っているだけです。
あなたは前に、ユビキタスさんや私が、心の平安という言葉を使ったのを笑った。
今回も喜びと表現したのを笑った。
だが、釈尊もまた平安と解脱と述べている。
しかし、釈尊の平安や解脱や喜びは、阿含宗や星祭さんのいう意味とは違います。
阿含宗ではお願い事がかない、横変死の因縁などカルマが断ち切れることを平安や解脱だと言う。
釈尊のいう解脱とは煩悩が断ち切れた状態であり、平安とは煩悩を切るか薄らいだ状態です。
釈尊と阿含宗では言葉の意味が違うというよりも、まるっきり逆です。
阿含宗は欲望がかなうことが第一であり、
一方、釈尊のいう平安とは欲望を減らし、なくしてしまうことです。
ましてや、解脱にカルマ(悪因縁)を切るなんて意味はありません。
釈尊の言葉の単語だけを利用して、まったく別な意味を持たせて、
あたかも阿含宗が正しいかのように見せかけようとしても無理です。
それはゴマカシか、星祭さんが仏教を理解していないかのどちらかです。

293 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:00:56 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

あなたは人々の平安と、あなたや私の平安とを別なものだと解釈していますね。
だから国語の読解力がないと言われるのです。
釈尊のいう人々の平安のなかには、阿含宗のように、
柴燈護摩などイベントを開催して、それで人々が平和になるなんて考えはありません。
焚き火が人々の平安に役立つと信じているから、人々と自分とを分けて考えてしまう。
釈尊のいう人々の平安とは、私やあなたが平安になることです。
釈尊がしてくれるのでも、釈尊に供養することで功徳という見返りで平安になるのでもない。
釈尊の教法を聞き、私やあなたが自分で自分の煩悩を減らすことで平安が得られる。
これを釈尊は人々の平安と言っているのです。
阿含宗のように集まって、焚き火のお祭り騒ぎをして、
霊障を怖れ、死者を不成仏霊と罵り、焚き火で世の中がよくしたと自惚れ、
恐怖や誹謗や責任転嫁や慢心の煩悩を増やして、平安や解脱が得られることはありません。

294 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:03:31 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

「我々やあなた」などと、どさくさに紛れて、星祭さんと私を一緒にしないでほしい。
私は星祭さんと違い、釈尊にナモナモして功徳を授けてもらうとか、
悪業を切ってもらうなんてことはしていません。
信者だった時すら、功徳を授けてもらうという考えになじめなかった。
あなたが三十年信者でありながら、釈尊に何かを差し出して、
その功徳でカルマを切ってもらおうという思想にどっぷりなのには驚かされる。
星祭さんと同時代の人には瑜伽派が多い。
瑜伽派は好きでないが、彼らの一つの長所は自力だという点です。
大衆部が他力本願なのに対して、実際はどうあれ、建前は自力修行だった。
仏にナモナモして何かもらおうとするさもしい心ではなく、
チャクラやクンダリニーはいただけないが、
自力で修行しようとする意欲だけは評価できた。
スレに残骸のように残っている瑜伽派の信者たちにも、その片鱗があります。

295 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:08:54 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>釈迦の期待した願いとは人々の平安と解脱ですよ、我々やあなたのような自分の福徳のための功徳とは違うのですよ。

私は瑜伽派に共鳴はしないが、感覚だけはわかります。
自力修行は瑜伽派独自のものではなく、桐山さんがそうだったからです。
阿弥陀信仰などの他力信仰を桐山さんはあざ笑っていた。
信仰などいらない、密教は技法だとまで書いた。
瑜伽派の多くが、こういう言葉に引きつけられたことは事実でしょう。
もちろん、こんなのは宣伝文句にすぎなかったことは、今日の結果というか、ザマを見れば十分です。
瑜伽派に共鳴しないのは、欲望もさることながら、こういう現実、事実を見ようとしないからです。
彼らの世代である星祭さんが、どうしてそんなに他力本願なのだ?
仏から功徳をいただくという通俗的な御利益信仰をまるで当たり前のように説いて、
どんな経典も、全部、功徳を返してもらおうという餓鬼の目でしか読めない。
理由は、桐山さんに合わせたのですよね。
仏舎利尊になってから、桐山さんはすっかり他力本願になってしまい、
能力開発の技法は中身がなく、ただの一人も超人も超人の予備軍もいない。
あなたはこういう現実に靴に足を必死に合わせることで信仰を保ってきたのでしょう。
というよりも、靴に足を合わせないと現実の矛盾が押し寄せてくるから、信仰を保つことができなくなる。
星祭さんは桐山さんに過剰に迎合して、桐山さんの他力信仰をガブ飲みにして、
さも最初からそのようであったかのような涼しい顔をすることにした。
過剰に迎合する自分の姿をあなたは美しいとすら自惚れている。
だが、薄汚い桐山さんをガブ飲みして腹が異様に膨れた姿はただの餓鬼です。
「変身の原理」の使用後としては、ずいぶんとミヂメな結果ですね。

296 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:29:34 ID:YBMTxf7j
>[207]星祭@阿那律 05/06/01 00:04 iJYtKODk17
>この経はその末尾にいたって一つのゲを記している。「この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。
>[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
>な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、
>仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!

星祭さの今回の書き込みで一番苦笑したのがこれらの文章です。
あなたは幸いの「力」に反応したのですよね?
「力」という単語を見たとたん、条件反射のように、
「ほら見ろ、釈尊も幸いの力を説いている。
力を説いているのだ!!おお、批判側、破れたり!」と、小躍りしている。
あなたの反応を条件反射といいます。
桐山さんから長年、成仏リキ、解脱リキ、徳の力などと、
力で何かするのだと教え込まされて、信じ込んでいる。
だから、経典に力という単語があると異様に反応する。
仏教には成仏リキなんて単語はありません。
煩悩も何か不可思議な力で断ち切るではない。
成仏リキなど霊障と同様の桐山さんなどが作ったオカルト仏教用語です。
桐山さんからカルマを成仏リキで切るなんて教え込まされているから、
力で断ち切るという条件付けから抜けられない。
困っている相手を助け、喜びを与えることを幸いの力とたとえたにすぎないのに、
星祭さんは、力というキーワードで条件反射を起こして、
中学生でもしないような読み方をした。

297 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 13:35:13 ID:YBMTxf7j
>[209]星祭@阿那律2 05/06/01 00:10 iJYtKODk17
>な、 なんと、お釈迦様みずから、善行による功徳、幸いの力はこれに勝るものがなく、
>仏道もこの力により成るとおっしゃっておるではございませんか!

幸いの力を成仏力のように解釈して、見返りに自分のところに何か返ってくると解釈している。
だから、あなたはは餓鬼信仰、取引信仰なのです。
どこまで星祭さんはさもしいのだ。
釈尊のいう功徳、幸せとは、阿含宗や星祭さんとは正反対で、
いかなる見返りも求めないことです。
功徳とは、功徳などという見返りを求めない心を獲得することです。
困っている人に針を通してあけて、他人を助けるのが善行であり、
善行にはこれ以上の意味などありません。
相手は喜び、我が喜びとするのが幸いで、その行いを幸いの力と表現したのです。
あなたにはどうしてこんな簡単なことすらわからないのだ?
釈尊の説く幸いの究極は煩悩を消滅させることです。
これを世の人々に説き、世の人々が煩悩を減らし、なくすことで幸いになる。
私の安心は、釈尊が直接あなたに説いてすらも、
すべて条件反射のように取引信仰、餓鬼信仰にしか解釈できないのだから、
凡人の私が言っても、何一つ星祭さんが理解できなくても当然だということです。

298 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 16:49:14 ID:CEAccGjP
本よんだ?

299 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 16:52:54 ID:CEAccGjP
経済的にはついていけなくて、それでも自分なりにできることで我慢して、やめない人いたら、下記子してくれ。お金はとても払えないだろう。1人2000万はかかるから。それでも3500円の万燈会ならやっていくつもりの人は、この文の後かきこしてくれ。

300 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 17:04:38 ID:CEAccGjP
結局は経済的な勝ち組しか残れないだろう。仰法を仕事の多忙さからわからなくなって、支部に行ったけど教えてもらえ中田。おかしいだろう、お金を計算する職員はいっぱいいて、仰法説明は1月も後の日を結われても、忙しくていけない。自然とできなくなる。

301 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 17:06:16 ID:CEAccGjP
昔は黙々と印を組んで、必死に祈っている人がいて。本当にうれしかった。自分も同じ境遇だったから。

302 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 17:08:49 ID:CEAccGjP
どのような団体だって、必死に自分のことをどうにかしようとしている姿は美しいもんだ世。お金がなくてもね。

303 :ЯENДARO:2005/06/01(水) 20:58:37 ID:qGPEri02
名古屋の三省堂でもまだ頑張っています。
http://www.termina.co.jp/top10/index.php
宗教団体カテゴリの売れ筋順。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/history_and_psychology_and_education/religion/171808/
http://www.junkudo.co.jp/view2.jsp?VIEW=shelf&ARGS=4449
ぐぐって(これで正しい言葉ですか?)みてよくわかったこと。降伏の価額さんは、
ホントに阿含宗を目の敵にしてるんですね。私のカキコまで毎日チェックしてますね。
前週「守護神を持て」が一位を取った書店に「神秘の○」の集中豪雨を降らせて一位を
奪取してますもんね。お勤め本当にご苦労様です。2月11日には新聞に大広告を打ち
ましたね。むなしくなりませんか、そんなことばかりやってて? ま、いいか。(哀爆)

304 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 21:23:23 ID:W/E5pftt
ほんと、阿含宗から見ると
抗福さんは哀れですねー。

305 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:12:11 ID:N3lzbvxg
平河町が懐かしい。

306 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:20:13 ID:N3lzbvxg
301・302さん。お金がなくても本当によく通ったね。純粋だったよ。法が生きてた。自分たちの心の中に仏様に対する気持ちが生きていた。今は、お金が無くて何も活動できないよね。


307 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:28:24 ID:GQozq47k
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
もう一度、田を耕すバラモンの話を書きたい。
皆さんは、どう読み取るか、ですね。十人十色でしょうが。
釈尊が托鉢に行くと、バラモンが「あんたも耕作して食え」といった。
釈尊が「我も耕す」と言い、修行の意義を話した。
すると。バラモンが納得して施食しようとした。
すると釈迦が言った。
「詩を唱えて、(報酬として)得たものを、私は食うてはならない。・・
 中略・・煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
 他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田
 であるからである」←中村元氏訳。

私の解釈は、釈尊のような方々へは、芸人などへお花をあげるようなつも
りで施食してはいけない、ということです。大道芸人などへ、芸の見返り
としてお花出す人がいますね。そのように、詩を唱えた見返りとして供養
してはいけない、と、釈尊は言ったのですね。そして、我は福田であると
も宣言しております。べつに取引信仰云々の問題ではないでしょう。

308 :こうもり :2005/06/01(水) 22:31:22 ID:Ftv3/R0r
303−304 あんたらバカ?

309 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:37:20 ID:GQozq47k
>>307 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:28:24 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
>私の解釈は、釈尊のような方々へは、芸人などへお花をあげるようなつも
>りで施食してはいけない、ということです。大道芸人などへ、芸の見返り
>としてお花出す人がいますね。そのように、詩を唱えた見返りとして供養

釈尊の供養に対する態度を簡単にまとめるなら、
1.法を説いても、報酬を得ることはない。
2.供養を受け取っても、差し出した人に見返りをだすことはない。
使者さんは1の釈尊が報酬を得ないという点は認めたが、
2の釈尊が供養者に見返りを出さないという点を認めたくないのですよね?
供養すれば功徳を返してくれると主張したい。
報酬を受けないといいながら、功徳を授けるなんて言い出したら、
「私が買ったのではなく、あなたが売ったのだ」と言うのと同じで詭弁です。
釈尊は教法を説いて報酬を受けないと言っている。
功徳は釈尊の教法のうちです。
報酬を受けないのだから、食べ物を得て、教法の一部である功徳を授けることもありえない。
釈尊は買うことも売ることもしない、いっさいの取引はしないと言っているのです。
「供養と功徳を交換するぞ」なんて釈尊が言うはずがない。
あなたは次の福田がそうだと言いたいのですよね。

310 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:41:25 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq
>してはいけない、と、釈尊は言ったのですね。そして、我は福田であると
>も宣言しております。べつに取引信仰云々の問題ではないでしょう。

「82 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽くし悪い行いを消滅した人に対しては、
他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。」
(スッタニパータ、『ブッダの言葉』中村元、25頁)

福田だから、そこに供養という種を投げ込めば、
たくさんの稲穂となって自分に返ってくる、とあなたは考えている。
それは福田ではなく御利益自動販売機です。
釈尊を自動販売機のようにみなすことに、何かためらいはないんでしょうかねえ。
岩波仏教辞典によれば、
「福田・・善き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地という意味。」
であり、釈尊やその弟子たちも福田と呼ばれるようになったとあります。
では、収穫である功徳とは何かというと、
「功徳・・善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう。」
ここで善根という単語に阿含宗徒ならすぐに三善根を思い出してほしい。
三善根とは、貪瞋癡の煩悩を消すことを意味する三つの善根のことです。
功徳とは、煩悩をなくす修行をして備わった徳性を意味します。
この功徳の収穫を得る田地を福田といい、釈尊その人を指します。
辞典の説明をまとめるなら、煩悩を切り(三善根)、解脱という収穫(功徳)を得た釈尊は福田です。

311 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:44:45 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

スッタニパータの82では、解脱者へ食事を供養するように勧め、
「けだしそれは功徳を積もうと望む者のための福田であるからである」
とあります。
これを仏教辞典からの言葉に置き換えるなら、
「けだしそれは煩悩をなくし解脱を望む者のための福田であるからである」
つまり、煩悩を消滅させたアラハンに食事を提供することで、
彼らはこの世に留まり、まだ煩悩を消滅させていない者たちの教師となるのだ、と述べているのです。
煩悩を消滅させたい(功徳を積みたい)と思う者の福田(人間の優れた教師)なのだから、
福田たちがこの世に留まれるように食事を提供しなさいと言っているのです。
清浄な行いをするアラハンたちが世に留まれば、世の中にも清浄な人たちが増える。
彼らがいなくなれば、偽仏陀や自称アナゴンが跋扈して、世の中も悪くなる。
このように仏教辞典にある意味で読めば、
釈尊は特別変わったことも摩訶不思議な事も話していません。
しかし、使者さんは仏教辞典からのこの説明にも納得していませんね。

312 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:51:23 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

使者さんや星祭さんの頭は、桐山さんから植え付けられた取引信仰から抜け出せないから、
釈尊に供養すれば何かくれると信じて疑わない。
桐山さんは福田をどう説明しているか、オカルト仏教を復習してみましょう。
桐山さんは福田を仏教辞典から引用した内容として、
「福徳を生じ、福徳を授ける人すなわち仏のこと。」(旧座右宝鑑、40頁)
桐山さんは福には世間福と出世間福があり、お釈迦様が説いた福とは、
世間福ではなく、出世間福だという。
出世間福を桐山さんは次のように説明しています。

『社会科学としての阿含仏教』318頁
「出世間福を具体的にいえば、解脱の福です。解脱成仏の福です。
因縁解脱してしまう福、悪いカルマを切ってしまう福が出世間福なのです。」

313 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 22:58:51 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

>>312の桐山さんの説明は一見世間福を否定しているかのような書き方です。
因縁解脱してブッダになるための高尚な福がえられるのだと説いているように見えます。
読んでいる信者さんたちの大半はブッダになりたいのではなく、
守護神や守護霊をもらい、テロから守ってもらい、
同じ死ぬなら棚ぼたに当たって死にたいと思っている。
信者さんたちの目的は出世間福ではなく、世間福です。
世間福が得られないのかと心配する必要はありません。
こんなのは桐山さんのお得意の見せかけです。
だから、出世間の福で因縁解脱ができれば、

「出世間福を得る過程で、世間福などは自然に身についてくるでしょう。」
(『社会科学としての阿含仏教』の319頁)

ほらね、桐山さんはほんとうに口がうまい。
「釈尊は出世間福のみをくれる。しかアし、出世間福で因縁解脱すれば、
世間福もばっちり得られる」というのです。
これじゃ、釈尊は世間福を説いていると言っているのと変わりない。
まるで正規の窓口では強く断られたのに、横から袖を引っ張る奴がいて、裏口で、
「ちょっとダンナ、抜け道がありまっせ」とワイロを請求されたようなものです。

314 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:05:45 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

「出世間福を具体的にいえば、解脱の福です。解脱成仏の福です。
因縁解脱してしまう福、悪いカルマを切ってしまう福が出世間福なのです。」

桐山さんのこの文章の一行目と二行目でとんでもない飛躍があります。
解脱することが福であるというのはそのとおりだろうが、
いきなり、そこで因縁解脱が出てきて、悪いカルマを切ってしまうとある。
仏教辞典や釈尊の教法からいったら、まったく脈絡なく、
ここに突然、因縁解脱、カルマ切りが出てきた。
使者さんや信者さんたちは釈尊の教法とは因縁解脱、カルマ解脱だと教えられているから、
違和感がないだろうが、仏教では煩悩を切る話は出てきても、
過去のカルマを切るなんて話は金輪際出てこない。
釈尊のいう解脱とは煩悩を断ちきることです。
仏教辞典からもわかるように、功徳とは善根のことであり、煩悩をなくすことです。
煩悩を消滅させることが解脱であって、カルマを切ることではありません。
だから、仮に、百歩譲って、釈尊が功徳という御利益をくれたとしても、
功徳でなくなるのは煩悩であって、カルマを切るなどありえません。

315 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:10:34 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

1979年の星まつりに応供の如来が現形して、
「われは応供の如来である。供養を受けるぞ」
と桐山さんに御霊示が下ったという。

「応供の如来」とは、「(信者の)供養を受けて、その供養を功徳として(信者に)返す」という意味である。
(『末世成仏本尊経講義』266頁)

「供養を功徳として信者に返す」と桐山さんは述べている。
スッタニパータの81の釈尊の言っていることと違うどころか、
正反対のことを言っているのが読めませんか。
釈尊はいっさい何も返さないのに、桐山さんチに現れた如来は
金と人を差し出すと信者に功徳という御利益を返してくれるという。
これほど明瞭に釈尊と違うことを書いているのが、まだわからない?
釈尊がこんなことをいうことは絶対にありえない。
使者さんは応供を仏教辞典で引いてみてください。
「応供・・供養を受けるにふさわしい者の意」
つまり煩悩を完全に断ち切った存在を指すのであって、
桐山さんの解釈のように「供養に応える」という意味はありません。
「応供の如来」は「因縁解脱」と同じでオカルト仏教用語です。
釈迦仏教には供養に応える仏など存在しない。

316 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 23:21:57 ID:GQozq47k
>[235]大王の使者 05/06/01 15:39 lPSJb/jtbq

使者さんは桐山さんの本や経典を引用してくるから、手取り足取り説明してあげているのに、
相変わらず、無意味な皮肉くらいしか書けないのですね。
口数が少ないのが正しいなんて書いたら、
昔の桐山さんの三時間に及ぶ法話やあの駄本の山はどうする?
私は逆にあなたのために一つヒントを提供します。
桐山さんが釈尊の教法を業解脱と思い違いしたからには、
阿含経の中にはあなたが引用した他にもそのように解釈できる経典があり、
桐山さんはすでに引用しています。
経典を読めば、釈尊はカルマを断ちきることを説いた!と、あなたは歓喜奉行するでしょう。
私はてっきり尼僧よりもこちらを先に出してくるものと思っていた。
しかし、結論からいうと、桐山さんの思いこみ、早とちりです。
使者さんはすでに尼僧の経典で私からどのように読むか反論されているから、
記憶していれば、成り立たないことはすぐに気が付きます。
桐山さんの悪い癖は、先に自分のビジョンがあり、それに合わせて、
経典などを我流で解釈してしまう。
経典を解釈するというよりも、自分の解釈を強引に当てはめる。
こういう読み方をしているから、煩悩を切ることを説いた釈尊の教法を
カルマ解脱を説いたなんて、初歩的な間違いをするのです。

317 :樹意 :2005/06/01(水) 23:58:24 ID:Sk3VJSGy
>>286

八正道の正念は四念処の事ですとは何度か書いた記憶があります。
正念の隣にあるのが正定ですから それの事だとおもいます。
http://maharsin.com/yogavercity/Hsati/sati00.html
このホームページに四念処は詳しく書かれていますから ご参照ください、
なおこのホームページの主催者と私はなんのかかわりもありませんが、 増谷氏の阿含経典や
中村博士のスッタニパータにも気づきの概念は出てきますので 整合性は取れているとおもいます。
私は経典の引用ぐらいならできますので 次にそれらしき経典を引用します。




318 :樹意 :2005/06/02(木) 00:15:58 ID:FSudkwN2
>>286

「比丘たちよ 三昧を修習するがよい。比丘たちよ、三昧を身につけた比丘は、如実に知ることを得るであろう。
で何を如実に知るのであろうか。いわく 色〈肉体〉の生起と消滅である。 受〈感覚〉の生起と消滅である。
想〈表象〉の生起と消滅である。行〈意志〉の生起と消滅である。識〈意識〉の生起と消滅である。
では比丘たちよ、色の生起とは何であろうか。受のーー想ーー 行ーー 識ーー。
比丘たちよ、そこに人は歓喜し、歓びの声をあげて、縛り付けられるのである。」
相応部経典22 5 三昧 雑阿含経3 7−8  受 
「この三つのよからぬ気持ちは、人が四念処において心をぴたりと安住せしむる時、もしくは、無想三昧
を修習するときに、余すことなく滅しつくすことができるであろう。」
相応部経典22 80 雑阿含経 10 17
正念〈四念処〉の次が正定です。
これをどう読み解くかはお任せしますが、 上記にあげた三昧は四念処 七覚支にもありますので重複
する部分があるものと思われますが 仏陀が目的にするのは五蘊からの出離になります。
五蘊の我見を消滅させる事ができるなら他の煩悩も 自動的に解脱します。
五蘊という観点から眺めてみてください。 


319 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 06:20:19 ID:ISaU9ow+
>>308
失礼。
ここに縛られて離れられないあんたの脳ミソがもっと哀れですた。(縛

320 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:34:58 ID:3cIEcGV0
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
ば かだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。
ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させ る、
これはまだ完全なものではないと釈迦はヨガの瞑想の奥義(アーラーラー仙人の)に達してさとり、
独自の道を模索することになり、ついには涅槃を得るこ とになる。くだらん揚げ足取りなど爆笑もんだぞ。

[266]星祭@取り引き 05/06/01 23:06 iJYtKODkio
> 259、お釈迦さまが堂々と、いっておられる法則を取り引き信仰だとかイチャモンつけるのはいかがなものですかね。
私がいっておるのではない、お釈迦様、 あるいは、この経を訳し解説をした増谷博士がいっておるのであるぞよ。
増谷博士はこの章で最後に「それはもうわたしのまずい注釈を加える余地もない、「世 間のさいわいを求むる人、我にすぎたるはなし」という一句とともにじっと噛み締めてあじわっていただきたい。」と述べております。
あじわった結果が取り引 き信仰ですか(笑)。おそれいります。

[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
16 章さまざまなこと・・・九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。
−雲を離れた月のように。十、 以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
その人は念いを落ちつけていて、この世でこの執着をのり超える。

[268]星祭@つづき 05/06/01 23:31 iJYtKODkio
27章観察・・・より、
九、この世の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。

321 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:41:05 ID:3cIEcGV0
>>320 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:34:58 ID:3cIEcGV0
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>ば かだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。
>ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させ る、

相変わらず、阿含宗の大先達様は他人の文章はほとんど読まず、
勝手な解釈と決めつけ、そして罵りが好きですね。
前回の議論で、心の平安とは煩悩を消滅させた状態を指す、と述べたのです。
煩悩を消滅させたらアラハンであり、涅槃です。
あなたのいう心の安定とは普通の意味での心の安定であって、
釈尊のいう煩悩を消滅させたなんて意味ではありませんよね。
だから、他人の文章を読まないで、勝手な解釈をしていると批判されるのです。
私とユビキタスさんから、心の平安とは煩悩を消滅させた状態を指すのであって、
星祭さんの解釈とは違うと何度も指摘されているのに、あなたは学習しない。
相手の言うことに賛成しなくてもいいが、他人をバカと罵るくらいバカでないなら、
せめて相手が何を言っているのかくらい理解してはどうか。

322 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:43:45 ID:3cIEcGV0
>[732]星祭@想像教 04/04/25 23:24 PNcxp.tn9Jg
>心の平安という観念的な答えのために釈迦は6年も苦行したり

>349 :名無しさん@3周年 :04/09/01 22:59 ID:1rteEBkS
>心の平安(爆!
>アホかい!涅槃こそ釈迦が説いたこと

>[123]星祭@安心 05/04/20 00:46 pKo9hp.461
>単なる心の平安ではない。平安神宮でもお参りしなさい(笑)。

>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>ば かだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。
>ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させ る、

上記の349も書き方からして星祭さんでしょう。
この一年だけでも、これだけ星祭さんは心の平安をあざ笑い、
その都度、こちらから心の平安とは煩悩を消した状態を指すのであって、
ボーッとした状態を指すのではないと指摘、反論されても、星祭さんには効果がない。
何年も前の議論なら忘れても仕方ないが、これだけ繰り返されても、
星祭さんには学習効果がない。
せめて、心の平安とは煩悩を切った状態という批判側の主張に、
何か根拠を示して反論するならまだしも、毎回毎回、
まるで壊れたレコードのように同じ主張を繰り返すだけです。
もっとも、星祭さんにもまったく進歩がなかったわけではない。

323 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:46:22 ID:3cIEcGV0
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>ば かだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。
>ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させ る、

心の平安から心をとり、平安=涅槃、であると主張している。
批判側の言葉を逆手を取ったつもりでしょう。
しかし、釈尊の説く涅槃とは、「心の平安」です。
「心の平安」=「煩悩の消滅」=「アラハン」=「涅槃」
煩悩は心にあるから、煩悩の消滅は心の平安なのです。
煩悩を消滅させたら、後は何も残らない。
星祭さんがこういう仏教の教法を理解しておらず、
批判側の言葉をただ転用しただけである証拠が彼自身の次の言葉です。

324 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:53:56 ID:3cIEcGV0
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>これはまだ完全なものではないと釈迦はヨガの瞑想の奥義(アーラーラー仙人の)に達してさとり、
>独自の道を模索することになり、ついには涅槃を得るこ とになる。くだらん揚げ足取りなど爆笑もんだぞ。

心の平安を得たら、その上、さらに瞑想の奥義など必要がありません。
星祭さんは心の平安(漏尽解脱)と悟りが別ものだと思っている。
仏教の基本を理解していないからです。
彼は瞑想すると、ボーッした状態になり、
これを聖なるバイブレーションを感じるとか、心の平安だと思い込んでいる。
だから、さらに奥義があるなどとのだと言っているのです。
釈尊のいう心の平安とは、煩悩が消滅した状態を指すのだから、
「心の平安」=「煩悩の消滅」=「アラハン」=「涅槃」=「悟り」
釈尊がアーラーラー仙人などの瞑想に満足しなかったのは、
彼らの技法では煩悩を消滅できず、心の平安が得られなかったからです。
星祭さんは瞑想で自分は体験しているといいたいだろうが、
現実の傲慢、驕慢のあなたの姿を見るかぎり、
その瞑想は慢心を増長する役割をしているだけで、煩悩を減らす役割はしていない。
傲慢を絵に描いたような桐山さんの所にいれば当然で、
釈尊からもアーラーラー仙人からも遠ざかるばかりです。

325 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:00:38 ID:3cIEcGV0
>[266]星祭@取り引き 05/06/01 23:06 iJYtKODkio
>> 259、お釈迦さまが堂々と、いっておられる法則を取り引き信仰だとかイチャモンつけるのはいかがなものですかね。
>私がいっておるのではない、お釈迦様、 あるいは、この経を訳し解説をした増谷博士がいっておるのであるぞよ。

星祭さんのこの主張は議論とは何かを理解しない意見です。
釈尊の教法である阿含経に残された文言をどう解釈するかで議論している。
ところが、星祭さんは、その解釈は自分の解釈以外にはありえないと言っているのです。
使者さんとの経典の解釈の議論では、両者の解釈は真っ向から対立しているが、
私は使者さんが何を誤解してあのような解釈をしているか理解できます。
使者さんの解釈も解釈の一つだから、解釈が一通りだなんて思ったことはない。
使者さんも私のような解釈もあると認めるから、なんとか反論しようとしている。
ところが、星祭さんは、自分の解釈と違う解釈を明示されても、
具体的な反論もできないのに、ただ、釈尊は星祭さんとまったく同じ意見だと言うのです。
傲慢というか、理解力が低いというか、桐山さんと同じで議論のできない人らしい。
そのことは、経典引用の態度にもよく現れている。

326 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:05:55 ID:3cIEcGV0
>[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
>九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人はこの世の中を照らす。−雲を離れた月のように。
>十、 以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人は念いを落ちつけていて、この世でこの執着をのり超える。

信者さんたちは星祭さんのこの態度を見てください。
ただ経典を引用しただけで、星祭さんの解釈が書いていない。
この経典から、釈尊は何をおっしゃりたいのか、
どのような主張が阿含宗と一致するのか、普通は説明をします。
ところが、星祭さんは経典をドンとスレに投げ出しただけです。
星祭さんがどうしてこういう態度をとるかわかりますか。
彼にとって、この経典の解釈は彼の解釈しか絶対にありえないと思い込んでいるからです。
つまり、星祭さんの知性は釈尊と同等であり、星祭さんの考えることは、
釈尊の考えていることと同じだと言っているのです。
私がわざわざこのことを強調するのは、桐山さんははじめ、
先達にこういうタイプを何人も見てきて、信者さんたちに真似してほしくないからです。
星祭さんは普段からこういう傲慢な決めつけの態度なのでしょう。
部下に、「自分の意図を読みとれ。自分と同じ考えを持つのが当然だ。
他にはありえない」と決めつける頭の固い上司がいる。
物事を多方面から考えられない、相手の立場で考えられない、
自分の意見とは違う立場から考えられないのは、頭が固いからです。
この頭の固さは、ただ頭が悪いというのでなく、
かたくなで傲慢であるという煩悩から発生しています。
すると、三十年も阿含宗で修行していて、星祭さんは、
かたくなで傲慢であるという煩悩が薄らいだ気配すらない。
阿含宗の修行がいかに釈尊の説く煩悩をなくすという修行と違うかを
彼は実例として示しています。

327 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:09:08 ID:3cIEcGV0
>[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
>九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人はこの世の中を照らす。−雲を離れた月のように。
>十、 以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人は念いを落ちつけていて、この世でこの執着をのり超える。

星祭さんが何を言いたいのかを推測してみましょう。
出典は、『真理のことば・感興のことば』(中村元)の209頁です。
星祭さんが強調したいのは、「善によってつぐなうならば」です。
つまり、阿含宗の梵行による積徳行でつぐなえば、
解脱すると釈尊が言ってるではないか、と言いたいのです。
溜息が出るほどのピンボケな主張です。
この経典は前後に似たような教法が並んでいます。
そこに貫かれた教えの共通点は、この経典でいえば、次の言葉に集約されます。
「1.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが仏の教えである。(ウダーナヴァルガ、第28章、感興のことば、中村元、252頁)
ダンマパダでお馴染みの言葉です。
「善によってつぐなうならば」=「善いことを行い」
であることに気が付いてください。
こういう視点で、星祭さんの引用した経典の前後を見れば、
「14 ・・善いことがらを行え・・」
と同じ文言があり、さらにこれが具体的に、
「16 ・・情欲を離れた人々・・」
「17 ・・怒りを離れた人々・・」
と、煩悩を離れて善い行いをすることの具体例がこの後続きます。

328 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:14:15 ID:3cIEcGV0
>[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
>九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人はこの世の中を照らす。−雲を離れた月のように。

「つぐない」という単語から、過去の悪業を相殺すると星祭さんは主張したいのだろうが、
前後の他の経典から見ても、過去の悪業を帳消しにすることではありません。
以前の悪業と、後の善業は帳消しにはならない。
この経典は、過去にどんな悪業をしても、煩悩を断ちきり、
悪業をなさず、善業をなすなら、解脱すると述べているのです。
前に出したアングリマーラーがその典型でしょう。
彼は百人もの人を殺すという大悪業をなした。
彼の悪業が、石を投げられ、血を流したくらいで消えたはずはない。
こんな程度で大量殺人のカルマの「つぐない」などできるはずもない。
しかし、人殺しの悪業を捨て、善業をなし、煩悩を断ちきり、アラハンとなった。
これが仏教でいう「つぐない」です。
カルマを帳消しにすることではありません。

329 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:17:23 ID:3cIEcGV0
>[267]星祭@感興の言葉 05/06/01 23:27 iJYtKODkio
>九、以前には悪い行いをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
>その人はこの世の中を照らす。−雲を離れた月のように。

星祭さんのように「つぐない」を勝手に解釈するのではなく、
使徒さんのように「業の破壊」を勝手に解釈するのではなく、
どういう意味で用いているか、仏教の教法に従って解釈するべきです。
たとえば、「真のバラモン」と釈尊が説いているからといって、
釈尊はバラモンというカーストを肯定して、
弟子たちにバラモンになれと指示したとは解釈しません。
釈尊は旧来から使われた言葉をそのまま用いることで、
聞く側の拒絶反応を少なくして、意味を変えて用いた。
解脱、涅槃、仏陀など仏教用語のように見えても、
これらはすべて当時の他の宗教で一般的に用いられていた。
釈尊はこれらの単語を採用して、仏教独自の意味に入れ替えた。
しかも、釈尊はたとえ話を得意とした人です。
こういう背景を無視して、祭祀を奨励した、護摩を誉めた、
業の消滅を説いたなどと言うのは、宗教以前の国語力不足と知識の問題です。

330 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:21:31 ID:JHjelB/A
>[268]星祭@つづき 05/06/01 23:31 iJYtKODkio
>九、この世の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。
>悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。

一瞬、星祭さんが自分の慢心を反省しているのかと誤解して、
傲慢と批判したことを反省しそうになりました。
そうではなく、批判側を慢心、悪い見解、生死流転を超えることはできないと批判に使ったのですよね。
私の中に慢心や悪い見解がないなどいうつもりはないし、
星祭さんと違い、私は生死流転を超えようなんて思っていませんから、
あまりご心配いただかなくても結構です。
ちなみに、慢心とはどのようなものかご存じですか。
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>ば かだね。
こういうのを慢心というのです。
こうやって、冒頭からバカ呼ばわり、終わりには「笑」を入れるのがあなたの口癖、心癖です。
その癖は、あなたの慢心という煩悩から出たものです。

331 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 13:26:00 ID:JHjelB/A
>[268]星祭@つづき 05/06/01 23:31 iJYtKODkio
>九、この世の人々は慢心をもっていて、つねに慢心にへばりつかれている。
>悪い見解にとりつかれていては、努力しても生死流転を超えることはできない。

「悪い見解」とは釈尊の教法を信じず、これ以外を正しいと信じることです。
釈尊は煩悩を切ることを解脱だと説いた。
一方、桐山さんは業を切ることを解脱だと説いた。
これは悪い見解、外道の見解です。
釈尊は護摩や占いを禁止して、これらは外道の行いであると批判した。
一方、桐山さんは護摩を最大の売り物にして、占いで人集めをしている。
これは悪い見解、外道の行いです。
釈尊は御利益を否定し、欲望を減らし、離れることを説いた。
一方、桐山さんは守護神や護摩木祈願で、元々ある欲望を増やし、ない欲望は作り出している。
これは悪い見解であり、悪い見解の増大です。
釈尊は恐怖で心を掻き乱すことなく、他人に依存せず、自己を確立するように説いた。
一方、桐山さんは霊障や地球壊滅などで人々を霊的に脅かし、
桐山さんのインチキ法力に依存するように信者たちを洗脳した。
これは悪い見解、悪業です。
このように悪い見解に染まりきった阿含宗では、
護摩木や導きなどで「努力しても生死流転を超えることはできない」のは当然です。
悪い見解に染まりきり、自らも悪い見解を発信している星祭さんは、
聖なるバイブレーションで「努力しても生死流転を超えることはできない」。

332 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 14:10:10 ID:f7key6wa
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

デーサク
 http://religion.bbs.thebbs.jp/1104370125/966-971

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

333 :金剛靖雄:2005/06/03(金) 00:34:17 ID:O6FaTF5Z
2005.09.25


334 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 08:14:46 ID:+rgWBJ4q
うんこ君の予言ー>(゚∀゚ )( ゚∀゚)<うんこくせー

335 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:04:12 ID:dVpmi3iY
釈迦の生まれ変わりの大川も高橋も哀れな奴ですw

336 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:10:20 ID:dVpmi3iY
釈迦がたくさんいてたいへんです。
変化身と言ってますw
何とでも言えますが・・・w

337 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:39:50 ID:nXHmTCAg
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載
>[312]星祭@まったく 05/06/03 00:15 iJYtK5E84R
>ま あ一つ、供養とは、供えて養いとするの意味。応供とは身の養いに値する者の意味ととれるでしょ

星祭さんは批判側の文章など読まないし、仏教辞典すら調べようとしないからいいとして、
信者さんたちはよそにいって応供の如来と言う時は気をつけたほうがいい。
>>315などですでに説明しました。
応供は元々仏の十号といって、釈尊の徳性を讃えるために作られた言葉です。
これを応供の如来と言ってしまったら、
「如来の如来」「如来の仏陀」というような奇妙な使い方です。
山に登山する、馬から落馬する、と言っているようなものです。
また、意味も違う。
桐山さんによれば、

「応供の如来」とは、「(信者の)供養を受けて、その供養を功徳として(信者に)返す」という意味である。
(『末世成仏本尊経講義』266頁)

つまり、人と金を差し出せば、功徳をくれる自動販売機如来だというのです。
しかし『岩波仏教辞典』によれば、
「応供・・供養を受けるにふさわしい者の意」
見ての通り、どこにも供養に応えるなどという意味はありません。
応供を「供養に応える」と漢文の書き下しふうに桐山さんは読んだ。
ただの無知です。

338 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:43:10 ID:nXHmTCAg
>[312]星祭@まったく 05/06/03 00:15 iJYtK5E84R
>どんな養いになるのか、いわずと知れた、解脱成仏の ための養いとなる。

善業になるとは言っているが、解脱成仏のための養いになるとは釈尊は言っていません。
聖者に供養することは善行だから、善いカルマにはなるでしょう。
しかし、善いカルマと解脱とは違います。
星祭さんは善業で悪業を帳消しにして、カルマ解脱を果たすのだと言いたいのだろうが、
こんな考えは仏教には存在しません。
だから、阿含宗はオカルト仏教、外道だと言われるのです。
釈尊の説く解脱とは、煩悩を断ちきることです。
善いカルマを作ることと煩悩を断ちきることとは違う。
如来に供養しなくても、その人が煩悩を断ちきれば解脱します。
その証拠に、釈尊の弟子でアラハンになった人で、
釈尊など如来に供養することでアラハンになったなんて聞いたことがない。
祇園精舎を寄付したスダッタ長者も後に聖者の流れに入ったと言われるが、
精舎を供養した善業で聖者になったのではありません。
彼自身が釈尊の教法に従い、煩悩を少なくする努力をしたからです。

339 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:47:08 ID:nXHmTCAg
>[312]星祭@まったく 05/06/03 00:15 iJYtK5E84R
>もし文句があるとす れば真正仏舎利、現形の応供の仏は真の意味で、仏教でいうところの応供たりえるか、という点だろう。

いいえ、仏教にも阿含経にも、そんな論点はありません。
桐山さんが勝手に真正仏舎利でなければダメだとか、
応供の如来などという訳のわからん如来を捏造した。
釈尊は仏塔を礼拝することで、彼が説いた心を清らかにする、
煩悩を減らす教えを思い出して、実践しろと言っているのです。
骨をナモナモして、カルマを切ってもらえなどと説いたことはありません。
ましてや、応供の如来には白いシッポが生えて、
四億円也の偽の仏舎利では阿含宗の教学から言っても成り立たない。

340 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:50:09 ID:nXHmTCAg
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>> 316、清よらかな心持ちだけだったなら、ブッダの称号にわざわざ「応供」などという称号は必要ないし、発生する道理もありません

どこまで星祭さは釈尊をバカすれば気が済むのでしょう。
仏教の「清らかな心」とは煩悩を消滅したことを意味するのです。
「心の平安」と同様に、「清らかに心」とは一般的な意味で用いているのではありません。
煩悩を消滅した人はアラハン、仏陀です。
「清らかな心」=「アラハン」=「応供」
煩悩のカケラも残っていないから、供養に値するのです。

341 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 12:59:36 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

福田が桐山さんや星祭さんのいうような「御利益の田んぼ」でないことは、
使者さんに>>309以降で説明しました。
功徳も、阿含宗で言うような、御利益という意味ではないことを説明しました。
仏教辞典から見ても、福田は、煩悩を断ちきった如来のことであり、
教法を伝えることで、世俗の人たちも煩悩を減らして、心の平安を得られるように、
衣食を供養することでこの世に留まってもらう「価値のある田んぼ」という意味しかありません。
阿含宗の言うような、人と金を出せば御利益をもらえるという意味や、
ましてや悪業を断ち切って解脱させてくれるなど、経典や辞書のどこにもありません。
桐山さんが勝手に応供の如来とやらを登場させ、
白いシッポの生えた如来が供養に応えて、徳を授けるなどと言わせているだけで、
阿含経のどこを読んでも、そんな教法は存在しません。

342 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:04:51 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

桐山さんも星祭さんも如来に何か差し出して、
見返りを得るという取引信仰から出たくないようだから、彼らが喜ぶ話をしましょう。
如来に供養すれば、それは善業ですから、善い業の報いが来ます。
釈尊も供養をするように勧めています。
信者さんたちも、「やっぱ、功徳があるんだ」と喜んだでしょう。
善業の報いという形での功徳はあります。
そこで、信者さんたちにお尋ねしたい。
善業を積んで、どんな報いを期待しているのだろうか?
本音を言ってしまえば、この世で得られる世間福ですよね。
テロに遭うなどの不幸がなく、守護神によって運が良くなるという幸せが来ることです。
私も俗人だから、不幸はいやだし、大いに棚ぼたの福が欲しい。
桐山さんは世俗的な福を得るためにはどうすればいいと説いているでしょうか?

『社会科学としての阿含仏教』319頁
「悪い因縁があったならば、どれほどたくさんの世間福を持っていたとしても、
本当に安定した人生は送れないのです」。

343 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:11:05 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

桐山さんの本によれば、世間的な福を得るたるためには悪因縁を切らなければならない。
悪因縁を切るためには、徳がないといけないのだから、
そこで最初に戻って、如来に供養することになる。
如来に供養することで善業を積むことができるのだから、
これで因縁解脱して、因縁さえ切ってしまえば、あとは世間福がザックザク。
おお!桐山ゲイカの教えは完璧ではある!・・・とはいかないのです。
何が間違っているかというと、如来に供養することで、
因縁解脱、つまり過去の悪業が消滅するという考えです。
如来に供養すれば善業となります。
信者さんたちのいう功徳が得られて、ラッキーが転がり込むかもしれない。
しかし、この善業を持っていたとしても、悪因縁(悪業)は切れません。
信者さんたちは、悪業と善業を如来を通して帳消しにしてくれると信じている。
悪いことをして得た金をきれいにするマネー・ロンダリングと同じで、
カルマ・ロンダリングをしてくれるのが如来だと信じている。
だが、釈尊は、如来に供養して得られる善業で悪業を帳消しにするとは言っていないばかりか、
帳消しにはならないと断言している。
その経典の例を紹介します。

344 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:16:02 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

『神々との対話』(中村元)にある「サンユッタ・ニカーヤ」に載っています。
「第V篇、第二章、第9〜10節、子がいない」(194頁〜)
長者が金持ちであることを享受できないまま死んだことを不審に思った王が、釈尊に尋ねます。
長者は前世において聖者(独覚)に食物を供養した功徳で、七度天界に生まれたばかりか、
残りの善業で長者に生まれ変わった。
しかし、聖者に供養した後、自分の召使いにやったほうがよかったと後悔した。
これが悪業となり彼は金持ちになったのに、貧乏人のような生活をして、
金持ちとしての楽しみを得ることができなかった。
彼は前世で兄弟の子供を殺した。
その悪業で彼は地獄で苦しみ、この世に生まれても財産を引き継ぐ子供がなかった。
信者さんたちはこの経典を読んで、愕然としませんか。
長者は悪業もなしたが、独覚というのだから、如来に供養して大きな善業もなした。
生きた如来に供養したのだから、因縁解脱の徳が得られたはずです。
ところが、善業と悪業は相殺しなかった。
善業は善業のまま、天界への輪廻と財産家になり、
悪業は悪業のまま、財産を楽しむことができず、地獄に堕ち、財産を引き継ぐ子にも恵まれなかった。

345 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:19:48 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

桐山さんの因縁解脱の考えでは、生ける如来に供養することで、
成仏力をもらい、悪因縁(悪業)を断ち切るはずだった。
長者が前世でなした人殺しの悪業も、独覚(如来)に供養したのだから、
帳消しになるというのが、阿含宗の因縁解脱です。
過去の悪因縁さえ切ってしまえば、そのお釣りで金持ちとなり、ウハウハの人生を送るはずだった。
だが、釈尊の説くところによれば、如来に供養しても、悪業を切ってはくれないのです。
釈尊は大王に「供養すれば、おまえの悪業をワシが切ってやるぞ」とは言っていません。
悪業と善業は水と油のように混ざることはなく、そのままおまえのものだと言っている。

「ひとが身体でなし、また言葉や心でなすところのもの(=業)、
―――それこそ、かれ自身のものである。人はそれを取って受けて、行くのである。」
(『神々との対話』200頁)

346 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:25:41 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

「かれらは、つくった業のいかんにしたがっておもむき、
(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。」(『神々との対話』207〜208頁)

信者さんたちは釈尊のこの言葉をよく読んで欲しい。
因縁解脱などできないと釈尊がはっきりと断定しているのです。
因縁解脱とは、過去になした悪業の報いを、
成仏力という仏の不思議な力で断ち切ってしまうという意味です。
前世で悪業をなし、横変死の因縁(業報)があっても、
仏に供養する見返りにこれを切ってもらえる、という考えです。
しかし、現実の釈尊は、作った業は善悪を問わず、本人に行くだけだと説いている。
もしも、桐山さんと同じように、因縁解脱、業解脱を説いていたなら、
長者の例を引き合いにして、王様に、もっと供養して悪業を切るように説いたはずです。
だが、釈尊は王様に、あっさりと、なした悪業は
「かれ自身のものである。人はそれを取って受けて、行くのである。」
釈尊は業解脱、因縁解脱などありえないとはっきりと断定している。

347 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:32:50 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

如来に供養すれば、善業になるのだから、
悪業は来たとき考えることにして、まず如来への供養で善業を作ろうと信者さんは考えましたね。
なにせ、私はあなたと同じ小市民ですから、そういうセコイ考えはすぐにわかります。
だが、これも成り立たない。
釈尊はこの世に存在しないから、彼への供養は無意味です。
あなたがどんなに心を込めても、この世にいない釈尊は
何一つ必要としていないし、受け取ることもできない。
遺骨が本物であっても、金も人も受け取りません。
すると、次に生きている聖者へ供養になる。
桐山さんはじめ、私の知る範囲の阿含宗の坊さんは、
どれもこれも煩悩がむしろ世間の人より強いように見える。
餓鬼のようにガツガツと金と人を欲しがる桐山さんだから、
この意味では如来供養ではなく、施餓鬼供養です。

348 :名無しさん@3周年:2005/06/03(金) 13:39:44 ID:nXHmTCAg
>[317]星祭@福田 05/06/03 09:10 iJYtKODkx1
>また釈迦は「功徳を積もうと望む者の福田である」とハッキリおしゃっております。(スッタ・ニパータ大いなる章、スンダリカ・バーラドヴァー ジャ)。

供養して善行をなしても、あなたがした悪業の帳消しにはならない。
今、信者さんたちのしている悪業はそのままです。
釈尊の名前を使って、護摩や占いをして、カルマ解脱など、
釈尊が説いてもいない内容を、人々の無知を利用して宣伝している。
これ如来に対する誹謗です。
如来が説いてもいない霊障や悪因縁で人々を脅かしている。
これは如来に対する悪業です。
ご存じと思うが、如来への誹謗や悪業は、通常の悪業よりもはるかに大きいらしい。
私も信者さんたち同じように、如来の説かない教法を如来の教法として宣伝して、
人々を勧誘し、誤った道に導きましたから、
どうやら、我々は一緒に地獄行きということになりそうですね。
私はすでにこういう悪業を作るのはやめているが、
信者さんたちは日々、如来への悪業を生産していることになる。
善業で御利益を得ることよりも、まず悪業を作らないことを考えてはどうか。
だから、釈尊は、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
と、先に悪業をなすなと説いたのです。

349 :ロム者一同?:2005/06/03(金) 18:44:35 ID:qzEHM00B
トロヨコさん、この状態がお望みですか?臭いモノにふたでなく、モット発酵させなくては、老婆心デスガ?

350 :樹意 :2005/06/04(土) 00:04:30 ID:RfP7pzI6
>>284
ここんとこ大事なところなのでおさらいします。
私が原始仏教スレッドのアホダラ氏に批判してもらい 気づいたものです。
よろしくお願いします。 心ある方は此れを説明してあげてください。

> 「それは適当な問いではない。私は誰かが〈食する〉とはいわない。もしわたしがそういったならば
> 〈大徳よ、誰が食するか〉との問いは正しいであろう。だが、わたしはそうはいわない。だから
> そうはいわないわたしには、ただ、〈大徳よ、どうして意識という食物があるか〉と問うべきである。
> それが適当な問いというものである。そうすれば、適当な答えもありうる。
> 〈意識という食物は、未来の新しい存在: 新しい生の条件である。それがあるゆえに
> 六処があり、また六処があるゆえに触があるのだ〉と」
> 相応部経典 12 12 雑阿含経 15 10 パッグナ
>
> 識も生じるものであり滅するものであるとするのが 仏陀の説くところです、従ってこれも〈我〉とは
> 見ないわけです、 仏陀の場合はこのように 〈誰が〉という言い方をしません。
> 〈何が、或いは どうして〉といういい方をします。 縁起により生じ、滅するものを表現するには
> そういう事です。 つまり先祖の誰それがという言い方は ありえないのです。
> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
> ゲイカが説くのは この中道を装った 常見外道になるのです。


351 :樹意 :2005/06/04(土) 00:11:43 ID:RfP7pzI6
因縁といいますが この世界に展開するものは縁りて生じます。
因縁生起の略です。 誰がという言い方は仏陀が説く 五蘊無我 12縁起を消してしまうものです。
〈先祖の誰それが ーーー〉
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
諸法の実相を生じるものであり滅するものであるとする 〈空〉もここから説明できます。
仏陀は過去世 未来世 現世 いずれの五蘊も無我であると説きます。
仏陀は過去世を説くのであっても 五蘊の何れかを記憶しているのであると 説きます。
仏陀が死後の事を無記とされたのもここから説明できます。
いずれにしろ 先祖の誰それがという言い方は縁起の宗教ではありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは大事な事なので 批判があっても  折に触れ書かさせてもらいます。
ゲイカの宗教は阿含経を看板にする外道であり、常見外道なのです。
心ある方はよく説明してあげてください。



352 :明日仙 :2005/06/04(土) 14:38:13 ID:dYBUy9YF
タンハーと守護霊、守護神が何で同居できるのか、
霊界でどういう関係になっているのか、
信者で説明できる人はいますか?
出来なければ勇気を出して管長に聞いてみてください。


353 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:28:10 ID:sg3o5td5
●倶舎論 仏教講座18 桜部 建 著 大蔵出版株式会社
p163
5 業に関する雑多な事項(番号はサンスクリット原文の偈にも対応)
 離犯戒及遮 名戒各有二 非犯戒因壊 依治滅淨等 (126)
 等引善名修 極能薫心故 戒修勝如次 感生天解脱 (127)
 感劫生天等 為一梵福量 法施謂如實 無染弁経等 (128)
 順福順解脱 順決択分三 感愛果涅槃 聖道善如次 (129)
p169
《勝れて》[お経や金品による布]施も生天の果を感ずるが、
 よりすぐれている点から、[具足]戒が生天の果を感ずるとのみいい、
 戒も解脱の果を感ずるが、よりすぐれている点から、
 [座禅などの]修[行]が解脱の果を感ずるとのみいう。
p170
《劫の生天を感ずる》天界に生まれて一劫の間快楽を受ける。

354 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:30:55 ID:sg3o5td5
【經文資訊】大正新脩大藏經 第二冊 No. 99《雜阿含經》
【經□部類】〔阿含部類〕〔阿含部〕〔雑阿含経〕〔1283 巧業経〕

雜阿含經卷第四十八 宋天竺三藏求那跋陀羅譯

(一二八三)如是我聞。一時。
佛住舍衛國祇樹給孤獨園。時。有天子容色絶妙。
於後夜時來詣佛所。稽首佛足。
其身光明遍照祇樹給孤獨園。時。彼天子説偈問佛
 云何人所作  智慧以求財 等攝受於財  若勝若復劣
爾時。世尊説偈答言
 始學功巧業  方便集財物 得彼財物已  當應作四分
 一分自食用  二分營生業 餘一分藏密  以擬於貧乏
 營生之業者  田種行商賈 牧牛羊興息  邸舍以求利
 造屋舍床臥  六種資生具 方便修□具  安樂以存世 □→整理
 如是善修業  黠慧以求財 財寶隨順生  如□流歸海 □→河川
 如是財饒益  如蜂集□味 晝夜財搨キ  猶如蟻積堆 □→花蜜
 不付老子財  不寄邊境民 不信姦狡人  及諸慳吝者
 親附成事者  遠離不成事 能成事士夫  猶如火熾然
 善友貴重人  敏密修良者 同氣親兄弟  善能相攝受
 居親眷屬中  標顯若牛王 各隨其所應  分財施飲食
 壽盡而命終  當生天受樂
時。彼天子復説偈言
 久見婆羅門  逮得般涅槃 一切怖已過  永超世恩愛
時。彼天子聞佛所説。歡喜隨喜。稽首佛足。
即沒不現
(大正新脩大蔵経2巻―353頁)参考《国訳一切経・阿含部3巻―1001頁 巧業経》


355 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:35:58 ID:sg3o5td5
   【 仏教聖典(仏教伝道協会) 】
(法句経一〇三)戦場において、数千の敵に勝つよりも 自己に勝つものこそ、最上の戦士なり。
(法句経一八三)もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行い おのれの心を浄くす。これ諸仏の教えなり。

○天台小止観 関口真大訳 大東出版社
 序 諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教
  諸(もろもろ)の悪いことは作(な)すことなかれ 諸の善いことは奉行(ぶぎょう)せよ
  自からその意(こころ)を浄(きよ)うする これが諸仏の教である。

●魏晋南北時代 中国天台宗第三祖 智者大師智凱(ちぎ)の弟子が記述。
○大乗仏典 中国・日本篇6 摩訶止観 中央公論社p9 序章 第一節 序分 第一項 縁起 〔止観明静〕〔前代未聞〕

そちゅうこうせん ぶんぎこうびょう 般若理趣経 序説
[漢訳]・・・[大菩薩衆。恭敬囲繞]而為説法。初中後善文義巧妙。純一円満清浄潔白。
[和訳] ・・・は人々のために法を説くのです。その話は 初めも中ほども終わりもよくわかり 道理にかなっていて その清らかさに心が洗われます。

梵字手帖 悉曇参究 徳山暉純 木耳社 p76
 梵字 ボ 准胝観音 別名、七倶胝仏母 準提・准提・準胝に同じ
 真言 オン シャレイ シャレイ シェンテイ ソワカ
 意訳 准胝尊に帰命し奉る、起座し給え、発進し給え、吉祥成就。

準提呪: 準提観音の真言(陀羅尼・呪は真言のこと)。観音(かんのん)は
     六道(りくどう)輪廻(りんね)の衆生(しゅじょう)を助ける為に
     地獄の担当(千手観音)・餓鬼の担当(聖観音)・畜生の担当(馬頭観音)・阿修羅の担当(十一面観音)・
     人間の担当(真言宗系・準提観音 天台宗系・不空絹索観音)・天神の担当(如意輪観音)と六道の夫々(それぞれ)に
     変化身(へんげシン)した観音が救いを担当している。とされている。人間界を救うのを担当しているのが「準提」観音である。


356 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:48:00 ID:sg3o5td5
>仏教聖典 友松著 講談社学術文庫 p398
 >阿含経によってかかれている。仏舎利について。
>「師よ、われらは師の遺骸をいかにとりなすべきや」
>「アーナンダよ、汝らは如来の遺骸の供養につきてこころ煩わされることなかれ。
> 汝らはただ、おのれのもっとも高き善のために、おろかなることなく
> はげみもて変わることなかれ」

和訳・・・大般涅槃経[法顕訳−ブッダ最後の旅路] 雲井昭善 東京美術 115-116頁
 第二部(巻中) 第二章 入般涅槃直前の世尊 四 葬送儀礼(供養法)について
 −転輪聖王のそれにしたがう− 大正・1・199頁下21行目
<略>
その時、阿難は、仏に白して言う。「世尊よ、[世尊が]般涅槃にお入りになった後、
供養の法は、当(まさ)に云何がしてよろしいでしょうか」と、
仏は言われた。「汝は今、応(まさ)に、逆(あらかじ)め此の事を憂うるべきではない。
但(ただ)、自ら思惟せよ。我が滅後に於いて、正法を護持することを。
昔から聞いた所を、楽(ねが)って人の為に説け。所以は何か[と言えば]、
諸の天神が、自ら当(まさ)に我が身を供養すべきであり、
又、婆羅門及び諸王、長者居士を以て、此等も、自ら応(まさ)に
我が身を供養すべきであるから」と。

357 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:48:52 ID:sg3o5td5
般  羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
若  諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
経  諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
      呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩  波
   波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
   羅   真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
   羯   実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般  多
   提   不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
        虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
   波   故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅
   羅   説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜
   僧   般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
   羯   若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
   諦   波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
        羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
   菩   蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
   提
   薩
   婆
   訶


358 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:50:06 ID:sg3o5td5
 布留倍之祓(十種大祓)
高天原ニ神留座ス皇神等鑄顕給フ十種瑞津ノ寶ヲ以テ
天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊ニ授給事誨テ曰
汝此瑞津寶ヲ以テ中津國ニ天降リ蒼生ヲ鎮納ヨ
蒼生及萬物ノ病疾辭阿羅婆
神寶ヲ以テ御倉板ニ鎮置テ魂魄鎮祭ヲ為テ
瑞津寶ヲ布留部其ノ神祝ノ詞ニ曰
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸一ニ三四五六七八九十
瓊音布留部由良由良如此祈所為婆
死共更ニ蘇生ナント誨給フ天神祖御詔ヲ禀給テ
天磐船ニ乗リテ河内國河上ノ哮峯ニ天降座テ
大和國排尾ノ山ノ麓白庭ノ高庭ニ遷座テ鎮齋奉リ給
號テ石神大神ト申奉リ
代々神寶ヲ以テ萬物ノ為ニ布留部ノ神辭ヲ以テ司ト為給フ
故ニ布留御魂神ト尊敬奉皇子大連大臣其神武ヲ以テ
齋ニ仕奉給フ物部ノ神社天下萬物聚類化出大元ノ神寶ハ所謂
瀛都鏡邊都邊八握生劍生玉死反玉足道反玉
蛇比禮蜂比禮品品物比禮 更ニ十種神
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸一ニ三四五六七八九十
瓊音布留部由良ト由良加之奉ル事ノ由縁ヲ以テ
平ケク所聞食ト命壽遠子孫繁栄ト常磐堅磐ニ護給ヒ幸シ給イ
加持奉神通神妙神力楫
 伏見区深草藪之内 風祥堂


359 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:57:36 ID:XrLyxvhi
 不動尊 ゐのり経 
一心に祈り奉る 香の煙は かすかなれども天に通じて
天より あま下らせ給う 其時大日大聖不動明王
五色の雲の中よりも 御みすがたを顕わせ給う
あら おそろしや くりから不動や まんねん
剣を さかばに かやせば あうんの二字が 火ゑんとなつて
なわめて まんだら そはかの なみをあらくれ
金から童子が か[う]べに あがって せいたか童子が 受けとり給ひて
悪病諸病を からめとつて 三つ石川原の せいはに たたりて
祈れや祈れや 叶うぞ叶うぞ さんげさんげ 六根清浄。
一より二けん。三界四はらい。五体の巻もの。六根清浄。七難即滅。
八方からめて。九もつをととのへ。十ぶに祈れば。
神は しょじょう なさしめ給う ほんぎゃ[く]ほんじの 大ごま童子
東は日の本 天照大神 鹿しまに香取 生須の明神 神たい日輪。
南は大唐晴雲星辰。
西は天竺 三世の諸菩薩 仏たい月輪
北は子のくに 出雲の御神 八百萬神。
天も感應。地神も納受。諸願も成就。[南無 大日大聖不動明王。]
 祈祷集?(伏見 中村・・堂? 編 )

360 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 16:59:28 ID:XrLyxvhi
陰隲録(いんしつろく) 石川梅次郎 中国古典新書 明徳出版社
        (秀吉の朝鮮の役の際の明軍の参事の)袁了凡の著書
功格五十条(雲谷禅師 伝)
−略−

三十功に準ず
○一の受戒弟子を度す。
−略−

一善に相当する行い
○一人の人の善を讃めること。
○一人の人の欠点、悪いところを暴き立てないこと。
○人の非行の一事を諭しとどめること。
○一人の飢えを救うこと。
○正しい道を説いて、教化が人に及ぶこと。
○人畜の疲労を世話して回復させること一時。
○一匹の自然に死んだ鳥類畜類を埋めてやること。
−略−

百銭が一善に相当する行い。
(百銭になったときに一善とする。穀物や繊物類も金銭に換算)
○道路や橋を修繕すること。
○河川を通じ、井戸を掘って民衆を救うこと。
○寺社仏閣などの聖像壇宇や供養などの物を修繕すること。
○人の遺れた品物を返すこと。
○債務を免除すること。
○人を教化し救うための文書を施行すること。
○功徳を作って、非業の斃れて浮かばれない魂に回向すること。
○困っているものに恵んで賑わしてやること。
○倉庫を建てて穀物の価を調整すること。

361 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 17:00:00 ID:XrLyxvhi
バウッダ ・仏教・ 中村元 三枝充ヨシ 小学館p155−156
戒(シーラ)自発的に守るものと
律(ヴィナヤ)教団秩序の維持
「戒律」という合成語はインドに存在しない。
律(ヴィナヤ)には罰則があり懺悔から最大は教団追放まで
 裁判や処刑には及ばないとしている

五戒(5シーラ)の解説
@不殺生戒(ふせっしょうかい 生き物を殺さない)
A不チュウ盗戒(ふちゅうとうかい 与えられていないものを盗まない)
B不邪淫戒(ふじゃいんかい 男女間のみだらな関係を持たない)
C不妄語戒(ふもうごかい いつわりを語らない)
D不飲酒戒(ふおんじゅかい 酒類を飲まない)
この五戒は在家の戒であり 出家はこれより更に多くの戒を持つ



●華厳五教章(法蔵・著)で「宗教」という熟語が初めて出てくる。
 「宗」は宗旨を指す。奥義や要理を意味する。「教」は説教を指す。


362 :為一梵福量 :2005/06/04(土) 17:03:59 ID:xsuRhVOV
【 勤行次第(読経などの順番) 】   ★改訂増補あり。ver2.0

_.打敷を広げ、御宝塔・護符・仏具(印袋・数珠・経典など)を安置する
_.供物を整える(アカ碗に水を入れ・焼香し・賽銭を供える)
1.三礼
_.懺悔文   ★改訂増補(例祭で唱える)
_.三帰依文  ★改訂増補(例祭で唱える)三宝(本尊・仏法・僧侶)に帰依する
2.護身法
3.仏舎利尊 和賛
4.開経偈
5.摩訶 般若波羅蜜多 心経
6.雑阿含経 応説経
7.増一阿含経 三供養品
8.妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五 偈
_.延命 十句観音経
9.準提観音功徳呪(小呪・中呪・大呪)
_.大楽金剛不空真実三摩耶経 般若波羅蜜多 理趣経
_.舎利礼文
10.十三仏真言(不動尊中呪・大呪を含む十三如来の陀羅尼)
11.回向文
12.普礼
_.供物を下げる(アカ碗を空け・香炉を下げ・賽銭を金庫へ保管する)
_.打敷を閉じ、御宝塔・護符・仏具(印袋・数珠・経典など)を仕舞う


363 :地球に平和を!家族に健康を!:2005/06/04(土) 17:05:29 ID:xsuRhVOV
1999年7の月・・・破滅せず。 日本に3度目の原爆も落ちなかった。
日本を恨む在日朝鮮人とも思・・・・・・
---------------------------------------------------------------

みんなで盛り上がって、運気好転。幸せになりましょう。
仏様に感謝。管長猊下に感謝しましょう。

大僧正猊下は破滅に向かって闘っています。
お供養(お布施1体10万円)に励みましょう!!!
いっぱい仏様から功徳を戴き、修行に励み、修行が進んでミンナで解脱し、
破滅のカルマから逃れましょう。地球を浄化しましょう。
私たちは霊的に清まり超人を目指します!!!!
さあやるぞ。必ず上手く行く、絶対に勝つ!!!
 (一同、無理強いの拍手[数十人]

献金係の巡回
 (一同、渋々200円出して護摩木に願い事を書く
  浮ついたのが3000円、1万円の祈願札を平気で買い出す。
  釣られた奴が、結婚成就!!!とか就職祈願!!!と叫んで5万円出す。)

平和な地球を創りましょう。祈りで人を動かし、祈りで仏を動かし、祈りで地球を動かし、
健康食品を食べて、健康な生活を家族ミンナで送りましょう。
 (合掌[リーダー手を合わせて仏壇に向かって祈るの図]
 (健康食品や平和メダルが欲しい。とサクラ[数人]が言い出す。
  釣られた奴が3000円、5000円出して、地球に平和を!家族に健康を!とか騒ぎ出す。)


364 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 17:16:45 ID:xsuRhVOV
地球に平和を! 家族に健康を! ありがとうございます。

365 :金剛靖雄:2005/06/04(土) 18:06:27 ID:piYRsV+7
阿含宗徒のまま死ねば大変なことになります
わたしのいっていることははったりではありません
2005.09.25わたしの予知能力が実証されます

366 :金剛靖雄:2005/06/04(土) 18:13:19 ID:piYRsV+7
◆◆最も洗脳が激しく一般市民に有害な宗教◆◆
http://www.37vote.net/politics/1116046025/


367 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 18:16:50 ID:od/tQQYK
また、阿含宗批判スレを荒らすロンギヌスが現れた。
巣に帰れ!!!!!!!!!!


368 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 19:51:53 ID:jYoyTiiZ
>>365 :金剛靖雄

何が言いたいのかもっとハッキリ書け。

369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
屁理屈じゃ悟れません。
真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。
これこそが解脱への近道です。
結集メンバーで真正仏舎利に縁のない人たちが
やっかんでその釈迦の言葉を消したのでしょう。
まさしく越法罪そのものですね。
卑劣な行いです。

370 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:16:15 ID:kPPwWKVZ
>>287 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:39:17 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、
>「願い」という言葉だけに反応して願いといえば欲望をかなえるとしか思われないその 根性をなおすべきでしょうな。
>「やったぁ〜お釈迦様が糸としてくれたぁ〜!」

星祭さんが[180]で、釈尊が弟子のために糸を通してあげた話を
功徳という見返りを説いたことの証拠としてあげ、私は>>274で、この件は、
「釈尊は糸を通して弟子を助け、喜びを与え、弟子の喜びは釈尊の喜びです」
と、指摘した。
すると、星祭さんは[205]で、私の解釈を「なれ合い漫才」だと皮肉った。
相手に喜びを与え、その喜びを自分のものとするなど、
仏教では当たり前のことであり、基本中の基本です。
それを星祭さんは、なれ合い漫才だとなじった。
桐山さんもこんなことは「四無量心」の一つとして昔から説いています。

「喜心とは、人が幸福になるように尽くしてやって、幸福になったら、
自分もいっしょになって喜んであげるという心である。」
(『密教超能力のカリキュラム』236頁)

371 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:22:20 ID:kPPwWKVZ
>>287 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:39:17 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、

桐山さんが超能力を獲得するために書いた本の中で、「このように進め」と題して
修行者が必ず実践するべき心の行だと述べています。
星祭さんは、聖なるバイブレーションを感じて、修行で何事か感得しており、
批判側は体得できなかったのだとあざ笑うのに、
桐山さんが説いた心の行を無視するような発言をしている。
というと、信者さんは、古い本なので忘れたのだ、というかもしれない。
仏教徒が四無量心を忘れるなんてありえないが、
星祭さんは忘れるどころか、百も承知で書いたのです。
星祭さんはこの直前に、「喜無量心」を次の本で読んでいる。
>[173]星祭@12因縁 05/05/31 08:38 iJYtKODklX
>(宮元啓一著、仏陀が考えたこと、157p)。

372 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:25:41 ID:kPPwWKVZ
>>287 :名無しさん@3周年:2005/06/01(水) 12:39:17 ID:YBMTxf7j
>[205]星祭@釈迦の大願 05/05/31 23:35 iJYtKODk17
>喜びって、なに喜ぶの(笑)。師と弟子の馴れ合い漫才じゃあるまいし、

『仏陀が考えたこと』の202頁に、
「喜無量心。他人の喜びをみずからの喜びとする、無量の心」
と書いてあり、これは、
「・・ゴータマ・ブッダの時代から、仏教では、出家修行者の心構えとして
四無量心ということが説かれている。」
つまり、他人に喜びを与え、その喜びを我が喜びとするというのは、
釈尊の時代から基本的な修行の一つであり、
釈尊が弟子のために糸を通してあげたことなど、まさにこれに当たります。
これが星祭さんにいわせると「馴れ合い漫才」なのだそうです。
星祭さんは宮元教授の本で、喜無量心を読んで、
これが釈尊の時代からの出家の心構えであると知っていたにもかかわらず、
私の書いた喜無量心を「馴れ合い漫才」だと罵倒したことになります。
こればかりでなく、同様のことがもう一つあります。

373 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:30:03 ID:kPPwWKVZ
>>322 :名無しさん@3周年:2005/06/02(木) 12:43:45 ID:3cIEcGV0
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio
>ばかだね。ブッダのいう平安とは涅槃寂静のことにきまっておるがな。
>ユビさんは心の平安といっておったのでそりゃちがうだろ、といったまで、心を安定させ る、

星祭さんは「心の平安」は涅槃ではないが、「平安」は涅槃だと書いています。
ところが「心の平安」で正しいことが星祭さんが直前に読んだはずの宮元教授の本に書いてある。

「・・完全な心の平安(涅槃、寂静)をもたらすものではない。」(48頁)

宮元教授は「心の平安」=「涅槃、寂静」だと書いているのです。
>>322で示したように、星祭さは批判側が心の平安というのをずっと罵声を浴びせていたばかりか、
宮元教授の本を読み、学者も涅槃を心の平安と表現していることを知っていながら、
なおかつ、>>322,[265]のように罵声を浴びせ続けた。

374 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:35:52 ID:kPPwWKVZ
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio

星祭さんが宮元教授の本を引用したときは、恒例のオカルト解釈ではあるものの、
桐山さん以外の学者の本を読んでいることを私は評価した。
ところが、学者の書いた本の中に、批判側がいつも書いている内容があった。
「喜無量心」と「心の平安」です。
批判側がエライと言っているのではありませんよ。
仏教ではどちらも当たり前すぎるほど当たり前の内容と表現なのです。
ここで「批判側の言うことのほうが正しかったのだ」と気が付いて修正するなら、
勇気のある人だし、気が付いても知らぬふりをして、
口を拭い、最初から知っていたような顔をするなら普通の人です。
ところが、さすがは三十年も阿含宗のおシャカの成仏ホーで
因縁解脱行、心解脱行をしてきた星祭さんの態度は普通の人ですらなかった。
自分が間違っているのを百も承知でありながら、
仏教の基本である「喜無量心」を馴れ合い漫才とあざけり、
「心の平安」を「平安」だと言い逃れた。

375 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:43:21 ID:kPPwWKVZ
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio

星祭さんにはもう一つ大きなゴマカシがある。
釈尊の解脱とは、桐山さんのいうような業を切ることなのか、
それとも批判側が言うような煩悩を切ることなのかという点です。
宮元教授の本では、釈尊以前の時代から、輪廻からの脱出が議論され、
釈尊はウパニシャッドなどで言われていた欲望の消滅ではなく、
欲望の背景にある煩悩の消滅こそが輪廻からの脱出であると説いたと書いている。
桐山さんのいう業を切ることなど、宮元教授の本には出てこない。
煩悩を切ることが解脱だなど仏教の初歩の初歩で、
業を切ることだと言っている阿含宗のほうがおかしいのです。
釈尊は業を切るなんて説いていないのを星祭さんも確認したのです。
さあ、星祭さんの論調がどう変わるかご注目ください。
「心の平安」をあざ笑っていた星祭さんが「平安」だと言い逃れたように、
業解脱をどのように言い逃れるつもりか、楽しみにご注目ください。
業解脱を言い続けるのが一番楽だから、これを選ぶというのが私の予想です。

376 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:47:48 ID:kPPwWKVZ
>[265]星祭@完全な平安 05/06/01 22:55 iJYtKODkio

信者さんたちに着目してほしいのは、星祭さん個人ではなく、
三十年も阿含宗で信仰を続けて、深く深く桐山さんに帰依している信者である点です。
大先達様は仏教の基本すら理解していないばかりか、
自分のミスをまるで居直り強盗よろしく、相手をあざけり、罵った。
長年修行して、聖者の流れに入っているはずの星祭さんの姿は俗人以下です。
星祭さんの居直りは、彼個人の手法ではなく、桐山さんのモノマネです。
ちっぽけな詐欺をごまかすために、霊障や刑獄の因縁、地球壊滅にまで話を広げた。
最初の偽ビールという嘘をごまかすために、霊障武士を作り上げ、刑獄の因縁を作り上げ、
ついには霊障で地球が壊滅するのだと話を広げた。
偽ビールですよ、ただの偽ビール。
このたった一つの嘘をゴマカスために、半世紀かけて、宗教を作り、
山の上で大焚き火を毎年続け、海外で金を払ってまで焚き火をさせてもらった。
できた宗教は、教義の矛盾や本尊や経典の嘘ばかりでなく、
解脱の意味すら間違っている「真正外道」です。
教祖の桐山さんと三十年先達の星祭さんを見て、
こういう阿含宗で信者さんたちが因縁解脱できて、
練脳塾で訓練すれば、高い知性が得られると信じられるだろうか。

377 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 22:54:17 ID:kPPwWKVZ
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載
>[279]○○屋 05/06/01 23:47 jEz.Gq7RaS
>また出ましたねー名無し氏の大量屁理屈カキコ・・・
>あなたはそうやって、屁理屈こねてなさい。これから何十年でも。
>ああ、なんてネガティブな人生だこと。

自分のエン了凡についての書き込みが屁理屈でないと思っているところがおもしろいというか、
いかにも思いこみが激しく、自分の姿が見えない阿含宗の信者らしい。
oo屋さんは阿含宗で霊障と悪因縁に怯えながら、霊感商法の手先になり、
桐山さんからいつかは超能力を授けてもらえると信じ続けてウン十年。
今頃はチャクラの一つも体得しているはずだったが影も形もない。
現実に存在するのは脳梗塞で日々是好日の老人一人と
この大法螺吹きの老人を超能力者だと信じるoo屋さん。
桐山さんが釈尊から体得したカルマ解脱のお力で、死んだ後は輪廻から
脱出できるとこれからも信じ続けるoo屋さんはネガティブな人生ではないのですね。

378 :樹意 :2005/06/04(土) 22:57:35 ID:8uamamFr
煩悩からの解脱することが輪廻からの脱出というのは 当然なのですが 少し説明
致しますのでよろしくお願いします。 
ゲイカと 本当の仏陀が説くところの違いになります。

本当の仏陀が説くのは五取蘊からの 出離になります。
出離に関してですが 出離というのは 五取蘊からの出離というのが本来の趣旨であり、
その結果輪廻からの出離ともなるし 涅槃ともなります。

「ラーダよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子達は、この五取蘊なるものの生起と、滅尽と、
その味わいと、その禍いと、そこから出離することとを、はっきり知っているが故に、ラーダよ、
この聖なる弟子達を名づけて、彼らは、すでに流れに入れるもの、すでに破滅に堕すことなき
もの、或いは、すでに 悟りに至るに決まっているものというのである。」
相応部経典 23 7 預流

五蘊 〈色 受 想 行 識〉とその対象 からの執着〈味わいと表現されています〉からの出離
であるとします。 この出離は〈出家〉という意味であると勘違いされている方もいますが
本来は出家 在家を問わず 五取蘊からの 出離を目的とします。
出家の方が都合がいいというのもあるでしょう。 


379 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 23:00:24 ID:kPPwWKVZ
>[279]○○屋 05/06/01 23:47 jEz.Gq7RaS
>また出ましたねー名無し氏の大量屁理屈カキコ・・・

屁理屈というなら、何がどう屁理屈なのかを指摘するべきです。
反論できないから、屁理屈、悪口と言うしかない。
釈尊の教法から見ても阿含宗は成り立たないばかりか、
阿含宗の教法からみても阿含宗は矛盾する。
そのことを手を変え、品を変えて批判されるから、まともに読んでいると嫌になるのですよね。
だから、星祭さんのように、まともに読まずに、自分の考えから一歩も出ないのも一つの手です。
もっとも、恥ずかしくなければの話です。
批判側から辛辣に書かれて、傷つくのはわかりますよ。
11章に逃げて、「転載禁止」と護符を張り、
信者同士で傷のなめあいをするのをあれこれ言うつもりはない。
大声で風林火山の大見得を切る阿含宗山伏が、現実に立ち向かう勇気すらなく、
スタコラと逃げだす姿はみっともないだけです。
あなたがしていることは、ただ現実から逃げているだけだ。
一番逃げているのは、目的であるチャクラもクンダリニーも覚醒していない自分自身という現実です。
だから、いい年をして、その子供じみた夢から覚めない。

380 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 23:08:20 ID:kPPwWKVZ
>[279]○○屋 05/06/01 23:47 jEz.Gq7RaS
>あなたはそうやって、屁理屈こねてなさい。これから何十年でも。
>ああ、なんてネガティブな人生だこと。

阿含宗の「仏陀の法」の伝法会の時、
「本当に待った甲斐があった」と涙をこぼさんばかりに話した先達がいた。
観音慈恵会時代から、ひたすら桐山さんの超能力開発法の伝授を待っていた。
仲間は次々と去り、この伝法会の直前にはオウムに大量に瑜伽派は流れた。
彼はその誘惑にも耐え、桐山さんを信じ続けて、
ようやく、ついに、ついに、ついに超能力開発法の入り口までたどりついたと喜んでいた。
私は瑜伽派は好きになれなかったが、それでも同情心が湧きました。
だが、あの時の先達ともoo屋さんは違う。
桐山さんがインチキであることを繰り返し説明され、証明され、
しかも二〜三十年前と違い、どこから見ても桐山さんに超能力はないのに、
これからも付いて行くと言うことは、あなたの欲望と執着にすぎない。
欲ボケ老人と欲ボケ信者の因縁相応の組み合わせです。
桐山さんから超能力開発法を教えてもらいたいと長年求め、
今も求め求め続けているあなたが何一つ得られず、また得られる可能性もなく、
一方、瑜伽派の満たされぬ自己顕示欲に侮蔑心さえ持っていた私が、
釈尊の神通力の獲得法を知っているというのも皮肉な話です。

381 :樹意 :2005/06/04(土) 23:14:00 ID:htQAC5f5
ゲイカはこの五取蘊からの出離は説けません。 説いたら ホテルのメシどころではなくなるからですし、
業からの解脱という概念でごまかすのが都合がいいからです。
阿含経典を紐解けばこの五蘊というのがあちらこちらに出てきます。
本来の仏陀の宗教は五蘊解脱教と言い換えてもいいぐらいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この五取蘊なるものの生起と、滅尽と、その味わいと、その禍いとからの出離が
目的なのですから、その執着煩悩から自由になる必要があります。
業からの解脱と言い換えて自分の執着を肯定するのが ゲイカのやり方
なのです。
また 五蘊無我の観点からも神通力の扱いが慎重になるわけです。
ですから ゲイカの説くジョウブツ法なるものは 全部偽ものなのです。




382 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 00:01:07 ID:BqGar4J2
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

池田氏は、78歳だそうだ。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1113916080/481-482

6月4日の聖教にも池田大作は古い写真しか掲載されなかった。

またもや池田博正(三男)が登場してた!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


383 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 04:20:54 ID:cGlFY1zd
桐山のキレグセといえば、1000人くらいの会員の前でキレたあの事件。
10年くらい前?札幌から新入行の会員をつれて関東別院に行った時、
法話が始まってから「管長のうそつき!」と叫んだ初老の女性がいた。
なんでも阿含宗が京都で経営してる(今はどうなってんだろ?反阿含宗が多い
というあの病院)病院に入院していて、ずいぶんひどい扱いを受けて逆に
強制退院させられたんだと。
『貴様っ!うそつきとはなんだっ!謝らせるぞっ!』
Huuuum。この謝らせるぞというのは、慰謝料とるぞということか?
『おいっ!こっちにこいっ!前に出ろっ!誰だっ、キサマっ!だまれっ!』
Huuuuum。このキサマというのは、やっぱり逮捕されたときの刑事さんのマネか?
『おいっ!つまみだせっ!誰かっ!つまみだせっ!でてゆけっ!ばか者っ!』
Huuuuum。これって、全国中継でしょ?あ。ビデオ配布か?
『これが関西本部なら、袋だたきにされているところだっ!まだ、関東は大人しい
から助かったが。むこうなら、ただじゃすまないところなんだっ!』
『おいっ!フカダ君。病院に問い合わせて私がうそつきかどうか、調べてもらって
くれっ。』
Huuuum。胃カメラ飲んだときの写真でも見せるのかなー?腹の中の写真。
私がびっくりしたのは、『関西なら袋叩き』のくだり。
関西本部って、リンチとかするところなんだと桐山自身が言っているんだから、
本当なんだろうね。実際に。相手が初老の女の人だろうが、誰だろうがヤルん
だろ。タケシの映画みたいに。
信者のみなさん。いったい彼のどこが聖者なのよ。
あ。その連れて行った新入行の会員?やめたよ。ったりまえじゃん。
でね。その月の法話ビデオの配布は、関西本部のやつだけだった。



384 :栗花 馨:2005/06/05(日) 13:45:59 ID:tydfsc7g
明王身の桐山氏は業をつませないようにとの愛の鞭で仏の慈悲でしょう。

385 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 22:52:33 ID:3Q/ZrzPG
>>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>結集メンバーで真正仏舎利に縁のない人たちが
>やっかんでその釈迦の言葉を消したのでしょう。
>まさしく越法罪そのものですね。
>卑劣な行いです。

あなたはこれを前から書いていますね。
結集メンバーとは第一回の仏典結集の話ですか?
集まったのは出家ですから、仏舎利など関心がありません。
「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。」
(「ブッダ最後の旅、大パリニバーナ経」中村元、131頁 )
このように釈尊から命じられたのだから、出家は葬儀にはいっさい関与しなかった。
だから、仏舎利分配を巡って在家が争いを始めたとき、
比丘ではなく、ドーナという仏教徒でないバラモンが仲裁している。
真正仏舎利を拝めなどと釈尊はいうはずはないのです。
なぜなら、偽の仏舎利を本物だと騙す桐山さんのような詐欺師など想定していないからです。
桐山さんは経典から削除されたなんて話したことも書いたこともない。
実行委員長さんのアナゴン宣言もそうだが、
桐山さんが書いていないことを勝手に主張するのは阿含宗での越法罪だし、
身元がわからないからといって、師を裏切るのは卑劣です。
こういうことをしないのは、信者としての最低限のマナーです。
それともあなたも実行委員長さんと同類か。

386 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 22:55:36 ID:3Q/ZrzPG
>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるなどとは、釈尊は言っていない。
釈尊が舎利をストゥーパに祭る時のことは、次の経典に出てきます。

「ブッダ最後の旅、大パリニバーナ経、中村元」132頁〜
「四辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに
花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかに
して信じる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起こるであろう。」
「(これは、かの修行完成者・真人・正しくさとりを開いた人のス
トゥーパである)と思って、多くの人は心が浄まる。かれらはそこ
で心が浄まって、死後に、身体が壊れてのちに、善いところ・天の
世界に生まれる。アーナンダよ、この道理によって、修行完成者・
真人・正しくさとりを開いた人については、人々がかれのストゥーパ
をつくってこれを拝むべきである。」

387 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:03:14 ID:3Q/ZrzPG
>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

信者さんたちは釈尊が>>386でどのように説いておられるか、読んでみてください。
釈尊は「心が浄まる」ことで、利益と幸せがあり、善い世界に生まれると説いている。
「心が浄まる」とはもちろん一般的な意味ではありません。
仏教で心を浄めるとは、煩悩という不浄をなくすことです。
在家の者はストゥーパを拝む時、煩悩をなくせ、という釈尊の教法を思い出し、
これを実践するなら、利益と幸せがあり、死んでからも善い世界にいくと述べているのです。
だから、拝んだだけではダメです。
利益と幸せを得るための釈尊の絶対条件は、「心が浄まる」ことです。
煩悩を減らし、なくすことが、釈尊が出した絶対条件です。
見方を変えれば、仏舎利など拝まなくても、煩悩をなくせばいいのです。
桐山さんが説いている御利益いっぱいの仏舎利信仰とは似ても似つかない。

388 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:06:36 ID:3Q/ZrzPG
>>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

問題は釈尊の出した唯一最大の条件「心が浄まる」をしているかどうかです。
信者さんたちは仏舎利尊に向かって因縁を切ってくれとか、
核爆弾が落ちても助かりますようにと欲望のお願い事をしている。
欲望は煩悩から出てくるのですから、これは釈尊の条件に反します。
信者さんたちは悪因縁と霊障を怖れ、桐山さんの成仏リキで切ってもらうおうとお願いしている。
恐怖心はもちろんのこと、桐山さんに依存し執着するのも煩悩です。
つまり、信者さんたちは仏舎利に礼拝するところまではいいが、
釈尊が出した「心が浄まる」という条件に反することばかりしている。
「心が浄まる」という条件にあてはまれば、長いあいだ利益と幸せが訪れるのだから、
逆をすれば、長いあいだ不利益と不幸せが訪れ、死後は、
悪い所や天界ではない所に生まれることになる。
信者さんたちは利益と幸せが望みですよね?
だったら、どうして釈尊の指示とは逆のことをしているのですか?

389 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:11:26 ID:3Q/ZrzPG
>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

桐山さんですら、こんなことは言っていません。
桐山さんは、ただ拝めばいいというものではないと、次のように述べている。
真正仏舎利というおシャカの骨からはドロドロと成仏リキが垂れ流れている。
信者さんたちの持っている仏舎利尊はこのドロドロ成仏リキの受信機のようなものです。
流れてきたドロドロ成仏リキをどの程度受け取れるかで、
信者の因縁は切れ具合と、棚ボタの量が決まる。
宝の雨の降るごとしのこの成仏リキをあなたはなぜ受け取らないのか。
信者さんの徳という器があまりに小さいからです。
成仏リキはいつもいつも惜しみなく垂れ流れているのに、
あなたの器があまりに小さいから、因縁は切れず、願い事もかなわないのだ!
では、徳の器を大きくするにはどうしたらよいか。
おい、そこのチミ、よそ見せんで、徳の器を大きくするにはどうしたらいい?
「徳を積めばいい」、そのとおり!!エライ!!
徳を積むにはどうしたらいい?
「阿含宗のシャカ骨に金と人を供養する」そのとおり!!チミ、よくわかっているじゃないか!!

390 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:16:57 ID:3Q/ZrzPG
>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

そこで信者さんたちに、ちょっと頭を冷やして考えてほしい。
祈願している幸せの中身の一つであるお金が欲しければ、
まず金を出せというのも、ちょっと変だと思いませんか。
最近、自宅で簡単に仕事ができます、なんて宣伝をして、
高い教材だけ買わせて、仕事はくれないという詐欺商法があるそうです。
仕事で金を得たいなら、先に金を出せ、という点が、なんか似ています。
阿含宗の場合、金だけでなく、次のカモも連れて来いというのだから、一枚上手。
金も仕事もうまくいくように運がよくなり、幸せになりたければ、悪因縁を切る必要がある。
そのためには釈尊の成仏リキをもらうのだが、
成仏リキをもらうためには徳が必要で、そのためには金と人を供養する。
悪因縁、霊障、不徳、三福道、真正仏舎利、応供の如来など
一見、仏教用語のようなオカルト用語を羅列され、
金とは言わずに、徳がある、世間福、運命改善などと表現し、
金を出せとは言わずに、仏への供養、積徳行と言う。
こんなふうに巧みに言い換えられ、口のうまい桐山さんから
もっともらしい説明を受けるとわかったような気がするが、
最初と最後だけ比較すれば、前述の詐欺商法とそっくり同じです。

391 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:21:59 ID:3Q/ZrzPG
>>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。

真正仏舎利という条件は桐山さん以外、釈尊を含めて誰も出していない。
しかも、桐山さんは真正仏舎利という条件を出しておきながら、
阿含宗にはあるのは偽物の真正仏舎利です。
大統領からもらったというスリランカの仏舎利は偽仏舎利です。
桐山さんが本物の根拠とした事はことごとく否定されている。
大統領のメッセージには本物だとは書いていないし、
お坊さんが作った証明書にも本物とはありません。
証明書にはブッダガヤで「見えない存在からもらった」と偽物であることが証明してある。
インド考古学局のカニンガムがブッダガヤから発掘した仏舎利だと桐山さんは書いている。
大統領もお坊さんの証明書にもそんなことは一言もありません。
なによりも、カニンガムはブッダガヤから仏舎利など発掘していない。

392 :こうもり :2005/06/05(日) 23:23:09 ID:azJJQEQA
信徒の方にお聞きします。猊下の持仏を元にした准胝像がご法施になりましたが、すっぽんはいました?
私いただいてないから。昔の金色の准胝像のほうはいただきましたが。
ユビ氏に反レスするため。

393 :名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:25:42 ID:3Q/ZrzPG
>>369 :名無しさん@3周年:2005/06/04(土) 21:35:36 ID:Me4THa+/
>真正仏舎利を拝んでいれば幸せになるのです。
>これこそが解脱への近道です。

桐山さんは本物の仏舎利でなければダメだ、
自分が解脱できたのも真正仏舎利のオカゲだと書いている。
ところが、阿含宗にとって教義の根本をなす真正仏舎利が、保証書付きの偽物です。
カニンガムがブッダガヤから発掘したというのが嘘なのだから、もうどうにもならない。
彼のブッダガヤでの発掘調査本は、今でも復刻され市販されています。
Mahabodhi or the great Buddhist temple under the bodhi tree at Buddha-Gaya.
A. Cunningham, W.H.ALLEN & Co., 1892.
批判側を嘘だと言う前に、信者さんも本を買って読んでみてはどうか。
信者さんたちが道場で拝んでいる真正仏舎利とやらは、
現実には発掘されていない、つまり存在するはずのない仏舎利なのです。
真正仏舎利を拝めば幸せになれ、解脱への近道なら、阿含宗の仏舎利は偽物ですから、
拝んでも幸せにはなれないし、解脱への近道でもありません。
こういう正真正銘の偽仏舎利を拝んで幸せになれるのは、
369さんの頭が最初から幸せだからです。

394 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/06(月) 00:13:01 ID:V4b7V2qf
>>392
その反レスの相手のユビ氏ですが、実はそれをこちらも聞きたい。
法施グッズの准胝尊像とは、小型の厨子の中に准胝尊が焼き付けてあるようですが、
この原画は桐山の自室にまつっている持仏を型どったものとのことです。(当時の法話)
それは「守護仏の奇蹟」の口絵写真に出ています。
小田慈舟師から伝法を受けている時の写真です。
(余談ですがこの口絵写真の解説に如意宝珠法を授かるとありますが、これは正しくない。
この本で桐山は如意宝珠法は小田師の広島の自坊で受けたとあるが、あの写真は観音慈恵会
関西本部の自室ですね)
で、この持仏の掛け軸はうーん、惜しいですね。口絵写真では肝心の下の部分が
はっきりしない。両脇にナンダ、ウパナンダの竜王が描かれているのはわかるが。
台座があって、その下方にカメさんいるのかしら?
もしもしカメよ♪カメさんよ♪
あるいはカメさん描かれてないかもしれません。
そうなると桐山は北野さんに指摘されたように儀軌に言葉で書かれてある観想を
言っているのかもしれない。
そうなるといよいよ怪しく、北野師に言われて初めて、あっ、そうか、と亀の存在に
気付いたに等しい間抜けさがある。
さては俺はご本尊様のケン族を食おうとしていたのか?ってな。
ご本尊に亀が関係してたなんて言われてみて気付いたよなあと。
普段観想するならばまさに血の通わぬ言葉の棒読み程度のものだったのかしらん?
それでも亀食うと腹壊すと言うわけだ。
昔山上たつひこのナンセンスギャグマンガで単発読み切りで地球防衛軍というのがあった。
お笑い中年組が地球転覆を図ろうとする。しかしどうするか?
仲間は地球儀を示す。馬鹿者。地球がこんな丸くてすべすべしてたら人間も住めず
海の水もこぼれてしまうだろ。本当の地球はこうなっているのだと、古代の天地の図を示す。
大地は亀の上に象が数頭で支えている。だからこの象の足を切れば地球は転覆するのだ。
ということで動物園にいる象の足を切りに行くという話です。
実は地球防衛軍の隊長だった動物園の園長との対決となるのですが、こんなレベルの
話を思い出してすまいますた。

395 :金剛靖雄:2005/06/06(月) 00:24:08 ID:rU4dQ9Ls
阿含宗の仏舎利はまるっきり偽物ですが
仮に本物でも力はありません

396 :樹意 :2005/06/06(月) 01:40:41 ID:JHRhnMBV
准胝尊の観想文が 〈大海に亀あり 〜 〉とかなんとかいうらしく、同じ眷属同士食うと腹を壊すとか
言っていたようです。
まあ 別段ゲイカの正体はバレタわけですから、どうでもいい事ですが。

ゲイカが梵行と称して信者にやらせる営業活動に対して 恥ずかしいだとか、いやだとかの
感情が沸いた場合の話として、我見というものであり、我執というものであると述べていましたが、
此れは阿含経によく出てくる 五取蘊の構造を説明し、無常である五蘊に対して 〈我〉
であると認識する間違いという〈煩悩j〉に対するもの〉なのですが、この五蘊の概念を抜いておりますから、
常見のイメージを作ってしまっています。

縁起により生起消滅する 五蘊 色 受 想 行 識 に対して〈我〉であるとする根本的な 煩悩を
説明しているのです。 逆を言えばこの五蘊に対する 〈我〉の執着を完全に解脱できれば もう
他の煩悩は自動的に消滅するぐらい大事なものです。
故に 十結煩悩の五下分桔に 身見 戒取 疑惑 貪 瞋恚 が くるのです、
いきなり 貪 瞋恚を解くとはありません。 五蘊の構造を理解するのが先なのです。

つまり五蘊に対する〈我〉の認識に対する煩悩の説明は真っ先にしなければいけないことなのですが
なんとゲイカは 営業活動に対する 感情の説明に使っているのです。
まったく 単なるそこいらの営業所の訓話と変わりありません。
仏陀の宗教は五蘊無我教と言い換えてもいいぐらいのものであり 一番重要なことを
この程度の認識すらありません 。 〈もっともそれを出すと 美食もできなくなるのでしょうが〉





397 :樹意 :2005/06/06(月) 02:15:18 ID:f3db4DMM
「比丘たちよ、みずからを洲とし、自らをを依処として、他を依処とせず、法を洲とし、
法を依処として、他を依処とせずして住し、事の根源まで立ち戻って観察するがよい
〈嘆き 悲しみ 苦しみ 憂い 悩みは、いったい何によって生じ、何によって起こるのであるか〉と。
比丘たちよ、では、嘆き 悲しみ 苦しみ 憂い 悩みは、何によって生じ、何によって起こる
のであろうか。
比丘たちよ、ここに、いまだ、教えを聞かざる凡夫があるとするがよい、彼らは、いまだ、聖者
にまみえず、聖者の法を知らず、聖者の法を行ぜず。あるいは、いまだ、善き人を見ず、善き
人の法を知らず、善き人の法を行ぜず。
だから、彼らは、色〈肉体〉は我である、我は色を有す、我がうちに色がある、あるいは、色の
中に我があると考える。だが しかし、色は移ろい変わる。色が移るい変わるから、彼らに
嘆き 悲しみ 苦しみ 憂い 悩みが生じるのである。 
ーー受 −−想 −−−行ーー識ーーー同文の為略ーー
相応部経典 22 43 雑阿含経 2 4 十六比丘

五蘊に我ありと考えるのが 一番の煩悩でありますから 十結煩悩の一番先にこの身見がくる
わけです。
逆から言えばこの 〈我あり〉を完全に解脱するなら他の煩悩も自動的に消滅する
事になります。 
ですから 先祖の誰それがとかいう 言い方は仏陀の宗教ではありえないのです。
根本仏教では 誰がという言い方はしないのです。

阿含経を依経にするといいながら まったく逆の行動を取る団体なのです。


398 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 03:52:21 ID:uRLjktqp
桐山靖雄は、そもそもが詐欺師出身者です。その罪状は以下の通り。
1.詐欺、契約違反容疑(昭和20年)
2.手形詐欺容疑(同上)
3.酒税法違反(にせビール製造販売)
4.私文書偽造容疑(昭和28年)
これらの犯罪を、本当に心の底から反省したのなら大変結構なことですが、
桐山はそうではありません。教祖となってからも、手品のトリックで世間と
信者を欺(あざむ)き、いかにも自分は修行を積んだ超能力者であるかの
ごとく偽っているのです。その一例を見てみましょう。
<トリック1> しっかり封をした、信者からの「御伺い書(質問書)」を、
開封せずに超能力で透視して「御霊諭(返答)」を下す
これは、御伺い書の袋をアルコールにひたして中の文字を読み、
アルコールはすぐに乾くのでもと通りになり、開封しなくても読むことが
できる、というだけのトリックでした。塚田康人という人が、この手品を
桐山に教えたのだそうです。
<トリック2> 護摩壇(ごまだん)に点火する際、火を使わず、
桐山の念力で発火・点火させる「念力護摩」
これは、「無水クロム酸」という発火剤を使ったトリックです。
奉書紙に道教の呪符(じゅふ)と梵字を書いたものを護摩壇の中央の炉の
上に置くのですが、この梵字を発火剤で書いておくのです。ここに、
散杖(さんじょう・護摩で使う道具)で水をかけると発火する、
という仕組みです。つまり、いかにも桐山の念力で点火したように見える
奇跡は、無水クロム酸と水による化学反応だったのです。
以上のように、桐山はどこまでも不純な「宗教詐欺師」と呼ぶべきです。
過去の犯罪に対する真摯(しんし)な反省など、この教祖には
微塵もありません。


399 :こうもり :2005/06/06(月) 10:24:58 ID:Kjf6u2Bd
>>394 yanにいたころは自分も地球防衛軍でしたあ。恥かしい・・・

400 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 12:36:36 ID:B1+FrJ72
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―から転載
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>仏陀が自分の遺骨を功徳があるから、在家に供養させよ、といっても、あんな屁理屈でその真意を曲げる。

釈尊は仏舎利を礼拝することには功徳があるから、
四辻にストゥーパを建てなさいと述べている。
ただ、功徳、供養の意味が釈尊と桐山さんでは違うのです。
釈尊の時代の一般人は、功徳、供養は、阿含宗が使っているような、
御利益や御利益の見返りという意味で使っていたのでしょう。
釈尊の常で、功徳という一般人に浸透している単語を用いて、彼の教法を入れ替えてしまう。
一般人は功徳というと、今の阿含宗信者のように、世間福だと固く信じている。
しかし、釈尊は中身を入れ替えて、功徳とは煩悩を消滅させて心の平安を得ることだと説いた。
一般人は御利益の意味に使うのに、釈尊のいう功徳は、御利益を願わない心です。
功徳の意味をまったく逆にしてしまったのです。
俗人は功徳という単語を見ると、釈尊が意味を入れ替えたことを忘れて、御利益と短絡してしまう。
桐山さんと信者さんたちはまさにその典型です。

401 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 12:39:39 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>仏陀が自分の遺骨を功徳があるから、在家に供養させよ、といっても、あんな屁理屈でその真意を曲げる。

ザのスレでユビキタスさんが指摘しているように、
釈尊は死後、在家の人たちが舎利を祭るであろうこと、
また、今の阿含宗のように、舎利にナモナモして御利益をねだることを予測していたはずです。
舎利を祭るなど無意味なのだが、在家の人たちには納得できない。
そこで、いつもの釈尊のやり方で、祭ること自体を否定せずに、
祭る時に何をするか、という点で、自分の教法を入れたのです。
それが「心が浄まる」です。
この教法には新しいものはなく、釈尊が45年に渡り説いた内容そのものです。
在家が舎利を祭りたい本音とは逆のことをしろと言っている。
在家の人たちは功徳という御利益が欲しくて、舎利をナモナモしたいのに、
釈尊は、御利益を願う心は汚れだから、これを浄化しろと言っているのです。

402 :peyoung:2005/06/06(月) 12:42:13 ID:A+Od1YNT
そう、そしてこうもり君は特殊部隊・近未来警察072の隊員として
悪の秘密結社ブラックダダーンから地球を守る為に日々活動していました。
ナナ隊員の卑猥な台詞がなかなか秀逸でした。

http://qvarie.hp.infoseek.co.jp/var/okage/okage2.htm

403 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 12:44:12 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>仏陀が自分の遺骨を功徳があるから、在家に供養させよ、といっても、あんな屁理屈でその真意を曲げる。

仏舎利をナモナモする人たちは元々、功徳という御利益が欲しくて礼拝するのに、
釈尊はこれを否定して、逆のことをしろというのだから、情緒的に受け入れがたい。
その典型が、このoo屋さんの発言です。
阿含経など読んだこともないならともかく、
>>386の経典をこれまでも引用され、読んでいるはずなのに、文字を理解できない。
信者さんたちは>>386の経典をよく読んでください。
どこにoo屋さんの言うような、
「仏陀が自分の遺骨を功徳があるから、在家に供養させよ」
なんて書いてありますか。
釈尊が功徳を受けられる唯一絶対条件は「心が浄まる」です。
>>387以降でも説明したように、「心が浄まる」とは煩悩をなくすことです。
遺骨に功徳があるのではなく、自分で自分の心の煩悩をなくすことで、
功徳が得られると説いているのです。
経典には骨に供養すれば御利益が得られるなどという阿含宗流の主張は書いていない。
釈尊の真意を屁理屈で曲解しているのは、阿含宗であり、oo屋さんのほうです。

404 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 12:53:19 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>その、教祖 (仏陀)の遺骨を町中の道端におじぞうさんのように(おじぞうさんごめんなさい)お祭りして眺めるだけで誰が清らかな気持ちになるか?

仏舎利をお祭りして眺めるだけで、心が浄らかになることはないなど当たり前です。
そんなことは釈尊も批判側も主張していない。
釈尊は、ストゥーパを礼拝するたびに、
自分の心にある煩悩を「自分」でなくすように努力しろと説いているのです。
oo屋さんの上記の一文には、阿含宗で植え付けられた大きな心癖がある。
それは、他力だという点です。
お祭りして眺めると、骨から何か出てきて、自分の心を清めるのだと解釈している。
批判側はそんなことはただの一度も言っていない。
心を浄めるのは自分です。
仏舎利など関係ない。
ところが、oo屋さんは、仏舎利から何か力が流れてくるという桐山さんのオカルト仏教に染まりきり、
いくら仏舎利から力が出てくるなどとは釈尊は説いていないと文献を示しても、
煩悩をなくすことすら骨の力に頼るのだと思い込んでいるから、
こういう発言が出てくるのです。

405 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 12:58:41 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>猊下の遺骨だって、道端の一角に祭っていたら何だか威力半減な感じ(猊下の遺骨が功徳があるかの議論はこの際別にして)がするのは私だけでしょうか?

oo屋さんはインドに行ったことがありませんね。
一度でもインドを見て、インド人と日本人の感覚の違いを見れば、こういう指摘は出てこない。
道端ではなく、四辻なのです。
四辻とは、人がもっともたくさん往来する場所で、
インドではしばしば大きな木と霊廟があり、信仰を集めている。
釈尊は人々のもっとも目につくところに祭れと指示したのです。
人目につきにくい奥の院に祭るではなく、
今の日本なら、東京駅の前の一番人目につく所に祭れと指示したのです。
理由は簡単で、できるだけ多くの人に、目にするたびに、
釈尊の「心が浄まる」を思い出させるためです。

406 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 13:03:57 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>猊下の遺骨だって、道端の一角に祭っていたら何だか威力半減な感じ(猊下の遺骨が功徳があるかの議論はこの際別にして)がするのは私だけでしょうか?

悪徳商人が相手の無知や弱みを利用して
大もうけしてやろうと画策して歩いていると、四辻に仏塔が見えた。
釈尊が「悪いことはするな」と教えたのを思い出して、
悪徳商人は、自分のもうけを少し減らし、相手にも利益を与えることにした。
軍人が捕虜たちにムチを当てながら引き連れて来て、四辻で仏塔が目についた。
釈尊が他人の苦しみを取り除くように慈悲を説いたのを思い出して、
軍人はムチを当てるのをやめて、彼らを休息させ、水を与えることにした。
これが釈尊のいう「心が浄まる」です。
釈尊はあの世から何も力など加えてはいないし、仏舎利からも力など出ていない。
仏塔を見て、釈尊の教法を思い出し、悪いことをやめて、善いことをして、
己の煩悩を押さえたのは、いずれも本人であって、釈尊も骨も関係がない。

407 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 13:09:17 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>猊下の遺骨だって、道端の一角に祭っていたら何だか威力半減な感じ(猊下の遺骨が功徳があるかの議論はこの際別にして)がするのは私だけでしょうか?

ところが、oo屋さんの主張にそうなら、話はまるで違う。
仏塔から来た白銀のバイブレーションで、悪徳商人は目の前が紫磨黄金になり、
「お釈迦様、お許しくだせえ」と財布のあり金を供養したら、
騙せる年寄りがさらに見つかり、予定していたもうけの何十倍にもなって返ってきた。
軍人の斜め前方にあった仏塔から聖なるバイブレーションがバシッと放たれた。
彼は目がくらみ、たたきのめされ、万人の軍隊も役に立たないことを知った。
彼は「これなんだ」と悟って、仏舎利をナモナモしたら、
後日、他国を侵略してもっとたくさんの捕虜と財宝を得られた。
商人も軍人も、仏舎利の功徳に深く感激して、仏を賛嘆して、
年寄りを騙し、侵略して手に入れた金銀を供養して、守護神ももらい、
さらに御利益を得て、大々運期を満喫したのであった、とさ。
信者さんたちは私のこの話を皮肉だと受け取るだろうが、
阿含宗の説いていること、oo屋さんの仏舎利信仰を具体的にいうとこういう内容なのですよ。

408 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 13:18:32 ID:B1+FrJ72
>[32]○○屋 05/06/06 09:09 D-Oab/h
>逆 に、道端の仏舎利といえども『霊験あらたか』状態でなければ、仏舎利信仰はおそらくこんなに広まらなかったと考えたほうが自然じゃないですか?

釈尊は骨を拝めば霊験があらたかである、とは説いていない。
在家に仏舎利信仰が広まったことと、釈尊が何を説いたかは別問題です。
そのくらいの区別はつけてはどうか。
桐山さんから仏舎利の御利益話を並べられて、すっかり欲ボケ状態です。
仏舎利と聞いただけで、条件反射で功徳、御利益にヨダレが出て来る。
釈尊は舎利の霊験など説いていない。
oo屋さんは瑜伽派なのに、すっかり大衆部的になっている。
チャクラ開発や解脱を目指すなどと格好のいいことを言いながら、
自分で開発し、解脱するのではなく、
ナモナモして桐山さんから王者の相承の力でやってもらえると信じている。
釈尊の教法からいうなら、仏舎利であれ、桐山さんの法力であれ、
何かに依存する心があるうちは決して解脱などしません。
ナモナモして御利益を得ようという大衆部の一般信者も低俗だが、
解脱すらも御利益の延長だと信じ込んでいる自分の姿に
気が付かないoo屋さんも十分に低俗であり、
自分では大衆部よりも高尚なつもりでいる分、一段と低劣な信仰です。

409 :こうもり :2005/06/06(月) 13:44:46 ID:Kjf6u2Bd
>>394 >もしもしカメよ♪カメさんよ♪
電話が鳴ったので「もしもし」と出たら無言電話だったので、歌ってみたら、若い女性らしき人がいきなり笑い出し、そしてプツっと切れた。

410 :金剛靖雄:2005/06/06(月) 14:41:56 ID:rU4dQ9Ls
9.25

411 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 17:04:46 ID:xDrsRCYS
わん!

412 :ヒカル@糞会員 :2005/06/06(月) 18:01:35 ID:oK194jp3
>>394
亀はいてない。
龍の側で、妙なおやぢ二人が蓮華を必死に支えてる。
どうヒイキ目に見ても、あのおやぢは亀には見えない。

413 :京都花山。。総踊り・・エピロ−グ:2005/06/06(月) 20:41:49 ID:6Ztl3pLm
○○屋さんが、ザで名無し氏の人物評価していますが、
あれは、○○やさんがこうあって欲しいと言う虚しい
願望に過ぎないと思いますヨ。宗教スレのような舞台では、
性の区分は意味をなしません。
社会的な立場も同じです。ブッダは、社長だった?
○さんは知っていながら、書いた。
余程、自分に歯がゆいのでしょう。
○さん、あなたも、騙されたアホ。私と同じ。
何が、念力だ。何が呪文だ。エ−カゲン捨てろ。

414 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 23:19:42 ID:A+Od1YNT
「ゆとり教育」だの「ナンバーワンにならなくていい」だの「『がんばってください』と
言うのは相手の負担になるからよくない」だのどいつもこいつも甘えて楽することばっかり
考えてやがるダメダメな日本だが、福知山線の事故以来、時間を守る必要はないなんて意見
まで出てきやがって、いったいどこまでダメになれば気が済むんだこいつらは。まあ、ダメ
なヤツはどんどんダメになってくれればいいのかもしれないけど、自分のケツをたたいて歯
を食いしばって真面目にがんばってる人がそういうダメなヤツらまで養わなければならない
のは納得できない。


415 :名無しさん@3周年:2005/06/06(月) 23:20:52 ID:A+Od1YNT
ごめんなさい、ミスタイプでした。

416 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 04:32:45 ID:lgl3O3Y7

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


>>179-180 >>223-224 >>332 >>353-363 >>382


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


417 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 05:36:50 ID:lUdwYH66
「教団を立てるとしたら、本尊の仏を決めなければならないが、それは、
生身の釈迦とされる仏舎利以外あり得ない」桐山靖雄はこう言いながら、
準胝観音を本尊にしました。また教義・修行についても、「立宗時に、
ある程度の教義が樹立されていたが、それが完成し、修行法まで
できあがるのには『熟成』の期間が必要である」
とも言っています。実際、昭和53年の立宗以後、8年もたってから本尊を
「真正仏舎利」に突如として変更し、それと同時に修行を
「準胝尊・因縁解脱千座行」から「仏舎利宝珠尊・解脱宝生行」に
変更しています。
すなわち阿含宗は、立宗時に本尊・教義・修行がまともに決まって
いなかったという、実に珍妙な教団なのです。


418 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:25:23 ID:n5heTPm6
阿含宗と桐山氏について―第十一章―【ザ】の皆さん専用です―から転載

[43]○○屋 05/06/06 17:45 D-Oab/h
名無しのあふぉは影で堂々と人を陥れるストーカーだから、2ちゃんには今はほとんどいきませんが、どうせそんなこったろーと思っていました。
社長にここから締め出されて、行くとこなくて古巣の2ちゃんで大量ストーカーカキコしてるんでしょう。まーこちらはいいですけどね。構わなきゃいいんだから。

[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
久しぶりに2ch行ってみたけど・・・オイラ大活躍してたのね・・・

名無しのヒステリーカキコで有名人にナリソな予感

では、ここで名無しの個人情報を開示しましょう


@男に相手にされない女か?
   カキコの文体が女のヒステリー粘着ストーカーの典型?

A宗教オタク
   阿含宗スレにカキコしていますが内容からかなりの宗教オタク

B社会的地位
   多分中小企業の課長の手前くらいのお局さま。上司が忙しくても
   涼しい顔でコーヒー飲んでられる図々しさが文章に表れているか
   も。

どうです?当たってますか?名無しさん

419 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:29:47 ID:n5heTPm6
>>418 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:25:23 ID:n5heTPm6
>[43]○○屋 05/06/06 17:45 D-Oab/h
>名無しのあふぉは影で堂々と人を陥れるストーカーだから、2ちゃんには今はほとんどいきませんが、どうせそんなこったろーと思っていました。

影で陥れる?
転載できないようにしたのは擁護側の社長さんです。
社長さんが禁止しなかったら、「桐山はただの老人」さんが転載してくれていたでしょう。
見えにくいように風通しを悪くしたのは私ではなく、あなたのお仲間です。
私がしばしばザのスレから転載して批判していることはあなたも知っているはずだ。
内容について反論してみればいいではないか。
引用され批判されたことに腹を立てて罵声を浴びせているだけで、
内容についての反論が何もありません。
指摘が当たっているから、ストーカーだと吠える以外何もできないのですよね。
でも、あなたのこういう行為も私にはとてもありがたい。

420 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:32:35 ID:n5heTPm6
>[43]○○屋 05/06/06 17:45 D-Oab/h
>社長にここから締め出されて、行くとこなくて古巣の2ちゃんで大量ストーカーカキコしてるんでしょう。まーこちらはいいですけどね。構わなきゃいいんだから。

社長さんに閉め出されるも何も、私はザに行った事はありません。
私の文章が10章に転載されて、信者側が11章に避難したように、
私がいくと、皆さん逃げてしまうので遠慮しているつもりです。
私がザに行くことで、皆さんがどこかにいなくなるよりはいい。
目的は皆さんを追い払うことではなく、阿含宗批判です。
桐山さんと違い、私は卵を生むニワトリを殺して食うようなことはしません。
できるだけ読んでいますし、当分、ザに行くつもりはありませんから、安心して書いてください。
批判ネタを提供してくれる星祭さんやoo屋さんはとてもありがたい。
読んでいる信者さんたちは、実行委員長さんを信者代表とはみない。
しかし、星祭さんやoo屋さんたちは行歴も長く、信仰心も篤く、信者代表の風格があります。
現実を見よ、と他の信者にお説教しながら、上意討ちはあったと「思う」という星祭さんとか、
だれがどう見てもただの老人にしかみえない桐山さんから超能力を開発してもらい、
輪廻から解脱できると信じているoo屋さんなど、堂々たるものです。

421 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:36:26 ID:n5heTPm6
>[43]○○屋 05/06/06 17:45 D-Oab/h
>名無しのあふぉは影で堂々と人を陥れるストーカーだから、2ちゃんには今はほとんどいきませんが、どうせそんなこったろーと思っていました。

私がoo屋さん個人の批判をしたと誤解しているようですね。
星祭さんもあなたも個人ではなく「阿含宗先達」なのです。
おそらくは面識もないあなた方個人に、私は何の興味も関心もない。
これだけの事実を示されても桐山さんを信じ続けられる人を見せてもらい、
珍しい動物でも見るような好奇心は覚えますが、それ以上のものではありません。
私の批判対象は桐山さんと阿含宗です。
読んでほしいのはoo屋さんや星祭さんではなく、聞く耳を持っている「十人に一人の信者」です。
一方的に話をするのは難しいから、相手が必要です。
桐山さん本人が出てきてくれればいいが、ワープロすら打てなかった人ですから、
パソコンは無理でしょうし、代わりにたたいてもらったとしても、
議論のできない人ですから、数回も議論すればヒステリーをおこして終わりです。
こういう点、粘着質ではないというoo屋さんなど、何を書かれても、
桐山さんの擁護をやめない信者は私の「ド突き漫才」の相方にぴったりです。
事実を示されて正面から向き合うような人では長続きしないし、
ド突かれて痛がるようでは、私も元信者ですから、手加減してしまう。
できるだけ鈍感で、何を言われても炎天下の墓石に水をかけたように、
三分もすれば乾いて元に戻ってしまうような、ゾンビタイプの信者が望ましい。
今後もよろしくお願いします。

422 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:41:04 ID:n5heTPm6
>[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
>阿含宗スレにカキコしていますが内容からかなりの宗教オタク

私程度の知識で宗教オタクと呼ばれるのは恥ずかしいですね。
ここに書いているのは阿含宗と、市販の仏教書を読んで学んだ程度です。
阿含宗を批判するのには仏教の入門書程度で十分です。
あなたも仏教の解脱とはカルマを切ることだとまだ信じているのですよね。
桐山さんと同じでほんの初歩の所を間違えている。
阿含経はろくに読んでいないし、学者の本も、
桐山ゲイカから見れば話にならないとバカにして読まない信者が多い。
だから、仏教の基本的な知識すらない。
それでいて、自分たちくらい釈尊の説いた仏教を理解し、
体得した者はいないと自惚れて、さらには仏陀の智慧を獲得するのだという。
知識がないことは大した問題ではないが、知識もないのに
自分たちは知っていると自惚れるのは、敵も知らず、己も知らないことです。
自分の無知に自覚のない傲慢たちと議論するのに専門的知識など必要なく、私のようなド素人で十分です。
あなたが考えている以上に、阿含宗など仏教の知識においてすら低い。
桐山さんがそうだからです。
だから、阿含宗を批判するのには、「外道」の一言で済んでしまう。

423 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:47:19 ID:n5heTPm6
>[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
>阿含宗スレにカキコしていますが内容からかなりの宗教オタク

星祭さんすらも阿含宗の教学がいい加減なことにいつも驚かされる。
おそらくoo屋さんも三十年かそれに近い行歴ですよね。
桐山さんは情報のアンテナを常にはっていることが重要だと説いた。
これ自体は正しいことであり、私はゲイカの指導に従い、阿含宗と桐山さんにアンテナをはった。
私とまったく逆のことをしたのが、星祭さんです。
彼は情報の中で、信仰を続けるのに都合の悪いものは屁理屈をつけて、唾棄した。
現実に今でもザのスレでそれを続けている。
これでは正しい情報すらも捨ててしまうから、長年こういう選択をした結果が「情報田舎者」です。
三十年もいれば、お二人にもいろいろな情報がもたらされていた。
ところが、あなた方は「桐山ゲイカはいつも正しく、超能力者」という結論が先にあり、
これに合わない情報をすべて捨ててしまう。
星祭さんは自分では現実を良く見て判断していると自惚れている。
自分の無知に自覚がなく、自分を疑わないのは情報田舎者の典型的な症状です。
私はあなた方と違い、桐山ゲイカの指導に従い、オバチャンの噂話でも、
批判本でもまず受け入れ、時間をかけて事の是非を検討したのです。
桐山ゲイカの御指導に従ったことが、あなたには宗教オタクに見えるのですね。
ゲイカの指導に従わないようでは超能力は獲得できませんよ。

424 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 12:54:37 ID:n5heTPm6
>[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
>カキコの文体が女のヒステリー粘着ストーカーの典型?

こういう文章に、あなたの信仰の正体が露呈してしまう。
あなたは私が男性であると知っているから、わざと女性を使って罵った。
あなたの中に女性差別、蔑視の心があるからです。
解脱を求める者として、長年信仰をして、まだこんな差別心を克服どころか、
自分の心にあることすら気が付かないとは情けない。
あなただけを責めるつもりはありません。
あなたの女性差別は阿含宗で強められたもので、汚染源は桐山さん本人です。
大正生まれの男性で、若い頃受けた教育で、差別が身に付いてしまった。
桐山さんもあなたと同じで、自分の中に差別心があることすら自覚できない。
「後家の因縁」など平然と言ったり、書いたりする。
差別的だと周囲から助言されても、時代の流れが理解できず、
かえって、おもしろがって話していた。
「夫の運気を剋する因縁」は座右宝鑑はじめ、様々な因縁の一覧表には出てくるが、
「妻の運気を剋する因縁」は話に出てくる程度です。
今回の本にも桐山さんが女性をどういう目で見ているか、はっきり出ていましたね。
自分の差別心にすら自覚のないoo屋さんは気が付かなかったでしょう。

425 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/07(火) 13:01:13 ID:0E9Rj/7l
なお服部社長が転載を禁じる避難スレを立てたのは第十一章であって、第十章では
転載可能という道はまだ残しているのです。
しかし第十章でもその後「桐山はただの老人」さんはその後転載を控えてます。
それぞれの思惑があって私には正確なことはわかりませんが、老人さんも空気を読んで
転載を遠慮しているのかもしれませんし、服部社長でさえも転載の全面禁止なんてことは
しない配慮を残しているのです。
○○屋さんはそういう人の配慮も見えないで、両者を辱めているのですよ。
ちゃんと読んでるかー?

426 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 13:05:30 ID:n5heTPm6
>[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
>カキコの文体が女のヒステリー粘着ストーカーの典型?

「・・容色衰えたみすぼらしい女性としか形容しようがなかったこのOLが、
いつしか見違えるような美女となり、青年実業家に見初められて玉の輿に乗り・・」
(『守護神を持て』97頁)

前スレの413で少しふれました。
桐山さんのこの文章の中に、桐山さんが女性をどういう視点、
価値観から見ているか、ズバリ現れている。
「容色衰えたみすぼらしい」「見違えるような美女」
桐山さんが「守護霊玉の輿女性」について書いているのは外見だけです。
桐山さんが女性をどう見ているか、この文章にそのまま表れている。
この聖者様は女性を美醜だけで判断しているのです。
指摘などされなくても、女性の何割かは気が付いたでしょう。
なぜなら、美醜で男の態度が変わることは女性の大半が経験している。
男性も、霊的な話ではなく、オトコとしてこの文章を読んでみるといい。
なんだ、オレと同じじゃないか、と思うはずです。
桐山さんの視点は俗人の男性となあんにも変わりない。

427 :名無しさん@3周年:2005/06/07(火) 13:12:14 ID:n5heTPm6
>[44]○○屋 05/06/06 20:23 WsyqPwANi8
>カキコの文体が女のヒステリー粘着ストーカーの典型?

「・・容色衰えたみすぼらしい女性としか形容しようがなかったこのOLが、
いつしか見違えるような美女となり、青年実業家に見初められて玉の輿に乗り・・」
(『守護神を持て』97頁)

桐山さんがきれいな女性が好きなのは有名でした。
しかし、桐山さんはどこかの会社の社長ではなく、煩悩を切った聖者様です。
信者さんたちには文章に表れた現実の桐山さんを見てほしい。
女性を容姿で判断するという煩悩をもった普通の男性です。
オトコとしての視線や女性への差別心に自覚がないから、
表現も露骨で「容色衰えたみすぼらしい」「見違えるような美女」と美醜だけです。
これでは守護霊はエステや美容整形と同じです。
せめて「表情に乏しく、化粧気もなく、服装も地味で・・」とか、
「にこやかで健康的で溌剌として内側から光るような美しさ・・」とでも表現するならともかく、
みすぼらしい、美女、などと即物的な容姿の話ばかりです。
つまり、桐山さんには女性の容姿しか印象に残らなかった。
普通のオトコの目線、ただのエロジジイじゃないか。
桐山さんの知性では、こんなことを書けば、
自分のオトコとしての視線がばれてしまうという抑制すら働かなくなっている。
男性は桐山さんと同じ視線だから、さして違和感はないだろうが、
女性の信者さんたちに桐山さんのこの視線に着目してほしい。
これが仏陀の智慧を獲得して、煩悩を断ちきった有余依涅槃の聖者様の心なのですか。

428 :自分はユビキタスファンですが :2005/06/07(火) 14:11:26 ID:ich/PFUK
うみたこ竜王は別の人ですか?

429 :ウミタコ竜王 ◆PYjGRf6fDs :2005/06/07(火) 17:33:20 ID:0E9Rj/7l
>>428
こんにちは。ウミタコ竜王です。
28スレ以来2年半ぶりの登場なんですが、気のせいか、その後毎日のように別ネーム
(コテハン)で書いているような気がします。
ウミタコは擁護側、今のハンドルは批判側っすね。
これでもだいぶ成長したように思いますが、当時はよー痴信者と間違われましたよ。
それしかない内容だったもので。

430 :ア−ア−台風が :2005/06/07(火) 18:48:28 ID:EixHNqey
↑87ヘ−、微妙だな。

431 :樹意 :2005/06/07(火) 19:03:46 ID:XHO3CpuX
奈々氏は議論において強烈ですから、確かに服部社長とかは嫌がるかもしれませんね。
服部社長とも議論しましたが、理屈ではなく情の方といえます。
ただし、これは霊感商法に対する批判ですので、 社会性のあることです。

霊感商法のような反社会的なことに対しては、〈ほのぼのだとか〉どのような名目を
つけても、霊感商法という社会悪には違いがなく、詐欺行為であることになんら変わり
ありません。
その危険性を指摘する行為は 社会的なことです、やましくないのであれば堂々と
反論するべきです。
奈々氏のいう通り 読めば理解する方のために議論はあります。





432 :自分はユビキタスファンですが :2005/06/07(火) 21:42:16 ID:ich/PFUK
03/1から別人のごとくサエてましたね。
それ以前はイカ大王と同レベルと見えました。しかしそれでもよく見るとイカ大王と違って、アゴン宗がバラモン教の一派だと知ってたようなカキコは「せんだんは双葉よりかんばし」ですね

433 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 12:38:13 ID:pChB60If
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7

>>394岡目さん、確かにあなたは馬鹿です。イチコロで名無しさんにゴロニャンしちゃう? あなた変態ですか?
明らかに四十がらみの男が定職にもつかずに繭のような部屋に閉じこもって紡ぎだす怨嗟に満ちた
言 葉の数々が愛情に満ちていると言われるか? 
私には単なる負け犬の遠吠え、いや、世間中を敵に回してもおのれの狭い了見を押しつけ、郵便ポストが赤いのも
電信柱が高いのも全て桐山靖雄のせいにして自分の甲斐性の無さをほんの一時でも忘れようとしているだけの、このうえなく憐れな廃人予備軍の世迷い言にしか 聞こえない。
名無しさんがやっていることは洗脳を解くことではなく、自分の主義主張が絶対だと洗脳をかけているのだ。おわかりにならないか?
せめて2ちゃんねるのコピペだけはもうおやめなさい。あなたじゃないのかもしれないが。

434 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 12:41:57 ID:pChB60If
>>433 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 12:38:13 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7

どんなハンドルを使うのも自由だが、前に信者さんの一人は「栗と・・」と名乗り、
あなたはこういうハンドルを使う。
桐山さんはとても上品ぶりたがる人です。
よく言えばオシャレ、とてもカッコマンで、鏡を見て卑しさが出ていないか気をつけるという。
信者がよそで勝手な議論をして負けることを嫌い、
宗務局の許可なしには議論するなと禁止命令まで出したのは、
負けて恥をかくことが、自分の大事な阿含宗の名折れになるからです。
これほど見栄っ張りで、格好を重視する桐山さんの信者が
自分からなぜ品性を損なうようなハンドルを使うのか。
批判側は苦笑いするだけだが、信者の多くは顔をそむけるでしょう。
あなたがどんな正論を書いても、ハンドルに現れたあなたの品性から、
他の人は半分くらい聞く耳を持たなくなるものです。

435 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 12:53:45 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>イチコロで名無しさんにゴロニャンしちゃう? あなた変態ですか?
>明らかに四十がらみの男が定職にもつかずに繭のような部屋に閉じこもって紡ぎだす怨嗟に満ちた
>言 葉の数々が愛情に満ちていると言われるか? 

私は四十がらみだとも、定職についていないとも、部屋に閉じこもっているとも書いたことはない。
昼間書いているから定職を持たないと思ってるのだろうが、
たとえば私が水商売なら、昼間時間が空いていても不思議はないし、水商売は定職の一つです。
釈尊をネタに霊感商法で人を騙すような職業に比べれば、水商売は真っ当な職業です。
あなたは根拠のない内容を作り上げ私を罵ったのだから、
あなたの文章こそ、怨嗟に満ちた言葉、というのです。
深く尊敬する桐山さんを詐欺師、嘘つき、と批判され、
信仰する阿含宗を批判され、その指摘をなかば認めるしかないから、
なおさら、あなたは激しく私を憎むのですよね。
私の怨嗟ではなく、あなたの怨嗟です。
もっとも、怨嗟は阿含宗では珍しいことではなく、桐山さん本人が怨嗟のかたまりです。

436 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:05:20 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>明らかに四十がらみの男が定職にもつかずに繭のような部屋に閉じこもって紡ぎだす怨嗟に満ちた

桐山さんは『変身の原理』の再販本のあとがきで、
四分の一が、自分を批判した作家への罵声でした。
もう四半世紀も前の批判なのに、批判内容に反論するのではなく、作家の小説を出して罵倒した。
四半世紀たって、解脱したはずの仏陀様が恨みをまだ忘れられない。
ものすごい恨みです。
桐山さんの憎しみの強さは、大作さんへの批判でもよく見られる。
あなたは聞いたことがないのでしょうね。
内々の会合では、口を極めて大作さんを罵っていたが、
あれはもはや嫉妬というよりも、憎しみです。
桐山さんの大作罵倒はあなたの怨嗟という表現がピッタリだった。
悔しい、憎らしい、妬ましいという感情で口角泡を飛ばして、大作さんを罵倒していた。
昔、週刊誌に大作さんを初年運と自分から攻撃を仕掛けて、
その後、様々な形で反撃されたことを深く深く恨んでいる。
大作さんが攻撃して来たのではなく、桐山さんが先に手を出したのです。
デッカイ犬にチッコイ犬が吠えて、噛みつかれた。
ところが、こういう経緯などきれいに忘れて、噛みつかれた恨みだけが残り、
信者さんたちにも聞かせたいくらい、大作さんをゴミだクズだと罵っていた。
こういう桐山さんの王者の相承であなたも怨嗟の心が強くなるのです。

437 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:10:01 ID:F+IWSL52
阿含宗の本尊は「大白身如来最勝金剛仏母準胝観世音大菩薩」
「三身即一の如来」「真正仏舎利」等と移り変わってきました。
しかし教団の依経である『阿含経』には、これらを本尊にしろなどとは
書かれていませんし、これらの本尊には法義上の一貫性がまるでありません。
靖雄は、「やたらに本尊や教義を変えるものではない」という質問に対して、
「彼らは『なぜそうしたか』という理由など全然、知ろうとせず、ただ、
本尊や教義は変えるものではないと、一方的に攻撃するのである」
などと答えておきながら、その後、その「理由」なるものについて
一切説明していません。実際に単なる思いつきで変更してきたのですから、
理由などあるはずもなく、開き直るしかないというのが正直なところ
でしょう。


438 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:16:51 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>私には単なる負け犬の遠吠え、いや、世間中を敵に回してもおのれの狭い了見を押しつけ、

私の書き込みのどこが世間を敵に回しているのだろうか。
阿含宗を敵に回しているのは事実だが、世間は阿含宗の味方ではありませんよ。
あなたは阿含宗が世間から認知されているかのような錯覚を持っているのではありませんか。
阿含宗が金を出さなかったら、どこの「世間」でも通用しない。
桐山さんがもらった肩書きは全部金で買ったものだし、
モンゴル、インド、パリ、ニューヨークの焚き火はすべて金を阿含宗が払ってさせてもらったものです。
世間に阿含宗が通用しているのは、まさに金の力です。
まさか招聘なんて言葉を本気にしているんじゃないでしょうね。
金を出さなければ、世間は桐山さんや阿含宗など誰も相手にしない。
桐山さんを世間で通用させるためにあなたがすべきことは
金を出してあげることで、桐山さんの一番の望みであり、一番喜ぶ。
守護神はもうもらいましたか。
まだなら、スレで油を売っていないで、定職だけでなく、
バイトでもして、もっと桐山さんに貢ぎなさい。

439 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:25:00 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも全て桐山靖雄のせいにして自分の甲斐性の無さをほんの一時でも忘れようとしているだけの、

桐山さんの心をよく理解していますね。
自分の運が悪いのは悪因縁とこれを作り出した先祖の霊障であり、
世の中が暗いのも霊障によるカルマだとあなたは信じている。
あなたの表現を借りるなら、郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも全て霊障や因縁のせいにしている。
全部、先祖や悪因縁のせいにして、自分の責任をほんの一時でも忘れようとしているのはアナタです。
桐山さんは宗教詐欺で一族に宗教貴族の生活をさせたのだから、甲斐性はあります。
だが、彼が一番なりたかった小説家としての甲斐性はありません。
他の小説家よりも秀でた優れた能力などなかっただけなのに、
これを一時も忘れようと、芥川賞を取れなかったことを因縁や霊障のせいにしている。
桐山さんは農協組合長の印鑑などを偽造して、二度も逮捕されても懲りずに、
偽ビールを造り、一年間服役した。
彼がなした犯罪であり、三度の逮捕と一度の服役は「彼のなした詐欺」が原因です。
原因と結果このように明瞭であるにもかかわらず、
桐山さんはこれを先祖の作った霊障と悪因縁のせいにして、
自分のなしたことを一時でも忘れようと半世紀に渡り、インチキ霊障を説き続けた。
桐山さんは霊障の武士と悪因縁を作り上げ、これを仏が桐山さんに課した十界修行であると、
仏まで引きずりだして、自分の詐欺を一時も見ないで済むようにした。

440 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:30:19 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>このうえなく憐れな廃人予備軍の世迷い言にしか 聞こえない。
>名無しさんがやっていることは洗脳を解くことではなく、自分の主義主張が絶対だと洗脳をかけているのだ。おわかりにならないか?

私が洗脳を解く?
定職がなく、引き籠もりで、廃人予備軍の私が洗脳を解く技術がある?
罵りたいなら、誉め言葉にならないように、もっと一貫して罵ってはどうか。
私は洗脳を解くなどと書いたことはないし、興味もないし、
専門的な知識も技法も持っていないから、試みたこともない。
カルト宗教で釈尊の名前を使って霊感商法の片棒を担ぎ、
「真正外道」の阿含宗を信じていたければ信じていればいい。
日本は信仰の自由を憲法で保障しています。
信者さんたちが自己洗脳していると指摘しているだけです。
阿含宗の教法など全部インチキだということを、
事実とそこから出てくる推測で主張しているだけです。
これだけの事実を示され、桐山さんの嘘のてんこ盛り、
阿含宗のインチキぶりを示されて、それでもあなたは信じたい。
そんな頑なな煩悩をお持ちのあなた様の洗脳を解くなんて、
定職すら持たず、引き籠もりで、廃人予備軍だという私にできるはずがないでしょう。
私が語りかけている信者さんたちの中に、最初からあなたなど入っていない。
事実を受け入れ、現実に目を向け、自分の脳を再起動できる信者は十人に一人は必ずいます。
私は彼らのために、あなたや星祭さん、oo屋さんなど、
頑迷強固な・・いや、信心深い人たちにおいで願って、
2ちゃんねるという舞台で桐山さんと阿含宗の実態を示しているだけです。

441 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:33:03 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも全て桐山靖雄のせいにして自分の甲斐性の無さをほんの一時でも忘れようとしているだけの、

「阿含宗という宗教64」から部分引用
>280 :名無しさん@3周年 :04/05/10 08:20
>名無しさんに言わせると、オウムから法の華から全て桐山管長猊下が悪いことになるんですね。
>郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、ぜんぶ阿含宗のせいだ!
>たとえば名無しさんが現在不幸な人生を送っているとします。それは結局、以前信仰していた
>阿含宗のせいだ、と言うのでしょうか?
>あなたの考えが全てこじつけだとは申しませんし、耳を傾けるべき点もあるのでしょうが、これだけは

一年ほど前に書かれた上記の280の文章と表現や論旨が似ていますね。
たぶん、同じ方なのでしょう。
一年前の私は、不幸な生活を送っているなら、という仮定だったのが、
今年は、定職も持たず引き籠もりの廃人予備軍に決定されている。
「耳を傾けるべき点もある」と昨年は認めていたのに、今年は、
「怨嗟に満ちた言葉」「負け犬の遠吠え」「狭い了見」「洗脳をかけている」と
私の意見を全面的に否定する態度に出ている。
おそらくこの一年の間にあなたの人生になにかあり、
阿含宗で解決できないものだから、もっとしがみつくようになり、
その反動で、私に八つ当たりをしているのでしょう。

442 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 13:37:27 ID:pChB60If
>[395]バルトリン氏腺 05/06/07 22:53 5wyrNmJqv7
>せめて2ちゃんねるのコピペだけはもうおやめなさい。

こういう信者さんからの書き込みは私に勇気を与えてくれる。
桐山さんを信じたいあなたにとって私の文章は「毒」なのですね。
よかった!
宗教詐欺師、霊感商法をするカルト宗教から「毒」だと認定されるということは、
私は世間的には正常だということです。
阿含宗を信じていない人たちにとって、私の文章は毒にも薬にもならない。
関係のない宗教の批判なんて、世間の皆々様にはどうでもいいことで、
「こんなインチキ宗教を信じるなんて、信者も元信者もアホやなあ」と思うだけです。
しかし、私の文章はあなたの信仰を強くゆさぶっているのだ。
それが不愉快極まりないのですね?
そうか、あなたのように深く深く桐山さんに染まっている人にすら、影響しているのだ。
望外の効果です。
あなたのこの一文は私に書く気力を与えてくれました。
ありがとう。

443 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:42:20 ID:djy+dRIi
ユビキタスなんかは致死性の毒物として貴重な存在だ。
イエスや釈迦が解脱する時に悪魔なんかが出てきて
それらしいことを言ってそそのかすけれど
それに惑わされるかどうかが、解脱できるかどうかの試練のひとつ。
つまり神仏に心構えを試されているということだ。
信念の試験と過去の反省だね。
だからそれを端で見ていたヌマエビのように
自分で自分の過ちに気づいて阿含宗に復帰することもあるしね。
悟りって難しいよ。

444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
猊下は仏様の指示で信者たちにいろんな試練を与えている。
これは禅宗の老師たちが弟子を意味なく打ち据えるのと同じ事。
だからといって老師たちが暴力の虜というわけではない。
チベット密教でもナロパはじめグル達が弟子たちにかなり酷いことやってるけど
そして目的が正しければすべて許されている。
だから仏教には、対機説法とか方便という言葉があるんだ。
阿含宗が常に清廉潔白だったら魅力なんか全然ない。
なぜなら方便で弟子を惑わさないから。
文字通り迷いを越えた先に解脱があるんだよ。
馬鹿達は阿含宗の本尊が変わった事を誹謗するけど
わざわざ変わった事でそこに注意を喚起しているんだよ。
始めから最後まで変わんなけりゃみんな特に意識しないだろ。
猊下はすべて方便として計算ずくなんだよ。
だから昔から行間を読めというヒントを与えているわけさ。
情報過多の異常な社会ではインパクトのあるアクションが必要なんだよ。
だからあえて故意に批判されるような隙を作るわけさ。
それに気づかないのはただの馬鹿ということ。

445 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 21:11:21 ID:djy+dRIi
伝法の正当性に拘るのは形骸化した伝法などに意味がないことを示す為。
お金に拘るのは人生の利益追求の空しさに気づかせる為。
あえて無理して病気になるのは健康の大切さとグルの大切さに気づかせる為。
因縁解脱したのに逮捕されたりするのは弟子たちの慢心を諌めるため。
弟子にひどい事言って怒鳴るのは解脱者が雲上人にならないように無理して降りてくる為。
つまりグルは弟子たちを真理に導く為にいろいろな苦労しているということだ。
その師の至上の愛をわからない馬鹿にはそもそも悟る資格などない。

446 :こうもり :2005/06/08(水) 21:42:01 ID:nq97FmEx
>だからそれを端で見ていたヌマエビのように自分で自分の過ちに気づいて阿含宗に復帰することもあるしね。
ほんとか?
>これは禅宗の老師たちが弟子を意味なく打ち据えるのと同じ事。
ほんとか?

447 :金剛靖雄:2005/06/08(水) 22:08:24 ID:tuTemGno
阿含宗の大部分のひとはまじめでいい人たちと
お思います
だが傷つくことをおそれていてはダメです
ゲーカをみて聖者とおもえないでしょ

448 :樹意 :2005/06/09(木) 00:51:47 ID:SSgu41/L
まじめでいい人達を嘘で縛るのは よろしくありません。


449 :ア−ア−台風が :2005/06/09(木) 05:37:14 ID:l5U7mwtR
郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも・日本がサッカ−で勝ったのも全て私のせいです。お許し下さい。
あなたの馬券が当たるのも、宝クジが当たるのも、私のせい?悪意はありません。

450 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 05:47:35 ID:uz9thMBT
昔ゲーカの赤いポルシェ盗難にあったときにオロオロして警察に駆け込んだのは有名な話
これで行方不明者とかさがせんのかね

451 :金剛靖雄:2005/06/09(木) 10:33:40 ID:L01hVQ1e
ゲーカは端正な顔立ちで男前であるが
横から顔をみてごらん
自己本位な本性がみてとれるよ
9.25

452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl
知人に貸してくれと言われた本を探していたら、古い月刊アーガマが出てきた。そしたら何と、仏陀が過去の業を切ってくれるというお話しが出てました。月刊アーガマ、1984年6月号です。
長阿含経の「沙門果経」で、訳者は丘山新(おかやまはじめ)先生です。
阿闍世王のお話しですから、今回は阿闍世大王の使いということですね。
マカツ国のビンシャ王という人は、阿闍世王の父でありましたが、阿闍世王はその父を殺害してしまうのです。
その後、阿闍世王は仏陀の説法を聞いて懺悔し、帰依してウパソクになります。仏陀は、「阿闍世王の父殺害の罪過は軽減された」と告げます。
人によって文の解釈も違いましょうから、次に「訳文」をそのまま掲載しましょう。仏に帰依して懺悔するだけで、罪過が軽減されるお話しです。
[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「沙門果経」の抜粋です。長いので、会話の要点のみ、そのまま掲載です。
阿闍世王は仏に申し上げます。
「・・・どうぞ、世尊よ、御慈悲を垂れ、私が懺悔することを認めて下さいますように」
仏は王におっしゃられた。
「あなたは愚昧で無知であったが、しかし自分から懺悔しました。あなたは五欲に迷ったからこそ父たる王を殺害してしまったのです。
ところが今、聖人の教えのも とで懺悔することができるならば、そのままみずからに利益となるのです。
私はあなたを憐れむからこそ、あなたが懺悔することを認めましょう。」・・中 略・・彼が去ってまもなく、
仏は比丘たちにおっしゃられた。
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。
もし阿闍世王が父を殺していなかったならば、すぐにもこの会座において、清らかな真理を見る眼を得ていたことであろう。
しかし、阿闍世王も今はみずから懺悔し、罪過も軽減され、もう重い咎もなくなった」
・・・と、いうお話しです。
私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。

453 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:39:28 ID:SNi1fRs9
>>452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl
>そしたら何と、仏陀が過去の業を切ってくれるというお話しが出てました。月刊アーガマ、1984年6月号です。

この雑誌を持っているということは、使者さんは二十年をこえる信者さんなのですね。
こんなマイナーな雑誌の二十年前の号では信者さんすら手に入らないでしょう。
丘山教授が訳した同じものが次の本に掲載されています。
『現代語訳阿含経典 長阿含経 第5巻』平河出版社、173頁
国訳では、
『國訳一切経 阿含部 七』大東出版社、340(366)頁
パーリ経典では、
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社、57頁
経典の内容はいくつかポイントがありますが、
使者さんが主張したい部分の話は大筋そのようなものです。

454 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:43:09 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
>私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。

コネ回すとは私への皮肉のつもりだろうが、この経典をどのようにコネ回せば、
「過去の業報を切る」という文字や解釈が出てくるのですか。
あなたが引用した部分のどこにも「悪業の軽減」など文字としてない。
引用部分だけでなく「沙門果経」では修行することの果報が説かれており、
またパーリ経典のほうでは修行でどのような結果が得られるかも説かれているが、
釈尊が過去の業報を切る力、軽減する力があるとか、
あるいは業報を切った、軽減したなどただの一言も出てこない。
存在しない文字をあなたはどうやって読んだのだ。
経典に存在もしない文言を持ち出してくることこそ、「コネ回す」というのです。

455 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:47:37 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。」

経典にあるのは「悪業の軽減」「罪業の軽減」ではなく「罪過の軽減」です。
釈尊は業は業という言葉を使っており、業と罪過とは別な言葉です。
罪過とはツミとアヤマチという意味で、業という意味はありません。
「罪過の軽減」とは、阿闍世王が自らの罪を認め、懺悔して、反省した、という意味です。
自分の父親を殺すという犯罪の過ち認め、これを反省して、二度としませんと誓ったということです。
王がしたのは懺悔です。
懺悔と悪業を切ることの違いくらい理解できませんか。
王は懺悔すらもしていなかった。
その王が懺悔し、わびる心を持ったから、罪過は軽減されたのです。
こんなことは社会常識からしても当たり前です。
サリンで人殺しをして、深く反省する者と、開き直り、いっさい反省しない者では罪過の重さは違う。
王が懺悔すらしなかったのは、父王殺しを悪いことだと思っていなかったからです。
これを釈尊は彼に反省させた。
過去の過ちを認め、反省したということは、
自分の煩悩を認めたことであり、今後の同じ過ちを防ぐことができる。
懺悔しなければ、王はまた似たようなことをして悪業を積んだでしょう。
これを仏教的にも罪過が軽減された、重い咎がなくなったと表現しているのです。
しかし、王が懺悔したからといって、父王殺しの悪業や業報は消えるはずはない。
実際、釈尊はそんなことは一言も言っていない。

456 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:57:42 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
「この阿闍世王は、罪過は軽減され、もう重い咎もなくなった。」

王は最初から釈尊に懺悔に来たのではありません。
王は六師外道たちに、修行でどんな現実的な効果があるのか、と質問したが、要領を得なかった。
ところで、おシャカさん、あんたはどうですか、と質問した。
身の程知らずの傲慢な態度です。
父王を殺したことなど反省のカケラもなかったのです。
二度とこのようなことをしないとバカ王に懺悔させなければ、
また悪業を作り、業報となって償うことになる。
釈尊は王への説法ではただの一言も、彼が父王を殺したことには触れていません。
出家の果報という質問されたテーマに沿って法を説いて、
父王を殺したことの大悪業を悟らせた。
だから、王は釈尊が説明が終わった後、唐突に父王を殺したことを懺悔して、釈尊に帰依した。
反省のカケラもなかった男に、その事を直接批判せずに、自ら反省させ懺悔させたのです。
こういうすごい経典を読んでも、使者さんにはただの業報の軽減にしか読めないのですね。
パーリ経典のほうが、長いが、こういう点は少し詳しい。
使者さんが引用した部分のパーリ経典を引用してみます。

457 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:59:04 ID:SNi1fRs9
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社、108頁

「しかし、大王よ。あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、
わたしたちはあなたを[そのまま]受け入れましょう。なぜならば、大王よ、
罪を罪として認め、法に従って懺悔し、将来において自己制御をするということ、
それこそが、聖者[ブッダ]の戒律の繁栄というものであるからです。」

「修行僧たちよ、かの王は[悪い自己が]掘り起こされ、修行僧たちよ、かの王は[悪い自己が]破壊された。
修行僧たちよ、もしかの王が正当な正義の国王であった父君を殺さなかったならば、
まさにこの座において、塵のない汚れのない法眼[真理を見る眼]が生まれたにちがいない」

458 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:05:20 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl
>私には、お話しをコネ回す知性がありませんので、仏陀には過去の業報を切る力があるんだ(この場合は軽減ですが)と、解釈しました。

漢訳にも>>457の南伝にも、どこを読んでも「業報の消滅」「業報の軽減」など
文字としてもないし、意味としても読みとれない。
王は「罪を罪として認め、法に従って懺悔」したから、
釈尊は在家信者として帰依を認めた、それだけの話しです。
過去の悪業を悪業としてすらも認めない人の帰依など認められるはずはない。
己の煩悩から出た悪業を反省して、今後、煩悩を切り、軽減し、
悪業を作らないようにします、というのが帰依です。
だから、王はこれから将来は「自己制御をする」しなければならない。
父親殺しは強い煩悩から出ているし、当時の王とは人を殺すのが職業のようなものだから、
これを制御するというのは彼には容易ではない。
これのどこをどう読めば「業報の軽減」が出てくるのか。

459 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:08:39 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

「修行僧たちよ、もしかの王が正当な正義の国王であった父君を殺さなかったならば、
まさにこの座において、塵のない汚れのない法眼[真理を見る眼]が生まれたにちがいない」

>>457の最後の一文は、使者さんの「業報軽減説」を真っ向から釈尊は否定している。
釈尊は「父君を殺さなかったなら」と言っている。
悪業をなしたために、彼は法眼を得ることができなかったと言っているのです。
釈尊に王の悪業を軽減させ、消滅させる力があるのなら、この発言はおかしい。
「ワシに帰依した見返りに、悪業をちょっとだけ消滅させてやったから、
法眼を開いた。いっぱい供養すれば、全部切ってやらんでもないぞ」
などとは釈尊は言っていません。
父王を殺した悪業はそのままだから、法眼を得ることができなかったのです。

460 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:11:18 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

引用された経典で釈尊が述べていることは、懺悔から始まるという点です。
王のように、過去の悪業をあるがままに認め、反省して、
以後、このようなことをしませんと誓うことです。
ところで、桐山さんはどうだろうか?
偽ビールを造り、自分かなしたことだとあるがままに認め、反省しただろうか。
では、桐山さんの懺悔と反省の弁を拝聴しましょう。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』
「血の涙を流して苦しみました」(29頁)
「何度か自殺をはかったことがある。」(39頁)
「あるのは涙と、絶望、いっそう死んでしまおう、それしかないんです。」(39頁)
「もう身の置きどころもない恥ずかしさ。苦しさ。絶望。」(40頁)
「一度、二度、自殺をはかりましたが・・」(41頁)

461 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:12:01 ID:nJMq+Aug
靖雄は「真正仏舎利」について、「これこそが真実の仏であり、
仏教徒の総本尊である」などと言い放っております。
しかしこの真正仏舎利、実はたまたま入手できたに過ぎないのです。
その経緯については靖雄自身が、「日本の某教団が舎利を受けることに
なり、その分骨式をスリランカの国家的行事として行ったが、
相手の不都合により贈与が中止となった。しかし国家的に分骨式を
行った手前、これまで仏舎利を持っていた寺院に戻すことはできず、
急きょ、阿含宗に贈与されることになった」
と言っています。
その「たまたま手に入った仏舎利」を、即座に教団の本尊にしてしまう
デタラメさには驚ろかされます。実にいい加減な教団です。


462 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:16:21 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

血の涙!自殺!絶望!
おお、なんと桐山さんは深く懺悔している・・・え?
でも、これって、ただ苦しんだというだけで、
仏教としてはまっさきにするべき、自分がなした悪業をあるがままに認め、
これを生み出した煩悩への反省は一言もありません。
信者さんたちは桐山さんのこの文章に、お得意のすり替えがあることに気が付いたでしょうか。
まるで桐山さんは被害者であるかのような書き方をしている点です。
自分がなした犯罪で苦しむなんて、当たり前です。
他人が彼を苦しめたのではなく、彼は被害者ではなく加害者です。
桐山さんは当時30歳前後だったのだから、
桐山さんほど頭が良くなくても分別がつく年齢だったはずです。
こういう桐山さんが自分からなした犯罪で苦しむなんて当たり前です。
サリン事件の犯人たちが「血の涙!自殺!絶望!」と書いたら、
信者さんたちは彼らに同情しますか。
身から出た錆なのだから、加害者が苦しむのが当たり前であり、
同情すべきは彼らではなく被害者のほうです。
桐山さんは加害者なのに、自分の犯罪への反省には一言もなく、
「血の涙!自殺!絶望!」と自分の苦しみを数頁にわたり書いているだけです。
話が犯罪そのものから、本人の苦しみに話がすり替えられている。

463 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:19:23 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>460に引用したように、桐山さんは自分の痛みに異常に敏感なのに、
自分が加害者であるという点はきれいに抜け落ちている。
自分の痛みにばかり敏感で、自己中心的で、子供っぽい。
桐山さんの「血の涙!自殺!絶望!」の文章を読んだ信者さんたちも、
いつの間にか、桐山さんが加害者であることを忘れて、
まるで被害者であるかのように錯覚して、桐山さんに同情して、
これを暴いた作家への反発心すら覚えるようになる。
桐山さんは加害者として当然受けるべき苦しみを受けただけで、ただの因果応報です。
自分の苦しみを書いているだけで、仏教の出家としては当然反省するべき悪業と
これを生み出した煩悩への反省は、ただの一言もありません。
いや、反省どころではない。
偽ビール事件とはなんだったのかという桐山さんの総括は次のようなものです。

464 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:20:14 ID:SNi1fRs9
『座右宝鑑』74頁
「その思いが、直系の長男と三女を横変死させ、傍系の孫を横変死させ、もう一人を獄中の人とする。」

『現世成仏』75頁、11頁
「だが――結局は、わたくし自身のもって生まれた刑獄の因縁のなせる業であった。」
「思えば、わたくしもまた、この娑婆世界において、地獄界のドン底からはじまる十界修行をさせられてきた。
わたくしの十界修行は、刑獄の因縁による前科を持つことからはじまった。
それは、血と涙の修行の連続であったが、
いまにして思えば、すべて、み仏のお慈悲以外の何ものでもなかった。」

465 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:25:07 ID:SNi1fRs9
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>464のどこが懺悔、反省なのですか。
偽ビールを造ってムショに入ったのは、「刑獄の因縁のなせる業」であり、
その業とは、祖父が斬った武士たちの怨念が作り出したものである、
というのだから、まったく本人の反省などありません。
横の因縁として、かろうじて前世で自分が刑罰にあうようなことをしたのだと一行くらい書く程度で、
実際、前世でどんな悪業をなしたかを桐山さんが懺悔したことは一度もない。
本で書き、法話で話すのは、全部、今世での祖父の悪業と霊障武士の怨念の話です。
しかも、上意討ちによる霊障武士はまったくの嘘です。
反省、懺悔とは、他人がしたことをあれこれ言うのではなく、
自分がしたかを反省することです。
王の懺悔では、父王を殺したという悪業と同時に、
愚昧、無知、五欲に迷ったと自分の煩悩も反省している。
しかし、桐山さんは>>464のように、自分のなした悪業であると認めたことはないし、
悪業をなした煩悩を懺悔反省したことなど一度もなく、
こうやってさらに嘘をついて人を騙し、自己弁護をくり返してきた。

466 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:30:46 ID:RBw+l2oM
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

桐山さんの犯罪内容はとてもセコイ。
桐山さんのしたことはただの詐欺、偽ビール造りです。
農協の組合長の印鑑と書類を偽造して、さらに「桐ンビール」を造った。
ばれるまでの経緯を読んでも、犯罪内容に知性が感じられない。
主犯格の男に、頭がいいという思い上がりとオダテに弱いという性格を読みとられ、
手の上で転がされ、しかも桐山さんは自分が主導権を握っていると思っていた。
またネズミ小僧のような義賊ならまだいい。
桐山さんは、ビールを飲むという庶民のささやかな楽しみの裏をかいた。
義賊どころか、底辺にいる一番弱い庶民を騙したのです。
こんなセコイ犯罪が、国を憂い、命をかけて戦った武士たちの霊障の結果?
桐山さんはほんとうに度胸のない男だと思う。
人殺しではないのだから、「若気の至りで、頭がよいつもりで、一儲けをたくらんだ」と
頭をかきながら率直に認めるなら、誰もいつまでも責めるはずはない。
偽ビール造り程度のセコイ犯罪すら、桐山さんは認める勇気がなく、
言を左右に、言い訳を並べて、口をきけない仏様や死者たちを総動員して、
インチキ霊障武士を作り上げて、彼らに責任をすべて押し付けた。
そして、加害者であることすら忘れて、自分の痛みだけを
「血の涙!自殺!絶望!」などと大袈裟に騒ぎ立てる。
なんとまあ、度胸のない、小心な男かとあきれる。

467 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:37:20 ID:RBw+l2oM
>[404]大王の使者 05/06/08 13:46 g0PI9DrfTl

>>457「あなたが罪を罪として認め、法に従って懺悔するからには、
わたしたちはあなたを[そのまま]受け入れましょう。」

信者さんたちはよくこの釈尊の言葉を読んだほうがいい。
釈尊が王を信者として受け入れたのは、王が悪業と煩悩を認めて、
反省し、今後、同じ事をしないと誓ったからです。
一方、桐山さんは自分の悪業は霊障武士が原因だと責任を逃れ、
犯罪の元となった煩悩についても一言も言及したことはない。
こんな桐山さんを釈尊は出家どころか、在家としても受け入れてくれません。
同様に、信者さんたちのように、自分がうまくいかないことや
社会の様々な問題を霊障や悪因縁のせいにしている間は
釈尊は信者としては受け付けてくれない。
いくら信者さんたちが骨に供養しても、釈尊は無視している。
信者さんたちは自分たちこそは正真正銘の仏教徒だと信じている。
だが、この経典によれば、釈尊は、悪因縁や霊障のせいにして
自分を省みることのない阿含宗徒の帰依は受け付けてくれません。

468 :金剛靖雄:2005/06/09(木) 15:29:44 ID:L01hVQ1e
守護神を持てがさっぱり売れていない


469 :金剛靖雄:2005/06/09(木) 15:38:09 ID:L01hVQ1e
◆◆最も洗脳が激しく一般市民に有害な宗教◆◆
http://www.37vote.net/politics/1116046025/


590 :名無しさん@3周年:2005/05/20(金) 09:47:26 ID:rA4/9kBP
世界最狂の宗教は?
http://www.37vote.net/politics/1116069479/

470 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 17:24:50 ID:Y++tsOTi
シモネタはパーティージョーク止まりにしとけ〜w

471 :ЯENДARO:2005/06/09(木) 20:47:04 ID:7xFCXxpW
>>468 :金剛靖雄:2005/06/09(木) 15:29:44 ID:L01hVQ1e
>守護神を持てがさっぱり売れていない

いえいえ(ユビキタス風)、「守護神を持て」、まだまだ頑張ってますよ。
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/hokkaido/05event.htm
http://www.kinokuniya.jp/04f/d03/hokkaido/01event.htm
http://www3.point.ne.jp/~toranomonshobo/bestpage.htm
http://www.daily-tohoku.co.jp/hon/hon.htm
金剛さんはどこの宗教がお好みですか?

472 :ヒカル@糞会員 :2005/06/09(木) 22:28:11 ID:jFtnc6zx
ビンビサーラ王を殺してマガダ国の王に成ったアジャセ王は、息子に殺された。
アジャセ王を殺して王に成った息子も、自分の子供に殺された。
王に成ったその子供も、また、子供に殺された。
父親殺しの「家系のインネン」は切れてないよ。


473 :ヒカル@糞会員 :2005/06/09(木) 22:53:39 ID:W29QxzWq
>>472の一部訂正。

史書が正しければ、父親殺しの「家系のインネン」は切れてないね。

474 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:11:06 ID:06cPBNXy
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
「罪過の軽減」は、実質的な業報の軽減である、と私は解釈したのです。
熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。煩悩と業(カルマ)を切ることも似ています。
「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
別に霊障武士の責任だけにしているわけではありません。
自分のヨコの因縁により、そのような先祖を持つと説いています。
最終的な責任は自分にあることを説いています。
批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

475 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:18:34 ID:06cPBNXy
>>474 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:11:06 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

>>465 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 13:25:07 ID:SNi1fRs9
>横の因縁として、かろうじて前世で自分が刑罰にあうようなことをしたのだと一行くらい書く程度で、
と、横の因縁についても私は書いていますから抜かしていません。
ユビキタスさんにご苦労をおかけしてしまいましたが、
>>465だけがザへのコピーが抜けていました。
桐山さんが霊障を受け、悪因縁を持つような自分の前世の悪業と煩悩について
書いているというなら、使者さんが示してください。
読んだことも聞いたこともない。
前世で何をすれば、偽ビールを造る因縁ができるのですか。
祖父と同じように、前世で上意討ちをしたとして、
公務で人を殺すという業を作った人が生まれ変わると、
なんでインチキビールを造ってムショに入ることになるの?
使者さんのこだわらない性格で説明してみてください。

476 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:22:18 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

上意討ちの武士の崇りが、なんで偽ビール造りになるのか?
桐山さんが横変死の因縁を持っているとか、あるいは人など殺していないのに、
冤罪でムショに入れられたとか、国のために悪徳政治家を暗殺して捕まったというなら、筋も通る。
桐山さんのしたことは偽ビール造り、詐欺ですよ。
人を殺すカルマが、どうやったら偽ビールの詐欺のカルマに「変身」するのか。
霊障から来る刑獄の因縁なんていうと、何かすごいことのようだが、
桐山さんは私文書偽造の詐欺師としてムショにはいったのです。
カルマの種類があまりにも違いすぎる。
横の因縁というなら、桐山さんの前世も詐欺師であり、
今と同じように人を騙し続けたため、
大法螺吹きの祖父を持つような家系に生まれたというほうが筋が通ります。

477 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:26:47 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

『続守護霊を持て』215頁
「・・・だいたい家系による因縁が、六、七0%、自分の因縁が三、四0%というところである。
なかには、八0%、九0%が家系の因縁というひとすら見受ける。
だから、悪因縁を切り、悪業をきよめて、明るい安定した人生を持とうと思ったら、
この家系の因縁を切ることがなによりも大切なことであることが、おわかりだろう。」

桐山さんのこの一文を見てもわかるように、
阿含宗では縦の因縁こそが重要であるといつも強調する。
家系の因縁を切ることが「なによりも大切」とはっきり書いている。
あなたがしている解脱供養、冥徳解脱は全部家系の因縁を切るためものです。
阿含宗では先祖に霊障のホトケがいると悪い因縁は切れないとされている。
柏原の墓所も先祖供養が目的です。
守護霊や守護神は先祖からの御利益です。
つまり、阿含宗の信仰のほとんどが家系に関わるものです。
横の因縁など説いてはいるが、桐山さんは重視していないことは明らかです。

478 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:31:51 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>桐山師の場合は、タテの因縁と横の因縁を説いています。
>批判派の論は、そこ↑を、スッポリ抜かしてます。

縦の因縁と横の因縁などというのは桐山さんの説であって、元々仏教には存在しない。
あなたが業報を切る根拠として出してきた経典には縦も横もありません。
縦と横の因縁(カルマ)があるというなら、
阿含経のどこに名称なり、概念があるのか示してみなさい。
あるはずがない。
引用した経典でも、
「おまえが父王を殺したのは、先祖の運命の反復で、家運衰退の因縁と
肉親血縁相剋の因縁から来た。武士をいっぱい殺したから、霊障がある。
おまえはこういう縦の因縁の所に生まれるように、前世で悪業をなした」
などと、釈尊は説いていない。
王は愚昧、無知、五欲の煩悩から自分が父親を殺した罪過を認め、反省した。
釈尊は、王が愚昧、無知、五欲の煩悩から彼が父親を殺した罪をなしたという懺悔を受け入れた。
悪因縁も霊障も、縦の因縁も、横の因縁も、前世の因縁も家系の因縁もない。
王の懺悔も釈尊が容認したのも、家系や前世からの何かではなく、
この王の煩悩と、この王がなした悪業です。

479 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:36:57 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「罪過の軽減」は、実質的な業報の軽減である、と私は解釈したのです。
>熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。

罪過も業報も同じ、煩悩も業も同じだというのですね。
これが二十年以上も阿含宗の信仰をして、仏教を学んできた先達です。
国語力と知性を疑われますよ。
両者が同じだという経典でも学説でも何でもいいから、示して下さい。
釈尊も桐山さんも両者を区別しているし、
このスレの最初の頃、無知な信者代表として初代・よー痴さんがいたが、
彼女ですら、両者を同じだとは言わなかった。
両者が同じだなどと言っている人はあなたが初めてです。
「金を貸すも借りるも、同じようなもので、僕はこだわらない。
ボクから金を借りると思って、百万円貸してくれ。
百円も百万円も似たようなもので、僕はこだわらない。
だから、百万円を貸してくれれば、必ず百円を返すよ」
使者さんがこだわらないなら、百円を返しますから、私に百万円を貸してください。

480 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:40:16 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>熟語がピッタリ一致している必要もないです。意味が同じなら私はこだわらないです。

こだわらない性格なら、なぜ業解脱にそんなにこだわるのですか。
釈尊は業解脱など説いていないのだから、素直にこれを受け入れればいい。
あなたはこだわらないのではなく、
桐山さんを擁護することにこだわり、執着している。
経典のどこを読んでも業解脱や業報の軽減の話など出てこない。
そこで、罪過などという全然違う意味の言葉を出してきて、
罪過=業報などと、木に竹を接ぐというよりも、木に石を接いだ。
子供でも辞書をひいて、両者が違う意味であることを理解しますよ。
あなたは桐山さんを擁護するために、
「東に進めば西になるのだから、太陽は西から昇るのだ。
西とか東とかこだわる必要はない」と屁理屈を言っているようなものです。

481 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:45:07 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
>ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

区別できるし、別物です。
意業と煩悩の区別もつかずに、阿含経を護持する教団で信仰してきたなんて、
こんなこと告白して、恥ずかしくないのですね。
二千五百年間、頭の良い人たちが仏教について議論を続けてきた。
この人たちが意業と煩悩が同じなのに、わざわざ別にすると思うか。
別物だから、別な名前、別な分類になっているのです。
算数も国語も同じ部屋で習っているのだから、厳密には区別できないと言っているようなものです。
あなたはもう少し自分の無知を自覚して、自分が考えつくことくらい、
他人も考えるのではないかと、自分を疑う癖をつけたほうがいい。

482 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 23:50:49 ID:06cPBNXy
>[432]大王の使者 05/06/09 17:16 g0PI9DrfTl
>「貪り」「奢り」「怒り」などの煩悩と、身口意の業をどう厳密に区別でき
>ましょうか。「貪り」「奢り」「怒り」の煩悩は、即「意の業」でしょう。

議論が本題から外れてしまうから、煩悩と意業の違いは使者さんが勉強するとして、
一つだけ参考に助言するなら、星祭さんが>>264,[178]で引用した宮元教授の本があります。
「1、無明。根本的な生存欲のこと。
自覚することがほとんど不可能とだという意味で無明(根本的な無知)といわれる。
また、ほとんど抑制不可能だという意味で「渇愛」ともいわれる。」
(『ブッダの考えたこと』153頁)
無明=渇愛は根本煩悩の一つです。
宮元教授はこれを自覚も制御もほとんど不可能だとすら表現している。
使者さんはこれを「意業=意思に関わる行為」と同じ意味にとれるか。
悪いことは言わないから、桐山さんのオカルト仏教からちょっと離れて、
二十年前の初心に帰って、中立的な学者の仏教の入門書から勉強したほうがいい。
いくら顔が見えなくても、あなたの書いていることはあまりに恥ずかしい。
・・あなたは恥ずかしくないだろうが、私のほうが恥ずかしいという意味です。

483 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/10(金) 00:10:23 ID:SVKBqRSj
ああっ!本当だ。
465だけ転載忘れていた。
ちょうど疲れて横着しようかと脳裏をよぎった時でした。
中途挫折の因縁が切れてなかった!!
再々入行しようかな?(笑

484 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 04:22:10 ID:rM6+BmzQ
靖雄は「自分の持つすべての悪い因縁(条件)をすべて無くしてしまった
人を『仏』という」などと好き勝手な成仏論を主張しています。
しかし教団が依経としている小乗教の『阿含経』には、靖雄が言うような
現世の成仏(即身成仏)などはまったく説かれていません。
靖雄が勝手に言っているだけのことで、何の根拠もない、
根無し草の妄言です。



485 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:37:36 ID:S0lmRpei
>>443 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:42:20 ID:djy+dRIi
>それに惑わされるかどうかが、解脱できるかどうかの試練のひとつ。
>つまり神仏に心構えを試されているということだ。
>信念の試験と過去の反省だね。

阿含宗の神様は試練を与えるのですね。
仏教には試練を与える神仏など存在しません。
だから、試練を与える存在がいる阿含宗は仏教ではない。
釈尊が悟りを開く時に出てきた悪魔を、
あなたは本当にシッポの生えた悪魔だと思っているのだ?!
さすがに焚き火でエイッと気合いをかけると、
雨が降り、核戦争が回避されたという子供じみた信仰を持てるだけのことはある。
阿含宗の応供の如来じゃあるまいし、仏教の悪魔にはシッポは生えていません。
様々な欲望、執着、あるいは間違った観点のことです。
釈尊がちゃんと悪魔の解説をしていますから、
つまらない試練ゴッコをしていないで、たまには阿含経を読んでみてはどうか。

486 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:39:11 ID:S0lmRpei
>>443 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:42:20 ID:djy+dRIi
>だからそれを端で見ていたヌマエビのように
>自分で自分の過ちに気づいて阿含宗に復帰することもあるしね。

以下の書き込みを見ると、どうやら443さんの口癖のようですね。

267 :名無しさん@3周年 :03/11/24 13:01
ヌマエビさんはまた阿含宗に復帰したのかな?
急に誹謗中傷レスがなくなったし。
きっと書いてるうちに自分の愚かさと間違いに気付いたのかも。
安いバイト料で魂を売るようなことやめたほうがいいってわかったのかも。
ユビさんはまだまだ金に目が眩んでるようだけど。(早くまともな就職したら!

827 :名無しさん@3周年 :04/05/01 15:11
先日聞きましたがヌマエビさんって阿含宗に復帰したそうですね。
超強烈な因縁返しがあったのかも。
まあ理由はともあれ心を入れ替えてまじめになるのはよいことです。
八正道に目覚めたかな?

795 :名無しさん@3周年 :04/11/20 14:06:09 ID:EGlLvpU+
みんな本当の修行の世界を知らないから
猊下の真の意図が読めずに誤解ばかりしている。
もうすこし自分のレベルが上がればよくわかるのに。
ヌマエビは阿含宗に復帰したらしいから気がついたんだろうな。
猊下は禅の高僧のようなやり方を採用してるって早く気づくことだ。

25 :名無しさん@3周年 :04/11/26 14:08:26 ID:X9wEPGs6
初代「口下手番長」もヌマエビもすでに阿含宗に復帰したらしい。
来年はユビキタスの番か。

487 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:43:53 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>チベット密教でもナロパはじめグル達が弟子たちにかなり酷いことやってるけど
>そして目的が正しければすべて許されている。

あなたは私とユビキタスさんの区別がつかないことで有名な「IQ御霊示ミラレパ」さんですね。
何度かIQが低いと批判側を罵り、御霊示やチベット密教を出して、桐山さんを正当化しようとする。
五年前は、「ミラレパよー痴」と呼ばれていましたよね?
たぶん、「IQ御霊示ミラレパ」さんの書き込みと思われる語録を並べてみます。
五年前の204の一文など、今回のあなたの444と文章と内容がそっくりです。
五年間にこれだけ桐山さんの悪業が暴露されたのに、あなたは何の進歩もない。
・・あ、そうか、ミラレパではなく、ナロパに進歩した・・・

488 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:45:14 ID:S0lmRpei
204 名前:名無しさん@1周年投稿日:2000/08/17(木) 12:01
チベットの偉大なる聖者ミラレパは大量殺人などの悪行を積んだにもかかわらず
深奥の悟りにいたって完全に解脱した。

420 名前:名無しさん@1周年投稿日:2001/03/17(土) 18:23
ミラレパがそうであった様に管長先生も過去には凡夫の様に間違いを犯した様ですね。

361 :名無しさん@1周年 :01/12/21 19:32
釈迦、モーゼ、ミラレパ、キリストetc
彼らに比肩する猊下も試練多き人生だという事。

895 :名無しさん@1周年 :02/11/27 22:20
893 :名無しさん@3周年 :03/01/23 23:39
若き日の過ちは誰にでもあること。
何時までも偏執的に拘るのは拘る側の悪因縁が切れていない証左。
ミラレパなどを見てもわかるが、最後に正しい道に至ればよいのだ。

489 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:46:04 ID:S0lmRpei
606 :名無しさん@3周年 :03/02/06 22:31
念力の護摩で御仏の奇跡を見せた為に自らの健康を犠牲にされた猊下は偉大です。
イエスは命を捧げましたが。
達磨の弟子は腕を失い、ナーローパやミラレパはグルから命懸けの過酷な試練を受けました。

599 :名無しさん@3周年 :03/02/23 17:52
マルパに師事したミラレパのようにその意味するところの深さを学ぶべきだろう。
仏陀の真理の前では世俗の駄言などまったく価値を有しない。

959 :名無しさん@3周年 :03/10/11 18:59
マルパもミラレパも投獄されたことがある。
そう言えばイエスやヨハネも投獄されていた。
珍しいことではない。聖者の証のひとつかも。

235 :名無しさん@3周年 :04/11/30 18:33:23 ID:ynJVVwxG
前科話など自らカミングアウトして恥ずかしい話をするのは
ミラレパと同じ境地にあるからだ。

188 :名無しさん@3周年:04/12/25 22:29:19 ID:6tROEUYy
イエスも獄に繋がれていたし、老子も拘束されていた。
マホメットもソクラテスも日蓮もミラレパもみんなそうだ。

490 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:51:32 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

>>488-489を見ての通り、444さんは五年の間に何の進歩もない。
桐山ゲイカはあなたの考えとは違います。
『霊障を解け』の116頁以降で、なんのために、なにを、どのように、
信仰するかを検討しています。(129頁)
目的そのものが正しいのか、一つ一つ検討していくという姿勢です。
桐山さんは、仏教の目的はカルマを切ること(因縁解脱)だとした。
だが、釈尊の目的はカルマを切ることではなく、煩悩を切ることです。
つまり、目的をすでに間違えている。
また、『座右宝鑑』の201頁では、
「6.他人を傷つけたり、他人のものを奪うような結果になる願望は持たないことである。」
としています。
阿含宗は、先祖を不成仏霊、死者を霊障のホトケと名誉を傷つけ、
人々に霊障や悪因縁、テロや大地震による恐怖を植え付けることで、
安定や安心を奪い、無意味な護摩木や冥徳解脱で金を奪い、
桐山さんの法力に依存させることで自立心を奪っている。
以上のように、桐山さんの指導からいっても、阿含宗は目的が仏教から外れており、
他人から多くのものを奪っているのですから、目的が正しくありません。

491 :ありがとう宗教 :2005/06/10(金) 12:53:39 ID:gjSej4Pu
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

492 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 12:56:09 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

阿含宗やオウムなどカルト宗教の信者は同じ事をいう。
オウムは解脱を目的としてサリンをまいた。
彼らにとってあれは殺人ではなく、人々を輪廻転生から救い取るための聖業だった。
聖者が殺してあげることで、苦しい輪廻転生から救ってあげたというのです。
あなたの考えと同じで、解脱という正しい目的のためなら、
殺人という手段すらも許されるという考えです。
目的が正しければすべてが許されるという考えがどれほど危険なものか、
多くの人の命とオウム信者たちが人生を犠牲にして示したのに、
あなたにとって何ら反面教師にならなかったのですね。
だから、あなたは亡くなった人たちを不成仏霊と罵り、
解脱供養や冥徳解脱で救済すると称して「霊的サリン」をまいている。
オウムは生きている人を殺したから犯罪だが、
阿含宗のように死者を殺しても犯罪にはならない。
両者は、目的が正しければすべてが許される、の見本ではなく、
目的のためなら手段を選ばない狂信的宗教教団の見本です。

493 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:00:52 ID:S0lmRpei
>>445 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 21:11:21 ID:djy+dRIi
>伝法の正当性に拘るのは形骸化した伝法などに意味がないことを示す為。
>お金に拘るのは人生の利益追求の空しさに気づかせる為。
>あえて無理して病気になるのは健康の大切さとグルの大切さに気づかせる為。
>因縁解脱したのに逮捕されたりするのは弟子たちの慢心を諌めるため。
>弟子にひどい事言って怒鳴るのは解脱者が雲上人にならないように無理して降りてくる為。

あなたは445に書いたことを桐山さんがしていると認めるのですね。
つまり、伝法潅頂など嘘であり、桐山さんは阿闍梨ではない。
桐山さんはお金に深く拘わり、利益追求、金集めのために宗教をやっている。
桐山さんは因縁解脱したと言っているが、糖尿病と脳梗塞の病気になり、
因縁を丸出しにしているから、因縁切りなど嘘である。
弟子たちにはひどいことを言って怒鳴りつけるような
わがままで自己中心的なヒステリー男だと認めるのですね。
桐山さんの嘘と俗悪ぶりを認めるのだから、進歩なのかもしれない。

494 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:06:01 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

もう少し正直に書いてはどうですか。
目的が正しければ、ではなく、あなたが書きたいことは、
「桐山さんのすることはすべてが許される」
ですよね。
どんな悪いことでも桐山さんのすることなら、あなたは何でもOK牧場!
>>445の金儲け、空虚な法位法号、病気、犯罪、ワガママからのヒステリー、
ありとあらゆる桐山さんの煩悩だらけの言動を、
すべて受け入れることがあなたの信仰なのだ。
桐山さんの言動を正当化するために、「目的が正しければすべて許されている」
という抽象的な言葉を持ち出して、自分と周囲を煙に巻いている。
星祭さんと同じで、どんなに薄汚れていても桐山さんをガブ呑みにして受け入れることが信仰なのです。
桐山さんの名誉欲、物欲、性欲、食欲などあらゆる欲望も執着も、
この桐山さんが作り上げた嘘、虚構、妄想の阿含宗も、
全てを受け入れるのがあなたにとっての信仰なのだ。
あなたはそういう自分に酔いしれながら書いているのだろうが、
鼻をつまみたくなるような信仰ですよ。

495 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:09:24 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

あなたや星祭さんのこういう教祖への信仰はカルト宗教にはよく見られる現象で、
「教祖への過剰な寛容」と言います。
教祖がどんなに俗悪なことをしても、信者たちはこれを受け入れる。
だいたいパターンがあって、
1.超越・・教祖は世俗を超えているから、世俗的に見えてもそうではない。
2.思考停止・・俗人の自分が世俗を超えた教祖をあれこれ判断、批判するのは間違いである。
3.試練・・教祖はわざと俗物のふりをして自分たちの信仰を試している。
>>445など、1〜3の固まりです。
あなたは1〜3で化石のように固まっている人だから、
私から指摘されても「馬の耳に念仏」「阿含宗徒に阿含経」だろうが、
他の信者さんたちはぜひ自分を省みてほしい。
私は信者だった時代、思い当たります。
444さんと違い、3の試練説だけはあまりに馬鹿馬鹿しいので信じなかったが、
桐山さんの嘘や矛盾に気が付いても「完璧とはいかないだろう」と過剰に受け入れ、
桐山さんがピント外れな指導をしても、1と2の
「何か未来を見通した深い意図があるのかもしれない」などと考えていた。
だが、嘘と矛盾とピント外れは、今から見ても嘘と矛盾とピント外れなままです。

496 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:14:47 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

信者さんたちは自分の姿が見えないなら、オウムの元信者の告白本を読んでほしい。
殺人教祖に帰依した哀れな連中などと蔑んでいないで、
彼らの苦い体験を自分の信仰の参考にするのです。
物欲、権力欲、性欲の権化のような俗悪な麻原彰晃を目の前にしても、弟子は受け入れ、
思考を停止させたばかりか、教祖の知恵と慈悲を擁護するような言い訳を考えた。
矛盾が出てきて自分が苦しみ、疑問を持つと、
これを教祖は高い所から自分を見て、試練を与えて、信仰を試しているのだと考えた。
顔に薬品がかかって転げ回る人に、「カルマ落としだ、よかったね」と言ったという。
信者さんたちはこれらのオウム信者の行状を憐れみ、あざ笑いかもしれないが、
他人から見たら、阿含宗徒も五十歩百歩です。
桐山さんが美食で糖尿病から脳梗塞を併発しても、まだ因縁解脱を信じており、
>>455のように、どんなに桐山さんの嘘と俗悪ぶりを見ても、寛容に受け入れる。
十八人の霊障武士など存在しなくても、霊障によるカルマを信じており、
事故など不幸があると「霊障だ、横変死の因縁だ」と条件反射のように、
悪因縁と霊障でしか物事が考えられない。
嘘と俗悪の麻原を解脱者と信じるのと、
嘘と俗悪の桐山さんを有余依涅槃の聖者と信じるのと何が違うのですか。
阿含宗信者、元信者でオウム信者、元信者を笑える者など一人もいない。

497 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:17:03 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

釈尊はこういう教祖崇拝の信仰を説くどころか、否定し、拒絶した。
なぜなら「教祖への過剰な寛容」は依存であり、自己放棄、思考放棄であり、
釈尊の説く煩悩の消滅、自己に帰依するという考えに反するからです。
釈尊は教祖崇拝を説かないばかりか、拒絶した人です。
その一つが、病気で死を間近にした老比丘が、釈尊を礼拝することに喜ぶと、
釈尊は厳然とこれを否定し、彼の依存する心をたしなめた。
信者さんたちにはお馴染みの礼拝供養を釈尊は拒絶したのです。
もう一つが、アーナンダが釈尊の病気が回復したのを見て、
安心したと表明した時の釈尊の返答です。

498 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:18:00 ID:S0lmRpei
『ブッダ最後の旅』、中村元、63ページ

25「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?
わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。
完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳はい存在しない。
『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』とこのよう言う者こそ、
修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行僧のなかまはわたしに頼っている』と思うことがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。

499 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 13:27:04 ID:S0lmRpei
>>444 :名無しさん@3周年:2005/06/08(水) 20:55:00 ID:djy+dRIi
>そして目的が正しければすべて許されている。

私は>>498の経典を最初に読んだ時、意味がわからなかった。
どう読んでも、釈尊は「おれに頼るな。おまえたちを導いたりしないぞ」と言っている。
でも、釈尊は教団の指導者なんだから、弟子が指導を頼るのは当たり前であり、
これを拒絶されたら、弟子はどうするの?
まるで、「お釈迦様!!」とすがる弟子に、足蹴を食らわせているような光景に見えました。
しかし、そうではない。
釈尊は礼拝されたり、法力を頼られるいわゆる教祖ではなく、「教師」なのです。
「如来はただ道を示すだけである」と阿含経にあります。
教師はやり方や方法を教えるだけで、学ぶのも実践するのも弟子や信者です。
教師を礼拝し、骨を拝めば御利益がいただけるなんてありえない。
優れた教師が望むことは、弟子が教えた内容を自分の知性を最大に使って実践することであり、
礼拝したり、教師の言動を過剰に受け入れたり、知性を停止させることではありません。
信者さんたちはこういう釈尊の客観的で冷静な態度を見たとき、
>>445さんに代表される阿含宗信者はあまりに的はずれな態度であること、
これで阿含経を護持するなどというのは、とても恥ずかしいことだと気が付いてください。

500 :ア−ア−台風が逝っちゃった・・万歳!!:2005/06/10(金) 18:50:05 ID:h8A9PSvt
潜越ながら、名無し氏に申し上げれば、阿含宗の信者は、
ブッダの弟子などになりたくないのです。教祖からして、なりたくないのだから、
その弟子共がなりたくないのは、明々白々。そういう連中が、偉そうに、仏陀ダ?!!
悟りだ。涅槃だ、利いた風な事を言うな。
まじめに対応している名無し氏をオチョクッテいる。彼らは、現実の地獄を見てしか気が付かない。


501 :ア−ア−台風が逝っちゃった・・万歳!!:2005/06/10(金) 18:50:35 ID:h8A9PSvt
潜越ながら、名無し氏に申し上げれば、阿含宗の信者は、
ブッダの弟子などになりたくないのです。教祖からして、なりたくないのだから、
その弟子共がなりたくないのは、明々白々。そういう連中が、偉そうに、仏陀ダ?!!
悟りだ。涅槃だ、利いた風な事を言うな。
まじめに対応している名無し氏をオチョクッテいる。彼らは、現実の地獄を見てしか気が付かない。


502 :またまた次回の新著の宣伝コピーですbyウミタコ・ファン :2005/06/10(金) 22:59:49 ID:wpjwqVrX
温故知新――いまこそこれが希求される時代はないのではなかろうか?
因縁解脱に密教を求め、さらに古く阿含経にまで遡り阿含宗を打ち立てた著者はついに
さらなる古い道を見つけた。
バラモン教――そう、全ての真理はここにあったと悟った著者はついに婆羅門宗に改宗を果たした。
この護摩もあり、占いもありのバラモン教こそ、錯綜に満ちた現代に最も適している
と言え、破滅の危機に瀕した現代では、自己確立なんて甘いことを提唱する仏教は
通用しないのである。
仏教も為し得なかったカルマからの解脱を果たすのである。
ここに古代インド5000年の秘密技術がある。
ん?なんか昔説いたような?

―――「バラモン宗教いま」広告文より

503 :名無しさん@3周年:2005/06/10(金) 23:35:12 ID:1Qqjv8yn
↑つまらん!!お前の話はつまらん!!

504 :502:2005/06/11(土) 00:06:20 ID:wpjwqVrX
>>503 つまるもつまらんもありません。>>500-501さん調子こいてるから、
上等だ、こっちも仏弟子じゃねえ、こちとらバラモンよ!と反レスするためにユビ聖師のコピペをしたのですわ

505 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 00:33:07 ID:Pfwup9RG
既成仏教との差異化を計るために阿含宗を立宗したんだろうけど、
いまは宗教関係、精神世界関係でも螺旋状に民度が高くなってるからねぇ。
こういうことはどんな分野にも見られる現象なのかもしれないけど。
ブルータスもヨガを特集記事に取り上げてるけど、これもひとつの表われ。
バラモン教も悪くないとおもうけど、また資格や法位を金で買うと
ややこしいことになりそうですね。「桐山はインドでバラモン教の
修行をいつ、どこで、誰から伝授を受けてやったのか?」とかね。
それにしても石組みのでっかい護摩炉は個人的には萌え。修法してえ〜

506 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 01:16:07 ID:Pfwup9RG
まぁ、情報交換が出来なくてただの一般論に終始するのなら、
爺さんの暇つぶしと見られても仕方がないし、それ相応の頻度で
書きこむような分別があればまだ救いようがあるけど、
それもなさそうだし。。名無し山みたいに参考文献読んで
書きこんでるわけでもないんだから、それなりの評価しかしようがない罠。
自称聖者の職の世話でもするか?そうすりゃアンタの評価も上がるぞ。
間違いないw

507 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 04:51:37 ID:ZnTzpeQ/
398より 桐山靖雄は、そもそもが詐欺師出身者です。その罪状は以下の通り。
1.詐欺、契約違反容疑(昭和20年)
2.手形詐欺容疑(同上)
3.酒税法違反(にせビール製造販売)
4.私文書偽造容疑(昭和28年)
 これらの犯罪を、本当に心の底から反省したのなら大変結構なことですが、
桐山はそうではありません。教祖となってからも、手品のトリックで世間と
信者を欺(あざむ)き、いかにも自分は修行を積んだ超能力者であるかの
ごとく偽っているのです。その一例を見てみましょう。(中略)以上のように、
桐山はどこまでも不純な「宗教詐欺師」と呼ぶべきです。過去の犯罪に
対する真摯(しんし)な反省など、この教祖には微塵もありません。

要するに、桐山靖雄は、詐欺師であり、阿含宗は、詐欺行為のための手段で
あり、信徒は、詐欺の被害者であり、かつ、詐欺行為を助長する協力者でも
あります。
 つまり阿含宗は、宗教の名を語る犯罪者集団であり、同時に、教祖を例外と
して、それ自身の被害者集団でもあるということです。結論を申し上げると
そういうことである。それ以上でもそれ以下でもない。
 であるから、その教義をもって肯定しても否定してもむなしき徒労で終わる。
なぜなら、まず初めに、「詐欺」ありき。そのための、方便としての
「教義」。そこに、何の「真理」もない。なぜなら、そこに本来の目的は
ないからだ。本来の目的は「詐欺」。むろん「真理」ではない。ましてや、
悟りでも、解脱でも、カルマ切りでもない。つまりは、「詐欺」だ。
「人をだまして、自らの欲するものを手に入れること」だ。
 桐山靖雄は、教祖ではなく、詐欺師です。よって、そのふさわしい呼び名は、
「サギ・桐山」。あるいは、「サギ山サギ雄」。あるいは、今はやりの
言い方をすれば「サギエモン・桐山」。ここまで言い放てば、彼が、
あるいは、阿含宗が何たるか、理解できるのではないでしょうか。



508 :岡目 :2005/06/11(土) 09:52:39 ID:HIk0QAck
>>507さん
お気持ちは、よおくわかるのですよ。しかし、ここに登場している批判派の皆さんは
すでに、あなたの 思いを越えたところ、言葉をかえれば、菩薩道を歩いておられるのです。
過去に、自分自身が 間違った道を歩いたこと、心ならずも、桐山に騙されて、宗教詐欺
の手伝いをしてしまったことを、強く反省し、あえて、苦界に 身を落として、桐山
が 宗教を隠れ蓑にした 詐欺師であることを、粘り強く訴えている。会員諸氏に知らしめて
いるという ところなのです。
おそらく、ここを訪れた信者さんは、それなりの ショックを感じるのではないでしょうか、
そして、すぐにでは、ないにせよ、阿含宗への疑問、桐山への疑問を膨らませてゆく
はずです。ここに登場している 擁護派の方々は、ほとんどが、桐山に洗脳されきった
いびつな方が多いだけのことで、確実に、阿含宗は力を落としております。我々は
何事に於いても、焦らずに 粘り強く継続していくことが 重要なのです。

509 :502:2005/06/11(土) 10:22:50 ID:TnKMt3rm
>>505 最近は日本にいて、南伝・チベット・ヒンズー等の修行が出来ることも今の若い人は知ってるようですし、
またヨガ気功に関しても本物志向ですから、もうアゴン宗はダメだと思いますねえ。会員の自分が言ったら、みもフタもないですが。
船井氏のネットワークに入れば未来の可能性も出てきそう。若者向けに大幅にイメチェンすれば。

>>506 あの御仁はきっちりした批判材料がないからダメぽですな。ただ一般論ならアゴンだけでなく他の新興宗教スレにも一般論で批判すべきだが何故かこのスレばかり?
経典をきっちり勉強し批判するのが奈々氏、ユビ氏、樹意氏。
気功修行をきっちりし擁護すべきところはして批判すべきところはするのが井戸氏。
チベット仏教をきっちり勉強・修行し批判するのが平等氏。

510 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/11(土) 12:38:07 ID:/TRzyCFB
>>506もどの番号に対してのsage進行のレスなのか想像の域を越えずわからんのだよなあ。
さてザのスレで次は婆羅門宗にでも改宗して新著出せばいいんじゃないと皮肉ったのだが、
既存の宗教を(ヨガや気功仙道、古神道なども含めて)きちんと学んだのでもなく、
それでいて自分はさもこれらの古い宗教などを究めたかのように自己申告して
その権威に預かろうというところがあさましいのです。
ですからどんな宗教作ろうと自由ですが、桐山真理教と名乗るべきですね。
ヨガや仙道、占い、密教、古神道などを、ある時は市販の本などを参考に、ある時は
偽僧侶のまま護摩などの作法を学んできたものを自分流にミックスして出すのが
桐山真理教であると。
権威がないと何もできず、自分のオリジナルというものがない。
さりとて既存の伝統の権威はそれすらきちんと学んでない。
心臓に毛がはえて、良心の呵責に苦しまない神経の持ち主であれば、結構これに近い
オタク宗教を創始できるのでは?

511 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:27:07 ID:QpncOyrR
>>452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

使者さんが業解脱の経典を探し出せず、困っているようなので、手伝ってあげましょう。
次に引用した文献は仏教学の権威・中村元博士の著書ですから、信頼性は超一級です。
では、業解脱をいってみよう!

512 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:28:15 ID:QpncOyrR
業によって束縛されたこのような悲惨な状態を脱し、永遠のやすらぎである至福の状態に達するためには、
一方では苦行によって過去の業を消滅するとともに、他方では新しい業の流入を防止して、
霊魂を浄化し、霊魂の本性を発揮せしめるようにしなければならない。
(『原始仏教の成立』中村元、139頁)

「・・止滅という特別の原理を想定するが、それは、人が過去にすでに得た業を、
苦行などによって滅することである。」
「したがって寂静は、輪廻の種子である業の滅から生じる。」
(『思想の自由とジャイナ教』中村元、566頁)

解脱とは、1.邪な見解などの束縛の原因が消滅したから、新しい業がもはや存在しないがゆえにと、
2.死滅という原因が存在するから、すでに得た業を排除するがゆえに、
[この二つの理由による]業からの絶対的な解放である。
(同、572頁)

解脱した霊魂は、一切の業を滅した直後に、世界の端にいたるまで上方に登っていく。
(同、582頁)

したがって解脱とは、その罪の流れを断ち切ることである。そうして解脱した人には、
もはや業や罪は存在しない。
解脱したならば、かつて犯した罪の流れも清められることになる。
(同、725頁)

513 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:36:46 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

天下の大学者の中村博士が何と書いているか、見よ!
「過去の業を消滅する」
「業を、苦行などによって滅する」
「業からの絶対的な解放」
「解脱した人には、もはや業や罪は存在しない」
「過去の業を消滅する」というのだから、まさに因縁解脱、業解脱です。
使者さんの探し求めていた業報からの解脱です。
「罪は存在しない」というのだから、使者さんが言っていた罪過の消滅です。
おまけに「霊魂の浄化」とあり、阿含宗の「霊的浄化」と同じです。
解釈なんてもんじゃなく、文字で過去の業の消滅、業からの解放と書いてある。
桐山ゲイカの説いておられるのと同じ業解脱、カルマ切り、カルマからの脱出です
きっと使者さんはうれし涙がチョチョ切れていることでしょう。
梅雨に入ったことだし、喜んでいただいて恐縮です。
批判側!破れたりい!
だれだあ!業解脱なんてないとほざいた奴は?・・あ、オレか。

514 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:45:35 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

仏教には業解脱なんてありません。
>>512の中村博士の最初の文章を読んで、少し仏教を知る人なら、あれ?と思ったはずです。
「霊魂を浄化」って、たしか釈尊は霊魂については無記、つまり沈黙したはずなのに、
なんで釈尊が霊魂とか、霊魂の浄化なんて言い出すのかと奇妙に思ったでしょう。
そのとおりで、引用した文章は仏教ではなく、ジャイナ教の説明や教典です。
ジャイナ教とは、仏典に出てくる六師外道の一人であるニガンタ・ナータプッタが事実上教祖の宗教で、
桐山さんは『輪廻する葦』の136頁で紹介しています。
仏教とは同時代だというだけでなく、教義に使う単語の多くが共通しています。
しかし、根本的な教義はかなり違っており、その一つが解脱の定義です。
ジャイナ教は明らかに業からの脱出を解脱だと説いています。
こういう点は仏教とは違うが、阿含宗とそっくりです。

515 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 22:51:35 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

ジャイナ教では、霊魂に付着した業というゴミや重りを取り除き、
霊魂が軽くなることで上昇していく、つまり解脱する。
霊魂にくっつく過去のカルマを取り除くことを解脱と言っている点など同じです。
死者の悪業をなくすという話はないから、阿含宗のそれとは違いますが、
不成仏霊に付着した悪因縁と悪業を落とすとみれば、似ている。
釈尊は霊魂のあるなしについては、修行に無用であるとして、沈黙している。
ところが、桐山さんは霊魂はズバリ「ある」と説いている。
あるどころか、不成仏霊を成仏させ、霊障解脱しないと、
因縁解脱すらないというのだから、教義の中心にある。
ジャイナ教でも霊魂はあると説いている。
さすがに、霊障や不成仏霊に相当するようなオカルトはないようだが、
霊魂があるという点は同じです。
使徒さんや信者さんたちは、阿含宗を外道だというと、悪口だと思っている。
でも、阿含宗は解脱の中身など宗教教義の中心部分がそっくりです。
だったら、阿含宗は外道ですよね。

516 :名無しさん@3周年:2005/06/11(土) 23:06:17 ID:QpncOyrR
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

阿含宗はバラモン教に改宗というジョークもあるが、
業解脱が似ているならジャイナ教という手もある。
もっとも、桐山さんにジャイナ教は無理です。
ジャイナ教は欲望を徹底的に断滅する道を選ぶから、
衣類をまとうことすら拒絶して、裸でいた。
桐山さんのように高級スーツや七條袈裟など論外です。
ジャイナ教で解脱した者は食欲すらも断ち切るので、餓死が最高の死とされた。
桐山さんのように、糖尿病になるまで美食を続けるなんてありえない。
ジャイナ教は極端に不殺生です。
桐山さんのように、死んだ人まで不成仏霊として引きずり出して、
金とってもう一度殺すなんてありえない。
六師外道は教法においては間違っていたが、ジャイナ教がそうであるように、
彼らなりになかなか厳しい苦行や荒行をしていた。
形式化して、堕落していたバラモン教を批判する新興の宗教だったからです。
桐山さんはレストランで美食飽食をして、高級車を乗り回し、
ゴルフや囲碁に興じ、愛人まで囲うという荒行をした。
六師外道たちは伝統的なバラモン教の権威を否定したのに、
桐山さんはなんとか伝統宗教の権威を得ようと金をばらまく苦行をした。
私は阿含宗を外道と書くたびに、六師外道の教祖たちを
欲まみれ、金まみれの桐山さんと一緒にするのは申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
それで、六師外道と区別するためにも、阿含宗には真正外道というわかりやすい名前を付けたのです。

517 :金剛靖雄:2005/06/11(土) 23:43:44 ID:U6jb23nU
2005.09.25

518 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/11(土) 23:46:00 ID:/TRzyCFB
反逆の思想──かつて私(桐山)が輪廻する葦で提唱したスローガンである。
逆転の発想からさらに進化させて。
私は業に逆らう重力への反逆を説いた。
業解脱こそが私の究極のテーマだった。それは今も変わりない。
温故知新で密教からさらに阿含経にまでさかのぼった。
阿含宗を立ててからも常に進歩と変革を求めることに躊躇いのない私はなおも求道の
努力を忘れなかった。
しかし最近、忽然としてある事に気が付いた。
「なぜだ?!なぜ?」
「いくらなんでも、そんなバカなことがあるはずがない!」
私は呆然とした。唖然とした。長嘆息した。
──いったいなんのことをいっているのか?読者はいぶかしくお思いであろう。
阿含経のことをいっているのである。
仏教の阿含経に業解脱などという思想がなかったのである。
長年にわたって阿含経を修行してきたことにしようという宣伝の結果がこれであることに
私は愕然とした。私は懊悩した。
しかしそんな私に新たな勇気を与えたのが、この自分の旧著の「反逆の思想」だったのだ。
そうだ!反逆の思想だ!重力への反逆、物質世界の法則からの反逆を説いた私だ。
今こそもっと大きな化け物に反逆せねばならない。
阿含経への反逆!仏教への反逆!
仏教で外道と呼ばれる道にこそ真理があったのだ!
ジャイナ教には業解脱があった!
それを悟った私は阿含宗からジャイナ宗と改宗することに躊躇いはなかった。
すべては進化なのである。
名前だけジャイナを借りるのも阿含宗で慣れっこになっているのだから。

───新著「ジャイナ宗教ええジャイナいか(苦)」序文より

519 :こうもり :2005/06/11(土) 23:56:06 ID:TnKMt3rm
儀式の有無は別にして、ジャイナ教とヨガ系バラモンと似てるような感じしませんか?素晴らしい教えですね。

520 :こうもり :2005/06/11(土) 23:56:40 ID:TnKMt3rm
出た!

521 :こうもり :2005/06/11(土) 23:58:30 ID:TnKMt3rm
>>518 素晴らしい!応援スレetcにコピペしてよろしいでしょうか?

522 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/12(日) 00:06:04 ID:/TRzyCFB
>>512
ご自由に。
ジャイナ教に業解脱の思想があることは、あのインド哲学史の大碩学中村元博士の
著書が根拠にあるのだから、相変わらず権威に弱い桐山にはうってつけなのです。

523 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/12(日) 00:07:31 ID:89C7sXlK
>>521でしたー。

524 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 08:44:00 ID:WSyKnVyg
桐山は以前、『阿含経の修行はそのままできない、今の時代にあわないんですねー』
と言っていましたが、やはり戒律が嫌なんでしょうね。
なんてったって一日一食、午前中の托鉢のみですから・・・
それを逃すと二日は食えませんからね。
食いしん坊仮面には認められないんでしょう。
天台宗からミャンマーのテーラワーダへ修行に行かれた鈴木氏によると午後に食事を取ると
あきらかに修行に障害となるそうです。
戒律は釈尊が『仏陀の智慧』で定められたものですからね。
でも桐山はこの仏陀の権威にさからってます。

525 :金剛靖雄:2005/06/12(日) 15:16:47 ID:aHBXowa5
◆◆最も洗脳が激しく一般市民に有害な宗教◆◆
http://www.37vote.net/politics/1116046025/


590 :名無しさん@3周年:2005/05/20(金) 09:47:26 ID:rA4/9kBP
世界最狂の宗教は?
http://www.37vote.net/politics/1116069479/


526 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 16:50:02 ID:9L1akpNn
やっぱり釈迦の解脱は当時の宗教界の常識である「業解脱」で一件落着のようで・・・。

527 :栗花 馨:2005/06/12(日) 17:16:38 ID:V2gyNLK4
初期の仏教と初期のジャイナ教が密接に連関しているということ。
教えや修行についての形態が良く似ている。
共通の宗教的表現の用語について両宗教をてらしあわせていくことで理解ができる。
わたくしとN氏は、そのような共通の考え・認識をもっていることを確認しています。
いろいろありますが、初期仏教の理解には初期ジャイナ教の理解が必要で、
初期ジャイナの理解には初期仏教の理解が必要あるということです。
すなわち、両宗教は同じ基盤をもち同じ文化的宗教的母胎より発生したということです。初期仏教・初期ジャイナ教は共通の宗教的文化的母胎から発生しているのです。


528 :栗花 馨:2005/06/12(日) 17:18:08 ID:V2gyNLK4

 【仏教のすべては釈迦に担保されています。】
【人間の感覚器官に捉えられた人間。そこにもどりなさい。】
人間の感覚器官に捉えられた人間。そこにもどりなさい。
それにはね。
業についてみなおしなさい。
業の力、思業、思已業、身業、語業
身口意の三業、五業
順現業、順生業、順後業、順不定業
引業とか満業とか共業
業道


529 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 17:18:20 ID:NVl4ZOKj
賛成!

530 :栗花 馨:2005/06/12(日) 17:18:44 ID:V2gyNLK4
自分の存在と他者の存在の関係も成道後の縁起の確認によって確認されました。
成道後自分の存在において、自分の存在と他者の存在の関係が新たになったのです。
自分の存在(明知)と他者の存在(無明)の関係における縁起です。

(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(無明=生命存在・生 老 病 死)

成道の種子となった動機は、釈迦の教えの根本です。それは、釈迦の説く成仏の道です。
五根五力が生じるのは、
(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(無明=生命存在・生 老 病 死)
の「その縁起(この境界層において確認しえるもの)」によるのです。

(明知+生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知+生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
(明知=生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知=生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
(明知=生命存在・生 老 病 死)-縁起-(明知=生命存在・生 老 病 死)
                  ↓
          明知=生命存在-縁起-明知=生命存在
                  ↓
             生命存在⇔涅槃⇔生命存在

                涅槃寂静
成道の種子となった動機は、法となるのです。



531 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 18:01:12 ID:HLdJAOCQ
腐った人間どもが守・反に分かれて、
互いに入れ替わりつつ永遠に、特定の宗教のプロパガンダ。
ドウデモイイコト、
現実には、滅んでいる邪教に肩入れする。
同好会の最たるもの。無視・無視・スル-のみ

532 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 18:01:24 ID:HLdJAOCQ
腐った人間どもが守・反に分かれて、
互いに入れ替わりつつ永遠に、特定の宗教のプロパガンダ。
ドウデモイイコト、
現実には、滅んでいる邪教に肩入れする。
同好会の最たるもの。無視・無視・スル-のみ

533 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 18:18:20 ID:NVl4ZOKj
>>523 自分自身が被害に会ったわけでもないのに何故このスレばかりに常駐するの?

534 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 18:20:10 ID:NVl4ZOKj
>>532 自分自身が被害に会ったわけでもないのに何故このスレばかりに常駐するの?
「523」は間違い

535 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 18:42:30 ID:HLdJAOCQ
○さんあんたもな−

536 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:26:40 ID:/d7k6+Aq
>>452 :名無しさん@3周年:2005/06/09(木) 12:36:35 ID:SNi1fRs9
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

使者さんが引用した「沙門果経」に相当するパーリ経典をぜひ信者さんたちに読んでほしい。
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社
このシリーズは本としては安くはないが、冥徳解脱一体でお釣りが来ます。
この85〜88頁に漢訳経典にはない内容が記載されています。
釈尊は王に、修行によって得られる果報を説明しながら、
王が訪ねた他の宗教家やバラモンたちを批判する場面があります。
彼らが信仰を利用して「低俗な呪術による邪悪な手段」で暮らしを営んでいると批判しています。
「低俗な呪術による邪悪な手段」のいくつかを並べてみましょう。

537 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:29:40 ID:/d7k6+Aq
『原始仏典 第一巻 長部経典T』春秋社、85〜88頁

五六、すなわち、手足の持相による占い、前兆による占い、天変地異による占い・・
・・火をたく献供、杓子の献供、もみがらの献供・・
・・宅地相の占術、領土相の占術、墓地での呪術、鬼霊を鎮める呪文・・

五八、すなわち、『諸王は進軍するであろう、諸王は進軍しないであろう』
『味方の諸王は到着するであろう、敵方の諸王が退却するであろう』・・

五九、『流星が落ちるであろう』『四方が燃えるであろう』『地震が起こるであろう』・・
『四方が燃え、これこれの結果をひき起こすであろう』『地震が起こり、これこれの結果をひき起こすであろう』・・・などなどです。

六〇、すなわち、『十分雨が降るであろう』『早魅があるであろう』
『豊作になるであろう』『飢饉になるであろう』『平和になるであろう』
『恐慌が起こるであろう』『病気が流行るであろう』『健康になるであろう』

六一、神に問う占い、太陽崇拝、大いなるもの(大梵天)への崇拝、(幸福の女神)シリー(吉祥天)の招請などなどです。

六二、すなわち、願かけの行為、満願時の御礼の行為、土の家での
呪誦、鬼霊への呪術、精力増強の術、精力去勢の術、住居地選定の術、住居地浄化の供養術・・
・・このような低俗なる呪術による邪悪な暮らしから離れています。

538 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:33:22 ID:/d7k6+Aq
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

ご覧のように、「低俗な呪術による邪悪な手段」として釈尊が並べたのは、
簡単にいってしまえば、占い、予言、呪術、祈祷です。
数頁に渡る批判内容は、
「・・・〔しかしかれは〕このような低俗な呪術から離れています。」
という言葉で結ばれていますから、仏教の出家はこれらにはいっさい関わらない、
つまり禁止という意味です。
阿含宗はこれらの禁止事項に100%ひっかかります。
阿含宗のしている護摩、真言行、密教占星術、桐山さんの予言などは、
「低俗な呪術による邪悪な手段」「低俗な呪術」と釈尊は批判しています。
阿含宗は低俗な呪術による邪悪な信仰であるというのが釈尊からの意見です。

539 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:36:04 ID:/d7k6+Aq
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

経典では、占い、予言、呪術、祈祷はしないと一行で済むことを、数頁に渡り、
それぞれについて事細かに名称を上げて邪悪な手段と批判しています。
これは、当時の人たちの中にも、桐山さんと同じ屁理屈をいう人がいたからでしょう。
バラモンの護摩を禁止しただけで、釈迦の成仏法による護摩はかまわないとか、
占いのための占いを禁止しただけで、釈迦の成仏法による占いはかまわないとか、
桐山さんは屁理屈をつけて正当化した。
桐山さんだけでなく、当時も似たような連中がいたのでしょう。
しかし、釈尊はあらゆる占い、予言、呪術、祈祷は禁止しています。

540 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:39:12 ID:/d7k6+Aq
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

五六の「占い」、六一の「神に問う占い」は阿含宗の密教占星術、ALCのことです。
五六の「火をたく献供」とは言うまでもなく、護摩のことです。
この経典以外でも、様々な護摩の名前をあげて、
これらを「低俗な呪術による邪悪な手段」と批判しています。
五六の「鬼霊を鎮める呪文」、六二の「鬼霊への呪術」は阿含宗の独古加持です。
六二の「住居地浄化の供養術」は阿含宗の屋敷浄霊、土地浄霊です。
六二の「願かけの行為」は阿含宗の護摩木祈願、お手配願いなどです。
五六の「墓地での呪術」とは、柏原霊園のような墓所での行事であり、
今回の冥徳墳墓などが該当します。
六一の、「(大梵天)への崇拝、(幸福の女神)シリー(吉祥天)の招請」は
阿含宗で拝んでる大黒天、愛染明王、不動明王など
ヒンズー教から出稼ぎにきた神様たちと同類で、
神様への崇拝、招請というのだから、仏像などでお祭りすることを指します。
阿含宗が行っている占い、護摩、独古加持、屋敷浄霊、土地浄霊、護摩木祈願、
お手配願い、柏原霊園、神様を祭ることは、
「低俗な呪術による邪悪な手段」であるというのが釈尊の指摘です。
五九では地震の占い、六十は自然災害の予言、五六は予兆による占い、
五八の『諸王は進軍するであろう、諸王は進軍しないであろう』は
政治や軍事的な予言のことです。
そこで、桐山さんはどうであるかを見てみましょう。

541 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:11 ID:/d7k6+Aq
1982年
西に東に動乱が起きると書きましたが、動乱が起きるだけでなく、動乱がさらに広がるようですね。
世界大戦というところまでいきませんでしょうけれども、
その一歩手前の危機が、今年の半ばすぎに起きるようです。
一歩あやまると世界大戦になりかねない、たいへんな大動乱で。

1983年
世の動き いよいよ急となりゆきて 阿含の救い 急がるるかな
この三年(みとせ)のうち 大いなる災い二つ起きぬ 阿含の子らよ 守られてあれ

1985年 初護摩
戦乱と異常気象と大地震 カルマつぎつぎ動かんとす

「メシア出現」318-319ページ、1990年
わたくしは、わたくしなりにつかんだものがある。そのうちに発表する機会が
あろう。ここで、一言だけ言うならば、宗教戦争と民族闘争がひとつになった大動乱が勃
発するということである。

542 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:20 ID:ed9z23jE

見なくていいよ。職探せ。

543 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:41:00 ID:/d7k6+Aq
『中外日報』平成7年2月21日付(25269号)19面
また今回の地震について何か予感はなかったかとの問いに対しては、
「元旦の新年の法話で、“今年は破壊と創造の年。とくに破壊の力が働く年で地震がある”と発表した。
今年はさらに東京で震度6の地震が予想される」と警戒を呼びかけた。

「一九九九年七の月が来る」160ページ、1995年
つまり、一九九五年から「危」に入って、全地球的な危機の時代になり、九
七年に、さらにその度が強まる。しかし、それでは終わりにならず、反転して、
九八年に、ふたたび「危」の時代に入り、二000年に「滅」をむかえる。

宗報139号、1997年8月22日
わたくしは、一九九九年から二十一世紀にかけて、大きな災害のあることを予感し、恐れております。
この災害に対して、われわれはどのようにして身を守るか?

「社会科学としての阿含仏教」1997年、200ページ
またあるいは、大地震がこの日本を襲うのか?とにかく、
このままでいけば、おそらく安穏に二十一世紀を迎えることはできないでしょう。

宗報145号、1998年2月20日
一九九九年にも相当な危機的状況が起きるけれども、最も怖いのは二000年だと感じております。
初護摩の法話でもお話ししたように、今年は震度六かそれ以上の地震か二度起きるでしょう。

1999年、宗報156号
恐怖の大王と表現されるような、大きな恐ろしい出来事が、果たしてアジアで起こるのか?その兆候はあるのか?
いま、その兆候が見えてきましたが、それについてまた本を書く予定でおります。おそらくは三月から七月までの間に危機が起きるように案じられます。

ダルマチャクラ、1999年1月10日、5頁
世紀末の大動乱!
明日、いや、今日の日にも、日本列島が壊滅するような大異変が起こらぬとも限らぬのである。
いや、それは必ず来る。

544 :栗花 馨:2005/06/12(日) 21:43:09 ID:7+xkfSgF
それね、仏教の出家のはなし

桐山氏は修験道的完全仏教でシャク尊は最終的位置付け

545 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:43:32 ID:gh4/7oS2
『ダルマチャクラ』、131号、56頁、2000年
私は、究極のところ、人類は、核によってか、環境破壊によってか、
そのいずれかにより絶滅するものと信じております。

『阿含宗報』189号、2001年
わたくしの占断は絶対に当たりますから、このままでは必ず悲惨なテロが再発するでしょう。二度、三度と繰り返されるに違いありません。

『阿含宗報』、196号、2002年
ヨーロッパにただならぬ動乱の動きがみられるためです。わたくしはヨーロッパにおいて近い将来、なにか恐ろしいことが起きるような予感がしています。

阿含宗報、198号、2002年
さらに秘伝の運命学を使って鑑定すると、2000年から2005年くらいまでが最も危険になります。要するに、いまが一番危険な時期なのです。

『阿含宗報』209号、2003年5月例祭
いま、日本の上空は破滅のカルマに覆われています。このカルマを断たなければ、
日本に再び核ミサイルが飛んでくるとわたくしは直感しております。
その悪夢が現実になったときは、世界も破滅に向かうことになるわけです。

『ダルマチャクラ』164号、2003年、41頁、
私は、究極のところ、人類は、核によってか、環境破壊によってか、そのいずれかにより絶滅するものと信じております。

546 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:44:31 ID:gh4/7oS2
『ダルマチャクラ』167号、2004年
「この星が中宮に入るとまず、戦争、動乱、地震、台風というような天変地異が考えられます。
今年特に注意したいのは、やはり地震です。
わたくしは今年はかなり強い地震が起きると思っています。
起きる場所は、五黄土星が中宮に入りますから、日本の中心、
つまり関東地方・東京を中心に地震が起きると思っています。
また、テロが起きる可能性もありますから、十分な必構えを持たなければなりません。」

『阿含宗報』226号、2頁、2004年
一度目は広島、二度目は長崎でしたが、三度目は東京だと直感していま
す。日本を覆う業をこのまま放っておけば、必ずミサイルが東京に打ち
込まれるでしょう。

『阿含宗報』、228号、2005年1月21日
二〇〇五年は四緑木星中宮の年です。この星は風の気ですから台風が多くなりますが、
地震のほうが主になる。しかし、五黄中宮の年ではありませんから、
壊滅的な地震ではないと思います。

『守護神を持て』169頁、2005年
わたくしは、この文章中、「この三0年のうちの、あと10年に、人類の限界を見るのである」と言っている。
この「あと10年」とは、まさにいま、2001年から2010年を指しているのである。

547 :栗花 馨:2005/06/12(日) 21:44:51 ID:7+xkfSgF
清貧乞食あんど瞑想=シャク尊のおしえ

548 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:49:30 ID:gh4/7oS2
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

こうやって並べてみると、桐山さんの頭の中ではほとんど毎年地球が壊滅しているようです。
地震など自然災害や政治や軍事についての予言も釈尊ははっきりと禁止して、
「低俗な呪術による邪悪な手段」と批判しているのに、桐山さんはなんのその。
「オオカミが来るぞ」も何十年も言っていれば、いつかは当たるでしょうね。
南関東で30年以内にM7以上の大地震が起きる可能性は70%と
地震調査委員会が発表したくらいですから、今日、大地震が来てもおかしくない。
北朝鮮は核実験をちらつかせていますから、死の灰が日本に降る可能性もある。
しかし、「今年は大地震が起きる」と予言すれば必ず当たり、
「あなたはガンになる」と予言すれば半数の人は当たります。
つい五年ほど前は、1999年か2000年に壊滅すると予言していながら、
何も起きないと、昔張っておいた安全ネットをゴソゴソと取り出して、壊滅の賞味期限を十年延ばした。
賞味期限を延ばしただけでは食いつきが悪いので、『阿含宗報』185号では、
「2000年から2005年くらいまでが最も危険になります。」
と、辛口の味付けをして、信者の口に再度ぶっこんだ。
でも、その桐山さんは『一九九九年七の月が来る』で、
「2001年に、回復、安定に向かう、という構造である。」(150頁)
と書いているのですよ。

549 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:52:34 ID:gh4/7oS2
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

1999年初頭にも、桐山さんは北朝鮮の核ミサイルが飛んでくると脅かした。
もちろん、このネタは今でも生きており、
「戦争と聞いて、この平和な日本でと疑問に思うかもしれませんが、実
際に好戦的な国が東京にミサイルの照準を合わせております。」
(『阿含宗報』226号、2004年)
この桐山さんの法話は、>>537の経典の五八にある、
『諸王は進軍するであろう、諸王は進軍しないであろう』
というのと同じです。
北朝鮮がミサイルの照準をどこに合わせているかどうかを議論しているのではありませんよ。
仏教の出家はそのようなことに関わってはならないと釈尊は禁止しているのです。

550 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:58:23 ID:gh4/7oS2
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

釈尊が禁止したのだから、阿含経を護持する教団ならば、
出家である桐山さんが禁止事項を露骨に破ることは許されない。
しかし、桐山さんがおかしいのはこれだけが理由ではありません。
第二に、桐山さんがこのような壊滅予言を出すのは、
警告などではなく、脅かして、金と人を集めるのが目的です。
桐山さんは人々に警告するのが目的ではない。
恐怖をムチにして、助かりたければ、13人の導きや冥徳解脱を出して守護神をもらえと、
結局、阿含宗に人と金を提供しろというのが目的です。
こういう地球壊滅など人々の恐怖を利用して、
自分に帰依しなければ助からないと脅かすのをカルト宗教といいます。
釈尊が禁止するまでもなく、宗教家としてやっていいことではない。

551 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:08:04 ID:gh4/7oS2
>[403]大王の使者 05/06/08 13:19 g0PI9DrfTl

三番目に、桐山さんには予知能力などなく、予言はすべて外れている。
信者さんたちはいったい1999年の件の何を見てきたのか。
>>541以降に引用した桐山さんの言葉を読めばわかるように、
直前まで、恐怖の大王が襲ってくるぞ、
新しい信者を獲得すれば、命だけは助けてやると脅かし続けた。
そして、ものの見事に大予言は外れて、1999年も2000年も何もなかった。
大事件は外ではなく、夫人の死という桐山さんにこそ起きた。
こういう桐山さんの予言能力をどうやって信じられるのですか。
信者さんたちが恐怖心に縛り付けられて、
過去に予言が当たったためのしない桐山さんの予言と、
脳梗塞でヨレヨレで自分の身すら保てない桐山さんからの保証を信じているのを見ると、
釈尊が予言を禁止した理由もわかるような気がします。
大地震、テロ、核ミサイルはどれも怖い。
信者さんたちはそれを桐山さんから霊障や悪因縁で何倍も増幅されて植え付けられている。
桐山さんに植え付けられた恐怖心を自覚するためにも、
これらか起こるかもしれない大事件にいたずらに恐怖心を持つ前に、
>>541以降の桐山さんの過去の大予言を見て、自分が何を怖れていたのか、
それがどうなったか、現実を振り返ってみてはどうでしょう。

552 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:15:44 ID:9L1akpNn
釈迦が何故まったく業解脱という言葉を使わなかったのか分かりました。
それは当時のバラモン教その他の宗教の常識であったので、いちいち説明不要だったわけです。
何しろこれは仏教の基本ですからね。
これが分かっているかいないかで仏教全体の解釈が大きく変わります。

553 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:17:10 ID:9L1akpNn
たまにこのスレのぞくのもいいもんです。
お勉強できます。(笑

554 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:18:26 ID:9L1akpNn
釈迦が霊を説かなかったのもあるいは・・・、
常識だったのかな?
バラモン教の。。。

555 :井戸仙人:2005/06/13(月) 00:08:32 ID:7iu54Jc2
>424
>「夫の運気を剋する因縁」は座右宝鑑はじめ、様々な因縁の一覧表には出てくるが、
>「妻の運気を剋する因縁」は話に出てくる程度です。

ちょっと古いですが、今日久々に覗いて目にしたので一言。
四柱推命で元命に通変星の一つである「比肩」を持つとこの傾向があると
「推命学奥義」と銘打った本に書かれてありました。
もちろん傾向があると書いてあるだけで「因縁」等とは書いてありませんが。
この因縁を含めて桐山氏の「因縁」が何処から出てきたのか
どうやら氏のストーリーが見えてきましたね。
これについては、また日をあらためて書きましょう。

・・・予告編でした・・・

556 :金剛靖雄:2005/06/13(月) 04:07:27 ID:ww9dNVur
桐山に予知能力はありませんがわたしには
あります
2005.09.25

557 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:41:01 ID:gDeSQQyq
>>275 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:38:00 ID:c3xDbDIH
>職業カキコが続きます。
>>542 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:20 ID:ed9z23jE
>見なくていいよ。職探せ。

275=542でしょう。
批判の書き込みが職業だと罵ったかと思うと、今度は職を探せという。
皮肉くらい一貫させたらどうか、と私から前にも書かれたのを忘れたようですね。
職がなく、密門会から金をもらって書いているのだと言いたいのだろうから、
正確に書いてはどうですか。
桐山さんの弁を何一つ確認もせずに根拠のない悪口を言うしか手がない。
桐山さんが密門会を目の敵にする最大の理由は、裁判で歯が立たず、
逃げ出したことがものすごく悔しいからです。
自分から織田師を名誉毀損で告訴していながら、
一度反撃されると、負け犬よろしく告訴を取り下げた。
自分から戦いを仕掛けておきながら、ただの一度も撃ち返すこともできず、
本人は一度も出廷すらせず、自分から裁判を取り下げるしかなかった。
当時、桐山さんは五つの超人的な能力を獲得して、アナゴンであり、愛人までいた。
座右宝鑑で成功の秘訣を信者に説教しながら、現実の桐山さんはシッポを巻いて逃げ出した。

558 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:42:54 ID:gDeSQQyq
>>275 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:38:00 ID:c3xDbDIH
>職業カキコが続きます。
>>542 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:20 ID:ed9z23jE
>見なくていいよ。職探せ。

負けた悔しさで、織田師が亡くなると、地獄のどこにいるか探しているなどと言っていたそうです。
信者さんたちも桐山さんのこの態度をよく見てください。
裁判は現実であり、地獄の話は桐山さんの頭の中です。
桐山さんは現実の織田師には勝てず、地獄という他人にはわからない世界で
織田師をぶちのめして、勝ったつもりになる。
桐山さんの話って、全部そうです。
因縁、霊障、聖者、守護霊、守護仏、超能力、仏陀の智慧、王者の相承など、
信者に与えた内容は全部桐山さんにしかわからないことです。
いずれも根拠がないことがこの半世紀の間に証明されている。
一方、桐山さんが得たのは総本山、名誉、囲碁、ベンツ、愛人など、
誰が見てもはっきりわかる現実世界での話ばかりです。
霊障や守護神など、空気みたいなものを桐山さんは信者に売りつけ、
それで得た金で現実的な世界での欲望を満たしている。
恐怖と欲望を売りつけて、自分の欲望を満たしているのです。

559 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:45:41 ID:gDeSQQyq
>>275 :名無しさん@3周年:2005/05/31(火) 13:38:00 ID:c3xDbDIH
>職業カキコが続きます。
>>542 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:20 ID:ed9z23jE
>見なくていいよ。職探せ。

裁判がそうであるように、桐山さんは現実的な世界では通用しないから、
客観的に批判できない空想の世界だけで勝負する。
彼の作り出した妄想の世界でのみ、桐山さんはチャンピオンです。
桐山さんは何を批判されたのか、なぜ裁判で歯が立たなかったのか、
こういう物事の経緯はきれいに忘れるが、悔しさだけは忘れない。
自己愛が強すぎる人だから、自分のしたことは忘れるが、
傷ついた自分の痛みだけは何倍にもして記憶している。
悔しさを信者の前で吐露するから、542さんはこの桐山さんの
憎悪という煩悩を頭から浴びて、すっかり染まりきっている。
他の信者さんたちにも気がついてほしいのが、
阿含宗に入らなければ、このようなよけいな煩悩を持つことはなかった点です。
桐山さんの憎悪であって、信者さんたちの憎悪ではありません。
阿含宗に入り、桐山さんに共鳴したばかりに、542さんのように、
元々持っていなかった憎悪という煩悩まで増えてしまった。

560 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:54:02 ID:gDeSQQyq
>>542 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 21:40:20 ID:ed9z23jE

桐山さんは信者と憎しみを共有するだけでなく、
敵を作ることで信者の目を外に向けさせ、団結させることができる。
「阿含宗が商売仇となる宗教団体が攻撃している。
釈迦を蘇らせては困る坊さんたちが裏で邪魔している。」
信者さんたちも一度はこういう法話を聞いたことがあるでしょう。
しかし、一方的に阿含宗や桐山さんを攻撃する人など見たことがない。
二十前の中国での法要は大作さんたちが邪魔したと言われているが、
週刊誌で悪口を書いて先に攻撃をかけたのは桐山さんのほうです。
伝統仏教の味方などするつもりはないが、
中小教団にすぎない阿含宗の活動に困っているなんて聞いたこともない。
新聞などに広告がでるから、阿含宗が何か大きな力をもっていると錯覚しているだけです。
他人から見たら、時代から取り残された新興宗教の一つにすぎない。
ヨレヨレの桐山さんと、教義が崩壊している阿含宗を脅威や商売仇だなんて思っている人はいません。
偽物のシャカと偽物の阿含経と偽物の骨をいったい誰が怖がるのか。

561 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:58:59 ID:gDeSQQyq
>>552 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:15:44 ID:9L1akpNn
>釈迦が何故まったく業解脱という言葉を使わなかったのか分かりました。
>それは当時のバラモン教その他の宗教の常識であったので、いちいち説明不要だったわけです。

あなたの説は成り立ちません。
釈尊は言葉や概念を採用したら、たいていちゃんと説明している。
釈尊はしばしば悪魔という言葉を用いたので、
「悪魔とは何ですか」との質問に説明をしています。
当時の宗教では、業、涅槃、輪廻、解脱、仏陀などの言葉は共通語であり、
仏教だけの専門用語ではなかった。
>>512に紹介したジャイナ教などは大半の言葉が共通していて、
気を付けて読まないと、一瞬、仏教経典なのかと間違えるほどです。
こういう当時の宗教世界で、釈尊が言葉を定義もせずに使うことはありえません。
釈尊のいうバラモンは当時の社会でのバラモンとは意味が違うし、
悪魔もシッポの生えた地獄からの使者のことではありません。
ましてや、教法の中心である解脱は、意味も説明せずに使うはずはない。
意味を説明しなければ、仏教は他の宗教と同じなのかということになってしまう。
つまり、第一に、釈尊は解脱の意味を説明しないなどありえない。
次に、釈尊は解脱の意味をしつこいほど説明しています。

562 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 13:03:27 ID:gDeSQQyq
>>552 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:15:44 ID:9L1akpNn
>釈迦が何故まったく業解脱という言葉を使わなかったのか分かりました。

「(渇)愛滅するがゆえに、取を生ぜず、取生ぜざるがゆえに繋著を生ぜず、繋著せずんば
すでに自ら涅槃を覚り、我が生すでに冬き、梵行すでに立ち、所作すでに作し、自ら後有
を受けざるを知る。」
(雑阿含経第二、三世陰世食経)『守護霊を持て』112頁

信者さんたちのために、桐山さんの本から引用しました。
これが釈尊の解脱の説明であり、定義です。
渇愛は煩悩ですから、煩悩を滅して、涅槃を得て、
「後有を受けざる」、つまり輪廻しなくなると述べている。
桐山さんは阿含経の末尾には必ずと言っていいほどに、この種の文章があると書いています。
そのとおりで、釈尊は繰り返し繰り返し、煩悩をなくすことが解脱だと説いている。
煩悩を切ることが解脱だとは、経典の随所に見られるが、
カルマを切ることを解脱だと説いている経典はありません。
あなたも「手にとってみるがよい」という桐山ゲイカの指示に従い、
阿含経を開いて、釈尊のいう解脱の定義を読んでみてはどうか。

563 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 13:10:04 ID:gDeSQQyq
>>552 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:15:44 ID:9L1akpNn

桐山さんが引用した>>562の阿含経がどこにあるのか誰か知っている方はいませんか。
「三世陰世食経」という経典は雑阿含経「第一」にあります。
『國訳一切経 阿含部 一』(大東出版社)の66頁です。
桐山さんが「第一」を「第二」と書いているのは、単純ミスとみても、この経典の最後には、
「(渇)愛滅するがゆえに、取を生ぜず、取生ぜざるがゆえに」という文章はありません。
国訳のほうでは別な文章です。
「三世陰世食経」という同じ題名の経典がどこに存在しているのか、
それとも、桐山さんの恒例で、経典を適当に捏造したのか。
桐山さんの道徳心の低さは定評がありますから、捏造しても不思議はないが、
私の調べ方が足りないのかもしれないから、信者さんは桐山さんの名誉のために、
ぜひ調べて、まちがいなくあるということを示して下さい。
でないと、またしても桐山さんの捏造経典が発覚することになる。

564 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 13:14:40 ID:gDeSQQyq
>>553 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:17:10 ID:9L1akpNn
>たまにこのスレのぞくのもいいもんです。
>お勉強できます。(笑

ありがとうございます。
このスレで学べることは、「阿含宗は仏教ではない」ということです。
仏教ではない阿含宗を仏教であり、阿含経を護持しており、
釈尊の教法に最も近いなどと信じるのはいくらなんでも間違いです。
あなたもこのスレで、阿含宗が釈尊の教法とは似ても似つかず、
解脱という根本の部分すら違っており、仏教ではないと勉強することは大事です。
イワシの頭だろうが、何を信仰しようが自由ですから、
まず、よくお勉強をして、自分が信じている阿含宗が、
仏教ではなく、真正外道であるということを自覚することです。

565 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 13:24:43 ID:gDeSQQyq
>>554 :名無しさん@3周年:2005/06/12(日) 22:18:26 ID:9L1akpNn
>釈迦が霊を説かなかったのもあるいは・・・、
>常識だったのかな?
>バラモン教の。。。

これはありえません。
当時の宗教の重大なテーマは解脱であり、彼らの解脱とは輪廻からの脱出です。
輪廻を肯定する限り、輪廻する「何か」がないといけない。
六師外道の中に唯物論のような教えもあり、これなら輪廻などないが、例外です。
バラモン教はもちろんのこと、ジャイナ教など新興の宗教も輪廻を前提としている。
だから、輪廻する「何か」を霊魂であると説く宗教が多数だった。
霊魂を説かない宗教や、釈尊のように霊魂をあるともないとも言わず、
議論の対象としないという宗教は、当時としては少数派であり、常識だったはずはない。
釈尊の霊魂への姿勢は、教法を学ばないと理解できない。
教法を理解しない人は霊魂を議論したがる。
だから、二千五百年もたって、まだ霊魂が「ある」などと無知を平気で書くような
自称・仏教僧侶、自称・有余依涅槃の聖者が出てくるのです。

566 :樹意 :2005/06/13(月) 15:42:34 ID:IM55rBrB
>>565
> 教法を理解しない人は霊魂を議論したがる。

縁起中道を理解するには 少なくとも中村博士始め増谷氏等の翻訳経典を読む必要がある。
諸法は互いを縁として生起縁起せるものであるから 常見も断見もともに仏陀の説くところではない。
人間を構成する要素である 意識〈識〉 にしても同様であり、他に縁となる縁がある。
「このように我と諸法との同一を説く人々は誰でも、常住と断滅とを離れた、縁りて仮説された
事を意味する最上にして深遠な縁起の本性を見ない」
 チャーンドラ キールティ

仏陀が苦 縁起を 説く場合は誰がという言い方はしません。 それ自体前提条件として
我 を肯定する常見が含まれるからです。 縁により生起する事を説明するには不適切です。
同様に先祖の誰それがという 言い方は ありえません。
仏陀が仏教として因縁を説いた場合は十二縁起に代表される支縁起になります。
外道でありながら中道の看板を掲げ、経営者としての姿を示すのがゲイカになります。





567 :ありがとう宗教 :2005/06/13(月) 20:12:48 ID:vmASwE+5
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

568 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/13(月) 20:21:55 ID:jvWja1hN
>>545
霊をあえて説かないのはバラモン教の常識と言うのは、霊を肯定するのが常識だから
あえて弟子の質問に肯定も否定もあるか!野暮なこと言わせるんじゃねえ!と言いたい
のだと申されますか?
しかし唯物論の霊魂なんてないと説く人たちもいたのだし、よけいにいるならいるで
はっきりさせないと混同の素です。
にもかかわらず無視するわけです。
無視する理由を聞くと(煩悩からの)解脱に何の関係もないからだと明言しています。
霊がないとすら言ってもいないのです。
霊があっても解脱の修行に関係ないと言っているのです。
これは阿含宗の教学と実践から甚だ矛盾する。
霊魂が常に自分自身の死後の問題ならば、死後の霊魂までわざわざ持ち出さなくても
生前の行いさえ正せば悪い霊になることもなく恐れることはない、だから霊魂のことなんて
考える必要はないのだという教えとして矛盾はない。
ところが阿含宗では霊魂とは自分の前世や来世をつなぐ架け橋だけではなく、問題としている
のは先祖の霊魂なのです。
自分がいかにヨコの因縁とやらで前世を反省して心と行いを清めても、タテの先祖の
霊魂の悪い影響を除去する解脱供養が絶対必須なのです。
つまり自分のインネン解脱を果たすのでも、自分以外の先祖の霊魂の始末をしなければ
ならない。
こういう時に霊魂の問題は解脱に関係ないから語らないなんて言えましょうか?
大いに関係がある!霊魂に対して正しい供養をすることが自分自身の解脱の絶対必要条件
なのだ。だから霊魂の正しい認識こそがまず一番に重要なはずです。
それが霊魂なんて解脱に関係ないとはどういうこと???
いるいないの問題ではない。
影響とその回避の問題です。

569 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/13(月) 20:30:00 ID:jvWja1hN
>>545ではなく>>554でした。

570 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 21:03:54 ID:+D0tIeQp
ちゃんと飯食ってるか

571 :ともだち@名無し :2005/06/13(月) 21:12:33 ID:0ounJKOk
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/kok_website/fireworks4/totalindexpage.htm

572 :名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 23:19:09 ID:ww9dNVur
超能力をもて   金も女もおもいのまま

573 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 05:02:12 ID:6nqoyQUs
早く嫁もらえ

574 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 06:54:38 ID:1TKQytDU

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 殺人:さりィン


http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1022659128/49n-53

朝鮮籍・韓国籍・
核爆弾を作成する「修理用冷却管」と「修理用シュラウド」を
「北海道電力」「北海道新聞社」から
修理
業者入札の協力受注で「韓国電力(日本の北朝鮮人と韓国の学会員)」に
盗み渡す(北朝鮮の核爆弾大量製造の工場完成)

とくトぬん(独島は) うりタン(我が地)
ハンナラ:大きい国(大国) ハンぐく(韓国) ハンぐる(大きい字) うりナラ(我が国)

2005年06月06日  韓国の異常さは世界の常識
海上保安庁の隊員を乗せたまま逃亡した漁船の行為から、拉致は韓国人の文化なのかも
しれないという論考が出されたことは前回お伝えしました。
この論考の中で紹介されていた米兵拉致事件は
俗に「地下鉄事件(Subway Incident)」と言われて
韓国通アメリカ人の間では、韓国の特異な国民性を示す有名な事件です。
今回の「違法漁船逃亡逆ギレ愛国英雄事件」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


575 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 09:38:15 ID:k9s+my5+
荒らし房ロンギヌス、逝ってよし!!

576 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 11:35:57 ID:gJWIyGgJ
248 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/12/07 15:45

>230 :ユビキタス :02/12/06 15:39

阿含宗の先達の一人で「なぜそれは起こるのか」という題名で、
場の説を紹介した本を書いた人がいます。
彼は桐山さんのソンディ解釈をそのまま鵜呑みにして本で書いています。
桐山さんの本を参考としてあげるのなら作家としての良心もあろうが、
いっさい示さず、まるで自説であるかのように書いている。
逆に、この先達が実際にはソンディの本を読みもしないで
桐山さんの受け売りで書いてしまったことがよくわかります。
彼が書いた内容は、ソンディ心理学とは似て非なる桐山ソンディだからです。

ソンディ心理学の是非をここで議論するのはやめておくとして、
一度でいいから、彼の本や佐竹隆三さんの紹介本を読んでごらんなさい。
普通に読んだら、桐山ソンディにすぎないことはすぐにわかります。
話の主な所だけ抜き出して、
あとは桐山説で色づけして、これをソンディの権威で飾る。
ついにはソンディを使って守護霊を説明していた。
霊障と守護霊がソンディ心理学であるなどというのを
疑似科学、エセ科学、正確にはオカルトというのです。

577 :こうもり :2005/06/14(火) 11:39:22 ID:gJWIyGgJ
奈々氏って情報通ですね。でもこの人を通じて船井氏のネットワークに入ればアゴンも再生するのになあ

578 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 12:48:56 ID:379bNP6e
[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS
[480]名無しさん@3周年
>釈尊は霊魂のあるなしについては、修行に無用であるとして、沈黙している。

ああ、これは間違いです。名無しさんは間違い。桐山が正しい。
名無しさんは大乗仏教の悪い影響を受けている。
死んでも残る何かが無ければ、前世の記憶はどこに残るというのであろうか?それは霊魂である。
そういうものを霊魂と我々は名づけたのであるから、そう呼ぶのである。だから霊魂は存在するんだ、という事になる。
(学者や哲学者や大乗仏教徒が正解にたどり着けないのは、我々に前世の記憶が無いと言う前提があるためである。
だがそれは誤りである。前世の記憶の存在は、退行催眠で証明済みである。)
仏道修行の目的は、輪廻転生からの解脱なのである。
記憶が霊魂から霊魂へと運ばれて、相続してしまい、苦しみの連続を作り出してしまう。その克服が釈迦の目指したものである。
釈迦が霊魂の存在を否定したなどと記述している愚か者は、釈迦が自己の修行の成果を否定していると書いたのも同じである。
分析的に物事を考えないからこういう誤謬が生じるのである。

したがって「我」という言葉と「霊魂」を同義語と考えてはいけないのである。
哲学者和辻哲郎なども、高名な学者ではあるが、「我」と「霊魂」とを同じ意味に考えてしまっており、
阿含経典の中に、主張の違う二人の釈迦牟尼が存在しているので、後世の創作が混ざっているなどと主張してしまったようである。
要 するに、霊魂も多くの他の存在と同様で、変化しながら流転しているのであるから、当たり前に考えれば良いのである。
「諸法無我」というのは認識論的に真理 であり、絶対に間違いの無いところだから、霊魂も例外ではなく、変化をまぬがれるものではないのである。変化をまぬがれるものなど有りはしないのである。
変 化しないものは絶対に無いのにもかかわらず、霊魂を変化しない単位のように定義する。
その段階で、霊魂の存在が否定されてしまっているのである。これは愚 かな議論である。和辻哲郎氏は、いったい何を血迷ったのだろうか?
変化しない単位としての霊魂説では、私の霊魂とあなたの霊魂とが同じ物になってしまうの である。
それでは私の魂ではない。それではあなたの魂ではない。最初から無理のある定義付けである。

579 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 12:51:59 ID:379bNP6e
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から部分転載
>>578 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 12:48:56 ID:379bNP6e
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS
>記憶が霊魂から霊魂へと運ばれて、相続してしまい、苦しみの連続を作り出してしまう。その克服が釈迦の目指したものである。
>要 するに、霊魂も多くの他の存在と同様で、変化しながら流転しているのであるから、当たり前に考えれば良いのである。

ヂミズさんの頭では上記の二つの文章に何の矛盾も感じないのでしょうね。
そもそも、霊魂とは何ですか。
信者さんたちにも考えてほしい。
牛を厳密に定義することはかなり難しいが、
一般人にも牧場で見ることもできるし、畜産の立場、動物学の立場など、
それぞれに一般の人たちにもわかるように定義することができます。
しかし、霊魂をどうやって確認して、誰が定義するのか。
ヂミズさんは自分の頭にある概念が霊魂なのですよね。
どうして、その「ヂミズ霊魂」が他の人も同様に考えているとわかるのですか。
霊魂など具体的にとらえられるものではない。
百人に霊魂を問えば、百人が違う答えをします。
なぜなら、誰も客観的にこれをとらえることができないからです。
釈尊が修行の上で無駄だというのは、このような誰もとらえることができない内容について、
あれこれと議論しても、議論が百出して、何の結果も得られないからです。
まさに戯論です。

580 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 12:56:27 ID:379bNP6e
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS

霊魂など見えない世界は詐欺宗教家にはもっとも使いやすいネタです。
どこかの真正外道の教祖の教学をみてごらんなさい。
内容のほぼ全部が見えない世界、一般人にはとらえられない世界の話ばかりです。
桐山さんが紹介した好戦経には、「肉段」という霊的な存在が出てくる。
霊魂ではなく、釈尊も大目連もこれを肉段と呼んでいる。
桐山さんに言わせるとこれが霊障のホトケなんだそうだが、
釈尊がこれを指して、なんと答えているか。
「我も亦た此の衆生を見て、而かも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」
桐山さんは「恐るる」のほう取り上げて、
釈尊と同じ霊視能力を持つという桐山さんの霊視能力を信じないものは
仏罰が下るといわんばかりのことを書いた。
本当に桐山さんは虎の威を借るキツネで、人を脅かしているのだから、性格が悪い。
だが、この釈尊の答えで重要なのは「説かざる」です。
釈尊は肉段の存在を知っているが、説かないと言っている。
信者さんたちは、おかしいと思わなければならない。
肉段が霊魂であれ、霊障の不成仏霊であれ、釈尊は説かないと言っているのです。

581 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 12:59:37 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS

釈尊は弟子に質問されたから、大目連の見た存在を自分も見えると答えだけで、
質問されなければ、答えるつもりも教えるつもりもなかったのです。
霊魂や阿含宗のいう不成仏霊について、釈尊は教えるつもりはないと答えているのです。
阿含宗では、不成仏霊や霊障のホトケは教義の根本をなしている。
霊的な不浄であり、カルマを作り出す存在であり、
信者さんたちの運気を傷つけ、大地震など天変地異を引き起こし、
北朝鮮の将軍様に核ミサイルを作らせているのも、霊障のカルマでしたね。
これほど重要な内容だと桐山さんは言うのに、釈尊は「説かざる」なのです。
桐山さんの霊障説を信じるのは信者さんたちの自由だが、
釈尊は霊魂も不成仏霊も「説かざる」ですから、
仏教では霊魂など議論の対象にすらならず、ましてや霊障なんて概念すらない。
桐山さんの態度は釈尊の態度とはまったく逆であることをまず自覚してください。

582 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 13:03:05 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS

桐山さんとヂミズさんの態度は霊魂が「ある」か「ない」か、二つに一つです。
桐山さんとヂミズさんは、白か黒、1か0しかない。
しかし、釈尊は「ある」か「ない」かの二者択一ではなく、
「無記」、白か黒かの議論そのものをしないと言っているのです。
信者さんたちは両者の態度の違いをよく観察してほしい。
信者さんたちはどちらの態度をより身近に感じたでしょう。
もちろん、桐山さんやヂミズさんのように白黒をつけたほうがわかりやすいから、
本音を言えば、白黒をつけてほしい。
だが、信者さんたちも大人になって、人生経験を積み、世の中を観察したとき、
テレビの「水戸黄門」みたいに正義の味方と悪漢とが
明瞭に区別がつくなどありえないことを知っているはずです。
世の中の大半は白か黒ではなく、灰色か、白と黒がまだらに混じるのがほとんどであり、
歯切れが悪いが、これを受け入れるしかない。
灰色やまだらなのだから、無数の組み合わせがあり、白か黒のような単純な世界ではない。
これを理解できるのは、普通の人たちの脳が大人の脳になっているからで、
思春期を迎える前の子供たちの多くは、灰色やマダラが理解できない。

583 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 13:05:26 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS

思春期で脳が大きく変化して、白黒の極端を捨て、灰色を認め、容認できるようになる。
ところが、桐山さんとヂミズさんを見てください。
釈尊が「霊魂については答えない」と返答をしており、
仏教徒なら霊魂の有無を議論してならないと言われているにもかかわらず、
「議論しないのはわかった。それで霊魂はあるの、ないの?」
と、まるで聞き分けのない子供のように質問している。
答が得られないことに我慢ができない。
「でも、お釈迦様は知っているんでしょ?だったら、あるかないか教えてよ」
と、二人は食い下がる。
釈尊が沈黙していると、輪廻があるのだから、霊魂は「ある」と結論づける。
学者や見識のあるお坊さんたちが釈尊の教えに従い、霊魂について議論を避けている時、
桐山さんは経典の中から、異陰(與陰)、意生身、肉段など言葉を探しだして、
「ほーれ、これが霊魂じゃあ。どんなもんだい。おれの頭のよさがわかっただろ」
と、自慢を始めた。
白黒をつけないではいられない二人の脳は、思春期前の子供と同じです。

584 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 13:09:08 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS
>したがって「我」という言葉と「霊魂」を同義語と考えてはいけないのである。

輪廻するなら輪廻する「何か」がなければおかしい、というのが、
釈尊時代の宗教家たちの大前提だった。
彼らはその「何か」とは何だろうと考えた。
霊魂があるかないかではなく、輪廻する「何か」は何なのだろうと考えたのです。
それが、アートマン、漢訳での「我」です。
おおまかに言えば、アートマン(真我)こそが本当の自分であり、アートマンを磨きだすことで、
宇宙の根本原理であるブラフマンと一体化、つまり解脱できると考えた。
>>512のジャイナ教はまさにこの思想の延長です。
アートマンにカルマという垢が積もった状態を自分だと誤解して人間はしがみついている。
カルマという垢を落とせば、本当の自分であるアートマンが現れ、
カルマがなくなったから、軽くなって、解脱するというのがジャイナ教の教えです。

585 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 13:23:24 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS
>したがって「我」という言葉と「霊魂」を同義語と考えてはいけないのである。
>要 するに、霊魂も多くの他の存在と同様で、変化しながら流転しているのであるから、当たり前に考えれば良いのである。

これでは、バラモンたちの言っていたアートマンを霊魂と言い換えたにすぎない。
釈尊は、あなたのような人がいるから、議論をしなかったのです。
毒矢のたとえで有名なマールンクヤに説いたのが答えで、
死後の世界があろうがなかろうが、霊魂があろうがなかろうが、
釈尊の説いた煩悩を切るという修行とは何の関係もない。
宇宙にハンコ星人やウンモ星人がいようがいまいが、
今月もらう給料に関係がないのと同じです。
何をどう表現しようが、桐山さんやヂミズさんのような人たちは、
頭が白黒タイプだから、必ず「・・は存在する」と言い出す。
アートマン、霊魂、意生身、異陰、肉段、なんと表現しようが同じ事で、
自分でとらえることもできない内容を、言葉で表現したとたん、
それが存在するかのような錯覚を覚え、あなたのようにその概念に執着する。
釈尊が無記とした理由は、今の桐山さんやヂミズさんたちを見れば十分です。
二人は霊魂はあるかないかと議論を始めて、
自分の説こそが正しい、自分の霊視能力だけが正しいと言い張る。
煩悩を切るどころか、我説に執着し、己一人を尊しとして、
彼らの説を認めない者を罵り、なじる。
この二人をみてもわかるように、霊魂の有無の議論は、煩悩を増やすだけで、
釈尊の煩悩を切るという目的には逆効果です。

586 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 13:31:50 ID:ARuCWnCD
>[490]池田慈水 05/06/14 01:25 /byZidGeBS

「・・という見解があっても、しかも、生まれ、老いること、死ぬこと、
愁、悲、苦、憂、悩がある。
わたくしは、いま現在、それらの消滅を説くのである。」
「マールンクヤ経」、『ゴータマ・ブッダ』(早島鏡正)、317頁

釈尊は毒矢のたとえで有名な「マールンクヤ経」で、
死後も存在はあるのかというマールンクヤの質問に、
人間が死後に存在しようが、しまいが、修行には関係がないと断言した。
信者さんたちは釈尊のこの態度をよく見ることです。
阿含宗では、霊魂は存在し、不成仏霊となり、霊障を発して、
カルマを生み出していると、死後の人間を議論し、宣伝し、
これを信者さんたち恐れ、忌み嫌い、侮辱している。
桐山さんは、霊障のホトケという死後の存在が、
生きている人に悪影響を与え、四苦八苦を生み出している原因だという。
だが、釈尊は人間が死後存在してもしなくても、四苦八苦はあると説いている。
桐山さんのような死者からの影響を否定しています。
阿含宗の根本的な教義である死者による霊障などの悪影響を釈尊は否定したのです。
有名な経典ですから、信者さんたちも簡単に手にはいるはずです。
阿含宗の死後からの悪影響を説く宗教を否定した釈尊の言葉を読んでみて下さい。

587 :臥龍孔明 :2005/06/14(火) 20:02:41 ID:4K905nes
“釈尊は
霊の存在
無記とせり”
七子はいつも
ムキになるなり

2ちゃんでは
無敵の論客
七子だが
母には弱し
“このドラ息子!”

お正月
甥っ子来れば
お年玉
フトコロ寒し
七子トンズラ

新車にも
乗ってみたいな
ユビキタス
愛車はケンメリ
スカイラインよ

高校に
通う姪っ子
オカズにし
今宵もユビが
勝手に動き

588 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 21:51:27 ID:ZjdVMINn
>>567
まだいたの?あの偽善宗教。

気味悪いハガキの無差別押し付けやってる迷惑宗教は氏ね!
 

589 :ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/06/14(火) 21:56:22 ID:4t3+B7TZ
>>587
よく人の私生活カキコ覚えているなあ。

590 :名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 21:59:01 ID:EcmDfbFa
マールンクヤにはその時その答えが必要だったというだけのこと。
まさしく対機説法そのもの。
だから無知な馬鹿は困る。
すべての人々相手だと誤解するからな。
釈迦が泣くぞ。嗚呼

591 :名無しさん@3周年 :2005/06/14(火) 22:12:26 ID:+8rQigqT
すごいなー信者って
釈尊の言われた事を、ここまで自分の都合で変えてしまう。
こんなに変えられたら、泣くのは釈尊だ。


592 :栗花 馨:2005/06/15(水) 02:00:05 ID:0N7kk7LV
デモとかでさわいでた世代的都合

死者による霊障などの悪影響を釈尊は否定したのです。
有名な経典ですから、信者さんたちも簡単に手にはいるはずです。


593 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:35:59 ID:h+c6DUU8
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から部分転載
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS
>原因と条件、この言葉を短く、「因縁」と呼ぶ。
>桐 山は運命について、因縁と呼ぶ。

読んでいる信者さんたちはヂミズさんの一行目と二行目に脈絡がないことに気がついてほしい。
原因を因縁と呼ぶのはかまわない。
しかし、二行目の、運命を因縁と呼ぶなど仏教ではありえない。
阿含経どころか、大乗経典すらも因縁を運命という意味に使うことはありません。
仏教の教法に運命を説いたり、運命の改造を説く教えはありません。
こういう使い方をしたのは、霊友会の教祖などが、
学問や教養がなかったために、縁起の法の意味が理解できずに、
因縁を運命や運命の星と解釈して、「先祖の因縁」「因縁切り」などを説いたからです。
桐山さんがこれを立正佼成会などから模倣して、阿含宗に取り入れた。

594 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:42:03 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

釈尊が因縁をどのように使っているか例をあげます。
『真理ことば 感興のことば』(中村元)にある、
「24.苦しみはつねに因縁からおこる。」(211頁)
という言葉を聞くと、信者さんたちは、たちまち阿含宗の悪因縁と同じ発想だと思ってしまう。
しかし、これは阿含宗で慣れ親しんだ悪因縁とは違うのです。
「原因なくして物事はおこらない」
「苦しみはつねに原因があるからおこる」という意味です。
ここでの原因とは運命とか、横変死の因縁という意味ではなく、
この経典の前の1〜23までを読めばわかるように、情欲(16)、怒り(17)、
迷妄(18)など、自分の煩悩こそが苦しみの原因(因縁)であると述べているだけです。
24を書き直すなら「苦しみはつねに自分の煩悩という原因があるからおこる」となります。
「苦しみは悪い運命からおこる」などという意味は逆さにふっても出てこない。

595 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:45:37 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

なぜ釈尊は「原因があるから物事がおきる」なんて当たり前なことを説いたのでしょう?
日本人は教育を受け、仏教思想にどっぷりとつかった国にいるから、
この考えが当たり前だが、当時のインドではこれを否定した宗教が横行したのです。
六師外道の中には、業報を否定し、運命は決定されているだけで、
原因などないと説き、また徹底した唯物主義を唱える者がいました。
これでは、どんな悪いことをしても、欲望や執着のままに生きても、
何も悪い結果は生まれないと説いているのと同じです。
霊障や悪因縁や天変地異で人を脅かし、金と人を集めて、
己の欲望を満足させるような悪業をなしても、何も悪い結果など生まないことになる。
六師外道の考えに従うと、大地震やテロで信者を脅かし、
外れたら口を拭って、焚き火で核戦争を防いだと言い訳を並べても、
なんら悪業ではないし、いっしょに騒いだ信者たちも悪業の報いを受けることはない。
しかし、釈尊の説くところでは、煩悩によってなされた悪業は、
今世、来世など必ず業報を受けることになる。
しかも、釈尊は業報を消滅できるとは説いていないから、
すでに作ってしまった悪業をいずれ本人たちが受け取るしか道はありません。
だから、釈尊は、今この瞬間から悪いことをやめるように説いたのです。

596 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:53:48 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

釈尊は、物理の作用反作用の法則と同じように、
物事には原因があり、一度なしたことは消えることはなく、
輪廻を通してでも本人に戻ると説いた。
煩悩のままに食欲を謳歌すれば、糖尿病や脳梗塞という業報が生きている間に返ってくる。
糖尿病や脳梗塞は原因がないのではなく、本人が原因を作っている。
インチキのシャカの骨を祭り、インチキの阿含経を使い、
人を霊感商法で騙し、金と人を集め、総本殿と勲章を身につけて、
エラクなったつもりで、アナゴン、アラハンを詐称しても、
生きている間は業報が来ないかもしれないが、
死んだ後、輪廻した後で、必ずその業報は本人に返っていく。
このように、時間差はあっても、本人のなしたことは本人に返って行く。
これを釈尊は「24.苦しみはつねに因縁からおこる」と述べているのです。

597 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:57:01 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

「横変死するという苦しみもまた因縁から起こるのだから、
横変死の因縁とか、因縁を切るという表現は正しいのではないか」と信者さんたちは思うでしょう。
横変死は因縁からおこる、という表現は正しい。
しかし、これを横変死の因縁とは言わないのです。
「横変死は因縁からおこる」とは「横変死は原因があるからおこる」という意味であって、
「横変死の因縁からおこる」ではありません。
「リンゴは重力があるから落ちる」は正しくても、
「リンゴの重力から落ちる」とは言わない。
リンゴの重力という表現がおかしいように、横変死の因縁という表現はおかしい。
リンゴの重力があるからリンゴが落ちたのではなく、重力が因縁(原因)で落ちたのです。
同様に、前世のカルマが因縁(原因)で横変死したのであって、
横変死の因縁で横変死したのではありません。
リンゴの重力、というのと同じで、横変死の因縁、などという表現は
本来の因縁の意味から考えたら、ありえないのです。
子供が「リンゴの重力があるから、リンゴは落ちるのだ」と言ったら、
あなたは笑いながら、その表現は不適切だと修正するでしょう。
横変死の因縁はこれと同じで、とても稚拙な、無教養な、無知な表現です。

598 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 12:59:45 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

因縁の元々の言葉である因縁生起、つまり縁起の中身を理解すれば、
横変死の因縁なんて表現が出てくるはずがない。
しかし、霊友会の教祖は教育も受けておらず、理解力が低くかったので
因縁の意味が理解できず、これを運命の星だと解釈したのです。
彼女以降の立正佼成会や阿含宗の教祖たちもこれを取り入れた。
ただし、彼らの理解力が低かったというよりも、
運命という意味で用いたほうが、信者を脅かすのにはちょうどよかったからです。
釈尊みたいに「物事には原因がある」
「あなたの苦痛は、原因をあなたが作ったからである」などと説いても、
信者は「はあ、そうですか」で終わってしまう。
それよりも、「おまえには横変死の因縁がある」と言われれば、
死ぬぞ、助かりたければ入信しろ、と脅かされるのだから、目の色が変わる。
信者を集めるのには悪因縁は有効な手段だったのです。

599 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 13:02:10 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS
>全ての物事は因縁によって生起するのだから、間違いではない。
>因縁を切れば運命が変わる、そして人生が変わる。当たり前の ことを言っている。

因縁は原因や由来くらいの意味ですから、これを切るなどという概念がそもそもない。
原因切り、原因解脱なんて変な日本語を信者さんたちは使いますか。
因縁切り、因縁解脱という言葉がいかにおかしな言葉か、これを見てもわかります。
阿含宗の因縁とは、仏教の因縁とは違うのです。
「横変死の因縁」ではなく「横変死の運命」、仏教の言葉でいえば「横変死の業」、
あるいは使者さんが指摘したように、「横変死の業報」です。
前世で作った悪業で、今世で横変死するような運命を持ったという意味です。
つまり、阿含宗の因縁切り、因縁解脱を仏教の言葉で正確に表現するなら、
業切り、業解脱、業報切り、業報解脱ということになる。

600 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 13:03:50 ID:h+c6DUU8
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

「因縁切りが不適切な表現なら、業切りでもなんでもいい。
とにかく横変死の業報が切れれば、表現などどうでもいい」と信者さんは言うでしょう。
ところが、そうなると、あなたは仏教の門から外に出るしかなくなる。
なぜなら、仏教では業や業報を切ることを説いていないからです。
>>512で示したように、ジャイナ教などは業解脱を説いているが、仏教にはありません。
ザのスレの使者さんが必死に探しても、見つからなかった。
信者さんたちは、使者さんが探して見つからなくても、どこかにあるんじゃないかとまだ疑ってますね。
では、信者さんたちが最も信頼している桐山さんに探してもらうことにしましょう。
桐山さんですら、釈尊の説いた解脱が業解脱などではなく、
煩悩を断ちきることであることを認めているのです。

601 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 13:06:19 ID:CrtGUHNh
『守護霊を持て』114頁

そういうと、ブッダの教えは非常に理性的で現実に即したものであったといわれており、霊
魂とか再生とかいう現実とかけはなれたものではなかったはずだといわれるかも知れない。そ
の通りである。ブッダの教えはまことに理性的で現実に即したものであった。そうではない
か。輪廻からの解脱は、現生における渇愛の完全なる減却が必要であり、そのためにはきびし
い欲望の制御が必要であった。ゆえに、それは、煩悩を断つ修行からはじまる。これほど理性
的で現実に即した教えはない。

602 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 13:17:28 ID:CrtGUHNh
>[493]池田慈水 05/06/14 02:03 /byZidGeBS

いかがですか。
>>601で桐山さんもはっきりと、ブッダの教法とは霊魂や再生といった現実から離れたものではなく、
輪廻からの解脱とは、渇愛の滅却、欲望の抑制が必要であり、煩悩を断つことだと認めている。
これが阿含経だけでなく、仏教の経典をことごとく読破したという桐山ゲイカの結論なのです。
もし、そうでないなら、業解脱(因縁解脱)の根拠となる経典を示したでしょう。
しかし、桐山さんすら業解脱の経典を探すことはできなかった。
仏教には業解脱などないのだから、当たり前です。
もちろん、桐山さんのことですから、一筋縄ではいかない。
このように釈尊の教法を示しておきながら、
この後、突然、「だが・・・」と根拠も示さずに否定してみせる。
根拠など示せないのだから、否定する説明は1頁分もありません。
バナナのたたき売りという表現がピッタリです。
手品のように、最後の最後になってパッとすり替えて、観客を煙にまく。
使者さんが引用した『超脳思考をめざせ』でもそうでした。
桐山さんは至るところで、こういうすり替え手法を使っている。
一般に認められている内容をたくさん引用して読者を納得させ、
最後の数行で、自分のオカルト仏教をさっと入れ替える。
その部分は信者さんたちに「冷静」に読んでいただくことにしましょう。
私からすり替えを指摘されても、反発心しか起きないだろうから、
自分でどこがバナナのたたき売りなのか、手品なのか確認してください。
1頁弱ですから、面倒がらずに読んでみてください。

603 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 14:14:46 ID:iyfytwVA
>>601
欲望の制御や煩悩を断つ努力は逆に欲望や煩悩を強めてしまうよ

604 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:30:33 ID:1CZgPzVV
釈迦の言葉が全ての人々に共通する内容ならばそもそも対機説法などという言葉はない。
個人別のアドバイスを万人に押し付けようとする行為は釈迦の教えを故意に捏造するようなもの。
そのような外道に仏教を語る資格などない。
つまり批判者たちは仏教の基本を全く理解していないということだ。
恥かしくないのだろうか。

605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
運転免許を持っている人が車を走らせようとすれば誰も注意などしない。
そもそも「だめ」と言う必要がないからだ。だから記録が残らない。
でも子供が走らせようとしていたらみんな焦って止めるはずだ。
釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
だから護摩を焚いてよいという記述が経典に書かれていないのだ。
能力がない人に対して止めた話だけが残った為に後世に誤解を招いている。
釈迦も本意が残らずに誤解されたことを哀しんでいることだろう。

606 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:51:07 ID:1CZgPzVV
批判者たちのレスを見てると
「憲法の基本的人権に呼吸していいと書いていないから呼吸するな」
と言っているようなもの。当たり前のことはわざわざ書かないんだよ(笑
一事が万事、自分たちの不合理さを自覚していないのがかわいそうに思える。
それに釈迦はだれからも得度を受けていない。
批判者たちの論法なら釈迦も偽坊主だということになる。情けない限りだ。
恥かしくないのだろうか。

607 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 21:01:22 ID:18lrnoXr
お釈迦さんの教団が霊で商売してたら仏教は今日まで残っていないよ。
また過去ログ晒されるんだろうが、それもまた自業自得だな。
せいぜいがんばって根拠となる文献探してくれや。
妄想科学宗教の信者さんよw


608 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 00:41:40 ID:gYO0AYRQ
↑大乗仏教は葬式で今日まで残ってますが?

609 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 01:16:39 ID:JhnAsDGg
桐山さんって未だ生きているんですか

610 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 01:21:19 ID:uAPLgGBB
釈迦が清廉な生活態度を身を持って示したから当時の既成のバラモン教徒との
違いが明らかになったんであって、後世の人間が歪曲したものについては
釈迦の責任ではないよ。ま、阿含みたいな真正外道はどういう立場に立っても
箸にも棒にも引っかからないけどな"( ´,_ゝ`)プッ"

611 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 01:49:37 ID:gYO0AYRQ
>箸にも棒にも引っかからない

↑正しくは「箸にも棒にもかからぬ」"( ´,_ゝ`)プッ"人を馬鹿にするときは正しい日本語使いましょうねー

612 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 05:59:51 ID:Kj8WIHEM
臥龍孔明汚蛇先生 が瀕死の状態で低脳短歌カキコしているうちにですね
その馬鹿のうえを逝くれんたろが検索しているわけですよ。
酒気帯運転でタイーホされた阿含1の身にもなってくれよですよ。
出勤だ、おはようございます。



613 :岡目 :2005/06/16(木) 09:26:09 ID:uaIWR2Hp
なんだ、阿含宗会員1さん 酒気帯び運転で逮捕されたって ホントウ?

614 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:34:16 ID:UCUWN2gI
>>604 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:30:33 ID:1CZgPzVV
>釈迦の言葉が全ての人々に共通する内容ならばそもそも対機説法などという言葉はない。

釈尊の対機説法とは、相手に応じて話す内容を変えたと思っているのですね。
違いますよ。
釈尊が話す内容はいつも同じで、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
これを理解させるために、いろいろな説き方をしたのを対機説法というのです。
この教法に耳を貸さない人たちが多い。
桐山さんやあなた方阿含宗の信者さんたちに至っては、これをオシエだと唾棄する。
愚かさを首輪に、傲慢をイヤリングに、驕慢を鼻輪にして、
カルト宗教の色メガネをかけたような人たちにも、
釈尊は懇切丁寧に、相手の欲望、煩悩、知性に応じて上記の教法を伝えたのを対機説法といいます。
解脱を望む人には、解脱とは煩悩を切ることであると教え、
御利益が欲しい人には、本当の御利益とは煩悩を切り心の平安を得ることだと教えた。
釈尊がずいぶん苦労されただろうことは、阿含経を護持すると称しながら、
釈尊の教法とはまったく逆のことをしている阿含宗を見ればよくわかります。

615 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:37:34 ID:UCUWN2gI
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
>だから護摩を焚いてよいという記述が経典に書かれていないのだ。

護摩や占いをするのに特別な能力など必要ありません。
あなたや私でも護摩や占いくらいできる。
あなたは桐山さんから釈迦の成仏法の護摩とか、釈迦の成仏法の占いなどと教え込まれて、
何か特殊なものであり、特別な人でないとできないと信じ込んでいるだけです。
護摩とは焚き火ですから、子供でもできる。
護摩くらい伝法会で作法を習いましたよね。
星まつりのテレビに出演した菅沼教授がおっしゃっていたように、
拝火教から来た儀式で、バラモンたちが取り入れた儀式にすぎない。
特別な才能などなくても、桐山さんのいう「バカが坊主になる」のバカも焚ける程度です。

616 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:39:25 ID:UCUWN2gI
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。

占いもコイン占いのように、簡単なものなら子供もできます。
四柱推命のような煩雑なものでもコイン占いも基本は同じです。
阿含宗の密教占星術はただの九星占いで、インドではなく中国で作られたもので、
四段掛けは日本で明治から大正時代にかけて作られたものです。
天命殺は四柱推命の空亡で、天中殺として半世紀ほど前に西川満が本で紹介した。
当たるも八卦当たらぬも八卦という言葉どおりで、
桐山さんの占いは当たったためしがない。
その典型が、週刊新潮に書いた某代議士の当落です。
当選すると占って、代議士は落選した。
十年前は『一九九九年七の月が来る』で、密教占星術の占いで、
占いで阪神大震災や地球壊滅の大予言をした。

617 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:41:08 ID:sMbUtpfL
「一九九九年七の月が来る」25ページ
「そこで、九星図の示すところをたどれば、本年、五黄の年から始まった
破壊・動乱は、一九九六年、九七年、九八年とつづいて、一九九九年、離
宮の年に至ってさらに拡大し、翌二000年、坎宮の年に入ってその極に
達するのである。
二00一年に入って、はじめて小康を得て、世界は回復に向かう。」

「一九九九年七の月が来る」28ページ
一九九九年、中宮にすがたをあらわした恐怖の大王(五黄土星)は、九
六、九七、九八、とやや勢いをゆるめるであろうが、俄然、九九年に入っ
て猛威をふるい、二000年に入ってその極に達する。

618 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:45:10 ID:sMbUtpfL
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。

>>617の本では、1995年の年頭に破壊と動乱を宣言して、
1月16日の冥徳祭では、五黄の象意に現れた破壊とは
「ずばり、それは地震である。」(29頁)
と、阪神大震災の予言をなかば当てたかのように書いています。
しかし、阪神大震災があったのは1月で節分の前だから、五黄ではなく六白の年です。
2月の節分以降に起きた地震ならば、当たったなどと言えるだろうが、
前年の象意である六白の年に大地震が起きたのです。
全然、当たっていないばかりか、桐山さんの説明自体が占いとしては成り立たない。
前年の法話で「六白の年だが、大地震が起きる」とでも宣言しておけばよかったのに、
チベットから法位法号をまたもらってルンルンだったので、言うのを忘れたのでしょう。

619 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:46:28 ID:sMbUtpfL
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。

『一九九九年七の月が来る』143頁
「天象三九秘宿法――これこそ天災地変をふくむ広範囲の社会事象を予言す
る二十八宿法の特長を最大限に生かした占術であった。」

という素晴らしい占いで、1995年から2000年への世紀末の壊滅を
次のように大予言にしています。

「つまり、一九九五年から「危」に入って、全地球的な危機の時代になり、九
七年に、さらにその度が強まる。しかし、それでは終わりにならず、反転して、
九八年に、ふたたび「危」の時代に入り、二000年に「滅」をむかえる。」(160頁)

幸い、破滅は2000年で終わって、その後は、

「そして、2001年に、回復、安定に向かう、という構図である。」(160頁)
「なぜかというと、2002年から、地球は回復・安定していくからである。
「天象三九秘宿法」がそれを予言している。」(163頁)

2001年以降は、地球は回復して安定していくとの占いでした。

620 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:52:16 ID:sMbUtpfL
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
>能力がない人に対して止めた話だけが残った為に後世に誤解を招いている。

さて、>>619の桐山さんの占いを確認した後で、信者さんたちはこの十年、
特に1999年以降を振り返って思い出してほしい。
地球が壊滅した1999年と2000年には強く記憶に残るような大災害はなく、
地球が回復、安定したはずの2001年には9.11のテロがおきて、大きな戦争へと発展した。
・・あれれ?なんか桐山さんの占いの結果とまったく逆ですよね。
こうやってみると、桐山さんの占いって、「天象三九秘宿法」なんて名前だけは仰々しいが、
とにかく当たっていない。

621 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:54:22 ID:sMbUtpfL
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
>能力がない人に対して止めた話だけが残った為に後世に誤解を招いている。

605さんによれば、釈尊は能力を認めた人には占いを許したのだという。
その一人が桐山さんらしいが、実績を見るかぎり桐山さんには占いの能力がない。
こんな無能な桐山さんの能力を釈尊が認めるなんてなんかおかしくありませんか。
・・あ、わかった。
お釈迦様は優しい人だから、全然占いの能力のない桐山さんに同情して、
「そうか、二者択一の子供でも当てる占いすら当たらないのでは、
桐山クンもかわいそうじゃ。当たらないから、ますます占いに執着ができて
煩悩が増大するといかんから、チミだけは好きなだけ占いをしなさい」と許してくれた、とか。

622 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:59:10 ID:sMbUtpfL
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
>能力がない人に対して止めた話だけが残った為に後世に誤解を招いている。

信者さんたちも、批判や擁護の議論をさておいても、
桐山さんの占いって表題だけものすごく立派なのに、とにかく当たらないと思いませんか。
私は信者時代に、桐山さんが九星占いを本気で信じているのを見て驚いた。
9年ごとに同じ事が起きると本気で信じているのですよ。
1995年の9年前、18年前、27年前も、年の九星盤はまったく同じだった。
では、これら9年ごとに、五黄中宮だから、壊滅的な事件がおきて、
特に大地震が頻発しているだろうか。
現実をみれば、こんな九年周期の大事件なんてありません。
九星の天命殺とは、全員が同じ年齢になると小天命殺に入るのです。
厄年が9年ごとに2年間続くようなものです。
世の中の人全員が、9年ごとのある年齢になると運気が下がる???
この稚拙な占いを桐山ゲイカは、密教占星術の小天命殺であーる、と宣言した。
これが釈尊すらも許可するほどの占いの能力を持っている人??

623 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:03:45 ID:hSPucDZc
>>605 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:37:59 ID:1CZgPzVV
>釈迦が護摩や星占いを禁止したというのはこれと同じ話だ。
>能力を認めて許した人であれば、何も必要がないのだ。
>能力がない人に対して止めた話だけが残った為に後世に誤解を招いている。

『密教占星術U』の四段掛けに出てくる隠遁、陽遁の議論も、
さも何か深い深い理由があるかのようにあーでもない、こーでもないと書いてる。
誰かが前に書いていたが、一年365日が180では割り切れないことから起きているだけです。
たったこれだけのことにすぎないのに、
桐山さんは365が180で割り切れないということが理解できず、
ここに秘伝があり、秘密の暦があるのだと、さもうれしそうに書いている。
365が180で割り切れないなんて、小学生でもわかることですよ。
秘密の暦があり、それを天海大僧正が隠したのだという。
幕府が暦の統制をしたのは天海が死んでから、ずっと後のことで、
天海の時代には各藩が中国の古い暦を元にして、勝手に作っていた。
暦が輸入されて800年の間にすっかりずれてしまったから、
当時の暦は全部秘伝の暦のようなものだった。
どこかのオシャカに才能を認められて占いを許可された桐山ゲイカは
暦の解説書に書いてあるようなこんなことすら知らないのです。

624 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:05:13 ID:hSPucDZc
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から転載

[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
ユビキタス氏は『(釈尊の言葉を)頭で理解しても、実行はできない』という。ならばどうすれば実行できるというのだ?猊下はそれを埋めるのが『ナモナモ』だ、という。たぶん、簡単に言うとそういう事だと思う。

ユ ビキタス氏の理屈は、評論家がアスリートを非難するようなもので、評論家より罪は大きい。
なぜならば、評論家は、自分で実行できない前提で評論し、視聴者 もそれを知っている。
しかし、ユビキタス氏は、自分(そして誰でも)が実行可能であることを散々説明(批判)しながらなお実行しない。
結果もださない。少 なくとも結果を出す努力はすべきだ、釈迦の宗教が言葉のみで伝承されているというのならば。

[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS
> 554、嘘コケ(笑)。ネットで愚痴だらだら言うのが楽しみなのが明澄なのか(爆!だまって自己研鑚や修行をつみたまえ!
まあ,自身の修行体験とかを述べ て意見を述べるのは大歓迎ですが、あなたはいつも阿含とゲイカへの文句しかないではないかね。
すこしは瞑想体験でも述べたまえ!そういう意味では、池田氏 は偉いと思うゾ。

625 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:07:59 ID:hSPucDZc
>>624 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:05:13 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

oo屋さんの意見は、阿含宗は修行を実行しているが、
ユビキタスさんなど批判側は、釈尊の教法がどうのこうのと説明して、
阿含宗を批判するが、何もしていないし、何も結果を出していないではないかと言いたいようです。
ユビキタスさんがザのスレですでに反論していますが、
読んでいる信者さんたちも賛成しているでしょうから、追加の反論をします。
批判側が実行していない、成果がないなどというのは根拠のない批判です。

626 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:12:31 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

釈尊の教法は、
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
これが大原則です。
仏教とか、ましてや阿含経を元にして信仰、修行しようというなら、
この大原則から外れたことは論外であり、逆にこれに沿ったことなら、仏教の信仰といえる。
この教法に従い、第一に、批判側は「悪しきことをなさず」を一つ実行した。
阿含宗のしていることは、釈尊の教法の原則に反している。
阿含宗は霊感商法をするカルト宗教です。
霊障、悪因縁など、一般人にはわからない霊的なことで脅かして、
金と人を集めることを霊感商法といいます。
地球壊滅などを説き、教祖に帰依すれば助かると説く宗教をカルト宗教といいます。
阿含宗はこの二つの条件に合致するから、霊感商法をするカルト宗教です。
霊感商法もカルト宗教も悪いことです。
私など元信者は、この霊感商法をするカルト宗教を信奉していたのだから、悪いことをしていた。
だが、悪いことだと気が付いてやめた。
つまり、「悪しきことをなさず」を一つ実行したのです。

627 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:15:55 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

第二に批判側は「善いことを行い」を一つした。
私も元信者たちも阿含宗と桐山さんの正体を知らずに信仰してしまった。
批判本、先達、元信者など様々な人たちからの情報によって、
桐山さんがただの宗教詐欺師にすぎないことを知った。
今度は自分が情報を提供する番です。
正しい情報を伝えることは善いことです。
これは阿含宗の場合、二重の意味で善いことです。
一つは信者さんたちがインチキ宗教に騙されていることに気が付くということです。
本尊、経典、僧侶からして偽物で、これで仏教でございますというのは詐欺です。
因縁と因縁解脱は嘘、霊障の元となった上意討ちの話も嘘、
二つ目、本当の釈尊の教法とは何かを知ることができる。
阿含宗と正反対を示すことは、釈尊の教法を示すことです。
護摩、占い、死者供養、業解脱などいずれも釈尊は禁止し、否定した内容ばかりです。
桐山さんは自分たちこそが、釈尊の教法だと宣言しているが、
実は、その否定こそが釈尊の教法だということです。
つまり、信者さんたちに桐山さんの正体を知らせることで、自分が詐欺にひっかかっていることに気が付き、
釈尊の教法とは何かを伝えるのですから、これは「善いことを行い」です。

628 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:20:02 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

擁護側は、>>587の臥龍孔明さんのように、批判側をただ罵る。
ザのスレの先達たちも、星祭さんは「嘘コケ(笑)」「(爆!」など、
何か書くのにも必ずあざ笑いを書かないではいられない。
実行委員長さんやヂミズさんなどはアナゴンだという。
使者さんは聖者の予備軍であり、oo屋さんは最悪でも死んでから輪廻から脱出できるという。
彼らは自分たちを聖者や聖者予備軍だと宣言しているのですから、
まことに傲慢不遜、驕り高ぶりの心を持った人たちです。
一方、批判側は事実や根拠を示しながら、批判と反論を加える。
この両者の姿勢を信者さんたちはどうみるか。
擁護側は罵りとあざけり、傲慢、驕慢という煩悩を丸出しにしており、
批判側は冷静に反論して、煩悩を出さないようにしている。
「自己の心を浄めること」に沿って、煩悩をなくすことは困難だが、
出さないようにしているのは、明らかに批判側です。
「自己の心を浄めること」を批判側はスレにおいて実践している。
以上のように、「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること」という
釈尊の教法の大原則をスレにおいて守り、実践しているのは批判側であり、
これを破り違背しているのは擁護側です。

629 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:24:36 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

批判側はシュダオンなど成果や結果が得られたのか、というのがoo屋さんたちの質問です。
実にピント外れな質問です。
一つには批判側は誰も解脱を目指すとか、聖者になりたいなど書いたことはない。
あきらかにユビキタスさんは在家であり、私も在家で、出家を目指したこともないから、
釈尊の教法で、在家として実践できる範囲で努力している程度です。
大学に入りたいと言っていない生徒に、
おまえは大学に入れないではないかと批判しているようなもので、ピント外れです。

630 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:28:54 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

二つ目に、実際に成果は出ている。
oo屋さんの質問は、取引信仰の心が出ている。
聖者や解脱者になりたいために信仰をするのだ、という大前提で話をしている。
信仰、修行すれば、何か得られると信じ込んでいる。
釈尊が説いているのはシュダオンという位階ではなく、自分の心の平安です。
私は在家ですから、欲望や執着などそのままです。
しかし、減った煩悩もあります。
それは阿含宗時代に植え付けられた悪因縁や霊障への恐怖心と
桐山さんの法力への依存と、因縁解脱で得られる御利益への欲望です。
恐怖も依存も欲望も今でもあるのですよ。
ただ、元々なかったのに阿含宗で植え付けられ、この信仰で増えた煩悩を消滅させたのです。
これは私だけでなく、批判側の元信者の多くがそうです。
桐山さんの嘘つきぶり、インチキぶりを見せられれば、
阿含宗に入る前は持っていなかった煩悩なのだから、
瞑想や苦行などしなくても、捨てるのも難しくはない。
悪因縁や霊障に囚われていた信者だった時代の心に比べ
これらを捨ててしまった今の心がはるかに軽いのがわかります。
信者時代に比べたら、煩悩が減ったのだから、釈尊の教法の成果が出ている。
そればかりか、自分がこのような宗教に依存し、御利益を願ったということから、
直接見ることのできない心にある煩悩を自覚することができた。

631 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:31:49 ID:hSPucDZc
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

三つ目に、星祭さんのレスを見てもわかるように、
修行とは日常の、つまりこのスレに書き込んでいる今この瞬間も修行だという意識がなく、
「自己研鑚や修行」「修行体験」「瞑想体験」という言葉に表れているように、苦行、荒行、瞑想など、
宗教的な修行こそが釈尊の説いた修行だという考えから一歩も出られない。
座って悟りを得て、立ってホテルオークラで食欲にまかせ、愛人を作り、
名誉を買い集めるなら、その悟りとやらは何の役に立つのか。
星祭さんも同じです。
座って体得した聖なるバイブレーションとやらを滔々と説教する。
だが、立ってスレに書き込む時には、「嘘コケ(笑)」「(爆!」など煩悩を丸出しにする。
「桐山」と呼び捨てにしてアナゴンを自称するヂミズさんを「偉いと思うゾ。」
これは桐山さんに対する裏切り行為です。

632 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:34:54 ID:r1JPYrYI
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

釈尊は座って瞑想することも説いたが、瞑想そのものが目的ではありません。
もちろん、チャクラやクンダリニーの覚醒が目的でもない。
日常のあらゆる場面で煩悩を出さないようにするのが第一の修行です。
四念処の中には、自分の心と言動を常に意識するというものがあります。
煩悩はいつ飛び出してくるかわからないから、
夢の中でさえも自分の心と言動を意識しろというのです。
これだけの修行をした人なら、オバサン一人に嘘つき呼ばわりされたくらいで、
激怒して、座ってもいられず、壇上の端まで出てきて、
「キサマ!キサマ!キサマ!」とマイクの音が飛ぶほど声で怒鳴りつけ、
「このバカつまみ出せ!」と暴力で人を排除するなどありえません。
いくら高度の修行をしたなどと自己申告してみたところで、
日常で煩悩を丸出しにする桐山さん、星祭さん、oo屋さん、ヂミズさんたちが
仏教でいう聖者や聖者の予備軍であるはずがないのです。
この人たちは仏教の聖者とは何なのかすら理解していない。

633 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 13:39:21 ID:r1JPYrYI
>[541]○○屋 05/06/15 14:33 D-Oab/h
>[555]星祭@ぼん脳 05/06/16 00:26 GoRGEoUS

信者さんたちもザのスレの先達たちを自分を見るための鏡にしてほしい。
座って瞑想をして何事か得られたと思いこみ、
立って他人を罵りながら、煩悩を丸出しにする。
教法の実践の取引に聖者の位階など何事か得られると思いこみ、
己の欲望や煩悩による錯覚を見ようともせず、批判側は得ていないと罵る。
あれを自分ではない他人だと思わないことです。
星祭さんもoo屋さんも、おそらく三十年以上の信仰をしている人たちです。
その結果が、この有様なのですよ。
半世紀修行をしたという桐山さんが煩悩丸出しなのだから、当然といえば当然です。
釈尊の教法から照らし合わせるなら、桐山さんやこれら先達たちは俗人以下です。
信者さんたちに、ぜひ、自分の心にある悪因縁と霊障、大災害への強い恐怖心、
助かりたい一念からくる桐山さんへの依存を自覚してほしい。
それらは、あなたの人間性の向上や人生にとっても、また実際の大災害でも
害をなすことはあっても、何の役にも立たない。

634 :ありがとう宗教 :2005/06/16(木) 18:42:14 ID:9gORCAbE
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

635 :もったいない :2005/06/16(木) 19:57:36 ID:3gK+9S2J
もったいない。もったいない。もったいない。

636 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 20:59:39 ID:EBYtXArh
ザのスレ
ttp://religion.bbs.thebbs.jp/1117207837/e100

面白いやりとりなので、コピーします。


[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
○○屋さんは、須陀恒以上の境涯に達しているのかどうかを
占いましたところ、「巽為風」が出ました。これは、植物が風に運ばれて繁殖する意味で、
風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。

次に、斯陀含以上の境涯に達しているのかどうかを占いましたところ、「地雷復」が出ました。
これは、同じことを繰り返すと言う意味ですから、同じ、須陀恒の境涯を繰り返し、同じ修行を繰り返す、と判断できますので、未だ、斯陀含には到達せずと、判断できます。

[574]○○屋 05/06/16 20:39 PAIEIUMBY6
やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。



637 :井戸仙人:2005/06/16(木) 21:01:10 ID:avMhLy5/
桐山氏の自伝の中に学会のスパイの男を占断した話が出てくるが
確かに氏は四柱推命に熟達していたのは本当でしょう。
確かに人の運命を細部まで詳しく占うには四柱推命が最も適しているかもしれない。
だがそれでは、教団を立宗する際に何故、「推命」ではなく「密教占星術」が登場したのか。
それは仏教教団がまさか中国の占いを基に指導する訳にはいかないという理由も考えられるが
もう一つ別の意味があるように思われる。
推命や他の占術もそうだが、人の運命を占う際に「○○の傾向がある」とか「○○になり易い」
とかいった表現が使われている。当然、「因縁」とかいった表現は出てこない。
そこで「○○の傾向」などを「因縁の星」と名づけて仏教の「因縁解脱」に結びつけたのでは?
それには、あらゆる占術の源であり且つ仏教を連想させる意味で「密教占星術」というものが
新たに必要になってくる。つまりこれは、氏の創作だということです。
つまり宿曜占星術という本来の意味での「密教占星術」は実在するが、氏が言うような
あらゆる占術の源であるという意味の「密教占星術」は元々存在しない。
こう考えると筋が通るように思う。
「○○相克の因縁」などはどう考えても推命から来ている表現である。
そして仏教で言う意味の「因縁」との関連については何の説明もされていない。
中国占術と仏教という本来関係の無いもの同士を「因縁」という言葉一つで
見事に繋げてしまったことになる。氏の手腕は真に見事である。
氏の理論で一番興味深いのは、仏教の出典については随分と詳しく語っているのに反して
こと「因縁」の話になると、唐突に「○○の因縁」が登場するあたりでしょう。
まったく「唐突」という表現がぴったりきます。

638 :井戸仙人:2005/06/16(木) 21:01:52 ID:avMhLy5/
同じような例に「仙道」と「仏陀の法」がある。
ここでは「泥丸(ニイワン)」と「ニルバーナ」を結びつけることで
仙道と仏陀を関連づけた。仙道の源流は仏陀の修行法だという話を展開した。
確かに「ニイワン」は「ニルバーナ」の音写だとオリジナル本の著作者
であるアンリ・マスペロは語っている。
しかしその理由については何も触れていない。なのに氏はすかさず、
この部位を覚醒させるとニルバーナに到達するからこう名づけられた、
と、さも定説のように述べている。これは氏の持論に過ぎない。
ちょっと考えてみればわかる様に、何で仙道側の人間が「ニルバーナ」を
意識しなければならぬのか?
彼らから見ればニルバーナなど目標でも何でもない。
その彼らがどうして、「ここを覚醒するとニルバーナに到達するからそう名付けた」
という話になるのか?
仙道は明らかに中国発祥の「気」の思想から発展したものであり
後世になって仏教との接触はあったであろうが、それが仏陀起源だという説は
説として語るのは自由であるがあくまで説に過ぎない。
これも氏お得意の「関連づけ」と考えたほうがいいと思います。
とても愉快な話です。

639 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:02:39 ID:sJL2m+mF
わっはっはっ・・・ひがむな、ひがむな

640 :井戸仙人:2005/06/16(木) 21:17:28 ID:avMhLy5/
四柱推命が基だから悪いという話ではありません。
むしろ推命は的中確率は高いかもしれないと感じています。
横変死の兆候、癌になりやすい傾向などはあたっているかもしれない。
だとすると仏教の「因縁解脱」はどうなるのだ?
ひょっとして推命から出てきた「因縁」は仏教では切れないんじゃないの?
だって神通第一のモッガラーナは殺されたんでしょう。
これは横変死の兆候ですよ。
そして仏陀の弟子の中の弟子は解脱できなくて殺されちゃった。
つまり推命の兆候と仏教の因縁は全然関係が無いからだという解釈ができる。
お先真っ暗です!

641 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:49:51 ID:ZxBbIeav
阿含宗は、創価学会や顕正会と同じ位危険か?

642 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 22:05:10 ID:JhnAsDGg
もっと危険だ

643 :こうもり :2005/06/17(金) 00:14:50 ID:OzcT4G1S
>>636 とにかく私は関係ないですからね。一緒にされたくない!
シシャモンガーとは。シシャモンムゲとも関係ない。

644 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 00:43:36 ID:jUgxjau0
>643
信者だけど、彼らとは違うって事?
彼らは、擁護側同士で好きにしてって感じ。

645 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:42:30 ID:9dC2A19p
>>606 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:51:07 ID:1CZgPzVV
>それに釈迦はだれからも得度を受けていない。

487 :名無しさん@1周年 :01/11/07 21:04
釈迦とその弟子が得度と伝法潅頂を行なったという証明をして下さいな。
嘘吐きさん!

640 :名無しさん@3周年 :03/02/07 12:59
釈迦自身は誰からも得度を受けていないんだから
僧籍なんて現在国家資格でもないものにこだわる必要はない。
どのみちみんな釈迦の法統なんて受け継いでいないんだから。

240 :名無しさん@3周年 :03/09/07 19:31
釈迦は誰から得度うけたんだ?
聖者にはいらないんだよ。そんなもの。呆!

907 :名無しさん@3周年 :03/10/11 13:49
釈迦は誰から得度うけたんだ?
聖者にはいらないんだよ。そんなもの。呆!

934 :名無しさん@3周年 :03/10/11 17:00
釈迦は誰から得度うけたんだ?
聖者にはいらないんだよ。そんなもの。呆!

646 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:43:10 ID:9dC2A19p
>>606 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:51:07 ID:1CZgPzVV
>それに釈迦はだれからも得度を受けていない。

272 :名無しさん@3周年 :03/10/15 10:00
釈迦も最後までアマだったことを知るがいい。
彼はだれからも仏教の得度など受けていない。
そんなことにこだわってああだこうだとグチユグチユ言うほうがよほど愚か者だ。

378 :名無しさん@3周年 :04/01/31 19:02
釈迦だってだれからも得度などうけていないのですから
釈迦を超えんとしている猊下は本来そのような俗世の資格など必要ではないのです。
だけど世の中に学歴とか法歴を気にする馬鹿共が少なくないために仕方なく明らかにしているにすぎません。

379 :名無しさん@3周年 :04/01/31 19:05
伝法潅頂なんか受けていなくとも解脱は可能です。
釈迦やイエスを見なさい。
猊下だって同じです。
たまたま縁があって受けただけで、それによって解脱したわけではありません。
おまけみたいなものです。

647 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:46:41 ID:9dC2A19p
>606 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:51:07 ID:1CZgPzVV
>それに釈迦はだれからも得度を受けていない。

>>645-646のように、この方のこの主張も「行歴」が長い。
毎回反論されて、反論された内容に反論するのではなく、
シツケの悪い犬みたいに、この無知な言葉を吠えるだけで、
この四年間なんの進歩もない。
606さんは>>487でご紹介した「IQ御霊示ミラレパ」さんなのでしょう。
しかし、せっかくネタをふってくれたのですから、また同じ反論します。
釈尊は仏教の創始者です。
仏教の創始者が仏教の得度を受けていないなんて当たり前です。
無師独覚であり、独自の宗教を作り出した。
阿含宗も仏教など名乗らず、桐山教を名乗れば得度など問題がなくなります。
桐山教の出家、桐山教の阿闍梨、桐山教の仏陀である分には、誰も批判できない。
ところが、阿含宗は仏教を名乗っている。
仏教を名乗るなら、出家は全員が得度を受けないとダメです。
釈尊は得度もしていないのに、勝手に出家を名乗ることを厳しく禁止した。
今では得度の仕方は様々だが、最低限、僧侶から許可をもらうことです。
桐山さんはこの最低条件すら満たしていないから、僧侶ではありません。
もちろん、阿含宗の坊さんも全員が偽坊主です。

648 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:50:13 ID:SytJSQm5
>606 :名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 19:51:07 ID:1CZgPzVV
>それに釈迦はだれからも得度を受けていない。

「釈迦は」と書いているのだから、あなたは桐山さんが得度を受けていない、
つまり僧侶でないことを認めるのですね。
その点だけは評価します。
中には桐山さんが偽坊主だということすら認めない信者もいる。
僧侶ではないのだから、真言宗の阿闍梨も嘘だという認めるのですね。
しかし、桐山さんは自分は僧侶であり、真言宗の阿闍梨の資格も持っていると今でも自称している。
つまり、あなたは桐山さんが嘘つきであると認めるのだ。
桐山さんは偽坊主、偽阿闍梨であり、大嘘つきなのです。
そうか、四年前からあなたとは意見が一致していたのだ。
気が付かず、失礼しました。

649 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:58:29 ID:SytJSQm5
>>636 :名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 20:59:39 ID:EBYtXArh
>[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
>風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。
>[574]○○屋 05/06/16 20:39 PAIEIUMBY6
>やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。

信者さんたちはよくこのやり取りをごらんください。
ヂミズさんは元信者であり、今は阿含宗の信者ですらなく、
桐山さんを桐山と呼び捨てにして、自分はアナゴンだと自称しています。
このヂミズさんが占いでoo屋さんがシュダオンになっていると宣言してあげた。
信者であるoo屋さんは大いに喜び、ヂミズさんがアナゴンであることを認めた。
oo屋さんは[574]を冗談で書いたというかもしれないが、もう遅い。
先に質問したのはoo屋さんだし、大喜びのレスを付けてしまった。
占いで自分が聖者になっているかどうかを判断してもらうということが、
どれほど愚かな行為か理解できないのでしょう。
ところで、信者さんたちはこの二人のやりとりはいつかどこかで見たような光景だと思いませんか。
『守護神を持て』にも出てくる小泉太志命と桐山さんと同じパターンです。

650 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 13:02:59 ID:SytJSQm5
>[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
>風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。
>[574]○○屋 05/06/16 20:39 PAIEIUMBY6
>やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。

霊能者が大好きな小泉さんは気に入った相手を呼びつけてはヨイショするのが趣味だった。
わかっているだけでも桐山さんだけでなく、コスモメイトの青山さんや
真光の岡田光玉さんにも同じことを言っています。
小泉さんは自分では教団を作る能力がなかった。
しかし、教祖など霊能者を評価することで彼らから尊敬を得られることに気が付いた。
一介の田舎の霊能者大好きオジサンにすぎなかった小泉さんが、
知名度のある教祖をヨイショすることで、
教祖たちからも神人とか霊能者などと逆にヨイショしてもらえた。
お互いに誉めて、認め合うことで、利益と自己満足を得たのです。

651 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 13:07:07 ID:SytJSQm5
>[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
>風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。
>[574]○○屋 05/06/16 20:39 PAIEIUMBY6
>やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。

小泉さんは死ぬ前に、コスモメイトの青山さんを呼んで、
「我が国の国運はすべてあなたの双肩にかかっています。」(『なぜ、人は神を求めるか』大原一浩、194頁)
と、おっしゃったそうです。
これが桐山さんに、
「・・国開きの大事業をなさねばならない。」『守護神を持て』45頁
と言った同一人物の発言です。
桐山さんが国開きをして、青山さんが国運を担うのだから、
桐山さんはもう国開きをして用済みということになるのでしょう。
桐山さんがいつ国開きをしたのか知らないが、
小泉さんは1989年に死んでいますから、桐山さんはだいぶん前に用済みということになる。
桐山さんと青山さん、小泉さんはそれぞれに自分に本当の意味での自信がない。
だから、他人からヨイショされるのが無類の快感です。
他人からヨイショされても、自分に自信があるなら、こんな内容を公開する必要はない。
桐山さんにとって小泉さんとは金で買った勲章と同じです。
自分をエライと誉めて、認めてくれる相手が欲しいのです。
しかし、こういう人は仏教の聖者ではない。
だから、釈尊がバラモンから仏陀だと認定されたなんて話はありません。

652 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 13:09:55 ID:SytJSQm5
>[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
>風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。
>[574]○○屋 05/06/16 20:39 PAIEIUMBY6
>やったー!!ありがとうございます。やはりあなたはアナゴンだ。

ヂミズさんもoo屋さんも、現実世界では聖者としては通用しない。
桐山さんや小泉さんほどの才能もないから、周囲の人たちを騙すことすらできない。
そこで、互いに「供養」しあって、ヨイショすることで、聖者ゴッコをしたのです。
まるで、子供です。
俗人なら誰しも、誉めてほしいとか、エラクなりたいという欲望はある。
しかし、大人なら、これを露骨に出すことにためらいがある。
ましてや仏教の信仰とは欲望を抑えることです。
桐山さんは本で、大先達のoo屋さんはネット上で、
こういう煩悩を出して、恥じるどころか喜んでいる。
欲望は仏教では不浄なものです。
不浄物を本に書き、ネットで公開して恥じるどころか、仏教の聖者になったのだと宣言する。
信者さんたちはこの二人の様子を反面教師にして、
知識でいいから、仏教とは何か、仏教の聖者とは何かを理解してください。

653 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 13:18:09 ID:SytJSQm5
>[573]池田慈水 05/06/16 20:15 UYMJH0CPLL
>風のように自らの実力を養い、勢力を伸ばすと言う意味ですから、須陀恒以上だと占断いたします。
>未だ、斯陀含には到達せずと、判断できます。

信者さんたちは、ジミズさんがしっかり自分の利益を確保していることに気が付いたでしょうか。
oo屋さんを、シュダオン以上だが、次の段階であるシダゴンにはなっていないというのです。
ヂミズさんの利害をよく表している。
ヂミズさんはアナゴンですから、oo屋さんをあまりアナゴンに近づけたくない。
しかし、せっかく自分をヨイショしてくれるお仲間ができたから、
まずは最低限、シュダオンであると認めた。
だが、根がケチで、自分をエラクみせたいから、oo屋さんをシダゴンであるとは言いたくない。
そこで「シュダオン以上」と「以上」をオマケした。
上からアラハン、アナゴン、シダゴン、シュダオンの順ですから、
ヂミズさんは自分の2番目の地位を確保しておくために、
oo屋さんに3番目の地位を差し出す度量がなく、3.5番目の地位を与えたのです。
このけち臭いアナゴン様をよくご覧ください。
もっとも何も出さない桐山さんよりはましかもしれない。
ついでに、阿含宗を辞めたケチアナゴン様から、そのカスをいただいて、
ありがたがって喜んでいる阿含宗の大先達様の姿もご覧ください。
三人まとめて聖者餓鬼です。

654 :名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 17:33:04 ID:cJhkDHaZ
そろそろ500KBに近付いております。
こちらを使い切ったら新スレに移動して下さい。

阿含宗という宗教86
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1118996984/


655 :こうもり :2005/06/18(土) 15:01:26 ID:/DBauHL1
>>638 本山博氏の説だと、インドのナーディの理論が中国に伝来し経絡理論となった、とされてました。

656 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:09:06 ID:wJ26tEpR
阿含宗と桐山氏について―第十章―皆で楽しく懇親会から部分転載
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS
>あと誤解しないでほしいのは、善行がもたらす業(果報)もエネルギーが消え去ることはない。
>従って、人を沢山殺したアングリマーラの場合は、難しかったが、人一人殺した業は、人一人救えば消える。

ヂミズさんに言わせれば、悪業も善業も消えることはないが、
善業をなせば悪業は消えるのだそうです。
本人は書いていて何の矛盾も感じてないのでしょう。
善業と悪業が帳消しになるという考えは、
阿含宗の滅罪生善の積徳行に相当するが、こんなことは釈尊は説いていません。
>>5,>>344でも紹介しましたが、釈尊は、
『神々との対話』(中村元)にある「サンユッタ・ニカーヤ」、
「第V篇、第二章、第9〜10節、子がいない」(194頁〜)
で、金持ちが金持ちであることを享受できないまま死んだ話をしています。
金持ちは、前世で作った悪業は悪業のまま、善業は善業のまま受け取ったのです。
信者さんたちはヂミズさんのように、
善業を釈尊に提供すると、悪業を帳消しにしてくれると信じている。
中世のキリスト教の免罪符と発想が同じです。
桐山さんが言うように、釈尊が信者の供養に応えて出世間福を授け、
カルマを消滅してくれるなら、王に対してもそのように説いたはずです。
ところが、釈尊は、質問した王に対して、
「ひとが身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、――それこそ、
かれ自身のものである。人はそれを取って受けて、いくのである。」(200頁)
と説いているだけです。
釈尊は悪業(カルマ)の帳消し、カルマを切るなど取引信仰を説いたことはありません。
一方桐山さんは、カルマから脱出を本の題名にまでしている。

657 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:10:20 ID:wJ26tEpR
『一九九九年カルマと霊障からの脱出』、162頁
「密教で成仏法を得、阿含で成仏力を得た」
という一語に尽きるでしょう。
それはどういうことなのか?
不成仏霊をはっきりと霊視して、因縁とカルマの根源をあますところなく見きわめ、霊障の
亡者を成仏させて霊界に送りとどける力、です。すなわち、カルマを断つカです。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』、167頁
それでは、仏陀釈尊にしか伝えることのできぬ唯一絶対のものとはなにか?
あらゆるカルマを断ち切る「法」
これです。

『祈りは天地を動かす』P.77
「成仏法は、「因縁解脱」の法であって、業(カルマ)を断ち切る法なのです。

658 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:13:54 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

>>657のように桐山さんは繰り返し、釈尊が説いたのはカルマを断ち切る法だと書いています。
因縁解脱、カルマ解脱は阿含宗の根本であり、桐山さんはこれが釈迦の成仏法だと述べている。
だが、仏教にはカルマを断ちきる法、つまり因縁解脱法など存在しません。
このことは、ザのスレで使者さんが桐山さんの本や経典を引用しては
なんとか証明しようとしたが無駄でした。
そんなことは当然で、釈尊はカルマを切るなど説いていないのだから、
阿含経を逆さにふっても出てきません。
信者さんたちはお気づきでしょうか。
桐山さんは仏教の最初の最初を間違えているのです。
煩悩を切ることを説く釈尊の阿含経からカルマ解脱の方法を探すのは、
料理学校で車の運転を習おうとしているようなものです。
桐山さんは来るところを間違えた。

659 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:18:27 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

桐山さんは阿含経から釈迦の成仏法をなるものを発見したと自慢した。
その釈迦の成仏法とはカルマを切る方法です。
しかし、釈尊はカルマを切る方法など説いたことはない。
彼が説き続けたのはただ一つ、煩悩を切ることです。
煩悩を切ることしか説いていない経典から、
カルマを切る方法を桐山さんは発見したというのです。
信者さんたちに質問したい。
あるはずのないものをどうやって発見するのだ?
料理学校で車のA級ライセンスを取ったと言っているようなもので、ありえない。
信者さんたちは「成仏法のような難しいことはわからない」というでしょう。
そこで思考停止すれば、桐山さんの思う壷です。
たしかに、釈尊の説いた教法を完璧に理解し体得することは難しい。
だが、何を説いたかといった概要なら素人の私たちにも理解できます。
重力定数はわからなくても、リンゴが重力で落ちることを知っているのと同じです。
釈尊は今の日本人よりもはるかに学問も教養もない人たちに法を説いた。
チューラパンタカのように理解力の遅い人にも説いた。
今の日本人に理解できないような難しいことを説いたはずはありません。

660 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:23:45 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

信者さんたちがそうやって、自分が考えてもわかるはずがないというのは、
桐山さんからそのように教えられているからです。
桐山さんは求聞持法などで間脳を開くことで、はじめて阿含経に
釈迦の成仏法があることを見いだしたであって、間脳が開かない限り、
文字を読んでも本当の意味など理解できないと主張した。
信者の大半がこれを鵜呑みにして、桐山さんの解説する阿含経以外は自分では読もうともしない。
阿含宗徒の阿含経知らずは、偶然ではなく、桐山さんの仕掛けた罠です。
中村博士などの努力で、阿含経をわかりやすい日本語で読めるし、
懇切丁寧な解説までついている。
阿含経を護持して、信仰するというなら、他人に言われるまでもなく、
阿含経を座右宝鑑にして読むのが当然です。
ところが、信者さんたちは読もうとしない。
自己洗脳していると指摘されると反発するだろうけど、
現実に、信者さんたちは阿含宗徒の阿含経知らずです。
ほんの少しでいいから、こういう現実の自分に疑問を持つべきです。

661 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:26:39 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

桐山さんは信者さんたちに阿含経を読んで欲しくないのです。
なぜなら、読めば、桐山さんのいうことと違うことが随所に出てくる。
因縁や解脱はあっても、因縁解脱など阿含経にはない。
霊障など単語どころか概念すらない。
護摩や占いは禁止であり、先祖供養などどこにも出てこないし、
死者供養は無意味だと否定している。
護摩や死者供養を一番の売りにしている阿含宗の信者なら、
我が目を疑い、目が点になるような内容ばかりです。
いくら桐山さんの間脳で読んだといっても、阿含経は文字であり文章です。
細かい部分には異説もあるが、主要な部分の解釈に大きな違いはありません。
特に、釈尊の説いた解脱とは、煩悩を切ることであるなど、
料理学校とは料理を教える所、教習所とは車の運転を教える所であると同じくらいの
仏教の初歩の初歩、当たり前すぎる内容です。
間脳で読んでも、仏教の解脱の意味に違いなど出てきません。

662 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:29:29 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

桐山さんは阿含経に書いていないカルマ解脱を読みとった。
この事実に、信者さんたちの知性が小声でささやくのを聞いてください。
間脳で読みとったなんて桐山さんの思いこみ、早合点、
というよりも嘘、ごまかし、いつもの虚言癖。
これだけで現実の阿含宗のすべては説明がついてしまう。
カルマを切るというなら、桐山さんは刑獄のカルマを断ち切ったのだから、
1986年の密教食事件で有罪になるはずはない。
病気のカルマも切ったのだから、糖尿病や脳梗塞になるはずはない。
他人のカルマまで切る力があるというなら、
奥さんであり、副管長であり、同士であり、在家信者の最高峰にいたはずの夫人が
ガンというカルマで死ぬはずはない。
これらの出来事は、カルマを切るなど桐山さんの嘘だとすれば、簡単に説明がついてしまう。
釈尊はカルマを切るなんて説いていないし、現実に桐山さんはカルマを切る力などない。
桐山さん一人の嘘だとすれば、すべて、きれいに、見事に説明がつきます。
仏教の基本である解脱についてすら、阿含宗は嘘なのです。

663 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:33:11 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

ザのスレの中年先達衆を見てください。
桐山さんの嘘をなんとか合理的に説明しようとやっきになっている。
だが、いくら努力しても無駄です。
なぜなら、嘘からは嘘しか出てこない。
一つの嘘をごまかすためには、次の嘘をつくしかなくなる。
基本中の基本である解脱の中身すら嘘なら、これ以外も全部嘘です。
そこで、信者さんたちに二つ目の質問をしたい。
なんのために、あなたは桐山さんの嘘をそんなに弁護したいのか。
あなたが作り出した嘘なら自分を守るために弁護するのもわかる。
だが、阿含宗はあなたが作ったものでもなく、あなたの家族でもなく、
あなたの会社でもない。
あなたは阿含宗という宗教企業の顧客にすぎない。
客にすぎないあなたが、企業の社長がインチキ商品を作ったからといって、
どうして、必死に弁護するのか。
あなたは金を払っている客なのですよ。
普段の信者さんなら、買った商品がインチキだとわかったら、
社長を弁護するどころか、会社に金を返せと抗議するでしょう。
こういうあなたが、阿含宗や桐山さんのこととなると、
とても奇妙な反応を示していることに気が付いてください。

664 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:39:33 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

私は元信者だから、かつては信者さんたちと同じ反応をした。
そして、嘘をついている桐山さんを弁護しようとしている自分に、ある時、驚いた。
知り合いの信者さんからの質問に、私は桐山さんを弁護する言い訳をした。
自分で話す先から自分の説明への反論が浮かんだ。
信者さんの質問は明らかに桐山さんがおかしいことを示していた。
私もそのように思いながらも、詭弁で桐山さんを弁護した。
質問した信者さんは「そうですか」と言って引き下がってくれたが、
後味の悪さといったら、口の中にニガヨモギを突っ込んだような気分でした。
私が教義を作ったわけでもなく、桐山さんは身内でもなく、
一介の信者にすぎない自分が、なんでこんな見え透いた言い訳を考えなければならないのか。
一つや二つの嘘なら、詭弁でも信者さんたちは受け入れてくれた。
だが、あまりに桐山さんは嘘が多すぎる。
擁護や弁護しきれないだけでなく、弁護すればするほど、
自分がバカだ、愚かだ、洗脳されている、桐山さんを信じ切っていると言っているようなものです。
さすがに、ザの中年先達衆ほどには桐山さんの漬け物にはなり下がれなかった。
信者だったある時期から、私は桐山さんを弁護するのをやめたのです。

665 :名無しさん@3周年:2005/06/18(土) 23:44:35 ID:wJ26tEpR
> [536]池田慈水 05/06/15 12:09 /byZidGeBS

桐山さんの弁護をやめて、おかしいことはおかしいと言うと、
おもしろいことに、周囲の信者たちの態度が変わりました。
ある信者さんたちは私を避けるようになった。
私の桐山弁護、阿含宗擁護に安心保証を得ていた人たちでしょう。
それまで保証の片棒を担ぎ、共鳴させてくれていた私が、
現実をあるがまま示すのだから、彼らにとって心地よいはずはない。
彼らからは陰でずいぶん悪口を言われました。
別な信者さんたちは、「あなたにだから話せるけど・・」と言って、
本音を出してくれるようになった。
私よりよほど桐山さんを客観的に見ている人たちがいたのに、
気が付かなかったことに恥ずかしくなりました。
ある女性が、桐山さんを俗物だといわんばかりの批判をするのを聞いて、
なぜこんなにあからさまに「悪口」を言うのだろうと思った。
ところが後日、彼女の「悪口」は悪口ではなく、事実だと知って、
桐山さんの行状に驚くと同時に、自分が何も知らないのに悪口だと思ったことを恥じました。
読んでくれている信者さんたちにもぜひ考えほしい。
まずは、桐山さんの弁護を辞めてはどうか。
あなたは信者にすぎないのだから、桐山さんや阿含宗の矛盾を必死に弁護する義務はない。
仏教的に、また自分の体験からいうなら、弁護しようとする心は執着そのものです。

502 KB [ 2ちゃんねるが使っている 完全帯域保証 レンタルサーバー ]

新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :


read.cgi ver 05.0.1.1 2005/06/02
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object) 1